無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

邦画評論

松田優作の演技が懐かしい / 昭和には名作があった

特別だった銀幕の映像

Matsuda 34456最近の映画をざっと眺めていると、「昭和の頃はもっと胸がときめく映画が多かったよなぁ~」と思うことがある。これは筆者が懐古主義に陥ったせいかも知れないが、平成の後半や令和の映画およびTVドラマをざっと並べてみれば、見るに堪えない作品があまりにも多い。とりわけ、主役を張る俳優がどれもこれもポンコツばかり。ただし、筆者は全部の作品を観ている訳じゃないので確かなことは言えない。でも、漫画の実写版なら多少の知識は持っている。例えば、実写版映画の『ルパン三世』でルパンを演じていた小栗旬とか、『デス・ノート』で夜神月を演じた藤原竜也、『Space Battleship ヤマト』の木村拓哉などを目にすると、「こんな藝人が主役なのかぁ~」と溜息が出る。もしかしたら、本人よりも所属事務所の方に“実力”があるのかも知れないぞ。

  他の漫画原作の映画も似たり寄ったりで、実写化された『ジョジョの奇妙な冒険』を観ると、「止めておけばいいのに・・・」とボヤきたくなるし、『空母いぶき』になれば、「わざと原作を台無しにしているのか?」と疑うほどである。大ヒット漫画となった『進撃の巨人』も実写化されたけど、プロモーション映像を見ただけで劇場に行くのを断念した。過去の作品を挙げれば切りが無いけど、紀里谷和明が『新造人間キャシャーン』を実写化して、『CASSHERN』を制作したが、筆者にはショックで言葉が出ない。そう言えば、大麻吸引で捕まった伊勢谷友介が主人公の「キャシャーン」を演じていた。

  永井豪先生の名作『デビルマン』や『キューティーハニー』も実写化されたが、原作アニメを台無しにする異質な駄作となっていた。だいたい、「不動明」を演じていた伊崎央登(いざき・ひさと)って「誰」なんだ? たぶん、若手の人気俳優なんだろうけど、筆者には未知の藝人でしかない。『キューティーハニー』で「如月ハニー」を演じていた佐藤江梨子(さとう・えりこ)という女優も世間では人気者らしいが、筆者からすると「こんな子がハニーを演じるのかぁ~」とボヤきたくなり、増山江威子さんの声が懐かしくなる。こんな作品が許されるんなら、日本版の『ワンダーウーマン』だって有り得るぞ。でも、主役の「ダイアナ・プリンス」を演じられる日本人が居ればの話だが。さすがに、リンダ・カーター(Lynda Carter)と肩を並べる女優は見つけられないのでは、と思ってしまう。でも、東映なら米倉涼子とか深田恭子を起用するかも・・・。(筆者は『ヤッターマーン』すら観ることができなかった。) 

     邦画と同じく洋画も劣化が激しくなっており、『スターウォーズ』シリーズのエピソード7から9は顔面が引きつるほど酷い。筆者は滅多なことでは席を立たないが、「一応、観てみるか !」と思い、DVDで3作品を観てみたが、最高でも30分しか耐えられなかった。拷問のような映画って珍しい。とにかく、もう「時間の無駄」というか、馬鹿らしくなってしまい、最後まで付き合いきれなかった。子供の頃、初めてエピソード4や5を観た時には、「すごぉぉ~い !」と叫んで感動したものだが、第21世紀になってユダヤ人が作る続編を観たら、呆れるほど酷くなっていた。こんな駄作を褒める奴が日本にも居るんだから、時代の変化というのは誠に恐ろしい。

刺戟的だった優作の三部作

  こうした惨状を嘆いてみても仕方ないが、時折、ふと昭和の名作を手に取りたくなる。昭和時代に制作された映画には、現在の邦画には無い期待感があって、人々は銀幕で観るだけの価値、すなわち、お金を払って劇場に赴くだけのクォリティーを見出していた。松田優作の映画もそうした作品の一種で、1978年に松田優作が主演を果たした『最も危険な遊戯』は、意外なヒットになったらしい。最初、これは東映の低予算映画であったが、これが予想を超える人気を博したので、配給会社は大喜び。気分を良くした東映は、優作の映画をシリーズ化しようと考え、早くも同年に第二弾となる『殺人遊戯』を制作した。さらに、翌年の1979年、三匹目のドジョウを狙って『処刑遊戯』まで作ってしまったから、映画会社の重役どもは本当に強欲だ。

Tasaka 1(左  / 田坂圭子 )
  この三部作を通して登場するメイン・キャラクターは、優作が演じるプロの殺し屋「鳴海昇平(なるみ・しょうへい)」だけである。そして、各作品で特徴的なのは、演技力に優れた俳優陣と鳴海の恋人役になる女優であった。佐藤慶や片桐竜次、石橋蓮司、内田朝雄などは名脇役で、作品の質を高める重要な役者であることは言うまでもない。女優の方に目を向ければ、『最も危険な遊戯』では新人の田坂圭子がヤクザの情婦を演じ、鳴海に強姦されてしまうという役柄だった。彼女は次第に鳴海を愛するようになり、その危険な仕事を懸念するが、鳴海は黙って無視。田坂の演技は全くの素人なんだが、如何にも「ヤクザの女」という感じがするので何となくOK。しかも、初めての役なのに大胆なヌードを披露するんだから凄い。ところが、彼女の作品はこれ一つ。引退したのか、まだ藝能界にいるのか、行方さえ判らない。

Nakajima 2234(左  / 中島ゆたか  )
  続く『殺人遊戯』での相手役は、優作の映画やドラマでお馴染みの中島ゆたか。現在の邦画で彼女のような女優は少なく、妖艶な悪女を演じさせたら絶品だ。冷たい外見なのに、情熱的な行動に走る“危険な女”という役がよく似合っている。中島氏は悪役の頭山会長に仕える秘書、「美沙子」を演じていた。物語の冒頭、鳴海は頭山会長を殺す。現場に居合わせた美沙子は鳴海に拉致され、クルマで連れ去られてしまう。鳴海はとある港でクルマを止め、彼女を殺そうとするが、死を覚悟した美沙子は綺麗なままで殺して欲しいと頼む。そこで鳴海は彼女の頭にS&W-M29の44マグナムを突きつけ、抹殺するような素振りを見せる。しかし、鳴海はロシアン・ルーレットを真似て、わざと外すことにした。怯える美沙子に対し、「アンタ運がいいねぇ」と述べる鳴海は、クルマに彼女を残したまま、スッと消え去る。確かに、中島ゆたかのような美人は殺せないよねぇ~。ただ、一言言いたくなるのは、こんな拳銃で撃たれたら、脳味噌が飛び散って車内は血の海、ということだ。普通ならナイフで刺すくらい。

Lily 22( 左 / 直子役のリリィ)
  前作とは違って、コメディー的要素を排した『処刑遊戯』には、女優でないシンガーソングライターの「りりィ」が採用された。彼女は男を裏切る「叶直子」役を演じている。バーでピアノを弾く直子は、謎めいた女性として鳴海の前に現れ、次第に恋仲となる。だが、彼女は警察から犯罪組織に送り込まれたエージェント。この映画の脚本を手掛けたのは、後に優作とコンビを組むことになる丸山昇一で、徹頭徹尾“ハードボイルド”のストーリーになっていた。確かに、硬派なストーリーとなっていたが、物語の流れに“ひねり”が無く、アクションばかりが目立つ作品になっていたから惜しい。もう少し、どんでん返しのストーリー展開になっていれば面白かったと思う。おそらく、丸山氏は充分な時間もなく脚本を書き上げたから、粗雑なクウォリティーになってしまったんじゃないか。

  それでも、優作の存在感は否めず、直子と鳴海が海岸を歩きながら時を過ごすシーンは、1970年代らしい味のある光景だ。一時期、ヨーロッパで流行った「フィルム・ノワール(film noir)」の雰囲気を漂わせる映画となっている。一方、平成や令和の日本映画は、家庭用ホーム・ビデオで撮影した学芸会程度の代物で、とても大人の観客が満足できる作品じゃない。撮影費用の中抜きが酷くて、安易な撮影現場が直ぐ目に浮かんでしまうような代物だ。ところが、優作とりりィの演技はとても自然だった。鳴海とベッドを共にした直子の感情はどこか切なく、厳しい現実を知る直子は口にこそ出さないが、何時までも続く恋愛関係ではないと判っている。二人は言葉を交わしても、口数が少なく、それでいてお互いの気持ちが通じ合っている。波の音がBGMとなる素晴らしい場面だった。今の映画監督じゃ、こうした映像を撮ることは出来ないだろう

  松田優作の「遊戯シリーズ」と言えば、その派手なアクションシーンが第一に挙げられる。ただし、ちょっと銃に詳しい人からすると見るに堪えない。たぶん、監督や演出家がチャンバラ劇のような銃撃戦を欲したからだろう。だいたい、ビルの中で多数の悪党を相手にする白兵戦なのに、8インチの44マグナムを扇子のように使うなんて有り得ない。それに、反動が大きすぎる拳銃なんて、プロの殺し屋なら絶対に選ばないだろう。たぶん、『最も危険な遊戯』の制作者は、『ダーティー・ハリー』(1971年公開)を意識していたんじゃないか。ハリー・キャラハン刑事に憧れた制作者が、優作にクリント・イーストウッドのイメージを当て嵌めたのかも知れない。リヴォルヴァー拳銃は六発しか装填できず、弾倉の交換にも手間が掛かるから、普通のプロはベレッタかグロックのようなオートマチック拳銃を使用する。でも、主役が優作だから、スミス&ウェッソンのマグナムでなきゃ「絵」にならない。

  『処刑遊戯』でも似たような銃撃シーンがあったけど、この作品では鳴海がコルトガバメントらしきオートマチック拳銃を使っていた。ところが、弾丸を発射しても空の薬莢が飛び出してこないから滑稽だった。おそらく、1970年代だと、弾切れでスライドが後方に動き、薬莢が排出されるモデル・ガンは、まだ開発されていなかったので、鳴海が使う拳銃も旧式のシロモノだったに違いない。ちょっとオタク的になるが、プロの殺し屋なら上着のポケットにスペアの弾倉は入れないぞ。ちゃんと防弾ベストを装着し、ポーチ・ベルト(magazine pouch belt)を体に巻き付け、数個の弾倉を用意する。そして、ちゃんと発射した弾丸の数を頭に入れて、素早く弾倉を取り換えるのが普通だ。それなのに、鳴海は危険極まりない立ち回りをするし、その上、片手でマグナムをぶっ放していたんだから、「どこが一流の殺し屋なんだ?」と言いたくなる。でも、裸の上半身に銃のホールダーを装着し、その上から革ジャンを着る優作は格好いい。

Matsuda 8832(左  /  狙撃シーンの優作)
  もう一つ小言を述べたい。第一作目の『最も危険な遊戯』では、小日向会長に雇われた鳴海が、ライバル企業の会長たる足立精四郎を暗殺するよう依頼を受ける。そして、ライフルを抱えた鳴海が、ビルの屋上から狙撃するシーンがあった。なるほど、牛革の茶色いジャケットを着た優作はビシッと決まっていて、もの凄く格好がいい。観ていてゾクゾクする。でも、サングラスを掛けたまま狙撃するなんて有り得ない。しかも、鳴海が標的をスコープで捕らえ、引き金に指を掛けるシーンがあるんだけど、何と、優作は人差し指の第一関節で引き金を引いてしまったのだ。通常、ベテランの狙撃手は指の腹を引き金に当てて、一瞬のチャンスを狙うものだ。「One Shot, One Kill(一撃必殺)」のスナイパーだと、微妙なタイミングを計るから、どうしても神経が集中する指の腹を使いたくなる。TVドラマだと標的の胸や頭を見事一発で撃ち抜くが、実際は意外と難しく、距離が遠くなるにつれ、外してしまう可能性もある。まぁ、所詮は娯楽映画だから、何でもアリだ。

  銃撃シーンに関して愚痴をこぼしてしまったが、それでも優作の演技力には驚愕する点が少なくない。例えば、『処刑遊戯』の前半部分で、鳴海が撃ち合いの最中に右手を負傷するシーンがあった。彼はやっとのことで現場を逃れ、自分の塒に戻る途中、個人営業の薬局で包帯や鎮痛剤を購入する。疲労困憊で部屋に戻った鳴海は、血で染まった右手に包帯を巻く。だがその前に鎮痛剤の注射を打つ。この時、優作が見せる演技が非常に素晴らしい。震える手を押さえながら必死に注射を握り、やっとの事で打つんだから。こうした演技は並大抵の俳優じゃできない。『ブラック・レイン』を制作したリドリー・スコット監督が、オーディションでの優作に感銘を受け、その演技力と表現力を高く評価したのも頷ける。他のアメリカ人監督も、『ブラック・レイン』の優作を観て驚いたそうだ。主役のマイケル・ダグラスが霞んでしまったんだから凄い。

  そう言えば、『野獣死すべし』で優作は、狂気に満ちたジャーナリストを演じていた。ああいった表情を見せる役者は、現在のところ誰もいないだろう。魂が凍り付いて人間らしい心を持たない異常者なんて、ハンサムだけが取り柄の俳優じゃ無理。映画の後半で、伊達邦彦を演じる優作が、乗客がいなくなった列車の中で、向かい合って坐る柏木刑事(室田日出男)に銃を突きつけるシーンがあるけど、映画ファンの間では、優作の名演技は今でも語り継がれている。伊達は拳銃に1発だけ銃弾を込め、「リップ・ヴァン・ウィンクル」の話をしながら引き金を引く。空発の度に柏木刑事は恐怖に怯え、心臓が止まりそうになる。しかし、伊達は気にせず、無表情で冷酷なロシアン・ルーレットをやり続けた。ホント、背筋が寒くなるけど、一回も瞬きをせず、じっと柏木刑事を見つめる優作の目が怖い。こんな演技をこなせる役者が、令和の時代にいるのか? 西田敏行とか三浦友和じゃ無理だ。(いくらヤクザを演じても、本物には見えない。逆に、國粹会の故・工藤和義会長だと怖すぎてNG。撮影スタッフが凍りつく。)

ハードボイルドを見せつけた最終回

  「遊戯シリーズ」に負けない優作の魅力を示したのは、日テレのTVドラマ『探偵物語』である。とりわけ秀逸なのが、最終回となる第27話。これは他のエピソードと違って全部がシリアスだ。物語は探偵の工藤俊作が、スーパーマーケットで勘定を間違える店員を叱りつけるシーンで始まる。その後、工藤は柄本明が店長を演じる喫茶店に赴き、顔見知りの久美と偶然出会う。久美は恋人の健と結婚して田舎に戻ろうとするが、帰郷するための列車に乗る直前、何者かによって撃たれてしまう。重態となった久美は以前、モデル・エージェンシーを運営する宮本なる男に騙され、「全日本地建連合」の大森信介に犯された過去がある。自動車修理工の健は、この強姦をネタに大森とツルんだ薮原を脅し、大金を手にするがね薮原の手下に追われてしまう。久美と一緒に逃亡しようとする健は、薮原が放った二名の殺し屋に命を狙われている、と勘づく。おそらく、駅で殺し屋が放った銃弾は間違って久美の体に当たったのでは、と健は考えた。

Iizuka( 左 / 骨董屋の飯塚 )
  殺し屋の二人に命を狙われた健は、探偵事務所に電話を掛け、助けて欲しいと工藤に頼む。そこで、工藤は知り合いの骨董屋が近くにあるから、飯塚という男に事情を話しておくから、と健に告げた。指示された通り、飯塚の骨董店訪れた健は、店主の飯塚に迎えられる。二人は店内で工藤を待つことに。ところが、そこへ追っ手の殺し屋が現れてしまう。健は奇蹟的に脱出できたが、抵抗した飯塚は無惨にも撃ち殺されてしまうのだ。後に、警察が遺体を調べる現場で、工藤は撃ち殺された飯塚の遺体を目にする。工藤は自分のために犠牲となったのか、と心を痛めた。

  恐怖に怯える健は工藤の事務所へ辿り着くが、あいにく工藤は留守で、代わりに工藤を慕う「イレズミ者」と出逢う。この「イレズミ者」は工藤を「先生」と呼んで尊敬するチンピラだ。イレズミ者は親切な態度で健を扱い、事務所内で工藤を待つことにした。しかし、そこにも先ほどの殺し屋が現れ、イレズミ者と健はあっけなく撃ち殺されてしまうのだ。

Irezumimono(左  / 工藤を慕うイレズミ者 )
  イレズミ者と飯塚という二人の友人を殺された工藤は嘆き悲しむ。事務所内で血塗れになったイレズミ者を発見した工藤は、タバコを吸って落ち着こうとするが、あまりにも衝撃的な事件ゆえ、普段通りに吸うことができない。熱い涙を浮かべる工藤は、独り言で昔話を口にする。以前、彼は親しい友人と恋人を失っていた。だから、今度は親しい者を作らないよう心掛けていたのに、またもや親しい者ができてしまった工藤。大切な友人を虫けらのように殺されてしまい、工藤は怒りに震え、復讐の鬼と化す。

  先ず、工藤は宮本を見つけ出し、彼をエレベーター内で襲うと事件の真相を吐かせた。そして、宮本に命じて薮原に電話を掛けさせ、薮原とその手下をおびき出そうと謀る。連絡を受けた殺し屋の二人は、指定された喫茶店へと現れるが、椅子に坐っている宮本は既に息絶えていた。死んでいる宮本を前にした二人は、待ち構えていた工藤におびき寄せられ、人気の無い街中へと誘い出される。殺し屋の一人は誰もいない歩道に導かれ、いきなり工藤の襲撃を受けた。ドスを構える工藤は、殺し屋を刃物で傷つけながら殴る蹴るの暴行を加えた。そして、弱り切った殺し屋の顔を左手で押しつけると、冷たく光るドスを腹に差し込んだ。この刺殺シーンは壮絶で、工藤の怒りと恐ろしさが観ている者にひしひしと伝わってくる。

Matsuda 9912( 左  /  人のいない歩道で殺し屋を刺し殺す工藤)
  工藤を見失ったもう一人の殺し屋は、電話ボックスに入って薮原に連絡を取っていた。そこへ工藤が現れ、無理やり電話ボックスの中に入り込む。冷酷な復讐神と化した工藤は、何の躊躇いもなく殺し屋を刺した。絶命した殺し屋はボックスの中で崩れ落ちる。無表情のままでドスを突き刺す工藤の表情は、氷のように冷たい。ホント、こういった演技をさせたら優作はピカイチだ。次に工藤が狙ったのは、ナイトクラブにいる薮原だった。工藤はトイレに入った薮原を背後から襲い、刃物を突きつけて大森の居場所を聞き出そうとした。そして、薮原から大森は「国賓」というディスコに行った、という情報を得ると、工藤は便所の中で薮原の心臓を刺す。一方、久美を強姦した大森は、ナイトクラブのホステス等を引き連れて、ディスコで楽しく踊っていた。そこへスっと工藤が現れ、薄暗いディスコの中で大森を静かに刺す。刺し殺された大森は床に倒れ込み、近くで踊っていた客は大騒ぎとなる。

Matsuda 4(左  /  絶命した工藤)
  復讐を遂げた工藤は、そのまま行方をくらまし、探偵事務所に戻らなかった。しかし、事件のほとぼりが冷めた頃、工藤は「ゼスト・キャンティーナ」というプール・バーでビリヤードをしていた。工藤はこの酒場で偶然、友人の「ダンディー」と再会し、後で一緒に酒を飲もうと誘われる。しかし、そのプール・バーには、あのスーパーマーケットで働いていた店員が潜んでおり、じっと工藤を付け狙っていた。店を出た工藤は、階段の踊り場でスーパーの店員に刺されてしまう。腹に刺さったナイフを引き抜いた工藤は、店員が去ってしまったのに、「おい、忘れ物だよ。誰にも言わないから、これ持って帰れ !」と口にする。しかし、工藤は背中を壁にもたれかけながら、静かにゆっくりと崩れていった。

  「えっ、こんな終わり方なの?」と思うほど、あっけない最期なんだけど、床に倒れ込む優作の姿が美しい。藝術的な死に方という表現が似合っている。そもそも、この最終回が印象的なのは、仲間を殺された工藤が怒りに燃えて復讐を決行するからだ。大切な友人を殺されても黙っているなんておかしい。一般人は警察や判事に任せてしまうが、本来なら、心を痛める者が処刑人になるべきだ。仲間を失った悲しみは、残された者しか分からない。敗戦後の日本人は、同胞が拉致されても無関心で、「復讐心」というものが一切無い。精神的に衰退した民族というのは、「卑怯者」と呼ばれても怒らないし、屈辱を屈辱とも思わない下郎となってしまうものだ。

  『探偵物語』で素晴らしいのは、BGMとして流された宇崎竜童(ダウンタウン・ブギウギ・バンド)の「身も心も」という挿入歌だ。令和の若者だと、「これって、宇崎さんが優作のために作ったの?」と訊いてしまうほど、優作のラスト・シーンにピッタリと合っていた。工藤が死んでしまう哀しさを引き立てる名曲と言っていいだろう。昭和の映画やTVドラマには、心に残る名曲というのが多かった。例えば、『復活の日』で使われたジャニス・イアン(Janis Ian)の「You Are Love」とか、しばたはつみが唄う「化石の荒野」、角川映画の『キャバレー』でマリーンがカバーした「Left Alone」、前野陽子の熱唱で有名な「蘇る金狼」のテーマ曲など、そのメロディーは今でも色褪せない。

  ついでに筆者の個人的好みを言わせてもらえば、キム・ベイシンガーが主演した『ナイン・ハーフ・ウィークス』で挿入歌となった、バーバラ・ストライサンド(Barbra Streisand)の「Woman In Love」、ナタリー・ドロンの『個人教授』で使われた「Where Did  Our Summer Go」、ゴールディー・ホーンの『Foul Play』で使われたバリー・マニロー(Barry Manilow)の「Ready To Take A Chance」などが懐かしい。現在の邦画でどのような挿入歌が使われているのか知らないが、10年ないし20年後にも語り継がれる名曲があるとは思えない。もちろん、主役を演じるアイドル俳優が唄う楽曲は、オリコンチャートに載って、地上波テレビで宣伝されるんだろう。でも、一世代経つ頃には「誰も振り向かない名曲」になっている虞(おそれ)がある。

存在感のある俳優が少なくなった

  松田優作のファンは今でも結構多いと思う。おそらく、それは優作の演技に独特の香りがあって、時代を超える魅力があるからだ。『探偵物語』で見せたコミカルな演技や、『処刑遊戯』で示した凄みのある表情、しなやかな手足を使った格闘シーン、女に対して冷たいようで実際は愛情深いキャラクターなど、優作が演じると実に味わい深い。本当のスターは存在するだけで画面が輝く。事務所の力で主役を射止めた若手俳優では、絶対に出せないオーラだ。1978年の『大追跡』に出ていた沖雅也とか藤竜也なら好きだけど、『デス・ノート』の藤原竜也なんて、どうして人気者なのか判らない。FOXテレビが制作した『24』のキーファー・サザーランドは高く評価するが、日本版の『24』(テレ朝)に出演し、ジャック・バウアーの役を演じた唐沢寿明なんて見るのも厭だ。

  筆者は基本的に「昭和の日本人」で、時代後れのオールド・タイプなのかも知れない。事実、インターネットで「人気若手男優」を調べてみたが、上位20名ないし30名を見ても、全然知らない俳優ばかりであった。これは本当にショック。デフレ経済に陥ったせいもあるが、平成のTVドラマは三流作品がほとんど。たぶん、脚本家もヒット作を狙うプロデューサーに隷従し、命令されるがままの脚本を書いているんだろう。ちなみに、『探偵物語』の最終回を手掛けた脚本家は、宮田雪(みやた・きよし)さんで、彼は1stシリーズの『ルパン三世』でも脚本を手掛けていた。筆者が好きな「さらば愛しき魔女」の脚本を書いたのも宮本氏であるという。ちなみに、『ルパン三世』はファースト・シーズンだけが本物で、二作目からは別物である。宮崎駿のルパンは異質なルパンで、最初に登場した渋いルパンじゃない。

Matsuda 1 『ブラック・レイン』でアメリカ人の映画制作者に認められた優作であったが、運命の女神は残酷な神様だった。才能溢れる役者だったのに、その人生を途中で切断するなんて酷い。だが、優作は最後まで役者魂を捨てなかった。癌に冒されながらも迫力ある演技を続けたんだから偉い。彼の早すぎる死去を惜しむ声は多いけど、もしかすると若くして亡くなったから、駄作を残さずにすんだのかも知れないぞ。優作は草刈正雄のような二枚目俳優じゃないのに、映像の中では殊さら際立っていた。優作には危険な香りが漂い、草刈氏には無い魅力を持っていた。筆者は物静かな優作も好きで、彼が友人の阿川泰子や桃井かおりの前でみせる笑顔が今でも忘れられない。酒場で独り、バーボンを飲む優作の姿は実に絵になっていた。男が惚れる男というのは、ああいった人なのかも知れない。
  



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「田村正和」を演じていた名優 / 神秘を貫く二枚目役者

スターの光輪を放つ最後の俳優

Tamura 216 俳優の田村正和が4月3日に亡くなった。享年77。数々のドラマや映画に出演した田村氏は、平成の時代にも活躍したが、本質的には昭和の大物であった。しかも、男の色気とオーラを放つ稀有な二枚目。もちろん、他にも男前の役者は彼方此方に居たけど、“銀幕のスター”と言えば田村正和を思い出す。彼は手の届かない藝能人を貫いていた。普通の俳優は気軽にバラエティー番組に出演し、如何なる趣味を持ち、どんな邸宅に住んでるのかさえ公開する。ところが、田村正和はどんな私生活を送っているのか謎のまま。一般人には分からない。映像の中でしか出逢えない「別世界の人物」という“神秘さ”を保っていた。

  一般人が「田村正和」の名を聞けば、TVドラマの『古畑任三郎』とか『ニューヨーク恋物語』、あるいは最後の作品となった『眠狂四郎』、あるいは映画になった『子連れ狼 その小さき手に』くらいだろう。『ニューヨーク恋物語』はヒットしたこともあって田村氏の代表作とされるが、筆者にはそう思えない。第一、配役が酷かった。「田島(田村)」に恋する「茅野」役が岸本加世子なんだからガッカリだ。しかも、NYの証券会社に勤めるキャリア・ウーマンの「相川」約が桜田淳子。何か、創価学会や統一教会が裏で動いていたのか、と思ってしまう人選だ。しかし、もっと厭なのは、相川のルームメイトに鮮人女優の李惠淑(り・けいしゅく)が起用されていた事だ。朝鮮贔屓のテレビ局だから仕方ないけど、「どれだけ朝鮮人が好きなんだよぉ~」と呆れてしまう。

Sato Tomomi 001( 左 / 佐藤友美 )
  筆者がキャスティングを決めるプロデューサーなら、「茅野」役には篠ひろ子か佐藤友美、かなり昔になるけど中島はるみ、あるいはニューヨークという設定を考えて、セーラ・ローウェル(Sarah Vera Lowell)に声を掛ける。中島氏とローウェル氏は、「Gメン'75」で有名になった女優で、その後の作品には恵まれなかったけど、なかなか魅力的な人だった。令和の高校生は知らないと思うけど、佐藤氏は1983年に放送された『金曜の妻たち』で人気を博した女優である。彼女は「大人の女性」といった雰囲気を漂わせていた。それゆえ、不幸になる美人や危険な香りを放つ悪女を演じさせたらピカイチだ。現在のTVドラマは、即席麺のような低予算作品か、藝能事務所の宣伝フィルムだから、起用される役者はアイドル歌手上がりの小娘か、「俳優」の名札を附けて演技する素人ばかり。これでは、高校の学芸会と変わりがない。


Sarah Lowell 001Nakajima Harumi 01








(左 : セーラ・ローウェル  / 右 : 中島はるみ )

  コメディー・ドラマで好評だった田村氏ではあるが、松本清張のドラマにもちょくちょく出演しており、『砂の器』とか『黒革の手帖』、『疑惑』が有名だ。筆者からすると『黒革の手帖』が一番印象的で、主役の山本陽子が実に良かった。彼女はまさしく銀座の美人ホステスといった感じで、度胸の据わった悪女が似合っている。また、共演者にも実力を備えた俳優が起用されていたから、全体的に「締まり」があった。老獪な医者や政治家をやらせたら絶品の小沢栄太郎や三國連太郎が脇を固めていたのだ。「昔は良かった」と言いたくないけど、プロが“当然の如く”出演していた昭和のドラマが懐かしい。事務所のゴリ押しで大根役者がキャスティングされる平成や令和のドラマとは大違いだ。

Yamamoto 003( 左 / 山本陽子 )
  名監督のアルフレッド・ヒッチコックも強調していたが、映画においてキャスティングは最重要課題である。なぜなら、誰を主役にし、どんな役者を共演者にするかで、作品の評価や印象が著しく異なってしまうからだ。田村正和はまさしく「スター」と呼ぶに相応しく、彼の名前だけで客を惹き付けることができた。令和の20代や30代の女性には、大原麗子と共演した『くれない族の反乱』は馴染みがないだろう。しかし、このTVドラマが放送された1984年は、今の日本と大違い。景気の点でも格段の差があった。時はバブル景気真っ盛り。若い女性のみならず、中高年の御婦人たちも、クールな田村正和の主演作となれば、「きゃぁぁぁ~」と黄色い声を上げていた。民主党政権時代のTBSやフジテレビは、「ペ・ヨンジュン」とかいう南鮮人男優を持ち上げ、矢鱈と「今、韓流ドラマが大人気です !」と宣伝していたが、ホントに「韓流ブーム」なんてあったのか? 「ヨン様」か「ペー様」か知らないけど、あんなのは“八百長ブーム”としか思えない。電通社員の女房だって、朝鮮ドラマをどれほど観ていることか。亭主が一生懸命「宣伝」していても、女房は「アホらしい」と思っていたりして・・・。

  不倫ドラマというのは、いつの時代にもあるが、『くれない族の反乱』が設定する物語は、パートのオバちゃん達からすると夢のような世界である。大原麗子が演じる「中野和子」は、既婚者なんだけど、亭主と諍いが絶えない主婦。家庭生活に不満と嫌気が差した和子は、外で働く知人に触発され、自分もパートタイマーになって働こうと決心する。そこで、彼女はパートタイマーの派遣社員となり、百貨店の地下にある食品売り場で働くことに。幸運なことに、そこの部署を担当するのは、「佐伯亮一(田村正和)」というベテラン社員。この佐伯も既婚者なんだが、妻の「曉子(永島暎子)」とは別居状態となっていた。

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(左 : 大原麗子  / 右 :  大原氏と田村正和)

  専業主婦だから無理もないが、慣れない仕事に悪戦苦闘する和子に、主任の佐伯はとても親切。そして、女房と疎遠になり、孤独感を抱く佐伯は、いつしか和子に特別な感情を抱くようになる。和子の方も親身になってくれる上司に段々と惹かれて行く。私生活でトラブルを抱える和子は、その苦悩に耐えきれず、涙を浮かべながら佐伯の胸に飛び込む。佐伯も和子を受け容れる。こうして二人は「上司と部下」という垣根を越え、やがて恋愛関係へと落ちてゆく。夫を持つ女性が不倫関係にのめり込むのは良くないが、相手が田村正和だと何となく赦せちゃうから不思議だ。茶の間でドラマを観ている奥様たちは、自分と大原麗子を重ね合わせ、「いいわねぇ~」と羨ましさでいっぱいだった。一般の亭主は泉谷しげるか板東英二みたいな“中年男”なんだから現実は厳しい。日曜日になれば、家でゴロゴロしている大きな子供と同じだ。会話といったら「母さん、お昼は何?」と尋ねるくらい。もっと残念なのは、「母さん、この間の“あれ”何処にしまってあるの?」といった意味不明の質問だ。固有名詞を言わずに会話が成立するんだから、日本の夫婦は超能力者である。こんな日常生活だから、一般の主婦が「せめて1時間くらいは現実を逃れたい !」と思ってもしょうがない。

  このドラマを毎週観ているパートのオバちゃん達は、「いいなぁ~、私にもあんな上司がいたらなぁ~」と溜息をつく。確かに、現実の職場では係長や部長といったら、石光研か角野卓造みたいなオッさんばかり。他の部署に行っても蟹江敬三か名古屋章みたいな上司が関の山だだろう。佐藤慶さんのような遣り手の専務とかは居そうだけど、藤竜也とか竹野内豊みたいな課長は居ないぞ。ましてや、田村正和みたいな二枚目が、食品売り場の主任なんて有り得ない。普通は、立川志の輔みたいな現場主任だ。売れ残りを気にする中間管理職は、オバちゃん達に発破をかけながら大忙し。惣菜コーナーを仕切っている「場違いなオッちゃん」は、大抵ベテラン社員だ。ちなみに、このドラマは東急百貨店が協力していた。

若い娘に恋をする社長

  現在はインターネットで過去のドラマを視聴できるようになった。しかし、奇妙なことにフジテレビが1986年に放送した『女は男をどう変える』は、フジのドラマなのに同社の「FOD(オンデマンドのドラマ配信サイト)」で観ることができない。もしかすると、著作権の問題で「お蔵入り」なのかも知れないが、「大人の事情」で「幻の作品」となるのは実に残念だ。

  あまり有名じゃないけど、『女は男をどう変える』は軽いタッチの恋愛ドラマだった。主役の三上和之(田村正和)は、「カナリヤ製菓」の二代目社長。六年前に妻を亡くし、一人息子の卓也と二人暮らし。ただし、家政婦の「秀子(山口美也子)」が和之に惚れ込み、女房みたいに振る舞っている。カナリヤ製菓には亡き妻の母親である「松代(鈴木光枝)」が、会長職を務めており、隠然とした権力を誇っている。だから、娘婿の社長、つまり「婿殿」でしなかい和之は、この義母に頭が上がらない。ただし、会社では専務の「伊原(中条静夫)」がいて、色々と助けてくれる女房役だ。この伊原には妻の「静代(白川由美)」と中学生になる娘の「リカ」がいる。ところが、彼には結婚前に付き合っていた女性がいて、彼女との間に娘をもうけていた。それが「三宅まり江(鳥居かほり)」という19歳の隠し子だ。

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(左 : 「まり江」役の鳥居かほり  /  右 : 「三上和之」役の田村正和)

  40代の鰥(やもめ)となった三上和之には、「七浦ユキ(かとうかずこ)」というガールフレンドが居た。しかし、ある時、和之はエアロビックスのインストラクターを務める「まり江」に出逢ってしまう。彼は天真爛漫の若い女性を目にして心がときめく。まぁ、40代の中年男性が19歳の娘と恋仲になるんだから、現実の一般女性は「えぇぇ~、気持ち悪いぃ~!」と眉を顰めるが、見つめる男性が田村正和なのでOKとなる。(「セクハラ」は相対主義に基づいており、訴えるか否かは相手の男次第。) しかし、専務の伊原は焦ってしまう。もし、娘のまり江が社長の和之と結婚すれば、部下の伊原は社長の義父となってしまうからだ。それに、伊原は女房の静代に「まり江」の存在を明かしていないので、益々「困った、どうしよう?!」と焦ってしまう。ゆえに、伊原は何としても二人の仲を裂こうとする。

  一方、まり江に出逢った和之は、年の差を気にしながらも、若くて美しいまり江に惹かれて行く。まり江の方も魅力的な和之に好意を抱き、二人は屋台のフランス料理店でディナーを楽しむ。(この「シェフ」を演じていたのは漫談師の「でんでん」。) 子持ちの中年男が、20歳前後の若い娘と密会できるなんて、現実のオヤジさん達にとっては羨ましい限りだ。普通は会社に美人秘書がいても、アンタッチャブルの存在である。肩に触れただけでも訴訟騒ぎなんだから、「チャオチュール」を目の前にぶら下げられた猫と同じだ。中年の「オジ様」といっても、相手が田村正和なんだから、19歳のまり江だって気にならない。むしろ、周囲から邪魔されるほど、まり江の恋心は強くなる。彼女も現実をよく弁えており、「叶わぬ恋」と自分に言い聞かせるが、自分の本心を抑えれば抑えるほど、その心は和之に傾いてしまう。

  伊原から妨害を受ける和之の方も、段々とまり江に対する気持ちが強くなる。そして、「結婚」という考えが脳裏から離れない。和之は本能に従い、仕事の合間を縫ってまり江とデートを重ねる。やはり、若い娘と付き合うと心が弾むものだ。たとえ、業務が忙しくても、どうにかこうにか時間を作る。身体は40代でも気持ちは高校生。(相手が可愛い女性だと精神に張りが出る。元「クラリオン・ガール」でも、蓮舫みたいな女性じゃ気分が沈むよねぇ~) まり江と和之は結婚寸前となるが、父親の伊原は諦めず、会長の松枝に泣きつき、和之の結婚に反対してもらうよう頼んだ。会社の実権を握る松枝は、和之を呼びつけ、社長の椅子を棄ててまり江との結婚に踏み切るのか、それとも彼女と別れて社長に留まるのか、という究極の選択を迫る。すると、和之は自らの覚悟を義母に告げた。社長の地位を棄てて、まり江を選ぶ、と。これには義母の松枝も唖然とする。

  一方、和之の「窮状」を知ったまり江は、身を引いて和之を助けようとする。彼女は速やかに住んでいるアパートを引き払い、家具が無くなった部屋に別れの手紙を残す。管理人から置き手紙を受け取った和之は、「もう二度と会いたくない」という趣旨の文面を目にするが、それがまり江の“本心”でないことは一目瞭然だ。行方をくらましたまり江は、愛する和之から遠ざかろうと、友人を頼って米国へ留学しようと決心する。しかし、その心は未だに和之のもとに。まり江は酒を飲み、友達と遊んで忘れようとするが、一向に忘れることができない。そうした中、和之と付き合っていた七浦が、偶然まり江をディスコで発見する。和之の気持ち知る七浦は、和之に電話を掛け、二人を再開させようと図る。七浦に呼び出され、ファミレスで話を聞く和之は、まり江の居場所をしろうと必死で問いかける。すると、七浦はまり江が何処に居るかを告げた。彼女の答えを聞いた和之は、後ろを振り向き、ウェイトレスとして働くまり江に目を丸くする。

  “いつも”のフランス料理店にまり江を連れて行った和之は、彼女と向かい合い、その本心を質そうとした。好きな人を前にして、まり江は色々な“理由(いいわけ)”を口にする。「三上さんは、女の人にモテるし、いずれ私に飽きてしまうから・・・」と呟く。しかし、和之は動じない。じっと彼女を見つめて、「それから」と問いかける。まり江は続けて、「卓也さんも厭がるだろうし、私も母親になる自身は無いから・・・」と。それでも、和之は納得せず、「それから」と問い質す。まり江は湧き上がる感情を押し込めることに必死だ。「私もまだ若いから、他の男の人と出会えるかも知れないし」と述べた。彼女は思いつく限りの「理由」を口にするが、その声は震えており、今にも泣き出しそうな表情であった。まり江を見つめる和之は、彼女の本心を分かっている。彼は「嘘だろう」と優しく語りかけた。それでも、まり江は頑なに否定し、「嫌いになった理由」を述べようと努力する。

Tamura 001(左 /  結婚式を挙げるシーン)
  まりえ江の“演技”に心を痛める和之は、「もう分かっているんだ。我慢しなくていい」といった表情で、「おばあちゃんに“別れろ”と言われたんだろ !」と温かく問いかける。しかし、まり江は辛抱強く「違います」と言い放った。しかし、彼女の目には涙が浮かんでいる。自分のせいで和之が社長を解任されてしまう、と怯えるまり江は、毅然とした態度で狂言を演じようとするが、湧き上がる涙を抑えることができない。和之は見え透いた演技を続けるまり江を抱きしめ、「もう充分に君の心遣いが分かったから」と慰める。和之に抱きしめられたまり江は、それでも「嫌いになったから」と言い続け、心の緊張が解けたのか、和之の胸で涙を流す。こうしてお互いの愛を確かめた二人は、教会で結婚式を挙げることとなり、参列したみんなから祝福を受ける。

  いやぁぁ~、分かっちゃいるけど、一途な「まり江(鳥居)」と、それを包み込む「和之(田村)」のシーンは印象的だ。ドラマを観ている奥様たちは、許されぬ愛に苦しむ「まり江」に同情し、そんな彼女をギュっと抱きしめる正和様にうっとり。あのキラキラ光る眼差しで見つめられたら、奥様たちのハートは蝋燭(ロウソク)のように溶けてしまう。「正和ファン」の御婦人たちは、「私もあんな恋をしたいなぁ~」と空を見上げる。隣で一緒に観ているワンちゃんも、何かあるのかと天井を見上げるが、期待したビーブジャーキーは一つも無い。ゴールデンレトリバーみたいな犬だと、寂しい奥様を慰めてくれるから結構貴重な存在だ。ネコちゃんの場合だと、御主人様が悲嘆に暮れても、股を広げて毛繕い。それでも、寄り添って寝ているから嬉しくなる

  一方、亭主は夜になっても帰宅せず、赤提灯で飲んだくれ。昼行灯(ひるあんどん)の上司は、従順な部下に説教を垂れて大満足。毎回毎回、昔の武勇伝を聞かされる若者は堪ったもんぢゃないが、「これも中高年の老害」と諦め、50回聞いた“自慢話”でも「そうなんですかぁ~」と頷く。まあ、上司だって分かっているけど、若い部下に話を聞いてもらえるから、ついつい甘えてしまうのだ。なぜなら、まっすぐ家に帰っても、食卓にはお茶漬けくらいしかないんだから。ところが、愛犬のワンちゃんには、栄養バランスを考えた「モグワン(¥3960)」とか「オリジン(¥6,480)」が与えられ、健康管理はバッチリ。立ち食い蕎麦が昼飯のサラリーマンは羨ましくなる。テレビ局の街頭インタヴューで、通りすがりの御婦人が「どうしてご主人と一緒に暮らしているんですか?」と質問された時、「人類愛かしら・・・?」と笑顔で答えていた。案外、こうした意見が現実なのかも・・・。

  中高年夫婦について述べると、つい思い出してしまうのだが、『女は男をどう変える』には印象的なエピソードが他にもあった。例えば、和之の息子である卓也が同級生と一緒に雑貨店に入った時、万引き容疑で補導されたことがある。その場には、伊原の娘であるリカもいたんだけど、卓也とリカは窃盗事件に無関係だった。警察から通報を受けた和之と伊原夫人の静代は、直ちに警察署へと駆けつける。署内で卓也と接する和之は、何も咎めず息子を連れて帰ろうとする。この態度に静代は唖然とした。普通の父親なら、「何してんだ、この馬鹿野郎 !」と殴るところだが、和之は冷静に対処し、反省する卓也を引き取ったのだ。和之には息子が事件に巻き込まれただけ、と分かっている。だから、くどくど言わずに卓也と一緒に帰宅したのだ。静代は息子に対する和之の信頼と親子の愛情に驚き、「三上社長、さすがだわぁ~。素晴らしい」と感動する。

  一方、静代は警官から「お嬢さんは既にご主人が引き取りました」と告げられ、「どうなったのか」と心配しながら帰宅する。静代が家に着いてリカを見つけると、そこには亭主の伊原がいて、厳しく娘を叱りつけていた。夫が娘を連れ帰ってから、延々と説教をしていたと分かった静代は、「あぁぁ、もう厭、ウチの人ったら・・・」と嘆く。三上社長はグチャグチャ言わず、黙って息子を引き取ったのに、自分の亭主は小姑みたいに娘を責め立て、ネチネチと説教三昧。男らしい三上社長と女々しい伊原専務を目にして、静代は夫の人選を間違ったと落胆する。静代(白川由美)の呆れ顔は今でも印象に残っている。やはり、二枚目は寡黙でなきゃ。

自分のスタイルを貫徹した名優

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(左 : 『乾いて候』で「腕下主水」役を演じた田村正和  / 右 : 「徳川吉宗」役の兄、田村高廣と共演する弟の正和 )

  とにかく、田村正和は売れっ子俳優だったから、彼の出演作は本当に多い。大半の国民はヒット作の『古畑任三郎』を思い出すが、筆者は「時代劇の方が似合っていたのかも」とつい思ってしまう。中村梅之助と共演した『若さま侍捕物帖』(昭和53年)は、ギャク漫画みたい時代劇なんだが、若々しくて俊敏な田村氏を観ることができるので結構楽しい。当時は何らかの「決めゼリフ」を以て、悪徳商人や悪代官を成敗するのが流行であったから、「若様」を演じる田村氏も、独楽(コマ)を投げつけて斬り殺す、という役柄であった。それでも、江戸っ子を演じる田村氏には魅力があり、短気でも人情味があり、正義漢に燃えるサムライ役は、田村氏にピッタリだ。育ちは京都でも、田村正和には江戸っ子の方が似合っている。

  田村氏が出演した時代劇で一番記憶に残っているのは、舞台にもなった『乾いて候』だろう。田村氏は「徳川吉宗(田村高廣)」に仕える「腕下主水(かいなげ・もんど)」を演じていた。その役目は将軍様の「お毒味役」で、料理の腕も超一流。ただし、将軍に仕える要職といっても、彼は吉宗が昔、ある女に産ませた隠し子。この主水は命懸けで将軍を守り、暗殺を目論む刺客や忍者とも闘うが、どこか暗い影を引き摺っていた。何と、彼はちょっとした毒でも嗅ぎ分けられるよう、小さい頃から色々な毒を飲まされて育っていたのだ。こうした痛ましい過去を背負ったお毒味役であっても、彼は天下無双の剣豪で、容姿端麗の一匹狼。子連れ狼の如く、冥府魔道を歩んでいるようだが、決して孤高の鷲ではない。天下一の色男には自然と女が寄ってくる。(小池一夫先生の原作だからしょうがない。) 主水は女に対して冷淡なのに、惚れた女は冷たくされても附いてくる。

  『乾いて候』は1983年に「スペシャル版」の時代劇として放送されたが、田村三兄弟が出演する時代劇ということもあって話題となり、単なる特番として終わらなかった。好評を博した『乾いて候』は1984年に再び「スペシャル版」が制作され、同じ年に連続ドラマとなった。この「腕下主水」は田村氏の“嵌まり役”になったようで、TVドラマが終わっても人気が衰えず、引き続き舞台でも演じられていた。チケットの売れ行きは好調で、劇場へ足を運んだ奥様たちは、刀を持って悪人を斬りつける正和様に大興奮。いくら演技力があっても、無骨な若山富三郎(兄)や勝新太郎(弟)じゃ無理だよねぇ~。やはり、演劇ファンの奥様たちは、ハンサムな俳優でなきゃ「お金」を払わない。新撰組でも、人気が高いのは近藤勇じゃなくて土方歳三や沖田総司の方だ。(そう言えば昔、草刈正雄が沖田総司を演じていた。)

Shino Hiroko 00021(左  / 篠ひろ子 )
  有名な阪東妻三郎の三男として生まれた田村正和であったが、その「阪妻」さんは9歳の時に他界したので、あまり多くの想い出は無かったようだ。しかし、父親の遺伝子は確実に受け継がれ、息子の正和は二枚目役者として不動の地位を築く。世間ではちょっとコミカルに描かれた『カミさんの悪口』が好評だけど、篠ひろ子さんと共演したドラマなら、個人的には『妻たちの危険な関係』(1986年)の方がいいと思っている。驚いたことに、演出を担当した人物の中に、「チャンネル桜」の水島総社長と同じ名前があった。日テレのドラマだから、たぶん水島社長だろう。『熱中時代』でも脚本を書いていたから、おそらく、田村氏のドラマでも制作に携わっていたのかも知れない。ちなみに、筆者がもう一つ覚えているのは、風見律子が唄っていた主題歌の『アヴァンチュリエ』である。これは如何にも80年代の音楽といった感じで、英国のフュージョン・バンド「シャカタク(Shakatak)」が作りそうな楽曲であった。

Tamura 8832 令和でも「大物俳優」というのがいると思うが、筆者は「昭和の化石」みたいな日本人なので、誰が人気役者なのか分からないし、たとえ分かっても興味が無い。田村正和のドラマには駄作もあったが、彼が出演するというだけで作品に注目が集まったし、その存在感は他に類を見なかった。かつて田村氏と共演した秋野暢子が述べていたけど、田村氏の瞳に見つめられると釘付けになったらしい。藝能人でも緊張するくらいだから、田村氏には他人を圧倒する本当の魅力があったのだろう。彼には断固としたポリシーがあったようで、芝居に対する情熱は人並み以上で、リハーサルの前には既に台本が全て頭に入っていたという。だから、田村氏は滅多にNGを出さなかった。完璧主義者の名優は、時流に合わせて髪型を変えることもせず、あの長髪をずっと保っていた。1970年代のスタイルを第21世紀まで続けていたのに、ちっとも「変」じゃなく、むしろ憧れファッションであったから、二枚目俳優というのは尋常じゃない。

  確かに、田村氏は凄かった。弟の田村亮が述べていたけど、兄の正和は職場や私生活でも、自分のスタイルを貫き通していたという。台本を読んでいる姿でさえ、映画のワン・シーンのようであったから、田村正和は紛れもなく本物のスターだ。もしかすると、彼は生涯を通して「田村正和」を演じていたのかも知れない。田村氏は40代の頃から「引き際」を考えていたようで、2018年の『眠狂四郎』で自分の限界を悟ったようだ。声に張りが無くなっていたから、正和ファンにもそれとなく判っていた。どんな名優にも終わりは来る。田村氏の訃報が報道された時、「巨星墜つ」と思った人は多かったんじゃないか。しかし、田村正和という俳優が亡くなっても、彼の作品は輝き続ける。永遠の二枚目スターを惜しむファンは多い。が、そのファンが望むのは、彼の作品を全て視聴できる時代だ。たぶん、令和の時代でも新たなファンが誕生するんじゃないか。
  

  

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