無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

アメリカ合衆国

階級の固定化 / 分裂する日本社会 (後編)

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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お金で身分を買う

Rich Americans 2lower class American 3













 大衆社会が誕生する前、大学は曲がりなりにも研究と教育を司るギルド組織であったが、段々と「階級」形成機関になってしまった。今じゃ、「最高学府」という名称も白々しい。身分制度が厳格な頃は、労働者の息子が大学を卒業しても、紳士や貴族になるわけじゃないから、大金を積んでまでオックスフォードやケムブリッジに進もうとは思わなかったが、出身大学の名前が立身出世の条件になるや、無理をしても我が子を大学に押し込もうとする親が増えた。貴族階級の無いアメリカでも事情は同じで、王侯貴族が居ない分、余計に身分形成への意欲は強い。とりわけ、平等主義が徹底している日本だと、出身大学の評価がそのまま卒業生の身分に繋転化するので、エリートを目指す高校生はうなぎ登り。勉強が苦手な雑魚やドジョウだって有名大学の登龍門にチャレンジするくらい。漫画だけど、「ドラゴン桜」という弁護士が、受験生の尻を叩いて東大に入れようとするんだから、悟りを目指す比丘(びく / 僧侶)もビックリだ。

 ちょっと脱線するけど、学歴社会の裏で実力主義が脈打つ日本は意外と素晴らしい。筆者が尊敬する武論尊(別名「史村翔」)先生や池上遼一先生、弓月光先生は輝かしい学歴は無いものの、ボンクラ官僚より輝いている。武論尊といえば、『ドーベルマン刑事』や『北斗の拳』の作者としてで有名だ。池上先生は『クライング・フリーマン』を手掛けた劇画家で、武論尊と組んだ作品には『サンクチュアリ』や『HAET 灼熱』『BEGIN』などがある。ヒット・シリーズの『甘い生活』で知られる弓月先生は、昔、受験戦争をモチーフにした恋愛漫画『エリート狂走曲』を描いていた。筆者にとっては想い出深い作品である。(秀作漫画を探している高校生は一度読んでみてね。)

Rick Singer 4 (左  / ウィリアム・リック・シンガー )
  話を戻す。今月、アメリカで大学への不正入学を巡るスキャンダルが発覚した。何と、我が子を有名校に入れたい裕福な親が、大金を払ってブローカーに頼んだというのだ。この賄賂を懐に入れた仲介者というのは、ウィリアム・リック・シンガー(William Rick Singer)という"コーチ"で、受験生のカウンセリングを行う「Edge College & Career Network」の創設者である。彼はまた、非営利団体の「Key World Foundation(キー・ワールド財団)」を運営する最高責任者でもあるそうだ。高額所得者の願望に目を付けたシンガーは、「お宅のお子さんを名門校に入れてあげまっせ!」と囁き、法外な値段を吹っかけたという。彼が唾を付けた大学は、イェール、スタンフォード、テキサス大学、南カルフォルニア大学、UCLA、サン・ディエゴ大学、ウェイク・フォレスト大学などである。

  日本の庶民にはちょっと無理だが、なんと言っても、金に糸目を付けぬ億万長者がゴロゴロ居て、「世の中すべてお金で解決できる」というアメリカだ。大金を払っても構わないという親は少なくない。今回の事件がマスコミの注目を浴びたのは、依頼人の中に有名なハリウッド女優が居たせいだ。『デスパレート・ハウスワイヴズ』で知られるフェリシティー・ハフマン(Felicity Huffman)は、長女のソフィーをスタンフォード大に入れるべく、「チャリティー献金」という名目で、「キィー・ワールド財団」に1万5千ドルを寄付したそうだ。(Sara Boboltz and Hayley Miller, "Felicity Huffman, Lori Louighlin Charged In College Admission Scheme With More Than 40 Others", The Huffington Post, March 12, 2019.) 慈善活動を賄賂の道具にするのは"けしからん"が、寄付金を税控除にするためには賢い方法である。ちなみに、フェリシティーの亭主は、映画『ファーゴ』で知られるウィリアム・H・メイシー(William H. Macy)だ。

Felicity Huffman & William MacyFelicity Huffman & Sophia & William Macy












(左: フェリシティー・ハフマンと夫のウィリアム・メイシー  /  右: ハフマンの娘たち)

 もう一人のハリウッド・スターであるロリ・ロフリンは、日本でもお馴染みの『フルハウス』に出演していた女優である。彼女にはイザベラとオリヴィアという二人の娘がいて、南カルフォルニア大学にねじ込むため、50万ドル(二人分)を払ったそうだ。この娘たちはスポーツ枠を利用して裏口入学を謀ったそうだが、今回のスキャンダルで水の泡となってしまった。でも呆れたことに、彼女たちはその競技をしたことが無かったという。日本でもそうだけど、アメリカではどんなアホでも、バスケットボールやアメフトが得意なら、有名校に推薦入学できる。大学の理事長や部活のコーチは、スカウトマンを使って優秀な選手を集め、自校の名声を高めようとするから、学力なんか二の次、三の次で、終いにはどうでもよくなるそうだ。

Lori Loughlin & daughtersLori Loughlin & Mossimo Giannulli













(左: ロリ・ロフリンと二人の娘  / 右: 亭主と一緒のロフリン )

  しかし、アカデミックな業績を重要視する教授は、こうした風潮を嫌い、筋肉頭の学生に厳しい点数を付けようとする。だが、落第前に政治的な圧力が掛かり、低能学生は無事ご卒業となるらしい。小学生程度の学力しかない黒人学生が、有名大学の卒業生になっているのは、スポーツ入学と底上げ点数のお陰なのだ。ある大学教授が嘆いていたけど、英単語の綴りさえまともに書けない黒人学生とか、文法が滅茶苦茶なヒスパニック系の学生がいるんだって。それに、たとえスポーツ選手じゃなくても、「アファーマティヴ・アクション(有色人種優遇制度)」があるから、文系の一般学生には"いかがわしい"奴が多く含まれている。これは大きな声で言えないけど、鋭敏な白人は黒人の医者を避けるそうだ。どんな方法で大学に入ったのか分からないし、ちゃんとした業績でその地位を得たのか怪しいからである。有色人種だと、その肌の色で特別な出世を遂げたりするから、本当の実力なのか否か、不安で信用できない。

知識社会と所得格差

  不正入学事件はともかく、アメリカ社会で大学が果たす役割は大きい。特に、知識産業に携わる人材を育成し、高い身分や所得を形成する要因となっているから尚更だ。最近のアメリカ社会では貧富の格差が拡大し、それが固定化する傾向が強くなっている。例えば、トップ1%に属する人々は、一世帯当たり平均で421,926ドル(約4600万円)の年収があり、残り99%だと一世帯当たり平均で50,107ドル(約551万円)になるらしい。この数字だけ見れば「そんなにかなぁ」と思ってしまうが、上層中流階級を除く下層中流階級や労働者階級を区別して計算すれば、そのギャップは更に広がってしまうだろう。全米各地の所得格差を二、三箇所調べてみれば判るはずだ。

                  上位1%での一世帯当たりの平均年収 / 下位99%における一世帯当たりの平均年収
ニューヨーク州                    $ 2,202,480                                           $ 49,617     
コネチカット州                     $ 2,522,806                                            $ 67,742  
カルフォルニア州                 $ 1,693,094                                            $ 55,152 
テキサス州                          $ 1,343,897                                           $ 55,614

 今では信じられないけど、1960年代前半くらいまで、アメリカ人の所得格差は少なく、表面的には上流階級と中流階級の区別は曖昧だった。もちろん、富裕層と貧困層はあったけど、ほとんどの白人が自分を中流階級に属していると考えていたし、高額所得者もド派手な生活を送ることはなかった。例えば、上層中流階級のエリートたちが車種で差別化を図ろうとしても、選択肢は限られており、大都市ならメルセデスやジャガーを見かけることはあっても、それは例外である。第一、大都市でも輸入車のスペア部品は入手困難で、整備工も見つからないから維持費が掛かってしまう。だから、輸入車なんか買うより国産車の方がいい。

  じゃあ、キャデラックを買えばいいかというと、それはエリートから敬遠されたという。なぜならば、管理職や専門職に就くホワイトカラーは、「目立ちたがり屋」を避けるからだ。下品な都会人やレッド・ネックの田舎者なら、馬鹿デカいアメ車を乗り回して有頂天になるだろうが、洗練された趣味を持つ教養人は、平凡なアメ車かシックなヨーロッパ車を選んだりする。彼らはたとえお金があっても、ファイヤーバード・トランザムなんか買わず、フォルクス・ワーゲン社のビートルを選ぶ。屋敷に関しても同様で、プールやテニスコート附のメガハウスなんかには住まない。1960年代だと、新築物件の平均価格を二倍したくらいの値段で、高級住宅地に家を構えることができたのだ。

Richard Florida 2 ( 左 / リチャード・フロリダ )
  しかし、1970年代が過ぎ、80年代90年代と進むにつれ、新たな上流階級が現れてきた。 ハーヴァード大学教授で労働長官になったロバート・ライシュによれば、この新階層に属するのは、企業の経営者、技術者、科学者、法律家、学者、会社幹部や行政府の高官、ジャーナリスト、コンサルタントなどであるらしい。ジョージ・メイソン大学のリチャード・フロリダ(Richard Florida)教授によれば、新上流階級は、情報処理を仕事にする「頭脳労働者」、あるいはそれに見合った報酬を得ている者である。つまり「クリエイティヴ・クラス」に属する人々だ。具体的に言えば、音楽家、建築家、エンジニア、デザイナー、作家、藝術家、科学者、あるいはビジネス、医療、法律などに関わり、その中心的な部分において創造性を発揮する事を求められている人であるという。

  現在のアメリカ社会を見ていると、人種的差異もさることながら、報酬や地位で社会的評価がガラリと変わってしまうのだ。日本だと法科大学院まで進もうとする人は少数派だが、アメリカだと高額の授業料を払ってでもロー・スクールに通おうとする。憲法上の法解釈に携わる裁判官は有力者だし、黒を白にするドリーム・チームを抱える法律事務所となれば、莫大な報酬が期待でき、そこに所属する弁護士は高額所得者になること間違い無し。全米放送で雇われるキャスターやアンカーマンもビックリするような年俸を得るから、まるでメジャー・リーグの野球選手みたいだ。また、ニュース報道の方針を決めるマスコミ上層部、主要なメディアで署名入の記事を投稿している高名なジャーナリストやコラムニスト、映画やTVドラマの制作に係わるプロデューサーやディレクター、一流の大学や研究所に属する学者などもエリート層になるらしい。

階級で異なるライフスタイル

  日本人は階級を所得の面でしか見ないが、本当は生活様式での違いが決定的な相違点になっている。アメリカでは厭になるくらい、人種や階級でライフスタイルとか文化が違っているという。例えば、有名小学校に子供を通わせる保護者は服装からして違うし、乗っているクルマも大抵ヨーロッパ製の外車である。ケバケバしい化粧はせず、服装もコンサーヴァティヴで仕立てがいい。大阪のオバちゃんみたいに、ヒョウ柄などのアニマル・プリントやサンバイザーは絶対に好まず、合成繊維の服もダメ。これは論外だけど、入れ墨を彫っている紳士淑女なんて想像できない。有名幼稚園の面接では即門前払いだ。コンビニだって採用しないぞ。

  また、保護者の外見を眺めると、年齢層が違っているのに気づく。普通の小学校では母親の平均年齢は20代後半か30代前半であるのに、エリート校では20代の母親は稀で40代が多い。父親も40代後半か50歳代前半で、高校生か大学生の子供がいてもおかしくはない年齢である。もう一つの特徴は、見た目の違い、つまり体型が違うのだ。普通の小学校では、両親の3分の2が太り気味で、残りの3分の1が肥満である。日本でもオバタリアンは太り気味だけど、黒人やヒスパニックのオバはん達と比べれば、遙かにマシだ。黒人だと業務用のマヨネーズ容器かと思ってしまうほどのデブがいて、皮膚の下は脂肪だらけ。アフリカ系アメリカ人には、ホッテントットの遺伝子が混ざっているのかも知れない。

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(左: 肥満気味の黒人女性  / 右: 肥満体質の白人女性 )

  一方、有名私立小学校では、両親はだいたい痩せていて、肥満は稀である。新上流階級は健康と運動に気を配っているので、スポーツクラブに通って引き締まった体を保ってい人が多い。中にはマラソン大会とかトライアスロンに参加して、やり過ぎじゃないのか、と思える人もいる。他にはヨガ教室に通ったりする人や、週末にマウンティングバイクに乗る人、平日にプールで泳ぐ人など様々だ。彼らは自分のコレステロール値を知っており、ファストフード店に行くことはない。一部の新上流階級は、ファストフードを恥ずべきモノと考え、決して子供を連れて行こうとはしないのだ。フレンチ・フライに使われているショートニングにはトランス脂肪酸が多く、肥満の原因となっている。アメリカ人は小さい頃からジャンクフードに馴れているせいか、塩辛いポテト・フライにケチャップまで附けて食う奴がいるというから、本当に救いようがない。多少知識があって健康志向の親なら子供に食べないよう注意する。

  筆者がNYにいた時、「人間観察」の目的でバーガー・キングやマクドナルドに行ったことがあるけど、もう憂鬱になるくらい有色人種ばかりで、大抵の客は多かれ少なかれ皆、肥満気味。しかも、英語の発音が独特で、目を瞑っていても黒人と判る。店で注文できるのは、人工甘味料がたくさん含まれた炭酸飲料ばかりで、新鮮なオレンジジュースなんか無い。お金を払うのは気が進まなかったけど、試しにビスケット(日本で言うと「マフィン」)を食べてみた。案の定、パサパサで美味しくない。アメリカ人のお客が、どうして人工蜂蜜とかメイプル・シロップをタップリ附けて頬張るのか、その気持ちがよく分かった。(アメリカでの食生活を紹介すると長くなるので、別の機会で述べてみたい。)

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(左: 巨大ハンバーガーに齧り付く黒人  / 右: ジャンク・フードに慣れ親しむヒスパニックの子供 )

  新上流階級は飲み物の好みも違っており、彼らが口にするのはワインかクラフトビールくらいである。それも、軽くたしなむ程度。酒豪のアイリス人みたいに、瓶のバドワイザーをラッパ飲み、なんてことはない。一気飲みで急性アルコール中毒になるのは、日本の馬鹿な大学生くらいだ。新上流階級は、タバコを「キャンサー・スティック(癌を引き起こす棒)」と呼び、ほとんどの人が吸うことはない。

  次に、新聞や雑誌に関してだが、新上流階級は情報収集に熱心だから、リベラル派は『ニューヨーク・タイムズ』紙、保守派だと『ウォールストリート・ジャーナル』紙を毎日でオンラインでチェックする。雑誌は『ニューヨーカー』とか『エコノミスト』、老舗の『ジ・アトランティック』や『ハーパーズ』などを購読し、時折、ガーデニングや旅行雑誌、文藝評論などを読む。彼らは暇な平民と違って、あまりテレビを観ない。上流階級は平日だと仕事で忙しいし、家族との団欒を大切にするから、「アメリカン・アイドル」とか「リアリティー・ショー」といった下らない番組に没頭することはない。自分たちで楽しい事をしようとする。休日になれば、人里離れた湖までピクニックに行くし、別荘を持っていれば家族で週末を過ごしたりする。娯楽費に余裕のある彼らは、多彩な趣味を持ち、一般人だと手が出ない乗馬やテニス、登山、スキー、カヌーを楽しんだりする。また、彼らは遠く離れたカントリー・クラブでゴルフをしたり、ヨットでクルージングに出かけたりするから羨ましい。(チャールズ・マレー 『階級「断絶」社会アメリカ』橘明美訳、草思社、2013年、pp.63-66.)

Charles Murray 1 (左  /  チャールズ・マレー)
  アメリカ社会を研究する政治学者のチャールズ・マレー(Charles Murray)は、職業と認知能力(cognitive ability)に注目する。科学技術やハイテク産業はもちろんのこと、金融や法律、医療業界においても高い知能が要求され、それに応じた報酬が与えられるという。確かに、高度な技術を発明・改良できる人には、複雑な問題を解決できる数学的能力とか、人並み外れた認知能力が必要になってくる。そして、こうした能力は幼い頃からの教育で取得されるので、家庭環境や学校のレベルがこれまた重要になってくるのだ。

  良い教育にはお金が掛かる。したがって、奨学金を得れば別だが、そうでない場合、親が高額所得者でないと有名私立学校に子供を通わせることは困難だ。公立学校は下層中流階級の子弟や、黒人やヒスパニックの低能児、移民や難民の子供たちで溢れているから、学力とか勉強どころの話じゃない。そもそも、躾ができていないのだ。知的好奇心なんか限りなくゼロに近い。数学や理科は天空の科目で、ざわついた教室ではモーゼの十誡を教えるだけで精一杯。つまり、「人を殺してはダメ」とか「盗むな」「淫乱はよくない」「麻薬は違法だ」「兇器を学校に持ってくるな」とか、呆れるほどの禁止事項が優先されている。言いづらいけど、黒人のガキどもに位相幾何学(トポロジー)なんて無用だ。性科学(セクソロジー)でさえ難しいから、教えるのはコンドームの使い方くらいである。

遺伝する知能?

  子供の知能は親の影響を多大に受けている。特に、母親との接触を通して形成されるみたいで、家庭での教育は非常に大切だ。新上流階級の女性は、妊娠に気づくや否や、子育て計画に没頭するという。知的な母親は先ず産婦人科選びから始め、自己管理を徹底し、アルコールを控えるのはもちろんのこと、栄養摂取量が適量になるよう食生活を管理するそうだ。また、自然分娩のためのクラスを受講し、産後の母乳は当たり前。ベビー用品は量販店でなく、インターネットで様々な商品を検索し、比較検討した後に購入する。子供の精神的発達を重視する女性は、一時的に職場を離れ、専業主婦となって子育てに専念するらしい。新上流階級の女性は高齢出産という危険を犯すが、無事出産すれば、20代の母親より円熟しているので、落ち着いて子供の躾をすることができるという。

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(左: 理想的な上層中流階級の家庭  /  右: 知的生活にはほど遠い家庭の子供)

  知能は部分的に遺伝するが、やはり環境の要因も大きい。だから、IQの高い親からIQの高い子供が育つ確率は高く、安定した家庭を築く経済力があれば、こうした子供は更に有利だ。マレーによれば、親の学歴や知能は子供の学力を左右するそうだ。夫婦とも高校中退だと、子供のIQ期待値は94で、名門校を出た両親の子供だと、IQ期待値は121になるらしい。つまり、鳶(トンビ)から鷹は生まれないと言うことだ。確かに、日本でも学校の勉強が苦手だった親から秀才が生まれる確率は低い。ファッションとダンスだけが得意なハッピー女子が、「我が子を東大に!」とかいうテレビ番組に感動し、北歐の教育玩具を購入しても、子供の知能が高くなるとは思えない。翻って、修士号や博士号を持つ母親が、娘のヒップ・ホップ・ダンスを褒めたり、一緒にカラオケでJポップスを唄うことは稀で、毛嫌いする方が普通である。パチンコなんか夢の中でもしないし、親子揃って髪染め、藝人気取りでプリクラを撮るなんてこともない。

  米国では大学入試としてSATやACTといったテストがある。2010年、SATの数学と英語700点以上を獲得した高校生の87%は、少なくとも両親のどちらかが大卒で、56%は少なくとも両親の片方が大学院卒であったという。「やはり」と言っては何だが、大卒者の親は子供の将来を考え、大学進学のための準備をするし、普段の生活でも子供の勉強に注意を払い、時には宿題の手助けをしたりする。たとえ、意識的に勉強させようと考えなくても、親が読書の習慣を持っていたり、知的好奇心の持ち主であれば、子供は自然と本に手が伸びるし、物事を深く考えたり、新たな知識を得ようするものだ。

  以前、数学者の森毅(もり・つよし)教授が述べていたけど、子供の頃は児童向けの本が無かったので、しょうがなく父親の書斎にあった難しい本を読んでいたという。森氏は何気なく述べていたけど、これは凡人の家庭と比較すると結構すごい。例えば、労働者の家だと、そもそも学術書が無いし、本があっても競馬必勝法とか、ゴルフの上達本、釣り雑誌とか週刊現代、ヤング・マガジンくらいだ。たとえ、本棚があっても、並んでいるのは『こち亀』全200巻とか、『ワンピース』や『ドラゴンボール』ばかりでお宅族のコレクションに過ぎない。また、『ゴルゴ13』があっても、内容が難しいので「積ん読」状態だったりする。頭の痛い家族だと、全員揃っての夕食でも、知的な会話というものは無い。両親の好奇心と言えば、隣人や同僚の噂話か陰口で、社会問題といっても新聞の三面記事をちらっと読むていど。後は、藝人の色恋沙汰とか、野球の試合結果といったところだ。

Rich Americans 3lower class Americams 1









(左: 知的産業で成功した大富豪  /  右: 生活苦に喘ぐ下層労働者)

  日本でも有名大学に進学するのは、高収入の親を持つ子供か、高学歴の家庭で育った子供であるという。知能の高い人は、それに見合った仕事に就く割合が多く、配偶者となる人も同じ職場に勤めていたりするから、双方とも高学歴で高収入という場合が出てくる。つまり、彼らは自分と同等の知力と経歴を持つ相手と結婚するということだ。マレーによると、
新上流階級を形成し固定化するものは、同類婚(homogamy)らしい。これは個人的属性が類似している者同士が結婚する現象を指す。学歴が類似していれば学歴同類婚で、認知能力が似ている者同士が結ばれれば認知能力同類婚となる。ただ、高学歴の男性でも、相手が美人で魅力的なら高卒でも構わない、と思うから男女の仲は複雑だ。

  世間にはマレーの見解に腹を立てる人もいるけど、モノは考えようで、秀才と馬鹿が結婚するより、いわゆる「バカップル」の方が幸せな場合もある。趣味や知能が同じだからウマが合う。例えば、デートで洋画を観に行っても、吹き替え版で揉めたり嫌がったりすることはない。なぜなら、両方とも「日本語」の字幕を読むのが苦痛だから。もっと悲しいのは、翌日に内容を忘れていることだ。知性が等しいバカップルは、相手の缼陥(けっかん)に気がつかないから毎日が楽しい。恋人が「テイク・アウト(持ち帰り)」を「テイク・オフ(離陸)」と間違えても、それに気づかず自分も同じ事を言ってしまうし、「月極駐車場」を目にすれば、「月極(げっきょく)さんていう人は、たくさん駐車場を持っているのねぇ」と二人で感心してしまうのだ。(まぁ、「京極」という名前の人がいるから仕方ないかなぁ。) こんな訳だから、参議院と衆議院の違いが分からぬ有権者がいても不思議じゃない。

  日本と同じくアメリカでも、庶民の大学進学が普通になっている。マレーも触れていたが、1960年代くらいまでのアメリカ人は、高卒でも満足していたし、要職に就く人でも名門校卒という訳ではなかった。アイゼンハワー政権の閣僚を見れば分かるけど、有名大学卒の経歴を持つ長官がいる一方で、無名校卒の長官もいたのだ。例えば、内務長官のダグラス・マッケイは少年時代からの苦労人で、パッとしないオレゴン州立カレッジ卒である。しかも、オレゴン州知事になる前、彼は鉄道会社で事務員を務めていたし、一時は自動車のセールスマンでもあったのだ。農務長官になったエズラ・タフト・ベンソンは、11人兄弟の長男で、ユタ州立農業カレッジ卒である。労働長官になったマーティン・パトリック・ダーキンは、配管工を経て陸軍に入隊し、その軍歴を買われて政治家になった。商務長官のフレデリック・ミュラーは家具職人の息子で、通ったのはミシガン州立大学だ。

Douglas McKay 1Ezra Taft Benson 2Martin Patrick Durkin 1Frederick Muller 1









(左: ダグラス・マッケイ  / エズラ・タフト・ベンソン /  マーティン・パトリック・ダーキン /  右: フレデリック・ミュラー)

  ところが、今や政治家や閣僚になるのは、裕福な家庭の出身者か有名大学を卒業したエリートがほとんど。軍人上がりの政治家でも、海兵隊の一兵卒じゃなく、士官学校卒の優秀なビジネスマンだったりする。財務省とか国務省に配属される議員や官僚になると、ゴールドマン・サックスとかメリルリンチといった金融業界出身者が多く、あとはハリバートン(ヒューストンの多国籍業)やCFR(外政問題評議会)の回し者みたいな人物ばかり。高い地位に就く人々は、プレップスクールや大学で人脈を作り、結婚相手も同じ階級の異性を選ぶ傾向が強い。議員や官僚、大富豪の閨閥(けいばつ)を調べると、意外な人物が親戚だったりする事がよくある。

  ということで、大学進学率が増えるにつれ、学歴同類婚の可能性が広がってきてもおかしくはない。クリスティーヌ・シュワルツ(Christine R. Schwartz)とロバート・メア(Robert D. Mare)の研究によれば、教育の程度による同類婚が結構みられるという。1960年代には、両方とも大卒という組み合わせは、全米カップルの僅か3%であったが、2010年には25%に跳ね上がっていた。この変化は特筆すべきものであり、既に新上流階級形成の重要な因子になっている。さらに重要なのは、認知能力同類婚の増加である。IQの高い両親を持つ子供は、やはり知能が高くなるそうで、名門大学に集中しやすい。日本でも子供の頃から大学附属の学校や進学塾に通っていた者は、東大や京大に合格する率が高いし、理系になれば圧倒的に有利だ。社会科学や人文科学でも、本当の意味で大学レベルの課題に取り組むには優れた言語能力が必要で、良い成績を収めたいと思ったら、かなりの言語能力はもちろんのこと、困難な課題に取り組む精力や継続的な努力が必要となる。田舎の学校でのんびりと暮らしている子供じゃ、都会のエリート高校生には勝てない。

  緊縮財政や意図的なデフレ継続のせいで、ここ数十年、庶民の生活水準は頭打ちか低下の一歩を辿っている。高額所得者は子供に充分な教育を与えるから、景気に関係なく名門大学に送ることができるけど、低所得の子供は中級大学か底辺大学しか進めず、就職先も大した能力や技術を要求されない企業となる。つまり、凡庸な一般人だと、給料は安いのに目一杯こき使われる業種にしか選択肢が無いということだ。さらに恐ろしいのは、支那人や朝鮮人、インド人などの移民が日本の大学を目指し、定員枠から日本人を蹴落とすことである。科挙の伝統を引き継ぐ支那人からすれば、教科書くらいで躓く日本人など敵ではない。移民や帰化人の子供が大学に増えれば、将来のエリート層には外人系が目立つようになり、グローバリスト的風潮は益々強くなるだろう。彼らは日本の伝統や歴史に興味は無い。支那人は支那人で群れるし、朝鮮人は在日同胞の利益を優先させようとする。政界や財界でもアジア人が増えれば、彼らは日系人に不利なルールや法令を作ろうとするはずだ。大学の推薦枠にも民族的要素が濃厚となり、支那人は支那人を引き入れるし、朝鮮人は朝鮮人を贔屓にしようとする。大学の人事も例外じゃない。帰化朝鮮人が朝鮮系の講師を優遇することはくらい、容易に想像できるじゃないか。

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(左: 支那人生徒だらけになったカナダ・トロントの学校  /  右: 黒人生徒が主流になったアメリカの公立学校)

  下層階級が固定化する日本というのは本当に恐ろしい。大した学歴も無いから、つまらない仕事しか選べず、いつまで経っても低所得のまま、という庶民が増えれば、日本人の中に無力感が蔓延してしまうだろう。低い知能が親から子へと受け継がれ、貧富の格差は悪循環となって固定化し、「努力したって生活は良くならない」という絶望感が庶民に拡散する。ただでさえ左翼教育で日本人の国家意識は低下しているのに、そのうえ階級社会となれば、日本人が伝統的に持っていた「国民の絆」はズタズタに分断されるだろう。国家を支える中流階級が没落すれば、日本はラテン・アメリカのようになってしまう虞(おそれ)がある。夏祭りの時だけ元気になる国民じゃ先が知れているよねぇ~。

  でも、日本人はどんどん劣化し、怠け癖までついてきた。今年は御代替わりがあるからしょうがないけど、10連休なんて異常じゃないか。日本には驚くほど休日が多い。西歐人が「海の日」とか「山の日」なんて聞いたら腰を抜かすぞ。まぁ、受験生は勉強すると思うけど、暢気な家庭の子供だと準夏休みだ。下層階級の親はテレビの前に坐って、一日中ボケ~と野球やゴルフを観戦しているし、できの悪い子供は何時間も携帯やTVゲームに夢中となる。賢いのは藝を覚えるペットだけ、という日本になったら本当に哀しい。人間なら、元「渡辺組」の猫組長くらい頭が良くないと、グローバル社会で成功しないぞ。




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ジョン・ウェインに激怒する黒人 / 率直に語りすぎた白人俳優

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白人至上主義者の俳優?!

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  ジョン・ウェイン言えば、ハリウッド・スターの中でも超有名で、アメリカを象徴する代表的人物だ。日本の映画ファンなら、『赤い河』とか『黄色いリボン』『駅馬車』『勇気ある追跡』『アパッチ砦』『アラモ』などを想い出すんじゃないか。ジョン・ウェインには数々の作品があるけど、やはりカウボーイとしての役柄が似合っており、陽気で気さくなアメリカ人というイメージがある。たとえ、西部劇を離れても、彼の男らしさは変わらず、嵌まり役といったら軍人しかない。したがって、いくら役者とはいえ、民間企業に勤める“しがない”サラリーマンとか、うだつの上がらない公務員なんてキャラクターは企画段階でボツ。

John Wayne 7(左  /  『クリーン・ベレー』でのジョン・ウェイン)
  アクション俳優のシルヴェスター・スタローンやアーノルド・シュワルツネッガーと同じく、ジョン・ウェインも勇敢な軍人を演じればピカイチだ。1968年に公開された『グリーン・ベレー(The Green Berets)』では、陸軍特殊部隊を率いるマイク・カービー大佐を演じていた。彼はこの作品で主演の他、自ら監督を務めていたが、制作の目的にはベトナム戦争で落ち込んでいるアメリカ社会を励ます意図もあったらしい。ちなみに、この映画の設定には無茶なところがあった。ウェインはベトナムに派遣される特殊部隊の指揮官を演じていたが、通常、「大佐」級の軍人が小隊を率いることはない。一般的に、特殊部隊を任されるのは大尉か中尉くらいで、あとは熟練のスナイパーやベテランの曹長などで構成されるのが普通である。しかし、ウェインが演じる軍人は大佐じゃないと“しっくり”こない。脳天気な日本人だと、政治家を選ぶ際、東大法学部卒とか元財務省官僚に目を留め、「わぁ、すごい経歴だなぁ~」と思って指導者に選んでしまうが、アメリカの一般人は、試験秀才とか上級役人なんかは崇めない。頼りがいのある陸軍や海兵隊の大佐の方を選んでしまう。やはり、民衆を束ねるリーダーにはカリスマが必要で、不測の事態に対応できる能力はもちろんのこと、即座に正しい判断を下し、責任を持って実行できる人物でないと駄目だ。予め答えが分かっている問題に正解できるから「エリート」なんて思うのは日本人くらい。霞ヶ関の高級官僚を見てみろ。「責任最小、権限最大」がモットーになっている。(どこの役所でも同じで、責任はボンクラ大臣に丸投げなんだから。)

  ついでに言うと、元ハリウッド俳優で後に合衆国大統領になるロナルド・レーガンが憧れていたのは、このジョン・ウェインだった。大統領になったレーガンは、休暇になるとよく牧場へ赴き、愛馬に乗って楽しんでいたが、それはアメリカ国民に向けて、自身のカウボーイ姿を植え付けるためでもあった。アメリカの大衆は宮澤喜一のような気取ったインテリが大嫌い。彼らは気さくなんだけど威厳のある軍人とか、ガッツと人徳のあるアメフト選手などを好む。やはり、一国の指導者は堂々とした風格の持ち主でなきゃ。鳩山由紀夫みたいな宇宙人とか、サラリーマン風の福田康夫などは論外。また、ダチョウ倶楽部の上島竜平かと見間違う野田佳彦でも恥ずかしい。翻って、反共主義のレーガン大統領は、強大な軍事力を背景にしてソ連を叩き潰そうとしたカウボーイ。西部開拓時代を連想させる手法に、保守派の国民は大喜びだった。大統領職には武力を以て悪党を退治する英雄が相応しい。猪みたいに直進一本槍の森喜朗じゃ馬鹿の一つ覚えだ。小泉純一郎に至っては、アメリカの石油業界に土下座して、「どうかひとつ、息子の進次郎を総理大臣にしてやって下さい!」と揉み手すり手なんだから、老醜としか言い様がない。

John Wayne & Roanld Reagan 1Ronald Reagan 321










(左: ロナルド・レーガンとジョン・ウェイン  /  右: 乗馬を楽しむレーガン大統領)

  脱線したので話を戻す。最近、脚本家で写真家のマット・ウィリアムズ(Matt Williams)が、1971年に発売された『プレイボーイ』誌でジョン・ウェインのインタビュー記事に目を附け、その暴言を自身のツイッターに載せたという。すると、この“再発見”を耳にした一般人は大騒ぎ。何しろ、ジョン・ウェインが亡くなって40年以上も経つから、若いアメリカ人は西部劇で活躍した名優くらいにしか思っていなかったのだ。でも、記事を読んだ一般人は目を疑うほど驚いた。「まさか、あの有名俳優が・・・」と大ショック。この騒動は瞬く間にマスコミに流れ、左翼メディアの「ワシントン・ポスト」紙や、黒人向けウェッブサイト・ニューズの「グリオ(The Grio)」が取り上げる事になった。

  現在の高校生や大学生だと、ジョン・ウェインは既に「過去の役者」となっているから、「誰それ?」と尋ねる人の為にちょっとだけ紹介したい。ジョン・ウェインというのは藝名で、本名はマリオン・ミッチェル・モリソン(Marion Mitchell Morrison)。綽名は「デューク(Duke)」で、これは彼が飼っていた愛犬「デューク」から由来しているという。近所の人々はマリオンがいつも連れて歩くペットの方を「リトル・デューク」と呼び、飼い主の方を「ビッグ・デューク」と名づけたそうだ。成長したマリオンは海軍兵学校を目指すが、不合格となって、大学に進学する。だが、怪我のせいでスポーツを断念し、役者の道を選んだそうである。勇敢な保安官や軍人を演じて好評を得たウェインには、やはり愛国者の血が流れていた。彼の祖父は南北戦争を戦ったアメリカ人で、孫のマリオンが海軍士官を目指したのも、こうした家系の影響があったのかも知れない。健全な両親に育てられたマリオンは、普通の善良な青年に育ち、母親の信仰を受け継いでプレスビテリアン教会(長老派のキリスト教宗派)に通っていたという。

John Wayne 12John Wayne 11John Wayne 4










(左: 学生時代のジョン・ウェイン  / 中央: デビュー当時の写真  / 右: 西部劇のウェイン )

Joseph McCarthy 002(左  / ジョゼフ・マッカーシー )
  今の日本人やアメリカ人からすると「えっ!」と驚いてしまうだろうが、ジョン・ウェインは意外にも反共主義者で、“極右”組織と評される「ジョン・バーチ協会(John Birch Society)」に属していた。「ジョン・バーチ協会」と言えば、日本では怪しげな政治団体と見られがちだが、米ソ対立が激しかった1950年代から60年代のアメリカでは反共主義の民間団体に属する人は珍しくなかった。歐米や日本で反共主義団体の評判が悪いのは、マスメディアが容共の左翼に牛耳られていたからだ。つくづく嫌になってしまうが、ハリウッドや全米テレビ局には、ピンクや深紅の左翼ユダヤ人がゴマンといたのに、それを暴く映画や特番はほぼ皆無。反米活動家と見なされた映画監督は、まるで魔女裁判の犠牲者みたいになっている。ところが、「赤狩り」を行う保守派に対しては容赦がない。電柱のような鉄槌が下され、自由社会の擁護者は極右扱いだ。「反共」の代表格たるジョゼフ・マッカーシー上院議員は、悪魔の権化か閻魔大王。一旦、学術書で有罪が決まれば、その判決を覆すのは至難の業で、事実、未だにその汚名は払拭されず、妄想に取り憑かれた狂人といった具合だ。しかし、今となってはヴェノナ文書が公開され、マッカーシー上院議員の批判が正しかったと証明されている。一方、マッカーシズムを糾弾していた学者は知らぬ顔。何事も無かったかのように平然としており、過去の言論は総て闇に葬っているんだから本当にズルい。

Midnight cowboy Dustin Hoffman & Jon Voight 2Easy Rider 32








(左: 『ミッドナイト・カエボーイ』に出たダスティン・ホフマンとジョン・ヴォイト  /  右: 『イージー・ライダ』のデニス・ホッパーとピーター・フォンダ)

  『プレイボーイ』誌のインタビューで、リチャード・ウォーレン・ルイス(Richard Warren Lewis)の質問に対し、ジョン・ウェインはどう答えたのか? 例えば、1960年代に公開された映画『イージー・ライダー(Easy Rider)』や『ミッドナイト・カウボーイ(Midnight Cowboy)』について訊かれると、ウェインは否定的な反応を示したらしい。「君はミッドナイト・カウボーイの中に出てくる男二人の素晴らしい愛について、 つまり、オカマ野郎(faggot)どものストーリーについて訊きたいのかい?」 ウェインが男性の同性愛者に対する侮蔑語を口にしたことからも分かるように、彼はこの変態作品を嫌っていたという。(Stephanie Nolasco, "John Wayne's family responds to actor's controversial 1971 interview with Playboy", Fox News February 21, 2019.)

  ちなみに、『ミッドナイト・カウボーイ』では、ジョン・ヴォイトがテキサスからやって来たカウボーイの「ジョー」を演じ、ダスティン・ホフマンがチンケな詐欺師「リッツォ」を演じていた。おぞましいのは、所持金を騙し取られたジョーが、金に困って男娼に身を堕とし、心ならずも客からのオーラルセックスに応じたことだ。ベトナム戦争が泥沼化した1960年代後半から70年代にかけて、アメリカの社会道徳は一気に崩れ、敬虔な生活が馬鹿にされ、ふしだらな生活が容認されるようになった。ハリウッドの左翼制作者たちは、陽気で実直なアメリカ人というキャラクターを徐々に捨て始め、その代わり、暴力シーンが満載のヴァイオレンス映画とか、フラワー・チルドレンが出てくる頽廃映画を作るようになった。また、男女の性描写もあからさまになり、フリーセックスに溺れる若者とか、結婚を望まないフェミニストなどが銀幕に登場し、それを左翼監督が“クール”に描いたから、敬虔なアメリカ人は眉を顰めた。アメリカの映像作品によく「PG-13(13歳以下の観客には親の同伴を必要とする)」「NC-17(17歳以下の観客は入場禁止)」といった規制があるのは、未だに西歐的倫理基準が息づいているからだろう。

黒人に対して赦しを乞わない !

  西部劇映画で有名になったウェインだから、当然、インディアンに関する質問も出ていた。ルイスは原住民に対しどんな感情を抱いているのかを尋ねたという。すると、ウェインは次のように答えた。

  私は彼らから土地を取り上げたことについて間違っているとは思わないね。いわゆる、我々が彼らから土地を奪ったという話だが、それは生存競争に過ぎない。新しい土地を必要とする人々が大勢いて、インディアンは身勝手にも自分達だけのものにしようとしていた・・・・そうだなぁ、確かに不平等はあっただろう。もし、これらの不平等が今生きているインディアンに影響を与えているとしたら、彼らには裁判に訴える権利があると思うよ。しかし、この国で100年前に起こった事を以て、現在の我々が責められるべきとは思わんがね。

  こうした見解には様々な反応が予想できる。白人に土地を奪われたと叫ぶインディアンの末裔がこの話を聞けば、「ふざけるんじゃない! 身勝手なのはどっちだ! お前ら白人が腕尽くで奪ったんじゃないか! まったく、盗っ人猛々しいぞ!」と憤慨するだろう。一方、戦国時代と帝国主義時代を経験した日本人だと、「戦って負けたんだから仕方ないんじゃないか」と思えてくる。なるほど、昔ながらに暮らしていたインディアンからすれば、先祖伝来の土地にいきなりヨーロッパ人が現れ、勝手に境界線を引き、「所有権」なるものを主張したんだから、「何だ、それ!」と反撥するのも無理はない。いくら土地取引の契約を結んだといっても、インディアンは好意で土地を貸しただけだ。未来永劫、自分の土地を割譲した訳ではない。だから、インディアンたちは征服者たちを憎んだ。実際、彼らはイギリス人を殺したし、フランス人と手を組んで反撃を企てることもあった。今のインディアンは一方的な被害者を演じているが、彼らの祖先は無抵抗のまま殺戮されたんじゃない。戦闘で白人を捕まえれば首を切ったり、問答無用で頭皮を剝いだりと、思いっきり復讐を果たしたこともあるのだ。

  日本の高校生はあまり知らないけど、俗に「フィリップ王の戦争(King Philip's War / 1675~76)」と呼ばれる「メタコム酋長の叛乱(Metacom's Rebellion)」があった。ワンパノアグ族がイギリス人の村を襲撃し、家屋を焼いたり家畜を不具にしたこともあったという。中でも、マスケット銃を撃ちまくって白人を虐殺した話は有名だ。ここで刮目すべきは、キリスト教に改宗していたインディアンが劣勢だったイギリス人を助け、彼らに反撃の方法を教えてやったというエピソードだ。一方的にインディアンが皆殺しにされたという話は、巷に漂う都市伝説の類いである。白人をやっつけるインディアンの英雄譚には一種の爽快感があるが、仲間割れという欠点も見逃すことはできない。ピークウォット族やモヒカン族はワンパノアグ族と団結せず、一致協力してイギリス人入植者を撃退することはなかった。したがって、一口に原住民といっても、部族や個人を見渡せば事情は様々で、彼らは一枚岩ということではなかったようだ。インディアンは日本人のように臥薪嘗胆で西歐化を図り、力を貯めて乾坤一擲、西歐列強を撥ね除けようとしなかった。この点、昔の日本人は本当に賢かったと言えるしんじゃないか。もし、幕府と薩長で内乱を続け、英仏からの資金や武力に頼っていたら、簡単に西歐諸国の植民地となっていただろう。

  インディアンの末裔が白人に文句を垂れるのは勝手だが、それならアメリカ国籍を捨て去り、合衆国からの保護を一切受けないと宣言すべきだ。先祖を殺した敵に税金を払い、医療や教育、住宅、治安維持といった社会福祉を受けながら、白人征服者に「反省」を求めるなんて滑稽だ。インディアンの末裔はさっさと西歐文明から離脱し、伝統的な部族社会に戻るべきだろう。病気になっても緊急治療室に行かず、呪い師のもとで治してもらえばいい。だいたい、白人が建てた学校へ通って、憎い相手の言語(英語)を学ぶなんて馬鹿げている。出身部族の言葉を学ぶのが先なんじゃないか。また、クーラーやウォシュレットなんかも厳禁だ。夏が暑いのは当然。家電製品は白人の発明だから拒否すべし。大便は野原で済ませろ。ガスや灯油も白人が持ってくるエネルギーだから駄目。燃料は薪のみで、サマー・キャンプみたいな日常にすればよい。ただ、こうした前近代的な生活に、若い原住民が耐えられるのかどうか、は別の問題である。

  ルイスによる質問で、一番アフリカ系アメリカ人を激昂させ、論争を巻き起こしたのは、黒人に対するウェインの見解である。インタヴューアーのルイスは、黒人極左のアンジェラ・デイヴィス(Angela Davis)や人種差別について質問した。ウェインは黒人が白人に恨みを抱き、不満をぶつけたいという感情には理解を示していた。「しかし、だからといって我々が急に跪き、何事においても黒人の指導を仰ぐ、といった事はない」とウェインは釘を刺す。

  私は黒人が責任感を持つように教育されるまで、白人の優越性(white supremacy)を信じたいね。私は無責任な人々に判断力が求められる指導的地位を与えたくないし、そうした権威を与えることにも賛成しないなぁ。

  ウェインは黒人がリーダーの資質に欠けること、そして、責任ある地位に就くには教育が足りない、といったことを述べていた。特に、彼は劣った黒人に下駄を履かせて大学に入れてやる制度に反対だった。何しろ、白人と同じ試験を受けて学力が足りないと判明したのに、「有色人種だから」という理由で優先的に入学を認める制度なんだから、不正の合法化と言えるんじゃないか。確かに、「アファーマティヴ・アクション(有色人種優遇制度)は何割かの黒人に知識を与え、就職への道を与える事はできた。しかし、その一方で黒人全般の評価を下げることにもなっていたのだ。いくら黒人が「俺はハーバード大卒なんだぞ!」とか、「奨学金を貰って、プリンストンやダートマスの大学院に通ったんだ!」と自慢しても、白人は「まぁ、黒人だから特別扱いにしてもらったんだろう」と小馬鹿にする。実際、バラク・オバマは“これ”といった業績も無いのに、権威ある「ハーバード・ロー・レビュー」誌の統轄者になれた。一方、集英社や小学館はハーバード大学ほど甘くはない。日本の出版社と一般読者は実力主義の信奉者だから、いくら黒人の漫画家でも「週刊ジャンプ」の看板作者にはしないし、人気投票で一番にすることもない。たとえ、投票葉書を捏造しても、単行本の売れ行きやアニメ化の話で躓くから、すぐ嘘がバレる。

Obama 21black children in Indiana 4








(左: 学生時代のバラク・オバマ  /  右: 講義を受ける黒人学生たち)

  ルイスは更に厳しい質問を浴びせかけた。すなわち、ウェインが黒人奴隷をどう考えているのかを尋ねたのだ。そこで、ウェインが率直に答える。

  私は5世代や10世代前に彼らが奴隷だったという事実に関し、罪悪感を覚えることはない。だからといって、奴隷制を見逃すというか、赦す訳じゃないからね。それは人生にある現実なんだ。例えば、身体障碍を抱えた子供が、金属製の器具を身につけている状態なら、友達と一緒にフットボールを楽しむ事はできないよね。現在の白人と競争できる黒人は、白人よりもマシな厚遇を受けているんだ。もし、アメリカより素晴らしい権利を得ている黒人がいたら、どこの国なのかぜひ教えてもらいたいものだ。

  もう、こんな発言を耳にしたら、黒人の活動家や大学教授は激怒するだろう。ウェインが述べていたことは、黒人に対する虐待は過去の話で、現在の我々には関係無いという趣旨だ。しかも、白人が教育と機会を与えてやったから、少しはマシな黒人が増えたのであって、白人が一方的に非難されるのは心外だと語っていたのである。ウェインの意見は人種によって評価がまちまちだし、彼と黒人のどちらが正しいのか、判断を下すのは日本人でも難しい。黒人の恨みは理性を越えた感情にある。いくら白人が正論を吐いたとて、絶対に受け容れることはできない。なぜなら、劣等民族の悔しさは言葉で治療することができないからだ。これは日本人を恨む朝鮮人と同じで、いくら言葉で謝っても、因縁をつけてくる民族の心は晴れない。朝鮮人が日本人を奴隷にし、男は縛り首で、女は強姦という復讐を果たせばスッキリするだろう。しかし、普通の日本人なら、こんな仕打ちに耐えられまい。必ずや抵抗するはずだ。

自分の祖先を恨めない黒人

  黒人が白人を赦せないのは、白人の残虐性もさることながら、黒人が持つ自らの「惨めさ」に原因があるのだ。アメリカの黒人は奴隷船でアフリカ人を連れてきた白人を憎む。だが、その奴隷商人はアフリカの有力部族から「黒い捕虜」を購入したのだ。ポルトガルやスペイン、ブリテンの白人が各地の村を襲って黒人を拉致するなんて無理。そもそも、西歐人が密林を掻き分けて侵攻したというのは嘘で、大抵は紛争に勝った黒人部族が敗者を捕虜にして、取引を持ち掛ける白人に転売したというのが実態である。事実、カリブ海の黒人たちは、輸出先のナイジェリアやガーナを恨んでいる。例えば、ナイジェリアで人権活動に励む黒人左翼は、部族の酋長ならびにその子孫を責め立て、奴隷制の後遺症に苦しむ黒人に謝るよう求めていた。(David Smith, "African chiefs urged to apologise for slave trade", The Guardian, 18 November 2009.) しかし、当のアフリカ人には「人権」という概念は更々無い。そんな言葉を聞いたって馬耳東風。「権利(rights)」と聞いても「右手」を差し出す程度。象牙の方がお金になる。もし、「有罪」とされた部族の首長に「賠償として牛30頭、豚40匹、鶏70羽を出せ!」と要求すれば、「何で俺が貴重な財産を差し出さなきゃならないんだ!」と激昂して棍棒を振り上げるだろう。アフリカの黒人はウェインと同じく、「遙か昔になされた罪を現在の者が償う義務は無い!」と撥ね付けるだけだ。我々にとって興味深いのは、「こうしたアフリカ人を見たアフリカ系アメリカ人はどう思うのか?」という点である。

Marcus Garvey 13(左  /  マーカス・ガーヴェイ)
  もう一つ、アメリカ黒人の怒りには別の要因がある。アフリカ系国民の地位向上を訴え、白人批判を展開する赤い黒人は、現在の白人に賠償を求めても、彼らの祖先が選んだ「決断」には触れようとはしない。なぜなら、白人から解放された元黒人奴隷は故郷に帰ることを拒み、白人国家に留まる事を選んてしまったからだ。(その結果、黒人の子孫は精神が妙に歪んでいる。) 以前、当ブログでも紹介したが、「黒いモーゼ」と呼ばれるマーカス・ガーヴェイ(Marcus Mosiah Garvey, Jr.)は、白人国家のアメリカで黒人は幸せにならないと考え、黒人はアフリカに戻るべきだと訴えた。このジャマイカ人救世主は、アフリカに作られたリベリアに赴き、黒人による国家を創設しようと夢見たが、肝心の黒人たちは興味を示さなかった。ガーヴェイは「ブラック・スター・ライン」社まで創設し、渡航手段を持たない黒人を助けてやろうとしたのに、彼の同胞は故郷での悲惨な生活を予想し、豊かなアメリカに住み続けることを選んだ。

  現在の黒人はあれこれ不満を漏らすが、彼らの祖先は差別よりも貧乏を恐れていた。これは情けない現実だが、一旦、高度な文明に触れた劣等種族は、いくら差別されようが、その豊かさに魅了され、ちょっとした“おこぼれ”でもいいから「華やかな生活に与りたい!」と願ってしまうのだ。確かに、異人種の国で差別されることは苦痛だ。しかし、アフリカに還って貧乏生活を味わうよりマシである。アフリカにはゾっとするような原始的生活しかない。電気・水道・医療が存在しないばかりか、「明日への希望」さえ無いのだ。アメリカには立派な建築物が聳え立ち、煌びやかな衣装を身に纏った貴婦人がいる。今は無理でも子供や曾孫の代には、「人並みの暮らしが出来るんじゃないか」と淡い希望を抱く黒人もいたはずだ。アメリカは西歐人の天下であっても、一応、公衆衛生が行き渡っていたから、黒人でも多少はその恩恵に浴することもできた。簡単な治療といえども、病気への恐怖が軽減されていたし、黒人でも医学を学ぶこともできたから、アフリカよりマシである。映画では残虐な扱いをする白人ばかりが出てくるが、中には黒人に温情をかける白人もいたから、強制収容所みたいな暮らしを想像するのは間違いだ。農園で働く黒人は御主人様の情けを求めたし、黒人を雇う白人にも“まともな”経営者がいたらしい。

  奴隷制度を持たなかった日本人から見れば、アメリカ白人の黒人搾取は残酷に思えてしまうだろう。だが、世界史を眺めてみれば、奴隷制なんて珍しくもないし、「同胞を奴隷にしなかった西歐人はまだ“上等”なんじゃないか」と思えてくる。アジア大陸の民族にとって異邦人を差別するのは当り前だし、戦争捕虜の虐待・拷問は普通で、奴隷貿易なんか単なる商売だ。インドに行けばカースト制度があるし、アフリカでは狂気に満ちた部族闘争が絶えない。ルワンダでの虐殺劇を想い出せばわかるじゃないか。敵を捕まえて足首を切断するんだから、人権も正義もあったものではない。鳥や豚じゃあるまいし、鉈(なた)で人間の手足をぶった切るなんて鬼畜と同じ。しかし、これとて支那人に比べたら可愛いものだ。支那人の殺戮といったら日本人の想像を遙かに超えており、戦争となれば殺人や掠奪、放火は当り前。数十万人規模の虐殺なんか幾らでもある。人間を捕らえてバーベキューにするくらい朝飯前というか、ちょっとした“お祭り”といった感じである。

Slavery in Africa 3Slavery in Arabia 13








( 左: アフリカ人の奴隷 /  右: 白人奴隷を売買するムスリム商人の絵)

  アメリカの黒人が憤りを持ち続けるのは分かるけど、それならアフリカに移住して、立派な黒人国家を建てるべきなんじゃないか。それに、白人を糾弾する黒人は、リベラル派の左翼分子やユダヤ人に裏で操られている場合が多い。当ブログで以前も紹介したが、ユダヤ人左翼は黒人の公民権活動家に近づき、法的アドヴァイスを与えたり、こっそりと資金を提供したりと、様々な支援を送り、「共通の敵」に戦いを仕掛けていた。また、革命家の白人極左にとって、怒れる黒人は「便利な馬鹿」となっていた。憎い資本家を抹殺し、伝統的社会を転覆させるには、「社会正義」を振りかざす尖兵、あるいは何も考えない鉄砲玉、すなわち「捨て駒」や「消耗品」が必要なのだ。日本人の保守派でも、こうした構造を判っていない者が多く、単純な保守派は黒人に加勢して「そうだ、白人はけしからん!」と憤慨する。だが、西歐諸国と絶縁した日本がどのような運命を辿るのかは考えない。他方、アメリカの大学で西洋批判を展開するユダヤ人は、お金を払わないのに協力してくれる、海外のボランティア馬鹿に感謝し、左翼連携を持ちかけよとする。日本人はユダヤ人のプロパガンダに弱いから、簡単に引っ掛かるだろう。

  とにかく、ジョン・ウェインの意見に反撥するアメリカ人は大勢いると思うが、1970年代初頭のアメリカを考えれば、彼の歴史観に不思議なところは無い。もし、マズいところがあるとすれば、それは彼が率直に答えを述べた点にある。黒人は白人全般を非難するが、アメリカの白人には東歐系とか南歐系が含まれているし、たとえ西歐系国民に絞ったとしても、誰が奴隷所有者の子孫なのか特定は難しい。それに、今日では入植者の子孫とかアングロ・サクソン系の数が激減しているから益々困難だ。彼らの末裔は様々な人種と混淆しているから、仮に奴隷所有者の財産を受け継ぐ者を探し出したとしても、どれほどの賠償金を獲得できるのか分からない。民衆党の極左議員であるカマラ・ハリスやエリザベス・ウォーレンは、奴隷制に関する賠償を払うべし、と主張していたが、具体的にどうやって償うつもりなのかを述べていなかった。(Lisa Eustachewich, "Kamala Harris , Elizabeth Warren both support reparations for slavery", New York Post, Febraury 22, 2019.)

Kamala Harris 11Elizabeth Warren 114








(左: カマラ・ハリス  / 右: エリザベス・ウォーレン )

  ハリスとウォーレンは勇ましい持論を口にしていたが、こんなのは単なる人気取りだ。第一、議会が承認しないし、大半のアメリカ人も大反対となるだろう。考えてもみよ。奴隷所有者の子孫じゃないのに、「白人だから」という理由で資産をむしり取られる白人は黙って税金を差し出すのか? 結局、ハリスとウォーレンは黒人有権者にアピールしただけ。彼女たちが何を言おうが、アメリカの黒人は惨めなままだ。奴隷として搾取され、解放されてもほったらかし。たとえ、白人並に扱われるようになっても、黒人票を狙う政治家に利用されている。奴隷の子孫は差別意識をひた隠しにする白人を怨むが、かといって白人のいない黒人だらけの社会をつくると、不正や腐敗がはびこり、貧乏と悲劇が織り混ざったスラム街になってしまう。最終的に、「白人様、戻ってきて !」と懇願するか、白人の居住区に潜り込むのがオチだろう。何てことはない、白人に寄り添って暮らすことが黒人の幸せになっているのだ。ちょっと賢い日本人なら、「哀しいけど、これが現実なのよねぇ~」と云いたくなる。
  




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