無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

皇室伝統

帰化人は皇室に忠誠を誓うのか? / 国民の条件 (前編)

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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新時代を祝う国民と気にしない「国民」

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  平成が終わって令和の時代になった。元号が変わると、「やはり日本は皇室を中心とした同族的国家なのだ !」という実感が湧く。いくらマスコミや大学の左翼が皇室を貶しても、一般国民は陛下の譲位に関心があるし、皇位に就かれた新天皇を祝福する気持ちでいっぱいだ。巷の庶民は「平成最後」という言葉に様々な思いを込める一方で、「令和」という新元号を刻印した記念品に殺到したりする。日本人は悠久の歴史に愛着を持つ一方で、来たるべき未来に期待を抱く。たぶん、日本には四季があって、それぞれに趣があるから、時の変化を楽しむ風習があるんだろう。春には桜が満開となるし、秋には紅葉が鮮やかに広がって綺麗だ。夏は太陽の光が燦々と降り注ぎ、冬になれば雪景色となる。支那大陸だと全く逆。王朝が交代すれば大虐殺と略奪・放火の生き地獄になるし、街中には絶えず有害物質が漂い、黄砂と粉塵が吹き荒れている。河川は汚水で七色に輝き、死んだ魚が浮いている。大地を見渡せば、一面が重金属まみれだ。しかも、住んでいる人間が極悪人と詐欺師ばかりときている。これじゃあ、日本に移住したがるのも当然だ。

  我々日本人は即位の儀式やパレードに夢中になっていたが、日本に帰化した朝鮮人や支那人、フィリピン人やベトナム人は、伝統的な践祚に関してどんな気持ちを抱いていたのか? アジア系「国民」には、「我から陛下」という意識があるのかどうか疑わしい。というのも、帰化人を対象にした全国調査が無いからだ。毎年大量のアジア人が日本国籍をもらっているのに、日本政府が帰化の実態を調べようとしないのはおかしい。日本の国籍を取得するというのは、国家と皇室に対して忠誠を誓い、陛下の国民として生きて行くはずなんだが、受け容れる日系国民は移民がどんな「国民」になるのかに興味が無いのだ。帰化人というのは日系国民にとって、対等な権利と義務を持つ「同胞」なのか、それとも単に旅券を持つだけの「外人」なのか、今ひとつ明確ではない。

  一般の日本人は敢えて口にしないが、朝鮮人や支那人は帰化しても「日本人」とはならない。なぜなら、日本人とは「日本人の両親から生まれた者」と思われているからだ。だいたい、帰化申請の書類を揃えたくらいで「日本人」になれると考える方がどうかしている。 気にしない振りをしている周囲の者だって、帰化鮮人が何か妙な事をすれば、「あの人、朝鮮人だからさぁ・・・」と囁くんじゃないか。ただ、片親が外国人という混血児がいるので、一概に彼らを「非日本人」とは言えまい。実際、混血児でもほぼ日本人になっている子供がいる。だが、それは親が西歐人の場合だ。例えば、父親がイギリス人とか、母親がドイツ人なら、混血児は友達に血統を隠そうとはしないし、堂々と親の人種や国籍を披露できる。まぁ、外見で判るから隠しても無駄だろう。日独混血児はゲルマン人の血筋を恥じないし、同級生の日本人も馬鹿にすることはない。それに、親がドイツ文化を誇りに思い、自信を持って子供に伝えようとするから、小学生でもゲルマン魂の素晴らしさが解る。いくら「戦争犯罪」の烙印を押されたとはいえ、ドイツは帝国陸軍や教養人が憧れた国だから、知識の無い子供でも何らかの敬意は持っているはずだ。

  日本では、「朝鮮ブランド」は無きに等しい。例えば、小学生だって「メルセデス・ベンツ」や「ポルシェ」「BMW」といったドイツ車を見た後で、「現代(ヒュンダイ)」や「起亜(キア)」といった朝鮮車を目にすれば、「えっ、何、このパクリ自動車?」と呆れてしまい、「うわ、格好悪い !」と小馬鹿にするだろう。ましてや、高額所得者の医者や弁護士ともなれば、南鮮のクルマなんて見向きもしないし、購入するときの選択肢にすら入らない。朝鮮人が作るスマートフォンは「小型爆弾」と揶揄されるし、国産戦車は世界に向けての“恥さらし”となっている。主力戦車であるはずの「K1A1」は120ミリ砲を搭載するが亀のようにノロノロ走行。第三世代の戦車なのに第二世代に退化するなんて前代未聞だ。(でも、さぁ~すが、韓国軍。やることが「ひと味」違う。) そこで、K2戦車「黒豹」を作るが、これも使い物にならなくて、公園か動物園での展示物となっている。「雷鳴」と呼ばれるK9自走砲も欠陥品で、命中率は最低だ。ご自慢の155mm砲が凄いのは音だけ。水陸両用に作られた「K21戦闘歩兵車」は水に浮かぶはずが、水中に入ると沈没。南鮮の子供は、素晴らしい国産装甲車を見て「わぁぁ、すごい。潜水艦だ!」と大喜び。隣の親は青色吐息となる。

  話を戻す。日本で育つ混血児でも、父親が朝鮮人とか母親が支那人という場合は違う。支那系や朝鮮系の子供は、なるべく自分の出自を隠そうとするし、親の出身国を自慢することもない。子供というのは智慧が足りなくても直感力は鋭く、大人が抱く本音に敏感だ。いくら朝鮮人の親が出身国の文化を自慢しても、「そんなの学校の友達に笑われちゃうよ」と反論し、却って朝鮮文化に反撥を覚えてしまうのだ。上等な日本で成長すれば、朝鮮の野暮ったい民謡や踊り、祭祀をアホらしく思ってしまうだろう。朝鮮老人が自慢する「アリラン」を聴けば、「何、あの奇妙な歌 ! 気持ち悪い !」と吐き捨てる。また、チマ・チョゴリなんてダサ過ぎて着ることも出来ない。ファッションにうるさい女の子だと、囚人服より酷いと思ってしまうだろう。また、朝鮮の「ナムサダン(男寺党)」を見れば、「イカれた新興宗教」にしか思えない。在日鮮人にとって恥辱なのは、朝鮮人特有の風習や行動様式だ。例えば、朝鮮のババアは何らかの悲運に見舞われ、他人から蔑ろにされれば、地べたにしゃがんで泣き崩れる。こんなのは本当にみっともない。日本人はおろか、在日鮮人でさえ「私はあんな人達とは違うの !」と毛嫌いし、即座に絶交したくなる。

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(写真  /  日本人から啓蒙される前の朝鮮人)

  よく歌手や俳優になった帰化朝鮮人が出自を隠して藝能界で暮らすのも、朝鮮のイメージが悪いと解っているからだ。彼らは学校の同級生にも告白できないし、自分の過去を闇に葬りたいと思っている。そもそも、朝鮮人に生まれて何かプラスのことがあるのか? 「チョウセンジン」という言葉を耳にすれば、特別な戦慄を背中に覚え、「韓国人だよ !」と言い返したくなる。民族の壁は目に見えないのに、厳然と聳え立っているから、朝鮮系混血児は幼い頃から劣等感に苛まれ、ひねくれたまま大人になってしまうのだ。彼らが確信的反日、あるいは無意識の反日であるのは、日教組による洗脳もあるが、各細胞から滲み出る怨念のせいである。朝鮮人は驚くほど自尊心が強い。しかし、日本人にかなわないと解っている。この屈辱的な感情を癒やすには、身を燃やすほどの反日思想しかない。かつて、朝鮮人が強制連行説にこだわったのは、親子代々日本に住み着く“やましさ“を隠すためである。もし、「正当」な理由が無いと、日本人から「朝鮮に帰れ !」と言われたとき反論できない。だが、「日本人が無理矢理連れてきたから、日本に住む破目になったのだ」という「過去」を作れば、日本人に逆襲できる。大抵の日本人は歴史に無知だから、仔犬のように尻尾を挟んで怯む。だが、最近ではその捏造史がバレて、朝鮮人は武器を失ってしまった。

  日本人は天皇陛下を「元首」とか「国父」、「大元帥」と思っているから自然と敬愛できるが、アジア系国民は同じ気持ちを抱くことができない。普通に考えれば、いくら日本国籍を取得したからといって、フィリピン人やベトナム人が皇室の祭祀を尊重することはないだろう。彼らは天皇陛下を「我らが君主」と呼ぶことができるのか? また、イスラム教徒の帰化人が日本文化に同化するとは思えない。なぜなら、彼らの主はアッラーのみだからである。天皇陛下は単なる異教徒の酋長にすぎない。イスラム教徒にとって皇室が大切にする三種の神器は骨董品の類いで、大嘗祭と聞いても、「へぇ~、何だそれ?」と馬耳東風。彼らにしたら、天皇陛下が五穀豊穣を願おうが、四方拝を行おうが、どうでもいい。そんなのはコーランに関係ないから無視。現在、インドネシアからは国籍目当ての介護師がたくさん来ているけど、イスラム教徒のマレー人は靖国神社とか明治神宮、宮城(江戸城)に集まる日本人をどう思っているのか? 彼らが日系人と同じような愛国心を持つとは考えにくい。

ブリテン国民を憎むエイリアン

  人間が持つ肉体と精神は分離したものではなく、密接に連動するものである。種族が違えば、その精神が異なっていても当然だ。しかし、多民族主義に冒されたブリテン人は、国内が様々な民族で分裂しているのに、あたかも統一されているかのように思い込んでいる。なるほど、エリザベス女王は多くの国民から慕われているんだろう。だが、それは“藝人”へ注がれる「注目」であって、同じ血族からの愛情ではない。イングランドの国王はスコットランド国王を兼任して、イギリス人とスコット人の君主となっているのに、今じゃパキスタン人やケニア人を臣下とする皇帝になっている。つまり、オリエントの専制君主と同じ類いだ。たぶん、雑多な民族には難しいことは解らないから、とりあえず「帝國に君臨する支配者」、あるいは誰でも崇拝できる「生き神様」にしておけ、という理屈なんだろう。だいたい、インドやエジプト、イラク、ケニアなどからやって来た移民には英国の歴史や伝統など解らないから、英国王室と貴族は伝統的儀式を壮大にし、女王の衣装も豪華にして、「お前らの御主人様は偉いんだぞ !」と教えているんじゃないか。いくら英語が上手でも、外来生物には「君民一体の感情」は無いから、支配階級のイギリス人は、金銀で飾った王宮とか宝石を身につけた女王を見せておけばいい、と思っている。

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(左 : ジョージ6世     /     エリザベス2世     /     ダイアナ妃      / 右 : ウィリアム王子 )

  ブリテン島に住む雑種民族には、日本人のような尊王精神が無い。アングロ・サクソン人の子孫なら、中世のイギリス人が持っていた愛国心や名誉の概念を継承できるが、ジャマイカ人やトルコ人、シリア人、ユダヤ人にそんな感情を求めても無駄である。そもそも、こうした帰化人にはイングランドへの愛着心すら無いのだ。ユダヤ人などは何百年住もうがエイリアンのままである。首相になったベンジャミン・ディズレイリはヴィクトリア女王の忠臣となっていたが、それは衮龍(こんりゅう)の袖に隠れる「宮廷ユダヤ人」と同じで、寵愛を受けたメルボルン卿のウィリアム・ラム(William Lamb, Viscount Melbourne)とは別物だ。一般のイギリス人はおぞましい顔つきの首相を「ユダヤ人」と蔑んでいた。たとえ歴史家がディズレイリを「名宰相」と呼んでも、アングロ・サクソン人からすれば「よそ者」だ。自分たちを率いる「仲間」ではない。

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(左 : メルボルン卿     /     中央 : ヴィクトリア女王      /    右 : ベンジャミン・ディズレイリ )

  現在の英国にはもう目が眩むほど異人種が住んでいる。例えば、ジャーナリストのアフア・ヒルシュ(Afua Hirsch)は、イングランドに寄生する外人(エイリアン)の典型だ。彼女の父親はユダヤ人で、母親はガーナ人である。父方の祖父ハンス(Hans)はドイツから逃れてきたユダヤ人で、ケント地方に居を構えるとイギリス人女性と結婚した。翻って、母方の祖父はガーナからやって来た留学生。(Jennifer Lipman, "Afua Hirsch : Asking the difficult questions on identit", The Jewish Chronicle, January 22, 2018)  ただし、ケンブリッジ大学に入ることができたのは、政治的配慮があったからだろう。おそらく、卒業後ガーナに戻って政界に入り、イギリス人の意向に沿って動いてもらうためだ。つまり、アフアの祖父はイギリス人支配者が利用する黒い駒(pawn)というわけ。

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(左 : アフア・ヒルシュ  / 中央 : 幼いアフアと両親   /  右 : ノルウェー人の子供 )

  アフアは「ブリテン国民」といっても、実態は「ガーナ系ユダヤ人」で、とてもイギリス人には見えない。確かに、父方の祖母により4分の1だけイギリス人なんだけど、遺伝子の75%は外国人である。しかも、彼女の人生は複雑だ。アフアが生まれたのはノルウェーのスタヴァンゲル(Stavanger)。近所の子供達は白い肌を持つノルマン人ばかり。彼女はまるで白鳥の群れに交じったカラスの如き存在だ。いくら子供だって鏡を見れば現実が解る。スカンジナヴィア人は郷土愛から有色人種を排斥するが、アフアにとったら極右分子にしか思えない。これなら、彼女がノルウェー人を「敵」と思っても不思議じゃない。アフアはスウェーデンの「言葉狩り」にも触れていた。従来、スウェーデン人は黒人を呼ぶとき、ラテン語由来の「ネガー(neger)」を用いていたが、PC(政治的に正しい思想)の影響で変化が生じ、「スヴァート(svart / 黒い)」なる言葉で黒人を呼ぶようになったそうだ。こんな言い換えは欺瞞だが、PCを恐れる北歐人はなるべく人種的対立を避けようと、過度に気を配っている。でも、これは黒人を見下した態度じゃないのか。「黒い肌が悪い」というのはヨーロッパ人の価値観で、アフリカ人の美意識と反している。だが、差別を糾弾する黒人にも非がある。マーティン・ルーサー・キング牧師のように「黒は美しい」と思えばばいいのに、歐米の黒人は矢鱈と白人の美意識を攻撃するから頭がおかしい。たぶん、白人に囲まれた黒人は、白い肌のゲルマン人を理想の人間と崇めているのだろう。白人に対する劣等感は根深く、ちょっとやそっとでは根絶できない。情けないけど、これが現実である。

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(左 : 続々と増えるアフリカ系ブリテン人  /  右 : 珍しくなったゲルマン系イギリス人)

  成長したアフアは英国のウィンブルドンに移り住んだ。しかし、彼女にはイングランドへの愛国心は無い。むしろ憎しみに満ちている。例えば、彼女は有名なロバート・ベーデン・パウエル(Robert Stephenson Smyth Baden-Powell)中将を嫌っていた。ベーデン・パウェル将軍と言えば、ボーイ・スカウト運動の創設者として世界的に有名で、日本で多少は知られている人物だ。ちょっと意外だけど、ジョージ5世の戴冠式に訪英した乃木希典大将も会っている。明治44年6月、乃木大将は東郷平八郎元帥と共に英国を訪問し、ホレイショ・キッチナー(Horatio Herbert Kitchener)元帥の導きでベーデン・パウエル将軍率いるロンドン少年斥候隊(ボーイ・スカウト)を見学したという。(宿利重一 『乃木希典』 對胸舎、 昭和4年、pp.680-681)

Baden Powell 1(左  /  ベーデン・パウエル将軍)
   少年の軍事訓練に熱心なベーデン・パウエル卿は、教科書とも言える『Scouting for Boys』という著書を出版したが、この本を執筆した場所はウィンブルドンであった。地元のイギリス人はこれを自慢し、観光名所にしている。しかし、アフアは違っていた。彼女はガーナ人を苦しめたイングランドの軍人を恨んでいた。というのも、ベーデン・パウエル将軍は、かつてアフリカの黄金海岸で行われた「アングロ・アシャンティ戦争」に参加していたからだ。英国軍と闘ったアシャンティ族は、現在のガーナ辺りに住んでいた土人である。アフリカ人を苦しめたベーデン・パウエルは、アフアにとって不倶戴天の敵と言っていい。一方、ウィンブルドンの愛国的イギリス人からすれば、アフリカ人に親近感を覚え、イングランドの英雄を否定するアフアなど「同胞」ではない。

  混血児のアイデンティティーというのは複雑で、自分が何処に属するのか迷うことが多い。とりわけ、黒人と白人の間に生まれた子供は、白人社会からのけ者にされた末の黒人意識だから、何とも哀れである。アフアはユダヤ人に属するはずだが、本人にその意識は無い。たぶん、ユダヤ人の方も黒いアフアに親近感は無いはずだ。特に、東歐系ユダヤ人は自らを「白人」と思っているので、黒いアフリカ人や褐色のアラブ人を見下している。ユダヤ社会に属さないアフアにとって、本当の故郷(祖国)はガーナしかない。何年住もうともイングランドは仮の住まいで、テナントビルと一緒だ。ブリテン人に対する彼女の恨みは海より深い。アフアは言う。「帝國と奴隷制は正反対なの。今から考えてみれば、ブリテン人の誰もが同意すると思うけど、この国は歴史の間違った側にいたのよ !」(Jennifer Lipman, "Afua Hirsch : Asking the difficult questions on identit", The Jewish Chronicle, January 22, 2018)

  日本人なら解ると思うけど、こんな人物はイギリス人でもスコット人、ましてやブリテン人でもない。そんなにブリテンが嫌いなら、さっさとブリテン国籍を放棄してガーナに移住すればいいじゃないか。しかし、こうした左翼インテリは、絶対にブリテンを離れようとはしないものである。ブリテン王国でアイデンティティーを見つけられなかったアフアは、期待に胸を膨らませてアフリカに向かったそうだ。ところが、彼女が目にした祖国は忌むべきものだった。例えば、彼女が訪れたケニアでは、未だに植民地時代の人種的ピラミッド構造が残っており、白人が御主人様で、黒人が召使いとなっている。たまたま、アフアと友人(黒人)がガラガラのレストランに入ると、店員は席に案内することを拒んだ。なぜなら、この店は黒人が来る場所ではないからだ。

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(写真  /  暴動を起こしたアフリカ人)

  次に、アフアはセネガルへと向かった。しかし、ここでも災難が降りかかってきたそうだ。彼女は市場で頭のイカレた男に襲われたが、誰も助けてくれなかったという。被害者のアフアは腹の虫が治まらず、「ここの人達ときたら、私の生死など全く気にしないのよ !」と怒りを表した。(Bernardine Evaristo, "Broken Identity, The Times Literay Supplement, January 31, 2018) そこで、彼女はついに憧れのガーナに足を踏み入れた。ところが、ここでも幻滅を味わうことになる。気の毒としか言い様がないが、彼女は強盗に襲われたそうだ。恐怖に怯えるアフアは呟く。「私は強盗の目の中に、野蛮で飢えた憎しみを見たの。それは何処に行っても見かけたし、常にあるものなのよ」、と。アフリカを巡って散々な目に遭ったアフアは、ある結論に辿り着いたという。

   ブリテンは私の家なの。なぜかって。簡単に言えば、他に行くところが無いから。

  こうした発言を聞けば、イギリス人じゃない我々でも呆れてしまうじゃないか。散々、イングランドの悪口を言って、ガーナ人の民族性を誇っていた黒人が、最終的に「やっぱり、イングランドが一番いいよねぇ~」じゃ頭をひっぱたきたくなる。アフアはこれからも英国に関する文句や批判をコラムに書いて、人気ジャーナリストの地位を保ってゆくに違いない。日本でもそうだけど、左翼知識人というのは、自国に悪態をつきながら、その国に住み続けている。在日朝鮮人や帰化鮮人も同じで、日本を呪うのに決して故郷に戻らない。日本人による差別が嫌なら、同胞のもとへ帰ればいいのに、いつまで経っても日本に居残り、日本人と結婚すれば日本国籍を取ってしまうのだ。しかし、彼らは決して皇室に忠誠を誓うの臣下とはならない。「天皇なんか赤の他人だ」と思っている。一体、何名の帰化鮮人や帰化支那人が、天皇陛下のパレードに駆けつけ、国旗を持ちながら陛下に手を振っていたのか?  反天皇集会になら、帰化鮮人がいそうだけどねぇ~。

  後編に続く。


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皇室を蔑ろにする学校教育

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教科書が無視する国家元首

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  もう間もなく平成が終わり、新たな元号を迎えることとなる。今上陛下が譲位をなされ、皇太子殿下が即位なされると聞けば、やはり日本は君主国だと実感するし、皇統が存続するのが嬉しい。ところが、不思議なことに、日本の学校では皇室や神道についてほとんど教えることが無いのだ。天皇陛下が日本の国家元首で、国體(constitution)の中枢なのに、社会科の教科書では全くと言っていいほど触れられていないんだからおかしい。

  また、いくら政教分離の原則があるからといって、日本古来の信仰を無視するなんて馬鹿げている。日本各地に神社があり、夏祭りともなれば皆で御神輿を担ぎ、元旦には大勢の参拝客が来るんだから、少しくらい神道の由来や重要性を教えたっていいんじゃないか。我々が英語を学び、西歐史を勉強するとき、キリスト教を抜いたら牛肉の無いハンバーガーを食べているようで味気ない。もし、西歐諸国でサンタクロースとイエズス・キリストの違いが分からぬ高校生がいたら、アホというより相当な重症患者である。しかし、日本の中学生や高校生だと、「皇室って何?」と真面目な顔で訊いてくる。まぁ、学校の先生が教えてくれないからしょうがない。でも、ちょっと頭の弱い女子高生だと心配だ。こうした少女は「禁裡(きんり)」と耳にすれば、「麒麟(キリン)?」と聞き直してくる。だから、親はちゃんと「天皇陛下がお住まいになる宮中のことだよ」と教えてあげないといけない。ところが、最近だと親も無知だから、一緒に「何だろう?」と首を傾げてしまうのだ。

外国の教科書なのか?

  以前、「学び舎」の歴史教科書『ともに学ぶ人間の歴史』が話題となったので、筆者も購入して読んでみたが、その内容と指導方針に腰を抜かすほど驚いた。(「国民の歴史」なら分かるけど、「人間の歴史」って何だ? もしかしたら、「地球市民の歴史」と言いたかったりして。) 一応、日本語で書かれているが「一体、どこの国で使う教科書なんだ?」と疑いたくなるほど呆れてしまう代物なのだ。筆者は中学校で習った内容を覚えていないから、どうこう言えないが、「ここまで酷いとは・・・」と絶句したくなる。この教科書はなるべく皇室のことには触れないよう努めており、明治大帝の記述はあっても、"ほんの"ちょっぴり。仕方ないから大日本帝国憲法のことに言及するが、見出しには「天皇主権の憲法」と掲げ、「大日本帝国憲法は、天皇が主権をもつと定めています」と書いている。(『ともに学ぶ 人間の歴史』学び舎、2018年 p. 186) 

  もう呆れてしまうが、もし天皇陛下が「主権」を持っているなら、陛下が勝手に憲法を修正したり、廃絶しても良いことになるじゃないか。日本人は気づいていないけど、キリスト教では創造主ヤハウエが主権を持つから、不届き者を雷で成敗してもいいし、偶像崇拝者をイスラエル人が皆殺しにしても構わない。だいたい、維新の元勲を信頼し、国民を大切にしていた陛下が、ロシアの専制君主みたいに振る舞うのか? まったく、馬鹿げた記述だ。でも、教科書執筆者と政府の役人は、東大法学部の反日思想を忠実に受け継ぐから、誰が何と言おうとも絶対疑わない。

  もっと凄いのは、昭和天皇に関する記述が無い事だ。唯一の例外は、マッカーサー将軍と昭和天皇を撮影した写真だけ。(p. 259) あとは、日本を恨む記述がほとんど。例えば、米軍による空爆を語るページでは「町は火の海」(p.246)と題した記述で、原爆投下のページなにると「人間をかえせ」(p.250)、本土決戦の項では、女子学徒隊が手榴弾を投げる練習をしたとか、竹槍で突く訓練(p.252)をしましたと書き、もう暗黒史観のオンパレード。気分が落ち込むどころの話じゃない。日本人であることが厭になる。それどころが、この教科書には国民が如何に昭和天皇を愛したのか、その記述は微塵も無い。翻って、朝鮮人に対する記述は愛情と配慮に溢れている。左翼がよく引き合いに出す「三・一独立運動」となれば、丁寧な説明がなされ、「独立マンセー」との表題が附いている。おまけに、残虐な日本人によって「逮捕された柳寛順」の写真まで載せているのだ。(p.212)

  極左の執筆者はたとえ歴史を枉(ま)げようとも、日本軍の非道を宣伝したいのか、「南京事件」を取り上げ、日本軍は「国際法に反して大量の捕虜を殺害し、老人・女性・子どもをふくむ多数の市民を暴行・殺害しました」と書く。(p.235) さらに、今では見向きもされない笠原十九司(かさはら・とくし)の『体験者27人が語る南京事件』を引用し、夏淑琴(か・しゅくきん)のホラ話(p.235)を紹介する。まともな日本人なら「えっ、こんな本をまだ信じているの?!」と唖然とするが、「学ぶ会」代表の安井俊夫や不破修は確信犯だから何を言っても無駄。多少知識のある親だと、我が子の食事や健康に注意し、成人病の元になるジャンク・フードを禁止するだろう。ところが、子供の頭に詰め込まれる授業内容となれば無関心。有害思想が子供に注ぎ込まれているというのに、進学にしか興味がないんだから、教育ママというのは学歴しか考えない愚か者だ。

  それにしても、いくら義務教育とはいえ、無邪気な子供に極左思想を植え付けるなんて赦せない。文科省の官僚は、こんな教科書を用いて日本を愛する心を育成できると思っているのか? 左翼分子が公教育を握ると、国家は必然的に衰退する。日本が経済的に発展しても、軍事・外政の面で三流国になっているのは、国家を支える人間の「質」が劣化しているからだ。革命を夢見た教育界の左翼は、若者を反日分子へと育成し、革命予備軍を作ろうと必死である。それには、愛国精神の涵養とか民族精神の勃興は邪魔で、何としても撲滅せねばならない。

  ましてや、天皇陛下への敬愛なんて御法度だ。「天皇制」は「打倒すべき巨悪」なんだから、皇室への知識をゼロにして、天皇への嫌悪感をそれとなく匂わせるのが一番。(註 / 「天皇制」とは共産党用語で、朝鮮人が言う「日王」と同じくらい穢らわしい言葉である。) 露骨に天皇撲滅を書くと、世間の皇室支持者が騒ぐから、赤い執筆者は日本史に流れる尊皇主義を"それとなく"消去する、という手段を取る。皇室に関する知識を持たない若者にとって、陛下の存在は有名藝人程度。たとえ、皇室行事を聞いても、テレビ局のイベントくらいにしか思わない。神道の儀式などは、もう遠い外国の出来事と同じで、自分に関係ないとソッポを向く。ただし、皇室のスキャンダルともなれば興味津々。テレビや雑誌はこぞって暴き立て、皇族をリンチに掛ける。いかがわしい小室圭の執念を話題にし、秋篠宮家を総攻撃だ。週刊文春と週刊新潮はテレビの牽引役を引き受け、援護射撃にも抜かりがない。

天皇陛下に感動する日本国民

  神道に関する説明は色々あって、知識人による議論はまちまちだ。國學院大學の学長を務めた神道学者の河野省三によれば、神道は日本民族祖先以来の道で、その道は日本民族の性格に根ざした生活信条であるという。(『国民道徳本義』天地書房、昭和7年、p. 76.) また、神道は日本民族の伝統的信念、ならびに情操であるから、その本質は日本人の民族性、すなわち根本的国民性を基礎としているそうだ。(p.81) つまり、神道は壮大な思想体系を有する宗教ではなく、日本人の日常と密接に繋がっている自然崇拝なんだろう。

  日本人の信仰において、純粋な「心」はその中核を成している。河野氏によれば、日本人が先祖代々奉じた神道は、明き心を重んじ、黒(さたな)き心に反する潔い心であるという。(上掲書 p.84) 皇室と国民の関係も、こうした心に基づいている。天皇陛下に関しては様々な議論があるけど、皇室が存続しているのは、国民が陛下を敬愛し、陛下も国民を慈しんでいるからだろう。もし、こうした絆が無ければ、いくら皇室行事を華々しくしても、陛下への支持は続かないし、自然消滅は避けられない。だからこそ、左翼陣営はあの手この手を使って、何としても陛下と国民との紐帯を切断しようとするのだ。

 ということで、筆者は左翼が嫌がる天皇陛下の素晴らしいエピソードを紹介したい。明治大帝は庶民から熱烈に尊敬された天皇であるが、側近にとっても神様のような存在だった。当時の碩学で有名な元田永孚(もとだ・ながざね)も明治天皇に心酔した臣下の一人だ。元田は肥後熊本の出身で、家は五百五十石の士籍であったというから、立派な家系で育ったお坊ちゃんと言えるだろう。幼い頃から優秀な永孚は、成長すると数々の役職に就いていた。高瀬町奉行や藩侯の侍読を経て、皇室に召されると、明治天皇の侍講(じこう)になったのはご存じの通り。

Motoda 1 (左  / 元田永孚 )

  明治4年、陛下が御年二十の時、碩儒(せきじゅ)の元田は五十四歳であったというから、親子ほど歳の離れた関係である。陛下は彼を師父としていたく尊敬され、臣君水魚の御親しみがあったという。時は明治10年11月、菊花御宴の日のことだ。元田には陛下から「出師の表を吟(ぎん)ぜよ」との御諚(ごじょう)があった。そこで、元田は声を上げて十一、二句まで吟じたが、途中で声が枯れてしまい、その後の句を詠むことが出来なくなったという。すると、陛下は「元田に茶を与えよ」と仰せになったので、元田は茶を賜り、しばし喉を潤すと、調子を取り戻したのか、今度は楠正行(くすのき・まさつら)を詠じた自作の詩を吟じたそうである。そして、陛下は興味深くお聞きになったという。

  ところが、陛下の飲酒がお盛んになったので、西四辻(にしよつじ)侍従はちょっと心配になり、「度が過ぎるのでは・・・」と申し上げた。すると、陛下からは「案ずるな」というお達しを受けたそうである。そこで、西四辻侍従は機転を利かし、「さらば、しばらく御座を移して、菊畑の夜景をご覧遊ばされては」と申し上げたところ、陛下は意外なお言葉を口になされた。「菊花や月はいつでも観ることができるが、元田の詩は来年もその音声が今夜の如くとは限らない」と。「朕は菊花よりも元田の詩吟を愛する」と仰せられたのだ。これを聞いた元田は陛下の御前にもかかわらず、声を挙げて咽(むせ)び、陛下にひれ伏したまま、顔も上げられぬほど感激の涙を流したという。(小林彌一『隠れたる明治天皇の御聖徳』明治天皇聖徳會編纂部、昭和 13年、pp. 11-12) 

  明治大帝は素直に好みを語っただけなんだろうけど、こうしたお言葉を"さらり"と口になされるところが凄い。垢にまみれた政治家だと計算ずくのセリフとなってしまうが、明治大帝は心から元田の詩吟を楽しみ、そのお気持ちを自然と口になさった。日本人は陛下のこうした純粋な心に触れると、感情を揺さぶられ、思わず涙を流してしまうのだ。何ら見返りを求めない、「無垢な心」というのは滅多にあるもんじゃない。

  陛下が国民を如何に大切にしたか、その逸話を話すとキリがないけど、一つ紹介したい。明治22年、大日本帝国憲法が発布された時、東京の上野公園で大祝賀会が開かれることになったので、是非とも両陛下の御同列御臨幸を仰ぎたいという要請があったらしい。そこで、宮内省が陛下に奏請したところ、陛下は「ならぬ」と仰せられた。後に、狼狽した宮内官の話を耳にした伊藤博文は大いに驚き、早速参内して陛下に懇願したというが、やはり駄目だった。

  仕方なく御前を退くとき、伊藤公が「両陛下が御同列で御臨幸なされば、国民はどれくらい喜ぶことか」と独り言を呟いたそうだ。すると、陛下は「伊藤 !」と仰せになられた。伊藤公はハッと驚き、陛下に応え奉つると、陛下は「今、汝は何と言いしか」と御下問になったそうである。そこで、伊藤公は陛下の御同列があったら、さぞ国民は大いに喜ぶことでしょう、と申した。意外なことに、陛下は「確(し)かとそうか」と御念を押されたので、伊藤公は「左様でございます」と御答えしたところ、陛下は「国民が喜ぶのであれば」と仰ったそうである。かくして、2月12日、両陛下の御同列と御臨幸があったので、東京府民はもちろんのこと、遠い所からも国民が押し寄せて大賑わい。駆けつけた国民は両陛下を拝したことで感極まり、皆が万々歳の様子であったという。(上掲書 pp.25-27.)

Japanese people 2Japanese people 3










(左: 敗戦後の御巡幸で陛下を迎える人々  / 右: 天皇陛下に拝謁する平成の日本人 )

  現在でも、近くで皇室の行事があれば、ひと目陛下のお姿を拝見したい、と大勢の人々が集まるけど、明治の頃だともっと熱狂的な歓迎があったはずだ。近所のオっちやん、オバちやんたちも、「天子様がいらっしゃるそうだぞ!!」と大騒ぎになるから、あちこちの家庭でお出迎えの準備で忙しくなる。次に紹介するエピソードも感動的な話である。

  明治11年8月、陛下が北陸御巡幸の途中、新潟の行在所に立ち寄られた時の事である。陛下は伊東侍医を召され、「北越でよく眼病者を多く見受けるが、何故であるか細かに調べよ」と仰せられた。そこで、伊東侍医は直ちに病院へと向かい、その原因を問い質して伏奏に及んだそうである。しかし、陛下は更に懸念されたので、金1千円を賜り、「これで治療方法を講ぜよ」と仰せられた。側近の者はいたく感激し、これを聞いた新潟県民も深く陛下の御仁慈に浴して感泣したという。(上掲書 pp. 20-21.)

  こうした話を聞けば現在の日本人でも、当時の庶民が如何に陛下の聖恩に感激したのか分かるだろう。明治天皇はとにかく「国民第一」で、自らの生活よりも国民の生活の方が大切であった。しかし、なぜ陛下にまつわる素晴らしい話が中学や高校で無視されるのか? それは教育を支配する左翼陣営が困るからだ。「国民を慈しむ天皇」なんて絶対にダメ。もし、こんなことがバレたら、生徒が天皇陛下を尊敬しちゃうから全面禁止。日本の学校では北京政府も驚くほどの検閲が行われている。今のところ頼みの左翼議員が劣勢で、憎い皇室を廃止できないから、左翼教師は「皇室無視」の授業を行うしかない。ということで、当分の間は辛抱し、天皇は「セレブ程度」に留めておく。日本の学校教育では、決して「仰ぎ見る君主」にしないことが肝要になっている。

Emperor Akihito 3Empress Michiko 1Empeor Akihito 5












  皇室を潰したいテレビ局も同じ穴の狢(ムジナ)になっている。ワイドショーは皇室の宗教的儀式より、どんな元号になるのか、賭博業者のように新元号の予想に大はしゃぎ。民間企業の何社かは懸賞金や賞品を揃えて、民衆の意見や提案を募集していたけど、こんなのは競馬の予想屋と同じだ。テレビ局は毎日飽きもせず、皇室を低俗化することに熱心で、一般国民はこれに気づかない。悲しいけど、これが大衆化社会の実態である。皇族にスキャンダルがあれば、針の穴ほどであってもトンネルほどの穴に拡大しようとするのが反日メディアだ。眞子内親王殿下はもちろんのこと、佳子内親王殿下もアイドル歌手のように扱われ、視聴率稼ぎの道具に過ぎない。反論できぬ皇族を針で突く卑劣なやり方にはヘドが出る。不敬罪が無いから仕方ないけど、皇族とジャニーズ・タレントが同じレベルなんて嫌だよねぇ~。



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