無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

アジア論

フィリピン人を引き入れる悪徳慈善家 / フィリピン人の値段

慈善は他人の為なにず

  慈善家は一つ間違えば偽善家になる。大金持ちが慈善活動をするのであれば、自分のお金だけを使えば良いのであって、他人に迷惑をかけたり、公共の利益を損ねることは慎むべきだ。日本財団を率いる笹川陽平は、確かに医療や福祉の面で良いことをしているが、その中に反日行為を混ぜるからタチが悪い。彼が財団のお金を外国人に注ぎ込むのは勝手だが、日本国籍をフィリピン人に与えようとする意図には、何か邪悪な思想が紛れているように思えてしまう。

  2015年4月17日附産経新聞の『正論』欄で、笹川氏は「比残留2世の『国籍取得』を急げ」というコラムを投稿した。戦争中、日本の軍人や軍属の国民がフィリピンに渡った時、現地の女性との間にもうけたのがフィリピン2世である。笹川氏はこの日比混血児が貧乏生活しているから、日本国籍を与えてやれという言いたいのであろう。多くの混血児が「敵国の子供」とみなされ、ゲリラによる襲撃を受けたから、父親を証明する書類を持たないという。フィリピンでは父系血統主義だから国籍が取れないらしい。それなら、笹川氏はフィリピン政府に日比混血児にフィリピン国籍を授与するよう求めれば良いではないか。彼らの生活基盤はフィリピンにあるし、日本語だって理解できない者が多いだろう。日本に移住して普通の生活などできまい。それでも日本国籍を欲しいのは、豊かな生活と何らかの補助金が目当てなのだろう。父親が日本人という大義を掲げて、日本に移住したいのではないか? もし、日比2世が国籍を取得したら、彼らの家族、すなわち配偶者、兄弟、子供、孫も日本に移住できるだろう。これを「連鎖移民(chain migration)」というが、先進国はこうした大量移民に悩んでいる。一人が国籍を取得すると、次々と家族や親戚が移住してくるのだ。

  笹川氏は「敵国人の子」と見なされた日比混血児の境遇に同情している。しかし、戦後になっても迫害したのはフィリピン人だし、この哀れなフィリピン人を無視してきたのはフィリピン政府だ。フィリピン人は日本からの経済援助をもらっていたが、一体いくら日比混血児の為に使ったのか、笹川氏は提示すべきである。フィリピン政府は戦争中の状態を承知していたのだから、戦争終結をもって戦争孤児の面倒を見るべきだったのではないか? しかも、母親がフィリピン人と判明している日比混血児に、フィリピン国籍を与えても問題ないはずだ。日本人とセックスして妊娠したからといって、フィリピン人と認めなかったのは、その混血児たちに何ら価値が無かったからだろう。フィリピン政府には同胞意識が薄く、特に貧乏な土人に対して冷たい。スペインかアメリカの血を引く者が上流階級に多く、南方黒人の子孫たるフィリピン人を見下している。支那系フィリピン人も、タガログ族などの原住民をよそ者扱いしているのだ。しかし、フィリピン人同士が互いに侮蔑し合うことは彼らの勝手だし、フィリピン国内での身分差別だって日本人の知ったことではない。フィリピン政府が日比混血児を蔑ろにしたからとて、我々が引き取って面倒をみてやる必要はないだろう。

  日本国民の中には、父親が日本人なのだから、日本国籍を与えるべきだ、という意見の人物もいるだろう。しかし、戦後日比混血児を父親が引き取らなかったのは、何も子供の存在を知らなかっただけではなかろう。確かに、戦死したり行方不明になった日本人もいたから、父親が引き取れなかったケースもある。それなら、日本にいる戦歿者の遺族が引き取っただろうか? 彼らの両親や弟あるいは妹が、フィリピンにまで行ってその混血児を家族にしたとは思えない。また、フィリピンで日本の将兵をBC級戦犯として処刑してしまった、アメリカ軍の責任はどうなるのか? 笹川氏はアメリカ政府に、混血児の父親を殺した罪を咎めて、賠償金を求めようとするのか? それに、日本兵の何人かは、悪意あるフィリピン人証言者のせいで死刑になった。こうしたフィリピン側の罪も、笹川氏は糾弾したのか? 戦争中、フィリピン女とセックスしたが、戦後帰国した日本人は、別の女性と結婚して家庭を築いてしまったから、フィリピンにいるかも知れない自分の子供を見捨てたのではないか? 戦後のどさくさが片付いて、高度成長期に入ったのに、フィリピンの子供を探しに行かったのはなぜか? また、日本政府に懇願して、フィリピン政府と交渉してくれ、と要求したのか? 何人が田中角栄のような有力者に請願したのだろう? 言いづらいことだが、日本人の父親たちはフィリピン人との子供など、どうでもよかったのではないか、と推測したくなる。

  どの時代の戦争でも悲惨な出来事が起こるものだ。もし、大東亜戦争がなかったら、日本兵がフィリピン人女とセックスして子供を作ることはなかったろう。そもそも、戦前の一般男性にフィリピン人と結婚するという発想は無かった。戦争になって、明日をも知れぬ命だから、性欲が湧いて現地女とセックスしたのだろう。中には、女郎買い気分で、フィリピン女を抱いた者もいたはずだ。フィリピン女には気軽に外人とセックスする者が多い。それに、当時の日本人で、フィリピンの素人娘や売春婦とセックスしたから、嫁にするため故郷の両親に紹介しようとは思わなかったろう。フィリピン土人やフィリピン系華僑の女を、田舎に住む家族のもとへ連れて行き、跡継ぎを産む婚約者です、と紹介できたのか? まず、両親が反対するだろう。日比混血児の孫など嫌だ、と言われたら勘当覚悟で結婚するとも思えない。当時は親孝行が現在よりも濃厚だった。しかも、言葉や風習が違う日本で、フィリピン妻が暮らすとなれば大変だ。顔つきの違う混血児が日本の田舎でいじめられたり、肩身の狭い思いをすることは、父たる日本人がよく判っている。日本人男性の多くは混血児が居ると推測しても、敢えてフィリピンに行って捜索せず、そのまま黙殺しようとしたのではないか?

  笹川陽平は父の良一と同じくアジア主義者で、何かとアジア人を日本に引きずり込もうとする。たとえば、笹川氏は日本財団を使って、自衛官と支那軍人の交流を促進していた。これは危険なイベントで、自衛官を支那人に紹介することで、支那軍人に自衛官を取り込むチャンスを提供するようなものだ。支那人は自衛官と面識を持ち、自衛官に擦り寄ろうとする。「同じ軍人として」とか「貴国の自衛隊は素晴らしい」などとお世辞を言いながら、自衛官の自尊心をくすぐり、彼らの弱点を探そうとする。自衛官も人間だから、私生活では何らかの悩みを持つ。恋人に困っているようなら、それとなく女を用意して、偶然の出遭いを演出することだってあるだろう。笹川氏が日支交流促進を開催する真の目的は何なのか? 個人としては無防備の自衛官に、陰謀の天才支那人を接近させる笹川氏に、一体どんな利益があるのか、ぜひ知りたい。

  笹川氏が日比混血児2世に日本国籍を与えようとするのは、彼が救世主願望を持っているからではないか? これは慈善家に多く見られる特徴で、後進国の貧民を助けることで、自分が神様みたいな存在に思えてしまう。救世主になった快感は最高だ。権力を持つ大富豪が悲惨な国に行き、貧乏な子供や病人から感謝されると、自国では味わったことのない恍惚感が得られる。これが堪らないのだ。お金持ちだから、気前よく物や金をばらまいても平気だし、場合によっては、自国政府に働きかけて、国際援助まで引き出してしまう。だから、日本国籍など無料だから日比混血児に呉れてやれ、という考えになる。日本の先人が苦労して守った子孫への遺産とは考えない。日本国籍を欲しがるフィリピン人だって、歴史的共同体の一員として日本国民になるのではなく、福祉が充実した金満国家へのパスポートが手に入る、といった計算がその動機だろう。憧れの日本だから良いのだ。南鮮国籍なら要らない。朝鮮人とセックスして混血児を産んだからといって、捨てられたフィリピン人親子は南鮮に住みたいとは思わないだろう。あんな酷い国なら、フィリピンの方がマシである。一見すると左翼に思えない笹川氏は、保守系新聞の産経に登場するが、朝日・毎日新聞の専属コラムニストになってもおかしくない人物である。

日本人の勝手なフィリピン像

  フィリピンの特産品は売春婦と召使いと言われるくらい、国家として「アカンタレ」の部類に入る。外国から援助を受けているのに、いつまで経ってもどうしようもない国とは情けない。大東亜戦争の時に、日本人は大東亜会議を開いて、西欧列強の支配からアジア諸国を解放してやろう、と唱えたが大きなお世話だった。フィリピン人は日本の支配など望んでいなかったのだ。日本人より“高級な”アメリカ人による支配の方を好んだという。山本書店の経営者だった山本七平(やまもと・しちへい)少尉は、戦争中フィリピンへ派遣されて、日本軍の欠点をつぶさに観察していた。そして戦後、山本氏は日本人の勝手な思い込みを批判したことがある。当時の日本人は自分が東亜解放の盟主だから、相手は双手をあげて自分を歓迎してくれて、あらゆる便宜をはかり、全面的に協力してくれるに決まっている、と考えていたようだ。(山本七平 『日本はなぜ敗れるの』 角川書店 2004年 p.125) フィリピンに到着した山本少尉は、東亜解放を口にしていた日本人の実態を語っている。彼は朝から晩までフィリピン人への悪口を聞かされていたそうだ。「アジア人の自覚がない」「国家意識がない」「大義親を滅ぼすなどという考えは彼らに皆無だ」「米英崇拝が骨の髄までしみこんでいる」「利己的」「勤労意欲は皆無」「彼らはプライドだけ高い」等々。(p.148) アジア主義を掲げる当時の日本人は、フィリピン人にも独自の考え方があり、歴史的経緯もあるのだから、共に話し合って共通項を模索しようという意識が無かったらしい。したがって、一切の対話は無く、「文化的無条件降伏」をフィリピン人に強いたと言うのが実情だった。

  フィリピン人は誰かに支配されていることが普通だし、そもそも自治能力があるのか疑問だし、あったとしてもかなり低いのではないか。同じフィリピン国民なのに、スペイン系と支那・華僑系、マレー系、原住民系で分裂し、国民的絆というのもはない。だから、貧民階級は半永久的に下層のままである。日本にセミ売春婦としてやって来たフィリピン女は、日本人との自由セックスや姦通を行い妊娠するケースが多い。フィリピンには、恋人や亭主に捨てられたまま私生児をかかえる母子家庭や、実家に戻って酌婦をしながら子供を育てる女性がたくさんいる。父親のいない家庭でも恥ずかしくないのは、フィリピン男性に古代ローマの才幹(virtues)や日本の武士道に当たる美徳がないからだ。不甲斐ないフィリピン男に対する、フィリピン女の愚痴はよく聞くから、フィリピンには「男らしい」男性が少ないのだろう。騎士道精神が発生しなかったフィリピンでは、立派な躾をする家庭が理想とされることはなかった。 在日フィリピン人には、子供をダシにして日本に永住しようとする女がいっぱい居るし、補助金をもらいながら生活することを恥ずかしいとは思わない。日本国籍を持つ日比混血児は、「お前のかあちゃんは裸踊りが得意」と他人からからかわれたらどんな気持ちになるのか? しかも、自分の母親の祖国は、国民を蔑ろにする三流国家で、家内奴隷と淫売とバナナの輸出で成り立つと分かれば、とてもお国自慢などできない。鏡に映った自分の顔を眺めると、南方土人の面影があったりする。縮れ毛の髪を毎日梳かしながら、自分の体に流れるフィリピン人の遺伝子を意識するのだ。それでも、スペイン人の血が僅かでも流れていれば、ちょっとは嬉しいかも知れない。

  こんなフィリピンを併合したアメリカ人ではあるが、最初からフィリピン支配を望んだわけではなかった。当時は、アメリカ国内でも植民地化について、議員が賛否で分かれていたのだ。今だと、アメリカ人の大半が、フィリピンの領有があったことさえ知らない。在比米軍基地の存在は知っていても、その経緯は学校で具体的に教えていないのだ。日本人の朝鮮統治を非難するアメリカ人でも、合衆国のフィリピン統治については無知という者が多いから呆れてしまう。

戦争を煽るイエロー・ペーパー

  アメリカ人は自分を棚に上げて、他人を非難することが三度の飯より好きだ。地理的に近いからキューバに対する、スペインの厳しい支配が気になったらしい。キューバ人がスペイン統治に謀反を企てたので、スペイン政府は容赦ない鎮圧を行った。しかも、強制収容所に入れられた囚人の扱いが酷かったという。ちょっと聞けば、残酷なようだが、キューバ人の性質を分かっている者にとったら、こんなの当然である。甘い処罰は再度の叛乱を招くからだ。しかし、その窮状をウィリアム・ランドルフ・ハースト(William Randolf Hearst)やジョゼフ・ピュリッツァー(Joseph Pulitzer)の赤新聞が大々的に書き立てた。(サムエル・モリソン 『アメリカの歴史』 第4巻 西川正身 訳 1997年 p.240) 当時、スキャンダルを争って記事にし、売上げを伸ばそうとしたメディアを人々は、「イエロー・ジャーナリズム」と呼んでいた。日本人もよく知っているだろう。元々新聞記者など昔は「羽織ゴロ」と呼ばれていたくらいで、社会的に蔑まれていたから、ロクな連中ではない。驚いたことに、ハーストやピュリッツァーは世間の注目を集めるためなら嘘でもついた。


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  (左:ウィリアム・ランドルフ・ハースト/中央:ジョセフ・ピュリッツァー/右メイン号)

  ハーストやピュリッツァーは対スペイン戦争の気運を盛り上げるために、キューバ人にとって不都合な事は黙殺したが、スペインにとって不利になることは誇張して伝えたのである。たとえば、キューバ人叛乱軍に、マキシモ・ゴメス(Máxmo Gómez)というドミニカ生まれの頭目がいたが、こいつはキューバの民衆に対して残虐行為を繰り返していた。スペイン人を経済的に困らせて追い払うため、島のあちこちに放火して、サトウキビ畑を焼き払ったのである。ゴメスに協力することを拒んだキューバ人は「裏切り者」として木に吊されたり、鉈(なた/マシェト)で斬殺されたという。ゴメスは夜になると小さな村を襲撃し、掠奪が終わるや村に放火したのだ。ゴメスは農民の息子を無理矢理兵隊にしたり、反抗する者は容赦なく処刑した。こうした横暴を見て民衆に戦慄が走ったのも当然。やりたい放題のゴメスは民衆の敵となり、彼が作物を焼き払ったせいで、キューバでは飢饉が発生したという。ハーストやピュリッツァーの新聞社は、その飢饉を除いてゴメスの極悪非道を報道しなかった。日本の新聞社と同じで、「報道しない自由」を行使していたのだろう。

Máximo_GómezValeriano Weyler(左:マキシモ・ゴメス/右:ヴァレリアノ・ウェイラー)

  戦争を煽る黄色いジャーナリストは、スペインを貶めるためなら偽の事件まででっち上げた。彼らはスペイン人のキューバ総督ヴァレリアノ・ウェイラー(Valeriano Weyler)を「屠殺人ウェイラー(Butcher Weyler)」と呼んで、冷血な悪魔に仕立て上げた。根も葉もない虐殺事件を書き立てて、スペイン人は神父を焼き殺した、なんて報道したのである。いくらなんでもカトリック教国のスペインが、聖職者を捕らえて炎に包むわけないだろう。ハーストの「ニューヨーク・モーニング・ジャーナル」は、1896年10月6日の記事で、「サメの餌にされたキューバ人(CUBANSFED TO SHASRKS)/夜に聞かれた叫び声」というヘッドラインを掲げていたのである。これじゃマフィア映画の殺害シーンみたいだ。日本人が知らずに尊敬しているピュリッツァーは、自分の新聞「ニューヨーク・ワールド」紙に、「襲撃された病院(RAIDED A HOSPITAL)/40名以上の病人・負傷者が惨殺される」との見出しをつけていた。ところが、ワールド紙が伝えた病院はどこにも存在していなかったという。つまり、蜃気楼のような病院で、被害者も幽霊であった。日本の朝日新聞の魁(さきがけ)を見ているみたい。スペインに対する世間の怒りを煽るために、ハーストは捏造記事を堂々と掲載していた。1896年12月には、スペイン人が「300名ものキューバ人女性を殺害した」との見出しを掲げて、スペイン兵が無抵抗の囚人を撃ち殺した記事を伝えていたのだ。(James Perloff, Spanish-America War: Trial Run for Interventionism, The New American, 10 August 2012)

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(左:ジョージ・ケナン/中央:ジョン・ケネディー/右:アーサー・シュレッシンジャー)

  現在の日本人は「ピュリッツァー賞」と聞けば、権威ある立派なものと思っているが、その創設者はとんでもない人物であることを知らない。ジョセフ・ピュリッツァーは、ハンガリーからのユダヤ移民で、商人ジャーナリストであった。「セント・ルイス・ディスパッチ」や「ニューヨーク・ワールド」といった新聞社を買収すると、スキャンダルやセンセーショナル記事を主流にし、どんどん売上げ部数を増やして銭儲けに邁進した。こうして貯め込んだ銭をコロンビア大学のジャーナリズム学部に寄附して、「ピューリッツァー賞」が誕生したのである。左翼の巣窟コロンビア大学から飛び立ったジャーナリストが受賞すれば、日本レコード大賞をもらった音痴のアイドル歌手みたいなものだ。審査員を子飼いにする藝能事務所が、所属歌手に大賞を与えて、人気者にする手口に似ている。権威を高めるため、有名人に賞を与えて表彰してやったのだ。たとえば、1957年にはジョージ・ケナン(George Kennan)が受賞し、1968年に再度受賞した。大統領になる前のジョン・F・ケネディー(John F. Kennedy)も1957年に受賞しており、彼のアドヴァイザーになったアーサー・シュレシンジ(Arthur Schlessinger, Jr.)も受賞していたのである。しかし、ピュリッツァー賞はほとんど左翼的知識人か極左ジャーナリストに渡されているのだ。我々がよく知っているジョン・ダワー(John W. Dower)は、歴史家を装った極左活動家であるが、2000年に『敗北を抱きしめて(Embracing Defeat)』で受賞した。1990年にはあのニコラス・クリストフとその妻が共同で受賞し、2006年再び賞を貰えたのである。また、創設者がユダヤ人だから、ユダヤ人が仲間どうして褒め合っても不思議ではない。したがって、米国に於けるイスラエルの代理人として有名なノーマン・ポドレッツ(Norman Podhoretz)が、ピュリッツァー賞を貰えても当然だ。受賞者リストを見れば、ほとんどがリベラル派で、保守派アメリカ人は僅かばかりで、数えるほどしかいない。ロクでなしユダヤ人がつくった賞なんかを有り難がる日本人は、褒める前にその実態を調べるべきである。

  マス・メディアによる世論操作は昔からあった。新聞社による偽りの残虐記事や亡命キューバ人の話で、アメリカ人の対スペイン同情が激昂したという。そこで聯邦議会がキューバ問題に対して「何らかの手を打つよう」繰り返し政府に迫ったが、クリーヴランドおよびマッキンレー両大統領は、何らそれに応じなかったらしい。ところが、1898年2月15日アメリカの軍艦「メイン号」がハバナ港停泊中に爆破されて、多数の犠牲者が出てしまった。これがキッカケで開戦の輿論が一挙に高まる。海軍審査裁判所によれば、爆発は機雷によるもので、外部から仕掛けられたという。(3月28日に報告された。) ただし、本当の原因は未だに確定されていない。それゆえ、陰謀論が囁かれているのである。真相は闇の中でも、この事件を機に「メイン号を忘れるな(Remember the Maine)」というフレーズが流行し、合衆国政府もその重い腰を上げざるを得なくなった。

フィリピンの運命は原住民と別にある

  ウィリアム・マッキンレー(William McKinley)大統領は即時休戦、捕虜の釈放など、スペインのマドリード政府に最後通牒となる覚え書きを送った。キューバ総督は反乱軍側に休戦を申し込んだり、マドリッド在住のアメリカ大使は、スペインの対面を傷つけずに事態を丸く収めようと努力したらしい。しかし、ハーストやピュリッツァーのようなイエロー・ジャーナリズムは世間を焚きつけるし、聯邦上院議員ヘンリー・カボット・ロッジ(Henry Cabot Lodge)のような若手共和党員は開戦を強く要求していたのである。そこで、どうしようか迷ったマッキンレー大統領は、しばらく祈りを捧げて、ようやく開戦を決意したという。他方、ジョン・ヘイ国務長官はこの対スペイン戦を「素晴らしい小さな戦争」と呼んだのである。(上掲書 p.242) 表向き正義の戦争を口にしていたが、米国はこのキューバ問題を奇貨として、太平洋に進出しようとしたのだ。米西戦争を仕掛けた真の目的は、フィリピン所有にあったのではないかと思えるくらいである。

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(左:ジョージ・デューイ/ウェスリー・メリット/ヘンリー・カボット・ロッジ/右:フランシス・グリーン)

  宣戦布告から一週間経って、ジョージ・デューイ(George Dewey)提督は太平洋艦隊を率いてマニラ湾に入り、一名の犠牲者も出さずに、スペイン艦隊を壊滅できたという。かつては無敵艦隊を誇っていたスペインも、零落(おちふ)れて昔の面影すら無い有様。米国を上回る数の装甲巡洋艦と水雷艇を有していたのに、スペイン艦隊の乗組員は訓練なんてそっちのけ。軍の頽廃は全体に及び、将兵ともどもたるんでいたのだ。しかし、アメリカ人も偉そうなことは言えなかった。海軍は立派でも、陸軍の装備はお粗末で、正規軍はクラッグ・ライフルが渡っていたが、15万人の義勇兵にはスプリングフィールド銃と黒色火薬が支給されていたのである。まあ、それでも簡単にアメリカ人がフィリピンを制圧できたのは、フィリピ側指導者のエミリオ・アギナルド(Emilio Aguinald)が米軍のフランシス・グリーン(Francis V. Greene)准将にまんまと騙されしまったからだ。詳しい戦況は省略する。ただ、アメリカ兵はスペイン兵からの形式的抵抗を受けたが、ほぼ無傷でマニラ進軍を果たしたらしい。デューイ提督とウェスリー・メリット(Wesley Merritt)米軍司令官は楽勝でフィリピンを掌握することができた。

  アメリカ軍に反抗できないスペインは、和平の条件を打診してきた。マッキンレー大統領は、条件として、キューバからスペイン軍の即時撤退、期限付きのキューバ放棄、プエルトリコおよびマリアナ群島にあるグアム島の譲渡、それにマニラ湾の占拠を要求したのである。1898年10月1日にパリで、アメリカとスペインの和平交渉が始まった。アメリカ人が嫌われることの一つに、その偽善的思考が挙げられる。当時、アメリカ人は戦争を人道(humanity)の為に闘うものと見なしていて、領土拡大を目指した闘いとは思っていなかった。(Maximo M. Kalaw, The Case for the Filipinos, The Century Co., New York, 1916, p.25) ところが、その実態は理想とかけ離れていた。アメリカ合衆国は表向き、スペインのフィリピン支配を非難していたが、本音では東南アジアへの海路を確保したいとか、タバコや砂糖の栽培で利益を上げたい、未知の天然資源を採掘したい、といった下心があったのだ。それに、フィリピンの先には巨大な人口を抱える支那大陸があったから、この南国を支配するのは厄介でも、巨大市場への橋頭堡を確保したという満足感があった。アメリカ人は人が溢れる国を見ると、すぐ商売で儲かるチャンスと思ってしまう。支那が詐欺師や匪賊の棲息地ということが分かっていなかった。

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(左:クシュマン・デイヴィス/中央:ウィリアム・フライ/右:ホワイトロー・リード)

  アメリカ国内では、フィリピン領有に関して賛否が分かれていた。フィリピン併合に賛成だったのは、上院外交委員会のクシュマン・デイヴィス(Cushman C. Davis)上院議員、同委員会所属のウィリアム・フライ(William P. Frye)上院議員、元駐フランス大使のホワイトロー・リード(Whitelaw Reid)であった。それぞれが独自の見解を披露して、議論を闘わせていたのである。
  
   ウィリアム・デイ(William Day)国務長官は、フィリピンは合衆国にとって利益というより、むしろ負担になるのではないかという意見であった。もし国益になるとしたら、海軍と商売のみに貢献するだろうと予測し、ルソン島とその周辺諸島だけ取得せよと提言していたのである。もし、フィリピン諸島全部を併合するとなれば、破産した国民を背負い込むことになると警告していたという。文明人になれる潜在能力(ポテンシャル)や活力、気概に欠けるフィリピン人を見れば、デイ国務長官の意見は常識に沿うもの言えるのではないか。

  フライ上院議員はフィリピン全部を取ることに賛成し、1,000万ドル相当の純金を支払おうと持ちかけた。フィリピン人にそれだけの価値があるかは不明だが、彼らから何かと巻き上げれば良いと思っていた節がある。彼はスペイン側に、500万ないし1,000万ドルくらい支払うことを提示した。

  ジョージ・グレイ(George Gray)上院議員は以前、フィリピン全部はおろか、どの一部も併合すべきではないという意見であった。しかし、フィリピン全土を取得する条約締結が失敗に帰すれば、それは合衆国の伝統と文明を貶めることとなると危惧したらしい。そこで、平和条約による領土譲渡の形式にすれば、合衆国の威厳を傷つけずに済むという理屈であった。何てことはない、領土簒奪ではなく、和平による譲渡にしようという訳だ。

  リード大使はスペインが金欠なら、戦時賠償を領土で支払うべし、との意見であった。そして、フィリピンとカロリン諸島の代金として1200万から1500万ドルを支払うと提案していた。ただし、ミンダナオとズールー島は含まないと主張していたという。

  デイヴィス上院議員は妥協を許さぬ意見を持っていた。合衆国は一銭も払わずに、フィリピン、プエルトリコ、グアムそしてキューバの主権をスペインに要求すべし、と強硬な態度に出ていた。(pp. 37-38) これこそ、典型的な勝者の命令であろう。負けた国がつべこべ文句を言うな、という考えである。フィリペ二世が統治していた頃の、スペイン・ハプスブルク家が聞いたら何と思うのだろうか? 凋落した帝國は惨めである。スペインの太陽は沈んだままで、朝日が再び昇るまでまだ数百年かかるのではないか?

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(左:ウィリアム・デイ/中央:ジョージ・グレイ/右:ウィリアム・マッキンレー)

  倫理的問題を気にしていたマッキンレー大統領は、如何なる決断を下すべきか長いこと躊躇っていたらしい。まさか、スペインに対し戦争の賠償を求めないわけにも行かないし、かといって歐洲列強のような帝国主義的政策を取るのも気が引ける。大統領はさんざん悩んだ挙げ句、最終的な結論に達した。「全フィリピンを併合するだけでは戦争で払った犠牲の代償として充分ではないが、さりとてフィリピン人を再びスペインの手に戻すわけにも行くまい。我々の行為は正当化されるのか、それにまた、我々は他の列強に渡すことができるのか。望むと望まぬとに係わらず、アメリカ人には逃れられぬ義務がある」という主旨をマッキンレー大統領は発表した。(p.39) 彼はフィリピンを併合して、その民衆に教育を施し、彼らを精神的に向上させ、文明化してキリスト教徒らしくさせる、という意志を固めたそうだ。あれ? これ何か聞き覚えがある。日本人が示した朝鮮統治の理念みたいなことを、アメリカ人は日本人より先に実践していたのだ。しかし、異民族統治は日本人の方が遙かに成功していたし、その業績は米国のフィリピン統治よりも格段に上である。これはアメリカの保守派知識人なら認めざるを得ないだろう。日本の朝鮮統治を非難しているのは、歴史に無知な左翼アメリカ人がほとんどだ。まったく日米共に、しょうもない民族を抱えたものである。

  色々な意見が交わされたが、外交委員会は、フィリピン諸島すべての割譲要求を決定し、必要ならばスペインに1000万から2000万ドル支払うことにする、との結論に達した。注目すべき点は、委員会の誰もフィリピン人の将来について考えていなかったことだ。グレイ議員によれば、すべてがビジネス交渉みたいに進められていたそうだ。マッキンレー大統領も、フィリピンを全面的に併合するか、アジア地域から撤退するかの選択肢しかなかったらしい。それに、デイヴィス議員によれば、支那を望む商業拠点の確保の方がより重要な問題だし、ワシントン、オレゴン、カルフォルニアといった西海岸の州にとっても貿易で潤うチャンスであった。最終的に、合衆国政府は2000万ドルを支払うことで、スペインからフィリピンを取得できた。こうして両国間の条約は、1898年12月10日に締結されたのである。(p.40)

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(左:アメリカ軍/右:スペイン軍)

  フィリピン諸島の値段は2千万ドルというが、それは土地だけの価格なのか、人間附不動産の総額なのかは定かではない。我々なら1人あたりのフィリピン人の相場はいくらだったのか知りたいところだ。一説では当時フィリピンには800万人いると言われたが、スペイン人を除く人口が分かりづらい。もし800万人なら1人あたり3ドルもしないし、土地の値段を引いたら、1ドルもしないかも知れない。フィリピン人1人の値段は、90セントとか75セントなのかも知れないから、フィリピン史研究者の意見を聞きたいところだ。もしかしたら、アメリカ人支配者は、フィリピン人を不良債務くらいに考えていたのかも知れないぞ。でも、フィリピン人の値段が、ハンバーガー1個の値段にも満たないとしたら、フィリピン系アメリカ人はどう思うのか? 現実の世界では、人間は平等でないし、上等な民族と格下の民族に分かれている。フィリピン移民を先祖に持つアジア系国民は、さぞアメリカ史を勉強することが嫌になるだろう。そういえば、フィリピン系アメリカ人で高名な米国史研究者とか、愛国的歴史家の名前を耳にしない。やはり、自分たちの国とは思っていないからだろう。

フィリピン土人の種族的特徴

  現在と違って、当時のアメリカ人は外国の有色人種について露骨な意見を述べる自由があった。フィリピン人は、だいたい現地土人と支那人・マレー人などの混血民族であるが、黒い肌のネグリート(Negrito)が元々の種族と考えられる。ジョセフ・スティクニーによれば、この黒色土人を精神的・肉体的面で測定すれば最低の部類であるそうだ。(Joseph L. Stickney, Admiral Dewey at Manila, J.H. Moore Company, Philadelphia, 1899, p.247) このフィリピン諸島は、どう見積もってみても文明国にはならない、と判断されたようだ。ニグリートは他のアジア民族からも嫌われていた。スペイン人に支配された時だって、侵入してきたマレー人はニグリートと対立して、彼らを虐殺したのである。この原住種族はアフリカ黒人と違うが、縮れ毛で肌が黒く、粗野で不快な顔つきをしているという。(p.248) 彼らは農業をせず、森にある天然の食物に頼り、毒矢で射止めた動物を食していた。戦前、日本人も南方土人の調査をしていたので、フィリピン土人について書き記している。フィリピンのカリンガ族やモロ族という種族については、

  大変水浴が好きですが、その他のフィリピン人は水浴をしません。暑い国ですから、水浴をするのがあたり前なのですが、どういふものか、フィリピン人はあまり水浴を好まないのです。ですから、暑さにむされて、自然に不潔になつてしまひます。ネグリート族はフィリピン人のなかでも、特に未開人ですから、風呂にも入らず、水浴もしないので、肌に触ると魚の鱗をはがすように、ぼろぼろと皮膚がむけて落ちるという有様です。髪の毛の中には虱(しらみ)が沢山わかしていて、天気のよい日には、木陰で互いに虱を取り合っています。雨が降つたりすると、ぬれて頭がかゆくなるので、腰に巻いているタビスという布をはづして、髪の毛がぬれないようにしています。(窪田文雄 『南洋の子供たち』 東亜堂 昭和16年 pp.48-49)

  フィリピン土人の容姿が異様なだけでなく、その生活習慣も異質であった。肌を触ると鱗のような垢がボロボロ落ちるなんて、現在の日本人ならゾっとするだろう。でも、これがフィリピン原住民が持っていた伝統的生活様式なのだから、我々は理解せねばならない。学校ではこうした記述を教えないようにするが、かえってフィリピン人に対する偏見を助長する。それぞれの日本人がどのように感じるかは、本人の判断と自由であって、学校教師や文部官僚が勝手に判断して検閲するのはおかしい。我々は学校で西洋人の奴隷制度だってしっかり教えているのだから、フィリピンについてもきちんと教えるべきだ。

フィリピン人を日本の同胞にすることへの抵抗


  日本人はアジアに対して妙な引け目や遠慮があり、本音を語ろうとはしない。笹川氏が自己満足のために、窮乏化した日比混血の老人を日本へ呼び込もうとしている。しかし、日本人はこのフィリピン人たちを日本人として迎え入れるのか? 確かに、彼らは日本人の父親をもってるのだろう。しかし、戦争という異常事態で、しかも異国で日本人が現地女とセックスをしたのだ。通常の結婚とは違うだろう。戦争でなければ、フィリピン人の遺伝子を我が子に注入しようとは思わない。しかも、笹川氏は戦後70年も経っているのに、日本政府だけに責任を求める。フィリピン政府は迫害された日比2世を保護しなかった罪を謝って、賠償金を払ったのか? 長年にわたるフィリピン政府の無策を笹川氏は説明してくれない。これに関連して尋ねたいのだが、彼の父親笹川良一は戦争中の出来事に詳しかったのに、なぜ早い時期、混血児の父親探しをしなかったのか? 父親が生存していたかも知れないのに。また、笹川良一はアメリカ兵に犯されて妊娠してしまった女性を支援して、合衆国政府に賠償を求めたのか? 黒人兵との混血児はエリザベス・サンダース・ホームに沢山いたが、彼らの父親を探すように米国に要求したのか? もし、見つかったらあの黒人混血児はアメリカ国籍を取得できたのだろうか? 日本人は戦後の強姦事件だって、悔しさを堪え我慢したし、マスコミに顔を晒して混血児にアメリカ国籍をと叫ばなかった。エリザベス・サンダース・ホームの混血児たちは、自分で努力して自立していった。しかし、フィリピンで育った混血児は笹川氏の甘い言葉に乗って、日本国籍を取得しようとする。タダで高価な日本のパスポートが手に入るのだから、フィリピン人はこぞって笹川氏を当てにするだろう。

  何処の国の兵隊も外国に派遣されれば、女に飢えて現地の素人女や娼婦とセックスしてしまう。ベイナム戦争でもアメリカ兵は、現地の売春婦や農村の娘などとセックスして混血児を作った。しかし、彼らが郷里に戻った時、ベトナム人娼婦や田舎娘を両親や兄弟に婚約者と紹介しただろうか? 多くの兵卒は同衾(どうきん)した女と混血児をベトナムに置き去りにし、帰国してしまった。もちろん、混血児を引き取ったケースもあるが、大半は父親から見捨てられた私生児である。ベトナムでは黒人兵との混血児はもっと惨めだ。村で黒いベトナム人は目立つし、娘の両親だって黒い孫を不憫に思ってしまう。黒く生まれた子供は、世話をしてくれる母親を恨めないから、なおさら哀しい。村の大人は噂話で侮蔑するだろうし、子供たちだって娼婦の黒い私生児としてイジメるだろう。アメリカのリベラル派や人権活動家は、混血児にアメリカ国籍を与えようとするが、アメリカ兵と勝手にセックスしたベトナム女性を責めない。彼女たちが貧乏人だからである。貧乏だと倫理的責任は免除されるのだ。戦争で女に飢えた米兵が口にする言葉を真に受けて、セックスしたベトナム女性は愚かだったのに、その軽率さを左翼支援団体は叱らない。彼女たちの両親だって娘の簡単即席セックスを咎めないのだ。アメリカ兵に強姦された女性なら、個人賠償を合衆国に求めればいいし、父親が分からないなら国防総省に全将兵のDNA検査をしろ、と要求すれはよいだろう。だが実際、そんなことは無理と分かっているのだ。戦争中のセックス問題を戦後になってとやかく言い立てるのは不毛である。過去の戦争ではもっと悲惨なことがあるだろう。米国は枯れ葉剤の被害者すべてに国家賠償をしていない。ベトナム人被害者は数百万もいるのに、個人賠償をしていないのだ。このように、戦後になっても解決できない問題はあちこちにある。笹川氏は日本政府なら容易にゆすることができると踏んだのではないか?

  笹川氏のように偽善的反日主義者は、とにかく日本政府には厳格な倫理的責任を求める。自国民を保護したり介護せぬフィリピン政府を糾弾しない。日比混血児の国籍問題なら、フィリピン政府が国籍を付与すればいいし、社会福祉もきちんと与えれば済む話だ。彼らが父親の墓参りをしたいのに、出国するにあたり罰金を取るフィリピン政府こそ非難すべき対象である。おそらく笹川氏たちはフィリピン政府が愚劣で二進も三進も行かないから、フィリピン政府より物分かりの良い日本政府を批判しているのだろう。本質的に甘い日本人は、笹川氏の活動記事をよんで感動してしまい、日本国籍くらい直ぐに与えてやれはいいじゃないか、と安易に考えてしまう。この「ちょっとくらい」が危ないのだ。これを外国人は前例とし、次々と日本国籍を狙いにくるだろう。日本にアジア人があふれ出してから日本人は役所に怒るだろう。「責任者出てこい」と叫んでも、当事者はとっくに退職しているか、あの世へ旅立っているかのどちらかだ。こんなはずじゃなかったのに、とつぶやいても遅いのである。 

 


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帰化人は日本人の仲間か? / 昭和天皇と日本人の関係 

国家滅亡の戦争に反対された昭和天皇

  今や日本国籍は投げ売り商品より粗末な扱いだ。バナナの方が価値がある。少なくとも定価があるし、商店でもタダでは呉れない。支那や朝鮮、フィリピン、タイなどから、アジア人が豊かな生活を求めて押し寄せ、あわよくば日本国籍を取得しようと企む。彼らは日本が先進国だからとか、福祉が充実している、または日本人と結婚したから、という簡単な理由で、日本国籍を手に入れようとするのだ。肥だめのような祖国を捨てても惜しくはないから、喜んで日本にやって来るし、いつまで経っても帰らない。本国では棄民(きみん)か厄介者と見られているアジア移民は、日本人としての誇りなど元々無いから、日本がどのような国家になるべきかの理念も無ければ、興味も無い。いわば「根無し草」の居留民である。彼らは我が国の歴史を共有しないし、先人の血統も継承しないのだ。したがって、そんな連中が皇室を尊敬するはずはない。先の大戦で甚大な被害を受けたにもかかわらず、日本国民は昭和天皇への敬愛を捨てなかった。敗戦でどんなに苦しくとも、陛下と共に歩んで行こうと考えた。そこで、偉大な昭和天皇のエピソードをいくつか紹介し、帰化人の精神を論じてみたい。(出雲井 晶 編 『昭和天皇』 日本教分社 平成8年参照)

showa 2  昭和天皇が対米戦争にご反対なされていたことは有名だ。立憲君主制を理解できぬアメリカ人は、「日本のエンペラーは最高軍事指導者だから有罪だ」と思っている。まさか内閣の決定に逆らえぬ君主とは思っていないのだ。『イギリス君主政体(The English Constitution)』を著したウォルター・バジョット(Walter Bagehot)なら、昭和天皇の苦悩を推察できようが、一般のアメリカ人は大卒者でも日本の國體(こくたい/constitution)を理解できる者は少ない。大東亜戦争開戦以前でも、昭和天皇は支那事変を早く終熄させたかったが、陸軍が中々言うことを聞かなかった。それに、共産主義者の近衛文麿が、支那事変を泥沼化させて、日本を混乱に陥れれば、国家体制を左翼官僚による統制経済や全体主義に移行させることができる、と踏んでいたからだ。さらに言えば、戦略的縦深性(strategic depth)がある支那大陸で、支那軍を海岸沿いに追い込むのではなく、奥地に追撃していたのだから、陸軍首脳に支那事変解決の意思はなかったのだろう。兵卒だって分かる。あの天才ナポレオンだって、ロシア遠征で失敗したのだ。直接対決ならロシア軍なんて簡単に蹴散らせるナポレオンも、ちょっと戦っては、退却するロシア兵にやきもき。しかも、野蛮なロシア軍はフランス軍に食糧などの物資を渡さぬよう、退却時に村を焼き払ったのだ。そこにロシアの冬が訪れたのだから、いくら革命のためとはいえ、フランス兵だって不満が鬱積する。ロシア遠征は散々な結果に終わって、ナポレオンが凋落したのは、皆さんご存じ。我が国は同じ轍を踏んだのである。あの広い支那大陸で、匪賊どもを内陸部まで追いかけるんじゃ、我が軍の方が疲れてしまう。愚策としか言いようがない。何か裏がある。現場の日本兵は分かっていた。

  外国から日本の領土的野心や侵略行為を非難された時、天皇陛下から陸軍大臣に対し、本当に部下の統制をとれているのか、とのご下問があった。陸軍大臣は責任を持って必ずとる、との奉答をしたようだが、実際はぐずぐずしていたのだ。陛下は陸軍大臣自ら、外国新聞の記者を前にして、日本には領土的野心は無い旨を明言したらどうか、とのご提案をされたのである。(p.98) 帝國海軍同様、帝國陸軍にもかなり共産主義者が浸透していたから、戦線拡大を密かに画策していたのだろう。昭和天皇は名目上「大元帥」と呼ばれるのに、陸軍将校らは陛下を単なる「シャッポ」くらいにしか思っていなかった。満州事変の時に不拡大方針を表明していた陸軍がは、逆に事件を拡大してしまったので、陛下はたいそう不快感を表されたのである。うがった見方をすれば、戦争が深刻化すれば、軍官僚は権限の拡大になるからまんざらでもないし、軍幹部も予算を多く分捕ることができるから嬉しい。平和だと軍備縮小や予算削減、失業軍人も増えるし、ポストも少なくなってしまう。有事になった方が、国家を全体主義に持って行きやすくなるから、赤い軍人や官僚は密かに切望していたのではないか。あのソ連のスパイ尾崎秀實(ほつみ)と昵懇の仲であった軍務局長の武藤章(あきら)を思い出せば納得できよう。昭和の頃になると、マルクス主義の著作物が世に氾濫して、学校秀才はこぞって共産主義革命に共鳴し、軍部や官僚に多くの細胞が浸透したのである。“アカ”どもを取締る役目の官僚の方がてんてこ舞いになるくらいだった。治安維持法がなければ、もっと過激な共産主義運動が頻発ししていただろう。

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(左:ソ連のスパイであったリヒャルト・ゾルゲ / 尾崎秀實 / 近衛文麿 / 右:武藤章)

  ドイツやイタリアとの三国同盟にご反対の昭和天皇が、自由主義を掲げる英米との対戦ご反対なされたのも当然だ。我が国が太平洋や南方で英米と対決するとなれば、背後の北方からロシアが襲いかかってくるのは必定。日露戦争を痛いほど実感なされていた陛下は、ロシアの軍事的圧力を憂慮なされていたのだ。しかも、支那大陸では国民党や共産党に手を焼いていたのである。陛下が近衛文麿に対米開戦を回避するよう促されても、肝心の近衛が共産主義者なのだから陛下がお気の毒である。さらに許せないのは帝國海軍の無責任というか博打体質である。未だに人気のある山本五十六など、綿密な戦争計画を立てたこともないのに、ハワイへの奇襲攻撃を陛下に進言したが、自分で連合艦隊を率いることをしなかった。左翼・右翼軍人と同じく、在野の東洋主義者も狂っていた。日本人はアジア人でもないのに、「欧米帝国主義からのアジア解放」などほざいていた。昭和天皇は中々解決しない支那事変を誤魔化すため、国民の目を東南アジアに向けようとしていたことをお見通しであった。陛下は「支那事変の不成功による国民の不満を南方に振り向け様と考へているらしい」と仰った。(p.108/『木戸幸一日記』下巻 p.812) 南進論とは建前上、植民地の解放とされていたが、実際はソ連が目指す西歐帝国主義の打倒と共産主義革命の輸出を実現するためのカモフラージュであった。大東亜会議を高く評価していた深田祐介などは、左翼ではないが、共産主義者から支援されてもおかしくはない“便利な馬鹿”である。

国民を心からいたわる陛下

  対米戦争となれば、危険な前線で奮闘するのは、参謀本部でタバコを吹かしながら議論する高級軍事ではなく、何の政治権力も持たない一兵卒がほとんどだ。1、2年暴れたら後は知らない、と言い放つ山本五十六大将が死ぬのは構わないが、日本国民が玉粋するのは本当に痛ましい。驚くほど国際政治と軍事戦略に精通なされていた陛下は、ご自分が裁可した戦争で次々と将兵が斃れて行くことに、御心が引き裂かれる思いであった。最初から大東亜戦争がさしたる計画もない無謀な戦争であることを熟知されていたのだから、各地で部隊全滅の報告を受ける陛下が、断腸の思いであった事は容易に推察できよう。昭和18年5月12日、アッツ島を守っていた山崎部隊は米軍の急襲を受け、隊長以下二千数百の将兵は勇敢に戦っていた。しかし、5月下旬になるや戦況は極めて憂慮すべき状態となり、その苦境は陛下に伝えられていたという。5月24日杉山参謀総長が上奏した時、陛下より「山崎部隊はよくやった」という主旨の御沙汰があり、このお言葉は直ちに参謀総長から現地部隊に伝達され、現地部隊からは「驚愕感激、最後まで善戦健闘」するという旨の返電が大本営に送られてきたという。

  しかし、やがて悲しい電報が送られてくる。5月29日、現地部隊は最後の攻撃に先立ち、本発信と共に暗号書の焼却、全無線機の破壊を済ませた。参謀総長は最後の打電をもって拝謁を願った。参内した杉山参謀総長は、陛下に山崎部隊の最期をご報告したが、陛下は静かに上奏をお聞きになり、何の御下問もなかったという。ただ、陛下は「部隊の将兵は最後までよくやった。この事を伝えよ」と仰せられた。杉山大将は「畏れながら、ただ今奏上いたしました如く、無線機は既に破壊してしまっていますので、お伝えすることはできません」という旨を申し上げた。ところが、陛下は「それでもよいから電波を出してやれ」と仰せられたという。杉山大将に帰ったら直ぐ発電するよう指示されたのだ。(p.137) 陛下は祖国のために散っていった将兵の気持ちに、何としても報いたかったのであろう。日本国民は、陛下のこうした純粋な御心を知ると、感激して何も口にできず、ただ嗚咽(おえつ)するしかない。陛下のご尊顔に涙が流れる時、我々の心は共鳴し“自然と”涙がこぼれてくる。日本人とは書類上の国民ではなく、心と体が陛下と共振する民族を意味するのだ。

  歴史上には時折「救国の英雄」が登場するが、昭和天皇は日本という国家ばかりでなく、日本民族の過去と未来を救った為政者であった。連合国に降伏するという決断を内閣の政治家は誰も下せなかった。本土決戦を主張する阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣が、降伏を提案できるはずもないし、個人的には無謀と思っていた梅津美治郎(うめづよしじろう)参謀総長だって、はっきりと停戦を表明できなかったのだ。卑怯なのは隠れ共産主義者の疑いがある米内光政(よないみつまさ)海軍大臣である。英米と対峙してしまう「南進」を推進し、対米戦争強硬派の米内は、一体どんな顔をして終戦を迎えたのか? 停戦へ向けての努力の中で、愚かしいのは東郷茂徳がソ連に和平の仲介を頼んだことだ。(重光葵 『昭和の動乱』 下巻 中公文庫 2001年,p.313) 在日ソ連大使のマリクにいくら仲介の依頼をしても無駄だった。既にスターリンは如何にして戦争の果実を最大限にするかを考えていたのだ。強盗が刃物を研いでいるのに、「平和の使者」になってくれと頼む東郷は、脳天気の“アホ”としか言いようがない。ちなみに東郷は朝鮮人で朴という。ドイツのユダヤ人エディタ(Editha)と結婚し、朝日新聞記者だった孫の東郷文彦はその孫。痴漢行為で記者を辞めたことで有名だ。弟の和彦はロシアの手先で、あのスパイと思える佐藤優(まさる)とつるんでいた。ユダヤ教徒の考えによれば、ユダヤ人とは母親の血筋で規定される種族である。同じ薩摩出身でも、日露戦争の英雄東郷平八郎元帥とは何ら関係ない、日本国籍を持つ朝鮮系ユダヤ人東郷兄弟は、日本から追放したい有害生物と言えよう。  

Togo ShigetokuTogo KazuhikoYamamoto IsorokuYonai Mitsumasa







(左:東郷茂徳 / 東郷和彦 / 山本五十六 / 右:米内光政)

  立派な重臣に恵まれた明治天皇とは違って、凡庸な政治家と赤い軍人囲まれた昭和天皇は、一刻も早く終戦に持ち込むため、股肱(ここう)の臣鈴木貫太郎に頼むしかなかった。母のように慕っていた御養育掛、足立たかが鈴木大将の夫人であったからだ。元侍従長の鈴木貫太郎は当初高齢を理由に、お断り申し上げたのだが、陛下が「どうしても」という強いご要望をお持ちであったから、貫太郎は最後のご奉公として拝命したらしい。陛下が無理を承知で頼んだということは、よほどお困りになっていたという証拠だ。しかし、他に適任者がいなかったとは、昭和の人材不足は嘆かわしい。陛下は御自身がどうなろうとも気になされず、ひたすら日本国民を救う方法を求めていらした。閣僚の意見を聞いた後、陛下は仰せになった。

  私は世界の現状と国内の事情とを充分検討した結果、これ以上戦争を継続することは無理だと考へる。・・・陸海軍の将兵にとって武装解除なり保障占領と云ふ様なことは誠に堪へ難い事で夫等の気持ちは私には良くわかる。しかし自分は如何になろうとも万民の生命を助けたい。此上戦争を続けては結局我邦が全く焦土となり万民にこれ以上の苦悩を嘗めさせることは私としては実に忍び難い。祖宗の霊にお応へが出来ない。和平の手段によるとしても素より先方の遣り方に全幅の信頼を措き難いことは当然であるが、日本が全く無くなるといふ結果にくらべて、少しでも種子が残りさえすれば更に又復興と云ふ光明も考へられる。
  私は明治大帝が涙を呑んで思ひ切られたる三国干渉当時の御苦衷をしのび、此際耐へ難きを耐へ、忍び難きを忍び一致協力、将来の回復に立ち直りたいと思ふ。(栗原健/多野澄雄編 『終戦工作の記録』 下巻 昭和61年 pp.490-419)

  我々はこうして陛下のお言葉を読むと、哀しみが込み上げてきて胸が詰まる。昭和天皇は常に国民を第一に考えておられた。国民あっての日本であり、国民あっての皇室でもある。戦局が深刻化した昭和19年7月、軍部で大本営の移転が持ち上がった。米軍による空襲が激しくなったので、陛下の身を案じた軍部は、御座所を移すと共に、本土決戦に備えて指揮系統を確保する意図があった。小磯国昭首相が陛下にご相談したところ、陛下はこれに反対なされた。「自分が帝都を離れては、国民に不安感と敗北感をいだかせるおそれがある」と陛下は仰ったが、陸軍はご反対にもかかわらず密かに長野県松代に「新大本営」を構築していたのである。(『昭和天皇』p.153) 陛下はこの工事が進んでいることをご存じなかった。完成してから1ヶ月後、梅津参謀総長が完成のご報告をし、陛下の移動を要請したのだ。陛下は唖然とした表情をなされ、「・・・私は国民と一緒にここで苦痛を分けあう」と仰り、数日後木戸幸一内大臣が勧めた時も、憮然として「私は行かぬ」と仰せになったという。アジア人を自国民より優先し、日本を滅ぼす道を提唱した南進論者や東洋学者は、日本人を優先なされた陛下に土下座しろ。
  
陛下を熱烈歓迎した国民

  敗戦国の君主が退位したり、亡命することがあっても、国民から歓迎されるなんてことはない。ただし、日本は例外。ご巡幸が各地で大人気とは奇蹟だ。昭和21年10月に天皇陛下は愛知県においでになった。群衆は駅前で御料車を取り囲み「萬歳」を連呼し、公会堂までの御道筋を埋め尽くした。八町国民へ向かわれた陛下を拝見しようと沿道の両側は人で一杯。身動き取れぬほどの込みようで、中には前夜より徹也で土下座してお待ちしていた人がいたくらいだ。陛下は農場や郵便局、師範学校などをご視察なされ、たいへんな歓迎を受けた。引揚者収容施設をご訪問なされた陛下は、それぞれの者にお慰め、御いたわりのお言葉を掛けて廻られた。朝鮮や満洲から着の身着のまま、幼児をや乳飲み児を抱えて帰ってきた人々は、陛下のお言葉に返す声が出ない。ただ流れ落ちる涙を手で押さえ、顔も上げられぬくらい感動していたという。

  陛下が大津町の市役所を訪れた時の出来事である。その日は雨であったが、大勢の人々が一時間前ほどから陛下をお待ちしていた。沿道には群衆が十重二十重に立ち並んでいたが、警護官というものはおらず、丸腰の警官が立っているだけだった。予定よりやや遅れて陛下の間お召車が到着した。御車を降りられた陛下が、雨の中を御傘も無く歩き始めると、沿道の両側に立ち並んでいた奉迎者は、「萬歳、萬歳」を絶叫しながら、どっと陛下の間近に押し寄ってきた。黒山の人だかりに陛下は、帽子をとられて御微笑を含みながら、左右親しく御会釈をなさり、凛としてお進みになられたそうだ。陛下を拝した国民は感動のあまり、胸が高まり「萬歳」と喚声を上げることしかできない。熱い涙がこみ上げてきて何と表現したら良いか分からないのだ。

  そのご訪問の際、県庁前広場である騒ぎが起きた。数千人の人がもの凄い気迫と怒号で一人の男を徹底的に叩いていたのだ。その男は、「天皇は萬世一系では無い」と演説した不心得者であった。激怒した民衆は「踏み殺せ、殺せ」と絶叫しながら、その男を暴行していたのである。血まみれになった男はついに県庁の中へ押されていった。激昂した群衆は尚も県庁内に雪崩れ込んだ。武器を持たぬ人は拳で、傘を持つ者は刀代わりにし、その不届き者を懲らしめようとする。殺されそうになったその男は、危ういところで警官によって保護されたという。警察部員は必死で民衆を宥めたらしい。「陛下の身近で騒ぎを起こしては申し訳ではないか」との言葉に、人々はようやく納得したのである。群衆は一斉に「天皇陛下萬歳」を連呼しながら表に出たという。(鈴木正男 『昭和天皇の御巡幸』 転展社 平成4年 pp.98-100)

  ご巡幸の美談は尽きない。昭和21年6月、陛下が兵庫県の神戸女学院をご訪問なさった時のことだ。御昼食を済まされた陛下が、便殿(御休憩所)を出られると、中庭には生徒、職員、卒業生、父兄等五千人がお待ちしていた。御前で700名の専門学部生「賛美歌第412番“祖国”」の二部合唱を始めたのだ。合唱のメロディーが流れると、畠中院長が陛下を次へ促し申し上げても、陛下は釘付けにされたかのように動かれない。歌が進むにつれ、合唱していた女学生らがすすり泣く。しまいには、陛下のご尊顔を一心に見つめていた女学生らが、泣きながら合唱を繰り返す。歌は幾度も涙で途切れる。見ると陛下も泣いておられる。侍従長をはじめ、お付きの人々も皆涙を流し、数千の奉迎者も感泣。嗚咽(おえつ)の歌声をあとに、陛下は静かに玄関を離れられたという。御予定を終えられた陛下は、萬歳の歓呼をあとに、女学院を去って行かれたのである。(pp.117-118)

書類上の日本国民たる帰化人

  日本国民と皇室の紐帯は一朝一夕に出来たものではない。数千年も皇室と共に歩んできた日本人が、代々継承する国民的感情である。日本国民は、栄光の喜びを陛下と共に分かち合い、国難の苦痛を陛下が堪え忍ぶ時、共に堪え忍んだ。外国人が陛下を侮辱すれば、日本人は自分が侮辱されたかのように怒った。たとえ、自分が無力だったり、貧しかったりしても、日本人であることを恥じることはない。天皇陛下の日本国民に誇りを持っていたのだ。しかし、現在の我々は外国人に貴重な日本国籍を無料配布している。我々の祖先が苦労して築いてきた国家のメンバーシップを、気軽に分け与えているのだ。便益性だけを求めて帰化する外国人に、祖先の遺産を平気で配っている。日本を憎み侮辱する支那人や朝鮮人にも、何らの制約条件をつけずに帰化を承諾しているのだ。裸踊りか酌をするしか能が無いフィリピン人やタイ人にも、過去を問わず日本人と結婚すれば帰化を許す。彼らは日本人としての意識が体に刻まれていない。

  我々は日本国内だと日本人ということを意識しない。ところが仕事や勉強で、いざ外国に住み始めると、自分が日本人であることを実感するのだ。まず、自己紹介する時に、「日本人です」とか「日本から来ました」と口にするだろう。また、日本語ではない外国語を喋るわけだから、母国語を常に意識するようになる。たとえば、アメリカ合衆国に住むことになった日本人が、日本は戦争犯罪国だ、日本人は全体主義を奉じた侵略者だ、と非難されれば、思わず反論したくなる。反論するだけの知識が無い時は悔しく思うだろう。最近では、「従軍慰安婦」だとか「セックス奴隷」だとかの非難が沸き起こってしまった。日本政府が反駁せず、謝罪しているのだから、在米日本人は顔を伏せて歩くしかない。情けない外務省に怒ってもしょうがない。官僚は庶民とは別の種族だ。

  アジアの侵略者を刷り込まれている日本人は沈黙を続ける。それでも、日本人が責められれば、何とか反撃したくなるのは自然な感情だろう。日教組教育でクルクルパーにされた日本人留学生だって、「日本のエンペラーは神道という狂信宗教の司祭で、侵略を続けた軍国主義の親玉」とアメリカ人から批判されれば、どうにかして反論したくなる。やはり、日本は立派で素晴らしい国と自慢したい。異国に住めば、日本の真実が知りたくなる。自分の両親、祖父母、曾祖父母が日本人なら、日本の歴史は自分の家族の歴史でもあるからだ。しかも、学校で習ったことのない天皇陛下について、本当の話を知るようになると日本人としての意識が変わるのだ。大切なことを教えず、南京大虐殺や従軍慰安婦といった嘘を教えてきた教師を恨むようになる。

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(左:帰化支那人のアグネス・チャン / 中央:工作員の張景子 / 右祖国朝鮮で人気者の秋成勲)

    外国で日本を擁護したくなる日本人、というのは納得できる。では、支那人や朝鮮人といったアジアの帰化人は外国でどんな反応を示すのか? 南鮮で反日教育を受けて来日した者が、日本人を侮辱するのは分かる。こんな連中に日本国籍を与えねばよいだけの話。しかし、在日朝鮮人は、南鮮に帰るつもりもないし、かといって日本に忠誠を誓うわけでもない。しかし、生活に便利だから帰化申請を行う。また、外人工作員は破壊・宣伝活動のために有利だから国籍を取得するのだ。朝鮮系支那人の張景子は日本への忠誠心は微塵も無い。北京政府の命令で日本国籍を取得したのだろう。意地でも帰化しない朝鮮人はいるが、そうした世代は縮小しており、日本人との結婚を機に帰化してしまう朝鮮人が多い。日本の旅券を持てば外国旅行は楽だし、留学だってスムーズに行える。たが、もし彼らが米国に仕事や勉学で住むことになり、反日場面に出くわしたらどんな反応を示すのか? たとえば、「日本人は朝鮮人女性を性奴隷として狩り出した」という捏造話を聞いたり、朝鮮系アメリカ人が日本を非難するデモを見たら、どんな行動をとるのだろう? 米国の大学に留学した支那系や朝鮮系帰化人が、歴史の講義で日本を非難するアメリカ人学生の意見に対し、どんな反論や意見を述べるのか? 支那系アメリカ人学生が、昭和天皇を“支那人虐殺の責任者”と糾弾したら、帰化支那人は「日本国民」として反論するのか? 政治家や法務省の官僚は、こうした疑惑を抱いたことすらないのだ。そもそも関心が無い。アジア人帰化申請者に対し、「国籍を与えてもいいかじゃん」と気安く答える日本人は、こうした疑問を抱いたことがあるのだろうか? そして、帰化人を仲間と見なしているのか、嘘発見器(polygraph)にかけて確かめてみたい。

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(左:赤軍派テロリストの情婦である辻元 / 右:国会議員になった辻元清美)

  アジア移民の帰化という事態を想像していなかった日本人は、外国に住む帰化人が如何なる行動を取るか考えていない。たとえば、韓国の学校で日本の戦争犯罪を罵る南鮮人や支那人留学生に対し、帰化朝鮮人や帰化支那人の日本留学生は、日本人が不当に批判されたのに反論できなくて悔しいとか、間違った資料による中傷に対して反駁したい、と思うだろうか? 朝鮮系アメリカ人が、日本軍による慰安婦狩りを言い出したら、朝鮮帰化人は、元同胞と一致協力して帝國日本を断罪するかも知れない。国家公安委員長となった民主党の岡崎トミ子は、南鮮人と一緒になって日本政府に抗議した前科を持つ。社民党から民主党に鞍替えした、辻元清美は日本人拉致に対して非情に冷淡だった。女性の人権を声高に叫ぶピース・ボート活動家にとって、拉致された邦人女性は、保護対象の「女性」リストに入らないのだろう。連合赤軍の情婦は日本人離れしている。こうした反日議員に加えて、白真勲(はくしんくん)のように韓国のために頑張る参院議員だっているのだ。日本の役所は事務手続き上誤りが無ければ、帰化申請をする朝鮮人に国籍を与えてしまう。愛国心を持っているのかを確かめることさえしないのだ。たとえ役人が質問したって、朝鮮人や支那人は「持ってま~す」と平気で嘘をつける。二酸化炭素と嘘はタダで口から排出されるのだ。帰化人が直立不動で日章旗に敬礼する姿を想像できない。大学教授や弁護士になった帰化鮮人は、日本の旅券を持って外国の大学に行って、堂々と反日演説を行うかも知れない。外国人は彼らの発言を、日本人に抑圧された少数民族の内部告発と捉えて、帰化鮮人の捏造歴史や反日言論を信じてしまうだろう。日系日本人が反論しても、真実の隠蔽としか思わない。

Okazaki Tomiko 2Okazaki Tomiko









(左:大使館前で日本を糾弾する岡崎 / 右:政治家になった岡崎トミ子)

  普通の日本人は外国で日本批判を受けても、近代史や朝鮮統治に関する知識が無いので、まともに反論ができない。筆者は米国にいた時、支那人や朝鮮人がちょっとでも不当な批判をしたら、絶対に許さなかった。降参するまで徹底的に反論したし、彼らが用いた資料や根拠を要求し、情け容赦なく追求したものだ。ある朝鮮人学生が日本統治を非難した時、筆者は彼に一次資料(primary sources)を見せてみろ、ちゃんと精読したのかと迫り、真綿で首を締めるように追い詰めた。結局、南鮮の学校教育で仕込まれた知識だったから、あっけなく筆者にやり込められてしまった。生っちょろい日本人なら、「日韓友好」でお茶を濁しただろうが、筋金入りの日本男子だと妥協はしない。日本の名誉は国外追放になっても守る。昭和天皇が批判されれば、逮捕されようとも反論する。それが戦争で命を捧げた我が軍の英霊に対する感謝である。戦場で敵軍に突入した一兵卒を思えば、論争くらい何でもない。一般の日本人が外国で屈辱を味わうことは良いことだ。外国に住むことで日本人は、国家の名誉が大切であることを学ぶ。日本国への侮蔑が、自分に対する侮蔑と感じられるからだ。

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(左:白真勲の選挙ポスター / 右:韓国のために頑張る白真勲)

  一般の日本人は、帰化した朝鮮人や支那人が、自分の仲間になるとは思っていない。国籍は運転免許証みたいに、日本に永住するための会員カードくらいにしか考えていないのだ。米国で日本の歴史や皇室を侮辱する帰化朝鮮人や帰化支那人に対して、「お前それでも日本人か」とは言えないだろう。日本人の家系じゃない者たちを叱っても無駄である。敗戦の辛さを共有しないアジア帰化人は、「天皇なんか関係ないよ」とか「何で天皇を尊敬しなくちゃならないの?」と吐き捨てるように言うだろう。在米日本人は帰化人を陰で「あの人たち」と呼び、よそ者扱いにするんじゃないか。こうして日本人と帰化人の溝が深まり、日本国内で新たな種族対立が発生するのだ。意識調査でも、日系日本人とか支那帰化人1世、フィリピン系混血児とかの分類が必要になるだろう。将来は「我々日本人」という表現すら時代遅れになり、数種類の血統が混ざった「国際人」が普通の日本人となる。七色の虹があるように、七つの民族が混ざった「レインボーマン」が珍しくない日本になるだろう。そうなれば、日本人とは何かという問いに、「日本旅券を持つ人」という答えしかないだろう。近い将来、「へ~ぇ、昔は天皇とかいう奴を尊敬する人がいたんだ」と驚く子供が普通になるかも知れない。まさか、と思う人は幸せだ。
   


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