無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

邦画評論

海に沈む運命と陸に生きる悲劇

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黒木 頼景
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日本沈没の恐怖

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(写真  / 『日本沈没』の一場面 )

  1970年代というのは大衆文化に於いて画期的な時代である。音楽業界を例に取ると、1960年代はザ・ビートルズ的雰囲気の音楽が流行っていたが、1970年代になるとレッドツェッペリンとかクリーム、ディープパープルに代表されるロック・バンドが台頭し、冒険的で独創的な名曲が数々と生み出されたので、こんにちに至っても親しまれている。映画業界にも似たような風潮があって、特徴的で印象に残る名作が続々と世に送り込まれていたのだ。当時、日本も好景気に沸いたせいか、映画会社にも活気があって、意欲的な作品が世に受けていた。その中の一つに、東宝映画の『日本沈没』(1973年)がある。

  この作品は小松左京のベストセラー小説を基にした映画であるが、その制作に携わった面々がこれまた凄かった。まず、プロデューサーが敏腕で知られた田中友幸で、『ゴジラ』シリーズや『連合艦隊』、『八甲田山』などを手掛けた人物。脚本家も傑出しており、大御所の橋本忍であった。橋本氏は黒沢明監督の映画『七人のサムライ』や『羅生門』で知られるが、その他の作品を挙げれば『ゼロの焦点』、『砂の器』、『白い巨塔』、『八甲田山』などがある。そして、撮影技師には若き木村大作がいた。彼は松田優作主演の『野獣死すべし』とか高倉健主演の『夜叉』および『駅STATION』、好評シリーズの『極道の妻たち』でカメラを回し、小松左京が原作となっている別の映画で草刈正雄が主演を果たした『復活の日』とか、人気TVドラマの『傷だらけの天使』で撮影を任されたベテランだ。

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(左: 小松左京  / 田中友幸  / 橋本忍  /  右: 木村大作)

  一方、映画のストーリーは、地殻変動により日本が海底に沈むという激震が中核となっている。太平洋プレートとユーラシア・プレートの狭間に位置する日本は、マントルの対流により海底に引きずり込まれ、消滅してしまうのだ。「日本沈没」という悲劇は、ある島が突如として消滅する、という不吉な前兆で幕を開ける。この異変を調査したのは、小林桂樹が扮する科学者の田所雄介(たどころ・ゆうすけ)博士で、彼は深海調査艇「わだつみ」に乗り込み、小笠原諸島沖の海底で衝撃的な亀裂を発見する。田所博士はこの信じられない地殻変動を総理大臣の山本(丹波哲郎)に告げ、山本総理は早速、閣僚を集めて専門家の意見を聴くことにした。映画の中で、山本総理は三人の科学者を招集するのだが、田所博士と山城教授(高橋昌也)という架空の学者に加え、本物の地球物理学者の竹内均教授を登場させていた。当時、東京大学で教鞭を執る竹内教授は、テレビ番組にも登場するほどの著名な学者で、科学雑誌『Newton』の編集者としても有名だった。

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(左: 竹内均  / 小林佳樹  / 右: 藤岡弘 )

  日本近海での異常現象に危機感を覚えた山本総理は、密かに内閣調査室の邦枝と中田(二谷英明)、および首相秘書官の三村を田所博士のもとへと派遣し、詳しい海底調査を依頼する。話を諒承した田所は、海底調査艇「ケルマデック」号の操縦者に、是非とも「わだつみ」で知り合った小野寺俊夫(藤岡弘)を、と指名した。その頃、調査会社に勤務する小野寺は、上司の吉村部長から縁談話を持ち掛けられ、一緒に葉山の別荘へ訪れることになった。その相手とは阿部玲子(あべ・れいこ)という27歳の女性で、裕福な家庭の長女という設定になっていた。こう紹介すると、奥ゆかしい淑女を想像してしまうが、彼女は小野寺に対して最初から積極的である。意気投合した二人は近くの海岸へ赴き、躊躇う事なく浜辺で抱き合う仲となった。仮面ライダーで知られる藤岡弘が“いつも”の通り熱血漢を演じるのは珍しくないが、「玲子」役のいしだあゆみが、まだ若くて素人ぽかったのは嬉しい。1968年のヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」で注目を浴びたこの人気歌手は、後に『北の国から』や『金曜日の妻たちへ』などで大女優に変貌するが、1970年代だとまだ脇役で初々しかった。(俳優の萩原健一が惚れたのも分かるなぁ。)

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(左: 浜辺で噴火に遭遇する小野寺と玲子  / 中央と右: いしだあゆみ )

  『日本沈没』の物語は田所博士と山本総理の二人が中心となっているが、この映画に深みと厚みを加えているのは、「箱根の老人」と称される「渡(わたり)」の存在だ。島田正吾が演じる「渡老人」は政財界の有力者で、山本を総理大臣に押し上げた陰の功労者である。渡は100歳になる高齢者で、姪の「花江(角ゆり子)」に介護を受けるほど体が弱っているが、その精神と頭脳は未だに健全だ。明治・大正・昭和を生きた箱根の大御所は、如何にも気骨のある国士に見える。彼は国家の行く末を案ずる民間の重鎮で、私財を投じて政府に海底調査を行わせたり、判断に迷う山本総理の相談役にもなっていた。山本総理は海底調査を目的する「D1計画」を実施したが、さらなる計画、すなわち1億1千万人の国民を海外に脱出させる「D2計画」をも考案したのである。

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(左: 島田正吾   /  中央: 丹波哲郎  /  右: 二谷英明)

  田所博士の不安は次々と現実のものとなり、日本各地で大地震や火山の噴火が頻発するようになる。日本が海に沈むという現実を隠しきれなくなった政府は、外国人ジャーナリストによる暴露記事と大衆のパニックを恐れ、それを回避すべく自ら発表しようと試みた。その一環として、田所博士のテレビ出演を画策するが、肝心の田所博士は番組の中で癇癪を起こして喧嘩となり、そのまま失脚してしまう。一方、山本総理は日本国民を受け容れてくれそうな国を模索することで精一杯。彼は各国に特使を派遣し、たとえ僅かな人数でもいいから受け容れてくれるよう懇願する。ある特別使節はオーストラリアの首相を訪ね、数百万の日本人を受け容れてくれるよう頼んでいた。国連でも日本の沈没と難民の発生に関して様々な議論が闘わされるが、各国とも日本人の受け容れに消極的で、とても1億の国民が移住できる状況ではなかった。

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(写真  /  渡老人と姪の花江)

  しかし、最期の瞬間は刻々と近づいてくる。日本列島の各地で大災害が起こり、噴火や土砂崩れで崩壊する街、海に飲み込まれて水没する地域が現れてきた。こうした中、役目を終えた小野寺は、恋人となった玲子と共に海外へ脱出しようと考える。ところが、よせばいいのに、玲子は国外脱出を前にして葉山の別荘に立ち寄ってしまい、その地で災害と渋滞に遭ってしまう。ただし、困難にぶち当たっていたのは葉山の住民たちだけではなかった。全国至る所で大勢の被害者が出ていたのだ。それでも日本人の脱出は着々と進んで行く。空港から旅発つ者もいれば、漁船に乗り込み脱出を図る者もいて、中には津波に呑まれて溺死する犠牲者も出てしまった。

  日本列島が終末を迎えようとする頃、山本総理は脱出を前にして箱根の老人を訪ねた。豪邸の中で渡は病に伏していて、側には姪の花江が付き添っている。山本総理は床に伏す渡老人を連れ出そうとするが、この御隠居は動こうとはしない。渡は日本と共に沈むことを欲していたのだ。彼は花江を山本に託し、最後の別れを告げる。外では火山灰が降り注いでおり、ヘリコプターへ乗ろうとする山本と花江は灰だらけとなる。そこへ意外にも焦燥しきった田所博士が現れる。彼も渡と同じく日本に留まる決意であった。田所自身は死を覚悟するが、外国へ移住する日本人には希望を抱いていた。

  大自然に容赦は無い。日本列島には巨大な亀裂が生じ、九州、四国、北海道はとうに水没しており、本州にも地球の鉄槌が襲いかかっていた。地殻変動は無慈悲にも日本列島を切り裂き、断片化した大地は海に沈んで行く。葉山で混乱に遭遇した玲子は小野寺とはぐれてしまい、彼女はシベリアのような北国で列車に乗っていた。玲子は凍りつく窓から外を眺め、静かに小野寺との再会を期待する。他方、小野寺は南米かオーストラリアのような国に流れ着き、熱い曠野を縦断する列車の中から大地を眺めていた。二人がいつ再会できるかは判らない。映画は散り散りになった日本人の姿を以て幕を閉じていた。

何もしないという選択肢

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(写真  /  山本総理と向き合う渡)

  小松左京は『日本沈没』の中で「日本人とは何か」を問うている。物語のクライマックスは日本が沈没するところだが、映画の“肝”は山本総理と渡老人とが向かい合う密談の中にあった。日本人の脱出を図る「D2計画」を準備した山本総理は、再び箱根の長老に会いに行く。この来客が屋敷の居間に通されると、待っていた大老は総理に一通の包みを手渡す。その表面には、『日本民族の将来 D2計画基本要綱』と書かれていた。何かを悟ったような渡は、神妙な顔附きの山本に対し、その中に3つの選択肢をしたためた意見書が同封されていると告げる。渡老人は私的に三名の知識人を招き、屋敷内で移住計画を検討させていたのだ。集められた者のうち、一人は奈良の坊主、二人目は京都の社会学者、三番目は東京の心理学者であった。彼らが研究したのは、①日本民族が何処かに新たな国をつくる場合、②世界各地に分散し、現地で帰化する場合、③どこの国にも受け容れられない場合であった。そして、最も衝撃だったのは、専門家の三名が一致した附帯的意見である。すなわち、何もしないことである。

Tanba 3(左  /  渡に詰め寄る山本総理)
  悲壮な表情を浮かべる渡は、真摯に耳を傾ける山本を前にして、「このまま何もせんほうがいい」と口にした。「何もしない方がいい ?」と聞き返す山本は愕然とする。渡を見つめる山本の目には涙が浮かんでいた。招聘された三人の学者は、あらゆる状況を想定し、様々な検討を交えた結果、日本民族は沈み行く日本と運命を共にすることがいい、との結論に達したのである。もちろん、皇族は外国に移っていただく。山本総理は、「やはり、スイスにですか?」と尋ねる。うなづく渡によれば、天皇陛下はスイスに移動していただくが、皇族の一人はアメリカへ、もうおひと方はアフリカへとの見解であった。渡老人との密会を経た山本総理は、自ら各国の首脳に働きかけ、一人でも多くの日本人を受け容れてくれと頼んでいた。もちろん、外国に何百万人もの日本人を受け容れてくれというのは無理難題であることは百も承知である。が、それでも山本総理は諦めない。1万人が無理なら、千人でも、もし、その千人が駄目なら、百人、十人、いや一人でもいいと懇願する。国民の生命と財産を守りたい山本は必死だった。一人でも多くの日本人を救いたいという彼の願いは、観ている我々の胸に突き刺さる。

Showa 4(左  /  昭和天皇)
  ここで考えさせられるのは、皇室の存続と陛下の意向である。我が国の臣民なら、天皇陛下には安全なスイスに移っていただきたいと願うだろう。しかし、多くの国民が未だに行き先が定まらず、望みを託す外国政府から受け容れ拒否にあっている最中に、陛下だけが一足先にスイスへと脱出なされるのか。おそらく、昭和天皇は拒むに違いない。陛下は皇太子殿下と皇族には移住を命令されるかも知れないが、ご自身は留まろうとなさるはずだ。陛下なら、飛行機に用意されたご自分の席を空にし、幼い子供あるいは病人を乗せるよう厳命なさるだろう。名も無き庶民であっても、陛下にとっては大切な赤子である。昭和天皇は自らの命を犠牲にして日本国民を守ろうとする名君であったから、最後の一人が脱出するまで避難されることはない。たぶん、陛下のご決断を聴く側近や宮内庁の重臣たちは、天子様のお心遣いに号泣し、一緒に残ることを誓うだろう。

  一方、我が国を「この国」と吐き捨てる進歩的知識人や、共産主義者や社会党のシンパ、有名企業や上層階級のお金持ちなどは、コネや賄賂を使って一目散に国外脱出を図るはずだ。普段、格好つけて綺麗事を並べる奴に限って、緊急時には卑劣な行動を取ることが多い。例えば、テレビ番組や新聞のコラムで反米姿勢を示す評論家でも、移住するとなれば「アメリカ合衆国がいい !」と言い出しかねない。支那や朝鮮を讃美する学者なら“憧れの”支那や“友好”の南鮮にでも行けばいいのに、ちゃっかりとアメリカやオーストラリア行きの船に乗っていたりする。彼らの大半は卑怯者だから、「私はアメリカ人や西歐人を批判したけど、彼らの国を否定した訳じゃないから、歐米諸国を移住先に選んでもいいじゃないか !」と開き直るはずだ。ベ平連の小田実(まこと)みたいな連中も、定住先をアメリカやカナダにするかも知れないぞ。

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(左: 帰化手続きを済ませた支那人  /  右: 国籍取得者の宣誓式)

  日本人でも脱出を躊躇わないくらいだから、帰化人やアジア混血児はもっと素早く脱出を図るだろう。特に、在日朝鮮人は危険地帯となった日本に見切りをつけ、電光石火の如く“祖国”へと戻るだろう。平和な時だと図々しく居坐る朝鮮人も、沈み行く日本となれば別で、“我先に”と逃げだし、半島の同胞に向かって「ウリ(私も)朝鮮人ニダぁぁ !」と擦り寄るはずだ。もっとも、半島の南鮮人が諸手を挙げて、この「チョッパリ(半日本人)」を受け容れるかどうかは別問題である。

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(左: 朝鮮人移民の家族  /  右: 元気な支那人娘)

  帰化支那人だともっと露骨で、支那大陸の親戚を頼って一目散に逃げ出す。彼らは元々日本人じゃないから、日本の国土に愛着は無いし、日本がどうなろうと知ったことではない。日本は豊かな生活を提供するから価値がある。神様だってご利益をもたらすから崇拝するのであって、何もしなければタダの穀潰しだ。支那人にとったら、カネの切れ目が縁の切れ目で、沈み行く“外国”に未練は無い。日本が消滅するなら、次の移住先はオーストラリアあたりで、そこがダメなら合衆国へと踵(きびす)を返す。それでも無理なら、カナダへと潜り込む。支那人だとカナダに住む従兄弟の“はとこ”や「はとこ」の大叔父まで頼ったりするから、決して困ることはない。日本人とは「図々しさ」のレベルが違うのだ。

祖国と命運を共にする決断

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  普段、我々は日本人であるとは意識しない。平凡な日常生活では、「当り前」のことをわざわざ口にすることはないからだ。日本人の両親と祖父母を持つ日本人は、自分が日本人であることを改めて確認する必要が無いので、外国を旅行する時以外は「日本人」であることを自覚することが少ない。しかし、日本が消滅するとなれば話が違ってくる。日本という国土が無くなったら、日本人は日本民族として生きることが出来るのか。祖国を持たないユダヤ人なら、他国に寄生しながら独自の宗教と文化を維持できる。むしろ、彼らは積極的にヨーロッパに寄生したがるから、日本人とは本質的に違うと言えよう。この賤民と同じく、支那人も居候の身分で恥じる事はない。

  ところが、誇り高き日本人は別だ。我々の信仰や文化は日本の国土と密接に絡み合っている。日本の神社は日本の樹木で建てられ、そこに祀られる神々は日本の大地に根を下ろす。我々の信仰はアジア大陸の「宗教」と異なり、「宗教」と呼べるほどの拘束力を持たないが、その曖昧な「信仰」は温かく人々の体と心に溶け合っている。我が国の自然は日本人と共存するから素晴らしく、日本人なくして日本は成り立たない。我々はローマ人がローマを愛した以上に日本を愛している。

  もし、日本が海に沈む事態になれば、日本に留まる者もいるだろう。だが、まだ幼い子供や未来のある青年に心中しろとは強制できまい。いや、何としても生き延びてもらいたいと望むだろう。その一方で、女子供の姿を目にすれば、自分の心に芽生える矛盾に悩む事になる。なるほど、日本人は日本に住むのが一番だ。しかし、その日本が沈没するとなれば、選択肢は海外への脱出しかない。ただし、移住した日本人には苛酷な運命が待っている。歓迎されない日本人は、地元民から嫌悪されるだろう。事ある毎に厄介者とか薄汚い難民と侮辱されるだろうし、理不尽な扱いを甘受する破目になる。この仕打ちにじっと耐えるのは容易なことではない。中には死んだ方がマシだと思う者も出てくるだろう。日本人には屈辱にまみれた生活など我慢できない。それでも、家族に責任を持つ者や移住民の指導者は、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、民族の復興に一途の望みを託すはずだ。

  新天地での順応は子供の方が早い。幼い子供は日本人であることを忘れ、地元民の子供と似たような人間になるだろう。ただし、すっかり同化した子供を見て、大人の日本人は安堵すると共に、言葉では表現できぬ悲しみを覚えるはずだ。確かに親の言葉を話すが、その文字を書けず、読むことすらできまい。たとえ、日本人の感覚を理解できても、その行動様式は外国人と等しくなる。それでも、オーストラリアとか米国のような西歐諸国で育つ子供はいい。問題なのは、アジア諸国へ移住した子供だ。日本人の大人からすれば、我が子や知り合いの子供が支那人みたいな人間になるのは堪えられない。せっかく日本人として生まれたのに、最低の民族に同化するなんて憐れだ。これはベトナムやタイ、ラオス、バングラディシュ、インドに移り住んだ場合も同じである。日本人の姿をしていても、日本人としての魂が失われていれば、根無し草の浮浪者と変わらないじゃないか。

  「日本沈没」という設定はフィクションだが、筆者は映画を観ながら、「もし、日本が消滅するとしたらどうすべきか」と考えたことがある。筆者も幼い子供たちには生き延びてほしいと望む。恐怖に怯える幼児に諦念を勧めることはできない。しかし、自分自身については、日本と共に滅ぶことを選ぶ。アイデンティティーを失ってまで生き延びようとは思わない。でも、大半の日本人は移住・脱出を選択するだろう。日本人は勤勉だから、一部の者は外国に移住しても努力を重ねて成功するかも知れない。しかし、異国の生活に馴染めず自棄(やけ)を起こしたり、堕落・脱落する者も出てくるはずだ。日本人には矜持(きょうじ)が必要である。食べて寝て排便するだけの人生で良いとする人もいるだろう。しかしその一方で、「日本人らしく」誇りを持って生きたいと希(のぞ)むも人もいるはずだ。大和魂を失った日本人には、もぬけの殻となった空虚な人生しかない。日本人には日本人の血が流れているという実感が不可欠で、体の中を駆け巡る熱い血潮は単なる赤い液体ではないのだ。

  もし、天皇陛下が日本と共に沈むなら、陛下と運命を共にしようとする国民も出てくるだろう。日本人とは何か?  それは同胞と苦しみや悲しみを共にしようと考える人間である。繁栄や名誉なら帰化人でも共有したいと思うだろう。しかし、何の見返りも無い苦労とか、利益を伴わぬ試練なら避けたいと考えるはずだ。帰化したアジア人は、苦境に立つ日本を救おうとは思わない。愛国心は金銭慾とは別物である。確かに、豊かさに憧れてやって来た異邦人は、帰化申請を経て「日本国民」となるが、その魂までが日本人になる訳ではない。

  日本人には「滅びの美学」というものがある。生き恥を晒すのは死ぬよりも辛いからだ。日本は単なる列島ではない。その国土には祖先の血と汗と涙が染み込んでおり、祖国に殉じた英霊の魂も宿っている。日本は雑多な民族がバラバラに暮らす集合住宅ではない。我が国は運命共同体であり、民族の血が脈打つ聖地だ。日本人が故郷を守るのは理屈じゃない。命を懸けても守りたいものがそこにあるからだ。我々の肉体は民族の精神を受け継ぐ器であり、細胞の一つ一つに日本人の歴史が刻まれている。だからこそ、我々は外敵から祖国を守ろうとするし、祖先から継承した国家を“そのまま”子孫へと渡そうと心掛ける。住民が居ないから竹島を朝鮮人に贈与しろと考える者は、日本人として生まれても日本人ではない。外国人は留まろうとする日本人を愚か者と見なすだろう。しかし、愛する子供を見棄てることが出来ぬ親がいるように、愛する祖国を後にすることが出来ぬ日本人もいるのだ。沈み行く故郷見ながらでも、「日本人に生まれてよかった」と言える人生なら幸せなんじゃないか。



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若い沖雅也は凄かった / 名作となった「必殺仕置屋稼業」

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今では制作されないタイプの時代

  現在、衛星放送のBS朝日で『必殺仕置屋稼業』が再放送されている。筆者は過去に何度も観たことがあるので、今更「もう一度」でもないのだが、何となく懐かしくなって“つい”観てしまった。個人的な評価を下すなら、必殺シリーズの中で最高傑作は、山崎努が「念仏の鉄」を演じた『新・必殺仕置き人』なんだけど、沖雅也が「市松」を演じた『必殺仕置屋稼業』(1975年放送)も見逃せない。沖雅也は他の必殺シリーズにも登場していて、本作の前である1973年には「棺桶屋の錠」として『必殺仕置人』、1978年に再び起用されて『必殺からくり人・富嶽百景殺し旅』に出演していた。しかし、沖雅也といったら、何と言ってもニヒルな「市松」で、一番よく似合っている。出演当時、沖はまだ23歳か24歳くらいであったのに、ベテラン俳優も真っ青の演技を披露していた。今の若手俳優であんな演技力と存在感を見せる役者は滅多にいないだろう。

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(左: 「中村主水」役の藤田まこと  /  右: 「市松」を演じる沖雅也)

  『必殺仕置屋稼業』は一応、「中村主水(もんど)」を演じた藤田まことが主役みたいなんだけど、物語で異彩を放つのはやはり「市松(いちまつ)」だ。定町廻り同心を務める「八丁堀」こと中村主水は、銭湯の釜焚きを生業(なりわい)とする捨三(すてぞう)を乾分(こぶん)にして「仕置人」を裏稼業にしていた。ある日のこと。主水は人混みの中で、偶然にも竹串を使う市松の殺しを見てしまう。間髪を入れず「殺し屋」の後を追う主水だが、市松の方がすばしっこく、あっけなく巻かれてしまうのだ。奉行所で昼行灯(ひるあんどん)を装う主水は、自分の正体を知る髪結いの「おこう」と出逢ってしまい、彼女から殺しの依頼を受けるが、用心深さゆえに白を切って断ってしまう。だが、おこうは諦めず、執拗に主水を「裏稼業」へと引き戻そうとする。彼女は依頼人である「おいと」に主水を会わせ、無惨な死を遂げた姉の「おみよ」の恨みを晴らしてくれるよう頼んだ。それでも、主水は首を縦に振らず躊躇する。

  ところが、依頼人の「おいと」は絶望のあまり井戸に身を投げ亡くなってしまうのだ。主水はおこうに連れられ、雨が激しく舞う土砂降りの中、おいとの葬儀を目にすると、「仕置き」を引き受けることにした。だが、そこには主水を狙う市松の姿もあった。おこうと別れた主水は、帰る途中に待ち伏せていた市松と出逢う。市松に気付いた主水は静かに口を開く。

  「お前を捜していたんだ」

暗やみを背にする市松は穏やかな表情を浮かべながら口を開いた。

  「死んでもらおう。俺の仕事を見た奴は、生かしておく訳にはいかねぇんだ」と笑みを浮かべる。その時、彼の瞳孔が豹のように、ほんの僅かだけ大きくなった。

  一方、この言葉を聴く主水の顔は「仕置人」の表情になっていた。市松に振り向く主水は「その前に、人ひとり殺しちゃくれねぇか」と頼む。

  すると口元を緩めた市松は表情を和(なご)ます。

  「尻(ケツ)っぺたに十手(じゅって)を挟んだ殺し屋とは呆れるなぁ、ふぅふ」

その表現を耳にした主水も笑い返す。市松は「引き受けた !」とあっさり諒承する。しかし、その瞬間、彼の顔は氷のように冷たくなった。

  「おめぇを冥途に送った後にな」

そして再び笑顔に戻る市松。白い歯を見せる市松は「またな」と穏やかに言い残し、その場を去る。市松の捨て台詞を耳にした主水は緊張と安堵が入り混じっていた。主水は一人闇夜に佇(たたず)む。

  さすが、沖雅也はすごい。映像を観ていない人には分かりづらいだろうが、役者として彼の表情と口調は一流だ。笑みを浮かべながら平然と殺しの予告をするなんて、観ている者の心臓に響くというか、全身が興奮してゾクゾクする。冷徹な殺し屋は怒鳴ったりしない。平常心を保ちながら、残酷な事を述べるから「凄味」があるのだ。当時の沖雅也が22、3歳の若造なんて思えない。現在の若手俳優で彼のような風格を持つ奴がいるのか? 新しい「必殺仕事人」で主水役と似た同心を東山紀之が演じていたけど、アホらしくて見ていられなかった。本人は「演技派」を気取っているんだろうが、どうみても今風の「兄ちゃん」にしか見えない。何も時代劇に出なくったって、現代劇にでも出ればいいじゃないか。(もしかしたら、所属事務所の命令だから断り切れなかったのかもね。筆者には裏事情が分からないので、彼を一概に酷評することはできないが、「適役」じゃないことは確かだろう。)

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(左: 「仕置き」の時の市松  / 右: 主水を刺し殺そうとする市松 )

  必殺シリーズには印象的なシーンが幾つもあるけど、主水が市松と対決するシーンは名場面の一つとなっている。二人が別れてからしばらくして、市松の住処(ヤサ)を見つけた主水は、彼に再会して話をつけようとする。が、市松の姿はそに無い。しかし、まだ座布団は暖かい。主水は市松がそれほど遠くには行っていないと察知する。追跡しようと家を出た主水。すると、隠れていた市松が主水に襲いかかり、彼の背後を取って竹串をその首筋に刺そうとした。羽交い締めにされた主水は動けず、市松は主水の十手を弾き落とす。主水の右手を封じ込めた市松は、背後から語りかける。

  「旦那。こっちから足運びましたのに。死んでもらう前に聞いておこうか。殺しの相手は誰ですかい?」と尋ねた。

  「廻船問屋、近江屋利兵衛だ」と伝える主水。

  「安心しな。仕事は綺麗に仕上げてやる」と、まるで「冥土の土産」のように言い渡す市松。

しかし、主水は死を覚悟するも、その言葉には力があった。主水は静かに語りかける。

  「おめぇも、そう死に急ぐことはねぇじゃねぇか」と市松に向かって説く。

主水の言葉を聴く市松は、彼の刀が自分の脇腹に向けられていることに気付いた。相討ちとなる場面を想像した市松は焦る。すると主水はつぶやくように語りかけた。

  「どっちに転んでも、あまりいい籤(くじ)じゃねぇなぁ。だが、殺しの数は俺の方が上だぜ !」と余裕を見せつける。

  「刀、引いてくれや」と市松は囁く。だが、主水は譲歩しない。主水は言う。

  「ダメだ。俺はカカァ始め、人さま信用しねぇことにしてるんだ」と。

  「わかった。おめぇさんの話に乗った」と市松。小さくうなづく主水。

  だが、市松は次のセリフを吐く。

  「しかし、おめぇさんを殺(や)るのを諦めた訳じゃねぇぜ」

  「わかった」と返事をする主水。羽交い締めを解かれると、主水は反転し市松の正面に身構えた。そして、市松の住処を滑るように後にした。

  主水との刺し違えに冷や汗を掻く市松。緊張がほどけた市松は額の汗を拭った。

  いいねぇ。この緊張感。二人の殺し屋が共倒れ寸前なんて、見ている方が緊迫するじゃないか。殺気が漲る市松に対して、主水もベテランの意地を見せつける。しかも、彼の言葉がいい。女房の「りつ」を始め、誰も信用しない主水。一見すると臆病のようにみえる「八丁堀」は狡猾で用心深い。何度も修羅場をくぐり抜けた仕置人は、仲間でさえ心を許さず、細心の注意を払うことが本能となっている。『必殺仕置屋稼業』の全編を通じて、主水は市松を本気で信用することはなかった。忠実な捨三でさえ、いつ自分を裏切るか分からない、と思っているくらいだ。猜疑心に基づく仲間意識という矛盾に満ちた世界を主水は生きている。裏稼業の人間は一つ間違えば、役人に捕まり、熾烈な拷問を受け、挙げ句の果てに「獄門さらし首」というのが定番だ。仕置人は毎回、銭を貰って地獄の縁(ふち)を歩いているようなものである。だから、仕置人を眺める視聴者は、闇の世界で生きて行く男たちの非情さと、晴らせぬ恨みを晴らしてやろうとする情熱に感動するのだろう。平成の時代劇では甘ったるい人間関係ばかりだ。これでは“大人”の視聴者は馬鹿らしくて観ていられない。世間で辛い思いを噛みしめる中高年の視聴者は、映像の中にもっと残酷で厳しいドラマを欲しているのだ。(平成の「仕事人」では残酷な拷問シーンが無いのも、うるさい視聴者への対策なんだろう。制作スタッフが女子供からの抗議を恐れているのか、どうも及び腰である。)

豪華な脇役が支えた名作

  『必殺仕置屋稼業』には他にも印象的なキャラクターが登場する。頼み人の仲介役を務める「おこう」もその一人だ。「おこう」役は中村玉緒が演じているんだけど、これが意外といい。若い頃の中村玉緒は初々しくて素晴らしい。オバタリアンになった現在の姿しか知らない高校生は、「えっっ~ ?! これが“あの”ダミ声で笑うオバはんなの ?」と驚くんじゃないか。(亡くなった勝新太郎が惚れたのも分かる気がする。それにしても、女優はバナナと同じく賞味期限切れが早いよなぁ。ただし、同級生と比べると段違いだから、一概に「劣化が激しい」とは言えまい。) ドラマの中で玉緒は上方訛りの髪結いを演じていて、それがとても良く板に附いている。新版の仕事人では和久井映見が「繋ぎ役」を演じていたけど、中村玉緒と比べれば明らかに「格」が違う。『必殺仕置人』では野川由美子が仕置人の仲間になっていて、彼女が演ずる「鉄砲玉のおぎん」がまたハマリ役というか、ドラマの中に自然と溶け込んでいた。粋のいい「おぎん」を演じる野川由美子は、まさしく江戸時代に生きていた江戸っ子みたい。度胸と愛嬌があって、啖呵を切れば立て板に水。役者はこうでなきゃ。観ていて気持ちががいい。

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(左: 主水に仕置きを依頼する「おこう」  / 右: 「鉄砲玉のおぎん」を演じる野川由美子 )

  市松とは対照的なのが、もう一人の仕置人である破戒僧の「印玄(いんげん)」だ。温厚そうな新克利(あたらし・かつとし)が演じていてたが、それでも結構似合っていた。 この「印玄」は生臭坊主で、女の裸が大好き。お経の読み方もいい加減。だが、殺しとなれば人格が違ってくる。その怪力を用いてターゲットを抱え上げ、屋根の上に連れ出すと、その背中を押して地面に突き落とすという具合だ。風呂釜に薪をくべる捨三と親しい印玄は、彼の代役を喜んで引き受けたりする。そんな殺し屋坊主は人情に厚かった。ある依頼で市松が「卯之吉」という若者を殺した時だ。彼の父である睦屋佐兵衛(むつみや・さへえ)は裏稼業の人間で、市松とも知り合いである。この佐兵衛は息子を殺した者全員に復讐したくて、仕置人を見つけ出そうとした。そこで佐兵衛は殺しを依頼した親子を探り出し、彼らを脅して仲介役が「おこう」であることを突き止めた。捕まったおこうは佐兵衛の手下により激しい拷問を受けてしまう。しかし、彼女は中々口を割ろうとはしない。

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(左: 「印玄」役の新克利  /  右: 「捨三」役の渡辺篤史)

  一方、おこうが捕まったことを知った主水は、捨三の風呂場でどうするか考えていた。主水の側では市松と印玄も頭を抱えていた。主水は、拷問に掛けられたおこうが地獄の責めに耐えきれず、仲間のことを喋るんじゃないか、と心配していた。そこで市松や印玄彼女をは助けよう、と提案する。だが、成功する見込みが無いと判断する主水は渋った。市松は侮蔑の眼差しで、てめぇの身が可愛いだけだろう、と主水を非難した。しかし、主水は顔が割れていないことを利点と考えている。自分が奉行所の内情を知る同心だから、お前達も安心して裏の稼業が出来るんだ、と反論した。こうした口論が交わされる間も、おこうへの拷問は続いていたのだ。

  佐兵衛とは旧知の仲である市松を怪しんだ主水は、市松が自分たちを売り渡すんじゃないかと疑り、印玄に市松を見張るように言い付けた。そして、場合によっては奴を殺(や)っちまえ、と命じていたのだ。案の定、佐兵衛は市松の前に現れ、命だけは勘弁してやるから仲間を教えろと迫った。それでも、佐兵衛の手下に囲まれた市松は、明言を避けながら、その場を上手く切り抜けることが出来た。遠くに隠れて一部始終を目撃していた印玄は、市松の後を追うも直ぐに見つかり、市松から「八丁堀の指図か? 」と尋ねられる。図星で戸惑う印玄。見透かされた印玄はお茶を濁すも、「俺はお前を信じている」と市松に伝えた。嘘が苦手の印玄は正直に語り、市松はあっさりとその場を去った。

  おこうを見棄てることが出来ない印玄は、風呂場で主水に「おこう救出」を告げ、もし失敗したら後を任せる、と言い残し、佐兵衛の屋敷に向かう。市松も印玄と同行し、天井からロープで吊されているおこうの前で、まず市松が佐兵衛に話をつけ、おこうの身代わりを申し出る。すると、一瞬の隙を突いて市松が手下の一人を竹串で刺す。佐兵衛たちがどよめいていた時、天井に隠れていた印玄がおこうのロープをたぐり寄せ、彼女を抱えて屋根から抜け出そうと図った。しかし、佐兵衛の手下が追ってくる。おこうを抱えた印玄は反撃できない。追っ手が匕首(あいくち)で印玄の脇腹を刺すが、それでも印玄は抵抗できず、おこうのロープを握って、下で待つ市松に渡そうとする。ゆっくりとおこうを下に降ろす間も、印玄は何度も腹を刺され血が吹き出る。やっと、彼女を市松に預けると、印玄は佐兵衛の手下を強引に捕まえ、一緒に地面へと落ちることにした。屋根から飛び降りた二人は即死。壮絶な死を遂げた印玄を前にして「印玄 !」ぶ市松。仕置人の無惨な最期を目にした市松の声が、やけに物悲しい。

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(左: 「おこう」を演じる中村玉緒 / 右: 絶命する印玄 )

  市松はやっとのことで「おこう」を主水のもとへと運ぶが、容赦無い拷問でおこうは虫の息だった。薄れ行く意識の中、顔面蒼白のおこうは主水に対し、「仕置人を辞めたらあきまへんで」と懇願する。主水に抱きかかえられたおこうは、死ぬ間際に初めてその恋心を打ち明けたのだ。彼女は密かに主水に心を寄せていた。仕置き料をコツコツと貯めていたのは、いつか主水と所帯を持ちたいと考えていたからだろう。佐兵衛に捕まる前、彼女は主水に「あんな女房と別れなさいな。私が面倒みるさいに」と冗談交じりで話していたことがある。主水と夫婦になりたいと願っていたおこうの気持ちがいじらしい。だが、その夢も現実の前では儚かった。おこうは主水の腕の中で絶命する。印玄が命懸けで助けたおこうが死んでしまうなんて。印玄の死は何だったのか、と言いたくなる。

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(左: 西尾三枝子  /  右: 大滝秀治)

  TVドラマの醍醐味は、練りに練られた脚本と中心的人物の活躍にあるが、脇を支える役者の存在も見逃せない。1970年代の必殺シリーズには、素晴らしい演技を披露する名脇役が揃っていた。『必殺仕置屋稼業』には、悪役が十八番(おはこ)となっている男優の今井健二が出ていたし、渋さが光る美川陽一郎、『あしたのジョー』で丹下段平の声優を務める藤岡重慶、ゴロツキを演じさせたらピカイチの石橋蓮司、『傷だらけの天使』で知られる岸田森などが登庸されていた。脇役がうまいと主役が栄えるし、ドラマ全体に締まりが出てくる。若い頃の大滝秀治もゲスト出演しており、彼の眼光は鋭く、悪徳商人が良く似合っていた。また、あの頃は女優陣も魅力的で、妖艶な西尾三枝子も出ていた。(今では、人気番組だった『サインはV』も忘却されたドラマだ。)

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(左: 佐藤慶  /  左: 今井健二)

      しかし、何と言っても嬉しいのは、『新・必殺仕置人』の最終回で有名な、佐藤慶がゲスト出演していたことだ。今から考えると、本当に豪華な俳優陣を起用していたんだなぁ、と感心する。NHKの大河ドラマなんかアイドル藝人の紹介番組みたいなもので、とても硬派な時代劇とは思えない。2017年のBS版『水戸黄門』では、武田鉄矢が水戸光圀役を務めるそうだが、こんなの東野英栄郎の頃を知っている視聴者からすればパロディーだ。江戸時代にタイムスリップした金八先生にした方がいいんじゃないか。いくら有名俳優だからといっても、「適材適所」っていうものがあるだろう。

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(左: 石橋蓮司  /  右: 岸田森)

市松の潤んだ瞳

  必殺シリーズには常連俳優も多く、津川雅彦もその一人だ。彼は『必殺仕置人』のみならず、『必殺仕置屋稼業』にも出演しており、市松の父親「市造」と仲間であった「鳶辰(とびたつ)」を演じたことがある。殺し屋稼業を営む鳶辰は市松にとって「伯父貴(オジキ)」みたいな存在で、時々彼の依頼で仕事を請け負うこともあったらしい。しかし、鳶辰は金の為に「市造」を裏切って死に至らしめた過去を持つ。そして、再び彼は配下の殺し屋「源次」を罠に掛け、彼を死に追いやってしまった。つまり、鳶辰は殺す相手に源次が来ることを事前に知らせ、その代わりに大金を頂いていたのである。このカラクリを知った市松は愕然とする。足を洗ったはずの源次は市松の親友であったからだ。源次の女房「おみつ」は、主水たちに恨みを晴らしてくれるよう頼む。仕置きの依頼を知った市松は、「なぜ俺に頼まねぇんだ」と彼女に問い掛けるが、おみつは市松にも足を洗って欲しかった、と告白する。ところが、そのおみつも亭主の位牌を前にして自害してしまうのだ。

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(左: 折り鶴附の竹串が首に刺さった「鳶辰」を演じる津川雅彦  /  右: 鳶辰を殺した直後の市松)

  頼み料をおこうからもらった主水と印玄は、鳶辰を仕置きに掛けるが、その死んだ「鳶辰」は影武者だった。主水の前に現れた本物の鳶辰は拳銃を持っている。主水危うし。捨三が主水の前に立って守ろうとするが、鳶辰は「無駄だ」と言い放つ。ところが、主水に狙いをつける鳶辰に背後から折り鶴が飛んできた。市松が竹串に折り紙を結びつけて、遠くから投げていたのだ。鳶辰の首に刺さった竹串と、その流れ出る血を吸って赤くなる折り鶴は印象的だった。市松は伯父と慕う鳶辰を、自ら手に掛けて殺してしまったのだ。市松にとっては父と親友の仇討ちになるはずだが、どこからともなく悲しみが込み上がってくる。

  鳶辰を殺した市松は、無言のまま竹藪の中に消えて行く。命拾いした主水は、市松を追いかけ感謝を述べた。ところが、主水に背を向ける市松の目には、うっすらと涙にならぬ涙が浮かび、彼の瞳は潤んでいた。いくら悪人とはいえ、鳶辰は市松にとって肉親のような存在である。胸が張り裂けるほど辛い。しかし、主水に振り向く市松は、仕置人の顔に戻っていた。市松は主水にカネを要求する。主水は「おこうからお前の分はもらっちゃいねぇんだ」と伝えるが、市松は「そんなこと、俺の知ったことじゃねぇ」と突っぱねた。主水は絶体絶命のピンチを救ってくれた市松に「嫌」とは言えない。そこで渋々、仕置料の二両を手渡す。小判を摑んだ市松は、「二両か。安い命だな」とせせら笑う。「何を !!」と怒る主水だが、市松はさらりと受け流す。また危ない時があったら助けてやる、と傲慢な態度を示すから、主水や捨三も頭にくる。だが、市松は気にせず、夜の闇に消えて行く。

  このシーンを演じる沖雅也の表情が実にいい。主水たちには涙を見せず、プロの「仕置人」として“ちゃっかり”と料金を請求するんだから大したものだ。観ている者にも冷徹なプロ意識が伝わってくる。だが、市松には冷酷な殺し屋という裏の顔がある一方で、子供と戯れる時の心優しい青年という一面もある。彼が竹とんぼを子供たちに作ってやって、一緒に遊ぶ姿は微笑ましい。闇夜に潜む仕置人の面影すら無いのだ。もしかしたら、悪人と善人を兼ね備えるところに市松の魅力があるのかも知れない。

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(左: 市松を演じる沖雅也  /  右: 最終回で左遷される中村主水)

  それにしても、他の凡庸な俳優だと、市松が口にするセリフは似合わない。沖雅也演ずる市松が述べるからこそ“自然”に聞こえるのだ。日本では「能無し藝人」でも、「二枚目」とか「可愛い」という理由で「タレント」なる英語で呼ばれたりする。所属事務所の「力」で俳優としてデビューできるが、本当に能力や特技があるのか定かではない。しかし、沖雅也には本当にキラリと光る才能があった。彼の演技は天性のものだろう。市松の喋り方とか表情は、練習で表現できるものではない。平成の男優に彼のような人物がいるのか? 筆者は藝能界に詳しくないから断定できないが、その数はたぶん多くはないだろう。とにかく、仕置きを行う時の市松は素晴らしい。光と影のコントラストを重視する必殺シリーズの撮影技法には惚れ惚れする。暗闇から浮き出た市松の顔が、ほのかな光に照らされて、これまた美しい。市松が鋭く磨いた竹串を悪党の首筋に、素早く的確に“ブス”っと刺す瞬間など最高だ。派手な斬り合いより、この方が妙にリアリティーがある。

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(左: 「やいとや又右衛門」 を演じた大出俊 /  右: 「念仏の鉄」を演じた山崎努)

  「昔は良かった」と愚痴をこぼすのは嫌だけど、昭和40年代から50年代にかけてのTVドラマには、制作者の意気込みと気魄が滲み出ていた。もちろん、視聴率を無視していた訳ではないが、それ以上に「良い作品」を世に出そうと必死だったのだろう。『必殺仕置屋稼業』のカット割りとか撮影テクニックに目を凝らすと、まるで映画を一本観ているような気がする。たぶん、監督や脚本家を始めとする制作スタッフが努力を惜しまず、真剣に取り組んでいたからだろう。現在のTV用時代劇だと、作り手が「低予算だからねぇ」とか「事務所のゴリ押し役者がいるからさ」という言い訳を設けて、不甲斐ないドラマの正当化を図っている。こんな下らないドラマなんか、DVD化して一体どれだけの人が観るのだろか? 1970年代の必殺仕置人は何度も再放送され、今でも根強いファンを持っている。人気の高い山崎努や大出俊、緒形拳などの演技は、今でも観賞に耐えうるし、まったく色褪せてない。近い将来、必殺シリーズが復活するかも知れないが、もう感動するような役者は採用されないだろう。もしかしたら、ジャニーズ事務所の若手俳優が登用されたりして・・・。そうなれば、「仕事人」という番組自体が視聴者からそっぽを向かれ、局の重役が闇に葬ってしまうかも。だって、テレビ局の社長は「大鉈(おおなた)をふるう」という必殺技を持っているからね。




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