無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

アジア論

アジア人の辞書には「きれい」という言葉はない

不潔のレベルが違う

  日本ではどうして馬鹿が権力をもつのか。東京都知事の舛添要一は、ソウル市長の朴元淳(ぼくげんじゅん)と歓談し、東京には韓国学校が一つしかないので、もっと増やしたいと語っていた。一つだって多すぎるのに、なぜ目障りな施設を増やす必要があるのか? 精神異常者だ。片山さつきが愛想尽かすのも分かる気がする。また、悪いことは重なるものだ。江沢民の飼い犬たった二階俊博・総務会長が、また余計な反日行動に出た。冷え切った南鮮人との交流を復活させたいそうだ。1400名の交流団を率いて金鍾徳(きんしょうとく)長官などの韓国高官を訪問するんだって。支那人に尻尾を振っていた奴が、こんどは朝鮮人に擦り寄るなんて、日本の政治家には国益と私益の区別がつかないのだろう。日本にこれ以上朝鮮人が増えることに対して、何の嫌悪感も無いのだ。高級リムジンに乗ってふんぞり返る大物代議士には、庶民の正直な感想が分からないのであろう。

  朝鮮人や支那人が日本に来ると、我が国の景観が損なわれるばかりでなく、公共マナーが乱れて街はゴミで汚くなる。支那人が食い物をかじりながら歩き、食べ終わるとビニール袋や容器を平然と道端に捨てる姿には怒りを覚える。雨が降るとよく広東や上海の道が水浸しになるのは、公道の排水溝がゴミで詰まるからだ。支那人や朝鮮人に公共精神は無いから、道路や公園がゴミだらけになっても構わない。自分の家ではないからだ。とくに支那人は他人への配慮が無い。朝鮮人は日本人が憎いから、喜んで日本を汚くする。

  日本人は「中華料理って美味しいね」と呑気に喜んでいる。その危険性に気づいていないのだ。支那人の料理人や食品加工業者などは、ある意味、殺人鬼や暴力団と変わらないのに。どんな食材を使おうが、あるいは如何にして調理しようが、自分が儲かればよいという思考形態。腐ったドブ鼠の肉だって利用し、餃子や肉まんを作ったりする。材料費がタダなので、利益が大きいからだ。客が死んだって気にしない。「オレが喰うんじゃないから」という考え。まさか、日本では有り得ない、と考える日本人は甘い。支那で悪質な食肉業者が逮捕される事件が起きた。支那人ギャング7名が、違法な屠殺場で羊の肉を捌(さば)いていたという。その肉というのが、これまた酷いなんて代物じゃない。肉の重量を増すために、バクテリアがうじゃうじゃ含まれる汚水をその肉に注入していたのだ。羊頭狗肉という言葉があるが、犬肉の方がまだマシ。広東省の広州市や佛山市で、その汚染肉は食料品店や市場、食堂に流通していたのだ。(Simon Tomlinson, Chinese gang arrested in raid filthy sheep factory where carcasses were injected with polluted POND WATER to increase weight, Daily Mail, 7 January 2014) 一般の支那人悪徳業者は、バイ菌混入の肉だって、油で揚げてタレをたっぷり附ければ、誰も気づかないだろうと思っている。こんな肉を下水構の廃油で揚げても、支那人なら平気だろうが、日本人なら死者が続出してしまう。日本政府は大騒ぎだ。でも、支那人なら「日本人は何てヤワな民族なんだろう」と吐き捨てるだけ。「反省」という言葉は、支那人の頭に浮かばない。そもそも、支那人の辞書には載っていないからだ。

日本人は神経質なのか


  日本人はよく外食をする。日本人は不思議に感じないが、他人が作った料理を平気で食べているのは、板前やシェフを信用しているからだ。無意識の信用があるから、大勢の人々が来店する。その結果、競争が起きて名店が誕生するのだ。アメリカ人など日本の外食産業に驚いてしまう。日本では海鮮丼や麺類、外国料理までが手頃な値段で食べることができる。ケチと貧民が多い米国では、脂っこいラザーニャとか塩分の多い冷凍食品くらいしかない。支那や朝鮮からの観光客は、高度先進国の日本に来て感動してしまう。彼らの国では考えられないからだ。外食なんて金を払ってバイ菌を食べるみたいなものだからである。それでも気にせず喰っているから、日本人とは感覚が違うのだ。朝鮮や支那の調理食品は注意したほうがいい。

  朝鮮人は日本人に儒教を教えてやった、とホラを吹いて自慢している。儒学の神様みたいな李退渓が、実際の生活に何か功績があったのか、と尋ねたい。日本人が朝鮮人に教えた徳目の方が遙かに有り難かった。日本人が支配するまで、豚より不潔だった朝鮮人に衛生観念は無かった。かつて朝鮮を視察した日本人は様々な珍事を経験した。(金岡助九郎 編 『朝鮮旅行案内記』 駸々堂書店 大正9年)

  本多静六(ほんだせいろく)博士は、森林の研究にかけては第一級の学者で、たいへん高名な人物であった。その本多博士が林学視察のため朝鮮を訪れたときのエピソードである。旅行中は時々例の明太魚の乾物を食べいてたのだが、ある日ちょっと台所を覗いてみたそうだ。そこでは婆さんが歯で魚をむしって皿に載せていた。意外な光景を見てしまった博士は、それ以降食べるのを止めてしまったという。わぁー、カルチャー・ショック。マクドナルドの異物混入事件で騒いでいる日本人よ、本多博士の話をよーく考えてみよ。“大したこと”とは思えなくなる。さらに博士は付け加えた。朝鮮人を使って酒を買いにやると、田んぼの水でも構わず混ぜてもってくるので、安心して飲めたもんじゃない、と警告している。(p.96) 朝鮮は全体的に衛生面に無頓着だった。当時の日本人は朝鮮を訪れた際、旅幕(りょばく)という上等旅館にしか泊まりたくなかったという。朝鮮の家屋があまりにも不潔だったからである。しかし、この旅幕でさえ酷かったらしい。朝鮮の下等旅館には酒幕といって、日本の居酒屋のようなものがあったのだが、これが不潔でたまらないのだ。日本人ならお酒を飲んで陽気に酔うことができない。朝鮮人の真っ黒な爪の垢や、蝿がたかった厨房と正体不明の液体は背筋が寒くなる。どうしても汚水を飲んでいる気分になってしまう。

  昔の日本人は東南アジアにも足を伸ばしていた。海南島を旅した日本人が困ったことの一つに、毎度の食事があった。調査隊の日本人が何か喰おうと、大路地で飲食店を探していたら、一軒の店を見つけたという。七輪に鍋がかかっていて、蓋をとってみると中には、スープのようなものが煮てあった。「これは好いものがあった。これこれ」と無邪気に喜んでいたのである。さっそく鶏肉を切ってこの中に入れたという。この鍋で煮て食べれば、不潔でも何でもないと安心した。温かい食べ物に胸も暖かくなった。気がつくと隣に一人の支那人がいて、さっきから食事をしている。しかし、彼らは別段気にもかけていなかったという。

  ところが、この支那人がいきなり彼らの鍋の中へ、今まで囓(かじ)っていた塩魚の骨を投げ込んだのである。いくらか肉が残っている食べ残しの骨であった。彼らはビックリ。実にとんでもない奴だと思い、怒ってやろうとした。しかし、その支那人は平気な顔して、汚い箸で塩魚の骨をつまみ上げては、しゃぶり、再び入れては、またしゃぶることを繰り返したのだ。これには一同唖然。日本人が事情を聞いてみると、この鍋は共同のもので、彼らだけが独占して使えるモノではなかったという。日本人が勝手に独占物と思い込んだけで、彼らの間違いであることが分かった。なるほど。どおりで、あの支那人が平気なわけだ。彼らは恨めしいやら、口惜しいやらで、たいそう落胆したらしい。でも、あの“しゃぶった”塩魚を出し入れするとは。日本人の想像を超えていたのである。現在の我々なら笑ってしまうが、当時の日本人はアジア人を知らなすぎたから、どうしても日本人の常識で行動してしまう。そういえば、朝鮮人と鍋を囲んで食事をした日本人が、朝鮮人の親切心に辟易してしまうことがよくある。そういえば、自分が舐めた箸で朝鮮人が、鍋を突いて肉や野菜を日本人に取ってあげる、「親切な行為」はやっぱり嫌だ。朝鮮人の唾液が鍋全体に混ざるなんて、ちょっとスパイスの効き過ぎだろう。(鍋のご飯を準備されている方にはゴメンなさい。)

支那や朝鮮では暮らせない日本人

 不潔話のつでに支那人の衛生観念についても紹介したい。衛生観念が無いのはもちろんだが、支那人というのは色んな生活様式をもっている。とくに日本人が奇異に感じるのは、船上生活をしている支那人を沿岸部の都市で見かけることだ。支那へ渡航したことがない日本人でも、香港映画でたまに出てくる平底船に住む支那人を見たことがあるだろう。濁った水が光る湾内に停泊し、そこで暮らしているのだ。こんな船に日本人はとても住めない。何と言っても、南京虫や蜉蝣(ふゆう/かげろう)、ぶゆ、蚊、蝿などの害虫には我慢できないだろう。むかし、帝国陸軍の桂頼三・中佐が支那の長江を艦で訪れたときは、支那の虫に大変悩まされたそうだ。河に足でもつけたらさあ大変。知らぬ間に「ぶゆ」が脚に喰いつき、段々かゆくなって終いには腫れてくる。この「ぶゆ」は一匹二匹ではなく、五つも六つも喰いついて、その痛さは尋常ではない。二三日は腫れが引かないのだ。「マラリア」の心配もあるから、蚊というのはとても恐ろしい。高温の気候により昼寝をしようものなら、蚊の大軍が襲ってくる。桂中佐は艦の水兵や機関員に、疲れていても決して甲板の上でごろ寝をせぬよう厳重に注意したという。(桂頼三 『長江十年』 同文館 大正6年 p.171-172)

  蚊に劣らないのが蝿である。陸岸地区に碇泊すると、蝿の群れが襲来して、天幕を張るための鋼索や、甲板の手すりに銀色の蝿がたかってきた。桂中佐は支那人が生ものを食べない理由が分かったという。また、支那人は加熱して物を食べるから疫病に罹らないという噂は嘘と分かった。じっさい支那人には疫病が蔓延していて、そのため死亡率も高いのだが、統計もなく予防手段も講じていない上に、医者にかかることが出来ぬ者がほとんどだ。したがって、疫病が原因で多数が死んでいても、疫病による死亡というのが分からぬだけだ。現在でも事情は変わらない。あぁ、支那五千年の歴史は不変だ。何が何でも日本に潜り込んで、偽造国民健康保険を入手し、日本の高度な治療を受けたい気持ちが解る。日本の医者は優秀で親切。みんなブラック・ジャックに見えてくる。そのうえ、看護婦はまさしく白衣の天使だ。職務に忠実で腕は一級。ベテラン婦長は医者より偉かったりして。支那人にとって、赤の他人に懇切丁寧な看護婦なんて信じられない。日本人女性は女神の化身か? 「奇蹟だ、夢じゃないか」と叫んでしまう。支那人の看護婦なんて悪魔の手下だ。

  支那の内地を旅行すると、今度は虱(シラミ)と南京虫に苦しめられる。支那人が旅行の時は、畳二畳くらいの桐油を塗った布を用いるらしい。これで湿気を防ぐと共に夜寝るときに南京虫に襲われない。支那名物の人夫たる苦力(クーリー)は、虱と共同生活をしていた。しばしば彼らは日当たりの良い大道に坐って、敷石の上に服を置き、熱心に虱を小石で潰していたという。(p.175)日本人が蜉蝣(かげろう)を頭に思い浮かべると、儚い命を持つ昆虫くらいにしか考えない。この虫は人間に危害を加えるわけではないが、その大群たるや晴天の空を覆い尽くし、辺り一面が暗くなるし、第一目を開けていられないという。夜中に電燈やランプをつけると、次々と飛来してきて目や口を開けることが出来ない。もう気か変になってしまう。誰だ、支那の生活を賛美したのは。

  アジア人に驚くのは日本人だけじゃなかった。合衆国政府から派遣された使節のホレイス・アレン博士(Horace N. Allen, M.D.)は、朝鮮の不潔さに驚愕している。朝鮮には公衆衛生が全くないと嘆いていた。農繁期になると、大量の肥やしを積んだ牛やロバが道を往き来して、その悪臭といったらたまらない。この臭い行列に遭遇した外国人は、朝鮮は汚穢と悪臭の国という印象を持つだろう。(Horace N. Allen, Things Korean, Fleming H. Revell Company, New York, 1908,  p.108) 朝鮮人は馴れているからいいが、西洋人にとっては卒倒するほどの衝撃である。朝鮮人の家を訪れてドアを開けたとき、強烈な臭いが噴出したという。それは「言い表すことができぬもの、白人だと息が詰まって呼吸ができない」ほどらしい。適合者しか生存できぬ。アレン博士は支那人や朝鮮人が肥だめや下水口のすぐ側で寝ているのを見たことがある。しかも、太陽が照りつける暑い午後にだ。何も被っていない朝鮮人の頭部に焼けるような日差しが降り注ぎ、頭や開いた口の中に蝿がたかって歩いている。(p.109) うぁーぁ、何となく想像できちゃう朝鮮人の姿。改めて「朝鮮人に生まれなくてよかった」と神様に感謝。死んで地獄の閻魔様に会うのは嫌だが、輪廻転生で「今度は朝鮮人か支那人に生まれ変わるよ」と宣告されたら、「地獄の炎で焼いてください」と懇願したくなる。

  在日朝鮮人は日本人が朝鮮社会の不潔さを指摘すると、必ず民族差別だとわめいて狂いだす。しかし、彼らは文明国の日本人を無意識的に見習っているから、日本人と同じような清潔感をもてたのである。在日朝鮮人は本来の慣習から抜けだし、劣等民族から高等民族へ昇格したことに気づいていないのだ。日本人からの恩恵が如何に偉大な進歩であるかを自覚していない。もう彼らは祖国南鮮に帰れないのだ。戻りたいと口では言うが、体が動かない。朝鮮人は早めに駆除しないと後始末に困る。彼らは日本人みたいに生活しているが、彼らの存在自体が我々にとって害を為す。類は友を呼ぶ。在日鮮人が居ることで、朝鮮半島から仲間が飛来し、日本に外来生物が増殖する。同類が居ることで様々な支援が受けられるし、大勢固まると安心感が増す。朝鮮人街や支那人街が日本の至る所に出現し、異様な臭いを放つゲットーが誕生するだろう。そんな場所には自然と人間のクズが集まる。こんな所に二階俊博や舛添要一は絶対住まない。こ奴らに投票した日本国民はその報いが訪れたときにどうするのか? おそらく「どうしてだよ」と不満を爆発させるだろう。自分の蒔いた種が生長したとは思わない。後悔先に立たず、とはよく言ったものだ。



ブログランキングへ

輪姦された日本人女性と死姦されるインド人処女

強姦は第三世界で当り前

  沖縄で本州人は「ハブに気をつけろ」とよく注意されるのに、インド観光客は「黴菌と強姦に気をつけろ」とは警告されない。一部のマスコミは警告しているが、大半の文明国観光客は深刻に受け止めていない。日本人など「バカなカモ」と名札をつけて歩いているようなものだ。イタリアでも日本人女性は、現地の男性がちょっとした日本語で話しかけると、簡単にくっつてい行き、強姦されてしまう。警戒心が無いというより、「強姦」という犯罪が実感ないのだ。ヨーロッパでさえ危ないのに、ましてや、アジアとかアフリカ、ラテン・アメリカ大陸など、日本人女性は油断してはならない。そもそも旅行することじたい危険である。

  昨年11月に日本人女子大生が、インド東部コルカタで3人のインド人に拉致され、76,000ルピー(約14万円)を奪われる事件が起きた。強姦魔三人のうち、一人が日本語を話せたから、そいつが彼女を誘導したのだろう。たぶん滞日経験のあるインド人で、日本で働いた事があるとか案内してあげる、などと女性に馴れ馴れしく話しかけたんじゃないか。日本人が無警戒なのを熟知していたのだろう。このインド人犯罪者は彼女をブッダガヤ(Budh Gaya)に連行し、ある兄弟2人に彼女を引き渡した。そこでも彼女は1ヶ月近く監禁され、そのインド人兄弟に輪姦されたのである。彼女は病気を訴えて、病院に連れて行ってもらったとき、隙を見て逃走したという。(India arrested five for kidnap and rape of Japanese woman, BBC, 3 January 2015,及び2015年1月5日AFPを参照 )

  日本人の脳天気には呆れてしまう。インドでは外国人女性の強姦被害が幾度となく報道されていたのだ。あるスイス人女性(39歳)が、インドを観光中に輪姦されたことがある。(India arrests 6 over Swiss tourrist's gang rape, CBS, March 17, 2013) 去年デリーでは、デンマークからの女性(51歳)がナイフで脅され、強姦された事件も発生した。(Palash Ghosh, Danish Woman Tourist Gang-Raped in Delhi, But Seem to Love Visiting India, International Business Times, January 15, 2014) インドでは強姦事件が多発しており、統計を見れば一目瞭然。全インドで2010年には強姦報告が、22,172件、2011年だと24,206件ある。拉致事件は 2010年に38,440件で、2011年だと44,664件にのぼる。 未成年への強姦も、10歳未満の子供1,051人、14歳未満は2,074人、18歳未満だと5,959人あるという。(Crime in India 2012 Statistics, National Crime Record Bureau, Ministry of Home Affairs) 未告発事件はもっと多いだろう。こんな事件が多発して、テレビで取りあげられるや、御用学者や評論家が、インド人の女性蔑視が原因です、との解説を行うだろう。

  問題はインド人の女性蔑視よりも、それを長年隠蔽してきたマスメディアや教育界の姿勢である。時流に敏感な進歩的文化人は、通信情報革命でインド人が優秀だ、数学のゼロはインドで発見された、インドは親日国家だ、などと持て囃(はや)していたのだ。インドの現状を見てみよ。街に乞食がうろつき、列車には車外まで人が鈴なりで、汚いガイジス河でも入浴できるインド人。バイ菌の貯蔵庫に平気で暮らす膨大な有色人種。他人への心配りなど理解不可能なカースト社会。女性が蔑視されるだけではなく、厳格な身分制度が数千年にも亙(わた)って不動のインドで、急に役人が叱ったからとて、大衆は慣習を変えない。カースト制で最上位の「ブラーフマナ」は司祭階級で、「クシャトリア」は武人、「ヴァイシャ」は土地所有者か商人、下層の「シュードラ」は農民か雑用夫である。その下に「不可触賤民」がいるのだ。ビルハールという町で開業医を務めるアイジャイ・クマール医師は、インドの身分階級と貧富の格差について語る。彼は上位カーストに属する中流階級の医師で、英国の国民保険サービスで勤務した経験をもつ。しかし、下位カーストの誘拐犯にとって、彼は格好のターゲットになっている。彼は寝るとき枕の下に銃を隠しているという。(エドワード・ルース 『インド 厄介な経済大国』 日経BP社 2008年 p.156) 暑くて汚いインドは犯罪が横行しているだけでなく、政治も腐敗しているのだ。瀆職(とくしょく)政治家は、裁判官とつるんでいるから滅多に有罪にならない。こんな国が経済発展したって何だ?

死んだ処女とセックス

  インドで強姦など日常の一部だ。インドでは生きている女どころか、死んだ女も強姦されるのだ。時は明治も終わり頃。ある日本人冒険家がインドで性的な奇習を耳にした。下層のシュードラに属する娘が、一度も男と性交せずに死亡すると、遺族はシュードラ社会の習俗を破ったとして批判されたらしい。家名の汚(けが)れを恐れる親は、屍体となった処女の娘と男子をセックスさせねばならない。しかし、いくらシュードラの賤民でも、屍体と交わることは嫌だろう。よほどの変態なら別だが。(実際、屍体愛好者ネクロフィリアは居る) そこで、乞食に多額の金銭を与えて、その大役を務めさせる。(中村直吉/押川春浪 共編 五大洲探検記第二巻 『南洋印度奇観』明治41年 pp.157-158) 日本にも盗撮犯や下着泥棒といった性犯罪者や変態がいるけれど、死んだ女性はちょっと怯むだろう。貧すれば鈍(どん)す、か? しかし、屍体に性欲を抱く人間、てどんな奴だろう。すごい、というより気持ち悪い。

  日本人はアジア・アフリカの原住民を甘く見ている。彼らは自然の欲望に忠実で、性欲が沸いたから女を犯すのだ。頭脳と性器に理性や倫理はない。川を渡るシマウマをワニが狙うとき、馬の家族が悲しむから止めようとは考えないだろう。インド人強姦魔からすれば、マヌケな外人女が道を歩いている。それを生け捕りにしたまで。無料で女とセックスできるのだ。女郎屋だとお金を取られる。貧乏人にとったら強姦の方が経済的で合理的だ。これを激怒するのは欧米と日本の文明人だけ。英国でパキスタン人やインド人、アラブ人、アフリカ人による輪姦が問題になっている。しかし、街中に無料の淫売(白人異教徒)が歩いているのだから、彼らには上等の白い肉が道端に落ちているようなものだ。むかし、日本にやってきた支那人がATMや自動販売機を見て、日本では道に貯金箱が置いてある、と思って盗んだ。アジア大陸の人間は思考が違う。

  日本人は韓国や支那、印度などの後進国からやって来るアジア人を、ためらいながらも、日本人並みに扱わねばならぬ、と自誡している。トルコ人からアラブ人まで含めたアジア大陸人には警戒しなければならない。これは人種偏見ではなく、現実直視である。マスコミは安全地帯に住みながら、一般人に説教を垂れるが、彼らの私生活はその言動と違うのだ。筆者のように率直に現実を語る日本人は、マスコミから“極右の差別主義者とのラベルが貼られてしまう。お人好しの日本人女性は、痛い目に遭わないと現実が分からない。強姦魔に押さえつけられたとき、筆者の言論を想い出しても遅いぞ。



人気ブログランキングへ
記事検索
最新記事
アクセスカウンター

livedoor プロフィール
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ