無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

邦画評論

「田村正和」を演じていた名優 / 神秘を貫く二枚目役者

スターの光輪を放つ最後の俳優

Tamura 216 俳優の田村正和が4月3日に亡くなった。享年77。数々のドラマや映画に出演した田村氏は、平成の時代にも活躍したが、本質的には昭和の大物であった。しかも、男の色気とオーラを放つ稀有な二枚目。もちろん、他にも男前の役者は彼方此方に居たけど、“銀幕のスター”と言えば田村正和を思い出す。彼は手の届かない藝能人を貫いていた。普通の俳優は気軽にバラエティー番組に出演し、如何なる趣味を持ち、どんな邸宅に住んでるのかさえ公開する。ところが、田村正和はどんな私生活を送っているのか謎のまま。一般人には分からない。映像の中でしか出逢えない「別世界の人物」という“神秘さ”を保っていた。

  一般人が「田村正和」の名を聞けば、TVドラマの『古畑任三郎』とか『ニューヨーク恋物語』、あるいは最後の作品となった『眠狂四郎』、あるいは映画になった『子連れ狼 その小さき手に』くらいだろう。『ニューヨーク恋物語』はヒットしたこともあって田村氏の代表作とされるが、筆者にはそう思えない。第一、配役が酷かった。「田島(田村)」に恋する「茅野」役が岸本加世子なんだからガッカリだ。しかも、NYの証券会社に勤めるキャリア・ウーマンの「相川」約が桜田淳子。何か、創価学会や統一教会が裏で動いていたのか、と思ってしまう人選だ。しかし、もっと厭なのは、相川のルームメイトに鮮人女優の李惠淑(り・けいしゅく)が起用されていた事だ。朝鮮贔屓のテレビ局だから仕方ないけど、「どれだけ朝鮮人が好きなんだよぉ~」と呆れてしまう。

Sato Tomomi 001( 左 / 佐藤友美 )
  筆者がキャスティングを決めるプロデューサーなら、「茅野」役には篠ひろ子か佐藤友美、かなり昔になるけど中島はるみ、あるいはニューヨークという設定を考えて、セーラ・ローウェル(Sarah Vera Lowell)に声を掛ける。中島氏とローウェル氏は、「Gメン'75」で有名になった女優で、その後の作品には恵まれなかったけど、なかなか魅力的な人だった。令和の高校生は知らないと思うけど、佐藤氏は1983年に放送された『金曜の妻たち』で人気を博した女優である。彼女は「大人の女性」といった雰囲気を漂わせていた。それゆえ、不幸になる美人や危険な香りを放つ悪女を演じさせたらピカイチだ。現在のTVドラマは、即席麺のような低予算作品か、藝能事務所の宣伝フィルムだから、起用される役者はアイドル歌手上がりの小娘か、「俳優」の名札を附けて演技する素人ばかり。これでは、高校の学芸会と変わりがない。


Sarah Lowell 001Nakajima Harumi 01








(左 : セーラ・ローウェル  / 右 : 中島はるみ )

  コメディー・ドラマで好評だった田村氏ではあるが、松本清張のドラマにもちょくちょく出演しており、『砂の器』とか『黒革の手帖』、『疑惑』が有名だ。筆者からすると『黒革の手帖』が一番印象的で、主役の山本陽子が実に良かった。彼女はまさしく銀座の美人ホステスといった感じで、度胸の据わった悪女が似合っている。また、共演者にも実力を備えた俳優が起用されていたから、全体的に「締まり」があった。老獪な医者や政治家をやらせたら絶品の小沢栄太郎や三國連太郎が脇を固めていたのだ。「昔は良かった」と言いたくないけど、プロが“当然の如く”出演していた昭和のドラマが懐かしい。事務所のゴリ押しで大根役者がキャスティングされる平成や令和のドラマとは大違いだ。

Yamamoto 003( 左 / 山本陽子 )
  名監督のアルフレッド・ヒッチコックも強調していたが、映画においてキャスティングは最重要課題である。なぜなら、誰を主役にし、どんな役者を共演者にするかで、作品の評価や印象が著しく異なってしまうからだ。田村正和はまさしく「スター」と呼ぶに相応しく、彼の名前だけで客を惹き付けることができた。令和の20代や30代の女性には、大原麗子と共演した『くれない族の反乱』は馴染みがないだろう。しかし、このTVドラマが放送された1984年は、今の日本と大違い。景気の点でも格段の差があった。時はバブル景気真っ盛り。若い女性のみならず、中高年の御婦人たちも、クールな田村正和の主演作となれば、「きゃぁぁぁ~」と黄色い声を上げていた。民主党政権時代のTBSやフジテレビは、「ペ・ヨンジュン」とかいう南鮮人男優を持ち上げ、矢鱈と「今、韓流ドラマが大人気です !」と宣伝していたが、ホントに「韓流ブーム」なんてあったのか? 「ヨン様」か「ペー様」か知らないけど、あんなのは“八百長ブーム”としか思えない。電通社員の女房だって、朝鮮ドラマをどれほど観ていることか。亭主が一生懸命「宣伝」していても、女房は「アホらしい」と思っていたりして・・・。

  不倫ドラマというのは、いつの時代にもあるが、『くれない族の反乱』が設定する物語は、パートのオバちゃん達からすると夢のような世界である。大原麗子が演じる「中野和子」は、既婚者なんだけど、亭主と諍いが絶えない主婦。家庭生活に不満と嫌気が差した和子は、外で働く知人に触発され、自分もパートタイマーになって働こうと決心する。そこで、彼女はパートタイマーの派遣社員となり、百貨店の地下にある食品売り場で働くことに。幸運なことに、そこの部署を担当するのは、「佐伯亮一(田村正和)」というベテラン社員。この佐伯も既婚者なんだが、妻の「曉子(永島暎子)」とは別居状態となっていた。

Oohara 552Tamura 0932









(左 : 大原麗子  / 右 :  大原氏と田村正和)

  専業主婦だから無理もないが、慣れない仕事に悪戦苦闘する和子に、主任の佐伯はとても親切。そして、女房と疎遠になり、孤独感を抱く佐伯は、いつしか和子に特別な感情を抱くようになる。和子の方も親身になってくれる上司に段々と惹かれて行く。私生活でトラブルを抱える和子は、その苦悩に耐えきれず、涙を浮かべながら佐伯の胸に飛び込む。佐伯も和子を受け容れる。こうして二人は「上司と部下」という垣根を越え、やがて恋愛関係へと落ちてゆく。夫を持つ女性が不倫関係にのめり込むのは良くないが、相手が田村正和だと何となく赦せちゃうから不思議だ。茶の間でドラマを観ている奥様たちは、自分と大原麗子を重ね合わせ、「いいわねぇ~」と羨ましさでいっぱいだった。一般の亭主は泉谷しげるか板東英二みたいな“中年男”なんだから現実は厳しい。日曜日になれば、家でゴロゴロしている大きな子供と同じだ。会話といったら「母さん、お昼は何?」と尋ねるくらい。もっと残念なのは、「母さん、この間の“あれ”何処にしまってあるの?」といった意味不明の質問だ。固有名詞を言わずに会話が成立するんだから、日本の夫婦は超能力者である。こんな日常生活だから、一般の主婦が「せめて1時間くらいは現実を逃れたい !」と思ってもしょうがない。

  このドラマを毎週観ているパートのオバちゃん達は、「いいなぁ~、私にもあんな上司がいたらなぁ~」と溜息をつく。確かに、現実の職場では係長や部長といったら、石光研か角野卓造みたいなオッさんばかり。他の部署に行っても蟹江敬三か名古屋章みたいな上司が関の山だだろう。佐藤慶さんのような遣り手の専務とかは居そうだけど、藤竜也とか竹野内豊みたいな課長は居ないぞ。ましてや、田村正和みたいな二枚目が、食品売り場の主任なんて有り得ない。普通は、立川志の輔みたいな現場主任だ。売れ残りを気にする中間管理職は、オバちゃん達に発破をかけながら大忙し。惣菜コーナーを仕切っている「場違いなオッちゃん」は、大抵ベテラン社員だ。ちなみに、このドラマは東急百貨店が協力していた。

若い娘に恋をする社長

  現在はインターネットで過去のドラマを視聴できるようになった。しかし、奇妙なことにフジテレビが1986年に放送した『女は男をどう変える』は、フジのドラマなのに同社の「FOD(オンデマンドのドラマ配信サイト)」で観ることができない。もしかすると、著作権の問題で「お蔵入り」なのかも知れないが、「大人の事情」で「幻の作品」となるのは実に残念だ。

  あまり有名じゃないけど、『女は男をどう変える』は軽いタッチの恋愛ドラマだった。主役の三上和之(田村正和)は、「カナリヤ製菓」の二代目社長。六年前に妻を亡くし、一人息子の卓也と二人暮らし。ただし、家政婦の「秀子(山口美也子)」が和之に惚れ込み、女房みたいに振る舞っている。カナリヤ製菓には亡き妻の母親である「松代(鈴木光枝)」が、会長職を務めており、隠然とした権力を誇っている。だから、娘婿の社長、つまり「婿殿」でしなかい和之は、この義母に頭が上がらない。ただし、会社では専務の「伊原(中条静夫)」がいて、色々と助けてくれる女房役だ。この伊原には妻の「静代(白川由美)」と中学生になる娘の「リカ」がいる。ところが、彼には結婚前に付き合っていた女性がいて、彼女との間に娘をもうけていた。それが「三宅まり江(鳥居かほり)」という19歳の隠し子だ。

Tamura 002Tamura 332








(左 : 「まり江」役の鳥居かほり  /  右 : 「三上和之」役の田村正和)

  40代の鰥(やもめ)となった三上和之には、「七浦ユキ(かとうかずこ)」というガールフレンドが居た。しかし、ある時、和之はエアロビックスのインストラクターを務める「まり江」に出逢ってしまう。彼は天真爛漫の若い女性を目にして心がときめく。まぁ、40代の中年男性が19歳の娘と恋仲になるんだから、現実の一般女性は「えぇぇ~、気持ち悪いぃ~!」と眉を顰めるが、見つめる男性が田村正和なのでOKとなる。(「セクハラ」は相対主義に基づいており、訴えるか否かは相手の男次第。) しかし、専務の伊原は焦ってしまう。もし、娘のまり江が社長の和之と結婚すれば、部下の伊原は社長の義父となってしまうからだ。それに、伊原は女房の静代に「まり江」の存在を明かしていないので、益々「困った、どうしよう?!」と焦ってしまう。ゆえに、伊原は何としても二人の仲を裂こうとする。

  一方、まり江に出逢った和之は、年の差を気にしながらも、若くて美しいまり江に惹かれて行く。まり江の方も魅力的な和之に好意を抱き、二人は屋台のフランス料理店でディナーを楽しむ。(この「シェフ」を演じていたのは漫談師の「でんでん」。) 子持ちの中年男が、20歳前後の若い娘と密会できるなんて、現実のオヤジさん達にとっては羨ましい限りだ。普通は会社に美人秘書がいても、アンタッチャブルの存在である。肩に触れただけでも訴訟騒ぎなんだから、「チャオチュール」を目の前にぶら下げられた猫と同じだ。中年の「オジ様」といっても、相手が田村正和なんだから、19歳のまり江だって気にならない。むしろ、周囲から邪魔されるほど、まり江の恋心は強くなる。彼女も現実をよく弁えており、「叶わぬ恋」と自分に言い聞かせるが、自分の本心を抑えれば抑えるほど、その心は和之に傾いてしまう。

  伊原から妨害を受ける和之の方も、段々とまり江に対する気持ちが強くなる。そして、「結婚」という考えが脳裏から離れない。和之は本能に従い、仕事の合間を縫ってまり江とデートを重ねる。やはり、若い娘と付き合うと心が弾むものだ。たとえ、業務が忙しくても、どうにかこうにか時間を作る。身体は40代でも気持ちは高校生。(相手が可愛い女性だと精神に張りが出る。元「クラリオン・ガール」でも、蓮舫みたいな女性じゃ気分が沈むよねぇ~) まり江と和之は結婚寸前となるが、父親の伊原は諦めず、会長の松枝に泣きつき、和之の結婚に反対してもらうよう頼んだ。会社の実権を握る松枝は、和之を呼びつけ、社長の椅子を棄ててまり江との結婚に踏み切るのか、それとも彼女と別れて社長に留まるのか、という究極の選択を迫る。すると、和之は自らの覚悟を義母に告げた。社長の地位を棄てて、まり江を選ぶ、と。これには義母の松枝も唖然とする。

  一方、和之の「窮状」を知ったまり江は、身を引いて和之を助けようとする。彼女は速やかに住んでいるアパートを引き払い、家具が無くなった部屋に別れの手紙を残す。管理人から置き手紙を受け取った和之は、「もう二度と会いたくない」という趣旨の文面を目にするが、それがまり江の“本心”でないことは一目瞭然だ。行方をくらましたまり江は、愛する和之から遠ざかろうと、友人を頼って米国へ留学しようと決心する。しかし、その心は未だに和之のもとに。まり江は酒を飲み、友達と遊んで忘れようとするが、一向に忘れることができない。そうした中、和之と付き合っていた七浦が、偶然まり江をディスコで発見する。和之の気持ち知る七浦は、和之に電話を掛け、二人を再開させようと図る。七浦に呼び出され、ファミレスで話を聞く和之は、まり江の居場所をしろうと必死で問いかける。すると、七浦はまり江が何処に居るかを告げた。彼女の答えを聞いた和之は、後ろを振り向き、ウェイトレスとして働くまり江に目を丸くする。

  “いつも”のフランス料理店にまり江を連れて行った和之は、彼女と向かい合い、その本心を質そうとした。好きな人を前にして、まり江は色々な“理由(いいわけ)”を口にする。「三上さんは、女の人にモテるし、いずれ私に飽きてしまうから・・・」と呟く。しかし、和之は動じない。じっと彼女を見つめて、「それから」と問いかける。まり江は続けて、「卓也さんも厭がるだろうし、私も母親になる自身は無いから・・・」と。それでも、和之は納得せず、「それから」と問い質す。まり江は湧き上がる感情を押し込めることに必死だ。「私もまだ若いから、他の男の人と出会えるかも知れないし」と述べた。彼女は思いつく限りの「理由」を口にするが、その声は震えており、今にも泣き出しそうな表情であった。まり江を見つめる和之は、彼女の本心を分かっている。彼は「嘘だろう」と優しく語りかけた。それでも、まり江は頑なに否定し、「嫌いになった理由」を述べようと努力する。

Tamura 001(左 /  結婚式を挙げるシーン)
  まりえ江の“演技”に心を痛める和之は、「もう分かっているんだ。我慢しなくていい」といった表情で、「おばあちゃんに“別れろ”と言われたんだろ !」と温かく問いかける。しかし、まり江は辛抱強く「違います」と言い放った。しかし、彼女の目には涙が浮かんでいる。自分のせいで和之が社長を解任されてしまう、と怯えるまり江は、毅然とした態度で狂言を演じようとするが、湧き上がる涙を抑えることができない。和之は見え透いた演技を続けるまり江を抱きしめ、「もう充分に君の心遣いが分かったから」と慰める。和之に抱きしめられたまり江は、それでも「嫌いになったから」と言い続け、心の緊張が解けたのか、和之の胸で涙を流す。こうしてお互いの愛を確かめた二人は、教会で結婚式を挙げることとなり、参列したみんなから祝福を受ける。

  いやぁぁ~、分かっちゃいるけど、一途な「まり江(鳥居)」と、それを包み込む「和之(田村)」のシーンは印象的だ。ドラマを観ている奥様たちは、許されぬ愛に苦しむ「まり江」に同情し、そんな彼女をギュっと抱きしめる正和様にうっとり。あのキラキラ光る眼差しで見つめられたら、奥様たちのハートは蝋燭(ロウソク)のように溶けてしまう。「正和ファン」の御婦人たちは、「私もあんな恋をしたいなぁ~」と空を見上げる。隣で一緒に観ているワンちゃんも、何かあるのかと天井を見上げるが、期待したビーブジャーキーは一つも無い。ゴールデンレトリバーみたいな犬だと、寂しい奥様を慰めてくれるから結構貴重な存在だ。ネコちゃんの場合だと、御主人様が悲嘆に暮れても、股を広げて毛繕い。それでも、寄り添って寝ているから嬉しくなる

  一方、亭主は夜になっても帰宅せず、赤提灯で飲んだくれ。昼行灯(ひるあんどん)の上司は、従順な部下に説教を垂れて大満足。毎回毎回、昔の武勇伝を聞かされる若者は堪ったもんぢゃないが、「これも中高年の老害」と諦め、50回聞いた“自慢話”でも「そうなんですかぁ~」と頷く。まあ、上司だって分かっているけど、若い部下に話を聞いてもらえるから、ついつい甘えてしまうのだ。なぜなら、まっすぐ家に帰っても、食卓にはお茶漬けくらいしかないんだから。ところが、愛犬のワンちゃんには、栄養バランスを考えた「モグワン(¥3960)」とか「オリジン(¥6,480)」が与えられ、健康管理はバッチリ。立ち食い蕎麦が昼飯のサラリーマンは羨ましくなる。テレビ局の街頭インタヴューで、通りすがりの御婦人が「どうしてご主人と一緒に暮らしているんですか?」と質問された時、「人類愛かしら・・・?」と笑顔で答えていた。案外、こうした意見が現実なのかも・・・。

  中高年夫婦について述べると、つい思い出してしまうのだが、『女は男をどう変える』には印象的なエピソードが他にもあった。例えば、和之の息子である卓也が同級生と一緒に雑貨店に入った時、万引き容疑で補導されたことがある。その場には、伊原の娘であるリカもいたんだけど、卓也とリカは窃盗事件に無関係だった。警察から通報を受けた和之と伊原夫人の静代は、直ちに警察署へと駆けつける。署内で卓也と接する和之は、何も咎めず息子を連れて帰ろうとする。この態度に静代は唖然とした。普通の父親なら、「何してんだ、この馬鹿野郎 !」と殴るところだが、和之は冷静に対処し、反省する卓也を引き取ったのだ。和之には息子が事件に巻き込まれただけ、と分かっている。だから、くどくど言わずに卓也と一緒に帰宅したのだ。静代は息子に対する和之の信頼と親子の愛情に驚き、「三上社長、さすがだわぁ~。素晴らしい」と感動する。

  一方、静代は警官から「お嬢さんは既にご主人が引き取りました」と告げられ、「どうなったのか」と心配しながら帰宅する。静代が家に着いてリカを見つけると、そこには亭主の伊原がいて、厳しく娘を叱りつけていた。夫が娘を連れ帰ってから、延々と説教をしていたと分かった静代は、「あぁぁ、もう厭、ウチの人ったら・・・」と嘆く。三上社長はグチャグチャ言わず、黙って息子を引き取ったのに、自分の亭主は小姑みたいに娘を責め立て、ネチネチと説教三昧。男らしい三上社長と女々しい伊原専務を目にして、静代は夫の人選を間違ったと落胆する。静代(白川由美)の呆れ顔は今でも印象に残っている。やはり、二枚目は寡黙でなきゃ。

自分のスタイルを貫徹した名優

Tamura 88356Tamura 5532








(左 : 『乾いて候』で「腕下主水」役を演じた田村正和  / 右 : 「徳川吉宗」役の兄、田村高廣と共演する弟の正和 )

  とにかく、田村正和は売れっ子俳優だったから、彼の出演作は本当に多い。大半の国民はヒット作の『古畑任三郎』を思い出すが、筆者は「時代劇の方が似合っていたのかも」とつい思ってしまう。中村梅之助と共演した『若さま侍捕物帖』(昭和53年)は、ギャク漫画みたい時代劇なんだが、若々しくて俊敏な田村氏を観ることができるので結構楽しい。当時は何らかの「決めゼリフ」を以て、悪徳商人や悪代官を成敗するのが流行であったから、「若様」を演じる田村氏も、独楽(コマ)を投げつけて斬り殺す、という役柄であった。それでも、江戸っ子を演じる田村氏には魅力があり、短気でも人情味があり、正義漢に燃えるサムライ役は、田村氏にピッタリだ。育ちは京都でも、田村正和には江戸っ子の方が似合っている。

  田村氏が出演した時代劇で一番記憶に残っているのは、舞台にもなった『乾いて候』だろう。田村氏は「徳川吉宗(田村高廣)」に仕える「腕下主水(かいなげ・もんど)」を演じていた。その役目は将軍様の「お毒味役」で、料理の腕も超一流。ただし、将軍に仕える要職といっても、彼は吉宗が昔、ある女に産ませた隠し子。この主水は命懸けで将軍を守り、暗殺を目論む刺客や忍者とも闘うが、どこか暗い影を引き摺っていた。何と、彼はちょっとした毒でも嗅ぎ分けられるよう、小さい頃から色々な毒を飲まされて育っていたのだ。こうした痛ましい過去を背負ったお毒味役であっても、彼は天下無双の剣豪で、容姿端麗の一匹狼。子連れ狼の如く、冥府魔道を歩んでいるようだが、決して孤高の鷲ではない。天下一の色男には自然と女が寄ってくる。(小池一夫先生の原作だからしょうがない。) 主水は女に対して冷淡なのに、惚れた女は冷たくされても附いてくる。

  『乾いて候』は1983年に「スペシャル版」の時代劇として放送されたが、田村三兄弟が出演する時代劇ということもあって話題となり、単なる特番として終わらなかった。好評を博した『乾いて候』は1984年に再び「スペシャル版」が制作され、同じ年に連続ドラマとなった。この「腕下主水」は田村氏の“嵌まり役”になったようで、TVドラマが終わっても人気が衰えず、引き続き舞台でも演じられていた。チケットの売れ行きは好調で、劇場へ足を運んだ奥様たちは、刀を持って悪人を斬りつける正和様に大興奮。いくら演技力があっても、無骨な若山富三郎(兄)や勝新太郎(弟)じゃ無理だよねぇ~。やはり、演劇ファンの奥様たちは、ハンサムな俳優でなきゃ「お金」を払わない。新撰組でも、人気が高いのは近藤勇じゃなくて土方歳三や沖田総司の方だ。(そう言えば昔、草刈正雄が沖田総司を演じていた。)

Shino Hiroko 00021(左  / 篠ひろ子 )
  有名な阪東妻三郎の三男として生まれた田村正和であったが、その「阪妻」さんは9歳の時に他界したので、あまり多くの想い出は無かったようだ。しかし、父親の遺伝子は確実に受け継がれ、息子の正和は二枚目役者として不動の地位を築く。世間ではちょっとコミカルに描かれた『カミさんの悪口』が好評だけど、篠ひろ子さんと共演したドラマなら、個人的には『妻たちの危険な関係』(1986年)の方がいいと思っている。驚いたことに、演出を担当した人物の中に、「チャンネル桜」の水島総社長と同じ名前があった。日テレのドラマだから、たぶん水島社長だろう。『熱中時代』でも脚本を書いていたから、おそらく、田村氏のドラマでも制作に携わっていたのかも知れない。ちなみに、筆者がもう一つ覚えているのは、風見律子が唄っていた主題歌の『アヴァンチュリエ』である。これは如何にも80年代の音楽といった感じで、英国のフュージョン・バンド「シャカタク(Shakatak)」が作りそうな楽曲であった。

Tamura 8832 令和でも「大物俳優」というのがいると思うが、筆者は「昭和の化石」みたいな日本人なので、誰が人気役者なのか分からないし、たとえ分かっても興味が無い。田村正和のドラマには駄作もあったが、彼が出演するというだけで作品に注目が集まったし、その存在感は他に類を見なかった。かつて田村氏と共演した秋野暢子が述べていたけど、田村氏の瞳に見つめられると釘付けになったらしい。藝能人でも緊張するくらいだから、田村氏には他人を圧倒する本当の魅力があったのだろう。彼には断固としたポリシーがあったようで、芝居に対する情熱は人並み以上で、リハーサルの前には既に台本が全て頭に入っていたという。だから、田村氏は滅多にNGを出さなかった。完璧主義者の名優は、時流に合わせて髪型を変えることもせず、あの長髪をずっと保っていた。1970年代のスタイルを第21世紀まで続けていたのに、ちっとも「変」じゃなく、むしろ憧れファッションであったから、二枚目俳優というのは尋常じゃない。

  確かに、田村氏は凄かった。弟の田村亮が述べていたけど、兄の正和は職場や私生活でも、自分のスタイルを貫き通していたという。台本を読んでいる姿でさえ、映画のワン・シーンのようであったから、田村正和は紛れもなく本物のスターだ。もしかすると、彼は生涯を通して「田村正和」を演じていたのかも知れない。田村氏は40代の頃から「引き際」を考えていたようで、2018年の『眠狂四郎』で自分の限界を悟ったようだ。声に張りが無くなっていたから、正和ファンにもそれとなく判っていた。どんな名優にも終わりは来る。田村氏の訃報が報道された時、「巨星墜つ」と思った人は多かったんじゃないか。しかし、田村正和という俳優が亡くなっても、彼の作品は輝き続ける。永遠の二枚目スターを惜しむファンは多い。が、そのファンが望むのは、彼の作品を全て視聴できる時代だ。たぶん、令和の時代でも新たなファンが誕生するんじゃないか。
  

  

人気ブログランキング

ストロベリー・ナイト・サーガの性(さが)

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


好評発売中 !


リメイクは失敗する

Takeuchi 2Nikaido 1









(左: 前作の「ストロベリー・ナイトの」のキャスト  /  右: 新作「ストロベリー・ナイト・サーガ」のキャスト)

  先月、何年ぶりだろうか、久々に邦画や日本のTVドラマを観た。というのも、筆者が楽しみにしていた米国のTVドラマ『ヴァイキング』のシーズン5(後半)と英国のNetflixドラマ『ラスト・キングダム』のシーズン3が終わってしまったからだ。次に何を見ようかと迷っていたところ、たまたま知人に「ストロベー・ナイトのリメイクが放送されるから、前作を観てみれば」と勧められたので、「久しぶりに邦画でもいいか」と思い、幾つかのエピソードに目を通してみた。前作の感想は「まぁ、こんなものだろう」と一応合格点をつけたのだが、新作のリメイク版を観てビックリ。学藝会並みの出来映えだったからである。

  このTVドラマは誉田哲也(ほんだ・てつや)のベストセラー小説を基に制作されたというから、多少まともな脚本になっており、大人でも楽しめる内容となっている。事件を捜査する刑事たちが調べを進めてゆく内に、犯人の意外な実像や複雑な人間関係に気づき、やがて隠された真実が見つかる、という筋書きだ。視聴者は主人公の姫川玲子(ひめかわ・れいこ)と一緒になって事件を推測し、違った角度からの捜査を楽しむ。そこには推理小説の常として、ダイヴァージョン、すなわち陽動作戦というか、間違った方向への誘導があり、各場面に事件解決へのヒントが隠されているのだ。たぶん、ジグソーパズルのピースを一つ一つ当てはめながら、全体像を完成させる構ような成になっている。だから、視聴者はこのドラマに引き込まれてしまうのだろう。

  また、主任の姫川には暗い過去があるのも特徴の一つだ。彼女は高校生の時、暗闇の場所で強姦魔に襲われ、ナイフで刺された上にレイプされてしまったのだ。この心傷は刑事になっても姫川につきまとい、一生消えることのない心の闇となっている。警察署では毅然とした態度を取る姫川だが、夜の街を一人歩きすると、ふと昔の記憶が蘇り、震えて立てなくなくなってしまう。犯人を追跡する姫川が犯罪者の異常心理を理解できるのも、彼女に同じ心理があるからだ。辛辣な勝俣警部補が「お前は刑事に向いていない !」と罵倒したのは、姫川のダークサイドを知っていたからだろう。性犯罪者というのは、たとえ逮捕・起訴されても、死刑にはならず、せいぜい臭い飯を数年食えば釈放されてしまうから、強姦の被害者が「殺してやりたい !」と恨みを抱いても無理はない。陵辱された女性の苦悩は一生続くのに、強姦魔は6、7年のお勤めで自由の身なんだから「赦せない !」と思っても当然だ。

  リメイク版のストーリーは基本的に前作と同じで、違いはキャスティングにある。前作だと、主役の姫川役には竹内結子が起用され、副官の菊田和男は西島秀俊が演じていた。また、捜査一課第十係の主任を務める姫川には若手の部下がいて、小出恵介、丸山隆平、宇梶剛士が演じている。ただし、「姫川班」のメンバーではないが、捜査の都合上、井岡博満という鬱陶しい巡査部長がくっ附いている。この役には生瀬勝久が起用されていた。たぶん、深刻な場面の連続とならないよう、緊張緩和のために、井岡のような緩いキャラクターを添えているのだろう。姫川にベタ惚れの井岡は、アホ面下げて、しょっちゅう「レイコちゃ~ん」と言い寄る。姫川は「気持ち悪い !」と吐き捨て、ガツンと肘鉄を食らわすが、井岡はそれにもめげず諦めない。視聴者は、こうした道化的キャラクターに呆れてしまうが、段々と慣れてくるので何となく必要な人物と思えてくる。生瀬にはこういう役が似合っているのかも知れない。新作で「井岡」を演じる今野浩喜は邪魔なだけで、論評する価値すら無い。

  姫川には天敵にも等しい勝俣という警部補がおり、彼はいつも姫川に辛く当たっていた。彼は煮ても焼いて食えない、海千山千のベテランで、一方的に姫川から捜査情報を引き出そうとする。勝俣は元公安らしく、裏取引や強引な尋問さえ厭わない。世間の裏や捜査の複雑さを充分理解しているが故に、勝俣は猪突猛進型の姫川を「刑事に向かない」と言い放つ。この忌々しい刑事役を武田鉄矢が演じていて、結構好評らしい。 しかし、筆者が監督なら別の役者を用いる。新作で「勝俣」を演じる江口洋介は、武田に負けまいとしているのか、矢鱈と演技がわざとらしい。彼も事務所と制作者の力学で起用された役者なんだろう。江口氏は昔、『古畑任三郎』に出ていたので覚えているけど、二軍のサッカー選手みたいな風貌で、特別なオーラがあるとは思えない。でも、人気俳優なんだろう。

  今の俳優には詳しくないので、昔の役者で言えば、「勝俣」役には成田三樹夫さんみたいな人物が適役だ。キレ者で抜かりの無い捜査を行う刑事役にはピッタリの俳優である。何しろ、敏腕刑事を演じさせれば一流で、微妙な表情となればお手の物。名脇役と称された成田氏は、本当に“うまい”役者だった。武田鉄矢もいいけど、彼はどちらかと言えば、冴えない中年警部が似合っている。1980年代、彼は『刑事物語』で自ら監督・主演を務め、ジャッキー・チェンのようなアクション・シーンを撮っていた。片山刑事に扮する武田氏が、木製ハンガーをヌンチャクのように使い、犯人を逮捕するシーンはちょっと話題になった。「金八先生」上がりの武田鉄矢は、交番勤務の巡査くらいが丁度いい。

Narita Mikio 2Shimizu 2











(左  :  成田三樹夫  /    右  : 清水紘治)

  もう一人、姫川のライバルとなるのが、捜査一課の警部補たる日下守だ。この役には伊藤憲一が起用されていたので、演技力には問題ない。姫川の上司である今泉係長には、高嶋政宏が当たっていたが、どう評価していいのか判らない。なぜなら、どの中堅俳優が起用されても違和感が無いからだ。おそらく、彼のスケジュールが空いていたから役が回ってきたんだろうけど、「別にあの役は高嶋じゃなくてもいいから、誰でも代わりがきく」と思えてしまうのだ。今の状況じゃ難しいと思えるが、贅沢を言えば、清水紘治みたいな俳優がいい。上層部から部下を庇う係長なら、清水さんくらいの力量がなくちゃ。高嶋は所詮「親の七光り」で登用される雑魚役者だから、まともに論評する気にはなれない。

Sato 2(左  /  佐藤慶)

  問題なのは、捜査一課の管理官「橋爪」を演じる「渡辺いっけい」だ。捜査会議で姫川にガミガミ言う上司役なんだが、癇癪を起こして怒鳴りつける演出だから、却って白けてしまう。どうせ、姫川を叱りつけるんなら、声を低く抑え、冷たくドスの利いた言葉で咎める方がいい。たぶん、演技指導をする監督の佐藤祐市が未熟なんだろう。あるいは、もしかすると視聴者が馬鹿なので、はっきりと伝わるように、わざとらしいセリフ回しにしているのかも知れない。捜査一課の管理官役には佐藤慶ような名優を起用すべきなのに、キャンキャン吠えるだけのチンピラ俳優を据えるとは、この役柄にどんなイメージを描いていたのか尋ねてみたい。(『大都会 / 闘いの日々』で「深町警視」を演じた佐藤慶は絶品だった。今だと、佐藤氏のような俳優はいないんじゃないか。)

  竹内版の『ストロベリー・ナイト』は視聴者から結構な評価を得たというが、今回の『ストロベリー・ナイト・サーガ』は残念な結果となってしまった。まだ、始まったばかりなんだけど、初回をスペシャル版で放送したところ、視聴率が何と7.8%しかなく、第二話で浮上するかと思いきや、更に下がって6.4%へと落ちてしまった。筆者は「6%以上もあったんだから、いいじゃないか」と思ってしまうが、制作者からすると悲惨な数字らしい。せめて10%くらいは欲しいそうだ。前回の竹内バージョンは平均して15%くらいあったので、相当ガッカリしたものと思われる。確かに、前作を凌ぐ意気込みで作ったんだろうから、その視聴率が前作の半分くらいじゃ泣けてくるだろう。でも、フジテレビのリメイク作品はどれもこれも似たようなものらしい。まだ観ていないんだけど、フジテレビは松本清張の『砂の器』をリメイクし、東山紀之を起用したそうだ。必殺シリーズの「中村主水」を台無しにしたアイドル歌手が、またもや名作の主役になるなんて信じられない。映画版の加藤剛を知っている人なら唖然とするはずだ。やはり、ジャニーズ事務所の力なんだろう。もっと恐ろしいのは、アメリカのヒット・ドラマ『Suits』を日本版にして放送したことだ。織田裕二を主役にしたそうだが、どんな結果になったのか想像がつく。たぶん、惨敗したんじゃないか。

  リメイク版の『ストロベリー・ナイト』が低視聴率になったのは、どうもキャスティングにあるらしい。確かに、前作で魅了されたファンにとったら、今回のキャスティングは納得できないはずだ。まず、姫川役の「二階堂ふみ」には、重荷というか不適格さを感じざるを得ない。捜査班を率いる主任の役には、ちょっと若すぎるのだ。必死で役に打ち込んでいる努力は認めるけど、何となく高校生女優が背伸びしているようで、観ていて痛々しくなる。遠慮無く言えば、小娘の演劇会に近いということだ。男社会の警察で、若い女性が捜査主任になったという設定なんだから、梶芽衣子(かじ・めいこ)くらいの実力派女優を採用しなければならないのに、藝能事務所が派遣した小娘を使っているんだから厭になる。今では古臭くて話題にならないけど、『修羅雪姫』の梶さんには存在感があった。当時、まだ二十代だったけど、如何にも「映画女優」という雰囲気を漂わせ、結構見応えがあった。ちょっとマニアックだが、女刑事の役者を考えると、ふと「Gメン75」で吹雪刑事役を演じた中島はるみを想い出す。ただ、今では誰に訊いても覚えていないので、「時代遅れなのかなぁ~」と反省することがある。(夏木マリや江波杏子は別格。)

Kaji Meiko 1Nakajima Harumi 1











(左  :  梶芽衣子  /  右   :  中島はるみ)

  話を戻す。『ストロベリー・ナイト』の視聴者はどうしても竹内結子と比べてしまうから、二階堂氏にとっては不利な立場になる。おそらく、観客は竹内氏のイメージで姫川を捉えてしまうから、代役の二階堂氏を目にすると、生理的に嫌ってしまうのだろう。これはよくあることで、007シリーズのジェイムズ・ボンド役には賛否両論がいつもあるし、『バットマン』のブルース・ウェイン役、シャーロック・ホームズ役、『子連れ狼』の拝一刀役もそうである。ホームズ役はジェレミー・ブレットが一番良く、ロバート・ダウニー・ジュニアなんて論外。シャーロックとは別物である。とりわけ、「拝一刀」役なら絶対に萬屋錦之介で、北大路欣也は安上がりの代用品ていど。ボケ老人用に作った時代劇に適した役者である。ちなみに、原作者の小池一夫先生は、若山富三郎の拝一刀を評価しておらず、田村正和の方を好んでいたらしい。拝一刀のイメージは正和様なんだって。

  とにかく、二階堂氏よりも酷いのが、「菊田」役の亀梨和也だ。前作で菊田役を演じた西島秀俊はそれなりに評価できる。たぶん、番組のファンには好評であったはずだ。ドラマの中で「姫川班」を支えている菊田は、主任としての姫川を尊敬する一方で、密かに好意を抱いてる。だが、彼はそれを顔に表さない。安っぽいドラマをつくる脚本家だと、番組を盛り上げるために二人を熱愛カップルにしがちだが、前作の『ストロベリー・ナイト』では菊田の感情を抑制し、“もどかしい”くらいの不器用な男にしていた。しかし、これが却って良かったんじゃないか。素直に「好き」と言えず、沈黙したまま彼女に付き従い、姫川に何かあれば体を張って護衛するする姿が麗しい。女性ファンが西島氏に憧れるのもうなづけよう。

  ところが、今回の「菊田」を演じる亀梨は“ボンクラ”刑事にしか見えない。姫川主任の「相棒」というより「木偶(でく)の坊」だ。彼のファンには悪いけど、筆者には住宅販売の新人訪問員か、牛丼屋の学生店員、倉庫係の新入社員ていどに思えてしまうのだ。公式的には主演らしいが、「姫川班」にくっ附いているだけの「一反木綿(いったんもめん)」といったところ。厳しく言えば、影の薄いエキストラといった感じである。もちろん、亀梨本人に罪は無く、彼を採用したプロデューサーや監督、配役を命じた所属事務所の不手際だ。ネット情報によると、亀梨氏は「KAT-TUN」という歌手グループのメンバーで、多くのTVドラマや映画に出演している。(この「カート・タン」というバンド名は何の略なのか判らないけど、きっと若い子が熱狂する人気グループなんだろう。) 以前、彼は『3年B組 金八先生』に出演していたというが、それよりもビックリするのは、『妖怪人間ベム』の「ベム」役を演じていたという事実だ。筆者はしばらく民放のTVドラマを観ていなかったので、まさか、子供の頃に観たアニメがドラマ化されているとは思わなかった。さらに驚愕すべきは、懐かしのアニメ『ど根性ガエル』もドラマ化されていたという事だ。もう、立ち眩みしそうな話だが、現実とは誠に恐ろしい。ネタが尽きた日テレは、信じられないことを平気でするだなぁ。破廉恥テレビ局だから仕方ないけど、「いくら何でも・・・」と天を仰ぎたくなる。

  フジテレビは例の如く、TVドラマで好評を博した『ストロベリー・ナイト』を映画化した。つまり、無料放送で視聴者を獲得したテレビ局は、この人々を劇場に誘ってお金儲けをしたということだ。『インビジブル・レイン』という劇場版では、大沢たかおが極清会の組長「牧田勲」役を演じ、彼の正体を知らない姫川を誘惑する。そして、姫川は迂闊にも牧田に惹かれてしまい、肉体関係を持ってしまうのだ。(あり得ないけど、車内セックスとなっていた。) この無茶苦茶な筋書きはともかく、大沢氏には組長を演じるほどの実力やオーラは無い。代紋を背負う組長の迫力に欠けるし、チンピラ役ですらこなせなんじゃないか、と思えてくる。本人は実力派を気取っているんだろうが、観客からすれば白々しい演技にしか見えない。こういう役は渡瀬恒彦のような俳優じゃないと無理だ。渡瀬恒彦には迫力があったし、相手を萎縮させるほどの「眼光」を持っていた。実際、彼は喧嘩が強かったし、女性を惹き付ける魅力があったので、主役を張るには充分な素質を持っていた。これなら、大原麗子が惚れたのも解る。女心をくすぐる渡瀬は、たとえ別れても嫌いになれないタイプだ。大沢氏には熱心な女性ファンがいるんだろうが、男性の観客からすれば格下の脇役にしか過ぎない。とても、重要な役柄を任せられるような俳優とは思えないから、キャスティングの背後には事務所の“力”が働いていたのだろう。

Osawa 2Watase 4











(左  :  大沢たかお  /  右  :  渡瀬恒彦)

  大人の視聴者は、「なんか、最近のドラマはつまらない」と愚痴をこぼしてしまうが、「ドラマ」と思っている方が間違いなんじゃないか。我々が観ている映像は、演劇じゃなく「長編CM(テレビ広告)」なのかも知れない。つまり、人気藝人が商品となっているだけの宣伝フィルムということだ。ある番組プロデューサーが述べていたが、「今、TVドラマを観ているのは馬鹿だけ」ということらしい。こうした視聴者はストーリー性など気にせず、ただ贔屓の俳優が出ているから観ている、といった類いの人々であるそうだ。彼らはお目当ての役者が出れば「キャ~」と喜ぶだけで、作品の質なんか“どうでもいい”と思っている。だから、制作者は本気になって作らない。どうせ凝ったドラマを作っても、こうした視聴者は理解できないから、知的レベルを下げて、なるべく多くの人に観てもらおうと考えている訳だ。確かに、何百万単位の大衆に向けて放送しているから、底辺層レベルに合わせた作品にしないと受け容れてもらえないのだろう。要するに、観ている人が中学生程度の知的レベルなら、中学生でも解る内容にしているというこだ。

  「つまらない」ドラマの原因は幾つか考えられるが、最も致命的なのはキャスティングがテレビ局や制作者側に無く、大手プロダクションにあることだ。素人はドラマの脚本が出来てから、それぞれの役に当てはまる俳優を探すと思っている。しかし、実際はその逆で、まず起用する役者が既に決まっているという。大手藝能プロダクションがゴリ押しする「タレント(藝の無い動物)」を売り出すためにドラマが企画され、脚本が求める役者かどうかなんて関係ない。つまり、主役を張る「タレント」が芝居の出来る人かどうかなんて、最初から問題にしていないのだ。確かに、六本木や青山で歩いているお嬢ちゃんをスカウトして、歌手や俳優にさせているんだから、藝(歌唱力 / 演技力)が無くても当然である。音痴のアイドル歌手がレコード大賞に輝いたり、大根役者が日本アカデミー賞とかブルー・リボン賞をもらったりするのは、審査員が裏で藝能事務所と繋がっているからだろう。だいたい、何で笑福亭鶴瓶がブルー・リボン賞の主演男優賞に選ばれるんだ? それに、最近の邦画は筆者の理解を超えている。鶴瓶と同じ年に、綾瀬はるかという「タレント」が主演女優賞を獲得したというが、出演作の『おっぱいバレー』って何なんだ? 最初、筆者は裸のバレリーナかと思ったが、調べてみたら、バレーボール部の話であった。

  とにかく、現在のTVドラマは滅茶苦茶である。何しろ、ドラマ制作の主導権を事務所側が握っているので、現場には「所属タレントの出番をもっと増やしてくれ」という困った注文が来るし、「イメージが崩れるシーンは撮るな」とか、「肌の露出やベッドシーンは厳禁」など、様々な制約が課せられる。こんな干渉を受ければ、作り手は馬鹿らしくなって、「もう、どうでもいいや!」と投げやりになるだろう。

  そもそも、今のドラマはCMスポンサーのご機嫌を伺いながら作っているから、ドラマの内容など二の次三の次らしい。マーケット・リサーチをして観てくれそうな年齢層を調べ、その対象に向けたドラマを作るだけだから、主眼はスポンサーへと注がれ、視聴率だけが目標となる。したがって、起用される役者は、固定客を持つ人気俳優かプロダクションが押しつける看板タレント、プロデューサーに可愛がられている藝人、スポンサーが化粧品のCMとかイベントに使っている女優などである。亀梨という「タレント」はジャニーズ事務所の歌手であるというから、おそらく所属事務所がネジ込んだ役者なんだろう。あの演技力を観れば、誰も「実力で主役を獲得した」とは思わない。闇の指図か無言の圧力が働いたはずだ。

  またもや脱線したので話を戻す。インターネットには、出演者に対する批判や罵倒が見受けられるが、それはお門違いというもので、本当に悪いのは彼らを起用したテレビ局と、強引に自社商品(タレント)ねじ込むプロダクションだ。筆者が歳を取ったせいかも知れないが、姫川役を演じている二階堂氏を観ると、「一生懸命、与えられた役をこなしているんだなぁ」と“つい”同情したくなる。何となく仏心が出てきて、「もしかしたら、本人は嫌がったのに、事務所が命令したのかなぁ」と勘ぐってしまうのだ。それに、画面を眺めていると、「ご両親は心配しながら見守っているんだろうなぁ~」と考えてしまい、ドラマに集中できない。可愛い娘が上京して、主役に抜擢されたんだから、親としては嬉しいはずだが、世間からの激しいバッシングを耳にすれば心が痛むはずだ。二階堂氏はまだ二十代半ばなんだから、もっと温かい目でみてやってもいいんじゃないか。ネットでは酷評されているが、それほど演技が下手なわけでもないから、経験を積めばそのうち上手くなるさ。ここでは関係ないけど、二階堂氏を目にすると、小学校の運動会で一生懸命走っている女の子を連想してしまう。二階堂氏には失礼なんだけど、幼い顔立ちなので、どうしても「近所の小学生」に見えてしまうのだ。だから、個人的には、彼女を厳しく評論したくない。

  それでも、『ストロベリー・ナイト・サーガ』のキャスティングに関し、かなり辛辣な評価を述べてしまった。だが、もともと無料で観ているんだから、文句を付ける方が間違っている。雑誌でドラマを云々する評論家は6%の視聴率をあざ笑っているけど、角度を変えて見れば、「6%も獲得したぞ」と言えるんじゃないか。実際、1%の視聴率がどれくらいの人数になるのか判らないが、サンプル数や地域格差を考慮すれば、だいたい15万ないし20万人くらいだから、6%なら約120万人が視聴したことになる。ただ、制作費を払ったスポンサーは不満だろうから、テレビ局側に「どうなっているんだ !」と苦情を呈するはずだ。お金を出す人は口も出すから当然だろう。したがって、大人が満足できるようなドラマを観たい人は、劇場映画に行くしかない。ところが、銀幕で鑑賞する映画は駄作ばかり。日本映画の衰退は著しい。良質な作品を求める観客が、アメリカのTVドラマや洋画に流れたのも当然だ。

  今、手元に「民間テレビドラマ視聴率ランキング(1990~2016年)」のリストがあるんだけど、 どのドラマも観たことがない未知のドラマばかりである。(浦島太郎にでもなった気分だ。) 辛うじて知っているのは、『3年B組 金八先生』と『古畑任三郎』くらい。驚いたのは、2006年に『西遊記』(フジテレビ / 最高視聴率29.2%)と、2007年に『華麗なる一族』(TBS / 最高視聴率30.4%)がリメイクされていたことである。所属事務所と出演者を記載したリストによれば、前者は香取慎吾が孫悟空役で、後者は木村拓哉が主演を務めていた。どちらも、ジャニーズ事務所のタレントだから、「やっぱり、宣伝ドラマか !」と思ってしまう。孫悟空なら堺正章が印象的なのだが、香取氏のバージョンは「どのようなもの」であったのか、想像しただけでも恐ろしくなる。また、山崎豊子のドラマといったら、仲代達矢とか田宮二郎を思い浮かべるが、「今では木村拓哉なんだ」と分かり、「もう昭和の時代には戻れないんだなぁ」と悲しくなる。

  つい最近耳にしたんだけど、来年、テレ朝が大ヒット・ドラマの『24 -Twenty Four-』をリメイクして、日本版を放送するそうだ。制作する前から自爆が予想できるのに、あえて作ろうとするんだから、テレ朝の社長や担当プロデューサーには何か秘策があるに違いない。昔から、テレ朝は大東亜戦争を執拗に「無謀な戦争」と非難していたが、開局60周年記念に「無謀なドラマ」を企画するなんて、中々やるじゃないか。タバコをくわえながら、ガソリンで水浴びするようなものだ。まっ、人間は一生のうちに一度くらいは、失敗と分かっていても挑戦することはあるさ ! それにしても、誰が「ジャック・バウアー」を演じるのか興味がある。たぶん、「どきどきキャンプ」の岸学(きし・まなぶ)じゃないことだけは確かだろう。




人気ブログランキング
記事検索
最新記事
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: