無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

映画・ドラマ評論

ヴァイキング~北歐戦士が教える強さ

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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野心と復讐が満載の海賊ドラマ

Vikings Ragnar 3Vikings Lagertha 2








  「History」チャンネルの大ヒットTVドラマ『ヴァイキングズ(Vikings)』が、高視聴率を以てシーズン5を終了した。このドラマは伝説の英雄ラグナー・ロスブロックの活躍を描いた作品で、シーズン4からは、その息子達の戦争や内紛をテーマにしている。このドラマにおける見せ場は、何と言っても壮絶な戦闘にあり、ヴァイキングが敵を殲滅するシーンは圧巻だ。日本の時代劇だと、剣の達人が一瞬の隙を突いて相手を斬りつけるといった名人技か、大勢の兵隊を集めただけの合戦が主流となっている。しかし、北歐戦士の殺し方は“雑”というか、腕力で押し切るといった感じだ。とりわけ、斧で相手を惨殺するシーンは凄まじく、鬼包丁よりも肉厚の手斧が敵の肉体に食い込み、鮮血が噴水のようにほとばしる。TBSの時代劇に慣れた日本人だと、「えぇぇ~! こんなドラマ放送していいの?」と驚いてしまうだろう。ウァイキングにとったら戦争は一種の家業で、生き甲斐という側面もある。キリスト教に染まっていないゲルマン人には、手当たり次第の殺人が悪いなんて感覚は一切無い。これは言いづらい事だけど、キリスト教的倫理観に囚われない殺戮がヴァイキング映画の魅力となっている。

Vikings Ragnar death(左  /  毒蛇に噛まれて死亡したラグナー・ロスブロック)
  歴史ドラマには、戦争や策略、欲望、愛情に加えて、登場人物の様々な人間模様が描かれているが、復讐というテーマも欠かせない要素だ。もちろん、『ヴァイキング』にも恨みを晴らす復讐劇があった。シーズン4で主人公のラグナーは、ノーザンブリアの王エッラ(King Aelle)に殺されてしまう。フランス遠征で失敗したラグナーは故郷のカタカットを去り、イングランドへと渡ってしまうのだが、そこで運悪くエッラ王に捕らえられ、恥辱的なリンチを受けてしまうのだ。嬲(なぶ)り物にされたラグナーは、最終的に地面に深く彫られた穴へと突き落とされてしまう。だが、そこには沢山の毒蛇がとぐろを巻いていた。観ているだけで背中に戦慄が走るが、負傷したラグナーは運命に身を任せ、蛇に噛まれながら絶命してしまうのだ。しかし、彼の息子達は後に復讐を果たす。ラグナーにはビョルン、ウベ、ヴィトゼルク、シガード、アイヴァーという五人の息子がいて、彼らは仲間を引き連れてエッラ王を捕らえることに成功し、親の仇(かたき)を「血の鷲(blood eagle)」という残酷な刑罰につける。

King Aelle 2King Aelle blood-eagleKing Aelle 3








(左: エッラ王  / 中央: 「血の鷲」を説明した絵   /  右: 宙吊りにされたエッラ王)

  酷刑の方法は次の通り。ヴァイキングたちはエッラ王を丸太に押しつけ、うつ伏せにさせたまま、その両手に太い釘を打ち込んで固定する。そして、ビョルンが熱した刃物で王の背中を切り裂く。背中の皮膚をめくって赤い肉と背骨が現れると、そこを手斧で打ちつけるもんだから、エッラ王は堪らず絶叫する。しかし、ビョルンは容赦なく手斧を振り下ろし、脊髄を叩き折り、肺を剔ってしまうのだ。壮絶な生き地獄を味わったエッラ王は即死。ラグナーの息子達は王の死体を宙吊りにして晒し者とする。王の遺体は背中に羽根が生えたような姿になっていた。女性の視聴者だと、思わず目を背けたくなるシーンだが、ヴァイキング達は夜中に行われた、この儀式的処刑を楽しんでおり、ちっとも悪いとは思っていないのだ。彼らにとって復讐は当然の義務である。仇討ちが禁止されている現代とは大違い。法学者が何と言おうとも、行政の役人が復讐の肩代わりをするなんて茶番だ。いくら犯人の死刑が実行されたからといって、遺族の気持ちが晴れるわけじゃない。やはり、遺族が直接手を下してこそ、本当の死刑である。そうじゃないと、いつまでも遺族は鬱血した状態のままなので本当に気の毒だ。(日本は古代人に倣って、原始的な処刑法を復活させるべきなんじゃないか。案外、ヴァイキング式の復讐は歓迎されるかもよ。)

Vikings Lagertha 1Vikings Queen Aslaug 2(左: ラガサ  /  右: アスラグ)
  話を進める前に、ラグナーの家族について紹介したい。「英雄色を好む」というが、ラグナーも例外ではなく、正妻が居るのに別の女性を愛してしまった。正妻は王になる前から一緒に暮らしていたラガサで、彼女との間にはビョルンが生まれている。二人にはガイダという娘がいたけど、村に発生した疫病で失ってしまうのだ。その後、カタカットの王になったラグナーは、イングランドの侵掠を計画し、妻ラガサを残して仲間と共に遠征へ旅立つ。故郷を離れたラグナーは、ふとした事からシグリッドとブリンヒルドの娘であるアスラグに一目惚れ。彼女の魅力に抵抗できなかったラグナーは不貞を犯し、結果的に子供をもうけてしまう。これに我慢できなかったラガサは家を出る決心をする。戸惑っていた幼いビョルンは、母のラガサが旅立つ時、居たたまれなくなって態度を翻し、ラガサと共にラグナーの許(もと)を離れることにした。やはり、後妻や異母兄弟と暮らすより、実の母と一緒に暮らしたいと考えたのであろう。ラグナーは胸が張り裂けるほど悲しんでいたが自業自得だ。

Vikings Bjorn 01Vikings Bjorn 03(左: 少年時代のビョルン /  右: 「強靭(Ironside)」と呼ばれるようになったビョルン)
  ラグナーが君臨する村「カタカット」では、二番目の妻アスラグが女王になって夫を支えることになった。彼女は次々とラグナーの息子を身籠もるが、末っ子のアイヴァーだけは丈夫な子供でなかった。年上の息子三人、ウベとヴィトゼルク、ジガードは五体満足で生まれたが、アイヴァーだけは脚に障碍を持ち、まともに立つ事すらできない。アイヴァーは動くときはいつも両手を使い、地面を這いつくばるように進んでいた。(後に、鉄製の脚甲冑を作らせ、それを装着して立てるようになっている。) だが、兄弟の中で最も知能が高く、強固な意志を持っていたのはアイヴァーだ。父のラグナーはアイヴァーの素質を見抜き、不具の息子に智慧を授け、立派な統率者に育てようとした。父の薫陶を受けたアイヴァーもそれに応え、片輪の身体にめげることなく、強靱な精神を持つ戦士に成長したんだから偉い。彼は兄弟をも従えるほどの指導者になっていた。

Vikings Ubbe 1Vikings Hvitserk 2Vikings Sigurd 1Vikings Ivar the Boneless







(左: ウベ    /    ヴィトゼルク    /     ジガード     /    右: アイヴァー )

  ところが、「骨なし(Bonless)」と呼ばれたアイヴァーには、劣等感ゆえの傲慢さなのか、矢鱈とプライドが高く、野心が強すぎるという欠点があった。確かに、鋼鉄の意思はリーダーの特質になるが、周囲の人間に対する兇器にもなり得る。アイヴァーは兄弟揃って食事を共にした時、シガードの軽い嘲笑に激昂し、その場で手斧を投げつけ、侮蔑的な兄を殺してしまったのだ。アイヴァーの性格は兄弟の関係をぎくしゃくさせ、団結を誓っていたラグナーの息子たちにも亀裂が生じ、次第に骨肉の争いへと発展する。長兄のウベと末弟のアイヴァーは対立し、袂を分かつことになるのだが、ヴィトゼルクは迷った末に、アイヴァーの側に附いてしまう。理由は明らかにされていないが、アイヴァーの気魄に靡いてしまったのかも知れない。

  しかし、弟に与したヴィトゼルクは後悔することになる。アイヴァーは自分を神の如き君主と思うようになり、独裁者のように振る舞い始めた。元々、ヴァイキングの王は絶対的な君主というより、対等な者からから推挙され、戦争の時に皆を統率する首長といった感じだから、神々の権化なんていう身分じゃない。ヴィトゼルクはアイヴァーの変質に反撥を抱き、敵対していたウベとビョルンの陣営に寝返ってしまうのだ。一方、アイヴァーと対峙したウベは、異母兄弟のビョルンと組んでアイヴァー軍と戦うことにした。ラガサの運命も数奇で激しい。ある時、ラガサは敵対するイングランド人の司教ヘフマンドを捕虜にする。しかし、いつの間にか二人は肉体関係を結ぶ仲になってしまう。今でこそ、カトリック教会の司教は独身が掟となっているが、古代までは厳格な独身制はなく、妻や愛人を持っている聖職者は珍しくなかった。また、当時の聖職者は質が違っていて、剣を持って戦うことに抵抗がない。ヘフモンドはシェルボーンの司教であるが、単に儀式を執り行うだけの聖職者ではなかった。彼は異教徒からキリスト教国を守る戦士という側面を持っている。異教徒からキリスト教国を守るという名目だったが、戦場に飛び出すと豹もビックリするほど豹変するんだから凄い。このクリスチャン戦士は鬼神の如く剣を振り上げ、次々とやって来る敵兵を滅多斬り。血塗れになってヴァイキングを叩っ斬る姿を見れば、司祭の方が副業なんじゃないかと思えてくる。

Vikings Heahmund 01Vikings Heahmund & Lagertha








(左: ヘフマンド司教  / 右: ヘフマンドとラガサ )

  ヘフマンドと恋に落ちたラガサだが、彼女と息子のビョルンには平穏な日々は無い。何と、ラガサは夫を奪った後妻のアスラグを殺していたのだ。母の復讐を誓うアイヴァーは、ラガサとビョルン、ウベが統率する軍隊と対決する。この戦いは熾烈を極めたが、アイヴァーは見事勝利を収めることができた。一方、負けたラガサたちは途方に暮れ、ヘフムンドの仲介で若きアルフレッド大王が君臨するウェセックスへと逃れる。アルフレッドの庇護を受けたウベは、北歐の土着信仰を捨て去り、よく理解していないがサクソン人たちが信じるキリスト教に改宗する。ウベは国王のアドヴァイザーに納まったが、アルフレッドの側近たちはヴァイキングの改宗者を胡散臭く思っていた。しかし、来たるべき戦争に備えねばならないアルフレッドにとって、この新参者は心強い味方である。何しろ、北歐の戦士は殊のほか勇敢で、懼れを知らぬ百戦錬磨のベテランだ。戦闘経験の無いアルフレッドにしたら“文明化”された家臣よりも頼もしい。

  古代の王様は部下を率いる力強い指導者でなければならない。後方に控えて「よきに計らえ!」と命令するだけじゃ駄目だ。出陣の前には感動的な言葉で仲間を鼓舞し、戦闘開始となれば先陣を切って戦わねばならない。そこで、アルフレッドはウベに戦い方を教えてもらうことにした。依頼を受けたウベは、森にアルフレッドを連れだし、戦士としての心構えを叩き込もうとする。彼はアルフレッドに樹木の前に立つよう命じた。意味の分からぬアルフレッドだが、ウベがそう言うので仕方なく彼の指示に従うと、ウベはいきなり手斧を投げつけた。若き王は即座に「何をする!」と激怒する。だが、ウベは構わず次の手斧を投げつけた。理屈よりも実践第一。これはある意味、空手やボクシングの練習よりもキツいんじゃないか。もし、斧が当たったら、アルフレッドは即死だ。

King Alfred 03Vikings Ubbe & King Alfred








(左: 若きアルフレッド大王  /  右: ウベとアルフレッド)

  ウベの特別訓練は恐怖心の克服にあった。戦場に出れば、敵は死に物狂いで襲いかかってくる。弓矢が飛んでくることもあれば、剣や斧で向かってくる者もいるから、怯むことは即「死」に繋がってしまうのだ。相手が誰であろうと恐れず立ち向かうことが肝心で、そのためには恐怖心を忘れなければならない。当時のヴァイキングは勇敢に戦って死ねばヴァルハラ(Valhalla)に行けると信じていた。「ヴァルハラ」とは主神であるオーディン(Odin)が主宰する殿堂で、ヴァルキューレ(Valkyrie)が戦場で斃れた戦士をここへ連れてくるという。要するに、英霊が集う死後の世界ということだ。ヴァイキングにとって戦死は総ての消滅ではなく、ヴァルハラへの旅立ちであったから、心置きなく戦うことができた。戦士文化では激戦での討死が名誉となる。ちなみに、戦場へ赴く前に転んで死んだり、愛人と寝ている時に腹上死じゃヴァルハラには行けなかったようだ。

  現在、日本人が劣等民族になっているのは、戦士が持つ尚武の精神、すなわち命知らずの闘魂を失っているからだ。大東亜戦争でボロ負けした日本人は、勝者から倫理的に責められ、武器を棄てることが善人の証しであると信じてしまった。保守派の評論家は単純な発想からアメリカを批判して有頂天になっているが、本当に悪質なのは占領軍でなく、日本でヌクヌクと暮らしながら祖国を罵る進歩的知識人の方である。だいたい、勝ったアメリカ人が敵国を懲罰するのは当り前じゃないか。「勝てば官軍」と言うだろう。それよりも、合衆国政府による仕置きを“天佑”と喜び、同胞をいつまでも「犯罪者」扱いする日本人の方が遙かに赦せない。

  左翼学者を挙げけばキリが無いけど、幾人かを想い出すだけで、アメリカ人より憎くなるはずだ。例えば、東京大学には国際法の横田喜三郎とか、政治学の丸山眞男、社会学の日高六郎、教育学の宗像誠也などがいたし、東京教育大(筑波大学の前身)には歴史家の家永三郎とか和歌森太郎がいた。(和歌森は社会科の教科書を執筆したり、筑波移転に反対した人物としても有名だ。) 人民による憲法制定を望んだ鈴木安蔵は立正大学に潜り込み、反軍思想の大槻健は早稲田大学に陣取って強い日本の復活を呪っていた。(鈴木はNHKが贔屓にする極左分子で、憲法特番では大絶賛されていた人物だ。) 進歩的文化人の代表格である日高六郎は長年人権を飯の種にしていて、驚くことに、つい最近(2018年)まで生きていた。日本を非難しながら101歳の人生を送っていたんだから、悪い奴は中曾根康弘と同じく長寿である。

衰退する日本の時代劇

Travis Fimmel 2Vikings Katheryn Winnick 1Alexander Ludwig 2








(左: 「ラグナー」を演じたトラヴィス・フィンメル  / 中央: 「ラガサ」役のキャサリン・ウィニック  /  右: 青年以降の「ビョルン」を演じるアレクサンダー・ルドウック)

  日本の事はさておき、なぜ『ヴァイキング』は好評を博したのか? それは己の野望を命懸けで達成し、憎い相手なら意地でも武力で倒そうとする、戦士ならではの率直な手段を取るからだろう。もう一つ、あまり語られない理由が別にあった。歐米の視聴者はあまり口にしないが、北歐の時代劇には黒人やユダヤ人、そしてアジア人やヒスパニックを意図的に出演させる義務が無いので、これが隠れた「魅力」になっている。アメリカやヨーロッパの視聴者にとって、人種的配慮を考えなくて済む『ヴァイキング』は数少ない貴重なドラマだ。大抵のハリウッド作品は人種混交が当り前となっていて、西歐人ばかりのキャスティングだと「差別的」あるいは「偏っている」という批判を受けやすい。だから、ウンザリするほど役者の人選が政治的になっている。本来、娯楽作品は目くじらを立てずに観賞するものだ。ところが、30年くらい前から制作陣が妙な左翼思想や多民族主義を持ち込んでしまったから、あらゆるドラマが似たようなPC(政治的に正しい)動画になってしまった。これでは観ている方が白けてくる。

  もし、藝術や表現の自由があるなら、どんな俳優を使ってもいいはずだ。本当に情けないけど、「白人ばかりが主役のドラマなんて不公平である! 赦せない!」と叫んでいる南米系やアジア系の俳優はよく考えてみろ! そんなに悔しければ、自分達が主役のドラマを作ればいいじゃないか。例えば、朝鮮人男優とインディオ系女優のラヴ・コメディーとか、アフリカ系ブラジル人が主演のクライム・サスペンス、朝鮮人がサイボーグを演じる『ターミネーター』のようなSFドラマを作ればいい。だが、彼らは自分達が主役だと作品がヒットしないことを分かっている。例えば、失敗した典型例は大ヒット・シリーズのスピン・オフ、『24 : レガシー』だ。主役をキーファー・サザランドからコリー・ホーキンズに変えたら、シーズン1でキャンセル(打ち切り)となってしまった。日本でもさっぱり人気が出ず、レンタルDVDも棚に置かれたままだ。大ヒット映画の『ターミネーター』も同じで、好評だった液体金属のサイボーグ「T-1000」をロバート・パトリックから朝鮮人のイ・ビョンホンに変えたらギャグ漫画になってしまった。今、『ターミネイター3』(通算だと「6」)を制作しているジェイムズ・キャメロンは、第3・4・5作を「無かった事」にして新作を手掛けているそうだ。確かに、第五作目はシュワルツネッガーが復帰して良かったけど、内容的には「お金を返してくれ!」と言いたくなるほどの駄作だった。

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(左: キーファー・サザラーンド  / コリー・ホーキンズ  / ロバート・パトリック  /  右: イ・ビョンホン)

  日本のTVドラマとアメリカのドラマを比較するのは酷だけど、時代劇の戦闘シーンはもっと血腥いものにしてもらいたい。大河ドラマを制作するNHKは、アイドル藝人や若手俳優を起用することにかけては熱心だが、武将が激突する合戦のシーンになると、掌(てのひら)を返したように「手抜き」をする。アクション映画を数多く手掛けた深作欣二とか村川透、五社英雄みたいな監督を使えとは言わないが、もうちょっとマシな監督を選んで、壮絶な合戦を描くべきなんじゃないか。たぶん、子供や女性の視聴者に配慮して“マイルド”な演出にしているんだろうが、本格的時代劇を切望する男性の視聴者には不満だらけで、観ていてモノ足らないところが多くある。1970年代の時代劇だと、時たま拷問や殺害のハードなシーンがあって、残酷だけど見応えがあった。

  日本のTVドラマが衰退しているのは、藝能事務所と結託したキャスティングが主流となり、サラリーマン的制作者が視聴率至上主義に走っているからだろう。だいたい、制作子会社に丸投げの「やっつけ仕事」とか、マーケット・リサーチに頼りっきりの“企画モノ”なんて面白いのか? 以前、NHKの大河ドラマで三谷幸喜が脚本を書き、堺雅人が主演を果たす『真田丸』というのがあったけど、こんなのは現代劇の類いだろう。(筆者は観ていないけど、出演者と制作陣を目にしただけで嫌気が差してきた。) そう言えば、今月『必殺仕事人2019』がテレ朝で放送されるようだが、出演者は東山紀之や松岡昌宏といった若手になるそうだ。彼らの熱狂的ファンには申し訳ないが、こんなの高校の学藝会みたいじゃないか。『新・必殺仕置人』の山崎努や『必殺仕置屋家業』の沖雅也が懐かしい。 
  


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奥様は外国人 / 言葉と容姿の選択

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
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空想の殺人

elizabeth montgomry 7(左  /  「奥様は魔女」の出演者)
  日本でも好評を得たアメリカのTV番組に、『奥様は魔女(Bewitched)』というシリーズ・ドラマがあった。たぶん、チャーミングな魔法使いを演じたエリザベス・モンゴメリ(Elizabeth Montgomery)を覚えている人も未だにいるんじゃないか。今にちでは想像できないけど、1960年代末から70年代にかけてのアメリカは眩しかった。『奥様は魔女』の設定は、そんな良き時代のアメリカを映しており、新婚ホヤホヤのカップルが、まだ若いのにちょいと洒落た郊外に大きな一軒家を構えている。リビング・ルームには来客用のソファーが置かれ、キッチンを見ると七面鳥を丸ごと焼ける程のオーブンや、大型の冷蔵庫、二階には寝室と子供部屋があるんだから、団地住まいの日本人にしたら羨ましい。しかも、可愛らしい赤ん坊まで生まれて幸せいっぱい、ときている。日本のホーム・ドラマだと、あまり奇抜な設定はなく、たいてい『渡る世間は鬼ばかり』みたいな作品が多い。

  でも、若い女性の視聴者は、スリルとロマンを交えた不倫ドラマを求めていた。ということで、民放はその要望に応え、『金曜日には花を買って』(1986)とか『くれない族の反乱』(1984)を提供し、お茶の間の奥様方は禁断の不倫を楽しんでいた。しかも、役者が豪華だったから、世の女性達がうっとりするのも無理はない。前者のドラマだと、主演の篠ひろ子が人妻を演じていて、昔別れた恋人を偲ばせる世良公則と恋に落ちる。確かに、亭主役が板東英二だから、美人妻が若くてハンサムな青年に靡くのはよく分かる。お茶を啜りながら観ている中高年女性も、「私だって世良さんが相手なら、たぶん・・・いや絶対不倫しちゃうなぁぁ~」と溜息をつく。20代の女性だって人気ロック・ミュージシャンが相手なら身を委ねたくなるだろう。一方、後者のドラマでは、大原麗子が亭主に不満を募らせる人妻を演じ、百貨店の食料品売り場でパート従業員を務める役だった。しかし、その売り場を監督する上司は田村正和。オバちゃん達は「きぁぁぁ~!!」と歓声を上げる。天下の二枚目がデパ地下の担当なんて信じられない。普通は、角野卓造とか岡本信人、更に質を落としてカンニング竹山、といったところだろう。一般人の主婦が正和様のような色男にジっと見つめられたら、家でゴロゴロするだけの亭主なんか直ぐに忘れちゃうだろうなぁ。

田村正和 大原麗子篠ひろ子 1









(左: 田村正和と大原麗子  /  右: 篠ひろ子)

  脱線したので話を戻す。「問題あり」の夫婦を描く映画は珍しくないけど、言葉が通じない夫婦を設定するのはアメリカならではの作品だ。1965年に公開された『女房の殺し方教えます(How to Murder Your Wife)』という映画では、ジャック・レモン(John U. Lemmon)が“とんでもない”外人女性を妻にする夫を演じていた。彼は『お熱いのがお好き』でマリリン・モンローと共演していたから、日本の映画ファンにも馴染み深い。このレモンが演じるのは、新聞にアクション作品を連載する漫画家のスタンリー・フォードで、彼は「バッシュ・ブラニガン(Bash Brannigan)」というスパイ・ヒーローを描いている。 フォードの作画方法は独特で、原稿を書くにあたり、役者を雇ってストーリーを実行させ、それをカメラで撮影するというものであった。実際の動きを収めた写真を見ながら描くので、フォードの劇画は実にリアルである。

Jack Lemmon 6Virna Lisi 2(左: ジャック・レモン  /   右: ヴィルナ・リージ)
  人気シリーズを手掛けるフォードは売れっ子作家で、都会の高級アパートに住んでいる。しかも、忠実な執事に身の回りの世話をさせる独身貴族。そんな漫画家はある日、友人のバチュラー・パーティー(結婚前の派手な宴会)に招かれる。ところが、主役の友人は婚約者にフラれてしまい、大勢が集まるなか、結婚が破談となったことを通知する。しかし、不幸な出来事にもかかわらず、友人はパーティーを続けたので、予定通り特別なプレゼントがパーティー会場に運ばれてきた。係員が運んできたのは大きなデコレーション・ケーキの模型で、その蓋が開けられると、中から美女(ヴィルナ・リージ/ Virna Lisi)が飛び出してくる。会場の観客は拍手喝采。このサプライズを目にしたスタンリーは彼女に釘付け。瞬く間に一目惚れとなった。一方、笑顔を振りまく彼女もスタンリーにぞっこんとなる。(奇妙なことに、映画では彼女の名前が不明になっていた。)

Virna Lisi 11(左  /  ケーキの中から飛び出た美女)
  水着姿の「贈り物」に扮するくらいだから、こうしたモデルが大胆なのは分かるけど、出逢ったその日にベッド・インと結婚式じゃ「新婚さん、いらっしゃい!」のネタにはなるが、普通の人なら驚く。しかし、もっと驚くのは、彼女がイタリア人で英語を一切理解しないことだ。英語を喋る事が出来ない外国人は珍しくないけど、いきなり肉体関係を結び、酔った勢いでその夜のうちに結婚してしまうなんて尋常じゃない。でも、「情熱的なイタリア人娘だと有り得るのかも・・・」と思ってしまうところにイタリア人への先入観がある。ちょっと冷たい感じのするイギリス人レディーと違い、大きなジェスチャーを交え、早口で喋るイタリア人を見てしまうと、「こんな子も居るんじゃないか?」と思ってしまう。

  夫婦となれば同じアメリカ人同士でも大変なのに、英語が通じない女房だとあらゆる場面で苦労する。自分がして貰いたいことを頼んでも彼女にはチンプンカンプンだし、勝手な生活スタイルを強いられるから、優雅な独身生活は台無しだ。執事のチャールズ(テリー・トマス)もお手上げで、見ず知らずの女が一夜にして「奥様」になってしまったから、鞄を抱えて「お暇を頂きたい」と御主人様に申し出る。焦ったスタンリーは何とか宥めて執事を繋ぎ止めるが、女房は平然とイタリア流の暮らしぶり。手料理を作ってくれるのは有り難いが、カロリー無視のイタリア料理を作るから、スタンリーの体型は崩れる一方だ。これって、支那人や朝鮮人の嫁をもらったときと同じである。毎日、脂っこい支那料理じゃ“あっさり系”の和食が恋しくなるし、ヘンチクリンで辛いだけの朝鮮料理なんか直ぐ厭になる。一年中毎晩、キムチが食卓に並ぶなんてゾっとするじゃないか。

Virna Lisi 13Virna Lisi 18








(左: 執事のチャールズ  /  右: 作画の上に眠るフォードとフォード夫人)

  美人妻を娶ったことには満足しているが、あまりにも生活習慣が違っているので、スタンリーにはフラストレーションが溜まる一方だ。確かに、英語が全く通じないんだから仕方がない。でも、日常生活で会話が成立しないのは大問題であろう。ある日、不満を募らせたスタンリーは彼女を殺す漫画を書こうとする。そこでスタンリーは自宅でパーティーを催し、浮かれている女房に酒を勧め、その中に薬を混ぜて眠らせてしまう。彼女をベッドに運んだスタンリーは、用意してあった女性のマネキンを用いて部屋の窓から投げ捨てる。隣のビルは工事中なので、コンクリートが生乾きだ。マネキンはその中にズブっと埋まってしまう。ひと通り、この「暗殺」をカメラに収めたスタンリーは、早速、写真を見ながら劇画を描く。そして、一晩中ずっと殺人漫画を描いていたスタンリーは、疲れが出て来たのか、机に頭を置きながら熟睡してしまうのだ。

  ところが、事情を知らない女房が寝ているスタンリーに気付き、彼のもとに近づくと、作業中の原稿に目が止まった。興味本位で彼の劇画を覗いてしまった妻はショックを受ける。彼女はスタンリーが自分を殺したいほど嫌っていると分かり、結婚指輪を外して机の上に置くと、何も告げずにそっと消えるように家を出て行った。目覚めたスタンリーは彼女が居なくなったことに気付き、どうしたものかと動揺するが、何の手掛かりも無いので何処を捜していいのか分からない。そうこうしているうちに、「スタンリーが女房を殺したのではないか?」との噂が立ち、彼は警察に逮捕されてしまう。法廷に立ったスタンリーは、判事や陪審員の前で雄弁をふるい、信じられないが無実を勝ち取る。濡れ衣を晴らそうとするスタンリーの弁解は滑稽だけど、コミカルな映画だからしょうがない。

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(左: 「フォード夫人」役のヴィルナ・リージ  /  右: 映画のハッピーエンド・シーン)

  無罪になって釈放されたスタンリーは執事と一緒に自宅に戻るが、階段のところにハイヒールが投げ捨ててあるのに気付き、「もしや・・・」と思って寝室のドアを開けると、そこには捜していた妻がいた。しかも、裸でシーツに包まれ、スタンリーをベッドに誘っている。そこで、スタンリーは彼女にキスをしようとするが、指輪を嵌めてからという言葉に従い、二人で愛を育むシーンでパッピー・エンドとなる。

アジア人を女房にする辛さ

  ジャック・レモンの夫人を演じたヴィルナ・リージは、映画の役柄と同じくイタリア人で、もちろん英語は達者である。映画ファンなら『黒いチューリップ(La Tulipe Noire)』でアラン・ドロンと共演した女優と気付くだろう。悪徳貴族から金品を奪う義賊を演じたドロンは格好良かったが、剣術を教える役を担っていたリージも良かった。本作品ではイタリア語で押しきる強気の女房を演じていたけど、美人だったから観客は何となく赦せてしまう。これは彼女を「イタリア人」に設定したから良かった。もし、フランス人やドイツ人にしてしまうと、英語を全く理解しないというのは嘘っぽくなるし、スペイン人にするとメキシコ人を連想してしまうからマズい。スペイン語で捲(まく)し立てる女性だと、何となく下品に思えてしまうので、避けた方が賢明だ。一方、イタリア人ならアメリカに多く移住しているので一般的な抵抗は無いし、ブロンドの美女とう設定だから寛容になれる。もし、これがタリア・シャイアとかライザ・ミネリのような黒髪のイタリア人だとカチンとくる。(タリア・シャイアは『ロッキー』や『ゴッド・ファーザー』に出演した有名女優。)

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(左: アラン・ドロン  / 中央: タリア・シャイア /  右: ライザ・ミネリ )

  『女房の殺し方教えます』はゲルマン系イタリア人の女房が繰り広げるドタバタ騒ぎを描いていたが、日本で起こりうる国際結婚を考えると気分が重くなる。日本人女性から相手にされない農家の青年(中年?)だと、女体に飢えてしまい、とにかく「女なら誰でもいい」ということで、怪しげなブローカーに大金を払って、支那人女性を調達してもらうらしい。露骨に言えば、「嫁を買う」ということだが、世間体もあるので、一応「見合い結婚」という形にしているそうだ。しかし、日本語を理解できない支那人を女房にすると大変で、近所の奥さん連中との付き合いはできないし、買い物一つも頼むことができない。というのも、日本ではクルマを運転できないからだ。支那人が運転免許証を取るためには筆記試験を受けなくてはならないが、それに合格することは非常に難しい。また、家に掛かってきた電話に応対することだって一苦労だ。さらに、待望の子供が生まれたらもっと大変で、幼稚園や小学校から渡される印刷物を読むことができず、亭主が代わりに読んで色々な行事に参加する破目になる。それでも、毎晩セックスできるから、独身のまま死ぬよりマシということなんだろう。

  国際結婚で支那人や朝鮮人を妻にすると苦労が多いけど、ちょっと見ただけでは「外人」と判らない場合があるから、一応その素性を隠すことができる。しかし、フィリピン人やタイ人、ビルマ人、インド人の女性と結婚すると「外人妻」ということがバレやすく、近所の人は何となく「訳あり夫婦」と思ってしまう。だから、妙に遠慮して、詳しい馴れ初めを訊くことができない。他人の憶測はどうでもいいけど、日本人亭主にとってもっと辛いのは、生まれてきた子供が明らかな混血児になってしまうことだ。いくら日本人の氏名であっても、その顔附きが東南アジア風なので、小学校や中学校の同級生はアジア系混血児と判る。大人と違って子供は思慮が足りないから、興味本位で混血児のクラスメートに「お前の母ちゃん、何じんなんだ? 」と訊いてしまう。すると、質問された混血児は無視する訳にも行かないので、気まずくとも小声で「タイ人」とか「フィリピン人」と答える。

Asian women 1111Filipina woman 1








(左: アジア系の女性たち     /     右: フィリピン人女性)

  子供同士のこうした遣り取りは実にたわいないものであるが、訊かれた方の子供には後々まで残るトラウマになってしまうのだ。母親が西歐白人なら躊躇無く答えることもできようが、アジア人の場合だと訊かれるまでは自分から言いたくない。愛する母親なんだけど、どうしても恥じてしまうのだ。小学生くらいになれば母親の出身国を聞かされているだろうが、インドネシアとかベトナム、ビルマと教えられても、どんな人々が住んでいる国なのか分からないし、何処にあるのかさえ判らない。ただ、テレビで見る茶色い現地人であることだけは解る。とは言っても、まだ幼いから「あっ、母ちゃんと似ている!」と思うだけ。ただし、内心は複雑だ。子供は理屈じゃなく感情で動いてしまうから、、生理的に嫌悪感を抱く対象には距離を置き、それ以上詮索することはない。いくら幼くても友人の前で自慢できないと解るから、母親の出身国には触れようとはせず、自分をみんなと同じ「日本人」と思い込むよう無意識的に努めている。

Indnesian nurse 1(左  /  インドネシアの看護婦)
  男女を問わず、日本にやって来るアジア人労働者には“いかがわしい”動機がある。確かに、「日本で働く方がより高い賃金を得られるから」という理由はもっともなんだけど、「それだけなのか?」と疑いたくなる。例えば、インドネシアからやって来る看護婦とか介護師には、日本国籍を目的とする人物が多い。彼女達は日本の資格試験に合格しようと、難しい日本語を習得しようと日夜励んでいるが、どうしてそこまで頑張るのか? 英語を学ぶマレー人の看護婦なら理解できる。なぜなら、渡航先にはオーストラリアやカナダ、アメリカ、イングランド、アイルランドに加え、シンガポールなどもあるからだ。しかし、日本語の勉強は違う。せっかく日本語を学んでも、日本の試験に落ちたら、その努力は無駄になってしまうのだ。日本以外で日本語の資格試験を実施する国は無い。したがって、日本語という特殊言語を学ぶマレー人には、“特殊”な願望や目的があるはずだ。日本を目指すマレー人介護師は「日本の会社に就職したい」と語るが、どう考えても別の魂胆があるとしか思えない。つまり、本当は日本での永住を目的として就労するんじゃないか。そして、日本人と結婚したり、帰化を申請して、故郷から配偶者とか両親、兄弟を呼び寄せるつもりなのかも知れない。一般の日本人は「労働力不足の解決になる」と喜んでいるが、一人の出稼ぎ人を雇ったら、“おまけ”として多数の扶養家族を引き受けることにもなるのだ。一般国民は気付いていないが、連鎖移民としてやって来るマレー人も歳を取る。もし、その外人が老いたら、誰が面倒見るのか? 日本人は世話をしないから、たぶん、フィリピンやインドから輸入する介護師になるだろう。この悪循環が続けば、あと数十年で日本は紛れもない「アジア国」となる。

Vietnamese woman 1Thai women 22








(左: ベトナム人女性  /  右: タイ人女性)

  日本では益々国際結婚が増えているが、その配偶者には格差がある。ヨーロッパ人ならさほど問題はないが、アジア人やアフリカ人ともなれば、厄介な問題が浮上してくる。劣等国からの妻をもらうことは、自分にとっても生まれてきた子供にとっても心の傷となるだろう。考えてもみよ。ブリテンとかデンマーク、スウェーデン、ドイツなどから出稼ぎの介護師が来日するのか? ネーデルランドやフランスでも酪農家や牧畜業者の家庭に生まれた娘はいるけど、彼女達がグローバルな結婚相談所に登録し、東北や北海道の日本人と結婚するなんて思えない。なるほど、日本語を理解しなくても田んぼや山林で働くことはできるが、彼女たちが日本国籍を目的として結婚することはないだろう。だいいち、ヨーロッパの白人女性は男に飢えたからといって日本人男性を求めない。それゆえ、日本人と結婚する白人女性を見れば、「きっと恋愛結婚ね」と我々は考える。以前、老舗旅館で若女将を務めるアメリカ人女性を取り上げテレレビ番組があった。「青い瞳の細腕繁盛記」というサブタイトルで、旅館の跡取り息子と結婚した外人妻を取材するという企画だった。日本語に関する多少の不自由はあっても、青い瞳の白人女性は魅力的で、旅館に来るお客さんには大好評。近所でも評判になるほどの美人女将だ。これがもし、朝鮮人とかベトナム人だったら、同じ企画の番組になるのか? たぶん、企画会議の段階でボツになるだろう。

MIckey McKenzie(左  /  水谷豊とミッキー・マッケンジー)
  日本で歓迎される外人妻は西歐系だけだ。1979年、日テレが水谷豊主演の『熱中時代・刑事編』を放送したことがある。水谷扮する大門署刑事の早野武は、ひょんなことからアメリカ人娘のミッキー・フランクリン(ミッキー・マッケンジー)を悪党から守ることになり、やがて恋心が芽生えて結婚するというストーリーだった。このドラマは教師編の『熱中時代』とは無関係だが、水谷氏の主演ドラマとあって結構人気を博した。彼が唄う主題歌の「カルフォルニア・コネクション」もヒットし、歌番組にも出ていたのを覚えている。(ちなみに、この曲を作ったのは、あの平尾昌晃先生だ。) ドラマの中で共演したミッキー・マッケンジーは、私生活でも水谷氏と結婚し、世間で話題になった。(ただし、後に離婚となる。) このドラマが成功した理由は色々あると思うけど、やはり、可憐なヒロインに魅力的な西歐人女性を起用したことだろう。もし、水谷氏が惚れる外人女性が、マニアからやって来たフィリピン人とか、香港から逃げてきた支那人じゃ高視聴率は取れまい。何となく、画面や雰囲気が暗くなるし、観ていても感情移入できないから、低視聴率番組となってしまうはずだ。もっとも、こうした設定だと端っからTVドラマにならない。誰が監督を務めようが、「失敗」という結果が目に見えているからだ。(いくら「自爆」続きのフジテレビでも、こんなドラマは作らないだろう。)

  年々、日本にやって来るアジア人女性は増える一方だが、普通の日本人はどう思っているのか? 一般的に言って、アジア人への印象は良くない。彼女達は“より良い生活”を得るためなら、弊履の如く祖国を捨て去り、日本国籍を取ろうとする。彼女らに祖国への愛国心は元々無いから、ナショナリズムは道端に落ちている空き缶ていど。生まれ育った国でも未練は無い。それよりも、先進国への移住は人生における最大のチャンスだ。どんな職業でも、日本で働けるのであればラッキーと考える。したがって、ちょっと教養のある日本人なら、こうした事情を知っているので、日本人と結婚したアジア人妻を目にすると、「飲み屋で知り合ったんじゃないの?」と疑ってしまうのだ。家柄や学歴を自慢するPTAの奥様連中だと、もっと露骨な陰口で大はしゃぎとなる。例えば、近所に住むフィリピン人の母親を見れば、「フィリピン・バプで今の亭主を引っ掛けたんじゃないの?」と勘ぐってしまう。実際、犯罪者まがいのブローカーを介して来日するアジア人は多いから、一般人が直感だけで「怪しい」と思っても仕方ないのだ。

  他方、日本で働くアジア人労務者は、日本人のこうした「偏見」に腹を立てるだろう。しかし、彼らの行動様式にも原因があるんじゃないか。日本人と結婚するアジア人は、圧倒的に我が国に居坐り、永住権や国籍を得ようとする。フィリピン人あるいはタイ人、マレー人と結婚した日本人が、配偶者の郷里であるマニラやバンコック、ジャカルタに移住し、現地の国籍を取ることは滅多に無い。必ず、アジア人配偶者の方が日本国籍を取る。南鮮人男性と結婚した日本人女性も同じで、夫の方が日本国籍を取得する場合が多い。日本人で南鮮国籍を取ろうとす馬鹿は0.1%以下。ほぼゼロ。また、アジア人女性を嫁にしても、日本人男性は自らタイ語とかタガログ語を学び、女房と楽しく会話しようなんて考えない。そもそも、アジア諸国の言語なんて、あまりにも下らないから勉強する価値は無いと考えてしまうのだ。

  日本人配偶者が否定するのは言葉だけじゃない。国際カップルが建てる「愛の巣」でも、朝鮮風住宅とか、タイ風建築の家なんか有り得ないだろう。日本人の亭主が受け容れる妻の文化といったら、せいぜいカミさんが作る郷土料理くらいだ。それでも、朝鮮料理だと厭になる。だが、もっと厭なのは片膝を立てた朝鮮人の女房が、ビビンバを箸でグチャグチャと混ぜる癖(文化)だ。女房には言わないけど、こんな姿は友人に見せたくない。異国の風習だからしょうがないんだけど、日本ではやめてほしいと願う亭主は多いと思う。ビルマのカレン族とかインド人も似たり寄ったりで、彼らは手づかみで御飯を食べるから、日本人は「えっ!」と驚く。大学教授たちは「多文化共生は素晴らしい!」と教えるが、実生活で体験する多文化共生は決して楽しくいぞ。アジア人との共存を称讃する知識人は、まず自らが朝鮮人や支那人と結婚し、色々な文化摩擦を経験してみることだ。大学の教室では「友好」を唱える学者でも、自宅では「離別」を考えてしまうかもよ。




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