無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

支那人

ロックフェラーの親切心には裏があった

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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支那は巨大なマーケット

  支那との対決を露わにしたトランプ大統領は、経済的制裁を以て習近平政権を倒そうとしているのかも知れない。日本の支那専門家は“したり顔”で習近平の凋落を云々しているが、米国はポスト習近平の支那を如何するつもりなのか? なるほど、米国の包囲網で支那は窮地に立たされるが、トランプは次期国家主席と如何なる取引をしたがっているか、諜報組織を持たない我々には判らない。だが、いかにトランプの思惑が成功しても、支那大陸が消滅する訳じゃないし、歐米諸国に永住する支那人も居残るはずだから、支那問題が解決したとは言えないだろう。どんな天変地異が起ころうとも、支那人の銭儲けは健在だし、不穏な空気が大陸に漂えば、小銭を貯め込んだ支那人は、我先にと海外へどんどん逃げて行くだろう。そして、「こうした経済難民が向かう行き先は?」と問えば、まず米国、次にカナダ、オーストラリア、と続いて暢気な日本へとやって来るから大変だ。移民を歓迎する安倍政権を目にすれば、小賢しい支那人は“ここぞ”とばかりに、「ワタシ日本大好きねぇ~」と微笑みながら帰化を申請してくる。

Trump & Xichinese workers 2







(左: ドナルド・トランプと習近平 /  右: 支那人の工場労働者)

  日本のビジネスマンも似たようなものだが、アメリカの企業家や投資家は、昔から支那に興味があった。アジア大陸に位置する支那は、アフリカと同じく宏大で資源に恵まれているが、支那人は黒人と違って高度な文明を有し、イナゴの群れを想像してしまうほど人口が多いから、西歐人にとっては、とても魅力がある。とにかく、支那人ときたら、普段はボケーと煙草を吹かしているのに、ゼニ儲けとなれば蟻よりも勤勉に、蜂よりも俊敏で、蛇よりも執念深い。独創的な商品は開発できないが、その代わりに模造品の制作は天下一。アッセンブリー工場でラジオの作り方を教えれば直ぐに覚えるし、面倒な海老の殻剝き作業でも、出来高の賃金制となれば飽きずに何時間でも働く。もっと凄いのは、手っ取り早いゼニを摑める犯罪だ。ピッキングの達人ともなれば、トヨタのレクサスやBMWの高級車でも数秒で盗んでくる。理系の支那人なら、クレジットカードやパスポートの偽造など朝飯前。中には偽造書類をセット割引にして、顧客を増やそうとするんだから商売熱心だ。一般の日本人だと、せっかく大学で勉強したんなら、カタギの職業に就けばいいのに、とつい思ってしまう。

  話を戻す。支那への興味を抱いていたアメリカ人と言えば、大富豪のジョン・D・ロックフェラーが有名だ。支那を有望な市場と見なしたスタンダード・オイル社は、石油商人のウィリアム・ハーバート・リビー(William Herbert Libby)を極東アジアに派遣して、1882年から二年間、市場調査をさせたという。リビーは文明国・非文明国を問わず、一社の石油製品が隅々にまで浸透しているのはビジネス史上類を見ないと述べ、日本や支那、インドでの灯油販売に努めたそうだ。彼は灯油ランプの安全性を宣伝するパンフレットを支那語に翻訳し、スタンダード社の石油製品がサンパン船に積まれて、支那の奥地まで運ばれる光景を目にしたという。

  スタンダード・オイル社は需要拡大を目指して、廉価なランプと灯心を販売し、初めて灯油を購入するお客にはこれを「おまけ」につけたそうである。(ロン・チャーナウ 『タイタン / ロックフェラー帝国を創った男』 井上廣美訳、日経PB社、2000年、 p.434) ロックフェラー家の発想は斬新で、灯油を買いたくなるよう、前もってそれを消費するための製品を将来の客に渡していたのだ。ロックフェラーは「美孚(メイ・フー)燈」というブランド名の灯油ランプを800万個も贈呈し、自社の灯油を支那人に売りつけようと図っていた。また、歴史家のアーネスト・メイ(Ernest May)によれば、スタンダード・オイル社は、赤字覚悟で安い灯油を支那で販売し、市場開拓に励んだという。もちろん、本社の利益でその穴(損失)を埋めたそうだ。(Ernest May and John King Faiebank eds., America's China Trade in Historical Perspective  : The China and AMerican Performance, Harvard University Asia Center, 1986, p. 213)

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(左: ジョン・D・ロックフェラー  / 中央: 灯油ランプ  /  右: フレデリック・ゲイツ)

  何とかして支那を自分の縄張りにしたいと望んだジョン・D・ロックフェラーは、教育を通して支那人を手懐けようと考えた。彼が定期的にバプティスト教会に献金していたのはよく知られているが、ロックフェラーは宣教師を利用して市場獲得を狙ったみたいだ。彼の親しい相談相手だったフレデリック・T・ゲイツ(FRederick T. Gates)牧師は、気前の良い友人の為に一肌脱ごうと思っていた。彼はジョンにシカゴ大学を創設するよう囁いた人物で、全世界にキリスト教倫理とキリスト教文明を広げるための財団を提案していたそうだ。その結果、ロックフェラー家が資金を提供して「オリエンタル教育委員会(Oriental Education Commission)」が設立され、シカゴ大学のアーネスト・デウィット・バートン(Ernest DeWitt Burton)が率いることになった。(Frank Ninkovich, 'The Rockefeller Foundation, China, and Cultural Change', The Journal of American History,  Vol. 70, March 1984, p. 800)バートンも支那の近代化を手伝おうと考えていた。シカゴ大学のヘンリー・プラット・ジャドソン(Henry Pratt Judson)学長は、支那で大学を設置することを社会革命と見なし、そうすることで支那人の間に、科学的精神や高度な倫理観、強靱な人格が生まれるだろうと思っていた。(これは、米国にも勝手な妄想を抱いて悦に耽る高学歴バカがいる、という証拠である。)

Ernest DeWitt Burton 1Henry Pratt Judson 1Chinese 19 Cen








(左: アーネスト・デウィット・バートン  / 中央: ヘンリー・プラット・ジャドソン  /  右: 昔の一般的支那人 )

  ところが、現実の支那は堅い岩盤だった。支那人は甘っちょろい日本人とは違うのだ。支那人の中華思想を前にしたら、アメリカ人の高尚な理想なんて蟷螂(とうろう)の斧どころか、ネズミの髭より脆かった。支那人は福音を伝える宣教師なんかに従わず、それどころか反撥を覚えて危害を加える態度に出たのだ。だいたい、極悪非道が日常の支那人に対し、西歐人が倫理や道徳を説くなんて愚の骨頂である。アメリカ人の宣教師がいくら隣人愛を説いたところで、「血族以外は赤の他人」と見なす支那人の鉄則は変わらず、それどころか、彼らはアホなアメリカ人から、どれくらいお金を巻き上げようかと考える。第一、キリスト教徒になる支那人なんて信じられない。洗礼を受ける支那人には別の魂胆があるはずだ。神様でさえ騙そうとするのが支那人である。聖書には、皇帝(カエサル)の顔が刻印された硬貨を皇帝に返せ、というキリストの言葉があるけど、この教えに従う支那人って居るのか? 「天に宝を」といくら牧師が叫んでも、支那人はスイスの秘密口座にお金を貯める方を選ぶ。毎週教会に通う敬虔な支那人でも、尊敬するのは貧乏大工のイエズス・キリストではなく、巨万の富を築いたビル・ゲイツやウォーレン・バフェットの方である。

  ロックフェラー家から派遣された教育者たちは、やっと現実が解ったようで、支那人に人文学を教える事を諦めたそうである。その代わり、ロックフェラーは支那人に医学を教えようと考えた。新しくロックフェラー財団の秘書になったジェローム・グリーン(Jerome D. Greene)は、「医学への投資は数世紀も燃え続けるランプに明かりを点すようなものである」と述べていた。(上記論文 p. 801) 確かに、医学なら倫理学と違って文化摩擦が少ない。道徳的説教には見向きもしない支那人でさえ、病気や怪我になれば最先端の西洋医学に頼るし、その恩恵を身に沁みて分かるから、積極的に学ぼうと励む。ジョン・D・ロックフェラーも、医学は非党派的で、政権交代に関係無く総ての人々に利益をもたらす、と述べていた。(上記論文 p.802) 財団は「支那医療評議会(China Medical Board)」を設立すると、医学生を養成すべく、1921年、「北京統合医学大学」を建設した。しかし、戦争の嵐でロックフェラー家の野望は一時中断となる。熱心に教育プログラムを推進したものの、支那事変や第二次世界大戦で、過去の努力が水の泡になってしまった。これが再開されるには、ロックフェラー家の飼い犬ヘンリー・キッシンジャーの登場を待たねばならなかった。あのニクソン大統領が日頃「ユダヤ小僧(Jew Boy)」と呼んでいた政治学者が毛沢東と交渉し、堅く閉ざされていた門を開いたのである。

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(左: ニクソン大統領とヘンリー・キッシンジャー国務長官  /  右: 周恩来とキッシンジャー)

  アメリカ人には矢鱈と支那を有望な投資先と見なすビジネスマンが多い。一般的にアメリカ人は歴史を学ばないから、世界中でアメリカ式のやり方が通用すると思っている。しかし、暗黒大陸に住む支那人は、大半が海千山千の匪賊か詐欺師なので、無知蒙昧なアメリカ人は痛い目に遭う。だいたい、地図を見てインドやベトナムがどこにあるのかさえ知らないのが普通のアメリカ人である。度々国際ニュースで取り上げられるイランやアフガニスタンだって、どこにあるのか判らない。「アメリカン・アイドル」(人気テレビ番組)くらいしか興味の無いアメリカ人だと、アゼルバイジャンかロシアを指さして、「このへんに北朝鮮がある」と言ってしまうんだから唖然とする。まぁ、南米に北朝鮮を探そうとする人が居るんだから、ユーラシア大陸を指す人がマシに見えてくる。

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(左: 江沢民とデイヴッド・メロックフェラーとキッシンジャー  /  右: 毛沢東とキッシンジャー)

  アメリカ人にとって漢字は暗号と同じで、支那人の行動様式を記した歴史書なんてチンプンカンプンだ。大卒者だって支那の歴史を勉強しないし、知っているのは萬里の長城くらい。鄧小平の名前を知ってれば立派な教養人である。こんなアメリカ人だから、支那人に対して途方もない幻想を抱くのも無理はない。日本人だって支那人には戦前から騙され続け、戦後になっても再び騙されていた。松下幸之助やヤオハンの和田社長のみならず、経団連のお偉方や財務省の高官、チャイナ・スクールの外交官など、大勢の日本人が虚構の「良き支那人」を信じていたのだ。「バカ」と呼べばそれまでだが、彼らは書物の中に描かれる支那人を「実際の支那人」と思っている。アメリカ人も様々な歴史的建造物を目にして、支那人を偉大な文明人と錯覚しているから始末に悪い。「支那人とは人間の根幹部分が“どうしようもなく”ねじ曲がった最低民族」という認識が無いから、日本人やアメリカ人は同じ過ちを繰り返してしまうのである。トランプが仕掛ける経済戦争で支那は弱体化するだろうが、それでも復活するのが支那である。支那の歴史を思い出せば、繁栄と没落のサイクルが始まった、と判るはずだ。支那の衰退は日本にとっても危険である。我々は混乱の大陸から逃れてくる支那人を受け容れず、断固として跳ね返すことを決めた方がいい。



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支那人は封じ込めるしかない

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要らなくなった支那人が日本にやって来る

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  このところ、ドナルド・トランプ大統領を敵に回した習近平の権威が怪しくなってきた。ロシアのプーチン大統領が主宰した「東方経済フォーラム」に安倍総理が出席したのは日本でも報道されたが、そこに習近平までもが現れてきたから、ちょっと意外である。米国の経済的攻撃に苦しんでいるのか、ロシアに擦り寄って、一緒に日本を搾取しようと考えているのかも知れない。少し前までは、絶大な権力を求めようと、この国家主席は第二の毛沢東を目指したが、今ではその野望さえ危うくなった。

  日本の保守派知識人には、昔から「支那共産党はもうすぐ崩壊する」とか、「支那経済はやがて破綻する」と述べて、人気を得ようとしている論客がいる。経済評論家の宮崎正弘などは、以前から事ある毎に悲観論を披露し、北京五輪のあと、上海万博が終われば支那は経済的に行き詰まる、と庶民を糠(ぬか)喜びさせていた。しかし、断片的に失敗を繰り返しても北京政府は消滅しなかったし、共産党支配も崩壊する事はなく、今でも続いている。毎度毎度、日本国民は専門家の話を聞いて、北京の要人がどうしたとか、共産党内部の権力闘争の話題に一喜一憂しているが、支那が経済的な不況、あるいは政治的混乱に陥ると日本にとって得になるのか? たとえ、民衆の暴動なり反政府勢力の蜂起によって北京政府が潰れたって、次に樹立される政府も支那人による統治機構なんだから、千年前、二千年前と同じ事の繰り返しになるだろう。つまり、誰が支配者になっても支那人は支那人のままで、支那が文明国になることはない。この暗黒大陸では何もかもがヘドロのように汚れている。空気は煤煙と有害物質で、土壌と地下水は重金属で、人心も物欲とエゴで汚染まみれ。とりわけ、人間の汚れは酷く、P&Gの「アリエール」でも落ちないし、漂白剤でも白くならない。だいたい、薄汚れた空に昇る太陽だって真っ黒なんだから。皮肉なことに、夜の暗黒街だけがネオンで明るいときている。

  一部の日本人は支那の惨状を目にして喜んでいるけど、騒乱状態の国から移民や難民が来たらどうするのか? 支那人には愛国心など一滴も無い。生活に困れば躊躇なくオーストラリアやカナダ、そして無防備な日本へと向かってくるのだ。不況に喘ぐ南鮮人も祖国に見切りをつけ、多くの若者が続々と日本で就職活動を展開している。南鮮人というのは矛盾の塊で、韓国にいれば誰よりも激しく愛国心を叫ぶが、その故郷を良くしようとは思わない。沈み行く船と心中するのは「アホ」だけ。それよりも、憎いけど希望が見える日本に移住し、半島では味わえない快適な生活を得ようと努力する。それにしても、“優しい”同胞を見棄てて、差別的な日本人と一緒に暮らそうと考えるんだから、朝鮮人の思考回路は謎である。でも、これは健全な精神を持つ日本人の考え方で、悲惨な過去しか無い賤民には当て嵌まらない。彼らは連戦連敗の歴史があれば、「100戦連勝」と改竄すればいいと思っているし、親から貰った顔面が醜ければ、近代医学を使って理想に変えてしまうのだ。こんな連中だから、「得」と判れば「日本人」に成りすましてアイデンティティーを変えるなんて朝飯前。

  アジアの最低民族たる支那人も同じで、「東の僻地」に楽園があると判れば殺到する。たとえ、日本政府が入国を制限しても、どこかに穴を見つけるか、無いはずの穴を作って、潜り込もうと考える。支那人の辞書に「不可能」という文字は無い。如何なる人間にも必ず「弱点」があると解っているから、支那人はそこを確実に突いてくる。「人権」という呪文に弱い日本人は、押し寄せてくる支那人の群れを撥ね付けることはできないから、支那人が続々とやって来るに違いない。日本に入るためなら賄賂は当り前だし、闇の仲介業者もゴマンといるから、あらゆる手段で潜り込もうとする。スケベな日本人を利用して国籍を取得する支那人は普通だし、結婚できなくても妊娠すれば、生まれてくる日本人になるから、不法滞在者の母親でも合法的に永住できるのだ。普通の日本人女性は国籍取得のために赤ん坊を産もうとは考えないが、支那人の女狐は「利益」と思えば何でもするし、別人の精子で生まれた子供でも、「日本人の子だよ!」と言い張るから図太い。でも、「そんな風にして生まれてきた子供は、大人になったらどう思うのかなぁ?」と心配するのは日本人の甘いところ。支那人に国家意識は無いから心配ご無用。蛇と支那人に国境なんて関係無い。銭があれば幸せなんだから。

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(左: 米国への出産ツアーに出掛けた支那人妊婦  /  右: 支那人の労働者)

  日本では国民が大切にされるのが「当然」となっている。しかし、世界中でこんな国はごくわずか。民衆は税だけ絞って、後は放し飼い、というのがアジア・アフリカ諸国の常識だ。支那の支配者には、「困ったら棄民」という手段がある。13億ないし14億とも推測される人民を養うのが大変になれば、ベトナムやタイ、シンガポールに移住させればいいし、厄介者や貧乏人、犯罪者なら、日本に送ってしまえばいい。日本が少子化で悩んでいるんなら、「人民を1億人プレゼント」すればODAのお礼になると考えるのが北京政府だ。でも、お中元とお歳暮で2億人となったら、日本全国で一大パニックとなるだろう。支那人の大群とくらべたら、台風と竜巻の方がまだマシだ。突風の被害は一時的なものだが、支那人による災禍は何百年と続くし、もしかしたら、日本そのものが失われてしまう虞(おそれ)がある。そうじゃなくても、全国各地に支那人街が誕生するから、日本人はフン族に怯えたゲルマン人みたいに安全地帯の田舎へ殺到するかも知れない。支那人が移住するということは、支那大陸の悪習がそっくり日本に移植されることを意味する。我が国のマスコミは、ごく稀にいる優秀な支那移民を矢鱈と宣伝するが、取材すらできない悪徳支那人が多いことには目を閉ざす。支那人は日本に移住したからといって「伝統的な態度」を改めることはない。それよりも、支那人を真似る日本人が出現し、日本の治安は更に悪くなるだろう。

  歐米諸国を見渡せば一目瞭然だが、支那人というのは何処に行っても嫌われる民族だ。とにかく、支那人とは係わりたくない。彼らは表面上、ニコニコしながら交流を図るが、本質的に陰険で心に不気味な闇を抱えた種族である。第一、付き合っていて不愉快だ。たとえ、優秀な科学者や技術者、書道や料理の達人、大手企業の経営者であっても、どこか信用できない。貧民は論外だが、小金持ちになった支那人でも、日本人とは「人間の質」が違っているのだ。犯罪者ではなく普通の庶民なのに、唖然とする慣習を持っていたりする。例えば、公共道徳の欠如がそうだ。1980年代に支那に留学した西野広祥教授の滞在記が、支那人の特徴を示していたので面白かった。日本人旅行者でも気付くと思うが、支那人はお金を投げてよこす。ある日、西野氏が駅の切符売り場で行き先と枚数を告げて料金を払うと、駅員が釣り銭をポーンと投げてよこしたそうだ。しかも、クシャクシャにした札を無造作に投げてきたので、思わずギョッとし、むかついたという。(西野広祥 『中国 見たもの聞いたこと』新潮社、1990年、 p.17) 支那人は銀行でもお金を投げるし、お店で買った商品すら投げるくらいだから、紙に包んでくれるなんて芸当は期待できない。

  日本人は「気配り」とか「心遣い」「思いやり」など、支那人には想像もできない行動様式が当り前となっており、それが日常生活の隅々にまで浸透しているから凄い。「その場の空気を察する」なんて超能力者にしか出来ないのに、日本人は小学生でも体得しているんだから驚きだ。ぶっきらぼうな支那人では絶対に無理。「デリカシー」なんて支那人には理解できないし、「何だそれ? 日本製のソースか?」と訊いてくる。たぶん「デリシャス・ソース」の模造品と思っているんだろう。支那人の思考形態は、西野教授の体験記によく現れていた。彼が道を歩いていた時のことだ。彼が進む1m前に飲料のビンが落ちてきて砕け散ったそうだ。西野氏は「いったい、誰が投げたんだ?」と怪訝に思い、あたりのビルを見渡すが、どこの窓にもそれらしき人物の影が見えない。まさか、恨みとは考えられなかったから、「誰かのいたずらだろう」と思ったそうである。(上掲書 p.35)しかし、ビンが当たっていたら怪我をしたかも知れないので、支那の道路を歩くときには注意が必要だ。

  実際、支那人はよくモノを窓から投げる。タバコの吸い殻や紙屑はもちろんのこと、棒切れ、空き缶、油まみれのボロ布、その他の不要品を平気で投げていたそうだ。筆者も米国で物を捨てる支那人に遭遇したことがある。彼らにとって「ポイ捨て」は何でもなく、ごく自然なしぐさなのだ。筆者が「クレーイハウンド」というバスに乗ったときも、前に坐っていた支那人が床に痰を吐き捨てていた。この「痰吐き」が別の日の別のバスでも起こっていたから、支那人にウンザリした事を覚えている。飛行機の中でも支那人マナーが悪く、米国人のスチュワーデスに食べたゴミを渡すし、まるで女中のような扱いだった。日本の観光地でも、支那人がコンビニ弁当を食べた後、容器をポイと路上に捨てる光景などは普通だろう。横浜の支那人街では、新参者の支那人が勝手に廃棄処分の冷蔵庫とかテレビ、ソファーを捨てに来る。

  西野氏のエピソードは一昔前の話だが、その本質は今でも変わっていないだろう。あるとき、支那に長いこといる女子留学生が西野氏に向かって、「そんなの常識よ!」と言い放ったそうである。彼女は建物のそばを歩いていた時、いきなり汚い水を掛けられたことがあったという。支那では加害者より被害者の方が非難されるのだ。詐欺事件では「騙された方が間抜けなんだ」と言われるし、足を踏まれれば、「そこに足を置くから悪い」となじられる。西野氏も彼女と似たような経験があったらしい。彼は毎日、大学の運動場をジョギングしていたが、よく支那人学生が宿舎の窓から物を投げる音を聞いたそうである。そして、何が捨てられたのかを見に行ったら、夥しいコミがあったそうだ。支那人学生は一部屋に8人も住んでいたから、窓から物を捨てる方が便利と考えていた。ある時、西野氏は支那人学生にこう提案したことがあるそうだ。

  宿舎の外にゴミを捨てないで、ゴミ箱に捨てるようにしたらどうだろう。外を掃除する手間がなくなるし、だいいち窓から外を見たとき、下がいつも清潔で気持ちがいいじゃないか。

  すると、その支那人は西野氏の顔を覗き込んで不思議そうに尋ねた。

 あなたはどうしてそんなことを考えるんですか。いらないものをそのつど窓から捨てたほうが便利じゃないですか。外はときどき掃除すればいい。外を掃除する必要がなくなったら、掃除夫の仕事もなくなってしまいますよ。(上掲書 p.37)

  さぁ~すが、支那人。発想が違う。自分の部屋にゴミ箱を置くよりも、外に捨ててしまえばゴミ箱はいつも空のままだ。自分の部屋さえ綺麗なら、外部がどうなろうと知ったことではない、というのが支那人の考えなんだろう。以前、日本の集合団地に暮らす支那人の「ご近所トラブル」という記事を読んだことがある。これは日本人の住人が減って、そこに支那人が住みついたという典型的な老朽化長屋だ。そこに住む日本人の住居者と清掃人は、支那人の非常識にほとほと困っていた。ある支那人女性は階段の踊り場で排便し、その場面を管理人に咎められたそうである。注意をした日本人が「なぜ部屋のトイレを使わないのか?」と尋ねたら、「自分の便所を使うと水道代がかかるから」という回答を聞いたのでビックリり仰天。あまりにも唖然とする理由だったから、返す言葉が無い。団地の廊下や階段で排便するのは恥ずかしくないのか? いくら節約とはいえ、小便や大便を見た住人はギョッとするはずだ。

  暢気に多文化主義を教えている大学教授は、こうした「現実」を解っているのか? 東京工業大学で社会学を教えていた橋爪大三郎なんかは、日本人だけで幸せに暮らせる日本を憎み、アル・グラスビーの翻訳本を監修し、その解説文の中で「日本は一刻も早く、多文化主義に向けて舵を切るべきだ」とほざいていた。( 「解説 オーストラリアの多文化主義から何を学ぶか」、アル・グラスビー著 『寛容のレシピ』 藤森黎子訳、NTT出版、2002年、p.244) 橋爪氏は色々な民族が共存する日本を礼讃していて、妄想まがいの事を述べていた。

  その目的はなにか。門戸を世界に開き、日本を、外国人にとって魅力のある国とすることである。そして、日本社会のメンバーとして、世界各地のさまざまな人びとに集まってもらうことである。それは、そうした人びとの利益にもなるし、日本の利益にもなる。(上掲書解説 p. 241)

  オーストラリアで移民担当大臣を務めたアルバート・グラスビー(Albert J. Grassby)は、日本だと無名だが、オーストラリアでは国家破壊の極悪人として歴史に名を残している。こんな奴の書いた本を訳して学生に勧めているんだから、日本の大学教授がいかに有害か解るだろう。日本の大学は「常識」を教えない点に特徴がある。まず、教員が深紅やピンクの左巻きで、国柄の破壊を目標にしているから、非常識が「理想」になっている。そして、現実社会に適合しない者が教授となり、残り滓の大学院生を弟子にしているから、左翼の牙城が何時まで経っても崩れない。しかも、競争無しの終身雇用。ラーメン屋は不味い料理を出せば廃業となるが、大学教授は下らない論文を書いても失業しないし、業績と関係無く恩給もたっぷり。これなら、橋爪氏が妄想を述べても不思議ではない。ちなみに、彼は小室直樹先生のゼミに参加していた弟子である。師匠が立派でも、有名になった弟子が宮台真司とか副島隆彦じゃ、あの世で眠る小室先生もガッカリするだろう。左翼学者と違って、保守派の学者は一代限りらしい。

  話を戻す。日本が魅力的な国であることは確かだ。しかし、我が国にやって来る外人は選ばなければならない。「誰でも歓迎」なんて馬鹿げている。じゃあ、養子を迎えようとする日本人がいたとして、「どんな子供でもOK」というのが普通なのか? 岸信介総理の実家は、安倍総理の弟(岸信夫議員)を養子にもらったけど、それは御母堂の洋子さんが岸総理の娘だからで、全くの他人ではない。誰でも良ければ、「長州の恥さらし」と評される菅直人でもいいはずだ。でも、菅直人を迎えるくらいなら、普通の日本人は「お家断絶」の方を選ぶ。たとえ赤ん坊でも、支那人や朝鮮人なら嫌だろう。それなら、マンチカンとかスコテッシュフォールドの猫を相続人にした方がよっぽどマシだ。

  日本人はアジア人と一緒になれば不幸になる。日本人はアジア人ではないし、アジア圏にも属していないのだ。かつて「内鮮一体」と称して朝鮮人を「日本国民」にしたが、その結果がどんなものになったのか今の日本人は忘れているのだろう。滑稽に思えるけど、支那人の難民や移民はICBMより恐ろしい。ミサイルといった兵器なら、幾つか対抗手段があるけれど、移民の大群に有効な武器は見つからないので、日本政府は撃退する事ができず受け容れてしまうのだ。頼りの自衛隊でもお手上げ。支那軍の駆逐艦なら攻撃できるけど、難民を満載したボロ船だと手が出せない。いくら対艦ミサイルを持っていても発射ボタンを押せないから、せいぜい難民船を護衛するくらい。しかも、支那人となれば「千客万来」と歓迎する政治家がゴロゴロいるんだから参ってしまう。

  北京政府は厄介者や不満分子を日本に送ることで、国内の問題児を少なくしようとするし、ついでに我が国への攻撃・侵掠にもなるから一石二鳥と考える。支那人を受け容れても日本の庶民にとってはメリットは無し。低賃金労働者をこき使って儲けるのは、人足屋(人材派遣会社)と製造業(3K職場)くらいで、支那人が蝟集する地域に住む日本人は大迷惑。治安や雰囲気が悪くなるので、周辺住宅地の評価が暴落するのは目に見えている。地元の子供が通う公立学校には、支那人やアジア系の子供が増えてしまうから、クラス全体の学力レベルが落ちる危険性もあるだろう。デフレで給料が減額される一方なのに、子供を私立学校に通わせるなんて無理だし、せっかくローンを組んで構えた自宅も、「売るに売れない状態」じゃ泣きたくなる。近所の公園には支那人がウジャウジャいて、以前は幼児を連れて遊ばせることができたのに、今では不愉快だから別の場所を捜さねばならない。近所の商店街には支那人が集う上海料理店とか、奇妙な干物を扱う食材店が出没し、その一角には不気味な連中がうろつく。キャバレーがあれば、酌婦の大半が支那人だ。しかも、訳の解らぬ言語で喋っているから怖い。支那人マフィアが仕切る「ぼったくりバー」だったりして。

  支那人が大量にやって来れば、日本にチャイナタウン、すなわち「支那人祖界」が誕生するので、実質的な領土侵掠となる。支那人が盤踞する区域に住もうとする日本人は居ないから、アパートや中古物件に住むのは皆支那人ということになりやすい。要するに、日本各地で埼玉県の西川口みたいな街が出来上がってしまうのだ。日本の政治評論家は、米中対立で習近平が窮地に立っている、と他人事みたいに述べているが、支那が混乱すれば、もっと多くの支那人が日本に流れ込んでくるだろう。既に北海道や沖縄には大量の支那人が住みついているし、東京や大阪といった都市部にも、不法残留の支那人が多く潜伏しているはずだ。摘発されない支那人が増えれば、彼らは遠慮なく日本に根を張るし、適当な日本人を見つけて形式的に結婚すれば、永住資格を得ることができるから万々歳。しかも、子供を次々と産めば子供手当が増えるし、様々な特典的福祉を手にできるから、支那では味わえない贅沢な暮らしが出来る。そのうえ、僅かな掛け金を払って国民健康保険に加入できるので、病気や怪我の恐怖に怯えずに済む。支那では巷に偽薬が横行し、本物と偽物の区別が付かないから不安だけど、日本なら病院は「清潔」で賄賂も必要ない。日本の病院で、医者が露骨に賄賂を要求したり、ゴミ箱や洗面所に小便をかける奴なんかいないだろう。

  日本人が国防軍を創設することは重要だが、移民や難民を撥ね付ける法整備を整えておくことも肝心だ。西歐諸国がどう言おうとも、難民条約など即刻廃棄すべきである。ドイツやイングランドなど見れば、どれほど難民が問題となっているかが解るはずだ。難民受け容れを拒否できない先進国は、どこでも苦しんでいる。望んでもいない移民や難民を受け容れ、そのしわ寄せを喰っているのは「反対」を表明できない一般国民だ。ドイツで新興政党たる「ドイツのための選択肢(AfD)」が支持を増やしているのは、心の底で異民族反対を唱える人が多いからである。支那人が日本に来れば、困るのは日本の庶民で、受け容れ制度を作った政治家ではない。

  支那には「まともな国家」という希望がない。たとえ、あの汚穢大陸に民衆政が誕生し、みんなの投票で政府が樹立されても、支那人が立派になることはないし、自助努力の国民になることもない。支那の政治家は相変わらず瀆職に精を出し、賄賂を貯め込んで絶対権力を目指す。これを目にした一般人も、政界を改革しようとは考えず、誰も彼もが「私も何とかして儲けたい」と考えるから、昔ながらの腐敗政治に逆戻り。結局、支那を捨てて日本に移り住む方が賢明だ。しかし、日本人にとったら大迷惑。何としても支那人を追い払いたい。といっても、日本人にとっての選択肢は限られている。冷戦時代に合った「封じ込め」政策みたいに、支那人の膨張を防ぐしかない。それにはまづ、「人権」という呪文を解くべきだ。支那人という災厄は絶滅できないから、支那大陸に閉じ込めるしかない。日本は水面下で歐米諸国にはたらきかけ、支那人排除の同盟を画策すべきだろう。ひょっとしたら、天使の顔をしたがる歐米人も、心の底では賛成するかも知れないぞ。



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