無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

邦画評論

長渕剛の「親子ゲーム」 / 心を閉ざした少年

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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楽曲のスタイルが変わった

  筆者は長渕剛のファンじゃないけど、高校時代、長渕氏を好きな先輩がいて、彼の曲を幾つか聴かせてもらったことがある。当時はまだレコード盤とカセット・テープが主流の時代で、FMラジオの音源を録音したテープを貸してもらい、自宅で聴いてみたら意外に良かった。1980年代まで、長渕氏は主にフォーク・ソングを唄っており、試しに初期のアルバムを手にとって、「巡恋歌」とか「涙のセレナーデ」、「18インチの罠」などを聴いてみれば誰でも判るはずだ。現在の高校生や大学生の長渕ファンは、ロック調の曲を耳にして虜(とりこ)になった人が多いと思うが、筆者の個人的な好みを言わせてもらえば、長渕氏には「素顔」のような曲を書いてもらいたい。この歌は男女の別れをモチーフにしており、彼はしんみりと「夜の顔を鏡で映せば、何て悲しい顔なのぉ~」と唄っていたが、たぶん去りゆく恋人は20代の女性だろう。もし、70代の熟女だと、深夜の素顔は「悲しい」どころじゃなく、恐ろしくさえある。だって、化粧を剝がしたデビ夫人なんて想像したくないし、スッピンの黒柳徹子じゃ誰だか判らない。とにかく、長渕氏の真骨頂は、何と言ってもアコースティック・ギターとハーモニカを駆使したライブ・コンサートであろう。昔(1980年代前半)友人に勧められ、武道館で演奏された「夏祭り」の録音テープを聴いたことがあるが、実に味わい深い名曲だった。同じライヴで披露された「もう一人の俺」も印象深い曲で、筆者はギターの部分をコピーしたことがある。最近聞き直して弾いてみたら、ギター・ソロのパートを覚えていたので、我ながらビックリした。

  以前、熱心なファンだった人に長渕氏のことを尋ねてみたことろ、楽曲のスタイルが激変してしまい、「昔の方がよかったなぁ~」と歎いていた。確かに、1970年代から1980年代半ばまでの曲は、フォーク世代が好むようなメロディーで、男女の関係を唄った曲や繊細な音を奏でる曲が多い。しかし、1990年代になると、ロック調の曲が増えて、激しい音を求めるコンサートに変わったみたいだ。たぶん、ファンの間にも戸惑いとか、異論があるんじゃないか。あれだけ曲調が変わると、昔のファンは離れてしまうだろう。おそらく、長渕氏本人は「スタイルの進化」や「新境地の開拓」のつもりなんだろうげと、初期のファンからすれば、ギター1本でライヴ活動をしていた頃の方が懐かしい。おそらく、長渕氏は同じ曲を繰り返したくないと思い、違うタイプの曲に挑戦しているのだろうが、往年のファンはそれを望んでいないはずだ。全部のアルバムを聞いた訳じゃないから詳しい事は言えないけど、最近のライヴ映像を観ると、何となく空回りの曲を作っているように思える。つまり、自分の才能に合わない曲を必死で書いているように推測できるのだ。筆者は彼のファンではないけど、傍から見てもちょっと痛々しい。(私的な事を言わせてもらえば、藝人の「コロッケ」さんが真似をする長渕剛の方が好みで、コロッケさんが歌う「とんぼ」は傑作だ。ファンが観れば激怒するけど、コロッケさんの物真似は絶品で、誰が見ても大爆笑であろう。)

忘れ去られた「名作」ドラマ

  いつ頃から長渕氏が変化したのか判らないが、出演したドラマの影響もあったのかも知れない。TVドラマ「とんぼ」が大ヒットしたせいでヤクザ役が板に附くようになったが、以前はそうじゃなかった。「家族ゲーム」て家庭教師役をしていた頃は、温和でひょうきんなキャラクターとなっており、ドスの利いた役柄は考えられなかった。その中でも特に印象深いのは、後に長渕夫人となる志穂美悦子と共演した「親子ゲーム」の方である。このTVドラマは1986年に放送され、マニアの間では好評なのだが、一般視聴者からは忘却された作品のようだ。ただし、子役が主役を食ったという作品であることだけは間違いない。昔のドラマには時々すごい子役が抜擢されていたから、内容はともかく「話題の作品」になることも結構あった。

  「親子ゲーム」は、元暴走族の矢板保(たもつ)と恋人の三石加代(かよ)が切り盛りする「九十番」というラーメン屋が舞台だった。同棲する加代も元暴走族で、保と喧嘩すれば怯まず反撃するタイプという設定。ある日、彼らの店に見知らぬ親子連れがやって来て、仲睦まじく食事をするが、しばらくすると父親は息子を残し店を出て行く。一人置き去りにされた少年は吉田麻理男(マリオ)という小学四年生。保と加代は食い逃げと分かり、マリオを知り合いの巡査早川に引き渡すが、児童相談所に預けるのを躊躇う早川は、保と加代に“一時的”に預かってくれと頼む。丁度、夏休み中だったので、マリオは学校に通う必要が無かった。保は預かる条件として、店の手伝いを要求し、戻る場所が無いマリオは黙って従うことにした。

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(左: 「保」役の長渕剛と「加代」を演じる志穂美悦子  /  右: マリオを問い詰める保)

  ぎこちない手つきだが、マリオは皿洗いや出前の仕事に精を出す。しかし、彼は一言も喋らない。というのも、マリオには深い心の傷があったからだ。捨てられる前、彼は父と二人暮らしで、母親は既に家を出ていたという。そして、子育てに疲れた父親は、九十番に連れて行き、最後の食事を済ませると、「たばこを買いに行く」と告げて息子を捨ててしまったのだ。両親に捨てられたと気付くマリオはショックを受けた。こうして、自分に非がある訳でもないのに孤児(みなしご)となった少年は、自分独りで生きて行く事を心に誓う。マリオは日記にこう記した。

   誰にも頼らず、スーパー・マリオのようになりたい。学校も友達も要らない。お父さんお母さんも要らない。

  しかし、一緒に暮らす保はマリオが何を考え、どう思っているのか知りたくなる。マリオはちゃんと店で働くが、保の呼びかけに言葉を返さず、何があっても口を利こうとしないのだ。ある日の深夜、マリオは寝ている2階からこっそりと1階の店に降りて、自宅に電話を掛ける。もしかしたら父親が戻っているのかも、と期待するマリオだが、やはり誰も出ない。そこに、マリオの動きを察知した保が現れ、「何しているんだ? 家に掛けたのか?」と問い質す。だが、マリオは答えない。痺れを切らした保は「何とか言えよ!」と怒鳴る。それでもマリオが黙っているので、保は堪忍袋の緒が切れて、力任せにマリオを張り倒した。すると、投げ飛ばされたマリオが怒りを爆発させ、「バカ野郎 !」と叫び、保の胸に掴み掛かみかかった。側に居た加代が仲裁に入ると、マリオはどう対応して良いのか分からず、そのまま二階に昇って行く。そして、気持ちが高ぶったマリオは、暗い部屋の中で独り涙を流して悔しがる。感情を口に出せない子供の苦しさが観る者にも伝わってくるシーンであった。

  当初、厄介なガキを預かることになったとボヤいていた保と加代であったが、一緒に暮らし始めると何となくマリオが可愛く思えてきた。保は出前先を教えるため、マリオをバイクに乗せて得意先を回り、その途中でマリオ用のヘルメットを買ってあげたりする。加代もマリオの日常を考え、洋服店に赴き、子供用の下着や服、さらにはランドセルまで買おうとしていた。一方、マリオは出前の途中で近所の小学生に囲まれ、質問されても答えないことでイジメを受ける。これに気付いた保はマリオがどうするのか、その出方を見守るだけで助けようとはしなかった。子供達の問題は子供自身で解決すべし、というのが保の考え方なのだ。そして、ついにマリオがイジメっ子達に反撃し、格闘したことで「わだかまり」が消え失せ、近所のガキどもはマリオを受け容れる。

  最初、保や加代の問い掛けに無反応だったマリオだが、次第に表情を示すようになり、三人の関係は近くなった。普段は喋らないマリオだが、自分の気持ちを日記に書くことがあり、保と加代はマリオが居ないときにこっそりと盗み読みをする。マリオは日記の中で無骨な保をコケにするが、加代に対して好感を持っていた。そして、マリオにとって新鮮だったのは、保と加代が本気で感情をぶつけ合い、掴み合いの喧嘩さえ厭わないことであった。マリオの両親は喧嘩をしても殴り合いはせず、冷たい態度で無視するくらいだったので、本音をぶつけ合って喧嘩する保と加代の方に「人間らしさ」を覚えていたのだ。

  結婚もせず同棲していた加代と保だが、マリオという“子供”が存在する事で二人の感情に変化が現れてきた。最初はムッツリしたガキを背負い込んでしまった、という考えだった保と加代も、徐々にマリオとの距離が近くなり、マリオが笑っただけでも喜ぶようになっていた。とりわけ、加代は母性本能が目覚めたのか、マリオの仕事着を新調し、浴衣まで購入して母親気分。一方、学歴の無い保はマリオのために何かしたいと考え、得意な料理を教えようとする。二人はまるで息子を持っているかのような気分になっていた。ある日、マリオが保に腹を立て、店から居なくなると、保と加代はバイクに跨がって近所を探しまくる。しかし、マリオは家を飛び出さず、押し入れの中に隠れていただけだった。マリオの失踪に焦る二人の姿は本当の親のようで、マリオの存在が既に不可欠になっている事が観ている方にも伝わってくる。

  そうこうして、夏休みも終わりに近づいてくると、マリオの運命に大きな転機が訪れてきた。九十番の仕事に慣れてきたマリオのもとに、突然、あの父親が現れてきたのだ。マリオの父親は巡査の早川と保、加代を前にして、マリオを連れ帰り、もう一度親子二人で生活したい、と心境を打ち明ける。これを聞いた保は理性をかなぐり捨てて激怒した。マリオを我が子のように可愛がる保は、息子を捨てた親の希望があまりにも身勝手に思えてしまい、何と言おうが絶対に赦せない。加代もマリオを手放すのが辛くて悲しくなる。しかし、親子の絆は簡単に切れるものではない。マリオは躊躇するが、やはり自分の本心に逆らえず、父親のもとに戻ろうとする。罪悪感に包まれるマリオだが、最終的に父親と一緒に暮らすことを決め、保と加代の店を去ることにした。

  それから数日後、マリオが“ひょっこり”店に現れたから、保と加代はビックリ。マリオは何も無かったかのように、仕事着に着替え、黙々と店の手伝いをする。現代版「鶴の恩返し」のようだが、何かを口にするとマリオが居なくなってしまいそうで、保と加代は平常心を装い、そっとマリオの仕事ぶりを眺めていた。一通り仕事を済ませると、マリオは仕事着を脱ぎ、九十番を去ろうとする。保と加代はバイクにマリオを乗せ、駅まで送って行く。電車に乗り込んだマリオは何も口にしないが、別れを惜しむ気持ちは保と加代に充分伝わっていた。そして、電車が発車すると、涙ぐむ加代はマリオを追いかけようとするが、保がそれを食い止め、静かに見送ることにする。夕方、保と加代は誰も居ない店に戻り、二階の部屋に上がった。すると、窓に張り紙があり、これはマリオの感謝を綴った手紙だった。そこには「いっぱい、いっぱい、ありがとう」と書かれていた。視聴者もつい目頭が熱くなる。心を閉ざしていた少年が、最後に本当の気持ちを露わにしたのだ。

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(左: 「マリオ」役の柴田一幸    /    右: 「九十番」で働くマリオ)

  「親子ゲーム」は地味なドラマだけど、人間同士の葛藤がよく描かれていて結構良かった。特に、マリオ役の柴田一幸(しばた・かずゆき)君の演技がズバ抜けている。セリフがほとんど無く、顔の表情のみでマリオの気持ちを表現するんだから凄い。今売り出し中のの若手俳優なんか、とうてい太刀打ちできないだろう。とりわけ、哀しそうな表情を浮かべる彼の演技は秀逸で、とても子供の演技とは思えない。「親子ゲーム」の評価のうち90%くらいは、柴田君の存在で占められているじゃないか。長渕剛の演技も悪くはなかったが、所詮、大人のセリフだから、どうしても役者に見えてしまう。ところが、柴田君は本当にマリオみたいだった。さらに凄いのは、柴田君があっさりと藝能界を引退し、一般人に戻ったことだ。おそらく、自分の限界を悟ったのだろう。子役の運命は悲惨なことが多く、成長すると急に需要が無くなり、役者の仕事が回ってこなくなる。高校生になっても小学生の影が纏わり付けば、厭になって俳優を辞めたくなるはずだ。したがって、柴田君の決断は正解と言えるんじゃないか。

家族の大切さ

  このドラマで考えさせられるのは、子供を捨ててしまう親がいるという現実と、その冷酷な仕打ちにもがき苦しむ子供がいるということだ。自分には落ち度が無いのに、愛する親から見放される子供は、どうしていいのか分からない。小学四年生は幼児ではないが、かといって独立できる青年でもないから、何とも歯がゆい年齢だ。マリオが孤独を選び、寡黙になったのも当然である。何処にもぶつけようがない怒りと悲しみを解消しようとすれば、そうした苦痛を招く「感情」を押し殺すしかない。誰かを愛しているから、その人に未練が残る訳で、誰とも関わり合いを持たず、自分だけの世界に閉じ籠もれば傷つくことはない。しかし、周りの人々から愛されたいと欲するのも人情であり、子供なら尚更だ。それなのに、無力な少年に出来る最大の解決策が、孤独になることなんだから、あまりにも哀しすぎるじゃないか。正直な気持ちを恐れ、その場から逃げようとするマリオの姿に、我々が心を打たれるのは、マリオの言葉に出来ない言葉を察するからだろう。

  家族を持つと、“しんどい”事が多い。だが、それを忘れるほどの喜びも多いはずだ。現在、政府は少子化を懸念し、出産祝いを渡したり、託児所を増設し、育児手当の増額、授業料の無償化、扶養控除の拡大などを呼び水にして、出生率を上げようとしている。しかし、日本人はお金をもらえるから子供を産むのか? 高級官僚や大学教授は税金の“ばらまき”ばかりを議論するけど、一番肝心なのは「人間の心」を論じることにある。彼らは将来の経済状態を心配するだけで、「家庭が素晴らしい」という価値観が無いのだ。日本人は名門校への進学とか、見栄の張れる職業に関する知識は豊富でも、子育ての喜びとか、子孫への配慮という点には無頓着である。たぶん、こうした価値観は数量化できないし、特別な勉強が必要とされる訳じゃないから軽視されているのだろう。

  「キャリア・ウーマン」を礼讃するフェミニストは、「出産や育児なんか誰にでも出来るじゃない !」と小馬鹿にするが、家族を持つことには重要な意義がある。いくら華やかな仕事に就いていても、子育てに奮闘する母親の方がやり甲斐を感じるはずだ。子供を幼稚園に送り迎えしたり、早起きして弁当を作るのは面倒だけど、子供のためを思えば苦労とは感じないものである。また、子供が夜中に熱を出せば、一晩中の看病でクタクタになるけど、苦しむ我が子を放っておけないから親は頑張る。最近の子供は妙にマセているから、いくらチビ助でも幼稚園児ともなれば色々と大変だ。例えば、粉末状の風薬を飲ませようとしても、「苦いからイヤ!」と拒み、「ママが飲めばいいじゃん!」と減らず口を叩く。そこで、母親が「苦くないから」とアイスクリームに混ぜても駄目で、子供は口を固く結んでお地蔵さんを決め込む。たとえ、すったもんだの末に飲ませたものの、1時間くらい手間がかかるので、仕事の支度をせねばならない母親は頭を抱えてしまう。一家の大黒柱たる父親だって、職場と家庭の両立で大変だけど、子供の将来を考えれば怠けることはできない。父親の靴下を臭いと嫌がる娘でも、結婚の時に父がコツコツ貯めたお金を手にすれば、感謝の涙が込み上げてくる。そして、父親の方も結婚式で号泣なんだから、キャバレーのお姉ちゃんに貢ぐより自分の娘に給料を使うべきである。昔は、子供の成長を生き甲斐とする親が多かったし、親孝行をしたいと考える子供も同じくらい多かった。

  長渕氏のドラマといえば、「親子ゲーム」より「とんぼ」の方が有名なんだろうけど、彼のファンはどう評価しているのか? 長渕氏は肉体を鍛えて、曲調まで変えてしまったが、華奢な頃の方が良かったように思えてならない。昔、長渕氏がDJを務めるラジオ番組の録音テープを聞いたことがあるけど、現在の長渕氏とは随分違っており、爽やかな好青年という感じだった。それに、妙な政治的・社会的な発言もなく、気楽な話題で笑いを取っていたから、聴いていて愉快だったのを覚えている。過去にこだわるのは良くないが、過去と訣別してしまうことも良いとは言えまい。ただ、これは長渕ファンの間でも意見が分かれるところだろう。

  ミュージシャンには変貌が激しい人がいるようで、フォークソング界の大御所である松山千春も例外ではない。「旅立ち」や「人生の空から」「銀の雨」を唄っていた頃の千春は、長い髪を靡かせる好青年だった。そんな若手歌手も月日が経てば、その雰囲気は豹変し、サングラスは同じでも髪の毛は無い。以前は北海道出身の素朴な青年だったのに、今じゃ山口組の若頭みたいに思えてくる。そして、彼は新曲作りより政治活動の方に熱心な時期があった。共産党系の家庭に育ったから仕方ないけど、よりにもよって鈴木宗男と組むことはないじゃないか。宗男と千春がタッグを組んで街頭演説なんておぞましい。北海道は緑の大自然が豊富なのに、そこに住む道民は赤く染まっている。ただし、鈴木宗男は頭が真っ赤というより腹が真っ黒い。宗男なら演技抜きで、「とんぼ」の出演者になれるんじゃないか。ヤクザから賄賂をもらう政治家の役ならピッタリだ。でも、そんな宗男に蹴りを入れる志穂美悦子のドラマを見てみたい。関係無いけど、長渕剛と悦っちゃんが実際に喧嘩したら、どっちが勝つのかな?



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海に沈む運命と陸に生きる悲劇

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日本沈没の恐怖

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(写真  / 『日本沈没』の一場面 )

  1970年代というのは大衆文化に於いて画期的な時代である。音楽業界を例に取ると、1960年代はザ・ビートルズ的雰囲気の音楽が流行っていたが、1970年代になるとレッドツェッペリンとかクリーム、ディープパープルに代表されるロック・バンドが台頭し、冒険的で独創的な名曲が数々と生み出されたので、こんにちに至っても親しまれている。映画業界にも似たような風潮があって、特徴的で印象に残る名作が続々と世に送り込まれていたのだ。当時、日本も好景気に沸いたせいか、映画会社にも活気があって、意欲的な作品が世に受けていた。その中の一つに、東宝映画の『日本沈没』(1973年)がある。

  この作品は小松左京のベストセラー小説を基にした映画であるが、その制作に携わった面々がこれまた凄かった。まず、プロデューサーが敏腕で知られた田中友幸で、『ゴジラ』シリーズや『連合艦隊』、『八甲田山』などを手掛けた人物。脚本家も傑出しており、大御所の橋本忍であった。橋本氏は黒沢明監督の映画『七人のサムライ』や『羅生門』で知られるが、その他の作品を挙げれば『ゼロの焦点』、『砂の器』、『白い巨塔』、『八甲田山』などがある。そして、撮影技師には若き木村大作がいた。彼は松田優作主演の『野獣死すべし』とか高倉健主演の『夜叉』および『駅STATION』、好評シリーズの『極道の妻たち』でカメラを回し、小松左京が原作となっている別の映画で草刈正雄が主演を果たした『復活の日』とか、人気TVドラマの『傷だらけの天使』で撮影を任されたベテランだ。

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(左: 小松左京  / 田中友幸  / 橋本忍  /  右: 木村大作)

  一方、映画のストーリーは、地殻変動により日本が海底に沈むという激震が中核となっている。太平洋プレートとユーラシア・プレートの狭間に位置する日本は、マントルの対流により海底に引きずり込まれ、消滅してしまうのだ。「日本沈没」という悲劇は、ある島が突如として消滅する、という不吉な前兆で幕を開ける。この異変を調査したのは、小林桂樹が扮する科学者の田所雄介(たどころ・ゆうすけ)博士で、彼は深海調査艇「わだつみ」に乗り込み、小笠原諸島沖の海底で衝撃的な亀裂を発見する。田所博士はこの信じられない地殻変動を総理大臣の山本(丹波哲郎)に告げ、山本総理は早速、閣僚を集めて専門家の意見を聴くことにした。映画の中で、山本総理は三人の科学者を招集するのだが、田所博士と山城教授(高橋昌也)という架空の学者に加え、本物の地球物理学者の竹内均教授を登場させていた。当時、東京大学で教鞭を執る竹内教授は、テレビ番組にも登場するほどの著名な学者で、科学雑誌『Newton』の編集者としても有名だった。

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(左: 竹内均  / 小林佳樹  / 右: 藤岡弘 )

  日本近海での異常現象に危機感を覚えた山本総理は、密かに内閣調査室の邦枝と中田(二谷英明)、および首相秘書官の三村を田所博士のもとへと派遣し、詳しい海底調査を依頼する。話を諒承した田所は、海底調査艇「ケルマデック」号の操縦者に、是非とも「わだつみ」で知り合った小野寺俊夫(藤岡弘)を、と指名した。その頃、調査会社に勤務する小野寺は、上司の吉村部長から縁談話を持ち掛けられ、一緒に葉山の別荘へ訪れることになった。その相手とは阿部玲子(あべ・れいこ)という27歳の女性で、裕福な家庭の長女という設定になっていた。こう紹介すると、奥ゆかしい淑女を想像してしまうが、彼女は小野寺に対して最初から積極的である。意気投合した二人は近くの海岸へ赴き、躊躇う事なく浜辺で抱き合う仲となった。仮面ライダーで知られる藤岡弘が“いつも”の通り熱血漢を演じるのは珍しくないが、「玲子」役のいしだあゆみが、まだ若くて素人ぽかったのは嬉しい。1968年のヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」で注目を浴びたこの人気歌手は、後に『北の国から』や『金曜日の妻たちへ』などで大女優に変貌するが、1970年代だとまだ脇役で初々しかった。(俳優の萩原健一が惚れたのも分かるなぁ。)

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(左: 浜辺で噴火に遭遇する小野寺と玲子  / 中央と右: いしだあゆみ )

  『日本沈没』の物語は田所博士と山本総理の二人が中心となっているが、この映画に深みと厚みを加えているのは、「箱根の老人」と称される「渡(わたり)」の存在だ。島田正吾が演じる「渡老人」は政財界の有力者で、山本を総理大臣に押し上げた陰の功労者である。渡は100歳になる高齢者で、姪の「花江(角ゆり子)」に介護を受けるほど体が弱っているが、その精神と頭脳は未だに健全だ。明治・大正・昭和を生きた箱根の大御所は、如何にも気骨のある国士に見える。彼は国家の行く末を案ずる民間の重鎮で、私財を投じて政府に海底調査を行わせたり、判断に迷う山本総理の相談役にもなっていた。山本総理は海底調査を目的する「D1計画」を実施したが、さらなる計画、すなわち1億1千万人の国民を海外に脱出させる「D2計画」をも考案したのである。

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(左: 島田正吾   /  中央: 丹波哲郎  /  右: 二谷英明)

  田所博士の不安は次々と現実のものとなり、日本各地で大地震や火山の噴火が頻発するようになる。日本が海に沈むという現実を隠しきれなくなった政府は、外国人ジャーナリストによる暴露記事と大衆のパニックを恐れ、それを回避すべく自ら発表しようと試みた。その一環として、田所博士のテレビ出演を画策するが、肝心の田所博士は番組の中で癇癪を起こして喧嘩となり、そのまま失脚してしまう。一方、山本総理は日本国民を受け容れてくれそうな国を模索することで精一杯。彼は各国に特使を派遣し、たとえ僅かな人数でもいいから受け容れてくれるよう懇願する。ある特別使節はオーストラリアの首相を訪ね、数百万の日本人を受け容れてくれるよう頼んでいた。国連でも日本の沈没と難民の発生に関して様々な議論が闘わされるが、各国とも日本人の受け容れに消極的で、とても1億の国民が移住できる状況ではなかった。

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(写真  /  渡老人と姪の花江)

  しかし、最期の瞬間は刻々と近づいてくる。日本列島の各地で大災害が起こり、噴火や土砂崩れで崩壊する街、海に飲み込まれて水没する地域が現れてきた。こうした中、役目を終えた小野寺は、恋人となった玲子と共に海外へ脱出しようと考える。ところが、よせばいいのに、玲子は国外脱出を前にして葉山の別荘に立ち寄ってしまい、その地で災害と渋滞に遭ってしまう。ただし、困難にぶち当たっていたのは葉山の住民たちだけではなかった。全国至る所で大勢の被害者が出ていたのだ。それでも日本人の脱出は着々と進んで行く。空港から旅発つ者もいれば、漁船に乗り込み脱出を図る者もいて、中には津波に呑まれて溺死する犠牲者も出てしまった。

  日本列島が終末を迎えようとする頃、山本総理は脱出を前にして箱根の老人を訪ねた。豪邸の中で渡は病に伏していて、側には姪の花江が付き添っている。山本総理は床に伏す渡老人を連れ出そうとするが、この御隠居は動こうとはしない。渡は日本と共に沈むことを欲していたのだ。彼は花江を山本に託し、最後の別れを告げる。外では火山灰が降り注いでおり、ヘリコプターへ乗ろうとする山本と花江は灰だらけとなる。そこへ意外にも焦燥しきった田所博士が現れる。彼も渡と同じく日本に留まる決意であった。田所自身は死を覚悟するが、外国へ移住する日本人には希望を抱いていた。

  大自然に容赦は無い。日本列島には巨大な亀裂が生じ、九州、四国、北海道はとうに水没しており、本州にも地球の鉄槌が襲いかかっていた。地殻変動は無慈悲にも日本列島を切り裂き、断片化した大地は海に沈んで行く。葉山で混乱に遭遇した玲子は小野寺とはぐれてしまい、彼女はシベリアのような北国で列車に乗っていた。玲子は凍りつく窓から外を眺め、静かに小野寺との再会を期待する。他方、小野寺は南米かオーストラリアのような国に流れ着き、熱い曠野を縦断する列車の中から大地を眺めていた。二人がいつ再会できるかは判らない。映画は散り散りになった日本人の姿を以て幕を閉じていた。

何もしないという選択肢

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(写真  /  山本総理と向き合う渡)

  小松左京は『日本沈没』の中で「日本人とは何か」を問うている。物語のクライマックスは日本が沈没するところだが、映画の“肝”は山本総理と渡老人とが向かい合う密談の中にあった。日本人の脱出を図る「D2計画」を準備した山本総理は、再び箱根の長老に会いに行く。この来客が屋敷の居間に通されると、待っていた大老は総理に一通の包みを手渡す。その表面には、『日本民族の将来 D2計画基本要綱』と書かれていた。何かを悟ったような渡は、神妙な顔附きの山本に対し、その中に3つの選択肢をしたためた意見書が同封されていると告げる。渡老人は私的に三名の知識人を招き、屋敷内で移住計画を検討させていたのだ。集められた者のうち、一人は奈良の坊主、二人目は京都の社会学者、三番目は東京の心理学者であった。彼らが研究したのは、①日本民族が何処かに新たな国をつくる場合、②世界各地に分散し、現地で帰化する場合、③どこの国にも受け容れられない場合であった。そして、最も衝撃だったのは、専門家の三名が一致した附帯的意見である。すなわち、何もしないことである。

Tanba 3(左  /  渡に詰め寄る山本総理)
  悲壮な表情を浮かべる渡は、真摯に耳を傾ける山本を前にして、「このまま何もせんほうがいい」と口にした。「何もしない方がいい ?」と聞き返す山本は愕然とする。渡を見つめる山本の目には涙が浮かんでいた。招聘された三人の学者は、あらゆる状況を想定し、様々な検討を交えた結果、日本民族は沈み行く日本と運命を共にすることがいい、との結論に達したのである。もちろん、皇族は外国に移っていただく。山本総理は、「やはり、スイスにですか?」と尋ねる。うなづく渡によれば、天皇陛下はスイスに移動していただくが、皇族の一人はアメリカへ、もうおひと方はアフリカへとの見解であった。渡老人との密会を経た山本総理は、自ら各国の首脳に働きかけ、一人でも多くの日本人を受け容れてくれと頼んでいた。もちろん、外国に何百万人もの日本人を受け容れてくれというのは無理難題であることは百も承知である。が、それでも山本総理は諦めない。1万人が無理なら、千人でも、もし、その千人が駄目なら、百人、十人、いや一人でもいいと懇願する。国民の生命と財産を守りたい山本は必死だった。一人でも多くの日本人を救いたいという彼の願いは、観ている我々の胸に突き刺さる。

Showa 4(左  /  昭和天皇)
  ここで考えさせられるのは、皇室の存続と陛下の意向である。我が国の臣民なら、天皇陛下には安全なスイスに移っていただきたいと願うだろう。しかし、多くの国民が未だに行き先が定まらず、望みを託す外国政府から受け容れ拒否にあっている最中に、陛下だけが一足先にスイスへと脱出なされるのか。おそらく、昭和天皇は拒むに違いない。陛下は皇太子殿下と皇族には移住を命令されるかも知れないが、ご自身は留まろうとなさるはずだ。陛下なら、飛行機に用意されたご自分の席を空にし、幼い子供あるいは病人を乗せるよう厳命なさるだろう。名も無き庶民であっても、陛下にとっては大切な赤子である。昭和天皇は自らの命を犠牲にして日本国民を守ろうとする名君であったから、最後の一人が脱出するまで避難されることはない。たぶん、陛下のご決断を聴く側近や宮内庁の重臣たちは、天子様のお心遣いに号泣し、一緒に残ることを誓うだろう。

  一方、我が国を「この国」と吐き捨てる進歩的知識人や、共産主義者や社会党のシンパ、有名企業や上層階級のお金持ちなどは、コネや賄賂を使って一目散に国外脱出を図るはずだ。普段、格好つけて綺麗事を並べる奴に限って、緊急時には卑劣な行動を取ることが多い。例えば、テレビ番組や新聞のコラムで反米姿勢を示す評論家でも、移住するとなれば「アメリカ合衆国がいい !」と言い出しかねない。支那や朝鮮を讃美する学者なら“憧れの”支那や“友好”の南鮮にでも行けばいいのに、ちゃっかりとアメリカやオーストラリア行きの船に乗っていたりする。彼らの大半は卑怯者だから、「私はアメリカ人や西歐人を批判したけど、彼らの国を否定した訳じゃないから、歐米諸国を移住先に選んでもいいじゃないか !」と開き直るはずだ。ベ平連の小田実(まこと)みたいな連中も、定住先をアメリカやカナダにするかも知れないぞ。

Chinese naturalization 1oath of immigrants








(左: 帰化手続きを済ませた支那人  /  右: 国籍取得者の宣誓式)

  日本人でも脱出を躊躇わないくらいだから、帰化人やアジア混血児はもっと素早く脱出を図るだろう。特に、在日朝鮮人は危険地帯となった日本に見切りをつけ、電光石火の如く“祖国”へと戻るだろう。平和な時だと図々しく居坐る朝鮮人も、沈み行く日本となれば別で、“我先に”と逃げだし、半島の同胞に向かって「ウリ(私も)朝鮮人ニダぁぁ !」と擦り寄るはずだ。もっとも、半島の南鮮人が諸手を挙げて、この「チョッパリ(半日本人)」を受け容れるかどうかは別問題である。

Korean Immigrants 1Chinese 2








(左: 朝鮮人移民の家族  /  右: 元気な支那人娘)

  帰化支那人だともっと露骨で、支那大陸の親戚を頼って一目散に逃げ出す。彼らは元々日本人じゃないから、日本の国土に愛着は無いし、日本がどうなろうと知ったことではない。日本は豊かな生活を提供するから価値がある。神様だってご利益をもたらすから崇拝するのであって、何もしなければタダの穀潰しだ。支那人にとったら、カネの切れ目が縁の切れ目で、沈み行く“外国”に未練は無い。日本が消滅するなら、次の移住先はオーストラリアあたりで、そこがダメなら合衆国へと踵(きびす)を返す。それでも無理なら、カナダへと潜り込む。支那人だとカナダに住む従兄弟の“はとこ”や「はとこ」の大叔父まで頼ったりするから、決して困ることはない。日本人とは「図々しさ」のレベルが違うのだ。

祖国と命運を共にする決断

Volcano Eruption 3Volcano Eruption 4








  普段、我々は日本人であるとは意識しない。平凡な日常生活では、「当り前」のことをわざわざ口にすることはないからだ。日本人の両親と祖父母を持つ日本人は、自分が日本人であることを改めて確認する必要が無いので、外国を旅行する時以外は「日本人」であることを自覚することが少ない。しかし、日本が消滅するとなれば話が違ってくる。日本という国土が無くなったら、日本人は日本民族として生きることが出来るのか。祖国を持たないユダヤ人なら、他国に寄生しながら独自の宗教と文化を維持できる。むしろ、彼らは積極的にヨーロッパに寄生したがるから、日本人とは本質的に違うと言えよう。この賤民と同じく、支那人も居候の身分で恥じる事はない。

  ところが、誇り高き日本人は別だ。我々の信仰や文化は日本の国土と密接に絡み合っている。日本の神社は日本の樹木で建てられ、そこに祀られる神々は日本の大地に根を下ろす。我々の信仰はアジア大陸の「宗教」と異なり、「宗教」と呼べるほどの拘束力を持たないが、その曖昧な「信仰」は温かく人々の体と心に溶け合っている。我が国の自然は日本人と共存するから素晴らしく、日本人なくして日本は成り立たない。我々はローマ人がローマを愛した以上に日本を愛している。

  もし、日本が海に沈む事態になれば、日本に留まる者もいるだろう。だが、まだ幼い子供や未来のある青年に心中しろとは強制できまい。いや、何としても生き延びてもらいたいと望むだろう。その一方で、女子供の姿を目にすれば、自分の心に芽生える矛盾に悩む事になる。なるほど、日本人は日本に住むのが一番だ。しかし、その日本が沈没するとなれば、選択肢は海外への脱出しかない。ただし、移住した日本人には苛酷な運命が待っている。歓迎されない日本人は、地元民から嫌悪されるだろう。事ある毎に厄介者とか薄汚い難民と侮辱されるだろうし、理不尽な扱いを甘受する破目になる。この仕打ちにじっと耐えるのは容易なことではない。中には死んだ方がマシだと思う者も出てくるだろう。日本人には屈辱にまみれた生活など我慢できない。それでも、家族に責任を持つ者や移住民の指導者は、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、民族の復興に一途の望みを託すはずだ。

  新天地での順応は子供の方が早い。幼い子供は日本人であることを忘れ、地元民の子供と似たような人間になるだろう。ただし、すっかり同化した子供を見て、大人の日本人は安堵すると共に、言葉では表現できぬ悲しみを覚えるはずだ。確かに親の言葉を話すが、その文字を書けず、読むことすらできまい。たとえ、日本人の感覚を理解できても、その行動様式は外国人と等しくなる。それでも、オーストラリアとか米国のような西歐諸国で育つ子供はいい。問題なのは、アジア諸国へ移住した子供だ。日本人の大人からすれば、我が子や知り合いの子供が支那人みたいな人間になるのは堪えられない。せっかく日本人として生まれたのに、最低の民族に同化するなんて憐れだ。これはベトナムやタイ、ラオス、バングラディシュ、インドに移り住んだ場合も同じである。日本人の姿をしていても、日本人としての魂が失われていれば、根無し草の浮浪者と変わらないじゃないか。

  「日本沈没」という設定はフィクションだが、筆者は映画を観ながら、「もし、日本が消滅するとしたらどうすべきか」と考えたことがある。筆者も幼い子供たちには生き延びてほしいと望む。恐怖に怯える幼児に諦念を勧めることはできない。しかし、自分自身については、日本と共に滅ぶことを選ぶ。アイデンティティーを失ってまで生き延びようとは思わない。でも、大半の日本人は移住・脱出を選択するだろう。日本人は勤勉だから、一部の者は外国に移住しても努力を重ねて成功するかも知れない。しかし、異国の生活に馴染めず自棄(やけ)を起こしたり、堕落・脱落する者も出てくるはずだ。日本人には矜持(きょうじ)が必要である。食べて寝て排便するだけの人生で良いとする人もいるだろう。しかしその一方で、「日本人らしく」誇りを持って生きたいと希(のぞ)むも人もいるはずだ。大和魂を失った日本人には、もぬけの殻となった空虚な人生しかない。日本人には日本人の血が流れているという実感が不可欠で、体の中を駆け巡る熱い血潮は単なる赤い液体ではないのだ。

  もし、天皇陛下が日本と共に沈むなら、陛下と運命を共にしようとする国民も出てくるだろう。日本人とは何か?  それは同胞と苦しみや悲しみを共にしようと考える人間である。繁栄や名誉なら帰化人でも共有したいと思うだろう。しかし、何の見返りも無い苦労とか、利益を伴わぬ試練なら避けたいと考えるはずだ。帰化したアジア人は、苦境に立つ日本を救おうとは思わない。愛国心は金銭慾とは別物である。確かに、豊かさに憧れてやって来た異邦人は、帰化申請を経て「日本国民」となるが、その魂までが日本人になる訳ではない。

  日本人には「滅びの美学」というものがある。生き恥を晒すのは死ぬよりも辛いからだ。日本は単なる列島ではない。その国土には祖先の血と汗と涙が染み込んでおり、祖国に殉じた英霊の魂も宿っている。日本は雑多な民族がバラバラに暮らす集合住宅ではない。我が国は運命共同体であり、民族の血が脈打つ聖地だ。日本人が故郷を守るのは理屈じゃない。命を懸けても守りたいものがそこにあるからだ。我々の肉体は民族の精神を受け継ぐ器であり、細胞の一つ一つに日本人の歴史が刻まれている。だからこそ、我々は外敵から祖国を守ろうとするし、祖先から継承した国家を“そのまま”子孫へと渡そうと心掛ける。住民が居ないから竹島を朝鮮人に贈与しろと考える者は、日本人として生まれても日本人ではない。外国人は留まろうとする日本人を愚か者と見なすだろう。しかし、愛する子供を見棄てることが出来ぬ親がいるように、愛する祖国を後にすることが出来ぬ日本人もいるのだ。沈み行く故郷見ながらでも、「日本人に生まれてよかった」と言える人生なら幸せなんじゃないか。



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