学力低下の子供が増えている

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  昭和の頃、京都大学で教授を務めていた会田雄次先生が、戦後の日本社会を評論したことがあり、敗戦のせいでようやく芽生えてきた中流階級が崩壊してしまった、と嘆いていた。会田先生によれば、バブル景気で誕生した「中流階級の国民」というのは、単なる小金持ちに過ぎず、国家の支柱であることを自負する中流階級ではない、というのだ。つまり、主流メディアが呼んでいた「一億層中流」というのは、所得が増えただけの庶民を指すだけで、士族階級の矜持を持たぬ“成金”程度の連中である。ルネッサンスの美術やヨーロッパ歴史を専攻した会田先生にとっては、ミドル・クラス気取りの日本人などは紛い物に見えたのかも知れない。

  平成不況と日本経済の衰退に関しては、現在、様々な経済評論家が分析を公表しているので、ここでは金融財政の賛否には触れず、日本社会の凋落がもたらす現象や影響について述べてみたい。

  昔から日本人は「人材」の重要性を認識し、子供の教育を大切にしてきた。しかし、敗戦後、愚民化を促進する「デモクラシー教育」が実施され、受験秀才だけは輩出することは出来たが、洞察力や判断力に優れ、愛国心を持つ教養人の育成には失敗したようだ。悪循環というのは恐ろしいもので、日本全体が貧しくなると、貧しさから這い上がろうとする若者が減少し、現状で満足するか、「これ以上は無理」と諦める若者が増えてしまう。

  「ゆとり教育」のせいなのか判らないが、「長い文章を読むのが苦痛」とか「ツイッター用の短い文章しか書けない」という子供が増えているのは、学力低下による社会現象なのかも知れない。筆者にとってショックだったのは、「結果を知ってから映画を観る」とか、「字幕版だと物語を理解できないから、吹き替えで洋画を観る」といった若者が増えていることだ。昔、筆者がドイツの映画館でハリウッド映画を観ようとした時、吹替版しかなかったから諦めたけど、ドイツ人にとったらドイツ語を話すアメリカ人は奇妙じゃない。

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(左 : レスリー・アン・ダウン / 中央 : 主人公のハリソン・フォードと恋人役のレスリー・アン・ダウン   /  右 : ドイツ軍人に偽装したクリストファー・プラマーと部下役のフォード )

  例えば、英米合作映画の『ハノーヴァ-・ストリート』に出演したレスリー・アン・ダウン(Lesley-Ann Down)やクリストファー・プラマー(Christopher Plummer)が、原語のイギリス語じゃなくドイツ語を喋っていても、何らおかしくはない。また、母親がドイツ人のブルース・ウィリスや、オーストリア出身で州知事になったアーノルド・シュワルツネッガーの吹替版も同じで、この俳優達がドイツ語を喋っていても、ヨーロッパの観客には違和感なく聞こえてしまう。ところが、日本人の声優が喋っていると本当に奇妙だ。日本語の吹き替えになると、せっかくの演技がぶち壊しになる。

  脱線したので話を戻す。確かに、親が教育にかける時間と金銭に事欠けば、子供達の知的レベルが低下するのも当然だ。一概に親の素質と子の学業を結び着けることはできないが、所得や学歴の高い親を持つ子供は最初から有利で、所謂「エリート街道」を進むことも可能となる。一方、低所得の家庭に生まれ育った子供は様々な面で苦難にぶち当たり、もし何らかの夢を実現したければ、相当な自助努力を積み重ねるしかない。しかし、希望を抱いても現実の壁は分厚く、途中で挫けてしまう子供が大半だ。

  本音を言えば、筆者は教育論を述べたくはない。大帝の国民が、それぞれ独自の教育論を持っているからだ。でも、専門家の意見なら傾聴に値するだろう。例えば、「MP人間科学研究所」の代表で、心理学を専攻する榎本博明(えのもと・ひろあき)博士は、 家庭環境がどのように子供の学力に影響を及ぼすのかを述べていた。注目すべきは、知的な刺激に満ちている場所に子供を連れて行く親の行動である。具体的に言うと、「子供と一緒に美術館や劇場、博物館、科学館、図書館などに行く」ことらしい。榎本氏によれば、こうした親を持つ子供の方が、より学力が高くなるという。(榎本博明「学力の高い子ども、親の習慣や家庭環境に化『共通の傾向』…文科省調査で判明」Business Journal、 2018年10月14日)

  映画館に子供を連れて「ポケモン」か「ドラゴンボール」を観に行く親は多いと思うが、知的好奇心の促進からすれば文化施設の方が重要で、教養が身につく場所へ「ほとんど行かない」「行ったことがない」という親の比率は、高学力層と低学力層で大きな差があるらしい。「ほとんど行かない」と答えた親は低学力層に多く、高学力層の1.5倍以上である。「行ったことがない」という親も低学力層に目立ち、高学力層の2.5倍程度になっているそうだ。「月に1回以上連れて行く」という親は、高学力層に多く、低学力層の3倍近くになっている。

  親の読書習慣も子供の発育に関係があるようで、蔵書数が多い家庭の子供は、比較的「学力が高い」という傾向がみられたそうだ。ただし、榎本氏の見解を聞くと、「蔵書」の種類にも注意が必要となってくる。筆者の感想になってしまうが、「蔵書」といっても『こちら葛飾区亀有公園前派出所』全201巻とか、『ジョジョの不思議な冒険』を第1部から第9部まで揃えている、というのは駄目らしい。やはり、夏目漱石や幸田露伴、あるいはヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテやウォルター・スコット卿の小説、ないしアリストテレスやジョン・ロックの哲学書といったアカデミックな本じゃないとOKにならないと思う。麻生太郎大臣も愛読する『ゴルゴ13』は、国際政治や軍事の勉強になるような、ならないような微妙なことろである。そもそも、麻生氏の「教養」には問題があるから。

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(左 : ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ  / ウォルター・スコット卿 / アリストテレス /  右 : ジョン・ロック)

  教育ママだと「親の社会・経済的背景と蔵書数は何らかの関係があるのでは?」と思ってしまうが、やはり、そうした関係は明らかなようだ。経済的に余裕があり、社会的地位や学歴が高い親の家庭だと、蔵書数が多くなっているという。蔵書数と子供の学力は直接結びつかないが、子供の知的好奇心を促進したり刺戟したりする材料にはなっているようだ。

  確かに、現実を見れば判るけど、親が学術書を読まず、文化施設にも行かないのに、子供にだけが優秀になることは稀である。だから、頭ごなしに「本を読め !」とか「勉強しろ !」と命令したって無駄に終わってしまうだろう。「蛙の子は蛙」だし、「鳶が鷹を生む」のは例外だ。よく上昇志向の母親が、幼稚園の娘に向かって「ピアノ教室に通ってね !」と命じるが、その母親自身がクラシカル音楽に興味が無く、好きな「音楽」といえば演歌やJ-POPとなれば、ピアノを練習する娘だって馬鹿らしくなるじゃないか。インテリもどきの親だと、パガニーニー(Paganini)のヴァイオリン協奏曲を聴いても、1分で退屈になってしまうだろう。ただし、「“パガニーニ”って、新しいパスタ料理?」って訊いてくる親よりもマシだけど。

  昔、幼い子供を英会話教室や英米系のインターナショナル・スクールに通わせる親を見かけたことがある。劣等感の塊みたいな母親は、子供と同じく英語が苦手で、白人の先生が何を喋っているのか判らない。でも、何らかのコミュニケーションが必要なので、カタコトの英語をつぎはぎしたり、身振り手振りで説明するしかなかった。日本で生まれ育った日本人の親子なのに、どうしてフィリピンやインドみたいな植民地の土人になりたがるのか不思議である。頭が弱い親ほど国語(日本語)の価値を知らず、英語(宗主国の言語)をマスターしたいと躍起になる。

  中学受験の指導でカリスマ的存在と呼ばれる小川大介先生によると、頭が良い子、つまり勉強が出来て賢いの子供が育つ家庭には、必ず「辞書」や「地図」「図鑑」があるらしい。「図鑑」が素晴らしいのは、「1つ調べると芋づる式に関連するキーワードがわーっとたくさん目に入ってくる点」であるという。確かに、図鑑の絵や写真は色彩豊かで、眺めているだけでも飽きない。

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(左 : 伝統的な教育方法で勉強する白人の子供  /  右 : 携帯電話が当たり前の黒人少女)

  地図帳や地球儀も有益で、「世界を俯瞰する目」が育つそうだ。「辞書」は言葉を知るだけでなく、「他人と繋がる道具」らしい。小川氏曰わく、「言葉を知れば、いろんな人と話せて、その人の経験をもらうことができます。年齢を超えて誰かと話したり、違う国の人ともつながっていけるんです」と。まぁ、国語事典や漢和辞典をめくるだけでも、色々な表現や熟語を覚えるから、子供に取っては有益だろう。肝心なのは、親も「判らない、知らない言葉」に出逢ったら、辞書を引く習慣があるかどうかだ。

  小川氏の解説に加えるとすれば、筆者は親の「語彙力」を挙げたい。日本に住んでいるとあまり意識しないが、歐洲や米国で暮らしてみると、親の知能や教養レベル、さらには階級、家系、出身校によって使う言葉や表現が異なってくる。階級社会のブリテンだと、「イートン」や「ハロー」といったパブリック・スクールに通った親は、労働者階級とは違ったアクセントで話すし、服装や趣味まで違ってくる。家庭に招く友人や同僚も教養を兼ね備えた人物だから、小学生の子供だって“それなり”の礼儀作法が身につく。

Richard Wagner 2Thomas Carlyle 3(左 : リヒャルト・ワーグナー /  右 : トマス・カーライル)
  ドイツでも階級格差は著しく、「ギムナジウム(大学への進学校)」を卒業した親と「レアルシューレ(実科学校)」でお終いの親とでは、教育理念が違うし、使っている語彙も異なっている場合が多い。他のヨーロッパ諸国と同じく、ドイツでもエリート主義の精神は充ち満ちている。偉大なる作曲家であるリヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner)は、英国の歴史家であるトマス・カーライル(Thomas Carlyle)に傾倒し、上流階級の意識が骨の髄にまで染みついていた。ドイツの伝記作家ヨアキム・ケーラー(Joachim Köhler)は、カーライルに共鳴したワーグナーについて述べている。

  ドイツの文化遺産と英雄的資質を全人類の模範とした歴史思想家カーライルの信念は、大衆軽視とつながってワーグナーの確信になった。カーライルが「民主主義的政府」とイギリスの「三千万の国民」のことを「大半のばか者」とあざけると、ワーグナーは「大いに」喝采した。カーライルは民衆解放というテーマについても断固としたエリート主義的意見を表明しており、ワーグナーは彼を自分の信条の保証人として引用した。(ヨアヒム・ケーラー『ワーグナーのヒトラー』橘正樹 訳、三交社、 1999年、p.146.)

  話を戻す。科学者とか専門職、および高学歴の家庭では、ギリシア語やラテン語由来の言葉を使うのも当たり前だ。教養人家庭の子供は、幼い頃から自然と難しい単語の綴りを習っている。一方、下層中流階級や黒人家庭だと、ギリシア語はおろか、フランス語が語源となる単語が飛び交うことはほとんど無い。一般的じゃない「heterogeneity(異種混成)」とか「pneumoconiosis(塵肺症)」といった言葉は使わないし、「sin」「crime」「peccancy」の区別なんか曖昧だ。「sin」はアングロ・サクソン人が持ち込んだ言葉で、ドイツ語の「Sünde」と同じである。「crime」は古いフランス語から来ており、ノルマン貴族が法廷で使ったから、刑法上の罪に用いられている。「peccancy」はラテン語由来で、「的(正しい道)から逸れる」とか、「道徳的な誡律から外れる」といった意味を含んでいる。

  歴史的事件から作られた言葉も下層階級には縁が無い。例えば、「Pyrrhic victory(ピュロスの勝利)」といった熟語を聞いても、その由来なんて判らない。日本でも「判官贔屓」という言葉を見ても、「はんがん」か「ほうがん」と読むのか分からない子供がいるし、この言葉が源義経に由来する事すら知らない国民もいるのだ。令和の高校生だと「ケータイ世代」なので、「袞龍(こんりょう)の袖に隠れる伊藤博文」という文章を読んでも、明治大帝を思い浮かべる生徒は非常に少ないし、携帯電話の文字変換で現れないから「これ何の意味?」と尋ねてしまうのだ。

  アメリカでは、庶民でも聖書を読んでいるが、教会史となれば別である。メガ・チャーチ(大手の福音派教会)に通うアメリカ人でも、西歐キリスト教の過去には興味が無い。ちょっとマシな大学生に、アルベルト・マグナス(Albertus Magnus)やローマのアエギディウス(Aegidius Romanus)、クレルヴォーのベルナルドゥス(Bernardus Claraevallensis)、ニコラス・クザーヌス(Nicolaus Cusanus)、パドゥアのマルシリウス(Marsilius de Padua)といった著名な神学者について尋ねても、「えっ、誰それ!?」といった反応しかない。亡くなった政治学者のサミュエル・ハンチントン(Samuel P. Huntington)は、西歐キリスト教文明に基づくアメリカ文化を強調したが、左翼思想に汚染されたアメリカ人には、イングランドはおろか、ヨーロッパの知的遺産にすら関心が無いのだ。

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(左 : サミュエル・ハンチントン  / 中央 : インマヌエル・カント  /   右 : アーヘンにある大聖堂)

  アメリカの黒人やヒスパニックの子供にも、教養とは無縁の下層家庭で育つ者が多い。それゆえ、中世ヨーロッパの地理や歴史となれば“お手上げ状態”で、地図を広げたこともない、あるいは家に歴史地図帳が無いという現状だ。リヒテンシュタイン公国に関する知識なんて皆無だし、チェコやハンガリーの位置すら摑めない。ロシア領になったプロイセンの「ケーニッヒスベルク(Königsberg / カリーニングラード)」に関する質問なんか論外。インマヌエル・カントが生まれた場所とは知らないし、祖父のハンスがスコット人ということすら知らないのだ。

  アメリカ人の高校生は米国史を学ぶだけで精一杯。とても西歐史にまで手が出ない。そもそも、ヨーロッパ史に興味が無いから、歴史的な大聖堂や修道院なんか頭になく、有名な「アーヘン(Aachen / Aix-la-Chappel)」が何処にあるのか見当もつかない。ちょっと笑ってしまうが、ブロンクスとかジャマイカに住む黒人の高校生に「北朝鮮」の場所を訊いても、「南朝鮮の隣」と答える始末。こうしたアメリカ人は、地図上でアフリカ大陸を見つめながら、北朝鮮の場所を探しているので、唖然とするほかない。

Frederick the Great 002(左  /  フリードリッヒ2 世)
  ドイツ史の授業でも同じで、「フリードリッヒ2 世」を語ってもチンプンカンプン。「ホーエンシュタウヘン家(Hohenstafen)」の君主でシチリア王になった神聖ローマ皇帝なのか、「ホーエンツォレルン家(Hohenzollern)」のプロイセン王なのかすら判らない。そもそも、ヨーロッパ史全般に興味が無いから、「シュタウヘン朝」と聞いても「糠に釘」といった状態だ。ラップ音楽やBLMに夢中な黒人に、ブランデンブルク辺境伯とかブルグンド王国、ロタリンギア、サンマリノ、アラゴン王国といった国名を聞いても無駄である。馬耳東風なんだから。

自分の子供には電子機器を与えないIT王者

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  こうした現状を踏まえて、アジア移民が押し寄せる令和の日本を考えてみれば、「そうだよなぁ ~」と寒気がするはずだ。出稼ぎ労働者のアジア人は、低賃金のままでも、日本で落ち着くと家族を呼び寄せるが、その子供達が日本の学校に通っても、日本人の知的レベルを挙げることはない。むしろ、日本人生徒の学力水準を下げてしまうだろう。

  ついでに言うと、岸田総理は「少子化対策」として、僅かながらの「育児手当」とか「子育福祉」を目論んでいるが、子供1人につき5万円とか10万円を渡したって、出生率の増加には繋がらないだろう。簡単に結婚するフィリピン人やタイ人の女性なら、僅かな額でも補助金を喜び、第二第三の赤ん坊を産んでしまうが、日本人女性だと無理。ちょっとでも賢い日系人の母親なら、「何、こんな端金(はしたがね)で三人目や四人目を産むとでも思っているのかしら?」と呆れてしまい、鼻で笑ってしまうのがオチだろう。問題なのは、アジア移民やアジア帰化人の家庭にも、ら日系人と同じ福祉金を与えてしまうことだ。どうして、先祖代々「日本人」である日系国民と国籍を取ったばかりのアジア帰化人が同じ扱いなのか? 日本人の常識では納得できない。

  話を戻す。第21世紀に入ると、一般国民は益々、携帯電話やパソコンに没頭するようになった。以前なら、電車内で文庫本や新聞を読む人が大多数だったが、今ではスマートフォンを凝視する人ばかり。高校生や大学生でも小説には見向きもせず、YouTube 動画やTVゲームに夢中の人が普通だ。平成末期生まれの子供達は、物心ついた頃からiPadやパソコン漬けなので、百科事典とか偉人の伝記とは無縁の世界に住んでいる。

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(左 : 若き日のスティーヴ・ジョブズと娘のリサ   / 右 : ローレン夫人と子供を伴ったジョブズ )

  ところが、上流階級や富裕層の子供達は違うようだ。「アップル社」の共同創設者で、CEOを務めていたスティーヴ・ジョブズ(Steven Paul Jobs)は、他人の子供達に対してはIT機器を勧めていたが、自分の子供達には消極的で、むしろ伝統的な生活を共にしていた。一般の日本国民だと驚いてしまうが、ジョブズ氏は自分の子に「iPod」や「iPhone」「iPad」などを使わせないようにしていたそうだ。ジョブズ氏曰わく、

   実際、私は家でiPadを許していないんだ。子供達にとって有害と思っているからさ。(Eames Yates, 'Here's why Steve Jobs never let his kids use an iPad', Business Insider, March 4, 2017.)  

  ジョブズ氏は「iPad」の中毒性を認識していたそうで、取材記者に対して次のように答えていた。「一旦、君の目の前にiPadを置くと、君はこの中毒性の強いプラットフォームにアクセスしようと常に考えてしまうだろう。これは非常に抵抗し難い」と。

  スティーヴ・ジョブスの伝記を書いたウォルター・アイザックソン(Walter Isaacson)によると、ジョブス氏は自宅でのハイテク生活を嫌っていたようだ。このIT王者が家族や友人などと一緒に食事を取る時、彼は文学や歴史の話をして楽しんだが、みんなで議論をしている時、誰もiPadやコンピューターに手を伸ばさなかったという。(Doug Bolton, 'The reason Steve Jobs didn't let his children use ab iPad', The Independent, 24 February 2016.) もしかすると、ジョブズ氏は人間と人間が心で繋がる時間、そして温かい交流がもたらす知的な会話を望んでいたのかも知れない。

  亡くなったジョブズ氏には四人の子供がいる。先妻のクリスチャン・ブレナン(Christian Brennan)との間には、リサ・ブレナン・ジョブス(Lisa Brennan Jobs)が生まれている。クリスチャンと別れた後、ジョブズ氏はローレン・パウエル(Laurene Powell)と再婚した。彼は後妻との間に息子のリード(Reed Jobs)と娘のエリン・シエナ(Erin Siena Jobs)、および末っ子のイヴ(Eve Jobs)をもうけている。父親の伝統的教育が実ったのか、四人の子供達はそれぞれ高等教育を受けていた。リサはハーヴァード大学に進み、リードとイヴはスタンフォード大学、エリンはチューレーン大学に入ったそうだ。アイザックソンによると、ジョブズ氏の子供達はパソコンとか携帯電話への中毒性は無かった。

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(左 : リサ・ブレナン・ジョブス  / リード・ジョブズ  / エリン・シエナ・ジョブズ  /  右 : イヴ・ジョブズ )

  マイクロソフト社のビル・ゲイツも電子機器への中毒性を解っており、子供達がビデオ・ゲームに夢中になることを心配していたそうだ。それゆえ、彼は自分の娘が14歳になるまで携帯電話を与えなかったという。(Allana Akhtar and Marguerite Ward, 'Bill Gates and Steve Jobs raised their kids with limited tech — and it should have been a red flag about our own smartphone use', Business Insider, May 16, 2020.) また、ゲイツ氏はメリンダ夫人と三人の娘が一緒に食事を取る時、家族の会話を邪魔されぬよう、テーブルには決して携帯電話を置くことを許さなかったそうである。マイクロソフトやアップルの愛好者である一般人は、ベッドルームで愛人と寝ていても、ショッピングを楽しんでいる時も、常に携帯電話を手放さない。家庭やレストランで食事を取る時も同じで、いつも側に携帯電話がある。ところが、IT業界の大御所達は昔ながらの“ローテク生活”を営んでいたのだ。

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(左 : ビル・ゲイツ夫妻と子供達  /  右 : SNS時代の若者)

  上流階級の実態を知らない日本人は、iPadの新機種が出る度に「わぁ~ぁい、凄いぞぉ~」と喜び、親子共々こうした電子機器に夢中になっているが、その子供達は創造性や好奇心、学問への情熱、忍耐、人的繋がりに欠ける生活にドップリと漬かっており、アホな大人に育ってゆく。知識どころか、判断力や決断力に欠ける日本人は、やがてアジア移民と同じ生活水準に陥り、気がつけば下層階級の労務者となっているはずだ。格差社会が固定化し、貧困生活が常態となれば、労働者階級に生まれた子供達は、出世の階段を昇ることが出来なくなる。というより、最初から這い上がるための梯子が無い、という事態になるだろう。悲しいけど、サミュエル・スマイルズが持て囃される時代ではないのだ。




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