無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

マスコミ問題

言葉狩りと自由の抑圧はイヤだ !

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黒木 頼景
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流行語より放送禁止用語の解放を

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(左: 朝鮮人の囚人  / 右: 朝鮮の庶民 )

  毎年12月頃になると流行語大賞が発表される。今年は「忖度か」が選ばれたそうだけど、こんな大賞はおかしい。「忖度」なんて、森友・加計問題を取り上げたマスコミが騒いだだけじゃないか。もし、放火魔が一年を振り返って、「どの火事が一番すごかったかなぁ」と言えば、大抵の日本人は呆れ返るだろう。自作自演で特大見出しを選ぶのは、藝能事務所が審査員を買収して、所属歌手に「レコード大賞」とか「有線放送大賞」を贈るようなものだ。マスコミの報道を聞いている世間はシラけるというか、「あぁ、そう」としか言いようがない。

  そんな“どうでもいい”流行語大賞より、テレビ局が“密かに”決めてしまった「放送禁止用語」を取り上げ、その一つ一つ説明してもらいたいものだ。昔からある言葉なのに、テレビ局や新聞社が勝手に「不適切」と判断し、用心深く使用することを避け、まるで全局が示し合わせたかのように別の言葉に置き換えたりする。確かに、悪意や憎悪を広めようとする人がいるのなら、そのような言葉を慎むよう指導するのは解るが、単に少数の重役が自分のイデオロギーを以て禁止する事には賛成できない。悪い言葉があるからといって、それを撲滅しようとすれば、我々の文化を規制する事となり、ひいては自由な表現を抑圧し、藝術や文学を衰退させる虞(おそれ)がある。

  こうした放送禁止用語の例としては、「唖(おし)」「盲(めくら)」「聾(つんぼ)」「跛(びっこ)」といった身体障碍に関する言葉が挙げられ、「気違い」「白痴」「知恵遅れ」といった言葉も“ダメ”らしい。でも、坂口安吾の『白痴』やドストエフスキーの『白痴』という小説があるんだから一概に全面禁止とはできないだろう。それに、「盲判(めくらばん)を押す」とか「盲滅法(めくらめっぽう)に撃つ」、「聾桟敷(つんぼさじき)に置かれる」、「それでは片手落ちだ」、「入試での足切り」などの言い方もあるので、それらを総て禁止されると別の表現を探すしかない。さらに、こうした制約が拡大されると、時代劇までが成り立たなくなる。まさか、「おし」を「自由に口が利けない人」とは呼べないし、「びっこ」を「足の不自由なかた」とも言えまい。

  そもそも「自由」という単語が明治に創られた言葉だから、江戸時代の庶民が口にするはずがないだろう。脚本家がアホだと、時代劇に西洋の翻訳後を混ぜたりするから、観ている者が白けてしまう。また、時代劇だと無学な農夫や口の悪い漁夫も登場するから、上品なセリフは不自然で、荒っぽい言葉使いの方が自然になる。例えば、座頭市とすれ違った雲助(くもすけ)や三助(さんすけ)が「おい、そこのメクラ !」と叫ぶ方が普通で、「ちょっと、そこの目のご不自由なたか」と呼べば変だ。(註 / 「雲助」は籠かきなどで「三助」は銭湯で客の体を流す人。)病気に関する禁句も時と場合によって使う時もある。例えば、今では「癩病(らいびょう)」を「ハンセン氏病」と呼ぶが、昔の小説や演劇、さらには聖書でも「癩病」だ。まさか、「イエズス・キリストが奇蹟を以てハンセン氏病患者を治しました」じゃ奇妙だろう。病名というのはギリシア語とかドイツ語由来の言葉が多いから、庶民は簡単な言葉で語ったりする。例えば、アメリカ人の子供だと、「スキッツフリーニア(精神分裂症 / schizophrenia)」なる単語が難しいから、単純に「ワコ(キチガイ / wacko)」と呼んでしまうことがある。日本人はギリシア語起源の病名を漢字で表すから以外と容易に把握できるが、専門家でもないアメリカ人だと何の症状なのか理解できない。

  NHKはアニメ作品にまで検閲を加えていた。BS放送で『海のトリトン』を再放送した時、海の怪物が無口なトリトンに向かって「お前はオシか?!」と尋ねたが、NHKはその音声を消してしまい、観ている子供はトリトンの敵が何を怒っているのか解らなかった。NHKは他人が創った作品を勝手に変更する常習犯で、外国のドラマを放送する時にも“こっそり”検閲を加えてしまうのだ。例えば、NHKは1999年から2002年にかけて、『ダーマ&グレッグ(Dharma & Greg)』という米国のTVドラマを放映したことがある。このドラマはジェナー・エルフマン(Jenner Elfman)が「ダーマ」役を、トマス・ギブソン(Thomas Gibson)が「グレッグ」役をそれぞれ演じ、育ちや階級の違うカップルが滑稽な夫婦生活を送るという筋書きになっていた。妻の「ダーマ」はヒッピーの両親を持ち、伝統的価値観に囚われず、自由奔放に育った女性であるが、夫の「グレッグ」は彼女と正反対の育ちだ。彼は裕福な上層中流階級の両親を持ち、エリート教育を受けたハンサム青年である。グレッグの父親である「エドワード」役をミッチェル・ライアン(Mitchell Ryan)が演じ、母親のキャサリンをスーザン・サリヴァン(Susan Sullivan)が演じていた。

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(左: トマス・ギブソン  / ジェナ・エルフマン  / ミッチェル・ライアンとスーザン・サリヴァン  /  右: 黒人の赤ん坊 )

  このドラマには、ダーマが赤ん坊を養子にするエピソードがあった。義理の父親であるエドワードは、ダーマが引き取ってきた赤ん坊を揺り籠から抱き上げたところ、その赤ん坊を見て仰天する。なぜなら、黒人の子供であったからだ。英語のセリフでは「わぁ、ブラック・ベイビーだ !」となっていたのに、日本語訳のセリフでは「こりゃ驚いた !」となっていた。筆者は録画しておいたドラマを最初、原語で視聴していたのだが、何となく興味が湧いてきたので、声優がどんな和訳を喋っていたのか、音声を日本語に切り替えてみた。画像を巻き戻して「吹き替え」の日本語訳を聴いた時、「やっぱりNHKだなぁ」と呆れたことを覚えている。エドワードが黒人の子を抱き上げて「わぁ、黒ン坊だぁ」とビックリしても不思議じゃない。コメディー番組では「ブラック・ジョーク」もあるんだから、一々「政治的正しさ」を適応したら、番組自体がつまらなくなる。まぁ、NHKは黒人に対する「忖度」を行ったのだろうが、輸入した海外ドラマなんだから、そのまま翻訳してもいいんじゃないか。黒人に対して“特別な配慮”を行っているのは、人種平等を掲げるNHKが無意識の「差別心」を持っていたからだろう。

  テレビ局が昔のドラマを再放送する時には、「不適切」なセリフを消去する場合が多い。例えば、松田優作が出演したTVドラマ『探偵物語』では、確か「トルコ嬢」とか「トルコ風呂」が禁句になっていたと思う。優作が「トルコ嬢」と口にする音声が消されてしまったのは、その言葉が放送禁止用語になっていたからだろう。制作された昭和50年代なら許されていたが、平成だとNGになってしまうのかも知れない。でも、当時は「ソープランド」じゃなくて「トルコ風呂」と呼ばれていたんだから、そのまま放送してもいいんじゃないか。テレビ局はトルコ人からの抗議を恐れているんだろうが、「当時の用語だから」と説明し、安易に屈服せず外人の因縁を撥ね付けるべきだ。だいたい、日本のマスコミはアジア人やアフリカ人に譲歩しすぎである。ところが、歐米人を相手にする場合は違ってくる。彼らは西歐白人を「対等な者」とか「高度な文明を持つ外人」と見なしているので、白人に対しては正論を吐くし妙に強気だ。西歐人の方も冷淡な場合が多い。日本人が「ダッチ・ワイフ」という言葉を発したからといって、在日オランダ人やオランダ大使館から厳重な抗議は来ないだろう。しくこく“イチャモン”をつけてくる朝鮮人とは大違いである。

アメリカでの禁止用語

Martin Luther King 2(左  / マーティン・ルーサー・キング )
  日本の放送禁止用語を調べると、あまりの馬鹿さ加減にウンザリするが、アメリカにも同様な禁止用語があるらしい。例えば、黒人に関する言葉で、今では「ニグロ(Negro)」を口にする白人は殆どいなくなっている。しかし、この言葉は元から侮蔑語という訳ではなく、「政治的正しさ(political correctness)」という嵐が吹き荒れるようになってから忌み嫌われるようになったのである。この「ニグロ」はラテン語の「niger」が語源で、単に「黒」を意味したに過ぎない。だから、マーティン・ルーサー・キング牧師だって、演説で「ニグロ」を使っており、決して同胞を侮辱した訳じゃないから、本来なら誰でも口にしていい言葉であるはすだ。しかし、白人が侮蔑心を込めて黒人をそう呼んだから、黒人たちは「侮蔑語」と思ったのだろう。そう言えば、フランス人がニジェール川を「niger」と呼んで、ニジェールの国名になったが、ニジェール国民がその名称を廃止しようとする動きは無い。

  これは在日鮮人が「朝鮮」という名称を嫌う気持ちに通じるものがある。「朝鮮」という言葉じたいには否定的な意味は無いが、朝鮮人の耳には二つの理由で震えが来る。一つは、日本人から馬鹿にされたという恨みで、もう一つは、惨めで“おぞましい”過去を想い出したくないという忌避である。朝鮮人は日本人から軽蔑されたことに腹を立てているが、日韓併合前後の朝鮮は本当に最貧国で、後進国というより未開部族国とか底辺国と呼ぶ方が相応しかった。当時、日本だって貧しかったが、朝鮮の貧しさは日本人の想像を遙かに越えていたので、半島へ渡った日本人は悉く驚いていた。日本人が「乞食」と思っていた者が、実は村で一番マシな人だったりしたから、朝鮮の底知れぬ貧しさに度肝を抜かれていたのだ。しかも、民衆の教育レベルが桁違いに低く、単なる文盲というより、バカの5乗を10倍にして、それを更に20乗したような間抜けが多かった。

Koreans 1(左  / 甕を背負って歩く朝鮮人 )
  ところが、朝鮮人は反省するどころか、やたらと威張るし、面子を潰されると狂ったように怒る。これだから朝鮮人は馬鹿にされたのだ。一方、日本に住みついた朝鮮人も、自分達の「後進性」に気付き、それを恥じていた。でも、朝鮮人には自尊心が命。根拠が無くても「朝鮮人は日本人より上」と思っている。つくづく思うけど、朝鮮人につける薬は無い。癌の特効薬を開発できる優秀な科学者でも、朝鮮人を正常に戻す薬となればお手上げだ。したがって、朝鮮人にはキムチでも与えておけばいい。風邪を引いたらキムチを舐めるし、便秘になったらキムチを食べて脱糞だ。骨折してもキムチを塗れば完治するんじゃないか。クリスマスにもケーキじゃなくて、キムチが出れば満足。でも、サンタクロースは来ない。ニンニク臭い朝鮮はトナカイも嫌がる。

  話が逸れたので元に戻す。アメリカのテレビ局や新聞社も使用禁止用語を定めており、意図的に消された言葉がある。例えば、ミュズーリ大学が出版した注意用語事典によると、道徳や倫理的判断の欠如した女性を指す「バラクーダ(barracuda)」、女性の乳房を指す「バクソム(buxom)」、色っぽいけど頭が空っぽな女性「ビンボー(bimbo)」、レズビアンの別名「ダイク(dyke)」、ゲイの別称「ファゴット(faggot)」、同性愛者を描写する言葉の「フルート(fruit)」などが列挙されている。「バラクーダ」と耳にすれば、人気バンド「ハート(Heart)」の名曲「バラクーダ」を想い出してしまうけど、ジャーナリズムの世界では禁句なんだから、言葉というものは使う場所によって異なるらしい。この他、特定の人種や民族に関する禁止用語もあって、黒人の別称である「クーン(coon)」、黒人女性を指す「ニグレス(Negress)」、アジア系アメリカ人を全般的に指す「オリエンタル(Oriental)」、ユダヤ教徒を侮辱する「ハイミー(Hymie)」などがある。

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(左: 魅力的な胸を持つケイト・アプトン  / 中央: レズビアンの有名司会者エレン・デジェネレス  /  右: ユダヤ人の男性)

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  「クーン」と聞けば、一般には「アライグマ」を思い浮かべるけど、隠語では「みっともない顔をぶら下げた男」とか「黒人」を意味するから禁止されても仕方ない。そう言えば、日本でも人気の「メイン・クーン」は、メイン州に棲息する大きな猫で、アライグマにちょっと似ていたから「クーン」と呼ばれたのかも知れない。ユダヤ人を侮辱する言葉は他にもあって、代表的なのは「カイク(kyke)」という蔑称である。一説によると、この言葉はユダヤ移民が押し寄せてきた時に作られたものらしい。ニューヨークのエリス島に到着したユダヤ移民は、入管職員に書類を提示され、紙に名前を書くよう求められたが、ロシアや東歐諸国から来たユダヤ人の中には、英語が分からない者や文盲がいたので、名前の代わりに「◯」を書いたそうだ。普通の外人なら署名欄に「X」マークを記すことろだが、「X」だと十字架を連想させる不吉な印なので、ユダヤ人はこれを避けて丸印を代わりに書いたという。この丸印をイディッシュ語で「kykeleh」と呼んだことから、以降、アメリカ人はユダヤ人全般を「カイク」と呼んだそうである。この単語は時たま映画の中にも現れてくるので、アメリカの俗語に詳しくない日本人は、字幕だけだと何のことやら訳が分からない。(筆者が観た映画の中では、クズ白人が壁に「kyke」と落書きをするシーンがあった。)

政治的に禁止される言葉

Hispanic immigrants 2Hispanic Immigrants 1








(左: 列車の屋根に飛び乗って米故国を目指す南米人  / 右: アメリカ国籍を求めるヒスパニックたち )

 こうした使用禁止リストが世間に受け容れられると、左翼分子は調子に乗って禁句を他の分野にも広げようとするから注意が必要だ。例えば、移民支援者の左翼どもは「不法外人(イリーガル・エイリアン / illegal aliens)」という用語が不快らしく、「入国書類の無い移民(undocumented immigrants)」という表現を使いたがる。これではまるで、パスポートやビザを自宅に忘れてきた旅行者みたいに聞こえるじゃないか。中南米からやって来る不法入国者や不法滞在者は確信犯で、米国での派遣労働を終えても居残る者や、パトロール職員に見つからぬよう“こっそり”と国境をかいくぐる者など様々だ。中には闇社会の仲介業者にお金を払って密入国する奴もいるから、彼らは書類を持たない善良な移民ではなく、空き巣かコソ泥の類いである。

  こうした犯罪者を親に持つ「移民二世」にはトンデモない連中がいて、「俺は米国で生まれ育ったからアメリカ人だ」と喝破する不届き者や、「親の祖国に強制送還されるのは人権侵害だ」と叫ぶ馬鹿がいる。泥棒の親が盗んだ玩具を子供に与えたからといって、その盗品の所有権が子供に移る訳じゃないし、たとえ五年十年、いつも肌身離さず持ち歩いても、盗品は盗品のままで、泥棒に所有権は無い。国籍も同じで、不法な手段で滞在したら、強制退去の命令を受けるのは当然で、子供が米国で生まれようが、その責任は犯罪者の親にある。合衆国政府には不法外人の子を養育する義務は無い。罪を犯した親が子供を故郷に連れ帰り、一生をかけて子供に償いをするのが筋である。もし、米国の移民支援者が天使のように親切なら、“自腹”を切ってメキシコやエルサルバドルに赴き、現地で憐れな子供たちの面倒を見ればいいのだ。「善いこと」は他人のゼニではなく、自分のゼニで行うべきである。

Dwight Eisenhower 2Joseph Swing 1(左: アイゼンハワー大統領  / 右: ジョセフ・スウィング中将 )

  今では忘れ去られているが、かつてアイゼンハワー政権下で「ウエットバック作戦(Operation Wetback)」が実施されたことがある。この「ウエットバック」というのは現在禁句となっているけど、以前は国境を越えて密入国するメキシコ人を指す言葉であった。彼らは国境沿いの河を渡ってくるので背中が濡れており、そのことから「湿った背中の連中」と呼ばれたのだ。1950年代半ば、国境近くのアメリカ国民が不法入国者の被害を受けていたので、陸軍中将のジョセフ・スウィング(Joseph Swing)は「ウエッドック作戦」を提案し、それをドワイト・アイゼンハワー大統領が承認した。このスウィング中将はアイゼンハワー大統領がウェストポイント士官学校に通っていた時の同期生であったから、上官である大統領とは長年の付き合いで、二人の意気が合っていたことは言うまでもない。左翼どもに惑わされないスウィング中将は、移民帰化局(INS)の長官に任命され、南米からの不法移民取締に精を出していた。

Wetbacks 1Migrants 2









(左: 川を渡って密入国する南米人  / 右: 米国を目指すヒスパニック移民 )

  リベラル派とか左翼と呼ばれる連中は、言葉を変える事で一般人の思考を変えようとする。彼らは「言い換え」によって印象を操作しようとするから悪質だ。例えば、東京に巨大な賭場を作ろうとする政治家は、「ギャンブル場」とさえ口にせず、「レジャーランド」とか「エンターテイメント・パーク」といったカタカナ語を使ったりする。どうしても日本語を使わねばならぬ時は、実態が分からぬよう「複合娯楽施設」とかの名称にしたりする。パチンコ屋だって「何とかホールディングス」とか「XYエンターテイメント・グループ」と名乗るじゃないか。彼らは決して朝鮮人が胴元の博奕集団とは名乗らない。売春宿だって「特殊浴場」と言い換えたりするし、ヤクザが出入りする飲み屋でも、報道番組では「飲食店」だ。こうした名称を聞くと、一般人は「蕎麦屋」とか「喫茶店」を想像してしまうが、まさか拳銃をぶっ放すゴロツキがやって来る「夜の水商売」とは思わない。在日鮮人が求める参政権も「外国人参政権」問題にすり替える。いったい、何人の在日アメリカ人や在日フランス人が日本での選挙権を渡せと要求したのか。

  他にも言い換えが流行している。例えば、「土方(どかた)」や「人夫(にんぷ)」が禁句になり、「建設作業員」とか「港湾労働者」になった。床屋も廃止用語で、今では「理容店」となるし、「坊主刈り」もダメで「丸刈り」になってしまった。朝鮮人に特別配慮を示すマスコミは、「朝鮮料理屋」を「韓国料理店」か「焼肉屋」と呼ぶが、ハンバーグやソーセージを出すお店は「焼肉屋」ではなく「ドイツ料理店」でOK。「支那竹」は「メンマ」に変わり、「支那そば」は「ラーメン」だ。この傾向は子供向けアニメにも適応されており、ディズニーの名作アニメ『ノートルダムのせむし男』は、何と『ノートルダムの鐘』という邦題になっていた。日本の配給会社は「せむし男」ではマズいと思ったのだろう。でも、アメリカでは『ノートルダムのハンチバック(The Hunchback of Notre Dame)』となっているんだから、そのままの翻訳でいいんじゃないか。そう言えば、オリジナルの『キューティー・ハニー』(1973)では、如月ハニーが「ルンペン」や「せむし男」に変身するシーンがあったけど、新版アニメ(1994)や劇場版の『キューティー・ハニー』では“不適切”な変身キャラは無いと思う。幼い娘から「パパ、せむし男って何 ?」と訊かれた父親は困っちゃうもんね。 アニメ界にも「政治的正しさ」というイデオロギーが浸透し、今では原作者が自由に空想を膨らますことが出来ない時代になった。思想や表現の自由を叫ぶ左翼に限って、一般人の自由を抑圧するんだから、我々はよぉ~く相手の正体を見極めなければならない。


 

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美人は信用される? / 犯罪捜査は物的証拠から

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権力の濫用と恣意的捜査?

  犯罪捜査は科学的手法と物的証拠を基に行う事が基本である。確かに、目撃証言も重要だが、何せ人間の記憶だから、時と共に曖昧になりがちだし、主観的要素も混じるから決定的とは言い難い。最近ではアメリカのTVドラマ・シリーズ「CSI : 科学捜査班」が好評を博したこともあって、世間に科学的捜査の知識が普及したとも言えるのではないか。プロでもない素人の我々が事件を語るなら、まずもって警察が蒐集した物的証拠を以て論ずるべきであろう。

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(左: 詩織さん  / 右: 山口敬之 )

  こんなことを思ったのは、元TBSのワシントン支局長で、現在は自営ジャーナリストの山口敬之が「準強姦」の疑いを掛けられたからだ。事件の経緯は『週刊新潮』が報じたので、ここでは繰り返さないが、被害者の(伊藤?)詩織さんと山口氏の主張を聞いていると、幾つかの疑問が湧いてくる。問題となった事件は2015年4月に起きた。彼女が仕事や就職の事で山口氏に相談すべく、都内の串焼き店と寿司屋で食事を取ったそうだ。詩織さんの話によると、ビール1杯、グラス・ワイン1杯と日本酒2合を飲んだようで、二件目の寿司屋で気分が悪くなり、そこから意識を失ったようだ。曰わく、酒には強い方ということで、彼女は何か別の原因で酩酊したと考えている。

  意識が遠のき、体が思うように動かなくなった彼女を、山口氏はそのままタクシーに乗せ、ホテルに向かわせたという。詩織さんは嫌がったそうだが、タクシーを降りるだけの気力が無い。結局、山口氏の思うがままにホテルの部屋に連れ込こまれたらしい。一方、山口氏の証言によれは、詩織さんが嘔吐を繰り返したので、彼女の服が汚れてしまい、仕方なく脱がせたようだ。ところが、明け方になって詩織さんが意識を取り戻すと、山口氏が彼女の上に跨がって性行為をしていたので驚愕したという。そりゃそうだ。いきなりオッサンが自分の上にかぶさっていれば無理もない。しかし、彼女は抵抗しようにも体が麻痺していた。頭で思っても、体で彼を撥ね付けることができなかったという。「性行為」の違法性はともかく、その後どのような会話がなされたのか不明である。だが、彼女はホテルを後にすると、病院に向かったらしい。まぁ、「強姦」されたのだから、一目散にホテルを立ち去って、病院に駆け込んだのは正解だ。

  しかし、彼女の記者会見を聴いて疑問に思った事がある。彼女はなぜ医師による検査報告に触れなかったのか? 少しの量では酔うことのない彼女が、寿司屋で気分が悪くなり、泥酔状態のままホテルに連れ込まれ、しかも全身が動かないほどの症状になったのだ。普通ならば、病院で医師に尋ねたはずである。担当医師だって、患者の話を聴けば、何かあったと思うはずだ。少なくとも、「レイプ」されたと語る女性から、全身が動かなかったと告げられれば、何らかの薬物を飲まされたのでは、と考える方が普通だろう。素人でも尿や血液を採取しようと思うはずだし、医者ならば髪の毛まで調べるんじゃないか。もし、フルニトラゼパム(flunitrazepam)のような薬品を飲まされたとすれば、意識喪失の原因も納得できるから、医者は必ず精密検査をするはずだ。避妊具をつけぬ「性交」と「妊娠」を恐れていたくらいだから、レイプ検査以外の項目も要求すべきである。

  記者会見の一部始終を聴いた訳じゃないから断定できないけど、もし病院での検査で薬物反応が出ていたら、詩織さんは声を大にして公表するはずだ。ところが、ニュース番組ではその点が不明確で、記者会見に集まったジャーナリストたちが、何故その点を質問しなかったのか謎である。もし、山口氏が薬物をお酒に混入したのなら、計画的強姦となり、有罪はほぼ確定するだろう。警察だって馬鹿じゃない。医師からの報告を聞いていたはずだ。逮捕状を取ったのも、何らかの証拠が挙がっていたからだろう。それに、担当の警官は医学的報告書だけではなく、ホテルの監視カメラ記録を確認したはずで、たぶんタクシーに設置された車内カメラのデータも入手したはずだ。これに目撃者の証言も加わったのだから、逮捕しない方がおかしい。ちなみに、被害者はお酒を疑っているが、もしかしたら食材に問題があり、何らかの食中毒とも考えられるのだ。例えば、串焼きの鶏肉に問題があったとか、寿司屋の生魚に原因があったのかも知れない。

  詩織さんとマスコミの報道によると、山口氏の逮捕直前に警視庁からストップがかかり、事件の再調査は捜査一課に移ったという。この決定を下したのが、当時の中村格・刑事部長だったらしい。中村氏は最初に事件を担当した高輪署の捜査に不安を持ったそうだ。捜査が不充分で、被害者女性の言い分だけを根拠に逮捕状を取ったので、逮捕の中止を命じたという。新潮社はこの異例な介入に疑問を持ったから、事件を雑誌に載せたそうだ。確かに、所轄が行う逮捕に一々本庁が「待った」をかけるなんて不可解だ。ひょっとしたら、被疑者がTBSの社員と聞かされたので、中村氏が後々のことを考えて「まずい」と思ったのかも知れない。つまり、確固たる証拠をもっての逮捕なら問題ないが、何らかの不備を見つけたから引き留めたとも考えられるのだ。でも、「大手マスコミの人間だから慎重に捜査しろ !」というのも酷い話である。じゃあ、さしたる地位や名声も無い庶民なら、簡単に逮捕してもいいのか? いくら「容疑」の段階といっても、一旦「準強姦」で逮捕となれば、周囲の者に即座に伝わってしまい、あたかも犯人であるかのような印象を持たれてしまうじゃないか。

  それにもし、容疑者が一般の公務員や会社員なら、たとえ無罪放免になっても、妙な「噂」や「評判」が拭えまい。いつまでも「強姦容疑で逮捕された人」という「前科」が残ってしまい、職場での立場がなくなる場合だったあるのだ。事によっては、出世の芽も無くなってしまい、将来が激変してしまうことだったある。「無罪」となった者の家族も、近所や友人からの「ひそひそ話」に怯え、常に他人からの「陰口」を気にするようになるだろう。精神的苦痛には計り知れないものがある。疑いをかけられた本人も悩んでしまうが、家族だって不幸になってしまうのだ。もちろん、被害者の詩織さんも苦しんでいるだろうし、これからも辛い人生を歩む破目になるだろう。だからこそ、慎重な捜査が不可欠だし、もし警察内部で本当に事件の「握りつぶし」が行われたのなら、単なる「準強姦事件」の域を超えて、警察の組織的腐敗、つまり権力の濫用が焦点となってしまうのだ。中村刑事部長が個人的な都合で逮捕を妨害したのなら、それは正当な手続きと法制度の否定となり、警察への信頼が崩壊しかねない。したがって、もし「政治的配慮」で事件を揉み消そうとしたのなら、強姦事件ではなく上級警察官の「瀆職」として内部調査すべきである。

  ただし、今回の一件は週刊誌が騒いでいるような安倍首相や官邸からの指示ではいだろう。いくら山口氏が安倍首相と親しく、「提灯記事」まで書くジャーナリストであっても、政府の要人が警察に手を廻すとは考えにくい。権力濫用の可能性があるとしたら、中村氏個人の恣意的判断と考える方が妥当である。詩織さんは逮捕の中止を政治的圧力と見なしているが、案外、所轄による杜撰な捜査を本庁が訂正しただけなのかも知れないぞ。しかし、これとて単なる推測だから、全ての証拠を閲覧できない一般国民は、渋々でも検察の判断を信じるしかない。世間の一部は、詩織さんが民進党とグルになって安倍攻撃をしていると考えているが、もしかしたら恨みを晴らすためなら何でもよく、妙に“親切な”民進党と組んだとも考えられるのだ。ただし、単なる左巻きのリベラル馬鹿という場合もあるので、軽率な憶測を斥け、用心しなければならない。特にジャーナリストを扱う場合は、判断するのが難しいし、とにかく色々な点で厄介だ。世間には学校の勉強ができるだけで優秀と思い込み、海外の大学で箔をつけて帰国すれば立派なジャーナリストになれると思うアホがいる。歐米の大学でジャーナリスムを専攻するのは、お金を払ってクルクルパーになるようなもので、中には真っ赤な思想に染まっている事にすら気づかない奴もいる。例えば、コロンビア大学なんて黴菌の貯蔵庫と変わらなくて、象牙の塔に見える赤い巣窟なんだから。詩織さんがどういう人物なのか分からぬが、何となく「怪しい」感じが漂っている。

美人は信頼できる? 

  今回の記者会見で考えさせられたのは、被害者本人がカメラの前に現れ、自分の見解を訴えたことだ。普通の女性なら恥ずかしくてカメラの前に出てこられないだろう。だから、自分の顔と名前を晒す詩織さんには相当な信念があるはずだ。好意的に見れば、彼女は本当に「強姦」され、そうされたことに確信を持ち、加害者の山口氏が憎くて堪らないのだろう。ひねくれた見方をすれば、世間の注目を集めたかったということだ。彼女の言い分がどこまで正しく、真相を語っているのかは判らない。肝心な部分は山口氏のメールと言い訳が基礎になっており、彼女の証言はベッドで無理矢理「強姦」されたと気づいた時からで、記憶が飛んでいた夜中の出来事は、まさしく「闇の中」なのだ。ただ、彼女は好きでもない相手から裸にされ、凌辱されたのだから、「準強姦」と考えたのも無理はない。山口氏も「セックス行為」だけは認めているので、これだけは確かな事実だろう。

  事件性については検察審議会や再捜査に委ねるしかないが、興味深いのは世間の反応である。詩織さんが堂々と表に現れ、自らの心境を語ったのは衝撃的だったが、それ以上に被害者が美人であったことに注目が集まった。もし、彼女が50歳の同級生で、凡庸な容姿の中年女性なら、どんな反応だったのか興味深い。これは偏見だが、テレビ画面に映った彼女が話すと、その訴えが真実に思えてくる。なぜかといえば、我々は古代ギリシア人と同様に、「真は美であり、美は善である。また、そうであらねばならない」と考えてしまうからだ。アリストテレスの『エウデモス倫理学』を読んでも、「高貴さ(καλοκαγαθια)」とか「善き人(καλοκαγαθος)」という言葉が出てきて、ギリシア人が「立派な紳士(カロカガソス)」に関して強い意識を持っていたことが分かる。(第八巻三章の2<1248b>を参照。) 現在の我々も美学と道徳を繋げて考える癖を持ち、視覚的に素晴らしい人は倫理的にも優れていると見なしがちである。

Greek Statue 2Venus 2  人間は外見で判断する場合が多い。例えば、ジェラルド・R・アダムズ(Gerald R. Adams)のような研究者によれば、魅力的な子供は、そうでもない子供よりも、勉強が出来て人間関係も良好になると思われがちだし、家族さえ魅力的な兄弟の方が成功を収めるんじゃないか、と考えてしまうそうだ。また、魅力的レベルの高い女性の方が、低い女性よりも好奇心が強く、物事を達成しやすいし、個性を発揮しやすいと考えられる。なぜなら、魅力的な女性は周囲の者から「知的で分別がありそう」と思われるし、実際、彼女たちの方が一貫して知的努力に対して報われてきたからである。つまり、ある知的作業とかホワイト・カラーの職場では、同じ努力をしても魅力ある女性の方が高い評価を受けやすいし、より多くの報酬を得られるということだ。一般人の経験で考えてみても、しばしば高い評価を受ける人は、やり甲斐を感じるし、頑張って次の仕事に打ち込もうとする動機を持つようになる。一旦、成功の喜びを噛みしめれば、更なる努力を重ねるから、ますます成功する確率が高くなるだろう。

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  一概に断定できないが、美女は前向きになり、醜女は後ろ向きになりやすい。成功率や達成感が高い魅力的な人は、自分の可能性に対して楽観的になるし、忍耐力もついてきて、辛抱強くなったりする。しかし、魅力に乏しい人にとって、人生とは長い上り坂を“とぼとぼ”歩くようなもので、辛抱しても得るところが少ない。ブスの僻みが強くなるのは、同じような苦労をして同じような成果を出しても、美人の方が評価され、印象が良かったりするからだろう。演劇界でも度々耳にするが、同じような技量なのに、容貌の優れた人は「美人女優」で、凡庸な外見の人は「演技派女優」と評される。ギャラだって美人女優の方が高いし、主役が廻ってくる率も高い。ところが、ブスは万年脇役だ。ただし、「演技派女優」の方が「若さ」という年齢に左右されずに、第一線での現役生活を続けられるという長所がある。「美しさ」だけが取り柄の大根役者だと、小じわが目立つ年齢になればポイ捨てされるし、若手女優に主役の座を奪い取られてしまうだろう。美人女優はプライドが高いだけに、「格下」の配役に納得しない。年相応の配役、例えば「出しゃばりのオバはん役」とか「意地悪な中年ババア」といったオファーは一蹴りで却下。だから、裏で若手女優をイビったりするんじゃないか。大女優の嫉妬は恐ろしい。

  芸能界で容姿による損得があるのはしょうがないけど、公平であるはずの法廷でもあるらしいから問題である。過去、幾人かの学者によって、被告人の容姿と陪審員の判断に関する調査があったそうだ。ある調査では、犯罪が被告人の魅力によって扇動されたかどうかという点で、陪審員による判決が違っていたという。例えば、詐欺事件では魅力のある被告人の方が厳しい判決を受けるらしい。だが、ルックスに関係の無い強盗事件では、魅力の乏しい被告人の方が厳しい判決を受けたそうだ。(ロビン・T・ラコフ、ラクェル・L・シェール『フェイス・ヴァリュー』 南博 訳、ポーラ文化研究所、1988年、p.203) 納得できないが「やはり」と思ってしまう。一般的に魅力のある被告人は、そうでない人よりも有罪判決を受ける確率が低いし、懲罰も軽くなるらしい。

  日本人のある弁護士によれば、美人の被告人だと判事の対応が違ってくるそうだ。例えば、美女が亭主や恋人から暴行を受けて、その相手を殺してしまった場合、魅力的な女性だと無理からぬ抵抗と考えたくなるし、「よほど辛かったのだろう」と同情したくなるそうだ。美人だと兇悪で残忍な犯人とは思えないからだろう。裁判官も男だから、何となく美しい女性に肩入れをしてしまい、「好意的に」事件を解釈することだってあり得る。法廷に立つ美女が下を向いてすすり泣けば、裁判官も「そうそう、よく反省してるね!」と感心するし、情状酌量の余地もあると思ってしまう。ところが、被告人がブスで裁判中にふて腐れた表情を見せると、裁判官は「こいつ反省していないな ! けしからん!」と思ってしまうのだ。口には出さないけど、外見による印象というものがあるから、裁判官もつい厳しい口調になってしまう。被告人としたら普段通りの表情をしたまでで、生まれつきの険しい人相、あるいは辛い人生で染みついた顔つき、という場合もある。それなのに、裁判官は「反省していない」といった印象を持ってしまうのだ。

  これを踏まえて、詩織さんのケースを考えてみると、何となく彼女に有利なことが分かる。被害者が美人なので、記者会見を観た世間は、涙ぐむ彼女に同情し、加害者の山口氏に嫌悪感を抱く。彼女が「警察上層部からの圧力、何らかのパワー」と言えば、大勢の人が「そうなもなぁ」と考えてしまうだろう。「警察官僚による事件の握り潰し」と聞けば大衆は勘ぐってしまうし、いくら警視庁が公式に否定しても、人々からの疑惑は晴れない。平民の我々には事件の全貌や全ての証拠を調べる事が出来ないので、「準強姦罪」が成立するのかどうかは分からない。仮に詩織さんが検察審議会に不服を申し立てても、起訴に持ち込んで山口氏を有罪にする事は難しいだろう。ただ、検察が独自に犯罪を判断するよりも、裁判で決着をつけた方が、たとえ無駄であっても被害者にとっては少しだけ慰めになる。屈辱を受けた詩織さんからすれば、示談では腹の虫が治まらないんだろうから。

  今回の事件で分かったことがある。まず、ジャーナリストに倫理観の欠如した下郎が多いこと。次に、マスコミ業界ではこうした「強姦まがいの性交」が珍しくない、ということだ。山口氏はベッドに入り込んできた詩織さんに欲情したと言っているが、相談を受けて食事をした時点で彼女を狙っていたんじゃないか。無事に食事を終えたとしても、「いつかは」とか「あわよくば」と考えていたのかも知れないぞ。だいたい、意識朦朧となった女性をホテルの部屋に引き込んで、二人だけで一晩明かすなど普通じゃない。マスコミ業界では「よくあること」なのかも知れないが、一般常識では「ふしだらなこと」である。いくら彼女が酩酊状態だからといって、中年男性が若い女性を自分の部屋に連れ込んで、半裸の状態になれば、性慾が湧いてくるのも当然で、常識人なら前もってそうならないよう自戒するはずだ。恋人でもない女性に黙って、しかも寝ている隙にセックスを行うなど卑劣である。山口氏は彼女から近づいてきたと述べているが、それは彼が勝手にそう思ったからで、少なくとも意識が怪しく、抵抗できない女性と判っていたはずだ。もし、目覚めた彼女が激怒して「強姦」と叫んだら、山口氏はどうするつもりだったのか? 昏睡セックスとなれば「問題行為」となり得るから、TBSに勤める山口氏は焦ったはずだ。それを深刻に受け止めていなかったのは、若いジャーナリストの卵なら適当に丸め込めるという「安心感」や「自信」があったからだろう。彼は「法に触れることは一切していません」と弁解しているが、堂々と話せる「求愛行為」でもあるまい。 もし、下っ端女性の出世欲と引き替えにセックスを求めることが、業界で「よくある」ことなら、重大かつ深刻な「慣習」である。

  たぶん、詩織さんは山口氏を「準強姦罪」に持って行けないだろうが、自身の知名度を上げることには成功したと言えるだろう。「強姦」されたという苦しみを味わったが、二十代で大きな仕事が舞い込んでくる切っ掛けを得たのだ。筆者がもし日テレのプロデューサーとかディレクターなら、ワイドショーやその他の報道番組で彼女を採用する。左翼系のマスコミなら、こうしたピンク系の美人ジャーナリストは便利な存在だ。彼女を「代弁者(マウスピース)」に仕立てて、自分たちが望む意見を喋らせれば、茶の間の視聴者を洗脳できる。復讐心に燃えた詩織さんも就職先が見つかって喜ぶだろう。民進党系と見られる西廣陽子弁護士を選んで記者会見に挑んだくらいだから、左翼分子に嫌悪感はないはずだ。それにいくら駆け出しとはいえ、メディア業界の裏側を知っているはずだから、弁護団の背後にいる政治勢力に気づいているだろう。それを承知でタッグを組んだということは、自分の事件と「安倍降ろし」をごちゃ混ぜにしてもいいと腹を括っているはずだ。本来なら、政局絡みの事件ではなく、警察機構の腐敗に焦点を絞るべきなのに、怪しげな弁護士をパートナーにしてしまったところに胡散臭さがある。

Shiori 1  詩織さんくらいの容姿なら、テレビ向きのジャーナリストになれるし、人気ゲストにもなれるだろう。もし、本人に政治的野心が芽生えれば、参議院選挙にだって出馬できるし、当選だって夢ではない。おそらく、落ち目の民進党や「数」を求める政党が彼女に出馬を打診してくるだろう。どうせ、無党派層は参議院選挙なんか興味ないし、誰が当選したっていいと思っている。それなら、自分の信条を貫き、凛とした姿を示す詩織さんに投票する有権者がいてもおかしくはない。かる~いオツムのリベラル女子とかインテリ気取りの事件記者、左に構えて格好をつける元局アナは、人気の波を利用して世間を泳ぐものである。彼らにとって、「退屈」な選挙ほど嬉しいものはない。与党に「これっ」といった候補者が居ないと、有名人やテレビでよく見かける人に票が集まるからねぇ。

  今回の騒ぎで山口氏は当分、表舞台のテレビや雑誌に登場できないだろう。それにしても、テレビ局に群れるジャーナリストには不埒で「碌で無し」の下郎が多い。大手マスコミのNHKに窃盗犯や痴漢、シャブ中などが多いのは知れ渡っているが、今回のことでTBSにも破廉恥漢がいるということが世間にバレた。また、「報道」を看板にするTBSが、身内の不祥事に対しては反応が鈍くて甘い事も明らかとなった。「共謀罪」を阻止する特集なら組むけど、元社員の「疑惑」に関する「報道特集」は流さないとするテレビ局は、世間の笑い物となるはずだ。いっそのこと、TBSは罪滅ぼしの為に「サンデー・ジャポン」に詩織さんを招き、強姦罪や親告罪について話をさせたらどうか。たぶん、ピンク左翼同士で気が合うかもしれないぞ。関口宏の「サンデー・モーニング」は高齢化が進んでいるから、若い女性が参入すれば活気が戻るかも知れないし、「噂の東京マガジン」ならてこ入れを図って、森本氏のアシスタントに迎えてもいいだろう。視聴率向上のためなら何でもいいと考えるのがテレビ局だから、躊躇しないで詩織さんを採用したらいいんじゃないか。美人ジャーナリストが「女」を武器にしようが「才能」を発揮しようが、判断するのは視聴者たる国民だろう。フジテレビは賞味期限の切れた安藤優子を解任して、「可哀想な」詩織さんでもキャスターに抜擢すれば株が上がるかも知れないぞ。テレ朝も焦るほどの左翼路線を突っ走るフジテレビに相応しい人選だと思うんだけど・・・。




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