無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

日本文化論

海に沈む運命と陸に生きる悲劇

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黒木 頼景
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日本沈没の恐怖

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(写真  / 『日本沈没』の一場面 )

  1970年代というのは大衆文化に於いて画期的な時代である。音楽業界を例に取ると、1960年代はザ・ビートルズ的雰囲気の音楽が流行っていたが、1970年代になるとレッドツェッペリンとかクリーム、ディープパープルに代表されるロック・バンドが台頭し、冒険的で独創的な名曲が数々と生み出されたので、こんにちに至っても親しまれている。映画業界にも似たような風潮があって、特徴的で印象に残る名作が続々と世に送り込まれていたのだ。当時、日本も好景気に沸いたせいか、映画会社にも活気があって、意欲的な作品が世に受けていた。その中の一つに、東宝映画の『日本沈没』(1973年)がある。

  この作品は小松左京のベストセラー小説を基にした映画であるが、その制作に携わった面々がこれまた凄かった。まず、プロデューサーが敏腕で知られた田中友幸で、『ゴジラ』シリーズや『連合艦隊』、『八甲田山』などを手掛けた人物。脚本家も傑出しており、大御所の橋本忍であった。橋本氏は黒沢明監督の映画『七人のサムライ』や『羅生門』で知られるが、その他の作品を挙げれば『ゼロの焦点』、『砂の器』、『白い巨塔』、『八甲田山』などがある。そして、撮影技師には若き木村大作がいた。彼は松田優作主演の『野獣死すべし』とか高倉健主演の『夜叉』および『駅STATION』、好評シリーズの『極道の妻たち』でカメラを回し、小松左京が原作となっている別の映画で草刈正雄が主演を果たした『復活の日』とか、人気TVドラマの『傷だらけの天使』で撮影を任されたベテランだ。

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(左: 小松左京  / 田中友幸  / 橋本忍  /  右: 木村大作)

  一方、映画のストーリーは、地殻変動により日本が海底に沈むという激震が中核となっている。太平洋プレートとユーラシア・プレートの狭間に位置する日本は、マントルの対流により海底に引きずり込まれ、消滅してしまうのだ。「日本沈没」という悲劇は、ある島が突如として消滅する、という不吉な前兆で幕を開ける。この異変を調査したのは、小林桂樹が扮する科学者の田所雄介(たどころ・ゆうすけ)博士で、彼は深海調査艇「わだつみ」に乗り込み、小笠原諸島沖の海底で衝撃的な亀裂を発見する。田所博士はこの信じられない地殻変動を総理大臣の山本(丹波哲郎)に告げ、山本総理は早速、閣僚を集めて専門家の意見を聴くことにした。映画の中で、山本総理は三人の科学者を招集するのだが、田所博士と山城教授(高橋昌也)という架空の学者に加え、本物の地球物理学者の竹内均教授を登場させていた。当時、東京大学で教鞭を執る竹内教授は、テレビ番組にも登場するほどの著名な学者で、科学雑誌『Newton』の編集者としても有名だった。

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(左: 竹内均  / 小林佳樹  / 右: 藤岡弘 )

  日本近海での異常現象に危機感を覚えた山本総理は、密かに内閣調査室の邦枝と中田(二谷英明)、および首相秘書官の三村を田所博士のもとへと派遣し、詳しい海底調査を依頼する。話を諒承した田所は、海底調査艇「ケルマデック」号の操縦者に、是非とも「わだつみ」で知り合った小野寺俊夫(藤岡弘)を、と指名した。その頃、調査会社に勤務する小野寺は、上司の吉村部長から縁談話を持ち掛けられ、一緒に葉山の別荘へ訪れることになった。その相手とは阿部玲子(あべ・れいこ)という27歳の女性で、裕福な家庭の長女という設定になっていた。こう紹介すると、奥ゆかしい淑女を想像してしまうが、彼女は小野寺に対して最初から積極的である。意気投合した二人は近くの海岸へ赴き、躊躇う事なく浜辺で抱き合う仲となった。仮面ライダーで知られる藤岡弘が“いつも”の通り熱血漢を演じるのは珍しくないが、「玲子」役のいしだあゆみが、まだ若くて素人ぽかったのは嬉しい。1968年のヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」で注目を浴びたこの人気歌手は、後に『北の国から』や『金曜日の妻たちへ』などで大女優に変貌するが、1970年代だとまだ脇役で初々しかった。(俳優の萩原健一が惚れたのも分かるなぁ。)

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(左: 浜辺で噴火に遭遇する小野寺と玲子  / 中央と右: いしだあゆみ )

  『日本沈没』の物語は田所博士と山本総理の二人が中心となっているが、この映画に深みと厚みを加えているのは、「箱根の老人」と称される「渡(わたり)」の存在だ。島田正吾が演じる「渡老人」は政財界の有力者で、山本を総理大臣に押し上げた陰の功労者である。渡は100歳になる高齢者で、姪の「花江(角ゆり子)」に介護を受けるほど体が弱っているが、その精神と頭脳は未だに健全だ。明治・大正・昭和を生きた箱根の大御所は、如何にも気骨のある国士に見える。彼は国家の行く末を案ずる民間の重鎮で、私財を投じて政府に海底調査を行わせたり、判断に迷う山本総理の相談役にもなっていた。山本総理は海底調査を目的する「D1計画」を実施したが、さらなる計画、すなわち1億1千万人の国民を海外に脱出させる「D2計画」をも考案したのである。

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(左: 島田正吾   /  中央: 丹波哲郎  /  右: 二谷英明)

  田所博士の不安は次々と現実のものとなり、日本各地で大地震や火山の噴火が頻発するようになる。日本が海に沈むという現実を隠しきれなくなった政府は、外国人ジャーナリストによる暴露記事と大衆のパニックを恐れ、それを回避すべく自ら発表しようと試みた。その一環として、田所博士のテレビ出演を画策するが、肝心の田所博士は番組の中で癇癪を起こして喧嘩となり、そのまま失脚してしまう。一方、山本総理は日本国民を受け容れてくれそうな国を模索することで精一杯。彼は各国に特使を派遣し、たとえ僅かな人数でもいいから受け容れてくれるよう懇願する。ある特別使節はオーストラリアの首相を訪ね、数百万の日本人を受け容れてくれるよう頼んでいた。国連でも日本の沈没と難民の発生に関して様々な議論が闘わされるが、各国とも日本人の受け容れに消極的で、とても1億の国民が移住できる状況ではなかった。

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(写真  /  渡老人と姪の花江)

  しかし、最期の瞬間は刻々と近づいてくる。日本列島の各地で大災害が起こり、噴火や土砂崩れで崩壊する街、海に飲み込まれて水没する地域が現れてきた。こうした中、役目を終えた小野寺は、恋人となった玲子と共に海外へ脱出しようと考える。ところが、よせばいいのに、玲子は国外脱出を前にして葉山の別荘に立ち寄ってしまい、その地で災害と渋滞に遭ってしまう。ただし、困難にぶち当たっていたのは葉山の住民たちだけではなかった。全国至る所で大勢の被害者が出ていたのだ。それでも日本人の脱出は着々と進んで行く。空港から旅発つ者もいれば、漁船に乗り込み脱出を図る者もいて、中には津波に呑まれて溺死する犠牲者も出てしまった。

  日本列島が終末を迎えようとする頃、山本総理は脱出を前にして箱根の老人を訪ねた。豪邸の中で渡は病に伏していて、側には姪の花江が付き添っている。山本総理は床に伏す渡老人を連れ出そうとするが、この御隠居は動こうとはしない。渡は日本と共に沈むことを欲していたのだ。彼は花江を山本に託し、最後の別れを告げる。外では火山灰が降り注いでおり、ヘリコプターへ乗ろうとする山本と花江は灰だらけとなる。そこへ意外にも焦燥しきった田所博士が現れる。彼も渡と同じく日本に留まる決意であった。田所自身は死を覚悟するが、外国へ移住する日本人には希望を抱いていた。

  大自然に容赦は無い。日本列島には巨大な亀裂が生じ、九州、四国、北海道はとうに水没しており、本州にも地球の鉄槌が襲いかかっていた。地殻変動は無慈悲にも日本列島を切り裂き、断片化した大地は海に沈んで行く。葉山で混乱に遭遇した玲子は小野寺とはぐれてしまい、彼女はシベリアのような北国で列車に乗っていた。玲子は凍りつく窓から外を眺め、静かに小野寺との再会を期待する。他方、小野寺は南米かオーストラリアのような国に流れ着き、熱い曠野を縦断する列車の中から大地を眺めていた。二人がいつ再会できるかは判らない。映画は散り散りになった日本人の姿を以て幕を閉じていた。

何もしないという選択肢

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(写真  /  山本総理と向き合う渡)

  小松左京は『日本沈没』の中で「日本人とは何か」を問うている。物語のクライマックスは日本が沈没するところだが、映画の“肝”は山本総理と渡老人とが向かい合う密談の中にあった。日本人の脱出を図る「D2計画」を準備した山本総理は、再び箱根の長老に会いに行く。この来客が屋敷の居間に通されると、待っていた大老は総理に一通の包みを手渡す。その表面には、『日本民族の将来 D2計画基本要綱』と書かれていた。何かを悟ったような渡は、神妙な顔附きの山本に対し、その中に3つの選択肢をしたためた意見書が同封されていると告げる。渡老人は私的に三名の知識人を招き、屋敷内で移住計画を検討させていたのだ。集められた者のうち、一人は奈良の坊主、二人目は京都の社会学者、三番目は東京の心理学者であった。彼らが研究したのは、①日本民族が何処かに新たな国をつくる場合、②世界各地に分散し、現地で帰化する場合、③どこの国にも受け容れられない場合であった。そして、最も衝撃だったのは、専門家の三名が一致した附帯的意見である。すなわち、何もしないことである。

Tanba 3(左  /  渡に詰め寄る山本総理)
  悲壮な表情を浮かべる渡は、真摯に耳を傾ける山本を前にして、「このまま何もせんほうがいい」と口にした。「何もしない方がいい ?」と聞き返す山本は愕然とする。渡を見つめる山本の目には涙が浮かんでいた。招聘された三人の学者は、あらゆる状況を想定し、様々な検討を交えた結果、日本民族は沈み行く日本と運命を共にすることがいい、との結論に達したのである。もちろん、皇族は外国に移っていただく。山本総理は、「やはり、スイスにですか?」と尋ねる。うなづく渡によれば、天皇陛下はスイスに移動していただくが、皇族の一人はアメリカへ、もうおひと方はアフリカへとの見解であった。渡老人との密会を経た山本総理は、自ら各国の首脳に働きかけ、一人でも多くの日本人を受け容れてくれと頼んでいた。もちろん、外国に何百万人もの日本人を受け容れてくれというのは無理難題であることは百も承知である。が、それでも山本総理は諦めない。1万人が無理なら、千人でも、もし、その千人が駄目なら、百人、十人、いや一人でもいいと懇願する。国民の生命と財産を守りたい山本は必死だった。一人でも多くの日本人を救いたいという彼の願いは、観ている我々の胸に突き刺さる。

Showa 4(左  /  昭和天皇)
  ここで考えさせられるのは、皇室の存続と陛下の意向である。我が国の臣民なら、天皇陛下には安全なスイスに移っていただきたいと願うだろう。しかし、多くの国民が未だに行き先が定まらず、望みを託す外国政府から受け容れ拒否にあっている最中に、陛下だけが一足先にスイスへと脱出なされるのか。おそらく、昭和天皇は拒むに違いない。陛下は皇太子殿下と皇族には移住を命令されるかも知れないが、ご自身は留まろうとなさるはずだ。陛下なら、飛行機に用意されたご自分の席を空にし、幼い子供あるいは病人を乗せるよう厳命なさるだろう。名も無き庶民であっても、陛下にとっては大切な赤子である。昭和天皇は自らの命を犠牲にして日本国民を守ろうとする名君であったから、最後の一人が脱出するまで避難されることはない。たぶん、陛下のご決断を聴く側近や宮内庁の重臣たちは、天子様のお心遣いに号泣し、一緒に残ることを誓うだろう。

  一方、我が国を「この国」と吐き捨てる進歩的知識人や、共産主義者や社会党のシンパ、有名企業や上層階級のお金持ちなどは、コネや賄賂を使って一目散に国外脱出を図るはずだ。普段、格好つけて綺麗事を並べる奴に限って、緊急時には卑劣な行動を取ることが多い。例えば、テレビ番組や新聞のコラムで反米姿勢を示す評論家でも、移住するとなれば「アメリカ合衆国がいい !」と言い出しかねない。支那や朝鮮を讃美する学者なら“憧れの”支那や“友好”の南鮮にでも行けばいいのに、ちゃっかりとアメリカやオーストラリア行きの船に乗っていたりする。彼らの大半は卑怯者だから、「私はアメリカ人や西歐人を批判したけど、彼らの国を否定した訳じゃないから、歐米諸国を移住先に選んでもいいじゃないか !」と開き直るはずだ。ベ平連の小田実(まこと)みたいな連中も、定住先をアメリカやカナダにするかも知れないぞ。

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(左: 帰化手続きを済ませた支那人  /  右: 国籍取得者の宣誓式)

  日本人でも脱出を躊躇わないくらいだから、帰化人やアジア混血児はもっと素早く脱出を図るだろう。特に、在日朝鮮人は危険地帯となった日本に見切りをつけ、電光石火の如く“祖国”へと戻るだろう。平和な時だと図々しく居坐る朝鮮人も、沈み行く日本となれば別で、“我先に”と逃げだし、半島の同胞に向かって「ウリ(私も)朝鮮人ニダぁぁ !」と擦り寄るはずだ。もっとも、半島の南鮮人が諸手を挙げて、この「チョッパリ(半日本人)」を受け容れるかどうかは別問題である。

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(左: 朝鮮人移民の家族  /  右: 元気な支那人娘)

  帰化支那人だともっと露骨で、支那大陸の親戚を頼って一目散に逃げ出す。彼らは元々日本人じゃないから、日本の国土に愛着は無いし、日本がどうなろうと知ったことではない。日本は豊かな生活を提供するから価値がある。神様だってご利益をもたらすから崇拝するのであって、何もしなければタダの穀潰しだ。支那人にとったら、カネの切れ目が縁の切れ目で、沈み行く“外国”に未練は無い。日本が消滅するなら、次の移住先はオーストラリアあたりで、そこがダメなら合衆国へと踵(きびす)を返す。それでも無理なら、カナダへと潜り込む。支那人だとカナダに住む従兄弟の“はとこ”や「はとこ」の大叔父まで頼ったりするから、決して困ることはない。日本人とは「図々しさ」のレベルが違うのだ。

祖国と命運を共にする決断

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  普段、我々は日本人であるとは意識しない。平凡な日常生活では、「当り前」のことをわざわざ口にすることはないからだ。日本人の両親と祖父母を持つ日本人は、自分が日本人であることを改めて確認する必要が無いので、外国を旅行する時以外は「日本人」であることを自覚することが少ない。しかし、日本が消滅するとなれば話が違ってくる。日本という国土が無くなったら、日本人は日本民族として生きることが出来るのか。祖国を持たないユダヤ人なら、他国に寄生しながら独自の宗教と文化を維持できる。むしろ、彼らは積極的にヨーロッパに寄生したがるから、日本人とは本質的に違うと言えよう。この賤民と同じく、支那人も居候の身分で恥じる事はない。

  ところが、誇り高き日本人は別だ。我々の信仰や文化は日本の国土と密接に絡み合っている。日本の神社は日本の樹木で建てられ、そこに祀られる神々は日本の大地に根を下ろす。我々の信仰はアジア大陸の「宗教」と異なり、「宗教」と呼べるほどの拘束力を持たないが、その曖昧な「信仰」は温かく人々の体と心に溶け合っている。我が国の自然は日本人と共存するから素晴らしく、日本人なくして日本は成り立たない。我々はローマ人がローマを愛した以上に日本を愛している。

  もし、日本が海に沈む事態になれば、日本に留まる者もいるだろう。だが、まだ幼い子供や未来のある青年に心中しろとは強制できまい。いや、何としても生き延びてもらいたいと望むだろう。その一方で、女子供の姿を目にすれば、自分の心に芽生える矛盾に悩む事になる。なるほど、日本人は日本に住むのが一番だ。しかし、その日本が沈没するとなれば、選択肢は海外への脱出しかない。ただし、移住した日本人には苛酷な運命が待っている。歓迎されない日本人は、地元民から嫌悪されるだろう。事ある毎に厄介者とか薄汚い難民と侮辱されるだろうし、理不尽な扱いを甘受する破目になる。この仕打ちにじっと耐えるのは容易なことではない。中には死んだ方がマシだと思う者も出てくるだろう。日本人には屈辱にまみれた生活など我慢できない。それでも、家族に責任を持つ者や移住民の指導者は、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、民族の復興に一途の望みを託すはずだ。

  新天地での順応は子供の方が早い。幼い子供は日本人であることを忘れ、地元民の子供と似たような人間になるだろう。ただし、すっかり同化した子供を見て、大人の日本人は安堵すると共に、言葉では表現できぬ悲しみを覚えるはずだ。確かに親の言葉を話すが、その文字を書けず、読むことすらできまい。たとえ、日本人の感覚を理解できても、その行動様式は外国人と等しくなる。それでも、オーストラリアとか米国のような西歐諸国で育つ子供はいい。問題なのは、アジア諸国へ移住した子供だ。日本人の大人からすれば、我が子や知り合いの子供が支那人みたいな人間になるのは堪えられない。せっかく日本人として生まれたのに、最低の民族に同化するなんて憐れだ。これはベトナムやタイ、ラオス、バングラディシュ、インドに移り住んだ場合も同じである。日本人の姿をしていても、日本人としての魂が失われていれば、根無し草の浮浪者と変わらないじゃないか。

  「日本沈没」という設定はフィクションだが、筆者は映画を観ながら、「もし、日本が消滅するとしたらどうすべきか」と考えたことがある。筆者も幼い子供たちには生き延びてほしいと望む。恐怖に怯える幼児に諦念を勧めることはできない。しかし、自分自身については、日本と共に滅ぶことを選ぶ。アイデンティティーを失ってまで生き延びようとは思わない。でも、大半の日本人は移住・脱出を選択するだろう。日本人は勤勉だから、一部の者は外国に移住しても努力を重ねて成功するかも知れない。しかし、異国の生活に馴染めず自棄(やけ)を起こしたり、堕落・脱落する者も出てくるはずだ。日本人には矜持(きょうじ)が必要である。食べて寝て排便するだけの人生で良いとする人もいるだろう。しかしその一方で、「日本人らしく」誇りを持って生きたいと希(のぞ)むも人もいるはずだ。大和魂を失った日本人には、もぬけの殻となった空虚な人生しかない。日本人には日本人の血が流れているという実感が不可欠で、体の中を駆け巡る熱い血潮は単なる赤い液体ではないのだ。

  もし、天皇陛下が日本と共に沈むなら、陛下と運命を共にしようとする国民も出てくるだろう。日本人とは何か?  それは同胞と苦しみや悲しみを共にしようと考える人間である。繁栄や名誉なら帰化人でも共有したいと思うだろう。しかし、何の見返りも無い苦労とか、利益を伴わぬ試練なら避けたいと考えるはずだ。帰化したアジア人は、苦境に立つ日本を救おうとは思わない。愛国心は金銭慾とは別物である。確かに、豊かさに憧れてやって来た異邦人は、帰化申請を経て「日本国民」となるが、その魂までが日本人になる訳ではない。

  日本人には「滅びの美学」というものがある。生き恥を晒すのは死ぬよりも辛いからだ。日本は単なる列島ではない。その国土には祖先の血と汗と涙が染み込んでおり、祖国に殉じた英霊の魂も宿っている。日本は雑多な民族がバラバラに暮らす集合住宅ではない。我が国は運命共同体であり、民族の血が脈打つ聖地だ。日本人が故郷を守るのは理屈じゃない。命を懸けても守りたいものがそこにあるからだ。我々の肉体は民族の精神を受け継ぐ器であり、細胞の一つ一つに日本人の歴史が刻まれている。だからこそ、我々は外敵から祖国を守ろうとするし、祖先から継承した国家を“そのまま”子孫へと渡そうと心掛ける。住民が居ないから竹島を朝鮮人に贈与しろと考える者は、日本人として生まれても日本人ではない。外国人は留まろうとする日本人を愚か者と見なすだろう。しかし、愛する子供を見棄てることが出来ぬ親がいるように、愛する祖国を後にすることが出来ぬ日本人もいるのだ。沈み行く故郷見ながらでも、「日本人に生まれてよかった」と言える人生なら幸せなんじゃないか。



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大草原でプロパガンダが行われた / 異邦人に乗っ取られるテレビ局(パート2)

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異邦人支配のメディア界

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(左: かつて主流派だったアメリカ白人の子孫 / 右: 段々と主流派国民となるアメリカ黒人の祖先)

  日本の在京テレビ局は事実上、外国資本ないし外国勢力の手先によって支配されている。日本国民が毎日観ているマスメディアなのに、日本の国益を重視する番組が一つも無く、朝鮮人や支那人を擁護するプロパガンダ放送ならゴマンとあるからだ。これは、テレビ局の内部に学生運動上がりの左翼幹部や反日プロデューサーなどが居坐るからだが、本質的には支那人や南鮮人相手の商売をするスポンサーが背後に控えているからだろう。だから、テレビ局は日本人が支那人や朝鮮人に嫌悪感を抱くような報道はできないし、たとえ事実であってもスポンサーの手前、支那や朝鮮に不都合なニューズは握りつぶすしかない。しかし、インターネットが普及したせいで、情報の隠蔽が難しくなり、結局、庶民がテレビ局を見放すようになって、本来得るはずの広告収入が激減している。フジテレビなどは自業自得だ。「楽しくなければテレビじゃない」と謳っていたんだから、つまらないフジテレビが没落しても当然だろう。

  ところで、異邦人によるメディア支配といったらアメリカが本場だ。日本のテレビ局は、まだ辛うじて日本人が主導権を握っているが、アメリカの主要メディアはユダヤ人に牛耳られている。今では主流国民だった西歐系白人は、脳味噌を教育機関で改造されたうえに、毎日観ているTVドラマや報道番組で更に洗脳されているんだから哀れだ。アメリカ人の娯楽である映画も、多民族・多文化主義に汚染され、楽しいはずの劇場が更生施設か精神病棟のようになっている。つまり、黒人や少数民族に邪悪な仕打ちを行ってきた白人は、自分の身銭を切って、「お前たちは罪深き差別主義者なんだぞ」というプロパガンダ映画を観ているのだ。そして、ユダヤ人が盤踞するハリウッドはマイノリティーを賞讃する作品を次々と世に送っている。

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(左: 「ムーンライト」の黒人男優 / 右: 「フェンセズのワシントンとデイヴィス)

  最近の作品をちょっと覗いてみれば分かるだろう。例えば、1980年代の黒人を扱った『ムーンライト(Moonlight)』、デンゼル・ワシントン(Denzel Washington)とヴィオラ・デイヴィス(Viola Davis)が共演する『フェンセズ(Fences)』は、黒人家庭の葛藤を描いていた。『ヒドゥン・フィギュアーズ(Hidden Figures)』は、1950年代にNASAで活躍した黒人数学者のキャサリン・ジョンソン(Katherine Johnson)と黒人の同僚二名を賞讃する映画だ。さらに、禁断の愛を扱った『ラヴィング 愛という名前のふたり(Loving)』は、黒人女性と白人男性の異人種間結婚を禁じたアメリカ社会を糾弾する内容である。ハリウッドの左翼制作者は実写版のみならず、アニメ映画でも多民族主義を白人の子供たちに押しつける。『モアナと伝説の海(Moana)』ではポリネシア人酋長の娘が主人公で、茶色い肌のマウイ族たちが彼女を助けるべく活躍する。まさに多民族主義時代にふさわしいアニメだ。主人公「モアナ」の声を担当するのも南洋系で、アウリ・クラヴァルホー(Aui'i Cravalho)という少女が声優になっている。もはや、ディズニー・アニメは金髪碧眼の北歐系娘を主人公とはしないのだ。シンデレラや白雪姫なんて時代遅れ。ヒスパニックやアフリカ系の子供たちを惹きつけるため、白人みたいな顔附きの有色人種を主役とし、脇役のキャラクターも様々な人種を取り揃えている。グローバリストのユダヤ人制作者は、全世界の子供たちからお金を巻き上げようと汗をかいている。

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(左: アウリ・クラヴァルホー / 重宝されるハンサムな黒人男性 /  右2枚:  お払い箱になる西歐系女優のタイプ )

  こうした“おぞましい”傾向は、既に1970年代から始まっていたのだ。以前、『招かれざる客(Who's Coming to Dinner)』の異人種間結婚について書いたが、人気TVドラマ『大草原の小さな家(Little House on the Prairie)』でも白人視聴者への「矯正教育」がなされていのだ。

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(左: チャールズ・インゴールズを演じるマイケル・ランドン / 右: 長女のメアリーを演じるメリッサ・スー・アンダーソン)

  このドラマはNHKでも放送された長寿番組で、西部開拓時代のアメリカ人を描いた作品である。物語は白人家庭のインゴールズ一家が中心で、父親のチャールズと母親のキャロライン、長女のメアリー、次女のローラ、三女のキャリーが主人公を成している。今回取り上げるのは、第3シーズンの第18話『黒人少年ソロモン(The Wisdom of Solomon)』である。ドラマはミシシッピの農場で働くある黒人少年ソロモン・ヘンリーが、兄と母親に反抗して家出をするところから始まっている。(はっきりした年齢は分からないが、たぶん10歳に満たぬ少年だろう。) ソロモンは奴隷同然の毎日に耐えきれず、野良仕事に精を出す母親の制止を無視して農場から逃げてしまうのだ。彼はこれといった目的地も無く、偶然にもインゴールズ一家が住む街に流れ着いた。何も食べていないソロモン少年は空腹に耐えかねて、青空市場の八百屋で林檎を一つ盗もうとした。ところが、それを店主に見つかって捕らえられてしまう。すると、すぐ側で馬車に荷物を積んでいたチャールズ・インゴールが間に入って、この少年を救ったのである。

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(左: チャールズ・インゴールズ / 中央: キャロライン夫人を演じるカレン・グラッセル / 右: 娘のローラを演じるメリッサ・ギルバート )

  林檎泥棒で捕まるところを助けてもらったソロモンは、チャールズの荷馬車を追いかけ、ちゃっかり荷台に隠れて彼の自宅に向かうことになった。一方、彼の娘たち、キャロラインとローラは学校で勉強をしていたが、ローラは見知らぬ黒人少年が窓越しに教室を除いていることに気づいた。しかし、教師の注意を受けてローラが目を離すと、その黒人少年は居なくなっていたのだ。授業が終わって彼女は帰宅すると、鶏小屋の卵を取ってこようとした。すると、そこにはさっきの少年が潜り込んでおり、卵の殻に穴を開け中身を啜っていたのだ。父親のチャールズとキャロライン夫人の居間に連れ出されたソロモンは、チャールズに自分を奴隷として雇ってくれとせがんだ。というのも、ソロモンは勉強がしたくて農場を後にしたので、インゴールズ家で何でもやるから、その代わりに学校へ通わせてくれと頼んだのである。ソロモンは昔父親が奴隷として売られた時の求人広告を持っており、それをチャールズに見せて自分を買ってくれと言い出した。すると、チャールズはそれが1854年当時の制度であると少年に教え、今では奴隷制が廃止されているんだよ、と告げたのである。

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(左: 街中で助けられたソロモン・ヘンリー を演じるトッド・ブリッジズ/ 右: チャールズの家で食事をもらうソロモン)

  親切なインゴールズ一家はソロモンに食事を与え、家の納屋に彼を泊めてあげることにした。ちょっと興味深いのは、ソロモンの入浴シーンだ。チャールズはソロモンを水風呂に入れてやったが、入浴中に何も知らないローラが突然やってきて、彼の上半身を見て驚き、立ち去ってしまう場面があった。このドラマは1870年から80年代が舞台なので、キリスト教的倫理観が厳格に守られており、生娘が裸の男性を見るなんて恥ずかしいことだった。少年といえども見てはいけないのだ。当時のアメリカ社会では、正直や敬虔さが重要視され、それが社会の隅々にまで浸透していたし、何よりも道徳的生活が当り前だった。この場面で面白いのは、ローラを目にしたソロモンが恥ずかしがって、頭から水の中に沈んだ時だ。「もうローラはいないよ」と笑いながら告げたチャールズが、ソロモンの縮れ毛を鷲摑みにして、彼を引き揚げたことだった。スポンジかタワシみたいな彼の髪は摑みやすかったのであろう。今じゃ、どの黒人も皆マイケル・ジョーダンやバラク・オバマみたいに、丸坊主か短髪にしているから変だ。よっぽど、アフリカ人的な髪型が嫌いなんだろう。(今はでもう、若い頃のマイケルジャクソンやボブ・マーレー、アース・ウィンド& ファイアーみたいな黒人は珍しくなった。)

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(左: マイケル・ジャクソン / 中央: ボブ・マーレー  / 右: アース・ウィンド&ファイアー)

  ソロモンの世話を見てやるチャールズは、この黒人少年が抱く夢を叶えてやることにした。彼は娘たちが通う学校にソロモンを連れてきた。その時、彼らは教育委員会のメンバーを務めるハリエット・オルソン夫人と偶然出くわし、ゾっとした彼女は教室に向かう二人を呼び止めたのである。彼女の驚きを察したチャールスは「あの黒ん坊ですか?」と述べた。彼女は露骨に黒人少年を排除することはできないので、チャールズに向かって「学校に通える生徒は、この街に住む人の子供だけなんですよ。さっきあの少年は両親は別のところに住んでいると言ってましたよね」と聞き返した。すると、チャールズは「この少年なんですがね、実は私が以前の結婚でつくった息子でして」と答えたのである。これを聞いたオルソン夫人は戸惑いを隠しきれず、慌てふためいてその場を去ってしまった。もう、チャールズの冗談はブラック・ジョークにもならない。あの当時、黒人女性との結婚なんて御法度で、貞淑なオルソン夫人には考えられぬ暴挙であった。しかも、黒い混血児をつくり、再婚した家庭に引き取るなんて、当時の西歐系婦人には考えられない。オルソン夫人が恐怖で震えるのも当然だが、彼女の困惑ぶりは実に滑稽だった。それにしても、自分の冗談に微笑むチャールスは人が悪いねぇ。オルソン夫人が噂を立てたらどうするんだろう?

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(左: ハリエット・オルソン夫人 / 中央: エヴァ・ビードル先生 / 右: 教室でのソロモンとローラ)

  念願叶って学校に通えたソロモンは幸せだった。そこで、チャールズから任されたエヴァ・ビードル先生は、クラスの教え子にソロモンを紹介するが、嬉しそうなローラを除いて、皆はうつむいたままである。この状態を打破すべくビードル先生が挨拶を促したので、生徒たちは仕方なくソロモンを受け容れることにした。その後、授業が開始され、先生はエッセイを書かせるため、クラスのみんなに「一番何が嫌いなのか」を尋ねた。すると、カールが最初に答えた。彼はチキンが嫌いだと言う。次に、別の生徒が「隣に坐っているお姉ちゃんです」と冗談を述べた。そして、ローラが指名されると、彼女は「宿題です」と答えたので、先生は勉強は大切ですよ、と窘(たしな)めたのである。今度はソロモンの番になった。彼は静かに「黒人(ニグロ)であることです」と口にしたのだ。この答えにクラス一同は重たい空気に包まれる。ビードル先生も沈痛な表情を浮かべていた。さらに、物悲しいBGMが流れ、黒人を奴隷としてこき使ってきた白人の罪が暗示されたのだ。純粋で悲痛な顔を見せる黒人少年と、罪悪感にうちひしがれる白人生徒の姿は対照的だった。これこそ、ハリウッドの左翼による白人たちへの鞭である。

  奴隷制への譴責はさらに続く。学校を終えて夜床に就くソロモンをチャールズが見に来て、二人は短い会話を交わすことになる。話を終えて納屋を去ろうとするチャールズに、ソロモンは無邪気にもこう話しかけた。

ソロモン 「もし、僕が白人なら、父ちゃんは今も生きていたんだ。黒人奴隷だったから、父ちゃんは殺されたんだ。奴隷だと、せいぜい生きて30までさ。」

チャールズ 「君はお父さんを殺した制度が嫌いなんだね。しかし、そんな時代はもう終わったんだ。今から、君には新しい人生が始まるんだよ。」

ソロモン 「でも、何も変わっちゃいないよ。法律も昔のままだし。ねぇ、100歳まで生きたいいと思う?」

チャールズ 「分からないけど。そうだなぁ、みんな老いるまでは生きたいと望むんじゃないか。」

ソロモン 「じゃあ、黒人で100歳まで生きるのと、白人で50まで生きるとしたら、どちらを選ぶの?」

  このような質問を受けたチャールズは戸惑いを示し、はっきりと答えることができない。ただ、暗く深刻な表情を見せるだけだった。ハリウッドの左翼どもは純粋無垢な黒人少年を使って、「これでもか! これでどうだ!」と白人を責め立てる。彼らは道徳を拷問器具にして、アフリカ人を酷使した西歐人を罰することを楽しんでいた。まるで針で胸を刺されたような気分になる白人視聴者は、奴隷を虐待した祖先を糾弾し、白人であることに罪悪感を抱くようになるのだ。したがって、良心的に振る舞いたい白人は、「私はあんな冷酷な白人じゃない」と証明するために、「リベラル派」に転向するのである。また、黒人虐待を以て西歐白人の良心を嬲(なぶ)り殺しにするユダヤ人制作者は、その先にユダヤ人への偏見と差別に凝り固まった白人を弾劾すべく、特別な「仕置場」を用意しているのだ。これが「ホロコースト産業」である。どおりで、ユダヤ人から滅多打ちにされた白人が、祖先の残虐行為を恥じ、有色人種への贖罪に励むようになる訳だ。(『大草原の小さな家』には、ユダヤ人への偏見と彼らとの軋轢を扱ったエピソードがあり、シーズン7第13話「Come, Let Us Reason Together」がそうで、吐き気がするほどの脚本であった。いずれ紹介したい。本当にユダヤ人制作者って嫌な連中だ。)

白人より優秀な黒人を演出

  ハリウッドに蠢(うごめ)く左翼制作者は、善良で優秀な黒人キャラクターが大好きだ。ドラマの視聴者は「学校へ通って勉強がしたい」と懇願するソロモンに同情する。そして、“勤勉な”ソロモンは文字を習う機会や本を与えられると、見る見るうちに頭角を現すようになった。ある国語の授業に参加した時のことだ。ビードル先生は「鳥(バード)」の綴りを生徒に尋ねた。そこである白人の少年が指名され、自信なさげに「B・U・R・D」と答えた。残念。惜しい。次に、ソロモンが指名され、椅子から立ち上がり、ぎこちないが慎重に「B・I・R・D」と正解を述べた。正しいスペリングを答えることができたソロモンは、照れながらも誇らしげだった。「あぁぁ、また有能な黒人のシーンかよぉ~」とボヤきたくなる。アメリカ社会を憎む左翼プロデューサーは、白人俳優だと、チンピラ、シャブ中、偏屈屋、淫売、頑固者、冷血漢、殺人鬼、低能、変態などの配役をあてがい、黒人俳優なら、白人犯罪者を裁く判事とか、白人を押さえつけて説教する警察官、使命感に燃えるFBIの高級幹部、白人より勇敢な高級将校、頭脳明晰なコンピューター技術者、正義を貫く上院議員、白人のクズでも助けようとする人権派弁護士など、現実の世界では少数派に属する黒人を映画の中では多数派にしているんだから、まさしくジョージ・オーエルが描いた1984年の世界、すなわち事実を改竄する「理想の社会」を描いている。

Littile House of the Prairie  Jackson(左 / ソロモンの母と兄のジャクソン)
  ある夜、ソロモンが寝ている納屋に兄のジャクソンが現れた。家出をしたソロモンを必死で捜していた長兄は、弟を連れ戻すべく現実を語ってソロモンを説得しようとした。しかし、ソロモンは農場に戻ることを頑なに拒み、インゴールズ家に残って勉強するんだ、とゴネできかなかった。そりゃそうだろう。家畜みたいな生活より、白人家庭での居候の方がいいに決まっている。呆れ果てたジャクソンは説得を諦め、立ち去る間際に、母親からの贈り物を手渡した。ソロモンの母は息子の為に服を縫っていたのだ。この服を握りしめながら、ソロモンは兄が出て行くのを見守っていたのである。


Don Pedro Colley 2(左 / テイン医師を演じたドン・ペドロ・コリー)
  そんな黒人少年はある日、チャールズと街に出掛けることになった。ある一角で馬車に荷物を積んでいると、ソロモンはドクター・テイン(Dr. Tane)という黒人医師に出逢った。彼は黒人なのに医者であるテインに興味を抱き、自分も勉強して立派になる旨を語り出したのである。しかし、ソロモンはテインが普通の医者ではない事に気づく。テインは白人の患者を診ることなど到底できない。今だって黒人の医師が白人を診療することは少ないし、白人の患者だってなるべく白人の医師にかかろうとする。特に、白人の妊婦だと白人の女医を選ぶという。黒人の男性医師に股間を見られるなんて我慢できない。屈辱だ。亭主だって猛反対するだろう。だから、19世紀のアメリカ社会で、黒人医師が診察するのはインディアンの患者であった。こうした冷酷な現実を知ってソロモンはショックを受ける。黒人が猛勉強したって、白人とは対等になれないのだ。こういった場面を挿入する左翼制作者は陰険で、白人への怨念と憎悪に満ちている。彼らは視聴者に向かって、「お前ら白人は、肌が黒いというだけで向上心を抱く少年を拒絶しているんだ ! 人種差別がいかに恥ずべきものであるか、よ~く胸に刻んでおけ!」と叱っていたのだ。ドラマの放送は1977年だから、まだジョンソン大統領が始めた公民権推進政策が社会に浸透しておらず、その効果が浅い頃である。

  しかし、1970年代はまだ黒人礼讃の時代じゃなかった。黒人の地位は依然として低く、白人社会で平等に生きて行ける状態ではないのだ。いくら幼いとはいえ、黒人社会で育ったソロモンには、それくらいの事は分かっている。たとえ学問を積んでも、立派な医者にさえなれないと悟ったソロモンは、しぶしぶだが自分の家族のもとへ帰ることにした。気の毒に思ってはいるが、どうするとも出来ないチャールズは、それがソロモンにとって最善だと考えた。彼はソロモンを駅にまで送ってやり、帰りのチケットを買ってやったのだ。寄り合い馬車に乗ったソロモンは涙を堪えてチャールズに感謝する。チャールずも別れを惜しみながら、ソロモンが去って行く姿を見送るのであった。

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( 左: 不法入国する南米人たち / 右: 奴隷の子孫で大学を卒業したミッシェル・オバマ夫人 )

  今なら、ドラマはハッピー・エンドで終わっているだろう。チャールズが地元の教育委員会か裁判所に訴え出て、ソロモンは街に残ることができて、学校に通い続けることができるんじゃないか。ひょっとすると、奨学金までもらえて大学に進学することだってあり得る。卒業すれば、裁判官や警察官だって夢じゃない。事実、南米からの不法移民が公立学校に通えるし、運転免許や社会保障番号まで所得して、堂々と地元の企業とか教育団体に勤めているんだから。多民族社会のアメリカなら、犯罪者が平気で法律の壁をぶち破るし、国境の壁だってひょいっと飛び越えちゃうんだから、まさに無法地帯だ。不法入国者の強姦魔だって何回も再入国できるし、刑務所に入ればスポーツや読書の時間が与えられるから、犯罪者へお金を貢ぐ納税者の方が馬鹿らしくなってくる。一般のアメリカ白人は「どうしてこんな社会になっちまったんだ?」と首を傾げながらも、その理由が分からない。自分たちがどんな思想を刷り込まれたのか分からぬ国民は憐れだ。

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(写真 / ユダヤ人だらけのイスラエル社会)

  アメリカにも異邦人や左翼勢力によって、国民精神を改造されている、と気づく保守派もいるが、そうした人々は往々にして「右翼」とか「反ユダヤ主義者」というレッテルを張られて、社会的に抹殺されてしまうのだ。もし、アメリカ社会がアングロ・サクソン人を主流とした西歐世界なら、「白人であることの罪悪感」など持たないだろう。また、「隣近所にユダヤ人や黒人が居なくて寂しい」と感じる白人は居ないはずだ。考えてもみよ。白人だらけの街で、「どうして白人ばかりなんだ?」と悩む馬鹿は居るまい。例えば、江戸時代の日本橋や大坂の堺で、「うぁぁ、日本人だらけだ」と驚く日本人は居なかった。貧乏長屋にだって日本人ばかりが住んでおり、朝鮮人や支那人の住民はいなかったんだから。それで困った日本人がいたのか? 誰も多民族社会を望んでいなかったし、アジア人と共存していないから、異常な日本人が続出したという事例も無かった。

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(写真 / 昔のアメリカ社会に多かった白人 のタイプ)

  しかし、現在は違う。朝鮮人や支那人の軍門に下った連中が、みんなに隠れて大衆操作をする時代に入ったのだ。いずれ、NHKかTBSで朝鮮人をいじめる日本人を描く連続ドラマや、支那人を差別する日本人やフィリピン人を侮蔑する日本人に制裁を加える大河ドラマが制作されるかも知れない。しかし、一般の日本人は脳天気だから、警戒心を持たずに観ているかもね。将来、「日本人に生まれたことが恥ずかしい」と嘆く孫を見たら、その祖父母は何と思うのか。筆者を非難する日本国民は、今のうちによく考えるべきである。




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