無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

皇室伝統

元号廃止は皇室への憎しみ

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房





紛らわしくて迷惑な元号

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  攻城戦には様々な戦術があって、いきなり本丸を目指した総攻撃を仕掛けず、まずは外堀を埋めてから、敵の補給を断つ兵糧攻めを取る場合がある。天皇陛下を抹殺せんと欲する左翼陣営も同様の手口を取っているようで、皇族を銃殺する直接攻撃を選ばず、心理戦や謀略を用いて間接的に撲滅しようと図っている。共産主義革命があと一歩で実現しそうだった敗戦直後と違って、経済発展を遂げて豊かになった日本社会は、流血を伴う暴力沙汰を好まないし、昭和天皇を心から慕う一般国民は、反日主義を掲げる過激派に同調しなかった。さらに平成ともなれば、世間はもっと保守的になってしまい、朝日新聞は販売部数が減って凋落し、神田神保町の「岩波ブックセンター」まで閉店の憂き目に遭っている。ガラクタ論文を載せた雑誌『世界』を愛読した世代から見れば、学園紛争の面影すら薄くなっているいる現在のキャンパスは、お洒落になったけど、活気が無くてどことなく寂しい。

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(写真 / 全共闘時代の学生たち)

  かつては社会主義国家を夢見た全共闘世代も、定年を迎えてすっかり元気を失ってしまい、たとえ左翼全盛期を謳歌した元学生が集まっても、徒党を組んで国会を包囲するような事はせず、せいぜい昔を懐かしんでフォーク・ソングを合唱するくらい。こんな「同窓会」で盛り上がるのは、どうでもいい自分の出世話か下らない武勇伝、あるいは持病の悩みを共有する、といったところだ。(一旦、中高年が病院や治療薬の話をしだすと、医者の噂話や評判で盛り上がってしまい、もう本当にキリが無い。) それに今じゃ、 長髪でゲバ棒を振り回していた若者も、ナイト・クラブで女の尻を触るハゲ頭の中間管理職になっており、振り回すのは自慢のゴルフ・クラブくらい。大学で暴れ回った過激派も、孫を持つ老人となって立派なお爺ちゃんを演じている。可愛い孫を膝に乗せて、「学校ででイタズラしたらダメだよ。先生の言うことをよく聞かなきゃ」 !なんて説教しているんだから、どのツラ下げて言っているのか見てみたい。

  左翼分子も昔と違って丸くなったのか、大勢で宮城(江戸城)に押しかけ、警護官と殴り合いの乱闘を仕掛けることはない。それよりも、民間企業や官庁で要職に就き、若い頃に嫌った「体制」の内部から、日本社会を破壊しようと考えている。テレビ局のプロデューサーや新聞社の論説委員、役所の局長や課長といった地位を利用して、我が国の解体に精を出している。代表的な例は菅直人だ。全共闘時代、暴力学生の背後に隠れていた菅直人は、昔から逃げることだけが得意の卑怯者で、機動隊と衝突する事はなかったから、捕まって刑務所行きにならなかった。「風が吹けば桶屋が儲かる」というけど、臆病風に吹かれた「意気地無し」が東工大を「無事」に卒業し、市民運動を経てまんまと総理大臣になってしまったのだから、世の中ってのはどう転ぶのか分からない。蝮(マムシ)の道三(斉藤利政)だって、美濃一国が精一杯だったのに、この長州の恥さらしは天下を取ってしまった。(恥ずかしくてたまらない山口県民は、菅直人を「長州出身の首相」には数えていないらしい。そりゃそうだ。) そう言えば、信州大学で左翼学生だった猪瀬直樹も東京都知事になってしまった。でも、「理想」に燃えていた若者だって、権力者になれば批判していた政治家と同じように腐敗するんだから、左翼になる奴の根性は最初から賤しいのだろう。

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(左: 菅直人  / 中央: 猪瀬直樹  / 右: 過激派の学生 )

  左翼勢力は下劣だが馬鹿ではない。彼らは皇室殲滅を目指して長期戦を選んでいる。水滴だって何年も岩の上に垂れれば、いつかはその岩盤を貫くこともあるから、左翼分子は事ある毎に皇室を貶め、その権威が失墜するように陰謀を巡らしている。例えば、皇太子妃殿下が精神を病んで公務を欠席されれば、「雅子さまが可哀想」と称して、「皇室は女性を抑圧している」と非難するし、愛子内親王殿下が皇位継承者になれないと分かれば、「皇統は男尊女卑」と罵る。もし、内親王殿下が皇位に就いて女性・女系天皇が誕生すれば、こんどは返す刀で「正統性無き天皇」と批判し、不正な皇統の廃絶を叫ぶだろう。あと一世代(約30年)もすればアジア系日本人が増えているから、皇室への尊崇は軽くなるし、アジア系議員が皇室への予算を削って、皇族の生活を困難にするかも知れない。もっと恐ろしいのは、これらの政治家がわざと悠仁親王の警護を薄くして、テロリストに有利な条件を提供することだ。警戒心が足りない日本でなら、皇族の暗殺も可能である。悠仁親王を乗せた車の運転手が、事もあろうに居眠り運転をしていたんだから、皇統の危機はリアルと言えるんじゃないか。

  政界とマスコミには反皇室主義者がうようよ居る。まだ天皇陛下の譲位も具体的に決まっていないのに、もう次の元号をどうするのか、という話が持ち上がっているのだ。新聞の報道によれば、政府は平成31年1月1日から新しい元号にする検討を始めたそうで、既に皇太子殿下の即位式が決まっているかのような雰囲気になっている。こうした話題を受けて、早速テレビ朝日の「スーパー・モーニング」が元号について特集を組んでいた。案の定、明治以前に元号はしょっちゅう変わっており、不吉な事が起こると直ぐ改元していたとか、亀が原因で改元となった過去がある、なんて小馬鹿にした解説を行っていたのである。つまり、「元号は重要かも知れないが、そんなに重要なものじゃなかったんだ」と暗に言いたいのだろう。テレ朝らしい陰険な手口だ。

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(左: 天皇陛下と皇太子殿下  / 右: 天皇陛下と皇后陛下 )

  左翼テレビ局は天皇陛下が君臨する治世を嫌うから、我々の時間を区切って支配する元号を憎んでいる。本当は皇室を廃絶したいのだが、それを正直に話すと世間から反撥を喰らうので、如何に改元が我々の生活に損失を与えるのか、その害悪を視聴者に刷り込もうとする。例えば、元号を使うと世界標準の年号、つまり西暦とのズレに悩まされ、年数の換算に手間取ってしまうと愚痴をこぼす。そして、改元があるとカレンダーや手帖を製作する会社に影響が出ると心配してあげる。さらに、運転免許証の更新日を見逃してしまうといった不安まで煽っているのだ。(例えば、テレ朝の番組制作者は、平成35年に更新日を迎える人が新元号のせいで更新に気づかない、と懸念していたのである) この程度のつまらない不便さをあげつらって、如何に改元が庶民の生活に支障をきたすのかを仄めかしていた。

  元NHKの職員であった池田信夫も、元号の不便さを指摘して、我が国は西歐諸国と同じ暦にするべきだと述べていた。

  平成31年と聞いて、とっさに西暦何年のことか、わかる人は少ないだろう。平成31年とは2019年のことだ。今度これが新元号になると、2020年から「新元号」2年、3年…となり、年数の計算は一段とややこしくなる。官庁はいまだに統計データが元号で使いにくいが、元号法は「元号は政令で定める」と規定しているだけで、官庁にも元号の使用を義務づけていない。マスコミで元号を使っているのはNHKと産経ぐらいだが、海外ニュースは西暦だ。では国内と海外の事件を一つのニュースで伝える場合はどうするのか、原則がないので混乱する。(池田信夫 「もう元号を使うのはやめよう」アゴラ 2017年01月10日)

Ikeda Nobuo 1(左 / 池田信夫)
  池田氏と違う庶民なら、「それがどうした? 統計や資料を調べる時に、手帖や年表を参照して計算すればいいじゃないか?」と反論するだろう。そんなに元号が邪魔くさいなら、ジャーナリストやコンピューターを使って仕事をする人は、和暦と西暦を並列した一覧表を手元に置いて仕事をすれば済む話だ。巷のエコノミストなんかは、原油価格の記事を書く時に、いちいち「バーレル」を「リットル」に、「USドル」を「日本円」に換算して説明するじゃないか。アメリカでは石油の量を示す時、未だに第19世紀の古風な「樽(barrel/ニシンを詰めていた樽)」を単位に用い、「ひと樽は42ガロン」と定めているのだ。現在、この樽は取引上の単位で、実物を運ぶ時には55ガロンが入るドラム缶を用いている。ちなみに、米国だと1ガロン(液体)は約3.78リットルで、英国だと1ガロン(英国連邦共通ガロン)は約4.54リットルとなっている。米国とは違い英国の1樽(ビール用の樽)は36ガロンとなるから、同じ英語圏でも話す相手によって誤解が生じてしまう。単位にまつわる話はたくさんあって、例えば、在米日本人がスーパーで「ガロン売りの牛乳ボトル」を見れば、なんでこんな巨大サイズで売っているのか、と驚くはずだ。さらに、給油所に行くとガソリンが、「リットル」ではなくガロン単位で販売されており、馴染みのある「リットル」に換算した時、その安さにまたもや驚いてしまう。(現在、1ガロンの販売価格は、東部だと平均約2ドル30セントで、西部だと2ドル60セントくらい。つまり、1USドルを114円の為替レートで換算すれば、1ガロン当たり約263円で、1リットル70円くらいで販売していることになる。)

  元号を「不便だ」と考える池田氏には理解しづらいだろうが、様々な「モノ」を計る尺度は国によって違うのだ。我が国では面積を示す時、「坪」とか「畳」を用いるが、アメリカだと「エーカー(1 acre / 約4046.8㎡)」とか「スクウェアー・インチ(1 square inch / 約6.45㎠)」を用いる。日本人でもゴルフ・プレーヤーは「ヤード(yard)」を使うし、ボクサーの体重は「ポンド(pound)」や「オウンス(ounce)」で表示されているはずだ。こうした単位は昔ながらの尺度で、啓蒙思想以前に普及していた慣習的度量衡である。歐米人が未だに使っている「時代遅れの単位」は、社会の隅々に浸透している文化だから、池田氏のような「進歩的知識人」がいくら「やめろ!」と言っても、人々は聞く耳を持たないだろう。

  元号を「古臭く」思う知識人は、なぜかキリスト教暦(グレゴリウス暦)だと「良い」と判断する。なぜならば、西歐人の尺度が「グローバル・スタンダードである」と信じているからだ。(共産党系の出版社は宗教を阿片と思っているのに、元号を憎むあまりキリスト教暦に好意を抱いている。) つまり、イエズス・キリストを信じる西歐人が、救世主の誕生年を基準としたカレンダーを用いるから、異教徒の日本人も世界の覇権を握るキリスト教徒に従属せよ、という訳だ。しかも、池田氏は独自の年号を用いる日本を台湾や北鮮並みの孤立国と見なしているようで、我が国は「世界標準圏に所属すべし」と訴えているのである。池田氏は次のように述べている。

  世界的にも公文書で独自の年号しか使わないのは、台湾と北朝鮮ぐらいだ。サウジアラビアも去年、「ヒジュラ暦」をやめた。元号の本家の中国にも元号はない。新たに元号を定めるのはかまわないが、官庁のデータは必ず西暦を併記し、NHKはすべて西暦で統一すべきだ。(池田信夫 「もう元号を使うのはやめよう」)

  池田氏が「元号」の本家である支那も使っていない、イスラム教国のサウジ・アラビアでさえキリスト教暦に切り替えたのだから、我が国もこうした国家に見倣えというのは、昔流行った「バスに乗り遅れるな」という説教じゃないのか。日本はラテン・キリスト教世界とは一線を画す独立国家なので、古来の伝統を捨ててまで外国の慣習に従う義務は無い。「元号」と「西暦」の齟齬を気にする人は、常に暗算をして暮らせばいいのだ。そうすれば、頻繁に頭を使うことになるから、脳の劣化を防止することにも繋がり、意外な「得」をするかもしれないぞ。たかが外国のニュースとの整合性を図るために、先祖から慣れ親しんだ文化を捨て去るなんて馬鹿げている。敗戦後、煩雑で不合理な漢字と仮名を廃止してアルファベット表記にしたらどうか、という意見もあったが、現在の日本人でこれに賛成する者はまずいないだろう。一時期の熱狂が醒めれば、愚かな提案だということが分かる。

「天皇制」廃絶への第一歩

  元号廃止論者には裏の顔がある。彼らは「天皇制」という穢らわしい共産党用語を掲げて、「皇室」という「古代の残滓」は人民の手で打倒できる単なる「制度」である、と国民を洗脳しているのだ。しかし、国民に敬愛されている皇室を一気に潰すことはできないので、とりあえず天皇陛下の即位によって変わる元号をなくしたい。なぜならば、たとえ小さな法的改変でも、皇室撲滅への一歩となるからだ。朝鮮人のように心の底から皇室を呪う左翼分子は、君民一体の日本を「奴隷主(ドミヌス/ dominus)」と「隷属民」から成る専制国家、あるいは「人民を抑圧する支配者」と「秕政(ひせい)に苦しむ庶民」に分断される暗黒社会である、と描く。そのためにまず、「元号」が如何に国民への負担、あるいは弊害となっているのかを宣伝するのだ。

Showa Emperor 2(左 / 昭和天皇)
  「反皇室」を旗印にする共産党の「赤旗」記者ならいいけど、朝日新聞や毎日新聞に巣くう左翼社員は、表だって皇室を非難ことができない。そんな時、「外国の記事を紹介する」という間接的手段で、自分の意見を代弁させようと謀る。しかし、南鮮や支那の報道では日本国民が反撥するので、なるべく歐米諸国のジャーナリストが書いた記事を選んだりする。特に、昭和天皇が重病になられてからの報道は酷かった。「大東亜戦争」の前科を咎める傲慢な外人記者は、昭和天皇に対する敬意など微塵も無かったから、陛下を戦争犯罪人の親玉として扱っていたのだ。歐米のマスコミには、凡庸であるがゆえ極東に左遷されたジャナリストがたくさんいて、社内ではいつも冷や飯ぐらいだから、チャンスが巡ってくるとショッキングな反日記事を書いて世間の注目を集めようとする。特に、刺戟的な見出しで売上げを高めようとするタブロイド紙(大衆紙)は下品だ。記事の質よりも衝撃度を重視する外人ジャーナリストは昭和天皇の病状が悪化した時に、日本人の深い悲しみより、迷惑を蒙った記事を載せたりする。

Aozora 1(左 / 青空千夜・一夜)
  左翼系新聞社だから仕方ないが、「ワシントン・ポスト」紙のフレッド・ハイアット(Fred Hiatt)記者は、昭和天皇が重態となった事で経済的な悪影響が出ていると書いていた。例えば、、昭和63年の秋以降、漫才師の青空一夜(相方は「青空千夜」)は、毎日電話が鳴るのが怖かったらしい。というのも、電話の用件はたいてい仕事のキャンセルであったからだ。彼は「経済的状況が悪くなる一方である」とハイアット記者に話し、「我々の仕事はお笑いだが、今いちばん嫌われているのは笑いなんだ」と嘆いていたらしい。昭和天皇の“せい”で困っていたのは、なにも漫才師だけではなかった。お祝い事に用いられる鯛を販売する業者や、パーティーを華やかにする「コンパニオン」たちも、陛下が病床につかれた九月から仕事が激減したという。誰が決めた訳でもない「自粛ムード」は、様々なイベントやお祭りにも波及し、何とか「フェア」は「展示会」という名称に変わったし、装飾用のテントも赤からグレーに変わったそうだ。

Fred Hiatt 1(左 / フレッド・ハイアット )
  日本を「不気味な国」と伝えたかったハイアット記者は、ことさら悲観的な見解を持つ人物に取材を行っていた。彼はエコノミストのリチャード・ジェラン氏にインタヴューし、「今後も沈滞状況は続く」との意見を引き出し、昭和63年のGNP成長率は0.2%から0.3%は下がるだろうと述べていた。さらに、彼は「自粛ムード」で疲弊する地方を巡り、愚痴をこぼす地元民を訪ね廻っていたのである。ハイアット氏は日光観光協会のカワダ・トシツギ理事が、百物揃千人行列の中止を残念に思っている、と伝えていた。また、毎年恒例の神田古本市が中止になった事にも触れ、出店する本屋が年間収入の5分1を失った、と述べて読者の同情を誘おうとしたのである。名古屋では中日ドラゴンズが数年ぶりに優勝したのに、祝勝会やパレード、百貨店の記念セールが中止となり、何十億円の商売が失われたと伝えていた。それ以外にも、ホテルでは会社の宴会とか結婚式の披露宴がキャンセルされ、海老の卸業者や花屋、ミュージシャンも同じような“しわ寄せ”を喰らったのだという。ある高級ホテルは、パーティーやレセプションが中止されても通常のキャンセル料を要求できないので、5億円の損害を蒙ったらしい。

  こういった反日外人は「公平性」を期すために、一応保守派の日本人にもインタヴューを行うが、興味を持つのは皇室に悪意を抱く左翼分子である。CNNの記者は昔から反日姿勢を取っていた。左翼テレビ局のCNNは開設当初から日本へ食い込んでおり、テレビ朝日と提携して深夜番組の「CNNデイウォッチ」を流していたくらいだから、日本への関心は比較的高いと言えよう。この番組にはフジテレビに鞍替えした安藤優子や広島市長になった極左数学者の秋葉忠利、歌手の山本コータロー、参院議員の武見敬三などがキャスターとして出ていた。CNNの東京支局長だったジョン・ルイスは、呆れて物が言えないが、昭和天皇をめぐる日本の報道を取材するにあたり、なんと極左ジャーナリストの浅野健一を選んでいたのだ。(天皇報道研究会 『天皇とマスコミ報道』 三一書房 1989 年p.118)

  この反天皇主義者は元「共同通信社」の記者で、ジャカルタ支局長や社会部記者を歴任し、退社すると同志社大学に転職した。2014年に教授職の契約が切れるが、定年延長が認められなかったとゴネて大学側と揉めていたらしい。悪名高い「共同通信社」の左翼分子が、極左の巣窟たる同志社と喧嘩していたんだから、何とも滑稽な諍いである。もっとも、北朝鮮の犬であった土井たか子が教鞭を執り、黒ヘルを被った佐藤優や小川和久が「神学」を学んでいた大学だから、紅生姜よりも赤い浅野が教師になっていてもおかしくはない。「やはり」と言えばそれまでだが、かつて浅野は平壌の人民文化宮殿で開かれた「日帝の反人倫犯罪被害者の証言集会」に招かれ、日本人として只一人登壇を求められ、「日本は過去の侵略と占領について謝罪と賠償の義務がある」と述べたそうだ。(浅野健一 「朝鮮を無視する『日韓併合』捏造100年 いま、朝鮮との共存の道を探ろう」 人民新聞社 2010年11月1日) いゃ~、筋金入りの左翼はすごい。最近の若い共産党員はマルクス・レーニン全集も読まない怠け者が多いから、せめて浅野氏くらいは見倣うべきだだろう。ここまで日本を憎んでこそ、一端の革命家になれるってもんだ。

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(左: 浅野健一 / 土井たか子 / 佐藤優 /  右: 小川和久)

  昭和63年9月26日、浅野健一はルイス支局長のインタヴューを受けたが、彼は天皇について厳しい記事を書けない報道業界に苦言を呈していた。ドイツではナチスに協力した新聞はみな廃止されたのに、日本では戦前から続く全国紙が敗戦後も生き残ったと不満をぶちまけ、大手のマスコミは天皇に都合の悪い記事を書けないのだ、と嘆いていた。浅野氏によると、天皇は国民の総意に基づく象徴だが、次の天皇をどうやって決めるのか、どのようにして国民の総意を決定するのか、といった点を明示する法律が無いので、「なぜ明仁が自動的に次の天皇になるのか疑問に思う人もいる」と陰口を叩いていた。(上掲書 p.126) でも、そんな不満は共産党員や反日左翼だけの“言い掛かり”じゃないのか。普通の日本人はマッカーサー憲法がどのように規定しようが、天皇陛下を国家元首と思っているし、男系男子による皇位継承は不動の伝統と考えている。左翼どもがギァギャア騒いでも、天皇陛下は昔から、そして今も、未来も、ずっと我々が敬愛をもって仰慕する「天子さま」だ。それが厭なら浅野氏が北朝鮮に移住すればいいじゃないか。ヤクサより残酷な金王朝が歓迎してくれるぞ。

国王史観が当り前のイングランド

  浅野氏は日本国民がずっと慕ってきた陛下を気に入らないそうで、元号も廃止すべきとの意見であった。彼は共同通信社の外信部に配属となっていた時、西暦と元号で悩まされた体験を持っていたという。日本政府は「昭和」を以て情報を発信するが、浅野氏がそれを英文に翻訳する際、換算して西暦に直さねばならなくて、面倒だったと話している。日本政府、特に大蔵省は西暦を受け容れなかったので、民間銀行が文書に西暦を書いてしまうと、いちいち訂正印を押して昭和何年と書き直さねばならなかったからだ。(上掲書 p.130) しかし、単にこれくらいの手間が厭だから「元号を廃止せよ ! 」なんて馬鹿げている。こんな主張を掲げる浅野氏が、どんな思想の持ち主なのかは誰にでも察しがつくだろう。

  「元号が西暦とズレているから計算が厄介だ」とか「毎回換算して西歐人に伝えるのは骨が折れる」といった理由で元号を廃止するのは軽率な文化破壊である。祖先から受け継ぐ伝統は「合理性」とか「経済効率」とは無縁の遺産であるはずだ。日本人は太古の昔から朝廷と一緒に暮らしており、誰も陛下との紐帯を“鬱陶しい”とか“穢らわしい”とは思わなかった。自分が生きている時代が天皇の治世であることは自然であり、天変地異が起こって改元されるのは当然だし、陛下が崩御なされれば全員が悲しむのは必然だった。元号のせいで日常生活が不便だと思うのは、マルクス主義者か反日思想に染まった非国民だけ。イングランド王国の臣民だって君主政は神様の摂理と考えていたのだ。歴史家でなくても一般国民が国王の在位で時代を区切るのは当り前で、「ヴィクトリア朝様式」とか「エドワード朝文学(Edward 7世の治世)」とかの言葉をよく使うし、チューダー王朝時代だと、ヘンリー8世やエリザベス1世の御代は特別である。

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(左: ヴィクトリア女王  / エドワード7世 / ヘンリー8世 /  右: エリザベス1世)

  イングランドの憲政史を学ぶ者なら分かると思うが、制定法(法令 / statute)などは国王の治世を基にした名称になっている。例えば、「エドワード3世治世第14年第2法法律第1号(14 Edw. III. stat. 2, c. I)」という法律があるし、1830年の制定法は「ウィリアム4世治世第1年法律第2号」と呼ばれていた。1772年の国王婚姻法(Royal Marriage Act)は「ジョージ3世治世第12年法律第11号」だし、1888年の地方統治法(Local Government Act)は「ヴィクトリア治世第51、52年法律第41号」と記されていたのだ。イングランドの行政や司法は国王が中心となっており、天主から塗油を授かった君主は地上に於けるキリストの代理者(Vicarius Christi)となっていた。元々は宮廷が法廷となっていて、国王は正義の執行者として罪を裁き、君臨する王国全体の平和と秩序を保つ守護者であったのだ。したがって、王様は自らの地位を形成する法を犯すことはできない。なぜなら、王位は法と正義の土台の上に築かれているからだ。そして奇妙だけど、もし国王が法に違反した場合の解決策は、国王に対し国王が救済策を与えるよう国王に請願することであった。(英国の慣習法や法思想を説明するとややこしくなるので詳しいことは省略する。)

  ヘンリー3世の時代に名を馳せた英国のローマ法学者ヘンリー・ブラクトン(Henry de Bracton)の格言、「国王は如何なる権利侵害をもなしえず(the king can do no wrong.) 」はあまりにも有名である。ブラクトンはヘンリー3世のもとで20年間も裁判官を務めており、彼はよく次のような点を繰り返し述べていた。すなわち、

  国王は如何なる人の下にもいないが、神(天主)と法の下にある。法が王をつくり、王は法に遵う義務がある。たとえ王が法を破っても、その処罰は神に委ねられている。(Frederic William Maitland, The Constitutional History of England, Cambridge University Press, 1908, pp.100-101)

  イングランドの立法だって国王陛下の臨席のもとで議論されており、貴族も士族議員もみな君主を国政の中核と考えていた。王様がジェイムズ1世のように我が儘だったり、ヘンリー8世みたいに横暴でも、家臣はみんな仕方ないと思って耐えていたんだから、今から考えると驚いてしまう。チャールズ1世に懇願するジョン・エリオット卿なんて可哀想なくらい勤王派だった。(チューダー朝やスチュアート朝の憲政史は面白いんだけど、語り出せばキリが無くて本が数冊できてしまうので割愛する。)

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(左: チャールズ1世  / チャールズ2世 / ジェイムズ1世 / 右ジョン・エリオット卿)

  日本人は天皇陛下と共に生きていることを当然と見なしているから、皇室伝統の有り難さに気づかない場合がある。運転免許証の更新やカレンダーの印刷くらいで元号を廃止しようなんて愚の骨頂だ。イギリス人はオリヴァー・クロムエルの時代に君主政を廃止してしまい、チャールス1世を斬首刑にした後で騒然となった歴史がある。共和主義者だったジェイムズ・ハリントン(James Harrington)だって、囚人のチャールズ国王と話しているうちにと、その魅力と人格に惹かれてしまい、王様の処刑に愕然としたくらいだ。護国卿のクロムウェルが亡くなると、息子のリチャードが後継者となったが、1年も経たぬうちにお払い箱。「やっぱりイングランドには王様がいなきゃ」と思ったイギリス人は、君主制が恋しくてしょうがない。そこで、戻ってきたチャールズ2世を大歓迎となった次第である。

  一方、フランス人は底抜けのアホで、ルイ16世とマリー・アントワネットを処刑したら、独裁者のナポレオンが皇帝になってしまった。革命と一連の対外戦争でフランス人の数は激減。ブルボン王朝が復活しなかったフランスでは、政体が猫の目のように変わってダッチ・ロールを繰り返すばかり。しかもドイツ人に負けっぱなしで、アメリカ人に2度も助けられる始末。インドシナでは日本軍にボロ負けで、皇軍が去ったあとで戻ってみたら、現地人に追い出されたんだから情けない。結局、フランスの栄光は王様がいた時代だけである。でも、過去の誇りだけが生き甲斐のフランス人は、口が裂けても「日本は天皇が存続するからいいなぁ」と羨むことはない。これを胸の中でつぶやくフランス人はまだマシな方で、君主政の有り難さを分からぬ唐変木(とうへんぼく)が大半なのだ。もっとも、現在のフランス共和国は、北アフリカの有色人種や東歐人の流民を祖先に持つ「ごちゃ混ぜのフランス人」が主流だから仕方ないのかも知れない。日本人は頓馬なヨーロッパ人や君主政の意味が理解できぬアメリカ人の意見に左右されてはならない。ましてやNHKやTBS、朝日新聞、共同通信に潜む左翼分子の不平など足蹴りにするのが賢明だ。天皇陛下が君臨する日本に住む我々は、嬉しい時も悲しい時も常に陛下と一緒という気分になれる。陛下のご尊顔を拝めば心が弾む、という感情に理屈は要らないだろう。幸せというのは案外目に見えず、普段の生活では気づかないものである。




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変節漢の法学者 / 左翼に貶められた皇室 (後編)

占領軍の提灯持ちになった憲法学者

 我が国の憲法学者にはロクな奴がいない。せめて、各大学から憲法学者を一掃できれば、少しは教育機関としての大学を取り戻すことができるんじゃないか。ただ、こうした有害教授を追放するのは、重金属まみれの汚染土を大学から除去して、近所の空き地に棄てるようなものだから、あまり根本的解決にはならないかも知れない。だから、どこかに幽閉して、寿命が尽きるまで待つしかないけど、こういった連中はしぶといから、正常な国民が彼らの動きを監視して、世間に復帰しないよう防止すべきである。そのためにも、「誰が」あるいは「どんな思想」が元兇なのか突き止めなければならない。マッカーサー憲法を批判する保守派論客は、占領軍の左翼分子ばかりに注目するが、それを陰で支えてきた日本の左翼分子も一緒に糾弾せねば片手落ちである。ということで、東京大学法学部の汚染源となった宮澤俊義に注目せねばならない。

Miyazawa_Toshiyoshi(左 / 宮澤俊義)
  憲法学者なら誰でも宮澤の真骨頂「八月革命説」を知っている。簡単に言えば、ポツダム宣言受諾により「革命」が起こったという屁理屈だ。この文言で「天皇主権」が放棄され、「国民主権」を受け容れたから、新憲法は国民によって制定されたと言うのである。でも結局、色々な言い訳をつけているが、敗戦で「総覧者」としての天皇が崩壊し、天皇が君臨する政体から人民が主流の政体に変わったと嘯(うそぶい)いているだけだ。敗戦後、宮澤は保身のためあれこれ考えて、日本には「革命(リヴォルーション)」が起こったのだ、と気がついたらしい。そこで、この風見鶏は自説を『世界文化』誌の1946年5月号(第1巻)に発表し、彼を「大先生」と仰ぐ仲間や弟子が「仰せの通り」と受け容れたから、現在の我々も従っているだけである。何てことはない、国民の多くは宮澤の処世術に相変わらず拘束されているのだ。宮澤の直弟子や孫弟子は口に出来ないが、敗戦国となった日本を実感した宮澤は、もう独立を失ってアメリカの従属国になったんだから、早いとこ占領軍に媚びてゴマを擦っておこうと考えたのである。情けないけど、文弱の憲法学者には尚武の精神はない。公職追放になったら御飯(おまんま)の食い上げになっちゃうから、宮澤は卑屈な米軍の提灯持ちになっても、栄光ある「教授の椅子」にしがみつきたかったのだろう。

  一般的に大学教授が書く学術論文は、難解で回りくどいものが多い。だから、普通の日本人がこんな文章を読めばすぐ飽きてしまうし、たとえ我慢して読み続けても理解不能となって途中で投げ出したくなる。「咀嚼(そしゃく)」どころではなく、「嘔吐(おうと)」を催すのが一般的だ。しかし、真新しい憲法を賞讃したい宮澤は、法理論を知らぬ少年少女にも布教したかったので、子供でもわかる『あたらしい憲法のはなし』( 朝日新聞社 昭和23年)という本を出版した。真っ赤な書籍を朝日新聞が発行するところなんぞ、左翼臭ぷんぷんで非常に香ばしい。ただ、子供向けの本だから、ごちゃごちゃとした議論や用語を極力避け、要点を簡潔に述べているので、法学部卒でない者でも明確に理解できる。本来、学者は“正直に”自らの見解を述べるべきだが、あまりにも分かりやすく発表すると、世間に自分の正体がバレてしまうので、ついつい本性を隠すような文章にしてしまうことが多い。この点だけは、宮澤は例外だった。

  宮澤の本には「突っ込みどころ」が満載で、「おかしい」箇所や「ねじ曲げた」解釈を挙げたら一冊の本が出来てしまうので、天皇に関する項目のみに絞って見て行きたい。では、宮澤は一体何を語ったのか? 天皇についての記述を拾ってみよう。まず、「日本国憲法」の前文について、宮澤が記した説明がとんでもないものであった。

  明治憲法では主権は国民にあるのではなくて、主権は神にあるということになっていた。むかし、神さまが日本の政治は天皇制で行うべきだということを、おきめになった。そこでその神さまの意見に従って天皇制で政治を行うのだ、というのが明治憲法の考え方であった。(p.37)

  こんな風に言われれば、外国人じゃなくても学校に通う子供は、日本が神権政治(theocracy)の国であったと勘違いするだろう。大日本帝國憲法は天皇の由来や存在意義を陳述しただけで、天皇に絶対的支配権があるなどとは主張していない。明治天皇はロシアかモンゴルの専制君主ではなかったし、イスラム教世界の「カリフ」と「スルタン」を兼ねたような権力者でもなかった。ちなみに、スルタンは国家を支配する政治的指導者で、カリフは宗教界の最高指導者である。ただ、イスラム世界は政教分離の世俗社会ではなく、祭政一致の宗教帝國だから、預言者ムハッマドの後継者たるカリフは、とてつもない権力を有していた。カリフ制度のもとでは、民衆の総意が政治に反映されるのではなく、唯一絶対神のアッラーから賜るメッセージが最も尊重され、その御意を宗教指導者が解釈して政治を行うから、民衆(人間)による政治(デモクラシー)ではなく神権政治(セオクラシー)となるのだ。したがって、宮澤が描いた天皇像は、日本ではなくオリエント世界のどこかにある国の指導者をモデルにしていのであろう。

  日本の憲法学者というのは頭が赤く染まっているか、根性がひん曲がっているかのどちらかで、実際にある物事を素直に見ることができない。自分の固定観念にそぐわない現実を見ると、「現実」の方が間違っていると考えてしまうのだ。宮澤は天皇陛下が絶対神(天主/God)から最高権力を手渡されたと思っていたのだ。
 
  明治憲法では神勅主権が根本であった。(p.46)

  ここで宮澤が持ち出す「神勅主権」とは、どうやら中世ヨーロッパで流行っていた「神授権(Divine Right)」を指すようだ。彼は明治維新を経た日本が、天皇親政か天主政治の国と思っていたようだが、そんな風に考えていた日本人はいなかったはずである。いくら明治の元勲が天皇陛下の忠臣だからとて、後醍醐天皇を倣って明治大帝も御親政を、と進言するわけないだろう。たしかに、伊藤博文たちは頼山陽の『日本外史』を愛読していたが、建武の中興を理念としたのは、幕府を倒すためであって、明治天皇を絶対君主にするためではない。あくまでも、イングランドの國體(こくたい)を模範とし、輔弼と輔翼を支柱とする立憲君主を理想としていたのである。そもそも、伊藤博文が憲法学の泰斗であるルドルフ・フォン・グナイスト(Henrich Rudolf H.F. von Gneist)に助言を求めていたのだ。英国憲政に通じていたグナイストが、神授権を主張していたジェイムズ1世やチャールス1世の統治理念を推薦するのか? 「カミソリ陸奥」と呼ばれた陸奥宗光に至っては、ウィーン大学のロレンツ・フォン・シュタイン(Lorenz von Stein)博士のもとで直に勉強したんだぞ。ちょっとでも明治史を知っている者なら、宮澤の歪曲解釈なんて馬鹿らしくて聞いていられないだろう。

Rudolf von Gneist 1Lorenz von SteinIto Hirobumi 1Mutsu Munemitsu 1







(左: グナイスト / シュタイン / 伊藤博文 / 右: 陸奥宗光)

  よく、奇術師が口から次々とカードやコインを出す手品を披露することがある。宮澤も似たような才能があって、口から驚くほど沢山の嘘を吐き出すことができた。日本軍と戦ったアメリカ兵は、「ジャップどもはエンペラー(天皇)を神の化身と考えてやがる。なんて馬鹿な奴らだ。これだから未開部族には科学がわからないんだ」と嘲笑っていた。宮澤もこうした無知なアメリカ人と同じ認識を持っていたらしい。彼は子供たちを相手に、こう釘を刺していた。

  天皇ももとより人間である。生き神さまではない。(p.47)

  こういった愚者を目の前にすると、「あのよぉ~」と溜息が出てしまい、思いっきりハリセンで頭を叩きたくなる。日本人が「神」といった時、それはキリスト教でいう「ヤハウエ」とか「キリスト」を意味するのではない。神聖な存在とか霊的なもの、あるいは超越的な何かを指すから、「ゴッド (God)」と訳すのは間違いである。たまたま、明治期にキリスト教徒が「神」の翻訳語に使ったから混乱が生じたのである。八百万の神が宿る日本には、野球の神様からラーメンの神様までいるから、神様だって十人十色だ。便所の神様だっているんだから。それに、旅館に行けば「女将(おかみ)」が迎えてくれるし、長屋の大家とか棟梁の奥さんで母親みたいな「おかみさん」がいたりする。家庭に帰れば「カミさん」がいるんだから、日本にいくつ神がいるのか分からない。アメリカ人には理解できないだろうが、そのカミさんが怖~い鬼嫁だったりすれば、仏様に神頼みをするくらい日本人は混淆宗教に馴染んでいる。こう考えてみれば、日本人が天皇陛下を神聖な存在と見なしてもおかしくはないだろう。

  戦前、日本国民の多くが天皇陛下を「神様」のように大切にしたことは確かだが、それは「神々しい」権威者であったからで、ギリシア神話のアポロンやゼウスみたいな存在と信じていたわけではない。だいいち、昭和天皇に長く仕えていた西園寺公望や鈴木貫太郎が、陛下を「生き神様」と信じて、崇拝の対象にしていたなんてあり得ないだろう。文部大臣だった安倍能成(あべ・よししげ)が自叙伝の中で書いている。

  (昭和)二十一年の初頭に天皇自身の神性をを否定する詔勅を発布されたが、これは自明のことであって、私は一度も天皇の神性を信じたことなどはない。(『安倍能成 戦後の自叙伝』 日本図書センター 2003年 p.23)

  占領軍は日本人の「天皇崇拝」を破壊する為、先帝陛下に「人間宣言をしろ !」と強要したが、そんなものは端っから必要なかったのである。ちょっと考えて見れば分かるじゃないか。自分が世界を創造した「神様」なのに、わざわざ海洋生物を研究するわけないだろう。神の化身が顕微鏡をのぞいて熱心に魚介類の生態を調べなんて滑稽だ。昭和天皇よりイエズス・キリストの奇蹟を信じているアメリカ軍人の方が、遙かに迷信深いと笑われてしまうだろう。だって、キリストが盲(めくら)や聾(つんぼ)を治したとか、湖の上を歩いた、山を移動させたなんて話を、マッカーサー元帥は信じていたのだ。キリスト教を子供騙しと考えていた勝海舟や福澤諭吉のほうが、よっぽど近代的である。

  宮澤には「天皇制」を潰したいという密かな願望があった。出来れば占領軍が皇室を抹殺してくれれば手間が省けるんだが、どうもその様子がなかった。そこで、「民主主義」の力で皇室を過去の遺物として廃棄することを企んだのである。民衆に「国家の命運を決める主権があるんだから、いつだって皇室を潰すことができるんだよ !」と甘く囁いていたのだ。宮澤はさりげなくその可能性を仄めかしていた。

  主権は国民にある。だから、天皇制も国民の意志(民意)によってきまっいるのである。(p.47)

  つまり、「主権者」たる国民は、自分たちの意志で皇室をどう「処分」するか決めることができる、と述べていたのだ。なるほど、格下の地位に零落(おちぶ)れた天皇なら、上司たる人民がグビにしても不思議ではない。宮澤は悪魔の囁きを続ける。

  新憲法の皇室典範はただの法律であるから、国会が自由にきめるのであり、天皇もこれについて、口を出すことはできない。(p.53)

  「あれぇ~?」どこかで聞いたことのあるセリフだな。こんにちの有識者会議が口にしそうな言葉である。宮澤は未来を予言していたのか? いや、宮澤の思想が現在まで生き延びているのだ。皇室典範は「不磨の大典」じゃないから、どんどん人民が改変していいんだ、という発想が未だに憲法学者の間で継承されているのだ。陛下を憎む憲法学者は、「天皇は口出し」できないんだから、国民が自由に皇室典範を変えてしまおう、と提唱しているのである。普通の庶民なら畏れ多くて口に出来ないのに、大学から給料をもらう左翼分子は、平気で非常識を叫んでいるのだ。学校で恐ろしい「民主主義」、すなわち「人民主権」を吹き込まれた政治家は、皇族じゃなく民間人で「皇室会議」をつくり、勝手に皇室典範を“いじくろう”としているのである。それにしても、まだ未熟な子供に悪魔の思想を植え付けていたんだから、宮澤俊義こそ「悪魔の化身」じゃないのか。いくら東大の偉い先生でも、一皮剝けば「国民の敵」であった。

破廉恥な国際法学者

Yokota_KisaburoKanamori Tokujiro 1(左 / 横田喜三郎 / 右: 金森徳次郎)
  「恥知らず」とは「末代までの恥」を誡める家庭で育った者に対しての罵倒語である。「生き恥を晒すくらいなら腹を切れ !」と教えられた者でなければ、何が「恥」に当たるのかが分からない。東京大学には破廉恥漢が山のようにいるが、なかでも法学部教授で最高裁判事も務めた横田喜三郎は飛び抜けて酷かった。彼の『天皇制』という著書は、皇室廃止を狙った本として、一時期、読書階級の間でかなり話題となった。谷沢永一先生によると、叙勲を前にした横田自身が、天皇陛下を蔑んだ自著を「まずい」と思い、古本屋を巡って片っ端から買い漁ったという逸話がある。一般国民の目に触れたら恥ずかしいから、自分で回収し灰にしたのかも知れない。今では一部の大学図書館でしかお目にかかれない珍品である。通りで、こんなつまらない本が古本業界で高値になる訳だ。

  皇室問題を語る憲法学者は「象徴天皇制」という政治用語が大好きである。マッカーサー憲法で国家元首から「象徴天皇」に変わった天皇像を盛んに宣伝しているのだ。もともと、「象徴(シンボル)」という言葉じたいに悪意はないから、天皇陛下が日本の象徴になってもおかしくはない。天皇機関説の側にいた憲法学者の金森徳次郎は、吉田内閣で国務大臣を務めたことで知られているが、金森は「象徴」となった天皇陛下を説明するにあたって、次のように語っていた。

    富士山は日本の国土の象徴であるが、その内容は富士山を見ることによって日本国土そのものが直感的に理解される、という考えに基づく。桜が咲けば春が来たと思うのは自然な考え方である。すなわち、春そのものは直ちに人が知りうるものでは。けれど、この桜が咲くことによって知るわけで、この意味において、桜は春の象徴であると言えるのだ。(金森徳次郎 「天皇制」 『憲法十講』 民衆大学協会 昭和22年 p.58)

  一般の日本人が金森の比喩を聞けば、大した反論もなく納得することだろう。もし、外国人から日本を代表人物は誰なのか、と訊かれれば、我々は真っ先に天皇陛下を思い浮かべるだろう。我が国を代表し、国家元首に相応しいのは、絶対に天皇陛下である。安倍首相は陛下の筆頭代官であり、民衆から選ばれたといっても、せいぜい行政長官の職に就いている宮廷執事(minister)に過ぎない。想像するのも嫌だけど、鳩山由紀夫や菅直人みたいな奴が日本の顔だったら嫌だ。野田佳彦なんかドジョウ掬いをしている上島竜兵(藝人)みたいだし、蓮舫なんか論外で、日本人じゃなくて支那か台湾の代表に見えてしまう。蓮舫はさっさと政界を引退し、「たけし軍団」に所属して、お笑い番組の司会者にでもなればいいんじゃないか。その方が似合っているぞ。 

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(左: 鳩山由紀夫 / 菅直人 /野田佳彦 / 右: 福田康夫)

  いくら日本がおちぶれたって、国民は野田が「国父」で蓮舫が「国母」なんて決して認めないぞ。それに、地震や火災に遭った日本人が、あの気持ち悪い菅直人の顔を見て喜ぶのか? 仕事の都合で外国に派遣された日本人が、滞在先に福田康夫みたいな外相や首相が来たからといって、歓迎式典に参加したいなんて思わないだろう。出来れば無視したい、というのが本音だ。あんな総理じゃ恥ずかしいから、現地の友人に知られないうちに、そっと帰ってくれと願うんじゃないか。そういえば以前、テレビ朝日や産経新聞は、鳩山由紀夫の幸夫人や安倍首相の昭恵夫人を「ファースト・レディー」と呼んでいたが、だとすると皇后陛下や雅子妃殿下は何番目の「レディー」なのか? まさか、皇后陛下を「セカンド・レディー」とは呼ばないよな ! 我が国のマスコミだと何を言い出すかわかったもんじゃないから不安だ。赤い憲法学者が何と言おうとも、「国父」は天皇陛下で、「国母」は皇后陛下である。

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( 天皇皇后両陛下/     鳩山幸 /  安倍昭恵)

  我が国がもつ悠久の歴史と文化を代表し、國體の神髄を象徴するのが天皇陛下というなら、「象徴」でもいい。しかし、横田の如き左翼学者が「象徴」なる言葉を使う時には、別の意味を含んでいるのだ。横田は「天皇なんてのは、たたが象徴に過ぎないんだから、どうだっていいんだよ !」という態度を取っている。

  天皇が日本の国家と国民統合を目に見えるように感じさせることによって、法律的にどういう意味があり、どういう効果があるであろうか。ほとんど理解できないことである。これらの点から見て、天皇が象徴であることそのことは、あまり重要ではない。(横田喜三郎 『天皇制』 労働文化社 昭和24年 p.65)

  驚いたことに、横田は君主である陛下を重要と見なしていないのだ。もし、陛下が国家元首でないのであれば、なぜ外国の大使が日本に赴任してくると、真っ先に天皇陛下のもとへ拝謁しようとするのか? 横田は答えられまい。外国からの使節は、天皇陛下が日本の君主だと思っているから、馬車に乗って陛下のもとへやって来るのだ。マクドナルドのドライブ・スルーでハンバーガーを買った帰りに、陛下のところへついでに立ち寄ったわけじゃないぞ。横田は陛下を日本の代表とみなす民衆を、それとなく馬鹿にしている。この不遜な学者は、さらにとんでもないことを述べていた。

  天皇が象徴であることは、天皇を見ることによって、日本の国家と国民統合を目に見るという感じるということだけで、あまり重要なことではない。目に見えないものを目に見るように感じるという点で、知的に訓練されていない人の理解を容易にするという利益はあるが、ただそれだけである。(上掲書 pp.64-65)

  何だよ「知的に訓練されていない人」って?  要するに、天皇陛下を拝して喜んでいる国民は、知能が低いとでも言いたいんじゃないか。そんなに東大教授ってのは偉いのか? 左翼知識人は事ある毎に「国民が一番」とか「民衆を大切にせよ」と口走るくせに、心の底では「無知無学の群集」と蔑んでいるのだろう。横田にしたら、東大に合格できない一般人は、偶像を崇拝する低能児としか思えないのだ。

  ところが、横田は天皇陛下が主権者でも元首でもなくなったことに感動していたから、天皇なんかより新たに主権者となった人民の方が重要だとみなしていた。横田は敗戦で陛下が国家元首の地位から蹴り落とされて、よほど嬉しかったのか、「国民が主権者 !」と民衆を持ち上げていた。

    象徴は代表ではない。したがって、天皇は日本の国家や国民を代表するものではない。また、象徴は主権者や元首ではない。したがって、天皇は日本の主権者でもなければ、元首でもない。・・・・それでは、日本の主権者はだれであるのか。日本の主権はどこにあるのか。それは日本の国民である。(『天皇制』 p.67)

  横田は念入りに強調していたが、この「国民」とは天皇を除いた国民であって、人民のことであるという。確かに、陛下は「国民」じゃないが、我々から隔離された存在ではないし、国民と相反する貴族でもない。日本の政治は陛下が君臨することで安泰し、陛下がいつも一緒だから国難に際して団結できるのだ。陛下と共に生きているのが伝統的な日本人である。ところが、横田は天皇陛下を日本から仲間はずれにしたくて堪らないのだろう。この学者は本当に「君民一体」の日本が嫌いなのだ。天皇陛下と臣下の国民を分離したい横田は、占領憲法をもちだして自己正当化に努めていた。

  このように、主権が国民にあって、天皇が単に象徴にすぎないことは、新憲法において、もっとも基本的なことである。(上掲書 p.67)

  マッカーサー憲法が陛下を「象徴」と規定したからといって、それがどうしたっていうんだ? 二千年以上苦楽を共にしてきた陛下と臣民の絆が、占領軍の意向で簡単に切断できると思っているのか? 金森大臣が述べていたが、天皇は国民感情の中心なのだ。「自然の間に天皇の一身に起こる苦難、幸福を、国民は自分の身の苦難、幸福のごとくにも考え、天皇に対して限りない愛着を感じ、また天皇に対して深い尊敬の念慮をもった」のである。(金森徳次郎 『憲法遺言』 学陽書房 昭和48年 p.19) 学者や占領軍がいくら陛下を貶めたくても、素朴に陛下を尊敬する日本人は、「象徴天皇制」なんていう穢らわしい共産党用語を好まない。左翼学者が「天皇!」と呼び捨てにするなら、我々は「天子さま」とお呼びして、陛下に手を振ったり敬礼したりして、彼らの存在を無視すべきだ。

  天皇陛下を呪う学者は、どうにかして皇室を潰したい。そこで、大衆を扇動して国民投票か何かで、合法的に廃絶したいと思っている。横田は国民が皇室廃絶傾けば、皇族をすべて始末できると期待していた節がある。天皇陛下が国民統合の象徴という地位に就くのは、日本国民の総意、すなわち「日本国民の多数の意志による」ものらしい。(上掲書 p.70) 横田は国民が陛下を皇位につけてやっているんだという印象を与えていた。

  国民の多数が天皇をこの地位につけ、日本の国家と国民統合の象徴とするのが適当であると考えたから、それに基づいて、天皇は象徴としての地位についているのである。・・・・天皇の地位は、国民から与えられたものである。国民の意志から伝来したものである。その結果として、もし国民が欲するならば、つまり、国民の多数が欲するならば、天皇の地位を廃止することもできる。天皇をもう国家と国民統合の象徴として認めることをやめ、天皇という地位そのもの、制度そのものを廃止することもできる。(p.70)

  横田は東京大学で学生たちに、「君達はエリートなんだから、一致協力して大衆を導き、天皇を抹殺するよう頑張るんだよ」と言いたかったのだ。警戒心の薄い若者をおだてながら、「皇室なんて君達の胸先三寸いつでも廃絶できるんだ」と煽っていたんだから、横田は教育者としても悪質である。

  現在のマッカーサー憲法は占領期に英語でつくられたのに、横田はまるで日本人が制定したかのように記していた。

  ポツダム宣言と降伏文書の受諾によって、日本の政治の最終的な形態は国民の意志によって決定されることらなった。天皇の地位も、それがどのようなものにせよ、国民の意志に基づくことになった。この地位は、後になって、新憲法で、日本の国家と国民統合の象徴ということに定められてのであるが、それを決定したのは、国民の意志である。(上掲書 p.72)

  軍事占領された日本で、国民の意志が反映された憲法なんてあるわけないだろう。密かに言論の検閲が行われ、気にくわないものや邪魔者は公職追放の対象者にされたのだ。こんな時期に制定された憲法が、日本の國體を尊重していたなんて思えない。アメリカ軍の支配を受け、「戦争犯罪者」の烙印を押された国民に、占領軍が命じた憲法を撥ねつける拒否権があったのか? ちょっと考えれば誰れにでも分かるじゃないか。だいたい、占領軍憲法が国会で全会一致を以て採択されたなんて、アメリカ国民の方が驚いてしまい、俄に信じないだろう。アメリカなら国家の基本法を論ずれば、必ずや全国各地で熱弁が飛び交い、最終的に51対49の僅差で可決されるのが普通である。もっとも、占領軍憲法は合衆国憲法とまったく異質な憲法典だから、正常なアメリカ国民だと歯牙にもにも掛けないだろう。だから、「国民の意志で決定された」なんてセリフは、もう馬鹿らしくて聞いていられないのだ。横田は平気で嘘がつける学者であった。

  それにしても、これほどまでに天皇陛下を侮辱した者が、最高裁判事になれて、文化勲章や勲一等旭日大綬章をもらえたんだから、仰天しても足りないくらいである。一体、横田はどんな顔をぶら下げて陛下の前に立ったんだ? かつて、無礼な言論を吐きまくった憲法学者が、勲章がもらえるとなったら急に天皇支持者になったのだ。普通の日本人なら横田を「破廉恥」と呼び、みんなで陰口をたたくだろう。横田本人だって、世間からの冷たい視線を感じたはずだ。でも、ひとつだけ知りたいことがある。昭和天皇は横田の『天皇制』について、側近から何か聞いていたのだろうか? 陛下は単に、最高裁判事を務め国際法の分野で著名な学者として、横田を叙勲されたのかも知れない。ただ、昭和天皇なら横田の著書を知っても、「あっ、そう」とあっけないお言葉を発して、淡々と勲章を授けた可能性もある。まぁ、昭和聖帝は寛大な君主であらせられたから、占領軍に怖じ気づいた横田を許してやったのかも知れない。本当に、左翼学者は日本に生まれて良かったね。北鮮や支那、ソ連なら強制収容所に放り込まれているぞ。




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