無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

人種問題

ハロウィーで黒い顔は禁止 / PCの罠に落ちた美人司会者

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黒木 頼景
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政治的に正しい発言じゃなきゃ !
Megyn Kelly 8Megyn Kelly 72









(写真  /  モデルを務めるメーガン・ケリー)

 一昔前は「自由の国アメリカ」というイメージが日本にあった。しかし、最近はインターネットの普及もあってか、そのメッキが剝がれ、生々しいアメリカの恥部が一般人にも見えるようになった。一般国民でも学校で習った「自由の国アメリカ」というのが嘘と分かり、「自由が制限されたアメリカ」という現実が見えてきたと思う。それを示す一例が、NBCのワイドショー「Today」で司会者を務めるメーガン・ケリー(Megyn Kelly)の謝罪である。

  かつて、メーガン・ケリーはFOXテレビに属しており、自分の冠番組を持っていたホステスだが、FOX News会長のロジャー・エイルズ(Roger Ailes)にセクハラを受け、それがもとで同社を去ることになった。しかし、一匹狼になるかと思いきや、美しい女狐は引っ張凧(だこ)でNBCへ移籍する。まぁ、セクシー写真の依頼まで殺到するほどのキャスターだから、引く手あまたというのも納得できる。それに、6,900万ドル(約7億5千900万円)の契約金で移籍となった訳だから、まんざら不幸という境遇でもあるまい。だが、やや保守系のFOXから、左翼リベラル系のNBCへの鞍替えだから、気持ちを引き締めないと痛い目に遭ってしまう。案の定、失言を口にして涙の謝罪をする破目になってしまった。(たぶん、スタッフと打ち合わせした「演技」だと思うけど、インサイダー取引を行って罪を認めたマーサ・スチュアートの例もあるから、素直に謝った方が「得」と考えたのだろう。)

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(左: メリッサ・リヴァース  / 中央: ジョアン・リヴァース  / 右: エドガー・ローゼンバーグ )

  事件(こと)の起こりは、10月23日の「Today」であった。話題となったのは、ハロウィーの仮装である。「口は禍(わざわい)の元」と言うけど、メーガンの意見は軽率だった。彼女は左翼陣営の真っ只中にいるという自覚が無かったのだ。この番組にはメリッサ・リヴァース(Melissa Rivers / 本名 Melissa Warburg Rosenberg)とジェナ・ブッシュ・ハガー(Jenna Bush Hager)、NBC News 記者のジェイコブ・ソボロフ(Jacob Hirsch Soboroff)が招かれていた。女優でTV番組の司会者を務めるメリッサは、有名なユダヤ人コメディアンのジョアン・リヴァース(Joan Rivers)の娘である。彼女の父親もユダヤ系で、TVプロデューサーのエドガー・ローゼンバーグ(Edgar Rosenberg)。一方、ジェナはご存じ、ジョージ・W・ブッシュ元大統領の次女で、裕福な家庭に育ったリベラル派の馬鹿娘だ。三人目のジェイコブもリベラル派のユダヤ人で、彼の父親はロヨラ・メアリー・マウント大学にある研究所で所長を務めていたスティーヴ・ソボロフ(Steve Soboroff)である。このユダヤ人オヤジは、ロサンジェルス・ドヂャーズの副会長に就任したから、野球ファンにはお馴染みの人物だろう。

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(左: ジェナ・ブッシュメハガー  /  右: ジェイコブ・ソボロフ)

  とまぁ、こうした左翼に囲まれての雑談であったのに、迂闊にもメーガンは率直な意見を述べてしまった。話題がハロウィーの仮装になった時、メーガンは「ハロウィーンで白人が顔を黒く塗って黒人に扮するのは、私が子供のころ普通だったわ」と安易に述べてしまった。(Roxanne Jones, "Megyn Kelly's blackface comments show her true face", CNN, October 25, 2018) 確かに、黒人が白人に扮してもおかしくはなかったから、白人が黒人の真似をしてもいいはずだ。人気歌手の故・マイケル・ジャクソンを真似て、彼のダンスや「ムーン・ウォーク」を練習する白人は珍しくない。黒人だって北歐人に憧れて、縮れ毛を直毛にしたり、金色に染めたりするじゃないか。インド人女性は宗主国のアングロ・サクソン人に魅了され、値段が高いのに肌を白くするクリームを購入し、毎日肌の手入れに余念が無い。日本人だってカラー・コンタクトを嵌めて、ゲルマン人もどきの青い瞳にしている人がいる。

  ある種族が別の種族に扮したり、その容姿を真似ることは不思議なことではない。しかし、黒人に関しては違うようだ。既にネーデルラントでは、「黒いピーター(Zwarte Piet)」が問題となっていた。ネーデルラントでは伝統的に、地元の白人、すなわちフリジア人(いわゆる「オランダ人」)が顔を黒く塗って「黒いピーター」に扮するお祭りがある。この黒人はサンタクロースのお伴をする小姓で、スペインからのムーア人が起源となっているそうだ。とはいえ、カリブ海諸島やスリナム出身の黒人からすれば、何となくおもしろくない。たとえ昔からの慣習であっても、白人どもが黒人を小馬鹿にしているように見える。でも、ネーデルラントの白人にも反論はあるだろう。スリナム人やカリブの黒人は、白人が主体の西歐社会と解って移住してきたんだから、そこの文化が嫌いならさっさと郷里に帰るべきだ。移住先の原住民に腹を立てるのはお門違いだろう。

Black face Peter 1Blackface 1









(左: 「黒いピーター」に扮するネーデルラント人  /  右: 「黒人」を演じる白人役者)

  ネーデルラント人と同じく、日本人にも似たような感覚があった。昔「シャネルズ」というバンドがあって、各メンバーが顔を黒く塗って曲を唄い、「ランナウェイ」というナンバーがヒットしたことがある。(後に「ラッツ&スター」と改名された。) だから、単に顔を黒く塗って黒人気取りになったからといって悪い訳じゃない。落語家の笑福亭鶴瓶だって、今は短髪だが、若い頃はアフロ・ヘアーにしていた。この髪型にしたのは、意図的にアフリカ人を侮蔑するためではなかった。なぜだか解らないが、昭和の頃ちょっと流行し、「哀愁トゥナイト」を唄っていた故・桑名正博も一時期カーリー・ヘアーをしていたことがある。

Koike 2(左  /  「メーテル」に扮した小池百合子)
  肌の色を変える事は一概に差別とは言えない。例えば、ユダヤ人バンドの「キッス(KISS)」は世界的に有名で、彼らは日本の歌舞伎を真似て、それぞれが顔を白く塗っていた。また、志村けんも「バカ殿」というコントで顔を白く塗っていたし、黒柳徹子と八代亜紀は日常的に白い厚化粧で有名だ。安藤優子は白人になりたいから、机の下からホワイト・ライトを浴びているのではなく、老化を隠したいから顔面を白くしているだけ。「銀河鉄道999」のメーテルに扮した小池百合子も、「ムッシュかまやつ」や明石家さんまの「パーでんねん」を真似た訳じゃなく、肌の年輪が増えたからだ。(あの歳で金髪のアニメ・キャラを選ぶなんて、ちょっと痛々しい。側近だっていたのに、誰も止めなかったのか?) 石原慎太郎を小さくした口の悪い中学生だと、中村玉緒みたいな白塗りオバちゃんを「ジャミラ」と呼んで笑ったりする。こうした時、近所の御隠居は「こらっガキども、あのオバはんだって人間なんだから、怪獣扱いなんて失礼だぞ !」と叱りつけるけど、へこたれない小僧は「ジャミラって元は宇宙飛行士なんだよ」と反論したりする。まったく、生意気な子供はタチが悪い。

  脱線したので話を戻す。とにかく、何気ない昔話をしたメーガンには、厳しい批判の嵐が待っていた。上掲の記事をCNNに投稿したロクサーヌ・ジョーンズは、白人のメーガンに憤りを覚え、「皮肉にも、メーガンの露骨なコメントは、彼女が隠し持つ顔を明らかにしてしまったのよ !」と書いていた。CNNによく記事を書いているロクサーヌは、『ESPN』という雑誌を創刊した編集長で、人種問題に敏感な黒人女性だ。素朴な日本人だと、「美人への嫉妬じゃないの?」と言いたくなるが、日本と違いアメリカでは正直な見解は命取り。口元に十二単を纏って喋るのがエチケットである。でも、こんな社会は息苦しい。だいいち、元々アメリカは“白人”の英国系入植者が建てた共和国じゃないか。それなのに、非西歐系の移民を大量に輸入したため、あらゆる人種が混在する猥雑な団地になってしまった。なるほど、アメリカは豊かで活気に満ちた社会である。が、至る所に地雷が埋め込まれている「危険なジャングル」である。昔は西歐系白人が主体の国家だったのに、今ではその白い国民が自分の容姿を自慢すれば、倫理・道徳上の「罪」になってしまうのだ。

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(左: ロクサーヌ・ジョーンズ  /  右: 非難されたメーガン・ケリー)

  コネチカット大学で政治学を教えていたエヴェレット・ラッド(Everett Carll Ladd)教授が述べたように、多文化・多民族主義とは、有色人種が自らの劣等感を隠すために導入された思想である。黒人が白人国家に住めば、その肉体的違いを嫌でも意識するようになるし、ゲルマン種族の価値観を最高のものと考えるようになってしまうのだ。これは西歐人の肉体美が絶対的な基準であるという訳ではなく、少数派の黒人が米国の支配者にならない限り覆せない多数派の美意識なのである。ブラジルを観てみれば容易に理解できるだろう。南米ではヨーロッパ系の富豪や議員が支配層となっているので、庶民はスペイン語やポルトガル語を話し、原住民の伝統文化はボロ切れ以下。先祖の素朴な信仰を忘れて、カトリック信仰を含むスペイン文化に慣れ親しんでいる。したがって、下層階級を形成するインディオやアフリカ系の住民は、独自の文化や美意識を「劣ったもの」と見なすから、白い肌のヨーロッパ人に近づくことが「高級」とされてしまうのだ。

  劣等感に苛まれるインディオ系のブラジル人やメキシコ人は、黒人との混血を忌み嫌い、なるべく肌の白い恋人を作って結婚し、ヨーロッパ人と似ている子供が生まれるよう神様に祈ったりする。宝石や香水といった高級品を宣伝するCMや看板には、北歐人らしきモデルが採用され、茶色いヒスパニック系の女性が起用れることは極めて稀だ。人々が羨む贅沢品を宣伝するのに、黒人モデルを選ぶなんて有り得ない。美人コンテストを観れば、更にこの現実を体感できるだろう。ブラジルやアルゼンチンはもとより、ベネズエラやウルグアイでも、上位選抜者は「ヨーロッパ人か?」と思えるような女性ばかり。インディオの村で見かける褐色の乙女なんか一人もいないのだ。ラテン・アメリカでは人種差別が露骨で、アングロ・アメリカ人が見れば顔面蒼白。「こんなレイシズムでいいの?」と震えてしまう人もいるくらい。

  PC(政治的に正しい言葉遣い)に違反したメーガンは、「Today」を降板どころか、NBCを去ることになるんじゃないか、と囁かれていた。事実、NBCはメーガンを停職にした。(John Koblin and Michael M. Grybaum, "Magyn Kelly's Blackface Remarks Leave Her Future at NBC in Doubt", The New York Times , October 25, 2018) 噂では、彼女が担当する番組の視聴率は芳しくなく、クビにされてもおかしくない状態であった。そこに人種差別的発言があったから、まさしく「メーガン・ケリー危機一髪」であった。しかし、彼女は挫けない。総ての女性ではないけど、一般的に藝能界や報道局で生き抜く女性には、度胸と愛嬌に加え、男優りの意地と「したたかな計算」がある。メーガンは「Today」に出演し、泣きそうな気持ちを抑えながら、「私は間違っていました。(I was wrong.) ごめんなさい(I'm sorry.)」と謝罪した。すると、観覧席にいたお客は立ち上がって彼女の懺悔を称讃し、「よくぞ認めました !」と拍手喝采。まるでセーラムであった魔女狩りか、毛沢東時代の支那で行われた人民裁判みたいだ。 メーガンは解雇を恐れ、公の場で土下座することを選んだ。彼女は集団リンチに耐えかねて、「私は魔女です」と告白した無実の女囚と同じである。(ただし、今は「火炙り」の刑がないから良かった。) 白人視聴者がどう思ったか知らないが、黒人視聴者なら気分がいい。気位の高い白人美女が袋叩きにされて、黒人の軍門に下ったのだ。溜飲が下がる思いというか、「勝者」の美酒に酔った気分。

  日本人は惨めなメーガンを目にして、「まぁ、可哀想ねぇ」とか、「自業自得なんじゃないの」と思うくらいで、他人事の域を出ない。しかし、こうした社会は刻々と日本に近づきつつある。安倍政権はアジア移民を大量に輸入することを決め、日本を多民族社会に変えようと目論んでいる。支那人や朝鮮人はもとより、フィリピン人やベトナム人、マレー人、インド人が大量に流入すれば、必ずや民族摩擦が増えてくるだろう。そして、日系日本人は異邦人との接触に不快感を覚え、彼らを避けたり除け者扱いにするはずだ。また、職場や学校で日系人同士が集まれば、アジア系の同僚や同級生の悪口に花が咲く。「うっかり者」だとアジア系国民の前で“不適切”な発言をしてしまうだろう。もし、こうした日系人が藝能人や政治家だと、マスコミから総攻撃を受け、涙ながらの謝罪会見となる。学校でも似たような状況となり、アジア系生徒を傷つけた日系人は教室の中で反省の言葉を述べねばならない。場合によっては、朝鮮人や支那人の保護者を巻き込んだ民族紛争となり、日系人とアジア人との全面戦争にまで発展しかねない。こうなれば、糾弾された日系人は「仕方なく」謝るだけで、心から反省することはなく、却って支那人や朝鮮人に反撥を抱くだけだ。一方、支那人や朝鮮人たちも納得しないだろう。彼らは形式的な謝罪に不満を漏らすから、絶対に日系人を赦す気にはなれない。

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(左: ヨーロッパの白人家庭  /  右: ヨーロッパにやって来るアフリカ移民)

  博愛主義を標榜する大学教授やテレビ局の御用学者は、異民族が日本に住みつくと我々の文化が豊かになると嘯(うそぶ)く。しかし、実際は血飛沫(ちしぶき)が舞い散る修羅場になってしまうのだ。異民族が混在する社会ほど人種間摩擦が絶えず、人々は常に言葉を選びながら話し、批判を浴びぬようビクビクしながら暮らすことになる。本当に馬鹿らしいけど、自分の祖国なのに、異民族や居候に気兼ねしながらの生活になってしまうのだ。国内で異民族が増加すれば、その多様性は国家にとって弱点となり、衰退と崩壊の要因となる。日本や欧米のインテリどもは「同質的国家(homogeneous state)」を毛嫌いするが、こうした国家ほど住民が穏やかで心が優しい。日本が素晴らしいのは、ずっと日本人だけで暮らしてきたからだ。昔はスカンジナヴィアも同じで、北歐人ばかりの社会だから、同胞愛が芽生え、相互扶養を重視する福祉国家になれた。隣人が同じ種族だから互いに助け合い、高い税金を我慢しようという気になるのだ。もし、最初からソマリア人とかイラク人との混淆社会なら、相互不信のとげとげしい社会になっていただろう。アジア移民を受け容れようとする日本人は、自ら素晴らしい国家を破壊しようとしている。今のところ、我々は「心配り」とか「おもてなし」を自慢しているが、やがてそうした風習は廃れて行くだろう。日本にも、支那人のように「自分さえ良ければ地球が滅びても構わない」という意識が定着するはずだ。憲法を改正できそうもない安倍総理は、本人の願望とは違い、日本の国柄を破壊した宰相として歴史に刻まれるに違いない。


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白いオーストラリアを称讃した学者 / 「選択の自由」と「言論の自由」が無い国

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言論の自由を認めない大学

  日本の社会がおかしくなった原因の一つに、大学進学率の上昇が挙げられる。曾ては「駅弁大学」と揶揄された大学も、定員割れで名前を書けば入れる娯楽施設に変貌した。単に学生が麻雀やスポーツに明け暮れているだけならまだ良いが、いつの間にか左翼教授に洗脳され、常識まで失っているから、その弊害は極めて深刻だ。普段は正常なのに、政治問題を議論すると非常識になったりする。例えば、安倍政権が大量の移民を受け容れようとしているが、それに対し保守派国民が異議を唱えれば、「排外主義者ってレイシストよねぇ~」と顔を顰める人が結構多い。しかし、こうした寛大な善人でも、不愉快な支那人やベトナム人が日本にやって来て、我々と“対等”な「日本国民」になったら、「何であんな人達と私が同等なのよぉ ~」と不機嫌になる。一般人の感覚では、難民のベンガル人やクルド人、ソマリア人が隣に住みつくと不安だし、帰化人となっても「同胞」とは思えない。「見た目で判断してはならない」と叱られても、目玉の附いた日本人なら“生理的”に嫌ってしまうのだ。

  ところが、大学教育を受けた日本人は、自然な感情を押し殺すよう“調教”されているので、内心で嫌がっても露骨にその感情を出すことができない。人種や容姿で判断することは倫理道徳に反する、と刷り込まれているかだ。本当は不愉快なんだけど、我慢しながら笑顔で歓迎したりする。でも、その忍耐にも限界と放棄があるはずだ。例えば、若い日本人女性が電車に乗り、長椅子の空席を見つけたとする。しかし、両隣には茶色いビルマ人と黒いアフリカ人が坐っているので、その間に坐る気分になれない。いつもなら、疲れて坐りたいところだが、気付かないふりをして立ったままにしたら、彼女の心には「何か」がある。また、夜遅く高層アパートメントの部屋に帰ろうとして、上の階に昇るエレベーターを待っていたとする。そして、ようやく扉が開いて乗ろうとしたら、エレベーターの中には黒人だらけ。そこで、「あっ、ごめんなさい、私は下に向かうので」と誤魔化したら、その女性はには内緒の理由があるに違いない。彼女はなぜ咄嗟に嘘をついたのか? 学校で洗脳されていない日本人や白人なら、こうした行動を理解できるはずだ。

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  1960年代以降の歐米諸国では、国内の異民族に対する人種的発言は命取りとなっている。特に、白人の政治家が有色人種を非難すれば、「レイシスト」の烙印を押されて政治生命を絶たれるし、テレビ局に雇われたジャーナリストも人種問題でPC(政治的に正しい思想)に違反すれば、即左遷かクビだ。それでも、こうした言論弾圧と自己検閲に反対する知識人は細々と存在し、オーストラリアで物議を醸し出したアンドリュー・フレイザー(Andrew Fraser)氏も、僅かながら生き残っている保守派の一人である。

  フレイザー氏は曾てマコッリー大学で准教授を務めていたが、オーストラリアにやって来るアフリカ難民やアジア移民を批判するコメントを新聞に送り、それが原因で大学の授業を妨害される破目になった。マスコミや移民支援団体、人権派弁護士などの抗議に恐れをなした大学側は、フレイザー氏に辞任を求めたが、彼は断固拒否した。フレイザー氏は根拠なき暴言を吐いたのではなく、異なった人種の行動や性質、知能などを研究した学者の意見を基に、アフリカ人にはまともな国家を形成できず、それに関する知能が足りないと語っただけである。これはほとんどのヨーロッパ人が密かに思っていることで、別に目新しい見解ではない。ただ、あえて口にしないだけである。もし、高名な大学教授や人気を博する評論家が、正直な意見を発言すれば、直ちにマスコミから集中攻撃を受け、社会的地位を失ってしまうだろう。したがって、悧巧な奴ほど黙っている。フレイザー氏の「過ち」とは、その禁忌(タブー)を破って、堂々と公言したことにある。

Andrew Fraser 1(左  / アンドリュー・フレイザー )
  オーストラリアの左翼マスコミはフレイザー氏の主張を「レイシスト的意見」、あるいは「ネオナチやKKKの発想だ」と非難した。しかし、彼は学術的自由(academic freedom)に基づいて独自の主張を述べただけである。歐米の先進国なら、大学教授のみならず一般人でも発言の自由を許されているはずなのに、オーストラリアのマスコミやインテリどもは、人種にまつわる“不都合”な言説を許さない。マッコーリー大学の副学長も民族団体や黒人活動家の脅迫に屈服し、フレイザー氏の発言を不適切なものとして謝罪した。つまり、大学の名声と保身を考えて、学問の自由を捨ててしまったのだ。アフリカ人やアジア人の感情を害する論文は、たとえ研究データや学術的分析に基づいていても排除される。となれば、学問の自由はどこにあるのか?

  フレイザー氏には、もう一つ災難が降りかかっていた。彼は「白豪主義政策の再考(Rethinking of the White Australia Policy)」という論文を書き、「ディーキン法学評論」誌に掲載する予定だった。しかし、この噂を聞きつけた弁護士が、ディーキン大学を訴えるぞ、と脅したので、大学側が編集部に圧力を掛け、フレイザー氏の論文を印刷しないよう命令したのだ。つまり、人種差別的な論文、あるいは騒動を引き起こしそうな表現は予め排除する、という方針が貫かれたのである。でも、これはおかしい。フレイザー氏が書いた論文の中身は読者が判断すべきで、ブルブル震えた大学経営者が決めることではないはずだ。これは我が国で行われているマスコミの事前検閲と同じである。もし、フレイザー氏の投稿論文が悪意に満ちた「暴論」ならば、一般読者が彼を無視するようになり、悪徳教授は次第に何処かへ消えて行くはずだ。

  ところが、歐米にはフレイザー氏の論調に賛成する一般人がいて、密かに彼の本を購入したりする。2011年、フレイザー氏はアングロ・サクソン系国民の民族性や、その自己否定的態度を扱った『ワスプ・クェスチョン(The WASP Question)』を刊行した。(筆者も発売されると早速この本を購入し、とても感銘を受けた。) イングランドやカナダ、アメリカには、表面上は沈黙していても内心怒っている西歐系白人が結構存在し、そうした一般人が白人社会を肯定する書物を愛読している。昔は我が国でも日本を誹謗する左翼本が流行し、朝日新聞の書評欄で絶讃されることか度々あった。しかし、谷沢永一や渡部昇一といった保守派の大御所が、“親日的”な随筆や歴史本を発表すると、瞬く間にベストセラーになり、進歩的文化人は歯ぎしりして悔しがった。だいたい、そんなに我が国が下劣で、日本民族が残虐なら、憧れの支那や北鮮に移住すればいいじゃないか。日本を侵略国と決めつける連中に限って、死んでも北京や平壌に引っ越そうとは考えない。彼らは一生“嫌いな”日本に住み続ける。そして、日本を憎む朝鮮人や支那人も、違法な手段を使ってまで日本にやって来るんだから、何とも不可解だ。

  マッコーリー大学を去ったフレイザー氏は、シドニー郊外にあるユナイテッド神学校(カレッジ)に入り、西歐キリスト教を研究すべく、初心に戻って神学のコースを取ったそうだ。しかし、こんな元大学教授が一般学生と一緒に講義を受ければ担当教授だってやりづらい。(例えば、「ひふみん」の愛称で知られる棋士の加藤一二三(かとう・ひふみ)先生が、市民将棋講座に参加したら、講師の若手棋士は緊張して口ごもってしまうだろう。「神武以来の天才」と称された加藤先生を前にして、「えぇ~と、この手筋では・・・」と説明するのは、少々おこがましい。逆に講師の方が「加藤先生、この場合どうしたら良いのでしょうか?」と尋ねてくるだろう。) ちなみに、このカレッジはリベラル派の校風で知られている。だから、授業に参加するフレイザー氏は直ぐに「問題児」となった。ボンクラな若者と違って、碩学の「受講生」だから、教授に対する質問は鋭く、反論も容赦が無い。しかも、教室には非白人の学生が多く居たから尚更だ。

  2011年4月、反人種主義を掲げる学生や教授たちはフレイザー氏の存在に我慢できなかったようで、四人の教職員がクライヴ・ピアソン学長に不満をぶつけたそうだ。曰わく、フレイザー氏はレイシストで性差別主義者、反ユダヤ主義者、白人至上主義者である、と。後に、フレイザー氏は告発者の素性を摑み、ある教員がなぜ不安に感じたのかを知り得た。その告発者によれば、多くの学生がフレイザー氏の発言を耳にして、彼の考えや主張をもっと詳しく聴きたくなったからだ、という。(Andrew Fraser, The cult of “The Other” and the end of academic freedom, Australian Protectionist Party, March 4, 2012) つまり、フレイザー氏の話に魅力を感じた学生が続出し、彼の思想をもっと知りたいと思ってしまったのだ。左翼的授業しか受けてこなかった青年にとって、フレイザー氏の見解は新鮮で、白人であることに罪悪感を覚える必要は無い、と教えられた学生は、「そうだよなぁ」と悟り始めたのである。

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(左: 憎まれている白人の少女  / 中央: 白人と黒人の混血児 /  右: ミス・コンテストに出場した黒人美女)

  考えてみれば馬鹿らしいけど、大学に通っている学生が、世間から非難された元准教授に出逢い、初めて「学問の自由」に目覚めたんだから滑稽である。「大学」という象牙の塔では左翼が暴れ放題で、有害なマルクス主義とか無政府主義もどきの革新主義、国家破壊を目指す法思想、王室を侮辱する人民主義、白人を罪人とする暗黒史観など珍しくもない。ところが、アングロ・サクソン系の白人教授がゲルマン民族の偉業やイングランドの文化、キリスト教倫理、貴族政治、立憲君主制、ヨーロッパ人の肉体美などを称讃すれば、「レイシスト」あるいは「ネオ・ナチ」と批判されてしまうのだ。アフリカ人が黒人の美しさや強靱な肉体を自慢してもOKなのに、西歐白人が自分たちの容姿や文明を称讃すればNGなんておかしい。各民族には独自の「お国自慢」とか「手前味噌」があっていいはずだ。白人だけに禁止すれば、却ってそれは差別になるだろう。

  歐米でもそうだけど、日本の左翼は一方的な意見を保守派に押しつける。彼らは気に食わない意見に出くわすと、その内容がなぜ間違っているのか、あるいはどの点が悪いのかを「言論」で反駁しない。もし、ある論文が親日的で左翼の枠組みから逸脱していると、「保守反動」とか「民族差別」といったレッテルを貼り付け、政治介入か裁判沙汰で葬ろうとする。普段は「言論の自由を守れ !」とわめき立てるのに、都合の悪い反論に出逢うと赤い守護天使は黒い悪魔に変身だ。左翼活動家や赤い大学教授は主要メディアとグルになって、政敵を社会的に抹殺しようとするから、反左翼でも権力を持たない知識人は沈黙するしかない。地上波テレビと大新聞を敵に回したら、普通の個人が負けてしまうのは当然だ。一般人はPC(政治的に正しい言葉遣い)に盲従しているが、こんな用語集は左翼が勝手に作った政治思想に他ならない。彼らは自分達で恣意的に作った思考の枠組みを他人に被せて、その精神を支配してしまうのだ。一般国民は人間が作った迷路の中を走っているネズミのような動物である。もし、その道から逸脱すると電気ショックで「お仕置き」となるから、怖くて自由に歩けない。一般人が左翼の洗脳から抜け出すのは非情に困難だ。今の日本人は気軽に「言論の自由」を楽しんでいるようだが、本当にそれを守るには、時として相当な覚悟が必要となる。 

 

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