無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

アジア論

イメージが悪いアジア / 出身国を隠す異邦人

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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国籍を隠そうとする日本政府

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(左 : 植木に唾をを吐きかける支那人  /  右 : 公衆の面前で脱糞する支那人女性)

  日本の政治家やマスコミは、アジア人やアジア諸国絡みの政治問題および社会事件が起きると、なぜか国籍や素性を隠そうとする。武漢ウイルスが問題となった1月以降、総計で約95万人ほどの支那人が入国しているはずだが、政府は旅行者がその後どうなったのか、支那人の感染者数や入院患者数がどれほどなのか、具体的に発表しないから実に奇妙だ。国益を考えるはずの議員や官僚ならば、厄介者となるアジア人の動向を追尾するはず。ところが、法務省の役人ときたら、不信感を抱く国民から情報公開を求められても、「個人のプライヴァシーに係わる事なので・・・」と要求を却下する。だが、こうした回答はおかしい。なぜ、「特段の事情」で入国した外国人や、肺炎発症者の国籍を明らかにせず、色々な理由をつけて公表を渋るのか? 日本人が発症者となれば、感染した病院とかホテル、通勤ルート、住んでいる県などを公表するのに、支那人や朝鮮人となれば“極秘”扱いだ。(俳優の石田純一が泊まったホテルは、事件が発覚した後、休業に追い込まれたそうである。) 長崎に停泊中のクルーズ船からも、ウイルスの感染者や発症者が輩出されたそうだが、病院へ搬送された患者がどんな人物で、感染者はどういった国籍の者なのか、依然として分からない。

  国会議員や高級官僚は直ぐ「人権」を持ち出すが、「古来からの権利」、すなわち親子代々日本に住む日系の日本国民にとったら、そんな概念は道端の雑草か馬糞ていどの戯言(たわごと)である。我々が持つ「知る権利」の方が優先されるべきだろう。そもそも、どうして支那人や朝鮮人が入国者や発症者になると、個人や家族のプライヴァシーが特別扱いされるのか? もし、自覚症状の無いアメリカ人やイタリア人の旅行者が日本国内で発症したら、役所は直ぐさま感染ルートを調べるし、本人にも事情を訊いて、接触した人々に注意を呼びかけるはずだ。一方、報道を耳にして驚く日本人の方だって、「あの時、この外人と話をしたから、もしかして・・・」と怪しみ、周囲に移さないよう自宅待機を選ぶだろう。マスコミの心配とは違い、普通の日本人は発症者がイタリア人とかアメリカ人と伝えられても、「まぁ、わざと日本へ駆け込んで来た訳じゃないし、たまたま本人が気づかないうちに感染したんだから、患者を責めるのは酷だよなぁ~」と思うはずだ。

  加えて、もし、患者が合法的に来日した西歐人なら、殊さら国籍公表を拒む理由は無いだろう。武漢ウイルスは国籍を選んで飛んでくる訳じゃない。だいたい、NHKや民放が「今日、アメリカ人の発症者が病院に搬送されました !」と報道して、激怒する在日アメリカ人っているのか? テレビ局や新聞社に潜む左翼分子は、常日頃「ネット右翼どもは外国人を差別するヘイト集団だ !」と激しく罵るが、筆者はアメリカ人やフランス人、カナダ人、オーストラリア人の感染者に憤り、街頭デモを行う一般国民を見たことがない。(朝日や毎日新聞の記者は、保守派国民と職業右翼を同等に扱うから注意が必要だ。) また、日本のテレビ局が国籍別の患者数を報道しても、横須賀や横田の米軍士官が抗議するとは思えない。日本の法務省だけが異常で、アジア贔屓の官僚どもは、万が一、朝鮮人や支那人の入国者数や患者数を発表すれば、必ず右翼どもが大騒ぎするから、そうならないよう在日支那人や朝鮮人を保護しなくちゃ、と予め思っている。

  こうした予防策をよくよく考えてみると、アジア人への配慮を心掛ける連中ほど、アジア人を劣等民族と思っているんじゃないか。平和な日本において、“庇護すべき憐れな外国人”とくれば、アジア人だけだろう。もし、これがイギリス人とかドイツ人、あるいはケルト系フランス人なら、特別配慮なんて考えない。一般の日本人も欧米人に対して特殊な敵愾心は無いから、たとえ在日イギリス人や来日ドイツ人が窃盗や暴行をはたらいても、「悪い奴がいるもんだなぁ」と呆れるだけで、イングランドやドイツといった国を悪人の巣窟とは思わないはずだ。一般国民は遠慮して口にしないけど、「アジア」というのは未だにマイナスのイメージが強い。

  例えば、政府が郵送した妊婦用のマスクの中に、不潔なマスクが混ざっていた、という事件が起きた。これを受けて菅義偉官房長官は、4月20日の記者会見に臨んだが、製造元や輸入業者の名前を明らかにしなかった。当初、政府は5月までに厚生労働省のホームページで公表すると述べていた。(菊地直己、姫野直行、吉川真布『異物混入・・・アベノマスクに批判続く 製造社名は来月公表』 朝日新聞、2020年4月21日) ところが、激怒した国民が「なに寝ぼけた事言ってやがるんだ ! どうして5月まで待つんだ?!」と抗議したから、厚生労働省は慌てて方針を見直し、マスクの受注会社を明らかにした。政府は興和、伊藤忠商事、マツオカコーポレーションに依頼し、契約額はそれぞれ約54.8億円、約28.5億円、約7.6億円で、合計約90.9億円になったそうだ。(浜中慎哉「『アベノマスク』受注先、興和、伊藤忠など3社」 毎日新聞、2020年4月21日) ただし、残り1社の名前が公表されていないから、どうにも解せない。なぜ、安倍政権は第4の会社を明らかにできないのか?

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(左 : 職場の工場で熟睡する支那人労働者  /  右 : 不潔な工場で食品を製造する支那人)

  こうした謎の会社はともかく、製造元は公表され、受注した会社は支那やビルマ、ベトナムにある工場で作られたマスクを輸入していたそうだ。これを聞いた一般国民の中には、「だから、虫や髪の毛が付着していたり、ガーゼが変色していたのか !」と納得した者もいたんじゃないか。俄に信じられないけど、妊婦用に配ったマスク50万枚の内、80もの市町村から苦情が届き、その件数が何と1千901件に上ったという。「まさか !」と否定したいが、新聞やテレビが伝えていたから本当なんだろう。(朝日新聞の報道によれば、その後も苦情が増え、143市町村から7千870枚の不良品が報告されたそうだ。) でも実際に、こんな穢れたマスクが配布されたのか? 反日分子による捏造とは思いたくないけど、第三者による真偽の検証を望みたい。まぁ、世間の賛否は様々だが、安倍政権はこんなマスクに466億円も払ったというんだから、本当に税金の無駄遣いである。欲しくもないマスクを郵送し、図々しい外国人に給付金を配るくらいなら、疲労困憊の医療のスタッフに特別ボーナスを渡せばいいのにねぇ~。

朝鮮文化が日本でウケている?!

  日本に住み着く支那人とか朝鮮人といったアジア人は、恥ずかしさを感じているせいか、自らの血筋や素性を隠すことが多い。政治家でさえ帰化した事実を隠蔽するくらいだから異常である。ところが、西歐人だとかなり違う。さすがに、外見で直ぐバレてしまうから嘘は難しいけど、自分の国籍とか家系を恥じる事ほとんど無い。例えば、イギリス人やドイツ人、スウェーデン人、ベルギー人などが商売や留学で来日した場合、自分の国籍を曖昧にすることはないし、日本人とヨーロッパ人との間に生まれた混血児も、堂々と親の出身地や民族性を明らかにする。例えば、日本で活躍する女流棋士のカロリーナ・ステチェンスカ氏は、日本語を理解するポーランド人であるが、自分の出身国を隠さないし、日本の将棋ファンで彼女を応援する人は少なくない。(将棋ファンの筆者もその一人だ。ただし、「えりりん(山口恵梨子)」と番長(香川愛生)」の次だけど。)

  今から約30年前、筆者は新宿の厚生年金会館で行われたアクセプト(ドイツのロックバンド)のコンサートに行った時、偶然近くに綺麗な女性が坐っていたので、声を掛けたことがある。最初、「アメリカ人かなぁ~」と思って話していたが、雑談しているうちに彼女の父親がドイツ人で母親が日本人ということが分かった。確かに、ドイツのバンドを見に来ているんだから、在日ドイツ人のファンが居ても不思議じゃない。しかも、東京なんだから尚更だ。我ながらアホらしく思うが、勝手にアメリカ白人と決めつけていた当時の自分が恥ずかしい。後日、彼女のことを友人に話した時、ふと「日独混血児だと、なぜ気軽に血筋を話すことができるのか?」と疑問に思った。そして、「もし、彼女が日支混血児か帰化鮮人なら、正直に話してくれただろうか?」と自問自答したことがある。(ちなみに、一般の人々はヨーロッパ人との混血児なにると、なぜか「ハイブリッド」じゃなく「ハーフ」と呼んでいた。筆者は都知事の小池百合子と違い、奇妙な横文字じゃなく、出来るだけ日本語を使う事にしている。)

  日教組教育に染まった日本人は気づかないが、普通の日本人はかつて「同胞」であった朝鮮人よりも、ユダヤ人を迫害したドイツ人の方に親しみを覚え、大日本帝国の一部となった朝鮮よりも、「邪悪な帝国」と蔑まれるドイツの方に多大な敬意を抱いている。敗戦前から日本人はドイツ陸軍を模範とし、勇猛果敢なドイツ軍将兵に畏敬の念を抱いていた。さらに、医学や化学、物理学などで驚異的な成果を出すゲルマン民族に追いつこうと励んでいたのも周知の事実。言うまでもなく、西歐文明に憧れていた青年は、大学でドイツ語を学び、ゲーテの文学やカントの哲学に没頭していたものだ。こうした好みは平成になっても変わらず、ドイツの文化・藝術は依然として魅力的である。音楽雑誌の『Burn』を読んでもらえば判るけど、ドイツのロック・バンドは日本でも結構人気を博している。例えば、先ほど紹介したアクセプト(Accept)の他、スコーピオンズ(Scorpions)、プライマル・フィアー(Primal Fear)、ガンマ・レイ(Gamma Ray)、ハロウィーン(Helloween)、ブラインド・ガーディアン(Blind Guardian)、レイジ(Rage)など、ロック・ファンなら直ぐ思い浮かぶはずだ。バッハやワーグナーといった古典音楽もそうだけど、日本人はドイツ人の音楽に共鳴する点が多い。

Klaus Meine 1Ralf Sheperd 2(左 : クラウス・マイネ / 右 : ラルフ・シーパース)
  ちなみに、ドイツ人で日本の音楽を気に入った人もいる。例えば、「スコーピオンズ」のヴォーカリスであるクラウス・マイネは、来日公演で「荒城の月」を唄っていたし、筆者はコンサート会場で実際に「プライマル・フィアー」のラルフ・シーパースが、「朧月夜(おぼろづきよ)」を唄うのを聴いたことがある。あんな筋肉隆々のドイツ人なのに、しんみりと「菜の花畑~に~・・・」と唄うんだから、聴いている方が可笑しくなる。ラルフ本人は気に入っていたようで、二度目の来日公演でも唄っていた。NHKの反日社員は矢鱈と南鮮を「お隣の韓国」と呼び、笑顔で朝鮮人を持ち上げるが、日本語を知らない朝鮮人のロック歌手が、日本の童謡をコンサートで唄うことがあるのか? 確かに、来日した南鮮人歌手が日本語で唄うことはあるけど、それは日本への親しみというより、札束を目的としたリップサービスだろう。

  日本人は英語が苦手でもアメリカ人やイギリス人のロック・バンドを好み、何枚もCDを買ったり、高額なチケットを購入して来日公演に駆けつけたりする。だが、日本人は本当に南鮮人歌手を好きなのか? なるほど、フジテレビやNHKは熱心に鮮人ミュージシャンを支援し、「今、若者の間ではK-POPが大人気となっています!!」と宣伝する。案の定、何割かの日本人はテレビ局のヤラセに嵌まって、鮮人歌手や鮮人俳優のファンになってしまった。それでも、朝鮮語を覚えて一緒に唄う観客は少ないはずだ。そもそも、高校生や大学生の何パーセントが朝鮮語を学んでいるんだ? 高校や大学で「優秀」と評される青年は、朝鮮の文学や宗教、藝術、歴史を自分の専門にすることはない。(帰化鮮人の子孫は別。) 仮に、地政学や安全保障を専攻する大学生が、朝鮮半島の政治や社会を調べることがあっても、それは必要に迫られた“付け足し”程度で、本腰を入れて勉強する領域じゃない。朝鮮というのはせいぜい、「日本にとっての厄介者」とか「大国に翻弄される属州」という小国でしかないのだ。

  教養と常識を有する日本人は朝鮮文化に見向きもしないが、テレビ局の影響をモロに受ける若者はちょっと違うらしい。朝日新聞の記事だから「眉唾物」という側面は拭えないが、神宮桃子という記者によれば、10代から20代の若者を中心に、南鮮の化粧品や「韓国っぽい」メイク、および南鮮のファッションが人気であるという。神宮氏が取材した渡辺愛佐さん(22歳)によると、Kポップ・グループの「TWICE」などの影響で、下まぶたや髪の毛をキラキラさせるのがはやっているらしい。しかも、「顔立ちが似ていてマネもしやすい」から、もし「韓国の友人が使っていれば日本製の化粧品も使う」そうだ。 (神宮桃子 「カワイイ韓国、若者の憧れに 第3次ブームが呼ぶ消費」朝日新聞、2020年1月22日)

  筆者は女性のファッション事情に疎いから、実際どうなっているのかよく分からない。ただ「本当なのか?」という疑問だけは持っている。何となく怪しいけど、渡辺氏曰わく、
  
    韓国に憧れるのは「自分にとって新しい世界だし、かわいいから」。中学生のころ、KポップのKARAや少女時代の「ダンスがキレキレで完璧な姿」にひかれた。韓国語を勉強し、年4回は韓国へ。バイトは韓国料理店でしかしたことがない。「日韓関係が悪いと言うけど、実際は文化が混じり合っていると思う。日韓の架け橋になりたいし、友人が私の持ち物を見て『韓国の?』と関心を持ってくれるだけでもうれしい。韓国を体験せずに『嫌い』と言わないで」(上掲記事)

  朝日新聞の神宮氏によれば、今、「第三次韓流ブーム」が来ているそうだ。「えっ、そうなの !」と驚く人も多いだろうが、「一流新聞」を自称する朝日が堂々と述べているんだから、あながち「嘘」ではあるまい。ただ、どうしても腑に落ちない事が幾つかある。(良い子のみんなは笑っちゃいけないよ。) 韓国カルチャーに詳しいライターの桑畑優香さんによれば、第3次は2017年頃から到来したそうで、SNSを通じて“感度の高い若者”に拡散したらしい。(じゃあ、南鮮文化を嫌いな日本人は、「鈍感な中高年」や「感度が低いオバタリアン」なのか?) また、桑畑氏の分析によると、南鮮の庶民文化は、「TWICE」好きの小学生や「BTS(防弾少年団」の影響で、10代の男性にも広がっているらしい。とりわけ、この主役は「韓流第2世代」であるという。つまり、1次世代の親を持ち、その影響で韓国に親しみを抱き、生まれた時から韓国ドラマや料理が身近にある世代ということだ。化粧品やグルメといった消費が伴うのも特徴らしい。まぁ、世間は広いから“こうした”家庭もあるんだろうが、何となく子供が気の毒になる。

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(左 : 南鮮の科学技術で「人気者」に変身する鮮人歌手  /  右 : 「顔面工事」を準備する朝鮮人)

  専門家の桑畑氏によれば、南鮮を直接訪問できない10代でも、SNSを通して「かわいい世界観に共感」するそうで、「架空の韓国がネットで増殖している」らしい。朝鮮人が“創造”した「可愛い世界観」なんて、日本文化の“パクリ”なんじゃないか。1980年代に育った南鮮人は、政府による禁止にもかかわらず、日本のドラマや雑誌をこっそり輸入して観賞していた。そして、この世代が1990年代以降、ドラマのプロデューサーとか、脚本家、監督、漫画家になっているんだから、大半が日本の模倣(つまり、剽窃ないし盗作)だろう。ただ、若い南鮮人は泥棒作家の正体を知らないから、「韓国のオリジナル文化は凄い!」と真面目に信じている。何とも幸せな民族だ。

  事情通の桑畑氏によれば、贔屓筋には朝鮮語を学び、南鮮へ留学する人もいるらしく、ファン層の2極化を感じるそうだ。たぶん無理だけど、どんな「日本人」が朝鮮語を勉強しているのか、友人からの生情報を知りたい。(南鮮の大学に留学して、朝鮮語で論文を書くなんて、相当、朝鮮語に精通していないと出来ないぞ。) 一方、こうしたブームがあっても、「嫌韓」を煽るメディアや、それに共感する人も目立つから、桑畑氏は少々不満なようだ。彼女は言う。

   2次ブームが終わったのは、嫌韓本やヘイトスピーチが若い人にも影響した可能性がある。だけど今は、SNSで情報を好きにとれるので、韓国が好きな人も嫌いな人もいる。一方的に流されずに自分で判断するという点では、健全になったのでは・・・。(上掲記事)

  インタヴューを行った神宮氏や桑畑氏の分析によれば、日本における南鮮文化の流入や韓流ブームを邪魔するのは、「嫌韓本」を購読する日本人や「ヘイトスピーチ」で朝鮮人を批判する日本人となる。でも、「韓流ブーム」が消えたのは、本当に朝鮮を嫌う日本人せいなのか? これは筆者の推測だけど、第一次や第二次の南鮮ブームが下火になったのは、元々「流行」自体が八百長だったからなんじゃないか? つまり、サッカーの国際試合を口実に、NHKと電通がグルになって仕掛けた一大キャンペーンであったということだ。実際、NHKの海老沢勝二会長(1997年から2005年迄まで在職)は、殊のほか熱心に南鮮ドラマの放送を続けていたし、電通の成田豊会長は「日韓友情年2005」という実行委員会で副委員長を務めていた。さらに、民放を上手く利用して、南鮮文化を広めたという“功績”を評価されたのか、2009年、成田氏は南鮮の政府から「修交勲章光化章」を貰ったそうだ。

  そういえば、悪夢のような民主党政権時代、どこの民放でも「韓流ドラマ」という煩わしい駄作が毎日放映されたので、ウンザリした国民は本当に多かった。これじゃあ、激怒した国民が「花王デモ」を呼びかけたのも当然だ。2010年、TBSはゴールデン・タイム(夜9時の枠)に「IRIS-アイリス」という南鮮ドラマを放送したが、予想通り低視聴率のまま終わってしまった。焦ったTBSはTV宣伝による「ゴリ押し」と「サクラ(札束で動く藝人)」を使って人気を捏造しようとしたが、一般視聴者はやはり冷淡で、期待された興味を持たなかったようだ。ちなみに、成田会長が南鮮人との交流に熱心だったのは、商売の他に、彼がカトリック信徒であったからである。ここでは詳しく述べないが、日本のカトリック信徒には反日分子や南鮮贔屓が何割か紛れ込んでおり、執拗に「日鮮友好」を推進する輩が多い。(以前、筆者は「正協会」を調べたことがあるけど、ゾッとするような連中がウジャウジャいた。)

   地上波テレビや新聞社は、こぞって朝鮮の民衆文化を称讃するけど、一般の日本人で熱心なファンになる人は少ない。確かに、テレビ番組の巧妙な宣伝に引っかかって「韓流ファン」になる若者もいるんだろうが、洗練された趣味を持つ大人や、藝術作品の“質(クウォリティー)”を厳しく吟味する教養人だと、朝鮮ドラマなどは観るに値しない三流のB級作品。時間と金銭を使って観賞する代物じゃない。NHKやフジテレビがゴリ押しする「K-POP」だって、アメリカ人グループの「猿真似」か、日本人アイドル歌手を模範にした「贋作」に過ぎない。朝鮮人のロック・バンドになると更に滑稽で、日本では全く知られていないのだ。日本のロック・バンドである「ラウドネス」や「アンセム」、「B'z」などは、南鮮でも知られているが、朝鮮人のロック・ミュージシャンなんて聞いたことがない。たとえ、音楽雑誌で紹介されても、コンサート会場に駆けつける日本人ファンなんて極僅かだろう。

  文化水準の高い日本でも、アイドル歌手のファン程度なら簡単に騙せるが、ロック・ファンとなれば、アーティストへの評価が厳しくなるので、いくら業界が「梃子入れ」しても、湧き上がるような爆発的人気とはならない。日本人はジミー・ペイジ(Jimmy Page)やエリック・クラプトン(Eric Clapton)、エディー・ヴァン・ヘイレン(Eddie Van Halen)といった一流ギターリストなら、何年経っても人気が衰えないし、何時までも憧れの対象である。最近、アメリカのロック・バンド「キッス(KISS)」が最後のワールド・ツアーを始め、日本にもやって来たが、ファン層を見ると子連れの客までいたから驚きだ。というのも、50年近く人気を誇っているバンドだから、親子でファンになっているケースもある。数年前、筆者が武道館で英国のロック・バンドである「ジューダス・プリースト」のコンサートを観に行った時、近くに坐っていた青年(たぶん高校生)は母親と一緒に来ていた。最初、「えっ、親子で来たのか?!」と驚いたけど、筆者もファンになってから30年以上も経つので、妙に納得し、「光陰矢の如しだなぁ~」と思ったことがある。日本では洋楽ファンは少ないはずなのに、なぜか来日公演となると、どこからともなく大勢のファンが詰めかけてくる。とても不思議だ。

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( 左 : 電通が宣伝しなくても歓迎されるゲルマン系西歐人 /  右 : 電通やNHKが持て囃す「クール」な朝鮮人)

  平成になってから、テレビや雑誌で八百長の「南鮮ブーム」が仕組まれ、朝鮮の出自を告白する藝人も増えた。こうした風潮に便乗したのか、一般の在日鮮人や帰化鮮人も恐怖心から解放されて、家系を明かす事ができるようになった。しかし、こうした「暴露鮮人」は依然として少なく、大多数の帰化鮮人やその子孫は出自を隠している。なぜなら、こうした「解放ムード」は藝能界で暮らす特殊な鮮人のみに許される環境だからだ。名も無き一般鮮人は、厳しい現実を解っている。気軽に暴露を勧める知識人は、自分が朝鮮系じゃないから、「差別を気にせず、本名を明かし、民族の誇りを示しましょう !」と呼びかける。しかし、そんな煽(おだ)てに引っ掛かったら大変だ。民族熱に浮かれた本人はいいけど、親兄弟は堪ったもんじゃない。必死に隠していた血筋を会社の同僚や学校の友人にバレてしまうのだ。中には恥ずかしくて悔しい思いをする者もいるんじゃないか。

  昔(1970年代前半)、東京都立大学で在日朝鮮人問題を研究していた小沢有作(おざわ・ゆうさく)が、「アジアから見た日本、朝鮮から見た日本」というテーマでゼミを開いた事があるそうだ。その時、小沢助教授は、受講生にエッセイを書かせたそうで、その内の幾つかを紹介していた。ある知識人家庭に育った善良な女学生は、次のように記していたという。

  朝鮮人という言葉を聞くと、まずかわいそうな人達というイメージが湧く。貧乏で、さげすまされていた、あわれむべき人としてである。こういった感覚がどのようにして形成されたのか、自分には分からない。私の母も差別観をもっている。それについて聞いた時、母は、朝鮮人というと貧しい、ずる賢いなどの印象をもってしまうこと、けれどもそれは表にあらわすべきではないと思っていること等を話してくれた。父からもはっきり聞いたことはなかった。今の私が、父母からだけの影響をうけているわけではないが、少なくとも、家では明らかに朝鮮人蔑視をあらわす言葉を聞いたことがない(と思う)のに、自分の中に蔑視が育ってしまっていた。(小沢有作「日本人の朝鮮観」、『季刊 三千里』、1975年冬4月号、pp.40-41.)

  この他にも、朝鮮人に対する日本人のエッセイはあるけど、この女学生は比較的温厚であり、一般的な意見を代表していると思う。もし、学校で「まともな授業」、すなわち遠慮の無く朝鮮人の風習や歴史を教えていれば、もっと辛辣な随筆を書く学生が現れてくるはずだ。平成や令和の日本で朝鮮人の実態を露骨に言う日本人が少ないのは、長年に亙り、日教組が左翼史観を吹き込んできたからである。日本に帰化した朝鮮人や支那人、あるいはその子孫である4世とか5世は、おぞましい「過去」が一般に知れ渡ることを恐れている。支那や朝鮮の歴史は、あまりにも“惨め”で、恥辱と悪徳に満っているから、日本で生まれ育った子孫には堪えられない。帰化支那人が親の血筋を隠したり、日本人を装う在日朝鮮人が、祖父母の経歴を誤魔化したりするのは、心の底に屈辱感や羞恥心があるからだろう。

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(左 : 日本の左翼陣営が歓迎する勤勉な朝鮮人  /  右 : 日本企業の経営者が招きたい支那人労働者)

  とにかく、我々はアジア人の感情を忖度することなく、入国や帰化を許す場合には、平等に申請者の素性や国籍を公表すべきだ。支那人や朝鮮人の親は「子供達が傷つく」と言って暴露を厭がるが、どうして自分の出身国や祖先を教えるのを躊躇うのか? 支那人や朝鮮人の血統は「汚点」なのか? ここでは、アジア人の屈折した感情とマルクス主義に基づく多文化主義に言及する余裕が無いので省略するが、日本人は支那人や朝鮮人に譲歩すべきではない。密入国者の祖先を持つ朝鮮人や、政治的なコネ(人脈)を使って入国した支那人が、我々に対して「仲間にしてくれ」と頼むなら、洗いざらい過去の罪を白状し、強制退去を前提とした審査に臨むべきだ。支那人と昵懇の政治家に頼んで国籍を得た支那人とか、永住権を目的に来日した支那人なんて、まともな外国人じゃない。日本で支那人や朝鮮人に対する嫌悪感が絶えないのは、彼らの「やましさ」と法務省の「隠蔽体質」に原因がある。帰化鮮人なんて「妖怪人間」のベムみたいだ。「早く人間になりたい !」と願う妖怪少年は、「何時の間にか日本人」になった朝鮮人と似ている。なぜなら、両者とも素性がバレるのを懼れているからだ。「チョーセンジン」とか「支那人」という言葉を嫌う異民族は、日本人の差別心を非難するが、問題の本質は彼らの精神に存在するんじゃないか。



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敬遠したい民間療法 / 異質なものを排除する本能

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不潔なインド

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(左 : 汚い川に入るインド人  /  右 : 劣悪な便所に嫌気が差すインド人女性)

  1月下旬から、武漢肺炎の報道がマスメディスアのトップ・ニュースとなっている。地上波のワイドショーは、安倍政権を批判すべく朝から晩まで感染の不安を煽り、最近はPCR検査で潜在的な感染者を炙り出そうと躍起だ。しかし、もっと熱心なのは支那人擁護である。日本人が支那人に嫌悪感を感じるのは何としても避けたい。そこで、マスコミは支那人への批判を軽減するには、国内での感染状況に焦点を当てるのが一番と考えた。常識的に原因を考えてしまうと、日本国民が支那人による災禍を恨むようになるから、防疫対策の遅れや景気の悪化に話題を移す方がいい。日本人は鰯(イワシ)のように靡(なび)く習性があるから、ちょいと舵を切ってやれば簡単に動く。

  一方、イタリアやアメリカ、ブリテンなどで武漢肺炎が広まったことで、感染拡大の元兇である習近平は万々歳。なぜなら、西歐の指導者は自国民の安全を最優先に考えるから、習近平への攻撃は後回しとなる。もし、支那人が“良心的”ならば、他国へ広めないよう、自国を封鎖して潜在的感染者を出さないよう努めるが、支那人は悪魔よりも狡猾だから、なるべく多くの支那人を外国へ輸出しようと密かに謀っていた。仮に、コロナウイルスの漏洩が偶発的なら、感染拡大の防止は不可能だから、全世界が不幸になるよう日本やアメリカ、ヨーロッパに拡散させた方がよい。支那人だけがウイルスに苦しむのは損である。ところが、この極悪民族は日本人を道連れにして地獄に落ちるより、日本人だけを蹴落として自分だけは助かろうとする連中だ。したがって、こんな支那人に永住権を与え、数年経てば国籍取得を許し、多民族共生を讃美する議員や官僚、またこれを促進する大学教授や弁護士などは、とても日本人とは思えない。

  しかし、哀しいかな、高等教育を受けた日本人は、知らないうちに洗脳されている場合がほとんど。大学でピンク左翼に染まったインテリ国民は、「アジア人を排除すべし」と考えない。もし、「移民排斥は正しい」と聞けば、「あら嫌だ、右翼かネオナチの言い草ねぇ~」と眉を顰める。でも、高学歴で高額所得の上流国民は、アジア移民のいない高級住宅地に住んでいるから偽善的だ。(大阪の西成区や朝鮮人部落に自宅を構えるインテリなんていないぞ。) 久米宏風の“気取り屋左翼”は、水商売で働くフィリピン人やタイ人に同情を示すが、社交界で友人となるのは、洗練されたマナーを持つ西歐白人とか、社会的地位の高いビジネスマンだったりする。「人権尊重」の奥様方は、あえて南鮮人を排除しないが、かといって朝鮮語を学んだり、朝鮮風住宅を建てることはない。大学で勉強するのはアングロ・サクソン人が話す英語で、大金を払って購入するのも西歐の美術品や北歐の家具であり、自慢するのもフランスかイタリアで評判の高級ワインだったりする。日本人女性が財界や政界のパーティーに出席する場合、クリスチャン・デオールやイヴサンローランのイヴニング・ドレスを着ることがあっても、チマ・チョゴリを着てゆくことは絶対にない。

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(左 : 日本への移住を目指すフィリピン人女性   / 中央 : 乳房を露出する朝鮮人女性  /  右 : アフリカに住む黒人女性)

  ヨーロッパ人と同じく、日本人も同じ民族で仲良く暮らす方が遙かに素晴らしい。異民族との共存なんて幻想だし、人種的多様性などは国家破壊を目論む左翼のまやかしである。もし、多文化主義者の学者が、同質的な日本社会を「けしからん!」と否定するのであれば、江戸時代の日本人は不幸な日々を過ごしていたことになるじゃないか。明治維新で海外渡航が許されるようになったが、当時の日本人が「やった ! 倒幕で朝鮮人や支那人と一緒に暮らせるぞ !」とはしゃいだ事は無かったぞ。むしろ、朝鮮半島に住む鮮人を目の当たりにして、「なんだぁぁ~、この乞食よりも汚い賤民は・・・!?」とビックリ仰天。さらに、悪臭漂う朝鮮を通り越して、支那大陸に入ると更に驚く。漢籍の中に登場する聖人君子と違って、現実の支那人は不潔な苦力でなければ、高位高官の詐欺師か残酷がトレード・マークの匪賊、あるいは生まれながらの殺人鬼といった連中だ。安南(ベトナム)に行くと、多少は残虐性が減るけど、庶民が貧しく不潔なのが一般的。ある日本人旅行者が列車の窓から、うずくまるベトナム人を見みたら、野糞をしていたというくらい。まぁ、現代でも支那人は電車の中で脱糞するから、アジア人に清潔さを求めるのは酷だ。

  不潔と言えば、インド人を忘れてはならない。インド人というのは独特の感性を持っているのか、鼻と口が曲がってしまうほど臭いガンジス川でも水浴びができてしまう民族だ。彼らは動物の死骸やゴミが浮いていても平気である。インド人の子供や老人は免疫力が桁外れなのか、嬉しそうに顔や体を洗って元気溌溂。除菌クリーナーで便座を拭いている日本人には到底真似できない。でも、こんな国が真夏を迎えたらどうなるのか。未だにインドは階級社会で格差社会。自宅に便所が無い庶民も多く、近くの穴や共同便所で排便だ。インドの田舎だと約50%の家庭が屋内の便所を持っていないので、排便の時は外に出て、草むらや林の中で用を足すらしい。さすがに都会では“路上排便”は少なくなったけど、ムンバイに住むある映画プロデューサーの夫人が外出したら、野糞をしている人を見かけて驚いたという。

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(写真  / インドにおける野外便所 )

  下水設備や衛生施設が普及していないインドだと、都市部でも7.5%の人々が適切なトイレを利用できず、一般世帯の39%くらいしか便所附自宅に住んでいなそうだ。こんな状況だから、ボリウッド(インドの映画界)は民衆が共感できる『トイレ : ある愛の物語(Toilet : Ek Prem Katha)』というラヴ・コメディーを作った。日本人だと信じられないが、インドではそれなりにヒットした。この作品では、主人公のジャヤが新婚の女性という設定になっている。だが、彼女は夫のもとを離れてしまう。なぜなら、二人の新婚家庭には屋内便所が無いからだ。近代的生活に憧れるインド人女性には、トイレ無しの住宅なんて我慢できない。野外便所が普通の田舎では、排便に出掛けた女性が強姦されるという事件がよくあるから、野原で下半身を露出するのは危険である。

Toilet A Love StoryIndian woman 65









(左 : 街角に貼られた円河の宣伝ポスター  /  右 : インド人の一般女性)

  日本人女性がインドを旅行すれば、ちゃんと綺麗な便所が設置されているホテルに泊まり、外人観光客が訪れる施設を巡ると思うが、地方の観光地だと衛生的なトイレは期待できない。たぶん、真夏の便器から漂う臭気は強烈だから、排便を断念する人もいるだろう。一般の観光客だと悲鳴を上げて卒倒するんじゃないか。普通の日本人は口にしないけど、インドには色々な雑菌やウイルスが存在する。だから、インドを旅行するなんて、黴菌を浴びに行くようなものだ。仮に、たけし軍団が「お笑いウルトラ・クイズin インド」を企画しても、インダス川に飛び込む“罰ゲーム”は恐ろしくて出来ないぞ。もし、若手藝人が何らかの病原菌に感染したら、番組のプロデューサーやディレクターは左遷か降格だ。バブル時代には無謀な企画が数々あったけど、平成から令和の不況時代だと無理。

牛の小便は特効薬?

  日本では武漢ウイルスが流行し、老人から幼児まで、アルコール消毒液で両手を殺菌だ。一部の人々は、無駄と分かってもマスクをしたり、と涙ぐましい努力で感染拡大防止に努めている。しかし、インドでは別の方法が“実行”されていた。何と、牛の尿を呑んでコロナウイルスを退治しようとする集団がいたのだ。スワミ・チャクラパニという人物に率いられた「牛尿党(gaumuta party)」のメンバーは、コップに牛の小便を注ぎ、その液体を一気に飲み干していたのである。("Coronavirus : Group hosts Cow urine party, says COVID19 due to meat-eaters", The Hindu, March 14, 2020.)

Hindus Cow piss 1(左  /  牛の尿を飲み干すインド人)
  このチャクラパニという党首は、「アキル・バラト・ヒンドゥー・マハサバ(Akhil Bharat Hindu Mahasabha)」という団体の議長であるという。彼によれば、今回の新型コロナウイルスは、非菜食主義者を罰するためにやって来た神様の化身であるそうだ。つまり、肉を食べる奴らを懲らしめるために、神様がウイルスに化けて現れたという教義らしい。なるほど、牛を神聖な動物と考えるインド人にしたら、ハンバーガーを食べるヨーロッパ人や日本人は「けしからん連中」だから、病気になっても“当然”という理屈だ。件(くだん)の党首様は歐米の記者に向かって、「君らが動物を殺す時は、破壊をもたらすある種のエネルギーを創りだしているんだぞ !」と言い放ち、「世界の指導者達は、インドから牛の小便を輸入すべきだ。なぜなら、全知全能の神様はインドの牛にしか存在せず、外国で育った牛には居ないんだからな !」と説教した。もちろん、インド政府や衛生当局のクリティ・ブシャン局長は、牛の尿にウイルスを殺す効果は無く、科学的根拠のない話である !」と否定したそうだ。

Hindus cow piss 2(左  / 牛の小便をタンクから出すインド人 )
  確かに、動物の尿を飲んだからといって、ウイルスの感染を防止できる訳じゃない。たぶん、大多数のインド国民は「馬鹿らしい迷信だ !」と思っているはずだ。しかし、「牛尿党」の一般党員は信じている。サヴィタという主婦は自慢げに、「私は毎日これを飲んでいるわ! これ異常に健康的なものは無いのよ ! 私の家族も牛の尿を毎日飲んでいるの !」と笑顔で話し、グラスに注いだ牛の尿を啜っていたそうだ。「世田谷自然食品」とか「青汁」なら分かるけど、牛が排出した黄色い液体なんか御免である。でも、まぁ、「病は気から」という格言もある。牛の小便を飲んで元気ならいいじゃないか。ただし、目の前で牛乳ならぬ「牛尿」を飲まれては、ちょっと距離を置きたくなる。インドのネレンドラ・モディ首相は、「清潔なインド(Swachh Bharat)」運動を提唱し、各家庭に屋内便所を普及させる、と意気込んでいたが、それなら同時に「啓蒙活動」も展開した方がいいんじゃないか。

  筆者は「アジア人が全て不潔」と断定している訳じゃない。単に「異なった風習や信仰、伝統文化を持つ外国人を日本に招くのは危険だ」と言いたいだけである。特に、アジアやアフリカの異民族を受け容れると、日本人の拒絶反応を増加させるばかりか、日本社会の破壊にも繋がってしまうのだ。多文化主義というのは、ホスト国の住民に「我慢」と「譲歩」を要求する一方で、異質な移民の主張を正当化するイデオロギーとなっている。これは有害思想以外の何物でもない。もし、普通の日本人が支那人や朝鮮人、あるいはインド人やアラブ人の慣習を嫌うと、いくら「自然な拒絶反応」であっても、日本人による「民族差別」とか「異国人への偏見」と見なされてしまうのだ。とりわけ、大学時代に文化人類学とか国際関係論、社会学などの講義を受けた日本人ほど、アジア移民に譲歩し、卑屈な態度を取ってしまう。一般的に、高学歴の日本国民は“無自覚”のリベラル派、つまり確固たる信念無き“なんちゃって左翼”になりやすい。

  多文化主義の弊害は具体例を考えてみれば解るはずだ。例えば、インド人の青年が日本に移住し、日本語を習得して寿司職人の修行を始めたとする。貧しいアジア国から来た移民が日本人以上にコツコツと働き、熱心に努力すれば、巷の日本人は「大したもんだなぁ~」と感心するだろう。しかし、この見習い職人が休憩時間に便所に入り、左手の指で肛門を洗えば、「えぇぇぇ~、嫌だぁぁ !!」と身震いし、彼が握る寿司をつまむことはないはずだ。いくら、この見習い職人が「ちゃんと洗面所で石けんを使って手を洗いました」と述べても、日本人の顧客は彼の寿司店を敬遠し、常連客でも寄りつかなくなる。もちろん、インド人の観光客がこの寿司店を嫌い、同胞の寿司を食わないのは理解できる。インド人によれば、左手は不浄なので、見ず知らずの他人が両手を使って握る寿司なんか、とても食えたもんじゃない。なにせ、下層民が触れた食器でさえ厭がるんだから。したがって、もし、この見習い職人が下層階級の出身者なら、上流階級のインド人は決して彼の料理を食べないだろう。実に酷い話だが、これはインド人の伝統的風習だから非難されることはない。

    ところが、日本人に「左手は不浄」と見なす文化は無いから、インド人が握った寿司を拒めば、不合理な「民族差別」となる。机上の空論をもてあそぶ大学教授は、気軽に「異文化との共存」を説くが、実際の社会では文化の衝突や軋轢の方が多い。インド人からすれば、紙で肛門を拭く日本人の方が汚く、水を掛けて、肛門を入念に洗浄するインド人の方が清潔だ。一般の日本人は、こう説明されると反論しにくく、感情的に反撥するしかない。だが、もし、日本人がインド人の風習を否定すると、異文化の否定に繋がってしまい、「違った文化を尊重すべし」という多文化主義のドグマ(教義)に反してしまう。だが、多文化主義の“洗脳”を受けていない普通の日本人だと、「そんなの嫌だ ! ふざけんじゃねぇ!」と激怒してしまうから、こうした人々は「ネオナチ」とか「排外義者」と呼ばれてしまうのだ。テレビに出てくる御用学者はよく「寛容の精神」を説くが、そんなのは「屈服の根性」に過ぎない。日本は「日本人のホームランド(自宅のような国家)」であるから、「嫌なものは嫌」と言える自由があるし、不愉快な外人を排除するのは我々勝手である。

妊婦は異質なものを排斥する

  高学歴社会に生きる日本人は、異国人を排除することに抵抗感を持っている。日本では左翼教育が徹底しているから、学校の先生が「支那人とか黒人を毛嫌いしてはいけません!」と教えれば、大半の生徒が「はぁぁ~い。わかりました !」と素直に従う。ところが、人間は“本能的”に不気味なものや未知のものを避ける。例えば、癩病(らいびょう)患者とか、奇妙な痣(あざ)がある人を見ると怪訝な顔を表すし、違った種族の移民を見れば不快感を抱く。行動においても危険を察知するようで、膿(うみ)とか血を見ると恐れるのは、それに触ると感染するかも知れない、と考えてしまうからだ。テューレン大学の心理学者であるダミアン・R・マレー (Damian R. Murray)博士とブリティッシュ・コロンビア大学のマーク・シャラー(Mark Schaller)博士は、病原体から身を守ろうとする行動的免疫システムがあることを説明した。見知らぬ土地から来た者は、どんな病気を持っているのか判らない。保菌者が元気でも、感染者が死んでしまうケースはある。昔、アメリカ大陸に住んでいた原住民が、見知らぬヨーロッパ人と接触したせいで麻疹(はしか)や天然痘、百日咳などに罹って死亡、あるいは重症になったことは有名だ。

Damian R. Murray 1Mark Schaller 1David Amodio 1









(左 : ダミアン・R・マレー   / 中央 : マーク・シャラー  /  右 : デイヴッド・アモディオ )

  我々は危険な細菌を保有する「よそ者」ばかりではなく、馴染みのない風習を持つ外人に懸念を示す。たぶん、親しみの無い人や物に遭遇すると不安になるからだろう。ニューヨーク大学で心理学を教えるデイヴッド・アモディオ(David M. Amodio)教授によれば、我々は脅威に曝されたり異人に遭うと、身体が凍結し、闘うか逃げるかの準備をするらしい。そして、もし、その人物を不快と判断すれば、脳内にある島皮質(insula)に衝撃が走り、強い嫌悪感が巻き起こる。アモディオ氏の指摘で興味深いのは、赤ん坊を身籠もった女性が、より自己中心的となり、異質なものに対する警戒感や嫌悪感が強くなることだ。これは妊婦が胎児を守るべく、病原菌を持っていそうな人や潜在的な危険物に対し敏感になるためだろう。子供だって本能的に「悪そうな人」と「親切そうな人」を嗅ぎ分けることができる。もし、防禦能力が低い子供が多民族主義者に従い、どんな人間に対しても警戒心を抱かず、「オープンな態度」で接触したら、どんな災難に遭うのか、想像しただけでも恐ろしくなるじゃないか。

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( 写真  /   保護されるべきタイプの弱者 )

  したがって、ある地域に住む民族が、よそからやって来た流れ者に警戒感を抱くのは当然だ。例えば、日本の幼稚園児が独りで、いきなり通りすがりの黒人に遭遇し、聞いたこともない言語で話しかけられたら、どうしていいのか分からず、小さな体が凍りつく場合もあるし、奇妙な容貌に恐れをなして泣き出すこともある。日本よりも流動性の高いヨーロッパでも、一般人があまりにも異質なアフリカ人やユダヤ人を見れば、嫌な気持ちになるだろう。日本の知識人はユダヤ人を嫌った西歐人を非難するけど、第19世紀のユダヤ人なんて本当に不愉快な連中だった。たとえ裁判官や科学者になった人物がいたとはいえ、一般のユダヤ人はゲットーから抜け出た賤民と同じで、近づきたくはない。特に、社会主義やマルクス主義、無政府主義などに魅了されたユダヤ人を目にすれば、日本人だってゾッとするはずだ。

Karl Radek 11Genrikh Yagoda 1Ilya Ehrenberg 2Bela Kun 11







(左 :  カール・ラデック  / ゲンリフ・ヤゴーダ  /  イリヤ・エレンバーグ / 右 : ベラ・クン  )

  例えば、カール・マルクスを始めとして、日本でもファンが多いレオン・トロツキー、如何にも下品な顔つきのカール・ラデック(Karl Radek)、メンシェビキの指導者であったユーリ・マルトフ(Julius Martov)、ソ連の秘密警察(NKVD)の初代長官を務めたゲンリフ・ヤゴーダ(Genrickh Yagoda)、ドイツ人の婦女子を輪姦せよと叫んだイリヤ・エレンバーグ(Ilya Ehrenberg)、テロリストのアイザック・シュタインバーグ(Isaac Steinberg)、ハンガリー人民共和国の首相になったマチヤス・ラーコシ(Mátyás Rakosi / Mátyás RosenfRosenfeld)、ハンガリー・ソビエト共和国の独裁者になったベラ・クン(Béla Kun)、放埒な性教育を推奨した変態のジョルジ・ルカーチ(György Lukács)、米国から追放された共産主義者の革命家エマ・ゴールドマン(Emma Goldman)、ブラジルの全体主義者であったウラジミール・ヘルツォーク(Vladimir Herzog)など、数え出したらキリがない。呆れてしまうけど、ユダヤ人には共産主義者とか極左分子が非常に多い。でも、普通の日本人で真っ赤なユダヤ人を即座に列挙できる者は極僅かだろう。大抵の日本人は「ヤゴーダとかエレンバーグなんて聞いたことがないなぁ~」と言うはずだ。それも、そのはず。学校で歴史を担当する教師が“意図的”に隠しているからだ。左翼教師の役目は共産主義者にとって「都合の悪い過去」を闇に葬ることで、赤色分子に対抗する健全な日本人を育成することではない。

Matyas Rosenfeld 1Gyorgy Lukacs 2Emma Goldman 1Vladimir Herzog 2








(左 : マチヤス・ラーコシ  / ジョルジ・ルカーチ  / エマ・ゴールドマン  / 右 : ウラジミール・ヘルツォーク )

  武漢ウイルスが流行する前、安倍総理や二階幹事長は「支那人の皆さぁぁ~ん、いらっしゃい!!」と呼びかけていたが、京都や鎌倉の日本人は本当に歓迎していたのか? 確かに、土産物店や飲食店などで働く従業員は、「ゼニ儲け」だから“仕方なく”支那人を接客していたが、私生活に戻れば「何だ、あんな奴ら !」と嫌っていたはずだ。ホテルの清掃員なんか、「支那人の客が泊まると、ベッドや洗面所とか便所だけじゃなく、カーテンとか床まで汚すから、普段より清掃に何倍もの時間がかかっちゃうのよねぇ~」と愚痴をこぼしてばかり。こんな惨状だから、観光業に携わっていない庶民は、支那人や朝鮮人、および東南アジア人の到来で大迷惑。街中に、不気味なフィリピン人とかベンガル人、ビルマ人、マレー人、インド人、ベトナム人がウロチョロすれば、さっさと買い物を済ませて家に帰りたくなる。それでも、観光客はやがて帰るからいい。ところが、もし隣にアジア人が住み着けば憂鬱になるどころか、自宅の地価が下がるんじゃないかと心配だ。品の良い西歐白人が住む麻布や広尾、目黒なら「お洒落な街」となるが、朝鮮人が密集する新大久保とか川崎、支那人が跋扈する北池袋なんて「魔界」を彷彿させるゲットーでしかない。

  日本人は武漢ウイルスに感染しないよう、「免疫力をアップさせるぞ!」と張り切っているが、アジア人の侵入に対する免疫力になると、自ら抹殺していることに気づかない。我々の体は異物が侵入してくれば、単球系のマクロファージやリンパ系のキラー細胞、顆粒系の好中球とか好塩基球が出動し、有害物質を撲滅しようとする。もし、体から白血球を除外して、「どんな細菌でもOK」となったら大変だ。したがって、本能的に「嫌い!」と思った外人は、迷わず排除すべし。だいたい、支那人や朝鮮人と係わって「いいこと」があったのか? 日本人は左翼学者に従わず、アジア人をドンドン排斥した方がいい。排外思想を放棄した歐米諸国がどんな事態に陥ったのか、ちょっと調べれば判るじゃないか。筆者はなにも全ての外国人を排斥しろ、と述べている訳じゃない。「受け容れてよい外人」と「門前払いにすべき外人」がいると言っているだけだ。もし、我々に「言論の自由」と「選択の自由」があるなら、躊躇なく行使すべきである。



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