無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

ヨーロッパ

ナチスが嫌った醜い藝術






頽廃芸術が横行したワイマール時代

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(上絵画 2枚 /  ヒトラーの作品)

  今回のブログは1、2年前から発表しようかどうか迷った記事である。ナチス時代のドイツを知るには、ワイマール時代の社会状況を知る必要があるのだが、その一部があまりにも卑猥なのであからさまに伝えることが出来ない。しかも、ブログ運営会社のライブドアによる「検閲」があるので、たとえ「歴史的事実」でも「破廉恥な現実」を掲載すれば、当ブログの閉鎖を余儀なくされるからだ。それでも、歴史の真相を求める日本人には、偏向史観ではない具体的で“生々しい”情報が不可欠なので、肝心なエロ絵画を載せられないが、とりあえず紹介することにした。

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(左: アドルフ・ヒトラー  / 中央:  カール・トルッペ Karl Truppe <左>と Franz Triebsch <右> によるヒトラーの肖像画 /  右: アルベルト・シュペーア )

  第三帝國の総統となったアドルフ・ヒトラーが、若い頃、画家を志していたことは有名である。したがって、この伍長上がりの政治家は美術に関しては少々うるさく、自らのドイツ帝國を偉大な藝術で飾ろうと思っていた。ヒトラーがベルリンを壮大な首都にしようとした「ゲルマニア世界都市計画(Welthaupstadt Germania)」は有名で、その担当者に建築家のアルベルト・シュペーア(Berthold K. H. Albert Speer)を据えたこともよく知れられている。現在では、ヒトラーと言えば「極悪人」というレッテルが貼られているので、やることなすこと一切が非難の的になっている。だけど、もし敗戦がなく、目論見通りベルリンの再開発が遂行されていたら、たぶん絢爛豪華な帝都の誕生となったであろう。

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(左: ドイツ人の少女  / 中央: ナチス時代のドイツ人女性  /  右: ナチ党のポスター)

  もっとも、追い出されたユダヤ人は恨み骨髄だ。しかし、好ましいアーリア人で賑わう街はヨーロッパ諸国の注目を集め、不動産価格が高騰するのは間違いない。きっと、好奇心旺盛な日本人も、世界に冠たる偉大な都市を見物しようと、ベルリンに押し寄せるんじゃないか。現在の歐米人のみならず、日本人も「ユダヤ人の視点」でしかドイツ史を観ないけど、もし、ゲルマン人の目でヒトラーの帝國を眺めれば異なった感想を持つはずだ。例えば、仮にドイツの住民がアーリア系ドイツ人ばかりになったとする。そうなると、いったい誰が困るというのか? 日本人観光客で、金髪碧眼の北歐人が集まる商店街とか教会を眺めて、「気持ち悪る~い」と感じる人はいないだろう。日本人女性だと、ゲルマン人の子供が楽しく遊ぶ幼稚園を見て、「アっ! かわいぃ~い」と声を上げるんじゃないか。日本人の亭主だと、ブロンド美女の保母さんに“うっとり”する姿を女房に見られて、「アンタ、どこ見てんのよ !」と叱られたりしてね。

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(左: ヒトラーとドイツ人の少年  /  ドイツ軍士官 /  右2枚: 理想的なアーリア人女性 )

     それに、ドイツを訪れたオランダ人やイギリス人の観光客が「あれ~ぇ? 白人ばかりだ。ユダヤ人がいなくて寂しいなぁ」と愚痴をこぼすのか? ユダヤ人が大嫌いな愛国的フランス人なら、「アレマン人(ドイツ人)は素晴らしい ! ぜひ、我が国もユダヤ人を駆逐しよう !」と叫ぶに違いない。また、 ユダヤ人を大学やホテルから閉め出したアメリカ人も、同種族のドイツを旅行して感動するはずだ。帝國陸軍から派遣された日本人だって、ゲルマン人ばかりのドイツに違和感は無く、ユダヤ人が居なくても不便はない。ちょうど、江戸や大坂に朝鮮人が居なくても寂しくないのと似ている。

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(左: ドイツ人の少年  / 中央: ドイツ軍士官の家庭 /  右: 1950年代のドイツ人女性)

  ナチ党やヒトラーの評判が悪いのは、ドイツを敗戦に導いたことにあるのだが、ユダヤ人や左翼分子が歐米の学会を牛耳っているのも、見過ごせない原因の一つである。ヒトラーにより追放されたユダヤ人は、アメリカやブリテン、カナダなどの西歐世界に移住し、その地で反ナチス本を大量に出版した。したがって、ドイツの事情に無知な一般人は、「ほとんど」と言っていいくらい、ユダヤ人の洗脳を受けている。フランクフルト学派のユダヤ人を迎入れたアメリカはその典型例で、今でもユダヤ人が撒き散らかした害悪により、訳も解らず“のたうち回って”いるのだ。これは丁度、見知らぬ他人から魚を貰って食ったら、その内蔵に水銀が溜まっていたり、回虫のアニサキス(Anisakis)が潜んでいたことから、食後にもがき苦しむのと同じ症状である。

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(上絵画  /  ヒトラーによる風景画)

  排除されたユダヤ人の中には藝術家もいて、彼らは亡命先で散々ナチスを呪った。そして、この呪詛を聞いた現地人もユダヤ人アーティストに同情したものである。しかし、この亡命者たちは一体どのような作品を世に送り出していたのか? なぜ、ヒトラーやナチ党員たちは、彼らを排斥したのか? 日本人としては事の善悪を越えて、その理由を知りたい。我々は迫害されたユダヤ人の怨念だけを鵜呑みにするのではなく、迫害した側のドイツ人による言い訳にも耳を傾けねばならないと思う。とりわけ、1942年3月27日にヒトラーが述べた意見は傾聴に値する。ヒトラー曰わく、

  ワイマール共和国時代が特にひどかった。これは美術界におけるユダヤ人の影響力の怖さを如実に物語っている。ユダヤ人どものやり方は信じがたいほどの図々しさだった。インチキ美術評論家の協力も得て、ユダヤ人どうしでの間で競り上げて、ナイーヴな人々に屑同然の絵を最高傑作と思わせるのに成功したのだ。自らの知的水準には自負を抱いていたはずのエリートたちさえ、ころりとだまされた。今、ユダヤ人の財産没収のおかげで奴らのペテンの証拠が続々と手に入るというわけだ。屑同様の絵をだまして高値で売った金で、反対に過小評価した傑作をばかみたいな安値で購入する。-----これがやつらのペテン藝術の極みともいえる手口だったのだ。著名なユダヤ人から徴発した財産の目録に目を通していつも驚くのは、そこに本物の芸術品ばかりが載っているということだ。(『ヒトラーのテーブル・トーク』 下巻、吉田八岑 訳、三交社、1994年 p.31)

  確かに、ユダヤ人の富裕層はヨーロッパの名画を買い漁っていたようで、ナチスが彼らから奪い取った作品には目を見張るものがあった。最近だと、ナチスに協力した画商のヒルデブラント・ガーリット(Hildebrany Gurlitt)が隠し持っていた絵画に注目が集まったことがある。彼の息子で隠遁生活を送っていたコルネリアスが、ある失態を犯してしまい、盗品が表に現れるという事件が起きた。(Michael Kimmelman, "The Art Hitler Hated", The New York Review of Books, June 19, 2014) 戦災で失われたと思われていた多数の絵画が見つかってドイツ人は驚嘆。その中には、「頽廃藝術(Entartete Kunst)」作品も含まれていたそうだ。ヨーロッパ人の美を愛するヒトラーにとって、ユダヤ人や現代画家の美観は許せなかったそうで、総統は美術展に足を運ぶ度に、その「塗りたくった絵」を取り外させたという。たとえ、プロイセン・アカデミーの“お墨付き”が与えられた作品であっても、「無価値なもの」に対しては容赦無くふるい落としたらしい。

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(左: オットー・ディックスの作品  / 中央: ポール・クリーの作品 /  右: エーリッヒ・ヘッケル)

  ヒトラーによると、アカデミーの会員はきちんと任務を果たさず、いつも仲間内で“なあなあ”で済ませ、ある宗教担当大臣はユダヤ人の罠に嵌まって“とんでもない駄作”に賞を与えてしまったそうだ。しかも、騙された人々は最初、「これは難解な作品だ」などと一応納得した顔をして、「作品の深層と意味を洞察するためには、提示されているイメージの世界に浸る必要がある」と、もっともな“ご託”を並べたという。そう言えば、日本でも西洋美術展が開催されると、評論家気取りの連中が適当な「講釈」を垂れるし、門外漢の一般客は、その「値段」を聞いて作品の「価値」を決める傾向が強い。庶民はピカソやムンクの作品を観たってチンプンカンプン。「こんなの子供の落書きだよなぁ」と心の底で思っても、その値段が何十億円と聞けば、「うぅぅ~ん、やはり筆のタッチがひと味違うな !」と急に意見を改めたりする。

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(左: パブロ・ピカソ   /  ピカソの作品 /  エドワルド・ムンク /  右: ムンクの作品)

  だが、ヒトラーによる美術批評家への意見は手厳しい。「一般論として、アカデミーの類いは傾聴に値する程の意見を発表しない」そうで、教授どもは落ちこぼれか、枯渇した老人くらいであるという。たとえ、才能豊かな者がいても、彼らは1日に2時間と教えられないそうだ。(上掲書 p.32) ヒトラーの美術論によれば、真の藝術家は他の藝術家たちとの接触を通して育って行くものらしい。かつて、巨匠といわれた画家たちは、工房の助手としてスタートし、技術と器用さで秀でた者、あるいは将来価値のある作品を生み出せそうな者だけが、徒弟の地位へと昇ったそうである。ヒトラーはルーベンスやレンブラントの例を挙げていた。これなら我々にも解る。例えば、「偉大」と称されるピカソなんかより、フェルメールの油絵の方がよっぽど素晴らしいし、ラファエロの聖母像も傑作だ。ヨーロッパの評論家はムンク(Edvard Munch)の『少女と死』とか『思春期』を称讃するけど、日本人には葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の美人画とか版画の方が解りやすい。

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(左: フェルメールの名作「真珠の耳飾りをつけた少女」  / 中央: レンブラントの「善きサマリア人」 /  右: レンブラントの「愉快な仲間」)

エロ・グロ作品を描いていた亡命者

  ヒトラーは、当時の風潮に不満を漏らしていた。ドイツの美術学校では自由放任の方針を取っていたようで、天才なら最初から自分のしたいようにしてもよい、と考えていたらしい。しかし、ヒトラーは「天才画家であっても、最初は皆と同じように学習から始めねばならぬ」と考えており、「たゆみない努力によってのみ、描きたいものが描ける」と信じていた。そして、総統は絵の具の混合をマスターしていない者や、背景の描けない者、解剖学を学んでいない者は、大した画家にはならないだろう、と結論づけていた。そこで、ヒトラーは「曾てのように現代も、画家の卵は親方の工房で美術の伝統にどっぷり浸かりながら訓練を受けるべきだ」という。なぜなら、ルーベンスやレンブラントの作品を観ると、弟子と師匠が描いた部分の区別が附きにくかったからである。つまり、ルーベンスやレンブラントの弟子たちは、師匠と同じ技量を身につけていたということだ。

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(左: ゲオルク・グロス   / マックス・ベックマン /  エルンスト・ルドウィック・キルヒナー/  右: エーリッヒ・ヘッケル)

  このように、ヨーロッパに根づく伝統的美意識を愛したヒトラーだから、その伝統を無視する抽象画とか表現主義の作品は許せなかった。ヒトラー率いるナチ党が「頽廃藝術家」と評した者といえば、ゲオルク・グロス(Georg Grosz)や、オットー・ディックス(Otto Dix)、マックス・ベックマン(Max Beckman)、エルンスト・ルドウィック・キルヒナー(Ernst Ludwig Kirchner)、パウル・クリー(Paul Klee)、ルシアン・フロイト(Lucian Freud)、エーリッヒ・ヘッケル(Erich Heckel)などが挙げられる。特に、ユダヤ人と思われがちなゲオルク・グロスは札付きのワルで、キリスト教の家庭に育ったドイツ人であったが、思想的には真っ赤な共産主義者であった。彼はドイツ共産党に属していたけど、ソ連を訪問し、グリゴリー・ジノヴィエフ(Grigory Zinoviev / ユダヤ名Hirsch Apfelbaum)やレーニンと会ったことで失望したそうだ。グロスは形だけではあるが、共産主義から足を洗い、風刺画家に専念したらしい。

  ところが、このグロスは単なる絵描きではなかった。ナチ党の台頭により米国へ亡命したグロスには、マーティー(Marty)という息子が生まれ、この倅(せがれ)はマスコミを相手に父親の偉大さを宣伝していたが、ある作品に関しては沈黙を守っていた。彼はある記者のインタビューを受けて、「父の風刺画や油絵、鉛筆画はベルリンの頽廃と腐敗を厳しくも情熱的に描いていました」と述べている。(Rosie Millard, "My father, the famous artist", The Independent, 17 March 1997) しかし、マーティーは父親の藝術を概ね讃美するも、その恥部だけは巧妙に避けていたから狡(ズル)い。この息子は父のエロ・グロ作品を人前で堂々と掲げるべきだ。グロスの作品総てを知らぬ一般人は、ナチスに迫害された可哀想な藝術家としか思わないが、彼の描いた「卑猥な絵」を目にすれば、ご婦人方は両手で顔を覆ってその場を去るだろうし、美術品愛好家の紳士なら、「何だ、この下品な絵は !」と叫ぶに違いない。日本人もグロスのエロ絵画を見れば、なぜナチ党が彼を「ボルシェビキ風の敵No.1」と評したが判るだろう。

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(上3 枚 /  ゲオルク・グロスの作品)

  憐れな亡命者と思われているグロスは、文字にするのも憚れるような卑猥な絵を描いていた。例えば、性器を剝き出しにした女や、客のペニスを膣に挿入する淫売、巨根をしゃぷる痴女、うつぶせの女を背後から襲う男、醜悪な体型をした中年女など、“おぞましい”としか言いようのない作品を残していたのだ。(ライブドア社の禁止規定に抵触するので、実際の生々しい「猥褻作品」を掲載できなくて残念である。でも、規則だから仕方ない。) とにかく、グロスは露骨に性器を描写していたから、とても一般公開などできない。米国の敬虔なキリスト教徒なら卒倒間違いなし。仮に、美術館の壁に掛けることが出来たとしても、訪問客から猛抗議を受けて、即座に展覧会は中止されるだろうし、主催者は責任を取ってクビになるはずだ。こうなれば、一般のアメリカ人もグロスへの同情を失い、「頽廃芸術」が何であったのかが解る。でも、ユダヤ人や左翼ジャーナリストは困るだろう。ヒトラーは絶対的な悪なのに、その追放政策が正しく思えてしまうからだ。したがって、反ナチス派の評論家や歴史家は事実を隠す。

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(左2枚 : ルドウック・キルヒナー /  右2枚: マックス・ベックマン )

  ルドウィック・キルヒナーの作品は卑猥でなかったが、彼の描く人物はどれも醜くて、観ていると暗い気分になる。なるほど、描かれた人物は印象的だが、お世辞にも「美しい」とは言えず、どちらかと言えば「病的」と評した方がいい。ちなみに、キルヒナーは精神病を患っており、展示会に出した自作を撤去されてから一年後に自殺している。フランクフルトのアカデミー会員をクビになったマックス・ベックマンや、700点以上者作品を撤去されたエーリッヒ・ヘッケルの絵も全体的に陰鬱で、部屋に飾ってみたいとは思えない作品である。だいたい、ベックマンの作品などを模範にしたい絵描きがいるのか? 蛭子能収をちょっと上手くしたくらいで、ザビエル山田といい勝負だぞ。(ザビエル山田は漫画『愛の泉』や『オヤジの吐息』の作者である。) 美術評論家は彼らの作品を「素晴らしい」と褒めちぎるんだろうが、一般人ならこんな絵を高値で買おうとはしないし、政治献金の代用品であっても買いたくない。個人の敷地で催されるヤード・セール(庭先の販売会)だと、せいぜい5、6ドルの値札しかつかないんじゃないか。筆者の好みから言えば、安彦良和先生の油絵(例えば、「ガンダム」のシャーとかセイラの人物画)とか、荒木飛呂彦先生が描くジョジョの直筆ポスターなどの方が遙かに価値がある。

Eric Heckel 6Eric Heckel 2Ludwig Meidner








(左と中央 : エーリッヒ・ヘッケル /  右: ルドウィッヒ・マイトナー )

  ユダヤ人の画家になるともっと酷い。ルドウィッヒ・マイトナー(Ludwig Meidner)の絵を見ると、何かの病気を患っているんじゃないか、と思えてくる。だが、彼よりも不愉快なのは、ルシアン・フロイトだ。彼は有名な精神科医であるジクムント・フロイドの孫としても知られている。ルシアンの描く女性などを観ていると、日本人だってヒトラーの反論に賛成するんじゃないか。例えば、ぶくぶくと太った醜い女性とか、性器丸出しの男性などを観れば吐き気がする。ナチ党員たちはゲルマン人女性の美しさや清らかさを称讃したのに、ユダヤ人画家ときたら、北歐種族の肉体的美しさを否定し、それを無視するどころか、却って醜悪にして「美術」と称する。西歐婦人の気品を台無しにした挙げ句、反対の肉体を讃美するんだから、ドイツ人じゃなくても不快になるじゃないか。ヨーロッパ人にとったら、美しい人間というのは、古代ギリシア人が理想とした女神とか、ルネッサンス期の巨匠が描いた英雄である。

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(左ルシアン・フロイド  /  中央と右: フロイトの作品)

  しかし、ヨーロッパ人、特にキリスト教徒のゲルマン人を憎んだユダヤ人は、いじめっ子民族の肉体を讃美したくない。アーリア人の肉体美を描くことは、敵対者の優越性を認めることに繋がるし、セム種族の肉体的劣等性を認めることになるからだ。ユダヤ人は一般的に捻れた性格を持っている。美しいゲルマン人女性に憧れる一方で、彼女たちからの侮蔑に耐えねばならぬ運命を有しているからだ。ユダヤ人は西歐人に対しては、人種平等の説教を垂れるが、仲間内では西歐白人女性を獲物にしているから卑劣だ。(イスラエルの売春宿では、西歐人女性のような東歐女性が人気で、フィリピ人女中やアフリカ人娼婦は安値でランクが落ちる。それにしても、貧乏なルーマニア人やウクライナ人、ロシア人の女性を半ば騙して、次々に密輸するユダヤ人の女衒はあこぎだ。TBSの金平茂紀は朝鮮人娼婦なんか放っておいて、スラヴ系娼婦を取り上げればいいじゃないか。看板番組の『報道特集』で「報道」しろ !)

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(左: キャメロン・ディアス  /  ジェニファー・アニストン/ テリー・ポロ /  右: ジェニファー・ハドソン)

     ユダヤ人は多民族主義を唱えるくせに、性慾となれば白人女性一本槍だ。 恋愛映画を造るハリウッドのユダヤ人たちは、決まって相手方を西歐人美女にする。例えば、ユダヤ人男優のベン・スティラー(Ben Stiller)は『メリーに首ったけ』ではキャメロン・ディアス(Cameron Diaz)を共演者にしたし、『アロング・ケイム・ポリー(Along Came Polly)』ではジェニファー・アニストン(Jennifer Aniston)を、『ミート・ザ・ペアレンツ』ではテリー・ポロ(Teri Polo)を恋人役にした。ところが、どのユダヤ人男優も、有名司会者のオプラ・ウィンフリー(Opra Winfrey)とか、ジェニファー・ハドソン(Jennifer Hudson)、タラジ・ヘンソン(Taraji Henson)、クィーン・ラティファ(Queen Latifah)などを恋人役にはしないのだ。(もしかして、黒人への嫌悪と差別なのか ?)

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(左: タラジ・ヘンソン  / オプラ・ウィンフリー / クィーン・ラティファ /  右: コートニー・コックス)

    大ヒットTVドラマ『フレンズ』でもユダヤ人的嗜好が滲み出ていた。このドラマを制作したプロデューサーのデイヴィッド・クレイン(David Crane)とマルタ・カフマン(Marta Kauffman)は共にユダヤ人で、ドラマの中でもロスとモニカのゲラー兄弟をユダヤ人に設定していた。兄のロス・ゲラーを演じたデイヴィッド・シュワイマー(David Schwimmer)はユダヤ人だけど、妹役のモニカを演じたコートニー・コックス(Courtney Cox)はイギリス系アメリカ人である。呆れてしまうのは、ユダヤ人のロスが憧れるレイチェル役に、西歐系女優のジェニファー・アニストンを起用していたことだ。『フレンズ』にはユダヤ人女優のリサ・クドローがいたのだから、彼女をフィービー役ではなく、レイチェル役にすれば良かったのに、と思ってしまうが、クレインとカフマンにしたら、いかにも「ユダヤ人のカップル」になってしまいそうで、本能的に嫌がったのだろう。もし、ニューヨークに住む「フレンズ」が、全てユダヤ人となったら、不愉快というか余りにも“リアル”過ぎる。たぶん、制作担当者はユダヤ色を薄めるためにも、異教徒の西歐人をキャストに混ぜたんだろう。

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(左: リサ・クドロー  / デイヴィッド・シュワイマー /  マルタ・カフマン/  右: デイヴィッド・クレイン)

  ユダヤ人は現実社会でも、ユダヤ人女性や黒人、アジア系女性に興味を示さず、西歐系女性に性的興奮を覚える。ユダヤ人の大物プロデューサーであるハーヴェイ・ワインシュタインについては、以前このブログで触れたからここでは繰り返さない。でも、最近またもやユダヤ人によるセクハラが暴露されたので紹介する。日本ではあまり知られていないが、ミネソタ州選出の上院議員にコメディアン上がりのアル・フランケン(Al Franken)がいる。一連のセクハラ騒動に感化されたのか、彼にセクハラを受けたと表明する女性が現れた。被害者はリーアン・トゥイーデン(Leeann Tweeden)という美女で、以前は水着のモデルや『プレイボーイ』誌のグラビア・モデルを務めたことがあり、現在はテレビ番組の司会やレポーターを務めているそうだ。

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(左: アル・フランケン  / 中央: リーアン・トゥイーデンの胸を鷲摑みにするフランケン  /  右: ハーヴェイ・ワインシュタイン )

      事件は2006年、彼女が中東アジアに派遣された米軍を慰問した時に起きた。アル・フランケン議員はリーアンが寝ている隙に彼女の胸を鷲摑みにしたり、彼女が嫌がるのに無理矢理キスを迫ったそうだ。(Juana Summers and M.J. Lee, " Woman says Franken groped, kissed her without consent in 2006", CNN, November 17, 2017) セクハラ事件が表沙汰になると、フランケン議員は彼女に謝罪したそうだが、いくら冗談でも有名人の身分を忘れて卑猥な行為をするなんて、アホといか言いようがない。でも、どうしてユダヤ人は黒人とか支那人女性に対しては「いやらしい」事を企てないのか。「人種的平等を考えろ」とは言わないが、獲物に「人種的偏見」を持っているんじゃないかと疑いたくなる。

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(左: 司会者としてのリーアン・トゥイーデン  /  右: モデル時代のトゥイーデン)

怨念が動機になっている美意識

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(左: ヤンケル・アドラー  /  右3枚: アドラーの作品 )

  話が逸れたので元に戻す。ナチ党は頽廃藝術をユダヤ人の“せい”にしているが、こうした趣味に人種は関係無さそうだ。確かに、ヤンケル・アドラー(Jankel Adler)のようにポーランド系ユダヤ人の画家がいたけど、オットー・ディックスのようなドイツ人の画家もいたのだ。民族性と美的感覚の関連は不明確だが、二人の絵画は本当に美術なのかどうか判らない。現代の我々が見ても、アドラーの絵は気分が落ち込むほど陰惨である。ただし、ディックスが描いた絵の方が遙かに酷い。ディックスの描く女性など本当に醜く、お金を払って見る藝術とは思えないし、ヒトラーの言うように駄作と評する方が適切である。彼が描いた裸婦など殴り書きみたいだし、赤ん坊を抱く母親の絵は貧相というより怖い。ガリガリの赤ん坊なんてどうかしている。これじゃあ、アメリカ人だってナチスに賛同したくなるじゃないか。

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(左: オットー・ディックス  / 中央と右: ディックスの作品 )

  昔、ヨーロッパでは既存の秩序や常識を否定し、破壊的感情を肯定したダダイズム(Dadaism)が流行ったけど、ユダヤ人には“しっくり”する運動だった。とにかく、ユダヤ人は西歐世界の伝統や秩序を覆したいと願っている。自分の種族が築き上げた訳でもない価値観など紙屑以下。タバコの吸い殻を揉み消すように、西歐人の理想を足で踏みにじりたいのだ。そして、自分たちを“抑圧”し続けた憎い白人を倒したい。だから、アーリア人の美しさを貶して、醜い人物像を「素晴らしい」と言い換えたり、変態的描写を「斬新なタッチ」として言いふらすのだろう。彼らにとり、異教徒の美意識を破壊することは快感なのだ。

Otto Dix Pregnant Woman 2Otto Dix Mother & ChildOtto Dix Ladies of the NightOtto Dix Pregnant woman








(上絵画  /  ディックスの作品)

  全共闘世代なら馴染み深いだろうけど、1960年代から1970年代にかけて前衛芸術なるものが“進歩的”と目されていた。フランス語の「アヴァン・ギャルド(avant-garde)」を口ずさみ、寺山修司とか大島渚たちが訳の解らぬ映画を作っていたのを覚えている人も多いだろう。ジョン・レノンと結婚したオノ・ヨーコが、へんちくりんな踊りを披露していたけど、あれも前衛藝術の一種らしい。音楽でも奇妙なものがあり、ユダヤ人音楽家のアーノルド・ショーエンバーグ(Arnold F. W. Schoenberg)とか、ニューヨーク生まれのロシア系ユダヤ人モートン・フェルドマン(Morton Feldman)が有名だ。まぁ、音楽の趣味は人それぞれだから、余計な事をせずに市場に任せておいた方がいい。

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(左: モートン・フェルドマン  / 中央: アーノルド・ショーエンバーグ  /   右: ヨーコ・オノ)

  一般的に藝術は「自由」な方が良いけど、人々の精神に及ぼす影響も無視できないので、国家が介入する場合もやむを得ない。例えば、公園や路地裏で公然と映画のセックス・シーンを撮影するのは非常識だし、歩行者天国の日曜日に鞭を握ったSMの女王様が闊歩すれば、親子連れの一般人は目を背けるだろう。また、百貨店の展示会だって、しわくちゃの老婆を題材とした全裸写真とか、中高年ゲイが互いにペニスを握りしめているスナップ写真とかは論外だ。でも、西歐ではたまにある。米国で問題になったけど、小便の中に埋もれるキリスト像という絵画が公開され、世間の非難を浴びたこともあるのだ。藝術作品の弾圧は賛成できないが、常識を越えた「藝術」に一定の制限があってもおかしくはない。

  ナチスによる私有財産の没収は違法だが、ヒトラーたちが「頽廃藝術」に憤慨した気持ちも分かる。ヒトラー総統が自分の帝國だから美しくしたい、と考えてもおかしくはない。「盗人にも三分の理」があるように、ナチ党にも1%くらい擁護論があってもいいんじゃないか。日本人にとって重要なのは、ナチスが怒った理由とその経緯を“具体的”に調べることだ。ユダヤ人の本だと“抽象的”に書かれているだけで、不都合な歴史が省略されている場合が多い。「書物の民」は偶像崇拝を嫌って文字を重視し、映像や視覚を回避する傾向が強いから、我々はどのような素性の者が、如何なる思想で批判しているのか検証してみる必要がある。案外、ユダヤ系著者の素顔と正体を知ったら、「えっ、こんな人なの?!」と驚くんじゃないか。(ワイマール時代のドイツについては、別の機会で述べてみたい。ただし、当ブログが閉鎖命令を受けたら不可能になってしまうだろう。もしかしたら、今回が最終回となってしまうかも知れないので、引っ越しを考えているところです。)



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(写真  / アラン・ドロン )

  フランスで行われたマクロン対ル・ペンの一騎打ちは、「やはり!」と呟きたくなるような選挙結果であった。前者が投票数の約6割を獲得し、約4割弱ほど獲得した後者を破ったことになる。こうなったのも、フランスの国民はドイツ人と同じくらい左翼教育に染まっており、多民族・多文化主義を金科玉条のように考えているからだ。しかも、国民の大半が何らかの非西歐的な家系に属し、その先祖を辿れば外国人というケースが多い。異人種間結婚が普通で、ナショナル・アイデンティティーが十人十色という国家で、移民排斥を掲げるマリーヌ・ル・ペンが躍進し、決選投票にまで漕ぎ着けたんだから、負けたル・ペンの方が輝いていたと言えるんじゃないか。ただし、多数決原理の政治体制だから、彼女が負け犬であることには変わりがない。

  今のフランスを見ていると、一旦崩壊した国が如何に惨めであるかが判る。大革命で国家の心臓たる王室を撲滅し、王国を護って民衆を導く貴族まで殺しまくったフランス人には、恐怖政治と遠征での惨敗、政体の不安定さに、国威の低下という負のスパイラルが待っていた。かつてはカトリック教会の長女だっのに、今じゃ政教分離の「ライシテ(世俗化/laïcité)」で、教会には日曜でも閑古鳥が鳴いている始末。売却されてディスコに変貌した教会はまだ良い方で、維持費が掛かって邪魔だから解体される教会があるという。ゾっとするけど、これがフランスの現状だ。フランス人が自慢する「文化」は過去の遺物でしかない。悲しいことに、フランスの基礎を築き、その骨格を育て、文化を熟成させた君主政が無くなると、残った廃墟にはヘドロのような文化が堆積し、そこに芽生えるのは左翼思想という雑草ばかり。フランス人は怒るかも知れないが、日本人が憲政史を勉強する時に、國體を損ねた愚かな実例として挙がるのがフランスである。フランスはやることなすこと、ことごとく駄目だった。栄光あるフランス陸軍でさえ衰退し、外人部隊におんぶにだっこ。我が帝國陸軍と対峙したら仔犬も同然だったので、フランス人が悔しがるのも無理はない。フランスはスペインと同じく、太陽が沈んだままの帝國になっていた。

Brigitte Bardot 3Alain Delon 3Marine Le Pen 4








(左: ブリジット・バルドー  /  中央: アラン・ドロン /   右: マリーヌ・ル・ペン )

  今回の大統領選挙で特徴的だったのは、マクロン氏の抜擢より、国民戦線の健闘だった。マスコミの報道だと、この政党の支持者には「ネオ・ナチ」もどきの若者や失業者、下層階級の労働者が多いとされているが、隠れファンとして、フランスの現状に危機感を覚える知識人や有名人が含まれている。意外なことに、往年の映画スターであるブリジット・バルドー(Brigitte Bardot)やアラン・ドロン(Alain Delon)が国民戦線支持を表明していたのだ。今の中高校生は知らないと思うけど、バルドーは1960年代のフランスを代表するセックス・シンボルで、女優業だけではなく歌手としても活躍をしていた才女であった。藝能活動では第一線を退いたが、動物愛護活動では有名で、家畜の屠殺に反対してベジタリアンになったそうだ。そんなバルドーは国民戦線に共鳴し、マリーヌ・ル・ペンがフランスを救うのだ、と期待していたようで、この女性党首を21世紀のジャンヌ・ダルクに譬えていたという。(David Chazan, Brigitte Bardot calls Marine Le Pen `modern Joan of Arc', The Telegraph, 22 August 2014)

Jean Marie Le Pen 2Marlon Brando 1Mel Gibson 3









(左: ジャン・マリ・ル・ペン  / 中央: マーロン・ブランドー /  右: メル・ギブソン )

  アラン・ドロンも国民戦線の綱領を理解したようで、全面的に支持すると公言していた。ドロンはル・ペン親子が孤独な闘いを続けていたことに感銘を受け、もう彼らだけではない事を告げたのである。(French legend Delon `supports' far-right, France 24, October 10, 2013) 有名人が「極左」政党を支援するのは普通だが、こうした「極右」政党を支持することには、かなりの覚悟を要する。左翼に分類されるなら、社会党でもマルキスト団体でもいいし、アナーキストになっても許されるだろう。しかし、国家の歴史や伝統を重視する保守系政党になると風向きが変わってくる。とりわけ、祖国を異質な民族から守ろうとすれば、業界から“干される”危険性まで考えねばならない。そう言えば以前、名優のマーロン・ブランドーが、CNNの「ラリー・キング・ライヴ」に出演し、ハリウッドがユダヤ人に支配されていると暴露した。というのも、彼は高齢で映画出演のオファーも無くなったから、“正直”に語ることができたのだ。アル中だったメル・ギブソンみたいに、まだ現役生活を続けているのに、ユダヤ人を批判するなんて軽率である。案の定、総攻撃を食らって撃沈。実際、ギブソンは業界から村八分にされ、失意のどん底だった。彼は親しい友人のジョディー・フォスターやゲイリー・オールドマンの助太刀で、勝ち誇ったユダヤ人に詫びを入れたそうだ。本当にユダヤ人の懲罰は恐ろしい。

クールな殺し屋は日本人がモデル?

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(左: と中央若い頃のドロン  /   右: アランとナタリー・ドロン )

  平成の今と違って、昭和40年代や50年代、西歐だと1960年代から1970年代の頃、「人気者」と評された俳優や歌手は本当に凄かったし、追っかけファンも多くて熱狂的だった。しかし、携帯やパソコンが普及した現在では、八百長記事が横行し、本当に人気があるのか、実際にファンがいるのか、とにかく怪しい藝人でいっぱいだ。ちょっと前、偶然にも朝のテレビ番組を観たところ、南鮮の「トゥワイス」という歌手グループが人気者になっているという話を聞いた。なんでも、日本の若者に多くのファンが居るそうだ。筆者は流行文化に疎いからよく解らないけど、そんな朝鮮人娘たちが人気者になっているとは思えない。(あくまでも筆者の勘だから、本当に高い人気を博しているのかも知れないよ。) ただ、フジテレビの番組だったから、眉唾物というか「宣伝」報道という側面が否めず、「ヤラセ」感が拭えなかったのも事実だ。渋谷の街頭では若い女の子達がキャーキャー騒いでいたが、何となく「仕込み」のファンじゃないかと疑ってしまった。なぜなら、よく詐欺師が「サクラ」の客を集めて一般人から大金を巻き上げることがあるからだ。例えば、ペテン師が実際は500円の壺なのに、5万円とか50万円と吹っかけて、高級品と紹介する詐欺商法があるからだ。仕込み客が一斉に「安い!」と叫びながら、続々とその壺を購入すると、カモの一般客までが釣られて「私にも一つちょうだい!」と欲しがり、大金を渡してしまうことがある。フジテレビはこの手法を採っているのかも知れない。

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  日本のテレビ局が持て囃す朝鮮人男優とは異なり、アラン・ドロンは日本でも本当にファンが多かった。昭和の頃だと、フランス映画というのはハリウッド映画とひと味違っていて、人間関係を濃厚に描く深みに特徴があったし、何処となく物悲しいフィナーレで幕を閉じる作品が多かった。アメリカの恋愛映画などはハッピー・エンドがほとんどで、最初から結末が予想できるから安心というか単純なものであった。現在はフランスで制作されてもハリウッド映画みたいな作品が主流だから、フランス映画の独創性は皆無に等しく、フランス語を喋る役者が演じているだけの亜流フィルムといったことろだ。世界市場で売り込むためのグローバル商品と化したフランス映画なんて意味が無い。これなら英語が得意なフランス人は、米国へ行ってハリウッド・スターになった方が利口である。

Alain Delon Plein Soleil 2Alain Delon Plein Soleil 5Marie Laforet 3








(左と右: 映画でのアラン・ドロン  /  右:  マリー・ラフォレ)

  しかし、アラン・ドロンが出演したフランス映画には渋みがあった。彼の代表作である『太陽がいっぱい』は名作で、ハリウッドでもリメイク作品が制作されたほどだ。(筆者は子供の頃に本作を観て感動し、滅多に無いことだが、二、三回繰り返し観たことがある。) 粗筋を話すと以下の通り。貧しい青年のトム・リプリー(ドロン)は、大富豪の息子で友人のフィリップと一緒にヨットに乗り込んだ。しかし、ちょっとした口論でフィリップを殺してしまい、死んだ友人の体をロープで巻いて海に投げ捨ててしまう。すると、リプリーは裕福な「元友人」になりすまし、フィリップの恋人であったマルジュ(マリー・ラフォレ)まで自分の女にしてしまったのだ。まんまとフィリップにすり替わったリプリーは、浜辺で太陽を浴びながら幸福感に浸っていた。しかし、そこへ警察が現れたのである。運命の悪戯なのか、殺害したフィリップの遺体に巻いたロープが海中で船のスクリューに絡まっており、ヨットがマリーナに引き上げられた時、ロープの先に遺体が繋がっていたのだ。何も知らないリプリーは売店の女給に呼び出され、彼を待ち構える警官のもとへ向かうところでフィナーレとなる。観客だけが悲劇の逮捕を分かっているラストであった。

  ルネ・クレマン監督が手掛けた『太陽がいっぱい』は、1960年に公開された作品で、劇場でこの映画を観た日本人も多いだろう。たぶん、懐かしいと思う中高年の奥方もいるはずで、銀幕に映し出されるアラン・ドロンに見とれたという女性も多いんじゃないか。当時、彼の評判は相当なもので、フランスを代表する人気俳優であった。後に彼が来日すると、「サクラ」を用意しなくても本物のファンが殺到し、映画雑誌の『スクリーン』などは、ドロン氏の特集を組んだ程である。フランス国内では「演技力が今ひとつだ」と貶す批評家もいたが、日本人女性はそんな悪口に耳を貸さず、サングラスをかけ、くわえ煙草のハンサム男優にぞっこんで、眺めるだけでも充分だった。それに、彼が出演した作品はある程度成功し、人々の記憶に残る映画であったから、運の良い役者とも言えるだろう。例えば、チャールズ・ブロンソンと共演した『さらば友よ』とか『ボルサリーノ』、三船敏郎が共演者だった『レッド・サン』、ジャン・ギャバン(Jean Gabin)も出演した『地下室のメロディー』、レザー・スーツ姿のマリアンヌ・フェイスフル(Marianne E. Faithfull)が話題となった『あの胸にもう一度』などがある。

Charles Bronson 2Jean Gabin 1Alain Delon 12Marianne Faithfull 2







(左: チャールズ・ブロンソン  / ジャン・ギャギン  /  アラン・ドロン /  右: マリアンヌ・フェイスフル)

  筆者としてはジプシーの悲哀を描いた『ル・ジタン(Le Gitan)』を推薦したいが、日本では一般的に『サムライ』の方が有名だろう。この映画でドロン氏は寡黙で律儀な殺し屋のジェフ・コステロを演じていた。このキャラクターは、実在したギャングのフランク・コステロ(Frank Costello)をモデルにしたという。今のアクション・ドラマでは珍しいけど、主人公のジェフは無言のまま“いつもの”仕事に取りかかった。どんよりと曇った空からは雨が降りしきっている。トレンチコートを羽織って、中折帽(fedora)を被ったヒット・マンは、路上に駐めてある他人の車に乗り込む。銀幕には、雨が滴り落ちるフロント・ガラス越しに、ジェフの冷静な顔が映し出されているのだ。彼は懐から鍵の束を取り出し、一つ一つハンドルの鍵穴へと差し込む。何本か試すうちに偶然にもエンジンがかかった。彼はゆっくりとクルマを運転し、さびれた街角のガレージへと消えて行く。ジェフがクルマから降りると、そこにはいかがわしい男が待っていて、即座にナンバー・プレートを付け替える。ジェフは馴染みの「修理屋」から何枚かの書類を受け取り、代わりに札束を無言で手渡す。余計な事を一切言わず、ジェフはその盗難車に戻り、何事も無かったかのようにガレージを後にするのだ。

Alain Delon 8Alain Delon 4








  改めて自分の「所有物」となったクルマを運転するジェフは、ある建物へと向かっていた。彼が建物の玄関を通って、ある部屋を訪ねると、そこには女性の姿があった。彼を迎えたのは息を呑むほどの美女。すなわち、ジェフの情婦ジャーヌであった。彼は別の場所で「仕事(暗殺)」をするので、ジャーヌにアリバイを頼んでいたのである。とまぁ、ドロンは口数の少ない冷静な殺し屋を演じているから、女性じゃなくても観ている者は彼の虜になってしまう。この映画は「ノアール・ギャング・スリラー(Noir gangster thriller)」と評される作品で、フィルムが微妙に青暗くなっており、独特の雰囲気を醸しだしていた。低予算で作られる最近のTVドラマと比較すれば判るが、テレビで放送される刑事モノとかサスペンス劇場などは、電気屋で購入したビデオ・カメラで撮影された素人作品かと思ってしまう。子供の学芸会を親が録画するんなら解るが、いくら何でもプロの映画人が作ったドラマにしては貧弱すぎる。やはり、劇場で観る微かに暗い映像は格別である。しかも、どこか暗い影を秘める役者のドロンには、哀愁漂う暗殺者が良く似合っていたので、一層ドラマに磨きがかかっていた。

Renaud Verley 1Renaud Verley 3Nathalie Delon 4







(左: レノー・ヴェルレー  / 中央: 映画でのベッド・シーン /  右: ナタリー・ドロン )

  『サムライ』で注目すべきは、ジェフの情婦を演じていたナタリー・ドロン(Nathalie Delon)の存在である。彼女は実生活におけるアランの妻で、当時はまだ駆け出し女優だった。ナタリーが有名になったのは、翌年に制作された『個人教授(Le leçon particulière)』に出演してからだ。この映画は筆者にとっても思い出深い作品で、まだ小学生だったけど、フランス人の哀しい恋愛劇に魅了されたものである。当時、ニコール・クロワジール(Nicole Croisille)が歌う『Where Did Our Summers Go』に感激したので、EP盤のレコードを買って毎日聞いていた。(レコードの針から伝わる、ちょっとした「雑音」が実にいい。ジャズも澄み切った音のCDより、ノイズの入ったレコード盤の方が「味」があったりするから不思議である。) この挿入歌を気に入ったのは、映画の最終場面と絶妙にマッチしていたからである。

  ちょっと物語を話すと、主人公のオリヴィエ(ルノー・ヴェルレー)は年上の女性フレデリク(ナタリー)と親しくなり、肉体関係まで持ってしまうが、彼女には中年男性の恋人フォンタナがいたのだ。二人は喧嘩して一時的に別れていたが、フレデリクの心はまだフォンタナの許(もと)にあった。それを察知したオリヴィエは、彼女が住む建物を訪れて帰ろうとした時、フォンタナに電話を掛け、フレデリクの居場所を教えたのである。電話を切ったオリヴィエは建物から出て、外に駐めてあった電動自転車に跨がった。彼が不意にその建物を見上げると、部屋の窓越しにフレデリックが立っていて、無邪気に笑みを浮かべていたのだ。フレデリクは「またね!」という軽い「さよなら」を口にしていたが、オリヴィエの深刻な別れには気づいていなかった。何事も無かったかのように去り行くオリヴィエ姿が痛ましい。愛する女性を諦めた表情は、観ている者にとっても辛かった。このラスト・シーンにクロワジールの歌声が響き渡るんだから、誰でも胸が締め付けられるような気持ちになるだろう。

Nicole Croisille 2Renaud Verley 2Nathalie Delon 11








(左: ニコール・クロワジール  / 中央: 映画でのフレデリクとオリヴィエ  /  右: ナタリー・ドロン )

日本女性が憧れたフランス人の色男

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(写真   /  様々な時代のドロン)

  ハリウッド映画じゃないからメガ・ヒットにはならなかったが、『サムライ』は後の作品に影響を与えたそうで、ジョージ・クルーニーが孤高の殺し屋を演じた『ラスト・ターゲット(原題/ The American)』や、ライアン・ゴスリンがプロの逃がし屋に扮した『ドライヴ』などは、ジェフ・コステロをモデルにしていたそうだ。それにしても、なぜドロン演じる殺し屋が「サムライ」なのかいまいちピンとこないが、監督のジャン・ピエール・メルヴィル(Jean Pierre Melville)が大のサムライ・ファンで、様々な武具や刀のコレクションを持っていたからだという。フランス人の藝術家や知識人には、日本の武術や東洋の神秘に関心のある人がたまにいて、西洋の軍人とは本質的に違う日本の武人に興味を抱くそうだ。ただし、彼はユダヤ人で本名を「ジャン・ピエール・グランバック(Jean Pierre Grumbach)」というらしい。「メルヴィル」というラスト・ネームは、有名作家の「ハーマン・メルヴィル(Herman Melville)」から拝借したそうだ。

George Clooney 2Ryan Gosling 4








(左: ジョージ・クルーニー  / 右: ライアン・ゴスリン )

  日本贔屓のユダヤ人は他にもいて、日本でも人気のある作家のアンドレ・モロワ(André Maurois)はフランス系ユダヤ人で、本名は「エミール・サロモン・ウィルヘルム・ヘルツォーク(Émile Salomon Wilhelm Herzog)」である。ちなみに、『源氏物語』を英訳して話題になったアーサー・ウェイリー(Arthur Waley)もブリテン系ユダヤ人で、本名は「アーサー・デイヴィッド・シュロス(Arthur David Shloss)」という。さらに言えば、日本の合気道を米国で広めたハリウッド・スターのスティーヴン・セガール(Steven Seagal)もユダヤ人で、彼の父親がロシア系ユダヤ人であったらしい。元「メガデス」のギターリストであるマーティ・フリードマンは米国生まれだが、大学に入って日本語を勉強したらしく、我々と同じくらい流暢に日本語を話している。彼は日本に移り住んで活動を続けており、NHKの音楽番組では、世良公則と一緒に「銃爪(ひきがね)」を演奏していた。その時、あの有名なダグ・オードリッチ(Doug Aldrich)も参加していて、マーティーと共にリード・ギターを弾いていたから、何とも豪華な組み合わせだった。とにかく、一見すると西歐人に見える日本通でも、実はユダヤ人だったという場合が多い。やはり、歐米諸国で不可思議な異国に興味を持つのは、根無し草のコスモポリタンなのかも知れない。

Jean Pierre Melville 2Andre Maurois 2Arhtur Waley 1Marty Friedman 2








(左: ジャン・ピエール・メルヴィル  /  アンドレ・モロワ/ アーサー・ウェイリー / 右: マーティ・フリードマン )

  アラン・ドロンが出演した映画には、他にも興味深い作品があるけれど、彼の全盛期は1970年代までで、80年代に入ると、TVドラマくらいしか良いオファーがなかった。それでも、スターはスターで、何かと言えば話題にされるし、結構人気もあったから、日本のマツダと契約して「カペラ」の宣伝役となり、テレビ・コマーシャルにも出ていた。ハンサム男優は歳を取っても魅力的で女にモテる。ナタリーと別れても女優のロミー・シュナイダー(Romy Schneider)と付き合っていたし、1987年にはオランダ人モデルのロザリー・ブレメン(Rosalie Breemen)と結婚した。彼女との間には、娘のアヌースカ(Anouchka)と息子のアラン・フェビアン(Alain-Fabien)をもうけている。特に、アヌースカは溺愛しているようだ。まぁ、年を取ってからの娘だからしょうがない。

Romy Schneider 2Rosalie Van Breemen 3Anouchka Delon 3 1








(左: ロミー・シュナイダー  / ロザリー・ブレメン  /  アヌースカ・ドロン  /  右: アラン・フェビアン・ドロン)

  でも、アランにはもう一人箱入り娘がいるのだ。ナタリーとの間には息子のアンソニー(Anthony Delon)が生まれていて、彼にはアリソン・ル・ボルジ(Alysson Le Borges)という娘がいるので、アランにとっては孫娘になる。美しい娘と孫娘をもってアランには笑顔が絶えない。そりゃ、アリソンみたいな孫がいれば嬉しくなるのも当然だ。もし、アランが彼女を連れて街中でも歩けば、事情を知らない他人が、「アランの奴、また愛人でも作ったのか? それにしても、今度の女は随分と若いんじゃないか」と呆れるだろう。色男だと60歳や70歳になっても、若い娘が近寄ってくるから、本当に羨ましい。ただ、彼の家族を見て思うのは、女房を選ぶ時にはその人種や民族に配慮すべき、ということだ。

Anouchka Delon 2Alyson Le Borges 7








(左: 父のアランと娘のアヌースカ   /   右: 孫娘のアリソン・ル・ボルジ )

  もし、アランが歌手のドナ・サマー(Donna Summer)やジャネット・ジャクソン(Jannet Jackson)、女優のガボレイ・シディベ(Gabourey Sidibe)やオクタヴィア・スペンサー(Octavia Spencer)などと結婚したら、アンソニーのような息子は生まれないし、アリソンのような孫娘さえ望めないだろう。エルビス・プレスリーの孫娘として有名なライリー・キーオ(Riley Keough)だって、母親のリサ・マリーがマイケル・ジャクソンの精子で産んでいたら、あんな容姿にはならない。自分と同じ種族に生まれた子供や孫に囲まれたアラン・ドロンが、中東アジアや北アフリカの移民を歓迎しないのも当然だ。

Alyson Le Borges 5Riley Keough 8Octavia Spencer 2Gabourey Sidibe 3








(左: アリソン・ル・ボルジ  /  ライリー・キーオ  /  オクタヴィア・スペンサー /  右: ガボレイ・シディベ )

  かつてアラン・ドロンに夢中になった日本のご婦人たちも、結構な年齢になっているだろうが、それでもドロンの映画をDVDで再び観賞すれば、若い頃の情熱が蘇ってくるかも知れない。たぶん、本棚か押し入れに所蔵する映画のパンフレットなんかを取り出して、アラン・ドロンの写真を眺めたりするんじゃないか。映画好きの奥様達がデニーズなどに集まって、昔話に花を咲かせたら、あっと言う間に時間が過ぎてしまうだろう。一旦、中高年のオバちゃんたちが井戸端会議を始めると、何時間でも居坐り続けるから、支店長は困ってしまうけど、彼女たちはお構いなしだ。

  ケーキやパイを頬張りながら、「あぁ~、私もアラン・ドロンみたいな相手と結婚していたらなぁ~」と歎く。

  すると、そばにいる「元」お嬢様が「うちの亭主ときたら、定年退職してから、いつも家でゴロゴロしているんだから、もう嫌になっちゃう」と愚痴をこぼす。

  それに対し、プリンを食べる友人が「そうよねぇ~。まったく邪魔なんだから。どっか行ってくれないかしら」と相槌を打つ。さらに追い打ちを掛けるように、もう一人のオバちゃんが、「やっぱり、男はハンサムでなきゃ。私も生まれ変わったら、二枚目と一緒になりたいなぁ」と溜息をつく。そして、「いい男がいたら、うちの旦那を捨てて、一緒にドロン”しちゃうかも!」と駄洒落を交えて現実不可能な夢を語り出す。

  日本のオバタリアンはロマンチストというか、図太い精神の持ち主というか、世界一タフな生き物である。こんな雑談がお開きになるのは、「あっ、ワンちゃんの散歩の時間だわ。もう帰らなくっちゃ!」というのが切っ掛けなんだから。そんな時、「旦那の夕飯は?」と聞きたくなるが、「冷凍庫にチャーハンがあるから!」という解答があるかも知れないので、何となく怖くなる。「俺もアラン・ドロンに生まれたかったなぁ」という亭主の小さなつぶやきが、やけに寂しい。
  


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