無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

邦画評論

ルパン三世 (1) 小栗旬かよ! 魔術師パイカルが懐かしい

子供向けの大人のアニメ

   この夏2014年8月に実写版『ルパン三世』が公開されたらしい。筆者は観ていないのだが、予告編を宣伝動画で見たところ、時間とお金の無駄と判断した。映画の評価はかなり酷いものらしい。映画評論家前田有一は100点満点で3点の評価を下した。やはりね。小栗旬とかいう若手俳優が主役だったが、この兄ちゃんが人気者だったので、興行収入はあったのであろう。しかし、作品の質は最低で、駄作との評判である。まあ、ハリウッド映画に憧れた香港映画くらいの出来じゃないか。せいぜい高級ワインの空き瓶といった映画作品だろう。香りはしても中身がない。アニメを実写化して一儲け、というのが映画会社の腹だろ。日本人のファンなら、「やめとけば」と警告するだろうが、人気コミックを実写化して大儲けしているハリウッドが羨ましいのだろう。ドラゴン・ボールだって実写化して惨敗したのに、懲りない銀幕の人々だ。

 ルパン三世はやはり第1シリーズが一番いい。その後のシリーズは二流作品か駄作のどちらか。視聴率を上げることに主眼を置かず、表現したい伝えたいことを自由に作れた良き時代だった。1971年から1972にかけての作品だったから、スポンサーより視聴者を重視したところが立派。1970年代のフランス映画を意識した雰囲気の脚本とキャラクター設定は、子供にとって新鮮であった。しかも、大人の女が妖艶な色気を出したり、悲しい男女の関係を盛り込んだ。手抜きをしてもよさそうなのに、ゼロ・コンマ刻みの正確な腕時計や、ワルサーP38といったドイツ製拳銃や銃身8インチのマグナム44を作画に挿入したのである。

  子供用アニメでも制作スタッフは変な妥協や媚びを売ることがなかった。逆説に聞こえるが、子供に媚びなかったから人気があったのだろう。あのころは博打的度胸がスタッフにあった。おかしくなったのは、『カリオストロの城』がヒットして、大金が転がり込んできたの頃だろうか。映画会社が利益追求型になってしまったのである。左翼嗜好の宮崎駿がアニメ界から骨太のハードボイルドを内側から破壊したのである。ルパンにクールで大人の面がなくなり、五右衛門からも悪党面が消えてしまった。それまでは次々といろんなジャンルのアニメが放送され、秀作駄作が混じりながら多彩な黄金時代を築いていたのに。少年のようなチャレンジ精神に富んだプロデューサーが、札束のビンタで駆逐されていったのである。


  第二話『魔術師と呼ばれた男』は最も印象深い。パイカルという虚弱にみえる青年が、超硬質皮膜成分の薬品を体に塗っているので、機関銃やバズーカで攻撃されても死なない。次元のマグナムでもびくともしないパイカルは、笑みを浮かべて指先から火炎放射を行い、ルパンと次元を黒こげにしてしまう。自分の愚かさを自覚しないで、銃を撃ってくる彼らにパイカルは優越感をもって炎を浴びせかける。観客はこの冷酷さにしびれる。
  彼の目的はルパンが介抱している峰不二子の奪還。まったく手も足も出ないルパンは、不二子をあっさりパイカルに奪われてしまった。自分の不甲斐なさに悔しいルパン。男が愛する女を目の前で奪われる屈辱は耐え難いのである。こんな大人のプライドを子供に示してくれたのだから有り難かった。

  不二子の狙いはパイカルが塗っている薬品の成分を記したスライド3枚を盗むことであった。色仕掛けでパイカルをベットに誘って射殺しようとしたのである。彼女の白くなめらかな太ももがうぶな少年にはたまらない。何度も言うが、子供向けアニメである。裸になってもパイカルの体には薬品が塗られていたから大丈夫。弾をはじいて殺されなかった。いっぽう、ルパンはスライドの謎を解き、同じ薬品を作ってしまう。ルパンは不二子を取り戻しに、パイカルの山小屋に向かう。滝のそばに建つ小屋には不二子とパイカルがいた。ルパンが謎を解いたことを知らぬパイカルは炎をルパンに向ける。だがルパンが炎に包まれても平気な姿にパイカルは焦る。そこでルパンがもっていたスライドも一緒に燃えてしまった。ルパンは薬品の欠点、つまり薬品の効果は長時間もたないことを暴露する。ルパンの薬の方が新しいから、耐火性が強い。ルパンが噴射する炎に包まれたパイカルは、最後の力を振り絞って滝壺に垂らしたロープを降りるが、途中でロープが炎で燃えて切れてしまう。空しく滝壺に落ちるパイカルには哀愁が漂う。

  何てことのないストーリーでも妙に印象深い。不二子が自分を愛していないのを承知していながら、彼女の肉体を求めてしまう純粋な暗黒街の殺し屋。惚れた女を取り戻しに行くルパン。二人の男を色気で天秤にかけ、スライドを盗んで大金を得ようとする性悪女。こんな大人の三角関係を、よい子のアニメに盛り込むんだから、制作者大隅正秋は信念の男であった。視聴率が振るわず、スポンサーから苦情がきたとき、東京ムービーの藤岡豊社長に対して「子供用のアニメをつくる方針なら俺はもうやらない」といって制作から降りてしまったのである。第1シーズンの前半が哀愁に満ちクールであったのに、後半になると作風が変わってしまったことの裏事情である。「大人のアニメを作っただけ」と喝破した大隅氏は偉い。アニメーターの鑑だ。いまのアニメのように陽気な場面をつくってより多くの幼年視聴者を獲得しようといった下心が無かった。だから邪魔なギャグや下らないどうでもいいような会話がなかった。惚れた女を奪い合うだけのために、命を張る男二人の対決に焦点を絞っている。

  声優もキャラクターにピッタリの人物を選んでいた。有名というだけで素人の芸人や女優を採用しない気骨が制作者にあった。峰不二子には二階堂有希子の声が最適だったし、次元や銭形警部の声も作画と性格に良く合っていたから違和感など感じなかったのである。プロの制作者の作品とはこういうものである。ルパン、次元、パイカルに妙な甘ったるい感傷を持ち込まず、プロの気質や暗い雰囲気を格好良く描いているから何年経っても色褪せない。夕日を背景にして不二子がバイクに乗って、颯爽と走るエンディング動画と、そこに流れるチャーリー・コーセーの気怠いテーマ・ソングが、いかにも1970年代の音色を奏でていて心地よい。
  
 ついでに、峰不二子がバイクに乗るときのレザー・スーツ姿は、『あの胸にもう一度』(1968年作品)のレベッカをモデルにして設定されたのかもしれない。レベッカを演じたのはマリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithful)で恋人のダニエルに会いに行くとき、裸になってそのままレザースーツを着るシーンはとても印象的である。裸になって皮のスーツを着るなんて当時の日本人女性には発想すら無かった。ダニエルを演じたのは、日本でも有名な二枚目俳優アラン・ドロン。可憐な美女レベッカを演じたマリエンヌは、ミック・ジャガー(ローリング・ストーンのヴォーカル)の元女房。大隅氏も彼女に惚れ込んだのではないか。

  毎年夏休みに作られる日テレの「子供用『ルパン三世』特番」はもう別物である。幼稚園児のお遊戯並のストーリーだと、作画を見ただけて推測がつく。山田康雄が草葉の陰で泣いている。



 

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新・必殺仕掛人 死への生き甲斐

大人が観るに耐えうる作品

「昔は良かった」何なんて明治の頃から言い尽くされてきた言葉は吐きたくないが、現在のドラマは駄作が多い。デフレ不況でスポンサーからの資金が足りないから制作予算は限られている。それにテレビ局がピンハネして制作子会社に委託するから、予算は減ってしまう。場合によっては、その会社が孫会社に作らせるかもしれない。視聴率が悪いといって上司から怒られる制作現場のスタッフ。出世が命のプロデュサーは成功しなくても失敗しないドマ作りに固執してしまうだろう。さらに悪いのは、芸能事務所が押しつける売り出し中のアンチャンや小娘を主役に起用して役者の真似事をさせているのだ。人気の漫画や小説を原作にして、古参の脚本家が手直しして一丁上がりのドラマを誰が視るのか。無料だから大人は文句を言わずにに無視するだけ。見逃した昔の名作映画でも観たほうがましだ。そんな過去ドラマで優秀な部類に入るのが、『新・必殺仕掛人』である。(1977年放送)
  このドラマは下層の人間が殺し屋になって晴らせぬ恨みを代行するのだから、陰惨な所があるのは当然だろう。しかし、そこがまたいい。昼間は明るい庶民の暮らしをしても、夜は非情な裏家業に命を賭けるのだから、ドラマの展開にメリハリが利いている。それに上手い役者を揃えたところに拍手したい。
ここでキャラクター紹介。

  中村主水が別名になるくらい藤田まことの代表作になった。しがない八丁堀同心が、剣豪の仕掛人に変身するところが定番だが飽きないのだ。ちょんまげがあれほど似合う役者も珍しい。しかも、「べらんめい」口調が様になっているのだから、つい視聴者も「八丁堀の旦那」と呼んでしまうくらいだ。

  萬屋錦之介の弟中村嘉津雄が巳代松(みよまつ)を演じ、手作り鉄砲が武器。侍にいっさい敬意がない職人で、八丁堀をリンチに掛けたことがある。

  情報屋の正八(しょうはち)を演じるのは、もう火野正平しかいない。演技とはとても思えないだらしなさが板についている。流血を見たら怯んでしまうくらい臆病なのに、街の女から情報を聞き出すことに掛けては天下一品。私生活でも同じかと勘ぐりたくなる。
 

  必殺はこの人なして始まらぬ。骨はずしが殺しの技である「念仏の鉄」に山崎努。必殺シリーズで最高のキャラクターで最も人気が高い。ピアスを耳にしているのに江戸時代に馴染んでる。胡桃を右手で磨りつぶしながら暗闇に現れる姿に迫力がある。時折みせる冷酷な表情が不快ではなく、むしろ惚れ惚れしてしまうのだから、山崎努はやっぱり一流の俳優である。彼がドラマ中に主水を「八丁堀 !!」とぶっきらぼうに呼ぶ時の、あのふてぶてしさが自然なので、ほんとうに江戸時代へタイムスリップした気がする。肋骨をへし折って殺す前に、腕の血管が浮き出るよう、何とかして必死に腕に血液を貯めたという裏話もある。役者魂をわすれぬ名優である。

  仕掛人の元締役なら山村聡が有名であるが、「寅」役の藤田富美男は存在感があった。セリフは棒読みなのだが、顔にドスが効いていた。肚が据わっていて元締らしく見えた。

  河原崎建が演じた「死神」は寅の用心棒。仕掛人でさえ身震いするような殺しの腕前。鯨を射止める銛(もり)を投げて殺す。樺太のギリヤーク人で、寅に救われ育てられたという。  


壮絶な最期を遂げる仕掛人

  
このドラマで頂点に達するのが最終回『解散無用』である。仕掛人の元締「寅」は懐刀の「死神」を亡くし、引退を決意した。その「寅の会(殺害依頼の落札会合)」に参加していた辰蔵(たつぞう)はその会合を乗っ取ろうと画策する。そこで同席していた鉄を仲間に引き入れようとするが、鉄は辰蔵のやり口が気にくわないので断ってしまう。そこで辰蔵は買収している同心の師岡(もろおか/主水の同僚)に鉄の仲間である謎の仕掛人を炙り出そうとする。まづ巳代松が師岡に捕まって拷問に掛けられる。竹刀で殴られても口を割らない巳代松は頭を挟んで押しつぶす拷問器具か掛けられた。残酷な拷問がつづいたことで巳代松は廃人となる。彼の目が開いているのに、完全に死んでいる。後に正八らに救出される。
  一方、謎の仕掛人を捜す師岡は同僚の主水が仕掛人とは気づかず、彼を始末しようとやってくる主水の誘いに乗ってしまう。主水の誘いを疑問に思ったときの師岡(清水紘治)の表情がすばらしい。まるで蛇のような目つきで主水を見つめる師岡には背筋が寒くなる。主水が刀を抜き刺殺するシーンは年季が入っていて重厚さがあった。
 
 ドラマのクライマックスにして必殺シリーズで最も印象に残るのが、鉄が拷問されながらも最期の力を振り絞って辰蔵(佐藤慶)を殺す場面。辰蔵を殺そうとするが、逆に捕らえられて鍛冶場に連れられる。「まづその右手を使えなくせねばな」といって辰蔵は鉄の右手を炎の中に無理矢理いれさせ、鉄の手は黒こげになってしまう。悶絶した鉄は気を失ってしまった。やがて鉄は気を取りも戻す。黒く焼けただれた右手が画面に映され、鉄の顔が鬼神の如き形相になっている。辰蔵が突き出す小刀を左手で受け止める。刀が刺さった左手をぬき辰蔵の心臓めがけて黒い右手の指を突き刺す。鉄が残っていた最後の力で殺す。しかし、鉄は腹を刺されてしまった。その後、女好きであった鉄は郭へ向かって、女郎を抱き絶命してしまう。女の肌に触れながらの死である。いかにも鉄らしく、孤独な仕掛人の最期であった。

胸を締め付けられるハードなドラマ 

  今の時代では血腥いシーンはショックなので監督がカットしてしまうのだろう。視聴者はどうせ暇を持て余している女子供だから、甘ったるいコーヒーみたいな作品でもよかろう、という訳だ。だが、ドラマはうわべの世間だけではない、陰惨で冷酷な裏の世界を表に引きずり出すから脳裏に焼き付くのではないか。ボケ老人相手の水戸黄門より、悪人の腹をドスでねじって腸を引き出したり、頸動脈を針で突き刺したりするドラマを大人は見たいのだ。銭を貰って暗殺する仕掛人は、平穏な江戸の社会で暮らす町人ではなく、底辺で蠢(うごめ)く下人(げにん)である。人殺しを生業とするクズでだ。そんな人でなしが持つプライドとは何かと言えば、泣き寝入りするしかない下層民に最後の望みを叶えてやることである。見知らぬ男に体を売る夜鷹でも、流れる血は赤いのだ。流した涙に貴賤はない。我々はここに共感するのである。
  銭を貰うのは正義でやっているのではない、という自分への戒めである。自惚れないための足枷だ。奉行所に捕まれば生き地獄の拷問があり、自害することが許されない仕置きが続く。口にはしないが覚悟している。いつ不運が襲うかも分からず、毎回殺しを請け負うのである。視ている者に仕掛人のプロフェッショナリズムが伝わってくる。カミソリの上を裸足で歩くような緊張感を仕掛人は堪えていのだ。チンピラ小僧の素人演技を公で褒める撮影監督は恥を知れ。体たらくのドラマ制作者はよく考えろ。




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