無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

アメリカ合衆国

ティーパーティーを支持する大富豪 / 政治家に金銭を渡す人々(前編)

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


好評発売中 !

共和党への献金
Congress 1Fundraiser Republican 1









  地上波や衛星放送を問わず、テレビのニュース番組は、トランプ大統領のスキャンダルとなればお祭り気分で報道するが、政党へ流れるお金になると急にトーンダウンし、滅多に報じることはない。しかし、政治家にとって大口献金者は神様みたいな存在で、支持母体とか派閥の親分と同じくらい貴重な後ろ楯である。それなのに、我が国の報道番組はCNNやABCのイヴニング・ニューズを翻訳するだけで、「誰がどの政治家にいくら渡したのか」は黙殺。肝心な点を中抜きにする「報道」なんか本当のジャーナリズムじゃないだろう。テレビ局だって制作費を下さるスポンサー企業は「お殿様」で、無料(タダ)で見ている視聴者なんかより遙かに大切なお得意様だ。局の重役達になると電通に参拝して、「どなたか気前の良い旦那衆はいませんか?」とお伺いをたてる。テレビ離れに苦しむ在京キー局は、中小企業にも頭を下げて、ちょっとでも広告費を稼ごうと必死だ。報道番組のプロデューサーも「世の中は先ず金だよ!」と判っているんだから、アメリカの選挙でどんな資金が動いているのか報道すべきなんじゃないか。トランプの揚げ足取りばかりを垂れ流す「報道」なんか下らなくて飽き飽きする。

  当ブログでは以前、ヒラリー・クリントンを始めとする民衆党候補者への献金者に触れたことがある。民衆党への巨額献金者には有名人が多いので、日本人でも氏名を公表すれば納得する人が多いだろう。しかし、共和党への献金者になると、ずっと知名度が低くて、名前を聞いても「誰?」と尋ねたくなる。とりわけ、保守派候補への献金者となれば、「どんな物好きなんだ?」と笑いがこぼれてしまうだろう。日本のみならず、アメリカやヨーロッパでも、保守系団体には資金が流入せず、危機感を抱く平民が個人献金をする程度。たまに、お金持ちが気前よく寄付してくれることもあるが、一般のアメリカ人は名前を聞いても誰なのか判らない。

  例えば、共和党や保守系団体に1,000万ドル以上(2018年)も献金したティモシー・メロン(Timothy Mellon)は、「パン・ナム・システムズ(Pan Am Systems)」のオーナー会長であるが、普通のアメリカ人だと「メロン一族」と教えられても、いったい「誰のお坊ちゃん」なのかは直ぐに答えられない。ただ、父親の名前を聞けばピンとくる人もいるだろう。ティモシーの父ポール・メロン(Paul Mellon)は、裕福なビジネスマンだが、商売人というよりアート・コレクターとか馬主、あるいは慈善家として知られている。ポールは純血馬をこよなく愛していたというが、彼自身もサラブレッドなんだから同種愛みたいだ。まことに羨ましい限りの人生だが、この御曹司が優雅な生活を送れたのは、父親が財務長官のアンドリュー・W・メロン(Andrew William Mellon)であったからだ。驚くことに、このメロン財務長官は三人の共和党大統領に仕えていた。すなわち、ウォーレン・ハーディング、カルヴィン・クーリッジ、ハーバート・フーバーの三政権で、実に1921年から1932年まで務めていたのだ。メロン家には他にも有名人が多く、ウィリアム・メロン(William Larimer Mellon)は「ガルフ石油(Gulf Oil Corporation)の創業者だし、リチャード・メロン・スケイフ(Richard Mellon Scife)はメロン銀行の後継者であると共に、共和党系シンクタンク「ヘリテージ財団」への主要スポンサーでもあった。(リチャードは母親サラ・コーデリア・メロンの血筋で一族となっている。「メロン銀行」はトマス・メロンが創業者。)

Andrew Mellon 2Paul Mellon 1Richard Mellon Scaife 2








(左: アンドリュー・メロン  /  中央: ポール・メロン   /   右: リチャード・メロン・スケイフ )

  話しを戻す。我が国でもそうだけど、米国の大富豪はなぜか保守主義が嫌いで、国際主義とか人権、平等、環境の方が大好きだ。でも、そのスローガンは大衆操作のためで、自分の利益を最大化へと導くグローバリズムが根底にある。雲よりも高いタワーマンションに住む支配者は、ペントハウスから金銭をばらまいて下界の大衆を動かそうと謀る。たぶん、彼らにとったら長屋に住む労働者など、大きな口を開けて餌をねだる池の鯉に見えてしまうんじゃないか。 

Richard Uihlein 1(左  / リチャード・ユーレイン )
  ここ数年、アメリカ政界を眺めていると、「おやっ!」と思う人物が共和党の常連献金者となっていた。それは連邦選挙の候補者や共和党の資金管理団体(Super PAC)に2,500万ドル以上も献金していたリチャード・E・ユーライン(Richard Ellis Uihlein)である。昨年(2018年)に行われたイリノイ州の知事選ではユーラインと現職知事との間で一悶着あったから、名前くらいは覚えている人もいるだろう。ユーライン氏は地元の共和党知事であるブルース・V・ラウナー(Bruce Vincent Rauner)に過去260万ドルを献金しており、知事の資金管理団体である「リバティー・プリンシプル(Liberty Principle PAC)」と「イリノイ政策研究所(Illinois Policy Institute)」を通して1,200万ドル以上渡していたそうだ。しかし、二人の間に亀裂が生じてしまった。ラウナー知事が税金で補助される妊娠中絶法案に署名してしまい、共和党保守派からの批判を受けてしまったのだ。

Bruce Rauner 1Jeanne Ives 1Jay Robert Pritzker 2









(左: ブルース・ラウナー  / 中央: ジーニー・アイヴス /  右: ジェイ・ロバート・プリツカー)

  この裏切りに憤慨したユーライン氏は、共和党の対抗馬であるジーニー・アイヴス(Jeanne Ives)州下院議員に小切手を渡し、彼女は250万ドルの政治献金を手にした。(Maggie Severns, "The biggest Republican megadonor you've never heard of", Politico, March 19, 2018.) そして、州知事選に名乗りを上げたアイヴス議員は、共和党の予備選に出馬するが、僅差でラウナー氏に負けてしまった。こうして知事選は共和党のラウナー知事と民衆党のジェイ・ロバート・プリツカー(Jay Robert Pritzker)候補との闘いになった。(このプリツカーは大変なお金持ちで、アメリカのビジネス界では知らぬ者は居ないくらいだ。彼とその一族については過去の記事を参照。) 一期目を果たしたラウナーは再選されると思いきや、意外と新人のプリツカーに差をつけられ、得票数で見るとラウナーが39.2%しか獲得できず、プリツカーが54.2%を獲得して勝者となった。

Kevin Nicholson 1Josh Hawley 1Chris McDaniel 1Roy Moore 2








(左: ケヴィン・ニコルソン  / ジョシュメハウリー / クリス・マクダニエル /  右: ロイ・モアー)

  ここでユーライン氏が支援した他の政治家を紹介しよう。連邦上院議員選に出馬したケヴィン・ニコルソン(Kevin Nicholson)は、ユーライン氏から700万ドル以上をもらっていたそうだ。同じく上院議員選に出馬したジョシュ・ハウリー(Josh Hawley)は、200万ドルを受け取り、ミュズーリ州のクリス・マクダニエル(Chris McDaniel)州司法長官は50万ドルをもらっていた。ウェスト・ヴァージニア州から出馬したパトリック・モリゼイ(Patrick Morrisey)州司法長官は25万ドル、スキャンダルで話題となったアラバマ州最高裁のロイ・モア(Roy Moore)首席判事は10万ドル以上の献金を受けていたという。2016年の大統領選でも支援を受けたテッド・クルズ(Ted Cruz)上院議員は、再選にあたりユーライン氏から30万ドルの資金を得ていたそうだ。ただし、2016年の大統領選挙では、当初ユーライン氏はウィスコンシン州のスコット・ウォーカー(Scott Walker)知事を支援していた。しかし、ウォーカー知事が脱落したので、クルズ議員に乗り換え、そのクルズが脱落するるや、共和党の候補者となったトランプに賭けることににしたそうだ。ユーライン氏はトランプの資金管理団体「グレイト・アメリカPAC」を通して献金を行い、トランプが当選すると、就任式用に50万ドルを寄付したという。

Patrick Morrisey 1Scott Walker 1Ted Cruz 1Donald Trump 14








(左: パトリック・モリゼイ  / スコット。ウォーカー / テッド・クルズ /  右: ドナルド・トランプ)

  ユーライン氏は気前よく大金を渡していたが、その成果は芳しくなかった。クルズ上院議員は再選され、ハウリー候補も当選を果たしたものの、他の候補者は惨敗だった。マクダニエル候補は予備選で敗退し、モリゼイ候補は民衆党のジョー・マンチンに敗れてしまった。期待されたモア候補も本選で民衆党のダグ・ジョーンズを倒すことはできず、苦杯を嘗める結果となってしまった。選挙は一種のギャンブルだが、ユーライン氏の勝率はそんなに高くない。賭ける馬がイマイチだった。

大手酒造メーカーの子孫

  それにしても、保守派候補を応援するユーラインとは、一体どんな人物なのか。彼はエリザベス夫人と共に自分の会社「ユーライン社(Uline Inc.)」を運営する最高責任者であるという。この「ユーライン社」は、パッケージ(包装)を主体として関連部品の販売や配送までを幅広く手掛ける大手企業で、約6千名の従業員を抱える流通・販売業者であるらしい。リチャードの父親がオフィス器具を扱う「ジェネラル・バインディング社(General Binding Corporation)」の創業者だから、息子も似たような業種の企業を創設したのだろう。

Joseph Schlitz 1(左  /  ジョセフ・シュリッツ)
  一代で北米に支店を広げたリチャード・ユーラインは、よく知られた一族の出身で、ミルウォーキーに本拠を構えるビール会社、「シュリッツ(Schlitz)」を経営していた人物の子孫である。この会社は元々ドイツ系アメリカ人のアウグスト・クラグ(Georg August Krug)が創業した「クラグ酒造」で、彼が亡くなるとアン・マリー・クラグ(Anne Marie Krug)夫人が後継者となり、彼女はドイツ移民のジョセフ・シュリッツ(Joseph Schlitz)と再婚する。創業者の寡婦が結婚したことで、「クラグ酒造」は「ジョセフ・シュリッツ酒造会社(Joseph Schlitz Brewing Comapny)」と 改名することになった。しかし、ジョセフが亡くなると、会社の経営権はアウグスト・クラグの甥に当たるアウグスト・ユーライン(Georg Carl August Uihlein)に移ることになった。新社長の父はヨゼフ・ベネディクト・ユーレイン(Josef Benedikt Ühlein)で、母親はカトリーナ・クラグ(Katharina Krug)であるという。母のカトリーナはゲオルグ・クラグ(Georg Krug)の娘で、先代のアウグストにとっては妹になる。したがって、アウグスト・ユーレインはゲオルグ・クラグの孫で、アウグスト・クラグの甥に当たるという訳だ。

  「シュリッツ」を引き継いだアウグスト・ユーレインは、兄弟のエドガー・ジョセフ(Edgar Joseph Uihlein, Sr.)、ロバート(Robert Uihlein, Sr.)、エルウィン(Erwin Uihlein)と一緒に会社を経営することにしたそうだ。禁酒法時代が終わると、シュリッツは事業拡大を続け、一時期は「バドワイザー」で知られる「アンハイザー・ブッシュ(Anheuser-Busch)」社に次ぐ業界2位の地位を築いていたという。ところが、競争の激化と品質低下のせいで同社は凋落の道を辿ることになり、1982年、ライバルの「ストロー社(Stroh Brewing Company)」に買収されてしまうのだ。ところが、この「ストロー社」も栄枯盛衰は免れず、同業者の「バスト社(Pabst Brewing Company)」に吸収されてしまった。ちなみに、この「パブスト社」はドイツ系のジェイコブ・ベスト(Jacob Best, Sr.)が第19世紀に創業した酒造メーカーで、息子のフィリップとジェイコブ・ジュニアが継承し、社名を「フィリップ・ベスト酒造(Phillip Best Brewery)」に改めたことがある。後に、娘婿であるフレデリック・パブスト(Johann Gottlieb Frederick Pabst)が、義父で社長のフィリップから会社を買い取り、看板を「パブスト酒造」に改めたそうだ。(フレデリックはフィリップの娘マリーナと結婚していた。) そして、彼の息子であるフレデリック・ジュニアは、アウグスト・ユーレインの娘であるアイダ(Ida Uihlein)と結婚した。会社というのは閨閥で繋がっている事がよくある。

Frederick Pabst father & sonFrederick Pabst & Ida Uihlein & children








(左: フレデリック・パブストシニアと息子のジュニア  /  右: フレデリック・パブスト・ジュニアとアイダ・ユーレインと子供たち)

  「人生、楽あゃり苦もあるさ~」というが、法人も同じで、アメリカだと企業買収は日常茶飯事だ。このパブストも時代の波には勝てず、企業買収の対象になってしまった。M&Aを仕掛けたのは、次々と酒造メーカーを買収するポール・カルマノヴィッツ(Paul Kalmanovitz)というビジネスマン。この敏腕商人はポーランドからやって来たユダヤ移民で、財力を貯えると、1950年にロサンジェルスの酒造メーカー「マイヤー社(Maier Brewing Company)」を買収し、1970年には「ラッキー・ラガー(Lucky Lager)」、次いで80年代になるとワシントン州の「オリンピア(Olympia)」、およびテキサス州の「パール(Pearl)」、そして「パブスト」を傘下に納めたという。しかし、ユダヤ人の手に落ちた「パブスト」は、ギリシア系ビジネスマンの懐に移ることになった。ギリシア移民としてアメリカにやって来たチャールズ・ディーン・メトロポロス(Charles Dean Metropoulos)は、「パブスト」を2億5000万ドルで買収し、カルフォルニアに本拠を構えたそうだ。

August Uihlein 1Jacob Best SrCharles Dean Metropoulos 1Eugene Kashper 1








(左: アウグスト・ユーレイン  / ジャイコブ・パブスト / チャールズ・ディーン・メトロポロス /  右: ユージン・カシュパー)

  アメリカというのは本当に資本制社会で、老舗企業といえども単なる投資の対象でしかない。2014年、「バブスト」は「ブルー・リボン・インターミディエイト・ホールディングス(Blue Ribbon Intermediate Holdings)」に売却された。この会社はユージン・カシュパー(Eugene Kashper)という投資家によって運営されている。彼はソ連からやって来たユダヤ移民で、「パブスト」を手に入れると社長を経て会長になった。彼は買収にあたり、ジョン・ゲイリー・シャンズビー(John Gary Shansby)とチャールズ・エッサーマン(Charles H. Esserman)が経営する投資会社「TSG Consumer Parters」と組んでいた。アメリカ社会を眺めていると、本当に感慨深い。ドイツ系移民が興したビール会社は、様々なビジネスマンの手を経て最終的にユダヤ人のポケットに入ってしまうのだ。

  そう言えば、大手飲料メーカーの「シーグラム」社もユダヤ人の手に落ちた企業である。この会社は元々イギリス系カナダ人のジョセフ・シーグラム(Joseph Emm Seagram)が創業したことで知られている。ところが、1928年、シーグラム家の後継者が、ロシア系ユダヤ移民のサミュエル・ブロンフマン(Samuel Bronfman)に売却したことから歴史が変わってしまう。父親のサミュエルが亡くなると、息子のエドガー・M・ブロンフマン・シニア(Edgar Miles Bronfman, Sr.)が二代目経営者となり、三代目は彼の息子であるエドガー・ジュニア(Edgar Bronfman, Jr.)が就任した。ところが、彼は飲料会社よりエンターテイメント業界の方に興味があるらしく、シーグラムの株をデュポン(DuPont)やヴィヴェンディ(Vivendi)に売却し、次第に経営権を失って行ったそうだ。

Joseph Emm Seagram 1Samuel Bronfman 2Edgar Bronfman Sr. 003Edgar Bronfman, Jr








(左: ジョセフ・シーグラム  / サミュエル・ブロンフマン / エドガー・ブロンフマン Sr. /  右: エドガー・ブロンフマン Jr.)

  ブロンフマン家の御曹司エドガー・ジュニアは、念願叶ってエンターテイメント業界に進出し、ワーナー・ミュージック・グループの会長を務めることができた。ちなみに、彼の父エドガー・シニアは世界ユダヤ人会議(World Jewish Congress)の総裁を務めており、冷戦時代末期には、クレムリンの支配者たちと交渉し、ユダヤ人がソ連から抜け出し、アメリカへ移住できるよう手助けしたそうだ。まったく、ユダヤ人は他人の国に仲間を引き込むことが大好きだ。ブロンフマンのせいで米国のユダヤ人は更に増えてしまった。西歐系アメリカ人にしたら、とんでもない迷惑人種だが、ブロンフマンは1988年、東ドイツのエリッヒ・ホーネカー(Erich Honecker)議長から「人民の友勲章(Stern der Völkerfreundschaft)」を受賞し、1999年にはビル・クリントン大統領から「自由勲章(Medal of Freedom)」をもらったそうだ。

Edgar Bronfman Sr. & Bill ClintonErich Honecker 1Fidel Castro 1Nikita Khrushchev 1







(左: エドガー・ブロンフマンとビル・クリントン  / エリッヒ・ホーネッカー / フィデル・カストロ  / 右: ニキータ・フルシチョフ )

  だいぶ話が逸れてしまったが、リチャード・ユーラインは大富豪にもかからわず、まともな常識を備えていた。彼の父親は息子に資本制の重要性と社会主義の悪を教えていたそうだ。父のエドガーはソ連のニキータ・フルシチョフやキューバのフィデル・カストロを非難していた。(John J. Miller, "Outside the Box", National Review, May 24, 2018.) 製造業を営んでいたエドガーは、第二次世界大戦の時、海軍パイロットになっていたから、ソ連やキューバの社会主義に対して警戒感を持っていたのだろう。ユダヤ人の家庭だと逆に社会主義は善で、民衆を苦しめる資本制度は悪と教えられているから、小さい頃からリベラル派に染まる子供が多い。一方、“アメリカ的”な親に育てられたリチャードは、良家のお坊ちゃんが集まる名門校、マサチューセッツ州アンドーヴァーにある「フィリップス・アカデミー(Phillips Academy)」に通い、そこからスタンフォード大学に進学したという。意外なことに、大学では歴史を専攻したそうだ。

  共和党の献金者といえども、大金を渡すからには何らかの「見返り」や「利益」を求めているに違いない。しかし、少なくともリチャード・ユーラインは、アメリカの国益と将兵を犠牲にして、外国や自社の利益を優先している訳じゃないだろう。民衆党の献金者にはアメリカよりもイスラエルの権益を優先する奴らがウジャウジャいるから、そいつ等と比べればユーライン氏はまだマシな方である。次回は民衆党のユダヤ人献金者について紹介したい。



人気ブログランキング

愛される大統領の理由 / 「偉大なる対話者」レーガン

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


好評発売中 !

民衆党員も愛した共和党の大統領
Ronald Reagan 002Ronald Reagan 3








(左: 若い頃のロナルド・レーガン  /  右: 大統領になったレーガン)

  日本には“いつも”天皇陛下がいらっしゃるから、誰が総理大臣になろうが「まぁ、しょうがないか!」と我慢できる。だが、共和国だと事情が変わってくる。人民投票で選ばれる国家元首には、どうしても劣悪な者や凡庸な者が混じってしまう。言い換えれば、民衆の平均的資質の半分もない代表が誕生するということだ。しかし、血統による世襲君主だと、民衆の気紛れや無知で選ばれる訳じゃないから、比較的まともな王様が即位するし、“たまに”だが偉大な帝王が現れる。日本人は容易に明治大帝や昭和聖帝を思い浮かべるが、西歐人だとこうした幸運はまだ経験したことが無い。ましてや、共和政のアメリカ合衆国だと貴族的大統領なんてほとんどなく、想い出されるのは、戦争を楽しんだ赤いフランクリン・D・ローズヴェルトか、暗殺されたリベラル派のアイドル、ジョン・F・ケネディーくらいだ。

FDR 001JFK 3Lyndon_Johnson 1









(左: フランクリン・D・ローズヴェルト  / 中央: ジョン・F・ケネディー  /  右: リンドン・B・ジョンソン)

  ただし、多くのアメリカ国民から愛されたロナルド・W・レーガン大統領はちょっとタイプが違っている。歴代大統領の中でも、レーガン氏は上位のクラスに入る人物かも知れない。何しろ、レーガン大統領は民衆党支持者を共和党に引き入れた功労者であるからだ。1970年代のアメリカはリベラル色が非常に強く、ベトナム戦争の後遺症もあって、左翼や反米主義者が社会の至る所で大きな顔をしていた。都市部と人心は荒みきっていて、「古き良きアメリカ」の面影は遠い過去の遺物となっていたのだ。例えば、紳士となるべき青年はだらしない服装で無精髭を生やし、フリーセックスと称して淫行三昧。勇ましく反戦を唱えるが、その本性は卑劣極まりない弱虫。同様に、アメリカ人女性も礼儀を弁えるレディーとはかけ離れていた。フェミニズムを信奉する女学生なんて、学歴を積んだ娼婦に等しい。いくら世界平和と人類愛を訴える若者といっても、その正体は快楽と怠惰に耽るフラワーチルドレンとかヒッピーの類いで、マリファナを売買して小銭を稼ぐロクでなしだ。こうした時代に選ばれたのは、根っからの悪党であるリンドン・ジョンソンとか、至って平凡なジェラルド・フォード。エスタブリッシュメントではない事を「売り」にしたジミー・カーターは、海軍士官上がりの政治家だが、どちらかと言えばジョージア州によくいる牧師か、ピーナッツ畑で働く農夫が相応しい。人権外交を掲げたジミー・カーターは、民衆党員でも厭になるくらい無能な大統領だった。

Gerald Ford 001Jimmy Carter 2Ronald Reagan 1









(左: ジェラルド・フォード  / 中央: ジミー・カーター  /  右: ロナルド・レーガン)

  TVドラマやドキュメンタリー番組を観れば分かるけど、当時のアメリカは風紀が乱れた上に、スタグフレーションに苦しんでいた。カーター政権は何とかしようと打開策を模索したが、二進も三進も行かない状態だ。(「スタグフレーション」は景気停滞とインフレが併存する状態。) しかも、イランの人質奪還作戦が失敗に終わったので泣きっ面に蜂の状態だった。そこに現れたのが元カルフォルニア州知事のロナルド・レーガンだ。大統領選に出馬したレーガン氏は69歳という高齢だったが、レイムダックのカーターを破って当選。二期目を目指した1984年の大統領選では、特筆に値するほどの大勝利だった。対立候補は元副大統領のウォルター・モンデールであったが、絶大な人気を誇るレーガン大統領は騎虎の勢い。全米50州のうち49州を獲得する地滑り的勝利を収めた。モンデールが取れた州は、地元のミネソタ州だけ。恥ずかしくて逃げたくなる程の惨敗だ。

Walter Mondale 1(左  /  ウォルター・モンデール)
  今の共和党員の中にはレーガン大統領に心酔した保守派が結構いる。大学生の頃、レーガン大統領に魅了されて民衆党を去り、新米の共和党員になった人もいるくらいだ。筆者が米国に居たとき、時たま中高年のアメリカ白人と雑談する機会があった。そうした時、「1980年と84年の大統領選挙で誰に投票したのか?」と尋ねてみると、圧倒的に「レーガンに入れた」と答える人が多かった。元々民衆党員だったけどレーガンを気に入り、共和党に鞍替えした、というオっちんやオバちゃんが珍しくなく、政策よりも「人柄」で選んでいたそうだ。特に、南部の白人保守層は民衆党に嫌気が差していたから、リベラル派を批判するレーガンの登場は彼らにとって渡りに船だった。南北戦争以来、南部は民衆党の牙城で、親子代々民衆党員というのは非常に多い。ところが、「レーガン革命」で南部諸州はオセロ・ゲームのように「青(民衆党)」から「赤(共和党)」へと変わってしまった。レーガン以降、今でも南部と中西部は共和党の安全地帯となっている。

Ronald Reagan childhood(左  /  幼い頃のレーガンと両親)
  それにしても、レーガン大統領の魅力とは何だったのか? 彼のニックネームは「ダッチ」だが、世間は彼を「偉大なる対話者(Great Communicator)」と呼んでいた。(レーガン氏はアイリス系アメリカ人だったが、幼少時、彼の父親が「小さくて太ったオランダ人<fat little Dutchman>みたいだ」と評したことから附いた綽名であるそうだ。) レーガン大統領と言えば、「信念の人」というイメージが強い。元ハリウッド俳優だったから演技が上手いという理由も挙げられるが、それでも彼は真摯な態度を以て人々に接したと言えるのではないか。レーガン氏はかつてこう述べていた。「もし、あなたが心底信じているものがあれば、それを達成するまで、何度も繰り返し述べるだけの価値はある」と。(Lee Edwards, "What Made Reagan a Truly Great Communicator", The Heritage Foundation, February 5, 2018)

  確かに、自ら「正しい」と思った事なら、何遍でも口にできるし、たとえ困難にぶち当たっても迷わず貫くことができるだろう。親の地盤を継いだだけの二世議員など、筋金入りの共産党員と比べたら稚児に等しい。「共産主義社会を実現するためにも、現体制と天皇制を必ずや倒してみせる !」と心に誓う共産党員は、雨にも負けず、貧乏にも挫けず、批判をモノともせず、ただひたすら我が道を歩む。池田大作にぞっこんの創価学会婦人部も同類で、名誉会長様のためなら、たとえ火の中水の中、肥溜めが見えても怯まない。愛人にうつつを抜かす後藤田正純とか、毛並みがいいだけの岸田文雄じゃ勝てないぞ。また、二階俊博に寄り添って支那利権のお零(こぼ)れに与ろうとする中堅議員なんか、親分の顔を伺うだけの木偶の坊だから、100円の風見鶏よりもセコい。ところが、確固とした信念を持つ政治家は違う。目先の利益に敏い周りの者からは、「頑固者」とか「厄介な奴」と思われがちだが、それにめげず、1年、2年、10年、20年と続けていると「中々たいした奴だ」という評価を得る。というのも、大半の政治家は高邁な理念を掲げるが、それをマスコミから非難されると直ぐに引っ込め、大衆迎合の政策に舵を切るからだ。

Robert Taft 1Barry Goldwater 1Harry Byrd 2James Eastland 2







(左: ロバート・タフト  / バリー・ゴールドウォーター  / ハリー・バード  /  右: ジム・イーストランド)

  こう言えば、「レーガン大統領だって民衆党から共和党に鞍替えしたじゃないか」という批判もあるが、レーガン氏は非常に切り返しが上手かった。彼はある演説の中でこう述べていた。「私は民衆党を去ったのではない。民衆党が私のもとを去ったのだ」と。1930年代から40年代にかけて、フランクリン・D・ローズヴェルトは絶大な人気を誇り、保守的な国民でも彼の虜となったから本当に凄かった。映画業界で組合活動をしたいたレーガンにとっても、ローズヴェルトはヒーローで、民衆の味方と考えられていた。しかし、その後の民衆党政権は社会主義思想に染まったまま、リベラル路線を突き進み、反撥を招いても人種混交を推し進め、共産主義にも融和的になっていた。これじゃあ、保守的アメリカ人の気持ちが離れていったのも当然だ。南部の白人層には保守的で敬虔なキリスト教徒が多かったのに、民衆党の中枢には、人種平等主義者とかフェミニスト、反戦主義者にして反米主義者、武力闘争も辞さない黒人過激派、綺麗事を並べるだけの白人リベラリスト、西歐的アメリカに恨みを抱くユダヤ人、深紅や朱色のマルキストが盤踞していたのである。だから、南部白人には保守派のロバート・タフト(Robert A. Taft)上院議員に好意を持つ者や、大統領選で有力候補になったバリー・ゴールドウォーター(Barry Goldwater)とレーガンに靡く者が続出したのだ。一方、リベラル派に乗っ取られた民衆党にも、1960年代までは保守派が存在しており、ヴァージニア州知事を経て連邦議会に進出したハリー・バード(Harry F. Byrd, Sr.)上院議員とか、ミシシッピー州選出のジム・イーストランド(James O. Eastland)上院議員が重鎮となっていた。

ジョークが得意で愉快な大統領

Mikhail Gorbachev 1
(左  /  ミハイル・ゴルバチョフ)
  レーガン大統領の魅力と言えば、彼の人格から滲み出るユーモアのセンスである。この第40代大統領はアメリカ国民に直接語りかける能力に長けていた。日本の政治家は自分の言葉で喋るとボロが出るから、危険を回避するためにも、役所に頼んで演説原稿を書いてもらう。しかし、官僚の作文を朗読するだけでは、聴いている方も飽き飽きするから却って逆効果だ。たとえ拙くとも、正直な気持ちを自分の言葉で述べた方がいい。その点、レーガン大統領は“役者”が一枚、二枚、否、十枚くらい上手(うわて)だった。この偉人は演説の秘訣を披露する。「聴衆に語りかけよ。ただし、彼らの頭ではなく。放送業界あるいは、政界の特別用語で話しかけては駄目だ。日常で使う普通の言葉を用いなさい」と。確かに、レーガン氏のスピーチは簡潔で面白く、誰にでも分かる。だから、レーガン大統領が話し始めると皆がジっと彼の方を見つめ、その内容に耳を傾けるのだろう。

  人前で喋るときに肝心なのは、面白くて簡潔なこと。そして、真心(まごころ)を添えて語りかけることだ。日本の政治家だと、各業界のお偉方に対する胡麻すりや、票集めを狙った自己宣伝に努めるので、聴衆は最初から「居眠り」モードになる。だが、米国の政治家はジョークから始めようとする。つまり、落語の「枕」みたいなものだ。レーガン大統領は演説が巧みで、彼がパーティーや記者会見に現れると、みんな「今日はどんなジョークが聞けるのかな」と楽しみにしていた。そこで、数ある名作ジョークの中から幾つか紹介したい。

  冷戦時代のソ連では常にモノ不足で、ロシアの民衆は食糧を買うために店の前で長い行列に並ぶのが普通だった。雪が降る寒い日でも、長時間外で待っているんだから、日本の東北人も呆れてしまうだろう。1980年代、こうしたロシアを茶化すジョークは結構あった。

  あるロシア人労働者が、お酒を買おうと店の外で長蛇の列に並んでいた。そして、この男は友人に向かって、「もう、我慢できない。ゴルバチョフの奴を撃ち殺してやる!」と言い放ち、その場を去ったという。二時間後、彼は戻ってきた。友人が「どうだった? ゴルバチョフを殺せたのか?」と尋ねたところ、この怒れる男は「いやぁ~、ゴルバチョフを殺したい連中の列が、酒屋の行列より長くてさぁ」と答えたそうだ。(Tristin Hopper, "The CIA has declassified a bunch of jokes. Here are the best ones", National Post, September 20, 2018) こうしたジョークを聴くと、アメリカの聴衆は大爆笑。

  別のジョーク。冷戦時代には西側と東側のスパイ合戦が激しく、しばしばアクション映画の題材にもなっていた。ロシア人の諜報員が西歐諸国に潜入するのはザラだから、スパイに関するジョークも珍しくない。

  ある時、アイルランドで活動しているロシア人スパイに緊急事態が発生したので、クレムリンのお偉方は急いで連絡役を派遣することにした。そこで諜報機関の親玉は密使にこう告げる。潜入スパイは「マーフィー」という名前の人物だ。接触するときには「今日はいい天気だが、今夜はもっと素晴らしくなるでしょう」という“合い言葉”を使うんだぞ。密命を受けた男はさっそくアイルランドに渡り、小さな街の酒場に入った。彼はパブのカウンターに肘を突き、酒を一杯注文する。そして、バーテンダーに声を掛け、「どうやったらマーフィーと接触できるんだ?」と尋ねた。

  質問を受けたバーテンダーはこう答えた。

  「そうだなぁ、お客さんが会いたがっている農夫のマーフィーなら、あそこの道を2マイル下ってみな。農家が見えるから、そこを左に曲がるんだ」

  バーテンダーは続けて言う。「もし、靴職人のマーフィーに会いたきゃ、外の通りの向かいにある建物の二階にいるからさ!」

  この話を聴くロシア人は酒をグィっと飲み干し、例の「合い言葉」である「今日はいい天気だが、今晩はもっともっと素晴らしくなるでしょう」という不思議な言葉を述べてみた。すると、バーテンダーは「ああ、スパイのマーフィーのことだね ! 彼ならさぁ・・・」と教えるところで、観客席から笑いが起きる。これは、街の誰もが秘密の「合い言葉」とロシアからの潜入スパイを知っている、というジョークだが、アメリカの大衆はこうした笑い話が大好きだ。とりわけ、レーガン大統領が話すと更に面白い。

  こうした愉快な話は日本の議員や官僚にも参考になる。日本の国会議員が何らかの問題を交渉するため渡米し、記者会見を開くことがあるけど、そうした時に、グチャグチャと細かな事を説明したり、一方的に我が国の立場を主張しても、アメリカ人にはほとんど通じない。むしろ逆効果だ。彼らは支那人や朝鮮人みたいな顔をした日本の政治家に興味は無い。会社の命令で取材しているだけだから、日本側の立場を理解しようとせず、どこかに矛盾や欠点がないかを調べる。つまり、やって来た外人議員の「あら探し」をするという訳だ。日本の政治家は英語が不得意なうえに、下らない演説しかできないから、アメリカ人は誰も振り向かない。しかも、相手にするのは国務省や商務省の役人ときているから、アホな子供のように扱われて鄭重に追い返されるだけだ。それなら、面白い演説を英語で話せるよう訓練し、アメリカの民衆を相手に話をした方がいい。ただし、一般のアメリカ人は難しい事は分からないから、政治演説はなるべく「伝えたい事」だけに絞り、それを手短に話すに限る。演説の序盤から中盤に掛けては、誰でも分かるジョークやユーモアを交えて話し、最後の1、2分で要点を伝えればいい。そうすれば「日本側にも一理ある」と思うアメリカ人も出てくるし、好印象を持った人は具体的に聞いてみようという気になる。

  しかし、いくら「面白い」といっても、レーガン大統領は単に愉快なオジさんという訳ではない。簡潔だが力強いメッセージをアメリカ国民に訴えかけていた。例えば、大統領から直接的に「強いアメリカに戻ろう」とか、「敬虔な信仰を持ったアメリカ人」になろうと言われれば、一般国民はその真摯な呼びかけに心を打たれる。カーター政権の頃までのアメリカは本当に惨めだった。1970年代だと、国内で反戦活動家が大手を振ってアメリカを糾弾し、ベトナムで戦った将兵を「赤ん坊殺し」と罵ることもあったという。屈辱的なサイゴン陥落を想い出せば、どれほどアメリカ人が意気銷沈したかが分かるじゃないか。しかも、本国は景気低迷で失業率が上昇するし、街中では星条旗を踏みにじる者まで現れた。「かつてのアメリカは何処へやら」で、社会的モラルはボロ切れのようにズタズタである。悪いことは重なるようで、当時は社会保障の増大が肯定され、黒人社会には「福祉依存の母親」が当り前のように存在していた。これを目にしたレーガン大統領は、福祉を拡大する大きな政府に危機感を覚え、社会主義を促進するリベラル派に反対した。また、ベトナム戦争で亡くなったり負傷した将兵を慰め、国家に尽くした軍の名誉を恢復したから、保守派の多くから愛されたのも当然だ。

Mikhail Gorbachev & Reagan 1(左  /  軍縮会談のレーガンとゴルバチョフ)
  愛国心を鼓舞するレーガン大統領は、無責任な平和を口にし、ソ連との軍事交渉で緊張緩和を要求する左翼に対し、毅然とした態度を示していた。中でも衝撃的だったのは、レーガン大統領がソ連を「悪の帝国(Evil Empire)」と呼んだことだ。筋金入りの左翼は別にして、第二次大戦後の知識人は一般的に社会主義への“憧れ”や、人前では隠したい“共感”を持っていたので、露骨に批判する事はできなかった。しかし、レーガン大統領には遠慮が無い。はっきりと、明確に、ソ連を「邪悪」と断罪したのだ。これにはリベラル派も驚いた。従来の政治家だと、どこかしらに遠慮とか躊躇(ためら)いがあって、ロシアに対して強硬な姿勢を取れず、軍縮会議でも何らかの譲歩をしてしまうのだ。カーター大統領は軍の技術面については詳しかったが、軍隊をどう用いるのか、あるいは敵国を相手にどう交渉を進めるのかについては素人同然だった。

  ところが、レーガン大統領は大違い。悪い奴には圧倒的な武力で対抗すべし、と本能的に解っていた。だから、ソ連やそのシンパを遠慮無くたたっ斬る。左翼との対決に情けは無用。保守派はどんな奴が相手なのかをよく観察すべきだ。リベラル派は保守派の弱みを突く。すなわち相手の気持ちを忖度し、手加減してしまう保守派の良心を見透かす。保守派が反撃する前に、その弱点を容赦無く叩いて、優位に立とうとするから実に狡猾だ。したがって、保守派も先制攻撃を用いて、積極的にリベラル派を攻撃する方がいい。否、そうすべきだ。

George H W Bush 1(左  /  ジョージ・ブッシュ)
  昨年亡くなったジョージ・H・W・ブッシュ元大統領はレーガン政権で副大統領を務めていたが、人間的魅力には乏しい人物だった。見るからに偉そうな役人といった感じで、一般民衆は親しみを持てなかったという。演説の時に人を笑わせようとジョークを披露しても、何となく無理しているようで、ちっとも面白くないから、聴衆は義理で笑うしかなかった。しかし、レーガン大統領は天性の素質があったのか、政治権力をちらつかせなくとも多くの人が近寄ってきた。しかも、選挙となれば大喜びで全米各地を遊説し、各地の民衆は陽気な大統領の姿を目にして拍手喝采だ。レーガン大統領は本当に選挙に強かった。彼はまさしく国家元首に相応しい大統領で、米軍の白人将兵なら、レーガン大統領から勲章をもらいたいと望むはずだ。それとは逆に、徴兵逃れをしたビル・クリントンとか、隠れマルキストのバラク・オバマじゃ厭になる。後々まで残る記念撮影をするんだから、隣に立つ最高司令官は偉大でなきゃ。サンタクロースと一緒に写真をとる子供だって、白髭のオジさんがスケベとか黒人じゃガッカリするだろう。やはり、憧れの人は立派でないとね。




人気ブログランキング
記事検索
最新記事
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: