無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

映画・ドラマ評論

ナタリー・ドロンの遺産 / 華やかな残骸たるフランス

血統による民族の保存

France 02Immigrants in France 2








   第21世紀の歐米諸国と日本で顕著なのは、左翼による国家破壊と国民の質的変化である。先進国というのは、外敵からの直接攻撃に対しては断固として対抗するが、同国民が引き起こす内乱や合法的な文革に対しては頗(すこぶ)る脆い。なるほど、「ペンは剣よりも強し」で、核ミサイルを用いずとも国家は崩壊する。もし、伝統社会の転覆を謀る極左が教育界を牛耳れば、やがて赤く染まった子供達はデストピアに明るい希望を抱き、祖父母が残してくれた恩恵には見向きもしないだろう。それどころか、積極的に「親殺し」を実行する虞(おそれ)さえある。左翼ウィルスが国民の間に蔓延すると、それを治療するのは至難の業で、革命思想で精神が狂った若者は、戦慄のリスト・カットを快楽と見なし、手首だけでは飽き足らず、太股や脇腹、首筋にまで刃物を突き刺して喜ぶ。これに加えて、移民の流入となれば、絆を持たない異邦人や混血児が激増し、統一国家はバルカン半島へと変化するだろう。

  リベラル思想に汚染された人々には理解しがたいけど、国家の繁栄や安泰には連続した歴史が必要だ。進歩思想にかぶれた国民というのは、「改革、改革 !」と叫びながら段々と不幸になる。一方、「因習」と馬鹿にされながらも、民族の伝統や歴史を大切にする“古い国民”は、けっこう幸せになることが多い。例えば、王室や貴族を抹殺した国民は、根無し草の浮浪者となり、政変と革命を繰り返す。しかし、いくら政治体制を替えても、国家の凋落に歯止めが掛からず、気がつくと別の国家になっていたりする。ブルボン王朝を潰したフランスが衰退の泥道を歩み、スチュアート王朝を復活させたブリテンが繁栄したのを思い出せば解るじゃないか。国家というのは一種の生命体で、その國體は悠久の時間をかけて成長するものだ。共和国よりも君主国の方が、何となく安心感があるのもそのせいだろう。とまぁ、小難しく述べてしまったが、要するに国民が昔ながらの生活様式と訣別し、人々の容姿や人種が変わってしまえば、自国が異国になってしまう、ということだ。

  最近、フランスの有名女優、ナタリー・ドロン(Nathalie Delon)が亡くなったので、筆者としてはとても哀しく、「一つの時代が終わった」という気分である。小学生の時に観た『個人授業(La Leçon particulière)』はとても印象的で、「フォンタナ」という同棲相手を持つフレデリック(ナタリー)が「オリヴィエ(ルノー・ヴェルレー)」という青年と恋に落ちるストーリーは、子供にとっても興味深いストーリーであった。しかし、一番印象的なのは、オリヴィエがフレデリックとの将来を見出せず、彼女を元の鞘に戻そうと、喧嘩別れしたフォンタナに彼女の居場所を知らせ、何事も無かったかのようにフレデリックのもとを去るシーンである。悲しみを隠しながら、フレデリックに笑顔を見せるオリヴィエのラスト・シーンは今でも心に残っている。令和の小学生だと、「フォンタナという大人のパートナーがいるのに、若い男と情事を重ねるなんて」と非難するが、昭和の時代だと不倫も文化の一つであった。

Renaud Verley 01Natalie Delon 3Lamborghini Miura 2







(左 : 「オリヴィエ」を演じたルノー・ヴェルレー / 中央 : 「フレデリック」を演じたナタリー・ドロン / 右 : ランボルギーニ・ミウラ )

  また、別の意味で印象的だったのは、フレデリックが運転していたフォンタナ(レーサーの恋人)のクルマが、あの「ランボルギーニ・ミウラ」であったからだ。このスポーツ・カーは美しいボディーラインを特徴とし、V12気筒のミッドシップ・エンジンを搭載したTP400の完成車である。ただし、ランボルギーニ社が手掛けたのはエンジンと骨組みだけで、ボディーのデザインは「ベルトーン社(Bertone)」のマルチェロ・ガンディーニが担当した。1967年から68年にかけてランボルギーニ社の新車が販売されると、そのデザインに魅了された世界中のカー・マニアは、こぞって購入を決めたらしい。クルマ好きの日本人も圧倒的なミウラのデザインに魅了され、1975年(昭和50年)に『少年ジャンプ』で『サーキットの狼』が連載されると、巷の子供達はこの漫画を貪るように読んでいた。

Alain Delon 2Nathalie Delon 82Anthony Delon 222Alyson Le Borges 7








(左 : アラン・ドロン / ナタリー・ドロン / 息子のアンソニー・ドロン /  右 : 孫娘のアリソン・ル・ボルジ)

  話が脱線したので元に戻す。ナタリー・ドロンの映像を久しぶりに拝見し、彼女とその子孫の写真をじっと見つめると、家系の重要性というか民族の連続性、ないし「血の遺産」という意義を改めて痛感する。なぜなら、ナタリーの孫娘であるアリソン・ル・ボルジ(Alyson Le Borges)は、祖母とよく似ているからだ。ナタリーの元夫は日本でも有名なアラン・ドロン(Alain Delon)で、二人の間には「アンソニー(Anthony Delon)」という息子が生まれている。このアンソニーがダンサーのマリー・エレーヌ(Marie-Hélène Le Borges)と付き合って生まれたのがアリソンだ。ただし、当時(1986年頃)のアンソニーは迷える青年で、父親になることを望んでいなかった。それゆえ、父親の自覚が無いアンソニーは、この娘を自分の子として認めていなかったそうだ。しかし、段々と愛情が芽生えてきたのか、2008年にアリソンを認知したことで二人はようやく和解した。

  フランス人というのは大革命でキリスト教を排斥し、伝統的生活を破壊したからなのか、極端な個人主義や左翼思想に深く陥っている。結婚もしないで同棲するカップルは多いし、たとえ結婚しても教会で式を挙げることはなく、役所に種類を提出して夫婦となる人々も少なくない。仲には同棲のまま子供をもうける者や、婚外子を産んで未婚の母を貫く者も多いそうだ。こんな塩梅だから、ケルト系白人の出生率が低下し、離婚する夫婦も多くなるのは当然だ。しかし、日本の知識人はフランスで結婚率が上がったとか、新生児の数が増えたと騒いでいる。が、それはイスラム圏から移民が流入したからで、決して西歐系のガリア人が増えた訳じゃない。

Alain Delon 32Alain Delon & Romi Schneider 1Natalie & Alain Delon 111111Alain Delon & Rosalie 01







(左 : ダンディーなアラン・ドロン /  アランとロミー・シュナイダー /  アランとナタリー・ドロン/  右 : アランとロザリー・ヴァン・ブリーメン)

  2019年8月に亡くなったアラン・ドロン(享年83)は、4人の子供や孫を残していたが、家族関係は複雑で、付き合った女性も様々だ。ドイツ人女優のロミー・シュナイダー(Romy Schneider)との仲は有名であるが、その交際中にアランはドイツ人モデルで歌手の「ニコ(Nico / Christa Päffgen)」と浮気をしてしまい、彼女は「アリ(Ari / Christian Aaron Boulogne)」という息子を産んでしまう。ロミーと別れたアランは、美人女優のナタリーと結婚し、アンソニーをもうける。しかし、その結婚も長くは続かず、彼は女優のミレール・ダルク(Mirelle Darc)と付き合ってしまう。

  ところが、この同棲関係も破綻を迎え、再び独身に戻ったアランはロザリー・ヴァン・ブリーメン(Rosalie van Breemen)と交際して二人の子を授かる。1990年にアノスカ(Anouchka)という娘が生まれ、1994年にはアラン・ファビアン(Alain Fabien)という息子が生まれた。これにより、アノスカはアランの孫娘であるアリソンの叔母となる。つまり、アノスカはアリソンよりも4歳下なんだけど、法律上は「姉」のようなアリソンの「叔母」となってしまうのだ。日本でも稀にこういうケースがある。とは言っても、アランからすればアリソンも娘みたいな存在で、彼女とアノスカは姉妹と呼んでもいいくらいだ。また、55歳くらいの頃に生まれた娘だから、アランがアノスカを溺愛してもおかしくはない。

Alain Fabien Delon 4Anouchka Delon 16Alyson Le Borges 111








(左 : アラン・ファビアン・ドロン / 中央 : アノスカ・ドロン / 右 : アリソン・ル・ボルジ )

  アラン・ドロンの子供や孫を目にして思うのは、彼らが見事にアランの遺伝子を受け継いでいることだ。息子のアンソニーやファビアンが父親と似ているのは当然なんだけど、孫娘のアリソンも祖父とソックリの瞳を持っているし、祖母であるナタリーの面影を色濃く残している。これがもし、アランがギニア人女性と結婚していたら、アンソニーは黒人との混血児となり、そのアンソニーがベトナム人と結婚すれば、アリソンの容姿はどうなっていたことか。ナタリーだってアランと恋に落ちず、褐色のアラブ人と結婚すれば、生まれてくる息子はヨーロッパ人とは違った容姿になる。そして、二人の息子がパキスタン人と結婚して娘をもうければ、アリソンとは異なるタイプの「フランス人」となるだろう。

  フランス人はフランスで誕生した子供は誰でも「フランス国民」になり得ると考えるが、日本人は出生地主義(jus soli)ではなく血統主義(jus sanguinis)で国籍を考えるから、非ヨーロッパ系の混血児を「フランス人」とは思わない。これは日本人カップルについても当て嵌まる。例えば、津軽出身の日本人(夫)と名古屋出身の日本人(妻)がフランス国籍を取得し、パリで結婚し、娘をもうければ、その少女は「パリジェンヌ」と呼ばれるだろう。しかし、この夫婦が日本に帰国し、彼らの娘が日本の中学校に通い出せば、ちょっとした“問題”が生じてくる。なぜなら、日本人の中学生は、生まれながらの「フランス国民」である転校生を「フランス人」とか「パリジェンヌ」とは思わないからだ。法律はどうあれ、日本人夫婦の間に生まれた子供なら、何処で生まれようが「日本人」である。いくら、彼女がフランス人のようにフランス語を流暢に話し、フランス流のマナーを身につけようが、外見がコテコテの日本人なら「日本人」でしかない。

  大阪の子供は正直に育つので、黒谷友香みたいな女性なら、ぎりぎり「パリジェンヌ」と認めるだろう。しかし、山田花子みたいな少女だと絶対に無理。学校の悪ガキどもは「アホか !」と罵倒し、「どこがパリジェンヌやねん ! お前なんか宝ジェンヌにもなれへんわ !」と叱り飛ばす。「タカ&トシ」みたいに「歐米か !」と突っ込みを入れてくれれば、まだマシな方だ。普通の同級生は「サンドイッチマン」の富沢みたいに、「何言っているのかわからない」と笑ってしまうし、意地悪な子だと便所に連れ込んでシバきまくる。イジメられた少女は、気取ったフランス語を捨て去り、必死で大阪弁を学ぶことだろう。

Rene Martial 1(左  / ルネ・マルシア )
  脱線したので話を戻す。現在は出生地主義で外人に国籍を与えているフランスでも、昔は血統主義を基にして移民を選別ないし排除していた。悪名高いのは医学博士のルネ・マルシア(René Martial)、彼は公衆衛生の専門家であった。マルシア博士はフランスにやって来る東欧人や南歐人、および北アフリカ系の移民を入国させるにあたり、民族的特徴や健康状態、心理状態を調べ、フランスに同化できるのかどうかを審査しようとした。彼は個人を検査するにあたって、血統や血液の質を重視したので、後の知識人から「偽科学の医者」と糾弾されることになった。しかし、彼の懸念は正しく、アラブ人やユダヤ人、アフリカ人などを「同化困難な人種」と判別したことは、非難されても決して間違いではない。

  地理学者のジョルジュ・モコ(Georges Mauco)も「レイシスト」の烙印を押されて批判されているが、当時(1930年代)のアメリカでも優生学に基づく移民の選別は当たり前で、異民族の流入には反対論が多かった。最初、移民の選別に慎重だったモコも、ナチスの人種論に触発されて「科学的転換」を考えるようになり、奨励すべき移民と拒絶すべき移民を区別したそうだ。特に、彼はユダヤ移民に厳しかったから、ユダヤ知識人の恨みを買うことになる。例えば、ポーランド出身のスラヴ系労働者はOKだけど、ポーランド人を装って入ってくるユダヤ移民は駄目、としたからフランスのユダヤ人は猛烈にモコを憎んだ。日本人は暢気だから気づかないが、正体を明かさないユダヤ人の学者は、人道主義者の仮面を被って差別主義者のフランス人を咎める。だが、こうした「レイシスト」は祖国を異人種の波から守り、フランス人の肉体的変異を防ごうとしただけだ。

  1940年代、フランスはドイツに占領され、ヴィシー政権はユダヤ難民の帰化を取り消したり、ユダヤ系国民をナチスに引き渡したことで大々的な批判を浴びている。だが、フランス人が長年に亙る異邦人を追放することが、そんなに悪い事なのか? ドイツや東歐から非難してくるユダヤ人は、なぜフランスとかアメリカ、ブリテンを目指したのか? ユダヤ人差別が頻発するヨーロッパを避けて、エジプトやトルコに亡命すればいいじゃないか。もし、こうしたイスラム圏が厭なら、さっさとパレスチナに帰ればいい。ユダヤ人にとって故郷のイェルサレムは、異国のロンドンやパリよりも馴染みがあるはずだ。ヒトラーだってユダヤ人の帰還には賛成だったから、ドイツに住むシオニストの長老達と輸送の密約(Haavara agreement)を結んでいたのである。

  晩年のアラン・ドロンは愛国者になりたかったのか、右翼政党と目される「国民戦線」の支持を表明していた。たぶん、余生が長くはないと判っていたから、正直な気持ちを吐露したんだろう。もし、彼がまだ20代か30代の駆け出しなら、決して本音を吐くことはない。米国の名優マーロン・ブランドー(Marlon Brando)も晩年になってから、ハリウッドに跋扈するユダヤ人を批判していたが、もし若い頃であれば絶対に口にしないだろう。ユダヤ人の映画制作者がどんなに左翼でも、また穢らわしい小児性愛者や強姦魔、あるいは変態であっても、沈黙するのがハリウッドの掟である。米国の俳優は私生活でも演技が必要だ。たとえ、心の中で共和党に共感しても、表の顔では熱心な民衆党の支持者を装う。馬鹿らしいけど、生き抜くための智慧というは、所詮こんなものである。

Obama DC mansion 1Obama DC mansion 5







(写真  /  ワシントンD.C.に購入した邸宅)

  ケルト系のフランス人が祖国を「白人の国」に保ちたいと言えば、国内外の人道主義者から猛烈な批判を食らうだろう。ところが、意外にも黒人ですら白人だらけの社会を素晴らしいと思っている。例えば、人種問題になると目を輝かせるバラク・オバマは、活動家時代から大統領時代に至るまで、一貫して白人中心の西歐世界を非難していた。しかし、私生活ではちょっと違うみたいだ。それは、オバマが購入した邸宅を見れば分かる。ホワイトハウスを去ったオバマは、2017年、ワシントンD.C.に「豪邸(マンション)」を購入したが、これはシカゴの貧乏黒人が手にできる代物じゃなかった。何と、購入価格は810万ドルなんだって。(Emmie Martin, "The Obamas just bought an $ 8.1million mansion in Washington, D.C.", CNBC, June 2, 2017.) いやぁぁ~、さすが黒人と白人の格差を問題にする元大統領は違うねぇ~。シカゴに住む嘗ての仲間で、いったい何人がこうしたマンションを購入できるんだ? (米国でいう「マンション」は高層長屋じゃなく、「一戸建ての豪邸」を意味する。)

Obama mansion 1Obama mansion 3








(写真  / 「マーサズ・ヴァインヤード」に購入した豪邸 )

  さらに、慈悲深いオバマは女房子供のために奮発した。彼はマサチューセッツ州の高級住宅地である「マーサズ・ヴァインヤード(Marths's Vineyard)」に邸宅を買うことにしたのだ。約30エーカーの土地に1千175万ドルのお屋敷なんだから、ホント羨ましい。(Julia Wells, "President Obama Buys Home on Edgartown Great Pond", Vineyard Gazette, December 4, 2019.)  日本人の筆者にはよく判らないが、「エドガータウン・グレイト・ポンド(Edgartown Great Pond)」の附近には、どれくらい黒人やヒスパニックが住んでいるのか? まさか、裕福な白人ばかりが住む避暑地じゃないよねぇ~。たぶん、誰も近寄らない辺鄙な田舎なんだろう。でも、治安が良さそうだ。これは単なる憶測だけど、黒人が密集するブルックリンやボルチモアと比べたら、この干拓地は別世界なのかも知れない。余計なお世話になるいが、オバマの家族は黒人の隣人が居なくて寂しくないのか?

Obama family 02African 0032







(左 : オバマの家族  / 右 : バラク・オバマ大統領を愛するアフリカ人 )

  日本の大学教授やテレビの評論家は、観念論で移民排除やナショナリズムを否定するが、現実の世界に住む庶民は具体的な問題で頭を悩ませているる。例えば、地方の田舎に住む両親は、東京や大阪といった都会で暮らす息子や娘が心配で、どんな恋人を持っているのか、どういった素性の者と結婚するつもりなのか、と気が気じゃない。同じ会社で働く同僚とか、趣味のクラブで知り合った友人ならいいけど、ベトナムからの留学生とか、在日米軍の黒人兵だと卒倒するんじゃないか。また、たとえ日本国籍を有していても、横浜で生まれた華僑系の青年とか、不法入国者の家系に生まれた在日南鮮人、パチンコ屋で成功した帰化鮮人の娘だったリすると厭になる。確かに、生まれてくる初孫が朝鮮人や支那人ではガッカリだ。

  また、庶民にとって住宅の購入は、人生で最も大きな決断となる。なぜなら、数千万円の買い物となれば、銀行から借金をすることもあるし、ボーナスが減額されれば自宅を手放す破目にもなってしまうからだ。そうじゃなくても、30年ないし40年、あるいは死ぬまで暮らす「我が家」となれば、周囲にある商店とか病院、学校などが気になるし、どんな環境なのかも調べたくなる。目の前が墓場だと気が滅入るし、近くに工場や線路があるとうるさくて堪らない。同じ町内にアジア人コミュニティーが出現すれば、見る見るうちに不動産価格は暴落だ。さらに、子供が通う公立学校には移民の子供が増えて学力低下となる。そのうえ、不気味な外人が増えれば、商店街が寂れるか激変し、街の様子も一変するはずだ。高額所得者は高級住宅地に亡命するが、低所得の平民はアジア人の群れに埋もれて泣き寝入りである。人種平等を説くテレビ局の重役や国会議員の家族は、一体どんな地域に住んでいるのか? 高学歴・高所得の医者や弁護士は、埼玉県の西川口とか大阪府の西成区に自宅を建てるのか?

Leon Blum 1Pierre Mendes France 2Claude Levi Strauss 1Jacques Attali 002








(左 : レオン・ブルム / マンデス・フランス / クロード・レヴィ・シュトラウス / 右 : ジャック・アタリ )

  昔の日本人はフランスのパリを「華の都」と思っていた。しかし、現在のパリはバグダッドかイスタンブールみたいだ。道路沿いにはジプシーが作った掘っ立て小屋があるし、新たなドヤ街にはシリア人やイラク人の難民が住んでいる。さらに、アフリカの各地から黒い難民や移民も怒濤の如く押し寄せているから、昔ながらのケルト人を見つけることは困難だ。「右派組織」と称される「アクション・フランセーズ(Action Française)」が下火になると、フランスにおけるユダヤ人も大繁殖。過去を振り返ってみれば分かるけど、レオン・ブルム(Léon Blum)やマンデス・フランス(Pierre Mendès France))が首相となり、ハンガリーからやって来たニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)が大統領になった。学術界にもユダヤ人は多く、日本の左翼が大好きな哲学者のジャック・デリダ(Jacques Derrida)、人類学者のクロード・レヴィ・シュトラウス(Claud Lévi-Strauss))、人気作家のジャック・アタリ(Jacques Attali)、評論家のエマニュエル・トッド(Emmanuel Todd)などが「フランスを代表する知識人」として紹介されている。やがて「日本を代表する知識人」も、日本風の名前を持った支那系3世や朝鮮系4世といった人物になるんだろう。日本の没落というのは、国民の変質から始まるんじゃないか。
 



人気ブログランキング

燃え尽きた女優 / 華麗で悲しい人生を過ごしたロミー

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


好評発売中 !

炎で焼き殺された夫人

Romy Schneider 3Romy Scheider in Ludwig 3








  ここのところ、ウンザリするような自粛要請が続いるので、気分転換ではないが、久しぶりに映画について述べてみたい。最近の映画を観て“つくづく”思うのは、存在するだけで魅了される女優が少なくなったことである。確かに、世界的な人気を誇る女優は今でも存在するが、後々の世まで語り継がれる程のスターはどれくらい居るのか、正直なところ分からない。筆者が現在の演劇界に疎いせいかも知れないが、「大女優」として心に残っているのは、オーストリア出身のロミー・シュナイダー(Romy Schneider)である。

  映画ファンなら知っていると思うが、ロミーは亡くなってからもヨーロッパの映画界で人気が高く、最も印象深い女優の一人となっている。フランスで人気を誇ったロミーであるが、彼女は元々オーストリア出身の役者で、「ローズマリー・マグダレーナ・アルバッハ(Rosemarie Magdalena Albach)」というのが本名だ。彼女の母マグダ・シュナイダー(Magda Schneider)も女優で、『恋愛三昧』という映画に出演して名声を得たらしい。後に、娘のロミーも同作品のリメイクに出演し話題したから、今でも語り草となっている。彼女の父親ヴォルフ・アルバッハ・レティ(Wolf Albach-Retty)も役者で、妻となったマグダとの共演作品が9本もあるそうだ。(後に、彼女の両親は離婚となる。噂では、母のマグダがナチスの支持者であった事が理由の一つになっていたというが、本当のところは判らない。)

  16歳のロミーがヨーロッパで一躍有名になったのは、1956年に公開された『プリンセス・シシー』に出演し、「美貌のプリンセス」として名高い皇妃エリザベートを演じたからだ。このオーストリア映画は全ヨーロッパで人気を博す作品となり、1956年には続編の『若き皇后シシー(Sissi : Diejunge Kaiserin)』が制作された。すると、第二作目も大ヒット。この勢いに乗って、映画会社は1957年に第三作目となる『ある皇后の運命の歳月(Sissi : Schicksalsjahre einer Kaiserin)』を制作することに。「まさか、三匹目のドジョウなんて」と思いきや、これまた好評ときたから、会社のお偉方は大満足。しかし、ロミーはこの「嵌まり役」にウンザリしていたようで、嫌々ながらの出演であったという。実は、母親のマグダと継父のハンスが高額のギャラに目が眩み、無理やりロミーを出演させたようだ。呆れたことに、この銭ゲバ両親は、こともあろうに厭がるロミーに、第四作まで押しつけたというから酷い。だが、これにはロミーも腹に据えかねたようで、20歳になったロミーは100万マルクを積まれても承諾しなかったそうだ。

Romy Schneider as Siisi 05Romy Schneider as Sissi 06








(左と中央 : 「シシー」役を演じたロミー・シュナイダー  /  右 : 皇妃エリザベートの肖像画)

  「お姫様役」に嫌気が差したロミーは、汚れ役まで引き受ける女優業に踏み出した。そうした中で遭遇したのが、ロベール・アンリコ監督の『追想(Le vieux fusil)』(1975年公開)という作品で、彼女はジュリアン・ダンデュというフランス人医師の妻、「クララ」を演じた。時は、第二次世界大戦末期の1944年。フランス南部にあるタルヌ=エ=ガロンヌ県はドイツ軍に占領されていたが、連合国の巻き返しによりドイツ軍は撤退を余儀なくされていた。しかし、戦闘の雲行きを案じたダンジュ医師は、妻のクララと娘のフローレンスを自分の故郷である「バルバリー村(hameau de la Barberie)」に疎開させようとする。

Romy inThe Old Gun 1Philippe Noiret in The Old Gun 3








(左 : 新婚夫婦のジュリアンとクララ  /  右 : 復讐の為にライフルを持つジュリアン)

  ところが、20人弱で構成されるドイツ人部隊がこの村を襲い、ドイツ兵は村人を皆殺しにしてしまった。そうとは知らない亭主のジュリアンは、病院の仕事が一段落付いたので、疎開先の村に行ってクララとフローレンスに会おうとした。だが、村の教会に立ち寄ったジュリアンは、血塗れで倒れている村人を発見して愕然とする。不安に駆られたジュリアンは、妻と娘を探しに丘の上に聳え立つ古城に向かうことにした。しかし、そこで目にしたのは、射殺された娘の遺体と丸焦げになった妻の亡骸だった。実は、村を占領したドイツ兵は、城の中でクララを輪姦しようとしたのだ。ここで映画は時間を巻き戻す。城の中で陵辱されかけたクララは、一瞬の隙を突いて部屋を抜け出し、娘を連れて脱出しようと試みる。とはいっても、女子供がいくら急いで走っても、ドイツ兵の魔の手からは逃れられない。少女のフローレンスはSS将校に背中を撃たれて即死。一方、城の壁に追い詰められたクララは蛇に睨まれた兎みたい。何と、野獣の如きドイツ兵は、恐怖に怯えるクララに向かって火炎放射器を構え、躊躇なく引き金を引く。すると、煌々とした炎がクララを包み、彼女は一瞬で黒焦げとなった。

Romy inThe Old Gun 4Romy inThe Old Gun 2




(左 : ドイツ兵に追い詰められたクララ  /  右 : 焼き殺されるクララ)


  愛する家族を殺されたジュリアンは復讐の鬼となる。彼は昔、古城に隠した父のライフルを手にして、ドイツ兵を一人一人狙って殺害しようと試みた。ジュリアンは子供の頃、父親から射撃を習っていたので、銃に関しては多少の心得を持っている。人の命を救うドクターから、人の命を奪うハンターに変わったジュリアンは、ドイツ兵を次々と殺しながら、亡き妻との出逢いや家族との団欒を思い浮かべていた。若くて美しいクララは、ジュリアンにとって二番目の妻であった。クララと知り合った頃のジュリアンは、前妻と別れ、幼い娘を抱える男鰥(やもめ)。友人にクララを紹介されたジュリアンは一目惚れで、娘のフローレンスも再婚相手を気に入っていた。クララとフローレンスは本当の親子みたいに仲睦まじく、ジュリアンは新妻を見つめて幸せな日々を過ごす。こうした過去を思い出しながらドイツ兵を殺して行くジュリアンは、次の標的を探しに城の中を動き回る。一方、命を狙われているとは知らぬドイツ兵は、偶然、部屋の中にあったフィルムと映写機を見つけ出した。「知らぬが仏」とはこの事で、浮かれたドイツ兵はフィルムを観ながら飲酒を楽しもうとする。部屋の隠れ場所から中をのぞき込むジュリアンは、映写機が投影する映像を目にして、自分の記録フィルムであることに気づく。それは彼がクララを撮影した時の作品であった。スクリーンに映し出されるクララは美しく、ドイツ兵達は大はしゃぎ。彼らの馬鹿騒ぎは、復讐の炎に油を注ぐようなものだった。

Romy inThe Old Gun 7Romy in The Old Gun 4







(左 : ジュリアンに出逢った頃のクララ  /  右 : 親子三人でサイクリングを楽しむシーン)

  ジュリアンは城の中で様々な罠を張り巡らせてドイツ兵を殺してゆく。そして、ついに彼は指揮官であるSS将校を追い詰める。ジュリアンは城の中で見つけた火炎放射器をSS将校に向け、憎しみを込めて炎を浴びせかけた。ジュリアンがドイツ兵を片づけた後、フランス人の解放軍が村に到着し、レジスタンスは村の惨状に凍りつく。ジュリアンのもとには、友人のミュラー医師が駆けつけ、疲れ切ったジュリアンを自宅に送ろうとした。憔悴しきったジュリアンは、クルマの中で改めて妻と娘を亡くした事実を自覚する。過去を振り返ったジュリアンは、かつて妻と娘を連れてサイクリングした時の事を思い出す。銀幕には三人で楽しく自転車に乗っているシーンが映し出され、物語は「幸せな日々」という回想で幕を閉じる。

  日本で1976年に公開された『追想』は、フランスで大ヒット作品となり、約336万人を動員したそうだ。それにしても、ドイツ兵が人妻のクララを火炎放射器で焼き殺すなんて酷すぎると思えるが、この映画には「ネタ元」になる実際の事件があった。1944年6月10日、フランスの「オラドゥール・シュル・グラヌ(Oradour-sur-Glane)」という村でドイツ軍による大量殺戮が起きていたのだ。虐殺の切っ掛けはレジスタンスの排除、すなわちゲリラの掃討作戦で、怒り狂った武装親衛隊(Waffen SS)が109名のフランス人男性を撃ち殺してしまい、その余波で247名の女性と205名の子供が殺されたのである。確かに、ドイツ軍のゲリラ狩りには相当な行き過ぎがあった。けど、民間人を装ったフランス人も悪い。レジスタンスによる襲撃は、一般人と軍人の区別を無くしてしまうから、酷たらしい報復を招く原因にもなる。歐米の映画やドラマでは、ドイツ兵が常に悪役となっているが、虐殺行為はアメリカ軍やブリテン軍も行っていたから、ドイツ軍だけを「悪者」にするのは卑怯である。例えば、ブリテン軍はモンテ・カッシーノにある修道院を空爆し、大勢の聖職者と負傷者を殺害したし、アメリカ軍は日本の都市を焼き尽くした。ドレスデンの大空襲も、まさしく地獄の炎だ。ドイツ軍だけを責めることはできない。本来、「ホロコースト」は東京大焼殺に使われる言葉で、チフスで死んだユダヤ人に使われる用語じゃない。ドイツ人だけを極悪人にするユダヤ的藝能界には毎回ウンザリする。

Joanna Shimkus 5Joanna Shimkus 2Sydney Poitier 3Sidney Poitier 34








(左 : 映画で共演した時のアランとジョアンナ    /   ジョアンナ・シムクス   /  シドニー・ポワティエ /  右 : 娘のシドニー・タミア )

  好評を博した『追想』は、作品部門や音楽部門で「セザール賞」に輝いた。脚本を手掛けたパスカル・ジャーディン(Pascal Jardin)と監督のロベルト・エンリコ(robert Enrico)は、人気俳優のアラン・ドロンと縁が深い。ジャーディンはドロンが出演した『危険がいっぱい(Les félins)』、『ボルサリーノ2(Borsalino and Co.)』、『個人生活(La race des seigneurs)』、『もういちど愛して(Doucement les basses)』、『帰らざる夜明け(La veure Couderc)』の脚本を手掛けた人物である。エンリコは『冒険者たち(Les Aventuries)』でドロンを起用した監督だ。この映画には、若きジョアンナ・シムクス(Joanna Shimkus)が「レティシア」役で出演していたから、今でも印象に残っている。ジョアンナはユダヤ人の父親とアイリス人の母親との間に生まれたカナダ人女優で、黒人俳優のシドニー・ポワティエと結婚した事でも有名だ。ポワティエが出演した『招かざる客』については、以前、当ブログで評論記事を書いたことがあるけど、彼は私生活でも白人女性を妻にしていた。この夫婦には娘が二人いて、シドニー・タミアの方は母親と同じく女優になっている。まぁ、父親の遺伝子を受け継いでしまったから仕方ないけど、タミアはジョアンナから生まれたのに、母親の容姿とは懸け離れた外見になっている。余計なお世話だけど、異人種間結婚というのは恐ろしいものだ。

「永遠の恋人」、アラン・ドロンとの邂逅

  脚本家のジャーディンは何度もアラン・ドロンの映画に係わったが、ロミーの方もアランと関係が深かった。なぜなら、ロミーとアランは私生活でも恋人同士になっていたからだ。二人の出逢いは、『恋ひとすじ(Christine)』という作品が切っ掛けであった。この映画は、ロミーの母親にとっての出世作となった『恋愛三昧』のリメイク作品で、娘のロミーは監督に「相手役は自分に選ばせて欲しい」、と頼んだそうだ。そして、彼女は候補者となった男優の写真に目を通した。何名かの俳優を吟味したところ、ロミーはまだ無名だったアラン・ドロンを指名したという。(やはり、女の直感というのは鋭い。) 幸運にも相手役に選ばれたドロンだが、彼は元々この作品には消極的だった。それでも、友人であるジャン・クロード・ブリアリ(Jean-Claude Brialy)が「やってみろよ !」と後押しするので、渋々やることにしたそうだ。("Alain Delon and Romy Schneider", Jolie Gazette, January 18, 2017) 

Romy & Alain 54Alain Delon & Romy Scheider 3Alain Delon & Romy Scheider 4









(写真  / 映画『恋ひとすじ』で共演した時のロミーとアラン )

  後に私生活でも親密となるロミーは、恋人役にアランを選んだものの、この新人俳優に対し、あまり良い印象を持っていなかった。アランの方も同じで、胸くそ悪い小娘程度にしか思っていなかったそうだ。しかし、二人は撮影中に惹かれ合う間柄となり、次第に同棲関係へと発展した。当時、まだ世間は倫理道徳にうるさかったから、「正式な結婚もしないうちに、もう同棲するとは・・・」と二人の行動に眉を顰めたらしい。日本の女性ファンには説明不要と思うが、アラン・ドロンにはどこかしら“危険な香り”というか、社会の掟に背く“叛逆児”といった側面があるので、それが逆に彼の魅力となっている。大ヒット作『太陽がいっぱい』でドロンは、裕福な友人を殺し、その恋人まで奪ってしまう野心家を演じたが、観ている者はその罪を咎めて憎む事はできない。やはり、クールなハンサム青年は“得”である。これが、ユダヤ人俳優のアダム・サンドラーとかベン・ステイラーだと絶対に赦せない。こんな主人公だと、観客が絞首刑を望んでしまうからだ。

Alain Delon 9Adam Sandler 1Ben Stiller 8









(左 : アラン・ドロン  /  中央 : アダム・サンドラー  /  右 : ベン・ステイラー  )

  熱愛関係となったロミーとアランだが、両者の立場は変化して行く。アランの方は『太陽がいっぱい』の成功で一躍スターとなり、ロミーの方はドイツでの人気が衰え、次第に仕事が減ってしまた。ただ、1960年、アランはルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)が監督を務めた『若者のすべて』という映画に出演したので、彼はこの巨匠をロミーに紹介しようと考えた。すると、ヴィスコンティ監督はロミーを気に入り、自分が演出する舞台『あわれ彼女は娼婦(Tis Pity She's a Whore)』に起用した。まだ初歩のフランス語しか喋れないロミーは、フランスで成功すべく、語学の猛特訓を受け、必死でフランス語のセリフを覚えたそうだ。さぁ~すが、女優は演劇のためなら何でもする。後に、彼女はフランスのトーク番組で流暢に受け答えしていたけど、ドイツ人にとったらフランス語はさほど困難な言語じゃないらしい。

Alain DElon & Romy11Nathalie Delon 32Alain & Nathalie Delon 111








(左 : 恋人時代のアランとナタリー   / 中央 : ナタリー・ドロン  /  右 : 結婚したナタリーとアラン)

  俳優のカップルというのは、仕事が忙しくなると破局するようで、ロミーとアランも別々の道を歩んで行く。ロミーはハリウッド映画に進出し、『枢機卿(The Cardianl)』とか『ちょっとご主人貸して(Good Neighor Sam)』といった作品に出演する。一方、アランの方は、『個人授業』で有名な女優のナタリー・ドロンと結婚だ。しかし、ロミーの方も新たな恋人を見つけ、舞台演出家でもあるハリー・マイエン(通名 : Harry Meyen / 本名 : Harald Haubenstock)というユダヤ人俳優と結婚する。だが、二人が交際していた時、このユダヤ人は既婚者であった。舞台女優の妻を持つハリーは、まるで映画さながらの三角関係に陥っていた訳だ。それでも、運が良いのか悪いのか、ロミーが妊娠したことで夫人と離婚が成立したという。かくして、ハリーは妊娠4ヶ月の花嫁と南仏で再婚する。(当時としては順序が逆だけど、藝人だからしょうがない。)

Romy & Harry 61Romy & Harry 3








(左 : ハリー・マイエンとロミー  /  右 : 夫のハリーと息子のダーヴィッドを連れたロミー )

  女は昔つき合っていた男を綺麗さっぱり忘れるが、男の方は結構“未練”や“想い出”が残るらしい。ハリーと結婚したロミーは、1966年、ベルリンで息子のダヴィッド・クリストファーを出産する。赤ん坊を授かったロミーは、この幸せを守るべく、女優業から離れ育児に専念した。だが、一旦役者となった女性は、なかなか藝能界を忘れられない。しかも、亭主のハリーは自ら手掛ける舞台が悉く失敗ときている。それなのに、彼は妻の舞台復帰に反対するんだから、ロミーが苛立ちを覚えたのも無理はない。ロミーは次第に夫への幻滅を抱くようになる。

Alain & Romy 5Alain Delon & Romy 2








(左 : プールサイドで抱き合うロミートアラン  /  右 : ベッドで愛し合うロミーとアラン)

  ロミーがルビーの指輪を持っていたかどうか知らないが、昔の恋人であるアランは失望に暮れるロミーを見かねて、新たな仕事を持ちかけた。(もう、今では寺尾聰のヒット曲は懐メロなのかなぁ。) 1969年、彼はジャック・ドレー監督が手掛ける映画、『太陽が知っている(La Piscine)』に出演予定たったので、相手役にロミーを指名したのだ。「さすがアラン・ドロン !」と称讃したくなるくらい、アランは慧眼の持ち主だった。共演作は大ヒット。脚本の善し悪しは別にして、この映画にはアランとロミーがプール・サイドで抱き合う場面があるので、一番の目玉となっている。何しろ、元恋人同士だから、水着姿でもつれ合う二人のラヴ・シーンは濃厚だ。銀幕を見つめる観客は、演技なんだか本気なんだか判らない。日本の観客だって美しいロミーの肉体に釘付けだ。撮影中のアラン・ドロンはどんな気持ちだったのか? (藝能記者から「どんな気持ちで演技に臨んだのか?」と訊かれたロミーは、「情熱だけよ !」と答えたそうだ。) 日本で言えば、山口百恵と三浦友和みたいな間柄かも知れない。(ちょっと例が古いけど、筆者は現在の人気女優に疎いから、どうかご勘弁を。) ちなみに、この映画には人気歌手となるジェーン・バーキン(Jane Birkin)が出ていた。彼女の「無造紳士(L'aquoiboniste)」は田村正和主演のTVドラマ『美しい人』のテーマ曲になったから、「あの曲を唄っていたフランス人か !」と覚えている人もいるんじゃないか。

Romy & Alain 2Romy & Alain 991Jane Birkin 4








(左と中央 : 『太陽が知っている』でのシーン   /  右 : ジェーン・バーキン  )

女優としての栄光と母としての悲哀

Helmut Berger 2(左  /  ヘルムート・ベルガー)
  「人生山あり谷あり」で幸福と不幸は交代でやって来るようだ。故郷を捨てたことで、オーストリアのファンには不評だったが、フランスで人気を博したロミーは、70年代を代表する大女優へとなっていた。1972年には、『暗殺者のメロディー』に出演し、再びアラン・ドロンと共演することになったからファンは大喜び。さらに、この女優には幸運が舞い込んでくる。1972年、巨匠と呼ばれたヴィスコンティ監督が『ルートヴッヒ』を制作したのだ。この大作でロミーは再び厭がっていた皇妃エリザベートを演じるわけだが、これが後世に残る名作なんだから、ロミーも不満は無い。『ルートヴィヒ / 神々の黄昏Ludwig)』を観た人なら分かると思うけど、バイエルン王のルートヴィッヒ2世を演じたヘルムート・ベルガー(Helmut Berger)は素晴らしかった。筆者も高校生の時、偶然テレビ放送で観たんだが、その映像美に感動したことを覚えている。

Helmut Berger 11Helmut Berger n The Damned 1








(左 : 『ルートヴィッヒ』で共演したロミーとヘルムート  /  右 : 『地獄に堕ちた勇者ども』でナチスの軍人に扮するヘルムート)


Charlotte Rampling 5( 左 / シャーロット・ランプリング )
  ヴィスコンティ監督の映画は一級品で、彼が1969年に手掛けた『地獄に堕ちた勇者ども(La caduta degli dei)』も秀逸だ。これに出演したバーガーやダーク・ボガード(Derek Bogaerde)のことを覚えている人も多いだろうが、「エリザベス・タルマン」を演じたシャーロット・ランプリング(Charlotte Rampling)も注目を引く。この映画はナチスが台頭する前後のドイツが舞台で、鉄鋼王の一族であるエッセンベック家の頽廃を見事に描いていた。当時、この映画を観た三島由起夫が傑作と評して称讃したのも頷けよう。ヴィスコンティ監督が描くヨーロッパには、重厚さと華麗さが際立っており、その中に耽美的な世界と底知れぬ頽廃が渦巻いている。三島由起夫という天才が、どんな表情でヴィスコンティ作品を観たのか分からないけど、三島には歴史を積み重ねた深遠な文化を尊重する気風があったから、筆を執って評論したんじゃないか。現在はハリウッド映画が世界市場を制圧しているけど、銭儲けを第一にしたアメリカ人の映画なんて、藝術を愛する三島由起夫には耐えられないだろう。(余談だけど、三島先生が日本刀を手にした時の眼光は凄いよねぇ~。日本刀は殺人用の武器なのに、魂を吸い取られる程の美しさがある。これはフランスの知識人で歴史家でもあったアンドレア・モロワも認めていた点だ。)

Charlotte Rampling 10Charlotte Rampling 14








(左 : 『愛の嵐』で妖艶な踊りを披露するシャーロット  / 右 : SS将校に扮したダーク・ボガード )

  しかし、もっと強烈なナチス映画と言えば、シャーロット・ランプリングが再びボガードと共演した『愛の嵐(Il Portiere di notte))』(1974)の方である。ボガードはかつてナチスの将校だった「マクシミリアン」を演じ、シャーロットの方は「ルチア」を演じていた。このルチアはドイツ軍人に弄ばれるユダヤ人女性という設定だ。とりわけ衝撃的なのは、上半身裸のルチアがピアノに合わせて唄い、ドイツ人将校の前で妖艶なダンスを披露する場面である。ルチアがドイツ軍士官の帽子を被り、卑猥な仕草で体をくねらせるシーンは絶品だ。今でも脳裏に焼き付いている。令和時代の高校生が観たら、その異様な雰囲気に圧倒されるぞ。こうした名作と比べたら、今のハリウッド映画なんかC級以下の代物だ。でもさぁ~、なんでドイツ人に陵辱されたり迫害されるユダヤ人娘って、いつもメラニー・ロランとかアリシア・シルヴァーストン、マルリー・マトリン(Marlee Matlin)といった、西歐風の美人なんだ? 現実の世界では、コメディアンのサラ・シルバーマン(Sarah Silverman)や歌手のバーバラ・ストライサンド(Barbra Streisand)、女優のサンドラ・ベルンハルト(Sandra Bernhard)みたいなのが普通だぞ。

Marlee Matlin 2Alicia Silverstone 6Sarah Silverman 2Sarah Bernhard 4








(左 : マルリー・マトリン  /  アリシア・シルヴァーストン / サラ・シルバーマン  / 右 : サンドラ・ベルンハルト )

   ヴィスコンティ監督はキャスティングも絶妙で、トマス・マン(Thomas Mann)の小説を基にして作った『ベニスに死す(Death in Venice)』では、美少年のビョルン・アンドレセン(Björn Andrésen)を起用していた。やはり、歐洲を舞台にした映画なら、キラリと光るヨーロッパ人の俳優を使わなきゃ。多民族主義を忖度して、トルコ人とか北アフリカ系の浅黒い役者を採用するようでは駄目だ。スティーヴン・スピルバーグとかJ.J.エイブラムといったユダヤ人監督は、無理やり場違いな黒人とか同胞のユダヤ人をネジ込んでくるから吐き気がする。そして、ナチス・ドイツの軍人は皆「冷酷残忍なケダモノ」にしているんだから、まるでシオニスト擁護のプロパガンダ映画みたいだ。

Luchino Visconti 01Bjorn Andresen 7(左 : ルキノ・ヴィスコンティ  /  右 : ビョルン・アンドレセン)
  脱線したので話を戻す。女優業においては順風満々のロミーであったが、亭主との仲は冷え込む一方だった。自分の仕事が上手く行かないハリーは、自身への憤りと妻への嫉妬心とで悩んでいた。彼は次第に酒と薬に溺れるようになり、ついにロミーと別居するようになる。愛想を尽かしたロミーは息子を連れてフランスに移住。キャリア・ウーマンに戻った彼女は、どんな役柄をも厭わず、お金に目が眩んで落ちぶれる娼婦の役でさえ演じていた。こうした中で出演した映画の一つが、先ほど紹介した『追想』である。1975年に公開されたこの作品はロミーに栄光を与えるが、同年、彼女はハリーと正式に離婚する状況になっていた。息子の親権はロミーが持つことで合意されたようだ。

Romy & Daniel Biasini 2Romy & Sarah 11Sarah Biasini 1









(左 : ロミーと ダニエル・ビアシーニ /  中央 : 娘のザラ・マグダレーナを抱くロミー / 右 : 成人して女優になったザラ )

  美人女優というのは、離婚しても次の男が直ぐ現れるから、凡人の女性からすれば何とも羨ましい。ロミーはハリーと別れる以前から、個人秘書のダニエル・ビアシーニ(Daniel Biasini)と交際しており、二人は1975年12月にベルリンで結婚する。元の亭主はロミーよりも14歳年上だったが、今度の夫は11歳若かった。本来、ハネムーンは甘いものだが、ロミーの蜜月は胆汁よりも苦くなっていた。新婚当時、ロミーは妊娠5ヶ月であったが、残念なことに流産してしまう。そして、別れた夫も失意のドン底にあった。絶望の淵をさまようハリーは、酒と薬物に溺れ、1977年、身を持ち崩して自らの命を絶つ。

Romy & David 4Romy Scheider & David 7Romy & David 11Romy Scheider & David 13








(写真  /  幼いダーヴィッドとロミー)

  流産という哀しみに沈んでいたロミーであったが、1977年、彼女は再び身籠もり、第二子となる娘ザラ・マグダレーナを出産する。そして翌年、彼女は『ありふれた愛のストーリー(Une histoire simple)』でヒロインを演じると、二度目のセザール賞をもらい、主演女優賞に輝いた。しかし、ロミーは大金を稼ぐようになったものの、肝心な納税に対しては驚くほど無頓着だった。それゆえ、フランスの税務当局はこの有名女優に目を附け、過去の脱税を問題する。かくして、ロミーは追徴課税を払う破目に。ところが、この追徴金額はあまりにも莫大だった。いくらロミーでも無理。ということで、彼女は事実上の破産状態に追い込まれた。不幸というものは度重なるもので、女優業は好調だったのに、夫婦関係は低調で、液体窒素が注がれたように亀裂が入ってしまった。1981年、ロミーはダニエルと離婚する。同年、さらなる不幸が襲い、彼女は腎臓を摘出する手術を受け、右腹に傷跡を残すことに。

Romy Scheider & David 12(左  /  ダーヴィッドに絵本を読んで聞かせるロミー)
  それでも、こうした災難は息子を亡くす悲劇に比べれば些細な事だ。ダーヴィッドは母の新しい愛人と反りが合わず、ロミーに反撥していた。彼は母親のもとを離れて、継父であるダニーと暮らすようになったという。ところが、1981年7月5日、デーヴィッドに運命の瞬間が訪れる。彼はダニーの両親宅に泊まっていたのだが、何かの用事で外出するため、家の垣根を跳び越えようとした。しかし、運悪く足を滑らせ、鉄製の角棒の上に落ちてしまい、憐れにも串刺しになってしまった。金属の棒で身を貫いたデーヴィッドは病院に搬送されたというが、時既に遅く、医師はロミーに小声で「遺憾」を告げたそうだ。この残酷な言葉を聞いたロミーは正気を失い、その悲鳴は病院中に響き渡った。14歳の息子を失ったロミーの泣き声は今でも聞こえてきそうで、想像すだけでも胸が痛くなる。葬儀は友人のアラン・ドロンが手配した。埋葬にはフランソワ・ミッテラン大統領などの著名人が参列し、泣き崩れるロミーの姿はマスコミの映像に残されている。

  息子を失ったロミーは、哀しみを忘れようと仕事に打ち込んだそうだ。1982年、彼女は『サン・スーシの女(La Passante du Sans-Souci)』という映画に出演し、「マックス」という少年を引き取る「エルザ」を演じた。周囲の者は、ロミーがマックス役の少年と共演することで、ダーヴィッドを思い出すんじゃないかとハラハラしたそうだ。撮影中、マックスがヴァイオリンを弾くシーンになると、ロミーは亡き息子を思い出し、感情が昂ぶった止めどなく涙を流したらしい。ロミーの病気やダーヴィッドの死去で撮影が延期されたものの、『サン・スーシーの女』は興行的に大成功。フランス全土では196万人、海外市場だと2,500万人の観客を動員したそうだ。

Wendelin Werner 3Wendelin Werner 2








(左 : 映画の中の少年「マックス」   / 右 : 成人して数学者になったウェンデリン・ウェルナー  )

  ちなみに、「マックス」を演じた子役は、後に優秀な数学者となるウェンデリン・ウェルナー(Wendelin Werner)であった。彼は2001年に栄誉ある「フェルマー賞(Fermat Prize)」に輝き、2006年には「ポリヤ賞(George Polya Prize)」と「フィールズ賞(Fields Medal)」を貰ったというから本当に凄い。ウェルナー博士はドイツのケルン生まれなんだけど、9歳の時に両親と共にフランスに移住し、1977年にフランス国籍を取ったから、現在は「フランスの数学者」となっている。日本で代数幾何学の権威といったら、「フィールズ賞」を授与された京都大学の廣中平祐(ひろなか・へいすけ)先生で、山口大学の学長を務めたことでも有名だ。しかし、日本の官僚は天才数学者でも袖の下を渡さないと意地悪をする。北海道に「公立はこだて未来大学」が計画された時、廣中先生は設立委員会メンバーとして陣頭に立っていた。先生は大学設立の件で文部省の役人と度々交渉したが、その都度、申請書類の内容や形式に様々な“イチャモン”をつけられ、相当憤慨されたそうだ。信じられないけど、担当者の嫌がらせで廣中先生は何度も「役所詣で」に行ったそうである。もう、役人どもの頭をひっぱたきたくなるが、政治家の口添えが無いと、ヒラメ役人は傲慢になるという証拠だ。

  またもや脱線したので話を戻す。『サン・スーシの女』で成功したロミーは、次にアラン・ドロンとの共演でサスペンス映画に出る予定であった。しかし、我々はその演技を永遠に観ることはできない。1982年5月28日、ロミーは友人のロラン・ペタン等と食事を取り、その後自分のアパートメントに帰ったそうだ。午前零時を過ぎ、翌29日になった深夜1時頃、ペタンは肘掛け椅子で眠っているロミーを目にしたので、彼女を起こさないようにしてベッドに運んだらしい。ところが、朝の7時頃、彼は嫌な予感がしたので、ロミーを見に行くと、彼女は目覚めなかった。驚いたペタンは直ぐさま救急車を呼び、心臓ッサージをしてもらったというが、時既に遅かった。寝室には普段から服用していた睡眠薬と空になったワインの瓶があったという。検死の結果、外傷は無く、心不全が死因であった。

  ロミーの葬儀もアラン・ドロンが手配したが、アラン自身はマスコミの騒動を避けるため、実際の葬式には出なかった。しかし、葬儀の参列者は豪華で、男優のジェラルド・ドゥパルデュー(Gerard Depardieu)や映画監督のクロード・ルローシュ(Claude Lelouch)、俳優兼監督のミシェル・ピコリ(Michel Piccoli)などが駆けつけていた。彼女の遺体は祖国に戻ることなく、イヴリーヌ(Yvelines)県のボワシー・サン・ザヴォワール(Boissy-san-Avoir)にある教会に埋葬され、息子のダーヴィッドと共に永眠している。墓碑にはロミーの本名のほか、生年と没年の月日だけが記されていた。また、息子の死を認めたくなかったロミーに配慮したのか、ダーヴッイドの没年は刻まれていなかった。

Romy Schneider 2Romy Schneider 32Romy Schneider & Sarah 2









(左と中央 : 幸せな頃のロミー  /  右 : 娘のザラとロミー)

  ロミーは亡くなってからも多くの映画関係者から慕われ、1984年には、フランス人ジャーナリストのユージン・モワノーとマレーヌ夫妻により、「ロミー・シュナイダー賞(Prix Romy Schneider)」が創られた。この栄誉は主にヨーロッパで活躍する女優に贈られている。例えば、2005年には『Hereafter』(クリント・イーストウッド監督作品)に出演したベルギー人女優のセシル・ド・フランス(Cécile de France)に贈られ、2006年には『Je vais bien, ne t'en fais pas』に出演したメラニー・ローラン(Mélanie Laurent)が受賞した。メラニーはクェンティン・タランティーノ監督が手掛けた『イングローリアス・バスターズ』(2009年)で、ナチスに迫害されるユダヤ系フランス人を演じたことでも知られている。

Catherine Deneuve 6Melanie Laurent 3Cecil de France 4








(左 : カトリーヌ・ドヌーヴ / 中央 : メラニー・ローラン  /  右 : セシル・ド・フランス )

  藝能界で輝ける大スターとなったロミーだが、私生活では息子を亡くし、その晩年には暗い影が差し込んでいた。訃報が伝えられた時、世間の人々は彼女が自殺したんじゃないか、と疑ったらしい。それもそのはず。若い頃は、あんなに笑顔の似合う女優だったのに、中年以降は涙に暮れる悲しい母親になっていたんだから。それでも、フランスにおいてロミーの人気は絶大だ。ある調査によれば、名女優のカトリーヌ・ドヌーヴよりも人気が高い。意外なことに、ロシア大統領になったウラジミール・プーチンもロミーのファンだったようで、記者から好きな女優を訊かれた時、しばらく考えた後、ロミーの名を挙げていたという。("President gets personal", BBC News, 6 March 2001.) 世界中の人々から愛された人気女優なのに、最も愛すべきダーヴッドを失ったロミーは、根こそぎにされた薔薇のように枯れ果ててしまった。だが、ロミーの肉体が滅んでも、その微笑みは今でも映像の中で生きている。銀幕に映しだされた彼女の美しさは永遠だ。これからも、次々と新しい世代の若者を虜(とりこ)にするだろう。



人気ブログランキング
記事検索
最新記事
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: