無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

皇室伝統

皇族の教育は大丈夫なのか? / 「政教分離」という罠

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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困った王様が君臨していた英国

American Revolution 2









  昨年(2018)の11月30日、秋篠宮殿下が記者会見でなされた御発言は、誠に現代を映し出す鑑(かがみ)である。殿下の御言葉は、大嘗祭は宗教色が強いので、それを国費で賄うことは宗教分離を定めた「憲法」に違反するのではないか、という趣旨のものであった。たぶん、これは前回の儀式にかかった総経費が二十数億円にも上った事への反省なのかも知れない。そこで、秋篠宮殿下は公費を充てることは適切ではないので、内廷費から捻出すべし、というお考えなのだ。

  おそらく、殿下は国民の税負担を御心配なさっての御発言なんだろうが、こうした思考は皇室伝統に沿うものではない。第一、現在の「日本国憲法」は、占領軍が作成した懲罰目的の「反省文」であり、日本の國體(constitution)を反映していないのは周知の事実。反軍思想に基づいた「憲法」などは、狂人を縛る「拘束衣」に過ぎず、明治大帝ばかりか、元勲たちが目にしたら卒倒しそうな代物である。一方、我が国の憲法学者がこの「懲罰憲法」を称讃したのは、強かった日本軍の解体と日本人の弱体化を加速したからだ。今では信じられないけど、敗戦後の進歩的文化人たちはソ連の侵攻を期待し、赤軍が上陸したら赤絨毯で迎えるつもりだった。スターリン元帥が日本の支配者になれば、威張り腐っていた軍人は総て銃殺刑だし、天皇陛下も抹殺できる。しかも、鬱陶しい国粋主義的老教授たちが一掃されるので、「アカ」と罵られた若手は「やったぁ! ようやく俺たちも正教授になれるぞ!」と大喜び。ただ、彼らにとって残念なのは粛清の天使がスターリンじゃなく、マッカーサー元帥であったことだ。でも、邪魔者を片付けることが出来たから、結果的にはどちらでも良かったのだろう。

  次に厄介なのが、「宗教分離」という呪文だ。これは高校や大学で憲法の授業を取ると、必ず出くわす洗脳用語である。元々、「政治と宗教を融合してはならない」とする禁止は西歐からの輸入で、江戸時代の日本人が聞いたら「アホか!」と呆れ返るだろう。神州の日本で「祭り事」を抜いた「政治(まつりごと)」なんて考えられない。西歐人が教会の政治介入を嫌ったのは、三十年戦争のような宗派争いに嫌気が差したのと、「王権神授説(Divine Right of Kings)」といった政治思想、すなわち主流派となった教会による迫害を排除したかったからである。日本人は礼拝の違いくらいで何百万人も殺そうとは思わないし、神主が政治を壟断して独裁権を狙うなんて考えない。戦国時代だってイランのホメイニみたいな宗教家は現れなかった。家康が頼りにした大僧正の天海は結構な影響力を持っていたが、所詮は知恵袋的存在に過ぎず、本多や酒井、井伊、榊原の四天王を凌駕する程の権力を握ることはなかった。

American Continental Congress 1American puritans 1









  イギリス人が宗教的権威をふりかざす君主を嫌うのは、スコットランドからやって来たジェイムズ1世の秕政(ひせい)に由来する。この王様について話すと長くなるから省略するが、「最も賢い愚者」と呼ばれたジェイムズは王権神授説の権化だった。彼の考えによると、国王は天主(God)の恩寵(grace)を授かった地上に於けるキリストの代理人(Vicarius Christi)であるから一番偉いというわけ。したがって、臣民が王様に楯突くということは、全知全能のイエズス・キリストに向かって叛逆するのと同じくらい不届き千万、即縛り首でもおかしくはない。従順な臣民に慣れたジェイムズにすれば、イギリス人は御しがたく、何かあれば直ぐイングランドの法や伝統を持ち出して、あれこれ注文をつけるから頭にくる。

  自信満々の王様にとって、あれこれ諌言を挟んでくるイングランド人は実に鬱陶しい。「お前らはつべこべ言わず、朕の言うことにだけ従え!」というのがジェイムズの主張であり、臣下への命令でもあった。ところが、コモン・ローの大家であるエドワード・クック卿(Sir Edward Coke)などは、「たとえ国王陛下の権威・権力といえども、イングランドの法の下にあります!」なんて口答えするから、ジェイムズは怒髪天を突く勢いで叱責する。案の定、王様の逆鱗に触れたエドワード卿は投獄されてしまう。しかし、彼は牢屋に入ってもへこたれなかった。(まるで、巣鴨プリズンに入った岸信介みたい。) そのうえ、エドワード卿は人望が厚く、彼を支持する仲間も多い。というこで、国王ジェイムズはしぶしぶだが、エドワード卿の粛清を諦めるしかなかった。一方、日本でも有名なフランシスコ・ベーコン卿は卑屈なほど王様にベッタリ。胡麻を擦りすぎでバターになるくらい。ベーコンはコモン・ローの法律家を侮蔑し、国王の絶対権力を認めないクックを目の敵にしていた。日本の歴史教科書では偉大な哲学者扱いだが、その個人的資質や性格を調べてみると、本当に嫌な奴ということが分かる。

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( 左: ジェイムズ1世 / チャールズ1世  /  エドワード・クック / 右: フランシス・ベーコン )

  まぁ、親爺がこんな風だったから、息子のチャールズ1世も王権神授説を心から信じていた。何しろ、「議会は国王の意思に従え!」という態度であったから、君主政を尊重するイングランドの臣民は気の毒なくらい困っていた。庶民は建艦税で苦しむし、紳士階級の愛国者は高圧的な王様に参っていた。国王に諌言しながらも恭順を示すジョン・エリオット卿(Sir John Eliot)は、チャールズ国王を直接非難できないから、側近のバッキンガム公爵(Duke of Buckingham / George Villiers)を攻撃するしかなかったという。本当は、チャールズが一番反省すべきなんだが、この王様には自己反省という精神が無く、議会が反抗的だと、ムっときて強制的に解散を命じるほどだった。こんな調子だから、オリヴァー・クロムウェルの言い分にも三分の理くらいあると思えてしまうのだ。

誤解されているアメリカの政教分離

  「政教分離」と言えば、左翼知識人は合衆国憲法を持ち出して、「親分のアメリカ人も宗教と政治を分けているじゃないか!」と自己弁護に励むが、建国の父祖たちが反キリスト教的ということは全くなかった。それどころか、彼らは国民の道徳心を涵養するためにも、絶対キリスト教が必要と思っていたのだ。政教分離が取りだたされたのは、「アングリカン教会あるいは別の教会を創って、アメリカの新たな国教にしてはならない」というだけで、公の場からキリスト教を排除することではなかった。キリスト教を大切にしていた有名人を挙げるとキリが無いけど、ちょっとだけ紹介してみる。

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(左: ジョン・ジェイ  / ジョン・アダムズ  / ジョン・クインジー・アダムズ  / 右: アレグザンダー・ハミルトン )

  日本の高校生だとピンと来ないだろうが、ジョン・ジェイは著名な建国の父祖である。彼は連邦最高裁で初代の首席判事を務めたり、外務長官およびニューヨーク州知事などを歴任した外政官でもあった。フランス・オランダ系であったジェイの祖先は、宗教的迫害を逃れてきたユグノー信徒であったという。したがって、こうした家庭に育ったジョンが敬虔なキリスト教徒であってもおかしくはない。彼にとってキリスト教抜きの社会倫理など考えられず、事実、次のように述べていた。「アメリカで信仰されているキリスト教は、叡智と美徳に満ちている」(John Jay, Correspondence and Public Papers of John Jay, ed. by Henry P. Johnston, G. P. Putman's Sons, New York, 1893, Vol. IV, p. 491.Address to the Annual Meeting of the American Bible Society, May 8, 1823.)

  第二代合衆国大統領を務めたジョン・アダムズの息子で、自身も第六代大統領となったジョン・クィンジー・アダムズは、キリスト教文明を讃えていた。彼は言う。「キリスト教は文明人のものでり、理に叶っている」(John Quincy Adams, An Oration Delivered Before the Inhabitants of the Town of Newburyport at Their Request on the Sixty-First Annuversary of the Declaration of Independence, Newburyport, Charles Whipple, 1937, p. 17.)

  今さら歎いても始まらないが、日本の大学教授は左巻きの連中が矢鱈と多いので、アメリカ史の授業も左旋回が定番となっている。アメリカ政治を“専門”にしている教授どもは、アレグザンダー・ハミルトンとかジョン・アダムズといった保守派を嫌っているから、一生をかけての研究対象とはならず、ちょっと触れるだけか、ほぼ無視というのが普通だ。大学の図書館を眺めてみると一目瞭然。本棚には左翼学者のクズ本ばかりが陳列されており、「無能な教授を養うために著作が購入されたのでは?」と誰もが疑問を抱く。だいたい、ハミルトンやアダムズの評伝や研究書が、岩波書店とかミネルヴァ書房、平凡社などから出版されているのか? ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)やエリック・ホブスボウム(Eric Hobsbawm)などの左翼本なら沢山あるのにねぇ~。

Thomas Paine 1(左  /  トマス・ペイン)
     日本の歴史学会はマルキストの養老院みたいで、メンバーの旋毛(つむじ)は悉く左巻き。ややピンクに染まったくらいの若手だと、「学問が足りない!」とばかりに根性焼きを加える。彼らにとってのヒーローは、フランス革命を起こしたジャコバン派とか、トマス・ペイン(Thomas Paine)の如き革命家や扇動家で、ジョージ・ワシントン将軍のようなイギリス紳士ではない。とにかく、日本の歴史学者や政治学者は、保守的なアメリカ人を嫌い、社会改革を目指す過激派が大好き。ということで、ペインの『コモン・センス』とか『理性の時代』、『人間の権利』は大好評。日本の伝統的社会を改造し、本丸の皇室を潰したい極左学者は、ヨーロッパ貴族や君主政を批判するペインを持ち上げ、アメリカの独立革命を讃美する。だが、彼らは建国の父祖なんかどうでもいい。要は、君主政を否定し、人民主体の共和政を樹立したいだけだ。一方、独立戦争を起こした入植者たちは本国の君主政に反対しておらず、ただイングランドの臣民が代々持つ「国民の権利」を守りたかっただけ。したがって、トマス・ペインのようなゴロツキ扇動家のパンフレットなんか興味が無い。むしろ、唾棄すべき紙切れだった。

  独立派の中でも思慮深いジョン・アダムズは、不届き者で卑しい根性を持つペインに対して厳しく反駁した。彼は言う。

  かつて広まった宗教すべてにおいて、または古代や現代にある宗教の中で、キリスト信仰は叡智と美徳、公平、人情の宗教である。あの“ならず者”(ペイン)が何を言うのか、言わせてやれ」(John Adams, The Works of John Adams, Second President of the United States , ed. by Charles Francis Adams, Charles C. Little and James Brown, Boston, 1850-1856,  Vol. III, p.421, diary entry for July 26, 1796.)

  独立宣言の署名者であるベンジャミン・ラッシュは、友人のジョン・デッキンソン(John Dickinson / 合衆国憲法の署名者)に宛てた手紙に、ペインの『理性の時代』は「馬鹿げており、不敬だ」と書いている。(Benjamin Rush, Letters of Benjamin Rush, ed. by L. H. Butterfield, Princeton University Press, Princeton, 1951, Vol. II, p.770. to John Dickinson, Febraury 16, 1796.) また、別の偉人で独立宣言に署名したチャールズ・キャロルは、ペインの著作を「キリスト教に対し冒瀆的な書物である」と評していた。(Joseph Gurn, Charles Carroll of Carrollton, P. J. Kennedy & Sons, New York, 1932, p.203.)

Benjamin Rush 1John Dickinson 2Charles Carroll 2









(左: ベンジャミン・ラッシュ   / 中央: ジョン・ディキンソン  / 右: チャールズ・キャロル)

  歐米の歴史や政治学を担当する左翼教授たちは、授業中、一応“公平さ”を演出し、その本性を隠そうとする。心の奥では集中的にフランス革命を教えたいのだが、そうすると「隠れ共産主義者」とバレてしまうので、アメリカの革命を一緒に教えて、革命を「進歩の証し」と教え込む。だが、本当はキリスト教や君主政を貶したいだけ。皇室と神道を抹殺したいマルキストは、「理性」による統治、すなわち迷信を排した「啓蒙主義」こそが理想の政治であると嘯(うそぶ)く。啓蒙主義の特徴は、「如何なる宗教であっても、所詮は“私的な信仰サークル”に過ぎない、と斬り捨てる考え方にある。そこで、日本の政治学者は暗に「神道なんて未開部族の妄信であり、高級な人間、すなわち高学歴で理性的な進歩的知識人なら信じない」と囁き、「アメリカでも政教分離なんだから、日本でも神社を民間団体に格下げし、なるべく天皇を政治から遠ざけるのが良い!」と訴えかけるのだ。

  ところが、建国当時のアメリカ人ときたら、キリスト教信仰が当り前。今のアメリカ人とは比べものにならぬほど敬虔で、ピューリタンとかユグノー、クウェイカーなどが珍しくなかった。普段の生活で経験なのは当り前で、死を迎えようとする者なら、更に篤い信仰心を抱いていた。日本でも似たようなことはあるだろう。例えば、若い時に神仏を蔑ろにしていた者でも、高齢になって“お迎え”を予見するようになると、急に信仰に目覚め、安らかな永眠を望んだりする。また、一家の大黒柱だと、遺産相続や葬儀をどうしようかと考えるものだ。責任感の強い日本人なら、家族への遺書を認(したた)める時、けっこう真剣な気持ちになる。(ここでは関係無い話だが、なぜ一般人は自殺の時だけ「遺書」を使い、財産分与に関する遺書を「遺言状」と呼ぶのか? 自分が筆を用いて書いた手紙なら「遺書」でも良いと思うのだが・・・。)

  建国の父祖たちの遺書には、キリスト教が色濃く反映されていた。例えば、合衆国憲法に署名したガニング・ベッドフォードは、追悼式でこう述べている。「あらゆる名誉、全ての支配権を持つ三位一体の天主、すなわち、父と子と聖霊よ、永遠に、アーメン」(Gunning Bedford, Funeral Oration Upon the Death of General George Washington, James Wilson,Wilmington, 1800, p.18.)  有名な法理学者のジェイムズ・ケントも敬虔なキリスト教徒であった。「私があなたにこう述べるのは、もし私に何かあれば、分かるよね。おそらく、君にとって慰めになるであろう。私の救いは主イエズス・キリストにある」(James Kent, Memoirs and Letters of James Kent, ed. by William Kent, Little, Brown and Co., Boston, 1898, p.184.)

  そう言えば、日本の公職者は引退後の余生をどう過ごすのか? 恩給をもらう議員や官僚は、現役の頃あれこれ面倒を見てやった建設会社とか金融機関、特殊法人、大学などに天下りするが、神道や仏教の施設で役員に就くことは極めて少ない。神主を兼業して議員になった自民党の綿貫民輔は例外で、大抵の国会議員は俗物ばかり。政党や企業の顧問に納まって、更なる金銭を得ようとする。しかし、昔のアメリカでは宗教団体の役職に就く有名人が多かった。日本ではあまり知られていない人物も混じっているが、幾人かを紹介したい。
 
  アブラハム・ボールドウィン (Abraham Baldwin) 合衆国憲法に署名、独立戦争時の牧師。
  イライアス・ブディノー (Elias Boudinot) 大陸会議の議長、アメリカ聖書教会の創立者にして初代会長。
  ジョン・ブルックス(John Brooks) マサチューセッツ州知事、独立戦争時の将軍、ミドルセックス聖書協会の会長。
  サミュエル・デクスター(Samuel Dexter) アダムズ政権時の国務長官で上院議員を務め、インディアンに対する宣教活動に従事した。
  フランシス・スコット・キー(Francis Scott Key) 国歌となった「The Star-Spangled Banner」の作者で、アメリカ聖書協会の副会長。
  ジョン・マーシャル(John Marshall) 連邦裁判所の首席判事でアメリカ聖書協会の副会長を務めた。

  今上陛下や秋篠宮殿下が「政教分離」に敏感となり、政争の素(もと)になる行為を避けようとするお気持ちはよく分かる。国民の中には、「どうして陛下は靖國へ参拝なさらないのだろう?」と不満に思う者もいるだろうが、多数派が伝統や神道に無関心で、マスコミの言いなりになっている状況では仕方がない。日本国民の大多数が神道に対して誤解を持ち、大学でクルクルパーにされているんだから、陛下や殿下だけ古来の伝統を堅持するとなれば、政治的な摩擦が生じてしまうだろう。もし、天皇陛下が「英霊に会いに行くぞ! 文句があるのか!」と側近を叱責し、猛反対を振り切って靖國参拝を強行したら、如何なる結果を招くことか! おそらく、NHKやTBS、フジテレビ、朝日新聞などが、こぞって陛下の参拝を取り上げ、支那人や朝鮮人に“ご注進”となるはずだ。マスコミに潜む左翼分子は、自分達で言えないから支那人や朝鮮人に代弁してもらい、間接的に陛下の「憲法違反」を糾弾し、土下座するまで反皇室キャンペーンを繰り広げるだろう。

  そもそも、一般国民の精神が異常になっていることが問題なのだ。普通の日本人は学校教育で赤く洗脳されており、更に「神道は軍国主義の支柱になっていた」と刷り込まれている。だが、そんなこと言ったら、キリスト教やイスラム教だって罪は免れない。いくら平和の宗教でも、場合によっては戦争に利用されることは結構あった。時の権力者が私益の戦争を隠すため、「聖戦」と呼ぶことは毎度の事で、「えぇぇ~! そんな!」と驚くには値しない。ところが、日教組は特殊な目的を持っており、神道だけを目の敵にしている。筆者が小学生の時、給食の献立には「クリスマス・メニュー」があったけど、誰も「違憲だ、宗教の介入だ!」と騒ぐことはなかった。公立学校でも日曜日は安息日でお休み。未だによく理解できないけど、幼稚園児の子供が事故で亡くなると「天国」に旅立つことになっていた。(もちろん、葬式は仏教風で、坊主がお経を読む場合でも、幼い子供は天に召されるそうだ。) 大半の人は意識していないが、カレンダーもグレゴリウス歴を用いており、教師はそれを「西暦」と称して誤魔化していた。驚くことに、宗教を否定する共産党員までもが、キリスト教暦を採用しているんだから面白い。たぶん、意地でも元号を使いたくないからだろう。

  日本の皇室は年々危機に晒されている。マスコミは常に「退位」と言い習わし、決して「譲位」とは呼ばないし、元号が変わるとなれば、「印刷業者が大変なことになる」とか、「役所や民間企業の業務に支障が生じる」、「年数を数えるとき、元号だと計算しにくい。西暦だけにしたらどうか」と様々なイチャモンをつけてくる。もっと心配なのは、悠仁親王殿下の教育内容である。どんな教師が如何なる思想を吹き込むのか、保守派国民なら不安になるはずだ。昭和天皇の場合だと、杉浦重剛とか乃木希典といった一流の国士が教師になっていた。しかし、皇太子殿下の場合はどうなのか? 悠仁親王殿下が高校生や大学生になった時、どんな人物が歴史や哲学を担当するのか、心配の種は尽きない。もっと恐ろしいのは、将来のお妃がどんな人物になるかだ。もしかしたら、朝鮮系の女性とか、ちょっと赤く染まった家庭の娘だったりして。たぶん「ない」と思うが、その一方で可能性も否定できない。もし、神道の儀式に反撥を覚えるプリンセスの誕生となれば、皇族の間で内紛が勃発するかも知れないぞ。あまり未来予測はしたくないけど、皇室記事で儲けたい週刊文春や週刊新潮がどんな見出しをつけてくるのか心配だ。だって、朝日新聞が喜ぶようなタイトルが目に浮かんでくるじゃないか。



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皇室との絆が薄れる未来 / 陛下と国民が違う種族に

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平成の終わりが伝統的日本の最期になる?!

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  今月の天長節を祝った日本国民は、どんな気持ちで陛下の御言葉を耳にしたのだろうか? 長い統治を振り返ると、天皇陛下も色々な出来事を想い出すようだ。陛下からメッセージを賜った日本人も感極まったんじゃないか。宮城(きゅうじょう / 所謂「皇居」)に集まった国民の中には、陛下の御譲位を惜しんで咽(むせ)ぶ人も居たはずだ。陛下のご尊顔を拝する日本人には自然と涙が溢れてくる。普段、皇室を意識しない人でも天皇陛下を目にすれば、思わず背筋が真っ直ぐになるし、最初は気恥ずかしくても、皆と一緒に「天皇陛下、万歳 !」と叫べば段々と声が大きくなる。有名大学の学者どもが何と言おうと、やはり、陛下は日本の国父である。

Al Grassby 1(左  /  アル・グラスビー)
  こうした君民一体の光景が見られる日本は本当に素晴らしい。1970年代のオーストラリアで移民省大臣を務めたアル・グラスビー(Albert Jaime Grassby)は国民の統一を願い、「家族のような国民(Family of the Nation)」を看板にしたが、オーストラリア国民は纏まらなかった。というのも、当時のオーストラリアは白豪主義を放棄し、大量の異民族を受け容れていたからだ。主流民族であったアングロ・ケルト系国民は、東歐や南歐からやって来る移民とは人種的に違っていたし、非西歐系の移民もイギリス文化に同化できるとは限らなかった。大半の移民は自分達の慣習を守り続け、冷たい感じのするイギリス文化に順応しようとは思わなかった。第一、このスローガンを掲げていたグラスビー自身が移民の息子で、彼の父親はチリ出身のスペイン人。彼は血統的劣等感ゆえにイギリス人への憎しみを抱き続けていた。どおりで、アングロ・ケルト系の国民が反撥した訳だ。(グラスビーが二度目の選挙に出たときに、数多くの脅迫状が自宅に舞い込んできたらしい。)

  多民族主義で沈没したオーストラリアとは異なり、昔の日本は移民や難民を制限したことで多少救われることがあった。国内には皇室廃絶を叫ぶ左翼や、陛下を呪う朝鮮系住民もいたが、大半は皇室存続を望む国民で、君主の居ない共和政体など想像もしなかった。とりわけ、昭和天皇は絶大な人気を誇っていたので、NHKや朝日新聞がどれほど皇室を侮辱しようが国民の敬愛は少しも揺らぐことはなかった。小室直樹先生も力説していたが、日本人が抱く尊崇の念は他に比類が無く、戦前だと共産主義者でさえ、皇室廃絶となれば躊躇いを覚えたそうだ。西歐のキリスト教徒も皇室について学べば、その偉大さに驚愕するかも知れない。救世主たるキリストは復活後、ディディモと呼ばれたトマスの前に現れたくらいで、その後は音信不通。大教皇のグレゴリウス1世の寝室にも現れなかった。ついでに言えば、疑り深いトマスは槍で突かれたイエズスの脇腹の傷口に指を入れて、本当に復活したんだと信じたそうである。(ヨハネによる福音書第20章24-29節)

  カトリック教会だと、天主と信徒の間に神父とか教皇が介在するけど、日本国民と天皇陛下の間には、直接の対面を阻むものは一切無い。陛下は神様の子孫で、最高司祭にして国家元首、しかも陸海空軍を統率する大元帥である。これに加えて、慈悲深き国父ときているから頭が下がる。まともなアメリカ人なら羨ましくてしょうがない。なにせ、アメリカの国家元首ときたら尊敬に値しない奴ばかりが選ばれる。ビル・クリントンは恥知らずの助平だったし、バラク・オバマは誰が父親なんだから判らない赤い黒人マルキスト、ドナルド・トランプは国民の半分から嫌われている大魔王なんだから。彗星に願いをかけても、ジョージ・ワシントンみたいな大統領は二度と現れない。残念 ! (波田陽区はどこに行ったのかかなぁ。)

  アメリカ人は共和政を誇っているが、黒人やヒスパニック、アジア人、アラブ人の国民にしたら、いくら笑顔を振りまいても白人の大統領なんて所詮は赤の他人だ。アメリカ国民同士にも連帯感は無く、支那系移民と朝鮮系三世に“同胞意識”なんて芽生えたことはないし、両者とも黒人が大嫌いで、犬猿の仲となっている。また、白人と黒人の溝が海より深いことは世界的に有名だ。例えば、ハリケーンが荒れ狂って黒人が宿無しになっても、白人は「黒い国民」を助けることはなく、「政府が何とかしろ!」と丸投げ。日本人のような同胞愛は無い。大統領が惨状を視察に来たって、「どうせ票集めだろう」と陰口を叩く者が多い。日本だと、天皇陛下と皇后陛下が被災地をご訪問になり、「大変でしたね。何か困ったことは?」と温かい言葉をかけてくださる。一方、心の傷を癒やされた被害者は感激して涙をこぼす。政治家は薄汚い下心を隠して親切にするが、天皇陛下は無私の精神で、心から国民を心配していらっしゃる。正常な日本人は、こうした陛下の純粋なお心遣いを察知するから、理屈抜きで皇室の有り難みを実感するのだ。

  ここで一つ疑問なのは、帰化人を対象にした皇室に関するアンケートが今までに有ったのか、無かったのかという点である。かなり前から、日本に住みつく朝鮮人や支那人はそれとなく日本に帰化しており、それに伴って日鮮や日支の混血児も増えている。しかし、なぜか大手の研究所による意識調査というものを聞いたことがない。もしかしたら存在するのかも知れないが、一般的には知られていないはずだ。日系日本人からすれば、帰化人の同化は“どのようなもの”なのか、とても気になる。例えば、帰化鮮人は天皇陛下を尊敬しているのか? もし、尊敬している者がいるというなら、全帰化人の何パーセントに当たるのか是非知りたい。というのも、皇室を「嫌い」とか「憎い」、あるいは「廃絶すべし」、「関心が無い」、「どうでもいい」という回答なら容易に推測できるが、「皇室が好きだ」とか「陛下に敬意を持っている」と述べる元在日朝鮮人がいるとは思えないからだ。

  日韓併合により「日本国民」に昇格した朝鮮人は、「一等国のメンバー」になれたと大喜びで、なるべく日本人らしく振る舞おうとした。ところが、大東亜戦争で日本が敗れると掌を返したように「戦勝国」気取り。民族意識に芽生えた朝鮮人は、日本が朝鮮を“植民地”にしたとか、朝鮮人を奴隷にして、その財産を収奪したと言いたい放題。中には、日本との“戦争”に勝った、と妄想する者までいた。(朝鮮人の頭には、勝手な想像を「歴史的事実」に“変換”するアプリがダウンロードされている。たぶん、悪性ウィルスの類いなんだろうけど。) 敗戦後、半島に戻らず日本に居坐った朝鮮人は闇市でボロ儲けしたくせに、それを知らんプリで子孫に隠している。それどころが、不逞鮮人は「第三国人」の立場を利用して横暴の限りを尽くしていた。こんな賤民を祖先に持つ在日鮮人が、日本国籍を所得したからといって立派な帰化人となるのか? 日本に留まり、日本の学校に通うことができた帰化鮮人は、高度な教育を受け、大学にまで進学できるようになった。しかし、日本の発展に貢献しようと志す若者は砂金よりも少ない。日本の歴史や文化を愛する知識人など皆無。帰化鮮人の子供や日鮮混血児の中には、国立大学の教授とか社会評論家になった者もいたが、日本を愛する保守派言論人だけは育たなかった。

Koreans in Old Days 2














(写真  /  日本人に教育される前の朝鮮人)

  技能実習生とか奴隷的移民を輸入しようとする役人や政治家、企業経営者などは、「人手不足」を口実にして、現代版の苦力(クーリー)を再現しようと謀っている。株主を優先する商人は売国奴になっても仕方ないが、国民を代表する国会議員は日本人を優先しなければならない。ノン・ポリの議員は出稼ぎ外人を単なる「アンドロイド家畜」と考えているが、やって来る移民はコントロールできない感情を有する人間だ。そもそも、日本の政治家は外人労働者を甘く見ているんじゃないか。彼らが日本の慣習や文化を尊重して、我々の行動様式を真似ることはない。それどころか、自分達の生活習慣を持ち込んで、日本人に迷惑を掛けることの方が多いはずだ。例えば、食堂に支那人客が訪れると、その食い散らかしは本当に酷い。手羽先の骨を床に捨てるし、テーブルの上はソースや食べ残しで汚れ放題。後片付けする給仕は大変だ。洗面所で放尿する奴がいると思えば、正社員なのに会社の極秘資料を盗んで転売する奴までいる。支那人は隣で話しているだけでも不愉快だ。下品なアヒルみたいに喋るから、お洒落な喫茶店に支那人が入ってくると、落ち着いた雰囲気が台無しになる。

  そもそも、こき使われると分かっていながら日本にやって来るアジア人というのは、自分が生まれ育った国を惜しげも無く捨ててしまう下層民である。彼らは国家意識の観念が極めて薄く、自己犠牲の精神なんか更々無い。例えば、フィリピン人に「フィリピン生まれ」というプライドはあるのか? スペイン人に征服された南洋土人は、米西戦争のオトシマエとしてアメリカ人に売却され、白人を怨みながらも、その容姿と財産に心から憧れていた。さらに、彼らは華僑によって国の経済を支配されているから、何時まで経っても三等国民のままだ。したがって、ルソン島の原住民は侮蔑されながらもジッと耐えるしかない。不甲斐なさが板に附いているフィリピン人は、自国への愛着心など初めから無く、女中でも売春婦でもいいから、豊かな国へ移住したいと熱望する。国籍取得のためなら誰とでもセックスして、あわよくば結婚しようとするんだから、フィリピン人に自尊心というものは無い。こんなアジア人が日本で就職し、日本語を覚えたからといって、立派な日本国民になるのか?

  支那人の場合はもっと悪い。歐米諸国を見れば判るけど、支那人街とゲットーは瓜二つ。だいいち、「支那人がやって来たから文化的に豊かになった!」と喜ぶ白人がいるのか? 歓迎するどころか、我先にと引っ越しをする者がほとんどだ。支那人は銃弾を一発も発射せずに異国を占領できる。筆者の体験話で恐縮だが、「平和的な占領」というのは日常生活ても観察できる。もう10年くらい昔、ある夏の日のことだった。立川方面行きの中央線に乗っていたところ、長椅子に浮浪者が一人で坐っていた。車内に乗客は居たが、誰も同じ椅子に坐ろうとせず、なるべく遠くに立っていた。そして、三鷹駅か東小金井駅で停車したとき、若いサラリーマン風の男性が電車に乗ってきて、誰も坐っていない長椅子を見つけたので、「ああ、良かった !」と思いサッと腰を掛けた。ところが、直ぐに異様な悪臭に気づき、慌てて飛び跳ねてしまった。間抜けなことに、彼は浮浪者が坐っていることに気づかなかったのだ。筆者は驚愕した彼の顔を目にして、グっと笑いをこらえるのに苦労した。それにしても、不潔なルンペンというのは恐ろしいもので、武器を持っていないのに無敵なのだ。電車内には大勢の乗客が居て、迷惑そうに眺めていたけど、誰も文句を言わずに片隅に固まっていた。支那移民というのはこの浮浪者と同じで、まともな日本人は支那人と一緒に住もうとはしないものだ。裕福な者から郊外への逃避が始まり、低所得者のみが街を脱出できず、毎日嫌な思いをしながら暮らす破目になる。

Chinese immigrants in Australia 2Chinese migrant in Canada 2







(左: オーストラリアへの支那移民  /  右: カナダに住む支那移民)

  地球上で最も悲惨な国(支那)からやって来る劣等民族は、日本を変質させる侵掠者に等しい。入管法の改正に賛成した議員の中には、出稼ぎ外人の帰国を信じている者もいるだろうが、一旦彼らが日本に住みつけば本国に戻ろうとする者はごく僅か。何しろ、我が国は安全で衛生的な上に、自然が美しい別天地だ。ゴチャゴチャと汚い街並みが普通の東南アジアとは比べものにならない。日本人はアジア諸国を旅行すると、日本との違いに誰でもアッと驚く。厚かましいアジア人労働者とは異なり、日本人は外国に派遣されても直ぐ日本が恋しくなり、任された仕事を終えれば“さっさ”と祖国へ戻ってくる。北京に派遣された駐在員なら「そう、そう!」と頷くはずだ。役目を終えたのに、そのまま現地に留まり、どこかで引っ掛けた支那人と結婚し、支那国籍を取得するなんてまず有り得ない。南鮮に派遣された日本人も同じで、現地の国籍を取って帰化しようなんて夢にも思わないし、それどころか、「こんな国は二度と御免だ!」と啖呵を切って一目散に帰国するはずだ。

  一方、支那人は銭の臭いに釣られて移動する根無し草。儲け口のありそうな国なら何処でもいい。マルコは母を訪ねて三千里だったけど、支那人は銭を求めて三万里だ。愛国心なんて端っから無い。ポンズ醤油を使ったくらいで幸せを感じる日本人とは根本的に違うのだ。だいいち、大気汚染や土壌汚染の暗黒大陸に未練なんかあるのか? 支那に比べたらベトナムやラオスだって上等国に見える。こんな支那人に永住権や国籍を与えようとする議員と役人は、まともな日本人じゃない。どうして、心と腹が真っ黒の支那人に、緑豊かな日本を献上しようとするのか? 日本という高度文明国に、支那人という野蛮人は相応しくない。京都に群がる支那人観光客を見れば判るじゃないか! もし、鎌倉に朝鮮部落や支那人街ができたら、地元住民ばかりでなく、全国の日本人も激怒するだろう。南青山の児童相談所建設どころの騒ぎじゃないぞ。不動産価格の下落なんか屁みたいなものだ。もし、上海の如き魔都が出現すれば、永久的に支那人の租界になってしまうだろう。

Chinese immigrants in AustraliaChinese migrant in Canada









(上  /  西歐にやって来た支那移民を描いたイラスト)

  敗戦後、日本人は左翼勢力により国家意識を奪われてしまった。その結果として、強靱な魂を以て日本を守ろうとする気概が無い。アジア人が帰化を申請すれば、ポケット・ティッシュのようにくれてやるのも、国家意識が欠落している証拠である。だいたい、普通の日系日本人はアジア帰化人や混血児を自分と“対等”な国民と思っているのか? 例えば、一般の日本人がベトナムやビルマからやって来る出稼ぎ人と親睦を深め、自分の悩みを打ち明ける程の親友になるとは思えない。たとえ、同じ職場で毎日働いていても、日本人は何となく遠ざかるし、外人労働者の方も民族ごとにグループを作り、昼飯や夕飯も同胞と一緒に食べるはずだ。これは言葉の問題ではなく、生理的な拒絶反応だから、法律や社訓で是正することはできない。子供だともっと露骨で、フィリピン人やタイ人の混血児は外見的違いから仲間はずれだ。ファッションに敏感な女の子だと「ダサい子とは付き合いたくない!」と言い放ち、先生が叱っても埒(らち)が明かない。アジア系の生徒を相手にせず、存在しないかのように無視する。学校なのに刑務所のように種族別のグループが出来上がるんだから、現場の教師は頭が痛くなってしまうだろう。

  日本人は昔から気心の知れた同種族と暮らしてきたから、言葉や風習を異にする外人との軋轢を理解できない。同じ感覚や価値観を共有するのを当然と思っているから厄介だ。よく学校や会社で「あいつ、空気読めない奴だよなぁ」と陰口を叩く人がいるけど、外人にしたら、そんなのは超能力の一種だ。空気を読む能力なんてマニュアル本を読んでも分からないし、日本人だって詳しく説明できないから、途中で諦めてしまうだろう。天長節や正月に江戸城へ赴く人だって、アジア人から「どうして義務でもない参拝をするのか?」と訊かれれば、「えっ!」と戸惑い、「だって、陛下がいらっしゃるから」としか答えられない。陛下の龍顔を拝する日本人は、陛下と対面すること自体が嬉しいのである。国旗を振って自然と「万歳!」を叫ぶのも、日本人の血が流れているからで、強制によるものではない。日系日本人が靖國神社に参拝するのも、同じ血を共有する同胞が自らの命を犠牲にしたからだ。馬鹿らしい質問だけど、帰化支那人や朝鮮系国民は靖國神社に参拝するのか? 大東亜戦争で散華した将兵の手紙を読んで、大粒の涙を流す帰化鮮人が居たら会ってみたい。ウミガメよりも珍しい存在だから。

  毎年、宮城には多くの国民が詰めかけているが、いったい何人の朝鮮系日本人や帰化支那人が訪れているのか? 日本の学者は国勢調査とか統計データを集めるのが好きだけど、なぜかアジア系国民の実態調査を避け、彼らの帰属意識を研究しようとはしない。推測ならできるが、実際に、彼らは日本の国家元首をどう思っているのか? 朝鮮系国民の中には、日本生まれの子供や孫、さらに曾孫までいるが、おそらく彼らの中には熱心な皇室支持者はいないだろう。朝鮮人は何十年も日本に住み続けているが、彼らがアメリカとかヨーロッパに留学した時、「私は陛下に忠誠を誓う日本国民です」と公言できるのか? 日本にやって来るイギリス人留学生なら、躊躇わず「私は女王陛下に忠誠を誓うイングランド国民です」と自慢できるだろう。日本だと滅多に会うことは出来ないが、「ウチは代々トーリー(王党派)の家庭でして・・・」と告白するイギリス人もいるくらいだ。第18世紀か19世紀に帰化したオランダ系やスウェーデン系のイギリス人でも、日本人の前で堂々と「私は陛下の忠臣です」と口にできる。さらに、ケインズ卿(John Maynard Kaynes)みたいな人物もいて、祖先を遡ると第11世紀のノルマン人に辿り着く、というからビックリする。

Anglo Canadians 1chinese ugly 2








(左: アングロ系イギリス人  / 右: 移住してくる支那人 )

  宮城に集まった大勢の日本人は「皇室よ、永遠なれ!」と当り前のように願うが、これからアジア人がどんどん増えてくれば、天皇陛下は単なる“有名人”に過ぎなくなる。支那人や朝鮮人は権力志向が強いから、日本の学校で教育を受けると、官僚になるための試験を受けたり、地方や国政の選挙に出馬したりする。いずれ、役所の中に帰化人やアジア系混血児が勤務している光景が普通になるだろう。もっと恐ろしいのは、市会議員とか県会議員、市長、県知事、衆院・参院議員の中に支那系や朝鮮系の人物が増大し、日系人の立場が弱体化することだ。アジア系有権者は政策とは無関係に、「同族」の候補者を支援するから、アジア系の国会議員が誕生する確率が高い。「まさか」とは思うが、宮内庁に朝鮮系の役人が混じったりすることも覚悟しておくべきだ。なぜなら、厚生省から出向してくる官僚もいるから、「有り得ない!」とは言えないのだ。もし、こうした役人が陛下の側近になったら、皇室にどんな損害を与えるのか?  考えただけでも寒気がする。

  日系国民は今のところ不安に思っていないが、このまま移民が増え続ければ、皇室を支持する日本人の比率は減少する一方だ。近い将来、勤皇精神という言葉が死語になりかねない。今のところ杞憂に思えるが、そう遠くない未来に、朝鮮系や支那系の国民が、江戸城に集まった日系人を目にして、「今日、何かあるのか? 」と尋ね、天長節だと判れば、「な~んだ、原住民の酋長が生まれた日か!」と小馬鹿にするかも知れないぞ。日系人は真っ赤になって怒るけど、国会と霞ヶ関がアジア系に支配されていれば、唇を噛みしめて耐えるしかない。あと何十年かして、「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」と再び口にするようじゃ憂鬱になってしまうよねぇ~。


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