無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

日本の政治

小池百合子の嘘と正体 / 「卒業校」よりも「血統」を表せ !

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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「裏口入学」をけ「玄関入学」にすべし
  
Sano Futoshi 1(左  /  佐野太)
  今更、役人の瀆職(とくしょく)には驚かないが、再び官僚の不祥事が起きたから「やれやれ、またか !」と呆れてしまう。文部科学省の科学技術・学術政策局長だった佐野太(さの・ふとし)容疑者は、東京地検特捜部に受託収賄の疑いで逮捕された。佐野容疑者は東京医科大学から、「私立大学研究ブランディング事業」の支援対象選定で便宜を図るよう依頼された見返りに、今年2月、息子を同大学に「嵩(かさ)上げ合格」にしてもらったとのことである。特捜部による任意の事情聴取に対し、東京医科大の臼井正彦理事長と鈴木衛学長は事件の経緯を認めているが、佐野容疑者は依然として容疑を否認しているという。

  「裏口入学」というのは、昔から医大に絡む“闇の部分”で、多額の寄付金と引き替えに、献金者の子弟を入学させるという噂は絶えなかった。医学部には何かとお金がかかるので、“必要悪”というか、“必要経費”として開業医の「お坊ちゃま」を引き受けることもあるそうだ。ただし、あまりにも酷い馬鹿息子だと、大学全体の学力レベルが低下してしまうから注意が必要だ。それに、医師免許を取得する学生の比率も下がってしまうので、学校の運営者は評判とランキングを維持するために、当該の学生を留年させることもある。まぁ、お金を積めば大学の入学と卒業くらいは何とかなるだろうが、国会試験の不正操作は無理だろう。知識や技能ではなく、札束の重さで医者にさせるのは違法だし、倫理的にも許されるものではない。

  今回の不正事件で注目すべきは、仲介者の谷口浩司を除くと、高級官僚の根性があまりにも“セコ”いことだった。大学が補助金目当てに官僚を受け容れることはあるし、実際、下らない大学の創設を認可して、ちゃっかり天下った官僚も多い。世間が問題とする底辺校の乱立は、官僚が退官後に備えての布石とみる筋もある。もちろん、安易な大学の増設は困ったものだが、公権力を濫用して自分の息子を大学に入れようなんて魂胆は赦せない。だいたい、自分のドラ息子を医大に入れたければ、「自分の貯金」を叩いてお願いすればいいじゃないか。公的立場を“こっそり”利用するなんて卑怯だ。政府から大学へ渡される補助金とか助成金は、国民の「税金」から出ているんだぞ。役人は「予算」と呼んで単なる「小遣い」と見なすが、その根底には「他人のゼニだから、気にせず使っちまえ !」という意識がある。お役所の辞典には「予算消化」という用語はあるが、「節約」という単語は無い。これは公然の秘密だけど、官庁には「摑み銭」は残さず使い切るという“慣習”があるので、一般国民からすると非情に不愉快だ。

  とにかく、日本人は学歴に対して異常な執着心があり、入試は一点の曇りも無く“公平”かつ“実力”のみと信じている。だから、お金を払って「裏口」入学なんかトンデモない。もしかすると、痴漢や窃盗よりも罪が重いと思っているんじゃないか。でも、国立大学ならともかく、私立大学なら大金を積んで「ウチの息子をよろしく」でもいい、と筆者は考えている。私立の学校はどんな宗教や信条を持っていようが勝手で、自前で資金を集めて学問の自由を満喫すればいい。例えば、「我が校はアングリカンでもプレスビテリアンでも受け容れるプロテスタント主流のミッション・スクールでございます」と言っていいし、別の私立が「手前どもの学園は、半分を筆記試験で、残りをコネで新入生を集めております」と宣言してもいいはずだ。世の中には、イスラム教徒や仏教徒の学生を受け容れるカトリック教会の大学もあるから、お金持ちの子供を「特別枠」で入学させても問題は無い。貧乏人の子が入りたかったら、「勉強して合格しろ !」と言い放ってもいいはずだ。

  だいたい、本当に箸にも棒にもかからぬバカなら、授業について行けないし、落第・留年を重ねるようだったら、さっさと退学処分にしてしまえばいい。毎年毎年、高い授業料だけ納めて中退なら、親だって何か考えるはずだ。仮に、このダメ学生が「寄付金の割り増し」で卒業できても、アホなままなら実社会で使い物にはなるまい。学歴だけで雇った企業は、「紛(まが)い物」を摑んでしまったと後悔するし、面接担当者も卒業校の名前だけで採用することを止めるだろう。学歴だけで篩(ふるい)に掛ける企業が多いのは、審査を担当する者がどうやって応募者を見抜いたらいいのか判らぬ節穴だからである。野球界で活躍する一流のスカウトマンは、選手の体を見ただけで「こいつはモノになるぞ !」と見抜くらしい。魚市場のオッチャンたちは、マグロの尻尾あたりの肉を見ただけで、その価値が判るという。まさか、そんな「チラ見」で百万円以上払うなんて信じられないが、ベテランの魚屋は勘で決めてしまうそうだ。そう言えば、南米でコーヒー豆を買い付けるバイヤーも、摘み立ての生豆(なまマメ)を見たり嗅いだりして善し悪しが判るんだって。フライパンで焙煎する前の豆でも、培った経験で識別できるそうだ。

  我々が「裏口入学」に対して厳しい非難を投げかけるのは、入学した大学の知名度や偏差値、あるいは「ブランド」が卒業生の「身分」になるからだろう。例えば、東大の法学部や医学部を出た人は大学ヒエラルキーのトップに立ち、早稲田や慶應の出身者だと東大や京大より下になってしまうが、それでも地方の国立大学や他の私立大よりも上となる。理系や文系とか学部や専攻によってランキングは上下するが、一般人は大学の評判や入試の難易度で相手の資質を測ることが多い。だから、受験生は自分の一生を左右する大学、すなわち自分の「身分」を決めてしまう「ブランド名」を気にするのだろう。普通の高校生は、大学で何を学ぶのか、あるいは、そこにいる教授が誰なのか、どんな個人指導(チューター制度)があるのか、少人数クラスが主流なのか、といった内容は考慮に入れることがない。それよりも、「見栄が張れる大学なのか」とか、「山手線内にキャンパスがある」、「お洒落な校舎がある」、「就職先に困らない知名度をもっている」、といった要素を重視するらしい。「図書館の蔵書数はどれくらいなのか?」といった大切な項目は気にしていないようだ。したがって、自慢できる名門大学なら、どれほど左翼教授が多くても構わない。そもそも、新入社員を採用するときに、赤い思想に染まっているのかどうかを検査する企業なんて無いだろう。

  「学歴」が個人の「属性(ascrition)」になることは、小室直樹先生が既に述べていたことである。(たぶん、小室先生はタルコット・パーソンズの社会学を参考にしていたのだろう。) ある人物を判断する場合、人種とか性別、年齢、家柄といった生得的な地位(ascribed status)で見るのか、それとも本人の努力や能力、業績に基づく獲得された地位(achieved status)で見るのか、人によって意見が分かれる。英国では面白い考え方があって、血統で「貴族」にはなれるが、その「生まれ」だけで「紳士(gentleman)」になれるとは限らないそうだ。つまり、ジェントリー階級は公爵とか伯爵と比べれば下位になってしまうが、世間の評価ではジェントルマンの方が「上」で、憧れの対象(まと)になる。イングランドではお金で貴族の地位を買う者がいるから、人々の尊敬を受けるためには武勲や教養を身につけないと、「真のエリート」にはなれない。また、そうしないと貴族仲間から侮蔑されてしまうので、丹念に武藝を磨いたり、社交界のマナーやギリシア・ローマの古典を学んだりする。王族ですら格下の「ジェントルマン」になるべく精進しようとするんだから、何となく笑ってしまうじゃないか。

  他方、貴族階級が無い日本だと、有名大学を出れば「エリート」になれるみたいだが、真の教養人かどうかは定かではないし、「紳士」であるとも言い切れない。なぜなら、大学教授や高級官僚の中には、セクハラをやらかす破廉恥がいるし、公金を流用する不届き者も少なくない。まぁ、採用の時に「人格テスト」をやったわけじゃないから、痴漢をする学者やネコババをする役人がいても不思議じゃないだろう。でも、庶民は学力と倫理を結びつけてしまう癖がある。例えば、有名大学の男子学生が飲み会で女子学生を強姦すると、週刊誌は「エリート学生の犯罪 !」と騒ぎ立てるが、名も無い地方大学の学生とか専門学校に通う若者が同じ事をしても取り上げることはない。せいぜい、地方紙が三面記事の片隅に載せるくらいだ。

Tosaka 1(左  /  登坂淳一)
    マスコミの不祥事も同じで、NHKでアナウンサーを勤めていた登坂淳一が、昔、新人アナウンサーにキスを迫った過去があると判ったら、さも一大スキャンダルみたいに取り上げた。しかし、彼がローカル局に勤める地味な職員であれば、「ゴミ」扱いで報道すらされないであろう。そもそも、NHK自体が犯罪者の巣窟なんだから、酒場での求愛くらい犬の好奇心と同じ程度である。犬というのは時々、破廉恥な事を平気でしでかす。例えば、見知らぬ女性に会うと、その正体を確かめるためスカートの中に鼻を突っ込んで、「誰なんだろう?」とパンティーの臭いを嗅いだりする。もちろん、無邪気なワンちゃんとは心構えが違うが、NHKの男性職員も本質的には似たようなものだ。(筆者にはよく分からないんだけど、犬は何故か若い女性を好む。差別心があるのかどうかは謎だ。)

  学歴重視には、もう一つ別の理由がある。それは、大学名でその人を瞬時に判断できるからだ。初めて会っただけでは、その人が持つ能力とか性質が判らないから、額や尻にブラント名があると助かる。大抵の日本人は小さい頃から、学校の試験を受けてランクづけされているから、成績を基にした順位というものに殊さら敏感で、誰が自分より上なのか下なのか、自分はランキングの「どこ」に位置するのか、を非常に気にする。したがって、自分が失敗した難しいテストに合格した者は、自分より優れていると考えるし、自分の母校よりも格下の学校を出た者を軽んずる傾向が強い。確かに、難関校に合格した学生は理解力が優れているし、物覚えも良いから博識である。卒業すれば一流企業に就職できるし、自分で会社を設立するだけの力量もあるので成功する人も多い。ただ、そこには個人の資質が大部分を占め、大学で受けた教育がどれくらい反映されているのかは甚だ疑問である。大学の授業で知識を得た人もいれば、その授業を受けたことでクルクルパーになった人もいるからだ。

Hatoyama Yukio 1(左  /  鳩山由紀夫)
  また、専門分野では優れていても、それ以外では単純馬鹿というケースもある。例えば、鳩山由紀夫は物理学や確率論においては優秀だが、本職の政治ではアホ丸出しで、「宇宙人」と評されても仕方がない。だいたい、自分が政治家に向いているのか否かを判断できなかったのだから、その時点でアウトだろう。この鳩山家の御曹司が取った数々の奇行は、日本人の理解を超えているから論外。せっかく自民党の田中派で修行をしたのに、「友愛」を掲げて軍事・外政に挑もうなんて狂っている。鳩山とは違うが、小泉政権で入閣を果たした元上智大学教授の猪口邦子も別の意味で酷かった。イェール大の大学院でどんな国際政治を学んだのか知らないが、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が蠢(うごめ)く政界では「昔勉強が出来たお嬢ちゃん」に過ぎない。2002年、彼女は日本代表部の「特命全権大使」として国連の軍縮会議に派遣されるが、“これ”といった実績は残せず、ただ各国の代表に軍縮を“訴え”ただけで大忙しだった。子供の使いじゃあるまいし、「お願い」だけなら猫にでも出来るじゃないか。核兵器どころか、独立した軍隊すら持たぬ日本が、ロシアや支那に向かって「核ミサイルを削減してぇ~!」と叫んでも、こうした独裁国は鼻で笑って完全無視だ。そもそも、極悪人が中年バアさんの文句に一々応じるなんて絶対に有り得ない。

Inoguchi 2(左  /  猪口邦子)
  結局、猪口は何も出来なかったが、給料だけはたんまりと貰って帰国した。そして、お飾りの役職を終えると、また再び脚光を浴びたかったのか、“安全かつ確実な”比例区から出馬して、すんなり衆議院の議席を手に出来た。しかし、国会議員になってから任された仕事は、「専門」である軍事・外政じゃなく、少子化と男女共同参画事業を担当する大臣。まぁ、こんな年増のお嬢ちゃんに大切な国防と外政を任せるわけには行かないだろう。だが、かといって目立たない役職に据え置くとマスコミがうるさいから、「我々は女性議員を積極的に登用してまっせ !」とアピールする意味も込めて、男性議員が見向きもしない閑職をくれてやったんじゃないか。世間の似非インテリどもは、女性の大学教授を大臣にすれば「日本も女性の社会進出が増えた」と単純に喜ぶ。しかし、自民党の幹部たちはからすれば、「口先だけの生意気な女は、子供の育児や男女差別問題でも扱っていろ !」というのが本音なんだろう。猪口議員を見ていると、典型的な試験秀才に思えてくる。つまり、プーチンや習近平どころか、北鮮の外政官にすら馬鹿にされる小物ということだ。譬えて言えば、外国の大使館を見学に来た小学生くらい。だから、彼女の「使い方」といったら、アメリカ国務省からやって来る日本担当の国務次官補を接待する通訳ていどだろう。猪口議員は激怒するだろうが、現実は学校よりも遙かに厳しいから、彼女の評価と能力はこんなものである。

アラビア語は初級でも嘘は上級

  「老けた女子学生」にしか見えない猪口議員は比較的害が少なかった。しかし、東京都知事になった小池百合子の害は厖大である。東京都民は一体いくら損したのか判らない。政治評論家は何百億円もの損害を計上しているが、データに現れにくい弊害やこれから浮上する損害もあるから、納税者は覚悟した方がいいだろう。以前、テレビで話題になったけど、何も入っていないのに稼働している豊洲の巨大な冷蔵庫って、聞いただけでも寒気がする。さて、この小池都知事には最近、「学歴詐称」の疑惑が浮上した。月刊誌の『文藝春秋』でノンフィクション作家の石井妙子(いしい・たえこ)が、カイロに住む中川恵子(仮名)さんを訪ね、小池百合子の過去を暴いていたのだ。現都知事の父親である小池勇二郎は、自社の「国際三昌」が倒産するや、浪速冷凍機工業の経営者である松浦良右(現 / 朝堂院大覚)に縋り付き、債務処理を頼んだそうだ。そして、松浦氏の支援で日本料理屋「なにわ」を任され、店を切り盛りしながらカイロにいる日本人ビジネスマンや現地のエジプト人と交流を持っていた。記者会見で小池都知事は敢えて触れなかったが、小池勇二郎と娘の百合子、およびその兄は朝堂院総裁に面倒を見てもらっていたそうである。朝堂院総裁の話によれば、小池百合子のアラビア語能力は稚拙で、むしろ得意なのは英語の方であったらしい。そもそも、小池百合子はエジプトで少女時代を過ごしておらず、大学生になってからエジプトにやって来たわけだから、アラビア語のネイティヴ・スピーカーではない。エジプト人相手に喋っていたのは、庶民の言葉で知識人の言葉ではないという。

  結論から言えば、小池百合子はカイロ大学を卒業していない。もちろん、100%断定はできないが、卒業していない可能性は「極めて高い」と言える。小池と同居していた中川氏の証言によれば、二年生の時に落第した百合子の学力は初歩の基礎程度で、とても大学の授業を受けられるレベルではなかったそうだ。(百合子は一年生を経験せず、いきなり二年に編入したという。父親の知人であるドクター・ハーティムが裏から手を廻して、二年生にしてやったそうだが、まじめな日本人留学生からすれば、驚天動地の横滑りというか、無謀なコネ入学にしか思えなかったそうである。) 中川氏は百合子のアラビア語について、次のように述べていた。

  (英語で言ったら)「This is a pen」の状態でハーバードに入ってしまったようなものではないでしょうか。二年生に入れてもらったところで、どうにもならなかったんだと思います。( 石井妙子 「小池百合子『虚飾の履歴書』」 『文藝春秋』、2018年7月号 p.173)

  小池百合子の説明に従えば、1972年10月にカイロ大学に入り、落第して留年したにもかかわらず、1976年10月に卒業したことになっている。しかし、カイロ大学で進級するには、口語ではなく文語をマスターせねばならず、現地のエジプト人学生でさえ苦労するという。したがって、日本人が高度なアラビア語(知識人階級が使う文語)を習得しようとすれば、並大抵の努力では済まない。たとえ、一年中寝食を忘れて猛勉強しても達成できるかどうかは疑問で、学者を志す日本人留学生でも4年で卒業なんて無理。この点に関し、同居人の中川氏が、面白いエピソードを紹介していた。ある日、大学の試験を控えた百合子が、珍しくアラビア語の勉強をしていたそうで、中川氏はその勉強内容を見てビックリしたという。百合子は必死でノートにアラビア語の文語を書き写していたが、彼女は如何なる意味を示しているのか、全く理解していないかったそうだ。この大胆不敵な小娘は、内容を理解しようとはせず、ただ文字を書き写して暗記するだけであった。

  そこで、興味を抱く中川氏に対して、百合子は次のように答えたそうだ。

  テストでも質問文はどうせ読めないから、とにかく暗記した文章をただひたすら大きな字で書くの。そうすれば教授も努力を認めてくれるはずだから。(上掲記事 p.172)

  さぁ~すが、世渡り上手の小池百合子だ!! すごぉぉ~い。“その場しのぎ”を弁えている ! 試験でもお得意の「百合子スマイル」で何とかしようと思ったのか? それにしても、彼女はどんな「論文」を書いて卒業したんだろう? 大学受験を控える高校生や、就職活動に励む大学生は笑っちゃいけないよ。それはともかく、小池百合子は何処から手に入れたのかよく分からないが、以前、カイロ大学が発行したという「卒業証書」を公表したことがある。ただ、この「証明書」はどことなく怪しい「印刷物」で、スタンプといった肝心な部分がぼやけているから真偽の判別は難しい。一部の識者は、エジプトの闇ルートを使って仕入れたんじゃないか、と疑っている。今となっては、1970年代の記録なんて保存されていないから、いくらカイロ大学に問い合わせてみても埒が明かないし、大学の職員が手間暇かけて小池の記録を捜してくれるとは思えない。だいいち、彼女の成績や卒業を調べるとなれば、もう考古学の次元になってしまうだろう。これは言いづらい事だけど、アジアやアフリカの国々では、お金を払えば何でも手に入るから、書類の偽造なんて朝飯前だ。アメリカでさえ、身分証明書(ID)やクレジット・カードの偽造はよくある。

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(左: 公表された小池氏の「卒業証明書」  /  右: 東京都知事になった小池百合子)

  石井妙子が寄稿した文章の中には、将来の「渡り鳥、小池百合子」を予想させる記述がある。まず、持って生まれた愛嬌で、若き百合子は様々な男に接近し、その者が有力者とか、利用価値のある男と分かれば、特別な視線を送るという。エジプトで彼女が結婚したA氏は、アラビア語が得意だったから、ベッドを共にする「語学教師」としての“メリット”があったのだろう。なんか、細川護煕や小沢一郎、小泉純一郎の顔も浮かんでくる。計算高い百合子には、「誰と寝たっていいじゃないか。“得るもの”があれば・・・」という信条があるんじゃないか。でも、「用済み」になればポイ捨て。まことに「男」っていうのは憐れな生き物だ。そして、百合子が父親に呼び出されて帰国した時のエピソードは、さらに象徴的である。サダト大統領のジンハ夫人が来日するというので、百合子は直ちに帰国し、下っ端の「付き添い役」として外務省の中に潜り込んだ。ただし、彼女がアラビア語で会話したのかどうかは定かではない。それでも、「カイロ大学の学生」という身分をフル活用して、百合子は自分自身を新聞やテレビに売り込むことに成功した。

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(左: アンワー・サダト大統領  / 中央: 「ファースト・レイディー」時代のジハン夫人 /  右: 寡婦となったジハン夫人)

  同居人だった中川氏は、カイロに帰国した百合子に驚いていた。この凱旋将軍は、「カイロ大学を卒業した小池百合子さん」という新聞記事を見せびらかし、悪びれた様子も無くウキウキしていたからだ。唖然とする中川さんが「えっ、小池さん、これって・・・」と問い掛けると、百合子は楽しそうな上目遣いで中川氏を覗き込んでいた。驚愕する中川さんが、思い切って「そういうことにしちゃったの?」と尋ねると、百合子はケロッとした表情で「うん」と答えたそうだ。(上掲文 p.175) うわぁぁ~、我々でもその瞬間の百合子スマイルを想像できるじゃないか ! 小池都知事がヘマをしでかした時に、悪びれず笑顔を浮かべて、「あら、失敗しちゃった! えへっ!」と軽く受け流す仕草、あるいは、女に弱い長老議員を籠絡するときに使う、媚びるような上目遣いを思い出せば、誰でも分かるだろう。カイロ大学を“卒業”した「才女」と持ち上げるメディアを見て、百合子は「チョロイ奴らだ」と思ったのか、大学での勉強をさっさと辞めて、マスコミに進むことを決意する。まぁ、テレビ局のキャスターなんて一種の俳優だから、深刻な顔をしてニュース原稿を読んだり、笑顔でインタビューを行えば、それでOKの世界だ。知性や教養なんて必要ない。取材相手に好感を持たれるよう愛想を振りまく「才能」があればいいのだ。ちょっと可愛い百合子には「ジジィ殺し」の得技があるし、「ここぞ」という時に大胆になれる度胸もある。スケベ爺どもを踏み台にして出世した女は“したたか”だ。

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(左: 国会議員になった小池百合子  / 細川護煕  / 小沢一郎  /  右: 小泉純一郎 )

  かつて、小池百合子は竹村健一の番組でアシスタントを務めていたから、筆者は以前から彼女のことを目に留めていたし、月刊誌『Voice』の投稿文も読んでいた。しかし、論文のプロフィールに記されている「カイロ大学卒」という学歴には疑問を持っていた。何故かといえば、昔、筆者が米国にいたとき、サウジ・アラビアからの留学生「アデル」君とよく雑談をしていたからである。筆者は時折、彼と一緒にカフェテリアに赴き、中東アジアの歴史や政治を話したことがあって、その都度アデル君からちょくちょく注意を受けていた。というのも、筆者が口にするアラブ人名の発音が酷かったので、彼が訂正し、ちゃんとしたアラビア語発音を教えてくれたのだ。例えば、日本人だとカタカナ的に「アイザック(Isaac)」を「イサク」と発音してしまうが、アラブ人だと「イツァーク」と難しい発音になる。(カタカナ文字よりも実際に聴いてみた方がいい。) アラビア語は日本人やヨーロッパ人にとって非常に難しい言語で、CIAの局員でさえ勉強を厭がってしまう程である。外国語を学ばないアメリカ人にとってはロシア語でさえ大変なのに、記述方式が三つもある日本語(「漢字」「平仮名」「片仮名」)や、へんてこな文字を綴るアラビア語なんて論外で、どちらかと言えば宇宙人の言葉に近い。日本語を上手に喋るアメリカ人学生でも、日本語で論文を書くとなれば、優等生でもほぼ不可能だ。そもそも、漢文風の文語体なんて暗号と同じだから、日本の学生でも読めない。昔、上智大学のヨゼフ・ロゲンドルフ神父が述べていたけど、日本人の学生は明治大正時代の恋文でさえ読めなかったそうだ。ちなみに、イエズス会士のロゲンドルフ神父は島崎藤村の研究者だったから、日本語の難解さをよく解っていた。

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(左: ピーター・ジェニングス  / 右: ダン・ラザー )

  話を戻す。日本人にとってアラビア語を習得するのは至難の業で、小池氏が4年でマスターしたなど、筆者には到底信じられなかった。だから、小池氏が「ワールド・ビジネス・サテライト」のキャスターを務めていたとき、「カイロ大卒」は「ハッタリ」か「見栄」の類いだろうと思っていた。筆者はジャーナリストを評価する際、華やかな学歴よりも、ニュースを分析するときの鋭い視点とか、インタビューにおける巧妙な遣り取りの方が大切だと思っている。だから、筆者は小池氏がどんな大学を卒業しようが気にしないし、単なる高卒でも構わない。2005年に亡くなったジャーナリストのピーター・ジェニングス(Peter Jennings)は、カールトン大学を中退したことで大卒ではなかったが、若くしてキャスターとなり、米国ABCテレビでアンカーを務めるほど有能だった。思想的にはリベラルだったが、ニュース原稿を読む語り口は紳士的で、聞いていて心地よかった。(ちなみに、ジェニングスはカナダ国籍から帰化したアメリカ人だったので、ちょっとマイルドな英語を話していた。) 他方、CBSでアンカーを務めていたダン・ラザー(Daniel Irvin Rather)なんか、ぶっきらぼうな英語で「バリバリのジャーナリスト」を気取っていたが、視聴者からすれば不愉快なだけだ。

「学歴」ではなく「素性」を示せ!

  日本人は「学歴」を「身分」と考えているので、学歴詐称に関しては矢鱈とうるさい。しかし、政治家が公表すべきは、どうでもいい「出身校」ではなく、本人の「血統的出自」だ。つまり、公職に就く権力者は、どんな家庭に生まれ、どういった両親祖父母を持つのかを明らかにすべきなのだ。確かに、大学で真っ赤に染まることもあろうが、家庭の躾や風習で身につく行動様式に比べたら、物の数では無い。肉親からの教えは、本人の思考形態に大きな影響を及ぼす。だから、国会や地方議会に出馬する候補者は、有権者にどのような血筋の者なのかを公開すべきである。もし、これを隠すような者がいれば、「いかがわしい奴」と思った方がよい。我々は候補者の両親が日本人なのか、それとも片親が朝鮮人なのか、あるいは祖母の一人が支那人なのか、といった事実を知りたいのである。

    マスコミや左翼学者は、個人の家系を詮索することが「プライバシーの侵害だ」と決めつけるが、どうして本人の素生を明らかにすることが「差別」に当たるのか? 父親が日本人で母親が朝鮮人だと、どんな「問題」が生じるのか、人権派は説明すべきだ。もし、立候補者が帰化朝鮮人の息子であれば、その祖父母がどのようにして日本にやって来たのかを公表すべきだし、祖父母の何名かが支那人とか帰化支那人なら、如何なる理由で日本に定住したのかを正直に話すべきだろう。日本は外国人が帰化するときに、はっきりとした忠誠の誓いを要求しないし、「日本の為なら徴兵に応じ、出身国をも攻撃しますか?」とも問わない。外人に対して甘い政府は、日本に帰化した朝鮮系支那人の張景子に、心からの忠誠を求めたことがあるのか? 国会議員になった蓮舫は二重国籍を隠していたが、彼女が日本国籍に移行したとき、どんな忠誠を誓ったのか、日本国民には知る権利がある。こうした要求を「プライバシーの侵害」と考え、猛烈に反対する議員は、公職者に適しない危険な人物であろう。

  普通の日本人は自分の素生がバレても困ることはない。都会生活をしている者ならともかく、地方の片田舎で親子代々暮らしている国民なら、隣近所の住民に祖父母の存在がバレているし、学校の友人や先生も知っているケースが多い。ド田舎だと、近所の人が母方の実家まで知っており、その祖父母まで名が知れている場合がある。しかし、自分の親族を知られたからといって、急に焦り出す日本人はまずいないだろう。まぁ、祖父母の一人が前科者なら隠したくなるだろうが、全員「カタギ」の一般人なら、友達に紹介しても差し支えあるまい。祖父母の方だって、もし、自分の可愛い孫が衆議院選に出馬すれば、手助けしようと選挙事務所に詰めかけるし、爺さんや婆さんだって「ウチの孫をよろしく」と近所に声を掛けるだろう。たとえ、遠く離れた場所に住んでいる祖父母でも、近所の友人に代議士となった孫を自慢するし、「突撃! 隣の晩ごはん」でお馴染みのヨネスケがしゃもじを持って来訪すれば、訊かれもしないのに孫の話をしたりする。もし、孫の為にコソコソと隠れている祖父母がいたら、一般人は「何か変 !」と思うはずだ。

  日本の議会には意外と朝鮮系議員が多く、プロフィールで堂々と出自を公表できない政治家はたくさんいる。特に、国会議員は日本国の命運を左右する権力を握っているので、その家系を三代遡って公表すべきだ。公職に就く者に血筋を隠す「プライバシーの権利」は無い。なぜなら、公職者は国家権力を託された者であるから、その執行に対し疑惑を持たれるような人物であってはならない。つまり、不審な受託者ではダメということだ。本人は否定するだろうが、支那人や朝鮮人の血を引く者は、心の奥底に我が国への憎悪を秘めているので、軍事・外政の議題になると、妙にアジア諸国に肩入れをしたり、日本に不利なことでも平気で行う場合がある。例えば、左翼議員の中には、北鮮に対する「戦後賠償」を提案したり、または、それに賛成する者、あるいは北鮮への経済支援を熱心に進めたりする者がいるのは確かだ。意識・無意識を問わず、彼らの根底には、朝鮮人の血統から由来する情熱があったりする。また、「従軍慰安婦への賠償を行え」とか、「日本は植民地支配を謝罪しろ」と述べる議員の中には、朝鮮人の親戚がいたり、帰化人の祖父母、あるいは朝鮮系の女房がいたりするんじゃないか。

  これからはもっと議員の素性が多国籍化してくる。支那人やフィリピン人の移民が増えれば、日支混血児や日比混血児の代議士が誕生するし、帰化したベトナム人や在日朝鮮人の子供が国会や地方議会へ出馬することもあるだろう。そうなれば、彼らの忠誠心が何処にあるのかが気になる。選挙のチラシにはいくらでも嘘を書けるので、せめて誤魔化せない両親や祖父母の血統を記すよう義務化すべきだ。日本人は国家意識が薄いので、国家の防衛が如何に重要であるのかを知らないまま暮らしている。例えば、自衛官になろうとする者がいても、政府や自衛隊は彼の家族背景を調べることはできない。もし、陸自の情報将校や防衛大の教官が探ったら即クビで、防衛大臣の首すら危なくなる。しかし、軍隊に配属される者の素性を調べるのが「違法」だなんて、全く以て馬鹿げている。軍人は国家機密を扱うし、最新兵器を使用する者や軍事作戦に携わる者もいるんだから、各隊員の思想や性格を把握するのは当然だ。もし、潜水艦の乗組員が情報を外部に漏らしていたらどうなるのか? あるいは、最新鋭の戦闘機や爆撃機の性能や構造を外国人に売り渡していたら大変だし、密かに情報を流すモグラが潜んでいたら尚更恐ろしい。さらに、防衛省の高官や公安の幹部に外国のスパイがいたら、我が国の安全保障はどうなってしまうのか。本当に背筋が寒くなる。

  マスコミは学歴詐称でいどで大騒ぎしているが、「血統隠匿」の方が遙かに深刻な問題である。自衛官や警察官、国会議員、知事といった公職者の家系開示に反対する政治家がいれば、国民はその政治家が「なぜ」反対するのかを追求すべきだ。血筋を公表することをためらう議員は、何かやましい事があるからで、祖先に朝鮮人や支那人が居たというだけで、恥ずかしく思うのはおかしい。古代ローマ人で元老院議員を務めた者は、祖先の胸像を作って大衆に見せびらかし、自分が如何に偉大な祖父の孫であるのか、あるいは立派な武勲を持つ父の息子であるのかを示した。日本人の国会議員も「誰の孫」で「誰の子供」なのかを明らかにすべきだろう。参議院の福山哲郎などは、ちゃんと出自を公表しろ。顔を真っ赤にして激怒するんなら、その理由をはっきりと言え ! 藝能人じゃないんだぞ !

Fukuyama Tetsuro 2新井将敬Korean family 1








(左: 福山哲郎  / 中央: 新井将敬  / 右: 朝鮮人の家族 )

  だいたい、テレビ局や新聞社は支那人や朝鮮人の祖先を持つ政治家を守ろうとするからおかしい。保守派が詮索すると「民族差別だ ! けしからん !」と憤慨するけど、「善人」を演じるマスコミ業界人こそ支那人や朝鮮人を「劣等民族」と思っているんじゃないか? 朝鮮系議員の家系をバラすことが「プライバシーの侵害」なんて馬鹿げている。昔、自民党に帰化鮮人の新井将敬(あらい・しょうけい/ 朴景在)がいて、證券スキャンダルが元で自殺したが、彼は包み隠さず素性を明らかにしていた。また、意外にも、NHKは藝人の祖先を探る番組を流している。だからNHKはテレ朝かTBSと組んで、「外人系議員さん、いらっしゃい!」という番組でも作ればいいんじゃないか。司会を桂三枝じゃなく、中川八洋先生にすれば、鋭い質問が飛び出るぞ。NHKが全国放送すれば、たとえ議員が嘘をついても、地元の知人が通報したりするから、面白いエピソードを知ることが出来るだろう。もっとも、こうした番組には出演拒否という「選択肢」もあるので、立候補者は必ず番組に出演し、視聴者からの質問に答えるよう義務化すればいい。こうなれば、案外「高視聴率番組」になるかもよ。たぶん、朝鮮系や支那系と疑われた政治家の回が、特に高視聴率を稼いだりしてね。視聴率30%も夢じゃないぞ。凋落する一方のフジテレビは、下らないドラマ制作を止めて、この企画で復活を考えてみたらどうだろうか。

ゲバ棒を教鞭に持ち替えた左翼 / 国家は「暴力装置」なのか?

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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日本人が国家防衛を考えない理由

  日本のマスコミ視聴率の取れる刺戟的な事件のみを取り上げ、左巻きのゲストを招いて軽佻浮薄なコメントを流布する。まぁ、無料放送の娯楽番組だから仕方ないが、影響力の大きい政治宣伝だから黙認すことはできない。最近の話題を拾えば、オウム真理教が残した闇の真実だ。麻原彰晃が死刑になっても、教団が持っていたロシアや北鮮との太いパイプは明らかにされていない。しかし、ワイドショーの司会者は、「赦しがたいテロ事件を忘れてはなりません !」と飽きもせずに説教を垂れる。だが、本当に重要なのは、その惨劇を引き起こした原因だろう。どうして、公的機関はカルト集団に及び腰だったのか? テレビは触れなかったが、巷では創価学会の存在が囁かれていた。公安や警察はオウムの「いかがわしさ」に気付いていたが、「疑惑」だけで宗教組織にメスを入れるなんて恐ろしくてできなかったのだ。隠然たる権力を有する公明党議員から、「国家による宗教弾圧だ!」と非難されるのは目に見えている。だから、「怪しい」と分かっていながらも放置したのだろう。しかし、案の定、創価学会を見倣って麻原は信者を衆院選に立候補させた。結果は惨敗だったけど、もし麻原が長期計画を立てて、慎重に政権奪取を謀っていたら戦慄の状態になっていたことだろう。

  また、拉致事件を巡るマスコミの言動も同じ程度。拉致被害者の救出が滞っていると、局アナが慎重な面持ちで「一刻も早く事件の解決を望みます」と口にする。だが、こんなセリフなら、子供でも言えるじゃないか。テレ朝やTBSは、下らない決まり文句を繰り返していないで、自分達が延々と述べてきた「軍国主義反対!」を謝罪すべきなんじゃないか。世界中の国々が軍隊を持っているのに、我が国だけが他国の正義を信頼して“丸腰”になるなんて“おかしい”だろう。NHKや朝日新聞の本社および支店には大勢の警備員が配置されているが、どうして「善良」な一般人を信用しないのか不思議だ。日本という国家は戸締まりをせず、オープンで「無防備がいい」と言っているのに、どうして自社ビルは「厳重」に防衛しているのか? NHKなどは受信料を払っている「日本国民」は門前払いで、たとえ正当な抗議であっても絶対に門の通行を許さない。昔、中村粲先生が度重なる反日番組に憤慨し、会長宛に質問状を書留で郵送したが、それすらNHKは拒否した。呆れるほどの防禦だ。お金は取るけど苦情は受け付けないNHK。しかし、朝鮮人の「お言葉」なら大歓迎。(昔、筆者が「ハングル講座」の内容に文句をつけたら、担当者が筆者を「在日北鮮人」と勘違いして、やたらと丁寧な対応だった。しかし、筆者が「日系日本人」と判明するや、手のひらを返したように冷たくなった。「皆様のNHK」は朝鮮人に向けたキャッチフレーズなのかも知れないぞ。)

  とにかく、なぜ日本の民衆は軍隊の創設を許さないばかりか、敵国の支那や朝鮮に対して卑屈なのか? その理由の一つに挙げられるのは、「国家意識の喪失」である。しかも、これを補強するかのように、教育界やマスコミ、官庁、政財界、および藝能界にまで「日本人は根っからの悪、国家自体も本質的に悪」というイメージが刷り込まれている。でも、支那やロシア、南北朝鮮を見れば、どちらが悪の帝国なのか一目瞭然じゃないか。しかし、進歩的知識人が糾弾するのは決まって日本。とりわけ、我が国を憎む左翼教師は、日本が基本的に犯罪国家と決めつけ、国民を戦争に駆り出し、大勢を死に追いやるという前提から議論を進める。こうした考えでは、反論しようにも糸口が見つからず、温和な愛国派だと諦めるしかない。そもそも、支那人や朝鮮人が“侵掠戦争”の被害者という見解がおかしい。大陸の支配を目指す軍閥は、支那の民衆が何人死のうが構わない。学校教師は何かと言えばアヘン戦争を持ち出し、惨敗を喫した支那人に同情するが、末端の支那人からすればイギリス人の支配は天の恵みだ。秕政と搾取しかしない支那皇帝と法治主義を守るアングロ・サクソン人の「どちら」が“まし”なのか一目瞭然じゃないか。日本に統治された朝鮮人だって、李朝の「虫けら」から、「単なる人間」、「日本の隣人」、人も羨む「大日本帝國の国民」へと昇格し、夢のような文明生活を体験できたのだ。貧民の小倅だった朴正煕なら、この事実に反対できない。いや、諸手を挙げて賛成だ。分からないのは大統領になった娘だけ。

Mao 1(左  /  毛沢東)
  我が国の歴史教育は本当にアホらしい。マスコミも一般国民に向かって“際限なく”謝れと言う。しかし、毛沢東を見て罪悪感を持つ者がいるのか? 日本にやって来る下っ端の支那人でさえ兇暴なんだぞ。ところが、そんな連中でも怯えて小便をちびるのが赤い皇帝。毛沢東のような支配者になると、1人の叛逆者を捕まえるために、1億人の民を殺しても平気なのだ。いちいち捜索するのが面倒なら、村ごと、都市ごと、省ごとの規模で皆殺し。その方が楽だからねぇ。でも、日本では絶対に無理。いくら何でも、総理大臣が新宿に潜伏する工作員1名を抹殺するために、空爆で全住民を焼き尽くすことはできない。第一、こんな虐殺は天皇陛下が許さない。しかし、毛沢東を尊敬する習近平だと出来そう。この独裁者なら、ウーロン茶を啜りながら「適当にやっとけ!」と命令するんじゃないか。そう言えば昔、ベトナム戦争で兵卒に発破(ハッパ)を掛けるため、アメリカ軍の指揮官が「グック(ベトナム人の蔑称)どもの命なんかハンバーガー以下なんだぞ !」と言ったそうだが、支那人が聞いたら「えっ、そんなに高いの!?」と驚くだろう。支那人の命だと、100名まとめたってビッグマック・セットに及ばないんだから。もしかしたら、「支那人3名」で「ポテト・フライ1本」分だったりして。案外、これくらいが現実の相場なのかも。

  話を戻す。日本人が国家意識に欠けることは前々から言われていたことだ。昭和50年頃に、高木書房が対談本をシリーズ化していて、その中に『国家意識なき日本人』という一冊があった。保守派論客の福田恆存(ふくだ・つねあり)や京大教授の勝田吉太郎、高名な哲学者の田中美知太郎など、著名な保守派知識人が日本について語っており、今でも色褪せない意見となっている。そして、この対談本の中にちょいと気になる議論があった。中央大学教授を経て早稲田大学の客員教授になっていた武藤光朗(むとう・みつろう)が国家暴力論を述べており、その基本認識が如何にも左翼インテリを臭わすものであったのだ。

  「国家というのは巨大な暴力装置」というのは、よく政治学者から耳にする。なるほど、国家は社会秩序を維持するために警察力を用いるし、究極の処罰として死刑制度を残している。また、戦争に備えて普段から徴兵(血税)を行うし、有事の際は国防のため「死んでこい!」と“強制”できるから、あながち嘘ではない。左翼の大学教授は、「ゲバルト(暴力 / Gewalt)」というドイツ語が大好きで、これは権力とか支配を説明するときに用いる言葉だ。武藤教授によれば、物理的な強制力(ゲバルト)が国家の根底にあり、その行使には正当性を持たせなければならないという。そして、この正当な暴力を行使する独占的な主体が国家であるそうだ。武藤氏は次のように述べていた。

  ・・・国家というものが、人間の基本的な状況を形づくる要素としての暴力に根ざしていることろに特徴があるということです。(『国家意識なき日本人』高木書房、昭和51年 p.223)

  確かに、我々人間の内面には「悪魔」の要素が潜んでいるので、武藤氏がこうした性悪説に基づくのは“もっとも”なことである。しかし、対談相手の福田恆存は、この「暴力」という日本語訳に不満で、「ケバルト」は決して邪悪な「力」とは規定できないのに、この和訳だと恰も「不正な力」という響きになってしまうと述べていた。国家を維持する為の「力」を「暴力」と呼んでしまうと、何か正当性に欠けた「ダーク・フォース(dark force)」みたいに思えてくるからだ。もちろん、中央政府は有無を言わさぬ権力を持たないと国家を運営できないから、「力強い統治機関」になるべきだけど、「暴力を用いる巨大組織」じゃ、マフィアかヤクザみたいに思えてしまう。もっとも、「暴力装置」としての日本国に反抗した元左翼学生が、いけしゃあしゃあと大学教授になっていたから、「ゲバルト」を「暴力」と訳したくなるのも当然だ。しかも、彼らには「ゲバ棒」に対する特別な“愛着”がある。「悪魔の手下」である機動隊に立ち向かった“勇者”が、国家権力や警察機構を「弾圧者」と考えても不思議ではない。ただし、普通の庶民は警察官を尊敬しており、全共闘の学生どもを「不届き者」とか「親の脛(すね)をかじった碌でなし」、あるいは「甘ったれの穀潰し」と思っていた。

  学生運動上がりの教師には、国家を「敵対者」と考える者が多い。例えば、中学や高校、大学に巣くう左翼教員は、本能的にスパイ防止法に反対する。たとえ、国内に潜む外国の諜報員や工作員を摘発するためと説明しても、「絶対に嫌だ!」と反対し、「戦前の日本に戻すな!」と喚き散らす。テレビ局や新聞社に潜り込んだ左翼分子も、「治安維持法の復活だ!」と悲鳴を上げる。しかし、なぜ彼らはこんなにも反撥を覚えるのか? それは、彼らが左翼細胞やコミンテルンの支援者だからだ。つまり、治安維持法の対象者を尊敬する極左、摘発される側に組する共鳴者、密かに革命を切望する謀反人だからである。普通の日本人は警察を「頼もしい味方」と考えるが、反日分子は自分達を逮捕する「弾圧部隊」と見なす。確かに、あの忌まわしい戦前の共産党に所属し、朝鮮人と一緒になって「プロレタリア革命の遂行」や「天皇制廃止!」、「ブルジョア社会の打倒!」を掲げる連中からすれば、特高は赦しがたい政府の手先で、仲間をしょっ引く秘密警察みたいなものだ。

  それでも、大人になって“きちんと”過去の暴挙を反省し、カタギの教授になった者はいい。例えば、学習院大学の教授になった香山健一とか、東大の駒場村で経済学を教えるようになった西部邁とかは「マシ」な方だったが、過去の清算をせず、“ちゃっかりと”民間企業や地方大学に潜り込んだ連中は、昔の頭を引き摺ったままだった。とりわけ不愉快なのは、就職活動に精を出した「裏切者」である。彼らは急に態度を改め、汚らしい長髪を切って「善良な学生」に変身するや、澄ました顔で面接に臨んでいたのだ。でも、本当に醜いのは大学に居坐った残党だ。反省もしない変節漢は肝心の学問よりも、学内政治や派閥作りに熱心で、自分に忠実な大学院生を子分にし、講師から教授に昇進させることで「弟子」を増やしていた。まるで歌舞伎界の世襲みたいだけど、真っ赤に染まった大学が未だに左翼の巣窟になっているのは、こうした縁故主義が教授会の常識になっているからだ。例えば、法学部だと横田喜三郎とか芦部信喜、宮澤俊義が汚染源となり、その流れを汲む小林直樹とか高橋和之、長谷部恭男、辻村みよ子などの極左学者が多く誕生した。当然ながら、この淀みは当分のあいだ浄化されることはない。肥溜めに浮いた「黄色い汁」が、八ヶ岳の「湧水」にならないのと同じ理屈だ。

  これだけでも酷いのに、我が国の法曹界は護憲学派と人権思想が混ざっているから、サリン並の猛毒となる。ただし、法学部の一般学生は学者志望の者とはチョット違う。民間企業に就職した卒業生は、一応、世間の荒波に揉まれるから、まともな感覚を備えている。でも、大学教育の後遺症が残っているので、選挙の時に憲法論議が湧き起こると、急に性格が変わってくる。彼らは在学中、毎回、無防備のまま左巻きの講義を聞いていたから、頭の中枢を冒されているのだ。優等生になると重症で、高純度のヘロインを打って痙攣を引き起こした患者というより、毎日少量の水銀を飲んで歩行障碍や視野狭窄に陥った中毒者に近い。毒を飲んでいる意識は無いが、症状は確実に重くなっていて、卒業する頃には頭がクラクラだ。大抵の卒業生は思想的な水銀中毒になっている。朝一杯のココアならいいけど、毎日、水銀入りの味噌汁だと体に悪い。これに「朝日新聞」というプリメントが加われば、もう一生治らない成人病になる。世の中には、意地悪な上司のお茶に雑巾の絞り汁を入れる女子社員がいるそうだが、無垢な学生に水銀入りのコーヒーを勧める学者はもっとタチが悪い。

狂った変態のフランス哲学者

  とにかく、左巻きの大学教授というのは、教え子の頭から常識を取り除いて、その飽きスペースに害毒を流し込む。ただ、「大学院教授」とかの名刺の裏に、「狂人」とか「変態」と書いていないから判らないだけだ。支那産の養殖ウナギを「国産天然モノ」と表示する偽装ラベルと同じである。つくづく憐れに思えてくるが、一般学生は受験勉強しかしていないから、世間の常識どころか漫画の知識さえ無い。例えば、一般教養で政治とか哲学の授業を取ると、フランスの気違い思想家であるジャン=ジャック・ルソーが唱えた社会契約説を吹き込まれてしまう。戦後の大学には保守派の教授がいないから、一般学生はこの善人に見えるフランス人が、実はトンデモない悪人たった、ということに気付かない。(桑原武夫みたいな奴なら各大学にゴロゴロいる。) 恥知らずで嘘つきの変態野郎が吐き捨てたハッタリを知れば、日本の大学生も眉を顰めるどころか、『エミール』とか『告白』といった著書を焼き捨てるだろう。でも、大抵の大学教授はルソーの本性に言及せず、欺瞞で塗り固められた「思想」を伝授するだけ。だから、何も知らない従順な学生は、教授の講義を聴いて「へぇ~、そうなんだ」と丸め込まれてしまう。

Jean Jacques Rousseau 1(左  /  ジャン=ジャック・ルソー)
  ルソーの生涯はレスター・クロッカー(Lester Crocker)による二巻本の伝記に詳しく書かれているが、左翼教授にとっては“都合の悪い”暴露本なので、現在に至るまで翻訳されたことはないし、今後も翻訳されることはない。日本の政治学部には掃いて捨てるほどルソー信者がいるのに、ルソーの破廉恥な私生活を暴露する学者は0.1%かゼロ。隠匿された事実にこそ重要な情報があるなんて、授業料を払っている学生が気の毒だ。ここでは長くなるので省略するが、ちょっとだけ紹介したい。例えば、ルソーの変態思想の一端は、彼の畸形なペニスにあった。彼は生まれながら「尿道下裂(hypospadias)」を患っており、成人すると尿道狭窄で痛いカテーテルを使用しなければならなかったくらいである。(Lester G. Crocker, Jean-Jaques Rousseau : The Quest 1712 - 1758, Vol. One, The Macmillan Company, New York, 1968,  p. 16)

  しかし、ルソーはトロンシャン(Tronchin)医師による治療を拒絶し、この親切な医者とも仲違いをし、喧嘩別れとなっている。それでいてルソーは世界中の人間を愛し、「全人類の友」を自称していたんだから白々しい。ちなみに、ルソーの生殖機能は損なわれていなかったので、女とのセックスはできた。しかし、この卑劣漢は薄情で、作った子供はポイ捨て。ルソーは「市民」の幸福を云々したけど、我が子を5人も捨てた冷血漢が、本当にフランス人民への愛に満ちあふれていたのか? このペテン師は子供の誕生日すら知らなかったのに、「私ほど父親になったら優しい人間は居るまい」と豪語していたのだ。しかも、ルソーは自分の親爺とも仲が悪く、父親のお金にしか興味が無かった。

  古くなった下着のように女を取り替える狂人には、精神的な欠陥ばかりではく、肉体的な異常性もあった。天性の詐欺師たるルソーは、パリのサロンに出入りしたが、その上流社会で耐えがたい屈辱を味わっていた。自分に興味を示してくれる貴婦人を相手にお喋りを披露していたが、ルソーは時折、「いつまでこのお上品な会話が終わるんだろう」とヤキモキしていたのである。というのも、彼は尿道狭窄により、しょっちゅう尿意を催していたからだ。ところが、いざホースの解放となった時、どの部屋にも貴婦人が居たので排尿できず、みんなが見ている前でチョロチョロっと小便を垂れるしかなかったという。これ一つを見ても、赤面するルソーが、いかにフランス貴族を憎んでいたかが解るだろう。常識を備えた日本人なら、こんな野郎が語る「理想社会」なんか信じない。詐欺師の正体がバレると、学生が「何だ、こんな奴!」と吐き捨てるから、ルソー崇拝者の教授はなるべく触れないように努めていたのだ。初耳の人は是非クロッカーの伝記を読んでもらいたい。

Thomas Hobbes 1(左  /  トマス・ホッブス)
  とにかく、政治学の講義でよく言及される「社会契約説」とか「一般意志」なんて眉唾物だ。政治学者はトマス・ホッブスやルソーを持ち出して、「市民」の安全や自由を守る為に、人々が契約を結んで社会を作ったと教えるが、我々はそんな契約を交わして国家を選んだりしているのか? ルソーは「一般意志」を言い出して、これに服従することを説いたけど、こんなのはレーニンみたいな奴の言いなりになるための催眠術だ。タウン・ミーティングのような集会に参加した人々が、互いに話し合い、討議を尽くせば最終的に正しい結論に辿り着くなんて馬鹿らしい。一般意志は多数者の投票で見出され、選ばれし者によって執行されるというが、実際は、全体主義国家に自分自身を差し出す教義だった。「民衆政治」を自慢していたフランス人は、恐怖政治を経てナポレオン・ボナパルトのような独裁者に隷属し、不必要な戦争で肉片となって死んでいったのだ。学者は「一般意志」という言葉を重宝しているが、実際は、砂粒のような愚民が熱狂して、詐欺師に扇動されるのがオチである。こんな騙しの手口より、日本人が生み出した武家政治の方がよっぽど素晴らしい。

  日本の左翼学者は懲りもせず「社会契約論」を口にするが、そもそも日本人は「契約」で日本という国家に住んでいるのか? 例えば、我々は生命保険に入ろうと思ったとき、日本生命とか明治生命とかを当たってみる。そして、特約とか掛け金を調べて、「どの会社がいいかなぁ」と考えるはずだ。色々と思案した末に、A社と契約を結んだりするが、日本人は「日本」という国家(社会)を吟味して「この国にしよう」と選ぶのか? じゃあ、もし気に食わなかったら、日本と契約を結ばずに、他の国に移り住むのかと言えば、そうではあるまい。我々はどんな状況になろうとも、日本に住み続けるし、祖国を良くしようと「みんな」で努力する。千年前の祖先も生まれて骨を埋める領地は「日本」しか有り得ず、天皇陛下と契約を結んで臣下になった訳じゃない。たとえ、後醍醐天皇が親政を宣言したからといって、足利尊氏や新田義貞が「じゃあ、我々は契約を破棄して朝鮮に移住します」なんい言わないだろう。武士は朝廷に対して諌言を行ったり、公家を動かして策略を巡らし、何とか天下を安泰にしようと努めた。我々は天皇陛下が存在するからこその日本国民であり、天皇陛下も大切な臣民が存在するからこその立憲君主であらせられる。サッカー・チームなら、任期が切れて交替する監督や、年俸に不満で移籍する選手がいても不思議じゃないが、日本国はテナントがクルクル替わる雑居ビルではない。

Hayek 3(左  / フリードリッヒ・ハイエク )
  日本人はホッブスが想像したような「孤立した野蛮人」じゃなく、遙か昔から「みんなで暮らすことがいい」と分かっていた民族である。だいたい、生まれた時からバラバラの個人で、暴力と生存闘争に明け暮れる原始人が、どうして契約を結んで社会を構築したら幸せになれると予想し、かつ理解できたのか? いくら未開人でも、集団で暮らす安心感と共同体の温かさを知っていたから、「契約」なるものを結ぼうと思ったんじゃないか。政治哲学の巨星フリードリッヒ・フォン・ハイエク博士も言っていたけど、トマス・ホッブスが描く原始的個人主義は神話であるという。だから「万人の万人に対する戦争」なんて最初から無かった。( Friedrich A. von Hayek, The Fatal Conceit : The Errors of Socialism, The Collected Works Volume 1, ed. by W. W. Bartley III, The University of Chicago Press, Chicago, p.12)

  筆者は有名大学の法学部で何が語られているのか直接知らないけど、日本人の常識くらいは持っていたので、大学教師の話は最初から「怪しい」と思っていた。ホッブスやルソーといった思想家の言説を語るなら、まず彼らの素生とか私生活を紹介すべきだ。教壇に立って偉そうな講釈を垂れる学者だって、幼馴染みを前にしたら普段と違った態度になるだろう。なぜなら、中学や高校のクラスメイトは、自分の恥ずかしい失敗や公表したくない過去を知っているからだ。政治哲学における「自由」とか「正義」を述べている教授でも、若い時には美人だけを特別扱いにするスケベだったり、友達にお金を借りても返さないとか、先輩には媚びるけど、後輩に対しては横柄だったりする。また、独裁政治を批判し「平等主義」を称讃する長老教授でも、教授会では「権威」をちらつかせて有能な若手を威圧したり、自分の著作を批判する同僚や駆け出しの助教授に制裁を加えたりするものだ。「清廉」が“売り”の共産党も同じで、無産労働者を支援するはずの政党が、ピンハネで末端の党員を搾取していたし、不破哲三は豪華な別荘で余生を過ごしていた。第一、私有財産に固執する共産主義者なんて滑稽だ。そもそも、共産党幹部が口にする「民主主義」とは、「民衆の主人になって支配する」という意味で、「民衆が主体の政治体制」ではない。「馬鹿は騙して利用せよ」が共産主義者と左翼学者のモットーだ。

  日本は高学歴社会だけど、高度な判断力を有する国民が増えた訳じゃない。なぜかと言えば、悠久の歴史を通して出来上がった庶民の常識を大学で消されているからだ。確かに、教科書や参考書に載っている知識を暗記した人は多いが、それらを用いて的確に物事を判断できるかどうかは疑わしい。また、教科書の記述が本当に正しいのかどうかを確かめる人は滅多にいないだろう。そもそも、教科書を執筆した学者は、一体どんな人物なのか? こんな重要な事を誰も気にしないなんておかしい。犯罪者には愚劣で暴力的な奴がいるけど、中には紳士を装った詐欺師や高度な知識を有する金庫破り、完全犯罪を目論む殺人鬼もいる。一般人は信じないけど、大学教授も同じで、植民地大学に就職した元活動家とか、皇室を心から憎む反日分子、我が国を根底から改造しようと謀るサイコパス、国境を破壊したい根無し草など、恐ろしい人物が異常に多い。一般国民は学校を卒業しても、引き続きテレビで洗脳を受けているから、本当に悲惨だ。世間のオっちゃんやオバはんは、赤ワインとか栄養ドリンクを飲んで肉体面での健康を気にするけど、若いときに赤く染まった脳味噌を治療しようとは思わない。一流大学を出た「元お嬢様」はもっと深刻で、二段腹の中年になっても、ピンク系リベラリズムで物事を考えてしまうのだ。たぶん、昔染まった「アカ(赤 / 垢?)」の除染が済んでいないからだろう。

  進歩的知識人は馬鹿にするけど、休日に明治座の芝居を見物したり、浅草で芋羊羹を食べているオバちゃんは、ヨーロッパの左翼みたいな「理性だけの狂人」にはならない。世間の厳しさを知る庶民は、頭でっかちのインテリとは違い、人間社会の不条理を弁えている。日本の庶民はフランスの左翼インテリとは異なり、古今亭志ん朝の落語などを聞いて、世の中の「道理」に通じているから、机上の設計図だけで社会が動かないことくらい解っているのだ。お天道様が輝く日本だと、いくら一流大学出のエリート官僚だって、冷酷な奴は周囲から見放されるし、本人も義理と人情を欠く政治家には従わない。また、狡猾なだけの政治家は人情味のある政治家に勝てないし、派閥の人数を増やしたければ「人望」を身につけないといけないから大変だ。ゲバ棒を振り回して粋がっていた教授なんか、口先だけの輩(やから)で何を言おうが信用できない。それよりも、子供と亭主の面倒を見て、孫に囲まれるオバタリアンの方が、遙かに気の利いた言葉を吐くかも知れないぞ。ある街頭インタビューはとても面白かった。番組のレポーターが通行人の中年女性と話をして家族の話題になったとき、「退職して家でゴロゴロする旦那さんに嫌気が差しているそうですが、どうして別れないですか?」と質問した。すると、このオバゃんは笑顔で「人類愛かしら?」と答えていたのだ。さすが日本のオバちゃんは凄い。歐米のインテリ女性だと真面目に「夫婦愛」と述べるが、日本のオバちゃんはひと味違うウィットに富んでいた。



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