無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

人種問題

ジョン・ウェインに激怒する黒人 / 率直に語りすぎた白人俳優

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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白人至上主義者の俳優?!

John Wayne 6John Wayne 5









  ジョン・ウェイン言えば、ハリウッド・スターの中でも超有名で、アメリカを象徴する代表的人物だ。日本の映画ファンなら、『赤い河』とか『黄色いリボン』『駅馬車』『勇気ある追跡』『アパッチ砦』『アラモ』などを想い出すんじゃないか。ジョン・ウェインには数々の作品があるけど、やはりカウボーイとしての役柄が似合っており、陽気で気さくなアメリカ人というイメージがある。たとえ、西部劇を離れても、彼の男らしさは変わらず、嵌まり役といったら軍人しかない。したがって、いくら役者とはいえ、民間企業に勤める“しがない”サラリーマンとか、うだつの上がらない公務員なんてキャラクターは企画段階でボツ。

John Wayne 7(左  /  『クリーン・ベレー』でのジョン・ウェイン)
  アクション俳優のシルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツネッガーと同じく、ジョン・ウェインも勇敢な軍人を演じればピカイチだ。1968年に公開された『グリーン・ベレー(The Green Berets)』では、陸軍特殊部隊を率いるマイク・カービー大佐を演じていた。彼はこの作品で主演の他、自ら監督を務めていたが、制作の目的にはベトナム戦争で落ち込んでいるアメリカ社会を励ます意図もあったらしい。ちなみに、この映画の設定には無茶なところがあった。ウェインはベトナムに派遣される特殊部隊の指揮官を演じていたが、通常、「大佐」級の軍人が小隊を率いることはない。一般的に、特殊部隊を任されるのは大尉か中尉くらいで、あとは熟練のスナイパーやベテランの曹長などで構成されるのが普通である。しかし、ウェインが演じる軍人は大佐じゃないと“しっくり”こない。脳天気な日本人だと、政治家を選ぶ際、東大法学部卒とか元財務省官僚に目を留め、「わぁ、すごい経歴だなぁ~」と思って指導者に選んでしまうが、アメリカの一般人は、試験秀才とか上級役人なんかは崇めない。頼りがいのある陸軍や海兵隊の大佐の方を選んでしまう。やはり、民衆を束ねるリーダーにはカリスマが必要で、不測の事態に対応できる能力はもちろんのこと、即座に正しい判断を下し、責任を持って実行できる人物でないと駄目だ。予め答えが分かっている問題に正解できるから「エリート」なんて思うのは日本人くらい。霞ヶ関の高級官僚を見てみろ。「責任最小、権限最大」がモットーになっている。(どこの役所でも同じで、責任はボンクラ大臣に丸投げなんだから。)

  ついでに言うと、元ハリウッド俳優で後に合衆国大統領になるロナルド・レーガンが憧れていたのは、このジョン・ウェインだった。大統領になったレーガンは、休暇になるとよく牧場へ赴き、愛馬に乗って楽しんでいたが、それはアメリカ国民に向けて、自身のカウボーイ姿を植え付けるためでもあった。アメリカの大衆は宮澤喜一のような気取ったインテリが大嫌い。彼らは気さくなんだけど威厳のある軍人とか、ガッツと人徳のあるアメフト選手などを好む。やはり、一国の指導者は堂々とした風格の持ち主でなきゃ。鳩山由紀夫みたいな宇宙人とか、サラリーマン風の福田康夫などは論外。また、ダチョウ倶楽部の上島竜平かと見間違う野田佳彦でも恥ずかしい。翻って、反共主義のレーガン大統領は、強大な軍事力を背景にしてソ連を叩き潰そうとしたカウボーイ。西部開拓時代を連想させる手法に、保守派の国民は大喜びだった。大統領職には武力を以て悪党を退治する英雄が相応しい。猪みたいに直進一本槍の森喜朗じゃ馬鹿の一つ覚えだ。小泉純一郎に至っては、アメリカの石油業界に土下座して、「どうかひとつ、息子の進次郎を総理大臣にしてやって下さい!」と揉み手すり手なんだから、老醜としか言い様がない。

John Wayne & Roanld Reagan 1Ronald Reagan 321










(左: ロナルド・レーガンとジョン・ウェイン  /  右: 乗馬を楽しむレーガン大統領)

  脱線したので話を戻す。最近、脚本家で写真家のマット・ウィリアムズ(Matt Williams)が、1971年に発売された『プレイボーイ』誌でジョン・ウェインのインタビュー記事に目を附け、その暴言を自身のツイッターに載せたという。すると、この“再発見”を耳にした一般人は大騒ぎ。何しろ、ジョン・ウェインが亡くなって40年以上も経つから、若いアメリカ人は西部劇で活躍した名優くらいにしか思っていなかったのだ。でも、記事を読んだ一般人は目を疑うほど驚いた。「まさか、あの有名俳優が・・・」と大ショック。この騒動は瞬く間にマスコミに流れ、左翼メディアの「ワシントン・ポスト」紙や、黒人向けウェッブサイト・ニューズの「グリオ(The Grio)」が取り上げる事になった。

  現在の高校生や大学生だと、ジョン・ウェインは既に「過去の役者」となっているから、「誰それ?」と尋ねる人の為にちょっとだけ紹介したい。ジョン・ウェインというのは藝名で、本名はマリオン・ミッチェル・モリソン(Marion Mitchell Morrison)。綽名は「デューク(Duke)」で、これは彼が飼っていた愛犬「デューク」から由来しているという。近所の人々はマリオンがいつも連れて歩くペットの方を「リトル・デューク」と呼び、飼い主の方を「ビッグ・デューク」と名づけたそうだ。成長したマリオンは海軍兵学校を目指すが、不合格となって、大学に進学する。だが、怪我のせいでスポーツを断念し、役者の道を選んだそうである。勇敢な保安官や軍人を演じて好評を得たウェインには、やはり愛国者の血が流れていた。彼の祖父は南北戦争を戦ったアメリカ人で、孫のマリオンが海軍士官を目指したのも、こうした家系の影響があったのかも知れない。健全な両親に育てられたマリオンは、普通の善良な青年に育ち、母親の信仰を受け継いでプレスビテリアン教会(長老派のキリスト教宗派)に通っていたという。

John Wayne 12John Wayne 11John Wayne 4










(左: 学生時代のジョン・ウェイン  / 中央: デビュー当時の写真  / 右: 西部劇のウェイン )

Joseph McCarthy 002(左  / ジョゼフ・マッカーシー )
  今の日本人やアメリカ人からすると「えっ!」と驚いてしまうだろうが、ジョン・ウェインは意外にも反共主義者で、“極右”組織と評される「ジョン・バーチ協会(John Birch Society)」に属していた。「ジョン・バーチ協会」と言えば、日本では怪しげな政治団体と見られがちだが、米ソ対立が激しかった1950年代から60年代のアメリカでは反共主義の民間団体に属する人は珍しくなかった。歐米や日本で反共主義団体の評判が悪いのは、マスメディアが容共の左翼に牛耳られていたからだ。つくづく嫌になってしまうが、ハリウッドや全米テレビ局には、ピンクや深紅の左翼ユダヤ人がゴマンといたのに、それを暴く映画や特番はほぼ皆無。反米活動家と見なされた映画監督は、まるで魔女裁判の犠牲者みたいになっている。ところが、「赤狩り」を行う保守派に対しては容赦がない。電柱のような鉄槌が下され、自由社会の擁護者は極右扱いだ。「反共」の代表格たるジョゼフ・マッカーシー上院議員は、悪魔の権化か閻魔大王。一旦、学術書で有罪が決まれば、その判決を覆すのは至難の業で、事実、未だにその汚名は払拭されず、妄想に取り憑かれた狂人といった具合だ。しかし、今となってはヴェノナ文書が公開され、マッカーシー上院議員の批判が正しかったと証明されている。一方、マッカーシズムを糾弾していた学者は知らぬ顔。何事も無かったかのように平然としており、過去の言論は総て闇に葬っているんだから本当にズルい。

Midnight cowboy Dustin Hoffman & Jon Voight 2Easy Rider 32








(左: 『ミッドナイト・カエボーイ』に出たダスティン・ホフマンとジョン・ヴォイト  /  右: 『イージー・ライダ』のデニス・ホッパーとピーター・フォンダ)

  『プレイボーイ』誌のインタビューで、リチャード・ウォーレン・ルイス(Richard Warren Lewis)の質問に対し、ジョン・ウェインはどう答えたのか? 例えば、1960年代に公開された映画『イージー・ライダー(Easy Rider)』や『ミッドナイト・カウボーイ(Midnight Cowboy)』について訊かれると、ウェインは否定的な反応を示したらしい。「君はミッドナイト・カウボーイの中に出てくる男二人の素晴らしい愛について、 つまり、オカマ野郎(faggot)どものストーリーについて訊きたいのかい?」 ウェインが男性の同性愛者に対する侮蔑語を口にしたことからも分かるように、彼はこの変態作品を嫌っていたという。(Stephanie Nolasco, "John Wayne's family responds to actor's controversial 1971 interview with Playboy", Fox News February 21, 2019.)

  ちなみに、『ミッドナイト・カウボーイ』では、ジョン・ヴォイトがテキサスからやって来たカウボーイの「ジョー」を演じ、ダスティン・ホフマンがチンケな詐欺師「リッツォ」を演じていた。おぞましいのは、所持金を騙し取られたジョーが、金に困って男娼に身を堕とし、心ならずも客からのオーラルセックスに応じたことだ。ベトナム戦争が泥沼化した1960年代後半から70年代にかけて、アメリカの社会道徳は一気に崩れ、敬虔な生活が馬鹿にされ、ふしだらな生活が容認されるようになった。ハリウッドの左翼制作者たちは、陽気で実直なアメリカ人というキャラクターを徐々に捨て始め、その代わり、暴力シーンが満載のヴァイオレンス映画とか、フラワー・チルドレンが出てくる頽廃映画を作るようになった。また、男女の性描写もあからさまになり、フリーセックスに溺れる若者とか、結婚を望まないフェミニストなどが銀幕に登場し、それを左翼監督が“クール”に描いたから、敬虔なアメリカ人は眉を顰めた。アメリカの映像作品によく「PG-13(13歳以下の観客には親の同伴を必要とする)」「NC-17(17歳以下の観客は入場禁止)」といった規制があるのは、未だに西歐的倫理基準が息づいているからだろう。

黒人に対して赦しを乞わない !

  西部劇映画で有名になったウェインだから、当然、インディアンに関する質問も出ていた。ルイスは原住民に対しどんな感情を抱いているのかを尋ねたという。すると、ウェインは次のように答えた。

  私は彼らから土地を取り上げたことについて間違っているとは思わないね。いわゆる、我々が彼らから土地を奪ったという話だが、それは生存競争に過ぎない。新しい土地を必要とする人々が大勢いて、インディアンは身勝手にも自分達だけのものにしようとしていた・・・・そうだなぁ、確かに不平等はあっただろう。もし、これらの不平等が今生きているインディアンに影響を与えているとしたら、彼らには裁判に訴える権利があると思うよ。しかし、この国で100年前に起こった事を以て、現在の我々が責められるべきとは思わんがね。

  こうした見解には様々な反応が予想できる。白人に土地を奪われたと叫ぶインディアンの末裔がこの話を聞けば、「ふざけるんじゃない! 身勝手なのはどっちだ! お前ら白人が腕尽くで奪ったんじゃないか! まったく、盗っ人猛々しいぞ!」と憤慨するだろう。一方、戦国時代と帝国主義時代を経験した日本人だと、「戦って負けたんだから仕方ないんじゃないか」と思えてくる。なるほど、昔ながらに暮らしていたインディアンからすれば、先祖伝来の土地にいきなりヨーロッパ人が現れ、勝手に境界線を引き、「所有権」なるものを主張したんだから、「何だ、それ!」と反撥するのも無理はない。いくら土地取引の契約を結んだといっても、インディアンは好意で土地を貸しただけだ。未来永劫、自分の土地を割譲した訳ではない。だから、インディアンたちは征服者たちを憎んだ。実際、彼らはイギリス人を殺したし、フランス人と手を組んで反撃を企てることもあった。今のインディアンは一方的な被害者を演じているが、彼らの祖先は無抵抗のまま殺戮されたんじゃない。戦闘で白人を捕まえれば首を切ったり、問答無用で頭皮を剝いだりと、思いっきり復讐を果たしたこともあるのだ。

  日本の高校生はあまり知らないけど、俗に「フィリップ王の戦争(King Philip's War / 1675~76)」と呼ばれる「メタコム酋長の叛乱(Metacom's Rebellion)」があった。ワンパノアグ族がイギリス人の村を襲撃し、家屋を焼いたり家畜を不具にしたこともあったという。中でも、マスケット銃を撃ちまくって白人を虐殺した話は有名だ。ここで刮目すべきは、キリスト教に改宗していたインディアンが劣勢だったイギリス人を助け、彼らに反撃の方法を教えてやったというエピソードだ。一方的にインディアンが皆殺しにされたという話は、巷に漂う都市伝説の類いである。白人をやっつけるインディアンの英雄譚には一種の爽快感があるが、仲間割れという欠点も見逃すことはできない。ピークウォット族やモヒカン族はワンパノアグ族と団結せず、一致協力してイギリス人入植者を撃退することはなかった。したがって、一口に原住民といっても、部族や個人を見渡せば事情は様々で、彼らは一枚岩ということではなかったようだ。インディアンは日本人のように臥薪嘗胆で西歐化を図り、力を貯めて乾坤一擲、西歐列強を撥ね除けようとしなかった。この点、昔の日本人は本当に賢かったと言えるしんじゃないか。もし、幕府と薩長で内乱を続け、英仏からの資金や武力に頼っていたら、簡単に西歐諸国の植民地となっていただろう。

  インディアンの末裔が白人に文句を垂れるのは勝手だが、それならアメリカ国籍を捨て去り、合衆国からの保護を一切受けないと宣言すべきだ。先祖を殺した敵に税金を払い、医療や教育、住宅、治安維持といった社会福祉を受けながら、白人征服者に「反省」を求めるなんて滑稽だ。インディアンの末裔はさっさと西歐文明から離脱し、伝統的な部族社会に戻るべきだろう。病気になっても緊急治療室に行かず、呪い師のもとで治してもらえばいい。だいたい、白人が建てた学校へ通って、憎い相手の言語(英語)を学ぶなんて馬鹿げている。出身部族の言葉を学ぶのが先なんじゃないか。また、クーラーやウォシュレットなんかも厳禁だ。夏が暑いのは当然。家電製品は白人の発明だから拒否すべし。大便は野原で済ませろ。ガスや灯油も白人が持ってくるエネルギーだから駄目。燃料は薪のみで、サマー・キャンプみたいな日常にすればよい。ただ、こうした前近代的な生活に、若い原住民が耐えられるのかどうか、は別の問題である。

  ルイスによる質問で、一番アフリカ系アメリカ人を激昂させ、論争を巻き起こしたのは、黒人に対するウェインの見解である。インタヴューアーのルイスは、黒人極左のアンジェラ・デイヴィス(Angela Davis)や人種差別について質問した。ウェインは黒人が白人に恨みを抱き、不満をぶつけたいという感情には理解を示していた。「しかし、だからといって我々が急に跪き、何事においても黒人の指導を仰ぐ、といった事はない」とウェインは釘を刺す。

  私は黒人が責任感を持つように教育されるまで、白人の優越性(white supremacy)を信じたいね。私は無責任な人々に判断力が求められる指導的地位を与えたくないし、そうした権威を与えることにも賛成しないなぁ。

  ウェインは黒人がリーダーの資質に欠けること、そして、責任ある地位に就くには教育が足りない、といったことを述べていた。特に、彼は劣った黒人に下駄を履かせて大学に入れてやる制度に反対だった。何しろ、白人と同じ試験を受けて学力が足りないと判明したのに、「有色人種だから」という理由で優先的に入学を認める制度なんだから、不正の合法化と言えるんじゃないか。確かに、「アファーマティヴ・アクション(有色人種優遇制度)は何割かの黒人に知識を与え、就職への道を与える事はできた。しかし、その一方で黒人全般の評価を下げることにもなっていたのだ。いくら黒人が「俺はハーバード大卒なんだぞ!」とか、「奨学金を貰って、プリンストンやダートマスの大学院に通ったんだ!」と自慢しても、白人は「まぁ、黒人だから特別扱いにしてもらったんだろう」と小馬鹿にする。実際、バラク・オバマは“これ”といった業績も無いのに、権威ある「ハーバード・ロー・レビュー」誌の統轄者になれた。一方、集英社や小学館はハーバード大学ほど甘くはない。日本の出版社と一般読者は実力主義の信奉者だから、いくら黒人の漫画家でも「週刊ジャンプ」の看板作者にはしないし、人気投票で一番にすることもない。たとえ、投票葉書を捏造しても、単行本の売れ行きやアニメ化の話で躓くから、すぐ嘘がバレる。

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(左: 学生時代のバラク・オバマ  /  右: 講義を受ける黒人学生たち)

  ルイスは更に厳しい質問を浴びせかけた。すなわち、ウェインが黒人奴隷をどう考えているのかを尋ねたのだ。そこで、ウェインが率直に答える。

  私は5世代や10世代前に彼らが奴隷だったという事実に関し、罪悪感を覚えることはない。だからといって、奴隷制を見逃すというか、赦す訳じゃないからね。それは人生にある現実なんだ。例えば、身体障碍を抱えた子供が、金属製の器具を身につけている状態なら、友達と一緒にフットボールを楽しむ事はできないよね。現在の白人と競争できる黒人は、白人よりもマシな厚遇を受けているんだ。もし、アメリカより素晴らしい権利を得ている黒人がいたら、どこの国なのかぜひ教えてもらいたいものだ。

  もう、こんな発言を耳にしたら、黒人の活動家や大学教授は激怒するだろう。ウェインが述べていたことは、黒人に対する虐待は過去の話で、現在の我々には関係無いという趣旨だ。しかも、白人が教育と機会を与えてやったから、少しはマシな黒人が増えたのであって、白人が一方的に非難されるのは心外だと語っていたのである。ウェインの意見は人種によって評価がまちまちだし、彼と黒人のどちらが正しいのか、判断を下すのは日本人でも難しい。黒人の恨みは理性を越えた感情にある。いくら白人が正論を吐いたとて、絶対に受け容れることはできない。なぜなら、劣等民族の悔しさは言葉で治療することができないからだ。これは日本人を恨む朝鮮人と同じで、いくら言葉で謝っても、因縁をつけてくる民族の心は晴れない。朝鮮人が日本人を奴隷にし、男は縛り首で、女は強姦という復讐を果たせばスッキリするだろう。しかし、普通の日本人なら、こんな仕打ちに耐えられまい。必ずや抵抗するはずだ。

自分の祖先を恨めない黒人

  黒人が白人を赦せないのは、白人の残虐性もさることながら、黒人が持つ自らの「惨めさ」に原因があるのだ。アメリカの黒人は奴隷船でアフリカ人を連れてきた白人を憎む。だが、その奴隷商人はアフリカの有力部族から「黒い捕虜」を購入したのだ。ポルトガルやスペイン、ブリテンの白人が各地の村を襲って黒人を拉致するなんて無理。そもそも、西歐人が密林を掻き分けて侵攻したというのは嘘で、大抵は紛争に勝った黒人部族が敗者を捕虜にして、取引を持ち掛ける白人に転売したというのが実態である。事実、カリブ海の黒人たちは、輸出先のナイジェリアやガーナを恨んでいる。例えば、ナイジェリアで人権活動に励む黒人左翼は、部族の酋長ならびにその子孫を責め立て、奴隷制の後遺症に苦しむ黒人に謝るよう求めていた。(David Smith, "African chiefs urged to apologise for slave trade", The Guardian, 18 November 2009.) しかし、当のアフリカ人には「人権」という概念は更々無い。そんな言葉を聞いたって馬耳東風。「権利(rights)」と聞いても「右手」を差し出す程度。象牙の方がお金になる。もし、「有罪」とされた部族の首長に「賠償として牛30頭、豚40匹、鶏70羽を出せ!」と要求すれば、「何で俺が貴重な財産を差し出さなきゃならないんだ!」と激昂して棍棒を振り上げるだろう。アフリカの黒人はウェインと同じく、「遙か昔になされた罪を現在の者が償う義務は無い!」と撥ね付けるだけだ。我々にとって興味深いのは、「こうしたアフリカ人を見たアフリカ系アメリカ人はどう思うのか?」という点である。

Marcus Garvey 13(左  /  マーカス・ガーヴェイ)
  もう一つ、アメリカ黒人の怒りには別の要因がある。アフリカ系国民の地位向上を訴え、白人批判を展開する赤い黒人は、現在の白人に賠償を求めても、彼らの祖先が選んだ「決断」には触れようとはしない。なぜなら、白人から解放された元黒人奴隷は故郷に帰ることを拒み、白人国家に留まる事を選んてしまったからだ。(その結果、黒人の子孫は精神が妙に歪んでいる。) 以前、当ブログでも紹介したが、「黒いモーゼ」と呼ばれるマーカス・ガーヴェイ(Marcus Mosiah Garvey, Jr.)は、白人国家のアメリカで黒人は幸せにならないと考え、黒人はアフリカに戻るべきだと訴えた。このジャマイカ人救世主は、アフリカに作られたリベリアに赴き、黒人による国家を創設しようと夢見たが、肝心の黒人たちは興味を示さなかった。ガーヴェイは「ブラック・スター・ライン」社まで創設し、渡航手段を持たない黒人を助けてやろうとしたのに、彼の同胞は故郷での悲惨な生活を予想し、豊かなアメリカに住み続けることを選んだ。

  現在の黒人はあれこれ不満を漏らすが、彼らの祖先は差別よりも貧乏を恐れていた。これは情けない現実だが、一旦、高度な文明に触れた劣等種族は、いくら差別されようが、その豊かさに魅了され、ちょっとした“おこぼれ”でもいいから「華やかな生活に与りたい!」と願ってしまうのだ。確かに、異人種の国で差別されることは苦痛だ。しかし、アフリカに還って貧乏生活を味わうよりマシである。アフリカにはゾっとするような原始的生活しかない。電気・水道・医療が存在しないばかりか、「明日への希望」さえ無いのだ。アメリカには立派な建築物が聳え立ち、煌びやかな衣装を身に纏った貴婦人がいる。今は無理でも子供や曾孫の代には、「人並みの暮らしが出来るんじゃないか」と淡い希望を抱く黒人もいたはずだ。アメリカは西歐人の天下であっても、一応、公衆衛生が行き渡っていたから、黒人でも多少はその恩恵に浴することもできた。簡単な治療といえども、病気への恐怖が軽減されていたし、黒人でも医学を学ぶこともできたから、アフリカよりマシである。映画では残虐な扱いをする白人ばかりが出てくるが、中には黒人に温情をかける白人もいたから、強制収容所みたいな暮らしを想像するのは間違いだ。農園で働く黒人は御主人様の情けを求めたし、黒人を雇う白人にも“まともな”経営者がいたらしい。

  奴隷制度を持たなかった日本人から見れば、アメリカ白人の黒人搾取は残酷に思えてしまうだろう。だが、世界史を眺めてみれば、奴隷制なんて珍しくもないし、「同胞を奴隷にしなかった西歐人はまだ“上等”なんじゃないか」と思えてくる。アジア大陸の民族にとって異邦人を差別するのは当り前だし、戦争捕虜の虐待・拷問は普通で、奴隷貿易なんか単なる商売だ。インドに行けばカースト制度があるし、アフリカでは狂気に満ちた部族闘争が絶えない。ルワンダでの虐殺劇を想い出せばわかるじゃないか。敵を捕まえて足首を切断するんだから、人権も正義もあったものではない。鳥や豚じゃあるまいし、鉈(なた)で人間の手足をぶった切るなんて鬼畜と同じ。しかし、これとて支那人に比べたら可愛いものだ。支那人の殺戮といったら日本人の想像を遙かに超えており、戦争となれば殺人や掠奪、放火は当り前。数十万人規模の虐殺なんか幾らでもある。人間を捕らえてバーベキューにするくらい朝飯前というか、ちょっとした“お祭り”といった感じである。

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( 左: アフリカ人の奴隷 /  右: 白人奴隷を売買するムスリム商人の絵)

  アメリカの黒人が憤りを持ち続けるのは分かるけど、それならアフリカに移住して、立派な黒人国家を建てるべきなんじゃないか。それに、白人を糾弾する黒人は、リベラル派の左翼分子やユダヤ人に裏で操られている場合が多い。当ブログで以前も紹介したが、ユダヤ人左翼は黒人の公民権活動家に近づき、法的アドヴァイスを与えたり、こっそりと資金を提供したりと、様々な支援を送り、「共通の敵」に戦いを仕掛けていた。また、革命家の白人極左にとって、怒れる黒人は「便利な馬鹿」となっていた。憎い資本家を抹殺し、伝統的社会を転覆させるには、「社会正義」を振りかざす尖兵、あるいは何も考えない鉄砲玉、すなわち「捨て駒」や「消耗品」が必要なのだ。日本人の保守派でも、こうした構造を判っていない者が多く、単純な保守派は黒人に加勢して「そうだ、白人はけしからん!」と憤慨する。だが、西歐諸国と絶縁した日本がどのような運命を辿るのかは考えない。他方、アメリカの大学で西洋批判を展開するユダヤ人は、お金を払わないのに協力してくれる、海外のボランティア馬鹿に感謝し、左翼連携を持ちかけよとする。日本人はユダヤ人のプロパガンダに弱いから、簡単に引っ掛かるだろう。

  とにかく、ジョン・ウェインの意見に反撥するアメリカ人は大勢いると思うが、1970年代初頭のアメリカを考えれば、彼の歴史観に不思議なところは無い。もし、マズいところがあるとすれば、それは彼が率直に答えを述べた点にある。黒人は白人全般を非難するが、アメリカの白人には東歐系とか南歐系が含まれているし、たとえ西歐系国民に絞ったとしても、誰が奴隷所有者の子孫なのか特定は難しい。それに、今日では入植者の子孫とかアングロ・サクソン系の数が激減しているから益々困難だ。彼らの末裔は様々な人種と混淆しているから、仮に奴隷所有者の財産を受け継ぐ者を探し出したとしても、どれほどの賠償金を獲得できるのか分からない。民衆党の極左議員であるカマラ・ハリスやエリザベス・ウォーレンは、奴隷制に関する賠償を払うべし、と主張していたが、具体的にどうやって償うつもりなのかを述べていなかった。(Lisa Eustachewich, "Kamala Harris , Elizabeth Warren both support reparations for slavery", New York Post, Febraury 22, 2019.)

Kamala Harris 11Elizabeth Warren 114








(左: カマラ・ハリス  / 右: エリザベス・ウォーレン )

  ハリスとウォーレンは勇ましい持論を口にしていたが、こんなのは単なる人気取りだ。第一、議会が承認しないし、大半のアメリカ人も大反対となるだろう。考えてもみよ。奴隷所有者の子孫じゃないのに、「白人だから」という理由で資産をむしり取られる白人は黙って税金を差し出すのか? 結局、ハリスとウォーレンは黒人有権者にアピールしただけ。彼女たちが何を言おうが、アメリカの黒人は惨めなままだ。奴隷として搾取され、解放されてもほったらかし。たとえ、白人並に扱われるようになっても、黒人票を狙う政治家に利用されている。奴隷の子孫は差別意識をひた隠しにする白人を怨むが、かといって白人のいない黒人だらけの社会をつくると、不正や腐敗がはびこり、貧乏と悲劇が織り混ざったスラム街になってしまう。最終的に、「白人様、戻ってきて !」と懇願するか、白人の居住区に潜り込むのがオチだろう。何てことはない、白人に寄り添って暮らすことが黒人の幸せになっているのだ。ちょっと賢い日本人なら、「哀しいけど、これが現実なのよねぇ~」と云いたくなる。
  




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俳優リーアム・ニーソンが持っていた差別意識

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復讐の標的になっていた黒人
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(左: 『96時間』に出演したリーアム・ニーソン  /  右: 『スター・ウォーズ』でジェダイを演じたニーソン)

  北アイルランド出身の俳優リーアム・ニーソン(Liam Neeson)と言えば、日本でもちょっとは知られており、一般的には『シンドラーのリスト』に出ていた役者、あるいは『スター・ウォーズ/ エピソード1:  ファントム・メナス』で若きオビ=ワン・ケノビを指導する師匠のクワイ=ガン・ジンを演じた人物として有名だ。筆者としてはアクション三部作の『96時間(Taken 1 / 2 リベンジ/ 3 レクイエム)』が懐かしい。この映画の中で、ニーソンはCIAの特殊工作員を演じていた。彼は人身売買を生業とするマフィアに娘を攫われ、その事実を知らされると彼女を奪還すべく、あらゆる手段を使い、悪党どもをやっつける。ありふれたアクション映画であるが、愛する娘を奪われた父親の必死さが観る者に伝わってくる良い作品だった。少々脱線するけど、日本人もこれくらいの精神を持たなければ、拉致事件は解決できないんじゃないか。兇悪な北鮮に対して話し合いで解決できるなんて妄想だ。同胞を助けるには武力行使以外の手段は無い。しかし、日本政府は「対話と圧力」というスローガンで片付けているから情けない。あまり言いたくないけど、横田滋さんは生きて娘を抱きしめることはないだろう。

Liam Neeson 2(左  / 「グッド・モーニング・アメリカ」に出演したニーソン )
  今回、リーアム・ニーソンはイヴニング・ニューズで“話題の人”となった。というのも、ABCテレビの「グッド・モーニング・アメリカ」という朝のワイドショーに出演し、「不適切な発言」を口にしたからである。彼は黒人司会者のロビン・ロバーツ(Robin Roberts)を前にして、最新作の『Cold Pursuit』の宣伝をしていた。ところが、事態は思いもよらぬ方向へと流れて行く。この映画は息子を殺された父親が復讐に走るというストーリーで、ニーソンはサービス精神からか、自らの過去を披露し、自分も似たような復讐心を持っていた、と告白したのである。

Robin Roberts 3abc Good Morning America








(左: ロビン・ロバーツ  /  右: 人種的多様性を示す「グッド・モーニング・アメリカ」のレギュラー出演者)

  事件は何十年も前に遡る。ニーソンがまだアイルランドで燻っていた若い頃の出来事だ。ある日、彼は知人の女性が強姦された事を知る。そこで、彼女に「犯人はどんな男なのか、知ってる奴なのか、肌の色は?」と質問したそうだ。すると、彼女は「黒人よ」と答えた。これを聞いたニーソンは激昂し、棍棒(cosh)を手にして1週間ほど街をうろついたという。そして、親しい女性が凌辱されたことに我慢がならなかったニーソンは、積極的に黒人とのイザコザを願っていた。酒場でも繁華街でもいいから、とにかく黒人を見つけ、自分に近づき因縁をつける野郎がいれば、ぶっ殺してやろうと考えていたそうだ。(Clémence Michallon, "Liam Neeson : I walked the streets with a cosh, hoping I'vd be approached by a black bastard so that I could kill him", The Indenedent, 4 Febraury 2019.)

cosh 1( 左 / 棍棒 )
  しかし、1週間くらい過ぎると、ニーソンの怒りは静まり、その恐ろしい殺意を羞じるようになった。カトリック信徒として育ったニーソンは、己の罪深さに気つき、神父の前で懺悔したという。彼がこうした過去の罪を番組で明かしたのは、復讐が何の解決策にもならない、ということを教えたかったからである。確かに、遺族にとって復讐は必要だ。ヴァイオレンス映画を楽しむ観客だって、悪党がやっつけられれば「そこだ、もっとやれ!」と声援を送り、忌々しい奴らが殺されれるのを期待する。しかし、ニーソンは皆に問い掛けた。復讐は別の復讐を招き、それに伴う殺人も更に別の殺人へと発展するんじゃないか、と。結果的に、この悪循環には終わりが無い。たぶん、ニーソンは自分の体験を語ることで、聴衆に復讐の虚しさを伝えたかったのだろう。

  ニーソンを非難するのは簡単だが、彼の衝動は理解できるし、一般人の中には彼と同じ行動を取る人もいるだろう。建前上、“許されざる暴力”なんだが、こうした八つ当たりがあることは否定できない。だが、ニーソンは米国に根ざす深い人種問題を解っていなかった。白人女性が黒人に強姦され、白人の友人が黒人全体に怒りを持つということは、単なる復讐心ではない。アメリカの黒人が聞けば必ずや人種偏見ないし人種的憎悪と考えるはずだ。司会者のロバーツはニーソンに、もし犯人が白人の場合ならどうしたのか、と尋ねた。すると、彼は「仮に、犯人がアイリス人、スコット人、イギリス人、リトアニア人であっても、同じ反応をしただろう」と答え、自分はレイシストではないと強調した。そこでニーソンは戸惑う観客のために、当時の背景を理解してもらおうと北アイルランドの惨状を話す。

  時は、1970年代。アイルランドのベルファストなどでは、抵抗運動を続ける地下組織、IRA(アイルランド共和国軍)が健在で、カトリックとプロテスタントの住民は対立したまま、街中でもテロ事件は珍しくなかった。1997年、人気俳優のブラッド・ピットが『ザ・デヴィルズ・オウン(The Devil's Own)』という映画に出演し、IRAテロリストの役を演じたから、平成の若者でも凄惨なテロリズムに手を染めるアイリス人の執念を理解できるんじゃないか。この映画はアメリカを舞台にしていたが、本場のアイルランドではまさしく血みどろの闘いが展開されていた。抑圧されたアイリス人の過激派がイギリス人の警官に攻撃を加えれば、イングランド側も容赦無く反撃を加える、といった報復合戦。こんな調子だから、人々が行き交う街中はソマリア並だ。宗教と民族が絡む闘争というのは非常に厄介で、なかなか収拾がつかない。どちらも正義を掲げる聖戦だから、反省による妥協と譲歩が無いのだろう。こうした状況を考慮に入れれば、ニーソンの言い分にも一理あるような気がする。

Northan Ireland 2Northan Ireland IRA bombing 2








(写真  /  テロが横行していた1970年代の北アイルランド)

  だが、アイリス人がイギリス人を憎むのと、白人が黒人を憎むことには温度差があり、質的にも違っているのだ。アメリカでは白人女性を犯した黒人は単なる犯罪者ではない。吊し首というリンチに値する重罪である。ニーソンはどの種族であっても同じように怒りを覚えると語っていたが、アメリカの黒人は「黒人だから“より”激しい憎しみを抱いていたんじゃないか?」と疑ってしまうのだ。黒人が白人女性を襲うというのは、個人ではなく白人全体に対する罪であり、高級な人間に対する宗教的冒瀆に等しい。もし、被害者女性が英国の白人に犯されたら、ニーソンはイギリス人を見境無くぶっ殺そうと思うのか? もちろん、やろうと思えば出来るだろう。何しろ、ニーソンは元アマチュア・ボクサーだから、ハッタリだけの素人なんか朝飯前。イギリス人が集まるパブに入り、わざと挑発的な態度で接し、喧嘩腰のイギリス人が出てくればしめたもの。左フックかアッパーの一発でKOだし、鳩尾(みぞおち)を殴れば悶絶だ。でも、そんな事をしたらキリが無いだろう。、復讐をしているうちに、知人の仇討ちじゃなく、趣味の喧嘩になってしまう虞(おそれ)がある。

Piers Morgan 1(左  /  ピアース・モーガン)
  件(くだん)の「グッド・モーニング・アメリカ」が放送されると、瞬く間に世間から大きな反響が起きた。主要メディアの評論家たちは、「正義の味方」を気取って声を上げ、「ニーソン氏はオスカー候補から外されるべきだ」と糾弾する。他方、彼のファンは「出演作品のプレミア上映に出席できるのか?」と心配していたそうだ。英国でも同様に非難の声が湧き上がっていた。ワイドショー番組の司会を務めるピアース・モーガン(Piers Morgan)もその一人。彼はチャンス到来とばかりに、リベラル派の立場を強調し、ニーソンの軽率な発言を咎め、黒人に対する人種差別だ、KKKと同じだぞ、とわめき立てていた。(Rebecca Davidson, "Piers Morgan compares Liam Neeson to the KKK and slamed him for the purest perfnification of racism  on Good Morning  Britain",  Daily Mail, 5 Fenruary 2019.) まったく、偽善系の有名人には吐き気がする。モーガンは黒人プリンセスのメーガン妃を快く思っていないのに、他人の差別意識には手厳しく容赦が無い。ちなみに、モーガンと一緒に司会を務めるアンディ・ピータース(Andi Peters)は、「これで『96時間』の俳優もキャリアの終ね!」と吐き捨てていた。

  確かに、ニーソンの思考は間違っている。強姦魔は処罰されるべきだが、無関係の黒人が単に「黒人だから」という理由で殺されるのは正当化できない。これは逆を考えてみれば分かる。白人が白人という理由だけで殺されれば、アメリカのみならずイングランドやアイルランドの白人でも激怒するだろう。しかし、ニーソンの心情は理解できる。なぜなら、彼には同胞に対する愛情があるからだ。リベラル派の白人や平等主義者には、仲間の不幸に対する憐憫の情が無い。強姦事件が起きても、その原因を究明せず、法的処理だけで済まし、後は水に流そうとするからだ。左翼勢力は本質的に無責任。彼らは多民族共生を大義名分とし、訳の解らぬ異民族を国内にどんどん引き込むが、彼らが引き起こす問題や軋轢には知らぬプリで、べつに何とも思わない。自分に被害が及ぶまでは、どれもこれも他人事。中には狡い奴がいて、ちゃっかりと高級住宅地に住んでいたりする。

  ニーソンが差別意識を持っていたことは非難されるべき欠点だが、そもそも、イングランドやアイルランドに黒人がうろついている事の方が問題じゃないのか。肉体や風習の異なる人間が同じ場所に住めば、余計な問題が発生するのは目に見えている。しかも、黒人というのは劣等種族と見られているし、下層階級のならず者が多いから、どうしても犯罪に走りやすい。イングランドの刑務所を覗けば分かるけど、受刑者には殊のほか有色人種が多く、つい「やっぱり、そうだよなぁ~」と呟きたくなる。アメリカも同じで、犯罪者の人種的構成を調べると、黒人やヒスパニックなどの有色人種が目立つ。また、「白人犯罪者」といっても南米系や東歐・南歐系だったりするから、西歐系と区別して算出しなければならない。「政治的正しさ(PC)」が横行するアメリカでは、シリア人とかチェチェン人でさえ「白人」と分類されるから、政府機関による犯罪統計といえども、信用すると間違った結論に至ることがある。FBIは人種問題に敏感なようで、黒人にとって都合の悪い現実を隠すことがあった。例えば、以前、FBIは白人による黒人女性への強姦件数がほぼゼロという統計を発表したが、黒人からの非難を恐れ、こっそりと削除してしまった。(筆者はこのデータを保存している。)  それにしても、性犯罪者は自分の好みに正直だ。黒人と白人を平等に犯すという人種的配慮は無視。犯罪者にも「選択の自由」があるとは、さすが「自由の国アメリカ」だ。

Katie McGrath 4Ruth Negga 1Irish baby 1black baby 2








(左: アイリス人女優のケイティー・マクグラス  / エチオピア系アイリス人女優 ルース・ネイガ / ケルト系アイリス人の子供  /  右: アフリカ系黒人の赤ん坊 )

  リーアム・ニーソンはリベラル・メディアから袋叩きに遭っているが、正直に自分の過去を話すニーソンには好感が持てる。ハリウッド・スターには偽善者が多く、本音を隠し、綺麗事だけを口にする輩(やから)が多い。本当に人種対立を減らしたければ、別々に暮らすのが一番だ。それなのに、リベラル派は多民族共生を讃美し、「白黒、茶色、黄色の区別無く、みんなアメリカ人なのよ!」と歯が浮きそうな嘘をつく。現実の世界を見渡せば分かるけど、人種混交で幸せになった国があるのか? 左翼白人はバルカン半島やパレスチナで同じ理想を語ってみろ! 群衆に取り囲まれてリンチに遭うのがオチだぞ。我々はボスニアでの民族浄化、ルワンダでの部族対立を知っているのに、左翼は無茶な理想にしがみつく。それなら、彼らが多民族国家に移住すればいいのに。ついでに、「日韓友好議連」の政治家や、「日中友好」を謳う知識人も朝鮮や支那に引っ越してもらいたい。日本の左翼は「憧れの国」で暮らすべきだ。

ethnic cleansing in Africa 3Ethnic cleansing 1







(左: 民族浄化を図るアフリカ人  / 右: 部族対立の犠牲者 )

  日本人はこれから大量の異民族を「国民」として受け容れようとしているが、外人による犯罪が増えれば、必ずやニーソンと同じ感情を持つ人々が出てくるはずだ。日本人は日本人同士で暮らしてきたから、異民族との混淆は未だに空想の世界で、「まさか、そんな事はないだろう」と高を括っている。一般国民は暢気だから、アジア人が流入しても、今のままの生活が続くと思っているはずだ。しかし、多民族国家は安定より混乱の方を招きやすい。考えてもみよ。もし、戦国時代とか明治維新の時、民族対立があったらどうなっていたことか。幕末の日本では日本人同士で闘っていたからよかった。確かに、会津藩士と薩摩藩士が戦ったことは不幸で、後々まで遺恨が残る結果となってしまったが、明治大帝の前に出れば双方とも国を憂う日本人となる。天皇陛下に忠誠を誓う国民に官軍も賊軍もない。みんな陛下の臣民、赤子だ。日本人は祖国の独立を守るため、挙国一致で日清日露の戦役を闘い、戦歿者が出れば出身地に関係無く皆英霊となる。当時の日本人で「日本人ばかりの社会だから不幸だ」と歎く者はいなかった。しかし、日韓併合で朝鮮人が入ってくると、事態は変わってくる。朝鮮人による窃盗や殺人事件が起これば、「まったく朝鮮人はけしからん!」という感情が湧いてしまうのだ。

  もし、これで黒人の大量流入となったら、どうなってしまうのか。黒人による強姦が各地で発生し、日本人の被害者が増えてくれば、人種的憎悪も激しくなるだろう。そうなれば、黒人と日本人との人種対立になるはずだ。そして、リベラル派のマスコミは怒れる日本人を「差別主義者」と断罪するから、日系国民は本音を隠すようになる。しかし、沈黙は怒りの解消ではない。むしろ、憎しみの蓄積と凝縮だ。日本人にもニーソンのような人物が現れてくるから深刻な社会問題になるぞ。でも、こうなった時、移民を呼び込んだ責任者は亡くなっているから、誰も責任を取らない。想像したくないけど、人種対立の行く末は、理性を越えた殺し合いになる。これが嫌なら、復讐劇の映画を作って現実逃避するしかない。実際の殺人は無理だから、せめて虚構の世界で憂さ晴らし、となるんじゃないか。主演はもちろん、ニーソンのような俳優だったりしてね。



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