無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

偉人伝/人物評論

可憐な乙女の希望と冷酷な現実 / (続) ヒトラーを崇拝した英国貴婦人


憧れのヒトラーと遭遇

Hitler 435Hitler 231









  1933年、19歳になるユニティはダイアナに連れられ、初めてドイツに渡ることになった。そして、この姉妹はBUF(ブリテン・ファシスト連合)の使節代表として、1933年9月に開かれた「勝利の年のナチ党最初の党大会」に参加したという。彼女たちは勤労奉仕隊の行進に見とれていたが、その後、大会の真打ちであるヒトラーが現れると、会場には割れんばかりの歓声が沸き起こり、ダイアナとユニティもたいそう興奮したらしい。男たちは大声を上げて「ハイル・ヒトラー」と叫び、女たちはヒステリックな陶酔に陥っていたそうで、中には興奮のあまり失神する者までいたという。一般のドイツ人と同様に、憧れのヒトラーを直接目にして、ユニティがどれほど感激したことか。たぶん、1960年代にザ・ビートルズを初めて見た乙女のようなものだろう。(当時は興奮のあまり、コンサート会場で失神するファンまでいたそうだ。)

Unity Mitford 1(左  /  ユニティ・ミットフォード )
  1933年の冬、ユニティは英国に戻っていて、オックスフォードシャーにあるスウィンブルックに滞在していた。彼女は大量に集めたヒトラーの写真を仕分けしたり、レコードをかけて「ホルスト・ヴェッセルの歌」を大音響で繰り返し聴いたりと、呑気な日々を過ごしていた。そんな中、ユニティには向学心が目覚めてくる。じゃじゃ馬娘のユニティがドイツ語を勉強したい、と両親に懇願し始めたのだ。学校ではロクに勉強しなかったユニティが、大好きなヒトラーに逢いたいとの一心で、難解なドイツ語を習得しようというんだから、語学には「動機」というものが如何に大きな要因であるかが分かるだろう。日本人の中に英語が苦手な子供が多いのは、燃え上がるような情熱というか、「何としてもマスターしたい !」という渇望が無いからだ。(日本の女子高生だって、「憧れのイギリス人スター」を見つければ、学校の成績も良くなるさ。中高年のくたびれたオッさん教師じゃ、乙女心も火が消えたようになっちゃうもんね。) ユニティはドイツ語学習のメリットを両親に懇々と説明したそうで、リーズデイル夫妻は怠惰な娘が学問に目覚めたと勘違いし、最終的には娘の願いを聞き入れたという。

  やっとの事で両親の承諾を得たユニティは、意気揚々とミュンヘンに旅立った。ところが、彼女には修学の前提条件が不足していたため、大学に入ることは出来なかった。そこで仕方なく、ケーニヒ通りにある全寮制学校に入ったそうだ。この施設はロシュ男爵夫人が営む女子専用の寄宿学校で、上流階級の娘たちを対象にしたものらしい。ミュンヘンでドイツ語の勉強に打ち込むユニティは、暇な時を見つけるとヒトラーに関するものを物色し、手当たり次第、何でも読んでいたという。そして、彼女はヒトラーがミュンヘンを訪れる際、どこに泊まるのか、どの劇場に赴くのか、如何なる店に立ち寄るのか、を調べ上げたそうだ。偶然にも彼女は知り合いの美容師から、「オステリア・ヴァヴァリア」の情報を突き止めた。この美容師の話によれば、ミュンヘンを訪れたヒトラーは側近を連れて、よくその店で昼食を取っていたというのだ。

Hitler 324  そこら辺にいそうなアイドル歌手の「追っかけファン」なら、お目当ての人物が現れるまで、老舗レストランの前でジッと張り込みを続けそうなものだが、貴族のご令嬢たるユニティは庶民と同じような真似はしない。(筆者の情報なんだけど、日本には「山P」を待ち伏せるオバゃんファンがいるそうで、「憧れ」と「追っかけ」に年齢は関係無いそうだ。それにしても、山下智久の「P」って何の略なのか? もしかしたらクリスチャン・ネームなのかも。) 彼女は両親から100ポンドもの仕送りをもらっていたので、才能溢れるシェフが料理を振る舞うレストランに毎日通うことができ、そこで毎回食事を取っていたのだ。羨ましい。ある日、こうした“待ち伏せ”を行っていたユニティに朗報がもたらされた。間もなくヒトラーとその従者が、予約したテーブルに来るというのだ。そして、待ちに待ったヒトラーが店にやって来ると、ユニティはヒトラーよりも先に帰ろうとせず、辛抱強く憧れの総統が通り過ぎるのを待った。彼女にとって、唯一のチャンスはヒトラーが店を出て行く時で、ユニティは帰りがけのヒトラーに微笑みかけたのだが、当人は気づかぬままだったという。しかし、ユニティはちょっとやそっとでは諦めなかった。女の執念は実に怖ろしい。彼女は毎日毎日シグナルを送り続けたという。

  すると果たせるかな、この仕草が遂に効を奏した。1935年2月9日の午後三時頃、ヒトラーは自分を見つめるブロンド美女に気がついた。彼は店の主人に「このゲルマン女性の原型は一体誰なんだ?」と尋ねたそうだ。ヒトラーの御下問を受けた店の主人は、常連客になっていたユニティのテーブルに近寄ってきて、「総統があなたとお話になりたいそうです」との伝言を運んできたのである。ユニティは立ち上がり、ヒトラーのテーブルに向かう。するとヒトラーは立ち上がり、彼女と握手を交わした。そして二人は三十分ほど会話を楽しむ。ユニティとヒトラーは、英国や先の大戦について語り合い、北方民族同士を嗾(けし)けて戦わせる国際ユダヤ人を決して許してはならない、と意気投合したそうだ。夢のような時間はあっと言う間に過ぎ、ユニティが是非英国へと誘うと、ヒトラーも彼女をバイロイトで開催されるワーグナー音楽祭に招待した。ヒトラーはユニティの住所が書かれたメモをポケットにしまうと、さり気なく店を後にしたという。粋なことに、彼女の昼食代はヒトラーが払っていた。つくづく思うけど、美人は得である。

Unity Mitford 2













(写真  /  ナチス将校と話すユニティ)

  崇拝するヒトラーの知遇を得たユニティは、益々ドイツ社会にのめり込んでいた。彼女はウィルヘルム二世の娘ブルンスヴック公爵夫人(Victoria Louise)や、ウィニフレッド・ワーグナー(Winifred Wagner)らと共に、ミュンヘンにあるヒトラーの私邸に招待された。1935年4月10日にはヘルマン・ゲーリングと女優のエミー・ゾンネマンの結婚式が開かれたが、そこではヒトラーの側に臨席するユニティの姿が観客の目を捉えたらしい。ユニティは社交界を楽しむばかりか、自分がナチス擁護のイギリス人であることを宣伝したそうだ。彼女は愛読する極右週刊誌の『デア・シュチュルマー(Der Stürmer)』に投稿し、ユダヤ人の脅威やその実態について書いた。すると、これが発行者のユリウス・シュトライヒャー(Julius Streicher)の目に止まり、このフランケン管区長は彼女をいたく気に入ったようで、ヘッセルベルクの夏至祭「フランケンの聖なる山」に招待したそうだ。二人は反ユダヤ主義で盛り上がり、ユニティはシュトライヒャー宅に泊まることもあったという。

  一方、英国でダイアナとユニティの安否を気遣うリーズデイル夫妻は、1935年、自分たちの目で娘たちの様子を確かめるべく、遠路遙々ドイツにやって来た。現地でナチスに夢中のユニティを見ると、リーズデイル夫妻は絶望感に囚われるが、そのショックも直ぐに消え失せるようになる。ヒトラーはユニティの両親をミュンヘンの私邸に招き、そこでお茶を勧めながら、英国のパブリック・スクールや法律体系、イギリス兵の勇敢さなどを褒め称えたという。さすがヒトラーは人心掌握術に長けている。英国人の自尊心をくすぐられた夫妻は、すっかりヒトラーの虜(とりこ)となり、ドイツへの固定観念が溶けてしまった。この偏屈夫婦は菜食主義者の仲間を見つけたことで気をよくし、とりわけリーズデイル夫人は自己流の調理法、例えばライ麦の挽き方とかパンの焼き方などをヒトラーに説明したというのだ。(ヒトラーは健康志向の人物だった。) これに対しヒトラーは真剣に耳を傾け、大きな関心を抱いたように見せかけた。すると、普段はクールで近寄りがたいシドニー夫人も、ヒトラーに対しては好印象を持ったようで、「感じがよく、躾もよく行き届いている」と評し、総統の熱心な信奉者になってしまった。そして、一旦抱いた考えを決して変えない頑固な夫人は、生涯にわたってヒトラーの信奉者であり続けたという。

Redesdale 2Sydney Freeman Mitford 1Hitler 223







(左: リーズデイル卿  / 中央: シドニー夫人 /  右: ヒトラー)

  ユダヤ人からボロクソに貶されるヒトラーであるが、意外と人当たりが良く、知的な会話もできたから、直接会った者は結構その人柄に好感をもったそうだ。もっとも、この天才的指導者にとっては一般人など赤児(あかご)も同然。世界政治を動かす総統は、心理戦もよく心得ている。ヒトラーはリーズデイル夫妻の為にメネセデス・ベンツを用意させたし、ニュルンベルクの党大会では彼らの為に貴賓席が設けられていた。ユニティの手紙によれば、リーズデイル卿は親衛隊の将校に囲まれて上機嫌だったという。故郷に帰ったリーズデイル卿は、それまでのドイツ嫌いを一変させ、貴族院で演説を行った時には、ヒトラーが平和を愛する心情を持っていると語ったり、ヒトラーは失業対策に成功し、第三帝國の社会制度は進んでいる、といった報告を行っていたそうだ。戦前の日本政府も対米戦争が嫌なら、有名なアメリカ人をたらし込んで親日家にさせ、議会工作でもさせればよかったのに、とつい考えてしまう。パーティーくらいしか取り柄のない外務官僚は、知り合いの議員や外交官にお願いするくらいで、親日派を増やすために美しいアメリカ人を各地に派遣するとか、各地の名士を手込めにして輿論操作を試みる発想すら無かった。大衆社会の米国で、オッサンの外交官が記者会見を開いたって、誰も興味を示さないだろう。マスコミの関心を集めるは、単純明快な主張と美人の笑顔だ。ユニティ級の美女を日本の代弁者に仕立てた方が、よっぽど効果があるんだけど、悲しいかな、試験秀才には思いつかなかった。

  話を戻す。1935年の末になると、ユニティはナチ党に受け容れられ、ヒトラーから直接、特別な党徽章をもらったという。その裏面にはヒトラーの名前を彫ったモノグラムがあった。そして、総統はこの女性同志に個人的な献辞を添えたポートレイトを、銀の額縁に嵌めてプレゼントしたそうだ。ユニティにとって、それは貴重な宝物となった。しかし、こうした厚遇には別の意図が隠されていたのだ。というのも、英独間を頻繁に行き来するユニティは、ヒトラーにとって非常に有力な手駒となっており、ナチ政権の非公式スポークマンにもなっていたからだ。また、狡猾な総統はユニティを通して、意図的な秘密漏洩者をイギリスの上流階級や影響力のある社会階層に潜入させたのである。さらに、ユニティをごく内輪のサークルに入れることで、ヒトラーは彼女を「ナチ・ドイツの事情通」に仕立て上げる事ができたのだ。彼女がヒトラーについて英国で喋れば、「何らかの裏情報なのでは ?」と勘ぐったイギリス人は、その話に聞き耳を立てる。こうなればヒトラーはユニティを媒介にして、自分にとって都合の良い情報を敵国に流すことができるのだ。

極秘の結婚式

Diana Mitford 13Diana Mitford Mosley 9Oswald Mosley 3









(左: 若い頃のダイアナ  / 中央: モズレー夫人となっている晩年のダイアナ/  右: オズワルド・モズレー卿 )

  ユニティのみならず、姉のダイアナもナチ・ドイツに関係してきた。1935年にブライアン・ギネスとの離婚が成立したダイアナは、自分の姦通が原因なのに、紳士の体面を保ちたい夫のお陰で巨額の慰謝料をもらうことができた。大金を手にしたダイアナは、ミュンヘンに華麗な邸宅を構え、あまり熱心ではなかったが、大学でドイツ語のコースに通っていたのである。そんな日々を過ごしているダイアナに吉報がもたらされた。1939年、オズワルド・モズレー夫人のシンシアが息を引き取ったというのだ。ダイアナとモズレー卿は長いこと愛人関係にあったが、モズレー夫妻の結婚式は依然として世間の記憶に残っていたので、二人はその状態をあえて合法化しようとは思っていなかった。しかし、そのシンシア夫人も亡くなってしまったから、“わだかまり”も無くなってしまったのだ。そこで、ヒトラーはドイツで二人の結婚式を挙げてやることにし、英国のファシスト指導者とレディー・ダイアナの結婚式は、ゲッペルス宣伝相のサロンで執り行われる事になった。この秘密結婚式は報道陣に一切気づかれずに実行されたそうだ。ダイアナの証言によれば、ランドルフ・チャーチルが厳格に秘密を守ってくれたからであるという。(彼はダイアナの「従兄弟」に当たるウィンストン・チャーチルの息子である。ただし、二年後にモズレー本人がこの秘密を明かすことになった。)

Diana & Unity Mitford 1Diana Mitford 11Unity Mitford 3








(左: 「ナチス式敬礼」をするダイアナトユニティ  / 中央: ダイアナ /  右: ユニティ)

  ユニティを私的な宣伝係として用いていたヒトラーは、彼女を大変厚遇していたようだ。彼女はしばしば特別列車にも同乗を許されたし、党所有の公用車を運転手附きで利用することも出来たのだ。ヒトラーは彼女の住居をミュンヘンに用意させ、高級カメラをプレゼントしたかと思えば、今度は党員バッヂを手渡したりと至れり尽くせり。ユニティが肺炎に罹ると、ヒトラーは病院の特別室を手配し、その費用を負担したばかりか、個人的な主治医であるモレル博士を派遣したという。ヒトラーと二人きりで会うことができたユニティは、もう総統にぞっこんだ。ミットフォード家の姉妹までもが、ユニティはヒトラーと結婚するのでは、と疑ったくらいである。ヒトラーの側近も、二人の親密さに驚いたという。ただし、安全面でのことではあるが。

  というのも、ユニティはヒトラーが誰と会い、どこで会議を行うのか、何を意図にしているのか、そして総統の生活全般にわたって色々な事を知っていたのである。例えば、ある時、ヒトラーは五時のお茶をハウス・デア・クンスト(藝術の家)で行う事になっていた。すると、五分前にユニティが現れたのだ。これにはヒトラーも驚いた。彼女は独自の情報源を持っていたのだろう。総統の一行がベルリンからミュンヘンに向かった時も、既にユニティはミュンヘンに着いていた。そして、ミュンヘンからウィーンへ移動した時も、またもやユニティがヒトラーよりも先に着いていたのだ。ヒトラーの副官であるゲルハルド・エンゲルも彼女に驚いていたという。ある食事の席で話されたことだが、ロンドンへの飛行機の着陸進入路は、僅か八基の高射砲部隊によって守られているに過ぎず、英国軍の装備は二個師団分にも足りないとのことだった。彼女はこれらの情報を従兄弟の一人から聞いたのだという。そこで、大いなる関心を示したヒトラーは、早速ユニティが言ったことの裏を取るよう部下に命じ、検証の結果、彼女が述べた事は正確だった。これなら、ヒトラーの側近がユニティを英国のスパイと疑ってもおかしくはない。

夢破れた乙女の自殺

  ヒトラーの寵愛を受けたユニティは、ドイツの総統から「ヴォルフ(狼)」と呼ぶことを許され、同時にこの「ヴォルフ」は親しみを込めてユニティを「ドゥ(君 / 親友が使う二人称)」と呼んだらしい。ヒトラーと打ち解けたユニティは、何度も彼女の祖国がドイツと戦争することはない、否、「するはずがないと確信しています」、と表明してきた。ところが、運命は残酷なものだった。1938年、チェンバレン、ダラディエ、ムッソリーニ、ヒトラーは「ミュンヘン協定」に署名する。ズデーテン地方を手にしたヒトラーは、その食指をポーランドへと伸ばした。1939年9月3日、ドイツ軍のポーランド侵攻から二日後、英国の駐独大使ネヴィル・ヘンダーソンは、ドイツの外交官ヨアキム・フォン・リッペントロップに宣戦布告の通牒を手渡した。ダイアナ・モズレーはロンドンで第二次世界大戦の勃発を耳にする。一方、妹のユニティはミュンヘンにいて、オーバーバイエルン管区長であるアドルフ・ワーグナー邸を訪ねていた。彼女はワーグナー管区長に分厚い封筒を手渡したという。敵国人となってしまったユニティは、重要な書類を預けに来たと話し、対するワーグナーはユニティを慰めると共に、彼女の安全を約束したのである。

  ところが、その封筒には意外な物が入っていた。彼女が去ってから数時間後に封筒を開けたワーグナーは驚く。その中にヒトラーのサイン入りポートレイトと党のバッヂ、そして「遺書」が入っていたのだ。彼女はブリテンとドイツが戦争することには耐えられないので自殺する、との内容であった。ワーグナーは即座に保安部に通報するが、既に英国庭園のベンチに坐っていたユニティは、小型の拳銃で自分の右こめかみを撃っていた。ある警官が彼女を発見し、身元不明で意識不明の女性を大学病院へと運んだそうだ。医長のイェーガー博士が診察したところ、右こめかみから撃ち込まれた弾丸は後頭部に留まったままで、剔出(てきしゅつ)することは生死に係わる危険があったという。この悲報はヒトラー陰鬱にさせたが、その口から同情の言葉は無かった。

Unity Mitford 7(左  /  慎重に搬送されるユニティ)
  バイエルン州内務相はユニティを英国に搬送するため、急行列車を手配し、特別なベッドまで用意して、彼女をスイスのベルンにまで送り届けたそうだ。ベルンで容体が改善したユニティは、母親の手配により、法外な費用を掛けて英国に運ばれたという。母親の献身的な介護のお陰なのか、1940年になるとユニティは次第に歩けるようになった。しかし、彼女には記憶障害が残っており、ヒトラーのことでさえ曖昧に想い出すだけで、第二次世界大戦については一切知らなかったという。戦争末期の頃になると、リーズデイル夫人はユニティと共にインチ・ケネス島に引っ越すことにした。1945年にもなると、再び車を運転できるまでに恢復し、映画を見に行ったり、教会へと通うこともできたそうだ。しかし、彼女は後頭部に爆弾を抱えたままである。ユニティは様々な宗派に慰みを求め、至る所で入信の許可を取りつけたという。

Winston Churchill 2Stalin & Churchill 1






(左: ウィンストン・チャーチル  /  右: チャーチルとスターリン)

  ところが1948年の春、ついに運命の時間(とき)が迫ってきた。5月28日、英独同盟を夢見たユニティ・ミットフォードは自殺未遂の後遺症により、華麗だが儚い生涯を閉じた。享年34。歴史学の大学教授や世の知識人は、通俗的なヒトラーの「世界征服」に目を向けるが、チャーチルの犯した失敗や悪魔との同盟には目を背けている。確かに、チャーチルはヒトラーという「悪党」を倒したことで「英雄」になってるが、その代わり赤いローズヴェルトと共に兇悪な暴君を育ててしまった。同じ文明圏の国家社会主義者が「敵」で、異文化圏の国際共産主義者が「友」なんておかしい。日本でも人気の高いチャーチル首相は、なぜか「救国の英雄」として祀られているが、現実社会では「亡国へと導いた墓堀人」である。戦争目的を達成できなかった宰相が、偉大なる戦争指導者というのは妙だ。案外、ユニティが夢見た「英独同盟」の方が良かったのかも知れない。ただ、歴史の「イフ」を言い出したらキリが無いけど。



人気ブログランキング

ヒトラーを崇拝した英国貴婦人 / ユニティー・ミットフォードの理想



失敗だった英国の戦争

Unity Mitford 5Hitler 10









(左: ユニティ・ミットフォード  /  右: アドルフ・ヒトラー)

  一般的に日本人は戦争音痴だ。戦争とは銃撃戦だけではなく、謀略が渦巻く心理戦をも含んでいる。そして、戦争には目的があって、いくら戦闘で勝っても、当初の目的を達成できなければ意味が無い。第二次世界大戦を見ていると、最大の勝者はスターリンのソ連で、最も悲惨なのは敗者のドイツ人と日本人である。アメリカは半々で、ブリテンはどちらかと言えば、負け組だ。「なにぃぃぃ?!」とクールポコの小野ちゃんみたいに目を剝いて驚くのは学校秀才だけ。教科書の記述は一応正しいけど、真相を語っているとは限らない。ブリテン政府はドイツがポーランドに手をつけたことで戦争を始めたが、結局ポーランドはスターリンの手に落ちてしまった。ヒトラーが悪くて、スターリンなら良いなんておかしいじゃないか。それに、どうしてイギリス人の兵卒がポーランド人の為に死ななければならないのか? 誰だって怪訝に思うだろう。普通のイギリス人はイングランドの為に闘うが、世界各国を防衛するために死ぬのは御免である。

FDR 2Stalin 3winston churchill 002








(左: ローズヴェルト  / 中央: スターリン /  右: チャーチル)

  第二次大戦で勝者となった英国だが、戦争が終わると経済はガタガタになっており、しかも優秀な人材が大量死。生き延びた将兵も負傷したり、精神がズタズタになって役立たずになってしまった。宣伝番組としか言いようのないドキュメンタリー映画は、格好が良くて「健康な英雄」に多くの時間を割くが、戦場で呻(うめ)き声を上げる負傷兵のシーンはほんのちょっぴり。実際の戦場では、爆弾の破裂で片足や指が数本吹っ飛んだり、破片が目玉に刺さって失明なんて珍しくない。また、大やけどで顔がケロイド状態なった兵卒なんて、本当に惨めである。これだから、前線に駆り出された労働者階級が戦果に不満を持っても当然だ。彼らはチャーチルの口車に乗ってドイツを倒したが、ふと気がつけば大英帝国も消え去っていたのである。必死で戦ったイギリス人からすれば冗談じゃない。奇妙なことに、ブリテン王国を勝利に導いたチャーチル首相は、栄光に包まれた「国家の英雄」と称されていたが、選挙区のイギリス国民からは不評で、再選に臨むとあえなく落選。チャーチルの没落は自業自得だからしょうがないけど、その“とばっちり”が一般国民に降りかかっていたのである。何と、自慢の植民地を失ったら、旧植民地から続々と有色人種がやって来たのだ。白人が主人公の島なのに、アフリカの黒人やアジアからの褐色人種が上陸し、まるでイギリス人のように街に住み始めたのである。これじぁ、イギリス人だって「蘇れ ! ヒトラー !」と叫びたくなるじゃないか。

Hitler 4Churchill FDR Stalin 1








(左: アドルフ・ヒトラー  /  右: 三巨頭会談)

  だいたい、ドイツでアーリア人とか北方種族が主人になってもイギリス人は一向に困らない。イギリス人自身が白人至上主義者で、「オレたちが世界で一番優秀」と信じていたのだ。インドや支那で君臨していたイギリス人は、たとえ謙虚になっても「私たちは有色人種と対等なのかなぁ」とは思わない。大英帝国の臣民なら、「オレたちは生まれながらの支配民族」と考えるのが当時の常識で、今でもイギリス人は密かにそう思っている。ところが、ドイツ人を悪魔にして打倒したイギリス人は、ナチズムに関係するもの総てを廃棄したことでしっぺ返しを食っている。イングランドでアングロ・サクソン至上主義が「駄目」となったら、イギリス人はどこで自分たちの「ホーム」を見つけたらいいのか。ケニアやギニアの黒人が、アフリカ大陸で黒人至上主義を唱えても誰も彼らを譴責しないのに、同じ事をイギリス人が唱えれば袋叩きに遭ってしまう。モンゴルでは世界征服を達成したチンギス・ハンが未だに民族の英雄なのに、アメリカ人や日本人はモンゴル人を厳しく非難しないのだ。ジョージ・W・ブッシュ元大統領は、ヒトラーとナチ・ドイツを罵倒したのに、チベット人の虐殺者たる胡錦濤と笑顔で握手した。ユダヤ人の大量虐殺は悪だが、チベット人の民族的抹殺はOKなんておかしい。

  確かにヒトラーは領土拡張を欲したが、ドイツ軍によるイングランド征服を目指した訳ではない。しかし、ソ連への侵攻なら考えていた。というよりやる気満々だ。戦場で戦う破目になるイギリス人の兵卒なら、「そりゃ結構だ。さっさとロシア人どもを片付けてくれ。オレたちは共産主義なんか大嫌いだ。君主政撲滅なんてとんでもない。ドイツ兵はロシア兵と戦って共倒れしてくれ。ポーランドなんて関係ねぇ。オレたちには女房子供がいるんだ。国王陛下万歳 !」と考えるはずだ。ヒトラーが英国との同盟を望んでいたことは明らかで、それなら英国政府はドイツ政府にソ連への攻撃を唆(そそのか)すべきだった。建前上、協力者になれないのであれば、裏からこっそりと支援すればいいじゃないか。ついでに、日本も南進論を取らず、北進を決定して、日独でソ連を挟み撃ちにすれば良かった。まぁ、そんなことをすれば近衛文麿や尾崎秀実以下、ソ連シンパの統制派軍人や革新官僚が困ってしまうけどね。

変人貴族のご令嬢

  つい長くなったが、大戦前、イングランドとドイツの同盟を夢見たイギリス人女性がいた。その名はユニティ・ヴァルキューリ・ミットフォード(Unity Valkyrie Mitford)である。彼女は1914年8月8日、第二代リーズデイル男爵(2nd Baron Redesdale)ことデイヴッド・ベルトラム・フリーマン・ミトフォード(David Bertram Freeman Mitford)の娘として生まれた。母親はトマス・ギブソン・ボウルズの娘シドニー(Sydney)である。リーズデイル卿は子沢山で、息子一人と娘六人をもうけていた。長女がナンシー、次女がパメラ、三番目が息子のトマスで、四番目がダイアナとなる。ダイアナの妹が五番目のユニティで、六番目がジェシカ、末っ子の七番目がデボラであった。ユニティに「ヴァルキューリ」という名が附けられたのは、祖父のアルジャノン(Algernon)がリヒャルト・ワーグナーの信奉者かつ支援者であったからだ。リーズデイル卿は幾つもの所領を持っており、グロチェスターシャーのバッツフォードには宏大な領地があって、そこに建てられたチューダー朝の城に住んでいた。

Unity Mitford 6Unity Valkyrie Freeman-Mitford 12Unity Valkyrie Freeman-Mitford & family









(左: 幼い頃のユニティ  / 中央: 成人した頃のユニティ /  右: ミットフォード家の集合写真)

  普通の日本人だと英国貴族の生活に憧れてしまうが、現実はそれほど甘くはなく、貴族の家庭に生まれたからといって、その子供たちが幸せな日々を過ごせるとは限らない。六番目の娘ジェシカの回想によると、教育はスパルタ式で、白い漆喰の壁に囲まれた部屋はとても寒く、部屋には暖房が無い。冬になると洗面器の水が凍るほどだったという。住む家に温かみが無かったのはしょうがないが、家族にも温かさが無かったのは哀しいことである。唯一の息子であるトマスは嫡男として大切にされたのだが、娘たちの教育はおざなりで、養鶏場の費用ほどにはお金を掛けてもらえなかったそうである。娘たちの誰一人として長期間の学校生活を送った者はいなかったという。ただし、ユニティだけが例外的に寄宿学校へ通わせてもらえたそうだ。しかし、お転婆娘というか気性の荒いユニティは直ぐ学校を辞めてしまい、彼女を受け容れてくれる学校はどこにもなかったらしい。家庭教師にもヘビを使った悪戯(いたずら)で困らせたそうだ。

Mitford Sisters 1















(写真  /  ミットフォード家の子供たちと両親 / 左下の女の子がユニティ )

  娘たちが変わっていたのは、両親が変人だったからであろう。リーズデイル卿夫人のシドニーは厳格なうえに冷たい感じの女性で、近寄りがたい人物と周囲から見られていた。彼女の話はいつも辛辣で、気性の激しい毒舌家であったというから、お世辞にも愛嬌のある奥方と評することはできない。他方、夫のリーズデイル卿は相当な癇癪持ちで、彼は度重なる激しさで義歯を噛み砕いてしまうほどであったという。こうした性格の上に外人嫌いときているから、とても人に好かれるような人物ではない。彼はアウトサイダーの全てを軽蔑していた。ドイツ人は「フン族」と呼ばれ、フランス人は蛙を食べるからだろうか「カエル」、田舎者としか思えないアメリカ人、長年の敵であるカトリック信徒、そして黒人やユダヤ人などはもう論外。唯一の例外はアメリカ人作家のジャック・ロンドン(Jack Griffith London)だ。リーズデイル卿はロンドンの『白い牙』を愛読書にしていたそうで、この本以外は読んだことがないと自慢していたらしい。作家のロンドンは日本でも馴染み深く、彼は日露戦争を取材するために来日したこともある。米国へやって来る黄色人種に反対していたが、日露戦争に勝った日本人の事は尊敬していたそうだ。でも、彼は無神論者にして社会主義者だった。変人のリーズデイル卿がファンになったのも分かるような気がする。

Jack London 1Redesdale 1Sydney Mitford 1Thomas Mitford 1






(左: ジャック・ロンドン  / リーズデイル卿デイヴッド・ミットフォード / シドニー・ミット・フォード夫人 / 右: 息子のトマス・ミットフォード )

  こんなリーズデイル卿夫妻は趣味も変わっていて、彼らはカナダのオンタリオ州に土地を購入していて、そこで金鉱探しをしていたそうだ。そして、1914年の冬、身籠もっていたシドニー夫人は金鉱採掘者たちの居住地、「スワスチカ(Swastika)」でユニティを出産したという。後にナチ・ドイツに夢中になる娘が、こんな名称(ハーケンクロイツ / 鉤十字)の土地で生まれたんだから、何とも運命的な誕生である。ちなみに、ナチスの鉤十字は右向きのスワスチカで、昔のインドだと神様や太陽を表していたようだ。一方、太陽を国旗のデザインにしている日本のお寺や染め物、家紋に用いられる「まんじ」には、左卍が多いよね。一般人は気にしていないけど、子供に尋ねられた教師や親は、どう答えているんだろか? でも、即座に「ナチスのまんじとは逆なんだよ。でねぇ、永遠の勝利とか女神、魔術を表しているんだよ」と説明できる人は、相当なオタク族に見えてしまう。

Unity Valkyrie Freeman-Mitford 7 2










(左: ユニティと両親  /  右: ミットフォード家の子供たち)

  イギリス人にはエキセントリック(eccentric)な人物が多い。しかし、リーズデイル卿の奇行はイギリス人でも眉を顰めるだろう。例えば、彼は「チャイルド・ハント(子供狩り)」に興じたことがあるそうだ。それは、猟犬を引き連れたリーズデイル卿が、娘たちの残した足跡を辿って追い詰めるという遊びであった。村の住民たちは驚いたそうだが、子供たちは結構この「遊び」を楽しんでいたそうだ。今なら幼児虐待で児童福祉局が出動する騒ぎとなるだろう。父親が変人なら母親も変人だった。シドニー夫人は何の予防であれ、娘たちに決して予防接種を受けさせなかったという。また、ユダヤ人は癌に罹らないと頑なに信じていたようで、豚肉を用いないユダヤ式の食事を導入したそうだ。ユダヤ教徒の「コーシャ」なんて美味しくもないのに。支那人ならどんな金持ちだって豚肉を断つことはない。やはり、支那料理では豚肉が一番いい食材なんじゃないか。でも、豚の鼻を食べる支那人や豚の足まで食べる朝鮮人は厭だなぁ。豚足は考えようによっては気持ち悪い。散々ウンコを踏みつけた足にかぶりつくなんて。もし、毎日ウンコを掬っていたお茶碗に御飯を盛ったら、日本人はどう思うのか。「洗ったから気にしないでね !」と言われても、気にしちゃうよねぇ。

Diana & Deborah Mitford 1Unity Mitford & Jessica








(左: 幼い時の ダイアナとデボラ /  右: 幼い時のユニティとジェシカ)

  こんな家庭で育ったユニティは、12歳で既に大柄だったという。姉のナンシーから「不格好(Boud)」という綽名をつけられたユニティは、大人になると近衛兵並に身長が伸び、180cmくらいの背丈があったそうだ。ユニティは大きな碧い目を持ち、相手をじっと見据える目つきで、手足が長い。ナチ党員から見れば、理想的な金髪碧眼の美女という姿であったが、妹のジェシカによれば、毛むくじゃらのヴァイキングであったらしい。それでも、十五歳になったユニティがパーティーに出れば人目を引いたし、姉のダイアナが結婚式を挙げたセント・マーガレット教会でも目立っていたという。

Nancy Mitford 2Pamela Mitford 2Jessica Mitford 2 01







(左: ナンシー・ミットフォード  / パメラ / ジェシカ / 右: デボラ )

  姉のダイアナはたぶん、姉妹の中で一番の美貌を誇っていたのかも知れない。同じ姉妹でもばらつきがあって、ダイアナとユニティ、デボラは美人タイプで、ナンシーは少し凡庸、ジェシカはやや劣るといった感じ。面白いことに、ダイアナとユニティはナチズムに夢中になったが、ジェシカはコミュニズムに傾倒し、極左グループと付き合うようになり、スペイン内戦が勃発すると、スペインに渡ってしまったというから、相当な入れ込みようである。もし、ジェシカがユニティを凌ぐほどの美人であったら、共産主義者になっていたかどうか疑わしいところだ。あんな暗い教義に惹かれる女性というのは、どこか精神に歪みが生じている異常者、あるいは僻(ひが)みっぽい性格のブス、物事を否定的に見てしまう根暗人間に多い。共産主義者になる人は、自分の努力で社会を豊かにしようとはせず、他人の財産を奪って気前よく分配することに「正義」を見出す。彼らは自分で稼ごうとはせず、他人の財布に嫉妬を覚えるんだから、精神的に賤しいと言えるんじゃないか。

Diana Mitford Mosley 7Unity & Diana Mitford 1









(左: ダイアナ・ミットフォード  /  右: ダイアナの子供たちと一緒のユニティ)

  つまらなそうな人生を送るユニティに一大転機が訪れたのは、ダイアナの不倫が切っ掛けであった。美貌を誇るダイアナは、娘たちの間で人気の高いブライアン・ギネス(Bryan Guinnes)と結婚できたのだ。言うまでもなく、ブライアンはビールやウィスキーの製造で有名なギネス家の御曹司で、莫大な遺産を相続した青年である。1932年の夏、ユニティは姉夫婦が主催する仮面舞踏会に出席し、そこには億万長者のオズワルド・モズレー卿(Sir Oswald Mosley)が参加していた。彼は保守主義と自由主義を代表する議員として政界に登場するが、やがてプレイボーイの社会主義者となり、労働党政権に入閣するや、大臣にまで上り詰めた。しかし、モズレーは自分が提出した経済政策が却下されると、労働党に背を向け、自らの政党を設立するまでになったという。ドイツのナチ党を模範にして結成された政党は「新党(New Party)」と呼ばれたが、総選挙で惨敗するや、この「新党」は解散の憂き目に遭ったそうだ。しかし、これでモズリー卿の政治生命が終わった訳ではない。ユリウス・カエサルとムッソリーニを理想とするモズリー卿は、英国でファシズムによる政治を目指したという。

Oswald Mosley 2Oswald Mosley & Blackshirts 1










(左: オズワルド・モズレー  / 右: モズレー率いる黒シャツ隊 )

  件(くだん)の仮装パーティーに現れたモズレー卿は、全身をファシストの黒で固めていたので格好良かった。妖艶な雰囲気を醸し出すファシストには危険な香りがある。特に、堅実な家庭生活を営む、貞淑そうなな奥方は身を引き締めなければならない。どんな女性にも「魔が差す」という瞬間がある。夫と二人の子供を持つダイアナであったが、モズリー卿との間に芽生えた禁断の愛に落ちてしまった。当時のモズリー卿は知的なうえにハンサムであったというから、ダイアナが惹かれたのも無理はない。1933年、ユニティは姉の不倫相手に紹介され、モズレー卿が行った「ハイル・ザ・ファシスト !」という挨拶に感動したらしい。このファシスト貴族に魅了されたユニティは、1932年に出来たばかりの「ブリテン・ファシスト連合(British Union of Fascists)」に感銘を受け、躊躇いも無く入会したそうだ。黒シャツ隊の「ハイル・モズレー」はドイツ式の敬礼を真似ただけで、これといった独創性は無い。その方針だって完全にナチ政権を模倣したもので、モズレーに対する絶対服従が党の綱領になっていたそうだ。

Deborah Mitford 3Freeman Mitford, Deborah Vivien Cavendish










(左: デボラ・ミットフォーの結婚式  / 右: デボラ )

  黒シャツ隊に夢中になったユニティだが、彼女には全体主義とか国家社会主義の理論など、どうでもよかった。そんなものより、連隊旗とか髑髏マークの旗を靡かせた軍隊式行進や、威勢の良い音楽の方がお気に入りで、退屈な日常をドラマチックな世界に変える「運動」に興味を示したのである。そして、ユニティにとっては体に合わせて仕立てた党の制服、つまり今風に言えばコスプレ姿で闊歩することが嬉しかった。しかし、彼女は女の勘がはたらいていたのか、モズレーはヒトラーに匹敵するほどの人物にはならない、と気づいていた。そこで、彼女はファシズムの本場、ドイツに向かうことにしたのである。ミットフォード姉妹の人生は様々である。ダイアナは亭主を捨ててモズレーに寄り添い、やがてモズレー夫人となる。ユニティーはミュンヘンに渡ってヒトラーの追っかけとなり、ジェシカは共産主義に心酔して作家となるのだ。そして、末っ子のデボラは、デヴォンシャイアー公爵夫人(Duchess of Devonshire)となった。

次回につづく。




人気ブログランキング
記事検索
最新記事
アクセスカウンター

livedoor プロフィール
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ