無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

日本文化論

女を先に出すメリット / 日本人を貶したい日本人

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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日本人は男尊女卑

  普段だと、馬鹿らしいので地上波のワイドショーなんか無視するに限るが、先日ある場所にいたところ、たまたまテレビを観る機会があったので、テレ朝がやっている「モーニングショー」を見てしまった。番組を仕切るのは羽鳥慎一で、コメンテーターにはレギュラーの玉川徹。その隣には、浜田敬子(はまだ・けいこ)という女性が坐っていた。筆者はこの浜田氏のことを知らなかったが、後で素性を調べてみたら、実は朝日新聞の社員ということが判り、『週刊朝日』の編集員を経て雑誌『AERA(アエラ)』の編集長になった人物であるそうだ。ところが、雑誌編集長を退任すると、浜田氏は社の「総合プロジェクト室」に配属され、現在は米国の『Business Insider Japan』を統括する編集長になっているという。

  おそらく、浜田氏との関連なんだろうが、「モーニングショー」は『Business Insider』が掲載した渡邊裕子の記事を取り上げていた。この渡邊氏は、ハーバード大学のケネディー・スクールを修了後、米国のコンサルティング会社である「ユーラシア・グループ」に就職し、日本担当ディレクターを務めた経歴がある。そして現在は独立し、中東アジアや北アフリカの政治情勢を分析するコンサルタント会社「HSWジャパン」を設立したそうだ。同社を運営する彼女は、複数の企業から依頼を受けて日本戦略のアドヴァイザーになっているらしい。

  在米生活が長い渡邊氏は、去年、エジプト人とイギリス人の男性同僚を連れて東京に出張したそうだ。そこで、彼らは移動手段として、毎日、地下鉄やJRを使っていたが、日本人の乗客が女性や老人に席を譲らない光景を見て渡邊氏は呆れたらしい。歐米人だと老婆や妊婦に対する気遣いがあり、自ら進んで席を譲るのに、我が国の乗客ときたら、電車が到着するや否や、椅子取りゲームのように小走りで駆け込むと、我先にと座席を獲得する。さらに、目的を達成した日本人は、坐った途端に目を瞑(つむ)り、自分だけの世界に没頭するそうだ。(あるいは、携帯電話の画面に釘付けとなり、周囲に何が起きても気づかない振りをする。) こうした日本人の行為に失望した渡邊氏は、当然のように席を譲る歐米人に言及し、次のように述べた。

  彼らを見ていると、こういう行為が本能的に身についていて反射的に自然にできているんだなと感じる。おそらくこれは、幼い頃からのしつけと、長年の習慣の賜物だろう。(渡邊裕子 「『日本人はなぜ席を譲らない?』とツイートしたら『レディーファーストって意味不明』と猛反発された」、Business Insider、2019年3月10日)

  筆者からすると、「やれやれ、またかぁ~」といった感想しか思い浮かばない。バブル景気が持て囃された1980年代、「これからは国際化の時代だ!」という一大ブームがあり、あまたの評論家や大学教授が、こぞってテレビやラジオに出演し、歐米諸国と我が国を比較して、「日本は遅れている!」とか「閉鎖的だ!」と大合唱していた。日本と歐米では歴史や文化が違うのに、仕事や留学で米国や歐洲に住んだインテリどもが、それを詳しく吟味せず、一方的に同胞を断罪する姿は非常に醜い。だいたい、歐米人と表面的に付き合ったくらいで“カルチャー・ショック”を受け、帰国してから同胞に当たり散らすなんて、本当に情けない。日本国民は彼らの劣等感を解消するための捌け口じゃないぞ。一般的に、洋行帰りの連中は、“遅れた”祖国に戻ってくると、テレビ局のプロデューサーや雑誌の編集員に「後進国の日本」を“ご注進”とくる。また、その告げ口を面白がるマスコミは、「ゼニ儲け」のネタになると踏んで、積極的に歐米の駐在員や留学生を出演させて喜ぶ。すると、反省好きの一般国民は、「そうかぁ~、これからは国際化の時代だから、日本人も態度を改めなきゃ・・・」と考える。まったく、何とも「お人好し」な民族だ。

  筆者も日本人が総て善良とは思わないが、渡邊氏が目にした「日本人」というのは、一体どんな種類の人々だったのか、とても興味が湧く。彼女は電車に乗った時、日本人の乗客がベビーカー(乳母車)を押した女性や、身体障碍者に対して親切ではなかった、と落胆したそうだ。ニューヨークの地下鉄なら、見ず知らずの人に対してでも、近くに居る乗客が「ヘイ、手伝おうか?」と尋ねたり、周りの乗客に対し、「ほら、あんた達、ちょっと手を貸してくれよ!」と声を掛け、自然発生的なチームができるそうだ。渡邊氏は次のように呟く。

  このような、アメリカに住む人たちの、ボランティア精神旺盛で、半ば強引で、もしかしたら日本では「おせっかい」と言われそうな行動や、同僚たちの日本の電車における積極的な親切さを見るにつけ、この違いは一体どこからくるのかと常々疑問に思っていた。(上掲記事。)

  確かに、アメリカ人には気軽に手伝ってくれる人がいるから、「親切な国民だなぁ」と思うことはしばしばあるが、筆者は日本人が道徳的にアメリカ人より劣っているとは思わない。なぜなら、普通の日本人は困っている人を見かければ助けようとするし、妊婦や老人、子供、身体障碍者がいれば尚更だ。渡邊氏が推測するように、電車の中で席を譲らないのは、通勤時間が長く、疲れている人が多いからだろう。しかし、中には「気恥ずかしさ」から声を掛けることができない、という人もいるんじゃないか。また、中高年女性に席を譲ろうしてても、「もう直ぐ降りますから」と断られて、気恥ずかしさを覚えることもあるし、「あら、私そんなに老けて見えるのかしら・・・」とショックを受ける中年女性もいるから、「余計な事はやめておい方がいい」となる。もし、本当に疲れている老人や、大変そうな妊婦、怪我をした人が前に現れば、「どうぞ」と席を譲るのが日本人だ。

「婦人優先」思想の愚かしさ

  でも、渡邊氏は「親切な日本人」のことは紹介したくないようで、代わりに外国人の優しさを紹介していた。例えば、ベトナムやケニアに住んだことのある友人の話を取り上げ、ベトナムの若い子達は年上の人に席を譲るとか、ケニアでも年寄りが大切にされている、と紹介する。また、支那に住んでいた渡邊氏の友人によれば、あのように人口の多い支那ですら、老人と子供を連れた人を見ると、若い人は積極的に席を譲るんだって。へぇぇ~。立派じゃないか。日本国籍を捨てて、支那大陸に永住したらどうなんだ。ついでに、渡邊氏も日本国籍を破棄して、支那国籍やベナム国籍、ケニア国籍を取得してアジアやアフリカに住んでみればいい。日本人はチャンコロ屋の教師から、「支那人は長幼の序を大切にする」と教えられているが、そんなのは身内だけ。評論家の黄文雄も述べていたが、「他人なんか、いつ死んだって構わない」と思っている。だいたい、老人や子供を大切にする民族が、他人の臓器を無理やり摘出して、「裕福な患者さん、いらっしゃい~!」と販売するのか?

  日本人の国民性にケチをつける渡邊氏は、彼女のツィートに噛みつき、「それでも日本は良い国だ」と反論する日本人に反撥を覚えていた。そして、渡邊氏はもっと日本人を批判すべく、「レディー・ファースト(ladies first)」を持ち出す。彼女は読者から寄せられた反論メッセージを紹介し、日本には「レディー・ファースト」というコンセプトを理解できない人がいると評していた。渡邊氏は世界経済フォーラムが発表した「男女平等ランキング」を引き合いに出し、2018年、日本は149ヶ国中110位で、G7最下位を更新しているから、「世界の中で最も男女不平等が激しい国」であるという。

  こんな戯言を聞くと、「まぁ~た、国際機関の統計をネタにした日本バッシングかよぉ~」、とぼやきたくなる。どうして、こうも歐米で学歴つけたインテリ女性は、よく調べないで国際機関を信用するのか。こんな調査報告書なんか、「どんな連中」が「どんな目的」で作成したのか判らない。渡邊氏は盲目的な国連崇拝者と同じタイプだ。このランキングを見た人なら判ると思うけど、日本より上位の国を知れば「一体どんな評価基準を用いているんだ?」とビックリするはずだ。もちろん、上位は定番の北欧諸国が占めている。(「The Global Gender Gap 2018」にある表からの順位。)

  1位 アイスランド 
  2位 ノルウェー
  3位 スウェーデン
  4位 フィンランド

ところが、5位はニカラグア、6位がルワンダ、8位にフィリピン、10位にはナミビアがつけている。驚くのはまだ早い。ドラム・ロールを附けて紹介したくなるけど、以下の国名を目にしてビックリしちゃいけないよ。

 40位 コロンビア
  41位 エクアドル
  43位 ウガンダ
  44位 ジャマイカ
  47位 ジンバブエ
  48位 ハングラデッシュ

  とまぁ、この辺で厭になってしまうが、更に紹介すると、

  71位 タンザニア 
  76位 ケニア
  79位 スリナム
  87位 エル・サルバドル
  89位 ガーナ
 101位 マレーシア
 103位 支那
 107位 グァテマラ
 106位 フィジー
 109位 モーリシャス
 110位 日本

   ざっと、こんな順位になっているけど、一般国民の中には「モーリシャス(Mauritius)って、何処の国?」と首を傾げる人もいるんじゃないか。世界地図を広げてもらえば判るけど、インド洋側に面したアフリカ大陸の沖合にマダガスカル島があるが、その東に位置するのが「モーリシャス」で、小さな島々から成る共和国。この島は昔、ネーデルラント領になっていたから、ナッソウのモーリッツ公(Maurits van Nassau)に因んで名付けられたという。ちなみに、彼はネーデルラント連邦共和国の初代君主、「沈黙王(Willem de Zwijer)」と呼ばれたオレンジ公ウィレム1世の息子で、「オレンジ公マウリッツ(Maurits van Oranje)」としても知られている。

Bangladesh 1El Salvador 2








(左 : バングラデッシュの女性 / 右 : エル・サルバドールの女性 )

  普通の日本人なら、こんな僻地の島は知らないと思うけど、ここで暮らす女性は、日本人女性よりもランクが上らしい。でもさぁ、日本人女性の社会的地位が、支那人やマレー人のそれよりもずっと低いなんて、あまりにも馬鹿馬鹿しいじゃないか。しかも、「フィジー」に住む南洋土人よりも低いというから、もうアホらしくて聞いていられないだろう。常識で考えてみれば分かるけど、コロンビアやエクアドル、エル・サルバドル、バングラデッシュから逃れてくる難民はいるけど、日本からこれらの国へ逃れる女性がいるのか? 日本人女性を憐れむ渡邊氏は、試しに、中南米で暮らす一般人女性に向かって、「あなた達は日本人女性より恵まれています」と言ってみろ。どんな答えが返ってくるのか楽しみだ。

Filipinos 1Uganda 2








(左 : フィリピンの女性  /  右 : ウガンダの女性)

  とにかく、外国のフェミニストが何と言おうとも、“まとも”な学者が調べれば、日本女性のランクは1位か2位である。日本の順位が低いのは、民間企業とか役所、学校に勤める“うだつの上がらない”能無し女が、日頃の“鬱憤”をぶちまけるからだ。もし、料亭の女将とか職人を率いる棟梁のオカミさん、本家の隠居婆さんなどを調査すれば、「日本女性の地位は物凄い」と分かるはずだ。筆者が小さい時から知っているオバちゃんは、もう引退したけど、以前は敏腕の保険外交員で、上司よりも給料が高く、亭主を尻に敷いていた。こういった有能な女性は、そもそも調査員に会わないし、たとえ会っても愚痴をこぼさない、余計な事は言わない、儲かっていても秘密だから、調査資料には貢献しないものである。しかも、外人の学者は日本語が全くの苦手で、彼らは英語の達者なホワイトカラー女性ばかりに接触し、彼女達から聞き取り調査をするので、どうしても歪んだ日本人像を抱きやすい。

Jamaica 1Ghana 2








(左 : ジャマイカの女性  / 右 : ガーナの女性 )

  話を戻す。渡邊氏によると、日本から「レディー・ファーストが消えた」のではなく、そもそも「日本には最初から存在していない」そうだ。そして、彼女は「なぜ、日本の男達はレディー・ファーストができないのか?」と疑問を呈する。だが、渡邊氏が思いつく答えは明快で、日本人男性が「知らない」だけ。なぜなら、日本で育つ男の子は、「真摯たるもの、女性を守り、敬意を持って大切に扱わねばなぬ」という騎士道精神や、「女性をエスコートする際のマナー」の基本を、家でも学校でも教えられていないからだという。そして、女の子の方も、「エスコートのされ方」を教えられていないからである。

  へぇぇ~。なるほど、日本には武士道精神があっても騎士道精神が無いから、女性に対する敬意が無いのかぁ~。要は、女性を自動車に乗せる時に、助手席のドアを開けないとか、重い荷物を運んでやらないからダメということらしい。でも、日本人だって恋人にはドアを開けてやるし、子供が重いバッグを持っていれば助けてやるぞ。(ただ、40年くらい連れ添った夫婦だと、別々に行動する方を好み、「別れない理由は?」と訊かれると、困った奥様は、「そうねぇ~、“人類愛”かしら・・・」なんて答える。何しろ、ペットの猫ちゃんやワンちゃんの方が大切なんだから仕方ない。巷のカミさん達ときたら、ビタミン不足の老犬をいたわり、ちょっと値が張る「高齢用ペットフード」を買うくらい、ペット愛が強いんだから。肝心の亭主にはサバの缶詰くらいなのにねぇ~。) 渡邊氏には分からないだろうが、日本で職場の同僚女性に「レディー・ファースト」を行うと、「何か下心があるんじゃないか?」と疑われる危険性がある。また、トドみたいな体型のオバちゃんとか、ひねくれたブス、難癖をつけそうなフェミニストなんかは、助けようとは思わないし、何かあるとマズいから、「君子危うきに近寄らず」と最初から係わらず、知らんぷりするのが得策だ。

  そもそも、日本人男性に対し、「レディー・ファーストが身についていないわよねぇ~」と文句を垂れる女性って、どんなタイプなんだ? 渡邊氏は日本人の現状に不満を漏らしていたけど、彼女が接する周囲の日本人男性はどうなのか、具体的に知りたい。筆者が米国に留学していた時、図書館で「まともな婦人」を目にすれば、さっとドアを開けてやったし、前方から近づいてくれば、ドアを開いて待ったものだ。女性が重い荷物を持っていれば、「持ちましょうか?」と声を掛けるのは普通だったし、クルマのドアを開けてやるのもしょっちゅうだ。でも、筆者とアメリカ人との違いは、その「心掛け」にというか、「信条」にある。

  筆者の「レディー・ファースト」は総ての女性を対象にしておらず、筆者の好みとか判断に基づき、嫌々ながらの「レディー・ファースト」はしないことに決めている。なぜなら、「明き盲(めくら)」になって平等な親切を義務にすることはできないからだ。一方、アメリカ人は誰にでも“平等”に「レディー・ファースト」を行う。が、それは女性を大切にするからではなく、「レディー・ファーストむを行っている「自分」が好きなだけ。つまり、アメリカ人には偽善者が多く、紳士的な行動を取って、自分の姿を周囲に見せびらかす。彼らは自分が如何に立派な紳士であるかをアピールし、世間の評判を上げようと心掛ける。なるほど、渡邊氏が言うように、アメリカ人の男の子は幼い時から女性を優先するよう躾けられているが、それは「自然」な気持ちからではない。「調教」と言った方がよいだろう。

   一応、紳士を理想とするアメリカだと、 白人の男の子は、教師や親から「気に入らない女性でも、ちゃんとレディー・ファーストにしなさい」と注意されるので、仕方なく紳士ツラをしている場合が多い。例えば、シンディー・クロフォード(Cindy Crawford)や、A.J.クック(Andrea Joy Cook)、エミリー・ブラント(Emily Blunt)みたいな女性が前に現れれば、率先してドアを開けたり、荷物を持とうとするが、ウッピー・ゴールドバーグ(WhoopieGoldberg)みたいな黒人やサラ・ギルバート(Sara Gilbert)のようなユダヤ人、マーガレット・チョー(Margaret Cho)の如きアジア人、ルナ・ローレン・ヴェレス(Luna Lauren Velez)風のヒスパニック女性だと、何となく「どうでもいいや」と思ってしまい、そのまま通り過ぎたりする。いくら調教されたアメリカ人とはいえ、やはり心の底には「好き嫌い」の感情が渦巻いているから、「レディー・ファースト」をする時の表情や態度に温度差が出てくる。様々な人種が雑居する国では、微妙な差別や表面上の親切が横行しても不思議じゃない。日本人は“偽りの心”で善いことをすることに抵抗があるから、無差別の「レディー・ファースト」に躊躇ってしまうのだ。

  なるほど、「レディー・ファースト」の起源には騎士道精神があるのかも知れないが、アメリカ人は他人の目を意識した「偽善行為」を“自然”にできるので、ある意味すごい。敬虔なキリスト教徒のアメリカ人なら分かると思うが、聖書には次のような言葉がある。

  見てもらおうとして、人の前で善行をしないよう注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとでむくいをいただけないことになる。(マタイの福音書第6章1節)

  アメリカには聖堂や学校で熱心に祈る姿を見せびらかし、自分が如何に敬虔な信者であるかをアピールする輩がいる。もし、本当に天主に祈りを捧げたいなら、学校に行く前、誰も居ない寝室の中で独り静かに祈ればいいじゃないか。外で実践する慈善行為だって同じだ。知り合いが見ていなくても、進んで小汚い下層民や乞食に優しくすればいい。ところが、名門大学を目指すアメリカ人は、どのようなボランティア活動をしたのか、自己推薦文に堂々と書く。ツラの皮が厚い奴になると、面接で蕩々と喋るんだから、聞いている方が恥ずかしくなる。アメリカでよく見かける「レディー・ファースト」だって、ホントに「本心」からの行為なのか怪しいぞ。

  渡邊氏は日本人に「レディー・ファーストの精神が欠けている」と説教するが、そもそも米国には「レディー」がそんなに多くいるのか? 歐米諸国にたって「オバタリアン」や「生意気な小娘」、「ズベ公もどき」、「単なる大人の雌」だってあちこちに居るじゃないか。アメリカ人は街の「立ちんぼ(娼婦)」に対しても「レディー」と呼びかけるが、本来なら、教養とマナーを兼ね備えた中流階級以上の婦人を意味したはずだ。

  昔、クラナダTVが放送した『シャーロック・ホームズ』を観たんだが、ある一つのシーンが今でも印象に残っている。ベーカー街の自室にいるホームズは、ある研究に忙しく、誰とも会いたくはなかった。しかし、家政婦のハドソン夫人は、玄関先で探偵の依頼をする女性の訪問を受けた。そこで、ハドソン夫人は二階にいるホームズの部屋に赴き、依頼の件を告げようとした。ところが、ホームズは研究に夢中で、「今、依頼を受ける暇が無いので、その女性に断ってくれないか」と頼んだ。その時、戸惑うレイモンド夫人はホームズに向かって、「でも、彼女はレディーなんですよ!」と声を強める。すると、この言葉を聞いたホームズは一瞬で表情を変え、「では会いましょう。その婦人を部屋に通してください」とハドソン夫人に告げたのだ。

  富豪の屋敷に奉公する下女とか、職人の女房、つまらない仕事を持ちかける商人といった、単なる「ウーマン」なら追い返しただろうが、ある程度の身分を持つ貴婦人(lady)となれば話は別だ。たぶん、ホームズは「何らかの差し迫った問題があるに違いない」と察し、一応要件だけは聞いておこうと思ったんじゃないか。まぁ、ドラマだから仕方ないけど、身分の高いレディー役には、ゲイル・ハニカット(Gayle Hunnicutt)みたいな女性が起用されるから、視聴者も親身になって耳を貸したくなる。余談になるが、シャーロック役のジェレミー・ブレットの演技は絶品で、特に美しい貴婦人を相手にするときの表情がいい。一見すると冷たい表情のシャーロックだが、真摯な態度と頭脳明晰な推理は素晴らしい。緻密な論理的思考、他人を圧倒する雄弁さの名探偵を目にすれば、「やっぱり、ホームズ役には、ジェレミー・ブレットしかいないなぁ」と思ってしまう。

  またもや雑談になるが、「レディー・ファースト」について、一つ面白い逸話を紹介したい。婦人優先思想の起源を訊かれたイタリア人が、ある「心中エピソード」を話したことがある。昔、ある村に相思相愛のカップルがいた。しかし、両家の複雑な事情で二人は結婚することができない。というか、許されざる恋であった。そこで、熱愛の二人は、溺死の心中を図ろうとする。二人は船で沖に出て自殺しようとするが、男の方は惚れた女が水中で溺れる姿を見たくない。そこで、自分が先に海へ飛び込み、彼女が後追い自殺をするという事に決めたそうだ。恋人の顔をじっくり拝んだ男は、「えいっ!」と水に飛び込み溺れ死ぬ。ところが、この決死の入水を目の当たりにした女は怖じ気づいたのか、約束の心中を諦め、さっさと家に帰ってしまったそうだ。だから、イタリアでは女が先に飛び込むのを確認してから、男はそれに続くらしい。いやぁ~、「レディー・ファースト」の起源は愉快だねぇ~。たぶん、支那人も似たようなところがあるんじゃないか。エレベーターやローラー・コースターに乗るときは、女性を先に乗せることで安全性を確かめ、男は次の回を待って後から乗る。支那製の自動車とか新幹線は信用できないから、最初に乗車するのは愚かだ。やはり、女を煽(おだ)ててモルモットにしなきゃ。


薄情な日本人が輩出された理由

  「レディー・ファースト」を実践できない日本人の件は、様々な議論の分かれるところだから、ここでは深く立ち入らないが、この問題に関する浜田敬子のコメントは聞き捨てならない。彼女は老人や妊婦、乳母車を押す母親に対し、日本人の乗客が冷淡で、困っている人や助けが必要な人に手を差し伸べないと嘆いていた。浜田氏は弱い者を助けようとしない日本人男性を批判していたが、女子供という弱者を助けないのは朝日新聞も同じだろう。それどころか、朝日新聞は弱者を積極的に見捨てようとした張本人だ。

  もし、浜田氏や朝日新聞の重役たちが、女子供を助けようとする「立派な日本人」なら、どうしていち早く拉致された国民について報道し、武力を用いた同胞奪還を叫ばなかったのか? 筆者でさえ、1980年代に拉致事件の事を耳にしていたから、「おそらく、北鮮による拉致は本当だろう」と思っていた。ただ、日本には防諜組織とスパイ取締法が無いから、警察は大胆な捜査に乗り出せないし、社会党の代議士が邪魔に入るから、公然と北鮮を非難することはできまい、と半ば諦めていた。1980年代だと、まだ社会党や共産党が元気な頃で、土井たか子や高沢虎男が在日北鮮人を守っていたから、税務署や警察は悔し涙を流していた。当時は、まだ気骨のある警官や国民が生き残っていたから、もっと輿論が沸騰したはずなのに、左翼メディアは意図的に隠していたのである。

  朝日新聞に長年勤めていた浜田氏は、自分の会社が熱心に護憲運動や反軍闘争を支援していた事を知っているはずだ。正式な軍隊を持たない日本が、どうやって非力な女子供と老人を守れるというのか? 実際、日本政府は拉致された同胞を何十年もほったらかしにしてきた。拉致事件が明るみに出ても、自衛隊による奪還作戦は論外となっている。つまり、政府首脳は「必ず助け出します」と毎年叫びながら、その都度「肩透かし」で、実践するのは掛け声ばかり。本音では「早く拉致被害者の親が死んでくれないかなぁ」と思っているのだろう。もし、朝日新聞が助けを叫ぶ少女に同情するなら、どうして国防軍の創設や北鮮への武力攻撃に反対するのか? 子供を攫われた親に向かって、「あと1年待ってください」と言う警官がいたら異常だ。一般の親なら三日ともたない。一日で卒倒し、気が変になるのが普通である。それなのに、拉致被害者の家族は1年どころか、5年、20年、40年も待っているんだから、政府による実質上の「見殺し」と思われても反論できない。

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(左 : 助けを求めて涙ぐむ少女  /  右 : 口を開けて居眠りする呑気な日本人)

  浜田氏が言うように、日本人は弱者に対して冷淡なのかも知れない。しかし、それは朝日新聞やその仲間たるNHK、岩波書店、社会党、共産党、日教組、ピンク左翼が繰り返し子供達に植え付けた反日教育と反軍思想の賜物である。「レディー・ファースト」が騎士道に基づくのであれば、日本人の男も武器を取って女子供を守る気概を持つべきなんじゃないか。もし、西歐の騎士が自分の家族や仲間を拉致され、更なる脅迫や金銭の要求を受けたら、必ずや剣を取り、攫った悪党を斬り殺すだろう。奴隷にされた外国人じゃあるまいし、鎧を身につけた伯爵や公爵が、拉致犯に土下座し、金貨を差し出して、「どうか女子供を解放してください!」と頼むのか? そんな事は絶対にあり得ない。でも、日本人は北鮮に頭を下げ、「話し合いで解決しましょう」と持ちかけている。もう、末期症状だ。さらに情けないのは、国会議員の中には賄賂漬けになって、北鮮の狗(イヌ)に成り下がってる奴がいて、積極的に「友好」を呼びかける議員が盟友になっていることだ。自民党の河村建夫は、どこの政治家なんだ? もしかすると、金丸信の後継者だったりして。

  日本の伝統や文化を嫌うフェミニストや進歩的文化人を批判してもしょうがないが、朝日新聞には札付きのワルが多すぎる。朝日には同胞を救出することよりも、朝鮮人売春婦(鮮ピー)に同情する女がたくさんいて、『朝日ジャーナル』の編集長だった下村満子(しもむら・みつこ)、朝日新聞の編集委員だった例の松井やより、その仲間で早稲田大学名誉教授の中原道子(なかはら・みちこ)、朝日の記者で和光大学の名誉教授になった竹信三恵子(たけのぶ・みえこ)などは悪名高い。朝日は男も劣悪で、社長になった広岡知男(ひろおか・ともお)は支那人ベッタリで、本多勝一に至っては正真正銘、支那人の手先だった。NHKと昵懇の本田雅和(ほんだ・まさかず)と植村隆は朝鮮人の味方で、鮮人娼婦を擁護するが日本人少女は無視。たぶん、朝日新聞には「レディー・ファースト」を実践する男性社員がいたのだろうが、それは朝鮮人に限られており、日本人が対象ではない。「日本人ファースト」じゃなく「朝鮮人優先」がモットーだから、朝日は「チョウニチ」新聞って呼ばれるんじゃないか。凋落した朝日新聞は、日本国民に向けて「スポニチや東スポを買わず、一流新聞の朝日を優先的に買ってくれ!」と懇願するも知れないぞ。だって、「弱っている者を助ける精神」を説いているからね。



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馬鹿になる日本人の子供 / 悪化する教育現場

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本当はPISAの結果より悪い?!

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(左 : 段々消えゆく従来のドイツ人家庭  /  右 : 多数派になりつつある「新ドイツ人家庭」)

  今月、世界各国の教育水準を測るPISA(国債学習到達度調査)の結果が公表され、日本の惨状が明らかになった。OECDは世界79ヶ国で、15歳の子供を対象に基礎的な試験を課した訳だが、日本人の子供は読解力で前回の8位から15位に転落し、数学的応用力でも後退したそうで、5位から6位となった。さらに、科学的応用力でも凋落したそうで、2位から5位に順位を落としたらしい。(2019年12月3日附『産経新聞』) この調査結果を受けて、文部科学省は読解力における子供の学力向上を検討すると述べた。

  「国語能力の低下」という一報を受けて、各マスコミはその原因を探るべく、大学や研究機関の“専門家”に意見を求めた。産経新聞は広島大学の難波博孝教授に見解を尋ね、意見を求められた難波教授は、考えられる要因を述べていた。難波教授によれば、先ず活字媒体に触れる機会が減ったためだという。社会のデジタル化が進み、本や新聞といった紙媒体を読む環境が失われ、そうした習慣すら無くなってしまったそうだ。デジタル機器が普及した現代では、紙の書籍に代わるタブレットやスマートフォンを使い、電子書籍を深く読む経験を積ませるべきなのに、日本の学校はそうした教育を行っていないから問題なのだ、という。

  また、家庭環境にも原因があるらしい。子供達はデジタル機器を持っていても、SNSやゲームといった消費的な使い方しか行わず、文章を熟読する事はないという。要するに、情報を流し読みするだけ。これでは「活字に触れる」とは言えず、何も頭に残らない。様々な情報を文中から探し、文章を組み立てて評価するといった読解力の訓練は、教えてあげないと身につかないそうだ。そして、子供達には頭に残るような「深読みする」といった“慣れ”も必要であるらしい。他の要因として考えられるのは、「テスト疲れ」であるという。調査対象となった高校一年生は「脱ゆとり教育」のせいで、様々な試験を課せられているから、学校の成績に関係ないPISAのテストに意欲を示さないそうだ。

  産経新聞は別の専門家にも尋ねており、国立情報学研究所の新井紀子教授によれば、インターネット上でのチャットが原因となっているそうで、短い文章のやりとりは読解力の向上とならず、生産的ではないらしい。だから、学校教育では長い文章のレポート作成に力を入れるべきだという。結局、読解力の低下は、デジタル機器に熱中するあまり、書物をじっくり読む習慣がなくなり、文章作成といえば、携帯電話でのチャットしかない、という現状が問題なんだろう。

  赤点学生だった筆者が教育問題を云々する資格は無いけど、難波教授や新井教授の分析は何となく“しっくり”こない。もちろん、スマートフォンやパソコンばかりに熱中する子供が馬鹿になるのは分かる。携帯電話をいじっている子供が検索するサイトなんて、大抵はゲーム関連か藝能ゴシップ欄の類いだ。まさか、電子タブロイドを見つめている子供が、最新科学の学術論文を呼んでいる、なんてことはないからねぇ~。高校生の読解力とか文章作成能力が低下しているのは、読書不足という面が否めないが、根本的には学習意欲の低下に原因があるんじゃないか。もし、「たくさんの事を知りたい、教科書以外の事柄をもっと学びたい !」という欲求があれば、パソコンを開いて様々なサイトを見るだろう。インターネットが無い昭和の頃なら、ブラックホールとか化学物質の分子構造、人体の神経組織などを知りたいと思ったら、書店で参考書を探すか百科事典や図鑑を手に入れて調べるしかなかった。ところが、今ならネットで調べれば直ぐ分かるし、詳しく知りたいと思えば大学教授やキイエンス・ライターが説明する動画サイトもあるし、料金だって発生しないから結構お得だ。

  しかし学力低下の子供は、いくら重宝なデジタル機器を所持していても、アカデミックなサイトを開くことはない。なぜなら、彼らには知的な探究心が無いし、どこを、どう探したらいいのか、糸口さえ摑めないのだ。例えば、スマホやパソコンの液晶ディスプレイを見ていても、それがどんな仕組みで設計され、如何なる素材で製造されているのかに興味が無い。昔は小学生でも理科の実験セットを購入し、天体観測やトランジスタ・ラジオについて勉強したものだ。筆者が小学生の頃は、プラモデルで使うモーターを一つだけ分解し、その構造を調べることに興味があった。中学生になればマンガン(亜鉛・炭素)電池とリチウム電池の違いを理解できるようになるし、岩波書店の「ブルー・バックス」シリーズを調べれば、学校では習わない物理や化学、生物、数学の知識を得ることもできた。

  進学校を卒業した中高年の大人や理系の学生は笑ってしまうだろうが、筆者は子供の時、学習教材で買った磁石を使い、色々なモノに近づけて遊んだことがある。従兄弟からマイケル・ファラデーの単極誘導モーターや磁力、永久磁石、さらにはジャイロスコープの原理を教えてもらって、とても面白かったのを覚えている。(ちょっと理科に興味がある高校生ならファラデーの「アラゴの円盤」を聞いたことがあるんじゃないか。今はデジタル機器に置き換えられたけど、昔の一般住宅には積算電力計が設置されていて、東京電力のオバちゃんたちがやって来て、家庭の電力使用量を記録していたものである。 計器の中にはクルクル廻る円盤があったんだけど、今じゃ骨董品になっているのかなぁ~。) ちなみに、東北大学の「金属素材研究所」は磁力の研究で世界的に有名だ。本田光太郎博士は一流の科学者で、知らない人がいないくらい。また、「インターメタリックス社」を創業した佐川眞人(さがわ・まさと)博士は、博士過程のとき下平三郎教授のもとで勉学に励み、金属素材研究所で研鑽を積んでいる。言うまでもなく、佐川博士はネオジム磁石を開発した第一人者。

Wander Johannes de Haast(左 :  ウァンダー・ヨハネス・ド・ハース / 右 : アルバート・アインシュタイン )
  神童は別格だから、問題は凡庸な子供の方である。庶民のボンクラ息子は、アホらしい発想でもいいから何かに興味を持たねばならない。筆者は小学生の時、砂鉄や磁石を使って遊んでいたが、不思議なことに鉄板とか銅は磁石にくっつくのに、水銀みたいな液体は近づけても引き寄せられなかったので、「変だなぁ~、やっぱり板状じゃないと無理なのかなぁ~」と思ったものである。(今の子供でも『ターミネーター2』の液体金属マシーンT-1000を見れば、水銀が磁石にくっ附くと勘違いするはずだ。水銀は体温計を壊せば手に入るけど、よい子のみんなは危険だから絶対に真似しないでね。今は誰も使わないけど、昔「赤チン(Mercurochrome)」という塗り薬があって、メルブロミン液には殺菌作用のある有機水銀化合物が含まれている。劇薬は黴菌を殺すことに役立つという訳だ。) インテリ家庭の子供は鼻で笑ってしまうけど、学歴の無い親に育てられるとこんなものである。まさか、普通の親が「アインシュタイン・ド=ハース効果」に言及し、磁気の回転効果を説明したり、コイルを巻いて磁石を作るなんてことはしないだろう。ちなみに、「ド=ハース」というのは、ライデン出身の物理学者、ウァンダー・ヨハネス・ド・ハース(Wander Johannes de Haas)のこと。(もし、中学生のよい子が磁石に関して興味をもったら、理科の先生に尋ねてね。たぶん、図解を以て詳しく教えてくれるはずだから。)

  脱線したので元に戻す。PISA試験の惨状分析は専門家によってマチマチになってしまうけど、筆者は貧困家庭と崩壊家庭の増加に関連があるんじゃないか、と思っている。子供が自然や物質に興味を抱いたり、教科書の予習や復習を日課とするためには、ある程度、子供を監督する親に経済的な余裕がなければならず、親が日々の仕事に追われ、月給稼ぎで精一杯だと子供の教育どころじゃない。とりわけ母子家庭だと、親は帰宅して食事を作るのがやっとだ。(中には、ちゃんと立派な教育を施している賢母もいるけどね。) たとえ、子供の教育を気に掛けていても、「ちゃんと宿題をやってるの?」と説教するくらいで、知的な会話など一切無い。こうした家庭だと、子供は学校の宿題くらいはするけど、後は刺戟的だが受け身的なTVゲームに熱中したり、友達と携帯電話で長話、というのが関の山だ。読書といっても、週刊漫画やTVゲーム攻略法を手に取るくらいで、文学作品なんか埃(ほこり)を被っている。

Jews 334(左  /  伝統的民族文化を維持するユダヤ人)
   でも、家に“まとも”な本があればいい方で、ゴシップ雑誌や競馬新聞くらいしか読まない親だと、子供の知性を高める方法すら思いつかない。そもそも、自分が勉強したことがないので、知的な訓練は学校の先生か塾の講師に丸投げだ。途方に暮れた親から「先生お願いします !」と頼まれたって、教師は困ってしまうだろう。心の底で「私は神様じゃありません。本人次第です !」と呟きたくなる。そりゃそうだ。親の言うことを聞かない子供が、他人の言うことを聞くのか? 「出来ない子」には勉強より、先に“躾”が必要なのだ。ちゃんと落ち着いて、書物に目を通し、遅くてもいいから確実に内容を理解することが大切である。ユダヤ人に優秀な子供が多いのは、タルムード(Talmud)やミシュナー(Mishnah)を丹念に勉強する慣習が備わっているからで、彼らは何千年もこうした行動様式を守ってきた。だから、剣術や狩猟にしか熱中しないヨーロッパのキリスト教徒を凌駕することなんて朝飯前。ちなみに、「タルムード」とは簡単に言うと、口伝律法を集めた権威の書物で、「ミシュナー」は教訓や逸話などを交え、祈りや結婚、葬儀、律法などについて書かれた経典を編纂したものである。

  文部官僚は世間からの批判を躱(かわ)すために色々な政策を打ち出すが、実際の教育現場はPISAの結果より酷いんじゃないか。だいたい、“勉強の出来ない”子供に「ちゃんと勉強して成績を上げろ !」と命令したって糠に釘である。そもそも、自宅で勉強する習慣が無いし、勉強する目的すら分かっていないのだ。基礎学力に乏しく、嫌々ながら机に向かう子供が、1時間ないし2時間もじっと勉強する訳ないだろう。試験秀才の官僚や学者があれこれ提案しても、そんなのは所詮「優等生の模範解答」に過ぎない。彼らは実戦を経験しないで作戦を立てる軍官僚と同じだ。もし、“叩き上げの”中隊長が参戦本部の「大和魂を以て突撃せよ !」という命令を拝聴すれば、「アホか ! なら、お前が先陣を切って突っ込め !」と言いたくなる。授業の内容すら理解できない子供は、先生から「何か質問は?」と訊かれても、「自分がどこを分からないのか」、「どんな質問したらいいのか」という出発点でまごついてしまうのだ。土台となる基礎知識が無いから先生の説明を聞いてもチンプンカンプン。何しろ、以前の学習内容を咀嚼(そしゃく)していないから、授業を拝聴していても、単にお尻で椅子を暖めているだけ。劣等生は気がつくと小学校を卒業し、中学校で再び空虚な授業を受けている。こんな子供は一生、学問に目覚めることはない。

  とにかく、「出来ない子」には知的好奇心が欠落している。親とか友人から刺戟を受けない子供は、ただボケ~とテレビを見ていたり、話題のゲームに没頭するくらいで、外国や宇宙に対して「なぜこうなんだろう?」という興味を持つことがない。教師が親切心から面白いエピソードを話しても、初歩的な教養が無いので、「ああ、そうか !」という“引っかかり”すら摑めないのだ。昔、小遣い稼ぎのため塾の講師とか家庭教師をやったことがあるんだけど、英語が苦手な生徒は数学や理科も駄目で、不思議な現象やミクロの世界を話しても目を輝かせることすらない。筆者は英語を担当していたけど、脱線して数学や物理のトリビアとか、西歐史のエピソードを混ぜることが多かった。少しでも好奇心の掘り起こしになればと思ったんだが、ポカ~んと聞く子供を見て「駄目だこりゃ」と思ったことがある。仕事だから割り切って授業をこなしていたけど、練習問題を教えながら「英語なんて要らないよなぁ。それよりも先ず国語や国史を勉強した方がいいんじゃないか」と思うこともしばしばあった。

  ある時、雑談の中でコンピュータで使われる二進法やカラー・コードの話をしたので、ついでにプリテンの貨幣の話をしたことがある。でも、教えてやった子供は二進法どころか、十二進法すら理解できず、説明するのにもかなり苦労した。英語の授業ということで、「ポンド・スターリング(pound sterling)」を引き合いに出して、色々なエピソードを話してやったけど、反応はイマイチ。英語を習っている高校生だって、英米の度量衡を理解していない子が多かった。例えば、1ポンドは20シリングの価値があり、1シリング12ペンスだから、1ポンドは240ペンスと等しくなる(20×12=240)、と教えたら、「そうなんだぁ~。でも、それって学校の試験に出るの?」といった反応がほとんど。 今の中学生や高校生でも、1ペニーとか2ペンス、20ペンス、50ペンスという貨幣単位を訊かれたら、どれくらいの価値なのか答えることはできまい。「1パイント(pint)入りの缶ジュース」とか、「3ガロン(gallon)のガソリン」 、「10オンス(ounce)のボクシング・グローブ」、「100エイカー(acre)の土地」と聞いたって、ピンとこないんだから、英会話なんて無理だろう。中学生が英国のアマゾンで本を買うことはないと思うけど、£40や£85の表示価格を見て、「安い」とか「ちょっと高いなぁ」と分かるようになれば、イギリス人と景気の話をするときに便利だ。

  まぁ、黒板で貨幣の説明をしただけじゃ分からないと思ったから、実物、すなわちブリテンの紙幣や硬貨とか、アメリカおよびカナダの通貨を見せてやったら、「へぇ~、こんなお札とかコインなんだぁ~」と結構興味を持ってくれたので嬉しかった。(やっぱり、お金には魔力がある。) たぶん、普通の子供だと歐米の紙幣や硬貨を手にすることはないから珍しかったのだろう。(紙幣の肖像画についても話そうと思ったが、ややこしくなるから止めることにした。第一、学校の西洋史なんか当てにならないから。) ちなみに、「スターリング」はエドワード1世の頃に鋳造された硬貨のデザインに由来するそうで、綴りは違うけど「ムクドリ(starling / スターリング)が元になったそうだ。他には、「強い」とか「固い」を意味する言葉であったから、という説もある。

  知的な会話の無い家庭で育ってしまうと、子供は様々なトリビアを話しても食いつかない。例えば、英国だと「12」という数はあちこちで目にする。1ダース(dozen)のビール・ケースには、12本のボトルが入っていて、1グロス(gross)になると12ダース分になるから、144本(12本×12ケース)のボトルが入っている計算になる。パソコン世代の子供達はトンボ鉛筆を使わなくなったけど、昔は12本入りのケース売りが当たり前だった。また、長さの単位でも十二進法が使われており、1フィートは12インチだし、暦の365日は30日で割れば約12となる。「十二進法」というのは便利な位取り記数法で、2人あるいは3人、4人、6人で食事をしたとき、難なく割り勘にできる。10進法の勘定だと、3人の時に端数が出て困ってしまう。二十進法も覚えておいて損は無い。スポーツで使う英単語の「スコアー(score)」は、「総計」とか「たくさん」という意味を持っているが、「20人とか20個」を意味する言葉でもある。一説では、羊の数を数える時に、「20」を底にする位取りであったからだという。たぶん、ヨーロッパ人は1から20までを数える、または板に刻むのが精一杯で、「20」匹も集まれば、「たくさんの羊がいる」という感覚になったんじゃないか。(以前、日本語は複数概念が無いから劣っていると仄めかした学者がいたけど、西歐の複数形なんて「2」以上を表しているだけ。「3つ」を越えれば「いっぱい」という頭になってしまうのだ。)

下層外人の到来でもっと悲惨になる学校

  文部科学省や教育学部の教授達は、「子供達の読解力が低下して大変だぁぁ~」と志村けんみたいに騒いでいるが、これからの教育現場はもっと酷くなる。なぜなら、財界や政府が低賃金の移民労働者を招いているからだ。第19世紀から20世紀前半まで、イングランドやドイツは比較的、国民の人種的同一性が高かった。しかし、今では有色人種が雪崩れ込み、とてもゲルマン人の国家とは思えない雑居長屋と化している。ナチズムの前科で“もがき苦しむ”ドイツでは、国民の大半が罪悪史観で洗脳されてしまい、憐れなくらいのクルクルパーになっている。この弱みを察知したアラブ人やトルコ人、シリア人およびアフリカ人は大挙してドイツを目指し、豊かな異国生活をエンジョイしようと企んだ。この盲流を前にしたドイツ人は、銃を構えて追い払うどころか、逆に諸手を挙げて大歓迎。馬鹿に附ける薬は無い。

  日本でも注目された2015年には、約80万人の難民が押し寄せたんだから、普通のドイツ国民だって「右翼」になろうと思ってしまうじゃないか。(Carla Bleiker, 'How to integrate refugee kids in German school', Deutsche Welle, 15 October 2015) 最近の選挙で「ドイツのための選択肢(AfD)」が躍進しても不思議じゃない。本来なら、「ドイツはドイツ人(ゲルマン人とかチュートン人)の国」というのが常識で、キリスト教が主流なのも当然。いくらキリスト教徒とはいえ、黒人や中東アジア人が「私はドイツ人です」と自己紹介したら、普通の日本人は「えっ ! この人がドイツ人・・・・?」と驚く。でも、今ではアフリカ人やトルコ人の「ドイツ国民」なんて珍しくないし、白人みたいなアラブ系混血児や色黒のドイツ人がゴロゴロ居るから、別に驚くことではない。

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(左  : ドイツに定着した異民族の小学生 / 右 : ドイツの学校で学ぶ難民の子供 )

  豊かな先進国だから仕方ないけど、チュートン系のドイツ人は年々減少している。が、アフリカやアジアからやって来る移民は多産で、計画出産なんか考えず、ネズミのように家族を増やしているそうだ。2016年の国勢調査によると、子供を産む女性の種類と出生率に違いが生じているという。例えば、移民の家系を持たない女性が産む子供の数は平均して「1.2人」なのに、移民の家系に属する女性だと、平均して「1.4人」産むらしい。そして、こうしたグループの内、自身が移民である女性は平均して「1.6人」の子供を産むそうだ。("The Changing Face of the Country", Der Spiegel, April 19, 2018.) 要するに、ゲルマン系の白人女性は一生独身のままか、結婚しても子供を1人くらいしか産まないけど、移民の女性は2人以上の子供を産んでしまうということだ。労働移民としてのトルコ人でさえ問題なのに、さらに約140万人の難民を抱え込むなんて、ドイツ人は常軌を逸している。異人種が流入すれば混血児の数も増えるから、将来の“ドイツ人”は、ほとんどが混血児か、あるいはシリア人とかガンビア人、アフガン人の血統が主流の「ドイツ国民」になる可能性が高い。もし、両親とも移民出身者であれば、父親がクルド人で母親はアルバニア人とか、父親がモロッコ人のイスラム教徒で母親がエリトリア人のキリスト教徒というケースだって有り得る。

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(左 : 多民族社会となったドイツの現状  /  右 : 白人児童が少数派になった歐洲の学校)

  ドイツ人は「外人嫌悪(xenophobia)」の非難を受けると、仔犬のように怯えてしまうが、全部の外国人を嫌っている訳ではない。例えば、スウェーデンやイングランドから来た移民がドイツに住んでも迫害を受けるという事は滅多にないし、ネーデルラントやデンマークからの移民なんて外人の部類に入らない。ドイツ参謀本部のモルトケ参謀総長(Helmuth K. B. von Moltke)は、コペンハーゲンの士官学校を卒業し、「デンマーク」の軍人であったが、元々は北プロイセンから移住してきた軍人の息子だからドイツ人と変わりなかった。英国のヴィクトリア女王だって、普通のドレスに着替えてハノーヴァーの街中を歩けば、中流のドイツ人女性と間違われるだろう。夫のアルバート公はドイツ出身だから、コーブルクやザクセン、シュレスヴィヒ地方を旅行しても違和感は無い。また、幼児洗礼を受けたルター派教会からアングリカン教会に鞍替えしたってプリンスには変わりがなく、そんなのは些細なことだ。

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(左 : ヘルムート・フォン・モルトケ  / 中央 : ヴィクトリア女王  /  右 : アルバート公 )

    人種的に近い移民なら、ドイツで住むことは難しくない。国境で線引きされたって、容姿が似たり寄ったりだから問題じゃないんだろう。実際、ズデーテン地方のゲルマン系チェコ人とかボヘミアに住むスロヴェニア人なんかドイツ人と見分けがつかない。例えば、筆者が好きなガブリエラ・グンチコヴァ(Gabriela Gunčikova)はチェコ人の歌手なんだが、ドイツの街中で見かけたら「別嬪のドイツ人」と思ってしまう。2016年、彼女はドイツのロック・バンド「プライマル・フィアー」のマット・シナーと一緒にコンサートを行ったことがあるが、ガブリエラが「ドイツ人歌手」と紹介されても違和感は無い。人気TVドラマ『ヴァイキングズ』に出演しているキャサリン・ウィニック(Kathryn Winnick)だって同じ事。彼女はウクライナ系カナダ人の役者だが、海賊の女戦士を演じてもサマになっているし、ドイツに移住したって「外人」に見えない。共演者のガイア・ウェイス(Gaia Weiss)なんかポーランド系フランス人なんだけど、フランクフルトやアルザスで見かけるような白人女性だ。もし、イギリス人と嘘をついても分からない英語力と容姿を持っている。

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(左 : マット・シナー  / ガブリエラ・グンチコヴァ   / ガイア・ウェイス  /  右 : キャサリン・ウィニック )

  しかし、ユダヤ人となれば別。ウクライナ出身のユダヤ人といえば、サイモン・ヴィーゼンタール(Simon Wiesenthal)とか、元イスラエル首相のゴルダ・メイアー(Golda Meir)とモシェ・シャレット(Moshe Sharett)の二人が思い浮かぶ。だが、彼らはどんなにドイツ語が上手くても「ドイツ人」と思われない。日本人だって「偽装ドイツ人じゃないのか?」と勘ぐってしまうだろう。人類学者のフランツ・ボアズ(Franz Boas / ユダヤ人)に追従するユダヤ人は、「人種なんて社会的な構築物だ。容姿でユダヤ人とドイツ人の見分けなんかつかない」と豪語するが、セム種族の血が濃厚なユダヤ人はドイツ人に見えない。シオニズムの父、テオドール・ヘルツル(Theodor Herzl)だって、ウィーンに住んでいたけど、ゲルマン系オーストリア人には程遠い人物だった。彼は「自己嫌悪のユダヤ人」として有名で、同胞をパレスチナに導くためなら、財産を奪って移住に同意させるべき、と思っていたのだ。こんなユダヤ人がいたから、ヒトラーやヒムラーはシオニストの活動家と密約を結ぶことができたのである。

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(左 :  ゴルダ・メイアー / サイモン・ヴィーゼンタール  / フランツ・ボアズ  /  右 : テオドール・ヘルツル)

  脱線したので話を戻す。大勢の難民を抱えてしまったドイツ政府は、異邦人に対する福祉や同化対策でテンテコ舞い。2017年には、住宅供給や語学教育などの公共プログラムで、140億ユーロの予算を組んだそうだ。("Germany's Ongoing Project to Westernize Its Refugees", Der Spiegel, May 12, 2017.)  また、移民や難民が流入すると、ドイツ各地に異人種のゲットーが形成されてしまい、現地のドイツ人にとって脅威となる。例えば、ノルトライン・ウェストファリア州には移民や難民が密集してしまい、外人だらけの小学校が出現しているそうだ。ドイツの地理に詳しい人なら、デュッセルドルフやドルトムント、ドゥイスブルク、歴史的にも有名なアーヘン、ミュンスター、ケルンに移民が溢れていると知って驚愕するだろう。都市部や地方の小・中学校に、アラブ人やトルコ人、シリア人の子供が大挙すれば、算数や理科どころか、国語の授業だって成り立たない。ドゥイスブルクにあるマックスロー(Marxloh)では、中東アジア人やアフリカ人の「住民」が増えすぎてしまい、カトリック教会系の「ヘンリエッタシュトラーゼ小学校」では、何と児童の約95%が移民家庭の子供であるという。これと比べれば、神奈川県の「いちょう小学校」(横浜市飯田にある「多国籍学校」)なんて、たいした問題じゃない。

  ドイツにある学校の幾つかは、ドイツ語で授業を行うことすら困難な状態にある。昔から居るトルコ人だって中々同化しないのに、その上シリア人とかアフガン人、イラク人、エチオピア人が混ざるなんて悪夢だ。たとえ白人といっても、ルーマニア人やブルガリア人、スロヴェニア人、ボスニア人だと家庭の教育水準が低いから、普通の学問を授けようとしても大変だ。ジプシーなんて問題外で論外だ。ドイツ政府はドイツ語が不得意な子供のために余計な税金を使わねばならず、増税に喘ぐドイツ人は憤懣やるかたない。財政難のギリシア政府だって厭なのに、北アフリカの劣等種族なんてまっぴら御免だ。当事者である学校側も大変で、移民や難民の子供達を少しでも救うべく、アラビア語やトルコ語、ウルドゥー語を話す補助教員を動員しなければならないし、イスラム教に配慮した学校運営を考えねばならない。

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(左 : 左翼教育を受けるドイツ人の子供  /  右 : 「ドイツ国民」になるべく同化教育を受ける移民の子供)

  さらに、厭なのは人種問題が浮上することである。ドイツ人同士のイジメだって厄介なのに、ゲルマン人キリスト教徒vsアラブ人イスラム教徒の喧嘩となったら社会問題だ。教師からすれば、単なる「子供の諍い」なのに、民族対立にまで発展するから、PTAを巻き込んだスキャンダルになる。でも、子供と親の板挟みになった担任教師は、どうしていいのか分からない。ドイツ人の保護者からは「なんでウチの子が、あんな異邦人と一緒にされて、学力低下に苦しまなければならないの !」との抗議を受けるし、移民の親からは「あんなネオナチどもの言うことを聞くのか? やっぱり、ドイツ人は根っからの人種差別主義者だ !」と罵られる。歴史の授業になれば、もっと厄介で、教師はどちらの側にも与することはない。中立の歴史観なんて“つまらない”が、イスラム教徒の子供がいるから、一方的に「大トルコ戦争(Großer Türkenkrieg)で勝ったぞ !」と喜ぶことはタブーとなる。ドイツの学校なら、ドイツ人の過去を誇るようなカリキュラムにすべきだが、移民やユダヤ人に配慮した内容になると、中身が空洞の愛国心しか育たない。近現代史の授業が「懺悔の時間」になっているんだから、まともなドイツ人が激減し、左巻きのアホが増殖するのも当然だ。

Turkish immigrants 1Immigrants in Germany 5







(左 : ドイツに住みつくトルコ系の「ドイツ人」  /  右 : アフリカ諸国からやって来た難民)

  ドイツ政府は移民を同化させるため、学校教育で多民族・多文化主義を導入しているが、これはドイツ系児童の学力低下ばかりではなく、アイデンティティーの喪失や崩壊にも繋がっている。なぜなら、移民に配慮する教育方針というのは、ドイツ人の子供が持つはずの愛国心を削ぎ、根無し草の副作用を含んでいるからだ。本来なら、ドイツ人の若者は国家の礎となった祖先に感謝し、その文化的遺産を継承しようとする。ドイツ民族の伝統はゼニ・カネの問題じゃない。ところが、リベラル思想とか多様性礼賛の教育を受けた青年は、ナショナリズムと排外主義に過敏となり、ドイツ人だけで結束することは危険だ、と怯えてしまうのだ。移民国家になると、原住民が一方的に譲歩するようになり、自分達の文化や伝統を変質させることが「善」となる。そして、このような状態になると、祖国に住んでいても、段々「自分の国」と思えなくなるのだ。

  そういえば、ドイツ語には「家」や「郷里」を意味する「Heimat(ハイマット)」という言葉がある。これは「自分が属している家」というニュアンスを含んでいるらしい。日本では「何とか荘」と呼ぶべき長屋に、よく「ハイム」という横文字が附いているけど、たぶんドイツ風のイメージを作りたいからだろう。ドイツ人にとって「ハイマット」は「祖父の国(patria)」とか「先祖代々の土地(Vaterland)」といった言葉に近い。したがって、彼らが口にする「私の国(mein Heimat)」という表現は、「私と同じ種族が住む郷里」といった響きをもっている。今は解散してしまったけど、昔、ロック・バンドのモトリー・クルーが「ホーム・スウィート・ホーム」という曲を歌っていたが、「ホーム」という言葉には何か温かくホッとするような「懐かしさ」がある。

  しかし、異民族が流入してくると「ドイチュラント」はもはや麗しの「ハイマット」ではなく、雑居ビルのような「アパルトマン」になってしまうのだ。茶色のベルベル人や褐色のイラク人がウヨウヨしているドイツの街なんてゾッとするじゃないか。歴代の神聖ローマ皇帝が戴冠したアーヘンや聖人が眠るランスに、髭面のサラセン人がうろついていたら、スペインのグラナダみたいだ。ちなみに、筆者は「老人ホーム」という言葉に違和感がある。なぜなら、「養老院」は家族が暮らす温かい「ホーム」じゃなく、瀕死の老人が収容される「病院」や「姥(うば)捨て山」の一種であるからだ。なんでインテリやマスコミは日本語を使わず、西洋語で曖昧にしようとするのか。分かりやすい言葉にすると、何らかの不都合があるんだろうね。

Alaa Kassab 2(左  / 子供に英語を教えるアラア・カサブ )
  ブリテンやフランス、カナダ、オーストラリアと同じく、ドイツでも移民を受け容れようと躍起で、民族的多様性を肯定するカリキュラムが盛んになっている。本来、ドイツの公立学校は、“善きドイツ人”を育成する国民学校(volksschule)であるべきなのに、ゲルマン人の子供は異邦人みたいになっている。例えば、ポツダム大学は「難民教師プログラム(Refugee Teachers Programme)」を企画し、外国人の教師をテスト校に派遣して「移民の統合」を促進しようとした。このプログラムに参加したアラア・カサブ(Alaa Kassab)というシリア難民は、故郷のアレッポで英語を教えていたから、ドイツの子供にも“お得意”の英語を教えたいと張り切っていた。(Josie Le Blond, "German scheme eases refugee teachers back into class", UNHCR, 21 February 2018)

  普通の日本人なら、「イギリス人の先生がいいなぁ~」と思ってしまうだろう。せっかくイングランドの言葉を勉強するんだから、せめてアングロ・サクソン系のアメリカ人やカナダ人でなきゃヤル気が起きない。大手英会話スクールなんか生徒集めに熱心だから、TV広告でブロンド女優のキャメロン・ディアスやスコット系男優のユワン・マクレガーを使っていた。実際に彼らが教えることはないけど、日本人はインド人やフィリピン人の教師より、西歐系の教師を選ぶことの方が多い。もし、ドテルテ大統領のような教師が英会話教室に現れたら、女子生徒は「えぇぇぇ~、何でこんな先生なのぉぉ !!」と不満を爆発させてしまうだろう。中には「お金返して !!」と凄む生徒もいるはずだ。いくら教育学や言語学で博士号を取った講師でも、アジア人とかアフリカ人じゃ抗議の嵐となる。

Emily Blunt 2Katie McGrath 6Fiona Bruce 5Laura Trevelian 1








(左 : エミリー・ブラント   /ケイティー・マクグラス   / フィオナ・ブルース /  右 : ローラ・トレヴェリアン)

  理想を言えば、エミリー・ブラント(Emily Blunt)やケイティー・マクグラス(Katie McGrath)みたいなブリテン人がいいんだけど、実際はテレザ・メイ前首相とかヘレン・ミレン(Helen Mirren)みたいなオバちゃん先生が普通なんだよねぇ~。だから、せめてBBCニューズのフィオナ・ブルース(Fiona Bruce)やローラ・トレヴェリアン(Laura Trevelian)みたいな人を採用した方がいい。やはり、正しい英語を学びたい人は、美しいブリティッシュ・アクセントを話す教師を求めるものだ。ラップ音楽を好きな日本人は例外で、ブルックリンの黒人が話す英語じゃ勉強する気にならない。今の大学生なら黒人のタラジ・ヘンソン(Taraji Henson)やオプラ・ウィンフリー(Opra Winfrey)でも気にしないんだろうが、筆者の世代だと「勘弁してくれ」と言いたくなる。日本語を学ぶイギリス人なんてごく少数だろうが、もしロンドン大学で日本語を専攻したり、我が国の大学に留学するなイギリス人学生なら、朝鮮人やフィリピン人の日本語じゃなく、京都の魅力的な女性が話すアクセントや山の手の士族が話す日本語の方を好むだろう。

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(左 : ヘレン・ミレン   / テレザ・メイ  /  オプラ・ウィンフリー / 右 : タラジ・ヘンソン)

  脱線したので話を戻す。件(くだん)のアラア・カサブは意気揚々とドイツ人の子供に英語を教えていたが、授業を受ける子供はどう思っていたのか。彼女は補助教員の身分だけど、異国のドイツで生き甲斐を見つけることができて嬉しかったそうだ。彼女がどれくらいドイツ語をマスターしたのか分からないが、英語能力はヨーロッパへ脱出する勇気を与えてくれたそうで、ギリシア経由で密入国をする時に役立ったそうである。というのも、仲介者の船が密航の途中で何度もエンジン・トラブルを起こしてしまい、命の危険に晒されたからだ。しかし、ここで語学能力が助けとなった。彼女は英語を話すことができたので、船が遭難しそうになった時、携帯電話でボランティア活動家に連絡を取り、救難活動を求めることができたという。もし、アラビア語しか話せなかったら、助けを求めることができたのかどうか分からない。

  国連職員のドミニク・バーチによれば、難民が就職先を確保するのは、最も効果的な統合プロセスになるそうだ。しかし、子供を預けるドイツ人の親はどう考えているのか? まぁ、シリア難民が受け持つクラスだから、たぶん移民が混ざった公立学校で、生徒も労働者階級の子供が大半だろう。知識人階級や高度専門職の親なら、移民のいない名門私立学校に通わせているはずだ。こうしたエリート校では、シリア人が英語教師になることは先ずない。これは筆者の推測だけど、「モルモット」にされる白人児童は、知的雰囲気の無い一般家庭の出身者で、簡単な英会話を学んでいるだけなんじゃないか。冷酷な見方かも知れないけど、こうした小学校の「英語授業」は、移民や難民の職場を確保するために“わざと”作られた教室なのかも知れないぞ。

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(左 : 素晴らしい多人種社会になったドイツ  /  右 : 評価が下がるアーリア系のドイツ人)

  シリアやイラクからの難民なら、地元の低賃金工場でこき使われるのが普通だが、ホライトカラー職を求める難民がいるので、役所が無理やり「特別プログラム」を作り、そこに押し込んだとも考えられるのだ。また、こうした企画を実行するとマスコミ受けがいいし、「我々は積極的に多民族教育や同化政策に取り組んでいます !」との宣伝にもなる。無責任体制の役人やリベラル思考の教育委員会はそれでいいけど、“社会実験”の道具にされたドイツ人は堪ったもんじゃない。沢尻エリカのように「別に !」と言えればいいけど、大抵のドイツ人は腹が立つ。基礎学力を附ける初等教育なのに、こんな「お遊び授業」を実施されたんじゃ将来が台無しだ。ドイツ人の子供には、美しいドイツ語を学ばせ、愛国心と共に論理的思考を身につけることが第一。国家の支柱となる子供は、移民や難民の子供と隔離すべきで、同胞との絆を深める授業を行うべきである。異人種の子供にとって、ドイツ史など所詮「他人の過去」だから、愛国心など芽生えず、むしろ嫌悪感と無関心を増幅しているだけだ。

  日本政府は子供の学力向上を謳っているが、やっていることは真逆である。消費税は上げるのに、教育予算は増やさず、代わりに移民を増やして学力低下を目論む。支那やベトナム、フィリピン、タイ、マレーシアからの移民を許せば、必ず彼らは家族を引き連れてくる。たとえ、独身移民でも日本に定住すれば、故郷の家族(親兄弟姉妹・親戚)を呼び寄せるし、日本人と結婚すれば、何人もの混血児をもうけるだろう。低賃金で酷使できる外人なんて、大抵は下層階級のアジア人だから、子供の教育レベルなんて高くない。こうした外人家庭では両親の母国語が使われるので、子供の日本語は未熟なままだ。語彙が乏しく、学校の授業に追いつけない場合がほとんど。

Korean kids 1Filipina 12








(左 : 将来の日本を担う朝鮮系の子供  /  右 : 次世代の「日本人」を産むフィリピン人女性)

  担任教師だって本当に困ってしまうだろう。只でさえ、日々の雑用が詰まっているのに、その上さらに外人の面倒なんて冗談じゃない。異民族混合クラスでは、授業を成立させるだけで精一杯。知的好奇心の喚起なんて無理。自然科学の知識を身につけさせるとか、論理的思考の涵養なんて別次元の話である。日本語がおぼつかない子供を抱えるクラスでは、スムーズに授業が進まないから、日本人児童の学力水準まで下がってくる。日本の科学技術レベルは毎年低下しているのに、それを更に加速させるなんて正気の沙汰ではない。不安になった保護者は、余計なお金を払って塾に通わせるしかなく、家計の逼迫は目を覆うばかりだ。移民を招いた大企業の幹部は、高額な授業料をモノともせず、名門私立に我が子を通わせ、一安心。一報、移民を望まない庶民は、私立学校なんて高嶺の花だから、地元の底辺校(異民族混淆学校)で我慢するしかない。馬鹿らしいというか、本当に悲しくなるけど、これが現実だ。一番被害を受ける庶民は移民や難民の到来に無関心だから、悲惨な現実に直面するまで移民社会の恐ろしさを理解できない。今は読解力の低下を心配しているけど、いずれ国語問題なんかより、もっと深刻な民族問題に悩むことになるんだぞ。

  日本語の授業を「国語の時間」と呼んでいる日本人は幸せだ。近い将来、「国語って、どの言語?」と尋ねる子供が増えてくる。筆者には「国語って・・・日本語のことじゃないの?」とビックリする保護者の姿が目に浮かぶ。もし、普通の日本人が授業参観に訪れ、北京語や福建語、マレー語、朝鮮語、タガログ語、ペルシャ語、ウルドゥー語が飛び交う教室を見たら腰を抜かすんじゃないか。「ここ、シンガポールの学校?」と呟く母親が居てもおかしくないぞ。でも心配ご無用。日本の学校は国際化に熱心だから、いずれ英語が公用語になって日本語が選択科目になっているから !
  


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