無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

日本文化論

「病人」を作っているのか? / 偏差値で能力を測る日本人(後編)

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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出身校がその人の身分になる

  日本人は無宗教なのか、それとも熱心な信仰を持っているのか、十人十色でどうもはっきりしない。山本書店を経営していた山本七平・元陸軍少尉は、著書の中で日本人を日本教徒である、と述べていた。神や仏を信じていない人でも、「自分自身」だけは信じているので「日本教徒」であるという。「神様なんて人間がでっち上げた空想さ」と吐き捨てる人でも、自分が信じられなくなるとノイローゼになってしまうから面白い。啓蒙思想を叩き込まれた若者の中には、神社仏閣に参拝しないという人がいるけれど、日本には神道という立派な信仰がある。が、神道はイスラム教やユダヤ教と違い、教典に基づく宗教ではないから、外国人には分かりづらい。昭和天皇が崩御されたとき、CNNの特派員が神社の宮司さんに我が国の伝統宗教、つまり神道について尋ねていたが、答えていた宮司さんは説明に困っている様子だった。アメリカ人には日本語の専門用語は理解できないし、歴史にも通じていないから、彼らが納得するような答えは無理だ。

  ところが、「特定の信仰はありません」と答える日本人でも、無意識的に「学歴信仰」だけは持っている。我々は小さい頃から試験によって選別され、得点で順位附けされているので、成績ランキングで人物を判断する傾向が強い。とくに、大学受験を目指す高校生は、入学する大学の「ブランド」で一生評価され、大学名が刺青のように刻印されてしまうのだ。まるで、焼き鏝でお尻に「神戸」とか「松坂」と記された「ブランド(烙印)牛」みたいなものである。西歐だと奴隷や罪人の体に烙印が押されたけど、日本では心に焼き付けられているから目立たないだけ。以前、小室直樹先生は出身校がその人物の「属性(ascription)」になってしまうと喝破した。つまり、東大卒とか京大卒といった学歴が、「国籍」とか「階級」といった身分になってしまうのだ。谷沢永一先生も同様に、ある人物が優秀でも格下の大学しか出ていないと苦労すると述べていた。谷沢先生が例として挙げていたのは有名な小説家の伊藤整である。彼は東京商科大学(現 / 一橋大学)に進学したが中退したので、最終学歴は小樽高等商業学校卒であった。でも、後に伊藤整は東京工業大学の教授になったんだから、筆者は「いいじゃないか」と思うが、谷沢先生によると世間の評価は違うらしい。

小室直樹谷沢永一2小野田寛郎Miyazawa Kiichi








(左: 小室直樹  /  谷沢永一   / 小野田寛郎 / 右: 宮澤喜一 )

  前回のブログで古谷経衡の偏差値発言を取り上げたが、学歴信仰は各界に深く根ざしている。有名なのは、大蔵大臣や総理大臣になった元役人の宮澤喜一だ。この売国奴は爺さんの権力で徴兵逃れをしたので、それを突かれたくないから朝日新聞やNHKにやたらと媚びていた。宮澤が竹村健一の番組で小野田寛郎・陸軍少尉と共演したとき、しきりと小野田少尉のことを「陸軍中野学校(情報将校養成所)を出たかた」と口にしていたから、筆者は「嫌な野郎だなぁ」と思ったものである。つまり、宮澤は「皆さぁ~ん、小野田少尉は軍国主義者なんですよぉ~」と言いたいわけだ。その宮澤が最も自慢していたのは、東京帝國大学法学部を卒業したことである。宮澤は他の政治家に会うと、よく「あなた、何期?」と尋ねたそうだ。彼の頭の中では東大以外は大学じゃない。だから、「どこの大学を卒業ですか?」とは訊かないのである。

  もし、質問した相手が東大卒じゃないと、宮澤のアホは露骨に見下したという。これだから、ハマコー(浜田幸一)さんが憤慨したのも当然である。日大卒の暴れん坊であったハマコーさんなんか、インテリを自負する宮澤の眼中には無い。竹下登も早稲田の商学部卒だから、宮澤は「あぁ、専門学校ねぇ」と馬鹿にしていたんじゃないか。早稲田大学の前身は東京専門学校だから、栄光ある帝國大学とは違う種類なんだろう。温厚な竹下もカチンときていたらしい。竹下の親分であった田中角栄はもっと馬鹿にされていた。角栄は旧制中学すら出ておらず、高等小学校卒であったから、宮澤にしたら「教養人」とは程遠い土建屋に過ぎない。しかし、政治家としては角栄の方が遙かに優秀で、人望に関しては比べものにならないから、いくら宮澤が軽蔑しようが世間の評価は別である。もっとも、学歴編重は大蔵・財務官僚の宿痾(しゅくあ)で、東大卒役人の中には、「格下」と見なされる一橋大学卒の同僚を「ワンブリッヂ」と呼んで愚弄しているそうだ。筆者には一橋大学の何が悪いのか分からない。ただし、左巻きの内藤正典(後に同志社大学へ移籍)とか悪質な田中宏(一橋大学名誉教授)のもとで学んだ奴なら用心する。一般的に、社会学部とか経済学部、法学部には、極左教授がたむろしているので、何も知らずに洗脳されてしまう学生がとても多い。

  ついでに東大卒と偏差値について語ると、朝日新聞もかなり酷い。今では久米宏の「ニュース・ステーション」(1985年~2004年放送)を覚えている人は少なくなったが、当時はTBSの「ニュース23」と張り合って報道合戦をしていた。メイン・キャスターの久米宏は受験シーズンになると、受験地獄で高校生が青春を犠牲にしているとか、偏差値重視はよろしくないと歎き、「同情心」を売り物にして視聴者に媚びていた。学歴や試験で苦い経験をした一般人は、単純に「そうそう」とうなづいていたが、斜(はす)に構えてインテリを気取っていた久米宏は、決して朝日新聞の実態を語ることはなかった。裏事情を暴露したのは、産経新聞記者で、フジテレビの報道番組キャスターを務めていた俵孝太郎である。今では信じられないが、当時の朝日新聞は知識人やホワイトカラー層が購読する一流新聞と見なされており、給料や待遇の面でも産経新聞を遙かに凌いでいた。

  戦前の大阪では、給料の高い職場と言えば、住友銀行か朝日新聞、あるいはリストラが無い市役所であった。その朝日新聞が採用したのは東大を始めとする有名大学卒ばかり。俵氏によれば、戦後マスコミが人気を博する職業になるなか、朝日は学生運動で暴れ回った荒くれ者は避ける一方で、幹部要員にはもっぱら東大法学部卒を軸とした有名大学卒の学校秀才を採用していたそうだ。(俵孝太郎 『我、「朝日新聞」と戦えり』 光文社、 1988年、p.169) 表のテレビ番組では柄の悪い左翼分子を称讃しているのに、舞台裏では温厚で毛並みの良い新入社員を揃えていたなんて、本当にズルい。でも、ゲバ棒を振り回していた奴が社員になると、何をしでかすか分からないから、最初から採用しない方が賢明だ。ただ面白いことに、厄介事を嫌う朝日の重役たちは、口で言うほど“進歩的”じゃなく、案外“保守的”なのかも知れないぞ。

  朝日社員には傲慢な奴が多く、彼らの「エリート気質」は上記のような採用基準から由来するのだろう。また、テレ朝もエリート意識が強く、社員の倫理道徳には特にうるさかった。2003年頃だったと思うが、局アナの徳永有美が藝人の内村光良と不倫関係を結び、出演していた「スーパーモーニング」を降板する破目になった。日本には姦通罪が無いのに、徳永氏は涙ながらに不貞行為を謝罪し、レギュラー番組を去って行ったのだ。(表向きは「自主的」な辞職であったが、実際のところは強制的な馘首だろう。) テレ朝は不法入国・不法滞在の外国人に対しては殊のほか“寛大”なのに、自局の社員に対しては殊さら厳しい。たぶん、テレ朝の社員は「一流のエリート」だから、清廉でなければならず、髪の毛ほどの罪も犯してはならないのだろう。一方、水商売に従事するフィリピン人やタイ人などは格下の劣等民族であるから、“一流”企業のテレ朝は彼らに高い倫理観を求めない。賤しいアジア土人とは「対等」じゃないので、多少の罪は大目に見てあげるのだ。

日本の欠点を指摘したイタリア人神父

Joseph Pittau 1(左  /  ジョセフ・ピタウ神父)
  筆者が尊敬するイエズス会士の中に、ヨゼフ・ピタウ(Joseph Pittau, S.J.)という神父がいた。上智大学で学長や理事長を務められたピタウ神父は、サルディニア出身のイタリア人司祭で、明治維新の研究を専攻されたくらいだから、日本社会や日本人の行動様式にとても詳しかった。ピタウ神父の生涯は輝かしく、ハーバード大学に留学して政治学を修め、栄光学園や上智大学で教鞭を執ったほか、イエズス会日本管区の区長となり、教皇ヨハネ・パウロ二世に求められ、祖国のローマに赴任するや、グレゴリアン大学の学長やヴァチカン教育省の次官を歴任したそうだ。一般的にイエズス会は派遣された国で一生を過ごすのが普通だから、ローマに召還されるというのは、ピタウ神父が如何に教皇から寵愛され、優秀であったかの証拠である。大司教となったピタウ神父は2004年、懐かしい日本に戻ってきたのだが、2014年、惜しまれながら帰天(逝去)された。

  上智大学教授として日本の大学生に接していたピタウ神父は、大学教育に関して基本的な批判を述べていた。例えば、日本の大学生は感想文は書けても論文作成は苦手なので、作文を必修科目にすべきだ、と提案していたのである。ピタウ師によれば、いくら外国語ができても、自国語がうまく使いこなせないようでは、外国語の力も落ちるそうだ。(ヨゼフ・ピタウ 『ニッポン人への熱い手紙』 日本リクルートセンター、昭和57年、p.130) また、学生の字がたいへん汚かったので、ピタウ神父はきれいな字を書けるよう指導すべきだ、とも述べていた。まるで小学生への訓示みたいだが、実際、多くの学生はミミズのような字を綴っていたのだろう。これは筆者の個人的体験なのだが、アメリカ人の学生も負けず劣らず字が汚い。米国の大学でアメリカ人学生が提出したレポートを覗いたとき、彼らのアルファベットが矢鱈と判読しづらかったのを覚えている。何らかの速記かと思えるものや、子供が書いた丸い文字のように見えたので、「あぁ~あ、これじゃあ殴り書きに等しい」と溜息が出た。昔のアメリカだと、綺麗な字で手紙を認(したた)めるのかマナーの一つだったから、若い娘たちは美しい文字を心掛けていたものである。ちなみに、憲法を学ぶべくシュタイン博士に師事した陸奥宗光も、講義録を美しい文字で清書していたそうだ。

  カトリック司祭だから仕方ないけど、ピタウ神父は優秀な学生の考え方に幾つかの疑問を持っていた。学長室をいつも開放していたピタウ神父のもとに、ある時、女子学生が就職の相談をすべく訪ねてきたそうだ。そこで、ピタウ神父は彼女に「どうして君はこの会社を選んだのか」と質問した。すると、この女子大生は「この会社は倒産しないと思うから」と答え、「経済的な安定が一番大きな目的です」と語ったそうである。彼女の動機を聞いたピタウ神父はガッカリしたという。彼女の回答が悪いとは思わないが、それだけでは寂しすぎる。神父はその会社に入ることで、社会的に何をしたいのか、彼女の人生において何をしたいのかを聞きたかったのだ。

  また、何年か前、別の女子学生が推薦状を欲しいというので、ピタウ神父の部屋にやって来た。成績を見たところ、非常に優秀で礼儀正しい学生であったという。そこでピタウ神父は彼女に「どうしてS社に入りたいのか」と尋ねたそうだ。すると彼女は、会社の雰囲気がとてもよく、ちょうど美術館もできていて、絵画好きの自分に合っていると答えたらしい。さらに、会社にはテニス・クラブもあるので、好きなテニスを続けられるからいい、とも述べていた。この返事を聞いてピタウ神父はたいそう腹を立てたそうで、「あなたの人生とS社の繋がりは何ですか。あなたはテニスをするために会社へ行くんですか。絵を見るために会社へ行くのですか」と問い詰めたらしい。その女子学生は驚き、何も反論できなかった。ピタウ神父は自分の事だけを考え、他人からもらうことばかりで、人のために尽くそうと考えぬ女子学生に「推薦状を書くわけにはいきません」ときっぱり断ったそうだ。(上掲書 p.174)

  世俗まみれで赤点学生だった筆者からすれば、ピタウ神父の要求は「ちょっと厳しすぎるんじゃないか」と思えてしまう。愛国心を涵養する教育を受けていない一般学生に、社会貢献とか他人への配慮を問うのは、「木に縁りて魚を求むる」如しである。明治維新の頃ならば、立身出世がそのまま「お国の為」に繋がったけど、敗戦で国家意識を粉砕された日本人には、何のことやらさっぱり分からなくても当然だ。いくら優等生だからといって、伊藤博文や中村敬宇(正直 / サミュエル・スマイルズ著『西国立志編』の翻訳者 )になる訳じゃない。「人生をエンジョイする」というのが、一般学生のモットーだ。なかでも、快適な生活を実現し、見栄を張れる職業に就くのが、有名大学のお坊ちゃんお嬢ちゃんの目標である。一旦緩急あらば祖国に殉じ、自分の命を鴻毛よりも軽く考える、なんてのは奇人変人の類いで、日本では右翼ナショナリストに分類されてしまうのだ。古代ローマ人なら自分の才幹(Virtù)を発揮するのは、戦争や政治、つまり共和国に尽くすとき、と考えていたが、現代の日本人だと、全力で努力するのは受験戦争の時だけである。未来を担う若者は合格発表の時になると大騒ぎをするけど、選挙権を得たときに、「やった、これで国政に参加できる !」と喜ぶ成人がどれほどいるのか。せいぜい、選挙事務所でカツ丼をタダ食いできるから嬉しい、と感じる程度だろう。

  こんな日本人に向けて、ピタウ神父は大学教育の目的について述べていた。その中で注目すべきは、教養人(educated person)の育成だろう。これは所謂「インテリ」を製造することではなく、表現能力や数理的能力、論理的思考、および道徳的判断に優れた人物を育てるということだ。ピタウ神父はシカゴ大学の教育に触れていた。同大学の要覧の中に次のような言葉があったという。

  私たちは教養ある人間をつくりだすとは約束しないが、次の一点だけは努力する。すなわち、一人ひとりの学生が、そこから先は自分で自分を教育できるというところまで導いて行くことである。私たちは大学を卒業する時点で、学生が自分で自分を教育できるまで導いて行きたい。

  これに加えて、ピタウ神父は知日派として知られるサセックス大学のロナルド・ドーア(Ronald P. Dore)教授による日本人への批判を紹介していた。具体的に言うと、日本では「東大卒」といえば、ある意味「頭が切れる人」という保証となる。しかし、「紳士である」とは限らない。なるほど、オックスフォード大学やケムブリッヂ大学に入ったからといって「頭」の保証はしないが、紳士的教育を受けられる、ということだけは約束されている。(上掲書 p.204) 確かに、東大卒の官僚は過去の事例を暗記したり、煩雑な資料を調べさせたらピカイチなのだが、素晴らしい人格の持ち主という確証はない。どちらかといえば、「役所の権能をちらつかせて意地悪する人」というイメージがある。それに、天下り先を保持するために無用な大学を増設し、定員割れや底辺校の大学を誕生させる元兇が文部省だったりするから、どこにその頭脳を使っているのか、と怒りが湧いてくる。国民年金や厚生年金の掛け金を流用してグリーンピアを大量に作った厚生官僚も同類だ。

  歐米の大学を知っていたピタウ神父は、画一的な新入生ばかりを集める日本の大学に疑問を抱いていた。彼が留学したハーバード大学では、成績優秀な青年ばかりではなく、別の能力で学生を集めていたから、ピタウ神父は金太郎飴みたいな日本の学生に違和感を持っていたのだろう。彼が東大のような大学を外国人に説明しても、なかなか理解されず、ある外国人は「病院をつくっているんじゃないか」と述べたそうだ。(上掲書 p.215) まぁ、東大法学部を見れば、日本人だって精神異常者を育成しているのかな、と思ってしまうだろう。まともな憲法学を勉強すれば、九割以上の東大生はマッカーサー憲法廃止に傾くはずだが、現状は護憲派が多数を占めている。紳士的な西歐人は日本人の前だと“本音”を吐露しないから、同じ西歐人との会話の中だけで本当の意見を打ち明けたりする。したがって、ピタウ神父の話はとても貴重だ。

  だいたい、日本の文系学部は蛸壺型だから、若手の講師はいくら「おかしい」と思っても、教授会の長老たちに異を唱えることはない。もし、怖い大御所を批判したら出世はできないし、周りの同僚からも疎まれて針の筵だ。それに、日本では一流企業に入社できない者や大学に残るしか能の無い出来損ない、左翼思想に感動したクズが大学院に進んで教授職を目指すから、左巻きの学会が正常に戻ることはない。本当に有能な学生は自分でビジネスを起こし、誰からも指図を受けない「独立」とた地位を楽しむ。丁稚奉公が当り前の専任講師とは大違いだ。理系の学生なら海外の研究機関に飛び出ることも出来ようが、文系だと国内に蟄居するのが大半である。また、これも悲劇の一つだが、学者を目指すと「世間知らず」になってしまう。比較的正常な大学院生だって、数年後にはピンク、朱色、赤、深紅といった具合に変色し、中年を過ぎると「しがらみ」で垢まみれになる。そう言えば、昔に聞いた谷沢永一先生の言葉が印象に残っている。世の中には頭のおかしい人がいるから、その人達が一般社会に迷惑をかけぬよう、彼らを収容するのが大学なんだって。確かに、庶民を不幸にして日本を共産主義国にしようとする連中は異常だ。(幸せな人は共産主義に賛同しないが、失業者とか貧乏人といった不幸な人々は共産党支持者になりやすい。だから、共産党は敗戦を歓迎するのだろう。)

  色々と批判はあるが、日本が学歴社会になったのは、厭なものだけど仕方がないと思っている。何処の国でも何らかの差別はあるものだ。英国では階級差別が著しく、パブ(酒場)にも区別があるそうで、労働者はホワイトカラーが集まるパブには入らない。また、労働者階級の子弟が猛勉強してオックスフォードに入学できても、生まれ育ちや趣味の違いから、上流階級や上層中流階級の学生と親友になることは稀である。しかも、人種・民族の違いも大きいので、テレビ・ドラマのようにジャマイカ系の黒人と北歐系の白人が同じクラブに属して親睦を深めるという事もない。比較的平等と思えるアメリカ社会にも、分厚い人種の「壁」があって、同じ種族同士で固まる傾向が強い。私生活くらいはリラックスしたいと思うのは人情だろう。例えば、勤務を終えた白人警官が、仲間と一緒に酒場に赴き、日常の愚痴をこぼすことは普通である。白人警官同士なら「今日、ブロンクスでラリった黒ん坊を捕まえたけど、暴れて大変だったぜ。だから、思いっきり蹴飛ばしてやったんだ」と言えるが、黒人警官が混じっていたら、こんな風には言えないだろう。

  歐米諸国と違い、日本社会は比較的同質性が高く、外見的にも似たり寄ったりで、人種的区別がつきにくい。せいぜい、親の職業とか住んでいる地区、所得や資産の総額くらいが差別の根拠となる。だから、出身校でランク付けするのもしょうがないんじゃないか。一般的に、初対面の人物を判断する場合、その人の容姿とか服装、方言、職業くらいが基準となる。精神構造や潜在能力は目に見えないから、中々直ぐには判断できない。しかし、大学名を教えてもらえば、一瞬にしてその人が持っている「知能」が判ったように思える。偏差値が高い大学に入学できたのなら、きっと頭が良い“はず”と考えてしまうからだ。全国各地の日本人はほとんとほ同じようなカリキュラムで教育されているので、試験の成績順で序列が附けやすい。ただし、学校秀才は教科書以外の問題が出て来た場合、どうしてよいのか分からなくなるから、先の読めないビジネスとか、テロリストやゲリラを相手にする軍人、オリジナル作品を求められる藝術家には不向きで、前例を調べるのが仕事の役人に適している。

  一般国民は東大法学部卒の財務官僚と聞けば、「超エリートなんだ」と思ってしまうが、実際は凡庸な人が多い。たぶん、一般人は「そんなの嘘だ。お前の僻みだろう」と反論するが、それなら、なぜ高級官僚は役所に天下り先を斡旋してもらうのか? もし、優秀で敏腕と目される官僚なら、退職前から引く手あまたであるはずだ。民間企業が退官した「お役人様」を“引き取る”のは、省庁との繋ぎ役、すなわち有力なブローカーになってもらう為だろう。朝出勤してきてオフィスでお茶を飲むくらいの「相談役」なら、レンタル猫の方がよっぽどマシだ。可愛い猫が仰向けで寝ているだけで、職場のみんなが笑顔になる。キャリア官僚だったことが唯一の自慢である元官僚なんて、傲慢さを絵に描いたような人物であり、職場の鼻つまみ者でしかない。まぁ、出身大学や偏差値で相手を評価したい人は、そうすればいいだけで、真剣に相手を知りたい人は、長い目でその人を観察して判断することだ。警察犬の試験に合格できなかった雑種犬でも、飼い主にとっては長年の相棒で、主人に忠実であるとか、ひょうきんな所があって笑わせてくれる、晩酌の相手をしてくれる、臭い足の裏でも嘗めてくれる、などといった別の長所をもっている。犬でも嗅覚以外の様々な才能を有しているんだから、人間だって色々な特技を持っているはずだ。偏差値は数ある尺度のうちの一つである、と考えた方がいいんじゃないか。

  


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古谷経衡は何様のつもりなのか? / 偏差値で能力を測る日本人(前編)

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どのツラ下げてモノを言っているのか

  先週、チャンネル桜の『夜桜亭』を観ていたら、視聴者からの質問をSayaさんが読み上げ、水島総社長が答えるコーナーがあり、昔キャスターを務めていた古谷経衡(ふるや・つねひら)の話になった。筆者は同番組の『さくらじ』をたまに観ていたので、古谷氏を覚えていたが、番組降板後の活動は気にしていなかったので、彼が何をしていたのか知らなかった。しかし、チャンネル桜を去った後、彼が同番組と出演者に対し陰口を叩いていたことを聞いて、少々不愉快になった。そこで、ちょいとインターネットで調べてみると、傲慢不遜な発言があったので「イヤな奴だなぁ」と思った次第である。  

  古谷氏は『文藝春秋』2017年10月号で、辻田真佐憲を相手に「ネトウヨが保守論壇をダメにした」という題目で対談を行っていた。彼はインターネット上の言論に詳しいようで、「ネット右翼」と政治をネタにしていたようだ。例えば、

  新聞やテレビを見ない若者へのネットの影響力は見過ごすことはできません。ネット右翼の基本的な傾向は「嫌韓」「嫌中」「嫌マスコミ」。安倍政権が韓国に対して厳しい態度を取ると大喜びします。たとえば円とウォンの通貨スワップが継続されずに終了したときなどは「ついに安倍総理がキレた」などと大変な盛り上がりようでした。

  古谷氏が言う「ネット右翼」とやらが、朝鮮や支那を嫌いなのは何も不思議なことじゃないだろう。まともな日本人なら昔からそうだ。逆に、朝鮮人や支那人が大好きな進歩的知識人とか朝日新聞などが異常なだけ。それに、マスコミが嫌いな人は、ネットユーザー以外にも大勢いるだろう。朝から晩まで下らない「森友問題」を取り上げているマスコミに、好意を抱いている国民の方が頭がおかしいんじゃないか。安倍政権が南鮮に厳しい態度を取るのは正常行為で、もしもNHKが喜ぶような「甘い態度」を取るなら安倍政権の評価はもっと下がるだろう。そもそも、南鮮に特別な「心配り」をする議員の方がおかしく、冷たく突き放すのが良識的な日本人である。我が軍の将兵を強姦魔とか侵掠者と侮辱する民族に優しくする義理は無い。

  そもそも、「ネット右翼」って誰のことなのか? 古谷氏の定義によれば、「保守系言論人や文化人の理論に寄生する烏合の人々」らしい。しかし、不特定多数から成る「烏合の衆」なら、節操も無く誰にでもタカるだろうし、こうした大衆は気紛れだから、何かの拍子で興味を失えば蜘蛛の子を散らすように離れて行くだろう。無節操な連中というのは、左翼が勢いづけば左翼知識人の理論に寄り添うし、自民党が多数を握れば、「寄らば大樹の陰」とやらで“俄仕込み”の自民党支持層となる。信念の無い大衆は小泉劇場が人気を博せば、小泉政権支持者となり、民主党が与党になれば、「政治改革だぁ~」と浮かれて反日議員に靡く。たぶん、「ネット右翼」なる者は、状況次第で「ネット左翼」になるんじゃないか。烏合の衆はイワシの群れと似ていて、昨日の左翼も時勢に阿って右に傾くし、風向きが左に流れれば、また左翼に戻る。希望の党を支持した者が、小池百合子の没落を目にして失望し、願望を抱えて立憲民主党に傾く、なんてのはよくあることだ。

  筆者には断定する“これ”といったデータは無いが、所謂「ネット右翼」なる名称は、主要メディア、すなわち全国紙や地上波テレビを支配する左翼分子が、危機感を募らせて創り出した用語じゃないのか? 「ネット右翼」なる人々は“偉い”論説員の主張に従わず、別の情報源で勝手に判断するから、焦った左翼ジャーナリストが「あの連中は右翼だ !」と言い放ったのが起源かも知れないぞ。「ネット右翼」なる呼称が誕生した真相を是非知りたいものだ。元々、日本の国柄や日本人の精神を改造したい極左分子は、伝統的価値観や世間の常識で判断する庶民が大嫌いだ。日本の一般人は謙虚というか、自分の判断材料に自信がないから、どうしても偉い学者や高名な専門家の意見を求めたがる。しかし、こうした知識人が一体どんな指導教授に附き、如何なる勉強をしたのか不明なんだから、最初から信じるのは危険だ。たとえ恩師が偉大でも、弟子が碌でなしという場合も多い。小室直樹先生に附いて学んでも、宮台真司や副島隆彦みたいな弟子が生まれてくるんだから。

  ところで、「私はネット右翼です」といって言論を発信する人は、具体的に誰なのか? 筆者は「ネット右翼」に疎いので、現実社会の右翼しか知らない。例えば、古くは頭山満の「玄洋社」や内田良平の「黒龍會」、昭和の「蒼龍會」などは有名で、一般人でも耳にしたことがあるはずだ。マスコミ関係者なら「一水会」の木村三浩とか鈴木邦男を思い浮かべるだろう。だが、右翼を“脱した”鈴木邦男などは誠におぞましく、本当に元「右翼活動家」だったのか、と首を傾げたくなるような人物だ。今では社民党の福島瑞穂と「仲良し」で、福島は自分の対談番組に鈴木氏を呼び、「今日は、敬愛する鈴木さんをお招きしました !」と笑顔で述べていた。これには彼の右翼仲間もさぞかし驚いたんじゃないか。要するに、鈴木は昔から左翼体質の人間なのだろう。産経新聞に入社したのも「一水会」に属したのも、愛国者を演じたかったからじゃないのか。「右翼」を辞めた鈴木が極左分子の福島と昵懇なのは、元々あった“自分らしい”姿に戻ったからだろう。

  「右翼」の定義はともかく、古谷氏が云う「ネット右翼」は、自然発生的なものらしい。彼は次のように述べていた。

  ネット右翼のそもそもの始まりは自然発生的なものでした。2002年の日韓共催のサッカーワールドカップで、韓国代表の試合で、あまりにも酷い誤審が続き、世界ランク上位のイタリアとスペインに勝った。これは審判の買収などの陰謀があったに違いないという意見がネットでは噴出しました。一方で、既存のマスコミは、そうした声を報じることは一切なく「ワールドカップ万歳」「日韓友好」で押し切った。それが今に続く「嫌韓」「嫌マスコミ」につながっていきます。

  もしも、古谷氏が説明するように「ネット右翼」が「自然発生的なもの」ならば、それは日鮮友好を“ゴリ押し”するマスコミへの“自然な”反撥なんじゃないか。電通とNHKが裏で結託し、民放各局を巻き込んで「韓流ブーム」を仕掛けたんだから、敏感な国民が反感を抱いたのも当然だろう。2008年前後はこの「ブーム」の押しつけが最も激しく、各局とも南鮮人の歌手や俳優を番組に招き、不自然なほど彼らを持ち上げていた。例えば、笑福亭鶴瓶なんかは、深夜番組の「きらきらアフロ」で何回も鮮人歌手を褒めていた。でも、あれは番組プロデューサーやフジテレビへの「ゴマすり」だと思う。全部の歌番組を調べた訳じゃないから伝聞でしかないけど、いくつかの番組では“お抱え藝人”に「韓流ファン」のフリをさせ、「提灯持ち」の役を演じさせていたようだ。

  しかしこれって、詐欺師が安物の壺とか羽毛蒲団を売りつける手口とソックリじゃないか。例えば、お金を巻き上げようと謀る詐欺師が、アホな一般人の「カモ」を高級ホテルの大広間に招く。そこには「サクラ」が仕込んであり、彼らは口々に「えぇぇぇ、安い ! 買った ! 二つくれ!」と叫ぶ。すると、何も知らない客も焦りだし、「私にも一つ頂戴 !」と言い出す。詐欺師は「しめしめ」と呟いて笑顔がこぼれる。一般人というのは、みんながこぞって買い始めると、それが必要でなくても、「買わなきゃ損 !」とか「きっとお買い得なんだわ !」と勘違いし、我先にと求めてしまうのだ。悪党どもはこうした群衆心理を上手く突いて利益を手にする。フジテレビがつまらないK-POPをイチ押ししたのは、鮮人歌手のCD販売権を持っていたからだろう。この凋落したテレビ局は、儲けを出すためになり振り構わず、必死で鮮人ミュージシャンを称讃し、ネギを背負ってやって来る日本人を絶好のカモにしてきたんだから悪質である。

  そもそも、日本人は朝鮮文化が好きなのか? TBSとかフジテレビは南鮮のダンサー歌手やアイドル・グループを招いて「今、人気沸騰中の◯◯さんでぇ~す」と紹介していたが、本当に話題の鮮人なのかどうか判らず、何となく怪しかったのを覚えている。不思議な事に、彼らは英語、あるいは拙い日本語で歌を披露し、朝鮮語の歌詞で唄うことは少なかったと思う。筆者が知らないだけで、実際は朝鮮語の歌が流行っていたのかも知れない。しかし、一体、どれ程の日本人が朝鮮語で彼らの歌を聴き、朝鮮語で一緒に唄っていたのか? そもそも、日本人で朝鮮語を理解する者が、そんなに多いとは思えない。朝鮮ドラマだって人気があった訳じゃないだろう。例えば、TBSは2010年に『アイリス』という南鮮ドラマを夜9時台に放映したが、視聴率は惨憺たるものだった。毎回、6%から7%をうろつくだけで、良心的なサラ金業者の金利みたいだ。

  もっとも、TBSの社員だって高視聴率は期待していなかたはず。彼らも私生活で外国ドラマを観るなら、アメリカ・ドラマの『24』や『プリズン・ブレイク』の方を選ぶだろう。毎日新聞の社員も、自腹で買うなら「東スポ」か「スポニチ」なんじゃないか。産経新聞社は系列の雑誌『正論』を読者に勧めているが、産経社員でそんなつまらない雑誌を読む奴がいるとは思えない。 『正論』を買い支えているのは真面目な高齢者くらいで、若者はそっぽを向いている。せいぜい月刊雑誌の『Hanada』を買うくらいだろう。話を戻すと、筆者は「話題沸騰」の南鮮ドラマを一度も観たことはないが、世間の噂でその惨状を想像できる。BS放送では今でも下らない南鮮ドラマを垂れ流しているが、こんな番組を観ている日本人は暇を持て余して死にそうなカウチ・ポテト族くらいだろう。 おそらく、他に流すコンテンツが無いから、BS放送局は仕方なく「時間潰し」として放送しているんじゃないか。もし、有料放送局のWOWOWで週末のゴールデン・タイムに南鮮映画を流したら、苦情が殺到し、解約者が出るだろう。無料放送局の視聴率は当てにならない。

  古谷氏は「チャンネル桜」が誕生したことで、ネット右翼が増大し、中堅以下の保守系言論人が世間の注目を集めるようになったと述べていた。

  古谷 / 今振り返ると2004年は、ネット右翼にとって大きなエポックメイキングだったと思います。右派系独立放送局の「チャンネル桜」がこの年に誕生しました。そして2007、8年頃から同番組はYouTubeとニコニコ動画へ転載されるようになり、爆発的に広まっていきます。このときから保守系の言論人と自然発生的に生まれたネット右翼の共依存関係が始まったんです。それまで、保守系言論人は『正論』などに原稿を載せても大した反響をもらえなかった。ところが、YouTubeに中韓の悪口を載せると3万回再生されたり、「先生のいうことは素晴らしい」などと反響が書き込まれる。櫻井よしこさんや故渡部昇一さんのような大御所ではなく、中堅以下のほぼ無名だった「保守系言論人予備軍」たちが一躍脚光を浴びるようになっていったのです。彼らは支持を増やすためにより過激によりわかりやすい「敵」への批判を繰り返していった。

  ここで古谷氏に尋ねたいのは、「中堅以下」の「保守系言論人予備軍」とは誰なのか、ということである。一般国民からすると、「予備軍」といった曖昧な表現ではなく、具体的に実名を挙げて説明してもらいたい。渡部昇一先生よりも格下で、支持者を増やすために「中韓」を過激に批判する保守系言論人の卵って誰なのか? また、古谷氏が「支那人や朝鮮人に対する悪口」という意見も、別の人にとったら「まともな批判」ということも有り得るだろう。誰のどんな「悪口」なのか知りたいところである。

  古谷氏が言う「保守言論人」には、彼自身も含まれているんじゃないか、と思えてならない。(ただし、彼が保守派言論人であるか否かは別問題。) 彼はこう述べていた。

  ネット右翼200万人のうちの0.5パーセントでも本を買ってくれれば、1万部売れることになります。書き手も出版社も儲かるからその手の本が粗製乱造されるわけです。

  確か、古谷氏は初めての著書をチャンネル桜で宣伝していたが、彼は同局の視聴者をどんな人々と考えていたのか? たぶん、彼の対談番組を観ていた人達だけは「非ネット右翼」で、自分の著書は高品質の本だと思っているのだろう。しかし、当時、まだ駆け出しの著述家だった古谷氏は、チャンネル桜の視聴者を主要な購読者層にしていたはずだ。水島社長の支援を受けて有名になった事は明らかで、古谷氏が自分一人の力だけで本を売ったとは到底思えない。筆者は貧乏なので古谷氏の著書を買う余裕が無いが、彼の意見を信じるなら、古谷氏の著作は中身の濃い高品質な本なんだろう。

  『夜桜亭』で水島社長が呆れていたけど、古谷氏は「喧嘩別れ」をしたチャンネル桜を小馬鹿にしていたそうだ。同局の世話になった古谷氏によれば、チャンネル桜に集まった人々はたいそう知的レベルが低いそうで、「偏差値38」程度であるらしい。彼は幻冬舎の新春対談で、従来の街宣右翼が衰退し、その代替として「ネット右翼」が台頭したと述べていた。そして、ここから派生したのが、「チャンネル桜」と「在日特権を許さない市民の会」であるそうだ。ただし、古谷氏はチャンネル桜のキャスター達とは違うらしい。彼はこう述べていた。

  僕自身はと言えば、チャンネル桜とは喧嘩別れしましたし、どこが本籍地ということはありません。でも、チャンネル桜に集まった人々と何年かつきあってみて、僕が彼らを過大評価してたと思い知らされました。渡部昇一さん(上智大学名誉教授)や長谷川三千子さん(埼玉大学名誉教授)をはじめ、名の通った論客が顔を揃えているから、まともな集団だと思ってたんですよ。 ・・・・でも実際にそこで仕事をしてみると、ファクトに基づいて議論するといった、メディアとして最低限の作法も身についていない。要するに「陰謀論」と「トンデモ」の巣窟なんです。偏差値61どころじゃない、言ってしまえば偏差値38だったんですよ。

  では、古谷氏が糾弾する「陰謀論」や「トンデモ」論を吐く人物とは誰なのか? まず思いつくのは、毎日の番組を担当するキャスターの面々だろう。具体的に言えば馬淵睦夫大使や渡邉哲也、有本香、高山正之、宮崎正弘、福島香織などだ。筆者はこうしたキャスターの偏差値がどれほどあるのか判らない。古谷氏がどのような方法で彼らの「偏差値」を測定したのかも不明だが、きっと「根拠」のある尺度で測ったのだろう。水島社長は番組の中で古谷氏の出演を呼びかけていたから、高い偏差値を誇る古谷氏はキャスター討論会に出演すべきだ。是非とも、目の前に坐る「トンデモ」論客の発言を指摘し、具体的な批判を加えてもらいたい。そうすれば偏差値の低い視聴者も納得するだろう。古谷氏がどれほど深い教養を持っているのか、皆の前で堂々と披露すべきだ。その時は偏差値の低い筆者も必ず拝見する。

 後編へ続く。



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