無敵の太陽

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偉人伝/人物評論

ヘンリー・キッシンジャーの正体とは? / スパイ容疑とゲームの達人

「偉大なる外政官」と呼ばれた男

Henry Kissinger 635Henry Kissinger & President Nixon 324








  2023年11月29日、ニクソン政権とフォード政権で国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャー(Heinz Alfred Kissinger)が、コネティカット州の自宅で永眠した。享年100。子分の中曾根康弘と同じく、悪い奴は結構長生きするものだ。

  政治学者から国家安全保障補佐官にまで出世した外政官、というのがキッシンジャーの経歴である。彼に対するコメントは世界中から寄せられているそうだ。

  例えば、ニクソン政権時代、北京政府と仲良しだったので、毛沢東を真似る習近平はキッシンジャーを「世界的に有名な戦略家にして、支那人の古い親友」と評していた。歐米の反共主義者から共産支那を守ってくれたので、この暴君はキッシヤジャーを懐かしみ、聡明なヴィジョンを以て米支関係の正常化に尽くしてくれた、と讃えている。(Pei-Lin Wu and Vic Chiang, 'China pays tribute to Kissinger,‘old friend of the Chinese people’, The Washington Post, November 29, 2023.)

   元KGB局員のウラジミール・プーチン大統領も、スパイ業界の同僚に哀悼の意を表した。優秀な諜報員であったプーチンは、キッシンジャーを「叡智に富み、長期的視野を備えた政治家」と評し、現実的で功利的な外政手腕を以て国際政治の緊張緩和を為しえた、と褒めている。(Mark Trevelyan, 'Russia's Putin praises Henry Kissinger as wise and pragmatic statesman', Reuters, November 30, 2023.)なるほど、キッシンジャーはプーチンが言うように「世界平和を強化する重要な米ソ協約を締結した」のかも知れない。

  アメリカのユダヤ人にとって「心の祖国」と言えるがイスラエル。この国からも偉大な同胞の死を悼むメッセージが届けられた。大統領のイサク・ヘルツォークによると、キッシンジャーは立派な決断と業績を重ねることでイスラエルの基礎を築き、同国のユダヤ人が平和的に暮らせるよう、大変な努力をしたそうだ。ヘルツォーク大統領は常にキッシンジャーの祖国愛(イスラエルに対する愛情と信念)を感じていたという。('Israeli officials laud Kissinger, as global public reaction mixed to diplomat’s death,’The Times of Israel, 30 November 2023.)

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( 左 : イサク・ヘルツォーク / ベンジャミン・ネタニヤフ  / エリ・コーエン  /   右 : イェー・ラピッド)

  米国に留学していたベンジャミン・ネタニヤフ首相もキッシンジャーの業績をを讃えている。ネタニヤフによると、キッシンジャーは「単なる外政官ではなく、公的生活における理念の力と知的能力を信じる思想家」でもあった。エリ・コーエン(Eli Cohen)外相もキッシンジャーの死を悼んでおり、イスラエルとアメリカとの関係を揺るぎない同盟にしてくれた支柱(恩人)の一人であるらしい。野党「Yesh Atid」の代表であるイェー・ラピッド(Yair Lapid)元首相もキッシンジャーを懐かしみ、彼を「知的巨人(intellectual titan)」と呼び、「国際政治の大御所(giant of international diplomacy)」と評していた。

ドイツからやって来た怪しいユダヤ人

  歐米の主流メディアのみならず、日本のマスコミもキッシンジャーの逝去を報じ、“偉大な外政官”と評していた。しかし、このユダヤ人には他人には知られたくない幾つもの「顔」があった。

Henry Kissinger 324(左  /  幼い頃のキッシンジャー)
  ハインツ・アルフレット・キッシンゲル(Heinz Alfred Kissinger)は1923年5月17日、ドイツのバイエルンにあるフュルト(Fürth)で生まれた。父のルイス・キッシンゲル(Louis Kissinger)と母のパウラ・スターン(Paula Stern)は、ナチスの台頭を恐れ、1938年にハインツと弟のウォルターを連れて米国へと逃れたそうである。この一家はユダヤ移民が群がるニューヨークで居を構え、兄のヘンリー(ハインツ15歳の改名)は、ジョージ・ワシントン高校に通うことにした。彼はここで一年間学ぶと、夜間学校へと転入し、ここを卒業すると、ブラシ会社の「レオポルド・アッシャー*」に勤めたという。しかし、ヘンリーは学業を諦めきれなかった。この少年は夜になるとニューヨーク市単科大学(City College of New York)に通い、得意の勉強を続けていたそうだ。

  (*註/ この勤め先はキッシンジャー家の従兄弟が経営していた。当時、ウクライナやポーランドからやって来たユダヤ人は、新天地のアメリカで苦労する事が多く、彼らは先に移住した親戚や友人を頼ったり、近くのシナゴーグに赴いて長老のラビに相談することが少なくなかった。生活に困ったユダヤ人から頼りにされた親戚や友人も、“同胞愛”に満ちていたから、彼らを自分の店や会社で雇うことがあった。でも、心温かいユダヤ人は、アフリカ移民の黒人やイスラム教徒のアラブ人には冷たかった。普段は「多民族共生」とか「人道主義」を口にしているのに、私生活ではレイシストなんだから、ユダヤ人のリベラリズムには嘘がある。)

Jacob Javits 001
(左  /  ジェイコブ・ジャヴィッツ)
  若い頃のキッシンジャーは、ドイツから逃れてきたユダヤ難民が集まる「ベス・ヒレル青年団(Beth Hillel Youth Group)」に属していた。ここには後の下院議員や上院議員となるジェイコブ・ジャヴィッツ(Jacob Koppel Javitz)がいて、彼は当時から非常に熱心な活動家であった。さらに、ここには最初の妻となるアン・フレイシャー(Anneliese Fleischer)もいたという。ちなみに、キッシンジは1964年にアン夫人と離婚し、1974年にネルソン・ロックフェラー州知事の秘書をしていたナンシー・マギネス(Nancy Maginess)と再婚した。やはり、ユダヤ人は出世をしたり金持ちになると、パッとしない古女房を捨てて、ヨーロッパ系の女と結婚したいのかなぁ~。(イタリア系ユダヤ人のシルヴェスター・スタローンも、サーシャ・ザックと離婚して、北歐美人のブリジッ・ニールセンと再婚したしね。)

Henry Kissinger & Ann Fleischer 22Henry Kissinger & wife Nancy








(左 :  最初の妻アン・フレイシャーと若き軍人のキッシンジャー / 右 : 再婚相手のナンシー・マギネスと大御所になったキッシンジャー )

  とにかく、ヘンリー・キッシンジャーの転機となるのは、合衆国陸軍へ入隊したことだ。彼はサウス・カロライナ州にある「クロフト基地(Camp Croft)」で基礎訓練を受けたあと、ノース・カロライナ大学とラファイエット大学にある「陸軍特別訓練プログラム」に編入した。キッシンジャーはヨーロッパに派遣されると、第84歩兵師団第335歩兵連隊の「G」中隊に所属し、諜報部隊(Counter Intelligence Corps)の調査官として勤務していたそうだ。

Alexander Bolling 1(左  /  アレクサンダー・ボリング)
    一般的に、ユダヤ人は陸軍や海軍に属していても、前線で生死を賭ける歩兵になることは滅多にない。大抵は作戦本部に勤務する軍官僚とか、軍人の問題を扱う法律家、あるいは情報収集や防諜活動に携わる諜報員、難しい言語を喋る通訳といった職種に就く。キッシンジャーも戦闘員ではなく、アレクサンダー・ボリング(Alexander Bolling)将軍の運転手を務めていたという。と同時に現地部隊に重宝されるドイツ語の通訳でもあった。何しろ、一般のアメリカ人(西歐系の白人)は、西ゲルマン語のイギリス語を話しているくせに、ドイツ人が話すゲルマン語を習得できない。彼らは大学教育を受けても、「ドイツ語は文法が複雑で単語も難しい」と弱音を吐く。こんな調子だから、陸軍少尉や海軍中尉、あるいは空軍大佐でもドイツ語となれば“お手上げ”だ。

Henry Thomas Buckle 11(左  / ヘンリー・トマス・バックル )
  そこで登用されるのが、何かと便利な“宮廷ユダヤ人”である。昔から、様々な国を渡り歩くユダヤ人には「多言語話者(ポリグロット / pólyglòt)」が多い。家庭ではイディシュ語を話していても、商売や勉強となるや、フランス語とかスペイン語、イタリア語のみならず、文字の違うギリシア語やロシア語でも話せる者がゴロゴロいる。英国の歴史家だったヘンリー・トマス・バックル(Henry Thomas Buckle)みたいな人物は別格だ。ラテン語はもちろんのこと、ヨーロッパの言語を幾つも理解できたという。フィールド・オフィサーとなるCIA局員でも、日本語とかアラビア語となれば降参で、たとえ日常会話を習得しても、文章を読んだり書いたりするとなれば日本人の通訳を必要とする。

  「カイロ大学の社会学科を首席で卒業した」という小池百合子は“例外”というか、“笑顔の詐欺師”みたいなもんだが、普通のアメリカ人だとアラビア語とか日本語の読み書きなんて出来ない。しかし、ユダヤ人は暗号解読の名人で、奇妙奇天烈な言語でもOK。非ユダヤ人にも多言語話者がいて、ハリウッド男優のヴィゴ・モーテンセン(Viggo Peter Mortensen, Jr.)も、その一人だ。彼は父親がデイン人で、祖父のデンマークにも住んだことがあるから、数カ国語を話せるようだ。普通に育てば英語のみのアメリカ人なっているけど、彼の家族はベネズエラやデンマーク、アルゼンチンを転々とし、様々な環境で子供を育てたから、ヴィゴが色々な言葉を話せるのも当然だ。彼はセント・ローレンス大学を卒業後、ヨーロッパに渡っているから、スペイン語やデイン語を実際の生活で使っていたのだろう。(ちなみに、ヴィゴは『G.I.ジェーン』や『ダイヤルM』『ロード・オブ・ザ・リング』に出演している。日本でも知っている人は多いだろう。)

Viggo Mortensen 11Viggo Mortensen 9324Viggo Mortensen in GI Jane








(左 : ヴィゴ・モーテンセン  /   中央 : 子供時代のヴィゴ /  右 : 『G.I.ジェーン』 に出演したヴィゴ)

ロックフェラーに育てられた宮廷ユダヤ人

  話を戻す。「外人」のキッシンジャーは身体検査(security clearance)をパスして上等兵から軍曹になった。この特進に加え、キッシンジャーは個人的恨みも晴らしたそうだ。彼はドイツ勤務でゲシュタポやナチスのスパイを尋問して喜んでいた。しかし、彼は1946年になると陸軍を除隊し、ドイツのオベラマーアゴ(Oberammergau)にある「ヨーロッパ戦線諜報学校(European Command Intelligence School)」の教官に就任する。でも、給料に不満があったのか、キッシンジャーはさっさと帰国し、ハーヴァード大学に入った。それと同時に、彼は予備役の士官になったので、少尉から大尉へと昇進することになった。

  名門のハーヴァード大学に編入したキッシンジャーは、ロックフェラー財団からの研究費を含め、四種類の奨学金を貰っていたそうだ。いかにもユダヤ人の優等生らしく、キッシンジャーはハーヴァード大の名物教授、あのウィリアム・ヤンデル・エリオット(William Yandell Elliott)に見出され、サマー・スクールの講師やセミナーの上級講師にしてもらった。ユダヤ人というのは、アメリカ人やヨーロッパ人からの「一本釣り」や「異例の抜擢」で出世を果たす。彼らはそれで満足せず、幸運の女神を踏み台にして徐々に人脈を広げ、“学会のドン”や“財界の大物”となってゆく。エリオット教授の弟子には、後にカナダの首相となったピエール・トルドー(Pierre Trudeau)や、ケネディー政権で国家安全保障補佐官になったマクジョージ・バンディー(McGeorge Bundy)がいる。ホント、政界や学会というのは、結構“狭い世間”である。

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(左 : キッシンジャー /  ウィリアム・ヤンデル・エリオット / ピエール・トルドー  /   右 : マクジョージ・バンディー)

  優秀な成績(summa cum laude)を以て卒業したキッシンジャーは、これまた秀才が集まる学生クラブ、「ファイ・ベータ・カッパ(Phi Beta Kappa)」に選出され、エリオット教授の推薦もあってか、ハーヴァード大学の教授になった。1951年、エリオット教授はハーヴァード国際セミナー(Harvard International Seminars)」を創設するが、キッシンジャーは恩師からここの主任(executive director)に抜擢されたという。ここで注目すべきは、セミナーのパトロンである。大富豪というのは、未知数であっても優良な成長株に投資するもので、フォード財団やロックフェラー家が創ったアジア財団、それに中東アジアの金持ちやCIAが資金を流していたというのだ。

  このセミナーが発展したことで、『コンフルーエンス(Confluence)』という雑誌が発刊され、キッシンジャーはここに論文を投稿した。ところが、この刊行物は十数回だけ続いて廃刊となってしまう。ただし、単なる終焉じゃなかった。『コンフルエンス』の論調が共産主義的だという廉(かど)で、1955年にキッシンジャーは陸軍諜報部からの尋問を受けていたのだ。(Frank A. Capell, The Kissinger Caper : a Former General in Communist Intelligence says Kissinger was a KGB Agent Before He Went ot Harvard, Belmont, MA : The Review of the News, 1974, p.29.)当時の噂によれば、雑誌の顧問を務めていた人物の中には、共産主義者やコミュニスト組織に関係を持つ人物が紛れていたという。さらに眉を顰めたくなるのは、この雑誌にロックフェラー・ブラザース財団が、2万6,000ドルの賞与金(grant)を与えていたということだ。

Nelson Rockefeller 9423
(左  /  ネルソン・ロックフェラー)
  ヘンリー・キッシンジャーの出世には、ロックフェラー家の貢献や後押があった。フォード政権で副大統領となったネルソン・ロックフェラー(Nelson Aldrich Rockefeller)は、ローズヴェルト政権で国際問題のコーディネーターを務めており、弟のウィンスロップと同じく、政治的野心に満ちていた。1956年にネルソンが「Special Study Project」という研究グループを創設すると、キッシンジャーはここの所長に就任した。たぶん、ネルソンの指図だろう。

  ネルソン・ロックフェラーの野望はホワイトハウスにあったのか、この大富豪は経歴作りのために州知事を目指した。実際、彼はリベラル派の牙城であるニューヨークの州知事になることが出来た。未来の大統領を目指すネルソンには、現実の国際政治を扱える“参謀”が必要で、学問に秀でたキッシンジャーは“打って付けの軍師”であった。主君のお眼鏡に適ったキッシンジャーは、トントン拍子に出世を重ね、ロックフェラー家がスポンサーとなる「外交問題評議会(CFR)」のメンバーにもなれた。彼は1977年から1981年まで、CFRの理事会で役員を務めることになる。キッシンジャーの『核兵器と外政(Nuclear Weapons and Foreign Policy)』は、CFRのメンバーになった頃に書かれた処女作であった。

  日本では中東問題やアジア情勢に関する「共和党の重鎮」として知られているが、キッシンジャーは“保守派の知識人”じゃない。リチャード・ニクソンと組む前は、民衆党寄りのグローバリスト学者であった。当初、キッシンジャーは大統領になったジョン・F・ケネディーの政権に潜り込もうと目論んだが、ケネディー兄弟から毛嫌いされてホワイトハウスに入ることは出来なかった。兄貴を補佐するロバート・ケネディー司法長官も、この下品なユダヤ人を嫌っていたというから、キッシンジャーはアーサー・シュレッシンジャー(Arthur Meier Schlessinger, Jr.)のような宮廷ユダヤ人にはなれなかった。

  ユダヤ人の支援で著作を出版でき、さらに大統領選でもユダヤ人団体から応援してもらったのがケネディー大統領である。それゆえ、彼の周辺にはユダヤ人の側近が多かった。(ホワイトハウスでユダヤ人に取り囲まれた記念写真を見ると、本当にゾッとする。)

RFK 8843Arthur Schlessinger Jr 022Theodore Sorensen 1Robert Novak 2








(左 : ロバート・ケネディー  / アーサー・シュレッシンジャー   /  セオドア・ソレンセン   /   右 : ロバート・ノヴァック)

  例えば、『ケネディーの千日(A Thousand Days: John F. Kennedy in the White House)』を書いたシュレッシンジャーの母親は、ドイツ人とイギリス人の家系だが、父方の祖父はドイツに住んでいたユダヤ人で、プロテスタントに改宗した現世利益派だった。ケネディー大統領の顧問で、スピーチライターを務めていたセオドア・ソレンセン(Theodore Chaikin Sorensen)もユダヤ人で、父親はデイン系アメリカ人であったが、母親はロシア系ユダヤ人ときている。ついでに言うと、CNNの討論番組「クロスファイアー」でホストを務めていたロバート・ノヴァック(Robert David Sanders Novak)も「改宗ユダヤ人」であった。ノヴァックの両親は世俗派のユダヤ人であったから、息子のロバートにはユダヤ教への情熱は無かったようだ。女房のジェラルディンがカトリック信徒になったから、亭主のロバートも一緒にカトリック教会に入ったという。まぁ、西歐紳士になりたかったシュレッシンジャーと同じく、ノヴァックも「ユダヤ人」という血統(属性)が恥ずかしかったのかも知れない。

ニクソンに仕えたユダヤ小僧

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(左: 主人のネルソン・ロックフェラーと執事のキッシンジャー   /  右 : ニクソン大統領とキッシンジャー国務長官 )

  ケネディー兄弟に嫌われたキッシンジャーは、大統領選でJFKに破れたリチャード・ニクソンの安全保障補佐官となったが、政権に入る前は親分を密かに蔑んでいた。「私はあの男の為には働かないぞ。あの野郎は疫病神だ(I would never work for that man, the man is a disaster.)」とキッシンジャーは述べていた。(上掲書、p.32.)日本のマスコミや政治評論家は、「ニクソン・キッシンジャー外交」とやらを褒めそやし、両者がコンビを組んで中東問題や対シナ外交を取り仕切ったように論じるが、実際は水面下でお互いに警戒する間柄であった。

  嫌われたニクソン大統領も、キッシンジャーを小馬鹿にしており、キッシンジャーは信頼できる助言者ではなく、ネルソン・ロックフェラーが送り込んだ「お目付役」と考えていたようだ。何しろ、ニクソンはキッシンジャーのような狡賢いユダヤ人が大嫌い。このクェーカー教徒(ニクソン)はユダヤ人に懐疑的で、1971年まで中東政策からキッシンジャーを外していたのだ。なぜなら、キッシンジャーが述べたように、彼のユダヤ人という民族性が彼の判断力を曇らせるんじゃないか、とニクソンが心配していたからだ。そして、冷酷な現実を熟知する大統領は、キッシンジャーの愛国心、すなわちアメリカ合衆国への忠誠心すら疑っていたのである。(Martin Indyk, Master of the Game : Henry Kissinger and the Art of Middle East Diplomacy, New York : Alfrd A. Knopf, 2021, p.36.)

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(左   /   レオナード・ガーメント)
  ニクソン政権の大統領顧問を務めたレオナード・ガーメント(Leonard Garment)によれば、ホワイトハウスの中でキッシンジャーは“エキゾテックな神童(exotic wunderkind)”、あるいは“よそ者(outsider)”と見られていたそうである。まぁ、西歐人とは違う容貌に加え、ドイツ訛りの英語を喋り、何を目論んでいるのか判らないから、同僚から“セム種族のエイリアン”と思われても当然だ。ニクソン政権のインナー・サークルは日常会話でも、「キッシンジャーは決して自身のユダヤ性を脱ぎ捨てることは出来まい(Kissinger could never ....shed his Jewishness.)」と囁いていたそうである。(上掲書、p.37.)

  政界の裏事情を知っていたからだろうが、ニクソンはユダヤ人に対する反感と懐疑心を抱いていた。当時のアメリカ人だと、ユダヤ人は金持ちで狡賢い(rich and tricky)」というイメージが一般的であった。ニクソンもステレオタイプの持ち主で、ユダヤ人のリベラル派は何かに附けイスラエルに忠実だ、と思っていた。財務長官のジョン・コナリー(John B. Connally)と執務室で話していた時も、ニクソンはユダヤ人に対する偏見を隠さず、会話の中で「ユダヤ人のリベラル派は信用がならない。第二次政権ではユダヤ人スタッフの数を減らすつもりだ」と述べていた。(上掲書、p.37.)

  こんな考えだから、ニクソンは自分の補佐官であってもキッシンジャーを信用せず、大切な相談は大統領顧問であるジョン・アーリックマン(John Ehrlichman)と首席補佐官のハリー・ロビンス・ハルデマン(Harry Robbins Haldeman)だけに持ちかけていた。それゆえ、三人の鳩首会談となれば、キッシンジャーは“蚊帳の外”だ。もし、キッシンジャーを密談に加えてしまうと、主君のネルソン・ロックフェラーや政財界のユダヤ人に“筒抜け”となるからダメ。用心深いニクソンは、執務室の扉を閉ざしてキッシンジャーを“のけ者”にしていた。

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(左 :  ハリー・ロビンス・ハルデマン  / 中央 : リチャード・ニクソン大統領  /  右 : ジョン・アーリックマン )

    以前、CBSやNBCのイヴニング・ニューズで放送されたけど、ニクソン大統領はキッシンジャーを小馬鹿にするような言を吐いていた。ニクソンはホワイトハウス内でキッシンジャーが必要な時、「俺のユダヤ小僧は何処にいるんだ!?(Where is my Jew-boy?)」と側近に尋ねていたというから、一般のアメリカ国民はビックリ。執務室で録音されたテープを聞いたキッシンジャーはどう思っていたのか? 育ちの悪いニクソンは、普段の会話の中でも遠慮せずに「ニューヨークのユダヤ人(New York Jews )」とか「糞のユダ野郎(fucking Jews)」という侮蔑語を口にしていた。(Richard Reeves, President Nixon : Alone in the White House, New York : Simon & Schuster, 2002, p.42)常識的な日本人であれば、ニクソンの口癖を聞いてしまうと、「彼は本当に敬虔な新渡戸稲造博士と同じクェーカー信徒なのか?」と疑ってしまうだろう。

怪しい人物を採用する国務長官

JFK & American Jewshenry Kissinger in Japan 1974








(左 : ユダヤ人の有力者に囲まれたジョン・・ケネディー大統領   /  右 : 来日した時に藝者と戯れるキッシンジャー )

  ニクソンは“お世辞”にも「紳士」と呼べないが、キッシンジャーも同様にアメリカ紳士ではない。というのも、キッシンジャーが政権に招き寄せたり、国務省に採用した人物には“いかがわしい輩”がたくさん居たからだ。

  例えば、国務長官になったキッシンジャーは、FBIから保安上の危険人物と見なされていたボリス・クロッソン(Boris Hansen Klosson)をSALT(戦略核兵器制限交渉)の政治諜報担当官に選んでしまったのだ。クロッソンの「信用度」は、ソ連からやって来た女スパイが逮捕された時、“問題”とされてしまった。「ホンマかいな?!」と驚いてしまうが、彼女の連絡手帳にはクロッソンの住所が載っていたのだ。それに、クロッソンがモスクワの米国大使館に勤務した時、KGBの調査報告書が本国に送られそうになったが、何かの理由でマズかったのか、ワシントンへの送付を妨害したそうだ。(The Kissinger Caper, p.34.) また、ソ連へ亡命したリー・ハーヴェイ・オズワルドが米国へ戻る時、彼の帰国許可を与えた責任者はクロッソンであったという。

  キッシンジャーが駐チリ米国大使に選んだデイヴィッド・ポッパー(David Henry Popper)も“不適切な人物”であった。このユダヤ人大使は、共産主義者の容疑が濃厚なアルジャー・ヒス(Alger Hiss)と親しく、国務省の役人だったヒスの推薦で同省に入ったという。また、ポッパーは如何にもユダヤ人らしく、真っ赤な雑誌である『アメラジア(Amerasia)』に集う共産主義者やソ連のスパイとも交際があったそうだ。案の定、ポッパーは「赤旗」のような「デイリー・ワーカー(Daily Worker)」紙の編集長で、米国共産党のメンバーだったルイス・ブデンツ(Louis Budenz)と知り合いだったようで、このブデンスによって共産主義者であることをバラされてしまった。(The Kissinger Caper, p. 35.)

  キッシンジャーが台湾に送った米国大使のレオナード・アンガー(Leonard Seidman Unger)も共産主義の疑いを持たれた人物だ。アンガーはタイやラオス、シナでも大使を務めていたから、現地の共産主義者に歓迎されたのも納得できる。

David Popper 1Louis Budenz 1Leonard Unger 1James Sutterlin 1








(左 : デイヴィッド・ポッパー  /  ルイス・ブデンツ  /  レオナード・アンガー  /   右 : ジェイムズ・サッタリン)

  国務省のドンになったキッシンジャーは、赤色分子やソ連贔屓の友人ばかりじゃなく、同性愛者や危険人物に対しても省庁の門を開いてしまった。例えば、国務省の監査長官になったジェイムズ・サッタリン(James S. Sutterlin)は、同省の保安局員であったエドワード・ケリー(Edward Kelley)とホモの関係にあったそうだ。省内で有耶無耶(うやむや)にされてしまったが、ケリーのせいで外交上の秘密暗号がソ連側に写し取られたり、ソ連のエイジェントになった米国外政官は自由に活動できたらしい。大使館の職員もソ連のハニートラップに引っかかったようで、よく訓練された女スパイが現地の役人を誘惑したそうだ。女の工作員に惚れた職員がソ連の手先になることはよくあるが、同性愛者も敵国の標的にされやすい。なぜなら、ゲイの外政官や書記官などは、同性愛の発覚を恐れて敵国エージェントの命令に従ってしまうからだ。

  キッシンジャーが国務省の難民担当官に任命したルイス・アーノルド・ワイズナー(Louis Arnold Wiesner)も、アメリカの国益を毀損する官僚だった。なぜなら、彼のせいで脱走兵や難民を装った共産主義者が米国に易々と入れたし、国内で優遇を受けていたからだ。大学教師もそうだけど、公務員を採用する際には、その家族構成や血統、民族、教育、性格、思想、趣味などを慎重に吟味せねばならない。1992年9月30日にドン・キエンツェル(Don R. Kienzle)によって行われたインタヴュー(Labor Diplomacy Oral History Project)で認めていたけど、ワイズナーは国務省に勤める前、つまり彼が若い時、少しだけ共産党に属していたそうだ。彼はマッカーシズムの時代にドイツから帰国した。1950年の頃、CIAに雇われていたので、「嘘発見器のテスト(lie ditector test)」を受けねばならず、本当の事を喋るしかなかったという。

  しかし、ワイズナーの“転向”は怪しい。彼は『労働者日報(Daily Worker)』に加え、『新大衆(New Masses)』、『青年労働者(Young Worker)』などを熱心に読んでいたし、昔は不穏分子たる「アメリカ学生組合(American Student Union)」にも属していたのだ。しかも、彼は母校に「青年共産主義者同盟(Young Communist League)」の支部を創ろうと試みていたから、相当“疑わしい人物”である。

  日本人は「元左翼」や「転向組」に優しいが、「若い時の過ち」であっても、一旦、共産主義者とか左翼思想にかぶれた者は、シャブ中と同じで、中々“健全な精神”には戻れない。職場では現実主義の資本家や経営者であっても、何かの切っ掛けで“ふと”昔の記憶が甦り、青年時代の魂が復活することがある。西部グループを率いていた堤清二は、東京大学時代に共産党に入ったし、東京都知事になった作家の猪瀬直樹も左翼だ。猪瀬は信州大学時代に学生運動のリーダーを務めていた。日本テレビの代表取締役になった氏家齊一郎も堤清二を共産党に誘った左翼だし、読売新聞の首領になったナベツネ(渡邉恒雄)も、東大時代に共産党に入っていた。「保守」を看板にする産経新聞の社長になった水野成夫(みずの・しげお)も共産主義を信奉する赤い学生で、産経の前は「赤旗」の編集長を務めていたのだ。こうした財界人は自由主義の市場経済を擁護しても、昔の仲間や後輩から頼まれると断れず、裏で左翼団体に献金したり、社会党や立憲民主党に便宜を図ったりする。

「ソ連のスパイ」容疑を掛けられたキッシンジャー」

Michal Goleniewski 0001( 左 /  ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー)
  元国務長官のヘンリー・キッシンジャーには、昔から“ソ連のスパイ”という疑惑が掛けられ、共産主義陣営に有利な政策を推し進めてきたモグラという批判がある。実際どうだったのかはよく判らないが、1961年に米国へ亡命したソ連のスパイ、ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー(Michał Franciszek Goleniewski)の話を聞くと、キッシンジャーに対する容疑はある程度「本当」のように思える。彼は諜報活動に関する1500ページほどの報告書をFBIに渡したことがあり、この遣取が世間にバレたので、キッシンジャーに対する民衆の疑念が深まったのだ。

  亡命したゴレニフスキーはポーランド軍の防諜諜組織(GZI / Główny Zarząd Informacji Wojska Polskiego) にある技術部門で勤務する陸軍大佐であったが、これは“表の顔”で、実はソ連のKGBがポーランドに送り込んだ“間諜(スパイ)”であった。ところが、ゴレニフスキー大佐は二重スパイどころか“三重スパイ”であった。彼は密かに米国や英国へソ連やポーランドの情報を流してくれる“裏切者”で、CIA(中央情報局)は彼に「SNIPER」というコード・ネームを与え、MI5(英国防諜局)は「LAVINIA」というコード・ネームを附けていたそうだ。

  ゴレニフスキーは出身地のポーランドで「ミハウ・フランチェシェク・ゴレニフスキー」と名乗っていたが、この亡命将校はどうやらロシア皇帝の血を引く子孫らしい。ゴレニフスキーが殺されたロシア皇帝ニコライ2世の息子で、本名は「アレクセイ・ニコラエヴィッチ・ロマノフ」(Aleksei Nicholaevich Romanoff)」というが、2008年に公開されたFBIの報告書でも彼の素性が確認されていたので、「もしかすると本当なのかも知れない」と思えてくる。なぜなら、CIAの元調査分析主任であるハーマン・キムゼー(Herman E. Kimsey)が、1965年6月3日に宣誓証言を行っていたし、FBIや国務省に属していたジョン・ノーペル(John Norpel, Jr.)も上院の公聴会で証言していたからだ。それゆえ、気軽に“出鱈目”だとは決めつけられない。(Tony Bonn, `Was Henry Kissinger a Soviet Spy?', The American Chronicle, March 16, 2013.)

  ゴレニフスキーがもたらした機密情報の中で特筆すべき点は、ODRA(ソ連のスパイ組織)の産業や科学技術分野に携わる個人データである。ここにはモグラ(諜報員や工作員)の名前や身分、職業、住所などが記されていたそうだ。「ODRA」の主な目的は、西側諸国、とりわけブリテンやアメリカにある軍諜報部への浸透にあった。驚くのは、ゴレニフスキーがCIAに報告したスパイの中に、当時あまり知られていないハーヴァードの教授であったヘンリー・キッシンジャーの名前が記されていたことだ。(The Kissinger Caper, p.77.)第二次世界大戦中、合衆国陸軍の軍曹であったキッシンジャーには、「BOR」という暗号名が与えられていたという。ゴレニフスキーによれば、キッシンジャーはオベラマーアゴの軍諜報学校で教官をしていた時、ドイツ生まれのアメリカ人でソ連のスパイになっていたエルンスト・ボゼンハルト(Ernst Bosenhard)と連絡を取っていたというのだ。(The Kissinger Caper, p.81.)

  「Baraban(バラバン)」というコード・ネームを持つボゼンハルトは、東ドイツに生まれ、八年ほどアメリカに住んでいたことがあるという。調査ジャーナリストのケヴィン・クーガンによると、彼は第二次世界大戦中、米国の「OSS(戦時情報局)」に協力した人物で、後にオベラマーアゴの諜報司令部で通訳の仕事をしていたそうだ。(Kevin Coogan,  The Spy Who Would Be Tsar : The Mystery of Michal Goleniewski and the Far-Right Underground, New York : Routledge, 2021, Chapter 10を参照。)しかし、彼は1951年にスパイ容疑で逮捕されてしまう。連合軍ドイツ高等委員会(Allied High Commission for Germany)は、ソ連に情報を流していたボゼンハルトを裁き、懲役四年の有罪判決を下した。彼は裁判の中で「同性愛をネタにして脅されていたんだ」と訴えたが、そんな言い訳が通用することはなく、「塀の中の囚人」となってしまった。ただし、彼が恐れていたシベリア送りじゃなく、西側の刑務所なんだから、考えようによっては、意外と良かったんじゃないか。

  「ソ連のスパイ」との容疑を受けたキッシンジャーだが、肝心のODRAファイルの中に彼の名前は見当たらなかった。ただ、驚異的な出世を遂げたキッシンジャーが、共産主義国に対して“親切”だったのは確かだ。

  例えば、「共産支那の門戸を開いた」という“功績”のあるキッシンジャーは、赤い皇帝の毛沢東と懐刀である周恩来、そして民衆を弾圧する共産党幹部と非常に親しく、人民解放軍によるクーデタ計画が練られていることを“北京の友人達”に知らせてあげたという。この情報はイスラエルの諜報機関からCIAのリチャード・ヘルムズ長官へともたらされ、ヘルムズ長官から詳しい情報がニクソン大統領とキッシンジャーに報告されたそうだ。“友人の危機”を耳にしたキッシンジャーは「一大事!」と思ったのか、急遽、極秘裏に北京へ飛び、毛沢東と周恩来に暗殺の危機が迫っていることを伝えたそうである。(The Kissinger Caper, p.8.) このクーデタ計画が事前に発覚したことで、林彪一派は処刑され、毛沢東の政権は揺るぎないものとなった。もちろん、毛沢東の粛清は報道管制のもとに置かれたから、日本の「支那通」は林彪の生存を信じていた。

Henry Kissinger & Mao 1213Henry Kissinger & Xi 99








(左 : 毛沢東とキッシンジャー   /  右 : 習近平とキッシンジャー )

  ニクソン大統領とタッグを組むキッシンジャーには、秘密外交の常習犯とか米国を裏切りるソ連のスパイ、南米での虐殺や政府転覆を画策した極悪人、といった非難がたくさんある。確かに、このユダヤ人学者には世間に知られたくない「裏の顔」があるみたいだ。

  例えば、以前、レーガン政権で教育省の高官を務めたシャーロット・イザービット(Charlott Iserbyt)が、「ソ連共産党中央委員会政治局(Politburo)」のコンサルタントを務めたイゴール・グラゴレフ博士(Dr. Igor Glagolev)にインタビューしたことがある。彼はカーター政権でSALT交渉の主任を務めたポール・ウォンケ(Paul Warnke)と議論したロシア人。グラゴレフ博士は何度もクレムリンを訪れたことがあるが、そこの会議にはネルソン・ロックフェラーとヘンリー・キッシンジャーが列席していたそうだ。(上掲記事、Tony Bonn, `Was Henry Kissinger a Soviet Spy?')

「善悪」を超えた政治力学

Victor Rothschild 2134(左  /  ヴィクター・ロスチャイルド)
  そもそも、社会主義のソ連、すなわちボルシェビキ支配下のロシアは、ロスチャイルド家やウォーバーグ家、ロックフェラー家などの大富豪によって創られた実験国家だ。それゆえ、パトロンの子孫であるネルソン・ロックフェラーやヴィクター・ロスチャイルド(3rd Baron Nathaniel Mayer Victor Rothschild)が、“お忍び”でソ連を訪問してもおかしくはない。また、歐米諸国にやって来た東歐の諜報員や西側の裏切者に“指示”を与えても不思議じゃないだろう。ネルソンやヴィクターは、一部の保守派知識人から「ソ連のスパイじゃないのか?」と疑われたが、彼らが「クレムリンの犬」になるとは考えづらい。むしろ、彼らがソ連のスパイに指令を渡し、クレムリンの連中が御命令を承った、というのが本当のところだろう。

  ロックフェラー家が「市場の独占」を好んでいたのは世有名な話で、ソ連という監獄国家は独占欲の強い金融資本家にとって“好ましい国家形態”であった。なぜなら、他の競争相手は参入できないからだ。ロックフェラー家だけがソ連で銀行を開設できたり、石油やガスの採掘や輸出入をできたりすれば、チェイス銀行やエクソン、モービルは大儲けだ。冷戦時代の軍縮交渉というのは、軍事的・経済的に劣勢となったソ連を救うための手段であったのかも知れないぞ。日本の保守派言論人は認めたがらないが、米国の共和党やタカ派陣営が取り組んだ軍縮交渉でも、水面下での裏工作があった可能性は否めない。アメリカ軍の卓越した兵器の質や量を下げてやることで、苦境に悩むソ連を助けてやれば、東西冷戦の均衡が保たれる、という訳だ。

  冷戦時代の知識人は、「ソ連の核兵器による米国への攻撃」とか「世界最終戦争によるハルマゲドン」を信じていたが、そんなのは軍需産業と金融業者が作った政治プロパガンダで、投資家や兵器会社が儲けるための演出だ。もし、アメリカによる圧倒的な世界平和が訪れれば、最新鋭の戦闘機や空母なんかは要らなくなる。しかし、東西の軍事緊張が高まれば、ソ連軍を凌駕するための高級兵器が必要になるから、高性能を誇る戦闘機やステルス性の戦略爆撃機、SLBMを搭載した原潜、通信衛星と連動した戦車などの研究開発が加速する。たとえ、高額な兵器となっても、購入者は政府だから、どんな“商品”でもドンドン買ってくれるし、子飼いの政治家が議会で国防を叫ぶから、1億ドルでも100億ドルでも際限なし。膨大な予算案がスラスラ通る。ロッキードやボーイング、マクドーネル・ダグラス、レイセオンなどの兵器会社がどれほど儲けたことか。石油や食料、備品を供給する民間企業や海外の基地を建設するベクテル社や萬屋のハリバートンなども巨額の利益を上げたはずだ。

Henry Kisinger in Soviet Union 213Henry Kissinger & President Putin 365








(左 : ブレジネフ書記長とキッシンジャー   /   右 : プーチン大統領と握手するキッシンジャー)

  キッシンジャーはリアリストの政治学者だったから、国際政治には倫理・道徳を挟まなかった。大国の政治、あるいは多国間のパワー・ゲームというのは、たいてい利益で動く。それゆえ、現実的な戦略家や政治家は、必要とあれば独裁者との密約を結ぶし、議会や世間に内緒で要人暗殺を命じる。邪魔な奴が多ければ、クーデタによる政府転覆を画策し、皆殺しで問題解決だ。キッシンジャーがスパイみたいな怪しい友人や赤い役人を用いたのは、それが有益であったからだろう。望んだ結果をもたらす人物なら、ゲイでもアカでも何でもいい。ソ連の工作員と昵懇となっていても、それは裏取引をするための“貴重な資産(asset)”だし、諜報の世界では敵側のスパイと親しくすることは珍しくない。キッシンジャーが有能な外政官であったのは、目的のためには手段を選ばなかったからだ。自分の名声や主君の利益を考えれば、「汚い手段」であっても一向に構わない。

  「American Chronicle」の編集長であるトニー・ボン(Tony Bonn)が述べていたが、ニクソン大統領はキッシンジャーのバックグラウンド・チェックをしないようスタッフに命じていたそうだ。通常、政府機関の職員やホワイトハウスのスタッフに対しては、その身元や素性、家族、友人関係などを調べる身辺調査が行われるはずなのだが、キッシンジャーの正体を知っていたニクソンは、それを問わないよう指図した。おそらく、身体検査で厄介事や問題が発覚するのを恐れていたのだろう。何しろ、大統領になったリチャード・ニクソンだって、親分のネルソン・ロックフェラーに頭が上がらない下僕であったし、ロックフェラー家に刃向かうほど馬鹿じゃなかった。となれば、主君から執務室(Oval Office)に派遣された“監視役”のユダヤ小僧には、“格別の配慮”を示さねばならない。

Henry Kissinger & Nelson Rockefeller & President Ford 3Rockefeller family 6624








( 左 : ネルソン・ロックフェラーとフォード大統領と一緒のキッシンジャー  /   右 : 華麗なるロックフェラー家の人々)

  1994年の4月に亡くなったニクソンの葬儀で、相棒だったキッシンジャーは嘗ての上司を悼んで涙を浮かべていたが、この哀しみは本当だったのか? アメリカ人は鰐を思い浮かべて「クロコダイルの涙(crocodile tears)」と呼んでいるが、キッシンジャーの本心はどうだったのか? ユダヤ人の涙は演技なのか本当なのかサッパリ判らない。もしかすると、キッシンジャーはウッディー・アレンより優れた俳優なのかも知れない。(涙の追悼が自然な演技なら、エミー賞をもらえる名優になれるぞ。)

  あの世のことは判らないけど、もし無神論者のキッシンジャーが地獄に落ちたら見物だ。たぶん、巨大な炎の近くにはデイヴッィド・ロックフェラーが坐っていて、彼の後部座席がキッシンジャーの指定席となっているんじゃないか。そして、両隣には先に亡くなったネルソンや毛沢東、周恩来、ローズヴェルト、チャーチル、スターリン、ヒトラーといった豪華な悪党が順番を待っているかも知れないぞ。懐かしい仲間に再開できる地獄の同窓会なんて、結構、乙なものだ。


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ルトワックの商法 / カモにされる日本人

「正しい判断」を下したバイデン

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  一般的に我々は日本人は“お人好し”なので、口が達者な悪徳商人によくコロッと騙されることがある。これは令和だけじゃなく、江戸時代からあることだ。

  例えば、簪(かんざし)とか口紅を売るために、京都からやってきた近江商人がいたとしよう。この商人(あきんど)は京都で安い商品を大量に買い付け、紀州や尾張、鎌倉を経て江戸まで行こうとする。旅の途中で一儲けを考えた行商人は、尾張や鎌倉に着くと、地元の町娘に「今、京の都で大人気の簪だよ !  ちょいと、そこのお嬢さん、今回だけ、特別に安くしておくから見てちょうだい !」と口八丁手八丁で売りさばく。都の文化に憧れる娘達は、簪や口紅を手にして「へぇ~、これが京都で流行っているのかぁ~」と目を輝かせ、ウキウキしながらお金を払う。

  各地で儲けたこの冒険商人は、徐々に東海道を下って江戸に着く。そして江戸でも京都の簪や口紅は好評で、飛ぶように売れてしまう。すると、彼の欲望は更に膨らんでしまい、水戸や会津,仙台にまで足を伸ばす。在庫一掃で、もう一稼ぎと考えてもおかしくはない。案の定、水戸や会津の田舎娘は都の商品に首ったけ。京都の高貴な奥方が用いる装飾品と勘違いしている客は、売り切れたら大変と思って我先にと争って鷲摑みだ。一方、大儲けした近江商人は笑顔が絶えない。「田舎の馬鹿娘どもはチョロイぜ !  京の都で大流行と言えば直ぐ飛びつくんだからさぁ~。こんな“まがい物”を高値で買うなんて、アホは死ななきゃ治らない !」と笑っている。懐が小判で温かくなった商人は、江戸に戻って芸者遊びを楽しみました。

  どうだろうか? こうした悪徳商人の話を聞けば、「ひでぇ事しゃがる、これじゃあ詐欺だろう ! とんでもねぇ野郎だ !」と憤慨するに違いない。しかし、“パチモノ(偽物)”と知らない娘達は、高価な簪や口紅を手にして大喜び。「知らぬが仏」とはこのことだ。今、戦略論とか国際政治に興味を示す日本人は、『Hanada』といった雑誌や奥山真司のYouTube番組を知ってエドワード・ルトワック(Edward Luttwak)の存在に気づき、彼の著作を買い求めている。 日本の一般人が勉強熱心なのは素晴らしいが、どんな人間が教師となり、如何なる知識を授けるのかについては注意が必要だ。

Edward Luttwak 9992134(左  /  エドワード・ルトワック)
  国家戦略を論ずる知識人や政治家の間では、「エドワード・ルトワック」という名はよく知られている。彼が執筆した『Strategy : The Logic of War and Peace』や『The Grand Strategy of the Roman Empire』は中々の労作であるから、戦史を繙く大学生なら読んだことがあるだろう。昔、長谷川慶太郎もルトワックの著作を和訳しており、今でも何冊かの翻訳本が出ている。例えば、『日本 4.0』『ルトワックの日本改造論』『クーデタ入門』『ラスト・エンペラー 習近平』などが発売されているから、それらを購読した人も多いだろう。

  ところが、このルーマニア系ユダヤ人の政治学者は、日本の大学教授に比べれば遙かに優秀なんだが、「あれっ !」と驚くような“裏の顔”を持っている。日本の保守派には“意外”かも知れないが、ジョー・バイデンに対するルトワックの評価は結構高い。例えば、副大統領時代の2009年、バイデンはオバマ大統領と国家安全保障担当の補佐官らを前にして、次のような提案というか、窘(たしな)める反論をしたそうだ。(Edward Luttwak, 'Joe Biden was right all along', UnHerd, September 17, 2021.)

 ① アフガニスタンでフェミニズムのデモクラシーを樹立するなんて止めろ。
 ② 国民国家になっていないアフガラスタンで、国軍(national army)を創設するのは無理だ。止めろ。
 ③ パキスタンがアメリカ人を殺しているハカニ・ネットワーク(Haqqani network / タリバンのゲリラ組織)に資金を渡しているんだから、合衆国政府はカラチ港やカンダハールの道路を使うために、年間20億ドルを超える資金をパキスタンに払うべきじゃない。止めろ。

Biden 8832(左  / ジョー・バイデン )
  以上のことをバイデンがホワイトハウスやワシントンの重鎮に述べたから、ルトワックはこの老いぼれ副大統領を「正しかった」と評価している。軍や諜報機関の要人に丸め込まれたオバマと違い、バイデンはアフガニスタンからの撤退を求め、合衆国にとって益々脅威となる支那に目を移し、北京の野望に警戒するよう進言したから偉いんだって。ルトワックによると、こうした苦言を呈したバイデンは、ほとんどのアメリカ人から支持されず、ホワイトハウスの中でも孤立していたそうだ。

  しかし、本当にバイデンが正しく、外政や軍事の面で優秀だったのか? もしかすると、バイデンはパトロンの指令に従っただけなのかも知れないぞ。つまり、もうアフガニスタンでは儲けにならないから、次は強国となった支那を敵にした方よい、と判断したのだろう。新たな緊張状態が浮上すれば、軍需産業は儲かるし、議会での予算獲得も容易になる。平和な時代になると新兵器開発への予算は削られてしまうし、金相場や株価の乱高下も無くなるから大儲けが難しくなる。ウォール街の旦那衆がバイデンを担いだのは、巨大事業の一環だろう。案の定、大統領になったバイデンは、急激に米軍をアフガニスタンから撤退させ、NATOの拡大をチラつかせてロシアを挑発した。そして、歐米諸国の真意を嗅ぎ取ったプーチン大統領は、多大な犠牲を覚悟して戦争に突入したから、バイデンのパトロン連中はさぞ喜んだに違いない。

  一連の不可解な方針を考慮すれば、アメリカの闇組織、すなわちバイデンを当選させ、背後から操る連中が、グレイト・リセットに伴う新たな「対立構造」を作りたいんだな、ということは何となく解る。ネオコンを飼っている旦那衆は、壮大な「パラダイム(枠組み)」を構築し、世界政治というゲームを楽しむ悪投だ。米国や日本の評論家は、「今回のウクライナ紛争で一番得をしたのは支那である !」と宣(のたま)うが、支那をキー・プレイヤーに仕立て上げた連中こそ、真の受益者であろう。ルトワックが盛んに対支那戦略を語るのは、ワシントンやウォール街にいる大御所の存在を意識しているからじゃないのか。

Joe Baskin 11112(左  / ジョン・バスキン )
  2020年の大統領選挙には、驚くほど異常な出来事や不正、腐敗、八百長が多かった。しかし、『クーデタ入門』という本を執筆したルトワックは、このインチキ選挙について声を上げなかった。あれれだけ大規模な不正選挙が行われたのに、投票機器の遠隔操作や郵便投票の疑惑、投票用紙の迅速な破棄について沈黙するなんて、実に奇妙だ。『Popular Science 』や『The Atlantic』誌の編集員を経て、『Point』誌の編集長になったジョン・バスキンが今年、ルトワックにインタヴューを行い、その中で「クーデタ」とも思われる大統領選挙のことについて質問していた。

  的外れな質問になるが、バスキンが「クーデタ未遂じゃないか?」と尋ねると、ルトワックは1月6日に勃発した連邦議事堂事件に触れ、「あれはクーデタじゃない」と答えていた。もちろん、あの大統領選挙はトランプ陣営による不正じゃなく、バイデン陣営による周到な計画だった。しかし、ルトワックはトランプ大統領の不手際にだけ焦点を当て、集票作業や民衆党側の闇には触れなかった。

  ルトワックによれば、トランプ大統領の致命的な失敗は、反トラスト法を用いてフェイスブックやグーグルに対処しなかったことにあるという。(Edward Luttwak and Jon Baskin, 'What a Coup Is', The Point magazine, April 26, 2022.) 確かに、主要メディアによって発言を封じられていたのなら、独占禁止法の手段を用いてビッグテックに対抗すべきだったのかも知れない。しかし、現実的に考えれば、その対抗措置は逆効果を生んでしまい、「独裁的なトランプが言論の自由を抹殺しようと謀っている !」とのイメージを広げるだけである。CNN やMSNBCが大喜びで叫んだに違いない。

  クーデタに詳しいルトワックは、素人のバスキン相手に第三世界での政府転覆を説明し、議事堂に闖入した暴漢どもは立法府を制圧する集団ではなかった、と述べていた。確かに、それはそうだろう。「トランプ支持者」を名乗るゴロツキどもは、単に「騒動」を目的とし、議事堂に集まった政治家達を威嚇することにあった。ルトワックが注目すべき点は、派手な乱闘劇を繰り広げた暴漢達ではなく、彼らを闖入させるために、わざと防禦柵を解放した警備員の方だろう。どうしてルトワックは、現場の警備員に指令を発した上司に疑惑を向けなかったのか? 全米各地の警官や検事、判事、軍人が、あの「常識外れ」を目にすれば、「おい ! 何してんだ?!」と叫んでしまうだろう。通常では「有り得ない事」をしたとすれば、そこには何らかの「隠された意図」があるはずだ。

  また、ウクライナ紛争に関するルトワックの言論も奇妙だ。彼は今回の紛争を「どう終結させたら良いのか」を論じるが、「なぜ、この戦闘が始まったのか?」、「誰が、あるいはどんな集団が、ウクライナとロシアの戦争を仕掛けたのか?」に関しては述べない。その代わり、ルトワックは独自の終戦工作を提唱する。彼が主張する提案というのは、ルガンスクやドネツクにおける国民投票(plebicite)だ。(Vazha Tavberidze, 'Interview : Edward Luttwak, A Military Advisor To Presidents, Explains How The Ukraine War Began And How It Might End', Radio Free Europe / Radio Liberty, June 11, 2022.) 

  ルトワックによれば、今回の紛争における唯一の「出口」とは、両地域における「国民投票」らしい。しかし、最初から東部地域での国民投票が実施されていれば、流血に至る戦闘は無かったはず。ところが、ゼレンスキー大統領は何が何でも公用語をウクライナ語にしたかったようで、東部に住むロシア系住民のことなんか考慮に入れていなかったらしい。彼は地元の住民がどんなに反対しようとも、ウクライナ語を強制する「5670-D法案」の制定に熱心だった。(Roma Huba, 'Why Ukraine's new language law will have long-term consequences', Open Democracy, 28 May 2019.)

  でも、こんな言語政策を取ればロシア系国民の反撥は火を見るより明らかだろう。しかも、「ネオナチ」グループによる乱暴狼藉も加わったから、東部地域で血の雨が降ったのも当然だ。、住民の要望を得てロシア軍の介入となってしまった。

  ルトワックの論説によれば、両州での国民投票が実施されない限り、歐米諸国による対ロシア金融制裁は続く、というが、たとえどんな結果になっても、歐米側の金融制裁が解除されることはないだろう。なぜならば、戦争を計画した闇組織にとって、ウクライナ紛争はロシア撲滅(プーチン政権打倒)の“道具”に過ぎず、ウクライナ人が何人死のうが、難民になろうが、国家全体が廃墟となろうが、どうでもいい事だ。国際企業や金融業者の大富豪が、何十万人の難民を養う訳じゃないだろう。厄介な避難民は、近隣のポーランドやドイツが受け容れたり、日本が税金で面倒を見ればよいだけ。

  誰の命令を受けたりか判らないが、岸田総理は自国民の拉致被害者を見棄てているのに、外国人でしかないウクライナ国民を鄭重に助けている。日本のテレビ局は「ウクライナ国民を助けろ ! 野蛮なロシア軍をやっつけろ !」と勇ましかったが、それなら「北朝鮮に拉致された我々の同胞を助けろ ! 北鮮を攻撃せよ ! 金王朝を打倒しろ !」叫ぶのか? 「日本国民を奪還するために核武装せよ !」と主張する全国紙は全く無かったし、テレビ局は細やかな経済制裁のみを口にするだけだった。

アメリカの「敵」になってしまう日本?

  日本人は明治の頃から「舶来尊崇」の念が強く、歐米諸国の知識人ともなればVIP扱いだ。本来なら、その素性や経歴を詳しく詮索すべきなのに、新聞やテレビが「凄い学者なんですよ !」と紹介すれば、ロクに調べず、ただ「お説ごもっとも !」と頷くことが多い。「白熱教室」といった看板で一躍有名になったハーヴァード大学教授のマイケル・サンデル(Michael Sandel)、イタリアの哲学者であるアントニオ・ネグリ(Antonio Negri)、朝日新聞が推奨するフランスの統計学者エマニュエル・トッド(Emanuel Todd)を見れば判るじゃないか。こんなユダヤ人どもに向かって、「畏れ入りました !」とひれ伏す日本人って、いったいどんな頭をしているのか?  

Michael Sandel 4Antonio Negri 7Emmanuel Todd 144








(左 : マイケル・サンデル  / 中央 : アントニオ・ネグリ  /  右 : エマニュエル・トッド )

  国家戦略論の専門家として有名なルトワックは、昔から日本のメディアにコメントを寄せていたから、雑誌や新聞などで彼の記事を読んだ人も多いだろう。しかし、彼の対日論は何となくいかがわしく、「別の魂胆があるんじゃないか?」と思わせる節が少なくない。例えば、冷戦終結後の1992年に、ルトワックは日本に対する要求を述べていた。30年以上も前のことだから仕方ないけど、当時の日本人が読んでも首を傾げる見解が多かった。

  例えば、ルトワックはアメリカ社会の危機的状況を矢鱈と強調していた。たぶん、時流に乗っての発言だと思うが、彼はアメリカの「第三世界化(Third-Wordlization)」を懸念していたのだ。確かに、ブッシュ政権やクリントン政権時代のアメリカでは、社会資本の不足やメインテナンスの不備が目立っていた。例えば、穴ぼこだらけの道路とか、老朽化した橋、ペンキの剝がれた家とか商業ビル、ゴミが散らばる街並み、黒人失業者が群れるゲットーの存在などが至る所に見受けられた。さらに深刻なのは、かつてのアメリカにあった労働意欲の低下である。勤労意欲が低下したアメリカでは、貯蓄率も低かったから、ルトワックはこうしたアメリカの凋落に危機感を募らせていた。

  しかし、このユダヤ人学者は鋭敏な知性を持っているのに、目に映る現象だけを捉え、「アメリカの第三世界化」を論じていたのだ。確かに、米国には信じられない貧困や有色人種のスラム街があるけど、それを超える豊かさや中流階級の活力が漲っている。実際、当時の合衆国政府は巨額な負債を抱え、財政赤字に苦しんでいたが、その反対側にはFRBを支配する債権者が居るはずだ。ルトワックは豪邸に住むオールド・マネーやエスタブリッシュメントを知っているのに、彼らの実名を挙げず、ただ漠然とした「不労所得者」なる言葉だけを述べていた。ルトワックによれば、本来の金持ちじゃない現代の債権者というのは、アメリカ経済に何の貢献もしない人々で、彼らは政治献金を以て共和党を牛耳っているという。(エドワード・ルトワック「第三世界へ転落するアメリカ 救えるのは“維新断行”する日本」『サンサーラ』1992年8月号、p.48)

  ただし、いくらブッシュ政権下とはいえ、ルトワックの共和党批判は的外れだ。この戦略家は次のように述べていた。「共和党はもはやビジネスマンの党ではない。不労所得者の党である。そしてそれが、アメリカが現在、非常に奇妙な現象に直面している理由である」と。(上掲記事 p.48.) ルトワックはビジネスマや不労所得者のために動く共和党員を叱責していた。従来、本当の金持ちとは企業の経営者であり、自分の事業にとって重要なインフラストラクチャーの整備を望むはず。ところが、共和党の金持ち連中ときたら、赤字削減を叫んで港湾施設や空港、道路の整備に反対し、教育への投資とか社会インフラへの歳出を蔑ろにする。ルトワックからすれば、こんなタカリ屋は「けしからん !」という訳だ。

  しかし、巨大企業を有する経営者とか金利・配当金だけで暮らす不労所得者というのは、何も共和党支持者だけではない。民衆党に惜しみなく大金を渡す慈善家も不労所得者の類いじゃないか ! 例えば、 米国の政界に君臨するロックフェラー家や「オールド・マネー」の代表格であるデュポン家、左翼団体に資金を流すフォード財団やカーネギー財団、タイズ財団の面々も、ある意味、「不労所得者」の一種だぞ。

  アメリカの政界は回転扉で財界と繋がっているから、民衆党だってパワー・エリートの巣窟だ。例えば、ジャクリーン・ケネディー夫人が“スパー・ロイヤー”と冷やかしたクラーク・クリフォード(Clark Clifford)は、国防長官を務めた後、国際銀行の「BCCI」に天下ってスキャンダル事件に巻き込まれていた。前任者のロバート・マクナマラ(Robert McNamara)もエリート・ビジネスマンで、元々はフォードの社長だった。マクナマラ長官は第二次大戦中、カーティス・ル・メイに従って日本人を焼き殺したが、ジョンソン政権のベトナム戦争を嫌い、国防長官の公職を去ると「World Bank Group」の総裁に納まった。戦略家として有名なポール・ニッチェ(Paul Nitze)もジョンソン政権下で国防次官補を務めた大物だ。彼は元々「ディロン・リード社(Dillon , Read & Co.)」のビジネスマンで、初代国防長官を務めたジェイムズ・フォレスタル(James V. Forrestal)とは友達だった。(海軍出身のフォレスタルは公職に就く前、「ディロン・リード社」に勤めていた。)

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(左 : クラーク・クリフォード / ロバート・マクナマラ  /  ポール・ニッチェ / 右 : クラレンス・ダグラス・ディロン )

  ケネディー政権で財務長官を務めたクラレンス・ダグラス・ディロン(Clarence Douglas Dillon)は、「ディロン・リード社」を創業したクラレンス・ディロン(Clarence Dillon)の息子で、この財務長官はユダヤ系のビジネスマンだった。父方の祖父であるサミュエル・ラポウスキー(Samuel Lapowski)は、ポーランドからやって来たユダヤ移民である。ついでに言うと、レーガン政権で財務長官になったニコラス・ブレイディー(Nicolas Brady)もウォール街の金融業者で、彼は政界に入る前、ディロン・リード社の会長を務めていた。

  ニューヨーク州知事や国務次官補になったアヴェレル・ハリマン(William Averel Harriamn)も民衆党のパトロンで、鉄道王たるハリマン家のお坊ちゃんとして有名だ。第二次世界大戦中、彼は駐ソ連大使になったことで知られているが、どうも内心では共産主義に好意的なようで、レンド・リース法を支援する勢力の一人であった。民衆党の大口献金者とくれば、ユダヤ人の姿が浮かんでくるけど、泣く子も黙るAIPAC やADLのユダヤ人は、昔から民衆党の上院議員や下院議員に資金を流していた。大統領になる前のジョン・F・ケネディーには、シカゴやニューヨークのマフィアがパトロンになっていたけど、財界や法曹界のユダヤ人もケネディー家に群がっていた。こうした歴史は日本人でも知っているのに、どうしてユダヤ人のルトワックは民衆党の過去に目を伏せるのか? 

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(写真  /  イスラエル首相のベン・グリオンとジョン・F・ケネディー)

  一般のアメリカ人は歴史に疎いが、戦略論を専攻するルトワックは歴史に詳しい。ところが、なぜかルトワックの日本に対する認識はピンボケだった。敗戦国である日本は、「主権恢復」後も依然としてアメリカの属州である。元々、素直な国民性を有する日本人は、GHQによる徹底的な精神改造でクルクルパーになってしまった。昔の日本人は士族の気概に満ちていたが、敗戦を機に臆病な商人へと変わってしまったのだ。骨の髄まで奴隷根性が染み込んでしまうと、元の状態に戻るのは非常に難しい。表面的にはデモクラシーの国家で、独立国として内政や外政を行っているように見えるが、その首にはちゃんと鎖がついている。

Rahm Emanuel 01(左  / ラーム・エマニュエル )
  日本の政治家は認めないけど、国務省のジャパン・ハンドラーは折檻用の鞭を持っており、いつでも我が国の首相をぶっ叩くことが出来る。以前はマイケル・グリーンのような官僚が仕置棒を持っていたけど、最近では駐日アメリカ大使になったラーム・エマニュエル(Rahm Emanuel)が握っているようだ。あのふてぶてしいユダヤ人は、岸田総理に向かって命令し、ウクライナ紛争における「日本の対応」を指南しているようだ。まぁ、飼い主の声に従うよう調教されている日本だから、岸田総理がヘコヘコ従っていても不思議じゃない。(戦後、日本政府、すなわち吉田内閣が米国に屈服し、宗主国から30億ドルの資金を借りたことは、一般国民に知られていないけど、我が国は借金の担保として国防権、電波権、航空管制権を差し出していた。この件については、別の機会で紹介したい。ホント、敗戦後の我が国は惨めな状態になっていた。)

  実質的には米国の「属州」となっているのに、ルトワックが論ずる「日本」は米国の「敵」になりうる独立国であった。いつの時代でも、アメリカ人には「敵」が必要なようで、ソ連崩壊後、ロシアに対する敵意が薄くなると、日本に対する敵意が強まったという。冷戦後の世界は、地政学(geopolitics)の時代から地経学(geoeconomics)の時代に変わった、とルトワックは述べていた。それゆえ、もしアメリカの貿易赤字がどんどん拡大し、日本が貿易黒字を貯め込む一方になるなら、アメリカ人の反日感情は高まってしまうぞ、とルトワックは脅しをかけていた。

  そこで、日本人を動かしたいルトワックは、当時キャノンの会長を務めていた加賀龍三郎の言葉を利用した。加賀会長は「第二の明治維新が必要だ」と主張し、「日本はもはや貧乏国ではない、日本が輸出ばかりして輸入をしなければ、外国から反撥を買って、世界の『孤児』になってしまうだろう」と語っていた。これは1990年代の日本でよく言われていたことで、「輸出ばかりの日本」というイメージは間違っている。映画や音楽に詳しい日本人なら判ると思うけど、日本人は外人ミュージシャンやハリウッド映画に大金を払っていた。

  ルトワックはハードウェアーばかりを論じていたが、日本人は娯楽産業のソフトウェアーを購入していたし、化学薬品や最新鋭の武器、航空機、外国企業の特許などにも多額の銭を払っていた。ルトワックが問題にした自動車だって、日本の市場は開放的で、日本人は様々な「外車」を購入していた。確かに、米国のGMが製造する「カヴァリエ」とかフォードの「フォーカス」なんてぜんぜん売れなかったが、BMWとかダイムラー・ベンツ、アウディー、フォルクスワーゲンの輸入車になると話は別で、たとえ高額であっても日本人は喜んで買っていたのだ。

  日本を批判するアメリカ人だって、私生活ではアメリカ車を買っていなかった。特に、高額所得者は非国民で、彼らは高価でも藝術的なヨーロッパ車を好む。洗練された趣味を持つアメリカ人になると、クライスラーやフォードが造るダサいアメ車なんかには見向きもしなかった。1970年代の都会では、知識人やビジネスマンがフォルクスワーゲン社の「ビートル」に乗っていたし、1980年代の「ヤッピー(Young Urban Professionals)」になると、メルセデス・ベンツやBMWの高級車を所有し、快適なドライヴを楽しんでいた。

GM Lincoln 1111Ford F 100







(左 : GMの「リンカンMark VI」/ 右 : フォードの「F-100 ピックアップ・トラック)

  一方、アメリカの国産車に乗っていたのは、中古車しか買えない下層中流階級のアメリカ人であった。GMの大衆車である「リンカンMark VI」や「Lincoln Town Car」を乗り回しているのは、主に工場勤めの白人労働者か、派手な衣装を着た黒人ギャングくらい。フォード社の「F-250」や「F-100」なんかは、田舎者が喜んで乗るピックアップ・トラックで、オクラホマやノース・ダコタのハイウェイがお似合いだ。ホント、見るからに燃費の悪いアメリカ車というのは、意図的に排ガスを大量生産する公害車にしか思えなかった。

  「日本通」のルトワックは、良好な日米関係を求めていたが、その本心はもっと別なことろにあり、彼はアメリカの財界に媚びる代弁者であった。彼は加賀会長の見解を引用し、国民を豊かにする「第二の明治維新」に賛同していたが、本当は日本人の消費行動を勧めていたのだ。曰わく、

・・・日本にとっては、加賀会長が第二の明治維新になぞらえた消費拡大などの改革を実施して、アメリカの競争相手にとどまるような手段を講じるしか道はない。(上掲記事、p.53.)

  ルトワックは働き蜂の日本人に向けて、「アメリカの敵になるかも知れない」と脅していたが、まともな軍隊を持たない日本が、宗主国のアメリカに楯突く大国になれるのか? たとえ自衛隊がイージス艦やF-16戦闘機を購入しても、所詮は米軍の補助部隊に過ぎない。自衛隊は独自に動くことは出来ないから、有事の際には第七艦隊か在日米国大使の命令で動くことになる。財務省や日銀の幹部だって、ワシントンやウォール街の指令で政策を決めているから、日本の首相が何を言おうとも馬耳東風だ。都市銀行の窓口係だって、1、2年で使い捨てにされる財務大臣を小馬鹿にし、仲間内でせせら笑っているんだから。

  一般の日本国民というのは「恐怖」や「脅威」が迫ってくると、武器を持って闘おうとせず、子供を抱きかかえて背中を丸くする。たとえ、厳しい「現実」に気づいても、丸腰の状態を「正常」と思っているから、「嵐が過ぎるのを待っていればよい」と考えてしまうのだ。昔、小堀桂一郎や井尻千男らが中心となって「主権回復」を記念する国民集会を開いていたが、こんなのは妄想や願望に基づく「鬱憤晴らし」だろう。本当に国家主権を恢復したければ、クーデタを起こして現体制を打倒するしかない。だいたい、征服者たるマッカーサー将軍が独裁権を以て「仕置文(占領憲法)」を制定したのに、それを民衆の合意で改憲しようだなんて馬鹿げている。詫び状に過ぎない紙切れを「正統な憲法」と認めて、「ルール通りの憲法改正をしましょう」と呼びかけるんだから、アメリカ人じゃなくても「アホらしい」と笑ってしまうだろう。

Edward Luttwak 883  エドワード・ルトワックは日本の雑誌に「国際政治論」を寄稿し、「日本と米国の敵は支那だ !」と吹き込むが、本当の敵はアメリカ国内にいるはずだ。でも、そんなことを日本人が口にすれば、「陰謀論者」として排斥されてしまうだろう。日本の一般国民は、とにかく舶来思想や外人学者が大好き。歐米諸国からもたらされる代物は、盲目的に「高級品」と思われがちだ。名門大学や大手シンクタンクの学者様となれば無条件でひれ伏す。シャイロックみたいなルトワックは、アメリカの意見を日本人に語って銭儲けに励む。どうせ、日本の一般人は英語の論文を読めないし、高度な判断力も無い。様々な情報を比較検討して真偽を確かめるなんて無理。だから、「高級な解説」を渇望する庶民は、アメリカの学者様に御意見を求める。

  著名な学者からの有り難い御意見となれば、大金を払ってお礼をするのが日本人だ。ルトワックの見解が何であれ、ワシントンで評判の戦略家なんだから、ちょっとした雑談だって神棚に奉るほど有り難い。それに、奥山真司のような仔犬を手懐けているから、米国に留まっていても日本での商売は順調だ。日本人は偉い先生の御意見だと尊重する。ただし、それを拝聴しても、検証をしないから、毎回毎回騙される。正月の新聞に載る経済予測も同じで、大晦日近くになって正月の予測を検証する者は皆無。1ヶ月もすれば、先月何を読んだのか忘れてしまうんだから、日本のインテリは救いようがない。我が国では、来月の株価を予測する東大教授と、競馬場で優勝する馬を言い張る予想屋は、本質的には同じだ。ハズれたって誰も責めない。日本で小遣い稼ぎをするルトワックは、案外“したたかな戦略家”なのかも知れないぞ。




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