無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

偉人伝/人物評論

古谷経衡は元「ネット右翼」? / 有名になりたかった変節漢

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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チャンネル桜を踏み台にした元「保守派」の著述家

Furuya 1  今月27日の朝、偶然テレビをつけていたらテレ朝の『モーニング・ショー』が映っていて、以前チャンネル桜に出ていた古谷経衡(ふるや・つねひら)がゲストに呼ばれていたので、「あれっ!」と少々驚いた。筆者は古谷氏の意見に興味が無かったので、彼の著作を購入したり、新聞に掲載したコラムを熱心に読んだことはない。ただ、チャンネル桜の水島社長が朝日新聞に載った彼の記事を紹介していたので、「左翼陣営に鞍替えしたんだなぁ」と思う程度だった。古谷氏がどんな著述活動を展開しようが筆者の知ったことではないが、『モーニングショー』に出演し、玉川徹を前に「ネット右翼」なるものを語っていたので、「何だ、こいつ!」と思ってしまったのが正直な感想である。

  調べてみると、古谷氏は今回の番組以外でも民放の番組に出演し、評論家としてコメントを述べているようだ。チャンネル桜の「さくらじ」でキャスターをしていた頃と比べれば、「随分有名になったんだなぁ」と思えてしまう。あの頃はまだ駆け出しの素人で、大した知識も無く、ネットで話題になった社会問題を論じるくらいだったのに、今では政治問題のご意見番を気取って、「ネット右翼」や保守派言論人を批判しているんだから大したものである。最近まで知らなかったんだけど、古谷氏は「オフィス・トゥー・ワン」というタレント事務所に所属しているそうだ。ここには久米宏とか長谷川幸洋、森永卓郎が所属しているから、古谷氏がテレ朝に出演できた理由も納得が行く。昔、久米宏がキャスターを務めていた「ニュース・ステーション」は、オフィス・トゥー・ワンが仕切っていたから、テレ朝とは今でも太いパイプがあるんだろう。古谷氏は以前からテレビの世界に憧れていたというから、こうした事務所に入ったのは当然なのかも知れない。

  古谷氏がテレビ番組に登場して何を評論しようが勝手だが、元「ネット右翼」の著述家で、保守論壇に通じているとは笑止千万だ。彼の分析によると、「ネット右翼」と呼ばれる人々は、平均年齢が40歳から50歳くらいで、零細企業の経営者とか管理職、医者などが多いらしい。一般的に想像されているような、引きこもりの若者とか低所得者のブルー・カラーではなく、比較的お金に余裕がある人々であるそうだ。どのような調査で判明したのか分からないが、「ネット右翼」の人口は約200万人くらいらしい。そして、彼らには特定の思想とか主義主張は無く、保守派知識人の言説を鵜呑みにして盲従するのが特徴であるという。古谷氏が最も強調していたのは、「ネット右翼」の「韓国、中国、朝日新聞嫌い」という点である。この三つの内、一つでも好きなものがあれば「左翼」か「パヨク」になるそうだ。

  まぁ、一生懸命お勉強して、大所高所から「ネット右翼」を批判しているんだろうげど、南鮮と支那と朝日新聞を嫌いだと「ネット右翼」になってしまうなら、健全な日本人はほとんど「ネット右翼」になってしまうだろう。ただし、パソコンを使わない人でも、この三つを嫌いな人はいるから、“ネット”右翼ではなく「通常右翼」となる。古谷氏の定義に従えば、筆者も「ネット右翼」に分類されてしまうが、筆者は根拠も無しに朝鮮人や支那人を「嫌い」なんじゃない。ちゃんとした理由があるから嫌いなだけだ。たとえ、朝日新聞の支持者から「右翼」とか「極右」と呼ばれても、不愉快な連中は“嫌い”だし、はっきりと「キライだ!」と言っても赦される日本社会は素晴らしい。

  一方、朝日新聞の社員は一般国民のように、朝日の記事を「変だ!」「偏っている!」「間違っている!」と公言できるのか? 彼らの中には、上司や重役の目を気にしながら自分の意見を押し殺し、「生活と給料の為だ」と自分に言い聞かせたり、「出世が第一」と割り切って会社の方針に隷従している者もいるはずだ。朝日の社員だって内心では「おかしい」と気付いているだろう。例えば、在日朝鮮人とか帰化鮮人が罪を犯して逮捕されたとき、テレ朝や朝日新聞は通名だけを報道し、本名を隠すことがよくあった。若い社員だと、「どうして朝鮮人には特別なんだ?」と一般人から訊かれ、答えに詰まってしまうだろう。また、テレ朝の社員は私生活で不愉快な朝鮮人とか図々しい支那人と出逢って「何だ、あの野郎!」と思っても、「朝鮮人や支那人の全員が悪い訳じゃない!」と自己抑制している。だが、自分の祖国で生まれ育ち、故郷や東京で働き、言論の自由まで保障されているのに、支那人や朝鮮人に遠慮して本音を公言できないなんておかしい。案外、テレビ朝の局員とか朝日新聞の社員の中に、支那人や朝鮮人を嫌う「ネット右翼」がいて、匿名でネットに書き込みをしているかも知れないぞ。あるいは、「ネット右翼」を装って、わざと「ヘイト文言」を書き込み、「みなさん、ヘイト・スピーチを行うネット右翼が急増中です!」とヤラセ記事を書く社員がいないとも限らない。「サンゴ事件」を想い出せば分かるだろう。

  昭和の頃、戦前の意見を戦後になって翻した「変節の知識人」というのがいた。もしかすると、古谷氏は平成の変節漢なのかも知れない。チャンネル桜に出演していた頃は、借りてきた猫よりもオドオドして、慎重に保守派路線をなぞっていたけど、チャンネル桜から離れてオフィス・トゥー・ワンに入ってからは、テレビ局が好む左翼路線に変更したようだ。彼は「ネット右翼」と訣別し、過去を反省するかのように保守派を批判する。例えば、古谷氏は小林よしのりの『戦争論』を論評したとき、作者がネタ本にしていた渡部昇一先生の『かくて昭和史は甦る』を取り上げていた。渡部先生の著書を批評するのはいいけど、「渡部史観」なるものを作り上げ、幼稚な視点で酷評していたのは赦せない。

  例えば、渡部先生が示していた朝鮮統治の評価についてである。古谷氏によると、渡部先生は日本の帝国主義的傾向と植民地支配からの利益に言及していないそうだ。明治国家にとって台湾支配は「金のなる木」であったという。例えば、台湾銀行などは植民地経営の余剰金を日本に送っていたから、日本は利益を得ていたそうだ。この若手批評家によると、朝鮮統治も同様らしい。確かに、朝鮮支配は日本からの持ち出しの方が多かったが、大陸への進出にとって重要な軍事的橋頭堡になっていたから、植民地における収奪の多寡を以て善政・悪政と判断するのは「論外」らしい。(古谷経衡「ネット右翼の『思想的苗床』となった『戦争論』と再検証する」 ネット右翼十五年史 (3) 1998年夏」、現代ビジネス・オンライン、2017年10月3日) 朝鮮統治の検証をすると長くなるので省略するが、仮に「植民地支配」であっても、支配された朝鮮人にとっては、朝鮮史に類を見ない黄金時代であり、日本人による“収奪”なんて微々たるもんだ。こんな「植民地支配」ならインド人やアフリカ人は、「俺たちの国も日本の植民地にしてくれ!」と懇願するだろう。

  古谷氏の見解に一々反論するのは馬鹿らしいけど、もう一つだけ紹介する。彼は渡部先生の歴史用語にもイチャモンをつけていた。古谷氏は次のように述べる。

  この本で渡部氏は、一貫して中国大陸の人々を「シナ人」と呼称し、冒頭の付記でも「中国という語は、東夷、西戎、北狄、南蛮といった蔑称に対する概念として用いられる美称であり、日本においては拒否されるべき」と記している。・・・この理屈は、現在のネット右翼の間でも「シナ人が~」の呼称が一般的なように、極めて普遍的にみられる倒錯した用法である。既にこの時点で、のちにネット右翼につながる無根拠なヘイト的世界観の片鱗が存分に伺えるのである。(古谷経衡 「『日本は負けたけど勝った』 現実を見ない『自称保守』の淵源」、現代ビジネス・オンライン、2017年10月12日)

  「支那」という呼称については筆者も『支那人の秘史 朝鮮人の痴史』(第4章, pp.174~189)で詳しく述べたから、ここでは繰り返さない。古谷氏に説明しても理解できないだろうが、そもそも日本人が「中国」と呼べば、広島や島根、山口あたりを思い浮かべるのが普通だろう。そもそも、日本人が日本の慣習で話して何が悪いのか。「中国」というのは「日本」にある地域だ。例えば、日本人のドライバーが中国自動車道を利用するからといって、パスポートを用意してクルマを運転するのか? また、「中国銀行」といっても岡山県にある“日本”の地方銀行で、決して北京や上海を拠点(本店)にする金融機関ではない。以前、関東銀行とか九州銀行があったから、中国銀行という名称もおかしくはなかった。一般国民が「支那」を蔑称と考えてしまうのは、外務官僚や左翼学者のせいで、彼らが北京政府に阿(おもね)ったからである。

  「鮮人」禁止も同じ理由で、在日朝鮮人が「チョーセン」という響きを極端に嫌ったから、マスコミや学者が「禁句」にし、何も知らない一般人が追従しただけだ。冷戦時代、東西ドイツを呼ぶ際に「西独」や「東独」という略称は許されていたのに、なぜ朝鮮に関しては「南鮮」と「北鮮」をタブーにするのか? 常識的に考えて納得できない。マスコミの鮮人贔屓は念入りで、「朝鮮語」を避けて「韓国語」を愛用しているが、言語名は国名と一致するとは限らない。例えば、イラン人が喋る言葉は「ペルシア語」だし、スイス人はフランス語やドイツ語、イタリア語を話している。ドイツ人が使っている言語は、第三帝國時代でもワイマール共和国時代でも、大正時代でも「ドイツ語」だ。ドイツに詳しかった森鷗外が「ワイマール語」と呼んだことがあるのか? オーストラリアの国民が喋っているのも「オーストリア語」じゃなく「ドイツ語」だ。「オーストリア・ハンガリー語」なんて呼ばないぞ。こんな事くらい冷静に考えれば直ぐ解るじゃないか。だいたい、朝鮮人はドイツ人と違って“どこ”が「特別」なんだ? マスコミは理由をはっきりと述べるべきだろう。

  一端の評論家気取りなんだろうが、古谷氏の言論には軽薄なところが非常に多い。例えば、最近、彼は文化放送のラジオ番組に出演し、ゲストの竹田恒泰と一緒に皇室問題について語っていた。司会者が皇位継承問題に触れたとき、古谷氏は「女系天皇でもいいんじゃないか」とか、「女性宮家の創設には賛成」と述べていた。チャンネル桜の視聴者が聞けば、「おい、何だ、その考えは!」と憤慨するだろう。こんな見解なら巷の左翼評論家と変わらないじやないか。個人的な意見だから仕方ないけど、それならチャンネル桜に出演したとき、水島社長の前で堂々と持論を表明すればよかったじゃないか、と言いたくなる。また、竹田氏が陛下の宗教的側面について言及したとき、古谷氏は「天皇は宗教的な存在なんですか?」と尋ねていた。聞くところによると、現憲法では天皇が宗教的存在との記述は無く、「国民の象徴」としか書かれていないからだという。

  もう、馬鹿らしくて反論する気にもなれない。彼に西歐の憲政史を説明しても無駄だから言わないけど、簡単に言うと、当り前過ぎることは憲法に書く必要は無いのだ。例えば、イングランドの君主がキリスト教徒であることは“当り前”だから、カトリックとかプロテスタントの宗派に関して記述しても、貴族院や士族院の議員が自国民の誤解を懸念して、制定法にわざわざ「王様はキリスト教徒なんですよ!」と明記することはない。子供だって女王陛下がアングリカン教会の首長であることは知っているし、国家元首であることも承知している。日本人だと「自衛隊は軍隊なのかなぁ?」とか「国家元首は天皇か、それとも総理大臣なのか?」と迷ってしまうが、イギリス人なら「英国軍の総帥は国王で、誰が見ても国家元首」と分かっている。占領憲法を半世紀以上も温存している国民とは違うのだ。アメリカ人だって憲法の基本は分かっている。古谷氏にアレクサンダー・ハミントンやジェイムズ・マディソンの憲法観を話しても解らないから、結局は馬の耳に念仏になってしまうだろう。それでも説明すれば、憲法に記すのは基本的な事柄に限る。日本国憲法のように、個人の結婚についてまで明記する根本法なんて異常だ。

  左翼メディアで重宝されている著述家なんて論評する価値も無い。しかし、こうした男が「若手の保守派」を装って、チャンネル桜に出ていたんだから腹が立つ。結論を言えば、水島社長は古谷氏に利用されたということだ。つまり、古谷氏は無名人から有名人になるため、テレビ番組を運営する有力者に取り入り、顔と名前が世間に知れるや、“頃合いを見計らって”ポイ捨てにした、ということだろう。昔、西部邁も宮崎哲弥に利用されていた。まだ、無名の若造だった宮崎は、有名だった西部氏に近づき、彼が喜びそうな言論を吐いて可愛がられていた。宮崎は「ジジイ殺し」のコツを摑んでいたから、西部氏に同調し、「保守派」を名乗って左翼知識人を批判していただけだろう。筆者は準備号から西部氏の『発言者』を購読していたので、いかがわしい宮崎の正体が直ぐに判った。ちなみに、『発言者』は保守派雑誌とは程遠く、常連執筆者は三流知識人ばかり。無味乾燥な文章を書き連ねる佐伯啓思とか、「パンク右翼」を自称する福田和也、憲法学の業績が無い憲法学者の八木秀次、民主党を支持する官僚上がりの榊原英資などウンザリするような面々だった。そこに、根暗の歴史家、保阪正康が連載を持っていたんだから、雑誌が行き詰まるのも当然だ。

  チャンネル桜の水島社長は、若者を育てるつもりで古谷氏にチャンスを与えていたのだろうが、本人は水島氏を踏み台にしただけだった。本籍は左翼でも有名になりたいから、保守派メディアに潜り込んでくる奴は多い。中西輝政などは三重大学や静岡県立大学にいた頃、岩波の『世界』や『月刊社会党』に招かれる同志だったのに、冷戦終結間際になると「ヤバい!」と思ったのか、『正論』や『諸君!』に鞍替えして「保守派論客」に成りすましていた。加地伸行も同類で、支那人に媚びるチャンコロ屋なのに、保守派雑誌で知られる『月曜評論』に登場し、メジャーな紙媒体である『正論』、『WiLL』、『産経新聞』に進出して「伝統保守」を名乗っていた。小粒ながら古谷氏も同系の著述家だ。

  ただし、古谷氏の場合、一般的に云う「知識人」とか「言論人」とはちょっと違う。彼がテレ朝の番組に起用されるのは、「こんな若い人が朝日路線に賛同してますよ!」と視聴者に仄めかすためだ。進歩的文化人の没落と左翼知識人の老齢化に悩む朝日にしてみれば、フレッシュな左翼世代は大歓迎。有名人になりたがっている古谷氏はまさに適役だった。社会問題を取り上げるワイドショーには、教養のカケラも無い幼稚な藝人が雁首を並べているから、俄(にわか)仕込みの知識を披露する古谷氏でも結構“知的”に見える。たぶん、古谷氏は一端の「知識人」に見えるよう計算しながら喋っているのだろう。彼が出演したある番組の動画をYouTubeで見たけど、その中で彼が軍事問題を論じていたので笑いそうになった。「出演前に一生懸命お勉強したんだねぇ~」と思えるような説明だったから反論する気にもなれなかった。まぁ、目くじらを立てずに「憧れの職業に就けたんだから良かったじゃないか」と温かく見守ってやるのが“大人の対応”なんだろう。今回、筆者が古谷氏のようなテレビ藝人を取り上げたのは、水島社長に同情したからだ。水島社長は自分の財産と時間を使ってインターネット放送を運営し、各地で政治活動や抗議デモを行っている立派な日本人である。このような人物を利用して出世した古谷氏を一般国民はどのように考えるのか? 筆者は日本に害をなす支那人や朝鮮人をちょくちょく批判するが、もっと嫌いなのは古谷氏のような日本人の方である。

  

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狂気と愛国で育った国士 / 決死の藤田東湖

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奇抜な兵法を使う訪問者

Fujita 1(左 / 藤田東湖 )
  前回、橋本左内を取り上げ、西郷隆盛が尊敬した人物と紹介したが、南洲にはもう一人敬服する碩学がいた。それが藤田東湖(とうこ / 虎之助)である。東湖は水戸藩きっての碩学として、その名が天下に響き渡り、大西郷のみならず、土佐の山内容堂までが魅了され、東湖を招いて歓待する程であったという。もし、水戸藩が薩長土肥と肩を並べるくらい維新に貢献していたら、東湖の名はもっと広まり、現在の中高校生でも耳にする偉人になっていたはずである。この水戸藩の偉人については多くの伝記が書かれているので、筆者が改めて評する必要は無いが、面白いエピソードを一つ目にしたので、ここで紹介したい。

  ある日のこと。藤田東湖が住む屋敷の玄関に、相良六郎という若者が訪ねてきた。彼は後に「櫻眞金(さくら・まがね)」や「櫻任藏(さくら・にんぞう)」の名で知られる小松崎一雄という医者の息子である。彼は玄関先で、「御免、許せよ!」と大声を上げたそうだ。そこで、「何事か」と驚いた門下生の瀧田北海が慌てて玄関にやって来た。「誰なんだろう?」と思って玄関に立つ訪問者を見てみれば、何と垢まみれで、ボロボロになった着物を身に纏った16、7歳の少年ではないか。瀧田は「小僧、何用ぢゃ?」と訊ねた。すると、六郎は堂々とした口調で次のように述べた。

  「先生は御在宿か、御在宿であれば、相良六郎、惨状いたした、と取次げ!」

いっちょ前の口を利く六郎を前に、瀧田は「ちぇっ!」と舌打ちをして、「小僧、生意気を申すな! 先生が御在宿であろうが、この大玄関は貴様のような乞食小僧の来る處ではない。さっさと出て失せろ !」と言い放った。しかし、六郎は帰らず、「取次げ」と言い張って一歩も譲らなかった。この態度にむかついた瀧田は、「まだいやがるのか、先生は貴様などには用が無い !」と吐き捨て、強情な小僧を追い払おうとした。だが、六郎はこんな門前払いに従う気持ちは毛頭無い。六郎の強情さに怒りを覚えた瀧田は、「呆れ返った小僧だ ! つまみ出すぞ!」と脅しを掛けた。そこで瀧田の横柄さに痺れを切らした六郎は、「如何しても貴公は取り次がぬ気だな。よろしい、しからば他の者に頼む」と大声を張り上げたそうだ。

  六郎はまるで瀧田を無視するかのように、「御免、許せよ !」と始めからやり直したから、さあ大変。これには瀧田も腹に据えかねてしまい、式台を降りて六郎の肩をトンと突いた。すると、六郎は思いも寄らぬ行動に出た。彼はひょいっ、と一歩下がると、袴をめくり、自らのホース(男根)を瀧田に向け、シャァーと小便を浴びせ掛けたのだ。突然の“放水”に瀧田は飛び上がって驚く。この物音は直ぐさま他の門下生にも伝わり、「何事か!!」と驚いた仲間は玄関に飛んできた。しかし、“張本人”の相良六郎は落ち着き払った様子で、「方々、先生は御在宅かな?」と澄ました顔で尋ねた。全く以て豪胆な奴である。

  だが、駆けつけてきた門下生らは、瀧田が小便を引っ掛けられたと知ったから黙っちゃいない。彼らはこの「下手人」を赦さず、「無礼者め!」と罵り、ひっ捕まえて庭先に引っ張り出してきたという。その時、東湖先生は廊下に出ていたそうだ。弟子たちの姿を目にした先生は、「何事だ、騒々しい !」と叱責する。瀧田は小便で濡れた身体を振るわせながら、「この小僧が、以ての外の・・・」と説明したそうだ。門下生たちは東湖先生も憤慨するだろうと思ったが、先生は意外な言葉を口にした。東湖先生は六郎を見つめると、「ほほっ、小僧、兵法を心得て居る。瀧田貴公は蛙と間違えられたな、はっはっはっ」と述べて大笑い。その時、六郎は前に進み出て、「藤田東湖先生で御座いますか。私は真壁の医者の倅、さりながら、私は病気を癒すより國の病気が癒したいのです。どうか門下生にして下さい」と頼んだそうだ。これを聞いた東湖先生は「面白い奴ぢゃ、よかろう」と快諾され、相良六郎は東湖先生のもとで一生懸命勉学に励んだという。(松波治郎 『武士の子』 彰文館、 昭和17年 pp.68-70)

  さぁ~すが、東湖先生は凄い。六郎の奇策を一発で見抜いた。わざと騒ぎを起こし、門下生に捕まって東湖先生のもとへ連れて行ってもらうなんて、実に賢い。「おぬし、兵法を弁えているな !」と見つめる東湖先生の姿を想像すると何とも愉快だ。豪傑の知識人は普通の人間とは着眼点が違うものである。ちなみに、相良六郎は後に水戸藩士と力を合わせ、幽閉されていた水戸斉昭を解放すると共に、天下国家に尽くすべく、尊皇攘夷の志士と交流を深めたという。交際した者の中には、長州の吉田松陰や熊本藩の家老であった長岡是容(ながおか・これかた)、そして維新の英雄、西郷隆盛がいた。とりわけ、六郎は西郷と親しかったそうだ。六郎の噂は薩摩にも届いたそうで、藩主の島津斉彬は彼の志を称讃し、褒美としてだったのか、波平行安の名刀を一振り贈ったらしい。(流芳會 『勤皇實記水戸烈士傳』 上編第五巻、吉川弘文館 p.120) しかし、安政の大獄が起こると身辺が危なくなり、「渡邊純藏」と名を変え、全国の同志のもとを転々としたそうだ。そして、大阪の国学者萩原鹿右衛門の家に潜んでいた安政六年七月、病に伏して惜しくも四十八歳で息を引き取った。彼が亡くなってからしばらくして、水戸藩は櫻眞金の忠義に感謝し、彼の息子である春雄に禄を与えて、士籍に列したそうである。

父と子の壮絶な決意

  歴史上の偉人が誕生する背景には、その家庭環境が大きく影響している場合が多い。藤田東湖の父親は、水戸藩で随一と謳われた儒学者の藤田幽谷(ゆうこく / 正一)で、愛国主義の塊のような人物であった。東湖先生がまだ19歳(文政7年)の頃である。英国の捕鯨船が常陸(ひたち)の大津浜に現れ、その異邦人の船員が勝手に上陸したので、周辺の住民はひどく怯えたそうだ。そこで、幕府は代官の古山善吉と通訳の吉雄忠次郎を派遣して、詳しい事情を調べさせることにした。これを知った大津村の庶民は、必ずや幕府が夷狄を追い払い、みんなの心配を取り除いてくれるもの、と期待していたそうだ。しかし、実際は予想を裏切るものであった。使命を帯びた幕吏は、イギリス人に対面すると平身低頭、従順な狗(いぬ)の如き有様であったというから、この情けない姿を見た村人は愕然とした。

Fujita Yukoku 1Kurofune 2









(左: 藤田幽谷  / 右: 黒船を描いた絵 )

  しかし、裏切られた村人よりも怒っていたのは幽谷の方だった。彼は異国の野蛮人に手を拱(こまね)いている幕府に憤慨し、「今こそ、千載一遇の秋(とき)だ。幕府は姑息な態度をやめて、強硬手段に出てイギリスの船を焼き尽くすべし。だが、幕府の役人に、それだけの対外強攻策は執れまい」と思っていた。だから、この愛国心に燃える儒者は、他人を頼らず自ら成敗しようと考えた。しかし、彼には直接行動を取るだけの若さが無い。自分の無力さに切歯扼腕、イライラが募るばかり。そこで、居たたまれなくなった幽谷は、息子の虎之助(東湖)を自分のもとに呼びつけた。膝をつき合わせる息子を前に、幽谷は厳かな口調でこう述べた。

  虎之助。突然ぢゃが、今すぐお前の生命を投げ出して貰ひたいと思ふが、どうぢゃ。

この頼みは東湖にとって、まさに青天の霹靂だった。普段、滅多な事では物に動じない東湖であったが、不意討ちに近い言葉を聞いて、かなり当惑したらしい。それでも咄嗟に心を立て直し、「父上、国家のためならば、今すぐにでも、喜んで私の命を投げ出しましょう」と答えたそうだ。この返事を聞いて幽谷は感心し、話を続けることにしたが、その言葉には悲痛な覚悟が含まれていた。幽谷は毛唐の船が何度もやって来ることに腹を立て、この無礼をいつまでも放置しておくことは国辱であると話した。さらに、幕吏は姑息な遣り口で夷狄を還してしまうから、日本には具眼者が一人も居らぬ、という恥を晒すことになるだろう、とも危惧した。日本の現状を憂う幽谷は、激しい口調でこう息子に語りかけたという。

  そこでぢゃ。最早、尋常手段によってをられぬ。お前はこれから直ぐ大津浜へ出かけて、毛唐どもを鏖(みなごろし)にしてくれ。そして目的を達成したら、潔く当局に自首してくれ。これによって、日本の正気を少しでも、発揚することが出来たら、自分も満足ぢゃ。元来、自分の家は女子ばかり多くて、男子はお前ばかりである。お前が死んだら家は断絶ぢゃ。しかし、これも國のためなら、我慢せねばならぬ。(高須芳次郎 『維新留魂録』 大阪屋號書店、昭和17年 pp.103-104)

こう述べる幽谷の目には涙が光っており、その言葉に聞き入っていた東湖の頬にも、ポロポロと涙が流れ落ちる。親孝行な東湖は、「父上、承知致しました。では、これから直ぐにまいります」と告げ、目の前に坐っていた幽谷は、「よく云った。さすが、我が子ぢゃ」と喜んだ。そこで、幽谷は伝家の宝刀を取り出し、これを息子に与え、家宝を頂戴した東湖は急いで支度に取りかかったそうだ。ところが、壮絶な戦さに挑もうとする東湖のもとに、ある使者が訪れた。彼は事態の急展開を伝えに来たのである。曰わく、代官の古山が捕らえられた船員を釈放し、寛大な態度で英国船の代表者に接したので、捕鯨船はどこかへ去ってしまったというのだ。この知らせを聞いた幽谷は、ひどく落胆し、東湖も頻りに歯ぎしりをしていたそうである。

  東湖の行動が殺傷事件に発展せず、幕府としてはひと安心だが、それにしても藤田親子の発想は大胆不敵というか、現代に生きる我々には「無謀」としか思えない。だいたい、異邦人が神洲に上陸したくらいで、父親が息子に向かって「あいつ等を皆殺しにしてくれ !」はないんじゃないか。確かに、外国人が土足で我が国を蹂躙するんだから、幽谷が激昂するのも無理はない。また、事なかれ主義の幕府に腹を立てる気持ちも分かる。でも、いきなりイギリス人を斬り殺すなんて無茶だろう。第一、自殺行為だ。仮に、このミッションを達成できたとして、息子の東湖はどうなるのか? 彼の暴挙に青ざめた幕閣の面々が、「斬首刑にせよ!」と叫ぶのは目に見えている。しかも、死罪は東湖ばかりではなく、息子を唆(そそのか)した父親の幽谷にも及ぶだろう。親子揃って処刑となるのは明らかだ。平成の世に生きる日本の母親が聞いたら腰を抜かして驚くだろう。

  なるほど、藤田親子の考えは軽率だ。しかし、この両者には我々が失ってしまった日本人の魂が宿っている。昔の武士には命よりも尊いものがあった。それは国家の名誉であり、武人が求める徳目である。百姓とは違い、戦士は生き恥を晒しながら暮らすことはできない。なぜならば、それは奴隷の生き方だからである。たとえ豊かで安泰な生活であろうとも、他人の意思に服して生きるなら、それは誇りある人間が送る人生ではない。家畜と同じである。「何が何でも安全と平和が一番」という今にちの日本人とは、根本的な考え方が違うのだ。

  幽谷の言葉で注目すべきは、「藤田家」の断絶をも覚悟した点である。現代の我々だと子孫を残さず、独身のまま死ぬことは珍しくないが、昔の日本人は「家」の存続を何よりも大切に考えていた。戦国時代の武士は絶えず我が身を危険に晒しながら戦っていたが、そうできたのは「家系」の存続を信じていたからである。自分が討ち死にしても嫡男が家督を継いでくれるし、仮に、その嫡男が命を落としても、家門を継承する孫がいれば安心だ。しかし、跡継ぎが全滅してしまうと、家の断絶となるから、血統の存続を願う武士は哀しくなる。異邦人を追放するためとはいえ、跡継ぎの息子を犠牲にしようとした幽谷の心は尋常ではあるまい。こう考えれば、藤田親子の覚悟は相当なものであったと言えよう。

  現在、我々が危惧するのは経済政策、すなわち「お金儲け」だけで、国家の名誉が掛かっている軍事・外政には関心が無い。デフレ・スパイラルに陥った日本経済を見て、議員や官僚は「骨太の方針」とやらを提言するが、日本国民が注目すべきは日本が抱える病の方であろう。経済学者が指摘するまでもなく、日本は凋落の一途を辿り、益々国力が衰退する一方だ。何しろ、国民に活力が無い。政府がいくら「経済の活性化」を叫んでも、国民の精神が萎えているんだから、糠(ぬか)に釘である。情けないけど、武力を放棄した現在の日本人は、ただ、食って寝て排便するだけの毎日だ。あとは豊かで快適な生活を望むことくらい。政府は「骨太」を語るが、そもそも日本国民に「背骨」が無いんだから、クラゲに「重量挙げをしろ」と要求するようなものだ。学校教育で「強いことは悪」と習う日本人は、武力を以て名誉を守るという発想が無いから、支那や朝鮮に対しても卑屈なままである。活気に満ちた民族というのは、その根底に尚武の精神がある。強さへの憧れを抱く者には、明るい未来に対する希望があり、それを邪魔する者が現れれば、全力を以て叩き潰そうとする気概がある。現在の日本に停滞感や閉塞感が漂っているのは、独立不羈の精神と重武装への意思が欠けているからだろう。今と比べれば明治の日本は貧しかったが、明日への希望に満ちており、軍事力を強化して独立を守ろうという意欲に燃えていた。遠回りのように見えるけど、「命よりも大切な祖国がある」と目覚めなければ、国家再生の道は無い。案外、「強い日本」を目指したときに、経済の活性化が現れるのかも知れないぞ。



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