恥ずかしい家系と家庭内騒動
日本の学校教育はどこか“いびつ”で、「朝鮮人問題」は深刻な政治課題であるにもかからわず、戦後から“ずっと”日本社会の“タブー(禁忌)”になっていた。日本人は受験勉強なら必死に取り組むが、自分が通っている学校の教育内容には興味が無い。たとえ学校の先生が教育熱心でも、人生で大切な恋愛や銭儲けについては教えないし、節税の方法はおろか、役所がどう公金を使っているのかも教えないのだ。しかも、情報社会に潜む危険性にも無頓着。子供達はみんなテレビを観ているのに、テレビ局の内情を暴露する教師なんて聞いたことがない。
朝鮮人に関する説明も同じだ。世の中に出れば、各界の要職に「クリプト鮮人(正体を隠した朝鮮人)」が就いているのに、どうして彼らが日本に住み続けているのか、なぜ追放されないのか、普通の日本人にはサッパリ解らない。永田町では公明党を率いる創価学会と、韓国民団および朝鮮総連は隠然たる権力を誇っている。しかし、地上波テレビがこれらの組織を特集することはなく、「何となく触れてはいれない存在」となっているだからおかしい。NHKの「ETV」やTBS「報道特集」でも、民団と総連の起源や犯罪を追求するドキュメンタリー番組は作られることがなかった。
ちなみに、高倉健が田岡一雄(たおか・かずお)組長の役を演じた『山口組三代目』(昭和48年)は、今でも放送禁止となってる。なぜなら、「第三国人」と呼ばれた不逞鮮人が、日本人の女性を強姦するシーンがあるからだ。ゴロツキ鮮人による輪姦を目撃した田岡氏は、陵辱された婦人を救うべく、必殺技の「目潰し」攻撃で格闘し、不逞鮮人を撃退した。日本の観客はこの勇気に拍手喝采だったけど、在日鮮人は血が沸騰するほど激怒した。それゆえ、健さんが亡くなっても放映はNG。『夜叉』とか『幸せの黄色いハンカチ』ならOKだが、『山口組三代目』は「無かったこと」になっている。“故人を偲んで”も駄目なものはダメ。(在日朝鮮人の過去を紹介すると長くなるので、拙書『』支那人の卑史 朝鮮人の痴史』第5章を読んでね。)
ここで前編の話の続きを述べたい。フォトジャーナリストの安田氏は、同胞である在日鮮人や帰化鮮人にも取材を行っていた。彼女が紹介する人物で注目すべきは、中村一成(なかむら・いるそん)というフリーのジャーナリストだ。彼は元々「毎日新聞」の記者で、個人的に民族問題や朝鮮問題に関心があるのか、『ルポ 思想としての朝鮮籍』とか『ルポ 京都朝鮮人学校襲撃事件』という本を書いている。京都の事件については色々と反論があるので、ここでは述べないが、朝鮮学校を取材し、記事を書くジャーナリストには、意識的あるいは無意識的な朝鮮贔屓が多い。というよりも、こうした社会事件を取り上げるのは、左翼知識人か朝鮮系ジャーナリストがほとんど。
朝鮮問題に敏感な中村氏は、朝鮮人の母親と日本人の父親を持ち、大阪府の寝屋川で生まれたという。母方の祖父はプレハブ会社を営み、そこへ転がり込んできた職人というのが一成の父親であった。一成の父親と母親は駆け落ちで結婚し、息子の一成と二人の娘をもうけた。次女が生まれた時、彼の一家は枚方市に移り住み、後に父親は自分の土建会社を興す。
一見すると、“ごく普通の家庭”に思えるが、一成の父親は暴力亭主だった。この父親は自制が利かなくなると、分厚い灰皿や建材などを叩き割って周囲を威嚇したそうだ。特に、酒を飲んだ時が最悪で、酔っ払うと彼の父親は家の中で暴れ回り、その矛先を妻に向けたという。なぜなら、彼の女房が「朝鮮人」であったからだ。駆け落ちまでして夫婦(めおと)になったのに、妻は自分の正体を明かさなかったんだから、夫の不満にも一理ある。一成の母親が出自を告白した時、彼の父親は「騙された」と憤慨したそうだ。
つくづく思うけど、朝鮮人の家庭には結構、民族起源の不幸が多い。一成の母親は亭主から「朝鮮人」と侮辱されても、「日本人や」と泣きながら反論し、亭主の足にすがっていたという。しかし、正直な告白を受けても、亭主の怒りは治まらない。激怒した夫は夜中に妻を踏みつけ、唾を吐きかけることも。在日鮮人なら必ず「ヘイト・スピーチ」と叫んでしまうが、一成の父親は妻に向かって、「お前は血が汚い」「お前は日本人じゃないか、子供は俺のもんや」と言い放った。(安田菜津紀『あなたのルーツを教えて下さい』左右社、2022年、p.105.)
一方、息子の一成は子供の頃から母親が「日本人」でないことに気づいていた。鮮人の子供は、愛する母親が朝鮮人でも日本人でも構わないが、騙された亭主の方は嘘に基づく結婚には耐えられない。怒りの矛先は子供達にも向けられたようで、父親は食事中に剥き出しの短刀を娘(一成の妹)に投げることもあったそうだ。息子の一成も殴られたことがあり、二回ほど鼻の骨を折られている。彼の父親は、「お前も母親と同じ目をしている」とイチャモンをつけ、暴力を加えることもあったそうだ。(上掲書、p.106.)
こんな仕打ちをされたら一成が父親を憎み、工事現場で死んでくれないかと願っても無理はない。彼を咎めるなんて酷だろう。何しろ、壁一枚隔てた部屋で父親が母親に対して暴言を吐き、侮辱するんだから、息子としては居ても立っても居られまい。一成は「いつか殺してやろう」と思ったそうだ。中学生の時、彼はベッドの下にサバイバルナイフを隠していたというから凄い。「父親が母親に何かした時、殺すしかないと思っていた」そうだ。しかし、この父親は子供を溺愛する側面を持っており、経済的に惨めな思いをさせたくないという気持ちもあったらしい。時計の針を戻して独身時代に戻れない父親の悲哀が滲み出ている。
全員とは言わないが、朝鮮人の配偶者には、悲惨な過去を持つ者が多い。一成の母親は夫から何度蹂躙されても、決して子供達に自分の出自を明かすことはなかったという。彼の母親は高校時代に「新井」という“通名”を使っていた。「木村」とか「山本」「安田」という日本名も、在日鮮人がよく用いる偽名だ。一成の母親は素性の発覚を恐れたのか、卒業アルバムの顔写真の下にある名前の部分を何か鋭いモノで削り取っていたという。たぶん、子供達に見られたくなかったのだろう。
そんな母親が自分の出自を話したのは、一成が高校生の時である。一成にはもう一人の祖父がいて、母親曰わく「あっちの人」であるという。彼女の両親は離婚したそうで、独身になった祖母は日本人と結婚した。それがプレハブ会社を経営する祖父であった。母親が打ち明けるまで、一成は血の繋がった祖父を知らなかったという。
ところが、実の祖父は、如何にも小説に出てきそうなダメ男。色々な朝鮮人の自叙伝にも似たような話があるけど、一成の祖父も同類で、「飲む・打つ・買う」に加えて、「暴力」も酷く、ヤクザ並であったという。気に食わないことがあれば、祖母の髪を摑み、引きずり回したというから酷い。(上掲書、p.107) それゆえ、祖母は亭主を酷く憎んでいた。
祖父の死後、一成の母親は祖父の親戚と縁を切ったそうだ。なぜなら、自分の父親だけでなく、二人の叔父もヤクザであったからだ。一成の母親によれば、「あの二人は“その世界”しか知らなかった」という。母親が恐れたのは、息子の一成が彼らに近づくことだった。(上掲書、p.108) チンピラや暴力団になる在日朝鮮人と聞けば、何となく、そのイメージが目に浮かんでくるから実に不思議だ。祖母と一成の母親は、一成が小学校高学年の時に日本国籍を取得し、在日鮮人のコミュニティーとの縁を切ったそうである。
親戚との関係を断ち切っても、民族の文化は存続したようで、朝鮮人の家庭では必ず「キムチ」が伝統の中心となる。日本人からすると「クズ野菜の漬物しか自慢する文化が無いのか?」と尋ねたくなるが、朝鮮人にはキムチに関するエピソードが多い。一成の祖母が作るキムチは独特で、ニンニクが入っていなかった。その代わり、生姜と韮(にら)がたくさん入っていたが、「水っぽく、とても旨いとは言えなかった」そうだ。しかし、それは「ニンニク臭い」という鮮人蔑視が原因となっていた。一成の推測によれば、ニンニクの匂いを避けるために、祖母が考えた作り方であったという。
在日鮮人や帰化鮮人にとり、「本名(民族名)」を名乗ることには勇気が要る。何しろ、友人に対しては、ずっと「通名」を使い続けていた訳だから、高校生や大学生になって急に別の名前に変えれば、周囲の者は「えっ、どうしたの?!」と驚く。しかも、それが朝鮮名となれば尚更だ。親友の見る目だって違ってくるんだから。同級生が動揺し、どちらの名前で呼んでいいのか、戸惑う姿が目に浮かぶじゃないか。「金田」君が「金」君に変わっても、マイナー・チェインジみたいだけど、「木下」君が「朴」君、あるいは「鄭」君と変えれば「別人」みたいだ。
中村氏は大学卒業後、毎日新聞社に就職する。彼は新聞社時代から「いるそん」という朝鮮語読みの名前を使い始めたそうだ。毎日新聞の系列であるTBSでも、朝鮮人社員は珍しくないから、民団出身者が本名で勤務しても不思議じゃない。ただし、キャスターとして傭う女性が、「金玉(キム・オク)」という朝鮮名だと困るだろう。ニュース番組を観た子供達は、「うあぁぁ~、女の人なのに“キンタマ”だって !!」と大爆笑だ。もちろん、学校でも話題となるから、朝鮮系のクラスメイトは黙ってうつむくか、素性を隠しながら日本人と一緒に笑うしかない。
在日鮮人は、よく日本人の「民族差別」を非難するが、同胞の差別だって酷いものがある。中村氏が或る商工会の在日鮮人に会った時のことだ。この朝鮮人は中村氏に対して民族名を印刷した名刺を差し出した。そこで、中村氏は自分の母親が在日鮮人であることや、母親の帰化について話したという。ところが、彼の告白を気に食わなかったのか、相手の鮮人は彼に渡した名刺を奪い返し、「あんたにはこれで十分やろ」と言って、通名の名刺に差し替えたそうだ。(上掲書、p.111.) おそらく、日本に帰化するというのは、朝鮮民族、すなわち在日同胞に対する“裏切行為”なんだろう。
日鮮混血児の自己識別は複雑だ。日本で生まれ育つと、日鮮のどちらに所属するのか判らなくなる。中村氏が大阪にある民族学校の講師と会った時のことだ。この講師は彼に対して言う。「君は朴一成(ぼくいるそん)と名乗るべきだ、それが子供たちを励ますことになるんだ」と。しかし、中村氏は共感するどころが、むしろ不愉快になり、怒鳴り散らしたそうだ。「“どちらか”にならないと、あなた達は私のことを受け容れないのか、私のありのままを受け容れられないのか」と中村氏は怒ったらしい。まぁ、朝鮮人からすれば、偽りの「通名」を使わず、正々堂々と「朝鮮名」を名乗るべし、という考えなんだろう。
鮮人支援者というのは、なぜか在日鮮人(特に南鮮人)に対して甘くなる。異国である日本に住み着いているから、彼らが様々な不便を蒙ったり、朝鮮民族ゆえの差別に遭うのは当然だ。大半の日本人は排外主義者ではない。だが、朝鮮人とか支那人になると別。生理的に嫌いなんだからしょうがない。日本人の拒絶反応が厭なら、さっさと祖国へ帰れ !「鼻つまみ者」であると判っていながら、意地でも日本にしがみつこうとするから朝鮮人は毛嫌いされるのだ。
在日鮮人は図々しく、外国人なのに我が国に住み着き、「日本国民」と同じ権利を要求する。中村氏は在日鮮人の「制度的無年金」を巡る裁判に興味があるようで、日本政府が「在日外国人」を長いこと国民制度の対象外としたので腹を立てている。(上掲書、p.114) しかし、在日外国人を「日本国民」と見なすのはおかしい。在日鮮人は長期在留を根拠に年金をねだるが、南鮮は日本の属州なのか? どうして異国の日本が南鮮国民を世話しなければならないのか? 在日北鮮人も年金が欲しければ、金氏朝鮮に掛け金を払って「北鮮国民年金制度」を主張すべきだ。朝鮮総連を通して掛け金を払えばいいじゃないか。
安田氏も他の鮮人活動家と同じく、日本の過去を糾弾して自己正当化を図っているようだ。朝鮮支援者や在日鮮人達は、何かにつけ「日本の植民地支配」や「戦争に翻弄され続けてきた人々」という表現を使いたがる。安田氏は難民条約を引き合いに出し、外国籍・無国籍の障碍者が法的処置から除外され、無年金のまま放置されている、と非難する。朝鮮人は「植民地支配を謝罪しろ !」と目くじらを立てるが、日韓併合は通常の植民地支配とは程遠く、むしろ支配された朝鮮人の方が得をし、搾取されたのは日本人の方だ。日本統治は朝鮮史では考えられないほどの黄金時代であった。朝鮮半島に注ぎ込む金があるんなら、日本の東北地方に使って、現地のインフラ整備を促進すれば良かったのに、政府は極貧朝鮮の開発を優先したのだ。乞食より汚い朝鮮人が、日鮮合邦で「人間」にまで昇格し、何と憧れの「日本国民」にもなれたのに、朝鮮人ときたら不平ばかり。もう、イチャモンとしか言い様がない。もし、10億円の宝くじが当たった鮮人が、「手荷物が重くて厭になる !」と不平を述べたら、周囲の日本人はどう思うのか?
だいたい、朝鮮人は無辜の民に扮して「戦争被害」を口にするが、戦争で翻弄されたのは朝鮮人ばかりではない。戦前は、軍隊に志願する鮮人青年も存在したじゃないか? それに、我が国の敗戦で「植民地支配」から解放されたのに、なぜ内地に住む鮮人は故郷に帰らなかったのか? 在日1世は子や孫に本音を語らず死んでいったから、左翼教育を受けた3世や4世がグレてしまうのだ。日本に残留した朝鮮人は、つべこべ言わずに帰国すべきで、金王朝を嫌う北鮮人は、日本国籍を取らずに、同胞がいる南鮮の国籍を取れ。
もし、在日南鮮人の老婆が「無年金」で困っているなら、韓国政府に助けを求めればいいじゃないか? 在日鮮人どもは「我々も税金を払っているんだ !」と主張するが、他の在日外国人だって日本に税金を払っている。在日南鮮人は半島に帰り、祖国の発展に貢献しろ ! 第一、彼らはどうして祖国に納税しなかったのか? そもそも、「血税」を逃れた連中が日本政府に文句を垂れるなんておかしいぞ。(註 / 「血税」とは徴兵制度に基づく税であり、金銭で払う税ではない。日本のマスコミは「庶民の血税を搾り取る財務省」といった表現を使うけど、現在の日本には徴兵制度は無い。)
朝鮮人に同情する「なんちゃってリベラル」の日本人は、なぜ朝鮮人が祖国に戻らず、“差別大国”の日本に住み続けているのかを考えるべきだ。我々が改めて考察すべき点は、日本人の“差別意識”ではなく、朝鮮人が抱く“自己嫌悪”の方である。在日鮮人は祖国の同胞を観るのが嫌いだ。つまり、「恥ずかしい民族」と判っているから、自分が同類と思われるのが、嫌で嫌で堪らないのだ。口にこそ出さないが、朝鮮人は「自慢できない祖国」と嘆いている。
友達に正体を隠す在日鮮人は、「チョーセンジン」という言葉を聞いただけでもゾッとしてしまうのだ。祖父母は朝鮮文化を捨てきれないでいるが、半島に行ったこともない孫にしたら、朝鮮文化の何が素晴らしいのか、ちっとも判らない。フジテレビや日テレは、「K-POP」なんかを囃し立てるが、こんな音楽はアメリカ人の猿真似だ。日本育ちの鮮人娘にとったら、朝鮮の伝統衣装なんて興味が無い。チマ・チョゴリなんて囚人服みたいだ。それよりも、鉱山人夫が穿く「ジーンズ」の方がいい。
(上写真 / 日本に支配される前の朝鮮人 )
音楽でも同じで、野暮ったいアリラン(朝鮮民謡)なんて聴きたくもないし、アリランを唄っている姿を友達に見られたら顔から火が出るほど恥ずかしくなる。また、煩わしい先祖供養なんて御免だし、あのドロドロした朝鮮宗教は見るのも厭だ。親戚一同が集まる墓参りや宴会も陰鬱である。自分が「朝鮮人」と判って悲嘆に暮れる小学生だと、涙を浮かべながら「ママ、どうして僕、チョーセン人なの?」と訊いてしまう。朝鮮の血筋を嫌う少女なら、早く日本人と結婚して「金」とか「崔」といった本名から逃れたいと考える。ウェディングドレスだって御洒落な西洋風がいいし、新婚旅行もミラノやローマ、パリ、ウィーンなどがいい。夢見る少女は、釜山や京城なんて選ばない。
(左 : と中央「乳出しチョゴリ」の鮮人女性 / 右 :「歴史偽造」による「色鮮やかな民族衣装」を着た現代の鮮人女性 )
在日鮮人や帰化鮮人は、朝鮮人を嫌う日本人に恨みを抱き、「ヘイトスピーチを赦せない !」と憤るが、異邦人の日本人よりも自分の両親や祖父母を非難すべきだ。戦争後、さっさと故郷に帰っていれば日本人による差別は無かったはず。いくら朝鮮半島が貧しくとも、周囲の者は皆「朝鮮人」なんだから、子供は「朝鮮イジメ」に遭わない。在日鮮人の中には「日本生まれ」を口実にする者がいるけど、それなら学校で英語を学ばず、「母国語」である朝鮮語を学んで、南鮮での就職を考えればいいじゃないか。16歳か18歳になれば朝鮮半島で寮生活を送れるし、朝鮮人の友人も作れるから、その方が幸せだろう。南鮮企業に就職すれば朝鮮人との結婚も可能だし、徴兵制度に応じて国家への義務を果たすことができる。「朝鮮へ帰れ !」は「ヘイトスピーチ」じゃない。「祖父母や曾祖父母が眠る祖国へ戻れ !」が、どうして民族差別になるのか? 在日鮮人の2世、3世、4世にとって、祖国は生き地獄なのか? 朝鮮人に同情している日本人は、自分が何を言っているのか、よく考えるべきだ。
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日本の学校教育はどこか“いびつ”で、「朝鮮人問題」は深刻な政治課題であるにもかからわず、戦後から“ずっと”日本社会の“タブー(禁忌)”になっていた。日本人は受験勉強なら必死に取り組むが、自分が通っている学校の教育内容には興味が無い。たとえ学校の先生が教育熱心でも、人生で大切な恋愛や銭儲けについては教えないし、節税の方法はおろか、役所がどう公金を使っているのかも教えないのだ。しかも、情報社会に潜む危険性にも無頓着。子供達はみんなテレビを観ているのに、テレビ局の内情を暴露する教師なんて聞いたことがない。
朝鮮人に関する説明も同じだ。世の中に出れば、各界の要職に「クリプト鮮人(正体を隠した朝鮮人)」が就いているのに、どうして彼らが日本に住み続けているのか、なぜ追放されないのか、普通の日本人にはサッパリ解らない。永田町では公明党を率いる創価学会と、韓国民団および朝鮮総連は隠然たる権力を誇っている。しかし、地上波テレビがこれらの組織を特集することはなく、「何となく触れてはいれない存在」となっているだからおかしい。NHKの「ETV」やTBS「報道特集」でも、民団と総連の起源や犯罪を追求するドキュメンタリー番組は作られることがなかった。
ちなみに、高倉健が田岡一雄(たおか・かずお)組長の役を演じた『山口組三代目』(昭和48年)は、今でも放送禁止となってる。なぜなら、「第三国人」と呼ばれた不逞鮮人が、日本人の女性を強姦するシーンがあるからだ。ゴロツキ鮮人による輪姦を目撃した田岡氏は、陵辱された婦人を救うべく、必殺技の「目潰し」攻撃で格闘し、不逞鮮人を撃退した。日本の観客はこの勇気に拍手喝采だったけど、在日鮮人は血が沸騰するほど激怒した。それゆえ、健さんが亡くなっても放映はNG。『夜叉』とか『幸せの黄色いハンカチ』ならOKだが、『山口組三代目』は「無かったこと」になっている。“故人を偲んで”も駄目なものはダメ。(在日朝鮮人の過去を紹介すると長くなるので、拙書『』支那人の卑史 朝鮮人の痴史』第5章を読んでね。)
ここで前編の話の続きを述べたい。フォトジャーナリストの安田氏は、同胞である在日鮮人や帰化鮮人にも取材を行っていた。彼女が紹介する人物で注目すべきは、中村一成(なかむら・いるそん)というフリーのジャーナリストだ。彼は元々「毎日新聞」の記者で、個人的に民族問題や朝鮮問題に関心があるのか、『ルポ 思想としての朝鮮籍』とか『ルポ 京都朝鮮人学校襲撃事件』という本を書いている。京都の事件については色々と反論があるので、ここでは述べないが、朝鮮学校を取材し、記事を書くジャーナリストには、意識的あるいは無意識的な朝鮮贔屓が多い。というよりも、こうした社会事件を取り上げるのは、左翼知識人か朝鮮系ジャーナリストがほとんど。
朝鮮問題に敏感な中村氏は、朝鮮人の母親と日本人の父親を持ち、大阪府の寝屋川で生まれたという。母方の祖父はプレハブ会社を営み、そこへ転がり込んできた職人というのが一成の父親であった。一成の父親と母親は駆け落ちで結婚し、息子の一成と二人の娘をもうけた。次女が生まれた時、彼の一家は枚方市に移り住み、後に父親は自分の土建会社を興す。
一見すると、“ごく普通の家庭”に思えるが、一成の父親は暴力亭主だった。この父親は自制が利かなくなると、分厚い灰皿や建材などを叩き割って周囲を威嚇したそうだ。特に、酒を飲んだ時が最悪で、酔っ払うと彼の父親は家の中で暴れ回り、その矛先を妻に向けたという。なぜなら、彼の女房が「朝鮮人」であったからだ。駆け落ちまでして夫婦(めおと)になったのに、妻は自分の正体を明かさなかったんだから、夫の不満にも一理ある。一成の母親が出自を告白した時、彼の父親は「騙された」と憤慨したそうだ。
つくづく思うけど、朝鮮人の家庭には結構、民族起源の不幸が多い。一成の母親は亭主から「朝鮮人」と侮辱されても、「日本人や」と泣きながら反論し、亭主の足にすがっていたという。しかし、正直な告白を受けても、亭主の怒りは治まらない。激怒した夫は夜中に妻を踏みつけ、唾を吐きかけることも。在日鮮人なら必ず「ヘイト・スピーチ」と叫んでしまうが、一成の父親は妻に向かって、「お前は血が汚い」「お前は日本人じゃないか、子供は俺のもんや」と言い放った。(安田菜津紀『あなたのルーツを教えて下さい』左右社、2022年、p.105.)
一方、息子の一成は子供の頃から母親が「日本人」でないことに気づいていた。鮮人の子供は、愛する母親が朝鮮人でも日本人でも構わないが、騙された亭主の方は嘘に基づく結婚には耐えられない。怒りの矛先は子供達にも向けられたようで、父親は食事中に剥き出しの短刀を娘(一成の妹)に投げることもあったそうだ。息子の一成も殴られたことがあり、二回ほど鼻の骨を折られている。彼の父親は、「お前も母親と同じ目をしている」とイチャモンをつけ、暴力を加えることもあったそうだ。(上掲書、p.106.)
こんな仕打ちをされたら一成が父親を憎み、工事現場で死んでくれないかと願っても無理はない。彼を咎めるなんて酷だろう。何しろ、壁一枚隔てた部屋で父親が母親に対して暴言を吐き、侮辱するんだから、息子としては居ても立っても居られまい。一成は「いつか殺してやろう」と思ったそうだ。中学生の時、彼はベッドの下にサバイバルナイフを隠していたというから凄い。「父親が母親に何かした時、殺すしかないと思っていた」そうだ。しかし、この父親は子供を溺愛する側面を持っており、経済的に惨めな思いをさせたくないという気持ちもあったらしい。時計の針を戻して独身時代に戻れない父親の悲哀が滲み出ている。
全員とは言わないが、朝鮮人の配偶者には、悲惨な過去を持つ者が多い。一成の母親は夫から何度蹂躙されても、決して子供達に自分の出自を明かすことはなかったという。彼の母親は高校時代に「新井」という“通名”を使っていた。「木村」とか「山本」「安田」という日本名も、在日鮮人がよく用いる偽名だ。一成の母親は素性の発覚を恐れたのか、卒業アルバムの顔写真の下にある名前の部分を何か鋭いモノで削り取っていたという。たぶん、子供達に見られたくなかったのだろう。
そんな母親が自分の出自を話したのは、一成が高校生の時である。一成にはもう一人の祖父がいて、母親曰わく「あっちの人」であるという。彼女の両親は離婚したそうで、独身になった祖母は日本人と結婚した。それがプレハブ会社を経営する祖父であった。母親が打ち明けるまで、一成は血の繋がった祖父を知らなかったという。
ところが、実の祖父は、如何にも小説に出てきそうなダメ男。色々な朝鮮人の自叙伝にも似たような話があるけど、一成の祖父も同類で、「飲む・打つ・買う」に加えて、「暴力」も酷く、ヤクザ並であったという。気に食わないことがあれば、祖母の髪を摑み、引きずり回したというから酷い。(上掲書、p.107) それゆえ、祖母は亭主を酷く憎んでいた。
祖父の死後、一成の母親は祖父の親戚と縁を切ったそうだ。なぜなら、自分の父親だけでなく、二人の叔父もヤクザであったからだ。一成の母親によれば、「あの二人は“その世界”しか知らなかった」という。母親が恐れたのは、息子の一成が彼らに近づくことだった。(上掲書、p.108) チンピラや暴力団になる在日朝鮮人と聞けば、何となく、そのイメージが目に浮かんでくるから実に不思議だ。祖母と一成の母親は、一成が小学校高学年の時に日本国籍を取得し、在日鮮人のコミュニティーとの縁を切ったそうである。
親戚との関係を断ち切っても、民族の文化は存続したようで、朝鮮人の家庭では必ず「キムチ」が伝統の中心となる。日本人からすると「クズ野菜の漬物しか自慢する文化が無いのか?」と尋ねたくなるが、朝鮮人にはキムチに関するエピソードが多い。一成の祖母が作るキムチは独特で、ニンニクが入っていなかった。その代わり、生姜と韮(にら)がたくさん入っていたが、「水っぽく、とても旨いとは言えなかった」そうだ。しかし、それは「ニンニク臭い」という鮮人蔑視が原因となっていた。一成の推測によれば、ニンニクの匂いを避けるために、祖母が考えた作り方であったという。
在日鮮人や帰化鮮人にとり、「本名(民族名)」を名乗ることには勇気が要る。何しろ、友人に対しては、ずっと「通名」を使い続けていた訳だから、高校生や大学生になって急に別の名前に変えれば、周囲の者は「えっ、どうしたの?!」と驚く。しかも、それが朝鮮名となれば尚更だ。親友の見る目だって違ってくるんだから。同級生が動揺し、どちらの名前で呼んでいいのか、戸惑う姿が目に浮かぶじゃないか。「金田」君が「金」君に変わっても、マイナー・チェインジみたいだけど、「木下」君が「朴」君、あるいは「鄭」君と変えれば「別人」みたいだ。
中村氏は大学卒業後、毎日新聞社に就職する。彼は新聞社時代から「いるそん」という朝鮮語読みの名前を使い始めたそうだ。毎日新聞の系列であるTBSでも、朝鮮人社員は珍しくないから、民団出身者が本名で勤務しても不思議じゃない。ただし、キャスターとして傭う女性が、「金玉(キム・オク)」という朝鮮名だと困るだろう。ニュース番組を観た子供達は、「うあぁぁ~、女の人なのに“キンタマ”だって !!」と大爆笑だ。もちろん、学校でも話題となるから、朝鮮系のクラスメイトは黙ってうつむくか、素性を隠しながら日本人と一緒に笑うしかない。
在日鮮人は、よく日本人の「民族差別」を非難するが、同胞の差別だって酷いものがある。中村氏が或る商工会の在日鮮人に会った時のことだ。この朝鮮人は中村氏に対して民族名を印刷した名刺を差し出した。そこで、中村氏は自分の母親が在日鮮人であることや、母親の帰化について話したという。ところが、彼の告白を気に食わなかったのか、相手の鮮人は彼に渡した名刺を奪い返し、「あんたにはこれで十分やろ」と言って、通名の名刺に差し替えたそうだ。(上掲書、p.111.) おそらく、日本に帰化するというのは、朝鮮民族、すなわち在日同胞に対する“裏切行為”なんだろう。
日鮮混血児の自己識別は複雑だ。日本で生まれ育つと、日鮮のどちらに所属するのか判らなくなる。中村氏が大阪にある民族学校の講師と会った時のことだ。この講師は彼に対して言う。「君は朴一成(ぼくいるそん)と名乗るべきだ、それが子供たちを励ますことになるんだ」と。しかし、中村氏は共感するどころが、むしろ不愉快になり、怒鳴り散らしたそうだ。「“どちらか”にならないと、あなた達は私のことを受け容れないのか、私のありのままを受け容れられないのか」と中村氏は怒ったらしい。まぁ、朝鮮人からすれば、偽りの「通名」を使わず、正々堂々と「朝鮮名」を名乗るべし、という考えなんだろう。
鮮人支援者というのは、なぜか在日鮮人(特に南鮮人)に対して甘くなる。異国である日本に住み着いているから、彼らが様々な不便を蒙ったり、朝鮮民族ゆえの差別に遭うのは当然だ。大半の日本人は排外主義者ではない。だが、朝鮮人とか支那人になると別。生理的に嫌いなんだからしょうがない。日本人の拒絶反応が厭なら、さっさと祖国へ帰れ !「鼻つまみ者」であると判っていながら、意地でも日本にしがみつこうとするから朝鮮人は毛嫌いされるのだ。
在日鮮人は図々しく、外国人なのに我が国に住み着き、「日本国民」と同じ権利を要求する。中村氏は在日鮮人の「制度的無年金」を巡る裁判に興味があるようで、日本政府が「在日外国人」を長いこと国民制度の対象外としたので腹を立てている。(上掲書、p.114) しかし、在日外国人を「日本国民」と見なすのはおかしい。在日鮮人は長期在留を根拠に年金をねだるが、南鮮は日本の属州なのか? どうして異国の日本が南鮮国民を世話しなければならないのか? 在日北鮮人も年金が欲しければ、金氏朝鮮に掛け金を払って「北鮮国民年金制度」を主張すべきだ。朝鮮総連を通して掛け金を払えばいいじゃないか。
安田氏も他の鮮人活動家と同じく、日本の過去を糾弾して自己正当化を図っているようだ。朝鮮支援者や在日鮮人達は、何かにつけ「日本の植民地支配」や「戦争に翻弄され続けてきた人々」という表現を使いたがる。安田氏は難民条約を引き合いに出し、外国籍・無国籍の障碍者が法的処置から除外され、無年金のまま放置されている、と非難する。朝鮮人は「植民地支配を謝罪しろ !」と目くじらを立てるが、日韓併合は通常の植民地支配とは程遠く、むしろ支配された朝鮮人の方が得をし、搾取されたのは日本人の方だ。日本統治は朝鮮史では考えられないほどの黄金時代であった。朝鮮半島に注ぎ込む金があるんなら、日本の東北地方に使って、現地のインフラ整備を促進すれば良かったのに、政府は極貧朝鮮の開発を優先したのだ。乞食より汚い朝鮮人が、日鮮合邦で「人間」にまで昇格し、何と憧れの「日本国民」にもなれたのに、朝鮮人ときたら不平ばかり。もう、イチャモンとしか言い様がない。もし、10億円の宝くじが当たった鮮人が、「手荷物が重くて厭になる !」と不平を述べたら、周囲の日本人はどう思うのか?
だいたい、朝鮮人は無辜の民に扮して「戦争被害」を口にするが、戦争で翻弄されたのは朝鮮人ばかりではない。戦前は、軍隊に志願する鮮人青年も存在したじゃないか? それに、我が国の敗戦で「植民地支配」から解放されたのに、なぜ内地に住む鮮人は故郷に帰らなかったのか? 在日1世は子や孫に本音を語らず死んでいったから、左翼教育を受けた3世や4世がグレてしまうのだ。日本に残留した朝鮮人は、つべこべ言わずに帰国すべきで、金王朝を嫌う北鮮人は、日本国籍を取らずに、同胞がいる南鮮の国籍を取れ。
もし、在日南鮮人の老婆が「無年金」で困っているなら、韓国政府に助けを求めればいいじゃないか? 在日鮮人どもは「我々も税金を払っているんだ !」と主張するが、他の在日外国人だって日本に税金を払っている。在日南鮮人は半島に帰り、祖国の発展に貢献しろ ! 第一、彼らはどうして祖国に納税しなかったのか? そもそも、「血税」を逃れた連中が日本政府に文句を垂れるなんておかしいぞ。(註 / 「血税」とは徴兵制度に基づく税であり、金銭で払う税ではない。日本のマスコミは「庶民の血税を搾り取る財務省」といった表現を使うけど、現在の日本には徴兵制度は無い。)
朝鮮人に同情する「なんちゃってリベラル」の日本人は、なぜ朝鮮人が祖国に戻らず、“差別大国”の日本に住み続けているのかを考えるべきだ。我々が改めて考察すべき点は、日本人の“差別意識”ではなく、朝鮮人が抱く“自己嫌悪”の方である。在日鮮人は祖国の同胞を観るのが嫌いだ。つまり、「恥ずかしい民族」と判っているから、自分が同類と思われるのが、嫌で嫌で堪らないのだ。口にこそ出さないが、朝鮮人は「自慢できない祖国」と嘆いている。
友達に正体を隠す在日鮮人は、「チョーセンジン」という言葉を聞いただけでもゾッとしてしまうのだ。祖父母は朝鮮文化を捨てきれないでいるが、半島に行ったこともない孫にしたら、朝鮮文化の何が素晴らしいのか、ちっとも判らない。フジテレビや日テレは、「K-POP」なんかを囃し立てるが、こんな音楽はアメリカ人の猿真似だ。日本育ちの鮮人娘にとったら、朝鮮の伝統衣装なんて興味が無い。チマ・チョゴリなんて囚人服みたいだ。それよりも、鉱山人夫が穿く「ジーンズ」の方がいい。
(上写真 / 日本に支配される前の朝鮮人 )
音楽でも同じで、野暮ったいアリラン(朝鮮民謡)なんて聴きたくもないし、アリランを唄っている姿を友達に見られたら顔から火が出るほど恥ずかしくなる。また、煩わしい先祖供養なんて御免だし、あのドロドロした朝鮮宗教は見るのも厭だ。親戚一同が集まる墓参りや宴会も陰鬱である。自分が「朝鮮人」と判って悲嘆に暮れる小学生だと、涙を浮かべながら「ママ、どうして僕、チョーセン人なの?」と訊いてしまう。朝鮮の血筋を嫌う少女なら、早く日本人と結婚して「金」とか「崔」といった本名から逃れたいと考える。ウェディングドレスだって御洒落な西洋風がいいし、新婚旅行もミラノやローマ、パリ、ウィーンなどがいい。夢見る少女は、釜山や京城なんて選ばない。
(左 : と中央「乳出しチョゴリ」の鮮人女性 / 右 :「歴史偽造」による「色鮮やかな民族衣装」を着た現代の鮮人女性 )
在日鮮人や帰化鮮人は、朝鮮人を嫌う日本人に恨みを抱き、「ヘイトスピーチを赦せない !」と憤るが、異邦人の日本人よりも自分の両親や祖父母を非難すべきだ。戦争後、さっさと故郷に帰っていれば日本人による差別は無かったはず。いくら朝鮮半島が貧しくとも、周囲の者は皆「朝鮮人」なんだから、子供は「朝鮮イジメ」に遭わない。在日鮮人の中には「日本生まれ」を口実にする者がいるけど、それなら学校で英語を学ばず、「母国語」である朝鮮語を学んで、南鮮での就職を考えればいいじゃないか。16歳か18歳になれば朝鮮半島で寮生活を送れるし、朝鮮人の友人も作れるから、その方が幸せだろう。南鮮企業に就職すれば朝鮮人との結婚も可能だし、徴兵制度に応じて国家への義務を果たすことができる。「朝鮮へ帰れ !」は「ヘイトスピーチ」じゃない。「祖父母や曾祖父母が眠る祖国へ戻れ !」が、どうして民族差別になるのか? 在日鮮人の2世、3世、4世にとって、祖国は生き地獄なのか? 朝鮮人に同情している日本人は、自分が何を言っているのか、よく考えるべきだ。
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