無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

皇室伝統

皇室は日本の神髄 / 王室の撲滅を謀る左翼思想

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黒木 頼景
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家族的国民の宗教

Emperor 2Emperor 1












  今月、雨模様の中、我が国にとって大切な「即位の礼」が無事行われたが、奇跡的な晴れ間も現れて「えっっ~、天皇陛下はやっぱりずご~い !」と改めて感激した。しかし、残念なことに、こうした日本の慶事を喜ばない奴も多い。戦後の学校教育では、神道や皇室のことを禁忌とする教師が蠅のようにウジャウジャいるから、「天皇ってどうして偉いの?」と真顔で質問する子供がいたりする。ちょっと知識人ぶった高校生だと、「何だよ、偉そうにしやがって! 単に親が天皇だから息子が跡継ぎになっただけじゃないか!」と反撥し、今上陛下のテレビ映像を見ても知らん顔。まぁ、常識を弁えている普通の教師でさえ、大学で勉強しているうちに、ちょいと朱色に染まって、出来損ないのハンバーグみたいに「軽~い半生左翼」なんだから仕方がない。彼らは生徒の前であっても、平然と共産党用語の「天皇制」を口にし、「天皇が軍国主義の元兇なんだ」と教えて恥じず、これを正論と思っている。

  日本の学校で教えられる「社会科」、とりわけ歴史の授業(国史)は“異常”である。なぜならば、日本にとって重要な皇室や神道についての記述が全くと言っていいほど皆無で、仮にあったとしても芥子(けし)粒ほどだ。例えば、日本の有名私立学校でも使われている「学び舎」の歴史教科書『ともに学ぶ 人間の歴史』を開いてみれば解るじゃないか。まず、第1部の第1章からして、びっくり仰天。孫を持つお爺ちゃんなら、「これって、我が国の歴史を子供に教える教科書なのか?」と目を疑ってしまう内容なのだ。日本の歴史を教えるはずなのに、冒頭から「木から下りたサル」と題する文章で、人類の誕生を述べている。そして次に、栽培用の麦の種とか、家畜を使った農耕、さらに進んで、エジプト文明のピラミッドへと話が進んでいるのだ。24頁になっても朝廷の話じゃなく、「ナウマンゾウの化石が見つかりました」とのご報告。30頁から31頁にかけては、人類と火の関係を述べ、ご丁寧にも、木材を使って“どのように”「火おこし」するのか、と6枚の写真を用いてご説明。こんな調子なら、ついでに「子供の作り方」を写真で説明したらどうなんだ、と言いたくなる。

  「学び舎」の人気教科書は、長々とページを無駄にして「人間」の歴史を述べた後、40頁になってようやく「大海人皇子」の説明となる。だが、その前に、ちゃんと「倭軍」は白村江の戦いで唐の水軍と新羅軍とに敗れましたと記す。おそらく、反日の炎を燃やす執筆者たちは、「チビの日本人(倭人)」が立派な朝鮮人に負けちゃったんです、と言いたいんだろう。「さて、朝廷についての記述は?」と疑問に思って教科書に目を通すと、下の欄に短い脚注があるのだが、6行くらいの短い【「日本」と「天皇」】というコラムだけ。かいつまんで言えば、大和政権における最高の位は、それまで「大王」と呼ばれてきたが、天武天皇の頃から「天皇」を呼ばれるようになりました、とのことである。

  もう厭になるから、この辺でやめておくが、全編がこんな塩梅だ。『人間の歴史』を執筆したアカどもは、「これでもか!」これでもか !」といった陰湿な文章で、日本人の過去をこき下ろしている。44頁と45頁では、「防人の歌」を紹介し、有無を言わさぬ徴兵制の酷たらしさを示し、その次に、「のしかかる租庸調」との見出しを用いて、朝廷による重税・酷税を子供達の頭に刷り込んでいる。45頁の補足では、兵役や租税に苦しむ庶民が逃亡しました、と記すぼとの“ダメ押し”が附いている。日本を呪うのが趣味なのか、腹黒い執筆者たちは、朝廷が如何に百姓を苦しめたか、昔から日本人がどれほど残忍なのかを仄めかし、日本の歴史を執拗に「暗く」描いている。自問自答するのも馬鹿らしいが、こんな教科書で育った子供が、将来、国家・国民に尽くす自衛官や、公益を守る高級官僚、日本政府の舵取りを担う国会議員、そして皇室の楯となる愛国者になるのか?

  皇室は日本の國體(constitution)にとって一番の中核となるのに、日本の学校では“できるだけ”触れないよう心掛けている。これじゃあ、中学生や高校生が大人になった時、どうやって皇室伝統の重要性を認識し、男系男子の皇統を守ろうとするのか? 何の知識もない社会人が、いきなりテレビや新聞で皇室報道に接すれば、何となく「天皇陛下は偉い人」という感想は抱くが、「なぜ偉いのか」がその理由が解らず、「あまり触れてはいけない人物」と警戒するようになるだろう。それ以外の者は関心が無いから、「天皇なんて、どうでもいいや !」という態度になる。皇族への気持ちは各人様々だが、一般的に言えば、天皇皇后両陛下は週刊誌で取り上げられる「セレブリティー」に過ぎない。

  日本は原則上、「立憲君主国」となっているが、その「君主」に関する知識が乏しいというのは問題である。高校や大学で西洋史を習った人なら解るだろうが、王侯貴族やキリスト教を抜きにして、イングランドやフランス、ドイツ、スペイン、イタリアの歴史を学ぶなんて馬鹿げている。ヨーロッパのプロテスタント地域といえども、中世ではローマ・カトリック教会に属していたから、教皇と皇帝、あるいは封建領主や国王との関係は重要で、教会史を省いた西歐史は片手落ちである。一般の日本人はキリスト教に無関心だから気づかないが、西歐の文化や社会を理解するには神学者の主張や文献にまで手を伸ばさねばならない。

Thomas AquinasJohannes ChrysostomosGregory VIIIsidor_von_Sevilla









( 左 : 聖トマス・アクィナス  / 聖ヨハネス・クリゾストモス  / 教皇グレゴリウス7世   /  右 : セヴィーラのイシドールス )

  例えば、『告白』や『神の国』で知られるヒッポ(Hippo)の聖アウグスティヌ(Augustinus)や聖トマス・アクィナス(Thomas Aquinas)はもちろんのこと、東ローマ帝国の大神学者でコンスタンティノポリスの大司教だった聖ヨハネス・クリゾストモス(Johannes Chrysostomos)、ニッサ(Nyssa)のグレゴリウス、スコラ学のドゥンス・スコットゥス(Johannes Duns Scotus)、サン・ヴィクトルのフゴ(Hugues de Saint-Victor)、ライヘルスベルクのゲルホー(Gerhoch von Reichersberg)、スーゾのヘンリクス(Heinrich Seuse)、パドヴァのマルシウス(Marsilius von Padua)、セヴィーラのイシドールス(Isidorus Hispalensis)などが重要な神学者として挙げられる。(彼らの思想は西歐の政治史を研究する上で大変面白いが、説明すると長くなるので省略する。) ローマ教皇でも有名な神学論を展開した人がいて、聖ゲラシウス1世とかグレゴリウス7世、インノケンティウス3世などが有名だ。この他にも重要な修道士や教会法学者がいて、西歐文明の思想を理解するためには必ず学ばなければならない。でも、日本の歴史学者は信仰の内容とか神学論争には興味が無く、専ら合理主義とか民主主義に没頭するから、宗教に関しては適当にスキップすることが多い。(本当はダメなんだけど、大学院の「残りカス」が教授になるのでしょうがない。)

  筆者は「日本の学校で神道の教義を教えるべし」とは主張しないが、「なぜ、日本には皇室が必要なのか」や「どうして日本人は天皇陛下を敬愛してきたのか」については教えるべきだと思う。そうでないと、明治という時代が曖昧になるし、敗戦で打ちひしがれた国民が、なぜ昭和天皇を必死で守ろうとしたのか解らなくなるからだ。なるほど、一般国民の一人一人が神道の儀式を詳しく知る必要は無いが、日本人は太古の昔から皇室と一緒に歩んできたから、天皇と国民を繋ぐ紅い絆(crimson thread of kinship)くらいは知っておくべきだろう。政治理論の観点から言えば、天皇陛下は日本国の最高権威であると共に、國體の心臓、民族の矜持、悠久の歴史を象徴する国父である。だから、有事や天災が起こったとき、日本人は政治家よりも天皇陛下に注目するのだろう。法学部や社会学部の赤い大学教授どもは、現実を無視して「民主主義万歳」を熱心に唱えているが、一般国民は自らが選んだ政治家よりも、選挙に一切関係ない君主、すなわち超然とした天皇陛下に御決断を求め、安心感を得ようとする。

Showa 3  歴代天皇の中でも昭和天皇は格別で、我々は普段「神々しい」という言葉を使っても贔屓の藝人くらいしか思い浮かばないが、昭和の日本人が聖帝陛下を目にすると「まさしく !」と思ったものだ。昭和天皇が何らかのイベントで偶然、現場にいた一般国民に話しかけると物凄く緊張したものだし、中には感激して涙を流すオバちゃんオッちゃんが尽きなかった。まぁ、それも当然だ。何しろ、世の中には「善人」と称される人でも、心の何処かにやましい魂胆を隠していたりするから、滅多に涙を流して感動することはない。ところが、昭和天皇は打算とか偽善、卑しさが一切無く、清らかな心で国民と接しようとした。こうした帝王に謁見すれば、大抵の日本人は歓喜と感涙で噎(むせ)ぶ。まともな親は大学で「天皇制打倒 !」と叫ぶ馬鹿息子を殴りつけるし、子供の行く末を心配する母親は「なんて畏れ多いことを・・・。恥を知りなさい !」と嘆き悲しむ。親子揃って「天ちゃん」と小馬鹿にするのは、学歴しか自慢の無い反日インテリくらいだ。彼らにはなぜ日本人が命懸けで陛下を守るのか、どうして「皇室の楯になって死んでも構わない !」と考えるのか、が判らない。(言うまでもないが、帰化鮮人は最初から論外。) 残念ながら、学校でクルクルパーになった連中を治す特効薬は今のところ無い。山中伸弥博士でも無理だろうなぁ。

  日本人に皇室軽視の感情が芽生えた原因を探れば、先ず以て大学教育が挙げられる。共産党に属する正規メンバーや隠れ党員、個人営業の共産主義者、暴れたいだけのアナーキスト、斜(はす)に構えたピンク左翼は別にして、高等教育を受けた日本人に“なぜ”反皇室感情が埋め込まれたのか、と言えば、それはフランクフルト学派を源流とする破壊思想が蔓延したからだ。あからさまな共産主義者でなくても、大学教授とか高校教師には伝統社会に対する叛逆精神がある。よくミュージシャンや俳優が左翼思想にかぶれるのは、体制に文句をつける「甘え」を「格好いい」と思うからだ。藝人は地道に勉強するのを嫌がり、単純なスローガンで複雑な社会を批判するのを好む。例えば、YMO時代に大量の電気を浪費した坂本龍一とか、憲法九条を称讃する沢田研二、反軍感情に満ちていた徴兵忌避の三國連太郎とその息子でピンク左翼の佐藤浩市、「サンデー・モーニング」の関口宏、日大で学生運動をしていたテリー伊藤、典型的な左翼女優の渡辺えり、などが思い浮かぶ。でも藝能界には確信左翼も多く、古いところだと共産党系の吉永小百合、バリバリの極左分子で三流歌手の加藤登紀子、三島由紀夫との交流を自慢するが、根っからの反日左翼である美輪(丸山)明宏、煩悩だらけなのに僧侶のフリをする作家の瀬戸内寂聴、支那に媚びることを恥じない漫画家の雁屋哲など、ウンザリするほど跋扈している。

  フランクフルト学派を始めとする左翼陣営は、理想とする共産主義社会を実現するため、既存の伝統社会を徐々に壊し、その支柱となる一般国民を洗脳しようとする。とうりわけ、ドイツから逃げてきたユダヤ人は狡猾で、常識を備える一般人の拒絶反応を考え、本心の「マルクス主義」という看板を下ろし、仮面に過ぎない「社会科学」の旗を掲げていた。そして、彼らの十八番(おはこ)は、伝統を嘲笑う「批判理論」である。日本でも悪名高いヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)は、君主や貴族、父親などが持つ優越的な権威を「解剖」し、これに批判を加えて、「不条理だ」「不合理だ」「奇妙だ」「民主主義に反する」とボロクソに貶していた。しかし、これは健全な国家を共産主義世界に変えるための戦術であり、詐欺師の手口と同じだ。とにかく、新しい世界を作るには、古い世界を解体して更地にせねばならない。各地の大学に潜む赤い知識人は、伝統社会を「因習で縛られた牢獄」と教え、彼らが提唱する“民主的”自由世界を「理想」と仄めかす。でも、実際に建設されるのは、ソ連のような巨大な強制収容所。ただし、「平等」だけは達成されるようで、みんな“平等”に“貧しく”なる。

  日本人は本質的に「お花畑の住民」なので、一般の大学生は「批判」をしている教授がどんな魂胆で授業をしているのか詮索しないのだ。例えば、投資詐欺をはたらく勧誘員が、「あなただけに儲かる投資先を教えます」と言っても、それを信じる者は愚かである。そんなに儲かるなら自分の貯金をはたいて投資すればいいじゃないか。常識人なら「どうして他人の金を要求するのか?」と疑うはずだ。話を戻すと、 老練な詐欺師教授は、無防備な学生を「若き改革者」と褒めそやす。彼らは若者の心をくすぐりながらダークサイドへと導くのが上手い。カール・マルクスやエンゲルス、レーニンなどに憧れた老人は、正体が直ぐバレる日本人極左を「道しるべ」にせず、地平線の彼方に存在する歐米の極左活動家を「進歩的知識人」として紹介する。

  でも、左翼の論文は抽象的な文章ばかりで、何が何だから解らない。普通の学生だと延々と続く抽象論に辟易する。だから、中途半端な理解になりがちだ。ところが、こうしたクズ論文には難しい外国語や哲学用語がちりばめられているので、何となく“高尚”な学問に接している気分になる。具体的に考えてみれば解るのに、知能と判断力が低すぎるので解らない。というより、「疑問」に思うだけの知力が無いから、端っから疑うことが出来ないのである。ベテランの左翼教授は、こうした学生の弱点を熟知しているので、敢えて彼らの思考能力を鍛えようと励むことはない。むしろ、教え子の無邪気さを利用し、「皇室伝統」を「天皇制」と言い換え、立憲君主政を抹殺すべく、天皇陛下の権威をズタズタに切り裂こうとした。ただし、彼らは狂信的な態度で皇室を攻撃することはない。火病を発症した朝鮮人みたいに喋った逆効果である。それよりも、知識人らしく冷静に、より理性的に、君主政を「批判」し、時折茶化すような冗談を交えて皇室を小馬鹿にするのだ。

  日本の赤い教授たちが思想的師匠とする外人はたくさんいるが、一人挙げるとすればノーマン・ブラウン(Norman Oliver Brown)が思い浮かぶ。2002年に89歳で亡くなったブラウンは、マルクスとフロイトを混ぜて精神分析や哲学の本を書いていた。アメリカの新聞や雑誌はよく、彼を新左翼やLSD、性革命と結びつけていた。ボストン・カレッジで政治学を教えていた社会学者のアラン・ウォルフ(Alan Wolfe)は、生前のブラウンを回顧して、「彼の本を読んでいると、ちょっぴり麻薬の味がするんだよねぇ~」、と語っていたものだ。(ちなみに、ウォルフは自ら認める「無神論者」である。ただ、勤め先のボストン・カレッジはイエズス会が運営するカトリックの大学なので、日本人が聞くと「どういった採用基準なんだ?」と怪訝な気持ちになる。)

Herbert Marcuse 1Norman Brown 1Isaiah Berlin 3












(左 : ヘルベルト・マルクーゼ  / 中央 : ノーマン・ブラウン / 右 : アイザイア・バーリン  )

  ブラウンはアメリカ人の大学教授であったが、生まれた場所はメキシコである。日本の一般人でもブラウンの人相を眺めていると、何となく「西歐人らしくないなぁ~」と思えてしまうが、実際そう見えてもおかしくはない。というのも、彼の父親はイギリス人の鉱山技師なんだが、母親はちょっと変わっていてアルザス出身のキューバ人。ブラウンはイングランドで教育を受けたそうで、通った大学はオックスフォード大学のベリオール・カレッジ(Balliol College)だ。オックスフォードで学問を積んだというが、そこでの指導教官は何と、あの有名なユダヤ人歴史家のアイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)ときているから、「なるほどねぇ~」と妙に納得が行く。ブラウンの経歴で異色なのは、彼が戦時中、米国の諜報局である「OSS(Office of Strategic Service)」に属していたことだ。彼はここで例のマルクーゼと知り合い、ユダヤ人亡命者の同僚と友人になったらしい。

  では、マルキストのブラウンが王政や君主政にどのような見解を持っていたのか、少し紹介したい。彼は次のように述べていた。

  1603年にジェイムズ王は述べた。「人間は何ぴとたりとも、天主(God)が結びつけたものを分離させてはならない。余は夫であり、全王国は余の合法的妻である」、と。こうした男根崇拝の人格と受動的な聴衆は性交の状態にある。彼らはそれがオーガズムに達した時、一緒になる。・・・・国王は政体における勃起である。(旧約聖書の)ダニエル書では、10本の角は10人の王であり、カンボジアでは、首都の神殿に祭られているリンガ(シヴァ神の表象である男根像)としてのデヴァラジャ、すなわち神的王を代表している。国王陛下というのは、ペニスの擬人化である。(Norman Brown, Love's Body, Random House, New York, 1966, pp.132-33.)

  事もあろうに、王様をペニス扱いなんて不届き千万だが、左翼学者というのは民衆が尊敬する王侯貴族を愚弄し、その権威を失墜させることに快感を覚える。左翼陣営は君主政を打倒して、人民が主体の「共和政」を「善」とするが、この“ロクでなし”どもは簒奪した「君主の座」に就くことが目的で、「デモクラシー云々」というのは間抜けな大衆を操るための「まやかし」である。プロレタリアを導く知識人は、羊のような凡人を罠に嵌めて檻に閉じ込めようとする。ソ連の衛星国になった東歐諸国を思い出せば分かるじゃないか。解放された労働者達は寒い雪の日でも長蛇の列に並び、茶色くなったクズ肉とか黒いバナナを買い求めていたし、楽しい遊園地が無いロシアでは、カーセックス(車内性交)が唯一の娯楽であった。アメリカのロック音楽なんか、民衆を惑わす頽廃藝術だ。一方、共産党の幹部連中は西歐の贅沢品を密かに購入して貴族生活を楽しんでいた。本当かどうか分からないけど、ノーメンクラツゥーラの連中は大衆が共産主義に目覚め、暴力的なプロレタリア革命を起こすんじゃないか、と冗談半分に怯えていたそうだ。ブルジョア生活を満喫する不破哲郎も、何となく心配しているんじゃないか。

  話を戻す。フロイトの精神分析を拝借してマルクス主義を広めていたブラウンに対し、マルクーゼは批判理論を用いて憎い西歐社会を壊してやろうと意気込んでいた。彼がユダヤ人を迫害したヨーロッパ人を憎むのは当然で、キリスト教世界に君臨した王様なんか、民衆を搾取する盗賊に過ぎず、弾圧を繰り返す暴君と同じである。マルクーゼは次のように述べていた。

  ・・・潜在的な文脈において、地上における王国は影なのかも知れない。しかし、不幸にして、それは実際の人間と物を動かし、人を殺すこともある。そして、昼夜を問わず存続し隆盛を極める。王とは勃起したペニスと言えるし、世間(共同体)との関係となれば、性交する仲なのかも知れない。だが、残念なことに、それはかなり違ったものであり、快楽の点で劣っていて、しかもよりリアルである。(Herbert Marcuse, "Love Mystified : A Critique of Norman O. Brown", Commentary, February 1967.)

  日本にも大名や天皇陛下を批判する大学教授は沢山いるけど、「勃起したペニス」に譬える人は稀である。たとえ、学問の自由が保障された大学とはいえ、普通の講義であからさまな侮辱は口にできない。だが、戦時中の軍国主義者(軍服を着た共産主義者)による全体主義や敗戦の責任を全部陛下に押しつけて、「天皇制」による構造的な抑圧と罵ることならできる。内閣法制局や財務省、厚労省、宮内庁などに皇室を愚弄する官僚が多いのはこのためだ。彼らからすれば、訳の解らぬ即位の儀式に大金をかけるのは愚かだし、神殿や宮殿の屋根が板張りでも茅葺きでも構わないと思っている。もっと悪質な官僚になると、「プラスチックの板でいいんじゃないか」と提案し、「節税」という大義名分で皇室行事を“私的”なイベントに貶めようとする。

  インテリ気取りの日本人は、皇室を排除した「共和政」を高級な政治体制と思っている。では尋ねたいが、天皇陛下が消え去ったあと、その「国家元首」の地位に誰が就くのか? 彼らは総理大臣が「大統領」に昇格すれば満足するのか? 東北大震災の時、被災地を総理大臣の菅直人が巡回したが、現地の避難民は首相の訪問を受けても感動しなかった。むしろ、「なに、あの人 !」と吐き捨てるように嫌う国民が圧倒的に多かった。ところが、天皇・皇后両陛下が被災者を見舞うと、悲しみに打ちひしがれた国民は癒やされ、感謝の気持ちでいっぱいになる。こうした絆を体験した者は、決して皇室廃絶を唱えない。それよりも、「やっぱり、天皇陛下は素晴らしい」と再確認する。左翼陣営は甘い言葉を囁いて、我々が大切にする皇室を撲滅しようとするから用心しなければならない。詐欺師というのは「詐欺師」という正体を隠して近づいて来るものだ。

  


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帰化人は皇室に忠誠を誓うのか? / 国民の条件 (前編)

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新時代を祝う国民と気にしない「国民」

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  平成が終わって令和の時代になった。元号が変わると、「やはり日本は皇室を中心とした同族的国家なのだ !」という実感が湧く。いくらマスコミや大学の左翼が皇室を貶しても、一般国民は陛下の譲位に関心があるし、皇位に就かれた新天皇を祝福する気持ちでいっぱいだ。巷の庶民は「平成最後」という言葉に様々な思いを込める一方で、「令和」という新元号を刻印した記念品に殺到したりする。日本人は悠久の歴史に愛着を持つ一方で、来たるべき未来に期待を抱く。たぶん、日本には四季があって、それぞれに趣があるから、時の変化を楽しむ風習があるんだろう。春には桜が満開となるし、秋には紅葉が鮮やかに広がって綺麗だ。夏は太陽の光が燦々と降り注ぎ、冬になれば雪景色となる。支那大陸だと全く逆。王朝が交代すれば大虐殺と略奪・放火の生き地獄になるし、街中には絶えず有害物質が漂い、黄砂と粉塵が吹き荒れている。河川は汚水で七色に輝き、死んだ魚が浮いている。大地を見渡せば、一面が重金属まみれだ。しかも、住んでいる人間が極悪人と詐欺師ばかりときている。これじゃあ、日本に移住したがるのも当然だ。

  我々日本人は即位の儀式やパレードに夢中になっていたが、日本に帰化した朝鮮人や支那人、フィリピン人やベトナム人は、伝統的な践祚に関してどんな気持ちを抱いていたのか? アジア系「国民」には、「我から陛下」という意識があるのかどうか疑わしい。というのも、帰化人を対象にした全国調査が無いからだ。毎年大量のアジア人が日本国籍をもらっているのに、日本政府が帰化の実態を調べようとしないのはおかしい。日本の国籍を取得するというのは、国家と皇室に対して忠誠を誓い、陛下の国民として生きて行くはずなんだが、受け容れる日系国民は移民がどんな「国民」になるのかに興味が無いのだ。帰化人というのは日系国民にとって、対等な権利と義務を持つ「同胞」なのか、それとも単に旅券を持つだけの「外人」なのか、今ひとつ明確ではない。

  一般の日本人は敢えて口にしないが、朝鮮人や支那人は帰化しても「日本人」とはならない。なぜなら、日本人とは「日本人の両親から生まれた者」と思われているからだ。だいたい、帰化申請の書類を揃えたくらいで「日本人」になれると考える方がどうかしている。 気にしない振りをしている周囲の者だって、帰化鮮人が何か妙な事をすれば、「あの人、朝鮮人だからさぁ・・・」と囁くんじゃないか。ただ、片親が外国人という混血児がいるので、一概に彼らを「非日本人」とは言えまい。実際、混血児でもほぼ日本人になっている子供がいる。だが、それは親が西歐人の場合だ。例えば、父親がイギリス人とか、母親がドイツ人なら、混血児は友達に血統を隠そうとはしないし、堂々と親の人種や国籍を披露できる。まぁ、外見で判るから隠しても無駄だろう。日独混血児はゲルマン人の血筋を恥じないし、同級生の日本人も馬鹿にすることはない。それに、親がドイツ文化を誇りに思い、自信を持って子供に伝えようとするから、小学生でもゲルマン魂の素晴らしさが解る。いくら「戦争犯罪」の烙印を押されたとはいえ、ドイツは帝国陸軍や教養人が憧れた国だから、知識の無い子供でも何らかの敬意は持っているはずだ。

  日本では、「朝鮮ブランド」は無きに等しい。例えば、小学生だって「メルセデス・ベンツ」や「ポルシェ」「BMW」といったドイツ車を見た後で、「現代(ヒュンダイ)」や「起亜(キア)」といった朝鮮車を目にすれば、「えっ、何、このパクリ自動車?」と呆れてしまい、「うわ、格好悪い !」と小馬鹿にするだろう。ましてや、高額所得者の医者や弁護士ともなれば、南鮮のクルマなんて見向きもしないし、購入するときの選択肢にすら入らない。朝鮮人が作るスマートフォンは「小型爆弾」と揶揄されるし、国産戦車は世界に向けての“恥さらし”となっている。主力戦車であるはずの「K1A1」は120ミリ砲を搭載するが亀のようにノロノロ走行。第三世代の戦車なのに第二世代に退化するなんて前代未聞だ。(でも、さぁ~すが、韓国軍。やることが「ひと味」違う。) そこで、K2戦車「黒豹」を作るが、これも使い物にならなくて、公園か動物園での展示物となっている。「雷鳴」と呼ばれるK9自走砲も欠陥品で、命中率は最低だ。ご自慢の155mm砲が凄いのは音だけ。水陸両用に作られた「K21戦闘歩兵車」は水に浮かぶはずが、水中に入ると沈没。南鮮の子供は、素晴らしい国産装甲車を見て「わぁぁ、すごい。潜水艦だ!」と大喜び。隣の親は青色吐息となる。

  話を戻す。日本で育つ混血児でも、父親が朝鮮人とか母親が支那人という場合は違う。支那系や朝鮮系の子供は、なるべく自分の出自を隠そうとするし、親の出身国を自慢することもない。子供というのは智慧が足りなくても直感力は鋭く、大人が抱く本音に敏感だ。いくら朝鮮人の親が出身国の文化を自慢しても、「そんなの学校の友達に笑われちゃうよ」と反論し、却って朝鮮文化に反撥を覚えてしまうのだ。上等な日本で成長すれば、朝鮮の野暮ったい民謡や踊り、祭祀をアホらしく思ってしまうだろう。朝鮮老人が自慢する「アリラン」を聴けば、「何、あの奇妙な歌 ! 気持ち悪い !」と吐き捨てる。また、チマ・チョゴリなんてダサ過ぎて着ることも出来ない。ファッションにうるさい女の子だと、囚人服より酷いと思ってしまうだろう。また、朝鮮の「ナムサダン(男寺党)」を見れば、「イカれた新興宗教」にしか思えない。在日鮮人にとって恥辱なのは、朝鮮人特有の風習や行動様式だ。例えば、朝鮮のババアは何らかの悲運に見舞われ、他人から蔑ろにされれば、地べたにしゃがんで泣き崩れる。こんなのは本当にみっともない。日本人はおろか、在日鮮人でさえ「私はあんな人達とは違うの !」と毛嫌いし、即座に絶交したくなる。

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(写真  /  日本人から啓蒙される前の朝鮮人)

  よく歌手や俳優になった帰化朝鮮人が出自を隠して藝能界で暮らすのも、朝鮮のイメージが悪いと解っているからだ。彼らは学校の同級生にも告白できないし、自分の過去を闇に葬りたいと思っている。そもそも、朝鮮人に生まれて何かプラスのことがあるのか? 「チョウセンジン」という言葉を耳にすれば、特別な戦慄を背中に覚え、「韓国人だよ !」と言い返したくなる。民族の壁は目に見えないのに、厳然と聳え立っているから、朝鮮系混血児は幼い頃から劣等感に苛まれ、ひねくれたまま大人になってしまうのだ。彼らが確信的反日、あるいは無意識の反日であるのは、日教組による洗脳もあるが、各細胞から滲み出る怨念のせいである。朝鮮人は驚くほど自尊心が強い。しかし、日本人にかなわないと解っている。この屈辱的な感情を癒やすには、身を燃やすほどの反日思想しかない。かつて、朝鮮人が強制連行説にこだわったのは、親子代々日本に住み着く“やましさ“を隠すためである。もし、「正当」な理由が無いと、日本人から「朝鮮に帰れ !」と言われたとき反論できない。だが、「日本人が無理矢理連れてきたから、日本に住む破目になったのだ」という「過去」を作れば、日本人に逆襲できる。大抵の日本人は歴史に無知だから、仔犬のように尻尾を挟んで怯む。だが、最近ではその捏造史がバレて、朝鮮人は武器を失ってしまった。

  日本人は天皇陛下を「元首」とか「国父」、「大元帥」と思っているから自然と敬愛できるが、アジア系国民は同じ気持ちを抱くことができない。普通に考えれば、いくら日本国籍を取得したからといって、フィリピン人やベトナム人が皇室の祭祀を尊重することはないだろう。彼らは天皇陛下を「我らが君主」と呼ぶことができるのか? また、イスラム教徒の帰化人が日本文化に同化するとは思えない。なぜなら、彼らの主はアッラーのみだからである。天皇陛下は単なる異教徒の酋長にすぎない。イスラム教徒にとって皇室が大切にする三種の神器は骨董品の類いで、大嘗祭と聞いても、「へぇ~、何だそれ?」と馬耳東風。彼らにしたら、天皇陛下が五穀豊穣を願おうが、四方拝を行おうが、どうでもいい。そんなのはコーランに関係ないから無視。現在、インドネシアからは国籍目当ての介護師がたくさん来ているけど、イスラム教徒のマレー人は靖国神社とか明治神宮、宮城(江戸城)に集まる日本人をどう思っているのか? 彼らが日系人と同じような愛国心を持つとは考えにくい。

ブリテン国民を憎むエイリアン

  人間が持つ肉体と精神は分離したものではなく、密接に連動するものである。種族が違えば、その精神が異なっていても当然だ。しかし、多民族主義に冒されたブリテン人は、国内が様々な民族で分裂しているのに、あたかも統一されているかのように思い込んでいる。なるほど、エリザベス女王は多くの国民から慕われているんだろう。だが、それは“藝人”へ注がれる「注目」であって、同じ血族からの愛情ではない。イングランドの国王はスコットランド国王を兼任して、イギリス人とスコット人の君主となっているのに、今じゃパキスタン人やケニア人を臣下とする皇帝になっている。つまり、オリエントの専制君主と同じ類いだ。たぶん、雑多な民族には難しいことは解らないから、とりあえず「帝國に君臨する支配者」、あるいは誰でも崇拝できる「生き神様」にしておけ、という理屈なんだろう。だいたい、インドやエジプト、イラク、ケニアなどからやって来た移民には英国の歴史や伝統など解らないから、英国王室と貴族は伝統的儀式を壮大にし、女王の衣装も豪華にして、「お前らの御主人様は偉いんだぞ !」と教えているんじゃないか。いくら英語が上手でも、外来生物には「君民一体の感情」は無いから、支配階級のイギリス人は、金銀で飾った王宮とか宝石を身につけた女王を見せておけばいい、と思っている。

King George Vi 02Queen Elizabeth II 01Princess Diana 24Prince William 6










(左 : ジョージ6世     /     エリザベス2世     /     ダイアナ妃      / 右 : ウィリアム王子 )

  ブリテン島に住む雑種民族には、日本人のような尊王精神が無い。アングロ・サクソン人の子孫なら、中世のイギリス人が持っていた愛国心や名誉の概念を継承できるが、ジャマイカ人やトルコ人、シリア人、ユダヤ人にそんな感情を求めても無駄である。そもそも、こうした帰化人にはイングランドへの愛着心すら無いのだ。ユダヤ人などは何百年住もうがエイリアンのままである。首相になったベンジャミン・ディズレイリはヴィクトリア女王の忠臣となっていたが、それは衮龍(こんりゅう)の袖に隠れる「宮廷ユダヤ人」と同じで、寵愛を受けたメルボルン卿のウィリアム・ラム(William Lamb, Viscount Melbourne)とは別物だ。一般のイギリス人はおぞましい顔つきの首相を「ユダヤ人」と蔑んでいた。たとえ歴史家がディズレイリを「名宰相」と呼んでも、アングロ・サクソン人からすれば「よそ者」だ。自分たちを率いる「仲間」ではない。

Lord Melbourne 1Queen Victoria 1Benjamin Disraeli 1












(左 : メルボルン卿     /     中央 : ヴィクトリア女王      /    右 : ベンジャミン・ディズレイリ )

  現在の英国にはもう目が眩むほど異人種が住んでいる。例えば、ジャーナリストのアフア・ヒルシュ(Afua Hirsch)は、イングランドに寄生する外人(エイリアン)の典型だ。彼女の父親はユダヤ人で、母親はガーナ人である。父方の祖父ハンス(Hans)はドイツから逃れてきたユダヤ人で、ケント地方に居を構えるとイギリス人女性と結婚した。翻って、母方の祖父はガーナからやって来た留学生。(Jennifer Lipman, "Afua Hirsch : Asking the difficult questions on identit", The Jewish Chronicle, January 22, 2018)  ただし、ケンブリッジ大学に入ることができたのは、政治的配慮があったからだろう。おそらく、卒業後ガーナに戻って政界に入り、イギリス人の意向に沿って動いてもらうためだ。つまり、アフアの祖父はイギリス人支配者が利用する黒い駒(pawn)というわけ。

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(左 : アフア・ヒルシュ  / 中央 : 幼いアフアと両親   /  右 : ノルウェー人の子供 )

  アフアは「ブリテン国民」といっても、実態は「ガーナ系ユダヤ人」で、とてもイギリス人には見えない。確かに、父方の祖母により4分の1だけイギリス人なんだけど、遺伝子の75%は外国人である。しかも、彼女の人生は複雑だ。アフアが生まれたのはノルウェーのスタヴァンゲル(Stavanger)。近所の子供達は白い肌を持つノルマン人ばかり。彼女はまるで白鳥の群れに交じったカラスの如き存在だ。いくら子供だって鏡を見れば現実が解る。スカンジナヴィア人は郷土愛から有色人種を排斥するが、アフアにとったら極右分子にしか思えない。これなら、彼女がノルウェー人を「敵」と思っても不思議じゃない。アフアはスウェーデンの「言葉狩り」にも触れていた。従来、スウェーデン人は黒人を呼ぶとき、ラテン語由来の「ネガー(neger)」を用いていたが、PC(政治的に正しい思想)の影響で変化が生じ、「スヴァート(svart / 黒い)」なる言葉で黒人を呼ぶようになったそうだ。こんな言い換えは欺瞞だが、PCを恐れる北歐人はなるべく人種的対立を避けようと、過度に気を配っている。でも、これは黒人を見下した態度じゃないのか。「黒い肌が悪い」というのはヨーロッパ人の価値観で、アフリカ人の美意識と反している。だが、差別を糾弾する黒人にも非がある。マーティン・ルーサー・キング牧師のように「黒は美しい」と思えばばいいのに、歐米の黒人は矢鱈と白人の美意識を攻撃するから頭がおかしい。たぶん、白人に囲まれた黒人は、白い肌のゲルマン人を理想の人間と崇めているのだろう。白人に対する劣等感は根深く、ちょっとやそっとでは根絶できない。情けないけど、これが現実である。

Black Briton 1English girl 1











(左 : 続々と増えるアフリカ系ブリテン人  /  右 : 珍しくなったゲルマン系イギリス人)

  成長したアフアは英国のウィンブルドンに移り住んだ。しかし、彼女にはイングランドへの愛国心は無い。むしろ憎しみに満ちている。例えば、彼女は有名なロバート・ベーデン・パウエル(Robert Stephenson Smyth Baden-Powell)中将を嫌っていた。ベーデン・パウェル将軍と言えば、ボーイ・スカウト運動の創設者として世界的に有名で、日本で多少は知られている人物だ。ちょっと意外だけど、ジョージ5世の戴冠式に訪英した乃木希典大将も会っている。明治44年6月、乃木大将は東郷平八郎元帥と共に英国を訪問し、ホレイショ・キッチナー(Horatio Herbert Kitchener)元帥の導きでベーデン・パウエル将軍率いるロンドン少年斥候隊(ボーイ・スカウト)を見学したという。(宿利重一 『乃木希典』 對胸舎、 昭和4年、pp.680-681)

Baden Powell 1(左  /  ベーデン・パウエル将軍)
   少年の軍事訓練に熱心なベーデン・パウエル卿は、教科書とも言える『Scouting for Boys』という著書を出版したが、この本を執筆した場所はウィンブルドンであった。地元のイギリス人はこれを自慢し、観光名所にしている。しかし、アフアは違っていた。彼女はガーナ人を苦しめたイングランドの軍人を恨んでいた。というのも、ベーデン・パウエル将軍は、かつてアフリカの黄金海岸で行われた「アングロ・アシャンティ戦争」に参加していたからだ。英国軍と闘ったアシャンティ族は、現在のガーナ辺りに住んでいた土人である。アフリカ人を苦しめたベーデン・パウエルは、アフアにとって不倶戴天の敵と言っていい。一方、ウィンブルドンの愛国的イギリス人からすれば、アフリカ人に親近感を覚え、イングランドの英雄を否定するアフアなど「同胞」ではない。

  混血児のアイデンティティーというのは複雑で、自分が何処に属するのか迷うことが多い。とりわけ、黒人と白人の間に生まれた子供は、白人社会からのけ者にされた末の黒人意識だから、何とも哀れである。アフアはユダヤ人に属するはずだが、本人にその意識は無い。たぶん、ユダヤ人の方も黒いアフアに親近感は無いはずだ。特に、東歐系ユダヤ人は自らを「白人」と思っているので、黒いアフリカ人や褐色のアラブ人を見下している。ユダヤ社会に属さないアフアにとって、本当の故郷(祖国)はガーナしかない。何年住もうともイングランドは仮の住まいで、テナントビルと一緒だ。ブリテン人に対する彼女の恨みは海より深い。アフアは言う。「帝國と奴隷制は正反対なの。今から考えてみれば、ブリテン人の誰もが同意すると思うけど、この国は歴史の間違った側にいたのよ !」(Jennifer Lipman, "Afua Hirsch : Asking the difficult questions on identit", The Jewish Chronicle, January 22, 2018)

  日本人なら解ると思うけど、こんな人物はイギリス人でもスコット人、ましてやブリテン人でもない。そんなにブリテンが嫌いなら、さっさとブリテン国籍を放棄してガーナに移住すればいいじゃないか。しかし、こうした左翼インテリは、絶対にブリテンを離れようとはしないものである。ブリテン王国でアイデンティティーを見つけられなかったアフアは、期待に胸を膨らませてアフリカに向かったそうだ。ところが、彼女が目にした祖国は忌むべきものだった。例えば、彼女が訪れたケニアでは、未だに植民地時代の人種的ピラミッド構造が残っており、白人が御主人様で、黒人が召使いとなっている。たまたま、アフアと友人(黒人)がガラガラのレストランに入ると、店員は席に案内することを拒んだ。なぜなら、この店は黒人が来る場所ではないからだ。

Africa 2Africa 3










(写真  /  暴動を起こしたアフリカ人)

  次に、アフアはセネガルへと向かった。しかし、ここでも災難が降りかかってきたそうだ。彼女は市場で頭のイカレた男に襲われたが、誰も助けてくれなかったという。被害者のアフアは腹の虫が治まらず、「ここの人達ときたら、私の生死など全く気にしないのよ !」と怒りを表した。(Bernardine Evaristo, "Broken Identity, The Times Literay Supplement, January 31, 2018) そこで、彼女はついに憧れのガーナに足を踏み入れた。ところが、ここでも幻滅を味わうことになる。気の毒としか言い様がないが、彼女は強盗に襲われたそうだ。恐怖に怯えるアフアは呟く。「私は強盗の目の中に、野蛮で飢えた憎しみを見たの。それは何処に行っても見かけたし、常にあるものなのよ」、と。アフリカを巡って散々な目に遭ったアフアは、ある結論に辿り着いたという。

   ブリテンは私の家なの。なぜかって。簡単に言えば、他に行くところが無いから。

  こうした発言を聞けば、イギリス人じゃない我々でも呆れてしまうじゃないか。散々、イングランドの悪口を言って、ガーナ人の民族性を誇っていた黒人が、最終的に「やっぱり、イングランドが一番いいよねぇ~」じゃ頭をひっぱたきたくなる。アフアはこれからも英国に関する文句や批判をコラムに書いて、人気ジャーナリストの地位を保ってゆくに違いない。日本でもそうだけど、左翼知識人というのは、自国に悪態をつきながら、その国に住み続けている。在日朝鮮人や帰化鮮人も同じで、日本を呪うのに決して故郷に戻らない。日本人による差別が嫌なら、同胞のもとへ帰ればいいのに、いつまで経っても日本に居残り、日本人と結婚すれば日本国籍を取ってしまうのだ。しかし、彼らは決して皇室に忠誠を誓うの臣下とはならない。「天皇なんか赤の他人だ」と思っている。一体、何名の帰化鮮人や帰化支那人が、天皇陛下のパレードに駆けつけ、国旗を持ちながら陛下に手を振っていたのか?  反天皇集会になら、帰化鮮人がいそうだけどねぇ~。

  後編に続く。


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