無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

偉人伝/人物評論

ヘレン・ケラーが好んだ秋田犬と赤い思想

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


好評発売中 !

日本の犬は海外でも人気
Helen Keller 3Helen Keller 4







(左: 若い頃のヘレン・ケラー  /  右: 高齢になったヘレン)

  日本には愛くるしい生物が住んでおり、人間はもちろんのこと、鶯や鶴、兎、鹿などは日本の風景によく合っている。我が国は四季折々で、自然も素晴らしく、清らかな湧き水が流れ、春には全国各地で桜が満開となるんだから、荒んだアジア大陸とは対照的だ。闇黒大陸支那には地上で最も兇暴な民族が棲息し、大地は重金属で七色に光り、大河はヘドロと工場排水で悪臭が漂う上に、ゴミで覆われている。まるで、支那人の心を反映しているかのようだ。

  支那人を親分と仰ぐ朝鮮人も似たり寄ったりで、魅力のカケラも無い。日本統治以前の朝鮮半島は「不潔」という言葉さえ上品に感じるほどの貧乏国家で、禿げ山の麓(ふもと)に掘っ立て小屋がひしめくドヤ街だった。天気が晴れでも、その風景を見れば心が暗くなり、現地人を目にすれば真夏でも寒気がする。棲息する動物だってロクなものがいないし、ヒラメかと思ったらエラの張った朝鮮人だったりする。日本だと子供がテントウムシや赤とんぼを追いかけて喜んでいるという光景が普通だが、日本に支配される前の朝鮮だと、家中にシラミとかノミ、南京虫が飛び跳ねていた。現在の朝鮮はかなり改善したようで、キムチに多少ウジムシが混ざっているくらいである。つくづく思うけど、朝鮮人に生まれることは不幸の始まりだ。「朝鮮」と耳にしただけでも憂鬱になる。もし、朝鮮から日本へ渡り鳥がやって来れば、日本のスズメに「もう、あの半島には帰りたくない」と愚痴をこぼすことだろう。在日南鮮人だって戻りたくないんだから、自由で翼のある動物なら尚更だ。

  先の平昌五輪女子フィギュア・スケートで金メダルを取り、日本でも有名になったロシアのアリーナ・ザギトワが欲しがった犬として、日本の秋田犬が話題となった。オリンピック出場前、彼女が日本に立ち寄った時、秋田犬に魅せられたというが、日本人なら「まぁ、そうだよなぁ。愛くるしいからねぇ~」と思うだろう。柴犬と秋田犬は外国でも人気の犬種だから、ロシア人少女が欲しがったのも無理はない。特に、秋田犬は主人に忠実だから、一度この日本犬を飼った外国人は感動し手放せなくなる。日本人のオっちゃん達も、帰宅して迎えてくれるのは、秋田産の愛犬というケースが多い。足音を聞きつけて庭先で待っているんだから可愛くなるじゃないか。中年男性は邪険にされがちで、家に帰っても娘は携帯電話で雑談に夢中だし、女房はルーム・ランナーで贅肉落としに邁進中だったりする。そんなダイエット中の妻が用意する食事は、カロリー控えめの料理だから美味しくない。ところが、運動したことで安心するのか、女房だけは夕飯を済ませた後、大好物のハーゲンダーツ・アイスクリームを食べてしまう。それを目にした亭主が「ダイエット中なんじゃないのか?」と小言を口にすれば、「いいのよ、さっき沢山歩いたんだから。それにミニ・カップのアイスだし」と答える。これを聞いた夫は心の中で、「それを食えばプラス・マイナス・ゼロで、もしかすればカロリー・オーバーなんじゃないか」とつぶやく。でも、そんな反論は無意味で、反撥だけを招くから黙っている方が賢い。それに、側では愛犬が笑っていて、主人の晩酌に付き合っているから、中高年男性にとってはちょっとした慰めになっている。


Alina Zagitova 3Akita dog 1







( 左: アリーナ・ザギトワ /  右: 秋田犬)

  本題から外れたので元に戻す。日本の秋田犬は昔から人気が高く、有名なヘレン・ケラーも(Helen Adams Keller)も欲しがったそうだ。当時、彼女は歐米で広く報道された「忠犬ハチ公」のエピソードを知ったそうで、盲唖学校を訪問すべく来日した時(1937年)、どうしても秋田犬を連れて帰りたいとせがんだらしい。彼女の同行者達は困ったそうだが、この話を聞きつけた秋田警察署の小笠原一郎巡査は、日米親善のために、「純粋な秋田犬をあげましょう」と申し出たそうだ。彼が生後75日の牝犬「神風」をプレゼントしようとしたところ、ヘレン・ケラーは無料(タダ)では受け取れないと言い出し、お金を払おうとした。しかし、小笠原巡査は金をもらうつもりで渡すんじゃないと撥ね付けたので、秋田警察の高橋署長が間に入って、国際親善だからお金は無用、と仲を取り持ったそうだ。こうしてヘレン・ケラーは念願の秋田犬を抱いて帰国したという。

Helen Keller 1Helen Keller & Ankita dog 2Helen Keller & dog 1








(左: ヘレン・ケラー  / 中央: 「神風」と一緒のヘレン   / 右: 愛犬と一緒の少女ヘレン )

  それにしても、小笠原巡査は男気がある。銭ゲバの支那人とは大違いだ。チベット人から奪ったパンダを日本人や欧米人に貸し付けて、何百億円もぼろ儲けするんだから、腹の底から賤しくて汚い。机以外の四つ脚モノなら、何でも食べてしまう支那人だ。ペットさえも金銭か食材としか考えない。支那人や朝鮮人というのは、我々とは異なる外来生物だ。支那人は米国に移り住んでも、その基本的な性質が変わらぬようで、動物に対する感覚が鈍い。カルフォルニア州のサンベルナルディーノ郡に住むエンピン・キュ(Enping Qu)という支那人は、恋人のアパートメントで飼われている犬を虐待した廉で逮捕された。彼の恋人がバルコニーの檻に愛犬を入れていたところ、この支那人「キュ」はティー・ポットの熱湯を犬にふりかけ、その暴挙を近くに住む17歳の少年と少女に目撃されたそうだ。彼らが警察に通報したとこで、動物虐待者のキュは逮捕されたという次第である。信じられない事だが、キュは少なくとも五回は熱湯を浴びせかけていたという。(Beatrize E. Valenzuela, "Chino Hills man accused of pouring boiling water on girlfriend's dog at least five times", The San Bernardino Sun, November 8, 2017 )

  犬を愛する日本人やアメリカ人だと、「おい! 下郎、何てことをしやがるんでぃ !!」と激怒するだろう。『若さま侍捕物帖』の田村正和なら、「テメェみたいに根性のひん曲がった野郎は、生きている値打ちがねぇ。オイラがたたっ斬ったる ! 血飛沫あげて、あの世へ行きやがれ!」と決め台詞を述べるはずだ。火傷を負った犬の写真が公開されたけど、恐怖に震える犬の表情が本当に痛々しかった。こんな支那人には脚の膝か手の甲に9mm弾を1、2発撃ち込んでやればいい。罰金刑なんか生ぬるいから、良心的な警官は逮捕前に「犯人が抵抗したから」と嘘をついて、ボコボコに殴り倒すべきだ。野蛮な支那人には鉄拳制裁が一番効果的である。

dog 1Enping Qu









(左: 虐待されて火傷を負った犬  / 右: 虐待を行ったエンピン・キュ )

  またもや脱線したので元に戻す。ヘレン・ケラーは小笠原巡査からもらった「神風」を大切に育てたらしいが、残念なことに渡米二年後に感染症(caine distemper)で亡くなってしまったそうだ。その後、彼女は別の犬種を飼うことはせず、「神風」の死をたいそう哀しんでいたという。この歎きは秋田まで伝わったそうで、小笠原氏は再び秋田犬を送ろうと決心し、「神風」の兄犬である「剣山号」を二年後に渡したそうだ。それから六年間、この「剣山号」はヘレンの良き伴侶となったらしい。昭和15年には感謝の手紙を小笠原氏に送ったそうで、そこには愛犬と楽しい日々を過ごすヘレンの様子が記されていた。そう言えば、盲目のミュージシャン、スティービー・ワンダーも秋田犬の大ファンであったという。米国には占領軍のアメリカ兵が持ち帰った秋田犬の子孫がいたのだが、スティービーは日本で飼われている純血の秋田犬を熱望したそうで、どうしても「本物」じゃないとイヤだ、とごねたらしい。そこで、どうにか日本から秋田犬を手に入れたらしく、念願が叶って大変喜んでいたそうだ。

盲目の聖女は赤いハートを持っていた

  「ヘレン・ケラー」と言えば世界的にも有名な社会活動家で、その評伝も多く、小学生でさえヘレンの生涯を知っているくらいだ。日本の学校図書館には偉人伝シリーズが揃えられ、子供たちは発明家のトマス・エジソンや科学者のキューリー夫人、クリミアの天使と呼ばれたナイチンゲール、音楽家のベートーベンなどに親しんでいる。しかし、こうした歴史上の人物が全て「真の偉人」であったとは限らない。というのも、中には眉を顰めたくなるような俗物も混ざっているからだ。例えば、日本だとジョン・F・ケネディーは立派な大統領と見なされているが、実際は無責任な理想を掲げてアメリカをメチャクチャにした元兇の一人りである。人種平等を訴えるなら、上流階級の暮らしをせず、黒人街で筋肉労働者として暮らせばいい。姦通相手も白人のマリリン・モンローじゃなく、黒人の売春婦にすればいいのに、ケネディーは矢鱈と白人美女に夢中だった。

JFK 3Marilyn Monroe 3Gandhi 1Chandra Bose 2







(左: ジョン・F・ケネディー  / マリリン・モンロー   / マハトマ・ガンジー  /  右: チャンドラ・ボーズ )

  もう一人挙げるとすれば、インドのマハトマ・ガンジーだろう。日本では無抵抗主義を貫いた偉人と目されているが、それはイギリス人にとって都合がいいからだ。本当にインドの偉人を捜すなら、一番始めにスバス・チャンドラ・ボース(Subhas Chandra Bose)が思い浮かぶはずで、インドの庶民はガンジーよりチャンドラ・ボーズを仰いでいる。だいたい、外国人支配者に対して「何もしない」なんて惨めだ。それよりも、インド国民軍を率いた武人の方が“英雄”に相応しい。イギリス人がガンジーを褒めるのは、自分達が倫理的に目覚めてインドを解放してやったと宣伝したいからで、その裏には日本兵や印度兵に武力で負けたことを隠蔽する意図がある。西歐人にとり、武力で有色人種に劣るのは恥なのだ。日本軍に“ご自慢”のプリンス・オブ・ウェールズを撃沈されたとき、チャーチル首相のショックときたら、もう肖像画にして遺したいくらいである。(ただし、筆者は保守論壇の知識人とは違って、英国を非難してインドの独立を称讃する気は無い。日本は英国と対立せず、イギリス人がずっとインドを支配するよう支援すべきであった。厄介者のインド人を抱え続ければ、煩わしい暴動が絶えないし、英国の財政的負担も増えるので、日本人は涼しい顔をして善意の第三者を演じていればよかった。)

  ヘレン・ケラーも“要注意人物”で、米国の下院議長を務めたリベラル派のナンシー・ペローシ(Nancy Pelosi)議員は、彼女を身体障碍者のために尽くした偉人と評していたが、実際は決して子供たちに推薦できるような人物ではなかった。なぜなら、この視力を失った聖女は確信的な左翼活動家であったからだ。

Kate Keller 1Arthur Keller 1(左: 母親のケイト・ケラー  /  右: 父親のアーサー・ケラー)
  ヘレン・アダムズ・ケラーは1880年6月27日、アラバマ州のタスカンビア(Tuscumbia)に生まれた。彼女は髄膜炎により生後19ヶ月目で視力と聴力を失ってしまい、両親との会話もままならず、苦悩に満ちた少女時代を過ごしたそうだ。幼い頃、ヘレンは家庭で考案された手話を使って周囲の者とコミュニケーションを図っていたらしい。しかし、この当時は今のような教育環境が整っていなかったので、彼女の人生は限られてものとなっていた。もちろん、母親のケイト・アダムズ・ケラーは不憫な娘に愛情を注いだのが、苛立ちを隠しきれぬヘレンは、まるで調教されていない動物のようであったという。(一般の日本人はヘレン・ケラーと言えば、どうしても晩年の姿を思い浮かべてしまうが、若い頃のヘレンは可憐な乙女であった。) 確かに、誰かと接していてもその姿を見ることが出来ず、暗闇の中で域をするだけの生活だし、言いたい事や思った事を相手に伝えられないんだからフランスレーションが溜まったのも無理はない。集団生活を送る人間に生まれたのに、ヘレンの日常は暗い独房に押し込められたようなものである。

  そんなヘレンの人生を変える人物が1887年に現れた。アン・サリヴァン(Anne Sullivan)という女性がヘレンの教師になろうと、彼女の自宅を訪ねてきたのだ。この二十歳になるサリヴァンという教師は、女学校を出たばかりのお嬢様かと思いきや、結構な苦労人であった。彼女は幼い頃に孤児となり、マサチューセッツの施設に引き取られると、精神病患者と一緒に暮らす破目になったという。しかも、この精神異常者の大人たちは、思春期となった子供を食い物にしたと言うから最悪である。さらに、施設のスタッフが子供を虐待し、その扱いも冷淡であったから、さしずめ拘置所みたいなものであったという。サリヴァンは後に回想していたが、施設の子供たちは短命で、成人になれるのは五人に一人もいなかったそうだ。彼女の弟も同じ運命を辿ったそうで、姉のアンは弟を色々と守ったそうだが、職員は依然として子供たちをほったらかしにしていた。残念なことに、彼女の弟は徐々に衰弱し、やがて息を引き取ったそうだ。こうした辛い目に遭ったサリヴァンは、他の子供たちが不幸な人生を送らぬよう、何とかしたいと心に決め、教師を目指したらしい。

Anne Sullivan 11Anne Sullivan & Helen 1








(左: アン・サリヴァン  / 右 : ヘレン・ケラーとアン・サリヴァン)

  年は若いけど熱意に燃えたサリヴァンは、ヘレンと良好な関係を気づくことができ、両者の友情は以後50年間も続くことになった。サリヴァンは覚えたばかりの教育テクニックを見事に使いこなし、ヘレンは独力だけでも勉強できるまでになったというから、サリヴァンの力量は大したものである。鋼鉄の意思を持つ教師は侮りがたい。ところが、この熱血先生には困った点があった。彼女にはジョン・メイシー(John Macy)という恋人がいたのだが、二人ともかなりの過激派で、生徒のヘレンは彼らの左翼思想を吸収してしまったのだ。とはいっても、ヘレンがサリヴァンのイデオロギーに共鳴したのは、自らの体験、すなわち辛い日々があったからである。彼女は自分が病気に罹り、盲(めくら)と唖(おし)になったのは、産業社会と資本制度のせいなのだ、と思っていたらしい。ヘレンの主張によれば、社会が重要視すべきなのは、諸悪の根源である労働者の貧困と不安定な職場、及び労働者の生活状況であるそうだ。(Andy Piascik, "Helen Keller, The Radical : A Great Mind and Inspiration for all Humanity, Global Research, October 8, 2013)

Eugene Debs 1(左  /  ユージン・デブス)
  左翼教師に指導されたヘレンは、二十代になると社会党に加わり、ユージーン・デブス(Eugene Victor Debs)の為に選挙活動も手伝ったそうだ。ちなみに、このデブスは1894年のプルマン・ストライキ(Pullman Strike)や鉄道組合ストライキなど、様々な労働組合活動を扇動した社会主義者で、アメリカ社会民衆党を結成し、その議長に納まった人物である。第一次世界大戦に反対すると、スパイ防止法違反に問われ、抵抗虚しく投獄される羽目となった。後に、ハーディング大統領によって減刑されるが、1926年に亡くなったという。カール・マルクスの『資本論』に感激したデブスは、「資本家」にこき使われる労働者の為にあちこち奔走し、世界産業労働者組合(Industrial Workers of the World)まで創設する。彼の賛同者だったヘレンがこの組織のメンバーになったのは不思議ではあるまい。所属した頃、彼女はこう述べていた。

   労働者が階級として組織され、地上の資源や生産・流通の仕組みを握り、賃金制度を廃止するまで、一切の平和は無いでしょう。

  筋金入りの社会主義者となったヘレンは、ピケを張る人の列に加わったり、ストライキの応援団を組織し、集会での話し方まで習っていたのだ。もう一端の革命家気取りである。労働活動に目くじらを立てる政府から、いくら脅かされても屈服せず、「正義の味方」を自負するヘレンは怯まなかった。1910年代になると彼女は更に進んで、活発化してきた女性運動にまで首を突っ込むようになったという。案の定、この天使には過激派が群がり、彼女は「左翼」という羽根を得て各地を飛び回っていた。そしていかにもフェミニストらしいが、産児制限に賛成だったヘレンは、女性が出産以外の性生活をも楽しむべし、との意見を持っていたそうだ。たぶん、独身だったヘレンは異性とのセックスに飢えていたのだろう。もし、良い夫を得て子宝にも恵まれていれば、妊娠以外の性生活をもっと増やすべき、とは考えなかったはずだ。当時は、貞淑なレディーとか良妻賢母というのが女性の理想だったから、コンドームを準備して複数の男を巡回するなんて考えられないし、そうしたことを口にするのも憚れる時代であった。(今だって、財布の中に常時コンドームを用意している女性とデートしたら、「さすがぁ~」と嬉しい反面、「もしかして、慣れてるのかなぁ?」と不安になるじゃないか。それに、もし行きつけのラブ・ホテルをもっていたら、もっと怖いよねぇ。)

  盲目の聖女ヘレン・ケラーの物語は、日本では小学生に読み聞かせたい伝記の一つと見なされているが、この聖人の思想は真っ赤なものだった。彼女は共産主義に共鳴し、ウラジミール・レーニンを尊敬すると共に、血で塗られたロシア革命を支持していたのだ。また、フェミニズムの推進役も果たしていたから、産児制限で有名なマーガレット・サンガー(Margaret Sanger)とも親しく、好ましくない子供が生まれぬよう、断種政策が必要だとも思っていた。さらに、ヘレンはあの悪名高い極左団体、「アメリカ自由人権同盟(ACLU)」を創設したメンバーの一人でもあったのだ。(Claude Cartaginese, "The Forgotten Side of Helen Keller", Front Page Magazine, October 10, 2009) このように、様々な政治活動にのめり込んでいたから、FBIはヘレン・ケラーを監視対象にし、彼女のファイルはJ.エドガー・フーヴァー長官の目にも留まっていたらしい。日本人は身体障碍者が意見を述べると、無条件に受け容れてしまうが、肉体に欠陥を持っている事と健全な思想を持っている事とは別である。身体障碍者にも意地悪とか、生意気な人、気持ちの悪い変態、鼻つまみ者がいても不思議ではない。彼らも人間だから、良い人もいれば悪い人もいるはずた。いくらヘレンが盲目だからといって、彼女の主義主張に対して目を閉じるのは間違っている。

Margaret Sanger 1Lenin 1 Edgar Hoover 1







(左: マーガレット・サンガー  /  中央: レーニン /  右: エドガー・フーヴァー)

  ヘレン・ケラーが赤い思想に染まったのも、ある意味しょうがないのかも知れない。人間というものは、生まれながらに持つ機能を使ってこそ、充実した人生を送ることができ、それが出来ないと無性に腹が立つ。手があるのは何かを動かし、自分の意図を実現させたいからだろうし、足があるのも歩いて何処かに行きたいからだろう。目があるのは映像や絵画とかを見て刺戟を受けたいからで、耳があるのも音楽を聴いたり、人の話を聞くためなんじゃないか。ところが、舌があるのに料理の味が分からなかったり、人に何かを伝えたいのに喋る事が出来なければ、フラストレーションが溜まる一方だ。どんな金持ちでも眠れなければ、熟睡できる貧乏人より不幸だし、食慾があるのに何も食べることが出来なければ、これまた惨めである。性器が附いているのに、異性とセックスできなければもっと寂しい。

  ヘレン・ケラーは目が見えず、いつも暗闇の中で生きており、人と会話したくても難聴のため上手く言葉を操ることができず、事ある毎に癇癪を起こしていたという。こんな運命の下に生まれれば、世の中を恨みたくなるだろう。だから、勝手な想像で、社会主義思想に共感し、共産主義の世界に理想郷を求めたんじゃないか。もし、彼女がソ連に住んだら、もっと悲惨な人生を強いられたに違いない。社会主義国で身体障碍者が大切にされることはないからだ。支那や北鮮だと、乞食より貧しくなるだろう。カルフォルニア大学のジョージナ・クリージ(Georgina Kleege)によると、ヘレンにはピーター・フェイガン(Peter Fagan)という秘書がおり、彼女が36歳の時、このピーターに惚れていたそうだ。しかし、ヘレンの母親が気に食わなかったので、彼は叩き出されてしまった。もし、彼女がピーターと添い遂げることができたなら、処女のままで一生を終えるということはなかったであろう。ヘレン自らが述べていたが、結婚の喜びを知らないことが人生で最大の後悔であったそうだ。

  日本人は根が優しいから、社会党や公明党が「身体障碍者のためにも社会福祉の充実を!」と叫べば、「そうだなぁ」と簡単に騙されてしまう。弱者ヘの福祉は豊かな社会が前提で、自由主義をとる国家でないと実現が難しい。能力のある強者がたくさん現れるから、弱者への配慮という余裕が生まれてくるのだ。重税と圧政で国民を貧乏にして、「やった ! みんな平等だ !」と喜んでいる奴はアホである。お金持ちが各地に存在すれば、その中から慈善家が現れるのであって、官僚が赤い貴族となり、特権階級を形成する社会主義国では、庶民への愛情など生まれるはずがない。社会党や共産党に親近感を覚える者は、一般的に心が賤しく、有能な人物に嫉妬する能無しか、潰しの利かないアカンタレのどちらかである。だいたい、他人のゼニで社会を良くしようなんて、根性が腐っているんじゃないか。人に尽くしたければ、道路建設の土方や港湾人夫にでもなって、自らの汗を流し、自分の懐からお金を出すべきだ。そうすれば、福祉金をばらまく時、受給者への目も厳しくなる。自分が払った金銭なら、「テメェ、甘い顔をしていりゃ、好き勝手に酒や煙草、パチンコなんかに使いやがって。ナメるんじゃねぇ !」と怒りが湧いてくるはずだ。社会福祉の講義を受ける大学生は、まずパートタイムでたくさん働き、多額の税金を納めてみることだ。そうすれは、ちょっとは教授の言う事に騙されずにすむぞ。




人気ブログランキング

スターリンは独立の悪党だった

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


好評発売中 !!

信仰より現世を選ぶ神学生

  国家総力戦が起こった第20世紀には、それに相応しい梟雄(きょうゆう)が謀略を張り巡らしていた。その中でも、一、二を争う悪党と言えば毛沢東とスターリンである。一般的に、ユダヤ人や西歐人はヒトラーを巨悪の代名詞にするが、本当に兇悪なのはロシアの独裁者と支那の赤い皇帝だ。ユダヤ人の虐殺数から言えば、スターリンの方が遙かにヒトラーを上回るし、チャーチルとローズヴェルトを手玉に取り、ソ連を超大国に仕立てた暴君の奸智は“超一流”としか言い様がない。戦争というのは政治「目的」を達成する為の「手段」であり、武力を使った「外政」の「延長」だから、最終的に戦争目的を達成した者が“勝者”である。大英帝国を没落させたチャーチル首相は、戦闘で勝ったとはいえ、外政上の「敗者」であるし、ソ連の東歐征服を助けたトルーマン大統領も「敗者」の側に片足を突っ込んでいるから、「勝者」とは言いづらい。翻って、毛沢東は日本軍対して劣勢だったけど、政治力学の秀才だったから、漁夫の利を得て「勝者」となった。この極悪人は単細胞の日本人を利用して蔣介石を追放し、宏大な支那大陸をまんまと手中に収めたんだから大したもんだ。一方、満座の席で笑われるのが我が国で、運搬方法も考えぬまま石油獲得のために東南アジアへと進出し、「大東亜解放」という妄想を叫んで米国と闘ってはみたものの、見事に惨敗。アジア諸国が独立できても、我が国は軍隊を失い、米国の属州になって未だに立ち直れない。深田祐介の解放論は「日本」を忘れているのだろう。 日本人は「自国の独立」を最優先にすべきだ。

Harry Truman 3Stalin 3winston churchill 3








(左: ハリー・トルーマン  /  中央: ヨシフ・スターリン / 右: ウィンストン・チャーチル )

  第二次世界大戦で“最大の果実”をもぎ取ったスターリンは、毛並みの良い貴族でもなければ、名門大学出の御曹司でもなかった。後に「スターリン」と呼ばれるヨシフ・ヴィサリオノヴィッチ・ジュガシヴィリは、1879年、グルジアにある「ゴリ」という町が故郷で、靴職人を営むヴィサリオンとその妻エカチェリーナとの間に生まれた。1879年と言えば、明治12年だから、スターリンは小説家の正宗白鳥や作曲家の瀧廉太郎、物理学者のアルバート・アインシュタインと同世代の人物となる。なるほど、同級生となるマルキストの河上肇はラッキーだろうが、大正天皇がお生まれになった年でもあるから、我々としては不愉快で気分が悪い。他人の命を平気で奪ったスターリンは結構しぶとく、1953年(昭和28年)に74歳で亡くなっているから、天の摂理は何とも不条理だ。大正天皇は1926年に崩御されたのに、この極悪人は吉田茂のバカヤロー解散くらいまで長生きしたんだから。


Stalin 6(左  / 青年時代のスターリン )
  スターリンと言えば泣く子も黙る大虐殺の達人であったが、少年時代はそれと全く異なり、周囲も認める優秀の神学生であった。世の中に尽くした偉人と同じく、悪党の経歴というのも意外性に満ちている。幼い頃、「ソソ」と呼ばれたスターリンは、病気ばかりしている虚弱児で、左腕が右腕よりも短く、その右腕すら動かすのがやっとの少年であった。ソソが母親から受け継いだ言葉はグルジア語であったが、ロシア人の友達と遊んでいたので自然とロシア語を流暢に話せるようになったらしい。彼が10歳の時、母のエカチェリーナは息子をゴリの神学校に入れようと思い、受験準備をさせたところ、ソソは優秀な成績で合格したという。しかも、月額3ルーブル50ペイカの奨学金まで得たというから、トップ・クラスに属する生徒であった事は間違いない。(バーナード・ハットン 『スターリン』 木村浩訳、講談社学術文庫、1989年) 学級で一番の優等生になったソソは、記憶力が抜群に良かったというから、小さい頃からギャングの親玉になる素質があったのだろう。

  世界を揺るがす独裁者が、幼い頃とはいえ、教会で賛美歌を独唱していたなんて冗談みたいな話だが、冷酷な革命家で神学校出身の人物は珍しくない。例えば、フランス革命で指導的役割を果たしたマクシミリアン・ロベスピエール(Maximilien F. M. I. de Robespierre)は、オラトリオ修道会の神学校を経て、パリのルイ・ル・グラン学院に入ったし、権謀術数を駆使して警察長官にまで上り詰めたジョセフ・フーシェ(Joseph Fouché)も、オラトリオ修道会の神学校に通い、結構な知識を身につけた姦雄の一人であった。(このフーシェという革命家は煮ても焼いても食えない奴で、シュテファン・ツヴァイクの伝記に詳しいが、本当に狡賢い“クセ者”である。) 地元の子供と変わりなく神学校に通うソソであったが、彼の関心は天上の来世ではなく、地上の俗世であった。ソソは旋毛(つむじ)に悪魔の刻印が出来る前に、民族意識が目覚めたようで、祖国解放の気概に満たこの少年は、友達を前にしてグルジア民族の英雄である「コバ」を讃えたそうだ。そして、自らもコバに倣い「民族解放の闘士になるんだ !」と息巻いていた。

Robespierre 2Joseph Fouche 2Karl Marx 1









(左: ロベスピエール  / 中央: ジョセフ・フーシェ  / 右: カール・マルクス )

  こうした野望に燃えた少年が退屈な聖書や神学書に没頭するはずがなく、少年「コバ」が好奇心を示すのはロシア政府から禁じられていた書物であった。彼は手当たり次第に図書室の本を貪り読んだそうで、バルザックの『人間悲劇』からヴィクトル・ユーゴーの『九十三年』、さらにカール・マルクスの『資本論』へと目を通していたそうだ。こうして、禁書と革命に興味を抱いた神学生は、次第に政治活動へと傾いてくる。彼はマルクス主義グループを組織するようになり、この集団に『ブルゾーラ(闘争)』という名前をつけると、その指導者になってしまった。メンバーは危険を避けるため、各人が匿名を用い、ソソは以前から憧れていた「コバ」の名前を選んだそうだ。

Kamenev 3(左  /  カーメネフ)
  スターリンは神学生であったが、聖人が伝えた有り難い福音より、破壊分子の荒々しい雄叫びに興奮した。関根勤のギャグじゃないけど、「納得!」と言いたい。スターリンにとって、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」という教えは、ナンセンスどころか愚の骨頂だ。それよりも、「憎い圧制者を容赦無く打倒せよ !」とか「刃向かう者は皆殺しにしろ !」というスローガンの方が似合っている。社会主義と暴力革命に馳せ参じるスターリンは胸がときめき、「これが我が人生 !」と生き甲斐を感じていたんじゃないか。今では、東大の赤い学生でも「将来の職業は?」と訊かれて、「職業革命家です!」と答える馬鹿はいないけど、ロマノフ王朝時代のロシアでは、そこら辺に赤ヘルの卵がゴロゴロいた。敵をぶっ倒すことで生きて行けるなら、スターリンにとって格好の天国だ。「陰謀」と「暴力」は彼の十八番。破壊活動やストライキに参加して、官憲に追われる姿も結構「絵」になっている。ちなみに逃走中、スターリンは後に夫人となるナジェージタと出逢っていた。そして、この「お尋ね者」は若きジャーナリストのレフ・ボリソヴィッチ・ローゼンフェルド(Lev Borisovich Rozenfeld / 後のKamenev カーメネフ)に匿われていたのである。(ちなみに、カーメネフはユダヤ人の父を持っていた。ロシアの革命分子にはユダヤ人が多い。)

犯罪者に向いている革命家

  人には「向き不向き」というものがあるようで、チフリスの神学校を去って社会民主党に移ったコバは、メキメキと頭角を現すようになり、22歳で党の指導的地位にまで昇ることができた。彼の才能は犯罪で開花する。例えば、コバは党の発展のためにも秘密出版所が必要であると悟っていた。しかし、あいにく党の金庫は空っぽで、印刷用の設備すら“無い”ときている。せっかく、グルジア語やアルメニア語、トルコ語、ロシア語のパンフレットを作成できるのに、それを刷ることができないなんて残念。だが、そんなことでヘコたれるコバではない。この策略家は、「お金や機械が無ければ、どこからか調達してくればいい」と考える。ある日、裕福なアルメニア人印刷業者の工場に強盗が入り、活字ケースや印刷機が強奪されるという事件が起きたそうだ。すると、「あら不思議 !」、コバのところに秘密印刷所が出来ました。(上掲書 p.28) さすが、スターリンは機転が利く。

Joseph Stalin 1(左  / 若い頃のスターリン )
  盗みが得意だったコバは、脱走の名人でもあった。官憲に目を附けられたコバは、ある事が切っ掛けで逮捕されてしまい、シベリアにある「ノーヴァダ・ウヤ」という僻地に流刑となる。だが、党の仲間から二年前に死亡した絨毯商、ダヴィド・ニジェラーゼ名義の旅券を手に入れ、その村を脱出することができた。人間の心理を察知するのが上手いコバは、クリスマス・イヴに脱走を図ったという。なぜなら、その神聖な夜であれば、どんな連中も仕事を放り出し、職務そっちのけで酔っ払うに違いないと踏んだからだ。確かに、ロシア人ならウォッカをがぶ飲みしてドンチャン騒ぎというのが目に浮かぶ。お祭りの日に真面目に働くロシア人なんて想像できない。今だって、サッカーやアイス・ホッケーの世界大会があれば、仕事をズル休みして会場に駆けつけるんじゃないか。それにしても、スターリンは強靱な体を持っていた。安全地帯のマカーロフ村まで20マイルもあるのに、極寒の中、気が遠くなるほどの道のりを歩いたんだから。しかも、途中には空腹を抱えた狼や熊までいたというから、いくら猟銃を所持していたとはいえ、随分と危険を冒したものである。スターリンの評伝によると、寒風吹きすさむ中、コバの足は痺れ、肌を突き刺す冷気で凍死寸前だったというから、悪人というのは本当に運が強い。

Leonid Krasin 2(左  /  レオニード・クラーシン)
  ボリシェビキときたら威勢だけは良かったが、肝心の活動資金に困っていた。そこで、レーニンの腹心だったレオニード・クラーシン(Leonid B. Krasin)が「チフリスの国立銀行を襲って、金を奪ったらどうでしょう?」と提案したそうだ。この「解決策」を実行するに当たり、白羽の矢が立ったのはコバ。というのも、彼以外、適役がいなかったからだ。要請を受けたコバは軍資金として50ルーブルをもらい、ダヴィド・チジコフという偽名まで用いて故国へ派遣されることになった。大規模な強奪計画を練り始めたコバは、チフリス銀行が頻繁に100万から200万ルーブルに上る現金を輸送する事に着目し、彼はこの点を突くことにしたという。待望の掠奪行為はある早朝に実行された。武装したコサック隊は銀行を出発した貨物運搬車を襲撃し、護送車からの反撃を受けるも、34万1千ルーブルの現金と、農業銀行の国庫債券、株券、鉄道債券などを強奪したという。

  ところが、奪った金は危険過ぎて直ぐには使えなかった。なぜなら、掠奪したお札が全部、高額紙幣の500ルーブ札で、おまけに、全部が続き番号の紙幣であったからだ。当時のロシアでは、1ルーブル紙幣1枚あればお金持ちと見なされていたくらいだから、500ルーブル紙幣なんて使ったら大変だ。コバたちは警察当局の捜査が打ち切られるのを待ってから、その紙幣や債権を国外に持ち出し、「リトヴィノーフ」の偽名を持つワラッフがパリで処分るはずであった。しかし、「リトヴィノーフ」はこの段取りを実行できず、あっさりと官憲に捕まってしまった。警察はダヴィド・チジコフという男が事件に関与していると察知したが、その容疑者がコバであることまでは判らなかったという。

  コバはコーカサス刑事捜査部に務める友人から、この捜査情報を渡されので、偽名を用いて旅券を手に入れると、さっそく高飛びを図った。しかし、誰かの密告により捕まってしまう。この不運な男はロシアの極北地、ソリビチェゴッツクという町に送られてしまうが、またもや偽名旅券を手に入れ脱走できた。まったく、要領がいいというか、狡賢いというか、窮地に立たされても何とか抜け出してしまうんだから、スターリンは根っからの犯罪者である。巣鴨プリズンに収容されたA級戦犯は、みんな“しょげていた”というから、ちっとはスターリンを見倣うべきだ。ただし、服役者の中で岸信介だけが元気だった、というから長州出身の「元革新官僚」で、「昭和の妖怪」と呼ばれた豪傑は桁が違っていたのだろう。

  バクーに戻ったスターリンは、壊滅状態にある党組織を目にする。大部分の指導者が警察に逮捕されていたし、党を運営する資金も底をついていた。でも、スターリンには心強い仲間がいた。といっても、強盗犯や前科者ばかりだったけど。お金が欲しいスターリンは、商店主や銀行家、実業者などりリストを作り、党に「献金」してほしいと“鄭重”に頼んだそうだ。しかし、この「お願い」拒み、警察に訴える者がいると、「お礼参り」があったという。つまり、こんな「階級の敵」には容赦せぬとばかりに、ゴロツキどもが商店や邸宅を破壊したそうだ。それにもし、被害者がこの「仕返し」を警察に訴えようとすれば、「お前ばかりか、テメエの家族まで命をもらうことになるぞ」と脅したそうだから、何とも念が入っている。ロシア人やグルジア人の恐喝って、ヤクザの因縁よりも怖い。なんかエメリアエンコ・ヒョードルみたいな用心棒が出て来そうだもん。そう言えば、K-1チャンピオンのセーム・シュルトを破ったセルゲイ・ハリトーノフは驚愕を越えた恐ろしさを味わっていた。試合中、彼がシュルトの首に馬乗りとなり、その顔面に鉄槌を下したことがある。ハリトーノフの顔には、必殺仕掛人でさえ怯えるほどの狂気があった。案の定、シュルトの顔は鮮血まみれ。外人の格闘家さえ、そのドス黒く紫色に変わった顔面に驚き、ゾっとするような戦慄を覚えたくらいだ。ロシア人と比べたら、日本人の格闘家なんて温和な好青年である。

娼婦を搾取する共産主義者

  銀行強盗を実行したスターリンは、別の資金集めにも熱心だった。今度は売春宿の経営だ。彼は警察のブラックリストに載っているラヨス・コレスクと一緒に売春宿を切り盛りすることになった。スターリンは娼婦らに街頭や報酬の悪い所で商売せず、自分達のもとに移るよう説得したそうだ。やがて彼の売春宿は、チフリスでも、バクーやバツームでも大繁盛となった。女たちは体を売って得た料金の1割をもらい、コレスクは宿の運営、女たちの扶養、自分の取り分などを含めて5割を受け取り、残りの4割をコバに渡したそうだ。(上掲書 p.45) ところが、こうして売上げの一部を得ていたコバは、“ちゃっかり”と店の常連客になっていたというから、何とも図々しい野郎である。まぁ、後にローズヴェルトやチャーチルを騙すことになるんだから驚かないけど、“抜かりの無い”コバは、こっそりと上納金の一部をピンハネしていたそうだ。学校の先生は教えないけど、陰で“ほくそ笑む”スターリンって、とても「絵」になっている。

  仕事と趣味を両立してコバは満足だったが、この噂を聞きつけたレーニンは眉を顰めたという。そりゃ、そうだ。建前でも、一応、革命家たちは「人間による人間の搾取」に反対していたのだ。それなのに、当の革命家が娼婦の生き血を啜って肥え太っていたのでは世間体が悪い。(コバ自身はそんな矛盾をちっとも「悪い」とは思っておらず、娼婦の搾取など当然と考えていた。さすが、極道のスターリンは生きている次元が違う。) また、売春宿の運営実態は不透明で、帳簿や領収書も無かったから、党はコバの差し出すお金を黙って受け取るしかなかった。したがって、誠実なボルシェビキ党員がコバの遣り口を非難したのも当然だ。レーニンはコバ宛に手紙をしたため、売春商売が党の名誉を傷つけていると非難したそうだ。綺麗事を好むインテリのレーニンは、自分でお金を稼がないくせに、スターリンが売春で仕送りしている事に文句を長けていたんだから、何となくスターリンの方が偉く思える。

  レーニンから書簡を受け取ったコバは、怒れる党の指導者に返事を送り、自分は売春宿を悪いとは思っていないと述べ、むしろ女たちを以前よりも良い状態で暮らせるようにしてやったのだ、と自慢したそうだ。なぜなら、娼婦たちは雨の日も風の日も、通りに出ては客を拾い、警察にしょっ引かれる心配をしながら営業していたのだ。しかし、今ではそうした不安に怯えることもなく、ちゃんとした家に住み、まともな食事を取れるようになった。こうした改善を施してやったのだから、「いいじゃないか」というのがコバの主張である。こう聞くと、コバの言い分にも一理あると納得してしまうから不思議だ。まるでスターリンが慈悲深い元締に見えてくる。といっても、山口組の田岡組長とは違うぞ。ある新聞記者が、スターリンの売春業を記事にしようとしたらしい。すると、「自分の関係無いことに首を突っ込むな !」と怒鳴られ、「お前とお前の家族も皆殺しにするぞ !」と脅されたそうだ。それ以来、誰一人としてこの件を明るみに出そうとはせず、警察も女たちが口を割らないため介入できなかったという。

Lenin 2Trotsky 2Wilhelm II










(左: 若い頃のレーニン  / 中央: トロツキー  /  右: 皇帝ウィルヘルム2世)

  ボルシェビキ党は定期的に資金を得ることができ、各種の出版物やパンフレットをばらまくことが出来るようになった。しかし、コバは「党に大打撃を与える事になる」というレーニンの忠告に耳を傾け、これからは彼の指令通りに従うことを約束したそうだ。コバはコレスクと話をつけ、方々の売春宿に足繁く通うことを止めたという。その代わり、彼は別の資金源を開拓した。街頭で「他人に頼らず稼ぐ」娼婦たちの為に、「保護事業」なるものを起こし、コバは喜んで「保護者」になるという前科者を集めたらしい。この連中は町を巡回し、娼婦から稼ぎの上前をハネて、その一部を党に上納したそうだ。でも、これって間接搾取じゃないのか? つまり、サラリーマンの源泉徴収みたいなものだ。企業の会計係が社員の給料から税金をピンハネし、この「抜き取った金」を税務署に上納する。税務署の役人は自らの手を汚さず、“きっちりと”年貢を集められるから楽なもんだ。

  スターリンはとんでもない悪党だけど、ある意味、レーニンやトロツキーなんかより凄い。なぜなら、お金に困れば“自力”で工面したからだ。口ばかりが達者な党の幹部連中は、活動資金を資本制国家の金融業者に求めた。レーニンたちが革命を達成するため、ドイツの皇帝と銀行家に頼ったことは有名だ。ドイツに店を構えるウォーバーグ銀行のマックス・ウォーバーグ(Max Moritz Warburg)は、カイゼルに資金提供の話を持ち掛け、ロシアの内乱を拡大したかったカイゼルはこれを諒承する。ドイツ政府は充分な資金を用意して、レーニンとその取り巻き連中を安全にスイスからロシアに輸送する手筈を整えた。この資金調達のために動いたのは、マックスの弟であるポール・ウォーバーグ(Paul M. Warburg)であり、彼とパートナーを組むヤコブ・シフ(Jacob Schiff)、そしてウォール街の国際金融家であった。(この経緯は、アンソニー・サットン教授の『ウォール街とボルシェビキ革命』に詳しい。) 本質的に、“ロシア”革命は“ユダヤ人”の金貸しと扇動家によって画策された政府転覆事業である。ヤコブ・シフから軍資金を調達できた日本人は「誠に有り難う御座います」と感謝していたが、シフにとっては憎いロマノフ王朝を倒すための、便利な「駒」に過ぎなかった。ポグロムでユダヤ人を殺すロシア人に仕返しをする為なら、いくら大金を使っても惜しくはない。たとえ、我が国が日露戦争で勝てなくても、相当なダメージを与えたはずだから、シフとしてはおおよそ満足だろう。ユダ人の大富豪にしたら、日本なんて使い捨ての消耗品である。かくも現実は冷酷で厳しい。

Max Warburg 1Paul Warburg 1Jacob Schiff 1










(左: マックス・ウォーバーグ  / 中央: ポール・ウォーバーグ  / 右: ヤコブ・シフ )

  一般的に、インテリというのは口舌の徒で、演説は上手いが銭儲けに関しては素人だ。しかも、勇ましいことを述べても、いざ腕力で勝負となるや尻込みする。その点、スターリンは武闘派の革命家で、資金が無ければ強盗になるし、売春婦を使ってでも小銭を稼ごうとする。暗黒街で暮らしたスターリンにとっては殺人だって朝飯前だ。このような犯罪者は、実際にナイフを持って人の腹を刺し、グリグリと刃物を回転させ、腸をズタズタに切り刻む事ができる。鮮血で濡れた手を見ても驚かず、帰って喜びを感じるのがスターリンみたいな男だ。この独裁者と比べたら、卑怯者の菅直人や、機動隊にボコボコにされた全共闘の学生、ソ連の赤軍を待ち望んだ野坂参三や宮本顕治なんか、母親の背後に隠れる稚児に等しい。日本の左翼には自分で自分の運命を切り開く気概が無いのだ。スターリンはレーニンのように銀行家に「借り」を作らず、独立不羈の革命家を目指した。このレーニンが病に倒れれば毒を盛って暗殺するし、邪魔になったトロツキーは奸計を用いて排斥しようとする。自分にとって危険な者は誰でも抹殺し、ちょっとでも障碍となれば粛清の対象にしてしまうんだから、ロシアの君主になる奴は只者じゃない。観念的な共産主義に憧れた近衛文麿は、本当に世間知らずの「お公家さん」だった。近衛家のお坊ちゃんには、人殺しや強盗など出来ないし、任せることさえ出来ない。『ゴッド・ファーザー』のドン・コルレオーネ役には、マーロン・ブランドーじゃなくて、ヨシフ・スターリンが適役だったのかもね。でも、アカデミー賞を授与するユダヤ人は複雑な気持ちだろうなぁ。  


人気ブログランキング
記事検索
最新記事
アクセスカウンター