無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

アジア論

卑猥な少女の奇妙なクセ / ロヒンギャ難民が集まる日本

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英国人が移植した異民族


  「難民は可哀想」というのが国際社会やマスコミでの共通認識となっている。しかし、ある民族が難民になった経緯は様々だ。彼らの正体を調べれば、その内情が明らかとなって、以前ほどの同情が湧かなくなる場合だってある。日本が多少なりとも係わりを持つビルマでは、今「ロヒンギャ難民」問題が話題となっている。しかし、この「民族」に関して知識を持っている日本国民は驚くほど少ない。NHKやTBS、朝日新聞などは「アジアの一員として」がモットーだが、その社員でさえアジアに感心を持っている者は少数派だろう。だいたい、彼らは学生時代に支那語とか朝鮮語、タイ語、マレー語、タガログ語、ビルマ語などを勉強したことがあるのか? たぶん、有名大学をご卒業したお坊ちゃんやご令嬢は、英語、フランス語、ドイツ語なら流暢に喋れるが、アジアの言語なんか見向きもしなかったはずだ。それに、米国や英国、フランス、ドイツといった文明国に駐在員として派遣されるなら華麗な経歴となるが、ベトナム、ラオス、カンボジアなんかに派遣されたら「左遷」じゃないかと疑ってしまうだろう。第一、薄汚いアジア諸国での生活は、毎日が不愉快の繰り返しだ。「こんなの、日本だったらありえない !!」と事ある毎に不満を漏らし、日本語で愚痴をこぼしたくなるだろう。

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(写真  / ロヒンギャ難民 )

Mountstuart Elphinstone 1(左  /  エルフィンストーン卿)
  そもそも、「ロヒンギャ(Rohingya)」族とはどんな人々なのか? 歐米人の説明によれば、「ラハン(Rahan)」という名が変化して「ロヒンギャ」になったようだが、簡単に言えばバングラディッシュからやって来たベンガル人のことだ。「アラカン・ロヒンギャ国民組織(Arakan Rohingya National Organisation)」の言い分によれば、ロヒンギャ族は太古の昔からアラカン地方に住んでいたという。国民国家の形成が盛んになった第19世紀以前の歴史的経緯となれば、正確な史実調査は混迷するから、日本人としては1820年代からの英国統治によるベンガル人の入植と考えた方が無難だろう。そこで、なぜベンガル人がライカン州に密集したかと言えば、征服者として君臨したイギリス人が地元民をコントロールするため、異民族を以て間接統治を行おうとしたからだ。ボンベイ総督になったマウントスチュアート・エルフィンストーン卿(Lord Mountstuart Elphinstone)も述べていたが、イギリス人は古代ローマに倣って「分断統治(divide et impera)」を行うのがいいと考えていた。 もし、地元の役人を使ってしまうと、彼らが支配地域の民衆と団結してしまい、イギリス人に対して謀反を企てるからだ。そこで、地元民が結束できないよう異民族を中間組織に用いれば、被支配者は団結しにくい。

  これは東南アジアを観ればよく分かる。例えば、ヨーロッパ人がマレー人とかタイ人を支配しようと思えば、華僑などの支那人を役人に仕立てればいい。華僑はある程度教育があるし、現地の言葉と支配者の言葉を知っている者も多い。何よりも、支那人は地元民との血縁関係や同胞意識を持たないから、異民族を容赦無く搾取できるし、叛乱の兆しがあれば、それをいち早く支配者に通告して「お駄賃」を獲得しようとする。支那人は扱い方が難しいが、上手に使えば非常に便利だ。しかも、呻吟(しんぎん)する原住民は、遠くから支配する西歐人より、毎日接する支那人の方を憎む。こうして、現地人と支那人が啀(いが)み合えば、巨大な叛乱軍の結成は不可能となるので、西歐人の統治は安泰となる。

  第二次大戦後、イギリス人はインドやビルマから撤退したが、ベンガル人は引き続きビルマに残った。そして、この残留組が更なるベルガル人を惹きつけたらしい。バングラデッシュと隣接するカライン州には、続々とベンガル移民が流入し、その数を増していった。そうなると、ビルマ人は面白くない。かつて、自分たちを抑圧していたベンガル人が国籍を得て同胞になるなんて赦せない、と思うのは人情だ。しかも、「ロヒンギャ」なる新語を持ち出し、あたかも古代から定住する少数民族の“ふり”をしているんだから、ビルマ人が追い出したくなるのも無理はない。国連の報告では2012年頃から約16万8000人が逃げだし、2016年の10月から2017年の7月にかけて、約8万7000人がバングラディッシュへと向かったそうだ。その他、密航業者の仲介でタイやマレーシアに流れた「難民」もいるという。

  しかし、我々は歐米や日本で報道される「ロヒンギャ難民」問題に騙されてはならない。英国のBBCと共犯の歐米メディアは、「ビルマ人の仏教徒がイスラム教徒のロヒンギャ族を迫害している」とか、「ビルマ軍が少数民族を弾圧している」といった報道は一方的なプロパガンダである。遙か彼方から映像で眺めているヨーロッパ人や日本人には、現地の複雑な事情や対立への経緯は解らない。ビルマ人がロヒンギャ族の村に火を放ったなんて、本当かどうか判らないじゃないか。BBCなどはロヒンギャ族を「可哀想な少数民族」とか「行く先の無い難民」と断定するが、民族紛争の火種をばらまいたイギリス人の悪行については、ちょっとしか触れない。通常の報道だとカット。イギリス人は何時でも正義の味方だ。でも、そんなにロヒンジャ族が可哀想なら、全員をイングランドに迎えてやればいいじゃないか。ブリテン島には似たような顔をしたインド人やパキスタン人、マレー人、シク教徒、タミール族、カレン族など、溢れるほど住んでいるんだ。新たに数十万のアジア人が流入したって大したことはないだろう。ボロ船は大勢の「乗客」で沈むけど、ブリテン島は難民の重さで沈むことはないんだから。

卑猥なクセを持つ少女

Tania Rashid 1(左  /  タニア・ラシード)
  こうしたロヒンギャ難民の悲劇は、多くのメディアで報道されていた。米国の公共放送たるPBSも彼らを取り上げ、衛星放送のNHKもそのまま流していたから、御覧になった方も多いはずだ。ところが、PBSの現地取材に驚くべき光景があった。9月18日の放送で、タニア・ラシード(Tania Rashid)特別記者は、ロヒンギャ難民の一人ハシナ・ベガム(Hasina Begum)さんにインタビューを行った。みすぼらしいテントに一家で暮らすベガムさんは、子供たちを側に置きながら、ラシード記者に自らの窮状を必死で訴えていた。("Flooding into Bangladesh refugees flee harrowing violence", PBS News Hour, September 18, 2017) 筆者も彼女の話に耳を傾け、その哀れな生活を目にしていたのだが、「ふと」彼女の脇にいる娘に気づいてしまった。彼女の年齢は10歳くらいだと思うけど、もしかしたら12、3歳くらいかも知れない。

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(左  / ハシナ・ベガムの家族 / 母親の右側に坐っている女の子が問題の娘 )

  とにかく、その娘は真っ裸の赤ん坊(弟)を前に抱きかかえて、母親に質問を投げかけるラシード記者をジっと見つめていた。しかし、その左手は何と、驚くべき事に、弟の性器を“ぐにゅぐにゅ”と揉んでいたのだ。これはちょっとした“しぐさ”とか、間違って“触れてしまった”という次元ではない。意図的にというか、無意識的、慣習的、日常的な「いじくり」に見えた。ラシード記者が目の前にいるのに、彼女はそれを気にせず、幼い弟の玉袋を指でずうっと“いじって”いたのだ。日本の乙女や奥方は、この破廉恥な「しぐさ」から目を背けてしまうだろうが、中学生や高校生の男子生徒なら腹を抱えて笑ってしまうだろう。赤ん坊の弟も慣れていたのか、睾丸を握られてもキョトンとした表情のままだった。NHKは気づかなかったのか、それとも映像を修正したくなかったのか、娘の「まさぐり」を堂々と流していたんだから偉い。久しぶりの快挙だ !

  筆者はビデオの録画映像で観ていたから、何回もその衝撃シーンを巻き戻して、再生映像に釘付けとなった。我が目を信じられない ! そこで念のため、PBSのウエッブ・サイトやユーチューブの映像を確認したのだが、そのインタビュー映像には「ぼかし」が入っていた。つまり、編集スタッフが放送後に気づいてしまったのだ。ということで、筆者が持っている録画映像は、「お宝映像」というか「永久保存版」になってしまった。(映像の著作権問題でアップロードできないから、つくづく残念だ。本当に嘘じゃないんだよ。) それにしても、貧しい地域の民族とか、大陸の片田舎に棲息するアジア人には、奇妙な慣習や風俗を持つ人々が多い。たぶん、あの娘にとったら、赤ん坊の睾丸を揉むことなど、別に不思議な事じゃないんだろう。そして、これは筆者の推測になるんだが、こうした卑猥な「しぐさ」はロヒンジャ族全体でも容認されている行動、あるいは破廉恥とは思われない「手癖」なんだろう。民族が違えば性倫理や食習慣が違っていても当然だから、「睾丸マッサージ」だって悪いことではない。考えようによっては、他人の睾丸を食べる支那人よりマシだろう。(アジアからの移民や難民を受け容れる政治家や人権派は、「奇妙な」風習を持つ民族を嫌うことはないのか? もし平気なら、自分の睾丸をパンツから出して、娘や息子、近所の子供の前で揉んでみろ。)

日本からの恩恵を受けるベンガル難民

  一般の日本人は難民が嫌いだ。出来れば全員追い払いたい。しかし、左翼勢力や反日分子から「人権」とか「人道」を持ち出されると怯んでしまう。だから、流入してくる異国人を排除することができず、しぶしぶながらも容認してしまうのだろう。だが、日本にやって来る移民・難民には図々しい輩が多い。「生命」の危機を訴えるが、その実、「経済的利益」を図って入国する「出稼ぎ入植者」が大半だ。

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(写真  /  「ロヒンギャ」と呼ばれるベンガル人)

  移住してくる外国人は主に大都市に密集しがちだが、意外と地方にも流れている。例えば、関東地方なら、群馬、栃木、茨城、埼玉の寂れた街に住んでいたりするから、マスコミの注目を浴びることが少ない。その隙を突いて、左翼ジャーナリストは地道な活動を続け、日本を多民族社会に改造しようと励んでいる。その一人が米国「ハッフィントン・ポスト(Huffington Post)」紙の中野渉(なかの・わたる)で、彼は同紙の日本版ニュース・エディターを務めているそうだ。この中野氏が取り上げたのは、群馬県館林市に住みつくロヒンギャ族である。彼はラカイン州からやって来たアブル・カラムというベンガル人を取材した。

  このカラム氏はヤンゴンで大学生だった頃、民主化運動のデモに参加し、仲間が逮捕され軍から拷問を受ける中、隣国のタイに逃れ、その後ドイツを経由して日本に辿り着いたという。カラム氏曰わく、日本は「食べ物などの文化が、歐米に比べて近い」からだという。(中野渉 『ロヒンギャの男性「何のために生きているのか、考えてしまう」館林の難民家族を追う』 ハッフィントンポスト、2015年8月10日) 全くふざけた理由だが、タカリ民族だからしょうがない。左翼ジャーナリストの特徴なんだが、彼らはなぜか移民や難民たちが如何にして渡航費を工面したのか、どんな方法で日本に入国したのか、旅券やビザはどうなのか、どうして遠い日本をえらんだのか、などについての質問をしない。普通の日本人ならすぐ怪しむのに、人権派記者はこうした疑問をぶつけようとはしないのだ。ただ「可哀想な外国人」と紹介するだけ。ビルマから日本に渡ってくるには、相当なお金が必要なはずで、2、3三千円払ったくらいじゃ船や飛行機に乗れないぞ。カラム氏の場合、ドイツにまで行ったというから、かなりの所持金を持っていたはずで、ドイツから追い出されたから、“豊か”で“お人好し”の日本を選んだのだろう。つまり、甘っちょろい日本人なら簡単に騙せるという訳だ。

  中野氏の記事によれば、カラム氏は「仲間を頼って」名古屋とか横浜に住んでいたが、その後、気が変わったのか館林に移り住んだという。おそらく、館林には200名以上のベンガル人が群れているというから、同胞との「共生」を望んで引っ越したに違いない。ここで注目すべきは、名古屋と横浜にベンガル人ないしビルマ人の集団が存在するということだ。こうした先遣隊は後続隊を導く橋頭堡になりやすい。連鎖移民が起きるのは、移住先に同胞が前もってコミュニティーを創っているからだ。こうした「租界」を阻止するためにも、アジア人とかアフリカ人の入国は極力制限せねばならない。

  「やはり」と言っては何だが、カラム氏は「不法滞在者」であった。ところが彼は「難民申請」をしていたのだ。つまり、滞在を延長する目的で「難民」に変身したという訳である。おそらく、彼は最初、観光とかビジネスという名目で日本に入国したのだろう。だが、滞在期間が切れて出国となったから、切り札としての「難民」に鞍替えしたんじゃないか。2003年、彼は茨城県牛久市の入管施設に収容されたが、15ヶ月後に釈放されたという。カラム氏は収容される前に現在の妻と結婚したそうで、新婚早々収容所暮らしを送ったそうだ。これは不法外国人がよく使う手口で、日本永住の第一段階として、問題が深刻になる前に結婚し、子作りの準備を整える。出来れば日本人女性がいい。カラム氏の妻ブンヌアン・マニアはタイ人女性で、バンコックで出逢ったそうだ。ここでアホな日本人は騙される。「難民」であるはずのカラム氏は、なぜバンコクに留まり、妻の身分を用いてタイ国籍を取得しなかったのか? ビルマに戻ると命の危険があるなら、タイに永住して帰化すればいい。どうして“わざわざ”日本にまでやって来たのか? こうした図々しい異邦人が多くて実に腹立たしい。一般国民は呑気に構えているが、収容所の維持費用を外人が払うことはない。 なぜ、迷惑を蒙った日本人が税金で運営しなければならないのか? 難民や移民を支援する人権活動家が費用を負担すべきだ。それが嫌なら、さっさと国外追放にすべきだろう。

  「難民申請」という制度を悪用するカラム氏は、2007年、ようやく「難民」として認定されたそうだ。ユダヤ人と北歐の左翼が作った難民法のお陰で、カラム氏は在留資格を得たばかりか、部分的に日本人の権利と公共サービスを受ける特権を得た。8歳の娘アティカと6歳、5歳、4歳の息子三人をもうけたカラム氏は、郊外の公営住宅に住み、自動車工場での塗装業に就いたそうだ。詐欺同然の方法で日本に入国し、不法滞在を犯したのに、公営住宅に住めるなんておかしい。そればかりではなく、悪質外人は日本に留まる為に子供を利用する。日本人は家族持ちに弱いから、難民どもは強制送還される前にたくさんセックスして、ボコボコと赤ん坊を拵えてしまう。そして、難民申請を何回も続ければ、時間稼ぎができるので、その間に生まれた子供が成長する。こうした子供が幼稚園から小学校に進めば、一転して、「子供を日本から引き離すのは残酷だ !」と騒ぎ立て、追放しようとする日本政府を極悪人に仕立て上げるのだ。

  そもそも、不法入国、不法滞在をした外人が悪いんだから、家族ができようが独身だろうが、総て国外追放にすべきである。たとえ、子供が日本語しか喋れなくても、ビルマに戻れば親の言葉を話せるようになるだろう。第一、家庭の言葉は何語だったのか? ベンガル人やビルマ人の父親が不得意な日本語を家庭の日常語にするなんて怪しい。母親がタイ人ならタイ語で子供と話すのが普通だろう。左翼偏向のマスコミは「お涙頂戴話」が得意で、「日本で生まれ育った子供を送還するのは残酷だ」と宣伝する。だが、その状況を作ったのは不届きな親じゃないか。子供を作る前に分かっていた事だろう。だいたい、迷惑を蒙った日本人がなぜ罪悪感を持たねばならぬのか? もっとも、こうした不良外人は「子供の将来」を考えたから、不法滞在を続け、難民申請を以て長期滞在を謀るんだろう。あろうことか、子供がある程度成長すれば両親共に特別永住が認められ、「ゴネ得」となってしまうのだ。日本の法に従って祖国に帰るより、違法状態を継続した方が「お得」なんて間違っている。こうした点に、移民・難民問題の不正が潜んでいるが、一般国民は娯楽や仕事に忙しくて注意を振り向けない。

異人種とデートするミス・アイルランド

  日本にアジア人が増加すれば、我々の文化が損なわれるだけでなく、我々の肉体までもが変質する危険性が生じる。カラム一家の子供たちはスクスクと成長し、地元の幼稚園や小学校に通っているそうだ。母親のマニタはイスラム教徒で肌を露出しないよう毎日衣服で隠しているらしい。小学校に通う長女のアティカは、放課後になると自宅近くにあるモスクに赴いて、しっかりとコーランを勉強し、アラビア後を習っているそうだ。(中野渉 『ロヒンギャ男性「ミャンマーの現状、子供に言えない」館林の難民家族を追う』 ハッフィントンポスト、2017年2月20日) ちょっと待て ! 「モスク」って何だ? 群馬の土地にイスラム教の礼拝堂があるなんて信じられない。でも、現在約230名のロヒンギャ族が住んでいるから、その地域にモスクができても不思議じゃないだろう。

  しかし、イスラム教徒は周辺にもその影響を及ぼしてしまうから厄介だ。敬虔な信徒であるアティカは、イスラム教の誡律に従っているから、いつも頭をベールで覆っているし、夏でも長袖と長ズボン姿である。日本の給食はイスラム教の「ハラル」に則っていないから、彼女と小学生の弟は弁当を持参しているという。一般の日本人は気づいていないが、イスラム教徒の子供が入学してくれば、余計な摩擦や問題に悩む事になる。例えば、水泳の時間には、肌を露出しないよう「ブルキニ」といった潜水服を着るようになるし、陸上競技の時もベールを被っているから奇妙な光景となる。こんなことをすればイジメの原因になってしまう。それにもし、イスラム教徒の児童数が増えれば「誡律に沿った給食を作れ」という声が大きくなり、給食センターはイスラム教の専門家を雇って厳格な料理を作らねばならない。しかも、穢れを防止するため、調理場を別に作るということもあるのだ。ただでさえ給食制度の維持は困難なのに、更に余計な問題が持ち上がるんだから、日本人の保護者から不満が噴出してくるだろう。

  それだけじゃない。地方都市は、医療機関に通訳を配置せねばならず、これまた余計な費用が計上されてしまうのだ。しかも、外人は3ヶ月くらいの滞在でも国民健康保険制度に加入できてしまうから、特別在留資格を得た外人も健康保険制度を利用できる。しかし、低所得で子沢山のアジア人家族が、1年に70万とか80万円の保険料を払うことはない。そのツケは日本人が払うことになる。仮に、群馬県で必死に働く独身女性の自営業者がいるとしよう。彼女は健康に気を使いながら日夜努力を続け、運良く成功者となり、その結果として高額所得者になる。ところが、彼女はたくさんの税金を払う破目になってしまうのだ。独身女性だから扶養家族の控除は無いのに、国民健康保険へ多額の料金を払わねばならない。県民税や市民税だけでも大変なのに、70万円前後の保険料請求が役所から届く。もし、彼女が健康を維持したら病院に行く事もないので、ボッタクリに遭ったようなものである。かといって、無理やり病気になれば経営が危なくなるから、仕事で忙しい彼女は風邪すらひくことができない。一方、移民や難民の家族は驚くほどの低料金で手厚い福祉にありつける。独身女性の勤労者は何も貰えないのに、難民の親は子供手当までもらえて懐が温かい。しかも、こうした日本人の税金で成長した外人の子供は、必ず「日本国民」となるので、両親はそれまで辛抱すればいい。なるほど、こうした貴重な日本国籍を無料でもらえるんだから、アジア人が大量に我が国へ移民してくるのも当然だ。

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(左と中央: 「ミス・アイルランド」になったエマ・ウォルドロン  / 右: 黒人の恋人マナーズ・オシャフィ )

  日本人の悪夢はまだ続く。アジア人の移民が増えれば、日本人との結婚も増えるから、当然の結果として混血児が誕生する。だが、日本人はこうした異民族との混淆を望んでいるのか? 異なった種族との混血に拒絶反応を示している例が、イングランドばかりでなくアイルランドにもある。以前、「ミス・アイルランド」に選ばれたエマ・ウォルドロン(Emma Waldron)がナイジェリア人の恋人を持った事で多くの嫌がらせメールを受けたそうだ。(Niamth Walsh, "Miss Ireland : We're so in love, we don't care what racist say about us", Daily Mail, 21 March 2011) 彼女は黒人のボーイフレンド、マナーズ・オシャフィ(Manners Oshafi)を全然恥じることはなく、却ってレイシズムと闘う姿勢を見せていた。筆者は、世間からの非難をものともせずデートを続けたウォルドロン氏に、今更どうこう言うつもりはないが、彼女に異人種結婚の結果を理解しているのか、と訊きたい。確かに、彼女はとても美しく、「ミス・アイルランド」に選ばれたのも納得できるが、その軽率な行動に疑念を抱いてしまう。

  大きなお世話だが、将来、彼女が黒人青年と結婚し、女の子を産んだとして、その愛娘が母親と同じ容姿になるとは思えない。必ずや、父親の遺伝子を受け継ぎ、浅黒い肌とアフリカ人の特徴を持つ子供となるだろう。そこで一つの疑問が浮かんでくる。もし、その娘が母親に倣って美人コンテストに出場したら、二代目として優勝できるのか? もちろん、元「ミス・アイルランド」の娘だからといって、自動的に同じタイトルを獲得できるとは限らない。だが、混血児の娘の場合は選抜以前の問題がつきまとっている。なぜなら、黒人の優性遺伝子を持った娘に、審査員や民衆が同様の喝采を送ることはないからだ。彼女の母親は白い肌のケルト系美人だが、その娘は浅黒いアフリカ系となるから、たとえ黒人たちが称讃しても、ケルト系アイリス人は眉を顰めるに違いない。彼らはどうしても「アフリカ人の顔附き」を受け容れたくないのだ。一般のアイリス人は口にしないが、生粋のアイリス系国民はその娘を自分たちの仲間と見なさない。左翼マスコミが推進する異人種間結婚を選んだケルト人娘は、一般的にその怖ろしい結果について無知である。アイリス人の祖父母は娘が産んだ黒い孫をどう思うのか? カトリック教国のアイルランドでもリベラル教育に染まった親が結構多いから、アフリカ系の孫を気にしない者も沢山いるだろう。ただ、心の底で“ひっそり”と悲しむ祖父母もいるんじゃないか。

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(左: ピアース・ブロスナン  / ピーター・オトゥール  / ニコール・キッドマン  /   右: アン・ハザウェイ)

  普通の日本人でもちょっと思い出してみれば、ケルト系のアイリス人俳優とアフリカ系「アイリス人」の違いに気づくだろう。ケルト系の人物を挙げてみると、007のジェイムズ・ボンド役で有名なピアース・ブロスナン(Pierce Brosnan)とか、『スター・ウォーズ / ファントム・メナス』や『96時間(Taken)』に出演したリアム・ニーソン(Liam Neeson)、『アラビアのローレンス』で名高いピーター・オトゥール(Peter O'Toole)、人気男優のブラット・ピット(Brad Pitt)、女優なら子役スターのダコタ・ファニング(Dakota Fanning)、『バットマン』でキャトウーマンを演じたアン・ハザウェイ(Ann Hathaway)、オーストラリア人女優のニコール・キッドマン(Nicole Kidman)がいる。アイルランドから多数の移民が渡ってきたアメリカでは、アイリス系の有名人が非常に多く、ジョン・F・ケネディーばもちろんのこと、ロナルド・レーガン大統領やモナコ公国のプリンセスになったグレイス・ケリーもアイリス系アメリカ人であった。

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(左: ダコタ・ファニング  /  グレイス・ケリー  /   ロナルド・レーガン  /   右: ロトミ・アデバリ)

  一方、アフリカ系アイリス人の有名人だと、女優のロザリオ・ドウソン(Rosario Dawson)、歌手のアリシア・キィーズ(Alicai Keys)、女優のイェミ・アデンガ(Yemi Adenuga)、女優兼モデルのライラ・フラハティー(Layla Flaherty)、ナイジェリア系で政治家のロトミ・アデバリ(Rotimi Adebari)などがいる。この二種類を見比べれば、なぜ一般のアイリス人が混血を嫌ったかが解るだろう。自分たちの民族が保持する国民的遺伝子に、嫌な遺伝子を混ぜてしまうアフリカ人は赦せない。これは理性で決着できる問題ではなく、感情の問題だから解決する方法はまず無いんじゃないんじゃないか。日本人だって、英語の教師やニューズ・キャスターとしてアイリス人を雇う場合、ケルト系の白人を選んでしまうだろう。それにもし、中学生や高校生が自分の家庭教師に選ぶとしたら、大半がケルト系のアイリス白人を選ぶはずだ。したがって、左翼教師は個人の自由を許さない。子供に選択の自由を与えると、レイシズムの結果を生んでしまうので、「政治的正しさ」に違反するとの理由でダメ。(でも、リベラル派は「自由」を尊重するはずなんだけど。結局、都合の悪い「自由」は禁止なんだろう。)

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(左: ロザリオ・ドウソン   /  アリシア・キィーズ   /  イェミ・アデンガ  /   右: ライラ・フラハティー )

  今や、日本人はキツネやタヌキと等しくなった。いや、それ以下かも知れない。野生動物ですら同種でしか交尾しないから、異人種と混血する日本人は地球上を放浪する雑種犬と変わらなくなった。あと数年で死んでしまう老人や、子育てが終わった中高年は、子供や孫がどうなろうが知ったことではないのだろう。彼らが関心を持っているのは、自分の墓に設置される墓石の種類と、埋葬される墓地の住所である。まともな日本人からすれば、祖父母と孫の容姿が違う、といった将来は怖ろしい。昭和の頃までは、近所のオッちゃんやオバちゃんが、「あら、お嬢ちゃんお母さんとソックリねぇ」と微笑んだのに、今じゃぁ「あら、お嬢ちゃん、よく日焼けしちゃって」と誤魔化すしかないけど、それだって「政治的正しさ」に違反するからNGだ。ということで、近所の隣人は子供を見かけても、黙って素通りするしかない。いずれ、日本でもバラク・オバマのような首相が現れて、「肌の白い秋田美人も、茶色のマレー系も、黒いケニア系も、黄土色のフィリピン系も、みんな日本人だ」と宣言するだろう。その時、生き残った日系人日本人が、涙を浮かべながら思い出アルバムをめくっても手遅れなんだぞ。
 


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フィリピン人を引き入れる悪徳慈善家 / フィリピン人の値段

慈善は他人の為なにず

  慈善家は一つ間違えば偽善家になる。大金持ちが慈善活動をするのであれば、自分のお金だけを使えば良いのであって、他人に迷惑をかけたり、公共の利益を損ねることは慎むべきだ。日本財団を率いる笹川陽平は、確かに医療や福祉の面で良いことをしているが、その中に反日行為を混ぜるからタチが悪い。彼が財団のお金を外国人に注ぎ込むのは勝手だが、日本国籍をフィリピン人に与えようとする意図には、何か邪悪な思想が紛れているように思えてしまう。

  2015年4月17日附産経新聞の『正論』欄で、笹川氏は「比残留2世の『国籍取得』を急げ」というコラムを投稿した。戦争中、日本の軍人や軍属の国民がフィリピンに渡った時、現地の女性との間にもうけたのがフィリピン2世である。笹川氏はこの日比混血児が貧乏生活しているから、日本国籍を与えてやれという言いたいのであろう。多くの混血児が「敵国の子供」とみなされ、ゲリラによる襲撃を受けたから、父親を証明する書類を持たないという。フィリピンでは父系血統主義だから国籍が取れないらしい。それなら、笹川氏はフィリピン政府に日比混血児にフィリピン国籍を授与するよう求めれば良いではないか。彼らの生活基盤はフィリピンにあるし、日本語だって理解できない者が多いだろう。日本に移住して普通の生活などできまい。それでも日本国籍を欲しいのは、豊かな生活と何らかの補助金が目当てなのだろう。父親が日本人という大義を掲げて、日本に移住したいのではないか? もし、日比2世が国籍を取得したら、彼らの家族、すなわち配偶者、兄弟、子供、孫も日本に移住できるだろう。これを「連鎖移民(chain migration)」というが、先進国はこうした大量移民に悩んでいる。一人が国籍を取得すると、次々と家族や親戚が移住してくるのだ。

  笹川氏は「敵国人の子」と見なされた日比混血児の境遇に同情している。しかし、戦後になっても迫害したのはフィリピン人だし、この哀れなフィリピン人を無視してきたのはフィリピン政府だ。フィリピン人は日本からの経済援助をもらっていたが、一体いくら日比混血児の為に使ったのか、笹川氏は提示すべきである。フィリピン政府は戦争中の状態を承知していたのだから、戦争終結をもって戦争孤児の面倒を見るべきだったのではないか? しかも、母親がフィリピン人と判明している日比混血児に、フィリピン国籍を与えても問題ないはずだ。日本人とセックスして妊娠したからといって、フィリピン人と認めなかったのは、その混血児たちに何ら価値が無かったからだろう。フィリピン政府には同胞意識が薄く、特に貧乏な土人に対して冷たい。スペインかアメリカの血を引く者が上流階級に多く、南方黒人の子孫たるフィリピン人を見下している。支那系フィリピン人も、タガログ族などの原住民をよそ者扱いしているのだ。しかし、フィリピン人同士が互いに侮蔑し合うことは彼らの勝手だし、フィリピン国内での身分差別だって日本人の知ったことではない。フィリピン政府が日比混血児を蔑ろにしたからとて、我々が引き取って面倒をみてやる必要はないだろう。

  日本国民の中には、父親が日本人なのだから、日本国籍を与えるべきだ、という意見の人物もいるだろう。しかし、戦後日比混血児を父親が引き取らなかったのは、何も子供の存在を知らなかっただけではなかろう。確かに、戦死したり行方不明になった日本人もいたから、父親が引き取れなかったケースもある。それなら、日本にいる戦歿者の遺族が引き取っただろうか? 彼らの両親や弟あるいは妹が、フィリピンにまで行ってその混血児を家族にしたとは思えない。また、フィリピンで日本の将兵をBC級戦犯として処刑してしまった、アメリカ軍の責任はどうなるのか? 笹川氏はアメリカ政府に、混血児の父親を殺した罪を咎めて、賠償金を求めようとするのか? それに、日本兵の何人かは、悪意あるフィリピン人証言者のせいで死刑になった。こうしたフィリピン側の罪も、笹川氏は糾弾したのか? 戦争中、フィリピン女とセックスしたが、戦後帰国した日本人は、別の女性と結婚して家庭を築いてしまったから、フィリピンにいるかも知れない自分の子供を見捨てたのではないか? 戦後のどさくさが片付いて、高度成長期に入ったのに、フィリピンの子供を探しに行かったのはなぜか? また、日本政府に懇願して、フィリピン政府と交渉してくれ、と要求したのか? 何人が田中角栄のような有力者に請願したのだろう? 言いづらいことだが、日本人の父親たちはフィリピン人との子供など、どうでもよかったのではないか、と推測したくなる。

  どの時代の戦争でも悲惨な出来事が起こるものだ。もし、大東亜戦争がなかったら、日本兵がフィリピン人女とセックスして子供を作ることはなかったろう。そもそも、戦前の一般男性にフィリピン人と結婚するという発想は無かった。戦争になって、明日をも知れぬ命だから、性欲が湧いて現地女とセックスしたのだろう。中には、女郎買い気分で、フィリピン女を抱いた者もいたはずだ。フィリピン女には気軽に外人とセックスする者が多い。それに、当時の日本人で、フィリピンの素人娘や売春婦とセックスしたから、嫁にするため故郷の両親に紹介しようとは思わなかったろう。フィリピン土人やフィリピン系華僑の女を、田舎に住む家族のもとへ連れて行き、跡継ぎを産む婚約者です、と紹介できたのか? まず、両親が反対するだろう。日比混血児の孫など嫌だ、と言われたら勘当覚悟で結婚するとも思えない。当時は親孝行が現在よりも濃厚だった。しかも、言葉や風習が違う日本で、フィリピン妻が暮らすとなれば大変だ。顔つきの違う混血児が日本の田舎でいじめられたり、肩身の狭い思いをすることは、父たる日本人がよく判っている。日本人男性の多くは混血児が居ると推測しても、敢えてフィリピンに行って捜索せず、そのまま黙殺しようとしたのではないか?

  笹川陽平は父の良一と同じくアジア主義者で、何かとアジア人を日本に引きずり込もうとする。たとえば、笹川氏は日本財団を使って、自衛官と支那軍人の交流を促進していた。これは危険なイベントで、自衛官を支那人に紹介することで、支那軍人に自衛官を取り込むチャンスを提供するようなものだ。支那人は自衛官と面識を持ち、自衛官に擦り寄ろうとする。「同じ軍人として」とか「貴国の自衛隊は素晴らしい」などとお世辞を言いながら、自衛官の自尊心をくすぐり、彼らの弱点を探そうとする。自衛官も人間だから、私生活では何らかの悩みを持つ。恋人に困っているようなら、それとなく女を用意して、偶然の出遭いを演出することだってあるだろう。笹川氏が日支交流促進を開催する真の目的は何なのか? 個人としては無防備の自衛官に、陰謀の天才支那人を接近させる笹川氏に、一体どんな利益があるのか、ぜひ知りたい。

  笹川氏が日比混血児2世に日本国籍を与えようとするのは、彼が救世主願望を持っているからではないか? これは慈善家に多く見られる特徴で、後進国の貧民を助けることで、自分が神様みたいな存在に思えてしまう。救世主になった快感は最高だ。権力を持つ大富豪が悲惨な国に行き、貧乏な子供や病人から感謝されると、自国では味わったことのない恍惚感が得られる。これが堪らないのだ。お金持ちだから、気前よく物や金をばらまいても平気だし、場合によっては、自国政府に働きかけて、国際援助まで引き出してしまう。だから、日本国籍など無料だから日比混血児に呉れてやれ、という考えになる。日本の先人が苦労して守った子孫への遺産とは考えない。日本国籍を欲しがるフィリピン人だって、歴史的共同体の一員として日本国民になるのではなく、福祉が充実した金満国家へのパスポートが手に入る、といった計算がその動機だろう。憧れの日本だから良いのだ。南鮮国籍なら要らない。朝鮮人とセックスして混血児を産んだからといって、捨てられたフィリピン人親子は南鮮に住みたいとは思わないだろう。あんな酷い国なら、フィリピンの方がマシである。一見すると左翼に思えない笹川氏は、保守系新聞の産経に登場するが、朝日・毎日新聞の専属コラムニストになってもおかしくない人物である。

日本人の勝手なフィリピン像

  フィリピンの特産品は売春婦と召使いと言われるくらい、国家として「アカンタレ」の部類に入る。外国から援助を受けているのに、いつまで経ってもどうしようもない国とは情けない。大東亜戦争の時に、日本人は大東亜会議を開いて、西欧列強の支配からアジア諸国を解放してやろう、と唱えたが大きなお世話だった。フィリピン人は日本の支配など望んでいなかったのだ。日本人より“高級な”アメリカ人による支配の方を好んだという。山本書店の経営者だった山本七平(やまもと・しちへい)少尉は、戦争中フィリピンへ派遣されて、日本軍の欠点をつぶさに観察していた。そして戦後、山本氏は日本人の勝手な思い込みを批判したことがある。当時の日本人は自分が東亜解放の盟主だから、相手は双手をあげて自分を歓迎してくれて、あらゆる便宜をはかり、全面的に協力してくれるに決まっている、と考えていたようだ。(山本七平 『日本はなぜ敗れるの』 角川書店 2004年 p.125) フィリピンに到着した山本少尉は、東亜解放を口にしていた日本人の実態を語っている。彼は朝から晩までフィリピン人への悪口を聞かされていたそうだ。「アジア人の自覚がない」「国家意識がない」「大義親を滅ぼすなどという考えは彼らに皆無だ」「米英崇拝が骨の髄までしみこんでいる」「利己的」「勤労意欲は皆無」「彼らはプライドだけ高い」等々。(p.148) アジア主義を掲げる当時の日本人は、フィリピン人にも独自の考え方があり、歴史的経緯もあるのだから、共に話し合って共通項を模索しようという意識が無かったらしい。したがって、一切の対話は無く、「文化的無条件降伏」をフィリピン人に強いたと言うのが実情だった。

  フィリピン人は誰かに支配されていることが普通だし、そもそも自治能力があるのか疑問だし、あったとしてもかなり低いのではないか。同じフィリピン国民なのに、スペイン系と支那・華僑系、マレー系、原住民系で分裂し、国民的絆というのもはない。だから、貧民階級は半永久的に下層のままである。日本にセミ売春婦としてやって来たフィリピン女は、日本人との自由セックスや姦通を行い妊娠するケースが多い。フィリピンには、恋人や亭主に捨てられたまま私生児をかかえる母子家庭や、実家に戻って酌婦をしながら子供を育てる女性がたくさんいる。父親のいない家庭でも恥ずかしくないのは、フィリピン男性に古代ローマの才幹(virtues)や日本の武士道に当たる美徳がないからだ。不甲斐ないフィリピン男に対する、フィリピン女の愚痴はよく聞くから、フィリピンには「男らしい」男性が少ないのだろう。騎士道精神が発生しなかったフィリピンでは、立派な躾をする家庭が理想とされることはなかった。 在日フィリピン人には、子供をダシにして日本に永住しようとする女がいっぱい居るし、補助金をもらいながら生活することを恥ずかしいとは思わない。日本国籍を持つ日比混血児は、「お前のかあちゃんは裸踊りが得意」と他人からからかわれたらどんな気持ちになるのか? しかも、自分の母親の祖国は、国民を蔑ろにする三流国家で、家内奴隷と淫売とバナナの輸出で成り立つと分かれば、とてもお国自慢などできない。鏡に映った自分の顔を眺めると、南方土人の面影があったりする。縮れ毛の髪を毎日梳かしながら、自分の体に流れるフィリピン人の遺伝子を意識するのだ。それでも、スペイン人の血が僅かでも流れていれば、ちょっとは嬉しいかも知れない。

  こんなフィリピンを併合したアメリカ人ではあるが、最初からフィリピン支配を望んだわけではなかった。当時は、アメリカ国内でも植民地化について、議員が賛否で分かれていたのだ。今だと、アメリカ人の大半が、フィリピンの領有があったことさえ知らない。在比米軍基地の存在は知っていても、その経緯は学校で具体的に教えていないのだ。日本人の朝鮮統治を非難するアメリカ人でも、合衆国のフィリピン統治については無知という者が多いから呆れてしまう。

戦争を煽るイエロー・ペーパー

  アメリカ人は自分を棚に上げて、他人を非難することが三度の飯より好きだ。地理的に近いからキューバに対する、スペインの厳しい支配が気になったらしい。キューバ人がスペイン統治に謀反を企てたので、スペイン政府は容赦ない鎮圧を行った。しかも、強制収容所に入れられた囚人の扱いが酷かったという。ちょっと聞けば、残酷なようだが、キューバ人の性質を分かっている者にとったら、こんなの当然である。甘い処罰は再度の叛乱を招くからだ。しかし、その窮状をウィリアム・ランドルフ・ハースト(William Randolf Hearst)やジョゼフ・ピュリッツァー(Joseph Pulitzer)の赤新聞が大々的に書き立てた。(サムエル・モリソン 『アメリカの歴史』 第4巻 西川正身 訳 1997年 p.240) 当時、スキャンダルを争って記事にし、売上げを伸ばそうとしたメディアを人々は、「イエロー・ジャーナリズム」と呼んでいた。日本人もよく知っているだろう。元々新聞記者など昔は「羽織ゴロ」と呼ばれていたくらいで、社会的に蔑まれていたから、ロクな連中ではない。驚いたことに、ハーストやピュリッツァーは世間の注目を集めるためなら嘘でもついた。


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  (左:ウィリアム・ランドルフ・ハースト/中央:ジョセフ・ピュリッツァー/右メイン号)

  ハーストやピュリッツァーは対スペイン戦争の気運を盛り上げるために、キューバ人にとって不都合な事は黙殺したが、スペインにとって不利になることは誇張して伝えたのである。たとえば、キューバ人叛乱軍に、マキシモ・ゴメス(Máxmo Gómez)というドミニカ生まれの頭目がいたが、こいつはキューバの民衆に対して残虐行為を繰り返していた。スペイン人を経済的に困らせて追い払うため、島のあちこちに放火して、サトウキビ畑を焼き払ったのである。ゴメスに協力することを拒んだキューバ人は「裏切り者」として木に吊されたり、鉈(なた/マシェト)で斬殺されたという。ゴメスは夜になると小さな村を襲撃し、掠奪が終わるや村に放火したのだ。ゴメスは農民の息子を無理矢理兵隊にしたり、反抗する者は容赦なく処刑した。こうした横暴を見て民衆に戦慄が走ったのも当然。やりたい放題のゴメスは民衆の敵となり、彼が作物を焼き払ったせいで、キューバでは飢饉が発生したという。ハーストやピュリッツァーの新聞社は、その飢饉を除いてゴメスの極悪非道を報道しなかった。日本の新聞社と同じで、「報道しない自由」を行使していたのだろう。

Máximo_GómezValeriano Weyler(左:マキシモ・ゴメス/右:ヴァレリアノ・ウェイラー)

  戦争を煽る黄色いジャーナリストは、スペインを貶めるためなら偽の事件まででっち上げた。彼らはスペイン人のキューバ総督ヴァレリアノ・ウェイラー(Valeriano Weyler)を「屠殺人ウェイラー(Butcher Weyler)」と呼んで、冷血な悪魔に仕立て上げた。根も葉もない虐殺事件を書き立てて、スペイン人は神父を焼き殺した、なんて報道したのである。いくらなんでもカトリック教国のスペインが、聖職者を捕らえて炎に包むわけないだろう。ハーストの「ニューヨーク・モーニング・ジャーナル」は、1896年10月6日の記事で、「サメの餌にされたキューバ人(CUBANSFED TO SHASRKS)/夜に聞かれた叫び声」というヘッドラインを掲げていたのである。これじゃマフィア映画の殺害シーンみたいだ。日本人が知らずに尊敬しているピュリッツァーは、自分の新聞「ニューヨーク・ワールド」紙に、「襲撃された病院(RAIDED A HOSPITAL)/40名以上の病人・負傷者が惨殺される」との見出しをつけていた。ところが、ワールド紙が伝えた病院はどこにも存在していなかったという。つまり、蜃気楼のような病院で、被害者も幽霊であった。日本の朝日新聞の魁(さきがけ)を見ているみたい。スペインに対する世間の怒りを煽るために、ハーストは捏造記事を堂々と掲載していた。1896年12月には、スペイン人が「300名ものキューバ人女性を殺害した」との見出しを掲げて、スペイン兵が無抵抗の囚人を撃ち殺した記事を伝えていたのだ。(James Perloff, Spanish-America War: Trial Run for Interventionism, The New American, 10 August 2012)

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(左:ジョージ・ケナン/中央:ジョン・ケネディー/右:アーサー・シュレッシンジャー)

  現在の日本人は「ピュリッツァー賞」と聞けば、権威ある立派なものと思っているが、その創設者はとんでもない人物であることを知らない。ジョセフ・ピュリッツァーは、ハンガリーからのユダヤ移民で、商人ジャーナリストであった。「セント・ルイス・ディスパッチ」や「ニューヨーク・ワールド」といった新聞社を買収すると、スキャンダルやセンセーショナル記事を主流にし、どんどん売上げ部数を増やして銭儲けに邁進した。こうして貯め込んだ銭をコロンビア大学のジャーナリズム学部に寄附して、「ピューリッツァー賞」が誕生したのである。左翼の巣窟コロンビア大学から飛び立ったジャーナリストが受賞すれば、日本レコード大賞をもらった音痴のアイドル歌手みたいなものだ。審査員を子飼いにする藝能事務所が、所属歌手に大賞を与えて、人気者にする手口に似ている。権威を高めるため、有名人に賞を与えて表彰してやったのだ。たとえば、1957年にはジョージ・ケナン(George Kennan)が受賞し、1968年に再度受賞した。大統領になる前のジョン・F・ケネディー(John F. Kennedy)も1957年に受賞しており、彼のアドヴァイザーになったアーサー・シュレシンジ(Arthur Schlessinger, Jr.)も受賞していたのである。しかし、ピュリッツァー賞はほとんど左翼的知識人か極左ジャーナリストに渡されているのだ。我々がよく知っているジョン・ダワー(John W. Dower)は、歴史家を装った極左活動家であるが、2000年に『敗北を抱きしめて(Embracing Defeat)』で受賞した。1990年にはあのニコラス・クリストフとその妻が共同で受賞し、2006年再び賞を貰えたのである。また、創設者がユダヤ人だから、ユダヤ人が仲間どうして褒め合っても不思議ではない。したがって、米国に於けるイスラエルの代理人として有名なノーマン・ポドレッツ(Norman Podhoretz)が、ピュリッツァー賞を貰えても当然だ。受賞者リストを見れば、ほとんどがリベラル派で、保守派アメリカ人は僅かばかりで、数えるほどしかいない。ロクでなしユダヤ人がつくった賞なんかを有り難がる日本人は、褒める前にその実態を調べるべきである。

  マス・メディアによる世論操作は昔からあった。新聞社による偽りの残虐記事や亡命キューバ人の話で、アメリカ人の対スペイン同情が激昂したという。そこで聯邦議会がキューバ問題に対して「何らかの手を打つよう」繰り返し政府に迫ったが、クリーヴランドおよびマッキンレー両大統領は、何らそれに応じなかったらしい。ところが、1898年2月15日アメリカの軍艦「メイン号」がハバナ港停泊中に爆破されて、多数の犠牲者が出てしまった。これがキッカケで開戦の輿論が一挙に高まる。海軍審査裁判所によれば、爆発は機雷によるもので、外部から仕掛けられたという。(3月28日に報告された。) ただし、本当の原因は未だに確定されていない。それゆえ、陰謀論が囁かれているのである。真相は闇の中でも、この事件を機に「メイン号を忘れるな(Remember the Maine)」というフレーズが流行し、合衆国政府もその重い腰を上げざるを得なくなった。

フィリピンの運命は原住民と別にある

  ウィリアム・マッキンレー(William McKinley)大統領は即時休戦、捕虜の釈放など、スペインのマドリード政府に最後通牒となる覚え書きを送った。キューバ総督は反乱軍側に休戦を申し込んだり、マドリッド在住のアメリカ大使は、スペインの対面を傷つけずに事態を丸く収めようと努力したらしい。しかし、ハーストやピュリッツァーのようなイエロー・ジャーナリズムは世間を焚きつけるし、聯邦上院議員ヘンリー・カボット・ロッジ(Henry Cabot Lodge)のような若手共和党員は開戦を強く要求していたのである。そこで、どうしようか迷ったマッキンレー大統領は、しばらく祈りを捧げて、ようやく開戦を決意したという。他方、ジョン・ヘイ国務長官はこの対スペイン戦を「素晴らしい小さな戦争」と呼んだのである。(上掲書 p.242) 表向き正義の戦争を口にしていたが、米国はこのキューバ問題を奇貨として、太平洋に進出しようとしたのだ。米西戦争を仕掛けた真の目的は、フィリピン所有にあったのではないかと思えるくらいである。

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(左:ジョージ・デューイ/ウェスリー・メリット/ヘンリー・カボット・ロッジ/右:フランシス・グリーン)

  宣戦布告から一週間経って、ジョージ・デューイ(George Dewey)提督は太平洋艦隊を率いてマニラ湾に入り、一名の犠牲者も出さずに、スペイン艦隊を壊滅できたという。かつては無敵艦隊を誇っていたスペインも、零落(おちふ)れて昔の面影すら無い有様。米国を上回る数の装甲巡洋艦と水雷艇を有していたのに、スペイン艦隊の乗組員は訓練なんてそっちのけ。軍の頽廃は全体に及び、将兵ともどもたるんでいたのだ。しかし、アメリカ人も偉そうなことは言えなかった。海軍は立派でも、陸軍の装備はお粗末で、正規軍はクラッグ・ライフルが渡っていたが、15万人の義勇兵にはスプリングフィールド銃と黒色火薬が支給されていたのである。まあ、それでも簡単にアメリカ人がフィリピンを制圧できたのは、フィリピ側指導者のエミリオ・アギナルド(Emilio Aguinald)が米軍のフランシス・グリーン(Francis V. Greene)准将にまんまと騙されしまったからだ。詳しい戦況は省略する。ただ、アメリカ兵はスペイン兵からの形式的抵抗を受けたが、ほぼ無傷でマニラ進軍を果たしたらしい。デューイ提督とウェスリー・メリット(Wesley Merritt)米軍司令官は楽勝でフィリピンを掌握することができた。

  アメリカ軍に反抗できないスペインは、和平の条件を打診してきた。マッキンレー大統領は、条件として、キューバからスペイン軍の即時撤退、期限付きのキューバ放棄、プエルトリコおよびマリアナ群島にあるグアム島の譲渡、それにマニラ湾の占拠を要求したのである。1898年10月1日にパリで、アメリカとスペインの和平交渉が始まった。アメリカ人が嫌われることの一つに、その偽善的思考が挙げられる。当時、アメリカ人は戦争を人道(humanity)の為に闘うものと見なしていて、領土拡大を目指した闘いとは思っていなかった。(Maximo M. Kalaw, The Case for the Filipinos, The Century Co., New York, 1916, p.25) ところが、その実態は理想とかけ離れていた。アメリカ合衆国は表向き、スペインのフィリピン支配を非難していたが、本音では東南アジアへの海路を確保したいとか、タバコや砂糖の栽培で利益を上げたい、未知の天然資源を採掘したい、といった下心があったのだ。それに、フィリピンの先には巨大な人口を抱える支那大陸があったから、この南国を支配するのは厄介でも、巨大市場への橋頭堡を確保したという満足感があった。アメリカ人は人が溢れる国を見ると、すぐ商売で儲かるチャンスと思ってしまう。支那が詐欺師や匪賊の棲息地ということが分かっていなかった。

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(左:クシュマン・デイヴィス/中央:ウィリアム・フライ/右:ホワイトロー・リード)

  アメリカ国内では、フィリピン領有に関して賛否が分かれていた。フィリピン併合に賛成だったのは、上院外交委員会のクシュマン・デイヴィス(Cushman C. Davis)上院議員、同委員会所属のウィリアム・フライ(William P. Frye)上院議員、元駐フランス大使のホワイトロー・リード(Whitelaw Reid)であった。それぞれが独自の見解を披露して、議論を闘わせていたのである。
  
   ウィリアム・デイ(William Day)国務長官は、フィリピンは合衆国にとって利益というより、むしろ負担になるのではないかという意見であった。もし国益になるとしたら、海軍と商売のみに貢献するだろうと予測し、ルソン島とその周辺諸島だけ取得せよと提言していたのである。もし、フィリピン諸島全部を併合するとなれば、破産した国民を背負い込むことになると警告していたという。文明人になれる潜在能力(ポテンシャル)や活力、気概に欠けるフィリピン人を見れば、デイ国務長官の意見は常識に沿うもの言えるのではないか。

  フライ上院議員はフィリピン全部を取ることに賛成し、1,000万ドル相当の純金を支払おうと持ちかけた。フィリピン人にそれだけの価値があるかは不明だが、彼らから何かと巻き上げれば良いと思っていた節がある。彼はスペイン側に、500万ないし1,000万ドルくらい支払うことを提示した。

  ジョージ・グレイ(George Gray)上院議員は以前、フィリピン全部はおろか、どの一部も併合すべきではないという意見であった。しかし、フィリピン全土を取得する条約締結が失敗に帰すれば、それは合衆国の伝統と文明を貶めることとなると危惧したらしい。そこで、平和条約による領土譲渡の形式にすれば、合衆国の威厳を傷つけずに済むという理屈であった。何てことはない、領土簒奪ではなく、和平による譲渡にしようという訳だ。

  リード大使はスペインが金欠なら、戦時賠償を領土で支払うべし、との意見であった。そして、フィリピンとカロリン諸島の代金として1200万から1500万ドルを支払うと提案していた。ただし、ミンダナオとズールー島は含まないと主張していたという。

  デイヴィス上院議員は妥協を許さぬ意見を持っていた。合衆国は一銭も払わずに、フィリピン、プエルトリコ、グアムそしてキューバの主権をスペインに要求すべし、と強硬な態度に出ていた。(pp. 37-38) これこそ、典型的な勝者の命令であろう。負けた国がつべこべ文句を言うな、という考えである。フィリペ二世が統治していた頃の、スペイン・ハプスブルク家が聞いたら何と思うのだろうか? 凋落した帝國は惨めである。スペインの太陽は沈んだままで、朝日が再び昇るまでまだ数百年かかるのではないか?

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(左:ウィリアム・デイ/中央:ジョージ・グレイ/右:ウィリアム・マッキンレー)

  倫理的問題を気にしていたマッキンレー大統領は、如何なる決断を下すべきか長いこと躊躇っていたらしい。まさか、スペインに対し戦争の賠償を求めないわけにも行かないし、かといって歐洲列強のような帝国主義的政策を取るのも気が引ける。大統領はさんざん悩んだ挙げ句、最終的な結論に達した。「全フィリピンを併合するだけでは戦争で払った犠牲の代償として充分ではないが、さりとてフィリピン人を再びスペインの手に戻すわけにも行くまい。我々の行為は正当化されるのか、それにまた、我々は他の列強に渡すことができるのか。望むと望まぬとに係わらず、アメリカ人には逃れられぬ義務がある」という主旨をマッキンレー大統領は発表した。(p.39) 彼はフィリピンを併合して、その民衆に教育を施し、彼らを精神的に向上させ、文明化してキリスト教徒らしくさせる、という意志を固めたそうだ。あれ? これ何か聞き覚えがある。日本人が示した朝鮮統治の理念みたいなことを、アメリカ人は日本人より先に実践していたのだ。しかし、異民族統治は日本人の方が遙かに成功していたし、その業績は米国のフィリピン統治よりも格段に上である。これはアメリカの保守派知識人なら認めざるを得ないだろう。日本の朝鮮統治を非難しているのは、歴史に無知な左翼アメリカ人がほとんどだ。まったく日米共に、しょうもない民族を抱えたものである。

  色々な意見が交わされたが、外交委員会は、フィリピン諸島すべての割譲要求を決定し、必要ならばスペインに1000万から2000万ドル支払うことにする、との結論に達した。注目すべき点は、委員会の誰もフィリピン人の将来について考えていなかったことだ。グレイ議員によれば、すべてがビジネス交渉みたいに進められていたそうだ。マッキンレー大統領も、フィリピンを全面的に併合するか、アジア地域から撤退するかの選択肢しかなかったらしい。それに、デイヴィス議員によれば、支那を望む商業拠点の確保の方がより重要な問題だし、ワシントン、オレゴン、カルフォルニアといった西海岸の州にとっても貿易で潤うチャンスであった。最終的に、合衆国政府は2000万ドルを支払うことで、スペインからフィリピンを取得できた。こうして両国間の条約は、1898年12月10日に締結されたのである。(p.40)

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(左:アメリカ軍/右:スペイン軍)

  フィリピン諸島の値段は2千万ドルというが、それは土地だけの価格なのか、人間附不動産の総額なのかは定かではない。我々なら1人あたりのフィリピン人の相場はいくらだったのか知りたいところだ。一説では当時フィリピンには800万人いると言われたが、スペイン人を除く人口が分かりづらい。もし800万人なら1人あたり3ドルもしないし、土地の値段を引いたら、1ドルもしないかも知れない。フィリピン人1人の値段は、90セントとか75セントなのかも知れないから、フィリピン史研究者の意見を聞きたいところだ。もしかしたら、アメリカ人支配者は、フィリピン人を不良債務くらいに考えていたのかも知れないぞ。でも、フィリピン人の値段が、ハンバーガー1個の値段にも満たないとしたら、フィリピン系アメリカ人はどう思うのか? 現実の世界では、人間は平等でないし、上等な民族と格下の民族に分かれている。フィリピン移民を先祖に持つアジア系国民は、さぞアメリカ史を勉強することが嫌になるだろう。そういえば、フィリピン系アメリカ人で高名な米国史研究者とか、愛国的歴史家の名前を耳にしない。やはり、自分たちの国とは思っていないからだろう。

フィリピン土人の種族的特徴

  現在と違って、当時のアメリカ人は外国の有色人種について露骨な意見を述べる自由があった。フィリピン人は、だいたい現地土人と支那人・マレー人などの混血民族であるが、黒い肌のネグリート(Negrito)が元々の種族と考えられる。ジョセフ・スティクニーによれば、この黒色土人を精神的・肉体的面で測定すれば最低の部類であるそうだ。(Joseph L. Stickney, Admiral Dewey at Manila, J.H. Moore Company, Philadelphia, 1899, p.247) このフィリピン諸島は、どう見積もってみても文明国にはならない、と判断されたようだ。ニグリートは他のアジア民族からも嫌われていた。スペイン人に支配された時だって、侵入してきたマレー人はニグリートと対立して、彼らを虐殺したのである。この原住種族はアフリカ黒人と違うが、縮れ毛で肌が黒く、粗野で不快な顔つきをしているという。(p.248) 彼らは農業をせず、森にある天然の食物に頼り、毒矢で射止めた動物を食していた。戦前、日本人も南方土人の調査をしていたので、フィリピン土人について書き記している。フィリピンのカリンガ族やモロ族という種族については、

  大変水浴が好きですが、その他のフィリピン人は水浴をしません。暑い国ですから、水浴をするのがあたり前なのですが、どういふものか、フィリピン人はあまり水浴を好まないのです。ですから、暑さにむされて、自然に不潔になつてしまひます。ネグリート族はフィリピン人のなかでも、特に未開人ですから、風呂にも入らず、水浴もしないので、肌に触ると魚の鱗をはがすように、ぼろぼろと皮膚がむけて落ちるという有様です。髪の毛の中には虱(しらみ)が沢山わかしていて、天気のよい日には、木陰で互いに虱を取り合っています。雨が降つたりすると、ぬれて頭がかゆくなるので、腰に巻いているタビスという布をはづして、髪の毛がぬれないようにしています。(窪田文雄 『南洋の子供たち』 東亜堂 昭和16年 pp.48-49)

  フィリピン土人の容姿が異様なだけでなく、その生活習慣も異質であった。肌を触ると鱗のような垢がボロボロ落ちるなんて、現在の日本人ならゾっとするだろう。でも、これがフィリピン原住民が持っていた伝統的生活様式なのだから、我々は理解せねばならない。学校ではこうした記述を教えないようにするが、かえってフィリピン人に対する偏見を助長する。それぞれの日本人がどのように感じるかは、本人の判断と自由であって、学校教師や文部官僚が勝手に判断して検閲するのはおかしい。我々は学校で西洋人の奴隷制度だってしっかり教えているのだから、フィリピンについてもきちんと教えるべきだ。

フィリピン人を日本の同胞にすることへの抵抗


  日本人はアジアに対して妙な引け目や遠慮があり、本音を語ろうとはしない。笹川氏が自己満足のために、窮乏化した日比混血の老人を日本へ呼び込もうとしている。しかし、日本人はこのフィリピン人たちを日本人として迎え入れるのか? 確かに、彼らは日本人の父親をもってるのだろう。しかし、戦争という異常事態で、しかも異国で日本人が現地女とセックスをしたのだ。通常の結婚とは違うだろう。戦争でなければ、フィリピン人の遺伝子を我が子に注入しようとは思わない。しかも、笹川氏は戦後70年も経っているのに、日本政府だけに責任を求める。フィリピン政府は迫害された日比2世を保護しなかった罪を謝って、賠償金を払ったのか? 長年にわたるフィリピン政府の無策を笹川氏は説明してくれない。これに関連して尋ねたいのだが、彼の父親笹川良一は戦争中の出来事に詳しかったのに、なぜ早い時期、混血児の父親探しをしなかったのか? 父親が生存していたかも知れないのに。また、笹川良一はアメリカ兵に犯されて妊娠してしまった女性を支援して、合衆国政府に賠償を求めたのか? 黒人兵との混血児はエリザベス・サンダース・ホームに沢山いたが、彼らの父親を探すように米国に要求したのか? もし、見つかったらあの黒人混血児はアメリカ国籍を取得できたのだろうか? 日本人は戦後の強姦事件だって、悔しさを堪え我慢したし、マスコミに顔を晒して混血児にアメリカ国籍をと叫ばなかった。エリザベス・サンダース・ホームの混血児たちは、自分で努力して自立していった。しかし、フィリピンで育った混血児は笹川氏の甘い言葉に乗って、日本国籍を取得しようとする。タダで高価な日本のパスポートが手に入るのだから、フィリピン人はこぞって笹川氏を当てにするだろう。

  何処の国の兵隊も外国に派遣されれば、女に飢えて現地の素人女や娼婦とセックスしてしまう。ベイナム戦争でもアメリカ兵は、現地の売春婦や農村の娘などとセックスして混血児を作った。しかし、彼らが郷里に戻った時、ベトナム人娼婦や田舎娘を両親や兄弟に婚約者と紹介しただろうか? 多くの兵卒は同衾(どうきん)した女と混血児をベトナムに置き去りにし、帰国してしまった。もちろん、混血児を引き取ったケースもあるが、大半は父親から見捨てられた私生児である。ベトナムでは黒人兵との混血児はもっと惨めだ。村で黒いベトナム人は目立つし、娘の両親だって黒い孫を不憫に思ってしまう。黒く生まれた子供は、世話をしてくれる母親を恨めないから、なおさら哀しい。村の大人は噂話で侮蔑するだろうし、子供たちだって娼婦の黒い私生児としてイジメるだろう。アメリカのリベラル派や人権活動家は、混血児にアメリカ国籍を与えようとするが、アメリカ兵と勝手にセックスしたベトナム女性を責めない。彼女たちが貧乏人だからである。貧乏だと倫理的責任は免除されるのだ。戦争で女に飢えた米兵が口にする言葉を真に受けて、セックスしたベトナム女性は愚かだったのに、その軽率さを左翼支援団体は叱らない。彼女たちの両親だって娘の簡単即席セックスを咎めないのだ。アメリカ兵に強姦された女性なら、個人賠償を合衆国に求めればいいし、父親が分からないなら国防総省に全将兵のDNA検査をしろ、と要求すれはよいだろう。だが実際、そんなことは無理と分かっているのだ。戦争中のセックス問題を戦後になってとやかく言い立てるのは不毛である。過去の戦争ではもっと悲惨なことがあるだろう。米国は枯れ葉剤の被害者すべてに国家賠償をしていない。ベトナム人被害者は数百万もいるのに、個人賠償をしていないのだ。このように、戦後になっても解決できない問題はあちこちにある。笹川氏は日本政府なら容易にゆすることができると踏んだのではないか?

  笹川氏のように偽善的反日主義者は、とにかく日本政府には厳格な倫理的責任を求める。自国民を保護したり介護せぬフィリピン政府を糾弾しない。日比混血児の国籍問題なら、フィリピン政府が国籍を付与すればいいし、社会福祉もきちんと与えれば済む話だ。彼らが父親の墓参りをしたいのに、出国するにあたり罰金を取るフィリピン政府こそ非難すべき対象である。おそらく笹川氏たちはフィリピン政府が愚劣で二進も三進も行かないから、フィリピン政府より物分かりの良い日本政府を批判しているのだろう。本質的に甘い日本人は、笹川氏の活動記事をよんで感動してしまい、日本国籍くらい直ぐに与えてやれはいいじゃないか、と安易に考えてしまう。この「ちょっとくらい」が危ないのだ。これを外国人は前例とし、次々と日本国籍を狙いにくるだろう。日本にアジア人があふれ出してから日本人は役所に怒るだろう。「責任者出てこい」と叫んでも、当事者はとっくに退職しているか、あの世へ旅立っているかのどちらかだ。こんなはずじゃなかったのに、とつぶやいても遅いのである。 

 


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