不法占領で暮らす朝鮮人

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(左 : 日本に統治される前の朝鮮にあった村   /  右 :「朝鮮ピー(娼婦)」への謝罪を求める朝鮮人)

  今回のブログは前回の補足。安田菜津紀氏が紹介する在日朝鮮人を考えてみると、本当に「朝鮮問題」は厄介だと痛感する。

  安田氏は取材を兼ねて、朝鮮人が多く住む神奈川県川崎市の池上町を訪ねた。ここは戦前、軍需工場があった場所で、一時はマスコミにも取り上げられていたが、「日本鋼管」(「JFEスチール」の前身)という会社には、朝鮮人の出稼人も働いていたという。ただし、大東亜戦争が終わると帝國陸海軍の解体が行われたので、周辺の工場に勤めていた日本人は仕事が無くなり、務めていた者はそれぞれの故郷に帰ることになったそうだ。

  ところが、「敗戦後」所謂「日帝からの解放」になっても在日鮮人だけは帰国せず、そのまま豊かな日本に留まった。家族共々、日本に居坐った鮮人労働者達は、“空白”となった焼け野原と日本人が出て行った空き家、そして「ドヤ街」と呼ぶに相応しい荒れ地に目を附け、いつの間にか自分勝手な掘っ立て小屋を建てた。これが、薄汚い朝鮮人集落の始まりである。

  安田氏は「不法占領」という呼称に不満なようで、左巻きの神奈川新聞、『カナコロ』に載った記事を引用し、厚かましい鮮人供を擁護した。朝鮮人の支援者達は“外人排斥論者”の日本人を非難するが、実質的には「不法占領地域」としか言い様がない。平成時代に漫画家の山野車輪(やまの・しゃりん)が様々な朝鮮人街を紹介したから、一般国民も池上町のことを知っているだろう。山野氏による指摘に驚いた人もいるだろうが、川崎市は河川敷を不法占領した鮮人に立退料を渡したようで、一世帯当たり約2,700万円の補償金を渡したそうだ。(山野車輪『在日の地図大韓棄民国物語』清談社、2006年、 p.64.)

  実際、鮮人居住区の固定資産税は「JFEスチール」側が払ってきたので、「住民」と称する鮮人達は合法的な土地所有者ではない。それゆえ、立ち退きを要求した「日本鋼管」が「違法占拠」などの貼り紙を作っても当然だ。ついでに言えば、JFE側は「在日鮮人の父」在日韓国基督教会に属する神奈川教会の李仁夏牧師と交渉し、解決の糸口を模索していたが、李牧師が死去すると交渉の進展が途絶えてしまったらしい。

  敗戦後の日本では、「戦勝国の人民」を称する「第三国人」による横暴は誰の目にも明らかであった。進歩党の椎熊三郎(しいくま・さぶろう)代議士が、国会で「第三国人の傍若無人な振舞に対する処置」を質問したことは有名だ。「在日朝鮮人連盟」は「日本共産党」の連中と共謀して共産主義革命を目指したが、その一方で、不逞鮮人どもは、各地で集団強盗を繰り返し、官公署に対しても横暴を極め、不当な要求を突きつけていた。さらに、建築物の不法占拠、汽車電車バスへの不法乗車、生産管理、人民裁判まであったという。(坪井豊吉『<戦前・戦後>在日同胞の動き~在日韓国(朝鮮)関係資料』自由生活社、1975年、p.229.

  後に、家屋の不法占拠は少なくなったが、朝鮮人どもは、家屋を家主から安価で購入し、住居者を第三国人的暴力と嫌がらせで追い出したという。(上掲書、p.235.) こうした暴力で大儲けする朝鮮人がいる一方で、日本に侵入する不逞鮮人が後を絶たなかったらしい。昭和21年頃になると、南鮮からの密航者が激増したというが、その中には再密航者が混じっていたという。(上掲書、p.234とp.237.) 朝連の幹部共は腹が立つほどふてぶてしく、「我々は今まで、搾取と奴隷的な差別待遇を受けてきた。日本の敗戦で解放された現在、我々は連合国人であるから、敗戦国日本の法令に従う義務はない」とか「我々は二等国民で、日本人は四等国民となった。したがって、我々は日本国民より優遇されるのが当然である」と言い放っていたのだ。(上掲書、pp.231-232.) 名門校に通う日本の優等生やリベラル派のインテリ層は、こうした過去を先生から聞いたことがあるのか?

  普通の日本人は、こうした「在日鮮人問題」に目を背けるが、「不法占領地域」というのは通常の住宅地ではない。そもそもが“違法建築”だから、行政府が上下水道を引くことは出来ないし、電柱すら立てることも困難だ。しかも、迷路のように細い道が入り組み、古びた家屋が密集しているので、救急車や消防車が進入できない。とは言っても、さすがに「電気の無い原始生活」じゃ悲惨なので、左翼議員や朝鮮総連の有力者が仲介役となり、現地の電気会社と交渉して、電線を引いてもらったそうだ。でも、下水道が無い占拠地は本当に不潔で、家屋の外壁から配水管が飛び出し、汚水がそのまま垂れ流されていた。

  日系日本人からすれば、こんな占領地域は許せないが、朝鮮系の安田氏は違うようで、日本人による「ヘイトスピーチ」の方を非難する。所謂「ヘイトスピーチ」は2013年頃から起こったようで、川崎駅近くでは、日本人による抗議デモが何度かあったようだ。安田氏は朝鮮の血が騒いだのか、「ヘイトスピーチ」を口にする“右翼”やデモ行進を実行する“排外主義者”に憎しみを抱く。確かに、デモ隊の連中には怪しい奴が混ざっているので、保守派の日本人でも不快感は隠しきれない。安田氏によれば、「一人残らず出ていくまでじわじわと真綿で首を絞めてやるからな」とか、「朝鮮人、空気が汚れるから息するな」「朝鮮人は敵だ、敵に対しては死ね、殺せというのは当たり前だ」といった暴言を吐いたそうだ。( 安田菜津紀『あなたのルーツを教えて下さい』左右社、2022年、p.126.)

  まぁ、民間人の抗議デモには参加審査が無いから、愛国心に燃えた人ばかりじゃなく、“鬱憤晴らし”を目的としたゴロツキや馬鹿丸出しの不良、あるいは「右翼」を騙った「左翼」が混じっている場合がある。狡猾な左翼分子は保守派国民のイメージを毀損するために、わざと“下品な右翼”を演じ、暴力沙汰まで起こそうとするから注意が必要だ。

  一方、保守派国民は綺麗好きだから、敵陣営に潜り込んで内部破壊を目論むことはない。常識的な日本人は汚い事が嫌いだから、朝鮮人の団体や左翼の集会に参加して、左翼のイメージダウンを謀る事など考えもしないんだろう。それに、左翼のイメージは最初から悪いから、改めて悪くすることもないんだろう。

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( 上写真  /  短気で激昂しやすい朝鮮人 )

  そもそも、米国におけるBLM騒動を見れば判る通り、民族や人種で対立する活動家というのは、互いに感情が剥き出しなり、互いに相手を“悪魔化”するから、罵詈雑言なんて当たり前だ。日本人は支那語や朝鮮語の罵倒語を知らないから、あの程度の暴言しか出せない。朝鮮半島の鮮人なら、忌々しい日本人に対し、もっと凄い侮蔑語を口にするだろう。コロンビア大学で日本語を研究していたハーバート・パッシン(Herbert Passin)教授は、日本語における罵倒語の少なさに驚いていた。彼は朝鮮人の汚い言葉を学んでいたから、日本の右翼には驚かなかったはずだ。(ユダヤ人学者のパッシン教授は、元々、米国陸軍で対日戦を研究する諜報局員であった。)

  ここで問題なのは、カタギの住民、すなわち、親子代々神奈川に住み、故郷を大切にする日本人が、「民族差別」や「朝鮮蔑視」「人権蹂躙」といった非難を恐れて、鮮人の横暴にずっと沈黙していたことだ。確かに、朝鮮総連や韓国民団の鮮人には、ヤクザまがいのメンバーがいるから、温厚な日本人は恐怖に震えて何も言えなくなる。昭和時代の鮮人達は、税務署にまで押しかけて役人を恐喝していたから、遵法精神を持つ日本人とは明らかに違っていた。それゆえ、平穏な暮らしを望む人々は「黙っていた方が無難だ」と考えたし、賢い人は「こうした厄介事は役所に任せよう」と丸投げだった。こんな「体たらく」を続けていたから、鮮人問題は徐々に固定化してしまい、気がつくとコンクリートの塊になっていたのだ。

「朝鮮人」とバレるのが怖い

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(左 : 伝統的な朝鮮人女性   /  右 : 日本統治以前の朝鮮で行われた刑罰)

  川崎市に赴いた安田氏は、川崎区桜木にある多文化共生施設「ふれあい館」を訪れた。(本当に「ふれあう」事にしたら「セクハラ」になりそうだが、左巻きの役所は奇妙な名称を好むもんだ。) 安田氏は館長の崔江以子(ちぇ・かんいぢゃ)と出逢い、崔氏の思い出話を聞くことにした。

  崔氏の母親は幼い頃、紐を附けた磁石を引き摺りながら、川崎駅から池上町まで歩き、鉄屑を集めて生活の糧にしていたそうだ。敗戦後の日本では、鉄屑を拾ってお金に換えたり、ドブロクを作って小銭を稼ぐ密造業者、豚を飼って屠殺業者に売り渡す在日鮮人が多かった。鮮人部落というのはドヤ街みたいな地域で、まともな日本人であれば絶対に住み着かない。崔氏が住んでいた場所も鮮人街であったらしく、ニンニク臭のキムチが食卓にのぼり、焼肉の煙が路地裏に漂っていたそうだ。(安田『あなたのルーツを教えて下さい』、p.124.)

  上流階級の日本人とは「触れ合う」ことがない「ふれあい館」は、朝鮮人差別が一因となって創設されたようだ。安田氏は崔氏が語る鮮人差別を紹介していた。朝鮮人には西歐人とは違うキリスト教徒が多く、「ふれあい館」の運営法人である「青丘社」は、教会が母体となって設立された保育園であったらしい。1960年代や70年代の日本では、朝鮮人に対する嫌悪感がまだ健在だったので、普通の日本人でも在日鮮人を排斥する気概を持っていた。ある在日鮮人2世の母親が、我が子を幼稚園に入れようとした時のことだ。この母親が入園を申し込むと、園側が「あちらの方はちょっと・・・」と述べて断ったという。これが切っ掛けで、「外国人でも、障碍者でも、貧乏人であっても、誰でも入れる保育園を作ろう」という発想になったそうだ。(上掲書、p.131.)

  安田氏は「民族名」に対する日本人の偏見や差別に腹を立てている。例えば、本名である「朝鮮名」を隠す在日鮮人は珍しくなく、昭和から平成の中期まで、本名を隠蔽して「通名」で過ごす鮮人は非常に多かった。崔江以子も例外ではなく、子供の頃はクラスの友人にも隠していたそうだ。崔氏は三歳上の姉と一緒に登校した時のエピソードを伝えている。二人は開門前に学校に着いたそうで、用務員が校門の扉を開けるまで待っていたという。すると、そこへ姉の同級生がやって来て、唐突に「お前の母ちゃん、朝鮮人だろう」と突っかかってきた。突然の言葉に不意を突かれた姉は、返す言葉が無く黙ってしまった。側にいた江以子も、「触れられたくない秘密」に怯えてしまい、反射的に姉から離れてしまったという。(上掲書、p.137.) まぁ、「民族の誇り」よりも「周囲の目」を気にする子供だから、防衛本能が働いても仕方がない。たぶん、姉と同じ「朝鮮人」と思われたくなかったのだろう。

  だが、崔姉妹には親孝行な一面があった。その日、江以子は姉と一緒に風呂へ入る。すると、姉は妹にこう述べた。「今日のことは、親にも誰にも言っちゃだめだよ。知ったらきっと悲しむから」と。(p.137.) それ以降、江以子の姉は、自身のルーツを隠すことに努めたそうだ。

  彼女が小学生の時、修学旅行用に国民健康保険証のコピーを提出することになって相当困ったらしい。何しろ、クラスの児童が、このコピーを後ろの席から前の席へ次々と、順番に送って回収することになっていたからだ。こんなことをすれば途中で自分の素性がバレてしまう。困った彼女は「自分の民族名が発覚したらどうしよう」と焦った。そこで彼女は機転を利かし、家にコピーを忘れたことにして、後で教師に直接渡したそうだ。(上掲書、p.138.) 朝鮮人の子供は多かれ少なかれ、こうしたピンチを体験している。幼少時代をスパイのように過ごせば、性格が歪んでしまうのも当然だ。

  「岩倉」という「通名」を持っていた江以子も、小学五年生の時、「民族名」で恥ずかしい思いをしたという。掃除の時間、級友が不意に担任教師に質問し、「岩倉って朝鮮なの?」と尋ねたらしい。すると、担任教師は突然の質問に戸惑ったのか、とぼけた様子で「そうだったの? 知らなかった」と答えたそうだ。本当は知っているのに、この教師は明確に答えなかった。おそらく、担任の先生は、小学生相手にどう説明したらいいのか判らなかったのだろう。しかし、本音では厄介な問題を避けたかったのかも知れない。 もし、変な事を口にしたらPATで問題になるし、校長や教頭からも厳重な叱責を受ける破目になる。それなら、無垢な顔で「とぼけた」方が悧巧だ。

  中学生になっても崔氏は朝鮮名で悩んだらしく、日本人生徒による「からかい」に遭ったらしい。当時、学校ではゲームの「パックマン」やお菓子の「パックンチョ」が流行っていたので、「朴(パク)」と名乗っていた女子生徒は、格好の“ターゲット”になっていたそうだ。朴という生徒は散々名前をからかわれ、替え歌まで作られたという。しかし、崔氏は助けようとはしなかった。むしろ「彼女のようにはされたくない」と思い、自分自身を守るため、朝鮮を見下すような態度さえ持っていたのだ。(上掲書、p.139.) つまり、「朴」と一緒にされたくないから、イジメられる同胞を見棄てて「日本人」のようなフリをしていたのだろう。

  異国の名前というのは時折、「からかい」のネタになりやすい。特に、朝鮮名は滑稽だから、小学生や中学生は露骨に笑ってしまうのだ。例えば、金正日の個人秘書は「金玉(キム・オク)」という名前だった。もし、彼女が日本で育てば、きっとイジメの対象になっていただろう。おそらく、悪ガキどもはゲラゲラ笑いながら、「みんな、こいつの名前、“キンタマ”だってよぉ~ ! オマエ、女のくせに、チンチン持っているのか?」とからかうに違いない。一時、『冬のソナタ』で有名になった鮮人俳優の「裵勇浚(ぺ・よんじゅん)」も、愛称が「ぺ様」じゃ「林家ペー」みたいで滑稽だ。

  話を戻す。崔氏の「隠蔽癖」はまだ続く。彼女が扁桃腺の病気で入院とた時のことだ。彼女は母親に「通名」で入院させてくれと頼んだそうだ。なぜなら、「本名」で入院したら、友達が見舞いに来た時、「出自」がバレてしまうからだ。彼女の母親は娘の希望を受け容れ、黙ってその願いを叶えてくれたという。(上掲書、p.139) 

  「朝鮮人」として生まれた江以子は、産んでくれた親を恨んでいなかったが、「どうせ外国人に産むんなら、アメリカ人やイギリス人に産んでくれたらよかったのに、そしたらかっこいいって言われたんじゃないかな」と思ったそうだ。(上掲書、p.139.) 彼女のように、どうせ「外国人」として産まれるなら、「西歐白人」として生まれたかった、と願う鮮人は決して少なくない。確かに、小学生や中学生の子供がクラスメイトから「チョーセンジン」と呼ばれれば“ドキっ”とするし、咄嗟に「違うわよ ! 何言ってんの ! 変なこと言わないで !」と否定したくなる。

  ついでに言うと、崔氏が頭に浮かべた「アメリカ人」というのは、「西歐系の白いアメリカ人」だろう。アメリカには朝鮮系や支那系、ベトナム系、タガログ族、モン族など、色々なアジア人が国籍を取っているので、必ずしもヨーロッパ系の白人とは限らない。いずれにせよ、崔氏の発想で注目すべきは、アメリカ白人の方が「格好いい」と思っている点だ。朝鮮人には無意識の「人種ヒエラルキー」があり、その頂点には白人が君臨し、底辺には忌むべき黒人が鎮座している。ロサンジェルスやニューヨークに住む朝鮮系移民は黒人なんか大嫌い。黒人が暴動を起こした時、拳銃で撃ちまくったのは、黒人を「人間」と思っていなかったからだ。

  日本人の民族差別を糾弾する朝鮮人には、無意識的な差別主義者が少なくない。朝鮮人を馬鹿にしたり、朝鮮文化を蔑む日本人を憎む一方で、密かに自分の血統を恥ずかしく思い、「惨めな屈辱感」を募らせている。だから、朝鮮人は何処かでこの屈辱感を中和したいと望んでいるようだ。勇気を振り絞って「本名」を明かす朝鮮人や、「日帝による強制連行」を糾弾する朝鮮人には、過去の怨念を晴らしたい者が多い。「指紋押捺反対運動」も「鬱憤晴らし」の一環で、「犯罪者扱いするな !」と叫ぶことで、心の傷を癒やそうとする。だいたい、指紋押捺が厭なら、さっさと祖国へ帰ればいいじゃないか。どうして、親子代々「差別大国」の日本に住み続けるのか? 

  『強殖装甲ガイバー』のゾアノイドじゃないけど、在日鮮人は突然「覚醒」することがある。崔氏に転機が訪れたのは高校生の時だ。同胞の間では「指紋押捺」に反対し、役所に抗議をしたが、崔氏は自分の出自が発覚するのを恐れた。それゆえ、彼女は役所に行った時、「エイリアン」という看板の下で一生懸命、指紋を押していたという。

  また、彼女は高校を卒業すると、韓国のソウルに留学したそうだ。しかし、これは決して「所属感」を求めての留学ではない。単に言葉を学ぶだけじゃなく、国籍がある場所で自分のアイデンティティーを確かめたかったそうだ。ところが、実際に故郷である南鮮に住んでみると「やっぱり自分は、日本人でもないし、韓国人でもなく、“在日”なんだ」と判ったらしい。(上掲書、p.144) これは朝鮮風に言うと、「半チョッパリ」ということなのか? よく在日鮮人の青年は、遠く離れた日本で祖父母の国を想像し、アイデンティティーを求めて帰国するが、しばしば理不尽な差別や疎外感を味わうことが多い。在日二世の作家で「田中淑枝」という帰化名を持っていた故・李良枝(い・やんじ)も、祖国に憧れて帰国したが、あまりにも違う故郷に衝撃を受けていた。

  崔氏は同胞が住む南鮮で辛い体験があったようで、三文字の名前が旅券に書かれていることでバカにされたし、「こんな名前はない」と言われたこともあるそうだ。留学中、父親が体調を崩したため、彼女は両国間を行き来することになったが、日本行きの時は「日本に帰る」と言い、南鮮へ戻る時は、「韓国に行く」という気持ちであったという。

  在日鮮人には“歪んだ精神”というか、“いじけた性格”があって、「日本人じゃないけど、日本でしか生きて行けない」というジレンマがある。帰化鮮人3世とか日鮮混血児は、血統上「朝鮮人」なんだが、朝鮮語を喋ることも出来ず、朝鮮史さえもよく判らない。高校で世界史の授業を取っても、勉強するのはヨーロッパやアメリカのことばかりだ。況んや、朝鮮文学とか朝鮮民謡なんかには全く関心が無い。日本のロック音楽やニュー・ミュージックに慣れ親しんだ朝鮮人だと、民族の伝統音楽なんて虫唾が走る。ロックバンドを組んだ鮮人青年が、朝鮮語で曲を唄うのか? 有り得ない。絶対に厭だ。こうした事例からも判る通り、名前だけが朝鮮とか、朝鮮の氏族名と日本のファーストネームを組み合わせた、「チョッパリ(日本に住む鮮人への蔑称)」といった人が多い。

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( 上写真  /  伝統的社会に生きていた朝鮮の庶民 )

  日本人の差別意識や民族意識に目覚めた在日鮮人や帰化鮮人は、よく「在日コリアン」という言葉を口にするが、これも彼らが有する劣等感の裏返しだ。どうして、日本語を話す鮮人は、「朝鮮人」という言葉を避けて英語の「コリアン」を使うのか? イギリス人やアメリカ人が英語で「高麗人」を「Korean (Corean)」と呼ぶのは彼らの勝手だ。我々日本人も日本の慣習に従い、「朝鮮人」と呼んでもいいはず。ところが、敗戦後の日本人は在日鮮人に遠慮し、「南鮮人」を「韓国人」と言い換え、扱いに困る「北鮮人」を「朝鮮の方」とか、ややこしい「朝鮮民主主義人民共和国の人」、あるいは「朝鮮籍の人々」と呼んできた。阪大の朴一などは、英語風に「在日コリアン」と口にするが、そんな奇妙な用語を使わず、ちゃんと「在日高麗人」と言えばいいじゃないか? 「高麗人参」は良くて、「高麗人」は駄目、というのはどんな理由なんだ?

  安田氏と同じく、在日朝鮮人の多くは日本人による差別を恨み、朝鮮人への批判や反対論を「ヘイトスピーチ」と呼び散らす。しかし、気に食わない批判を「憎悪言論」と言い換えるのはおかしい。日本人には「好き嫌い」を明言できる自由があるはずだ。例えば、誕生会を開く小学生だって、クラスの全員を自宅に招くことはない。嫌いな級友は招かず、好きな友達にだけ声をかけるじゃないか。もちろん、担任の先生は「みんな仲良く」と説教するが、一緒の教室で勉強したからといって、みんなを好きになる訳じゃない。「反り」の合わない奴もいれば、一生涯の親友になるクライメストもいる。

  一般的に我々日本人は朝鮮人を嫌いなんだから、「鮮人との共生」を拒んでもいいじゃないか。だいたい、在日鮮人が日本人に対し、「オマエは差別主義者だ、排外主義者だ ! テメェの態度はけしかんら !」と言って、日本人に精神改造を強要するなんて言語道断。「鼻つまみ者」の朝鮮人は、いつまでも日本に住み着いていないで、さっさと祖父母や曾祖父場が眠る朝鮮半島に帰れ ! 愛する同胞の国家に戻らず、「レイシストの日本」にしがみつくなんて、どう考えてもおかしいぞ。保守派国民は朝日新聞を糾弾するが、朝日の左翼分子だって良い点もある。今度は北鮮だけじゃなく、南鮮も「地上の楽園」と呼んでくれないかなぁ~。1960年代、多くの朝鮮人を取り除いてくれた朝日新聞は、以外と偉かった。



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