無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

アジア論

朝鮮名と出自が恥ずかしい ! / 怨念を抱く朝鮮人 (後編)

恥ずかしい家系と家庭内騒動

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  日本の学校教育はどこか“いびつ”で、「朝鮮人問題」は深刻な政治課題であるにもかからわず、戦後から“ずっと”日本社会の“タブー(禁忌)”になっていた。日本人は受験勉強なら必死に取り組むが、自分が通っている学校の教育内容には興味が無い。たとえ学校の先生が教育熱心でも、人生で大切な恋愛や銭儲けについては教えないし、節税の方法はおろか、役所がどう公金を使っているのかも教えないのだ。しかも、情報社会に潜む危険性にも無頓着。子供達はみんなテレビを観ているのに、テレビ局の内情を暴露する教師なんて聞いたことがない。

  朝鮮人に関する説明も同じだ。世の中に出れば、各界の要職に「クリプト鮮人(正体を隠した朝鮮人)」が就いているのに、どうして彼らが日本に住み続けているのか、なぜ追放されないのか、普通の日本人にはサッパリ解らない。永田町では公明党を率いる創価学会と、韓国民団および朝鮮総連は隠然たる権力を誇っている。しかし、地上波テレビがこれらの組織を特集することはなく、「何となく触れてはいれない存在」となっているだからおかしい。NHKの「ETV」やTBS「報道特集」でも、民団と総連の起源や犯罪を追求するドキュメンタリー番組は作られることがなかった。

  ちなみに、高倉健が田岡一雄(たおか・かずお)組長の役を演じた『山口組三代目』(昭和48年)は、今でも放送禁止となってる。なぜなら、「第三国人」と呼ばれた不逞鮮人が、日本人の女性を強姦するシーンがあるからだ。ゴロツキ鮮人による輪姦を目撃した田岡氏は、陵辱された婦人を救うべく、必殺技の「目潰し」攻撃で格闘し、不逞鮮人を撃退した。日本の観客はこの勇気に拍手喝采だったけど、在日鮮人は血が沸騰するほど激怒した。それゆえ、健さんが亡くなっても放映はNG。『夜叉』とか『幸せの黄色いハンカチ』ならOKだが、『山口組三代目』は「無かったこと」になっている。“故人を偲んで”も駄目なものはダメ。(在日朝鮮人の過去を紹介すると長くなるので、拙書『』支那人の卑史 朝鮮人の痴史』第5章を読んでね。)

  ここで前編の話の続きを述べたい。フォトジャーナリストの安田氏は、同胞である在日鮮人や帰化鮮人にも取材を行っていた。彼女が紹介する人物で注目すべきは、中村一成(なかむら・いるそん)というフリーのジャーナリストだ。彼は元々「毎日新聞」の記者で、個人的に民族問題や朝鮮問題に関心があるのか、『ルポ 思想としての朝鮮籍』とか『ルポ 京都朝鮮人学校襲撃事件』という本を書いている。京都の事件については色々と反論があるので、ここでは述べないが、朝鮮学校を取材し、記事を書くジャーナリストには、意識的あるいは無意識的な朝鮮贔屓が多い。というよりも、こうした社会事件を取り上げるのは、左翼知識人か朝鮮系ジャーナリストがほとんど。

  朝鮮問題に敏感な中村氏は、朝鮮人の母親と日本人の父親を持ち、大阪府の寝屋川で生まれたという。母方の祖父はプレハブ会社を営み、そこへ転がり込んできた職人というのが一成の父親であった。一成の父親と母親は駆け落ちで結婚し、息子の一成と二人の娘をもうけた。次女が生まれた時、彼の一家は枚方市に移り住み、後に父親は自分の土建会社を興す。

  一見すると、“ごく普通の家庭”に思えるが、一成の父親は暴力亭主だった。この父親は自制が利かなくなると、分厚い灰皿や建材などを叩き割って周囲を威嚇したそうだ。特に、酒を飲んだ時が最悪で、酔っ払うと彼の父親は家の中で暴れ回り、その矛先を妻に向けたという。なぜなら、彼の女房が「朝鮮人」であったからだ。駆け落ちまでして夫婦(めおと)になったのに、妻は自分の正体を明かさなかったんだから、夫の不満にも一理ある。一成の母親が出自を告白した時、彼の父親は「騙された」と憤慨したそうだ。

  つくづく思うけど、朝鮮人の家庭には結構、民族起源の不幸が多い。一成の母親は亭主から「朝鮮人」と侮辱されても、「日本人や」と泣きながら反論し、亭主の足にすがっていたという。しかし、正直な告白を受けても、亭主の怒りは治まらない。激怒した夫は夜中に妻を踏みつけ、唾を吐きかけることも。在日鮮人なら必ず「ヘイト・スピーチ」と叫んでしまうが、一成の父親は妻に向かって、「お前は血が汚い」「お前は日本人じゃないか、子供は俺のもんや」と言い放った。(安田菜津紀『あなたのルーツを教えて下さい』左右社、2022年、p.105.)

  一方、息子の一成は子供の頃から母親が「日本人」でないことに気づいていた。鮮人の子供は、愛する母親が朝鮮人でも日本人でも構わないが、騙された亭主の方は嘘に基づく結婚には耐えられない。怒りの矛先は子供達にも向けられたようで、父親は食事中に剥き出しの短刀を娘(一成の妹)に投げることもあったそうだ。息子の一成も殴られたことがあり、二回ほど鼻の骨を折られている。彼の父親は、「お前も母親と同じ目をしている」とイチャモンをつけ、暴力を加えることもあったそうだ。(上掲書、p.106.)

  こんな仕打ちをされたら一成が父親を憎み、工事現場で死んでくれないかと願っても無理はない。彼を咎めるなんて酷だろう。何しろ、壁一枚隔てた部屋で父親が母親に対して暴言を吐き、侮辱するんだから、息子としては居ても立っても居られまい。一成は「いつか殺してやろう」と思ったそうだ。中学生の時、彼はベッドの下にサバイバルナイフを隠していたというから凄い。「父親が母親に何かした時、殺すしかないと思っていた」そうだ。しかし、この父親は子供を溺愛する側面を持っており、経済的に惨めな思いをさせたくないという気持ちもあったらしい。時計の針を戻して独身時代に戻れない父親の悲哀が滲み出ている。

  全員とは言わないが、朝鮮人の配偶者には、悲惨な過去を持つ者が多い。一成の母親は夫から何度蹂躙されても、決して子供達に自分の出自を明かすことはなかったという。彼の母親は高校時代に「新井」という“通名”を使っていた。「木村」とか「山本」「安田」という日本名も、在日鮮人がよく用いる偽名だ。一成の母親は素性の発覚を恐れたのか、卒業アルバムの顔写真の下にある名前の部分を何か鋭いモノで削り取っていたという。たぶん、子供達に見られたくなかったのだろう。

  そんな母親が自分の出自を話したのは、一成が高校生の時である。一成にはもう一人の祖父がいて、母親曰わく「あっちの人」であるという。彼女の両親は離婚したそうで、独身になった祖母は日本人と結婚した。それがプレハブ会社を経営する祖父であった。母親が打ち明けるまで、一成は血の繋がった祖父を知らなかったという。

  ところが、実の祖父は、如何にも小説に出てきそうなダメ男。色々な朝鮮人の自叙伝にも似たような話があるけど、一成の祖父も同類で、「飲む・打つ・買う」に加えて、「暴力」も酷く、ヤクザ並であったという。気に食わないことがあれば、祖母の髪を摑み、引きずり回したというから酷い。(上掲書、p.107) それゆえ、祖母は亭主を酷く憎んでいた。

  祖父の死後、一成の母親は祖父の親戚と縁を切ったそうだ。なぜなら、自分の父親だけでなく、二人の叔父もヤクザであったからだ。一成の母親によれば、「あの二人は“その世界”しか知らなかった」という。母親が恐れたのは、息子の一成が彼らに近づくことだった。(上掲書、p.108) チンピラや暴力団になる在日朝鮮人と聞けば、何となく、そのイメージが目に浮かんでくるから実に不思議だ。祖母と一成の母親は、一成が小学校高学年の時に日本国籍を取得し、在日鮮人のコミュニティーとの縁を切ったそうである。

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  親戚との関係を断ち切っても、民族の文化は存続したようで、朝鮮人の家庭では必ず「キムチ」が伝統の中心となる。日本人からすると「クズ野菜の漬物しか自慢する文化が無いのか?」と尋ねたくなるが、朝鮮人にはキムチに関するエピソードが多い。一成の祖母が作るキムチは独特で、ニンニクが入っていなかった。その代わり、生姜と韮(にら)がたくさん入っていたが、「水っぽく、とても旨いとは言えなかった」そうだ。しかし、それは「ニンニク臭い」という鮮人蔑視が原因となっていた。一成の推測によれば、ニンニクの匂いを避けるために、祖母が考えた作り方であったという。

  在日鮮人や帰化鮮人にとり、「本名(民族名)」を名乗ることには勇気が要る。何しろ、友人に対しては、ずっと「通名」を使い続けていた訳だから、高校生や大学生になって急に別の名前に変えれば、周囲の者は「えっ、どうしたの?!」と驚く。しかも、それが朝鮮名となれば尚更だ。親友の見る目だって違ってくるんだから。同級生が動揺し、どちらの名前で呼んでいいのか、戸惑う姿が目に浮かぶじゃないか。「金田」君が「金」君に変わっても、マイナー・チェインジみたいだけど、「木下」君が「朴」君、あるいは「鄭」君と変えれば「別人」みたいだ。

  中村氏は大学卒業後、毎日新聞社に就職する。彼は新聞社時代から「いるそん」という朝鮮語読みの名前を使い始めたそうだ。毎日新聞の系列であるTBSでも、朝鮮人社員は珍しくないから、民団出身者が本名で勤務しても不思議じゃない。ただし、キャスターとして傭う女性が、「金玉(キム・オク)」という朝鮮名だと困るだろう。ニュース番組を観た子供達は、「うあぁぁ~、女の人なのに“キンタマ”だって !!」と大爆笑だ。もちろん、学校でも話題となるから、朝鮮系のクラスメイトは黙ってうつむくか、素性を隠しながら日本人と一緒に笑うしかない。

  在日鮮人は、よく日本人の「民族差別」を非難するが、同胞の差別だって酷いものがある。中村氏が或る商工会の在日鮮人に会った時のことだ。この朝鮮人は中村氏に対して民族名を印刷した名刺を差し出した。そこで、中村氏は自分の母親が在日鮮人であることや、母親の帰化について話したという。ところが、彼の告白を気に食わなかったのか、相手の鮮人は彼に渡した名刺を奪い返し、「あんたにはこれで十分やろ」と言って、通名の名刺に差し替えたそうだ。(上掲書、p.111.) おそらく、日本に帰化するというのは、朝鮮民族、すなわち在日同胞に対する“裏切行為”なんだろう。

  日鮮混血児の自己識別は複雑だ。日本で生まれ育つと、日鮮のどちらに所属するのか判らなくなる。中村氏が大阪にある民族学校の講師と会った時のことだ。この講師は彼に対して言う。「君は朴一成(ぼくいるそん)と名乗るべきだ、それが子供たちを励ますことになるんだ」と。しかし、中村氏は共感するどころが、むしろ不愉快になり、怒鳴り散らしたそうだ。「“どちらか”にならないと、あなた達は私のことを受け容れないのか、私のありのままを受け容れられないのか」と中村氏は怒ったらしい。まぁ、朝鮮人からすれば、偽りの「通名」を使わず、正々堂々と「朝鮮名」を名乗るべし、という考えなんだろう。

  鮮人支援者というのは、なぜか在日鮮人(特に南鮮人)に対して甘くなる。異国である日本に住み着いているから、彼らが様々な不便を蒙ったり、朝鮮民族ゆえの差別に遭うのは当然だ。大半の日本人は排外主義者ではない。だが、朝鮮人とか支那人になると別。生理的に嫌いなんだからしょうがない。日本人の拒絶反応が厭なら、さっさと祖国へ帰れ !「鼻つまみ者」であると判っていながら、意地でも日本にしがみつこうとするから朝鮮人は毛嫌いされるのだ。

  在日鮮人は図々しく、外国人なのに我が国に住み着き、「日本国民」と同じ権利を要求する。中村氏は在日鮮人の「制度的無年金」を巡る裁判に興味があるようで、日本政府が「在日外国人」を長いこと国民制度の対象外としたので腹を立てている。(上掲書、p.114) しかし、在日外国人を「日本国民」と見なすのはおかしい。在日鮮人は長期在留を根拠に年金をねだるが、南鮮は日本の属州なのか? どうして異国の日本が南鮮国民を世話しなければならないのか? 在日北鮮人も年金が欲しければ、金氏朝鮮に掛け金を払って「北鮮国民年金制度」を主張すべきだ。朝鮮総連を通して掛け金を払えばいいじゃないか。

  安田氏も他の鮮人活動家と同じく、日本の過去を糾弾して自己正当化を図っているようだ。朝鮮支援者や在日鮮人達は、何かにつけ「日本の植民地支配」や「戦争に翻弄され続けてきた人々」という表現を使いたがる。安田氏は難民条約を引き合いに出し、外国籍・無国籍の障碍者が法的処置から除外され、無年金のまま放置されている、と非難する。朝鮮人は「植民地支配を謝罪しろ !」と目くじらを立てるが、日韓併合は通常の植民地支配とは程遠く、むしろ支配された朝鮮人の方が得をし、搾取されたのは日本人の方だ。日本統治は朝鮮史では考えられないほどの黄金時代であった。朝鮮半島に注ぎ込む金があるんなら、日本の東北地方に使って、現地のインフラ整備を促進すれば良かったのに、政府は極貧朝鮮の開発を優先したのだ。乞食より汚い朝鮮人が、日鮮合邦で「人間」にまで昇格し、何と憧れの「日本国民」にもなれたのに、朝鮮人ときたら不平ばかり。もう、イチャモンとしか言い様がない。もし、10億円の宝くじが当たった鮮人が、「手荷物が重くて厭になる !」と不平を述べたら、周囲の日本人はどう思うのか?

  だいたい、朝鮮人は無辜の民に扮して「戦争被害」を口にするが、戦争で翻弄されたのは朝鮮人ばかりではない。戦前は、軍隊に志願する鮮人青年も存在したじゃないか? それに、我が国の敗戦で「植民地支配」から解放されたのに、なぜ内地に住む鮮人は故郷に帰らなかったのか? 在日1世は子や孫に本音を語らず死んでいったから、左翼教育を受けた3世や4世がグレてしまうのだ。日本に残留した朝鮮人は、つべこべ言わずに帰国すべきで、金王朝を嫌う北鮮人は、日本国籍を取らずに、同胞がいる南鮮の国籍を取れ。

  もし、在日南鮮人の老婆が「無年金」で困っているなら、韓国政府に助けを求めればいいじゃないか? 在日鮮人どもは「我々も税金を払っているんだ !」と主張するが、他の在日外国人だって日本に税金を払っている。在日南鮮人は半島に帰り、祖国の発展に貢献しろ ! 第一、彼らはどうして祖国に納税しなかったのか? そもそも、「血税」を逃れた連中が日本政府に文句を垂れるなんておかしいぞ。(註 / 「血税」とは徴兵制度に基づく税であり、金銭で払う税ではない。日本のマスコミは「庶民の血税を搾り取る財務省」といった表現を使うけど、現在の日本には徴兵制度は無い。)

  朝鮮人に同情する「なんちゃってリベラル」の日本人は、なぜ朝鮮人が祖国に戻らず、“差別大国”の日本に住み続けているのかを考えるべきだ。我々が改めて考察すべき点は、日本人の“差別意識”ではなく、朝鮮人が抱く“自己嫌悪”の方である。在日鮮人は祖国の同胞を観るのが嫌いだ。つまり、「恥ずかしい民族」と判っているから、自分が同類と思われるのが、嫌で嫌で堪らないのだ。口にこそ出さないが、朝鮮人は「自慢できない祖国」と嘆いている。

  友達に正体を隠す在日鮮人は、「チョーセンジン」という言葉を聞いただけでもゾッとしてしまうのだ。祖父母は朝鮮文化を捨てきれないでいるが、半島に行ったこともない孫にしたら、朝鮮文化の何が素晴らしいのか、ちっとも判らない。フジテレビや日テレは、「K-POP」なんかを囃し立てるが、こんな音楽はアメリカ人の猿真似だ。日本育ちの鮮人娘にとったら、朝鮮の伝統衣装なんて興味が無い。チマ・チョゴリなんて囚人服みたいだ。それよりも、鉱山人夫が穿く「ジーンズ」の方がいい。

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(上写真   /  日本に支配される前の朝鮮人 )

  音楽でも同じで、野暮ったいアリラン(朝鮮民謡)なんて聴きたくもないし、アリランを唄っている姿を友達に見られたら顔から火が出るほど恥ずかしくなる。また、煩わしい先祖供養なんて御免だし、あのドロドロした朝鮮宗教は見るのも厭だ。親戚一同が集まる墓参りや宴会も陰鬱である。自分が「朝鮮人」と判って悲嘆に暮れる小学生だと、涙を浮かべながら「ママ、どうして僕、チョーセン人なの?」と訊いてしまう。朝鮮の血筋を嫌う少女なら、早く日本人と結婚して「金」とか「崔」といった本名から逃れたいと考える。ウェディングドレスだって御洒落な西洋風がいいし、新婚旅行もミラノやローマ、パリ、ウィーンなどがいい。夢見る少女は、釜山や京城なんて選ばない。

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(左 : と中央「乳出しチョゴリ」の鮮人女性   /  右 :「歴史偽造」による「色鮮やかな民族衣装」を着た現代の鮮人女性 )

  在日鮮人や帰化鮮人は、朝鮮人を嫌う日本人に恨みを抱き、「ヘイトスピーチを赦せない !」と憤るが、異邦人の日本人よりも自分の両親や祖父母を非難すべきだ。戦争後、さっさと故郷に帰っていれば日本人による差別は無かったはず。いくら朝鮮半島が貧しくとも、周囲の者は皆「朝鮮人」なんだから、子供は「朝鮮イジメ」に遭わない。在日鮮人の中には「日本生まれ」を口実にする者がいるけど、それなら学校で英語を学ばず、「母国語」である朝鮮語を学んで、南鮮での就職を考えればいいじゃないか。16歳か18歳になれば朝鮮半島で寮生活を送れるし、朝鮮人の友人も作れるから、その方が幸せだろう。南鮮企業に就職すれば朝鮮人との結婚も可能だし、徴兵制度に応じて国家への義務を果たすことができる。「朝鮮へ帰れ !」は「ヘイトスピーチ」じゃない。「祖父母や曾祖父母が眠る祖国へ戻れ !」が、どうして民族差別になるのか? 在日鮮人の2世、3世、4世にとって、祖国は生き地獄なのか? 朝鮮人に同情している日本人は、自分が何を言っているのか、よく考えるべきだ。




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「テナントビル」や「雑居長屋」と化す日本 / 怨念を抱く朝鮮人 (前編)

「ヘイトスピーチ」に敏感な朝鮮人

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(左 : 日本に増えつつある支那人   /  右 : 米国に住み着いたムスリム移民)

  かつて、日本は「日本人の国」であった。少なくとも、平成の初期くらいまでは、「日本らしい日本」があったし、田舎に行けば、まだ「昔風の日本」が残っているはずだ。しかし、都市部では既に「人種の坩堝」が形成され、支那人や朝鮮人ばかりではなく、フィリピン人やタイ人、ベトナム人、インド人、ベンガル人、パキ人、ペルシア人、トルコ人、クルド人に加え、アフリカ黒人やヒスパニック系の南米人まで増えている。

  普通の日本人は「アジア人との多民族社会」とか「多文化主義に基づく共存」なんて求めていないが、テレビ局や新聞社に居坐るリベラル編集員や左翼分子、とりわけ支那人や朝鮮人の血を引く正社員は、幸せだった日系人の「伝統的な日本」を心から憎んでいる。NHKやTBSを見れば判る通り、数は少なくとも左翼系や朝鮮系の職員は、ある程度の発言権を有し、日本人のアジア嫌いを糾弾する番組制作に躍起だ。

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  皆様ご存じの通り、TBSは左翼路線を基調にし、『サンデー・モーニング』のような朝鮮人参加番組を垂れ流している。この名物番組には張本勲や姜尚中が登場して批判の的になったが、フォト・ジャーナリストの安田菜津紀(やすだ・なつき)も出ていた。彼女は雑誌やコラムで明かしたように朝鮮系で、様々な過去を持つ人々を取材して本を書いた。安田氏は著書『あなたのルーツを教えて下さい』の中で、自分の父親が隠していた出自に触れていたが、それに飛びつく日本人がいるので裁判沙汰になったりする。例えば、日本に帰化した父親に関しては、「密入国者では?」と侮蔑する日本人もいたそうで、彼女はTwitterで父を侮辱した日本人二名を訴えていた。安田氏はツイッターに書き込んだ匿名の投稿者に対し、それぞれ195万円の損害賠償を求めて裁判を起こしたそうだ。

  確かに、証拠も無く父親を「密入国者」と呼べば、娘の安田氏も怒るだろう。在日鮮人の中には、戦前からの定住者や帰国しないで留まった者、さらには帰化人の2世や3世もいるから、全員を「密入国者」と括るのは間違っている。だいたい、「匿名の投稿」をする者は、素性を不明にしたことで安心しがちだ。彼らは勝手な憶測で決めつけることが強く、「馬鹿丸出し」という投稿者も少なくない。侮辱されたと思う朝鮮人は、泣き寝入りすることなく名誉毀損で訴えてくるから、安直な誹謗中傷は高くつく。

  ただし、朝鮮人に対する批判や表現が、どこまで「ヘイトスピーチ」に当たるのかは微妙なところである。名誉毀損の裁判では、裁判官の思想や判断で驚くような判決が出るので、一般国民が昔の常識で考えていると酷い目に遭ったりする。大学で真っ赤な授業を受けてしまうと、判事は非常識な判決を下してしまうので、最近の法廷を「まともな御白洲」と考えるのは危険だ。

  ついでに言うと、代理人である神原元弁護士が明かしてい点が気になる。Twitter に書き込まれた「チョン共」という表現は侮蔑語らしく、裁判所が「差別用語」と認めたそうだ。(簱智広太「在日コリアンの父に『密入国では?』ヘイト投稿に賠償求め、娘が提訴」Buzz Feed News, 2021年12月8日) 巷の庶民は起源が謎の俗語を使っており、裁判官も世間に従い、「チョン」というのが「朝鮮人に対する差別語」と思っているようなので頭が痛い。

  そもそも、裁判官は一体どんな理由、つまり、どのような語源や学説に基づいて「差別用語」と判断したのか? まさか、「在日鮮人が騒ぐから」という理由で差別認定をした訳じゃなかろう。国語事典で調べると、「ちょん」は「印の点」とか「頭の悪いさま」を意味するが、「朝鮮人への蔑称」という意味は無い。「バカチョン・カメラ」は朝鮮人を馬鹿にした名称ではないのに、庶民は「チョン」を「馬鹿な朝鮮人」を指す言葉と思っている。ちなみに、広辞苑の初版では「鮮人」が「蔑称」になっている。どうして略語が侮蔑語になるのかは不明だ。辞書は版によって内容が変更されているから、購入者はよく調べないといけないぞ。

どうやって日本に入ってきたのか?

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(上写真   /  ベトナムを脱出したインドシナ難民)

  子供の頃は自分を「日本人」と思っていた安田氏は、亡くなった父親が「日本人」ではなく、「外国人登録書」を持つ帰化鮮人であったことに驚く。彼女自身、南鮮のニュース・キャスターが朝鮮語で情報を伝える光景を目にすると、鼻でせせら笑う雰囲気に同調し、「日本より遅れている国」という映像にも違和感が無かったそうだ。(安田菜津紀『あなたのルーツを教えて下さい』左右社、2022年、p.17.)

  自分の出自に気づいた安田氏は、色々な家系を持つ外国人に興味を持ったようで、何名かのアジア系帰化人にインタビューを行っていた。その内の一人が、南雅和(みなみ・まさかず)という帰化ベトナム人だ。彼の本名は「ジャン・タイ・ドゥアン・ビン(Giang Thai Tuan Binh)」といい、東京の内幸町で「「イエロー・バンブー」というベトナム料理店を営んでいる。令和の日本人は色々な「エスニック料理」を好んでいるようだが、「オールド・タイプ」の日本人が好む料理とは言いがたい。筆者も学生時代、友人がベトナム系だったので、一緒に池袋のベトナム料理店で肉やスープを食べたが、「人気の外国料理」とは思わなかった。多民族国家のアメリカでもポピュラーじゃない。たぶん、都市部にあるベトナム料理店では、イタリア料理店やフランス料理店とは違って、ベトナム人の客が主流なのかも。

  南氏は1983年に14歳で南ベトナムから「難民」として入国し、そのまま日本に住み着くようになった。「南」と改名したビン氏は、家族の過去を安田しに話していた。彼の父親は南ベトナム政権の関係者であったらしい。しかし、サイゴン陥落後に逮捕され、山奥の収容所へ連行されたそうだ。残された家族は離散し、息子のジャン(南氏)は祖父母と暮らすことに。彼の祖父は孫の将来を憂慮し、新しい場所での生活を勧めたらしい。そこで、南氏は家族にも内緒で密航計画を実行したそうだ。(上掲書、p.29.)

  1983年8月、南氏は単身で「木造船」に乗り込み、憧れの日本を目指した。その小さな漁船には30人がやっとであったが、何と、105人もの「密航者」が乗り込み、鮨詰め状態であったという。この密航船は4日間も海を漂流し、やがて沖縄水産高校の実習船に発見されることになった。高校の実習生が漂流船を発見するや、責任者の船長は救助を決定し、次の寄港地であるフィリピンのマニラに連れて行ったという。その後、実習船は長崎の「大村難民一時レセプション・センター」に向かい、「ベトナム難民」達は、日本赤十字社が設置する沖縄県の「本部国際友好センター」に収容されることになった。彼らは約8ヶ月間ねそこで暮らすことになったという。

  日本到着後、保護されたベトナム難民らは、東京品川区にある「国際救援センター」に転送され、日本定住のための支援を受けるとこになった。ビン氏は日本国籍を取得する際に改名を望み、「南」と決めたそうだ。この日本名は難民支援に尽力した犬養道子が考えた。また、「雅和」という名前には、日本で平和に生きて欲しいという希望が込められているそうだ。(上掲書、p.31)

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(左 : 米軍に助けられたベトナム難民   / 右 :「ボートピープル」と呼ばれたベトナム難民  )

  日本が難民条約に署名したことは、国家を揺るがすほどの失策である。「歐米諸国に倣え」というのが、国会議員と外務省の習性で、異民族の受け容れがどんな結果を招くのか、ちっとも考えない。そもそも、国家の安寧や日本の國體なんかは「自分の票」にならないから、「どうでもいい他人事」なんだろう。国益を考える保守派議員でさえ、「厄介な問題」としか思っていないのだ。ところが、移民や難民を連れ込むことで日本社会を変えようとする左翼は、手間暇惜しまず外国人の定住に協力する。なぜなら、日系日本人を「反日分子」や「革命勢力」に仕込むより、最初から「非日本人」の支援者を増やした方が、「伝統破壊」に好都合であるからだ。

  海外ニュースを訊いている人なら解ると思うが、移民や難民は歓迎した歐米諸国は、異民族の流入でもがき苦しんでいる。ところが、我が国の首相や自民党は、国防意識が全く無い脳天気。NHKを始めとする主流メディアが「日本の難民受け容れ数は極端にすくない」と騒げば、「じゃあ増やします !」と答える始末。自分の利権にしか興味のない国会議員は、ギャアギャア喚(わめ)くマスコミを宥めるため、「ちょっとくらいなら受け容れようか !」という“空気”に流されやすい。怪しい方法で日本にやって来る「難民」というのは、迫害に苦しむ「弱者」を装っているが、それは日本に留まるための方便でしかない。本当は狡猾な侵入者で、実に計算高い連中だ。実際、彼らの中には何度も難民認定の申請を繰り返す常習犯がいて、粘り強く滞在延長を求める居候が混ざっている。これは甘っちょろい日本人を見透かしている証拠だ。

  話を戻す。真面目に働く南氏に対しては、好印象を抱く日本人も多いだろう。しかし、南氏の言動には疑問が多い。彼は難民受け容れを渋る日本に失望したそうで、外国人に対して門戸を狭めている日本を嘆いていた。安田氏の取材に応じた南氏は、「進歩が見られず悲しい」と語っていた。曰わく、迫害により祖国で生きて行けない、やむを得ずやって来た人がいるのに、「日本で暮らしたい」と考える人々に対して、「日本政府の考えはあまりにも古い」そうだ。(pp.34-35.) 

  このように嘆く南氏は、弱い立場の外国人に味方しているが、彼は我々の日本を「何」と考えているのか? どうしてベトナムやアジア諸国で迫害される人々を、アジア人でもない日本人が受け容れなければならないのか? もし、現地の政府に迫害されたのなら、日本じゃなく、近くのタイやマレーシア、フィリピンに向かえばいいじゃないか? どうして渡航が困難な日本を選んだのか? 辛い目に遭った「難民」というが、その多くは「経済難民」という側面が強く、「どうせ移住するなら、豊かで安全な日本がいい」という魂胆だろう。何しろ、日本人は在日外国人にも生活保護を与える「お人好し」であるから。

  日本人の負担となる「難民」はもちろんのこと、「密航計画」を手助けするブローカーの存在も深刻な問題だ。仲介業者に金を払って渡航するなんて、普通の日本人では考えられない。そもそも、密航船を手配するのは、一般的に闇社会の人間だ。旅行代理店は偽造パスポートなんか販売しないし、子供をボロ船に乗せるなんて考えない。闇市でお金をセビるのは、マフィアの類いか個人営業のチンピラだろう。南氏が接触した仲介業者も、犯罪組織の人間なのかも知れないぞ。 所謂「難民」に在留許可や国籍を与える法務省、ならびに外国の犯罪組織に詳しい外務省は、ベトナム難民を手助けした仲介業者を特定し、誰なのかを公表できるのか? 密航者が日本で“真面目”に働けば、やがて日本国籍が手に入るというのはおかしい。

  それに、難民特集を垂れ流すテレビ局だっておかしい。昔、NHKは日本へ逃れてきたクルド難民を取材したが、NHKの制作者はトルコで迫害されたクルド難民に同情するばかりで、彼が如何なる方法で日本にやって来たのかを問い質すことはなかった。だいいち、トルコから飛行機に乗ってやって来る「難民」なんて怪しいぞ。難民申請者の中には、観光ビザで入国した後、祖国の政変を口実に「難民申請」を行う小狡い奴もいるし、祖国で警官に石を投げつけたから「政治亡命者だ」と言い張る奴もいる。

  反日分子が居坐るNHKは、「いいがわしい方法」で入国したと判っていながら、敢えてそれに触れず、「お涙頂戴話」で番組を締めくくってしまう悪癖がある。どうしてNHKやTBSは、在日トルコ大使館に赴き、クルド人を迫害するトルコ人に「怒り」をぶつけないのか? 日本政府はトルコとの“友好関係”を保っているが、「人権蹂躙」を犯す国家との「友好」なんておかしい。フジテレビや日テレの報道番組も、在日トルコ大使に取材を申し込み、即座に迫害を停止し、クルド人への謝罪と賠償を求めるべきだろう。しかし、日本の主流メディアは国際的な厄介事を避け、判断力が無い一般庶民を洗脳することだけに情熱を燃やしている。

憧れの日本で結婚生活

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(上写真  / 「ロヒンギャ」と呼ばれるベンガル難民 )

   日系国民が大切にする「日本」というのは、日本人が先祖代々受け継ぐ「祖国」を指す。我が国は誰でも入居できる「テナントビル」じゃない。確かに、豊かで先進国の日本に住みたがるアジア人は多いけど、日本人の方はアジア人との共存を望んでいないから、大学生とか実習生、あるいは「語学留学生」や「職業研修生」としてやって来る出稼人に対しては、否定的な態度を抱いている。ただ、露骨に「アジア移民は嫌い !」と言えないから黙っているだけだ。

  アジア諸国からは「政治的迫害」を口実にして入国する「難民」や、自分勝手な理由で日本を目指す「移民」が本当に多い。カディザ・ベゴム(Khadiza Begum)という移住者もその一人だ。ベゴム氏自身は、ビルマの少数民族である「ロヒンギャ」の出身であると述べている。日本のマスコミが呼ぶ「ロヒンギャ」というのは、実質的にベンガル人のことで、ビルマ人は彼らを「バングラデッシュからの流民」と考えている。

  ついでに言うと、現在「ミャンマー(Myanmar)」と呼ばれる国は、元々「ビルマ」と呼ばれており、1989年から新しい国名となっただけ。戦前の日本人はみんな「ビルマ」と呼んでいたから、いくら「植民地時代の匂いがするから駄目」と言われても、我々には慣習的な名称を廃棄する義務は無い。「ビルマの竪琴」が「ミャンマーの竪琴」に変わったら可笑しいじゃないか。「ペルシア人」という名称も変える必要は無く、マスコミが「イラン(アーリア)」と呼んでも、庶民は「ペルシア」のままで良い。もし、「アーリア人の国」と呼ぶなら、「ペルシア猫」が「イラン猫」になってしまうじゃないか。発音だけだと「要らん猫」に聞こえてしまい、猫ちゃんが可哀想だ。

  脱線したので話を戻す。カディザの父親は医者であったが、民主化運動に参加したことで身に危険が及び、1970年代にバングラディッシュへ逃れたそうだ。(上掲書、p.39) 脱出後、彼は妻子を呼び寄せ、「ロヒンギャ」という素性を隠しながら生きることにしたらしい。娘のカディザは父のような医者になるべく、全身全霊を以て勉強に打ち込んだが、身分を示す「書類の壁」が原因で、その夢を追い続けることが出来なくなったという。

  そんな時、カディザは母親の親戚であるムシャラフと出逢う。ムシャラフも民主化運動に携わった逃亡者で、ビルマ政府の迫害を逃れるべく、南鮮経由で日本に渡ったそうだ。(上掲書、p.41.) これまた、どうして朝鮮経由で日本にやって来たのか? 命が最優先なら、南鮮に定住すればいいじゃないか? 
どうして海を越えて日本へやって来るのか? たぶん、朝鮮人が嫌いなんだろう。とにかく、ムシャラフは難民認定を受けるまでの二年間、相当苦しい生活を余儀なくされたそうだ。それでも旅券の代わりとなる「再入国許可証」を手に入れたので、しばらくぶりにバングラディッシュへ戻ることができた。

  カディザの両親は娘の結婚を望み、バングラディッシュに留まるよう求めたが、彼女は日本への渡航を渇望していた。おそらく、娘の熱意に負けたのだろう。両親はムシャラフとの「結婚」を条件に、遠く離れた日本行きを許したそうだ。2006年12月、ガティザは来日を果たす。彼女はRHQ(難民事業本部)」の「定住支援プログラム」を受け、6ヶ月間の日本語研修プログラムを2ヶ月間で終了したという。さらに、彼女は日本語学校で二年間も勉強したそうだ。カディザは猛勉強の末、狭き門である奨学金を得る事に成功。彼女は青山学院大学の総合文化政策部に進学することができた。まるで「宝くじに当たった」ような幸運に浸るカディザは、この大学で国際関係論や難民の人権問題を学んだそうだ。

  しかし、大学に入って直ぐ、彼女は妊娠していることに気づいた。それでも、彼女は中退せず、大きなお腹を抱えながら大学に通い続け、期末試験の前に息子のアヤンを産んだという。出産後、カディザは直ぐ試験を受けたので大変だった、と語っている。ところが卒業前、彼女は二度目の出産を迎えたそうで、卒論を提出する前に長女のヌラインを出産した。卒業後の2011年、またもや彼女に試練が訪れた。あの東日本大震災が起こり、多くの外国人が日本を去ったため、亭主のムシャラフが経営するハラール食材店は閉鎖を余儀なくされた。東京に住めなくなったカディザの家族は、「ロヒンギャ」の人々が暮らす群馬県の館林市に移り住んだ。亭主のムシャラフは工場で筋肉労働に就き、ガムシャラに働いたという。しかし、働き過ぎたのか、心筋梗塞で倒れることもあったらしい。(上掲書、p.43.)

  こうした事情を一般の日本人が聞けば、「カディザは努力家だなぁ」とか「ムシャラフも可哀想だな」と思ってしまうだろう。しかし、こうしたアジア人やイスラム教徒が住み着くと、同種族を客とするエスニック・ビジネスが出現し、日本の商店街からは日本人の客が消え去り、段々と不気味な「アジア街」と化してくる。例えば昭和の頃、上野駅と御徒町駅を繋ぐアメ横には、日本人の雑貨店が建ち並び、活気に満ちた名所となっていた。年末ともなれば色々な食材を買い求める客が詰めかけ、現地を取材するレポーターも駆けつけていた。

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( 左 : バングラディッシュからの難民 /  右 : 西歐に逃れるアフリカ難民 )

  しかし、アジア人の出稼人や研修生、留学生などが増え始めると、御徒町界隈は「イスタンブール」か「ボンベイ」のような光景になってしまった。昭和時代なら、トルコ人がデリカッセンを開き、店先に大きな焼き肉を吊るしたり、シシカバブを販売するなんて想像もできなかった。北池袋なんかは支那人に占拠され、まるで青幇や紅幇が跋扈する上海みたいだ。西口ではベンガル人が増えているというから、唖然とするしかない。(室橋裕和『日本の異国』晶文社、2019年、pp.114-132.) 代々木上原には、日本最大のモスクが建設され、サウジ・アラビアのリヤドかメッカに迷い込んだ気分になる。

  日本のアジア化は着々と進行しているようで、練馬の光が丘駅周辺にはモンゴル人コミュニティーが形成され、西葛西(にしかさい)駅付近には「リトル・インディア」が出来ていた。(『日本の異国』、pp.60-81.) 昔から外国人が多い高田馬場には、ビルマ人も増え始め、難民が寄り添う「リトル・ヤンゴン」が誕生した。(上掲書、p.82.) 近隣の埼玉県にも外人コミュニティーが出来ており、蕨(わらび)市はフィリピン人やクルド人が多く住むことから、通称「ワラビスタン」と呼ばれている。(上掲書、pp.251-278.) 八潮市にはパキ人が住むことから「ヤオシスタン」と呼ばれているそうだ。(上掲書、p.28.) 

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(左 : セクシーなフィリピン人女性   /  右 : グルメを楽しむ朝鮮人男性 )

  もう目眩がしてくるが、武漢ウイルスが流行する前は、「観光立国」を目指す政府の方針で、日本各地の観光地や商店街には、耳障りな言語を喋る朝鮮人や支那人がウヨウヨいた。「お台場海浜公園」や「Zepp東京」へ行こうとする日本人が、新交通の「ゆりかもめ」に乗れば、大きなスーツケースを引き摺った支那人が既に乗っていて、坐る場所もなければ、身動きすら困難な状態だった。新宿駅では支那語や朝鮮語の構内放送があったし、高田馬場駅にも朝鮮語が浸透しており、駅名の看板にはハングル文字が添えられていた。これは「高輪ゲードウェイ」や「浜松町」でも同じで、JRの駅では朝鮮語が記されている。インド料理店が多い神田でも、インド人が経営する店が増えたし、JR新大久保駅を出れば、「朝鮮人街」が目に飛び込んでくる。普通の日本人が訪れれば、「えっ、ここはソウルなの?」と間違えてしまうほどだ。

  話を戻す。館林に移住したカディザは、日本語が不得意なロヒンギャ女性のために語学講座を開いた。その一方で、カディザはNPO活動にも取り組んでおり、公民館に子供達を集め、勉強を教えていたそうだ。彼女は看護師や保育士になりたい外国人を支援するため、自分も何らかの資格を身につけようと思い、早稲田大学の大学院に進んだという。日本の大学にはアジア人が甚だ多く、国際関係論とか人権思想を専攻した帰化人や留学生は、日本にやってくる移民の支援や、外国人差別の撤廃活動に大忙しだ。しかし、まともで優秀な日本人は、大学で移民や難民をテーマとする専攻科目を取らない。それゆえ、必然的に民族問題の「専門家」には、日系左翼分子やアジア系帰化人が多くなる。

  日本人は出生数の減少で衰退の一途を辿っているが、アジア移民は子沢山で増える一方だ。ベンガル人やパキ人、マレー人、トルコ人、アラブ人のイスラム教徒が、留学生や研修生としてやって来れば、日本での定住を希望するし、日本人と結婚すれば、十中八九、日本から立ち退くことはない。とりわけ、日本人と結婚したアジア人は、日本での永住を求めるし、国籍取得も至って簡単だ。イスラム教徒が増えると、礼拝堂のモスクや墓場も増え、日本の街は見る見るうちにアジア地区となる。

  さらに深刻なのは、生まれてくる子供が日本の学校に通うことだ。カディザの子供達も日本の学校に通ったが、給食が「問題」となっていた。ユダヤ教と同じく、イスラム教にも食事に関する誡律があって、禁止されている食材がある。それゆえ、日本人と同じ料理を口にするとこはできない。酢豚やトンカツとなれば絶対にダメで、ムスリムの子供達は自宅から弁当を持ってくる破目になる。こうした児童を「特別扱いできない」という学校側に対し、安田氏は反論する。「一人の子供の存在自体が特別なのでは」と疑問を呈していた。(上掲書、p.46.) 確かに、学校給食をそのまま口にできないムスリムの子供は不憫だ。しかし、給食制度の維持に苦労する学校としては、「余計な手間や費用は避けたい」というのが本音だろう。不景気に陥った平成時代には、給食費を踏み倒す親まで現れたというから、昭和生まれの日本人はビックリだ。

  政治的イデオロギーを嫌う日本人は、アジア移民や難民の定住に関して沈黙するが、家の近所にベトナム人コミュニティーが形成されたり、町内会にフィリピン人やインド人が入ってくれば、途端に大騒ぎとなる。普通のオバちゃんはアジアに無関心で、ベンガル語とかウルドゥー語なんて聴いたことがない。それに、もし自分の娘が朝鮮人と結婚となれば、良識的な父親でも大反対だ。温厚な母親も同じで、息子の嫁がタイ人となれば、「どうして“あんな人”と結婚するのよ!」と嘆き悲しみ、憂鬱になってしまう。「ちょいとリベラル」が“売り”の評論家は、地上波テレビに登場し、「異文化・異民族との共存」を説くが、そんなのはインテリ・サロンの絵空事でしかない。綺麗事を並べる大学教授だって、娘の恋人が茶色のベンガル人とか、黒光りのケニア人なら、家の中で「結婚なんて絶対に許さん !」と怒鳴り散らす。

  平穏な性格の日本人でも、本音を抑圧し、建前の正義を積み重ねれば、やがて「大爆発」を迎えることになる。たとえ醜い本音でも、事態が深刻になる前に吐いた方がいい。「レイシスト」の非難を受けるが、立ち直れる軽症で済む。「寛容な精神」という忍耐にも限界はある。無理に無理を重ねれば、堪忍袋の緒が切れてしまうだろう。日本人は歐米人の失敗を真似せず、勇気を以て正直に反対すべきだ。

  後編に続く。



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