無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

邦画評論

ストロベリー・ナイト・サーガの性(さが)

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黒木 頼景
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リメイクは失敗する

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(左: 前作の「ストロベリー・ナイトの」のキャスト  /  右: 新作「ストロベリー・ナイト・サーガ」のキャスト)

  先月、何年ぶりだろうか、久々に邦画や日本のTVドラマを観た。というのも、筆者が楽しみにしていた米国のTVドラマ『ヴァイキング』のシーズン5(後半)と英国のNetflixドラマ『ラスト・キングダム』のシーズン3が終わってしまったからだ。次に何を見ようかと迷っていたところ、たまたま知人に「ストロベー・ナイトのリメイクが放送されるから、前作を観てみれば」と勧められたので、「久しぶりに邦画でもいいか」と思い、幾つかのエピソードに目を通してみた。前作の感想は「まぁ、こんなものだろう」と一応合格点をつけたのだが、新作のリメイク版を観てビックリ。学藝会並みの出来映えだったからである。

  このTVドラマは誉田哲也(ほんだ・てつや)のベストセラー小説を基に制作されたというから、多少まともな脚本になっており、大人でも楽しめる内容となっている。事件を捜査する刑事たちが調べを進めてゆく内に、犯人の意外な実像や複雑な人間関係に気づき、やがて隠された真実が見つかる、という筋書きだ。視聴者は主人公の姫川玲子(ひめかわ・れいこ)と一緒になって事件を推測し、違った角度からの捜査を楽しむ。そこには推理小説の常として、ダイヴァージョン、すなわち陽動作戦というか、間違った方向への誘導があり、各場面に事件解決へのヒントが隠されているのだ。たぶん、ジグソーパズルのピースを一つ一つ当てはめながら、全体像を完成させる構ような成になっている。だから、視聴者はこのドラマに引き込まれてしまうのだろう。

  また、主任の姫川には暗い過去があるのも特徴の一つだ。彼女は高校生の時、暗闇の場所で強姦魔に襲われ、ナイフで刺された上にレイプされてしまったのだ。この心傷は刑事になっても姫川につきまとい、一生消えることのない心の闇となっている。警察署では毅然とした態度を取る姫川だが、夜の街を一人歩きすると、ふと昔の記憶が蘇り、震えて立てなくなくなってしまう。犯人を追跡する姫川が犯罪者の異常心理を理解できるのも、彼女に同じ心理があるからだ。辛辣な勝俣警部補が「お前は刑事に向いていない !」と罵倒したのは、姫川のダークサイドを知っていたからだろう。性犯罪者というのは、たとえ逮捕・起訴されても、死刑にはならず、せいぜい臭い飯を数年食えば釈放されてしまうから、強姦の被害者が「殺してやりたい !」と恨みを抱いても無理はない。陵辱された女性の苦悩は一生続くのに、強姦魔は6、7年のお勤めで自由の身なんだから「赦せない !」と思っても当然だ。

  リメイク版のストーリーは基本的に前作と同じで、違いはキャスティングにある。前作だと、主役の姫川役には竹内結子が起用され、副官の菊田和男は西島秀俊が演じていた。また、捜査一課第十係の主任を務める姫川には若手の部下がいて、小出恵介、丸山隆平、宇梶剛士が演じている。ただし、「姫川班」のメンバーではないが、捜査の都合上、井岡博満という鬱陶しい巡査部長がくっ附いている。この役には生瀬勝久が起用されていた。たぶん、深刻な場面の連続とならないよう、緊張緩和のために、井岡のような緩いキャラクターを添えているのだろう。姫川にベタ惚れの井岡は、アホ面下げて、しょっちゅう「レイコちゃ~ん」と言い寄る。姫川は「気持ち悪い !」と吐き捨て、ガツンと肘鉄を食らわすが、井岡はそれにもめげず諦めない。視聴者は、こうした道化的キャラクターに呆れてしまうが、段々と慣れてくるので何となく必要な人物と思えてくる。生瀬にはこういう役が似合っているのかも知れない。新作で「井岡」を演じる今野浩喜は邪魔なだけで、論評する価値すら無い。

  姫川には天敵にも等しい勝俣という警部補がおり、彼はいつも姫川に辛く当たっていた。彼は煮ても焼いて食えない、海千山千のベテランで、一方的に姫川から捜査情報を引き出そうとする。勝俣は元公安らしく、裏取引や強引な尋問さえ厭わない。世間の裏や捜査の複雑さを充分理解しているが故に、勝俣は猪突猛進型の姫川を「刑事に向かない」と言い放つ。この忌々しい刑事役を武田鉄矢が演じていて、結構好評らしい。 しかし、筆者が監督なら別の役者を用いる。新作で「勝俣」を演じる江口洋介は、武田に負けまいとしているのか、矢鱈と演技がわざとらしい。彼も事務所と制作者の力学で起用された役者なんだろう。江口氏は昔、『古畑任三郎』に出ていたので覚えているけど、二軍のサッカー選手みたいな風貌で、特別なオーラがあるとは思えない。でも、人気俳優なんだろう。

  今の俳優には詳しくないので、昔の役者で言えば、「勝俣」役には成田三樹夫さんみたいな人物が適役だ。キレ者で抜かりの無い捜査を行う刑事役にはピッタリの俳優である。何しろ、敏腕刑事を演じさせれば一流で、微妙な表情となればお手の物。名脇役と称された成田氏は、本当に“うまい”役者だった。武田鉄矢もいいけど、彼はどちらかと言えば、冴えない中年警部が似合っている。1980年代、彼は『刑事物語』で自ら監督・主演を務め、ジャッキー・チェンのようなアクション・シーンを撮っていた。片山刑事に扮する武田氏が、木製ハンガーをヌンチャクのように使い、犯人を逮捕するシーンはちょっと話題になった。「金八先生」上がりの武田鉄矢は、交番勤務の巡査くらいが丁度いい。

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(左  :  成田三樹夫  /    右  : 清水紘治)

  もう一人、姫川のライバルとなるのが、捜査一課の警部補たる日下守だ。この役には伊藤憲一が起用されていたので、演技力には問題ない。姫川の上司である今泉係長には、高嶋政宏が当たっていたが、どう評価していいのか判らない。なぜなら、どの中堅俳優が起用されても違和感が無いからだ。おそらく、彼のスケジュールが空いていたから役が回ってきたんだろうけど、「別にあの役は高嶋じゃなくてもいいから、誰でも代わりがきく」と思えてしまうのだ。今の状況じゃ難しいと思えるが、贅沢を言えば、清水紘治みたいな俳優がいい。上層部から部下を庇う係長なら、清水さんくらいの力量がなくちゃ。高嶋は所詮「親の七光り」で登用される雑魚役者だから、まともに論評する気にはなれない。

Sato 2(左  /  佐藤慶)

  問題なのは、捜査一課の管理官「橋爪」を演じる「渡辺いっけい」だ。捜査会議で姫川にガミガミ言う上司役なんだが、癇癪を起こして怒鳴りつける演出だから、却って白けてしまう。どうせ、姫川を叱りつけるんなら、声を低く抑え、冷たくドスの利いた言葉で咎める方がいい。たぶん、演技指導をする監督の佐藤祐市が未熟なんだろう。あるいは、もしかすると視聴者が馬鹿なので、はっきりと伝わるように、わざとらしいセリフ回しにしているのかも知れない。捜査一課の管理官役には佐藤慶ような名優を起用すべきなのに、キャンキャン吠えるだけのチンピラ俳優を据えるとは、この役柄にどんなイメージを描いていたのか尋ねてみたい。(『大都会 / 闘いの日々』で「深町警視」を演じた佐藤慶は絶品だった。今だと、佐藤氏のような俳優はいないんじゃないか。)

  竹内版の『ストロベリー・ナイト』は視聴者から結構な評価を得たというが、今回の『ストロベリー・ナイト・サーガ』は残念な結果となってしまった。まだ、始まったばかりなんだけど、初回をスペシャル版で放送したところ、視聴率が何と7.8%しかなく、第二話で浮上するかと思いきや、更に下がって6.4%へと落ちてしまった。筆者は「6%以上もあったんだから、いいじゃないか」と思ってしまうが、制作者からすると悲惨な数字らしい。せめて10%くらいは欲しいそうだ。前回の竹内バージョンは平均して15%くらいあったので、相当ガッカリしたものと思われる。確かに、前作を凌ぐ意気込みで作ったんだろうから、その視聴率が前作の半分くらいじゃ泣けてくるだろう。でも、フジテレビのリメイク作品はどれもこれも似たようなものらしい。まだ観ていないんだけど、フジテレビは松本清張の『砂の器』をリメイクし、東山紀之を起用したそうだ。必殺シリーズの「中村主水」を台無しにしたアイドル歌手が、またもや名作の主役になるなんて信じられない。映画版の加藤剛を知っている人なら唖然とするはずだ。やはり、ジャニーズ事務所の力なんだろう。もっと恐ろしいのは、アメリカのヒット・ドラマ『Suits』を日本版にして放送したことだ。織田裕二を主役にしたそうだが、どんな結果になったのか想像がつく。たぶん、惨敗したんじゃないか。

  リメイク版の『ストロベリー・ナイト』が低視聴率になったのは、どうもキャスティングにあるらしい。確かに、前作で魅了されたファンにとったら、今回のキャスティングは納得できないはずだ。まず、姫川役の「二階堂ふみ」には、重荷というか不適格さを感じざるを得ない。捜査班を率いる主任の役には、ちょっと若すぎるのだ。必死で役に打ち込んでいる努力は認めるけど、何となく高校生女優が背伸びしているようで、観ていて痛々しくなる。遠慮無く言えば、小娘の演劇会に近いということだ。男社会の警察で、若い女性が捜査主任になったという設定なんだから、梶芽衣子(かじ・めいこ)くらいの実力派女優を採用しなければならないのに、藝能事務所が派遣した小娘を使っているんだから厭になる。今では古臭くて話題にならないけど、『修羅雪姫』の梶さんには存在感があった。当時、まだ二十代だったけど、如何にも「映画女優」という雰囲気を漂わせ、結構見応えがあった。ちょっとマニアックだが、女刑事の役者を考えると、ふと「Gメン75」で吹雪刑事役を演じた中島はるみを想い出す。ただ、今では誰に訊いても覚えていないので、「時代遅れなのかなぁ~」と反省することがある。(夏木マリや江波杏子は別格。)

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(左  :  梶芽衣子  /  右   :  中島はるみ)

  話を戻す。『ストロベリー・ナイト』の視聴者はどうしても竹内結子と比べてしまうから、二階堂氏にとっては不利な立場になる。おそらく、観客は竹内氏のイメージで姫川を捉えてしまうから、代役の二階堂氏を目にすると、生理的に嫌ってしまうのだろう。これはよくあることで、007シリーズのジェイムズ・ボンド役には賛否両論がいつもあるし、『バットマン』のブルース・ウェイン役、シャーロック・ホームズ役、『子連れ狼』の拝一刀役もそうである。ホームズ役はジェレミー・ブレットが一番良く、ロバート・ダウニー・ジュニアなんて論外。シャーロックとは別物である。とりわけ、「拝一刀」役なら絶対に萬屋錦之介で、北大路欣也は安上がりの代用品ていど。ボケ老人用に作った時代劇に適した役者である。ちなみに、原作者の小池一夫先生は、若山富三郎の拝一刀を評価しておらず、田村正和の方を好んでいたらしい。拝一刀のイメージは正和様なんだって。

  とにかく、二階堂氏よりも酷いのが、「菊田」役の亀梨和也だ。前作で菊田役を演じた西島秀俊はそれなりに評価できる。たぶん、番組のファンには好評であったはずだ。ドラマの中で「姫川班」を支えている菊田は、主任としての姫川を尊敬する一方で、密かに好意を抱いてる。だが、彼はそれを顔に表さない。安っぽいドラマをつくる脚本家だと、番組を盛り上げるために二人を熱愛カップルにしがちだが、前作の『ストロベリー・ナイト』では菊田の感情を抑制し、“もどかしい”くらいの不器用な男にしていた。しかし、これが却って良かったんじゃないか。素直に「好き」と言えず、沈黙したまま彼女に付き従い、姫川に何かあれば体を張って護衛するする姿が麗しい。女性ファンが西島氏に憧れるのもうなづけよう。

  ところが、今回の「菊田」を演じる亀梨は“ボンクラ”刑事にしか見えない。姫川主任の「相棒」というより「木偶(でく)の坊」だ。彼のファンには悪いけど、筆者には住宅販売の新人訪問員か、牛丼屋の学生店員、倉庫係の新入社員ていどに思えてしまうのだ。公式的には主演らしいが、「姫川班」にくっ附いているだけの「一反木綿(いったんもめん)」といったところ。厳しく言えば、影の薄いエキストラといった感じである。もちろん、亀梨本人に罪は無く、彼を採用したプロデューサーや監督、配役を命じた所属事務所の不手際だ。ネット情報によると、亀梨氏は「KAT-TUN」という歌手グループのメンバーで、多くのTVドラマや映画に出演している。(この「カート・タン」というバンド名は何の略なのか判らないけど、きっと若い子が熱狂する人気グループなんだろう。) 以前、彼は『3年B組 金八先生』に出演していたというが、それよりもビックリするのは、『妖怪人間ベム』の「ベム」役を演じていたという事実だ。筆者はしばらく民放のTVドラマを観ていなかったので、まさか、子供の頃に観たアニメがドラマ化されているとは思わなかった。さらに驚愕すべきは、懐かしのアニメ『ど根性ガエル』もドラマ化されていたという事だ。もう、立ち眩みしそうな話だが、現実とは誠に恐ろしい。ネタが尽きた日テレは、信じられないことを平気でするだなぁ。破廉恥テレビ局だから仕方ないけど、「いくら何でも・・・」と天を仰ぎたくなる。

  フジテレビは例の如く、TVドラマで好評を博した『ストロベリー・ナイト』を映画化した。つまり、無料放送で視聴者を獲得したテレビ局は、この人々を劇場に誘ってお金儲けをしたということだ。『インビジブル・レイン』という劇場版では、大沢たかおが極清会の組長「牧田勲」役を演じ、彼の正体を知らない姫川を誘惑する。そして、姫川は迂闊にも牧田に惹かれてしまい、肉体関係を持ってしまうのだ。(あり得ないけど、車内セックスとなっていた。) この無茶苦茶な筋書きはともかく、大沢氏には組長を演じるほどの実力やオーラは無い。代紋を背負う組長の迫力に欠けるし、チンピラ役ですらこなせなんじゃないか、と思えてくる。本人は実力派を気取っているんだろうが、観客からすれば白々しい演技にしか見えない。こういう役は渡瀬恒彦のような俳優じゃないと無理だ。渡瀬恒彦には迫力があったし、相手を萎縮させるほどの「眼光」を持っていた。実際、彼は喧嘩が強かったし、女性を惹き付ける魅力があったので、主役を張るには充分な素質を持っていた。これなら、大原麗子が惚れたのも解る。女心をくすぐる渡瀬は、たとえ別れても嫌いになれないタイプだ。大沢氏には熱心な女性ファンがいるんだろうが、男性の観客からすれば格下の脇役にしか過ぎない。とても、重要な役柄を任せられるような俳優とは思えないから、キャスティングの背後には事務所の“力”が働いていたのだろう。

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(左  :  大沢たかお  /  右  :  渡瀬恒彦)

  大人の視聴者は、「なんか、最近のドラマはつまらない」と愚痴をこぼしてしまうが、「ドラマ」と思っている方が間違いなんじゃないか。我々が観ている映像は、演劇じゃなく「長編CM(テレビ広告)」なのかも知れない。つまり、人気藝人が商品となっているだけの宣伝フィルムということだ。ある番組プロデューサーが述べていたが、「今、TVドラマを観ているのは馬鹿だけ」ということらしい。こうした視聴者はストーリー性など気にせず、ただ贔屓の俳優が出ているから観ている、といった類いの人々であるそうだ。彼らはお目当ての役者が出れば「キャ~」と喜ぶだけで、作品の質なんか“どうでもいい”と思っている。だから、制作者は本気になって作らない。どうせ凝ったドラマを作っても、こうした視聴者は理解できないから、知的レベルを下げて、なるべく多くの人に観てもらおうと考えている訳だ。確かに、何百万単位の大衆に向けて放送しているから、底辺層レベルに合わせた作品にしないと受け容れてもらえないのだろう。要するに、観ている人が中学生程度の知的レベルなら、中学生でも解る内容にしているというこだ。

  「つまらない」ドラマの原因は幾つか考えられるが、最も致命的なのはキャスティングがテレビ局や制作者側に無く、大手プロダクションにあることだ。素人はドラマの脚本が出来てから、それぞれの役に当てはまる俳優を探すと思っている。しかし、実際はその逆で、まず起用する役者が既に決まっているという。大手藝能プロダクションがゴリ押しする「タレント(藝の無い動物)」を売り出すためにドラマが企画され、脚本が求める役者かどうかなんて関係ない。つまり、主役を張る「タレント」が芝居の出来る人かどうかなんて、最初から問題にしていないのだ。確かに、六本木や青山で歩いているお嬢ちゃんをスカウトして、歌手や俳優にさせているんだから、藝(歌唱力 / 演技力)が無くても当然である。音痴のアイドル歌手がレコード大賞に輝いたり、大根役者が日本アカデミー賞とかブルー・リボン賞をもらったりするのは、審査員が裏で藝能事務所と繋がっているからだろう。だいたい、何で笑福亭鶴瓶がブルー・リボン賞の主演男優賞に選ばれるんだ? それに、最近の邦画は筆者の理解を超えている。鶴瓶と同じ年に、綾瀬はるかという「タレント」が主演女優賞を獲得したというが、出演作の『おっぱいバレー』って何なんだ? 最初、筆者は裸のバレリーナかと思ったが、調べてみたら、バレーボール部の話であった。

  とにかく、現在のTVドラマは滅茶苦茶である。何しろ、ドラマ制作の主導権を事務所側が握っているので、現場には「所属タレントの出番をもっと増やしてくれ」という困った注文が来るし、「イメージが崩れるシーンは撮るな」とか、「肌の露出やベッドシーンは厳禁」など、様々な制約が課せられる。こんな干渉を受ければ、作り手は馬鹿らしくなって、「もう、どうでもいいや!」と投げやりになるだろう。

  そもそも、今のドラマはCMスポンサーのご機嫌を伺いながら作っているから、ドラマの内容など二の次三の次らしい。マーケット・リサーチをして観てくれそうな年齢層を調べ、その対象に向けたドラマを作るだけだから、主眼はスポンサーへと注がれ、視聴率だけが目標となる。したがって、起用される役者は、固定客を持つ人気俳優かプロダクションが押しつける看板タレント、プロデューサーに可愛がられている藝人、スポンサーが化粧品のCMとかイベントに使っている女優などである。亀梨という「タレント」はジャニーズ事務所の歌手であるというから、おそらく所属事務所がネジ込んだ役者なんだろう。あの演技力を観れば、誰も「実力で主役を獲得した」とは思わない。闇の指図か無言の圧力が働いたはずだ。

  またもや脱線したので話を戻す。インターネットには、出演者に対する批判や罵倒が見受けられるが、それはお門違いというもので、本当に悪いのは彼らを起用したテレビ局と、強引に自社商品(タレント)ねじ込むプロダクションだ。筆者が歳を取ったせいかも知れないが、姫川役を演じている二階堂氏を観ると、「一生懸命、与えられた役をこなしているんだなぁ」と“つい”同情したくなる。何となく仏心が出てきて、「もしかしたら、本人は嫌がったのに、事務所が命令したのかなぁ」と勘ぐってしまうのだ。それに、画面を眺めていると、「ご両親は心配しながら見守っているんだろうなぁ~」と考えてしまい、ドラマに集中できない。可愛い娘が上京して、主役に抜擢されたんだから、親としては嬉しいはずだが、世間からの激しいバッシングを耳にすれば心が痛むはずだ。二階堂氏はまだ二十代半ばなんだから、もっと温かい目でみてやってもいいんじゃないか。ネットでは酷評されているが、それほど演技が下手なわけでもないから、経験を積めばそのうち上手くなるさ。ここでは関係ないけど、二階堂氏を目にすると、小学校の運動会で一生懸命走っている女の子を連想してしまう。二階堂氏には失礼なんだけど、幼い顔立ちなので、どうしても「近所の小学生」に見えてしまうのだ。だから、個人的には、彼女を厳しく評論したくない。

  それでも、『ストロベリー・ナイト・サーガ』のキャスティングに関し、かなり辛辣な評価を述べてしまった。だが、もともと無料で観ているんだから、文句を付ける方が間違っている。雑誌でドラマを云々する評論家は6%の視聴率をあざ笑っているけど、角度を変えて見れば、「6%も獲得したぞ」と言えるんじゃないか。実際、1%の視聴率がどれくらいの人数になるのか判らないが、サンプル数や地域格差を考慮すれば、だいたい15万ないし20万人くらいだから、6%なら約120万人が視聴したことになる。ただ、制作費を払ったスポンサーは不満だろうから、テレビ局側に「どうなっているんだ !」と苦情を呈するはずだ。お金を出す人は口も出すから当然だろう。したがって、大人が満足できるようなドラマを観たい人は、劇場映画に行くしかない。ところが、銀幕で鑑賞する映画は駄作ばかり。日本映画の衰退は著しい。良質な作品を求める観客が、アメリカのTVドラマや洋画に流れたのも当然だ。

  今、手元に「民間テレビドラマ視聴率ランキング(1990~2016年)」のリストがあるんだけど、 どのドラマも観たことがない未知のドラマばかりである。(浦島太郎にでもなった気分だ。) 辛うじて知っているのは、『3年B組 金八先生』と『古畑任三郎』くらい。驚いたのは、2006年に『西遊記』(フジテレビ / 最高視聴率29.2%)と、2007年に『華麗なる一族』(TBS / 最高視聴率30.4%)がリメイクされていたことである。所属事務所と出演者を記載したリストによれば、前者は香取慎吾が孫悟空役で、後者は木村拓哉が主演を務めていた。どちらも、ジャニーズ事務所のタレントだから、「やっぱり、宣伝ドラマか !」と思ってしまう。孫悟空なら堺正章が印象的なのだが、香取氏のバージョンは「どのようなもの」であったのか、想像しただけでも恐ろしくなる。また、山崎豊子のドラマといったら、仲代達矢とか田宮二郎を思い浮かべるが、「今では木村拓哉なんだ」と分かり、「もう昭和の時代には戻れないんだなぁ」と悲しくなる。

  つい最近耳にしたんだけど、来年、テレ朝が大ヒット・ドラマの『24 -Twenty Four-』をリメイクして、日本版を放送するそうだ。制作する前から自爆が予想できるのに、あえて作ろうとするんだから、テレ朝の社長や担当プロデューサーには何か秘策があるに違いない。昔から、テレ朝は大東亜戦争を執拗に「無謀な戦争」と非難していたが、開局60周年記念に「無謀なドラマ」を企画するなんて、中々やるじゃないか。タバコをくわえながら、ガソリンで水浴びするようなものだ。まっ、人間は一生のうちに一度くらいは、失敗と分かっていても挑戦することはあるさ ! それにしても、誰が「ジャック・バウアー」を演じるのか興味がある。たぶん、「どきどきキャンプ」の岸学(きし・まなぶ)じゃないことだけは確かだろう。




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皇帝のいない八月 / 耐えに耐えた自衛官

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密かに進んだクーデタ

  近頃は劇場で邦画を観ることがめっきり減ってしまった。これは個人的趣味の問題だから一般化できないが、お金を払って観たくなるような作品が極めて少ない。それでも、日本映画は毎年制作され、そこそこ健在なんだろうげと、興行収益で見てみると、利益を上げているのはアニメ作品か、人気アイドルをキャスティングしたTVドラマ風映画くらいだろう。子供を対象にした「ドラえもん」とか「名探偵コナン」といったアニメ映画がヒットするのは予想通りだから、これといって驚くに値しない。去年ヒットした『コード・ブルー』という映画は初耳だったけど、インターネットで調べてみたら、TVドラマの劇場版だった。何てことはない、フジテレビが無料で放送したドラマに、多少の制作費を上乗せして作った豪華版ていどの代物だ。既に固定客が附いているから安全パイということなんだろう。一刻も早く見たいファンならお金を払うけど、普通の映画好きなら「劇場に行くまでもない」と思ってしまい、気長に地上波テレビの放送を待つんじゃないか。

  つまらない愚痴になってしまうけど、最近の邦画には“これっ”といった作品が無い。是枝裕和の『万引き家族』なんて銀幕で観る映画じゃないだろう。こんな作品が外国で賞を獲得するなんて、日本映画界の恥さらしだ。平成と違って昭和の頃だと、大人の観客が満足するような作品が結構あった。まづ、出演する役者が上手くて、主役もそうだが脇を固める役者が素晴らしく、全体的に重厚な雰囲気があったのを覚えている。当時は制作陣の意気込みが凄く、民衆は映画の予告編を観ただけでもワクワクしたから、大きなスクリーンと音響設備が整った劇場で鑑賞したいという熱望があった。そうした映画の一つに挙げられるのは、『皇帝のいない八月』である。

  この映画は社会派サスペンスといったところで、憂国の情に燃える自衛隊がクーデタを目論むストーリーとなっている。主人公の藤崎顕正(ふじさき・あきまさ / 渡瀬恒彦)は元一等陸尉(大尉)で、自衛隊を「軍隊」にすべくクーデタ計画「ブルー・プラン」に参加するが、計画の中心人物である真野陸将(鈴木瑞穗)が寸前のところで腰が引けてしまい、悲願のクーデタは頓挫する。これに対して怒り心頭の藤崎は真野に蹶起を促すが、勢いを失った首領に再開の度胸は無かった。後に、クーデタ未遂の責任を取らされた藤崎は自衛隊を去る。博多に居を構えた藤崎は、しがないトラック運転手となって妻の杏子(きょうこ / 吉永小百合)と二人暮らし。だが、彼の野望は消えていなかった。藤崎は志を同じくする自衛官らと密かに関係を保ち、ついに全国規模のクーデタを実行に映す決断を下した。

Taichi 1(左  / 太地喜和子 )
 ところが、秘密裏に実施されるはずだったこのクーデタ計画は、蹶起部隊のトラックが偶然追跡したパトカーを破壊したことで発覚する。この異常な事故に直ぐさま公安当局が反応し、内閣調査室の利倉保久(としくら・やすひさ / 高橋悦史)が責任者となり、危険な政治思想を持つ自衛官の洗い出しを始めた。利倉から報告を受けた佐橋総理(滝沢修)は、不穏な動きの性質を考慮して、計画の黒幕は民政党の重鎮、大畑剛造(佐分利信)に違いないと推測した。大畑は元首相で右派の大御所。かつては戦犯として投獄された経歴を持つ。彼は自分の派閥を用いて政局を動かすほどの有力者で、財界とも繋がりが深い。日本経営連合会の氷山会長などは大畑の邸宅に足繁く通い、様々な裏工作から捻出される上納金を渡していた。権力者というのは何歳になっても金銭慾と性慾が強く、この闇将軍も例外ではない。大畑は中上冴子(太地喜和子)という愛人を囲っており、彼女は表向きナイト・クラブのママとなっていた。

  藤崎の妻である杏子は江見為一郎(えみ・ためいちろう / 三國連太郎)の娘で、彼は陸自幕僚監部で内務調査を担当している。彼は法事で鹿児島にいる時、首相官邸から緊急の連絡を受け、急遽、東京に戻る事になった。しかし、その途中、絶縁した娘に会いに行く。なぜなら、容疑を掛けられた自衛官リストの中に娘婿の藤崎が入っていたからだ。クーデタが未遂に終わった五年前、江見は藤崎の上官で、蹶起に燃える藤崎を咎め、辞任に追い込んだ。すると、江見に恨みを抱いた藤崎は、彼の娘である杏子を拉致して強姦するが、彼女は藤崎に惹かれてしまう。(女心は不思議なもので、真面目な凡人より「危険な香り」がする男に惚れてしまうようだ。) しかし、当時の彼女には石森宏明(山本圭)という婚約者がいた。彼は杏子が何も告げず自分と別れたことに納得しなかったが、仕方ないと諦め別の女性と結婚する。そして、後に彼は勤めていた会社を辞めて雑誌記者となる。

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(左: 渡瀬恒彦と吉永小百合   /   右の中央:  山本圭)

  絶縁していた父親が不意に訪ねてきたことに違和感を感じつつも、杏子は東京へ向かう父を見送った。その直後、藤崎の部下である自衛官が杏子のもとに現れ、夫からの手紙を手渡す。そこには当分の生活費に困らないだけのお金が机の中にあるとだけ書かれていた。夫の身を案じた杏京子は駅に向かい、必死で藤崎を捜すうちに、寝台特急の「さくら」に乗車する。偶然だが、博多で取材を終えた石森も「さくら」に乗っており、車内で杏子と出逢う。この急行列車にはクーデタに参加する自衛官が多数乗車しており、その指揮官は藤崎だった。

  今回のクーデタも真野陸将が首謀者となっていたが、その背後には米軍のG2に所属するトマス中佐が控えていた。このアメリカ人中佐は野心家のようで、革命政府の首班となる真野を裏で操ろうと目論んでいた。二人の接触を報告された利倉は、米軍とCIAが一枚噛んでいることに気付く。クーデタ計画が開始されると、日本各地から蹶起部隊が続々と首都を目指して進行してくる。しかし、真野はトマス中佐と一緒にクルマに乗っていたところを江見に拘束されてしまう。捕虜の尋問に長けた江見は、真野を地下室で拷問にかける。だが、真野は最期まで自白せず、舌を噛み切って自害する道を選んだ。せっかくの手掛かりを殺してしまった江見は、必死になってクルマを調べ、そこに隠された計画書を発見する。クーデタの全貌を知った利倉は、実力行使でクーデタ部隊を鎮圧することに決め、佐橋総理の承諾を仰ぐ。首相からの許可を得た利倉は、特殊部隊を含む自衛隊を投入し、容赦無く叛乱分子を攻撃した。やはり、多勢に無勢なのか、蹶起部隊は次々と潰されて行く。

  ところが、藤崎部隊が乗り込んでいた寝台列車だけは停止させることが出来なかった。そうした中、列車を乗っ取った藤崎は、ようやく夫を捜す妻と再開する。杏子は夫に無謀な事を止めるよう説得するが、藤崎の決意は固く、女房の言葉に耳を傾ける気は無かった。(渡瀬恒彦が“情”に訴える吉永小百合に向かって、「甘ったれんな!」というセリフは格好いい。クールな渡瀬にはこういう言葉が良く似合う。) 「さくら」を占領した藤崎達は、無線で官邸と連絡をつけ、列車に爆弾が仕掛けられている事や、乗務員と乗客を人質にしている事を告げ、大畑との会話を要求する。しかし、その大畑は身の危険を察知して、利倉が知らない別荘に隠れていた。約束の時間が過ぎても要求に応じない利倉に業を煮やした藤崎は、躊躇なく車掌を撃ち殺す。この惨殺に反撥した島軍曹は、クーデタの雲行きが怪しくなったこともあり、列車内で謀反を起こしてしまう。

  一方、この事態を何としても終熄させたい利倉は、クーデタそのものを「無かった事」にすべく、マスコミ各社に箝口令を敷き、武力を以て列車を止めることにした。利倉の狙いはクーデタ部隊の皆殺しである。また、救出した乗客は口封じのため、ずっと政府の監視下に置くというものであった。派遣された自衛隊の特殊部隊が列車に突入すると激しい銃撃戦が起こり、激闘の嵐に晒された藤崎と杏子は銃弾を浴びて斃れてしまう。石森も銃撃戦の犠牲者となった。ところが、瀕死の藤崎は残りの力をふりしぼって起爆装置に手を伸ばし、運命のボタンを押してしまうのだ。各車両は大爆発を起こし、凄まじい炎に包まれる。この鎮圧は「列車の脱線事故」という名目で処理され、クーデタ未遂事件は闇に葬られた。

  クーデタの黒幕であった大畑は、愛人の冴子が持ってきたワインを飲んで急死する。何と、この毒入りワインは利倉の部下が冴子に渡したもので、大畑の居場所が分からない利倉は妾を利用して厄介な大物を抹殺したのだ。意外なことに、冴子は以前、利倉と肉体関係を持っていた。利倉は大畑がワイン好き出あることを知っていたので、何も知らない冴子を暗殺者に仕立てあげ、間接的に厄介者を始末したという訳だ。その冴子も何者かに殺され、その遺体は別荘の近くにある海岸に横たわっていた。一方、娘だけは助けたいと欲した江見は、強行突入を中止するよう利倉に懇願するが、その頼みは聞き入れられず、官邸の警護官に拘束され、乱心者として精神病院に監禁されてしまうのだ。

蹶起した軍人の叫び 

  小林久三の原作を基にした『皇帝のいない八月』は、列車を占拠して要求を突きつけるという筋書きであるが、こうした設定にはちょっと無理がある。首都制圧を目指すなら、列車を乗っ取らず、そのまま穏便に東京まで向かう方がいい。制作秘話によると、ハリウッド映画の『カサンドラクロス』を参考にした為だという。その他、この作品にはニ・ニ六事件や三島由紀夫の自決など、様々な歴史的要素が盛り込まれていた。映画の根底には無茶な計画を推し進めようとする軍人への批判が流れているが、幾つか例外的に感動する場面があった。例えば、列車内でマイクを手にした藤崎の言葉は、現在でも我々の心に鋭く突き刺さる。彼は言う。

  「我々日本人は古来から道義忠誠心に篤く、一億一体となって皇室を中心とした民族国家を形成してきた。しかるに今、どこに愛国心があるのか、どこに日本固有の文化があるのか。道義は麻の如く乱れ、秩序は破壊されようとしている。國體(こくたい)を守るのは軍隊である。自衛隊が目覚めて真の軍隊たらんとする時こそ、日本が目覚める時である! 建国の本義とは天皇を中心とする日本の歴史、文化、伝統を守ることにしか存在しないのである!」

  「我々は耐えた。ただひたすら耐えた。日本人自ら、自衛隊員自ら目覚めてくれることを。しかし、聴け! 憲法改正は既に政治プログラムから除外されたのだ。憲法改正が我が国の議会制民主主義のもとで不可能であれば、我々の取り得る道はひとつ。我々自身が蹶起することである。自衛隊が建軍の本義に立って、真の國軍になるために、我々は怒り悲しみ、四時憤慨した。我々は命を捨て、国の礎石たらんとしたのである!」

  渡瀬恒彦の熱弁は映画で一番のクライマックスになっており、これこそ、言葉で言い尽くせない魂の叫びである。命を懸けてクーデタを実行しようとする武人の覚悟がうかがえる。

  三島事件からもう50年近くなるが、我々は未だに國軍を持てないまま、アメリカの属州状態に甘んじている。独立国というのは、自分の運命を自分で決めることが出来る国家だけを指す。日本は自ら歩む道を自分で決めることができない。なぜならば、兵器システムが全て米国頼みになってるからだ。いくら高級なハイテク装備品を揃えても、それが米軍の支配下に置かれていれば、日本はワシントンの意向を無視できない。形式上日本の総理大臣は自衛隊の最高司令官になっているが、有事となれば合衆国大統領の統制下にある。したがって、独立した行動を取れない自衛隊は、実質的に米国の補助軍であり、合衆国の世界戦略に嵌め込まれている一つの「手駒」に過ぎない。明治の元勲が聞けば、「まさか!そんな ・・・」と驚いてしまうだろう。(これは「毅然とした外交」を求めながら、「軍隊」を否定する一般国民が悪い。)

  祖国を愛する日本人なら、藤崎が味わった屈辱を解るはずだ。自衛官は武人と見なされず、相変わらず特殊公務員のままである。だいたい、軍人を罪人扱いする憲法を温存しながら、「有事には命を張って日本を守ってね」と言える国民がいるのか? クーデタを目論む自衛官を笑うのは容易い。だが、我々は藤崎の焦りと悔しさには共感できる。藤崎は心の底から叫ぶ。「我々は五年も待った。もう待てぬ。我々の愛する美しい歴史と伝統の国、日本を骨抜きにした憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか! 我々が士人の魂を持つ一個の男子として、真の武士として蘇るため、共に立って義のために死ぬ奴はいないのか!」 映画はともかく、毎日苦しい訓練を積む自衛官は、一体どんな気持ちで武器を手にしているのか? 憲法で手足を縛られたまま国防を考えるなんて酷だ。たとえ、事態対処法が制定されたからといって、政治家に国家意識が無く、安全保障の基礎知識すら無い状態では、とても国民を守ることなどできない。第一、国会議員の中に外国の内通者が潜んでいたらどうするのか? 議員自身が売国奴でなくとも、その右腕とか側近がスパイで、普段から機密情報を流していれば、敵は自衛隊の欠点を突くことができる。また、工作員と化した政治家がいれば、有事の時、あるいは有事の前に、自衛隊の出動をそれとなく妨害して侵掠者を手助けすることも考えられるのだ。日本における「シヴィリアン・コントロール」とは「素人の容喙」、すなわち「軍人の邪魔」しか意味しないのである。

Yamamoto Satsuo 1(左  / 山本薩夫 )
  『皇帝のいない八月』で残念なのは、監督が左翼の山本薩夫(やまもと・さつお)であったことだ。彼は『白い巨塔』や『華麗なる一族』、『金環蝕』、『不毛地帯』などを手掛けたことで知られているが、学生時代から左翼思想に染まっていたという。何しろ、在学中から札付きで、特高に捕まるくらいだから筋金入りの左翼だ。これが元で通っていた早稲田大学を中退となり、それから映画界に入ったと言われている。黒澤明や大島渚、山田洋次、渡辺邦男などを思い出せば分かるように、映画監督には元左翼が多い。(渡辺邦男は大ヒット作『明治天皇と日露大戦争』を手掛けた監督。) 山本薩夫も根が赤い人物なので、蹶起する自衛官を題材にしても、どことなく否定的に描いてしまうのだろう。山本監督の本音は石森のセリフに現れている。

  事件に巻き込まれた石森は、列車を制圧した藤崎を罵り、自衛官から奪い取った拳銃を向けて、計画の中止を強要する。ところが、藤崎は怯まない。むしろ、「撃ってみろ!」と脅しをかけた。さすが、軍人の藤崎は度胸のが据わっている。石森は引き金に触れるが、動揺して撃つことができない。藤崎は石森に対し、こう言い放した。

  「撃ってみろ ! ふやけた”お前の平和なんぞ、あっという間に吹っ飛ぶぞ!」
  「お前の平和はクズだ!  東京を見てみろ。どこに美しさがある! とここに秩序があるのか!」
  「我々は憲法を改めて、かつてあった美しい秩序と美しい精神を築くんだ!」

   このように述べた藤崎に対し、真っ向から対峙する石森はこう言い返した。

  「何が秩序だ! 何が伝統だ! 天皇一人のために俺たちは何人殺されたんだ? 」
  「お前は軍国主義の復活に酔っているだけだ ! “命を懸ける”とは、死んだって生きることだ。子供のため、女のために、死んだって自分を守るためだ。俺はそういう平和のために生きている人間だ!」

  石森の反論はまさしく「戦後民主主義」の神髄を言い表している。すなわち、どんな状態であっても「平和が一番」であって、何よりも「生きること」が最高の価値となっている。こうした人物にとって、藤崎の行動は狂気の沙汰としか思えない。石森の平和論は奴隷の人生観と同じだ。奴隷は生きるために、如何なる恥辱をも堪え忍ぶ。どんなに虐待されようが抵抗しないし、“死にたくなるような”辱めを受けても、それを黙って甘受し、支配者の激情が治まるのを待つ。奴隷にとって「武士の誇り」など別次元の贅沢品で、なんらの世俗的利益も無い。むしろ、有害である。第一、主人に従順であれば飯が貰えるし、殺されることもないから、無駄な事はしない方がいい。現在の日本人もこれと似た考えを持っている。独立国の矜持(きょうじ)を放棄し、何があっても武力に訴えず、お金で片をつければ誰も死ぬことはない。危ない場所には近づかず、国内で平和論を唱えていれば、何事も起きず、一生平穏に暮らせると信じている。常識で考えれば馬鹿らしいけど、受験勉強をして大学を卒業した者にとっては、この非常識が「良識」となってしまうのだ。山本圭扮する石森を見ていると本当に情けない。でも、こんな日本人が多数派なんだから、穏健な保守派でもクーデタに賛同したくなる。

Takizawa Osamu 1









(写真  /  「佐橋総理」役の滝沢修)

  『皇帝のいない八月』は左翼が作った反ナショナリズム映画だが、出演者だけは素晴らしかった。渡瀬恒彦を主役に抜擢したのは正解だったと言えるんじゃないか。裏話によると、兄の渡哲也を起用するはずだったが、スケジュールの都合で弟の渡瀬に主役が回ってきたそうだ。屈折した過去を引き摺る藤崎役なら、実直な感じがする兄よりも、ちょっと不良の雰囲気を漂わせる弟の方が似合っている。また、渡瀬恒彦を囲む脇役が良かった。佐橋総理を演じた滝沢修と大畑剛造を演じた佐分利信は秀逸だ。両者には「いかにも」といった貫禄と存在感がある。クーデタが起きたのに、政権闘争や派閥人事の方を心配する総理大臣なんてケシカランが、滝沢はこうした生臭い政治家を見事に演じていた。滝沢が演じた佐橋総理を見ていると、派閥を率いる佐藤栄作とか福田赳夫よりも、「クリーン」を売りにした腹黒い三木武夫を想い出す。当時の映画としてはよくあるが、クーデタを用いて現政権に揺さぶりを掛ける闇将軍という設定も、ちょっとリアルで実におもしろい。ふてぶてしい大畑役に佐分はピッタリだった。

Takizawa & Sabu 1










(左: 「大畑」を演じた佐分利信   /   右: 「佐橋」を演じた大滝修)

  とにかく、山本監督の描き方には感心しないが、役者のキャスティングだけは抜群だった。そう言えば、彼は1966年に映画版『白い巨塔』を手掛けたが、東都大外科教授の「船尾隆」役には佐利を起用していた。偶然なんだろうげと、1978年に制作されたテレビ版『白い巨塔』では、滝沢修が船尾役を演じていたのだ。一方、劇場版とテレビ版の両方で主役は田宮二郎が務めていた。やはり、「財前五郎」役は田宮が一番だ。佐藤慶も良いが、田宮にはかなわない。脇役のキャスティングもかなり重要で、実力派で固めているから主役が光るという事もあるのだ。ちなみに、映画版の里美教授役には山本圭の兄である山本學が起用されており、TV版の『白い巨塔』では、太地喜和子が財前の愛人「花森ケイ子」を演じていた。太地喜和子にはどうも「愛人」役が似合っているみたいだ。

  もし、『皇帝のいない八月』をナショナリストの監督が撮っていたらどうなっていただろうか? ただ、これは非現実的で、とても難しい。日本には左翼監督ばかりなので無理がある。しかし、藝術性を尊ぶヨーロッパなら、左翼であっても“マシ”な監督がいそうだ。例えば、バート・ランカスターとアラン・ドロンが出演したことで知られる『山猫』や、バイエルン王ルートヴッヒ2世を描いた『ルートヴッヒ』、ナチス時代を扱った『地獄に落ちた勇者ども』などで知られるルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)が『皇帝のいない八月』を手掛けていたら、どんな作品になっていたことか。おそらく、遙かに深みのある作品になっていたんじゃないかと思う。ヴィスコンティは第二次大戦中、イタリア共産党に入っていたが、映画監督としては一流だった。彼がルートヴッヒ役に抜擢したヘルムート・ベルガーやエリザベート役に起用したロミー・シュナイダーは本当に良かった。何と言っても画面が鮮やかで気品に溢れていたから、巨匠が手掛ける映画には豪華さがある。確かに、邦画だと予算不足でみすぼらしくなるが、もし日本の監督が多少なりとも愛国心を持っていたら、日本人の琴線に触れるような作品になっていたはずだ。左翼の映画にはどうしても軽薄さと幼稚さが見られる。彼らが人間として未熟だから、日本人を感動させることが出来ないのであろう。せっかく渡瀬恒彦を採用したのに、描き方が拙いために作品が「イマイチ」になってしまった。結局、日本の左翼監督には、リリー・フランキーと樹木希林を使った“お粗末”な映画が似合っているのかも知れない。



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