無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

日本文化論

NHK「日鮮歌合戦」は厭だ ! / 庶民に広がる朝鮮文化

昭和のアイドルは凄かった

K POP 0021K POP 001







(上写真  /  「世界的に有名」な朝鮮人ミュージシャン)

  NHKは「日本の公共放送局」と称しているが、その正体は「特定アジア放送局」でしかない。昭和の頃、獨協大学で近現代史を教えていた故・中村粲(なかむら・あきら)教授は、雑誌『正論』に「NHKウォッチング」という連載を持っていた。「毎月そんなにネタがあるのか?」と疑ったけど、各番組を調べると、シロアリのように害虫社員が蔓延っていた。NHKの反日分子は、他人の銭で左翼番組の制作に勤しんでいる。どうりで、有料放送に反対する訳だ。さすがに、WOWOWやスカパーでも『ドキュメント 太平洋戦争』とか『問われる戦時性暴力』なんて番組は制作されないからねぇ~。企画の段階でボツとなるどころか、上司が頭をひっぱたく。

  筆者は中村先生の“対NHK闘争”に共鳴し、先生が呼びかける「受信料の不払い運動」にも賛成した。中村先生が渋谷の本社前で抗議活動をすれば、微力ながらも馳せ参じたし、先生が作成したビデオ『検証 NHK偏向報道』も購入した。NHKの反日番組を収録した、このお宝ビデオを令和の高校生が観れば、「えっ ! こんな反日報道があったのか?!」と驚いてしまうだろう。NHKのニュース番組は、日本軍による南京攻略を取り上げて嘘八百を並べていたし、左翼団体への募金まで呼びかけていたのだ。

  つい先日、偶然にもYouTubeの「デイリーWiLL」を目にした。編集長の山根真と白川司が、NHKの紅白歌合戦を取り上げ、数組の朝鮮人歌手が出演すると報じていたからビックリ。「また、NHKがプロパガンダ放送を計画しているのか !」と腹立たしく思える。しかし、筆者は元々、紅白に興味が無かったので、どんな歌手が出場するのか知らなかった。何しろ、最後に紅白歌合戦とかレコード大賞を観たのは昭和の頃で、おそらく1982年か83年頃だったと思う。我ながらビックリするけど、記憶を辿ってみると、覚えているのは寺尾聰がヒットさせた『ルビーの指輪』くらい。こんな塩梅だから、令和の歌謡曲はもちろんのこと、平成の「J-POP」なんて耳鳴りと同じである。今年の紅白歌合戦には「篠原涼子が出る」と聞いているが、彼女が「歌手」だったことも知らなかった。世間では結構、篠原氏は有名らしい。

  もう一つ意外だったのは、『WiLL』の白川氏が中森明菜のファンであったことだ。一部の報道によると、「サプライズ・ゲスト」として出場するかも知れないという憶測があるので、白川氏は胸がドキドキしているという。「もし彼女が出れば絶対に観る」と述べていたが、本当にアイドル歌手の人気は根強い。余計なお世話だけど、いくら人気歌手とはいえ、中森氏だって50代半ばか、60歳に近いんじゃないか? ヴォーカリストの寿命は短いから、彼女がどれくらい声が出るのか心配だ。50代で高音を出せるのは浜田麻里くらいだから、普通のアイドル歌手じゃ厳しい。

  実は、高校時代、筆者の親友N君が中森氏のファンで、「これを聴いてみろよ !」と録音テープを渡されたことがある。内心「アホ臭い !」と思っていたが、N君に悪いのでテープを返却する時、「なかなか良い曲だね」と嘘をついてしまった。ただ、最近Yahoo Newsで中森氏の記事を読んだので、初めてYouTubeで彼女の動画を眺めてみた。真面目に聴いてみると、いかにもヒットしそうなメロディーだったので、人気となった理由が推測できる。それに、今になって観ると「なかなか可愛らしい女性」で、楽しそうに曲を唄っていたので微笑ましかった。日本で「売れる曲」は、パット・ベネター(Pat Benator)やオリヴィア・ニュートン・ジョン(Olivia Newton John)の曲とは違っていて、アニメ・ソングのような作り方なんだろう。

  ただ、中森氏の歌には奇妙なタイトルがあって、N君が好きだった『少女A』は誰のことなのか判らないし、山根氏が述べていた『金屏風事件』という歌も変な曲名だ。それでも、彼女に曲を提供したミュージシャンは豪華で、井上陽水や玉置浩二、大澤誉志幸、高中正義という面々だったから、彼女の所属事務所には、相当な辣腕の社員がいたのだろう。山口百恵がヒット曲を持てたのは、宇崎竜童と阿木燿子のコンビが附いていたからで、やはりアイドル歌手には優秀な作曲人が必要だ。音楽業界では、筒美京平とか都倉俊一、平尾昌晃、井上大輔、大野雄二、井上鑑などがヒットメーカーと評されている。(訂正 / 『金屏風事件』とは曲名ではなかったので、明らかな「誤解」として訂正します。)

   ちなみに、昭和のアイドル歌手は独特だった。1980年代、つまり昭和50年代とか60年代のアイドル歌手には熱狂的なファンが附いており、コンサート・ツアーが行われると、蛍光色の袢纏(はんてん)を来たファンが押し寄せ、野次のような怒鳴り声で声援を送っていた。友人からの又聞きなんだけど、昭和のアイドルには「親衛隊」という特殊なファンが附いており、どのような理由でナチスのような名称になったのか解らない。ただ、当時、TVで見かけるコンサート会場には大勢の若者が詰めかけ、特注のユニフォームを着た観客も見受けられた。何となく奇妙で滑稽だけど、昔のアイドル・ファンは結構すごい。

  子供の頃は馬鹿にしていたけど、大人になってからライブ映像を観ると、中森氏の背後で演奏するミュージシャンには、「小馬鹿にして済まない」という気持ちでいっぱいになる。ギターリストやベーシスト、キーボードやドラムの演奏者にも扶養家族がいるから、アイドル歌手のコンサートだって馬鹿にできない。ある者は女房子供を養うため、気乗りしない曲でも演奏しなければならないし、別の者は固定資産税や所得税、社会保険料、光熱費などを支払うため、「仕事だから・・・」と割り切って我慢する。たぶん、彼らの中には親の介護で苦労している者もいるだろう。それゆえ、音痴の歌手でも社会貢献となっている。はやり、日本経済の景気を向上させるには、インフラ整備や科学技術の開発ばかりじゃなく、庶民が喜ぶ音楽や映画、料理、色恋沙汰なども必要だ。筆者は奢侈と恋愛の重要性を説いたヴェルナー・ゾンバルト(Werner Sombart)の経済論に賛成だ。

朝鮮文化を広めるNHK

  今回、『デイリーWiLL』の動画を観て驚いたのは、NHKが第73回の紅白に朝鮮人歌手を5組も起用している事である。スポーツ紙の報道によれば、「ル・セラフィム(Le SERAFIM)」や「アイヴ(IVE)」「TWICE」「JO1」「NiziU」という“有名”グループらしいが、筆者には全く判らない。(番組の中で山根氏が「ニジュウ」と述べていたので、最初、「二重」というグループ名かと思ったが、「NiziU」という9人グループの名称だと判った。でも、この少女グループは本当に有名なのか?) 制作統括の加藤英明によれば、「世界のマーケット」を意識しての採用らしいが、どうして日本の公共放送が世界市場を念頭に、年末の歌番組を制作しなければならないのか? 各都道府県に住む中高年の視聴者だと、こんな朝鮮人歌手なんか知らないぞ。

  今回の出場者リストには、一般国民に内緒の「目的」、あるいは説明できない「裏事情」があるのかも知れない。加藤氏の釈明によれば、南鮮のファンばかりじゃなく、「日本のファンも待ち望んでいる」という。しかし、そんなに多くの日本人が南鮮人歌手を待ち望んでいるのか? TBSと同じく、NHKも矢鱈と「南鮮ブーム」を捏造したがるが、日本国民の大半は朝鮮文化に興味は無いぞ。大学でフランス語やドイツ語を専攻する者はいるけど、朝鮮語なんて滅多に選ばない。帰化鮮人だって朝鮮語の勉強は無駄と思っているから、有益な英語を選ぶ人がほとんど。在日4世とか帰化鮮人の子供は、「祖国の朝鮮に帰る」という発想は無い。ましてや、日系日本人で朝鮮語を学ぶ者は奇人変人の類いだ。

  ところが、リベラル派のマスコミは庶民と違う見解を述べていた。日経新聞によると、朝鮮語を学ぶ人は増えており、10代や20代の若者が多いという。韓国語能力試験(TOPIK)の申し込みが、10代から20代を中心に増えており、2019年には2万7千人と10年で2.6倍になったそうだ。「韓国語」*のコースがある大学や専門学校にも志願者が増えているようで、「Kポップ」と呼ばれる音楽などがきっかけになっているらしい。

  (*註 / 日本の学校教師や主流メディアの報道陣は、なぜか朝鮮語を「韓国語」と呼んでいるけど、筆者は「南北朝鮮の言語は基本的に同じ」と考えているので、昔通り「朝鮮語」と呼んでいる。国名と言語名が一致しないのは、それほど珍しくない。例えば、オーストリアやスイスでは「ドイツ語」が話されているけど、「オーストリア語」とか「スイス語」という言語名は無いはずだ。冷戦時代、ドイツは東西に分かれていたが、「西ドイツ語」とか「東ドイツ語」という名称は無かった。だから、どうしてNHKや大学教授は、朝鮮人の言葉に対してだけ「特別な配慮」をするのか?)

  日経新聞には怪しい記者がいるようで、以前の記事では朝鮮語に興味を抱く若者を紹介していた。例えば、堺市に住む高2の女子生徒(17歳)は、大阪市旭区の会場で「TOPIK(朝鮮語能力試験)」に初めて挑戦したという。彼女は小6の時に見た朝鮮ドラマがきっかけで、南鮮の事柄に興味を持ったらしい。「将来は韓国へ留学したい」と話していた。また、大阪市東淀川区に住むパートタイマーの女性(24歳)も、初めて朝鮮語の試験に臨んだらしい。彼女はKポップや朝鮮料理が好きで、よく南鮮を訪問していたという。この女性は「現地の人とコミュニケーションをとりたい」と願い、2年前に朝鮮語の勉強を始めたそうだ。

  大阪にある韓国総領事館は、現地の受験者について年代や受験目的などを分析していた。2019年の統計では、4千500人のうち9割が女性であったという。年代別でみると、20代が48%で最も多く、10代の者は30%くらい。それぞれ35%と1%未満だった10年と比べれば、若い世代の増加が著しいという。南鮮人が日本人に受験目的を聞いたところ、「実力確認」が全体の約6割を占め、「就職」とか「留学」がそれに続いて1割強だった。(覧具雄人、島田直哉「冷めぬ韓国語熱 日本の若者、Kポップなどに関心高く」日本経済新聞、2019年11月21日。)

  2022年の現在、どれだけの日本人が真剣に朝鮮語を学んでいるのか判らない。だが、主流は簡単な会話程度なんじゃないか? つまり、朝鮮語で随筆や論文を書ける者は極僅かで、大半の者は南鮮からの観光客を相手にする商売人か、趣味の範囲で日常会話を習う暇人くらいなのかも知れない。そもそも、朝鮮語の雑誌や小説を読んでいる普通の日系日本人なんているのか? フジテレビや日テレの報道局長とかアナウンサー、あるいは有名企業の重役を父に持つ御曹司は、高級な私立学校で朝鮮語を専攻したことがあるのか? 3千万円の年収を誇るNHKの上級職員が、カラオケ店や忘年会の席で朝鮮の持ち歌を披露するとは思えない。たぶん、「キムチ鍋」くらいは食べるだろうが、高級住宅地にある彼らの豪邸は洋風建築だろう。渋谷区の「松濤(しょうとう)」や神奈川の「披露山庭園(ひろうやまていえん)」、芦屋の「六麓壮町(ろくろくそうちょう)」にある豪邸が、朝鮮様式で建てられているのか?

  平成の初期くらいまでは、「洋楽」が一番の外国音楽であった。昭和時代、普通の高校生や大学生で朝鮮の歌謡曲を聴いている者は皆無で、もし聴いている者がいるとしたら珍獣扱いだ。平成になって南鮮ポップスを聴く日本人が増えたのは、不景気続きで一般家庭が貧しくなったからだろう。確かに、YouTubeなどで様々な外国音楽を視聴できるようになったが、10代や20代の日本人はどんな洋楽があるのか判らない。アメリカやヨーロッパの知識に乏しく、教えてくれる人も周囲にいないから、過去の名曲やクラッシック・ロックといったジャンルを聞いたことがないのだ。

  さすがに、高校生や大学生ならビリー・ジョエル(Billy Joel)の『The Stranger』や、ピーター・セテラ(Peter Cetera)とテリー・キャス(Terry Kath)がいた頃のChicagoが演奏する『25 or 6 to 4』、あるいはエリック・クラプトン(Eric Clapton)が在籍していたCreamの『White Room』くらいは聴いたことがあるだろう。しかし、以下の名曲を全部知っている高校生は少数派に違いない。

 Grand Funk Railroad     「Heartbreaker」
 Mountain            「Blood of the Sun」
 Steppen Wolf          「Born To Be Wild」
 Fleetwood Mac         「I'm So Afraid」
 Bad Company          「Bad Company」
 Ram Jam           「Black Betty」
 Alice Cooper          「I'm Eighteen」
 Carol King           「I Feel the Earth Move」
 Creedence Cleaewater for Revival  「Fortunate Son」
 The Guess Who          「American Woman」
 Bob Seger             「Turn the Page」
 David Bowie           「The Man Who Sold the World」

David Bowie 435Carol King 213Bob Seger 213Alice Cooper 435







(左 : デイヴィッド・ボーイ  / キャロル・キング  / ボブ・シーガー  /  右 : アリス・クーパー)

  好景気時代の昭和であったら洋楽ファンも多く、小林克也の『ベスト・ヒットUSA』を観ていた人も結構いたから、こうした外国文化を楽しむ人も多かった。しかし、平成になって経済成長が止まってしまうと、子供達から知的好奇心が消えて行く。洋楽に関する知識も乏しくなっているはずだ。例えば、「Born To Be Wild」のメロディーを何処かで聴いたことがあっても、誰が唄っているのか判らない。米軍放送のAFNが名曲「Crazy on You」を流しても、直ぐに「Heart」の曲だと判らないし、ナンシーとアンのウィルソン姉妹が結成したバンド、ということさえ知らない人もいる。

Fleewood Mac 3245Bad Company 441








(左 : 「フリートウッド・マック」のスティーヴィー・ニックスとリンジー・バッキンガム   /  右 :「バッド・カンパニー」のメンバー )

  一般家庭の所得水準が低下すると、子供達の向上心や好奇心が低下するようで、理解が難しい異文化を避けるようになる。例えば、素晴らしい英語の歌や歐米の映画があっても、日本語じゃないから厭と拒絶してしまうのだ。「馴染みがあるもの」だけに興味を抱く子供は、その範囲を超えたモノを理解しようとする気力が沸いてこない。洋画だと字幕を読むのが苦痛だから吹き替え版でいいとか、じっくり鑑賞するだけの集中力が足りないから、早送りでDVDを観るといった若者が増えているのは、精神の衰退が進行している証拠だ。

  このように劣化した日本社会で、朝鮮文化が浸透するのは危険である。思考能力が低下した子供は、テレビからの影響を受けやすい。ハード・ロックを専門とするギターリストやドラム演奏者なら判ると思うが、ちょっと耳の肥えた日本人だと、朝鮮のロック・バンドなんて見向きもしないし、たとえ友人からCDを渡されても、「何だ、こんな三流ミュージシャンは !」と馬鹿にして投げ捨てる。実際、ロック専門誌の『BURN !』では朝鮮バンドの特集なんて一切扱わないし、企画すら持ち込まれることはない。雑誌では様々なアルバムが紹介されるけど、鮮人ミュージシャンの紹介記事なんて掲載されないし、たとえ掲載されても読む人はいないだろう。

  ところが、情報貧困層の子供達は競争の激しい音楽業界を知らないから、テレビ局が推奨する流行歌手に靡きやすい。洋楽ファンなら笑ってしまう「K-PO」でも、単純思考の高校生はメディアの「流行」に流される。可哀想だけど、歐米の猿真似ソングを洗練されたヒット曲と思ってしまうのだ。彼らはどんなに下らなくても、何度もテレビで聴いているから「素晴らしいヒット曲」と錯覚する。現在、インターネットが普及したとはいえ、頭の弱い子供は別の世界があることに気づかない。なぜなら、あまりにも多くの選択肢があるので、却ってどの動画を観たらいいのか判らなくなるからだ。それゆえ、自分で観たい番組を探すのが苦痛となる。とりわけ、文化レベルが低い平民の子供やボケ老人は、チャンネル数が少ないテレビに目が向く。

  テレビ局に潜む悪党は、こうした下層階級を狙って鮮人歌手を売り込もうとする。だが、いきなり朝鮮音楽の特番を垂れ流すと拒絶されるから、最初は日本の歌手を集めた番組に朝鮮人の歌手を招き、徐々に慣れたところで鮮人歌手を増やしてゆく。つまり、「抱き合わせ商法」で鮮人歌手を売り込もうという魂胆だ。鮮人歌手に興味を抱く日本人は「茹で蛙」と同じで、徐々に頭が「朝鮮化」している事態に気づかない。

  NHKやフジテレビの制作者は、一般視聴者を「低脳児」と思っている。どんなに下らない「K-POP」でも、数百万人に無料でバラ撒けば、その内の何割かは引っ掛かるので、この努力は決して無駄じゃない。つまり、「散弾銃(buckshot)」アプローチでファンを造るという手口だ。1950年代、ロシアの心理学者であるセルゲイ・ドブロゲフ(Sergj M. Dobrogaev)は、耳に心地よい音調と大衆操作に関する研究を行っていた。プロパガンダに長けた独裁者や煽動者は、聞き慣れたフレーズや心地よいスローガンを口にして大衆を動かそうとする。(「デマゴーグ」とは元々「民衆の主導者」を指す。) 日本の大衆を動かすには、先ず、朝鮮音楽を「身近な曲」にする必要がある。だから、最初に「下らない」という偏見を取り除かねばならない。

  フランス人は他人を言いくるめるのが得意で、「人間は兎のようなものだ。その耳を摑めばいい(L'homme est comme le lapin, il s'attrape par les oreilles.)」という諺がある。日本のテレビ局員も同じで、カモにする視聴者の耳を摑もうとする。NHKの反日分子や鮮人社員は、一般視聴者をウサギかロバ程度と思っているから、「奇妙な朝鮮音楽でも、何度か聴かせればK-POPファンを増やせるぞ !」と計算しているんだろう。だから、朝鮮音楽を普及させたい者は、「ザ・ベストテン」とか「紅白歌合戦」のような番組に鮮人歌手を混ぜて、無防備な日本人へと提供する。これは投資詐欺と等しく、紳士面をした悪党が「有名な藝能人も出資しています」と話せば、アホな一般人は「えっ、そうなのか ?! じゃあ、私も一枚噛ませて!」と頼み、大切な貯金を差し出す。日本人は「イワシの群れ」とソックリだ。

K POP 7324K POP 8842








(上写真  / 誰が誰なのか区別がつかない鮮人ミュージシャン )

  一方、米国のポップ・グループを知らない子供達は、アメリカ人の二番煎じとは気づかないから、日本の提灯藝人が鮮人グループを褒めれば、それに同調し、「うぁぁ~、ダンスが上手い人達だ !」と魅了されしまう。電通やテレビ東京に媚びを売る藝人、例えば、笑福亭鶴瓶を見れば判るけど、お雇いゲストが「Twice」とか「東方神起」を称讃すれば、単純な日本人は「そうなんだぁ~」と信じる。地上波や衛星放送で南鮮ドラマを見ている日本人も本当に哀れで、「便利な馬鹿」と思われていることに気づかない。さらに悲劇的なのは、日本の大衆に「隣百姓」の精神が残っていることだ。もし、フジテレビが「このグループは今、世界で一番ホットなグループなんですよぉ~」と囁けば、「そうなんだ、みんな聴いているんだ !」と思ってCDを買って喜ぶ。単なる「在庫処分」なのにねぇ~。

  李氏朝鮮の歴史を勉強すれば判るけど、支那人を師匠と仰ぐ朝鮮人は、昔から賄賂や接待で相手を取り込もうとする。たぶん、テレビ局の音楽担当者は、朝鮮音楽を広めることで南鮮の藝能事務所から金や女をもらっているんだろう。広告収入が激減したテレビ局にとって、朝鮮企業からの申し出は魅力的だ。それに、日本のメディア業界人は会社の予算をふんだんに使って私腹を肥やすのが常識となっている。NHKでは「節約」なんてありえない。国民が払う受信料は実質的に「摑み銭」だから、制作者はスポーツ中継や紅白に500億円や600億円使っても平気である。アホから巻き上げた銭だから、幾ら使おうがNHKの勝手なんだろう。鮮人歌手に1千万円のギャラを渡せば、百万円くらいのキックバックがあるのかも知れないぞ。

  次回の補足に続く。




人気ブログランキング

女帝の言葉は外国風 / 日本語だと格好悪い ?

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


好評発売中 !


カタカナ英語を使いたがる人々

Abe 021Koike Yuriko 554









  「横文字(西歐語)」が好きな日本人は、だいたい二つ種類に分けられる。一つは、職業柄、「商売」の一環として、わざと外国語(カタカナ英語など)を使う人だ。例えば、手品師の「ピェール」は、「フランス生活が長いマジシャン」というキャラクターで客前に出る。彼は手品の最中、わざと「シル・ヴ・プレ(sil vous plaît)」と述べた後、「あっ、ついフランス語を喋ってしまいました!」とギャグを飛ばす。でも、お客さんは「いつもの冗談」と判っているから、ゲラゲラと笑って赦してくれる。「ハクション大魔王」みたいに、墨でクルッと髭を描くピェールだが、そのカード・マジックは絶品で、観客は奇抜なトリックに釘付けとなり、いつの間にか惹きつけられて行く。滑稽なメイクとは裏腹に、流れるような手さばきを見せるから、お客さんは自然と大拍手。ピェールのような一流マジシャンなら、横文字を口にしても異論は無い。

  もう一つのタイプは、大した知識も無いのに矢鱈と横文字を使う見栄っ張りだ。この典型例は東京都知事の小池百合子。彼女は日本人が相手なのに、ちょくちょく英語を交ぜてくるから、「何だこのオバはん ! ルー大柴かよ !」と突っ込みたくなる。 そこで小池語録を繙くと、過去の事例が次々と湧き出てくる。ノア・ウェッブスター(英語辞書の編纂者)も脱帽するが、「ワイズ・スペンディング(賢い支出)」、「ダイヴァーシティー(多様性)」、「ガヴァナンス(統治・管理)」、「コミットメント(誓約・献身)」、「サステイナブル(持続可能な)」といったカタカナ英語がズラリ。アラブ人相手でも英語を用いる東京都知事は、「私は国際派なのよ !」と鼻高々。でも、日本人相手の記者会見なんだから、日本語を使うべきだろう。どうして、必要も無いのに横文字を使い、その直後に「言い訳」のような「和訳」を述べるのか? ところが、小池都知事は英語だけじゃなく、ドイツ語にも堪能なようで、「メルクマーク(Merkmal / 指標)」とか「アウフヘーベン(Aufheben / 止揚)を口にして「インテリゲンチャ」を演出する。目立ちたがり屋の小池氏のことだ。「こっちを向いて !」と言うときも、フランス語風に「アトンション(attention) !」と呼びかけるんじゃないか? また、不都合な事を訊かれたら「パルドン(Pardon)?」と聞き直して逃げたり、「ケスクセ(あら、何かしら? / Qu'est-ce que c'est?)」と言って“とぼけたり”する可能性もある。だが、“得意”なアラビア語だけは、何らかの“事情”で封印しているようだ。

  小池都知事は日本国民のためにスピーチを行っているのか、それとも自分を売り出すためにコンサートを上演しているのか、筆者にはさっぱり解らない。彼女は人々が武漢ウイルスで困窮しても、あるいは移動制限で不自由になっても、お得意の英語でロックンロール。神妙な表情を浮かべながら、「ロックダウン ! (都市封鎖)」とか「オーヴァーシュート ! (患者の急増)」、「クラスター ! (集団感染)」といったカタカナ用語を並べ立てる。「誰にでも解るように、ちゃんと日本語で言えばいいじゃないか !」と言いたくなるが、日本語だけで述べたら野暮ったい。なるべく“スマート”に喋らないと、“インテレクチュアル”に思われないから。(あっ ! 筆者も、つい「ルー大柴モード」になってしまった。) こんな風に言うと、「タカ&トシ」のトシ(三浦敏和)から「欧米か!」と叱られそうだが、ユリコ様は宝塚のトップ・スター以上の存在だからOK牧場。(小池都知事ならガッツ石松のセリフを堂々とパクってもお咎め無し。)

  とにかく、仮にもユリコ女史は東京都知事なんだから、重要な発表であれば、ちゃんと「日本語」で話すべきだろう。だいたい、「ステイ・ホーム(Stay Home !)」って何だ? やけに居丈高じゃないか。普通の日本語ほ使って「家に居ろ !」とか、「自宅から出るな !」と言えばいいのに、カタカナ英語で「スティ・ホーム」なんて、人を小馬鹿にしている。我々は犬じゃないぞ !! ユリコ様(公方様?)は、給付金を配る時にも、「待て ! (Stay / Wait !)」とか「伏せ ! (Down !)」、「グルっと転がれ ! (Roll over !)」とでも言うのか? 小池氏のことだ、よく出来たら、オっちゃんオバちゃんに対しても、「グッド・ボーイ ! グッド・ガール !」と褒めそうだ。小池と同じく、役人も横文字が趣味のようで、「コンセンサス(合意)」、「コンプライアンス(法令遵守)」、「ウィンウィン(両方が得)の関係」などと言って偉そうにする。小池や官僚はエリート意識満々なんだろうが、一般国民だって教養はあるんだ ! コケにするんじゃない !

滑稽な日本の外国かぶれ

  だいたい、インテリ気取りの日本人は、何かにつけ外国語を使いたがる。例えば、マスコミは「アパートメント(or flat)」を「マンション(mansion)」と呼ぶが、アメリカ人が聞けば「一軒家の豪邸」を思い浮かべてしまうぞ。不動産屋が「マンション」と称して紹介するのは、たいてい「コンドミニアム(condominium)」みたいな物件である。新聞やテレビの報道記者は、日本語で「長屋」と言えばいいのに、白銀台とか高輪、恵比寿などに建つ高層ビルだから「マンション」と呼んで恥じない。それなら、「高級長屋」でいいじゃないか。分譲された一角に住んでいるだけなんだから。他にも、巷の賃貸物件を見ていると、様々なカタカナ名称があって何がなんだか判らない。例えば、「マカロニほうれん荘」はフィクションだけど、普通の貸しアパートなら「何とか荘」と呼べばいいはずだ。それなのに、奇妙な和製英語の「コーポ(corporate house)」、高台にある訳じゃないのに「ハイツ(heights)」と称する二階建ての貸家、フランス風に「メゾン(maison)」を附けるプレハブ住宅、ドイツ風に「ハイム(heim)」と名付けられた洋風長屋、インド総督が住んでいる訳じゃないのに「レジデンス(residence)」と呼ばれる集合住宅など、詐欺物件みたいな家ばかり。

  それでも、やっぱり日本人は横文字が大好き。特に、テレビや雑誌は奇妙な和製英語で溢れている。例えば、昔、マスコミや被服業界では「ハウスマヌカン(house-mannequin)」という言葉が流行っていた。筆者は洋服店の「マネキン(人形)」かと思ってしまったが、ブティックで働く「販売員」の呼び名と知って驚いた。実際は「女性の売り子」なんだから、「女子店員」でいいんじゃないか。ついでに言えば、「カリスマ美容師」という呼び名もあって、筆者は「新興宗教の床屋」かと思ったが、よく聞いてみると「腕のいい散髪屋」あるいは「人気の美容師」とのことだったので、「なぁ~んだ、そんな意味かい !」と呆れたことがある。だって、「カリスマ(charisma)」と言えば、神様から与えられた特別な能力とか魅力を指す言葉なので、一般的には宗教学または社会学の説明で使われる学術用語だ。

  最近のホテルでも似たことがある。例えば、よく「コンシェルジュ(concierge)」という言葉を耳にするが、宿泊客の要望や相談に応じる「世話係」なら、フランス語じゃなくて日本語の役職名を用いた方が親切だろう。病院だと「インフォームド・コンセント」なる外来語を使うが、「説明して同意を得ること」でいいじゃないか。市役所も「環境アセスメント(assessment)」なる言葉を使いたがるが、要するに「環境への影響を評価する」ということだろう。日本人が口にする変な英語は非常に多く、ホテルやレストランでの「クレーム」というのは、「苦情(complaint)」のことで、「主張(claim)」じゃおかしい。不可解な横文字は他にもあって、「歌手がブレークする」とか「今年ブレークした新人」という表現があるけど、どうして脚光を浴びるようになった藝人に対して「break(壊れる、途切れる、割る)」といった英語を使うのか? 筆者は未だに解らない。

  和製英語を口にするが、その意味や由来を知らぬまま使っている人は多い。例えば、二人並んで撮った写真を「ツー・ショット写真」と呼ぶらしいが、被写体が3人、4人、10人、36人、100人と増えたら、どう呼ぶのか? 筆者は修学旅行の時、約30名で集合写真を撮ったことがある。なら、こうした写真は「サーティ・ショット写真」というのか? 「ツー・ショット写真」と聞けば、普通は「二回シャッターを切る」と思うはずだ。この「ショット(shot / 弾丸・射撃)」は酒場でも使われる言葉で、小さなコップにテキーラを注いで飲む時、「1杯(one shot)」「2杯(two shots)」と数える。一方、英語と思っている言葉が、実はフランス語由来という場合もあるので、話す相手によって注意せねばならない。例えば、洋菓子屋の「シュークリーム」はフランス語の「ショアラクレム(Chooux à la crème)」が訛った言葉で、イギリス人が聞けば「ケーキ屋で靴墨(shoe cream)か!」と驚いてしまう。

  和製英語は「カタカナだから正しい英語」と思ってしまう虞(おそれ)がある。例えば、文房具の「ホチキス」も日本だけの呼称で、英語では「ステイプラー(stapler)」だ。昔、日本人が「ホチキス社(E.H. Hotchkiss Company)」から輸入したので、この名前が附いたらしい。遊園地の「ジェット・コースター(jet coaster)」も和製英語で、「ローラー・コースター(roller coaster)」が正しい。考えてみれば当たり前で、ジェット・エンジンなんか附いておらず、「ローラー」で滑走しているんだから、最初から「ローラー・コースター」でいいはずだ。

   日本人はある英語を別の英語で使うことも多く、改築(修理)を「リフォーム」とか「リニューアル」呼ぶが、正しくは「リノヴェイション(renovation)」と言うべきだし、「バージョンアップ」は「アップグレイド(upgrade)」、「バイキング料理」は「ビュッフェ(buffet)」、「ペット・ボトル」は「プラスチック・ポトル(plastic bottle)」と呼ぶべきだ。「メリット」や「デメリット」も日本的な使い方で、本来なら「アドヴァンテイジ(advantage)」とか「ディスアドヴァンテイジ(disadvantage)」と言う方が分かりやすい。

  日本人は色々な国から言葉を入れてしまったので、語源の種類が解らなくなっている。例えば、オランダ語から入った「コップ(kop)」だが、英語で言えば「カップ(cup)」となり、日本人の子供は何が違うのか解らない。水だと「コップ」一杯となるが、清酒だと「ワン・カップ」となる。(ガラス製の「グラス」でも、人によっては「コップ」と呼ぶからややこしい。) 野球やゴルフの試合で貰う「優勝杯」の時は「カップ」と言い、「優勝コップ」と呼んだら、景品で貰う「マグ・コップ」みたいだ。余計な事だが、白米を盛る「茶碗」は「カップ」じゃなく「ボウル(bowl)」である。日本人だとピンとこないが、この「ボウル」は「窪地」をも意味するから、「フットボールの競技場」を指すこともある。

  一般的には意識されないが、日本語にはヨーロッパ由来の言葉とカタカナ英語が併用されているので面白い。例えば、「輪ゴム」の素材は、オランダ語の「ゴム(gom)」で、口で噛むゴムは英語の「ガム(gum)」だ。しかし、歯茎を指す「ガム」は古英語の「goma」から来ているので別口となる。医療用語にはドイツ語が使われ、有名なのは医者が書き込む「カルテ(karte / krankenbericht)」である。「ガーゼ(英語 / gauze)」はフランス語(gaze)から来ているが、元々はパレスチナの地名で、ユダヤ人とアラブ人が血みどろの戦いを繰り広げる「ガザ(Gaza)」が起源であるらしい。確かに、たくさんのガーゼが必要だ。

  ついでに言うと、現在の中学生や高校生は、福沢諭吉や勝海舟が蘭学を志し、「オランダ語」を勉強していた事は知っているが、オランダに関しては意外と知識が無い。そもそも、「オランダ」は「州名」で「国名」じゃない。「ネーデルラント王国(Koninkrijk der Nederlanden)」は、「フリースラント(Friesland)」や「フローニンゲン(Groningen)」、「ヘルデルラント(Gelderland)」、「ドレンテ(Drenthe)」、「フレヴォラント(Fleboland)」、「リンブルク(Limburg)」、「ゼーラント(Zeeland)」、「ユトレヒト(Utrecht)」、「オーファーアイセル(Overijssel)」などの州で形成される連邦国家だ。ちなみに、南半球にある「ニュージーランド(New Zealand)」の国名は、元々オランダ語の「新しいゼーラント(Nieu Zeeland / Nova Zeelandia)」で、オランダの冒険商人であるアベル・ヤンソン・タスマン(Abel Janszoon Tasman)がこの島に到達したから、この名前で呼ばれたという。(第17世紀にアジア大陸に進出したオランダ人の活動は、「オランダ東インド会社」の歴史を調べてみれば分かる。) 最初は「南海の島(Staaten Land)」という名前で呼ばれていたが、後に本国の「ゼーラント州」に因んで「新しいゼーラント」と呼ばれ、さらに英語風となって「ニュージーランド」に変わったらしい。

Abel Janszoon Tasman 2Anthony van Diemen 2Simon Baker 6









(左 : アベル・ヤンソン・タスマン   /  中央 : アントニー・ヴァン・ディーメン  /  右 : サイモン・ベーカー )

  ついでに言えば、オーストラリアの隣にある「タスマニア(Tasmania)」島は、元々タスマンの上司であるアントニー・ヴァン・ディーメン(Anthony Van Diemen)に因んで「ヴァン・ディーメン島」と呼ばれていたが、後に部下のタスマンに因んだ「タスマニア」という名前が一般的になった。 もう一つのトリビアを述べると、人気ドラマ『ザ・メンタリスト(The Mentalist)』で主役を務めたサイモン・ベーカー(Siomon Baker)は、タスマニア出身の俳優である。彼自身も米国のトーク・ショーで「タスマニア育ち」と答えていたから本当なんだろう。ニュージーランドやタスマニアを旅行する日本の大学生でも、国名の由来を知らない人は結構多く、イングランドの地名から取った名称と思っている。確かに、オーストラリアのシドニーやメルボルンには、「カンタベリー(Canterbury)」といった英国風の街があるから、イギリス系入植者が本国を真似たんだろうなぁ、と推測してもおかしくはない。でも、第17世紀や18世紀の頃は、オランダ人も海外で領土拡大を目指していたから、オランダ風の地名はあちこちにある。

  さらに脱線するが、NY州のマンハッタン島(ニュー・アムステルダム)にオランダ系の地名が多いのは、イギリス人と共にネーデルラント人が多く入植したからだ。有名な入植者と言えば、統治者となったピーター・スタイヴァサント(Petrus Stuyvesant)が挙げられる。彼の子孫には名士が多い。例えば、フランクリン・D・ローズヴェルト大統領の学友で、後に批判者となった下院議員のハミルトン・フィッシュ3世(Hamilton Stuyvesant Fish III)は、ピーターの末裔である。その他にもオランダ系の地名は多く、ナッソー(Nassau)とかハーレム(Haarlem)は誰でも判る。日本人旅行者も訪れるクィーズの「フラッシング(Vlissingen)」とか、ブルックリンの「ブッシュウック(Boswijck)もオランダ系の地名だ。「クリニッチ・ヴィレッジ(Greenwich Village)」の名前もオランダ語の「Groenwijck」からきている。

Netherlands 5Netherlands 8







(写真  /  ネーデルラントの風景)

  話を戻す。日本人が呼ぶ「オランダ語」と言っても、それが「標準ネーデルラント語(Standaardnederlands)」なのか「ホラント方言(hollandais)」、「フラマン語(vlaams)」あるいは「フリジア語(Frysk / Fries)」なのか判らず、高校生だと一つの「国語」と思いがちだ。(公用語は「一般教養ネーデルラント語(Algemeen Beschafdt Nederlands)」である。まぁ、山の手言葉を土台にした標準日本語みたいな言葉と思えばいい。) ネーデルラントの地理となれば更にあやふやで、フランス人が呼ぶ「低地国(Pays-Bas)」と聞いても、「オランダ(Hollande)」という州なのか、それとも連邦全体を指す「ネーデルラント王国」なのか、はっきりしないのだ。今の高校生や大学生は「バタヴィア」と聞けば、インドネシアの首都「バタヴィア」しか頭に思い浮かばないが、元々はネーデルラント王国の北部、つまり現在のアムステルダムやハーレム、フリースラント辺りを指す古い地名である。タキトゥス(Tacitus)などの古代ローマ人は、ここを「バタウィア(Batvia)」と呼んでいた。それで、この地域に住むゲルマン人を「バタウィア人」と呼んでいて、近くにはザクセン人も住んでいたから、オランダ人とイギリス人(アングロ・サクソン)が容姿や風俗の点で似ているのは当然である。(1795年から1806年にかけて「バタウィア共和国」というのも存在した。)

  今のご時世、日本語で言える物事でも、英語で言うと「格好いい!」という風潮は実に多い。筆者は昔、小遣い稼ぎで子供に英語を教えていたことがある。その当時、雑談で日本語を用いたら中学生や高校生の女子に馬鹿にされたから、今でも悔しい。例えば、女子高生が穿いていた「ルーズソックス」が思い出せず、「蛇腹の靴下」と言ったら、ゲラゲラ笑われてしまった。子供だからしょうがないけど、日本語の語彙が不足している子供は多く、中には「“ジャバラ”って何?」と訊いてくる女の子さえいた。さらに、筆者が「襟巻き」とか「乳母車」と口にしたら、「先生、言い方が古いよぉ ~」と笑われ、「マフラー」や「ベビーカー」と訂正されてしまった。筆者はムっときたから、「じゃあ、エリマキトカゲはマフラー・トカゲなのか?」と反論したら、「それは別 !」と簡単にあしらわれてしまった。それでも腹立たしいので、「ベビーカーというのは和製英語で、正しくはストローラー(stroller)とかバギー(buggy)、プッシュチェアー(oushchair)なんだよ」と教えたら、「えっ、そうなの !」と驚いていた。(日本で「バギー」と言えば、山道や砂浜を走る四輪駆動車か、ゴルフ・カートを思い出すから意外なんだろう。食料品店で使う「ショッピング・カート」も、英語では「バギー」だ。もう、和製英語はなくしてもらいたい。)

  乳母車ついでに教えたのは、赤ん坊を指す俗語の「アンクル・バイター(ankle biter)」とか「スプログ(sprog)」といった英単語である。日本の公立学校だと「sprog(ガキんちょ)」や「lad(若者)」という単語は教えないし、固い表現を中心に教科書が作られているから、実際のイングランドやアメリカで戸惑う日本人は多い。例えば、普通の高校生だと「約束する」を「I promise you.」と訳してしまうが、アメリカ人なら「You have my word.」と言うだろう。今ではTVドラマ『24』の影響もあって、ジャック・バウアーの名セリフを口にする人も少なくない。外国語を習得するには、現地に住むことも有効な手段だ。筆者が米国の学生寮に入居した時、ベッドの掛け布団が必要だと気づき、近くの雑貨店に赴いたことがある。そこで、寝具コーナーの店員に「デュヴェイ(duvet)ありますか?」と訊いたら、「ああ、コンフォーター(comforter)ね !」と言われたので慌ててしまった。筆者が日本人だから「おしゃぶり(dummy)と間違がわれたのかも?」と思い、すかさず「あの、キルトやブランケットのような物」と言い直した。

baby with nukerschool kid 5







(左 : 「おしゃぶり」をしている赤ん坊  /  右 : ヘソを曲げた少女)

  でも、その店員は理解していたようで、ちゃんと掛け布団コーナーへと案内してくれ、筆者は無事買うことができた。それにしても、布団の名称が赤ん坊の「おしゃぶり」とは・・・。確かに、アメリカ人は「おしゃぶり」を「パシファイアー(pacifier)」と呼ぶから混乱しないが、日本人からすると焦ってしまう。ちなみに、腹話術の人形とかは、「ドール(doll)」でもいいんだけど、筆者は何となく「ダミー(dummy)」の方を使ってしまう。自動車の安全検証の時に用いる人形も「ダミー」なので、間違いとは言えない。でも、洋服を着せた人形だと「マネキン」なので、英語というのは本当に難しい。ちなみに、「ダミー」は「間抜け」も意味するから、本当に厄介な言葉である。(日本では人を騙すための「偽会社」という意味で「ダミー会社dummy company」を使う場合がある。) そういえば、人名が変な風に使われるから、これまたややこしい。例えば、「ゲロを吐く」というときに「ラルフ(ralph)」を用いるし、便所を指すときに「ジョン(John)」と言う時がある。「リチャード(Richard)」の渾名は「デック(Dick)」だけど、この言葉は「ペニス」も意味するから、アメリカ人はどう思っているのか。民衆党員なら、軽蔑を込めてチェイニー元副大統領を「デック」と呼ぶんだろうけどね。

  ここでは関係無いけど、日本で英語を勉強しても、いざアメリカで暮らすと米国式英語で混乱することがある。例えば、ニューヨークの軽食屋で、隣のアメリカ人がマフィンみたいなパンを食べているので、筆者が何かと訊いたら、「ビスケット(buiscuit)」と教えてくれた。日本で「ビスケット」は「森永のビスケット」みたいなお菓子だが、米国だと「クッキー(cookie)」となる。筆者はあまり違いを考えていなかったので、「そういえば日本人は両方使うよなぁ」と改めて考えたことがある。「コーン(corn)」も“ややこしい”英語で、米国だと「トウモロコシ」で、英国だと「穀物(grain)」を意味して、小麦などを指す。「コーン」は穀物から「粒」を連想するから、「コンビーフ(corned beef)」は「塩粒」で漬けた牛肉となる。トウモロコシが入っていないのに「コーンのビーフ」と言うから、日本の子供が首を傾げてしまうのは当然だ。イギリス人は「トウモロコシ」を「メイズ(maize)」と呼ぶから、日本の中学生は更に頭が混乱する。度量衡も英米で違いがあり、「1パイント(pint) 」のジュースは、米国で0.473リットルだが、英国だと0.568リットルなので気をつけないと損をする。クルマに給油をする時も、米国と英国では違っているから注意。1ガロン(gallon)は米国だと3.78リットルだが、英国だと4.54リットルなので、1ガロンありの値段を日本円に換算する時には、よく考えないとねぇ。

  英米人との会話では、英語の使い方で悩むことがある。日本人は「ポテト・チップス」みたいなのを「チップス(chips)」と呼ぶが、イギリス人なら「クリスプス(crisps /固く焼いた物)」で、アメリカ人が相手だと、そのまま直訳で「チップス」でいい。たぶん、イギリス人は煎餅みたいな感覚なんだろう。奇妙なことに、日本の「ポテト・フライ」は米国で「フレンチ・フライ(French fies)」と呼ばれるが、英国では「チップス」だ。英国を旅行すれば誰でも食べる「Fish and Chips」では、日本でいう「ポテト・フライ」が出てくる。「湖池屋のポテト・チップス」ではない。日英では変な共通点があって、イギリス人と日本人は便所を「トイレット(toilet)」と呼ぶが、アメリカ人は「バスルーム(bathroom / restroom)」と呼ぶので、日本的感覚からすると何となく奇妙だ。食堂で「バスルームはどこですか?」と訊けば、風呂を探しているみたいでおかしい。また、米国で「炭酸水」を注文する時は「ソーダ(soda)」でいいけど、英国だと「ポップ(pop)」だから頭が混乱する。筆者がアメリカ人の子供に「横断歩道」を指して「zebra crossing」と言ったら、「crosswalk」と言い直されたことがあるけど、英国なら「シマウマの渡り」で通じるようだ。

  その他、和製英語で紛らわしいのは、「トレーナー(正しくはsweatshirt)」という服の種類の名称で、北米だと「運動靴」と間違われてしまう。イギリス人やカナダ人は「トレーナーズ(trainers)」と呼び、アメリカ人は「ランナーズ(runners)」とか「スニーカーズ(sneakers)」と呼ぶ。英語らしいのに間違った英語というのも多い。例えば、銀行のATMで、「タッチ・パネル」というのがあるけど、本当は「タッチ・スクリーン(touch screen)」なので、「最初から正しく表記すればいいのに」と思ってしまう。「電子レンジ」も同じで、輸入当初から「マイクロウェイヴ・オーブン(microwave oven)」と呼んでいれば、紛らわしい混乱は無かったはずだ。和製英語で馬鹿らしいのは、「OL」という名称で、だいたい「会社で働く貴婦人」っておかしいだろう。「office worker」でいいのに、誰がこんな変ちくりんな言葉を考えついたのか? 「ヤクルト・レディー」も同じで、「ヤクルトおばさん」じゃ駄目なのか? たぶん、ヤクルトは化粧品の訪問販売をする「エイヴォン・レディー(Avon Lady)」を真似たんだろう。でも、「エイヴォン・マン(Avon Man)」に輝いた英国のトップ・セールスマンを真似て、男性販売員を「ヤクルト・マン」と呼んだら、「ひょうきん族」のキャラクターみたいで滑稽だ。(なんか、伊東四朗かアーノルド・シュワルツネッガーがやりそう。)

タカナ英語は「うどん屋の釜」

  日本人が西歐語を「格好いい」と思う気持ちには、幾つかの理由がある。誰でも思いつくのは、明治時代に“近代化”を目指した日本人が、“西歐の文明”を輸入して富国強兵に努めたことだ。誰もが知っているように、我々が言う「近代化」というのは「西歐化」に他ならない。新しい日本が模範とする先進国は歐米諸国のみ。聖人君子がいると思われた支那、そして儒教を崇めていた朝鮮は、停滞した古代国家、あるいは因習に凝り固まった劣等国。したがって、漢籍を売り物にしている支那学者なんて、カビ臭い書物に埋もれた腐儒、ないし役立たずの屁理屈屋といったところだ。朝鮮語に至っては、選択する外国語じゃなかった。平成の初めまで、朝鮮語を学ぶために大学へ進もうとする高校生は“ほぼ”皆無。もし居るとしたら、よほどの変人か朝鮮系の子供くらいである。あの“みすぼらしい”民族の言葉を習うなんて、プライドの高い日本人じゃ、死んでもできない。渡部昇一先生は、英語学を「男子一生の仕事」にする価値はある、と述べていたが、朝鮮語じゃ馬鹿らしいというか、牢屋に入ったような気分になるから論外。英語を除いて日本人が自主的・積極的に学ぶのはドイツ語かフランス語、あるいはイタリア語くらいまでで、貴重な時間とお金を費やすのは、魅力的な西洋語に限る。

  今のところ、青山繁晴や小池百合子は、大して上手くもない英語を口にして、「どう? 格好いいでしょう !」と上機嫌だが、アジア移民が増えれば、英語は気取り屋の玩具じゃなく、必要な手段となってくる。なぜなら、インド人やマレー人、フィリピン人の出稼ぎ労働者が増大すれば、職場で交わされる共通語は英語しかないからだ。しかし、日本で使われる英語は、アジア人用の低級英語に過ぎないから、職場で飛び交う英語はゼンジー北京かケイシー高峰レベルの外人語。アジア移民の子供と一緒にされる日本人の子供もいい迷惑だ。アジア人の子供は日本の学校に通っても、親とのコミュニケーションは祖国の言語となるから、カタコトの日本語を話す“バイリンガル・キッズ”が増えるだけ。しかも、こうしたバイリンガル児童が話す言葉は、ダログ語とかマレー語、ベトナム語だから、日本人の子供は“格好いい”とは思わない。一方、既に移民大国となったブリテンでは、300種以上の外国語が公立や私立の学校で話され、全小学生の20%に当たる、約90万人の児童が英語以外の言語を話しているそうだ。(Elizabeth Bailey and Emma Marsden, "Hundreds of languages are spoken in the UK, but isn'talways reflectedin the classroom", The Conversation, August 21, 2017.) 

Aoyama 221(左  /  笑顔の青山議員)
  外国語を流暢に話して喜んでいる「国際派」の知識人は、多言語社会をどう思っているのか? そういえば、我らが青山繁晴先生はラジオ番組で、お得意の「米語」について話していた。あろうことか、国際派の青山先生は訪米した時、アメリカ人の入国管理官から怪しまれたそうだ。曰わく、「お前は日本の旅券を持っているのに、どうしてそんなに英語が上手いんだ?」と疑われ、詳しく尋問されたそうである。うぁぁぁ~、すごぉぉぉ~い ! さずか、青山先生は我々と違う! アメリカ人の入管職員がビックリするほど上手な「米語(ベーゴ)」を話したなんて! いゃゃ~ぁ~、羨ましいなぁぁ~。アメリカ人が「アメリカ人?!」と勘違いするほどネイティヴな発音なんて ! でも・・・、もしかしたら、単に「怪しい東洋人」に思えたから尋問されたのかも知れないよ。大変失礼だけど、アメリカ人の入管職員が先生の「米語」を理解できなくて、「何だ ! こいつ、ゴチャゴチャ喋りやがって!」と不機嫌になる場合もいるからさぁ。でも、そんなことはないだろう。だって、ベーゴをスラスラ喋る青山先生を誤解するアメリカ人なんか・・・居るはずがない。青山先生は自慢していたけど、普通にハワイでブラブラしていると、現地人から「アメリカ人」と間違われるそうだ。先生の「米語」はハワイ人が誤解するほどの「ネイティヴ」発音なんだって ! でも、現地の白人は、先生を「日系人」と思っていたからじゃないのか?

Sadiq Khan 1(左  /  サディク・カーン)
  話を戻す。日本でも「研修生」とか「留学生」の名目で、ドンドン「移民」が押し寄せてくるから、やがてブリテンやフランス、ドイツのように異人種の坩堝(るつぼ)と化すだろう。そうなると、東京や大阪といった大都市圏では、外国系の市議や知事が誕生するかも知れない。悪夢の到来はもう少し。1960年代までのブリテン人(ゲルマン系やケルト系の白人)で、ジャマイカ人やインド人の市議会議員や市長が誕生すると予想する人は少なかった。しかし、現在のロンドン市長は茶色人種のサディク・カーン(Sadiqu Khan)で、彼の両親は1968年に移住してきたパキスタン人。日本だって東京に支那人や朝鮮人、インド人、フィリピン人、ベトナム人が増えれば、アジア系の都知事が誕生する可能性はある。何しろ、東京は行政能力よりも知名度や人気度で都知事が選出されるので、候補者にはある程度の知名度が必要だ。たとえ、財政や金融に精通していても、地味な人物なら当選は難しい。でも、小池百合子みたいに口達者な女優タイプだと、枕営業と綺麗事だけで当選してしまうのだ。

Koike Yuriko 76(左  /  若い頃の小池百合子)
  いずれにせよ、小池百合子がカタカナ英語を好むのは、知的な雰囲気を漂わせたいだけで、都民の利益を考えているからではない。彼女の演説や公約は「うどん屋の釜」と同じ。「ゆ(湯)うだけ」で「中身が無い」のだ。この厚化粧知事は、鏡の前で帽子や宝石を身につけ、店員に「どう見えるかしら !」と尋ねているオバタリアンと変わりがない。こういったインテリ風の女は、ちょいと洒落た「布きれ」でも、「素晴らしいスカーフ(scarf)ですね !」とか、「御洒落なショール(shawl)」、「ゴージャスなストール(stole)」と呼んでやれば喜ぶ。たとえ、ヘンテコな絵柄でも「有名デザイナーによる特注品です」と言えば満足するんだからアホらしい。表面だけで物事を判断する人物は、イタリアに住む支那人が作った革靴でも、「ミラノでも指折りの職人が作ったハイヒールです」と囁けば、2倍の値段でも買ってくれる。目利きのようなフリをして、「やっぱり、作りが違うわ !」と言って蘊蓄(うんちく)を述べるから、本当にチョロい。小池氏のような英語屋は、目を大きくして「ファビュラス(fabulous / 素晴らしい)」とか、「マーヴェラス(marvelous / 素敵)」、「インクレディブル(invcredible / 信じられない)」と言いそうだ。ピエールなら“お決まり”の「トレヴィアぁぁ~ン」だろうなぁ~。

  小池百合子が嘘つきでも人気があるのは、上品な物腰で真剣な話をするからだ。しかし、その口の中には黒い舌が二枚ある。都合の悪い質問を受ければ、笑顔でヒラリと躱(かわ)し、「持ち帰って後ほどお答えします !」と煙に巻いて終わり。昨日は昨日で、今は今。「ケ・セラ・セラ」と唄って、バイバイだ。本人に罪悪感が無いから、矛盾した発言でも、荒唐無稽な提案でも、一向に恥じることはない。これだから、都民は何回だって騙される。上昇志向の小池百合子にとって、都政の舵取りなんか退屈である。彼女は鮫のように華やかな舞台を求め、孔雀のように自分を飾り立てる。オリンピックがどんな形であれ、世界中の観客に英語で語りかけ、「私って最高 !」と自己満足に耽るのが小池の夢だ。このオバはんなら、「ジャパニーズ・ドリィィーム」と言うかも ! ただし、我々にとったら「ナイトメアー(nightmare / 悪夢)」なんだけど・・・。

  次回は小池氏の再選について述べてみたい。



人気ブログランキング
記事検索
最新記事
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: