無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

マスコミ問題

三橋貴明のジレンマ / 弁明と復活の狭間で

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黒木 頼景
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チャンネル桜の甘い対応

  『水戸黄門』の主題歌に、「人生、楽ありゃ苦もあるさぁ~」という歌詞あったけど、人生には「上り坂」と「下り坂」に加えて「まさか(魔坂)」がある。順風満帆の出世街道でも落とし穴は附き物だ。ましてや、世間の注目を浴びる人物なら、墓穴を掘るようなことは謹まなければならない。普段は芸能記事とか三面記事に興味の無い筆者でも、三橋貴明の逮捕劇には目が止まった。偶然、ライブドア社のニュースを見たら、三橋氏の名前が載っていたので「何事か?」と思い、事件の一報を読んでみると、意外な騒動だったので驚いた次第である。最初、「10代妻への傷害容疑」との報道であったから、自宅に招いた知人の女房でも殴ったのかと思った。だって、ひと様の夫人をぶっきらぼうに「妻」と呼ぶ記者は“おかしい”だろう。記事を書く記者が「うちの妻が・・・」と言うなら分かるが、よその「奥様」を自分の嫁みたいに扱うなんて変だ。まぁ、他人の「自家用車」を「マイカー」と述べるアナウンサーとか、「長屋」を「マンション(一戸建ての豪邸)」と呼ぶ警察官がいるくらいだから仕方ないけど。

Mitsuhashi 2  本来、「傷害事件」は警察が取り扱う案件で、被害者の三橋夫人と三橋氏が解決すべき問題と言えよう。筆者のような第三者が“どうこう”言う事案じゃない。しかし、今回は「お節介」と「野次馬根性」で述べてみたくなった。というのも、三橋氏がチャンネル桜でレギュラー・キャスターを務め、同局の討論番組でも常連であり、地上波テレビとラジオ番組にも出演していたので、多少興味があるからだ。それに、今週放送された水島総社長のコメントが、いつもと違い妙に甘かったので違和感があった。三橋氏の一件が私生活でのトラブルとはいえ、彼の読者や支援者は、番組での姿と家庭での姿を重ねてしまうから、三橋氏は何らかの声明を直に発しなければならなくなるだろう。

  三橋ファンの中には、彼の夫人が10代であったことに驚いた者もいたようだが、男女の関係は十人十色で、“意外な組み合わせ”も多いから、三橋氏の夫婦関係もおかしくはない。だって、世間には元の教え子と結婚する教師がいるし、80歳の老婆と結婚する20歳の青年もいるんだから。例えば、40歳代の高校教師が自分のクラスにいる女子校生徒と恋仲となり、卒業後すぐ結婚しちゃう場合もある。また、資産家のオバはんと結婚する財産目当ての若者もいて、「夜の営み」を想像すると震えが来るが、コレばかりはしょうがない。米国ではヨボヨボの石油王と結婚した美女もいるんだからさ。ちなみに、尾崎秀実と一緒に捕まったソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)は、恩師の元女房と結婚していたのだ。ゾルゲがアーヘンで博士課程にあった時、彼の指導教授がカート・アルベルト・ゲルラッハ(Kurt Albert Gerlach)博士で、この赤い学者はクリスチアーネ(Christiane Gerlach)夫人と別れてしまった。その後、教え子のゾルケは「先生の別れた女房」と結婚する。しかも、驚くべき事に、弟子と師匠との友情は失われなかった、というから共産主義者の頭は我々の常識を越えている。(マーティン・ジェイ 『弁証法的想像力』 荒川幾男 訳、みすず書房、1975年、 p.13) 恩師と離婚した女性を娶るなんて筆者にはとてもできないし、両親や友人だって「それは・・・、ちょっと・・・、何だかなぁ」と困惑するはずだ。でも、自分の同級生が母親の再婚相手になった場合を想像すれば、そっちの方が「まだ“マシ”かなぁ」と思ってしまう。

暴行の常習者なのか?

Mitsuhashi 1(写真  /  選挙でコスプレ姿になった三橋氏とさかき漣さん)
  ともかく、三橋氏の現夫人が何歳であれ、それはとやかく言うものではない。一番の問題は、三橋氏に“常習的な”DV(家庭内暴力)の傾向があると噂された事だ。三橋氏自身、ブログで平手打ちの事実を認め謝罪しているから、感情的に夫人を殴ってしまったのだろう。多少の夫婦喧嘩はどこの家庭にもよくあることだから一々咎めないが、警察沙汰になるというのは尋常ではない。報道によれば、三橋夫人は2017年の9月と11月にも暴力を受けていたというので、今回で3回目の災難となる。しかし通常、夫婦の口論くらいでは逮捕されないだろう。普通なら「とりあえず、喧嘩はやめなさい!」で済むんじゃないか。警察が度重なる通報を受け、連行・逮捕したとすれば、警察官が「またやったのか!」とか「悪質だ!」と考えたのかも知れないし、また、裁判所がなぜそう判断したのかの理由も知りたい。三橋氏のブログによれば、口論が起こったのは1月5日の夜だったそうで、警察に連行されたのが6日の早朝ということだから、随分と長く喧嘩をしていたことになる。三橋夫人が長時間の苦痛に堪えられなくなって110番したとも考えられるので、事の真相は夫人と警察にしか分からない。

  今回の事件で厄介なのは、三橋氏がブログで簡単な「お詫び文」を掲載しただけで、具体的な経緯を述べず、一般人の勝手な推測が飛び交ってしまった事だ。曖昧なインターネット情報によれば、作家のさかき漣さんが三橋氏の二番目の夫人で、離婚していたという話もある。漣さんのお姿は筆者もチャンネル桜で拝見したことがあるので、彼女が三橋氏の事務所に勤務し、彼と共著で本を出版していたことも知っていたが、夫婦関係にあることは知らなかった。どんな理由で離婚に至ったのかは不明だが、彼女が書いた過去のブログが再浮上して三橋氏の疑惑が更に深まっている。2015年6月28日附のブログで、彼女は「なぜ被害者は加害者から逃げ出せないのか」という文章を書いていた。その中で、DV被害者の状況について述べている。


  ・・・加害者から長年にわたり身体的虐待と共に「役立たず」「バカ」「きちがい」「俺以外には誰もお前に優しくする人間はいない」「他人は絶対にお前を助けない」「俺だけがお前を理解している」などの罵倒や甘言を交互に受けてきた経験から、被害者は、自分の思考を加害者からコントロールされているに近い状態にあり、加害者以外の他人の言葉を素直に受け止めることも困難となっている。

  さかき漣さんの表現によると、被害者は「カルトの洗脳が完了した」状態に近いようだ。だから、DVを受けた妻が、虐待を世間に訴えかけようとしても、夫にバレたら叱られる、と怯えてしまい、病院で怪我の治療だけ済ませ、そのまま帰宅してしまうケースもあるそうだ。たとえ、警察から何度も「被害届を出しなさい」、「シェルターに逃げるという方法もある」と説得を受けても、「ここで私が我慢すれば、“何もなかった”ことになるのだ」と思い込み、やはり帰宅してしまうらしい。そこで、漣さんは、次のように勧告する。

  もしも暴君のコントロール下から抜け出したいのなら、被害者には、「もしや自分は加害者から利用されていたのではないのか」との疑念を持ち始めることが肝要だ。

  こんなブログを一般人が読めば、「もしかしたら、さかき漣さん自身の体験を基にした分析なのか?」と疑ってしまうだろう。事実、漣さんは家庭内暴力に関心があるようなので、彼女の主張と見解には何となくある種の重みがある。チャンネル桜の水島社長は、番組内で「いずれDVについても討論してみたい」との旨を語っていたので、さかき漣さんをゲストに迎えてみたらいいんじゃないか。彼女は「夜桜亭」とか「討論! 討論! 討論!」にも出演したことがあるので、水島社長とも面識があるはずだ。だだし、「漣さん、ご自身がDVを受けた経験がありますか?」との質問には答えないだろうから、その時に彼女が見せる表情で判断するしかない。

  今回の逮捕劇で三橋氏のイメージが損なわれたのは確実だ。保釈後、三橋氏はブログを更新し、その中で、マスコミが大々的に報道する程の事件か、と呆れていたが、ベストセラーを世に送り、テレ朝の『TVタックル』を始めとする討論番組に出演する売れっ子評論家ともなれば、マスコミが放って置く訳がないだろう。藝人のつまらない色恋沙汰でさえ何日も垂れ流すマスコミだ。そこに、普段からマスコミ批判を繰り返す三橋氏が「傷害事件を起こしたぞ !」とくれば、血に飢えたサメのように群がり、容赦無く噛みつくのは当然だろう。しかも、三橋氏は初犯でなく、2015年(平成27年)9月にも、神奈川県の小田原署に逮捕された「再犯」である。三橋氏はこの事件をどう説明するつもりなのか? 2015年というと、二番目の夫人である「さかき漣」さんへの暴力かも、と推測できる。この件に関しては三橋氏に訊くしかない。水島社長はこの「逮捕」について、三橋氏に問い質したのだろうか。原因や内容を聞き出せなくても、事件の確認くらい電話で訊けるだろう。

疑惑を晴らす手段

  今回の事件を三橋氏がどうするのか、無関係な筆者には全く分からない。彼はレギュラー・キャスターを務めるチャンネル桜に今後出演するのか。もし、三橋氏が今回の騒動を「単なる夫婦喧嘩」と判断するのであれば、彼は来週にも再登板すべきだ。なぜなら、自分にDVの性癖が無く、夫人との和解ができていると言うなら、視聴者の前に出て堂々と話すべきだし、皆が持っている疑念を払拭すべきである。このままチャンネル桜から消え去り、講演巡業や著述活動に専念するなら、視聴者の多くが「やっぱりねぇ~」と彼のDV疑惑を認めてしまうだろう。私生活での醜態をインターネット・テレビで語るのは恥ずかしいだろうが、家庭内暴力に関する猜疑心はいつまでも人々の記憶に残るから、三橋氏の将来にとって大きなマイナス要因となることは確実だ。したがって、「当分のあいだ謹慎する」と言って雲隠れすれば、彼の立場はますます不利になるだろう。伊藤詩織に対する「強姦疑惑」を持たれた山口敬之さんも、月刊『Hanada』で反論文を投稿し、花田氏のインターネット動画にも出演したから、自身の疑惑を晴らすことができたのだ。あのまま沈黙を守っていたら、現在のようには活動できない。警察沙汰が一件落着しても、世間の不信感は解決できないのだ。

  もし、三橋氏が疑惑を晴らしたければ、被害者の三橋夫人が何らかの声明をネットで発表するか、声だけでもいいからチャンネル桜で流してもらうべきだ。警察への被害届を取り下げたといっても、世間はそれを「恐怖による撤回」としか考えない。本当に三橋氏が謝罪し、夫人からの赦しを受けたのなら、三橋夫人としても旦那のために一肌脱ぐべきじゃないのか。夫の仕事に影響が出てしまい、ファンの数も何名かは減ってしまうのだから、窮地に立った夫を助けるのも妻の役目だろう。愛人騒動で騒がれた山崎拓は、勇気ある夫人に助けられたし、浮気を繰り返すビル・クリントン元大統領もヒラリー夫人に掩護されたじゃないか。ただ、三橋夫人が「そんなの絶対にイヤ」と突っぱねる場合も想定できるので、こうした提案は非現実的かも知れない。それに、まだ彼女が恨みを抱いている場合、夫への復讐心が消えていないので、三橋氏の窮状を見て「ざまあみろ!」と思っている可能性もある。

  この事件を当ブログで論じることには、少なからぬ抵抗感があった。まるで藝能週刊誌が得意とする中傷記事になってしまいそうで気分が重くなったからだ。元々、筆者は三橋氏に対して悪意は無い。私的な事だけど、彼が2010年に参議院選挙へ出馬した時、彼に献金をしたことがある。筆者は最初から、「まだ政界進出には早い。しかも、知名度や組織票が無いから駄目だなぁ」と思ったけど、藝人議員よりは“まし”だろうと考え、三橋氏を支持することにした。だって、元柔道家の田村亮子やプロレスラーの馳浩などと比べれば、三橋氏の方が「まとも」に思えるじゃないか。しかし、三橋氏の選挙参謀になった宇田川敬介との「いざこざ」や、三橋氏の未熟さを耳にして嫌気が差したのも事実だ。宇田川氏から「女と選挙戦、どっちを取るんだ?」と迫られた三橋氏は、「女」と答えたそうだから実に情けない。ある会話で三橋氏は選挙のために1500万円も巻き上げられ愚痴をこぼしていたけど、権力を目指す者には色々な人間が群がってくるのを分かっていなかったのか。宇田川氏から選挙の挨拶回りが出来ていない、と叱責されてふて腐れていたが、政治家になる場合には、不愉快な人物に対しても愛想を振りまき、何度も頭を下げねばならないものだ。それがイヤなら最初から出馬しない方がいい。個人の人気だけで当選できる候補者は限られている。

  今回のブログは曖昧模糊となってしまったが、「三橋氏には頑張ってもらいたい」というのが筆者の願いである。ただし、読者から「能力があれば、そして良い意見を主張するなら、DV癖を寛恕できるのか !」と詰問されれば、答えに窮するから筆者も反論するのが辛くなる。それゆえ、三橋氏にはカメラの前で堂々と説明してもらいたい。世間は彼の態度や表情で判断するだろう。でも、傷つきやすい三橋氏のことだから、「ギャアギャア言う連中は相手にしない ! テレビの仕事が無くても食って行けるから」と言いそうだ。目下のところ、引く手あまたの経済評論家なので、チャンネル桜や地上波での仕事を失っても、それほど痛くはないだろう。しかし、いくら人気者といっても、しょせんは三橋事務所は個人商店だ。巨額の資産を保有する大企業じゃないから、信用が失墜すれば徐々にその名声にも翳りが出てくるだろう。ダメージに対する初期対応を怠れば、必ずやそのしっぺ返しが来るぞ。被害届が取り下げられたから、今回起きた事件の解明はうやむやとなり、三橋氏へのネガティヴな印象だけが残ることになる。余計な世話だけど、三橋氏の失脚を惜しむから、筆者は敢えて意見を述べる事にした。これから世間の反応がどうなるか、ちょっと気掛かりだ。



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言葉狩りと自由の抑圧はイヤだ !

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流行語より放送禁止用語の解放を

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(左: 朝鮮人の囚人  / 右: 朝鮮の庶民 )

  毎年12月頃になると流行語大賞が発表される。今年は「忖度か」が選ばれたそうだけど、こんな大賞はおかしい。「忖度」なんて、森友・加計問題を取り上げたマスコミが騒いだだけじゃないか。もし、放火魔が一年を振り返って、「どの火事が一番すごかったかなぁ」と言えば、大抵の日本人は呆れ返るだろう。自作自演で特大見出しを選ぶのは、藝能事務所が審査員を買収して、所属歌手に「レコード大賞」とか「有線放送大賞」を贈るようなものだ。マスコミの報道を聞いている世間はシラけるというか、「あぁ、そう」としか言いようがない。

  そんな“どうでもいい”流行語大賞より、テレビ局が“密かに”決めてしまった「放送禁止用語」を取り上げ、その一つ一つ説明してもらいたいものだ。昔からある言葉なのに、テレビ局や新聞社が勝手に「不適切」と判断し、用心深く使用することを避け、まるで全局が示し合わせたかのように別の言葉に置き換えたりする。確かに、悪意や憎悪を広めようとする人がいるのなら、そのような言葉を慎むよう指導するのは解るが、単に少数の重役が自分のイデオロギーを以て禁止する事には賛成できない。悪い言葉があるからといって、それを撲滅しようとすれば、我々の文化を規制する事となり、ひいては自由な表現を抑圧し、藝術や文学を衰退させる虞(おそれ)がある。

  こうした放送禁止用語の例としては、「唖(おし)」「盲(めくら)」「聾(つんぼ)」「跛(びっこ)」といった身体障碍に関する言葉が挙げられ、「気違い」「白痴」「知恵遅れ」といった言葉も“ダメ”らしい。でも、坂口安吾の『白痴』やドストエフスキーの『白痴』という小説があるんだから一概に全面禁止とはできないだろう。それに、「盲判(めくらばん)を押す」とか「盲滅法(めくらめっぽう)に撃つ」、「聾桟敷(つんぼさじき)に置かれる」、「それでは片手落ちだ」、「入試での足切り」などの言い方もあるので、それらを総て禁止されると別の表現を探すしかない。さらに、こうした制約が拡大されると、時代劇までが成り立たなくなる。まさか、「おし」を「自由に口が利けない人」とは呼べないし、「びっこ」を「足の不自由なかた」とも言えまい。

  そもそも「自由」という単語が明治に創られた言葉だから、江戸時代の庶民が口にするはずがないだろう。脚本家がアホだと、時代劇に西洋の翻訳後を混ぜたりするから、観ている者が白けてしまう。また、時代劇だと無学な農夫や口の悪い漁夫も登場するから、上品なセリフは不自然で、荒っぽい言葉使いの方が自然になる。例えば、座頭市とすれ違った雲助(くもすけ)や三助(さんすけ)が「おい、そこのメクラ !」と叫ぶ方が普通で、「ちょっと、そこの目のご不自由なたか」と呼べば変だ。(註 / 「雲助」は籠かきなどで「三助」は銭湯で客の体を流す人。)病気に関する禁句も時と場合によって使う時もある。例えば、今では「癩病(らいびょう)」を「ハンセン氏病」と呼ぶが、昔の小説や演劇、さらには聖書でも「癩病」だ。まさか、「イエズス・キリストが奇蹟を以てハンセン氏病患者を治しました」じゃ奇妙だろう。病名というのはギリシア語とかドイツ語由来の言葉が多いから、庶民は簡単な言葉で語ったりする。例えば、アメリカ人の子供だと、「スキッツフリーニア(精神分裂症 / schizophrenia)」なる単語が難しいから、単純に「ワコ(キチガイ / wacko)」と呼んでしまうことがある。日本人はギリシア語起源の病名を漢字で表すから以外と容易に把握できるが、専門家でもないアメリカ人だと何の症状なのか理解できない。

  NHKはアニメ作品にまで検閲を加えていた。BS放送で『海のトリトン』を再放送した時、海の怪物が無口なトリトンに向かって「お前はオシか?!」と尋ねたが、NHKはその音声を消してしまい、観ている子供はトリトンの敵が何を怒っているのか解らなかった。NHKは他人が創った作品を勝手に変更する常習犯で、外国のドラマを放送する時にも“こっそり”検閲を加えてしまうのだ。例えば、NHKは1999年から2002年にかけて、『ダーマ&グレッグ(Dharma & Greg)』という米国のTVドラマを放映したことがある。このドラマはジェナー・エルフマン(Jenner Elfman)が「ダーマ」役を、トマス・ギブソン(Thomas Gibson)が「グレッグ」役をそれぞれ演じ、育ちや階級の違うカップルが滑稽な夫婦生活を送るという筋書きになっていた。妻の「ダーマ」はヒッピーの両親を持ち、伝統的価値観に囚われず、自由奔放に育った女性であるが、夫の「グレッグ」は彼女と正反対の育ちだ。彼は裕福な上層中流階級の両親を持ち、エリート教育を受けたハンサム青年である。グレッグの父親である「エドワード」役をミッチェル・ライアン(Mitchell Ryan)が演じ、母親のキャサリンをスーザン・サリヴァン(Susan Sullivan)が演じていた。

Thams Gibson 2Jenna Elfman 2Mitchell Ryan & Susan Sullivanblack baby 4








(左: トマス・ギブソン  / ジェナ・エルフマン  / ミッチェル・ライアンとスーザン・サリヴァン  /  右: 黒人の赤ん坊 )

  このドラマには、ダーマが赤ん坊を養子にするエピソードがあった。義理の父親であるエドワードは、ダーマが引き取ってきた赤ん坊を揺り籠から抱き上げたところ、その赤ん坊を見て仰天する。なぜなら、黒人の子供であったからだ。英語のセリフでは「わぁ、ブラック・ベイビーだ !」となっていたのに、日本語訳のセリフでは「こりゃ驚いた !」となっていた。筆者は録画しておいたドラマを最初、原語で視聴していたのだが、何となく興味が湧いてきたので、声優がどんな和訳を喋っていたのか、音声を日本語に切り替えてみた。画像を巻き戻して「吹き替え」の日本語訳を聴いた時、「やっぱりNHKだなぁ」と呆れたことを覚えている。エドワードが黒人の子を抱き上げて「わぁ、黒ン坊だぁ」とビックリしても不思議じゃない。コメディー番組では「ブラック・ジョーク」もあるんだから、一々「政治的正しさ」を適応したら、番組自体がつまらなくなる。まぁ、NHKは黒人に対する「忖度」を行ったのだろうが、輸入した海外ドラマなんだから、そのまま翻訳してもいいんじゃないか。黒人に対して“特別な配慮”を行っているのは、人種平等を掲げるNHKが無意識の「差別心」を持っていたからだろう。

  テレビ局が昔のドラマを再放送する時には、「不適切」なセリフを消去する場合が多い。例えば、松田優作が出演したTVドラマ『探偵物語』では、確か「トルコ嬢」とか「トルコ風呂」が禁句になっていたと思う。優作が「トルコ嬢」と口にする音声が消されてしまったのは、その言葉が放送禁止用語になっていたからだろう。制作された昭和50年代なら許されていたが、平成だとNGになってしまうのかも知れない。でも、当時は「ソープランド」じゃなくて「トルコ風呂」と呼ばれていたんだから、そのまま放送してもいいんじゃないか。テレビ局はトルコ人からの抗議を恐れているんだろうが、「当時の用語だから」と説明し、安易に屈服せず外人の因縁を撥ね付けるべきだ。だいたい、日本のマスコミはアジア人やアフリカ人に譲歩しすぎである。ところが、歐米人を相手にする場合は違ってくる。彼らは西歐白人を「対等な者」とか「高度な文明を持つ外人」と見なしているので、白人に対しては正論を吐くし妙に強気だ。西歐人の方も冷淡な場合が多い。日本人が「ダッチ・ワイフ」という言葉を発したからといって、在日オランダ人やオランダ大使館から厳重な抗議は来ないだろう。しくこく“イチャモン”をつけてくる朝鮮人とは大違いである。

アメリカでの禁止用語

Martin Luther King 2(左  / マーティン・ルーサー・キング )
  日本の放送禁止用語を調べると、あまりの馬鹿さ加減にウンザリするが、アメリカにも同様な禁止用語があるらしい。例えば、黒人に関する言葉で、今では「ニグロ(Negro)」を口にする白人は殆どいなくなっている。しかし、この言葉は元から侮蔑語という訳ではなく、「政治的正しさ(political correctness)」という嵐が吹き荒れるようになってから忌み嫌われるようになったのである。この「ニグロ」はラテン語の「niger」が語源で、単に「黒」を意味したに過ぎない。だから、マーティン・ルーサー・キング牧師だって、演説で「ニグロ」を使っており、決して同胞を侮辱した訳じゃないから、本来なら誰でも口にしていい言葉であるはすだ。しかし、白人が侮蔑心を込めて黒人をそう呼んだから、黒人たちは「侮蔑語」と思ったのだろう。そう言えば、フランス人がニジェール川を「niger」と呼んで、ニジェールの国名になったが、ニジェール国民がその名称を廃止しようとする動きは無い。

  これは在日鮮人が「朝鮮」という名称を嫌う気持ちに通じるものがある。「朝鮮」という言葉じたいには否定的な意味は無いが、朝鮮人の耳には二つの理由で震えが来る。一つは、日本人から馬鹿にされたという恨みで、もう一つは、惨めで“おぞましい”過去を想い出したくないという忌避である。朝鮮人は日本人から軽蔑されたことに腹を立てているが、日韓併合前後の朝鮮は本当に最貧国で、後進国というより未開部族国とか底辺国と呼ぶ方が相応しかった。当時、日本だって貧しかったが、朝鮮の貧しさは日本人の想像を遙かに越えていたので、半島へ渡った日本人は悉く驚いていた。日本人が「乞食」と思っていた者が、実は村で一番マシな人だったりしたから、朝鮮の底知れぬ貧しさに度肝を抜かれていたのだ。しかも、民衆の教育レベルが桁違いに低く、単なる文盲というより、バカの5乗を10倍にして、それを更に20乗したような間抜けが多かった。

Koreans 1(左  / 甕を背負って歩く朝鮮人 )
  ところが、朝鮮人は反省するどころか、やたらと威張るし、面子を潰されると狂ったように怒る。これだから朝鮮人は馬鹿にされたのだ。一方、日本に住みついた朝鮮人も、自分達の「後進性」に気付き、それを恥じていた。でも、朝鮮人には自尊心が命。根拠が無くても「朝鮮人は日本人より上」と思っている。つくづく思うけど、朝鮮人につける薬は無い。癌の特効薬を開発できる優秀な科学者でも、朝鮮人を正常に戻す薬となればお手上げだ。したがって、朝鮮人にはキムチでも与えておけばいい。風邪を引いたらキムチを舐めるし、便秘になったらキムチを食べて脱糞だ。骨折してもキムチを塗れば完治するんじゃないか。クリスマスにもケーキじゃなくて、キムチが出れば満足。でも、サンタクロースは来ない。ニンニク臭い朝鮮はトナカイも嫌がる。

  話が逸れたので元に戻す。アメリカのテレビ局や新聞社も使用禁止用語を定めており、意図的に消された言葉がある。例えば、ミュズーリ大学が出版した注意用語事典によると、道徳や倫理的判断の欠如した女性を指す「バラクーダ(barracuda)」、女性の乳房を指す「バクソム(buxom)」、色っぽいけど頭が空っぽな女性「ビンボー(bimbo)」、レズビアンの別名「ダイク(dyke)」、ゲイの別称「ファゴット(faggot)」、同性愛者を描写する言葉の「フルート(fruit)」などが列挙されている。「バラクーダ」と耳にすれば、人気バンド「ハート(Heart)」の名曲「バラクーダ」を想い出してしまうけど、ジャーナリズムの世界では禁句なんだから、言葉というものは使う場所によって異なるらしい。この他、特定の人種や民族に関する禁止用語もあって、黒人の別称である「クーン(coon)」、黒人女性を指す「ニグレス(Negress)」、アジア系アメリカ人を全般的に指す「オリエンタル(Oriental)」、ユダヤ教徒を侮辱する「ハイミー(Hymie)」などがある。

Kate Upton 1Ellen DeGeneres 1Jew 36









(左: 魅力的な胸を持つケイト・アプトン  / 中央: レズビアンの有名司会者エレン・デジェネレス  /  右: ユダヤ人の男性)

Maine coon 2(左  /  メイン・クーン)
  「クーン」と聞けば、一般には「アライグマ」を思い浮かべるけど、隠語では「みっともない顔をぶら下げた男」とか「黒人」を意味するから禁止されても仕方ない。そう言えば、日本でも人気の「メイン・クーン」は、メイン州に棲息する大きな猫で、アライグマにちょっと似ていたから「クーン」と呼ばれたのかも知れない。ユダヤ人を侮辱する言葉は他にもあって、代表的なのは「カイク(kyke)」という蔑称である。一説によると、この言葉はユダヤ移民が押し寄せてきた時に作られたものらしい。ニューヨークのエリス島に到着したユダヤ移民は、入管職員に書類を提示され、紙に名前を書くよう求められたが、ロシアや東歐諸国から来たユダヤ人の中には、英語が分からない者や文盲がいたので、名前の代わりに「◯」を書いたそうだ。普通の外人なら署名欄に「X」マークを記すことろだが、「X」だと十字架を連想させる不吉な印なので、ユダヤ人はこれを避けて丸印を代わりに書いたという。この丸印をイディッシュ語で「kykeleh」と呼んだことから、以降、アメリカ人はユダヤ人全般を「カイク」と呼んだそうである。この単語は時たま映画の中にも現れてくるので、アメリカの俗語に詳しくない日本人は、字幕だけだと何のことやら訳が分からない。(筆者が観た映画の中では、クズ白人が壁に「kyke」と落書きをするシーンがあった。)

政治的に禁止される言葉

Hispanic immigrants 2Hispanic Immigrants 1








(左: 列車の屋根に飛び乗って米故国を目指す南米人  / 右: アメリカ国籍を求めるヒスパニックたち )

 こうした使用禁止リストが世間に受け容れられると、左翼分子は調子に乗って禁句を他の分野にも広げようとするから注意が必要だ。例えば、移民支援者の左翼どもは「不法外人(イリーガル・エイリアン / illegal aliens)」という用語が不快らしく、「入国書類の無い移民(undocumented immigrants)」という表現を使いたがる。これではまるで、パスポートやビザを自宅に忘れてきた旅行者みたいに聞こえるじゃないか。中南米からやって来る不法入国者や不法滞在者は確信犯で、米国での派遣労働を終えても居残る者や、パトロール職員に見つからぬよう“こっそり”と国境をかいくぐる者など様々だ。中には闇社会の仲介業者にお金を払って密入国する奴もいるから、彼らは書類を持たない善良な移民ではなく、空き巣かコソ泥の類いである。

  こうした犯罪者を親に持つ「移民二世」にはトンデモない連中がいて、「俺は米国で生まれ育ったからアメリカ人だ」と喝破する不届き者や、「親の祖国に強制送還されるのは人権侵害だ」と叫ぶ馬鹿がいる。泥棒の親が盗んだ玩具を子供に与えたからといって、その盗品の所有権が子供に移る訳じゃないし、たとえ五年十年、いつも肌身離さず持ち歩いても、盗品は盗品のままで、泥棒に所有権は無い。国籍も同じで、不法な手段で滞在したら、強制退去の命令を受けるのは当然で、子供が米国で生まれようが、その責任は犯罪者の親にある。合衆国政府には不法外人の子を養育する義務は無い。罪を犯した親が子供を故郷に連れ帰り、一生をかけて子供に償いをするのが筋である。もし、米国の移民支援者が天使のように親切なら、“自腹”を切ってメキシコやエルサルバドルに赴き、現地で憐れな子供たちの面倒を見ればいいのだ。「善いこと」は他人のゼニではなく、自分のゼニで行うべきである。

Dwight Eisenhower 2Joseph Swing 1(左: アイゼンハワー大統領  / 右: ジョセフ・スウィング中将 )

  今では忘れ去られているが、かつてアイゼンハワー政権下で「ウエットバック作戦(Operation Wetback)」が実施されたことがある。この「ウエットバック」というのは現在禁句となっているけど、以前は国境を越えて密入国するメキシコ人を指す言葉であった。彼らは国境沿いの河を渡ってくるので背中が濡れており、そのことから「湿った背中の連中」と呼ばれたのだ。1950年代半ば、国境近くのアメリカ国民が不法入国者の被害を受けていたので、陸軍中将のジョセフ・スウィング(Joseph Swing)は「ウエッドック作戦」を提案し、それをドワイト・アイゼンハワー大統領が承認した。このスウィング中将はアイゼンハワー大統領がウェストポイント士官学校に通っていた時の同期生であったから、上官である大統領とは長年の付き合いで、二人の意気が合っていたことは言うまでもない。左翼どもに惑わされないスウィング中将は、移民帰化局(INS)の長官に任命され、南米からの不法移民取締に精を出していた。

Wetbacks 1Migrants 2









(左: 川を渡って密入国する南米人  / 右: 米国を目指すヒスパニック移民 )

  リベラル派とか左翼と呼ばれる連中は、言葉を変える事で一般人の思考を変えようとする。彼らは「言い換え」によって印象を操作しようとするから悪質だ。例えば、東京に巨大な賭場を作ろうとする政治家は、「ギャンブル場」とさえ口にせず、「レジャーランド」とか「エンターテイメント・パーク」といったカタカナ語を使ったりする。どうしても日本語を使わねばならぬ時は、実態が分からぬよう「複合娯楽施設」とかの名称にしたりする。パチンコ屋だって「何とかホールディングス」とか「XYエンターテイメント・グループ」と名乗るじゃないか。彼らは決して朝鮮人が胴元の博奕集団とは名乗らない。売春宿だって「特殊浴場」と言い換えたりするし、ヤクザが出入りする飲み屋でも、報道番組では「飲食店」だ。こうした名称を聞くと、一般人は「蕎麦屋」とか「喫茶店」を想像してしまうが、まさか拳銃をぶっ放すゴロツキがやって来る「夜の水商売」とは思わない。在日鮮人が求める参政権も「外国人参政権」問題にすり替える。いったい、何人の在日アメリカ人や在日フランス人が日本での選挙権を渡せと要求したのか。

  他にも言い換えが流行している。例えば、「土方(どかた)」や「人夫(にんぷ)」が禁句になり、「建設作業員」とか「港湾労働者」になった。床屋も廃止用語で、今では「理容店」となるし、「坊主刈り」もダメで「丸刈り」になってしまった。朝鮮人に特別配慮を示すマスコミは、「朝鮮料理屋」を「韓国料理店」か「焼肉屋」と呼ぶが、ハンバーグやソーセージを出すお店は「焼肉屋」ではなく「ドイツ料理店」でOK。「支那竹」は「メンマ」に変わり、「支那そば」は「ラーメン」だ。この傾向は子供向けアニメにも適応されており、ディズニーの名作アニメ『ノートルダムのせむし男』は、何と『ノートルダムの鐘』という邦題になっていた。日本の配給会社は「せむし男」ではマズいと思ったのだろう。でも、アメリカでは『ノートルダムのハンチバック(The Hunchback of Notre Dame)』となっているんだから、そのままの翻訳でいいんじゃないか。そう言えば、オリジナルの『キューティー・ハニー』(1973)では、如月ハニーが「ルンペン」や「せむし男」に変身するシーンがあったけど、新版アニメ(1994)や劇場版の『キューティー・ハニー』では“不適切”な変身キャラは無いと思う。幼い娘から「パパ、せむし男って何 ?」と訊かれた父親は困っちゃうもんね。 アニメ界にも「政治的正しさ」というイデオロギーが浸透し、今では原作者が自由に空想を膨らますことが出来ない時代になった。思想や表現の自由を叫ぶ左翼に限って、一般人の自由を抑圧するんだから、我々はよぉ~く相手の正体を見極めなければならない。


 

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