負の遺産になった異人種の子供
(左 : ベトナム移民を受け容れたレーガン大統領 / 右 : ゴンザーガ大学のアジア系学生)
戦争には莫大なコストがかかる。勝っても負けても、当事国には深刻な問題が発生するものだ。先月、チャンネル桜を観ていたら、在米日本人の伊原さんがNYで話題となった傷害事件を取り上げていた。当ブログでは以前、黒人による「ノックアウト・ゲーム」を紹介したが、今回のケースも同様な事件らしい。下手人として捕まったのは、55歳になるベトナム系アメリカ人のヴァン・フー・ボイ(Van Phu Bui)という男だった。ボイは“たまたま”ブロンクスを通りかかったジーザス・コルテス(Jesus Cortes / 52歳のヒスパニック男性)に目を附け、彼の背後に忍び寄ると、いきなり右フックで頭部を殴りつけた。この打撃により、一瞬にしてコルテス氏は意識を失い、頭から崩れ落ちたという。
(左 : ヴァン・フー・ボイ / 中央 : ジーザス・コルテス / 右 : コルテスを殴り倒したボイ)
不意打ちを食らったコルテスは、直ちにジャコビ・メディカル・センターに搬送され治療を受けたが、瀕死の重傷で意識朦朧となる。それもそのはずで、頭蓋骨が砕けたばかりか、頬の骨も砕け、さらに脳内出血まで引き起こしていたのだから、誰が聞いても唖然とするじゃないか。(Amanda Woods, 'Suspect busted for brutal NYCsucker punch caught on video is convcted sex fiend', New York Post, August 17, 2022.) 手術を受けた被害者は、一応、命を取り留め、病室で安静にしているというが、人工呼吸器を附けた状態で苦しんでいるらしい。
この暴行事件は一部始終を監視カメラに撮られていたから、各テレビ局は録画映像を放送した。当然ながら、この驚愕シーンを目にした視聴者は絶句状態。映像を観れば判るけど、ボイは殴る直前に手袋をはめていた。ということは、意図的な犯行であることは明らか。さらに驚くのは、ブイが前科持ちの性犯罪者であった点だ。1995年、彼はブロンクスで17歳の少女に銃を突きつけ強姦した。これにより、彼は第1級の性犯罪に問われ、裁判で懲役6年の判決を言い渡されたそうだ。一生涯の性犯罪者(レベル3)として登録されたボイは、出所したからといっても、“まともな生活”を送っておらず、過去六年間は貧民シェルターで暮らす日々であったらしい。
こんな性犯罪者は終身刑にして、ずっと牢獄に隔離すべきだ。ところが、コルテス氏を半殺しにしたボイは、警察に捕まったものの、保釈金すら要求されずに解放されてしまった。なぜかと言えば、リベラル派が支配するニューヨーク州では、有色人種の犯罪者に同情する雰囲気が漲っているからだ。本来であれば、暴行を加えたボイは殺人未遂罪に問われるべきだが、ブロンクス地区の検事を務めるダーセル・クラーク(Darcel Clark)は、“傷害罪”程度の軽い罪に格下げしたという。(Jon Levine and Matthew Sedacca, 'Gov. Hochul blasts district attorneys who undercharge perps after NYC sucker-punch', New York Post, August 20, 2022.)
この処分に憤慨したマスコミ、特にタブロイド紙は大々的に事件を取り上げた。そして、この記事を目にした一般国民も大激怒。気取り屋のテレビ局すら、監視映像の衝撃シーンを流したから尚更だ。「ニューヨークの治安が乱れている !」との報道を耳にすれば、地元の政治家だって動き出す。とりわけ、アンドリュー・クォモの辞任により、ニューヨーク州の知事に昇格したキャシー・ホクル(Kathy Hochul)氏は焦った。彼女は再選を目指しているから、ちょっとした騒動でも見逃すことはできない。何しろ、対抗馬となる共和党のリー・ゼルディニ(Lee Zeldini)下院議員が騒ぎ始めたから、これを無視すれば彼女の弱点(あるいは致命傷)となってしまう。だから、ホクル州知事は即座に検事を叱責することにしたのだ。
(左 : ダーセル・クラーク / 中央 : キャシー・ホクル / 右 : リー・ゼルディニ )
犯人の処罰は州知事の介入によって重罪扱いに戻された。しかし、ここで考慮すべき問題は二つある。一つは「ウォーク(Woke / 人種差別と偏見に対する警告)」の嵐が左巻きの州で吹き荒れていることだ。ジョージ・フロイドの一件で、黒人やヒスパニック、そしてアジア系のアメリカ人は、白人中心の社会構造や白人が優遇される雰囲気に異議を唱えている。プロ左翼はもっと過激で、白人警官の厳しい取締を求め、それに飽き足らぬ者は、西歐系の偉人を讃える歴史教科書に恨みをぶつけていた。リベラル派が支配する左翼州では、有色人種の政治家が警察の予算を減らしたり、「ヘイトスピーチ」、すなわち黒人に対する苦情や批判に対する言論を目の敵(かたき)にしている。
白人の大手財団から資金を得た黒人の過激派は、「批判的人種理論(Critical Race Theory)」を振りかざし、西洋人支配のアメリカ史を破壊しようと意気込んでいる。まるでイスラム教徒による聖像破壊やジャコバン派の貴族攻撃みたいだけど、黒人の活動家は南部の偉人たるロバート・E・リー(Robert Edward Lee)将軍や南部大統領のジェファソン・デイヴィス(Jefferson Davis)、トマス・“ストーンウォール”・ジャクソン(Thomas Jonathan “Stonewall” Jackson)将軍だけではなく、建国の父祖であるトマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)にまで牙を剥き出した。昔のアメリカなら絶対に考えられぬ暴挙だが、これはロックフェラー財団やフォード財団が昔から狙っていた結果である。(大富豪の徴税対策で結成された財団は、数々の悪行を計画したが、この話は長くなるので別の機会に紹介したい。)
父親を探し求める混血児
現在の米国では有色人種による犯罪が横行しているけど、こうした社会不安を引き起こした原因の一つは異人種の流入である。日本ではあまり取り上げられないが、レーガン政権と連邦議会は「アメラシアン(Amerasian)」、すなわちアメリカ白人とアジア人との間に生まれた混血児の米国移住を許していた。アメリカでは1980年代に大勢のベトナム混血児が「実の父親」を求めて豊かな敵国へとやって来たが、2万6千人も目にしたら恐怖でしかない。(Noy Thrupkaew and Julia Savacool, 'What Happened to These Children of War?', Marie Claire, May 4, 2007.) 白人中流階級の一般国民は、「世界の警察官」よりも「自国の警備員」を望んでおり、エチオピア人やソマリア人、イラク人、アフガン人の移民や難民なんか迷惑だ。移民を引き寄せるリベラル派の議員が、豪華な自宅で厄介な外人を養えばいいのに、どうして税金を使い、庶民の住宅地に解き放つのか?
(写真 / ベトナムに残された混血児)
大東亜戦争を除けば、アメリカは戦争をする度に“不愉快な後始末”をする破目になる。大量の青年が派遣されたベトナム戦争の時、アメリカ兵の中には「女体」に飢えた者が多く、現地の女性と肉体関係を持つ者が少なくなかった。確かに、いつ死ぬか判らぬ兵卒にとって、死ぬ前の“快楽”は否定しがたく、女とセックスをしたいと考える者がいても当然だ。しかし、ワシントンの政治家どもはケチというか、キリスト教の倫理観に雁字搦めとなっていたから、“慰安婦予算”を計上しなかった。
もし、アメリカ白人の売春婦を同行させていたら、混血児の数はずっと減っていただろうし、戦後の後始末だって節約できたはずだ。それなのに、ワシントンの議員どもは軍需産業に税金を注ぎ込むことにしか興味が無かった。となれば、性欲に燃えた兵卒はベトナム人女性や現地の娼婦に手を出すしかない。米国や日本のリベラル派は、「管理売春」と聞けば目くじらを立てるけど、強姦事件と性病の蔓延防止を考えるなら、自前の売春宿は必要不可欠だ。
米兵との間に生まれた混血児には罪は無いけど、やはり外見が違う子供が生まれると、周囲の目が冷たくなるのも事実である。何しろ、米兵と付き合うベトナム人女性には、プロの売春婦や準娼婦みたいな女給も少なくなかったから、ベトナムの庶民が彼女達を“淫売”扱いにしてもおかしくはない。敗戦後の日本だって、黒人の赤ん坊を連れた女性を見かければ、「赤線か青線の娼婦じゃないのか?」と怪しんだものだ。(註 / 「赤線」とは地図上の売春黙認地区で、赤線で囲んだ特殊飲食街を指す。一方、「青線」とは特殊飲食街の許可を得ないまま「非合法な売春」が行われていた地区。地図上で青い線の囲みが記されていたから、「青線」と呼ばれていたそうだ。) 人種差別というのは何処にでもあるから、異人種への嫌悪感はアジア諸国にもある。ベトナムも例外じゃなく、非アジア的顔つきの子供とくれば、どうしても「敵国の子供」と見なされやすい。とりわけ、「アフリカ人の顔つき」となればイジメの対象だ。
米国では1987年に「アメラシアン帰国法(Amerasian Homecoming Act)」が制定された。これにより、米兵を父とする混血児の受け容れ体制が発足し、「アメリカ人の子供」かどうかを判定する調査団が派遣されることになった。サイゴン陥落で父親の米兵が去ってしまい、赤ん坊を抱えたベトナム人の母親は、結構辛い思いをしたそうで、ある者は実家に帰って祖父母に我が子を預けたそうだ。また、別の者は貧乏と偏見の中で苦しみ、米兵の夫に再会することもなく他界する女性もいたらしい。合衆国政府から派遣された調査団は、1962年1月1日から1976年1月1日の間に生まれた「アメラシアン(アメリカ人とアジア人との混血児)」子供を取り扱い、申請者の事情を聞いていたという。
ところが、米兵と付き合っていたベトナム人女性達は、恋人に関する情報をほとんど持っていなかったようで、名前や所属部隊が判っているケースは稀だった。たとえ、交際相手の書類とか写真を持っていても、北ベトナムの支配者に発見されたら大変なので、危険な混血児を抱えた母親は、証拠となる品を燃やしてしまったという。それゆえ、実父を知っている母親が亡くなってしまうとお手上げで、残された孫を引き取った祖父母は、孫から父親の情報を尋ねられても、ハッキリと答える事が出来なかった。無知無学な祖父母は、娘が生前に語ったことすら明確に憶えておらず、恋人の名前すらうろ覚えだ。父の写真を有せず、名前すら分からない状態では、いくら西洋風の顔つきでも、黒人の容姿でも、ベトナムのアメラシアンは「アメリカ人の子供」と証明できない。
(写真 / ベトナム人と交際したアメリカ人)
そもそも、ベイナム人女性と交際する白人兵なんかは下層階級の兵卒だから、「一夜限りのセックス」を求める碌でなしか、黄色い「現地妻」を捨ててしまう労働者階級のクズがほとんど。黒人兵の子供を身籠もった女性はもっと悲惨で、たとえ恋人の身元が判っても、豊かな米国で貧乏暮らしだ。それに、もし黒人の本妻がいれば同居なんて無理だろう。ベトナムの貧民窟からアメリカのゲットーへ移住するなんて悲劇でしかない。
とはいえ、惨めな境遇に喘ぐ混血児からすれば、実の父親が誰なのかどうしても気になる。それに、もし父親が見つかれば先進国のアメリカへ移住できるから、ダメで元々、何とか食い下がるしかない。一途の「希望」を胸に秘め、調査団のもとへ訪れる混血児は多かった。しかし、父親を特定する物的証拠が無いから空振りだ。いくら、「自分の顔が西歐的」と訴えても、そんなのは主観的な印象に過ぎず、「米兵の子供」という証明にはならない。もしかすると、フランス人ジャーナリストの子供かも知れないじゃないか。色黒の混血児も同様で、単に肌が黒く、アフリカ人の容貌を持っていても、南洋土人か濠洲のアボリジニが父親の場合だってあるだろう。
共産主義体制に加え、救いようのない貧困に喘ぐベトナム人にとって、「アメリカへの移住」は宝くじの当選みたいなものだ。もし、父親がアメリカ人と判れば、その混血児だけではなく、母親とか祖父母も一緒に米国へ移住できるチャンスが訪れる。こんな情報が飛び交えば、狡賢いベトナム人が出てきても当然だ。まるで支那人みたいだけど、混血児を「養子」にすることで米国へのチケットを手にしようと考える者もいた。例えば、ちょっとばかり裕福なベトナム人は、生活の糧になるバナナの木を売り払い、「金のなる木」と見越した混血児を購入したそうだ。
( 左 : ベトナムのアメラシアン/ 右 : 南鮮のアメラシアン )
しかし、ここでも人種差別があったようで、不正行為をはたらくベトナム人は、出来るだけ白人らしい混血児を求めたという。(Julien Le Hoangan, 'The pain is not over Mixed-race children from the Vetnamese war', Hypotheses, 16 March 2020.) 確かに、アジア大陸のベトナムでも、黒人よりも白人の方が価値が高い。もしも、購入した子供の父親が白人兵となれば、中流家庭の青年というケースも有り得る。渡米後の利益を計算しているベトナム人なら、見るからに貧しい黒人なんかは選ばない。アメラシアンを購入する者は、一攫千金の宝くじを買うような気分で詐欺に勤しむ。だから、「貧乏くじ」でしかない黒い子供は問題外。仮に、一等賞金が2千円の宝くじがあったとする。しかし、それを狙って10万円も使う馬鹿がいるのか? 黒人兵なんて「外れ籤(くじ)」ばかりだから、当選確率が高い白人兵を求めた方が悧巧である。
ベトナムで生まれた混血児は本当に憐れだ。しかし、その子供を家族もろとも米国に連れてくるのはおかしい。受け容れるアメリカ国民には反対者がいるはずだ。それに、ベトナム人女性を捨てた兵卒だって困るだろう。中には酷い奴がいて、恋人の妊娠を知りつつ米国へ戻った兵卒だっているはずだ。ベトナム人の「恋人」や「妻」といっても、そんなのは「イエロー・キャブ」と変わりがない。第一、急に「妻子持ち」になったら戸惑うし、実家の両親だって複雑な気持ちになる。特に、白人兵だと帰国後に白人女性と結婚し、ちゃんとした家庭を持っているから、本妻や子供達がどう反応するのか気になる。まさか、女房に「混血児の養育費を払う」とは言えないし、子供達だって突然「異母兄弟」が出現したらビックリだ。実家の両親も「えぇぇっ、そんなぁ !」と叫んで動揺するし、「ベトナム人の嫁や孫は嫌い !」と拒絶する祖父母もいるだろう。義理の両親に対する告白はもっと困る。どう詫びていいのか分からない。自分の兄弟姉妹にも、いきなり「お前の姉さんだ !」とか、「兄ちゃん、ベトナムで親密になった人だよ !」は言えないじゃないか。
善意の政治家と厳しい現実
(左 : アルフレッド・キャロル神父 / 右 : アルフレッド・キーン神父)
普通の西歐系アメリカ人にしたら、異文化圏からやって来る異人種なんて迷惑なだけである。しかし、「戦争の後始末」をすることで「善人」を演じたい宗教家や政治家は少なくない。1982年に「アメラシアン移民法」が制定されたけど、この法案を通すべく熱心にロビー活動をしたのは、カトリック教会のアルフレッド・キャロル神父(Father Aldred Carroll, S.J.)とアルフレッド・キーン神父(Father Alfred Vincent Keane)だ。
イエズス会士のキャロル神父は、サイゴン陥落時にもベトナムにいた司祭で、帰国後はゴンザーガ大学で留学生の面倒を見ていたそうだ。たぶん、キャロル神父はカトリック信徒が多いベトナムで、憐れな混血児をたくさん目にしたのかも知れない。ついでに言えば、フィリピンの混血児を助ける神父や修道女が多いのも、フィリピンにカトリック信徒が多いためだ。日本の修道女が不法入国者のフィリピン人、特にブローカーの手引きで入ってきた酌婦に親切だったのも、同じ教会に属するからだろう。
一方、メリーノールで司祭を務めていたキーン神父は、朝鮮の混血児に同情を寄せていた。というのも、彼は南鮮へ派遣された宣教師であるからだ。この司祭は朝鮮戦争の副産物であるアメラシアンに憐憫の情を抱き、何とかして異人の子供達を米国へ連れ帰りたいと望んでいた。キーン神父は南鮮にいた頃もロビー活動に熱心で、現地の司令官を務めていたジョン・クシュマン将軍(Gen. John Cushman)にも協力を求めていたという。なぜなら、クシュマン将軍もカトリック信徒であったからだ。確かに、尊敬する神父に頼まれれば、高級将校だって門前払いにはできず、何とかしたいと考えてしまうだろう。(両神父の活動については、Sharon Isralow, 'Beyond the Looking Glass', HORIZONS, Vol.2, No.8, September 1983を参照。)
(左 / ロバート・ムラゼック)
カトリック教会の聖職者が幾ら頑張っても、やはり最終的に「腕力」を発揮するのは政治家である。アメラシアンの呼び寄せには数名の政治家が絡んでいた。例えば、民衆党の連邦下院議員を務めていたロバート・ムラゼック(Robert Mrazek)は、議会で熱心に「アメラシアン帰国法案」を口にしていた。こういった法案を促進する政治家というのは怪しく、支持母体からの要請か、個人的な背景が要因となっている。根っこにある魂胆は分からないけど、綺麗事を並べる議員については、その素性をよく調べてみるべきだ。
案の定、ムラゼック議員はチェコ移民の両親を持っていた。これなら、彼が移民や難民に対して親近感を抱いても不思議じゃない。ただし、ムラゼックには私怨もあって、彼はベトナム戦争に参加すべく士官学校に行ったが、訓練中の怪我が原因で海軍を去った過去がある。その後、彼はベトナム戦争の悲惨な現実を目の当たりにし、くるっと態度を変えて“反戦屋”になったそうだ。米国の姿に失望したムラゼックは、自国を離れて英国の映画学校に入った。そして、政治家になる前は、アラスカの自然を守る活動家であったらしい。
(左 / マーク・ハットフィールド )
共和党上院議員のマーク・ハットフィールド(Mark O. Hatfield)は、元オレゴン州知事であったが、第二次大戦中は海軍中尉であった。彼は硫黄島や沖縄で日米の激戦を目にしたが、広島に投下された原子爆弾の威力にはもっと驚愕したそうだ。その後、ハットフィールド中尉はインドシナへと派遣される。まるでカトリーヌ・ド・ヌーブの『インドシナ』で描かれそうなシーンだけど、この若き海軍士官は、フランス文化に染まったベトナムのブルジョワジーと、彼らを憎むベトナムの貧民と農民を観察したそうだ。若き日のハットフィールドは、両者の間に横たわる“深い溝”を実感したらしい。
(左 / スチュアート・マッケニー )
無宿人への福祉法案「McKenney - Vento Homeless Assistance Act」で知られる共和党のスチュアート・マッケニー(Stewart B. McKenney)下院議員も、憐れなアメラシアンの救済法に熱心で、4年間も法案成立に尽力したそうだ。しかし、彼はアメラシアン帰国法が成立した1987年に亡くなってしまう。医者の推測によると、1979年に心臓手術を受けた際、輸血が原因で彼はエイズに感染したらしい。でも、彼は「バイセクシャル」だったから、「HIVの感染は彼の性癖が原因なのでは?」と疑われてしまった。もちろん、彼の家族、とりわけルーシー夫人は否定したけど、当人が男の「愛人」を囲っていたんだから言い訳できない。
既婚者のマッケッニー議員には五人の子供がいたけど、「性的パートナー」であるアーノルド・デンソン氏にも愛情を抱いていたから、バイセクシャルの父親を持つと子供が苦労する。隠し子や異母兄弟といった相続人が出てくるとややこしいが、「父の愛人」という存在も厄介だ。遺族の心境は複雑だが、マッケニー氏の遺書により、デンソン氏にも多少の財産分与があったらしい。ホント、ゲイの議員は色々な人に親切だ。
(左 / ジェレマイアー・デントン)
共和党上院議員のジェレマイアー・デントン(Jeremiah Denton)は、ベトナム戦争の経験者で、彼は海軍航空隊に属するパイロットであった。グラマンの「A-6 Intruder」戦闘機に乗って出陣したが、デントン氏は敵軍の砲撃に遭って墜落し、辛うじて脱出できたものの、ベトコン側の捕虜になってしまった。虜囚となった若き士官は「アルカトラズ」というニックネームの牢獄に繋がれたが、1973年にハノイから解放されたそうだ。後に海軍少将となるデントン議員は、ベトナム戦争の苦い経験があるから、アメラシアンの救出に奔走したのかも知れない。
ただし、如何なる法律でも何らかの予算が必要なもので、アメラシアの受け容れ作業にも、かなりの資金が必要だった。上記の議員を財政的に支援したのは、民衆党上院議員のカール・レヴィン(Carl Milton Levin)である。彼が色々と根回しをして予算を附けてくれたそうだ。でも、移民や難民とくれば、やはりユダヤ人がしゃしゃり出てくる。上院の軍事委員会(Senate Armed Service Committee)で大御所となっていたレヴィン議員もユダヤ人。上院議員になる前は、地元のデトロイトで公民権活動に熱心な評議委員だったから、ベトナム移民の支援に積極的だったのも頷ける。
(左 : カール・レヴィン / 右 : エマニュエル・セラー )
ちなみに、ジョンソン政権時代だった1965年、民族枠を撤廃する移民法、所謂「ハート・ララー法(Hart-Celler Act)」が制定されたけど、これを促進したのは民衆党下院議員のエマニュエル・セラー(Emanuel Celler)だ。彼の祖父母はドイツから渡ってきたユダヤ移民で、エマニュエルはユダヤ人がウジャウジャ集まるブルックリン生まれである。しかも、フランクフルト学派の巣窟となっていたコロンビア大学卒ときているから、どんな人物なのか察しがつく。しかも、同大学の法科院卒というから、真っ赤なユダヤ人という札附だ。
随分長い説明になってしまったが、米国にはインドシナ難民としてのベトナム系アメリカ人がいるけど、その他にも、アメリカ兵の父を持つアメラシアンのベトナム人が存在する。暴行事件で捕まったボイは、おそらく黒人を父に持つアメラシアンだろう。ボイの映像を目にした水島総社長は、「ベトナム系の人にしては力が強いね。ベトナム人だと小柄な人が多いのにねぇ~」と不思議がっていたが、筆者はボイの顔写真を見た瞬間、直ぐに「あっ ! これは黒人兵との混血児じゃないのか?」と心の中で呟いた。
チャンネル桜の水島社長と同じく、普通の日本人が「ベトナム系アメリカ人」と聞けば、日本にやって来るベトナム人の研修生や実習生を思い浮かべてしまうだろう。「アメラシアン帰国法」を知っている日本人は稀だから、水島社長が分からなかったのも当然だ。令和の大学生で、パンパンが産んだ混血児を引き取った「エリザベス・サンダース・ホーム」を知っている者は少ないだろう。白人兵の混血児なら、何とかして日本で生活できるが、黒い肌の混血児だと友人を作ることも難しく、就職の時になると更に苦労する。一部の混血児は日本を諦め、南米に移住したというから、黒人の遺伝子を持つ「ハーフ」は悲惨だ。
(写真 / ベトナムで暮らす黒い混血児)
1980年当時、法案を通した連邦議員は「善意」や「人権」の観点でアメラシアンを救済したが、その結果はどうなったのか?新たな移民法に署名したロナルド・レーガン大統領が、当時どんな将来を予想していたのか分からないが、この救済法には害悪の方が多かった。そもそも、善意の政治家は責任を取らない。リベラル派にとって重要なのは、自分の名声を高めることだけ。大半の政治家は中高年だから、法案が成立して結果が出る頃には、政界からの引退しているか、「あの世行き」のどちらかである。20年、30年、40年後に、どんな影響をを社会に与えるのか全く考えない。
昔、漫才師の人生幸朗が「責任者出てこい !」という決め台詞を口にしていたが、責任者は棺桶の中で永眠しているから無理。母を訪ねて三千里も旅をしたマルコ・ロッシは、アルゼンチンで最愛の母親に再会し、無事、故郷のジェノヴァに帰ることができたけど、ベトナムのアメラシアンは、一体どんな結末を迎えたのか? 黒い混血児は母国のベトナムで「汚い ! 醜い ! 淫売の子 !」と蔑まれた。そこで、父親の国に来てみたが、ここでも侮辱の嵐だ。「アメリカ国籍」を所得できても、本当の「アメリカ人」にはなれなかった。ベトナムの隣人から「グック(gook / アジア人に対する蔑称)」と呼ばれた混血児は、アメリカに来ても「グック」と蔑まれ、白人からは「同胞」と見なされなかった。父方と母方の祖父母から疎まれ、根無し草となった混血児は、どのようなアイデンティティーを持っているのか? 祖国を失った混血児が、「俺なんかどうなってもいい !」とグレてしまうのも当然であろう。
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(左 : ベトナム移民を受け容れたレーガン大統領 / 右 : ゴンザーガ大学のアジア系学生)
戦争には莫大なコストがかかる。勝っても負けても、当事国には深刻な問題が発生するものだ。先月、チャンネル桜を観ていたら、在米日本人の伊原さんがNYで話題となった傷害事件を取り上げていた。当ブログでは以前、黒人による「ノックアウト・ゲーム」を紹介したが、今回のケースも同様な事件らしい。下手人として捕まったのは、55歳になるベトナム系アメリカ人のヴァン・フー・ボイ(Van Phu Bui)という男だった。ボイは“たまたま”ブロンクスを通りかかったジーザス・コルテス(Jesus Cortes / 52歳のヒスパニック男性)に目を附け、彼の背後に忍び寄ると、いきなり右フックで頭部を殴りつけた。この打撃により、一瞬にしてコルテス氏は意識を失い、頭から崩れ落ちたという。
(左 : ヴァン・フー・ボイ / 中央 : ジーザス・コルテス / 右 : コルテスを殴り倒したボイ)
不意打ちを食らったコルテスは、直ちにジャコビ・メディカル・センターに搬送され治療を受けたが、瀕死の重傷で意識朦朧となる。それもそのはずで、頭蓋骨が砕けたばかりか、頬の骨も砕け、さらに脳内出血まで引き起こしていたのだから、誰が聞いても唖然とするじゃないか。(Amanda Woods, 'Suspect busted for brutal NYCsucker punch caught on video is convcted sex fiend', New York Post, August 17, 2022.) 手術を受けた被害者は、一応、命を取り留め、病室で安静にしているというが、人工呼吸器を附けた状態で苦しんでいるらしい。
この暴行事件は一部始終を監視カメラに撮られていたから、各テレビ局は録画映像を放送した。当然ながら、この驚愕シーンを目にした視聴者は絶句状態。映像を観れば判るけど、ボイは殴る直前に手袋をはめていた。ということは、意図的な犯行であることは明らか。さらに驚くのは、ブイが前科持ちの性犯罪者であった点だ。1995年、彼はブロンクスで17歳の少女に銃を突きつけ強姦した。これにより、彼は第1級の性犯罪に問われ、裁判で懲役6年の判決を言い渡されたそうだ。一生涯の性犯罪者(レベル3)として登録されたボイは、出所したからといっても、“まともな生活”を送っておらず、過去六年間は貧民シェルターで暮らす日々であったらしい。
こんな性犯罪者は終身刑にして、ずっと牢獄に隔離すべきだ。ところが、コルテス氏を半殺しにしたボイは、警察に捕まったものの、保釈金すら要求されずに解放されてしまった。なぜかと言えば、リベラル派が支配するニューヨーク州では、有色人種の犯罪者に同情する雰囲気が漲っているからだ。本来であれば、暴行を加えたボイは殺人未遂罪に問われるべきだが、ブロンクス地区の検事を務めるダーセル・クラーク(Darcel Clark)は、“傷害罪”程度の軽い罪に格下げしたという。(Jon Levine and Matthew Sedacca, 'Gov. Hochul blasts district attorneys who undercharge perps after NYC sucker-punch', New York Post, August 20, 2022.)
この処分に憤慨したマスコミ、特にタブロイド紙は大々的に事件を取り上げた。そして、この記事を目にした一般国民も大激怒。気取り屋のテレビ局すら、監視映像の衝撃シーンを流したから尚更だ。「ニューヨークの治安が乱れている !」との報道を耳にすれば、地元の政治家だって動き出す。とりわけ、アンドリュー・クォモの辞任により、ニューヨーク州の知事に昇格したキャシー・ホクル(Kathy Hochul)氏は焦った。彼女は再選を目指しているから、ちょっとした騒動でも見逃すことはできない。何しろ、対抗馬となる共和党のリー・ゼルディニ(Lee Zeldini)下院議員が騒ぎ始めたから、これを無視すれば彼女の弱点(あるいは致命傷)となってしまう。だから、ホクル州知事は即座に検事を叱責することにしたのだ。
(左 : ダーセル・クラーク / 中央 : キャシー・ホクル / 右 : リー・ゼルディニ )
犯人の処罰は州知事の介入によって重罪扱いに戻された。しかし、ここで考慮すべき問題は二つある。一つは「ウォーク(Woke / 人種差別と偏見に対する警告)」の嵐が左巻きの州で吹き荒れていることだ。ジョージ・フロイドの一件で、黒人やヒスパニック、そしてアジア系のアメリカ人は、白人中心の社会構造や白人が優遇される雰囲気に異議を唱えている。プロ左翼はもっと過激で、白人警官の厳しい取締を求め、それに飽き足らぬ者は、西歐系の偉人を讃える歴史教科書に恨みをぶつけていた。リベラル派が支配する左翼州では、有色人種の政治家が警察の予算を減らしたり、「ヘイトスピーチ」、すなわち黒人に対する苦情や批判に対する言論を目の敵(かたき)にしている。
白人の大手財団から資金を得た黒人の過激派は、「批判的人種理論(Critical Race Theory)」を振りかざし、西洋人支配のアメリカ史を破壊しようと意気込んでいる。まるでイスラム教徒による聖像破壊やジャコバン派の貴族攻撃みたいだけど、黒人の活動家は南部の偉人たるロバート・E・リー(Robert Edward Lee)将軍や南部大統領のジェファソン・デイヴィス(Jefferson Davis)、トマス・“ストーンウォール”・ジャクソン(Thomas Jonathan “Stonewall” Jackson)将軍だけではなく、建国の父祖であるトマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)にまで牙を剥き出した。昔のアメリカなら絶対に考えられぬ暴挙だが、これはロックフェラー財団やフォード財団が昔から狙っていた結果である。(大富豪の徴税対策で結成された財団は、数々の悪行を計画したが、この話は長くなるので別の機会に紹介したい。)
父親を探し求める混血児
現在の米国では有色人種による犯罪が横行しているけど、こうした社会不安を引き起こした原因の一つは異人種の流入である。日本ではあまり取り上げられないが、レーガン政権と連邦議会は「アメラシアン(Amerasian)」、すなわちアメリカ白人とアジア人との間に生まれた混血児の米国移住を許していた。アメリカでは1980年代に大勢のベトナム混血児が「実の父親」を求めて豊かな敵国へとやって来たが、2万6千人も目にしたら恐怖でしかない。(Noy Thrupkaew and Julia Savacool, 'What Happened to These Children of War?', Marie Claire, May 4, 2007.) 白人中流階級の一般国民は、「世界の警察官」よりも「自国の警備員」を望んでおり、エチオピア人やソマリア人、イラク人、アフガン人の移民や難民なんか迷惑だ。移民を引き寄せるリベラル派の議員が、豪華な自宅で厄介な外人を養えばいいのに、どうして税金を使い、庶民の住宅地に解き放つのか?
(写真 / ベトナムに残された混血児)
大東亜戦争を除けば、アメリカは戦争をする度に“不愉快な後始末”をする破目になる。大量の青年が派遣されたベトナム戦争の時、アメリカ兵の中には「女体」に飢えた者が多く、現地の女性と肉体関係を持つ者が少なくなかった。確かに、いつ死ぬか判らぬ兵卒にとって、死ぬ前の“快楽”は否定しがたく、女とセックスをしたいと考える者がいても当然だ。しかし、ワシントンの政治家どもはケチというか、キリスト教の倫理観に雁字搦めとなっていたから、“慰安婦予算”を計上しなかった。
もし、アメリカ白人の売春婦を同行させていたら、混血児の数はずっと減っていただろうし、戦後の後始末だって節約できたはずだ。それなのに、ワシントンの議員どもは軍需産業に税金を注ぎ込むことにしか興味が無かった。となれば、性欲に燃えた兵卒はベトナム人女性や現地の娼婦に手を出すしかない。米国や日本のリベラル派は、「管理売春」と聞けば目くじらを立てるけど、強姦事件と性病の蔓延防止を考えるなら、自前の売春宿は必要不可欠だ。
米兵との間に生まれた混血児には罪は無いけど、やはり外見が違う子供が生まれると、周囲の目が冷たくなるのも事実である。何しろ、米兵と付き合うベトナム人女性には、プロの売春婦や準娼婦みたいな女給も少なくなかったから、ベトナムの庶民が彼女達を“淫売”扱いにしてもおかしくはない。敗戦後の日本だって、黒人の赤ん坊を連れた女性を見かければ、「赤線か青線の娼婦じゃないのか?」と怪しんだものだ。(註 / 「赤線」とは地図上の売春黙認地区で、赤線で囲んだ特殊飲食街を指す。一方、「青線」とは特殊飲食街の許可を得ないまま「非合法な売春」が行われていた地区。地図上で青い線の囲みが記されていたから、「青線」と呼ばれていたそうだ。) 人種差別というのは何処にでもあるから、異人種への嫌悪感はアジア諸国にもある。ベトナムも例外じゃなく、非アジア的顔つきの子供とくれば、どうしても「敵国の子供」と見なされやすい。とりわけ、「アフリカ人の顔つき」となればイジメの対象だ。
米国では1987年に「アメラシアン帰国法(Amerasian Homecoming Act)」が制定された。これにより、米兵を父とする混血児の受け容れ体制が発足し、「アメリカ人の子供」かどうかを判定する調査団が派遣されることになった。サイゴン陥落で父親の米兵が去ってしまい、赤ん坊を抱えたベトナム人の母親は、結構辛い思いをしたそうで、ある者は実家に帰って祖父母に我が子を預けたそうだ。また、別の者は貧乏と偏見の中で苦しみ、米兵の夫に再会することもなく他界する女性もいたらしい。合衆国政府から派遣された調査団は、1962年1月1日から1976年1月1日の間に生まれた「アメラシアン(アメリカ人とアジア人との混血児)」子供を取り扱い、申請者の事情を聞いていたという。
ところが、米兵と付き合っていたベトナム人女性達は、恋人に関する情報をほとんど持っていなかったようで、名前や所属部隊が判っているケースは稀だった。たとえ、交際相手の書類とか写真を持っていても、北ベトナムの支配者に発見されたら大変なので、危険な混血児を抱えた母親は、証拠となる品を燃やしてしまったという。それゆえ、実父を知っている母親が亡くなってしまうとお手上げで、残された孫を引き取った祖父母は、孫から父親の情報を尋ねられても、ハッキリと答える事が出来なかった。無知無学な祖父母は、娘が生前に語ったことすら明確に憶えておらず、恋人の名前すらうろ覚えだ。父の写真を有せず、名前すら分からない状態では、いくら西洋風の顔つきでも、黒人の容姿でも、ベトナムのアメラシアンは「アメリカ人の子供」と証明できない。
(写真 / ベトナム人と交際したアメリカ人)
そもそも、ベイナム人女性と交際する白人兵なんかは下層階級の兵卒だから、「一夜限りのセックス」を求める碌でなしか、黄色い「現地妻」を捨ててしまう労働者階級のクズがほとんど。黒人兵の子供を身籠もった女性はもっと悲惨で、たとえ恋人の身元が判っても、豊かな米国で貧乏暮らしだ。それに、もし黒人の本妻がいれば同居なんて無理だろう。ベトナムの貧民窟からアメリカのゲットーへ移住するなんて悲劇でしかない。
とはいえ、惨めな境遇に喘ぐ混血児からすれば、実の父親が誰なのかどうしても気になる。それに、もし父親が見つかれば先進国のアメリカへ移住できるから、ダメで元々、何とか食い下がるしかない。一途の「希望」を胸に秘め、調査団のもとへ訪れる混血児は多かった。しかし、父親を特定する物的証拠が無いから空振りだ。いくら、「自分の顔が西歐的」と訴えても、そんなのは主観的な印象に過ぎず、「米兵の子供」という証明にはならない。もしかすると、フランス人ジャーナリストの子供かも知れないじゃないか。色黒の混血児も同様で、単に肌が黒く、アフリカ人の容貌を持っていても、南洋土人か濠洲のアボリジニが父親の場合だってあるだろう。
共産主義体制に加え、救いようのない貧困に喘ぐベトナム人にとって、「アメリカへの移住」は宝くじの当選みたいなものだ。もし、父親がアメリカ人と判れば、その混血児だけではなく、母親とか祖父母も一緒に米国へ移住できるチャンスが訪れる。こんな情報が飛び交えば、狡賢いベトナム人が出てきても当然だ。まるで支那人みたいだけど、混血児を「養子」にすることで米国へのチケットを手にしようと考える者もいた。例えば、ちょっとばかり裕福なベトナム人は、生活の糧になるバナナの木を売り払い、「金のなる木」と見越した混血児を購入したそうだ。
( 左 : ベトナムのアメラシアン/ 右 : 南鮮のアメラシアン )
しかし、ここでも人種差別があったようで、不正行為をはたらくベトナム人は、出来るだけ白人らしい混血児を求めたという。(Julien Le Hoangan, 'The pain is not over Mixed-race children from the Vetnamese war', Hypotheses, 16 March 2020.) 確かに、アジア大陸のベトナムでも、黒人よりも白人の方が価値が高い。もしも、購入した子供の父親が白人兵となれば、中流家庭の青年というケースも有り得る。渡米後の利益を計算しているベトナム人なら、見るからに貧しい黒人なんかは選ばない。アメラシアンを購入する者は、一攫千金の宝くじを買うような気分で詐欺に勤しむ。だから、「貧乏くじ」でしかない黒い子供は問題外。仮に、一等賞金が2千円の宝くじがあったとする。しかし、それを狙って10万円も使う馬鹿がいるのか? 黒人兵なんて「外れ籤(くじ)」ばかりだから、当選確率が高い白人兵を求めた方が悧巧である。
ベトナムで生まれた混血児は本当に憐れだ。しかし、その子供を家族もろとも米国に連れてくるのはおかしい。受け容れるアメリカ国民には反対者がいるはずだ。それに、ベトナム人女性を捨てた兵卒だって困るだろう。中には酷い奴がいて、恋人の妊娠を知りつつ米国へ戻った兵卒だっているはずだ。ベトナム人の「恋人」や「妻」といっても、そんなのは「イエロー・キャブ」と変わりがない。第一、急に「妻子持ち」になったら戸惑うし、実家の両親だって複雑な気持ちになる。特に、白人兵だと帰国後に白人女性と結婚し、ちゃんとした家庭を持っているから、本妻や子供達がどう反応するのか気になる。まさか、女房に「混血児の養育費を払う」とは言えないし、子供達だって突然「異母兄弟」が出現したらビックリだ。実家の両親も「えぇぇっ、そんなぁ !」と叫んで動揺するし、「ベトナム人の嫁や孫は嫌い !」と拒絶する祖父母もいるだろう。義理の両親に対する告白はもっと困る。どう詫びていいのか分からない。自分の兄弟姉妹にも、いきなり「お前の姉さんだ !」とか、「兄ちゃん、ベトナムで親密になった人だよ !」は言えないじゃないか。
善意の政治家と厳しい現実
(左 : アルフレッド・キャロル神父 / 右 : アルフレッド・キーン神父)
普通の西歐系アメリカ人にしたら、異文化圏からやって来る異人種なんて迷惑なだけである。しかし、「戦争の後始末」をすることで「善人」を演じたい宗教家や政治家は少なくない。1982年に「アメラシアン移民法」が制定されたけど、この法案を通すべく熱心にロビー活動をしたのは、カトリック教会のアルフレッド・キャロル神父(Father Aldred Carroll, S.J.)とアルフレッド・キーン神父(Father Alfred Vincent Keane)だ。
イエズス会士のキャロル神父は、サイゴン陥落時にもベトナムにいた司祭で、帰国後はゴンザーガ大学で留学生の面倒を見ていたそうだ。たぶん、キャロル神父はカトリック信徒が多いベトナムで、憐れな混血児をたくさん目にしたのかも知れない。ついでに言えば、フィリピンの混血児を助ける神父や修道女が多いのも、フィリピンにカトリック信徒が多いためだ。日本の修道女が不法入国者のフィリピン人、特にブローカーの手引きで入ってきた酌婦に親切だったのも、同じ教会に属するからだろう。
一方、メリーノールで司祭を務めていたキーン神父は、朝鮮の混血児に同情を寄せていた。というのも、彼は南鮮へ派遣された宣教師であるからだ。この司祭は朝鮮戦争の副産物であるアメラシアンに憐憫の情を抱き、何とかして異人の子供達を米国へ連れ帰りたいと望んでいた。キーン神父は南鮮にいた頃もロビー活動に熱心で、現地の司令官を務めていたジョン・クシュマン将軍(Gen. John Cushman)にも協力を求めていたという。なぜなら、クシュマン将軍もカトリック信徒であったからだ。確かに、尊敬する神父に頼まれれば、高級将校だって門前払いにはできず、何とかしたいと考えてしまうだろう。(両神父の活動については、Sharon Isralow, 'Beyond the Looking Glass', HORIZONS, Vol.2, No.8, September 1983を参照。)
(左 / ロバート・ムラゼック)
カトリック教会の聖職者が幾ら頑張っても、やはり最終的に「腕力」を発揮するのは政治家である。アメラシアンの呼び寄せには数名の政治家が絡んでいた。例えば、民衆党の連邦下院議員を務めていたロバート・ムラゼック(Robert Mrazek)は、議会で熱心に「アメラシアン帰国法案」を口にしていた。こういった法案を促進する政治家というのは怪しく、支持母体からの要請か、個人的な背景が要因となっている。根っこにある魂胆は分からないけど、綺麗事を並べる議員については、その素性をよく調べてみるべきだ。
案の定、ムラゼック議員はチェコ移民の両親を持っていた。これなら、彼が移民や難民に対して親近感を抱いても不思議じゃない。ただし、ムラゼックには私怨もあって、彼はベトナム戦争に参加すべく士官学校に行ったが、訓練中の怪我が原因で海軍を去った過去がある。その後、彼はベトナム戦争の悲惨な現実を目の当たりにし、くるっと態度を変えて“反戦屋”になったそうだ。米国の姿に失望したムラゼックは、自国を離れて英国の映画学校に入った。そして、政治家になる前は、アラスカの自然を守る活動家であったらしい。
(左 / マーク・ハットフィールド )
共和党上院議員のマーク・ハットフィールド(Mark O. Hatfield)は、元オレゴン州知事であったが、第二次大戦中は海軍中尉であった。彼は硫黄島や沖縄で日米の激戦を目にしたが、広島に投下された原子爆弾の威力にはもっと驚愕したそうだ。その後、ハットフィールド中尉はインドシナへと派遣される。まるでカトリーヌ・ド・ヌーブの『インドシナ』で描かれそうなシーンだけど、この若き海軍士官は、フランス文化に染まったベトナムのブルジョワジーと、彼らを憎むベトナムの貧民と農民を観察したそうだ。若き日のハットフィールドは、両者の間に横たわる“深い溝”を実感したらしい。
(左 / スチュアート・マッケニー )
無宿人への福祉法案「McKenney - Vento Homeless Assistance Act」で知られる共和党のスチュアート・マッケニー(Stewart B. McKenney)下院議員も、憐れなアメラシアンの救済法に熱心で、4年間も法案成立に尽力したそうだ。しかし、彼はアメラシアン帰国法が成立した1987年に亡くなってしまう。医者の推測によると、1979年に心臓手術を受けた際、輸血が原因で彼はエイズに感染したらしい。でも、彼は「バイセクシャル」だったから、「HIVの感染は彼の性癖が原因なのでは?」と疑われてしまった。もちろん、彼の家族、とりわけルーシー夫人は否定したけど、当人が男の「愛人」を囲っていたんだから言い訳できない。
既婚者のマッケッニー議員には五人の子供がいたけど、「性的パートナー」であるアーノルド・デンソン氏にも愛情を抱いていたから、バイセクシャルの父親を持つと子供が苦労する。隠し子や異母兄弟といった相続人が出てくるとややこしいが、「父の愛人」という存在も厄介だ。遺族の心境は複雑だが、マッケニー氏の遺書により、デンソン氏にも多少の財産分与があったらしい。ホント、ゲイの議員は色々な人に親切だ。
(左 / ジェレマイアー・デントン)
共和党上院議員のジェレマイアー・デントン(Jeremiah Denton)は、ベトナム戦争の経験者で、彼は海軍航空隊に属するパイロットであった。グラマンの「A-6 Intruder」戦闘機に乗って出陣したが、デントン氏は敵軍の砲撃に遭って墜落し、辛うじて脱出できたものの、ベトコン側の捕虜になってしまった。虜囚となった若き士官は「アルカトラズ」というニックネームの牢獄に繋がれたが、1973年にハノイから解放されたそうだ。後に海軍少将となるデントン議員は、ベトナム戦争の苦い経験があるから、アメラシアンの救出に奔走したのかも知れない。
ただし、如何なる法律でも何らかの予算が必要なもので、アメラシアの受け容れ作業にも、かなりの資金が必要だった。上記の議員を財政的に支援したのは、民衆党上院議員のカール・レヴィン(Carl Milton Levin)である。彼が色々と根回しをして予算を附けてくれたそうだ。でも、移民や難民とくれば、やはりユダヤ人がしゃしゃり出てくる。上院の軍事委員会(Senate Armed Service Committee)で大御所となっていたレヴィン議員もユダヤ人。上院議員になる前は、地元のデトロイトで公民権活動に熱心な評議委員だったから、ベトナム移民の支援に積極的だったのも頷ける。
(左 : カール・レヴィン / 右 : エマニュエル・セラー )
ちなみに、ジョンソン政権時代だった1965年、民族枠を撤廃する移民法、所謂「ハート・ララー法(Hart-Celler Act)」が制定されたけど、これを促進したのは民衆党下院議員のエマニュエル・セラー(Emanuel Celler)だ。彼の祖父母はドイツから渡ってきたユダヤ移民で、エマニュエルはユダヤ人がウジャウジャ集まるブルックリン生まれである。しかも、フランクフルト学派の巣窟となっていたコロンビア大学卒ときているから、どんな人物なのか察しがつく。しかも、同大学の法科院卒というから、真っ赤なユダヤ人という札附だ。
随分長い説明になってしまったが、米国にはインドシナ難民としてのベトナム系アメリカ人がいるけど、その他にも、アメリカ兵の父を持つアメラシアンのベトナム人が存在する。暴行事件で捕まったボイは、おそらく黒人を父に持つアメラシアンだろう。ボイの映像を目にした水島総社長は、「ベトナム系の人にしては力が強いね。ベトナム人だと小柄な人が多いのにねぇ~」と不思議がっていたが、筆者はボイの顔写真を見た瞬間、直ぐに「あっ ! これは黒人兵との混血児じゃないのか?」と心の中で呟いた。
チャンネル桜の水島社長と同じく、普通の日本人が「ベトナム系アメリカ人」と聞けば、日本にやって来るベトナム人の研修生や実習生を思い浮かべてしまうだろう。「アメラシアン帰国法」を知っている日本人は稀だから、水島社長が分からなかったのも当然だ。令和の大学生で、パンパンが産んだ混血児を引き取った「エリザベス・サンダース・ホーム」を知っている者は少ないだろう。白人兵の混血児なら、何とかして日本で生活できるが、黒い肌の混血児だと友人を作ることも難しく、就職の時になると更に苦労する。一部の混血児は日本を諦め、南米に移住したというから、黒人の遺伝子を持つ「ハーフ」は悲惨だ。
(写真 / ベトナムで暮らす黒い混血児)
1980年当時、法案を通した連邦議員は「善意」や「人権」の観点でアメラシアンを救済したが、その結果はどうなったのか?新たな移民法に署名したロナルド・レーガン大統領が、当時どんな将来を予想していたのか分からないが、この救済法には害悪の方が多かった。そもそも、善意の政治家は責任を取らない。リベラル派にとって重要なのは、自分の名声を高めることだけ。大半の政治家は中高年だから、法案が成立して結果が出る頃には、政界からの引退しているか、「あの世行き」のどちらかである。20年、30年、40年後に、どんな影響をを社会に与えるのか全く考えない。
昔、漫才師の人生幸朗が「責任者出てこい !」という決め台詞を口にしていたが、責任者は棺桶の中で永眠しているから無理。母を訪ねて三千里も旅をしたマルコ・ロッシは、アルゼンチンで最愛の母親に再会し、無事、故郷のジェノヴァに帰ることができたけど、ベトナムのアメラシアンは、一体どんな結末を迎えたのか? 黒い混血児は母国のベトナムで「汚い ! 醜い ! 淫売の子 !」と蔑まれた。そこで、父親の国に来てみたが、ここでも侮辱の嵐だ。「アメリカ国籍」を所得できても、本当の「アメリカ人」にはなれなかった。ベトナムの隣人から「グック(gook / アジア人に対する蔑称)」と呼ばれた混血児は、アメリカに来ても「グック」と蔑まれ、白人からは「同胞」と見なされなかった。父方と母方の祖父母から疎まれ、根無し草となった混血児は、どのようなアイデンティティーを持っているのか? 祖国を失った混血児が、「俺なんかどうなってもいい !」とグレてしまうのも当然であろう。
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