無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

偉人伝/人物評論

日本国民を分断する知識人 / 丸山眞男の奥底にある憎悪 (Part 2)

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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左翼の巣窟で学者になる

  戦前と戦後で大きく変わった価値観一つに、子供がなりたい職業の変化がある。戦前の日本人は帝國陸海軍を誇りに思っていた。商売や留学で海外に暮らす日本人が現地人から一目置かれたのも、歐洲列強を威圧するだけの軍事力を持っていたからだ。日本海海戦でバルチック艦隊を完全に打ち負かし、奉天ではコサック騎兵を擁するロシア軍を帝國陸軍が破ったのは、一大快挙であり奇蹟に近い勝利だった。巷の保守派知識人は白人国家に勝った唯一の有色人種国と自慢するが、日本人が偉大だったのはアジアに属さず、日本人という意識で団結し、武士の気概を持つ孤高の民族だったからである。西歐人が我々を「アジア人」とか「有色人種」と呼ぼうが、そんなのは彼らの勝手な言い草で、我が国の強さとは関係無い。日本人は昔から戦闘民族で、名誉を生命よりも重んじる稀有な種族だったから偉大なのだ。

  こうした国家に生まれ育った日本の子供は、武士の伝統を引き継ぐ陸海の軍人に憧れ、将来は陸軍大将とか、海軍士官、戦闘機のパイロットになりたいと望んでいた。以前、大臣経験者の渡辺美智雄がテレビ番組のインタビューで、質問者から子供の頃の夢を訊かれて「陸軍大将かなぁ」と答えていたのを覚えている。普通の子供で「大学教授になりたい」とか「大蔵省の役人になりたい」と答えるのは稀だろう。やはり、戦場で勇敢に戦う指揮官の方が格好良く、宮澤喜一のように役所の片隅で軍人恩給の計算なんて嫌だ。大学教授の方は文弱の青瓢箪というのが漠然としたイメージで、肺結核に罹って死んでしまうのが落ちである。一般の女性だって、喧嘩に弱く、殴られれば鼻血を流してうずくまる文学青年より、血気盛んな青年士官の方が大好きだ。肉体に自信があり、容姿端麗の青年が目指した海軍士官は、うら若き乙女のハートをくすぐったそうで、たいそうモテたらしい。歐米に留学した日本人でも、軍服に身を包んだ若者は現地人からそれなりの尊敬を受けたが、単なる学者志望の若造なんか相手にされなかった。

Maruyama 2( 左 /  丸山眞男)
  戦前の日本でも大学教師の社会的地位は高かったが、弱肉強食の帝国主義時代だと、どうしても軍人の方が偉くなる。理系の技術者とか研究者なら、兵器開発に携わる貴重な人材だったから尊敬されたけど、文学とか哲学なんて暇人の学問と見なされがちだから扱いは良くなかった。当時の軍部には、役立たずの文系学生など兵隊不足の前線に送ってしまえと考える者もいたそうだ。しかし「適材適所」という言葉があるんだから、法学部や英文科の学者を諜報組織や宣伝工作部に招いて、心理戦を手伝ってもらうことくらい考えてもよさそうなものだが、そもそも日本人には民間人を起用して謀略作戦を仕掛けるという発想が無い。一方、米国だと戦時下で諜報員に転身した弁護士が多い。例えば、OSSを率いたウィリアム・ドノヴァン(William Donovan)は、第一次大戦時中に聯隊長を務めたが、平時になるとニューヨークで活躍する弁護士に戻っていた。彼の下でOSSに所属し、後にCIA長官となるアレン・ダレス(Allen Dulles)、フランク・ウィズナー(Frank Wisner)、ウィリアム・ケーシー(William Casey)も弁護士上がりだ。

  日本だと戦争になったからといって、大学講師とか弁護士が中隊長とか大隊長に抜擢されることはなかった。軍人と学者は縦割りの関係になっていたということだ。東京帝國大学で助教授になっていた丸山眞男は、1944年に召集され、二等兵として朝鮮に派遣されたという。当時、丸山は結婚したばかりで、30歳くらいだったが、身体は強靱でなかった。7月に召集を受けたのに、9月には脚気で入院生活。しばらくしてから再び軍に戻ると、広島の曉部隊の暗号隊に配属され、その後、船舶司令部参謀部の情報班に転属となった。頭が良かったから暗号解読の教育を受けたのだろうが、何しろ病弱だから、激戦をくぐり抜ける勇士ではなく、使役兵として肥桶担ぎがせいぜい。運が悪ければ古参兵や上官からビンタを喰らうのが軍隊の実態だった。

  ところが、8月15日に玉音放送が流れて大東亜戦争は停止となった。ピラミッド構造の軍隊でこき使われていた丸山一等兵は、終戦の詔勅を聴いて大喜び。彼は「終戦というのは、ぼくは躍り上がるほど嬉しかった」と述べている。(『丸山眞男 回顧談』 p.16) 祖国が破れて嬉しいなんて、丸山の精神は日本人じゃない。健全な日本人なら哀しむか、陰鬱な気持ちになるのが普通だ。確かに、アジア戦線で終戦を迎えた日本兵の中には、「これで命が助かった、万歳」と小声で喜んだ者もいたが、それは無謀な作戦に駆り出された兵卒だから仕方がない。でも、丸山は安全な参謀部情報班に居たのだから、少しくらい残念に思ってもいいはずだ。そんな丸山も終戦時に泣いていた。実は彼の母親が終戦の8月15日に亡くなっていたのだ。実家からの電報を受け取った丸山は、母の訃報を聞いて嘆き悲しんだという。

真っ赤な学者に教えを受けた丸山

  進歩的文化人として脚光を浴びた丸山は、学生時代、東大でどんな教授について学び、どんな本を呼んで勉強したのか? 高等文官試験を受けるつもりはなかった丸山が法学部に入学したのは、先生から文学部は行っても無駄だから法学部にしろ、と勧められたからだという。夏目漱石の親友で、菅虎雄(すが・とらお)という名物教授がいて、丸山はその学者に進路を相談したそうだ。菅教授曰わく、「文学なんてものは専攻すべきじゃない」と。文学というものは、就職してからでも自ら読むものだから、大学では就職してから勉強できない学問をやれ、と叱責されたらしい。父親の幹治も同じ意見で、大学を出てから勉強できないもの、独学では困難なものを専攻せよ、と言い聞かせ、法律は学生時代に習得しないとダメだと述べていた。そこで、丸山は法学部を目指したという。彼は一高時代、一番難しい「文乙(ドイツ語)」に入っていたから、ドイツ語の文献を読まねばならぬ法学部で有利だった。ちなみに、一番易しいのが「文丙(フランス語)」で、大抵の生徒は「文甲(英語)」を選んだそうだ。丸山は難しいドイツ語を選んだから、何となく威張っていたというか、鼻に掛けていた。

Hirano 1Yokota Kisaburo 1Miyazawa Toshiyoshi








(左: 平野義太郎  / 中央: 横田喜三郎  /  右: 宮澤俊義)

  東大に入るというのは、赤に染まるためじゃないか、と思えるほど、教授陣には凡庸なピンク系、平均的左翼、悪徳の極左が多い。丸山が習った教師には、「八月革命説」で悪名高い宮澤俊義がいたし、卑劣な国際法学者の横田喜三郎、マルキストの平野義太郎、経済学部の山田盛太郎がいた。丸山が直接世話になった教授というのは、あの真っ赤な蠟山政道である。蠟山は共産主義者の近衛文麿に仕え、近衛のブレーン・トラストたる「昭和研究会」に尽力した人物である。今ではどんな業績がある学者だったのか、ほとんど誰も知らないし、知ろうとも思わない。丸山がドイツの法学者カール・シュミット(Carl Schmit)に興味を持ったのは、蠟山の影響であったという。(『回顧談』 p.138) カール・シュミットについて述べると長くなるから省略するが、日本だと田中浩や樋口陽一といった極左学者に人気のある法哲学者である。そして、宮澤俊義がネタ本として用いたハンス・ケルゼン(Hans Kelsen)の法学が、丸山の思想を形成していたのである。このケルゼンは人定法(positive law)を商売にしていた代表的法学者で、左翼学者とか全体主義者に人気が高い。

Hans Kelsen 1Carl Schmitt 1Harold Laski 1










(左: ハンス・ケルゼン  / 中央: カール・シュミット /  右: ハロルド・ラスキ)

  その他に丸山が夢中になったのは、ブリテンに住んでいた政治学者のハロルド・ラスキ(Harold Laski)とドイツの政治学者ヘルマン・ヘラー(Hermann Heller)であったそうだ。(上掲書 p.135) こんな左巻きの知識人から最も影響を受けたなんて、丸山の頭の中味がどの程度なのか誰にでも解るだろう。偶然だけど、両者ともユダヤ人の左翼だ。彼らは西歐諸国でまともに相手にされないが、三流知識人が犇(ひし)めく日本の学界ではとても人気が高い。フェビアン協会と労働党を経てロンドン大学(LSE)の教授に納まったラスキは、岩波書店や法政大学出版局、ミネルヴァ書房の社会主義者には好評でも、健全な保守派知識人から見れば、あくびが出るほど退屈なマルキストである。一方、ドイツから追放されたヘルマン・ヘラーに至っては、その存在さえ知らないというのが現実だ。私的なことになるけど、筆者は教養課程を取ったときヘラーの『国家学』を読むよう「指導」されたことがある。半ば強制的なのだが、ヘラーの著書は矢鱈めったら晦渋なだけで、彼が何を主張したいのか明確に解らなかった。(明確に述べると「赤い尻尾」が丸出しになるので、左翼学者は「特殊用語」でコーティングするのを常とする。) ユダヤ人の左翼学者って、小難しい抽象語を弄(もてあそ)んで正体を煙に巻く人が多い。筆者はヘラーから得るところは無く、ただ本の値段が高かったことだけを覚えている。

Herbert Marcuse 1Max Horkheimer 1Jurgen Habermas 1










(左: ヘルベルト・マルクーゼ  / 中央: マックス・ホルクハイマー /  右: ユルゲン・ハバーマス )

  一般的に日本人は共産主義者の種類に詳しくない。「アカ」と言えば直ぐ暴力革命で政府を打倒する武闘派や、民間企業を国有化したり計画経済を推進する統制派を思い浮かべてしまう。しかし、厄介なのはフランクフルト学派のような良心的知識人を装った詐欺師タイプだ。丸山眞男はこの第三番目の共産主義者に属する。表面上、丸山は穏健な大学教授をカバーとし、滅多にその尻尾を現さず、いかにも善人ぶって民衆の幸福を第一に考える振りをしていた。しかし、その正体は、フランクフルト学派のユダヤ人ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)やマックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)、ユルゲン・ハバーマス(Jürgen Habermas)などと同じ類いである。丸山の愛読書を調べてみれば分かるが、この隠れマルキストが好んだのは『イデオロギーとユートピア』を著したカール・マンハイム(Karl Mannheim)とか、ハンガリーのユダヤ人マルキストたるジェルジ・ルカーチ(György Lukács)が書いた『歴史と感泣意識』、そしてスターリンの『レーニン主義の諸問題』である。(日本の学者はマンハイムを「ハンガリー人の父とドイツ人の母から生まれた知識人」と紹介するだけだが、父のグスタフと母のローザは共にユダヤ人である。書類上の「国籍」より、血統上の「種族」の方が重要なのに、日本の学者はそれを隠そうとするから悪質だ。たぶん、「伝えない自由」が「学問の自由」に含まれるからだろう。)

Karl Mannheim 1Georg Lukacs 1Joseph_stalin 1










(左: カール・マンハイム  / 中央: ジェルジ・ルカーチ /  右: スターリン)

  大学という場所は教育・研究機関という役目を果たしているが、その一方、民間で使い物にならないダメ人間や社会不適合者、精神異常者、屁理屈屋、半端者を収容する隔離施設の側面を持っている。ところが、こうした象牙の塔では赤い知識人が繁殖してしまうから厄介だ。民間企業に勤めれば即座に解雇されるような人物や、実績が雀の涙ほどの者でも出世ができるし、まんまと教授になれば高額な給料と恩給が保障されてしまうのだ。紅生姜みたいな蠟山政道や南原繁に育てられた丸山は、東大に居坐って赤い弟子の育成に励んでいた。何処の国でも同じだが、左翼が繁殖してしまうのは、国民が悪党にも学問の自由を認め、それを赤色分子が利用して後継者の製造に励んでいるからだ。深紅の教授が出来損ないの学生を育成し、その者が目出度く助教授になると、さらなる学生をリクルートする。そうした孫弟子も講師から教授に出世すると、かつて世話になった師匠の本を絶賛し、次世代の若者を物色しようとするから悪循環が途絶えない。こうして左翼細胞はネズミ算式に増えて行く。左翼は独立不羈の精神を持って暮らすことができない。したがって、他人の銭を吸収しながら社会に害毒を巻き散らかすしか能が無いのである。各役所に共産党や社会党の手下が就職するのも同じ論理だ。「男女平等参画社会」の実現に取り組む役人が元気なのは、税金という肥料が栄養源になっているからだろう。

  丸山は教え子をヨイショして赤い細胞を政官財に送り込もうとした。東大法学部は官僚製造機関だから、東大生をこっそりとマルキスト的にしてしまえば、国家改造がしやすくなると踏んだのだろう。彼は戦前の日本を「ファシズム国家」と罵り、我々を暗い牢獄で抑圧された囚人のように描いていた。そして、日本を怖ろしいファシズムに導いた中間層、すなわち小市民階級を二つに分類したのである。第一の中間階級とは、小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売り商店の店主、大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学校教員、殊に小学校・青年学校の教員、村役場の吏員、その他一般の下級官吏、僧侶、神官、というような社会層である。(丸山眞男 『増補版 現代政治の思想と行動』 未来社 1964年 p.63) 第二の類型は、都市におけるサラリーマン階級、いわゆる文化人乃至ジャーナリスト、その他自由知識人職業者(教授とか弁護士とか)、及び学生層であるらしい。さらに、丸山は学生層も「第一」と「第二」の二種類に分けていた。もちろん、東大生は「第二類型」に入る。

  爬虫類のような冷酷さを見せる丸山は、第一の類型がファシズムの基盤である、と喝破した。第二のグループを「本来のインテリゲンチャ」と呼び、第一のグループを「疑似インテリゲンチャ」ないし「亜インテリゲンチャ」と見下していたのである。丸山によれば、いわゆる「国民の声」を作るのは、この「亜インテリ階級」であるらしい。まことに“イヤらしい”区別だ。丸山は自分が生まれた家庭と自分が学んだ学校、自分の教え子を「高級」で「良質」な階級と規定し、自分より「格下」の身分に属する庶民を足蹴りにしたのである。世間のオッちゃんオバちゃんは勉強ができなかったことを恥じて、「有名な東大の先生だから優秀なんだろう」と思ってしまうが、こんな推測は幻想だ。確かに、物理学者や数学者は優秀かも知れないが、それは客観的評価と国際競争に晒されているからである。外科医の評価はもっと厳しく、いくら肩書きが凄くても手術の失敗率が高いと、素人の庶民でもその手腕を訝しむ。一般人は他人の手術なら平気だが、自分の命が懸かっていると真剣に考えてしまうものだ。特に、内輪で看護婦さんの評判が悪い医者は「要注意」となる。

  しかし、法学や政治学、社会学、経済学の教授たちは、ガラパゴス島に棲息する珍獣でしかない。西歐諸国の一流学者は、特殊言語(日本語)で書かれた論文を読まないし、英語に翻訳されることもないから気に留めないのだ。とりわけ、各大学が発行する『紀要』は無能学者のために存在する雑誌で、誰も読まないから図書館の奥で埃(ほこり)を被っている。“これ”といった業績の無い教授にしたら、『紀要』の雑文でも“誇り”なんだろうけど、他人が見ればインクで汚れた紙切れに過ぎない。ちり紙交換のガラクタ屋でも引き取らない「紙屑の束」である。彼らは話をしたって面白くないから、誰も講演会のゲストに呼ぼうとはしないし、妬みや僻みが強いから人間的に魅力が無い。ただし、学内政治とか人事の根回しは得意だ。翻って、もし一般人がお金を払って講演を聴くとしたから、岡野工業の岡野雅行社長のような苦労人の方がいい。思わず膝を叩きたくなるような説得力がある。経済の話だって、売国奴の竹中平蔵なんかより、株の神様と崇められた是川銀蔵さんのような相場師に人気が集まるはずだ。(他人のゼニではなく自分のお金を運用する人は、投資の「指南役」選びに真剣なので。)

日本国民を分断する悪魔

谷沢永一2(左  / 谷沢永一 )
  かつて、故・谷沢永一先生は丸山眞男を批判する『悪魔の思想』を執筆し、その中で、なぜ丸山が「国民の中間層」を憎んだかに言及した。谷沢先生はこの中間層が社会的に有力者だったから、嫉妬したのだろうと推測していた。(『悪魔の思想』 クレスト社 平成8年 p.98) しかし、丸山の回顧談を読むと、もっとドロドロとした個人的恨みが根底にあったように思われる。つまり、前編で述べたように、特高に検挙され、怖ろしい留置所に勾留されたうえ、いつまでも監視対象となっていたことだ。もちろん、軍隊で二等兵だったから、理不尽なしごきやビンタ、嫌な雑役、臭い便所の掃除などといった忌まわしい体験も重なっていると思う。秀才の丸山が軍隊に入れば最下層の兵卒にされ、自由な読書生活を送っていただけなのに、警察からは終始「赤色分子」と目を附けられていたんだから、戦前の日本社会に恨み骨髄でも当然だ。彼はスターリンのソ連が大好きなのに、ドイツや日本のファシズムだけを非難するなんておかしい。しかも、我が国の「フアシズム」が如何なるものなのか、全く定義せず、ただ「ファショ」と呼んで嫌悪するだけだった。たぶん、個人的恨みが露見することを恐れたのだろう。

  左翼知識人は丸山の皇室観について率直に語らないが、丸山は密かに皇室を侮蔑していたはずだ。丸山は大学二年生の時、尾崎咢堂の講演会を聞きに行き、咢堂のある発言に衝撃を受けたという。咢堂曰く、

  われわれの私有財産は、天皇陛下といえども、法律によらずしては一指も触れさせたもうことはできない。これが大日本帝國憲法の主旨だ。

Ozaki 1(左  /  尾崎咢堂)
  丸山は「目からウロコが落ちる思い」をしたという。(『回顧談』 p.170) 彼は「社会主義の洗礼」を受けていたから、何となく私有財産というのが「悪」と思っていたそうだ。しかし、丸山が感銘を受けたのは私有財産の神聖さではない。天皇陛下でも国民の財産を勝手に取り上げることができない、つまり天皇より国民の方が「上」なんだと教えられたのだ。今まで国家の絶対者と思われていた天皇陛下が、国民が持つ飴玉や自転車すら奪う事ができないのだ。もっとも、天皇陛下が他人の財産を掠奪する暴君であったことは一度もないのだが、周りの大人たちが崇める天子様が法律に拘束されるなんて衝撃的である。憲法学者がよく「国民主権」を謳うのは、「俺たちの方が天皇より偉いんだ」と言いたいからだ。天皇は国民、より詳しく言えば知識人の「下僕」というのが、左翼の共通認識なのである。

  丸山が「民主主義」を矢鱈と称讃していたのは、知識人たる丸山たちが社会の頂点に立ちたかったからだろう。民衆は無知蒙昧の群れだから、教養人たる丸山が「正しい方向(共産主義)」に導いてやらねばならない。そして、彼らは絶対口にしないが、ソ連の占領軍を迎えるのは、スターリンを称讃してきた「進歩的知識人」との自負がある。アホらしい夢だが、彼らはロシア人から褒めてもらい、ソヴィエト日本地区の支店長になりたかったのだ。ちょうど、金日成が北鮮の代官に指名されたように。

  東大でぬくぬくと暮らしていた丸山は、殊さら知識人という身分を自慢していた。彼の見解によると、知識人というのは自分の階級を超えて、他の階級の立場を理解できるという。(『回顧談』 p.238) へぇぇぇ~、随分と偉いもんだ。天界に君臨する神様にでもなったつもりなんだろう。丸山は「民主主義」を商売にしながら、灯台のてっぺんから下界を見下ろして、愚民に説教を垂れていた訳だ。だが、この学者先生はマルクス主義の洗礼を経て、南原門下になったらしいから(上掲書p.251)、義理と人情で生きる庶民とはだいぶ感覚が違っている。丸山はあの尾崎秀実を「マルクス主義の教養を受けた最も良質な分子」と評していたのだ。(上掲書 p.250) (高齢者の方は椅子から転げ落ちないように注意して下さい。) いくらなんでも、それはないだろう。「おい、正気か?」と尋ねたくなるほどの見解である。こんな学者が名物教授だったとは、東京大学には教員の精密検査が無いのか? まぁ、教養の無い姜尚中が「朝鮮人枠」で教養学部の教授になれたくらいだから、旋毛(つむじ)が左巻きならOKなんだろう。でも、こうした心配も今では無用だ。東大には多くの支那人留学生が集まり、丸山より有害な存在となっているんだから。いずれは支那系総長だって選出されるだろう。もしかしたら、支那系総理が誕生して、日本共産党を傘下に置くかも知れないぞ。その時は、日系共産党員が反共パルチザンになる番だ。怯えた彼らが「北京の共産党を打倒せよ!」と叫びだしたら、案外乙(おつ)なものかもね。




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丸山眞男の奥底にある憎悪 (Part 1)反日の源泉を辿る

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学歴崇拝の日本人

  現在の大学生で丸山眞男の著書を読む者少なくなったが、戦後から昭和の末くらいまでは絶大な影響力を持つ「進歩的知識人」の代表格だった。何しろ、東京帝國大学の著名な政治学者ときているから、岩波書店の『世界』はもちろんのこと、朝日新聞から中小の左翼機関誌に至るまで、丸山の言説をご神託のように崇めていた。今ではピンと来ないかも知れないが、当時は日本随一のオピニオン・リーダーと持て囃されていたのである。(もっとも、それは左翼学界とマスコミ業界に限られていたけど。) しかし現在、「進歩的知識人」といったら死語も同然で「生きている化石」だ。たぶん作家の大江健三郎などが“ヨボヨボ”の“残りカス”といったところだろう。

  今回、この忘れ去られた知識人を取り上げたのは、なぜマスコミ業界人はこうも「左巻き」なのかを考えたかったからである。ここ数ヶ月、各テレビ局による執拗な安倍政権攻撃は、マスコミ一般に横たわる保守派嫌いに基づくようだが、とりわけ憲法改正の阻止に真の狙いがあるようだ。(安倍氏が本当の「保守派」かどうかは別問題。) 産経新聞寄りの保守派国民は、安倍首相による憲法改正に期待を寄せているらしいが、筆者はマッカーサー憲法廃止論者なので、安倍首相の憲法改正には与しない。なぜなら、我々日本人が今の憲法を「改正」をするということは、マッカーサー将軍の権威と戦勝国の正義を認めた上での「修正」になるので、アメリカ人の「仕置き」に正統性を与えることになる。我が国にとって正統な憲法とは、明治の元勲が脳漿を絞って創り上げた「大日本帝國憲法」であって、真っ赤なニューディーラーが拵(こしら)えた懲罰文ではない。

  一方、マスコミ各社が憲法改正に反対するのは、左翼知識人による罪悪史観の刷り込みと、外人工作員の誘導に従っているからだろう。論ずるのも馬鹿らしいが、日本のマスコミ業界人は現憲法を改正すると自衛隊が武力攻撃を行えるようになり、戦前のような「軍国主義」が復活し、アジア大陸の支配に乗り出すと考えている。(しかし、マスコミはその「軍国主義」が具体的に何を指すのか明らかにしない。というのも、言葉だけで「実態」が無いからだ。) いくらなんでも、自衛隊が軍隊に昇格すると侵掠戦争を始める、なんて発想は余りにも短絡過ぎるだろう。いったい、我が国が支那や朝鮮、東南アジアを征服して何のメリットがあるんだ? 十数億もいる狡猾な支那人と反日が生き甲斐の朝鮮人なんか、宝石や商品券を貰っても引き取るのは御免である。たとえ、楽天やソフトバンクが「今ならポイント100倍 !」と謳っても絶対に嫌だ。それなら、処分寸前の可哀想な犬や猫を引き取りたい。アジア人を大好きなNHKやTBSの社員と違って、一般の日本人はアジア人と距離を置きたいのである。結局のところ、大学や高校で赤いクルクル・パーにされた新聞社員ならびにテレビ局員は、日本が“一人前”の軍隊を持つことに反対なのだろう。
    
  話を元に戻す。色々な裏事情もあったのだろうが、なぜ丸山眞男が「人気者」であったのか? その理由の一つとして挙げられるのは、有名大学の教授だったからである。とにかく、日本人は「格付け」に弱い。全国にある大学を偏差値や難易度で測ってランク付けし、上から順に眺めて胸をときめかせ、「ああぁ~、私もあの大学に入れたらなぁ~」と溜息をついたりして、希望校に合格した者やそこの卒業生に畏敬の念を抱く。例えば、慶應義塾大を希望していたのに、早稲田大学にしか入れなかった新聞記者や、慶應に入ったが本当は東大生になりたかった評論家など、実力よりも出身校を気にする者が多い。しかし、大抵の日本人は肝心な事、つまり、学生が大学で何を学ぶのか、どう自分なりに考えるのか、誰に教えてもらっているのか、には興味が無い。つまり、入学してから4年間、どの教授について勉強するのかに無頓着なのだ。極端なことを言えば、有名大学に入ってお尻に焼き印(ブランド)を押して貰えばいいだけで、頭に何を詰め込んだかは問題にしない傾向が強い。したがって、日本では卒業証書が能力証明書というより、「ちゃんと授業料を納めました !」という「領収書」になっている。だって、会社の採用面接で、卒業論文のクォリティーについて質問を受けないじゃないか。

  一般的に日本人は勉強好きだから、よく新聞や雑誌を読んで世の動向に追いつきたいと考え、テレビの報道番組を観て海外情報などを知りたがる。ただし、自分の乏しい知識と判断力を弁えているので、新聞やテレビによる報道だけでは心許ない。そこで、もっと詳しい事情を知りたい、あるいは難しい社会問題を解りやすく説明して欲しい、と望むから、有名大学の教授や専門知識を持つ評論家の意見を拝聴する。ところが、その解説者の素性が問題なのだ。日本国民は一般的に猜疑心が薄く、矢鱈と「権威」に弱い。専門家だから「正しい判断力を持っている」とか「有名大学の学者さんだから正しい」と思ってしまうのだ。でも、どんな考えの人物なのかよく判らないのに、ただ肩書きのみでその言説を信じるのは、詐欺師に引っ掛かった愚かな被害者と変わらないじゃないか。したがって、テレビ番組にちょくちょく登場するから「偉い」と思い込むのは危険で、その「専門家」が如何なる思想の持ち主なのか吟味せねばならない。こういう訳で、丸山眞男を例に取ることは無駄ではないのだ。

早熟な子供時代

Maruyama 1( 左  /  丸山眞男)
  丸山眞男は1914年(大正13年)に大阪で生まれたが、1921年に東京の四谷に引っ越したから、関西人というより東京人である。父親の丸山幹治(かんじ)は大阪毎日新聞に勤めていたジャーナリストで、本格的な評伝と言える『副島種臣伯』を執筆したことで有名だ。(昔、筆者は眞男の学術書を読んで「時間の無駄」と思ったが、親爺の方は読んで損の無い本である。) 眞男の兄、鐵雄はNHK社員を経て音楽評論家となり、弟の邦男は評論家となったが凡庸だった。一応、兄弟三人揃って知識人となったが、丸山家では両親が対照的である。武家の出である母親のセイが教育熱心なのに対し、父親の幹治は学校なんかどうでもいいといった考えを持っていたそうだ。(『丸山眞男 回顧談』上巻、松沢弘陽・植手通有/ 編、岩波書店 2006年 p.19) おそらく、普通の新聞記者と違って、筆一本で生きて行ける自信があったからだろう。今の新聞記者は単なる「新聞社の従業員」であり、工務店の社員が職人気質の大工じゃないのと同様に、独立して持論を述べるジャーナリストではない。ただし、その中身は一緒のようで、「羽織りゴロ」が「背広ゴロ」に替わっただけである。(註 / 昔の新聞記者は他人の醜聞をネタに脅しをかけたから、「ゴロツキ」と見なされていたそうだ。)

  世間の評価はともかく、未来の左翼学者は進学コースを辿った。四谷第一小学校を卒業した眞男は第一希望の武蔵高校を受験するが、面接で余計な発言をして落とされてしまい、大正15年、東京府立第一中学校に進むことになる。この「一中」は田舎の学校と比べると羨ましい限りで、とりわけ英語教育に重点を置いていた。なんと特別教員としてアメリカ人のマベル・ガッピー(Mabel Guppy)と、イギリス人教師のジョージ・グラント(George H.  Grant)を雇っていたそうだ。この時代に西歐人の教師を擁している中学校なんて滅多に無かったはずで、これなら東京の進学校に通っていた子供がちょっと生意気になるのも当然だし、何らかの特権意識や自尊心を持っていたのも不思議ではない。

  後に東大生を褒めちぎる丸山眞男には、学歴に対する個人的な感情があったようで、それは父親への反撥と軽い嘲りに由来すると考えられる。中学四年の時、眞男少年は一高を受験するが失敗し、父親から「浪人は許さぬ」と警告を受けていたので、五年生の時に一高と滑り止めの成城高校を受け、ほどなく一高に合格したからひと安心。父親の幹治は学歴崇拝が嫌いだったようで、毎日新聞にも一高出身者がいるが大した奴はいない、と冷淡に語っていたそうだ。しかし、息子の眞男は父の本心を読み取っていた。確かに、名門校を出たからといって一流の記者とか社員になれる訳ではないが、だからといって有名校を否定するのはおかしい。眞男は父の「屈折した心理」を解説していた。

  一高とか東大といっても、ジャーナリストとして必ずしもできるとはいえないのは当り前なんだけど、そういう意味では、親父は、口ではそう言いながら、名門校と学校秀才に対してコンプレックスがあったわけです。(上掲書p.26)

  父の幹治は、まだ早稲田大学になっていない東京専門学校を出ていたが、やはり「帝大」出身という肩書きが無いために悔しい思いをしたようだ。それでも自分は仕方ないが、息子にはそんな目に遭わせたくないということで、名門校を貶すようなことを言いながらも、きちんと学校だけは出てもらいたいと思っていた。息子の眞男によれば、この父は“リベラル”だったようで、学校さえ出れば共産主義者になろうが、何になろうが一向に構わないという考えだった。(なるほど、眞男少年には昔から隠れマルキストになる素地があった訳だ。) 大した学歴を持たぬ幹治は、息子たちに「一藝を身につけろ」と諭していたそうで、落語家の話術を尊敬していた父親は、幼い子供たちをちょくちょく「寄席」に連れて行ったという。そして息子の眞男に自慢を語っていたらしい。曰わく、

  オレに文章を書かせたら、誰にも負けない自信がある。役人なんかになって、なんとか部長とか局長といって威張っていても、辞めちゃうと目も当てられない。そのポストが偉いのであって、辞めゃうと全く意味がない。そういう人間になってはだめだ。あの高座の落語家の方がよほど偉い。(上掲書 p.27)

  これは正論である。例えば、大蔵官僚上がりで大学教授になった榊原英資は、役人時代「ミスター円」と持て囃されたが、彼の言論なんか何の価値も無かった。(理財局時代に彼が犯した記念金貨の「大失態」を覚えている国民も多いだろう。) それとは対照的に、古今亭志ん朝の落語は天下一品だった。彼が高座に坐ると、背後からオーラが出ていたし、話し始めれば立て板に水だ。魔法のような話術にうっとりするし、同じ落語なのに何度聞いても新鮮で楽しい。名人とは志ん朝師匠のような人物を指すのだろう。親爺と母ちゃんの七光りで「林家正蔵」に昇格した「こぶ平」なんかは落語家のクズである。話術よりも脱税の方が得意なんだから、ご自慢のワインセーラーで銭勘定でもしれいればいい。自分の名前だけでお客を呼べない藝人は三流以下である。

  話が脱線したので元に戻る。いくら中央官庁の高級官僚が「偉い」といっても、国家権力を背景にした人物だから皆が平伏(ひれふ)す訳で、その人格とか能力に敬服して頭を下げているのではない。残念ながら、未来のマルキスト学者にはまだ理解できなかったのだろう。えてして早熟な秀才少年は、ちょっと難しそうなフランス文学やドイツ哲学に触れると、何となく“高級な”西洋思想を体得したような気分になって、周りの一般人が愚かに見え、彼らより抜きん出た存在になったように思えてくる。田舎の平凡な子供と違って、インテリ家庭に生まれた眞男は、まだ中学生なのに家庭で政党政治や現代世相を論じたり、無産党の演説会を観に行っていたのだから、当時としては相当“ませた”少年だったのだろう。

思想犯として検挙される?!

  そんな眞男は1931年、やっと一高に入ることができた。四月、新入生として寮へ入るため、タクシーに蒲団を積み、一高正門の前からは大八車に積み替えて寮に向かったそうだ。道の両側には桜並木があって、希望校に合格した眞男少年は、天下を取った気分になったそうである。(上掲書p.54) 晩年の丸山が当時を振り返って「あの時の嬉しさは忘れられない」と語っていたくらいだから、天に昇るほどの優越感に浸っていたのだろう。

  だが、眞男の一高時代は輝かしい青春時代ではなかった。彼は二年の終わりに「唯物論研究会」の講演会を知らせるポスターが目に止まり、父の知り合いだった長谷川如是閑(はせがわ・にょぜかん)が話すというので、そこへ足を運んだそうだ。ところが、当日、会場に入ると警察官が控えており、眞男はその物々しさに驚いたという。長谷川如是閑が開会の辞を述べるや否や、現場にいた本富士署長が「中止ッ !」と声を上げ、聴衆の中に紛れていた警察官が一斉に現れたそうだ。講演会は即刻中断され、聴衆は警官が固めている出口から退出する破目になったが、怪しいと目された者は警官にしょっ引かれて行ったという。目を附けられた者の中には東大生もいたようで、運の悪いことに、一高生だった眞男もついでに検挙され、そのまま本富士署に連行されてしまった。

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(左: 長谷川如是閑  /  中央: 大塚久雄/  右: 小室直樹)

  眞男は一高生といえども、まだ子供である。留置所の体験は一生涯のトラウマとなった。捕まった眞男少年は写真を撮られ、指紋まで取られたという。看守の取り扱いも結構粗かったようで、先に留置所に入っていたある一高性は、同じ学校の眞男が入ってきたのを覗いたため、看守から酷い暴行を受け、尻から血を流していたそうだ。また、そこには一高卒で東大経済学部に合格していた戸谷敏之がいたそうで、彼は自動的に東大から追放されてしまい、釈放後、法政大学の予科に入り、大塚久雄のもとでヨーマンリーの研究をしていたという。まったく、東大には昔から共産党の細胞が多い。(東大の経済史学者だった大塚久雄は、マックス・ウェバーの著作を訳したことが一番の業績で、彼自身の著書はクズ本だった。嘘だと思えば古本屋のオヤジさん達に訊いてみればいい。商売人の評価は厳しいぞ。大学教授たちの甘い書評なんか信用できない。身内同士の褒め合いだからね。筆者も小室直樹先生の師匠ということで大塚の著作集を購入したが、どれを読んでも凡庸で退屈だった。ただし、大塚の著作集は分厚くて重いから、平積みにすれば「押し花」作りに便利。こうした使い方は「異端」かも知れないが、結構「お勧め」である。)

  とにかく、留置所の体験は初心(うぶ)な少年にとって厳しい場所だ。たった四畳半の空間に何十人も鮨詰めにされたのだから、否が応でも体がぶつかってしまう。気持ち悪いが、互いに重ならないと眠ることができない。もっと酷いことに、留置所はシラミだらけ。長くいる奴はシャツを脱いで、この怖ろしい虫を潰していたそうだが、新米の眞男には真似ができず、あちこちからシラミがたかってくる。結局、最初の夜は一睡も出来なくて、涙を流してしまったそうだ。また、そこは不逞の輩を閉じ込める留置所だから、どんな奴がいてもおかしくはない。こそ泥から独立運動の朝鮮人までいたそうだ。呆れて物も言えないが、眞男はこうした朝鮮人に感心していたという。なぜなら、朝鮮人がタフな連中だったからである。眞男の証言によると、学生への尋問(拷問)は比較的軽く、とりわけ一高性や東大生に対する拷問はキツくはなかった。ところが、朝鮮人への取り調べは相当厳しかったようで、ほぼ半殺し状態。(上掲書 p.69) 反抗的な朝鮮人は黙秘を貫き、名前すら吐かず、ただ暴行を受けて房に帰ってくる。彼らは体中に包帯を巻いていたというから、かなり剛情な奴らだ。

  朝鮮人に対するこのような拷問を耳にすれば、心優しい日本人は当時の警察を非難しがちだが、反日運動に執念を燃やす朝鮮人なんか、不逞鮮人の中でもかなり悪質な者である。拙書『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』第五章を読んでもらえば解るが、「独立運動家」といっても実質的にはゴロツキ上がりのテロリストか、暴力革命を目指す共産主義者といったところが相場だ。こんな悪党に普通の尋問は通用しないから、担当の警察官が手荒くなるのも分かる。学校と映画館と自宅といった平和な世界しか知らぬ眞男少年には、爆弾テロまで実行する朝鮮人の危険性を理解できなかったのだろう。これといった暴力を身近で体験しないインテリ家庭のボンボンは、幼稚な正義論や人道主義を振りかざすが、見えない所で警察や軍隊が国民を守っていることに気づいていないのだ。(特高の評判が悪いのは、捕まった左翼やその仲間が「悪口」を言いふらすからだ。まともな家庭の青年は、特高の厄介にはならない。よく元暴走族が「お巡り」とか「ポリ公」と馬鹿にするのは、若い時に逮捕された経験があるからだ。)

  取り調べは厳しかったというが、有罪に出来るだけの証拠も無かったので、眞男は割合早く釈放されたという。眞男は興味本位から講演会に出掛けただけで、共産党の細胞という訳ではない。ただし、携帯していた日記を取り上げられた上に、「精算書(転向した証し)」を書かされてしまった。特高の取調官は眞男の日記を読んだそうで、その中にはドストエフスキーを読んだ時の眞男が記したコメントが書かれていた。眞男は「わが信仰は懐疑の坩堝の中で鍛えられた」というドストエフスキーの言葉を引用して、「日本の国体は果たして懐疑の坩堝の中で鍛えられているであろうか」と述べていたから大変だ。取調官は「貴様 ! 君主制を否定するのか !」と激怒したらしい。まぁ、こんなコメントは生意気な秀才の感想だから、大人が一々目くじらを立てる程でもないが、「国体を変革する者」に対し敏感だった特高の側に立てば、激昂した気持ちも分かる。

  一般国民からすれば、日本の国体を破壊しようとする左翼を取り締まってくれる特高は有り難いが、世間知らずの秀才から見れば、政治弾圧を行うNKVD(ソ連の秘密警察)みたいなもので、単に反撥を覚えるだけだった。眞男は特高の取調官から「お前が読んだ本を書け」と命令されて、しぶしぶ列挙したそうだが、子供なりに気に食わない大人に意地悪をしたそうだ。彼はデボーリンの『カントとマルクス』を“ドイツ語”で書いたという。(丸山が言う「デボーリン」って、たぶんマルクス主義について書いていたAbram Moiseyevich Deborinの事だと思うけど、フル・ネームを述べていないから筆者には判らない。)  眞男は『回顧談』こう述べていた。

  これは特高には読めない。だいたい中学出ですから。彼らは、なまじちょっと教育があるから、下士官とよく似ていて、高等学校とか大学のエリートに対する憎悪感があるのですね。(p.71)

  我々はこうした丸山の見解に注目すべきである。というのも、尊敬に値する教養もこれといった学歴も有さない特高を見下す態度に、丸山眞男が抱く日本蔑視の断片が横たわっているからだ。丸山は自分をイジメた体制側の人間、つまり自分より学歴が劣るのに強大な権力を持つ者、自分より知識が無いのに地位が上の者、高度な学問に対する理解に欠ける者への侮蔑が常にあった。たかだが、左翼系の洋書を囓(かじ)っただけなのに、丸山はいっちょ前の知識人にでもなった気分に浸っていたのである。

影のように付きまとう前科

Suehiro Izutaro 1(左  /  末弘厳太郎)
  マルクス主義に心惹かれた丸山が、なぜ日本の伝統や国体を守ろうとした「右翼」を馬鹿にしたのかを示すエピソードがある。彼が大学二年生の時は、世間で国体明徴運動が頂点に達していた頃で、帝大粛正期成同盟というのが組織され、東大の法学部と経済学部に対する攻撃が激しくなっていたそうだ。こうした中、陸軍大将などが名を連ねる右翼団体が東大に押しかけてきて、末弘厳太郎(すえひろ・いずたろう)の講義が中止になったという。(皆様ご存じ、この法学部教授は「民法のガンちゃん」で、著書『嘘の効用』は今でも読み継がれている。) 羽織袴でステッキを持った連中が、末弘氏に辞職勧告書を渡すべく、法学部の学部長室にやって来たそうで、この時、彼らと学生たちの間で問答が始まったそうだ。羽織袴の一人が、「次は何の時間だ?」と訊くので、学生が「債権です」と答えると、「債権? なんだ民法じゃないのか?」と聞き返したので、学生たちがどっと笑ったらしい。そして、怯えていた学生たちは、「な~んだ、右翼というのはあの程度なんだな」と見下したそうだ。

  確かに、この右翼連中は大学で教養を身につけた者ではない。多分、彼らが思う民法には親族法とか相続法しかなく、物権や債権という項目が抜け落ちていたのだろう。大抵の右翼活動家は漢籍を学んで、倫理道徳について云々するばかりで、細々とした専門知識を避ける傾向が強い。だから、受験勉強が得意な秀才たちに馬鹿にされるのだろう。丸山は右翼たちについてこう述べている。

  普通の学生は反ファショでもなんでもないが、その学生のなかへ当時の時局的な思想が浸透しなかった一つの原因は、右翼の程度が低かったということもあると思うのです。(上掲書 p.186)

  大学で左翼思想に傾倒する学生は、カントやヘーゲルといった哲学者が用いる高度な概念や難解な用語に魅了されている場合が多い。例えば、授業で「主観的不変妥当性(subjektive Allgemeingültigkeit)」とか「合目的性(Zweckmässigkeit)」、「経験的思惟一般の要請(Postulate des empirischen Denken überhaupt)」なんて聞くと、高級な学問に触れたようで、自分をドイツ人の知識人と重ねてしまうし、一般人が理解できないことを習得したという「矜持(プライド)」も生まれてくる。でも、日本語に訳すると難しいドイツの哲学用語でも、ドイツ人にとったら左程難しくもない場合があるから、一知半解で有頂天になるのはみっともない。ところが、人生経験が乏しく、戦場体験も無い頭でっかちの青年だと、日本の庶民が持つ素朴な感情や思想が「低級」に思えてしまうのだろう。特に、漢籍は精神修養ばかり説くから、これに飽き飽きした青年が西歐の合理性や知的探究心に魅了されるのも判る気がする。実際、支那は停滞した老大国で、西歐は活気のある先進国だったから尚更だ。

  話を戻すと、丸山は敗戦になるまで、「思想犯」としての「前科」をずっと引き摺っていたそうだ。彼が大学を卒業してからも、検挙された「過去」は影のように付きまとい、年に一度行われる「簡閲点呼」でも屈辱を味わっていた。この「点呼」は徴兵を終わった人にかけられる召集であるが、このとき丸山だけが解散してから居残りを命じられたそうだ。点呼の司令官が訓示を終えた後、「ここに丸山ダンシンというのがいるのか。いたら手を挙げろ !」と声を張り上げ、みんなが解散した後、憲兵と特高が近寄ってきて丸山を尋問したそうだ。彼らは「お前、このごろ、どんなものを読んでいたんだ」と尋ねたらしい。(p.73) 当時、丸山は大学で助手になっていたから官吏の端くれであった。普段なら、もう少し丁寧な言葉遣いになるはずだが、「簡閲点呼」の時だけは「兵隊」になってしまうから、丸山が述べていた「大元帥陛下の統率権」に入ってしまうのだ。ぶっきらぼうな質問に内心ふて腐れるが、兵卒の身分に落とされた丸山は耐えるしかない。こうした昔話を聞くと、彼が如何に大元帥たる天皇陛下とその権威を笠に着た軍人を憎んでいたかが判る。丸山が殊さら戦前の日本を「軍国主義だ」「ファシズム国家だ」「非民主的だ」と散々罵っていたのは、一般国民がこうした国家体制を支えていたからで、想い出したくもない苦々しい過去は丸山の精神に重くのしかかっていたのだ。左翼の「社会正義」って、案外個人的な「恨み」が動機だったりするから、我々は騙されないよう褌(ふんどし)を締め直さねばならない。といっても、これは男子の場合で、女性のかたは「女の直感」を頼りにしてね。

  次回に続く。
  


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