無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

日本文化論

ペット化する子供 / 分裂する日本社会 (前編)

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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子供の名前と親の精神

 人間が持つ特徴の一つに理性がある。アリストテレスは人間に理性があることを以て、我々と動物を区別した。キリスト教だと、天主の息、すなわち霊魂が吹き込まれているか否かで区別されている。頭のおかしい言語学者を除き、人間だけが言語を操る動物であることは間違いない。創世記にはアダムが天主のイメージで創られ、イヴ(女)はアダムの「あばら骨」で創られたという。ただし、イヴが誕生する前、あらゆる生き物が土で造られており、天主は人間がどんな風に呼ぶのか見ていたそうだ。アダムはあらゆる家畜や鳥、野原の獣に名前を授け、自分の骨から創られた女を「イヴ(命)」と名付けたのもアダムとなっている。(創世記3章20節)

 子供をもうけた親は多くの場合、「名附け親」になるのが普通だが、近頃の日本人には常識外れの発想をする者がいるようだ。テレビのワイドショーで報道していたけど、赤池肇(あかいけ・はじめ)という高校三年生が、改名を申請して裁判所はそれを許可したという。というのも、彼の本名が「赤池王子様」であったからだ。一般人なら「えっ!」と一瞬言葉を失ってしまうが、彼の母親が可愛さ余って考えた名前というから更に驚く。いくら愛する我が子とはいえ、「王子様」という名前を附けるなんて非常識だ。「一体、どんな頭をしているんだ?」と疑いたくなるような親である。

  しかし、世の中にはこういった珍奇な名前を附ける親が他にもいるらしい。俗に言う「キラキラ・ネーム」を好む親は結構いるそうで、平成になると全国各地に現れたそうである。以下に記す名前はインターネットで調べた情報だから信用性は低いけど、実際に存在するみたいだから幾つか紹介したい。

  ちょっと耳を疑ってしまうが、漫画やアニメを好む親は、子供に贔屓のキャラクターと同じ名前、あるいはその発音を基にして独創的な漢字の組み合わせを用いるそうだ。例えば、人気アニメ「ポケモン」を連想させる「光宇(ぴかちゅう)」とか、「ドラゴンボール」のクリリンを真似た「空理鈴(くりりん)」、ゲーム・ソフトのキャラクターと思われる「是留舵(ぜるだ)」、松本零士先生の「クィーン・エメラルダス」から取ったと考えられる「笑来星(エメラルダス)」などがある。信じられないけど、女の子の名前で「歩如(ぽにょ)」というのがあるそうだ。まさか、魚の「ポニョ」じゃないと思うけど、子供に附ける名前とは思えない。

  筆者は感覚が古いのか、以下の名前を持つ子供がいるとは信じられない。けど、「もしかしたら・・・」という可能性もあるので、一応挙げておく。

 男子の名前 / 動画(てれび)、大麻(たいま)、主人公(ヒーロー)、高飛(ジャンプ)、北斗拳(ほとけ)、龍騎士(ナイト)など。その他、「核(アトム)」というのがあったけど、「アトム」なら「原子」で、「核」なら「ニュークリアス(nucleus)」になると思うのだが、たぶん親に理科の知識が無かったのだろう。夫婦のどちらが発案してたのか分からないが、妻や夫の両親も気づかないんだから、どんな一族なのか想像がつく。真相は謎のままだが、「原子爆弾」は「核爆弾」と呼ぶから「核」を「アトム」と思ったのかも知れない。滑稽な例をもう一つ挙げるとすれば、「宇宙(なさ)」という名前があるらしい。これは米国の「NASA」を念頭に置いて作った名前なんだろうけど、かなり強引な当て字に思える。これくらいひどい名前になれば、国語の教師でも、どう読んでいいのか分かるまい。

  本当に信じられないが、女の子の名前もすごい。例えば、「羽姫芽(わきが)」という名前があるそうだが、これじゃ「腋臭」と間違えられて恥ずかしいじゃないか。「樹茶(きてぃちゃん)」はたぶん、サンリオの「キティー」ちゃんから来ているのだろうが、これは猫キャラの名前で、人間用ではない。無茶な当て字もあるようで、「星(あっぷる)」というのがあった。どうして「星」を英語の「アップル」と呼ぶのか筆者には解らない。ファッション・デザイナーの森英恵(もり・はなえ)さんには、森星(もり・ひかり)という孫娘がいるけど、光る星をもじって附けた名前なのか不明である。英恵さんのご主人は陸軍主計科の森賢(もり・けん)少佐だったけど、「星」という名前を目にしても、「ひかり」と読む知識は無かったはずで、この振り仮名を聞けばビックリしたはずだ。

  不可解な名前はもっとある。例えば、「大穴(だいあな)」だ。これは多分、月の女神「ダイアナ(Diana)」から由来する名前なんだろうけど、用いた漢字がまずい。「おおあな」じゃ馬券で当たったような響きになる。もう目眩がしてくるけど、神経が異常な親は尽きないようで、「沙音瑠(しゃねる)」や「宝石(たから)」と名附ける親がいるそうだ。でも、こんなのは子供を「モノ」扱いにしているとしか思えない。おそらく、デザイナーの「ココ・シャネル」から取った名前なんだろうが、ブランド名を子供の名前にするなんて異常である。もし、親が「グッチ」のファンだと、「愚痴」でもよくなるし、阪神タイガースのファンなら、「虎」と書いて「タイガー」と発音させるかも知れないぞ。キューピー・マヨネーズの愛好者なら、娘に「キューピー」と附けるし、不二家の常連だと「ペコ」ちゃんとなりかねない。

 珍奇名に馴れた人でも、「愛歩(あほ)」という名前を聞けば、「どんな親なんだ?」と唖然とするだろう。こんな親こそ正しく「アホ」である。漫才師の坂田師匠なら「アホの坂田です!」とひょうきんに振る舞って、人々の笑いを誘うが、一般人の女性が「アホです」と自己紹介すれば、「えっ! それ本名なの?」と耳を疑い、次第に凍りつく。学校の先生は授業中に生徒を叱るとき、彼女の存在が気になってしまうんじゃないか。もし、いたずらをした男子生徒を叱る場合、「このドアホが !」と口にできないし、馬鹿らしい事を聞いても「アホか!」と言えなくなる。困った名前はまだあって、「音音」と書いて「のんのん」と読む名前があるそうだ。一体どんな発想をしたら、こんな表記を思いつくのか。第一、これは何の意味を持っているのか、普通の日本人には解らない。パンダじゃあるまいし、「リンリン」とか「ランラン」の類いだ。

  「キラキラ・ネーム」に詳しい人によれば、こうした親は我が子を他人と違った個性的な人間にしたいと考えているそうだが、子供の「未来」に関しては全く考えていないんじゃないか。百歩譲って、幼稚園児くらいまでなら「仕方ない」で済まされるが、小学生になれば笑いものになってしまうし、事によったら、イジメの原因にもなってしまうだろう。また、こうした名前を聞けば、まともな親は「いやだぁ~、一体どんな家庭に生まれた子なのかしら?」と怪訝に思ってしまうから、PTAで話題となるに違いない。一概には言えないけど、こうした名前を附ける親は、知能・教養が低い者、あるいは「個性」を誤解している者という可能性が高い。なぜなら、命名は祖国の文化に基づいているし、ある程度の範囲がある。朝鮮では「金」という家族に生まれた女の子に「玉」という名前が附けられる場合があるけど、日本人ならそうした名前は附けないだろう。いくら「キム・オク」と発音したからといって、「金玉」じゃ可哀想だ。しかも、女の子なんだから尚更である。

  ちょっとでも知性があれば、キラキラ・ネームが世間でどんな評価を受けるのか予想できるし、「こんなの恥ずかしい」と判るだろう。しかし、隔絶した感覚の持ち主は、何で「おかしい」のか解らない。キラキラ・ネームの調査では、親の家系や職業、学歴、趣味、嗜好、地位などが除外されているので、本当のところは不明だが、何となく自覚無き「痛い人」が想像できる。だって、娘に「望己利(もっこり)」とか「煮物(にもの)」と名附ける親がいるんだから、知性のある人物とは思えない。こんなのは赤塚不二夫のギャグ漫画に出てきそうなキャラクター名じゃないか。いずれ鳥山明の漫画を参考にして、「ベジータ」とか「ピッコロ」なんて名前が出てくるぞ。また、『進撃の巨人』を読み耽る熱心なファンだと、子供に「エレン」とか「リバイ」と附けてしまいそうだ。恐ろしいけど、底辺校で育った親ならあり得る。

親の身代わりとなる子供

  他人の子供だから、親がどんな風に命名するかは個人の勝手だろう。しかし、名附けられた子供を考えると不憫に思えてくる。なぜなら、幾人かの子供は、あたかも親のペットみたいになっているからだ。筆者はたまにテレビ東京の『きらきらアフロ』を観て、笑福亭鶴瓶と松嶋尚美が繰り広げる「たわいない雑談」を楽しむ。しかし、松嶋が会話の中で紹介する子供の話を聞くたびに心が痛むことがある。彼女には長男と長女がいるそうで、息子の「珠丸(じゅまる)」が兄で、娘の「空詩(らら)」が妹になるそうだ。漫才師の松嶋がアホなのは藝の一つになっているからいいけど、子供の名前くらい真剣に考えればいいのに、と"つい"思ってしまう。

  子供は自分の名前を選べないから、不幸になることもしばしばある。小学生までなら「じゅまる」君で可愛らしいが、思春期になれば恥ずかしくなるんじゃないか。松嶋がよく引き合いに出す娘の方も、自分の名前を書いて先生や友達に見せたら、「何て読むの?」と質問されるはずだ。この漢字を目にした一般人で、「らら」と読める人は滅多に居るまい。それでも、多文化主義の平成だから仕方ない。だが、親になった松嶋の教育方針には賛同できないところがある。以前、彼女は「英語が上手く喋れたらいいのになぁ」と願うあまり、ついに英会話を習ったそうだ。しかし、単なる趣味の一環なので進歩が無かった。それでもまだ英会話に未練があるようで、松嶋は息子をインターナショナル・スクール附属の幼稚園に入れたそうだ。

  これはまさしく短絡的な「お馬鹿」の発想で、自分の夢を子供で実現しようとする典型例だ。よく、ピアニストに憧れた女性がレッスンを受けるが、中学生や高校生から始めるので全然ダメということがある。まぁ、楽譜さえチンプンカンプなんだから、指と頭がバラバラに動いて演奏が滅茶苦茶になるのも無理はない。普通なら「自分の努力が足りない」と反省するものだが、頭の弱い御仁だと、「小さい頃から練習しなかったから出来ないのよ! 」と考えてしまうそうだ。たぶん、責任を他者に転嫁することで自分のプライドを守りたいんだろう。

  アホな親だからしょうがないけど、こうしたアカンタレは娘を産むと幼稚園児の頃からピアノを習わせ、無理矢理ピアニストにしようとする。ところが、好きでも無い練習を強要される子供は堪ったもんじゃない。ヒステリーを起こして反抗するから、親子喧嘩が絶えず、終いには高価なスタンド・ピアノが部屋のデコレーションになってしまう。だいたい、クラッシカル音楽とは無縁で、カラオケ店に通えば、Jポップスや歌謡曲を熱唱する親が、自分を棚上げにして、娘に「ちゃんと練習しなさい!」と言えるのか? 一方、娘にとったら「音楽」は「苦役」以外の何物でもない。毎日が拷問のようでピアノが兇器に見えてくる。本人に演奏への情熱が無ければ、楽器の練習は苦痛でしかない。

  英語コンプレックスの親も似たような性質がある。近くに普通の幼稚園や小学校があるのに、わざわざインターナショナル・スクールに通わせ、英語を学ばせようとする親は現実を解っていない愚者である。母国語の習得は子供の一生を左右する重要な教育で、国語能力の低下は他の教科、すなわち数学や理科、社会、英語にまで影響を及ぼす。なぜなら、子供は母語で物事を考え、思索する言語で文章を理解し、自分の意見を述べる時も母語が基本となるからだ。例えば、数学の問題を解く時、母語を習得していない子供は、何を問われているのかさえ分からない。感想文や随筆を書く時だって、日本語が拙いと支離滅裂な文章になってしまう。また、物理や哲学の授業を受けた時、「論理的に考えろ」と言われても、そもそも論理的に書かれた説明文を理解できないからお手上げとなる。しかも、漢字を読めない、書けないとなれば、教師の方が厭になってくるじゃないか。

  松嶋は欧米諸国を旅行した時、現地の白人と会話できなかったことを悔やみ、「英語を喋れたらなぁ」と思ったそうだが、その程度の動機で外国語の勉強が続くとは思えない。英語の基礎を習得していないばかりか、記憶力さえ低下している中年女性が、仕事の合間に勉強したからといってマスターできるものじゃないだろう。松嶋は気づいていないだろうが、西ゲルマン語は日本語と文法・構造(syntax)が根本的に違うし、発音や語源さえ繋がりが無いのだ。ある意味、日本人にとって英語やドイツ語は暗号の塊である。だから、成人してから英語を学ぶ者は、しっかりと文法を理解し、語彙を増やさねばならない。ところが、よほどの執念とか野心が無い限り、大人は記憶する量が膨大になると嫌気がさす。不本意でも、途中で諦めてしまう人が続出するのは当然だ。

  こうした挫折を味わった親の中には、自分の怠惰を自覚せず、子供に夢を託す者が少なくない。高額な授業料を払っても、我が子をインターナショナル・スクール(西歐白人の学校)に入れて、理想の分身(親の代役)にしようとする。確かに、外人学校へ入れられた日本人の子供は、記憶力が旺盛だから、友達と遊んでいるうちに英語を覚えるかも知れない。それに、クルクルパーの親と比べれば発音が良く、早口で喋ることもできるから、「まぁ、うちの子天才!」と低能ママは喜ぶ。だが、家に帰れば日本人の親が待っており、コテコテの日本語で話しかけるから、子供の上達は中途半端だ。いくら幼稚園で外人教師と接触しようが、子供にとったら親の方が大切だし、密接な会話や躾は日本語でなされるから、日本語が主要言語となってしまう。したがって、幼児期からの英語教育は初歩的なものに過ぎない。

  松嶋のような日本人は、「親馬鹿」というより「バカ親」に近い。松嶋本人は「バイリンガルの息子になった!」とはしゃぐが、幼い子供は親が味わった屈辱を体験していないから、英語を喋れるようになっても、大した感動は無いはずだ。だいいち、「バイリンガル」になった日本人の子供は、外人教師の質問に反応しているだけで、利発な子供になった訳じゃない。サーカスの熊と同じである。しかし、「輝かしい国際人になってくれ」と願うバカ親は、長いこと劣等感に苛まれているから、子供の英語力が向上したと単純に感激する。ハッピーな教育ママは、我が子の学力や知能が半減している事に気づかない。本来、正しい日本語や多くの漢字を覚える時期に、英語の「お遊戯」や楽しい英会話で時間を潰してしまうと、やがて大切になる国語能力が低下してしまうのだ。バイリンガルで育った高校生や大学生の中には、戦前の随筆すら読めない者がいる。なぜなら、歴史的仮名遣いや正漢字が分からないし、歴史の知識も無いから意味が摑めないのだ。

  見栄を張りたがる親からすると、我が子が英単語をすらすら読め、日常会話も"ネイティヴ"並に交わすことができれば、お金を払うだけの甲斐があったと思ってしまう。しかし、こうした子供は小学校や中学校に進むにつれ、勉強が苦しくなることもあるのだ。幼稚園を卒業した後、米国や英国に移住するんなら別だが、引き続き日本で生活するとなれば、学問は日本語で修めることになる。大学に進む頃になれば、国語や数学、理科の知識も必要になってくるから、英語の点数だけではカバーしきれなくなり、幼少時の「お遊び」を後悔することになるのだ。もっとも、最近では名前を書くだけで入れる私立大学とか、入試は英語だけという学校もあるから、日本語が未熟でも困ることは無い。それに、有名藝人の息子ともなれば、「二世藝人」という就職先があるから、"ひけらかし"の英語力は特技の一つとなる。そもそも、テレビ藝人に"まとも"な日本語は要求されないから、英語を使って外人タレントにインタヴューできる方が得になるのだ。

  日本には脳天気な親が結構多い。「英語を流暢に喋ることができる」という"能力"は、実際のところ「幻想」に近く、日本でしか通用しない「特技」である。英国や米国に行けば分かるけど、街中のほぼ全員が英語を喋っているから、「英会話力」なんて自慢にならない。不法移民や乞食、犯罪者だってそれなりの英語を喋るし、警官からの職務質問にちゃんと答えている。様々な人種が混在する英米だと、ペラペラ話せることより、立派な論文を書ける方が重要となるので、語彙が豊富で表現の巧みな人の方が社会的評価が高い。さらに、教養人ともなれば、英語はもとより、ラテン語の読み書きができるとか、歴史や古典に精通しているということが必須となる。

  しかし、英会話を重視する国際派の教育ママは、欧米の知識人階級まで頭がまわらず、我が子が成人してから、「中身が空っぽ」の木偶(でく)人形であると気づく。筆者は昔、英語力を自慢する女子学生に、「わぁ、凄い。フィリピン人か支那人並ですねぇ~」と言ったことがある。彼女は激怒したけど、イギリス人やアメリカ人だって同じ意見を持つはずだ。たとえ英語を流暢に話せても、肉体が変化してアングロ・サクソン人になる訳じゃない。松嶋たちが目指す「国際的日本人」は植民地で白人にこびる黄色い奉公人と同じだ。日本の歴史や文化について何も語れず、"これ"っといった特技も無く、ただラップ・ミュージシャン並の英語をひけらかしても馬鹿にされるだけだ。まともな西歐人は洞察力が鋭く、間抜け面のアジア人を相手にすることはない。自国の文化を蔑ろにし、誇りを持たない奴は軽蔑されるだけだ。名誉を重んずる西歐人は、たとえ日本人を好きになれなくとも、名誉を尊ぶ者か否か、を判断できる。松嶋の息子や娘がどのように成長するか分からないが、今のような教育を続けている限り、英語を上手に喋るだけのチンピラにしかならない。

  理解しがたい名前を附ける親とか、英語を学ばせる親は、子供のためを思ってそのような行動を取るのだろうが、常識に欠けるため逆の効果をもたらすことになる。また、「海外で通用する名前にしたい」とか「欧米人に近づきたい」と思って子供に西洋風の漢字名、例えば、「健 / ケン(Ken / Kenneth)」「英土 / エド(Ed / Edward)」「登夢(Tom / Thomas)」とか「マリア/ 麻里亜 (Maria)」「ジュリア / 樹里亜(Julia)」といったものを附ける親もどうかしている。確かに、欧米人が聞けば理解できるが、「これって、日本人の名前なのか?」と思ってしまう。まぁ、キリスト教徒の日本人ならミドル・ネームに「ステファノ」とか「パウロ」があってもいいけど、実家が浄土宗とか真言宗なのにヨーロッパ風の名前なんてちょっとおかしい。

  今いる日本人だけでも「困ったちゃん」が多いのに、今年から更なる移民が増えてくるので、驚きの親が激増するだろう。日本にやって来る研修生とか高度技術者というのは、祖国を捨てて日本国籍を目指す下層民が大半なので、日本人の理解を超えた風習や文化を持ち込んでくる。現在はキラキラ・ネーム如きで驚いているが、マレー人やフィリピン人のイスラム教徒が増えれば、「ムハマッド」君とか「アブドル」君といった子供も普通になってくるはずだ。学校でも異変が起こり、「国語」の授業が「日本語」という名称に変わるかも知れないぞ。子供の会話で「君の家では何語を喋っているの?」という質問が出てくるし、外務省のホームページには、「日本の公用語は日本語です」という紹介が出るかも知れない。平成で日本らしい日本が終わり、次の御代では階級や民族でバラバラになった日本になるだろう。バルカン半島みたいに、我が国がバルカン列島になったら大変だ。

  後編に続く。



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偽善のマスコミを信じる日本人 / 国民を誘導するテレビ局

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集団催眠に弱い国民

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  日本人はお役所と大企業を盲信する癖がある。「支那人は嘘をつかない」と信じる馬鹿はいないが、国民に大切な情報を隠す官僚や、視聴者を誘導するテレビ局を信用する日本人は実に多い。“これ”といった根拠も無しに、「有名で大きな企業は不正を犯さない」と頭から信じているんだから呆れてしまう。NHKがどんなに偏っていても、朝日新聞が捏造記事を報道しても、その存在が揺るがないのは、日本人の持つ巨大組織信仰のせいである。こんにち、新聞の販売部数が激減したとはいえ、未だに朝刊の配達を楽しみにしている国民は絶えず、「全国紙が書いていることだから本当だ」と疑わずに妄信している人が結構いるらしい。

  九月に総裁選を迎える自民党では、安倍総理の再選が濃厚で、対抗馬の石破茂は風前の灯火である。次世代のホープと目される小泉進次郎も、沈み行くボロ船に同乗するつもりがないのか、そろ~と足抜けを図り、石破と距離を取っている。まぁ、自分の将来を考えれば、あんなツラの駄馬に政治生命を賭けるアホは居るまい。ところが、「安倍憎し」のマスコミは違っているようだ。何としても安倍三選は阻止したい。心の底から日本人を恨む朝鮮人の如く政敵を呪っている。新聞社の論説委員とか雑誌の編集長が安倍氏を個人的に攻撃するのは勝手だが、それをあたかも「社会正義」の如く掲げるのは詐欺に等しい。もし、「安倍政権打倒」を訴えるなら、「私は学生時代、共産党に共鳴したので、生理的に自民党が嫌いです」とか、「祖父が在日朝鮮人だったので、帰化したとはいえ、家族が受けた屈辱を忘れません。今でも日本人を恨んでいます」、「立憲民主党の支持者なんだけど、人には言えないから、新聞のコラムで自民党批判をしています」と告白してくれたら、読者の方も書き手の立ち位置や根本思想が判るので、社説を読むときに役立つ。ところが、肝心な批判者が正体を告げず、社名の看板に隠れ、「公平無私の透明人間」じゃ狡いよねぇ。

Abe 2Ishiba 1(左: 安倍晋三  /  右: 石破茂)
  一説によると、讀賣新聞の発行部数は約800万部くらいあるそうだが、その信憑性は未だに健在なのか、本当のところは分からない。ただ、自民党の総裁選に関するアンケート調査には首を傾げたくなる。自民党の総裁選挙は、自民党の一般党員や所属議員の投票で結果が決まるはずだが、なぜか新聞社は「無党派層」のアンケート結果を報道し、「石破への支持が多い」と評しているのだ。これを聞いた一般読者は、「えっ、自民党員以外の一般人でも投票できるの?」と勘違いしてしまうだろう。讀賣新聞の記事によれば、無党派層における石破氏の支持率は46%で、安倍総理は21%に過ぎない。そして、男女別の調査によると、安倍総理を支持する男性は51%で石破氏だと35%、女性の方は、安倍支持が34%、石破氏には37%となっていた。安倍総理を支持しているのは、40歳以下の若者と70歳以上の高齢者で、石破支持者の中核は50歳から60歳の人であるらしい。つまり、新聞やテレビしか頼れる情報が無く、社説に同調する人々が石破支持に廻っているのだろう。

  各都道府県にいる自民党の一般党員が安倍氏に投票しようが、石破氏に乗り換えようが、それは党費を払って自民党を支えている人が決めればいいことで、党員になっていない人に向かって、「誰が自民党の総裁に相応しいか」なんて尋ねるのはお門違いだ。「無党派層」とは部外者に過ぎず、投票権を持たない人々である。アンケート結果を載せた編集部に訊きたいが、讀賣新聞の社長を一般の通行人が決めてもいいのか? 株主でもない一般人が讀賣の本社を訪ねても、「帰れ、どアホ!」と門前払いを喰らうだけだろう。たぶん、讀賣新聞の狙いは、一般国民に安倍総理への不満が募っているんだぞ、と囁きたいのだろう。しかし、それは新聞社が煽ることではなく、一般国民が”自分で”判断することだ。「俺のところは大新聞なんだから、間抜けな庶民は我が社の方針に従え」という態度じゃ読者の反感を招くだけである。

刺青を推奨するマスメディア

  日本のマスコミは真の意図を隠しながら、一般国民を一定の方向に誘導する性癖がある。以前、当ブログでも言及したが、地上波テレビや大手のマスコミは、日本社会に刺青文化を定着させたいようだ。(過去記事A記事B記事Cを参照。) ついでに言えば、筆者はマスコミがよく使う「タトゥー」というカタカナ言葉が嫌いである。ちゃんと日本語で「刺青(入れ墨)」という言葉があるのに、彫った人々に気兼ねしたのか、頻繁に「タトゥー(Tattoo)」と言い換えるので、聞いていて腹が立つ。おそらく、テレビ局は「刺青」という“ドキッ”とする響きが嫌いなんだろう。一般人はどうしても刺青とヤクザを重ねてしまうので、プロデューサーが故意に馴染みのある日本語を避け、外国語を用いているのだと推測できる。制作者側の指示に従うゲスト・コメンテーターも、揃って「タトゥー」を用い、決して日本語の「刺青」を口にしないよう心掛けているのだろう。

  テレビ藝者の俳優とか歌手はどうでもいいけど、脳科学者の茂木健一郎が、一部の藝人が彫った刺青に関して持論を述べていたので、彼の発言だけは見過ごせない。(「茂木氏、タトゥー差別に問題提起『日本の国際的恥』 2018年8月24日附「日刊スポーツ」) なぜなら、茂木氏のような有名人は別の影響力があるからだ。大半の日本人は学歴劣等感や権威崇拝心が強いせいか、矢鱈と大学教授や科学者に対して盲従しやすい。確かに、茂木氏は脳科学の分野においては優秀な研究者なんだろうけど、一般社会の常識には疎いようだ。茂木氏は日本の温泉施設や水泳プールが刺青者を拒んでいる事を知って、「いわれなき差別は撤廃すべきだ。インバウンドのお客さんも増えている今、放置すれば日本の国際的恥である」と指摘した。茂木氏が言うように、なるほど、刺青を彫った人間が全てヤクザ者とかゴロツキとは限らない。しかし、以前の日本ではカタギの人間が刺青を彫るなんて考えられず、もし、刺青を彫るとすれば、それは遊び人とか、沖中仕(おきなかし)あるいは艀人夫(はしけにんぷ)といった下層筋肉労働者、それでなければ街のチンピラとか暴力団員といった裏社会の人間くらいだった。

Mogi 001(左  / 茂木健一郎 )
  茂木氏は「親からもらった身体を傷つける行為」を口実に挙げて、利用者の制限を行っている施設に反論し、こうした意見を「論理的に脆弱」で「批判的思考の深刻な欠如」と斬り捨てていた。確かに、温泉施設側の根拠は説得力に欠けるところがある。刺青を彫る人を譴責するのは、その人の親であって、温泉施設の経営者ではない。温泉施設側の本音は、刺青者が来店すると店の雰囲気が悪くなり、カタギの常連客が減ってしまうことにある。家族連れが訪れる温泉旅館に、刺青を彫った外国人や柄の悪い日本人がやって来れば、大浴場でその絵柄を披露することになるから、子供を持つ親は二度と来なくなる。いくら外国では“普通のファッション”とはいえ、一般家庭の日本人からすればヤクザの風習と同じである。

  例えば、幼い息子と一緒に露天風呂に浸かる父親が、刺青を彫った日本人を見ればギョっとするし、子供を心配する親なら、少しづつ離れようとするはずだ。一緒に来た女房や娘だって厭な顔をするし、「大浴場に行きたくない」と拗(す)ねるだろう。また、いくら外国人とはいえ、胸や首筋にまで刺青を彫った南米人を目にすれば、せっかくの温泉気分が台無しだ。それにもし、幼い息子が大声で「パパ、あのオジさん、胸に蜘蛛の絵が描いてあるよ」と言えば、小声で「コラっ ! 、そんなこと言っちゃ駄目だよ」と叱るしかない。それに、不気味な外国人を見かけた息子や娘が「パパ、何となく怖い!」と怯えたら、料金を払って旅館に泊まった意味が無いじゃないか。温泉の経営者は、こうした「現実」を分かっているから、テレビ局や雑誌の「お説教」なんか無視する。だいたい、刺青外人の来店で日本人客の数が減ったら、評論家やテレビ局は責任を取ってくれるのか? 綺麗事を言う番組制作者は、スポンサー企業に刺青文化を推奨すればいいじゃないか。例えば、入浴剤の製造会社(「ツムラ」とか)に、刺青を彫ったコロンビア人をCF(映像宣伝)に使ってみたら、と助言してみろ。局の専務や常務、営業局のお偉方が真っ青になって駆けつけ、「今回の御無礼を何とぞお赦しください!」と土下座する破目になるんだぞ。番組のチーフ・ディレクターは間違いなく左遷だろうなぁ。

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  茂木氏は刺青者の排除を「国際的な恥」と主張するが、西歐人だって刺青を彫った人間を観れば、マフィアの構成員とか南米やロシアからの下層移民じゃないかと考えるはずだ。確かに、アメリカでは一般白人でも刺青を彫った人物は多い。1990年代になってから急速に刺青文化が拡散し、一般人でも藝人を真似て気軽に彫る人が増えた。今では信じられないが、1980年代まではロック・ミュージシャンでも刺青を彫っている人は少なかった。筆者の記憶だけど、任期ロック・バンド「メタリカ(Metallica)」のジェイムズ・ヘットフィールド(James Hetfield)は腕に彫っていなかったし、「アイアン・メイデン」のスティーブ・ハリス(Steve Harris)やデイヴ・マレー(Dave Murray)も彫っていなかった。ドイツ人ギターリストのマイケル・シェンカー(Michael Schenker)は、ちゃんと両腕に刺青があるけど、UFOやMSG時代の昔は無かった。「ガンズ・アント・ローゼス(Guns N' Roses)」のアクセル・ローズ(Axl Rose)くらいの世代から流行しだし、「アヴェンジド・セヴンフォールド(Avenged Sevenfold)」に至っては最初から全員が彫っている。

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(左: 刺青を自慢するモデル /  右: 企業のマークを刺青にした一般人)

  現在の歐米社会では、女性でも気軽に彫って見せびらかす人が多いし、禁止や反対を示さない親も普通になっている。ただし、刺青を彫った人の血筋や家系、社会的地位、職業、学歴、趣味、性格を注意深く調べてみると、下層階級や低学歴・低所得者、躾の良くない家庭で育った者、左翼の親を持つ者、離婚や別居で崩壊した家庭の子供、傷痍軍人、水商売の従業員などに多いことが判る。敬虔なキリスト教徒の家庭に育った若者や上流階級の子供、大企業で管理職に就くエリート社員、法科大学に通う地方名士の息子、名門大学の伝統ある友愛会に所属する女子学生、国際金融機関の上級ディーラーとか大手保険会社の重役には、刺青者を見つけるのが難しく、各人を丸裸にするしかない。それでも発見できない場合があるから、刺青を彫った者と関心が無い者との間には、透明だが厳然とした境界線があると考えるべきだ。

  なるほど、日本を訪れる観光客で墨を入れている外国人は多いが、その家庭環境や職業・経歴は明らかではない。しかし、一般の日本人が背中に天使の翼を彫ったり、胸元に髑髏マークを彫った外人を見かけると、ちょっとその人の品性を疑ってしまうことがある。日本人は西歐白人ばかりに目を奪われ、中東アジア人に気付いていないが、敬虔なイスラム教徒だと刺青を忌み嫌う人が珍しくない。西歐化されていないトルコ人やアラブ人の親は、息子や娘がファッションで龍とか漢字を彫ることを許さないし、異教徒の十字架なんか彫ったら勘当だ。世界各国にはそれぞれの風習や宗教があるので、刺青を容認するのが世界的趨勢だと思うのは間違いである。ただし、刺青を彫っている外人を観て、即座に拒絶するのも肯定できない。それでも、一般的に刺青のイメージは良くない。例えば、日本人に英語を教えてくれる西歐白人の先生で、首や腕に墨を入れている人は少ないじゃないか。有名大学や英会話学校は世間の評判を気にするから、刺青を彫った教員は採用されないはずだ。茂木氏は刺青を嫌う日本人の感性を批判するが、歐米の学界で見かける科学者の何割が刺青者なのか、具体的な人数を教えてもらいたい。もちろん、刺青をした科学者だっているだろうが、その両親や配偶者、子孫までが背中や肩に刺青を彫っているのか? 日本の常識的学者なら、まず刺青者はいないだろう。仮にその家族に会っても、奥方は良家のお嬢さんだったり、御子息は名門私立の優等生だったりする。彼の友人を捜しても、刺青を彫っている者は皆無というケースだってあるだろう。

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(左: 顔に刺青を彫って後悔した女性  / 右: 脇の下に刺青を彫って自慢する女性 )

  日本では未だに刺青が忌み嫌われており、都市銀行や証券会社、総合商社で働く幹部社員で、刺青を彫っている人なんかいないし、もし彫ったら昇進は望めないだろう。お客と直に接する営業部や窓口の一般社員なら即アウトだ。たとえ、手の甲に「信用第一」と彫っても、一瞬で信用を無くすぞ。偏見を無くそうと呼びかけるテレビ局だって、刺青をした新人アナウンサーは採用しないし、もし刺青者が採用試験に臨んでも、無条件で弾かれてしまうだろう。だいたい、ニュース番組やバラエティー番組に登場する女子アナが、首筋や腕に薔薇とかハートの刺青を彫れば、視聴者からの抗議が殺到するはずた。スポンサー企業だって「何で、あんな社員を番組に出すんだ !」と怒りを露わにするだろう。外見による偏見を撲滅しようと叫ぶテレビ局は、一般国民に説教していないで、自ら率先して刺青社員を起用するべきだ。マイク・タイソンみたいに顔に刺青を彫った女子アナがいてもいいし、腕にびっしりと刺青を彫った司会者かいてもいいだろう。また、局内でふんぞり返る重役たちにも、「オタクのお嬢さんに刺青でもどうですか?」と尋ねてみるべきだ。ただし、どんな反応が返ってくるかは想像できる。

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  テレビ局や新聞社が政治プロパガンダを垂れ流すのは勝手だが、宣伝する前に本音を明らかにすべきだ。非現実的な建前論を以て世論を操作するのは卑怯としか言いようがない。日本の倫理道徳を破壊したいなら、「手前どもは日本社会を腐敗させて、共産主義革命を実行したいのです」と正直に話し、一般国民の偽らざる反応を受け止めねばならない。本当に刺青文化を普及させたいのであれば、まずテレビ局社員が顔や腕に刺青を彫って、世間に認めてもらえばいいのだ。それをせずに、一般視聴者に「偏見を持つな!」はおかしい。フジテレビの社員は、せっかく自社のシンボルマークがあるんだから、みんなで額に彫ってみたらどうか。でも、フリー・アナウンサーを狙う女子アナや、他局へ転職を考えるベテラン社員もいるから、フジの刻印はマズいかも。なら、日の丸にでもするか。全国共通だしね。



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