無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

偉人伝/人物評論

スターリンは独立の悪党だった

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


好評発売中 !!

信仰より現世を選ぶ神学生

  国家総力戦が起こった第20世紀には、それに相応しい梟雄(きょうゆう)が謀略を張り巡らしていた。その中でも、一、二を争う悪党と言えば毛沢東とスターリンである。一般的に、ユダヤ人や西歐人はヒトラーを巨悪の代名詞にするが、本当に兇悪なのはロシアの独裁者と支那の赤い皇帝だ。ユダヤ人の虐殺数から言えば、スターリンの方が遙かにヒトラーを上回るし、チャーチルとローズヴェルトを手玉に取り、ソ連を超大国に仕立てた暴君の奸智は“超一流”としか言い様がない。戦争というのは政治「目的」を達成する為の「手段」であり、武力を使った「外政」の「延長」だから、最終的に戦争目的を達成した者が“勝者”である。大英帝国を没落させたチャーチル首相は、戦闘で勝ったとはいえ、外政上の「敗者」であるし、ソ連の東歐征服を助けたトルーマン大統領も「敗者」の側に片足を突っ込んでいるから、「勝者」とは言いづらい。翻って、毛沢東は日本軍対して劣勢だったけど、政治力学の秀才だったから、漁夫の利を得て「勝者」となった。この極悪人は単細胞の日本人を利用して蔣介石を追放し、宏大な支那大陸をまんまと手中に収めたんだから大したもんだ。一方、満座の席で笑われるのが我が国で、運搬方法も考えぬまま石油獲得のために東南アジアへと進出し、「大東亜解放」という妄想を叫んで米国と闘ってはみたものの、見事に惨敗。アジア諸国が独立できても、我が国は軍隊を失い、米国の属州になって未だに立ち直れない。深田祐介の解放論は「日本」を忘れているのだろう。 日本人は「自国の独立」を最優先にすべきだ。

Harry Truman 3Stalin 3winston churchill 3








(左: ハリー・トルーマン  /  中央: ヨシフ・スターリン / 右: ウィンストン・チャーチル )

  第二次世界大戦で“最大の果実”をもぎ取ったスターリンは、毛並みの良い貴族でもなければ、名門大学出の御曹司でもなかった。後に「スターリン」と呼ばれるヨシフ・ヴィサリオノヴィッチ・ジュガシヴィリは、1879年、グルジアにある「ゴリ」という町が故郷で、靴職人を営むヴィサリオンとその妻エカチェリーナとの間に生まれた。1879年と言えば、明治12年だから、スターリンは小説家の正宗白鳥や作曲家の瀧廉太郎、物理学者のアルバート・アインシュタインと同世代の人物となる。なるほど、同級生となるマルキストの河上肇はラッキーだろうが、大正天皇がお生まれになった年でもあるから、我々としては不愉快で気分が悪い。他人の命を平気で奪ったスターリンは結構しぶとく、1953年(昭和28年)に74歳で亡くなっているから、天の摂理は何とも不条理だ。大正天皇は1926年に崩御されたのに、この極悪人は吉田茂のバカヤロー解散くらいまで長生きしたんだから。


Stalin 6(左  / 青年時代のスターリン )
  スターリンと言えば泣く子も黙る大虐殺の達人であったが、少年時代はそれと全く異なり、周囲も認める優秀の神学生であった。世の中に尽くした偉人と同じく、悪党の経歴というのも意外性に満ちている。幼い頃、「ソソ」と呼ばれたスターリンは、病気ばかりしている虚弱児で、左腕が右腕よりも短く、その右腕すら動かすのがやっとの少年であった。ソソが母親から受け継いだ言葉はグルジア語であったが、ロシア人の友達と遊んでいたので自然とロシア語を流暢に話せるようになったらしい。彼が10歳の時、母のエカチェリーナは息子をゴリの神学校に入れようと思い、受験準備をさせたところ、ソソは優秀な成績で合格したという。しかも、月額3ルーブル50ペイカの奨学金まで得たというから、トップ・クラスに属する生徒であった事は間違いない。(バーナード・ハットン 『スターリン』 木村浩訳、講談社学術文庫、1989年) 学級で一番の優等生になったソソは、記憶力が抜群に良かったというから、小さい頃からギャングの親玉になる素質があったのだろう。

  世界を揺るがす独裁者が、幼い頃とはいえ、教会で賛美歌を独唱していたなんて冗談みたいな話だが、冷酷な革命家で神学校出身の人物は珍しくない。例えば、フランス革命で指導的役割を果たしたマクシミリアン・ロベスピエール(Maximilien F. M. I. de Robespierre)は、オラトリオ修道会の神学校を経て、パリのルイ・ル・グラン学院に入ったし、権謀術数を駆使して警察長官にまで上り詰めたジョセフ・フーシェ(Joseph Fouché)も、オラトリオ修道会の神学校に通い、結構な知識を身につけた姦雄の一人であった。(このフーシェという革命家は煮ても焼いても食えない奴で、シュテファン・ツヴァイクの伝記に詳しいが、本当に狡賢い“クセ者”である。) 地元の子供と変わりなく神学校に通うソソであったが、彼の関心は天上の来世ではなく、地上の俗世であった。ソソは旋毛(つむじ)に悪魔の刻印が出来る前に、民族意識が目覚めたようで、祖国解放の気概に満たこの少年は、友達を前にしてグルジア民族の英雄である「コバ」を讃えたそうだ。そして、自らもコバに倣い「民族解放の闘士になるんだ !」と息巻いていた。

Robespierre 2Joseph Fouche 2Karl Marx 1









(左: ロベスピエール  / 中央: ジョセフ・フーシェ  / 右: カール・マルクス )

  こうした野望に燃えた少年が退屈な聖書や神学書に没頭するはずがなく、少年「コバ」が好奇心を示すのはロシア政府から禁じられていた書物であった。彼は手当たり次第に図書室の本を貪り読んだそうで、バルザックの『人間悲劇』からヴィクトル・ユーゴーの『九十三年』、さらにカール・マルクスの『資本論』へと目を通していたそうだ。こうして、禁書と革命に興味を抱いた神学生は、次第に政治活動へと傾いてくる。彼はマルクス主義グループを組織するようになり、この集団に『ブルゾーラ(闘争)』という名前をつけると、その指導者になってしまった。メンバーは危険を避けるため、各人が匿名を用い、ソソは以前から憧れていた「コバ」の名前を選んだそうだ。

Kamenev 3(左  /  カーメネフ)
  スターリンは神学生であったが、聖人が伝えた有り難い福音より、破壊分子の荒々しい雄叫びに興奮した。関根勤のギャグじゃないけど、「納得!」と言いたい。スターリンにとって、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」という教えは、ナンセンスどころか愚の骨頂だ。それよりも、「憎い圧制者を容赦無く打倒せよ !」とか「刃向かう者は皆殺しにしろ !」というスローガンの方が似合っている。社会主義と暴力革命に馳せ参じるスターリンは胸がときめき、「これが我が人生 !」と生き甲斐を感じていたんじゃないか。今では、東大の赤い学生でも「将来の職業は?」と訊かれて、「職業革命家です!」と答える馬鹿はいないけど、ロマノフ王朝時代のロシアでは、そこら辺に赤ヘルの卵がゴロゴロいた。敵をぶっ倒すことで生きて行けるなら、スターリンにとって格好の天国だ。「陰謀」と「暴力」は彼の十八番。破壊活動やストライキに参加して、官憲に追われる姿も結構「絵」になっている。ちなみに逃走中、スターリンは後に夫人となるナジェージタと出逢っていた。そして、この「お尋ね者」は若きジャーナリストのレフ・ボリソヴィッチ・ローゼンフェルド(Lev Borisovich Rozenfeld / 後のKamenev カーメネフ)に匿われていたのである。(ちなみに、カーメネフはユダヤ人の父を持っていた。ロシアの革命分子にはユダヤ人が多い。)

犯罪者に向いている革命家

  人には「向き不向き」というものがあるようで、チフリスの神学校を去って社会民主党に移ったコバは、メキメキと頭角を現すようになり、22歳で党の指導的地位にまで昇ることができた。彼の才能は犯罪で開花する。例えば、コバは党の発展のためにも秘密出版所が必要であると悟っていた。しかし、あいにく党の金庫は空っぽで、印刷用の設備すら“無い”ときている。せっかく、グルジア語やアルメニア語、トルコ語、ロシア語のパンフレットを作成できるのに、それを刷ることができないなんて残念。だが、そんなことでヘコたれるコバではない。この策略家は、「お金や機械が無ければ、どこからか調達してくればいい」と考える。ある日、裕福なアルメニア人印刷業者の工場に強盗が入り、活字ケースや印刷機が強奪されるという事件が起きたそうだ。すると、「あら不思議 !」、コバのところに秘密印刷所が出来ました。(上掲書 p.28) さすが、スターリンは機転が利く。

Joseph Stalin 1(左  / 若い頃のスターリン )
  盗みが得意だったコバは、脱走の名人でもあった。官憲に目を附けられたコバは、ある事が切っ掛けで逮捕されてしまい、シベリアにある「ノーヴァダ・ウヤ」という僻地に流刑となる。だが、党の仲間から二年前に死亡した絨毯商、ダヴィド・ニジェラーゼ名義の旅券を手に入れ、その村を脱出することができた。人間の心理を察知するのが上手いコバは、クリスマス・イヴに脱走を図ったという。なぜなら、その神聖な夜であれば、どんな連中も仕事を放り出し、職務そっちのけで酔っ払うに違いないと踏んだからだ。確かに、ロシア人ならウォッカをがぶ飲みしてドンチャン騒ぎというのが目に浮かぶ。お祭りの日に真面目に働くロシア人なんて想像できない。今だって、サッカーやアイス・ホッケーの世界大会があれば、仕事をズル休みして会場に駆けつけるんじゃないか。それにしても、スターリンは強靱な体を持っていた。安全地帯のマカーロフ村まで20マイルもあるのに、極寒の中、気が遠くなるほどの道のりを歩いたんだから。しかも、途中には空腹を抱えた狼や熊までいたというから、いくら猟銃を所持していたとはいえ、随分と危険を冒したものである。スターリンの評伝によると、寒風吹きすさむ中、コバの足は痺れ、肌を突き刺す冷気で凍死寸前だったというから、悪人というのは本当に運が強い。

Leonid Krasin 2(左  /  レオニード・クラーシン)
  ボリシェビキときたら威勢だけは良かったが、肝心の活動資金に困っていた。そこで、レーニンの腹心だったレオニード・クラーシン(Leonid B. Krasin)が「チフリスの国立銀行を襲って、金を奪ったらどうでしょう?」と提案したそうだ。この「解決策」を実行するに当たり、白羽の矢が立ったのはコバ。というのも、彼以外、適役がいなかったからだ。要請を受けたコバは軍資金として50ルーブルをもらい、ダヴィド・チジコフという偽名まで用いて故国へ派遣されることになった。大規模な強奪計画を練り始めたコバは、チフリス銀行が頻繁に100万から200万ルーブルに上る現金を輸送する事に着目し、彼はこの点を突くことにしたという。待望の掠奪行為はある早朝に実行された。武装したコサック隊は銀行を出発した貨物運搬車を襲撃し、護送車からの反撃を受けるも、34万1千ルーブルの現金と、農業銀行の国庫債券、株券、鉄道債券などを強奪したという。

  ところが、奪った金は危険過ぎて直ぐには使えなかった。なぜなら、掠奪したお札が全部、高額紙幣の500ルーブ札で、おまけに、全部が続き番号の紙幣であったからだ。当時のロシアでは、1ルーブル紙幣1枚あればお金持ちと見なされていたくらいだから、500ルーブル紙幣なんて使ったら大変だ。コバたちは警察当局の捜査が打ち切られるのを待ってから、その紙幣や債権を国外に持ち出し、「リトヴィノーフ」の偽名を持つワラッフがパリで処分るはずであった。しかし、「リトヴィノーフ」はこの段取りを実行できず、あっさりと官憲に捕まってしまった。警察はダヴィド・チジコフという男が事件に関与していると察知したが、その容疑者がコバであることまでは判らなかったという。

  コバはコーカサス刑事捜査部に務める友人から、この捜査情報を渡されので、偽名を用いて旅券を手に入れると、さっそく高飛びを図った。しかし、誰かの密告により捕まってしまう。この不運な男はロシアの極北地、ソリビチェゴッツクという町に送られてしまうが、またもや偽名旅券を手に入れ脱走できた。まったく、要領がいいというか、狡賢いというか、窮地に立たされても何とか抜け出してしまうんだから、スターリンは根っからの犯罪者である。巣鴨プリズンに収容されたA級戦犯は、みんな“しょげていた”というから、ちっとはスターリンを見倣うべきだ。ただし、服役者の中で岸信介だけが元気だった、というから長州出身の「元革新官僚」で、「昭和の妖怪」と呼ばれた豪傑は桁が違っていたのだろう。

  バクーに戻ったスターリンは、壊滅状態にある党組織を目にする。大部分の指導者が警察に逮捕されていたし、党を運営する資金も底をついていた。でも、スターリンには心強い仲間がいた。といっても、強盗犯や前科者ばかりだったけど。お金が欲しいスターリンは、商店主や銀行家、実業者などりリストを作り、党に「献金」してほしいと“鄭重”に頼んだそうだ。しかし、この「お願い」拒み、警察に訴える者がいると、「お礼参り」があったという。つまり、こんな「階級の敵」には容赦せぬとばかりに、ゴロツキどもが商店や邸宅を破壊したそうだ。それにもし、被害者がこの「仕返し」を警察に訴えようとすれば、「お前ばかりか、テメエの家族まで命をもらうことになるぞ」と脅したそうだから、何とも念が入っている。ロシア人やグルジア人の恐喝って、ヤクザの因縁よりも怖い。なんかエメリアエンコ・ヒョードルみたいな用心棒が出て来そうだもん。そう言えば、K-1チャンピオンのセーム・シュルトを破ったセルゲイ・ハリトーノフは驚愕を越えた恐ろしさを味わっていた。試合中、彼がシュルトの首に馬乗りとなり、その顔面に鉄槌を下したことがある。ハリトーノフの顔には、必殺仕掛人でさえ怯えるほどの狂気があった。案の定、シュルトの顔は鮮血まみれ。外人の格闘家さえ、そのドス黒く紫色に変わった顔面に驚き、ゾっとするような戦慄を覚えたくらいだ。ロシア人と比べたら、日本人の格闘家なんて温和な好青年である。

娼婦を搾取する共産主義者

  銀行強盗を実行したスターリンは、別の資金集めにも熱心だった。今度は売春宿の経営だ。彼は警察のブラックリストに載っているラヨス・コレスクと一緒に売春宿を切り盛りすることになった。スターリンは娼婦らに街頭や報酬の悪い所で商売せず、自分達のもとに移るよう説得したそうだ。やがて彼の売春宿は、チフリスでも、バクーやバツームでも大繁盛となった。女たちは体を売って得た料金の1割をもらい、コレスクは宿の運営、女たちの扶養、自分の取り分などを含めて5割を受け取り、残りの4割をコバに渡したそうだ。(上掲書 p.45) ところが、こうして売上げの一部を得ていたコバは、“ちゃっかり”と店の常連客になっていたというから、何とも図々しい野郎である。まぁ、後にローズヴェルトやチャーチルを騙すことになるんだから驚かないけど、“抜かりの無い”コバは、こっそりと上納金の一部をピンハネしていたそうだ。学校の先生は教えないけど、陰で“ほくそ笑む”スターリンって、とても「絵」になっている。

  仕事と趣味を両立してコバは満足だったが、この噂を聞きつけたレーニンは眉を顰めたという。そりゃ、そうだ。建前でも、一応、革命家たちは「人間による人間の搾取」に反対していたのだ。それなのに、当の革命家が娼婦の生き血を啜って肥え太っていたのでは世間体が悪い。(コバ自身はそんな矛盾をちっとも「悪い」とは思っておらず、娼婦の搾取など当然と考えていた。さすが、極道のスターリンは生きている次元が違う。) また、売春宿の運営実態は不透明で、帳簿や領収書も無かったから、党はコバの差し出すお金を黙って受け取るしかなかった。したがって、誠実なボルシェビキ党員がコバの遣り口を非難したのも当然だ。レーニンはコバ宛に手紙をしたため、売春商売が党の名誉を傷つけていると非難したそうだ。綺麗事を好むインテリのレーニンは、自分でお金を稼がないくせに、スターリンが売春で仕送りしている事に文句を長けていたんだから、何となくスターリンの方が偉く思える。

  レーニンから書簡を受け取ったコバは、怒れる党の指導者に返事を送り、自分は売春宿を悪いとは思っていないと述べ、むしろ女たちを以前よりも良い状態で暮らせるようにしてやったのだ、と自慢したそうだ。なぜなら、娼婦たちは雨の日も風の日も、通りに出ては客を拾い、警察にしょっ引かれる心配をしながら営業していたのだ。しかし、今ではそうした不安に怯えることもなく、ちゃんとした家に住み、まともな食事を取れるようになった。こうした改善を施してやったのだから、「いいじゃないか」というのがコバの主張である。こう聞くと、コバの言い分にも一理あると納得してしまうから不思議だ。まるでスターリンが慈悲深い元締に見えてくる。といっても、山口組の田岡組長とは違うぞ。ある新聞記者が、スターリンの売春業を記事にしようとしたらしい。すると、「自分の関係無いことに首を突っ込むな !」と怒鳴られ、「お前とお前の家族も皆殺しにするぞ !」と脅されたそうだ。それ以来、誰一人としてこの件を明るみに出そうとはせず、警察も女たちが口を割らないため介入できなかったという。

Lenin 2Trotsky 2Wilhelm II










(左: 若い頃のレーニン  / 中央: トロツキー  /  右: 皇帝ウィルヘルム2世)

  ボルシェビキ党は定期的に資金を得ることができ、各種の出版物やパンフレットをばらまくことが出来るようになった。しかし、コバは「党に大打撃を与える事になる」というレーニンの忠告に耳を傾け、これからは彼の指令通りに従うことを約束したそうだ。コバはコレスクと話をつけ、方々の売春宿に足繁く通うことを止めたという。その代わり、彼は別の資金源を開拓した。街頭で「他人に頼らず稼ぐ」娼婦たちの為に、「保護事業」なるものを起こし、コバは喜んで「保護者」になるという前科者を集めたらしい。この連中は町を巡回し、娼婦から稼ぎの上前をハネて、その一部を党に上納したそうだ。でも、これって間接搾取じゃないのか? つまり、サラリーマンの源泉徴収みたいなものだ。企業の会計係が社員の給料から税金をピンハネし、この「抜き取った金」を税務署に上納する。税務署の役人は自らの手を汚さず、“きっちりと”年貢を集められるから楽なもんだ。

  スターリンはとんでもない悪党だけど、ある意味、レーニンやトロツキーなんかより凄い。なぜなら、お金に困れば“自力”で工面したからだ。口ばかりが達者な党の幹部連中は、活動資金を資本制国家の金融業者に求めた。レーニンたちが革命を達成するため、ドイツの皇帝と銀行家に頼ったことは有名だ。ドイツに店を構えるウォーバーグ銀行のマックス・ウォーバーグ(Max Moritz Warburg)は、カイゼルに資金提供の話を持ち掛け、ロシアの内乱を拡大したかったカイゼルはこれを諒承する。ドイツ政府は充分な資金を用意して、レーニンとその取り巻き連中を安全にスイスからロシアに輸送する手筈を整えた。この資金調達のために動いたのは、マックスの弟であるポール・ウォーバーグ(Paul M. Warburg)であり、彼とパートナーを組むヤコブ・シフ(Jacob Schiff)、そしてウォール街の国際金融家であった。(この経緯は、アンソニー・サットン教授の『ウォール街とボルシェビキ革命』に詳しい。) 本質的に、“ロシア”革命は“ユダヤ人”の金貸しと扇動家によって画策された政府転覆事業である。ヤコブ・シフから軍資金を調達できた日本人は「誠に有り難う御座います」と感謝していたが、シフにとっては憎いロマノフ王朝を倒すための、便利な「駒」に過ぎなかった。ポグロムでユダヤ人を殺すロシア人に仕返しをする為なら、いくら大金を使っても惜しくはない。たとえ、我が国が日露戦争で勝てなくても、相当なダメージを与えたはずだから、シフとしてはおおよそ満足だろう。ユダ人の大富豪にしたら、日本なんて使い捨ての消耗品である。かくも現実は冷酷で厳しい。

Max Warburg 1Paul Warburg 1Jacob Schiff 1










(左: マックス・ウォーバーグ  / 中央: ポール・ウォーバーグ  / 右: ヤコブ・シフ )

  一般的に、インテリというのは口舌の徒で、演説は上手いが銭儲けに関しては素人だ。しかも、勇ましいことを述べても、いざ腕力で勝負となるや尻込みする。その点、スターリンは武闘派の革命家で、資金が無ければ強盗になるし、売春婦を使ってでも小銭を稼ごうとする。暗黒街で暮らしたスターリンにとっては殺人だって朝飯前だ。このような犯罪者は、実際にナイフを持って人の腹を刺し、グリグリと刃物を回転させ、腸をズタズタに切り刻む事ができる。鮮血で濡れた手を見ても驚かず、帰って喜びを感じるのがスターリンみたいな男だ。この独裁者と比べたら、卑怯者の菅直人や、機動隊にボコボコにされた全共闘の学生、ソ連の赤軍を待ち望んだ野坂参三や宮本顕治なんか、母親の背後に隠れる稚児に等しい。日本の左翼には自分で自分の運命を切り開く気概が無いのだ。スターリンはレーニンのように銀行家に「借り」を作らず、独立不羈の革命家を目指した。このレーニンが病に倒れれば毒を盛って暗殺するし、邪魔になったトロツキーは奸計を用いて排斥しようとする。自分にとって危険な者は誰でも抹殺し、ちょっとでも障碍となれば粛清の対象にしてしまうんだから、ロシアの君主になる奴は只者じゃない。観念的な共産主義に憧れた近衛文麿は、本当に世間知らずの「お公家さん」だった。近衛家のお坊ちゃんには、人殺しや強盗など出来ないし、任せることさえ出来ない。『ゴッド・ファーザー』のドン・コルレオーネ役には、マーロン・ブランドーじゃなくて、ヨシフ・スターリンが適役だったのかもね。でも、アカデミー賞を授与するユダヤ人は複雑な気持ちだろうなぁ。  


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西部邁の死をめぐって / 敗戦国に感じた怒りと悲しみ

大衆社会に腹を立てた知識人

Nishibe 1 1月21日の早朝、西部邁が亡くなった。現時点の報道によれば、遺書が発見されたというから、「自殺」が死因であると言えよう。つい最近、チャンネル桜で中山恭子議員と対談していたから、西部氏の自決はまだ先だろうと思っていた。中山氏と楽しく昔話を語っていたから、人間の内心というのは部外者には解らぬものである。ただ、筆者は長いこと彼の言論を聞いたり、著書を何冊か読んできたから、畳の上で静かに死ぬとは考えていなかった。「きっと、いずれかの機会を捉えて、自らの始末をするんだろうなぁ」と想像したものである。

  筆者が西部氏の講演を始めて聴いたのは、まだ平成になる前の昭和60年代であった。その頃、日本人はやれ国際化時代だと騒ぎ、株式投資に浮かれ、用もないのに不動産物件を購入していものである。西部氏の講演は抽象的な政治論や民主主義批判が大半で、大して面白くなかったが、「僕は国際化時代って言葉が大嫌いなんです !」という発言だけは珍しく頭に残っていた。まだ、世の中の景気が良かったので、民間企業が歐米諸国に進出し、自動車会社などは円高傾向や貿易摩擦を解消するために現地に工場を建てていた。今では信じられないが、バブル時代の銀行は勢いが良く、お金も相当余っていたので、海外に支店を展開するとともに、無茶な貸付でも「まぁ、何とかなるだろう」という感じだった。こんな調子なので、政治家も企業家も、「これからは国際化の時代だ ! 日本人は内向き思考を止めて、積極的に海外へ飛び出し、外国人と対等に渡り合わねばならない !」と息巻いていた。日本語そっちのけで英会話に勤しむビジネスマンとか大学生が多かったし、幼児からの英会話まで流行るといった狂乱振りだったのを覚えている。

  こんな世相を目にした西部氏は、腹に据えかねたのか、癇癪を爆発させていた。彼は時代の流行に乗って栄華を極めようとする商売人や政治家が愚かに見えたし、唾棄すべき知識人がちょくちょく露呈する“軽薄さ”を嫌っていたのだ。日本人はまさしく「流行」に流されやすい。敗戦前、歐洲で共産主義や社会主義が台頭すれば、「そうだ、日本の未来は社会主義にある ! マルクスが予言したような時代が来るんだ !」と考え、我先に一番乗りを目指そうとする。だから、勉強の出来る秀才はほとんど“アカ”にかぶれ、左翼学生となっていった。若い頃、社会主義に傾倒した長谷川慶太郎が回想していたけど、あの頃はちょっと優秀な若者はみんなそうだったらしい。谷沢永一先生も、若い頃マルクスに“かぶれ”て、共産主義の理論を熱心に勉強していたというから、本当なんだろう。しかし、その赤い思想と訣別し、世間に流布する有害思想を徹底的に攻撃した谷沢先生は偉かった。たぶん、御母堂の躾が素晴らしかったからだろう。偉人の陰に賢母ありだ。

  ところが、戦後になってもこの国民病は治らず、ソ連型の計画経済を素晴らしいと考える学者も多かったし、原爆反対運動が起これば直ぐさま参加するといった知識人が蟻のように群れていた。国連などアジアやアフリカの後進国を利用した大国の操り人形なのに、大江健三郎みたいな“進歩的”知識人は、外国に合わせるのが正義で、日本の国益を優先させる奴は「悪」と考えていた。こうしたアホどもは、貧乏国ですら持っている国防軍を侮蔑し、みんなで平和を願えば平和になるとか、自衛隊に入る若者は同世代の恥さらし、と発言していたのだ。現在の若い日本人が進歩的文化人の著作を読めば、「バッカじゃねぇの」と言って笑い出すか、「読む価値は無い」と評して投げ出すかのどちらかだろう。誰も知らないだろうげと、一応「進歩的知識人」の具体例を挙げてみる。東京大学に巣くっていた江口朴郎は原水爆禁止に熱心な「赤旗」シンパだし、勝田守一は外国人学校法に大反対、草野信男は細菌兵器に反対する赤い教授だが、ソ連や北鮮への非難は無し。山口省太郎などはロシア人の回し者みたいな輩(やから)で、ソ連は平和勢力だが、米国は「平和の敵」と評していた。紹介するとキリがないので、別の機会に廻したいが、今の学生で彼らの論文や批評を読む者はまずいないだろう。共産党員だって時間の無駄と思うくらいだから、一般人で「赤旗」を読み返す者など皆無だ。

  西部氏はこうした左巻きの学者が盤踞する東京大学に勤務し、教養学部がある「駒場村」で教鞭を執っていた。世間のオッちゃんオバちゃん達は、「東大」の名前を聞いただけで平伏(ひれふ)してしまうが、そこで教えている教授達のクズ論文を目にすれば、「なぁ~にぃ~、このつまんない印刷物 !」と驚くに違いない。筆者も以前、よく法学部の図書室に通っていたので、ちょいと教授連中の論文を読んでみたけど、本当につまらなかった。まぁ、各大学が発行する紀要とか学術雑誌に掲載される論文など、一般書店で発売できない粗悪品で、誰も手にしない紙屑である。適当に引用文を載せてゴチャゴチャと書いているが、執筆者の真意が不明確で、肝心な部分には、「これから真剣に考えて行かねばならない」とか、「更なる検討が必要だ」といった結論でお茶を濁しているものが多い。こんな論文は、ハンバーグの無いハンバーガー「擬(もど)き」で、購入者はどこに牛肉があるのか、レタスやピクルスを摘まんで探したくなる。しかも、挟んでいるパンが干からびた低級品じゃ、誰だって頭にくるだろう。図書館の本棚に、埃をかぶった豪華本が多いのは、タイトルからして“魅力の無い”「押し紙」であるからだ。

  西部氏が民主主義と共に批判していたのは、軽佻浮薄な知識人と彼らに追従する大衆であった。全学連で活躍していた西部氏が転向して夢中になったのが、ギルバード・K・チェスタトンやホセ・オルテガ、フリードリッヒ・ハイエック、エドマンド・バークといった保守思想の巨人で、西部氏の著作には彼らを意識した論述が目立つ。例えば、西部氏の大衆批判はオルテガの著作に啓発されたものだ。オルテガは大衆社会の到来に警鐘を鳴らしていた。このスペイン人哲学者によれば、大衆とは甘やかされた子供の心理を有し、その欲望には限りが無い。このタイプの人間には、一切のことが許されており、何に対しても義務を負っていないように見える。自分自身の限界を知らず、周囲にある全ての圧力や、他者との衝突を一切取り除いているから、世界に居るのは自分だけと考えてしまう。自分より優れている者がいると感じるのは、自身よりも強い人間が自分の欲望を断念させ、引っ込んでいるよう強いる時だ。(オルテガ 『大衆の反逆』 桑名一博 訳、白水社、 1991年 p.102)

  簡単に言えば、オルテガの「大衆」とは、自分自身に満足しきっている“お坊ちゃん”で、他人からの厳しい意見には耳を貸さず、好きなモノだけを見て、快適な声だけを受け容れる自己中心的な自惚れ屋ということだ。昔の庶民だと知識は少ないが、自分の至らない点と生まれ育ちの分際を弁え、偉い人の意見に従ったものである。ところが、近代の大衆人は環境に無理強いされない限り、決して自分以外のものに頼ることはない。オルテガ曰わく、優れた人間は自分自身に多くを課し、凡庸な人間とは自分自身に何も課さず、ありのままの状態に満足し、自分自身に陶酔している者を指す。(上掲書 p.107) こういった大衆人といえば、朝日新聞を読んで教養人ぶっている人を思い浮かべてしまう。斜(はす)に構えて“したり顔”の学校教師とか、銀行員、技術者、弁護士、研究員など、高度専門職の人に多かった。彼らは北鮮や支那との軍事的対決に反対で、お互いに話し合って“歩み寄れ”ば、きっとわかり合える、と信じていたのだ。こうした高学歴馬鹿は救いようがない。

  西部氏は東大の助教授を務めていたから、愚劣な左翼学者をたくさん目にしてきたはずだ。したがって、オルテガの知識人批判には、実体験に基づく共感があったのだろう。鋭い洞察力を持つオルテガは、科学者に傲慢な知識人の典型を見ていた。彼は第20世紀に顕著となった専門家の精神構造に言及し、その意外な本質について述べている。オルテガははっきりと、「専門家は知者ではない。というのは、自分の専門以外のことをまったく何もしらないからである」と喝破した。(上掲書 p.161) だからといって、専門家が無知という訳でもない。なぜなら、彼は「科学者」であり、自分が専攻する宇宙の小部分については詳しく知っているからだ。問題なのは、こうした「専門家」が自分の知らないこと、不得意な分野についても口を挟む事である。この御仁はアマチュアとして振る舞わず、あたかも「専門分野の知者」であるかの如く発言するのだ。オルテガはこの「傲慢さ」に危険性を感じていた。

  日本でも専門家の愚行がよくある。例えば、ノーベル賞をもらった益川敏英教授は“専門分野”においては天才だが、“専門外”の政治や軍事においては初心者で、憐れなくらいに幼稚だ。いくら憲法九条を叫んでも、日本の防衛にはならない。同じ物理学者でノーベル賞を授与された湯川秀樹博士と朝永振一郎博士も天才であったが、その意見は稚拙であった。「量子力学」については炯眼の持ち主でも、「政治力学」に関してはズブの素人に過ぎない。世界に向けて「平和」をアピールしても、そんな呼びかけは空虚であり、極悪人のスターリンや毛沢東には通用せず、こうした独裁者は「便利な馬鹿め !」とせせら笑うだけだ。ソ連には優秀な科学者が多くいたが、みんなスターリンの「実力(弾圧)」に怯え、抵抗することなく平伏していた。スターリンや毛沢東なんて学歴が無くても「博士号」を簡単に取れてしまう。教授連中の前に立ち、腰にぶら下げた拳銃を見せればいいだけだ。「PhD」でも「名誉博士号」でもお望み次第。もし、博士論文が必要ならゴーストライターに書かせればいいし、出来上がったら文字通り「幽霊」になってもらえばいい。報酬が弾丸なんて嫌だけど。

  西部氏は生来「反抗心」が強かったのであろう。全学連で先頭に立ったのも、敗戦後の日本人が米国人に復讐せず、それどころか卑屈なまでに恭順を示し、自分だけは豊かになりたい、と考えたからだ。しかし、そんな西部氏にも脛に傷があった。安保反対を大声で叫んでいても、その内容については詳しく知らなかったんだから、何とも呆れてしまうじゃないか。それでも、西部氏には同胞の態度が赦せなかったのであろう。東大を辞めてから知識人批判を展開したのも、口先だけで空論を弄ぶ連中がごまんといたからだ。彼らは自分で信じてもいない教義を滔々と喋り、その欠陥や矛盾を指摘されれば激昂し、ちっとも恥ずかしいとは思わない。「蝶(長)」になりたい芋虫の如き大学教授や評論家が大半だった。彼らにとっては「学部長」、「総長」、「会長」、「所長」といった役職が第一目標で、「高貴な義務」なんて玉葱の皮以下だ。「知識人」を気取ったテレビ藝者も同じ穴の狢(ムジナ)である。例えば、NHKや民放が贔屓とする政治評論家などは、選挙制度を中選挙区から小選挙区に変えれば政治が良くなると公言していたし、新しい政党が誕生すれば、それが自民党政治を打破し、市民の意見を反映するようになると豪語していたのだ。日本新党や新進党、民主党による新党ブームが湧き起こった時、どれほど多くのコメンテイターがはしゃいだことか !

  社会評論家となった西部氏がイライラしていたのは、偽善的な知識人に一般国民が易々と騙され、彼らの言説に引っ掛かっていたからだ。西部氏がいくら進歩主義の危うさを訴え、知識人の無責任さを警告しても、一般人は地上波テレビや全国紙の意見に靡いてしまう。西部氏が熟慮を重ねた見解より、簡単で解りやすく、“キャッチー”な解説の方に飛びつく。晩年の言動や態度を想い出すと、西部氏が国民に愛想を尽かしていた様子がよく分かる。人間は年を取るとどうしても短気になりがちで、堪(こら)えどころが無くなって怒りっぽくなるし、やたらと説教が長くなるから、若者に敬遠されることも多い。ただ、そうなってしまうのも“ごもっとも”で、「大衆」となった日本国民は、何度注意されても、同じ過ちを繰り返すんだから、警告している方が疲れてくる。

  分からず屋の「大衆」を相手にしていると本当に馬鹿らしい。論理的に喋ると「くどい」と思われるし、簡潔に述べれば誤解が生じる虞(おそれ)がある。それでも、西部氏は言論活動を続けていたから、何らかの使命感があったのだろう。しかし、その足は茨の道を歩んでいた。筆者は西部氏の意気込みを買っていたから、半分「義理」であっても、彼が刊行する『発言者』を予備号から購入し続けていた。でも、そのレギュラー執筆者に不満が無かった訳ではない。何しろ、補佐役の佐伯啓思(さえき・けいし)が投稿する文章は毎回つまらないし、内容がスカスカで仔猫のすかしっ屁みたいだ。学生運動の残党なのか、絓秀美(すが・ひでみ)という人物の文章も載っていたけど、最初の数行を読んだだけで厭になる。西部氏が可愛がっていた宮崎哲弥も酷かった。宮崎の評論は色々な理屈を附けていたが、斜め読みにも値しない雑文だった。自分で「俺は十年に一度の逸材」と評する者に碌な奴はいないだろう。宮崎はテレビ局のプロデューサーに取り入るのが上手いだけの評論家に過ぎない。

  酒の席で気が合ったのか、西部氏は元財務省官僚の榊原英資を登庸していた。しかし、こんな恥知らずが書いた社会評論なんてまっぴら御免だ。この役人は昭和天皇の記念硬貨で金の含有量をケチり、偽コインが横行したのに、その罪を悔いて蟄居するどころか、テレビ番組に堂々と出ていた。榊原は「どのツラ」下げて国民に説教しようというのか。昭和天皇を敬愛し、「記念」と思って10万円金貨を購入した国民は、無責任な官僚が誰かも知らず、事件報道に驚くだけだった。今では産経新聞や教科書運動で有名になった八木秀次もレギュラー執筆者の一人で、憲法論を書いていたが未だに本格的な著作が無い。皇室問題にも熱心に係わっていたが、これまた本格的な皇室論を書いていなかった。確か、八木氏は大学で研究生活を送っていたはずだが、「新書」や「解説書」程度の本が代表作だなんておかしい。福田和也に至ってはもう読む気もしない。自称「パンク右翼」の福田氏には、固定ファンがいるのだろうが、どんな点で「保守主義者」なのか教えてもらいたいものだ。 西部氏は保守思想を以て言論活動を続けていたが、その周りに集まる仲間には、ガッカリするような人物ばかりだ。保守派雑誌に保守派論客が居なかったとは、冗談半分にしても痛すぎる。

  インターネット番組でも活躍していた西部氏だが、夫人に先立たれてかなり寂しい思いをしていたんじゃないか。西部氏は随分と奥様に支えられていたそうだから、その存在を失ってしまうと生きる気力が萎えてしまっても当然だ。もし、夫人が生きていれば、自殺を思い留まり、もう少し長生きしていただろう。女房に先立たれた男鰥(やもめ)は、本当に意気銷沈するというから、西部氏が人生に見切りをつけたとしても不思議ではない。彼の遺書に何が記されているのか判らないが、生よりも死への誘惑が大きかったのは確かだろう。西部氏の訃報に驚き、その喪失を悲しむファンは大勢いるだろうし、その死を惜しむ人も多いはずだ。しかし、筆者は西部氏の決断を尊重したい。彼は言うべき事は充分述べてきた。あと10年長生きしても、その発言は以前と変わらず、不満と憤慨だけが募ったと思う。

  筆者には「どうしてお前らは、俺の言っている事が解らないんだ !」と腹を立てている西部氏の姿が目に浮かぶ。西部氏が愚鈍な同胞を「ジャップ」と罵った裏には、鈍感な国民に対する苛立ちがあったのだろう。西部氏は「長いものに巻かれろ」といった屈服主義や、「面倒な課題は先延ばし」という無責任体質に怒っていた。西部氏の生き様を簡単に述べれば、反骨精神を貫きたかった人と言えるんじゃないか。日本人に対して言うべき事は散々述べてきたから、「後はお前達が勝手にしろ !」というのが、西部氏が本音だろう。天邪鬼の西部氏だから、「じゃあな !」というのが最後の捨て台詞でもおかしくはない。もっとも、家族に対しては別の言葉があるだろう。ただ、西部氏は甘ったるい同情心を好まないと思うので、第三者の筆者としては西部氏に向かって「その決断、諒解しました」と言うほかない。あの世の西部氏がニヤリと笑ってくれれば、それだけで満足だ。



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