無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

映画・ドラマ評論

バンシー / 欲望と暴力が混在する田舎町

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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保安官になった元犯罪者

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(左: 「バンシー」のポスター  / 右: アーミッシュの子供たち )

  映画には現実性を極めたシリアスな作品もあるが、その一方で、現実的にはあり得ない設定で拵えてしまう娯楽作品がある。映画のほとんどは大衆相手の商売なので、後者のタイプが主流になってしまう。ただ、そのフィクションの部分を「どれくらい加味するか」という塩梅が難しい。例えば、刑事ドラマで『CSI 科学捜査班』などは、かなり実際の捜査手法を取り入れた作品だったから、大人の視聴者も多かった。しかし、昔流行った『西部警察』みたいな刑事ドラマになると、あまりにも現実離れした設定なので白けしまう。そもそも、日本の警察官が44マグナムやレミントンのショットガンを街中でぶっ放すなんてあり得ないからだ。今でも覚えているが、寺尾聰が演じた刑事は片手でマグナムを撃っていたので、当時の筆者には衝撃的だった。「まさか、そんな !」と天を仰いだ程だ。8インチの銃身なのに、あっさりと片手撃ちなんて神業だ。しかし、今では制作費の削減を受けて、本当に“現実的”なドラマに落ち着いている。つまり、地味になったということだ。

  アメリカのTVドラマは多種多様で、地上波だけでなく、ケーブル・テレビでもたくさんのドラマを流している。その中でちょっと面白かったのは、FX(Cinemax)のオリジナル・シリーズで、既にシーズン4を以て終了した『バンシー(Banshee)』だ。この作品は日本でも有料放送なら視聴できると思う。DVDでレンタルになっているのかどうかは分からない。

  物語は、アントニー・スター(Antony Starr)演じる「ある男」が15年の服役を終えて、刑務所から釈放されるところから始まる。彼は以前、ウクライナ・マフィアのボス「ラビット(Rabbit / Rabitov)」の手下であったから、親分の命令により1千5万ドル相当のダイヤモンドを盗むことになった。(ドラマの中で何故か彼の本名は一切明かされていない。) この窃盗計画で彼の相棒となるのが、ラビットの愛娘アナスタシア(Ivana Milicevic)である。二人は恋仲になっているという設定だ。彼とアナスタシアはまんまとダイヤモンドを盗み出すが、警備の者に見つかって追われてしまう。敷地の金網まで到達した二人は追っ手を振り切って逃げ切ることは出来ないと悟った。そこで、彼はアナスタシアにダイヤを持たせ、先に逃げてくれと頼む。自分が警察に捕まっているうちに、アナスタシアを逃がそうという考えである。こういう訳で、彼は逮捕され、アナスタシアは暗闇の中に消えて行く。

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(左: ルーカス役のアントニー・スター  / 中央: アナスタシア役のイヴァナ・ミリシェヴック / 右: ラビット役のベン・クロス・イゴール )

  刑務所を出た「男」は恋人を捜すべく、ペンシルヴァニア州の片田舎にあるバンシーという街に辿りついた。彼はシュガー・ベイツという黒人が経営する酒場に立ち寄る。ここに、運命の出会いがあった。「ルーカス・フード(Lucas Hood)」という保安官がバンシーに赴任してきて、酒場を訪れたのだが、ある「いざこざ」で殺されてしまったのだ。すると、そこに居合わせた元囚人は、死亡した保安官に成りすます事を思いつく。幸い、町の誰も新たな保安官と会ったことがないので、この前科者が偽者とは判らない。彼は「ルーカス・フード」を名乗って警察署に向かい、堂々と新任の保安官として皆を騙すことが出来た。しかし、よくバレなかったなぁ、と思ってしまう。バンシーの警察署には、新しく赴任してくる保安官の顔写真とか連絡書類も無かったのか、と首を傾げたくなるが、小さな田舎町だから意外とルーズなんだろう。

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(左: 娘のデイヴァ  / 中央: 夫のゴードン・ホウプウェル /  右: シュガー・ベスイツと彼が経営する酒場)

  保安官に扮したルーカスが怖ろしい刑務所で15年も耐えたのは、ひとえに恋人のアナスタシアに再会するためであった。ところが、そのアナスタシアは本名とは違う「キャリー・ホウプウェル(Carrie Hopewell)」を名乗り、不動産業の販売員になっていたのである。そのうえ、彼女は地元の地方検事ゴードン・ホウプウェルと結婚し、娘のデイヴァ(Deva)と息子のマックス(Max)を産んで幸せに暮らしていたのだ。そこへ、服役を終えた昔の恋人が、しかも警官の服装をして、突然現れてきたからキャリー夫人は驚く。自分の人生を犠牲にして助けたアナスターシアを見つけて、ルーカスは彼女との関係を取り戻そうとする。しかし、二人の背後には常に彼女の父親でギャングの親玉、ラビットの姿がちらついていた。というのも、ボスのラビットはダイヤの行方を諦めておらず、ずっとルーカスに目を附けていたからだ。また、ラビットは娘を奪ったルーカスが赦せなかった。なぜなら、アナスターシアはルーカスの為に父を裏切り、恋人と謀って組織を抜け出そうとしたからだ。ちなみに、彼女の娘デイヴァはルーカスの子供で、服役していたルーカスは知らなかった。妊婦の身で途方に暮れていたアナスタシアが、偶然の出逢いから結婚に至ったのが、現在の夫であるゴードンだ。

怪物のような白い巨人

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(左: 「プリズン・ブレイク」のウェントワース・ミラー  /  中央: テイラー・シリング /  右: ジェンジ・コーハン )

  最近のアメリカン・ドラマには刑務所でのエピソードが多い。代表的なのは、ウェントワース・ミラー(Wentworth Miller)主演の大ヒット・ドラマ『プリズン・ブレイク』だろう。全身に刺青を彫ったミラーが囚人の兄を脱獄させるという設定で話題になったのは記憶に新しい。実際、アメリカの刑務所には刺青だらけの兇悪犯が群れているからリアリティーがある。また、女囚版ドラマとしては、テイラー・シリング(Taylor Schilling)主演の『オレンジ・イズ・ザ・ニュー・ブラック(Orange is the New Black)』があって、これは左翼系ユダヤ人の脚本家ジェンジ・コーハン(Jenji Kohan)が手掛けた作品だ。この波に乗ってか、『バンシー』でも逮捕されたルーカスが、刑務所で悲惨な目に遭うというエピソードが盛り込まれていた。闇社会の有力者であるラビットは、娘とダイヤの行方を聞き出すため、兇暴な服役囚たちに彼を“いたぶる”よう指図し、その筆頭に「アルビノ(Albino)」を選んだ。(ジョセフ・ガットJoseph Gattが演じていて、かなりの迫力がある。アメリカ人のみならず、日本の視聴者にも強力なインパクトを与えるキャラクターだ。) この「アルビノ」という極悪囚人は、筋肉隆々の大柄な白人で、刑務所の地下室でルーカスを暴行した。彼はナイフを取り出すと、ルーカスの腰をグサっと刺して絶叫するほどの苦痛を与えたのである。激痛にもがくルーカスを見下ろしたラビットは、「これが毎日続くんだからな !」と吐き捨てた。もし、こうした地獄の苦しみが連日続くとなれば、本当に「生き地獄」以外の何物でもない。

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(左: ルーカスの前に聳え立つアルビノ/ 中央: ビリーB役のマイケル・ロアーク  /   右: ビリーを「恋人」にするアルビノ)

  言葉にするのも“おぞましい”が、女を絶たれた兇悪犯は、その性の捌け口を“可愛らしい”囚人に向けることがある。『プリズン・ブレイク』の刑務所内でもあったように、アルビノも男の「ガール・フレンド」を持っていた。美形の白人青年、「ビリーB(Billy B / Michael Roark)」がアルビノのお気に入りで、この「愛人」は刑務所で生き延びるため男色を耐えていたのだ。悪夢のようなリンチを味わったルーカスは、刑務所内で幅を利かすアルビノに話をつけようとした。しかし、マフィアのボスから依頼されたリンチを怠ることはできない。そこで、アルビノはルーカスに条件を出した。すなわち、容赦してやる代わりに彼のペニスを“しゃぶ”れと言ってきたのだ。後日、究極の選択を迫られたルーカスは、覚悟を決めてアルビノがたむっている所内のスポーツ・ジムに向かった。ダンベルを用いてトレーニングを行っていたアルビノは、餌食となるルーカスを目にして彼の前に立つ。

  囚人の手下が大勢見守る中、ルーカスの前に近寄ってきたアルビノは、鋭い剃刀を持っていた。そして、穿いていたズボンを下ろすと、彼はルーカスに自分から進んで、つまり喜んで自分のペニスを愛撫するんだ、と言い付ける。すると、「もはや、これまで」と観念したのか、ルーカスはそのペニスを銜(くわ)えようとするが、一瞬の隙を突いて、カミソリを持つアルビノの腕を掴み、その刃(やいば)で彼のペニスを切り取ってしまったのだ。ジムの床に血にまみれの白いペニスが落ちる。すると、間髪を入れず、ルーカスは命懸けでアルビノに襲いかかる。苦痛で激昂するアルビノも全力を挙げてルーカスを殺しにかかった。しかし、ルーカスも必死だ。アドレナリン全開で殴りかかる。ついに、ルーカスはアルビノの首に腕を巻き付け、チョーク・スリーパーで「落とす」ことができた。失神したアルビノの体を引き摺ったルーカスは、アルビノの頭をバーベルの上に載せ、円盤形の重そうなプレートをその頭上に叩きつけた。アルビノは首をへし折られて即死。見物していた囚人たちに畏敬と恐怖の空気が漂っていた。

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(左: ルーカスに「愛撫」を迫るアルビノ  /  右: バーベルの上で絶命するアルビノ)

  こうした修羅場をかいくぐってきたルーカスが、心から求めたものはただ一つ。アナスタシアとの再会であり、昔日の関係でった。ところが、彼女は過去を捨てて別の男に嫁ぎ、二人の子供を抱える奥方となっていたのだ。それでも、ルーカスは諦めきれない。彼はアナスタシアに復縁を求めた。前半のエピソードではルーカスを拒絶していた「キャリー」だが、後半になると昔の「アナスタシア」に戻って彼を受け容れてしまい、ついに恋人の関係、つまり肉体関係を復活させてしまうのだ。夫のゴードンは妻の不貞を察知し、怒りを爆発させてしまう。バンシーでは色々あったが、彼女の父ラビットの執念が消えたわけではない。ラビットはルーカスの居場所を突き止め、彼をおびき出すため、アナスタシアの息子、つまり自分の孫であるマックスを誘拐したのである。青くなったアナスタシアはダイヤを返すが、復讐に燃えるラビットは承知しなかった。そこでルーカスはラビットに話をつけ、自分の身柄と引き替えにマックスを解き放つよう求めた。息子が帰ってきたことを喜ぶアナスタシアだが、ギャングの世界を熟知する彼女は、直ぐルーカスが取引をし、自分の父に捕まったことを理解する。

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(左: アナスタシアとルーカス  /  右: ジョブ役のホーン・リー)

  彼女はルーカスを救出しようとするシュガーとジョブ(Job / Hoon Lee)」と行動を共にする。この「ジョブ」というアジア人は、ルーカスの古い友人でコンピューターの天才。しかも、犯罪に長けたハッカーである。ただ、彼の性癖は一風変わっていて女装趣味。しかし、肝っ玉と筋肉は男のままだから、凄腕の変態といったところだ。まぁ、フィクションだから仕方ないが、ルーカスの同僚警官もこの救出作戦に加わってしまう。ルーカスが捕まっている場所を特定した彼らは、銃撃戦を以てルーカスを助け出そうとした。一方、ルーカスは酷い拷問に遭っていて、生傷が痛々しく全身血塗れ。ラビットが刺殺する寸前だったが、アナスタシアが拷問室に突入して危機一髪の所で助かった。彼女は父のラビットを撃つが、ラビットは隙を盗んでその場を逃げ去ってしまう。マフィアの娘だから当然なのかも知れないが、地方検事の奥方が特殊部隊顔負けの突撃を敢行できるなんてすごい。彼女の腕前ならSWAT隊員にもなれる。男性に引けを取らない戦闘能力を披露するアナスタシアには目を剝いてしまうが、一緒に闘っていた警官たちが彼女に驚愕しないところが、いかにもアメリカン・ドラマらしい。

他者を侮辱する制作者たち

  『バンシー』はバイオレンス・アクションの部類に入るから、トンデモない設定でもおかしくはないが、それでも所々に悪意が見え隠れするのは見過ごせない。このドラマの原作を担ったのは、作家のジョナサン・トロパー(Jonathan Tropper)とデイヴィッド・シックラー(David Schickler)の二人である。トローパーは『One Last Thing Before I Go』といった作品を世に出したユダヤ系アメリカ人で、正統派ユダヤ教徒の小説を書いたから、今度はバイオレンス・アクションを描きたいと述べていた。という訳で『バンシー』が生み出されたらしい。(Amy Klein, "On Pushing the Envelope : Q & A with Novelist Jonathan Tropper", Hadassah, June 2004) 一方、シックラーの方はカトリック信徒で、啓蒙主義に影響された現代風のカトリック信仰を持っているそうだ。(Jerome Kramer, "A Dire Part of My Life , My Faith", Commonweal, December 6, 2013)  そして、この二人が書き上げた脚本をアラン・ボール(Alan Ball)が手掛けることになった。彼は映画『アメリカン・ビューティー』やTVドラマの『トゥルー・ブラッド』などを手掛けた監督として有名だ。

Jonathan Tropper 1David Schickler 2Alan Ball 2Peter Macdissi 1








(左: ジョナサン・トロパー  / デイヴィット・シックラー / アラン・ボール  /  右: ピーター・マクディシ )

Greg Yaitanes 1(左  /  グレッグ・ヤイタネス)
  アラン・ボールは映画制作者として有能なんだろうけど、彼はゲイの仏教徒という側面を持っている。そして、番組スタッフの一人にピーター・マクディシ(Peter Macdissi)というプロデューサーがいるんだが、彼は私生活においてアランのパートナー(恋人)となっていた。つまり、「ゲイ夫婦」で撮影を進めていたということだ。(筆者にはゲイ庭についての知識が無いので、どちらが女房役なのか分からない。したがって、「夫婦」なのか「夫夫」なのか判別しにくい。) ちなみに、マクディシはベイルート生まれのレバノン人で、人気ドラマ『24』にもちょい役で出演していたが、彼の役どころを覚えている人はほとんどいない。『バンシー』にはもう一人著名なプロデューサーが加わっていた。ギリシア系アメリカ人のグレッグ・ヤイタネス(Greg Yaitanes)だ。彼の経歴は素晴らしく、『CSI : マイアミ』『CSI : ニューヨーク』『ボーンズBones』『LOST』『プリズン・ブレイク』『D. House』などが挙げられる。『バンシー』に様々な民族や人種、宗教が描かれているのは、こうした多彩な制作陣が控えていたからだろう。それにしても、アメリカのTVドラマを制作するスタッフには、一癖も二癖もある輩が非常に多い。まぁ、健全で律儀な生活を営む良識人だと、エキサイティングな映画を作れないのかも知れない。

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(左: カイ・プロクター  /  右: プロクターの背中に彫られた刺青)

  暴力に加えセックス・シーンまで豊富な『バンシー』なのに、物語の舞台はニューヨークとかロサンジェルスではなく、ペンシルヴァニア州にある小さな町で、アーミッシュが住む片田舎となっている。このコミュニティーで隠然たる権力を誇り、保安官のルーカスと対峙するのはカイ・プロクター(Kai Proctor)という有力者だ。彼は表向き、精肉卸業といった堅気の商売を営むが、裏では賭博、売春、麻薬といった非合法ビジネスに手を染めている。そして、シーズン4ではバンシーの市長になってしまうのだ。そんなプロクターは意外な過去を持つ。何と彼は元々アーミッシュ社会に属する敬虔なクリスチャンだった。彼は20年以上も前、仲間たちと絶縁して世俗の社会に入り、マフィアもどきの稼業を通じて大富豪に“のし上がって”いたのだ。この「アーミッシュ(Amish)」とは、ドイツやネーデルラント辺りで盛んだったプロテスタント宗派の一つで、厳格な誡律によって昔ながらの生活を墨守するキリスト教徒の集団である。マックス・ウェバーの『プロテスタントの倫理と資本制の精神』を読んだ人なら解るけど、彼らはアナバプティスト(Anabaptist / 再洗礼派)の分派で、メノー派(Mennonite)とは同類である。ハリソン・フォード主演の映画『目撃者』を観た人なら想い出すだろう。近代文明を避けながら暮らす黒い服を着た人々がアーミッシュのキリスト教徒だ。女優のケリー・マクギリスがアーミッシュの女性を演じていたのが印象的だった。

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(左:  『目撃者』に出演したケリー・マクギリス  / 中央: レベッカ役のリリー・シモンズ / 右: 父親と一緒のレベッカがルーカスに再会するシーン )

  ギャングのボスとして君臨するプロクターだが、心の底にはまだ昔の仲間を大切にする気持ちが残っており、時折、両親や村の仲間を訪ねたりする。そして、このカイ・プロクターには困った姪のレベッカ・ボウマン(Rebecca Bowman)がいた。(若手女優のリリー・シモンズLili Simmonsが演じている。) レベッカはアーミッシユの家庭に生まれ育つが、禁断とされた外の世界に憧れ、親の目を盗んでは夜な夜な街に繰り出し、シュガーの酒場にも現れたりする。シュガーが営むバーの隣に居候するルーカスは、ある夜、バーのカウンターでレベッカと出逢う。すると、ルーカスに色目を使ったレベッカは、その日のうちに彼とベッドを共にしてしまうのだ。これは、いくら何でも飛躍のしすぎだろう。いくら性慾の強い女性だからといって、アーミッシュの家庭で躾けられた娘が、いきなり行きずりの男と肉体関係を結んでしまうなんて非常識だ。このレベッカは後日、父親と共に警察署で保安官のルーカスと対面する。質素な服に身を包んだ彼女が振り向くと、そのあどけない顔を見たルーカスは意表を突かれて言葉を失ってしまう。貞淑な少女に娼婦の要素を盛り込むところなど、いかにもユダヤ人が好みそうなキャラクター設定である。ユダヤ人は仲間内で西歐人の女をイデッシュ語で「シクサ(Shiksa / 淫売)」と呼ぶそうだ。

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(写真  / 「バンシー」の中で水着姿となるレベッカ )

  バイオレンスやセックスを題材としたTVドラマというのは、刺戟的な物語展開や奇想天外な設定で観客を驚かせる。こうした手法は映画界では珍しくなく、普通なので致し方ないけど、レベッカのような設定はアーミッシュの人々に対する冒瀆なんじゃないか。ドラマの中で、夜遊びを見つかってしまったレベッカは、怒りを表す両親から勘当され、アーミッシュ村を去ることになる。そして、伯父のカイ・プロクターを頼った放蕩娘は、間もなくその裏稼業に係わるようになり、一端の姉御気取りになってしまうのだ。レベッカは性的に放埒な上に、伯父のカイにまで恋心を寄せる始末。しかも、組織と自分のためなら躊躇無く拳銃をぶっ放すんだから、とても厳格なキリスト教徒だったなんて思えない。レベッカとカイはむしろ「元ユダヤ教徒」と設定した方が、もっとリアリティが出るんじゃないか。ユダヤ人は組織犯罪でもその異才を開花させ、数々の名高いギャングを輩出していた。例えば、ラスヴェガスのギャングとして有名なバグジー・シーゲル(Bugsy Siegel)、米国史に名が残るほどのマイヤー・ランスキー(Myer Lansky)、彼の友人でサム・ジアンカーナ(Sam Giancana)の手下であるハイマン・ラーナー(Hyman Larner)、ガンビーノ・ファミリー(Gambino Family)に属していたアンドレイ・カッツ(Andrei Katz)、「クレイジー・ブッチ・ギャング(Crazy Butch Gang)」の組員であったジャック・ゼリグ(Jack Zelig)、ロイ・デメオ(Roy Demeo)の配下にあったクリス・ローゼンバーグ(Chris Rosenberg)など、ユダヤ人ギャングはあまり映画で取り上げられないが、イタリア人より狡猾で優秀だった。

Myer Lansky 1Bugsy Siegel 1Chris Rosenberg 1Jack Zelig 1







 (左: マイヤー・ランスキー  / バグジー・シーゲル / クリス・ローゼンバーグ /  右: ジャック・ゼリグ)

  共同脚本家のジョナサン・トロパーはユダヤ人なんだから、ユダヤ人マフィアを耳にしたことくらいあるだろう。もし、カイ・プロクターが「元ユダヤ教徒」という設定なら商売上手という点も納得が行くし、冷酷な行為を躊躇わないという点も理解できる。国際的組織を創るのが得意なユダヤ人なら、犯罪シンジゲートを運営するのは簡単だし、プロクターが地元の政治家や警察官を買収するところなど、シオニスト団体が上院議員や州知事を買収するのとよく似ている。とは言っても、やはりトロパーは自分の「仲間」を貶めたくないし、ハリウッドの「掟」を知っているから、ユダヤ人の背教者を描くことはできない。ユダヤ人が蝟集するハリウッドでは、ユダヤ人を侮辱する作品はタブーだ。キリスト教徒や西歐系白人なら、淫売、殺人鬼、レイシスト、ホモ、麻薬の密売人など、いくら侮辱しても構わないが、神聖なユダヤ教徒はダメ。ユダヤ人の娘は如何なる時でも、貞淑で心が優しく、倫理を重んずる。ユダヤ教のラビになると聖人君子の領域になってしまう。ユダヤ教徒を導く教師は、いつでも正義感に溢れ、あらゆる悪の誘惑に打ち勝ち、決して信仰を棄てることはない。裏で幼い男の子のペニスをしゃぶったり、脱税テクニックを使って蓄財に励むなんて、絶対に「あり得ない」ときている。テレビを観ないアーミッシュの人々は、ユダヤ人脚本家によって侮蔑されていることをどう思うのか、ちょっと尋ねてみたくなる。

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(左: アーミッシュの女性たち  /  右: ユダヤ教徒のラビ)

  悪事に首までどっぷりと浸かっているカイ・プロクターは、怖ろしいけど印象的なキャラクターとなっている。闇社会で生き延びるプロクターには危険が尽きないから、彼は自分の身を守るためにも武術の訓練を怠ることがなかった。そして、彼は殺人さえ躊躇(ためら)わず、必要とあれば残忍な判断を即座に下すことができる。例えば、彼の部下の一人、ハンソンが合成麻薬を密造する工場から幾つか横領した時の事だ。彼はナイト・クラブで若者に合成麻薬を売りつけ、こっそりと私腹を肥やしていたが、お客の一人に州上院議員の息子がいて、彼は中毒症状に陥り、ショック死という運命を迎えてしまう。この深刻な不始末を知ったプロクターは、自分の屋敷にハンソンを呼びつけ仕置きに掛けてしまうのだ。プロクターは一人でビーフ・ステーキを食べており、彼の側にはボディーガードのクレイ・バートンと獰猛な番犬が控えていた。怯えるハンソンがプロクターに近づくと、ボスのプロクターはハンソンの右手をテーブルに押さえつけ、ステーキ・ナイフで指を一本切り落としてしまったのだ。切断された指は床に投げ捨てられ、番犬の餌になってしまった。恐怖に震えたハンソンは、即座に部屋を飛び出るが、その後を番犬が追いかけ、ハンソンは叫び声を上げながら噛み殺されてしまうのだ。その後、ロシア人のような形相したプロクターが、指を詰めたナイフで再び牛肉を切って食べるシーンがあって、底知れぬ恐ろしさを醸し出していた。「本当に元アーミッシュなのか?」と疑いたくなるような場面であった。

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(左: 負傷したカイ・プロクター  /  右: プロクターのボディーガードたるバートン)

  このプロクターに負けず劣らず之残忍性を示していたのが、用心棒となっている側近のバートンである。彼は昔、あることが原因で嬲(なぶ)り殺し寸前の目に遭って、地下室に閉じ込められた事がある。偶然、その地下室にリンチを受けたプロクターが放り込まれるが、プロクターは機会を伺って虐待した者を倒し、瀕死のバートンを助けることになった。これが切っ掛けでバートンはプロクターの忠実なる下僕(しもべ)となる。彼も武術の達人で情け容赦が無い。幼い時から虐待を受けてきたせいか、痛みに対して鈍感なところがある。彼がナバホ・インディアンの女性ノラ・ロングシャドウ(Nola Longshadow)と闘った時は壮絶だった。ノラはファッション・モデルのような容姿だが、その性格はギャング組織のメンバーらしく峻厳で、男の暴力に屈することはない。むしろ、ギャングの男どもを威圧し、彼らを薙(な)ぎ倒すほどの挌闘術を身につけている。この娘がターミネーター並のバートンと一騎打ちとなったから大変だ。彼女は手斧をバートンに突き刺すが、そのバートンは負傷をモノともせず、ノラに反撃を加え、流血の激闘となる。散々闘った最後に、バートンが金属の飾りで彼女の喉元を突き刺し、その傷口から声帯を引き千切ることでノラは絶命。この兇暴なインディオ女性をオデット・アナブル(Odette Annable)が演じていたけど、そうとうな練習を積んだようだ。彼女は洗髪製品を扱う「ラックス(Lux)」のCMモデルとして日本でも知られている。それにしても、ウクライナ・ギャングのアナスタシアといい、インディオ・ギャングのノラといい、『バンシー』に出てくる女はとても手強い。

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(左: 「ノラ」役のオデット・アナブル  /  右: 激闘の末、バートンに殺されたノラ)

  ハリウッドで制作されたドラマだから当然なのかも知れないが、アメリカの西歐系白人キリスト教徒は、娯楽作品を通して左翼勢力に洗脳されている。ユダヤ人が主流のプロデューサーや脚本家、あるいは監督などは、ユダヤ教徒に関して細心の注意を払うのに、キリスト教徒に対しては遠慮が無い。例えば、白人の登場人物だと、麻薬に溺れるキャリアウーマンとか、敬虔なキリスト教徒の“はず”なのに裏では淫乱なアバズレ、男性なら強欲で無慈悲なゴロツキか、どこか間の抜けた田舎者、威勢は良いが本質的に臆病な卑怯者、低脳で兇暴な白人至上主義者など、描きたい放題だ。しかも、キャスティングとなればマイノリティー(有色人種)に重要な役を振り分ける。現実の世界なら黒人の犯罪者が定番なのに、ハリウッドのドラマでは正義感に満ち溢れた黒人警察官とか有能なアジア系FBI捜査官という役が多い。

  ハリウッドの作品には黒人男性と金髪の白人女性が肉体関係を結ぶ、という異人種性交を推奨するストーリーがよくある。『バンシー』でもプロクターが総合格闘技の試合を計画し、そのゲスト・ファイターにサンチェスという黒人格闘家を招いた。プロクターはファイト・マネーの他に、特別な夜のプレゼント、すなわちブロンドの白人女性を提供したのである。しかし、このサンチェスはコカインを吸引するゲス野郎で、試合会場でウェイトレスをしていた白人女性にも手をつけ、自分のベッドに誘い込む。このウェイトレスもユダヤ人が好む頭の軽いバカ娘で、黒人のセックス・アピールに好意を寄せてしまい、ホイホイと彼の招きに応じてしまうのだ。しかし、麻薬でラリったサンチェスは通常のセックスでは満足できず、次第に激しいセックスを求めるようになり、ついには彼女を殴ったり蹴ったりと、暴力行為で重傷を負わせてしまうのだ。そこで、憤りを感じたルーカスがサンチェスに喧嘩を売り、試合会場で乱闘となる。格闘中、ルーカスの脳裡にはアルビノに痛めつけられた過去が蘇り、兇暴なサンチェスの姿がアルビノと重なっていた。最終的に、ルーカスはサンチェスを倒してしまい、興奮したルーカスは彼の指を引き裂き、その片腕を背中の方に捻って骨をボキっと折ってしまうのだ。こうしてしサンチェスは試合不可能となり、病院へ直行となる。

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(左: 「サンチェス」役のセドリック・スチュアート  /  右: サンチェスに挑むルーカス)

  黒人格闘家サンチェスの一件は、如何にもハリウッドの制作者が考えそうなエピソードである。(もっとも、保安官が公衆の面前で血みどろの挌闘を演じるなんてあり得ないけど。) 一般的に、白人の男ども、特に南部のレイシスト的白人男性から馬鹿にされるユダヤ人は、「彼らの女」が黒人に犯されるというシーンを作ることで、彼らに対する復讐を果たそうとする。防衛本能が強い白人男性は、黒人の精子が白人女性の子宮に注入され、種族の血が汚されることを何よりも憎む。この嫌悪感と屈辱感を承知しているユダヤ人は、意図的に異人種間の性交や結婚を奨励し、白人の尻軽女たちに黒人との交際は「格好いい、クールだ」と唆(そそのか)す。映画の中で描かれる黒人男性は、筋肉隆々で心優しく、そのうえ知的で女性に対する魅力に溢れている。フィクション(虚構)の世界なんだから、どのような人物設定も可能なんだけど、ボケ~とテレビを観ている白人娘たちは洗脳されていることに気がつかない。ファッションで黒人とセックスしたら、黒い赤ん坊が生まれてしまい、ショックを受ける事態にまで頭が回らないのだ。

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(左: 黒人と白人とのベッド・シーン  /  右: 白人と黒人の夫婦と混血児)

  西歐系アメリカ人というのは、戦闘になると抜群の能力を発揮するが、平時になると驚くほど警戒心が低くなる。心理戦を学んだはずの軍人でさえ、日常生活や娯楽作品で「心理操作」が行われていることに気づかないのだ。『バンシー』はユダヤ人や同性愛者、中東アジア人などによって作られているから、基本的に西歐系アメリカ社会を尊ぶようなことはない。昔のアメリカ人なら、レベッカのようなキャラクター設定でキリスト教徒が侮辱されれば激昂したはずだし、ジョブのような両性具備のアジア人が出てくれば目を背けるのが普通だった。黒人男性と白人女性のベッド・シーンなどもってのほか。制作責任者の進退問題にまで発展してしまうだろう。ところが、1980年代以降、多民族・多文化主義の勃興により、左翼勢力のやりたい放題になってしまった。主役級の男優や女優はまだ白人なんだけど、物語の内容は反西歐的になっていたりするから、アメリカのドラマは複雑な事情を抱えていると言えよう。まぁ、『バンシー』は肩肘張らずに楽しめる娯楽作品となっているから、政治的な意味合いは薄いのかも知れない。それにしても、アメリカでは何でも起こりうる、という雰囲気がある。日本だと、地方の片田舎であんなギャングの抗争は無い。アクション映画の舞台はいつも東京で、東北や四国の小さな村で起きる事件なんて、猫が電柱に登って降りられなくなったとか、スズメバチの巨大な巣が発見された、といった程度なんだから。それに、いくらSF映画といえども、東京の新宿や渋谷に武器を持ったターミネーターは現れない。やはり、アーノルド・シュワルツネッガーが歩くのは、異人種が混在するロサンシェルスに限る。日本は平和すぎるのか、元州知事が銀座を喝破しても、「アリナミンA」の販売員に見えてしまう。とにかく、安心して住めるのは日本の方だよね。
  



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(左: 『太陽を盗んだ男』に出演した沢田研二  / 右: 刑事役の菅原文太 )

  どうもこのところ邦画がつまらない。なるほど、二、三十年前と比べれば映画の撮影技術は飛躍的進歩した。しかし、作品の質が高くなったのか、と言えば首を傾げてしまうのが現在の状況だ。最近の興行収益を見ると、上位はほとんどがアニメ作品となっている。最近だと、人気シリーズの『名探偵コナン』とか『ミニオン』『ドラえもん』などが上位を占め、その下に百田尚樹・原作の『海賊と呼ばれた男』が続いているらしい。確かに、子供向けの映画は親も一緒に観る破目になるから、どうしても入場者数が増えてしまうのだろうが、大人が楽しめるような邦画が少なくなっているのも事実だろう。「昔は良かった」とは言いたくないが、昭和の頃の方が映画やTVドラマを真剣に作っていたんじゃないか。こんにちの映画監督が怠け者という訳ではないが、前もって成功が約束された作品しか撮影できないのだろう。現在のTVドラマだと漫画か小説が原作となっており、それがヒットすれば映画になるといったパターンになっている。

  そもそも、2時間枠のTVドラマ程度の作品なのに、劇場用にしているんだから、観客数が伸びないのは当然だ。まともな大人は暇じゃないから観ないだろう。銀幕に映る役者が素人のお嬢ちゃんや、大根役者としか思えない人気アイドル歌手じゃ洒落にならない。例えば、いくら水谷豊が出演しているからといって、無料で放送しているTV版の『相棒』を、お金を払って劇場で堪能するのか? 失敗を恐れる配給会社と制作スタッフは、ある程度の観客数が見込める映画ばかりを作ろうとする。だいたい、アニメ化で充分の漫画を実写化にするなんて、素材の風味を殺すためにご馳走を作るようなものである。『進撃の巨人』や『ジョジョの奇妙な冒険』を実写化したって失敗するに決まっているじゃないか。それでも映画化にこだわるのは、他に映画用のオリジナル脚本を作れないからだ。要するに、博奕を打つことが怖い。失敗を恐れるあまり、未知の原作に大金を投資できないのだろう。今の映画会社は収益至上主義に陥ってしまい、無謀な「挑戦」よりも無難な「お仕事」を選んでしまうのだ。

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(左: 長谷川和彦   / 中央: レナード・シュレーダー  /  右: 沢田研二)

  昭和50年代は庶民文化の黄金期で、流行歌には特色とオリジナリティーがあったし、TVドラマにも名作が多かった。映画界にも意欲作が豊富で、ベテランから若手の監督まで、様々なジャンルに取り組んでいた。そんな時代の作品の一つに『太陽を盗んだ男』がある。これは1979年の作品で、監督は長谷川和彦。原作はレナード・シュレーダー(Leonard Schrader)が担当したが、映画化に当たり長谷川氏が共同脚本を務めていた。シュレーダーは日本に詳しいそうで、『男はつらいよ』の共同脚本を手掛けたほか、三島由紀夫の映画にも取り組んだことで知られている。『太陽を盗んだ男』という映画を思いたい出したのは、北鮮が存亡を賭けて核開発に邁進しているからだ。ご存じの通り、北鮮は貧しい小国だが、核兵器を持つことで日米を恫喝するキー・プレイヤーになろうとしている。たとえ通常兵器で劣っていても、最終兵器の核ミサイルを保持していれば米国による斬首作戦の抑止力になるし、日本国政府を脅すことも可能になる。したがって、北鮮は核開発を諦めない。金正恩は毛沢東を見倣っており、国民が飢え死にしようが核兵器を手にすると決めているのだ。

Taiyo 5( 左  /  原発を下見する城戸誠  )
  『太陽を盗んだ男』はフィクションだが、一個人が警察機構を脅迫できたという点で、国際政治に通ずるものがある。物語は中学校で理科を教える城戸誠(きど・まこと / 沢田研二)が、原子力発電所を襲って核燃料を強奪し、自分の部屋でプルトニウム型の原子爆弾を作るという設定になっている。映画の冒頭に城戸が東海村にある原発を下見する場面があり、獲物を狙う城戸の目つきが非常に印象的だ。彼は燃料を奪うために武器を調達しようと考えた。そこで、城戸は部屋にやって来る野良猫を捕まえ、催眠ガスの詰まったスプレーを吹き付けて、その効果を確認する。ある晩のこと、彼は老人に変装し、交番に勤務する警察官のもとへ赴くと、彼に催眠スプレーを吹き付けて拳銃を奪った。この巡査を演じていたのは水谷豊。

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(左: 老兵を演じた伊藤雄之助  /  右: 人質となった城戸と山下 )

  怖ろしい計画を目論む城戸であるが、普段は中学校で理科を教える冴えない教師だ。受験勉強には必要の無い原子爆弾の話を授業で行ったりして生徒の不評を買っている。そんなダメ教師は生徒を連れた遠足でバスジャックに遭ってしまう。息子を戦争で亡くしたという狂った老兵がバスを乗っ取り、城戸を含めた生徒を人質にして江戸城(いわゆる「皇居」)へ迎えと命じる。伊藤雄之助が演じているこの老兵は、帝國陸軍の亡霊みたいな姿をしているのだが、なぜか最新式のアサルト・ライフルと手榴弾を持っていた。役柄は滑稽だが、ベテラン俳優の伊藤が演じると妙に板に付いている。ハイジャック犯の老兵こと山崎留吉は、駆けつけた警官隊に向かって、「天皇陛下に会わせろ !」と要求した。この時、犯人との交渉役を務めたのは、山下満州男(菅原文太)警部。彼は自ら進んで人質となり、捨て身の行動で老兵のライフルを掴み、山崎を逮捕しようとする。警察の狙撃隊はその瞬間を逃さず、犯人を撃ったことで山崎を取り押さえることができた。この事件が切っ掛けで、城戸は山下警部と顔見知りとなる。

禁断の兵器を手に入れる

Taiyo 3(左  /  核燃料を盗み出す城戸)
  クライム・サスペンスというのは、観客がいつの間にか犯人と一体化して、禁じられた悪を楽しむところに醍醐味がある。奪った拳銃を携帯して原子力発電所に侵入した城戸は、警備員に察知されたが見事プルトニウムを盗み出すことに成功した。たぶん、硝酸プルトニウム溶液だと思うんだけど、城戸は盗んだカートリッジからよく解らない紫色の液体を取り出し、化学処理をしてプルトニウム239を得ようとする。理科の宿題に取り組む良い子のみんなは、原子炉の燃料に使われる「天然ウラン(ウラン238が99.3%とウラン235が0.7%)」と「兵器級プルトニウム(Weapon Grade Plutonium)」の違いに気をつけてね。物理か化学の先生に訊けば、ウラン238が中性子を吸収して、陽子数92と中性子数147のウラン239となり、それがベータ崩壊を起こしてネプツニウム239となるんだ、と教えてくれるから。ちなみに、このネプニウム239(陽子数93と中性子数146)がベータ崩壊をして、原子番号94のプルトニウム239となるわけだが、なぜプルトニウム239の方がウラン235よりも核分裂を起こしやすいかについては、理科の先生に尋ねてね。でも、「うひひぃ、核爆弾の製造って面白いんだ !」と笑顔で説明してくれる先生って、親切なんだろうけどちょっと怖い。

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(左: プルトニウム球を作る城戸  / 右: 製造室になった自分の部屋で成功を喜ぶ城戸 )

  話を戻すと、狭い部屋で核爆弾を密造する城戸は、製造過程で致命的なミスを犯す。沈殿物を台所のオーヴンで加熱処理をしている時、つい野球中継に夢中になってしまったのだ。彼はオーヴンの中で炎が出ていることに気づかず、煙が出てたことで事態を認識し、急いで消火器を持ち出し鎮火に努めるが、油断していた城戸は被曝してしまう。それでも、彼は放射線を浴びていないと慢心して精製を続けた。そして、城戸はついに銀色に輝くプルトニウムの塊を作り上げた。原爆を手にした城戸は欣喜雀躍。彼は達成感に酔いしれていた。何しろ、単なる学校教師過ぎない一個人が、国家を揺るがすほどの最終核兵器を手にしてしまったのだ。背中に翼が生えて昇天しそうな勢いである。ただ可哀想なのは、部屋に入ってきた馴染みの野良猫が、戯れに金属プルトニウムの断片を嘗めてしまい、コロっと死んでしまうことだ。

Taiyo 4(左  / 核爆弾を作る城戸 )
  プルトニウムの球体を1個手にした城戸は、本物の爆弾と見本用の爆弾を作り、見本用にはプルトニウム球の代わりに梅干しとプルトニウムの断片を入れることにした。彼は本当の核爆弾を持っていることを証明するために、この見本を警察に送り届けようとしたのである。そこで、城戸は妊婦に変装して国会議事堂に入ると、議事堂内の便所に見本用の爆弾を置き、その場で警察庁に通報したのである。警察庁に呼び出された専門家の市川博士(佐藤慶)は、偽爆弾の中に仕込まれていた金属片を調べて驚愕する。本物のプルトニウム爆弾と解った警視庁長官は、変声器を使って電話を掛けてくる城戸に渋々ながらも従う。城戸は交渉役に山下警部を指名する。電話越しに山下から名前を訊かれると、城戸は大胆にも「九番」と名乗った。8つある核保有国に続く「九番目」の核保有者だからだ。調子に乗った城戸は、警察にふざけた要求を突きつけた。それは、いつも試合前に終了するナイター中継の延長だった。すると、彼の無理難題は承諾され、野球中継の延長がなされる。勝ち誇った城戸は満面の笑みを浮かべ、警察を屈服させたことに有頂天となった。

Ikagami 1(左  /  零子を演じた池上季実子)
  ところが、彼には一つ悩みがあった。怖ろしい爆弾を作ってはみたものの、それを以て何をしたいのかが分からなかったのだ。そこで、ラジオのDJをしている沢井零子(通称「ゼロ」/ 池上季実子)に電話を掛け、どんな要求が良いのかリスナーに募集させることにしたのだ。色々な提案がなされたが、結局、零子が述べた「ローリングストーンを招いてコンサートを開かせろ」という要求に決まってしまった。なぜなら、かつてストーンズのメンバーが大麻を所持していたので、それ以降ストーンズの来日公演が不可能となり、零子は苛立っていたからだ。リスナーの興味を惹くことしか頭に無いDJは、半ば「世紀の犯罪」を楽しむように日本国がストーンズを連れてこい、と要求したのである。左翼かぶれの長谷川監督は、零子を叛逆的な娘に設定していたのだ。匿名の電話を受けるDJの零子は、不審な城戸を追いかけているうちに彼を好きになってしまった。それゆえ、警察から犯人のモンタージュ写真作成に協力するよう頼まれても、城戸を特定するような写真にはせず、別人の顔を主張していたのである。

Taiyo 6(左  /  警察に脅迫電話をかける城戸)
  原爆製造のために高利貸しから金を借りていた城戸は、借金取りに付け回されたので、ついに5億円を警察に要求することにした。城戸が繁華街にある喫茶店を指定したので、山下警部率いる捜査班はそこで待機することになる。警察は犯人からの電話を受け取り、指図された通りに動くが、ある秘策を持っていた。一方、城戸は渋谷の東急百貨店から電話を掛け、現金引き渡しの方法を提示する。ところが、警察の逆探知にあって居所がバレてしまう。間髪を置かず百貨店の出入り口が警官隊によって封鎖され、城戸は店内から逃げ出すことができなくなってしまうのだ。変装用の髭を整える為にトイレに入った城戸は、鏡に映った自分の歯茎から血が出ているのに気づく。ここで彼は自分が被曝したことを悟る。動揺した城戸は便所の中で拳銃自殺を図るが、恐ろしさのあまり引き金を引くことができない。気を取り戻して山下警部に電話を掛けた城戸は、捜査チームに取引を持ち掛けた。すなわち、爆弾のありかを教えるから警察の包囲網を解けという要求だ。意外なことに、城戸が指定した喫茶店に爆弾が隠されていたのである。こうして、城戸は逃走と引き替えに“切り札”を失ってしまった。

何とも間抜けな追跡劇

  一般向けの娯楽映画には、荒唐無稽な設定や脚本が多い。零子と親密になった城戸は路上でマツダのRX-7を盗み、彼女を煽てて爆弾の保管場所を聞き出した。押収された爆弾は警察署ビルの屋上近くの部屋に保管され、そこには多くの刑事が詰め込んでいる。しかし、城戸は強行突入を図った。屋上からロープを垂らしたのか、そのロープを摑んだ城戸はターザンの如く足で部屋の窓ガラスをぶち破り、拳銃片手に飛び込んできたのだ。現在の我々なら、「えぇぇぇ! そんな無茶な ! あり得ない !」と呆れてしまうが、昭和の頃は何でも“あり”で許されていた。狭い部屋の中で銃撃戦を繰り広げ、城戸は傷一つ無く刑事たちをやっつけると、爆弾を奪い去って建物を後にした。こんな芸当ができるのは、X-メンのミュータントかターミネーターくらいである。シルヴェスター・スタローン扮するジョン・ランボーでも無理。普通なら城戸が銃弾の嵐を浴びて、蜂の巣になるのが関の山だ。

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(左: トレーラーを飛び越えるマツダRX-7 : トレーラーの裏にジャンプ台が見える  / 右: ジャンプして道路に着地したRX-7 )

  もっと凄いのは、クルマに乗った城戸と零子が、追跡してくる山下警部やパトカーの群れを振り切ったことだ。「ボニー・アンド・クライド」を意識したんだろうが、警察が道路を封鎖してしまえば一巻の終わりである。でも、そこは映画だから、主人公の逃走は不可能ではない。この逃走劇にはオマケが附いていて、零子は警察の犯人追跡をラジオで流すため、放送局にヘリコプターを用意させ、上空から仲間に指示を出して記録させたのだ。マツダRX-7のサンルーフから半身を乗り出して実況中継する零子は、逃走幇助に関する罪悪感が一切見られず、むしろ手に汗握る犯罪を楽しんでいるかのようだった

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(左: トレーニラーの車体に突っ込む山下警部のクルマ  /  右: トレーラーの下をくぐり抜ける山下のクルマ)

  このカーチェイスには度肝を抜く程のアクロバット走行があった。猛スピードで城戸が運転するRX-7は、交叉点で大型トレーラーと激突寸前となる。ところが、何故かクルマが空高くジャンプして、トレーラーの上を飛び越えてしまうのだ。映像をよく観ると、トレーラーの反対側にジャンプ台が隠されていて、それをRX-7が駆け上ってジャンプしたと判る。しかし、その直後に現れた山下警部のクルマは、何も無いトレーラーの車体下をくぐり抜け、その狭さゆえに屋根の部分とフロントガラスが剝がれてしまうのだ。観客は「あれ ! ジャンプ台が無くなっている !」と気づくが、そこは大目に見ているから野次を突っ込まない。でもさぁ、どうして素人の学校教師がスタントマン顔負けの運転ができるんだ? 信じられないけど、城戸の運転テクニックはA級ライセンスものだった。

Taiyo 1(左  / ヘリの搭乗ステップに摑まる山下 )
  不思議な事は他にもあった。激しいカーチェイスの末に、山下警部の車は横転し、燃料以上の大爆発を起こしてしまう。(撮影秘話になるが、山下役の菅原文太は爆発のタイミングが打ち合わせよりも早かったので、本当にビックリしたそうだ。たぶん、監督が臨場感を出すために、菅原文太を騙したんだろう。) 執念の鬼と化した山下警部は、クルマを失っても追跡を諦めない。警察の追跡を逃れた城戸と零子は、高飛び用のヘリが来たと思い、Rx-7でヘリの方へと向かうが、そのヘリには何故か山下警部がぶら下がっていた。監督による無茶な演出なんだろうが、役者は黙って従うしかない。山下警部はヘリの搭乗ステップに片手で摑まり、ぶら下がりながら拳銃を発砲したのである。すると、偶然にも一発の銃弾がRX-7のフロントガラスを貫き、助手席に乗っていた零子に当たってしまうのだ。

Taiyo 2(左  / 車内で瀕死の零子と城戸 )
     しかも、クルマは横転して走行不能となる。瀕死の零子は城戸に生き延びるよう言い残し息を引き取った。一方、山下警部は焦っていたのか、ヘリがまだ空を飛んでいるのに、無謀にも搭乗ステップから手を離し、30mないし40mの上空から飛び降りたのだ。我々なら「えぇぇっっ、そんな ! ちゃんと着陸してからヘリを降りればいいのに !」と考えてしまうが、長谷川監督は派手なアクションにこだわったのだろう。案の定、山下警部は地面に叩きつけられた。犯人逮捕を目的とする山下警部なのに、わざとヘリから飛び降りて脚を負傷するんだから、何とも間抜けな話である。それでも、激痛にもがき苦しむ山下警部は、城戸に向かって拳銃を発射する。しかし、所詮は無駄なあがきで、まんまと逃げられてしまう。

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(左: 絶命した零子  /   右: バッグに核爆弾を入れて逃走する城戸)

  もうメチャクチャなカーチェイスだが、これも昭和ドラマの特徴である。冷静に考えれば、山下がヘリに乗ってクルマを上空から追跡し、応援のパトカーに情報を与えればいいだけの話だが、それでは見せ場が無くなってしまうから駄目。問題の多い逃走劇であったが、そのシーンに流れてくるBGMだけは例外的に良かった。有名な井上堯之(いのうえ・たかゆき)が手掛けた曲だから当然なのかも知れないが、どことなく哀愁が漂うメロディーになっていて、激しい逃亡シーンなのに不思議なくらい静寂な雰囲気が漂っていた。また、必死で追跡を振り切ろうとする城戸であったが、彼の表情には悲壮感はなく、却って生命力に溢れていた。逮捕されるという恐怖より、「生きている」という実感が彼にはあったのだろう。奇妙なことに、城戸はテロ攻撃に関する目標が無い。むしろ、核爆弾という最終兵器を以て警察機構を脅迫する事にスリルを感じていた。おそらく、城戸は巨大な権力を相手とする事に「生き甲斐」を見出していたんじゃないか。禁断の兵器製造に情熱を注ぐ城戸にとって、学校の仕事なんて退屈極まりない。それよりも、大胆な犯罪で世の中を支配する方が性(しょう)に合っている。核爆弾こそが彼を権力者にする唯一の手段であった。こう考えれば、なぜ彼が目的の無い脅迫を続けていたのかが解る。

偶然が重なる運命

Sawada 5(左  /   山下刑事と挌闘する城戸)
  突っ込み所は色々あるが、映画はクライマックスへと向かう。城戸の要求が通ってローリングストーンズの来日公演が実現した。日本武道館で犯人を待ち伏せる山下警部のもとに、拳銃を隠し持った城戸が近づいてきた。新聞に銃を隠した城戸は、話があるから別の所に移動するよう山下に迫った。城戸はカバンに入れた核爆弾を抱え、山下と共に武道館近くの建物に入って行く。山下を屋上に連れ出した城戸は、彼に手錠を掛け問答を始めた。しかし、山下警部は城戸の隙を見て足元の石を拾い、反撃のチャンスを窺う。そして、城戸が油断した瞬間にタックルをかけて乱闘に持ち込んだ。激しく絡み合う二人だが、拳銃を持っていた城戸が明らかに有利だった。彼は山下に銃弾を数発撃ち込み、血塗れの山下は絶命寸前となる。

Sawada 19( 左 / 城戸を道連れにする山下 )
  しかし、瀕死の山下は最後の力を振り絞って城戸を抱きかかえた。山下は彼を道連れにするつもりで屋上から飛び降りたのである。ところが、運命の女神は城戸に微笑んだ。彼は建物の電線に引っ掛かって一命を取り留めたのである。(何ともラッキーというか、うまく出来過ぎている。) 一方、山下警部は路上に激突して即死。ビルから落ちる瞬間、城戸が手放してしまった爆弾も、これまた運良く木の枝に引っ掛かったので無事だった。この映画には“ちょくちょく”あり得ない展開があるけれど、昭和50年代の日本人は無茶な設定に慣れていたから、多少の「ウルトラC」には寛容だった。

Sawada 17(左  /  繁華街を歩く城戸)
  運良く危機を脱した城戸は、核爆弾を抱えて繁華街を歩く。爆弾にセットされた時計の秒針が音を立てて、時を刻んでいる。そして、轟音が響き渡るシーンで物語は幕を閉じた。実際に核爆弾が炸裂したのかどうかは定かではない。長谷川監督によると爆発していないそうだ。映画ファンとしては、キノコ雲が立ち上がる映像でラスト・シーンにして欲しかった。原作者のシュレーダー氏によると、当初は大金を摑んだ城戸が零子と逃亡に成功し、ブラジルかどこかの外国に高飛びするという脚本だったという。(最初のタイトルは「日本を強奪した奴(The Kid Who Robbed Japan)」であったそうだ。) しかし、そうした結末を長谷川監督が却下したので、当初のストーリーが変更されたそうである。

  たった一個の核爆弾で、個人が国家と対等になる、という恐怖が『太陽を盗んだ男』の主題となっている。これは北朝鮮についても当て嵌まる話で、貧乏国の北鮮が核ミサイルを保有することで、超大国のアメリカと同じ土俵に立つ事ができる。これだから、金王朝が核兵器開発に執念を燃やすのも当然だ。たとえ、通常兵器が貧弱でも、破壊能力が高い核兵器を手にすれば強国と対等なテーブルに着くことができ、自国の運命を“自分で”決めることができるのだ。米国の属州(保護領)になっている日本とは対照的である。確かに、我が国は物質的に豊かで、陸海空の通常兵器にお金をかけている。しかし、日本は独立国ではない。なぜならば、自分で自分の運命を決められないからだ。同胞を拉致されても、僅かな経済制裁しか対抗手段が無く、特殊部隊による奪還作戦とか軍事的な報復行動は端っから無い。拉致被害者家族が頼るのは、日本の総理大臣じゃなくて、宗主国の元首たる合衆国大統領。日本政府が出来るのは、北鮮に「経済援助」を貢ぐだけ。つまり、核兵器を持った怖い敵国に、厖大な税金を献上して慈悲を乞い、願わくば邦人を返していただければ、と土下座するのがせいぜい。日本人を拉致した廉(かど)で北鮮人皆殺し、なんて夢物語。しかも、国内には北鮮贔屓やその手下がウヨウヨしているから、「軍隊は違憲だ ! 核兵器保有に絶対反対 !」との世論が沸き起こるのは、火を見るより明らかだ。

  金日成や金正日の野望を受け継ぐ金正恩は、核兵器をネタに犯罪ゲームを楽しむ小僧じゃないぞ。金王朝は核兵器開発を絶対諦めない。核兵器こそ北鮮の命綱である。もし、米国と妥協して核兵器開発を断念した瞬間に、北鮮は国際政治の波に揉まれて消えゆく「捨て駒」になるはずだ。悔しいけど、北鮮には独立国の気概がある。一方、我が国は豊かな下僕が住む儚い楽園だ。もし、日本が核保有国になれば、南北朝鮮はおろか、支那やロシア、アメリカでさえ我々を侮ることが出来なくなる。日本が独立国となるのは、支那やロシアが譲歩する程の核兵器を保有した時である。日本を核攻撃すれば、自国も完全に消滅するという恐怖を、相手国が解った時、日本人は交渉の切り札を持つことになるからだ。とは言っても、日本国民に城戸のような度胸があればの話だが。今や日本人は「サムライ」じゃくなて、「憎みきれないろくでなし」程度。これじゃあ、「勝手にしやがれ」と言いたくなる。(今の高校生だとジュリーの名曲は知らないだろうなぁ。)
  


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