無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

歴史問題

レーニンの命を狙った兇弾 / 個人の独立を奪う銃規制

国民から武器と抵抗を奪え !

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(左 : 米国にあるミリシアの彫像  /  右 : アメリカの民兵組織)

  日本人が独立の精神を失ってから久しい。昔の日本には武士がいて、外国人に屈服しない根性があった。しかし、大東亜戦争で敗北を喫した日本人は、国家の命運すらをアメリカに丸投げし、邦人救出も放棄する卑劣な民族に成り下がってしまった。特に、法学部を出た若者は屁理屈だけは一丁前だが、実際の政治となれば稚児に等しい。だいたい、“仕置き”の「詫び状」を「平和憲法」と崇め、「もし廃止すれば大変なことになる」と思っているんだから呆れてしまうじゃないか。高等教育を受けた愚者は他にも大勢いて、内閣法制局長官の憲法解釈を拝聴する政治家や知識人は救いようがない。あんな役人が口にする「解釈」が、そんなに重要なのか?

  昔、『ブッシュマン』という映画が上映され、滑稽なシーンが遭ったのを覚えている。原始的生活を営むブッシュマンは、西歐人がセスナから投げ捨てた空き瓶を見つけて「何だろう?」と不思議がる。村のみんなは、天空から降ってきた透明な物体に興味津々。瓶を前にしての討論が始まる。そして、ある者は指を瓶の口に挿入するし、別の者は瓶を磨いて宝物扱い。村の女達は、丁度いいと思ったのか、穀物を潰すための道具にしていた。日本人はこうした黒い裸族を見てゲラゲラ笑うが、マッカーサー憲法を不磨の大典とする進歩的知識人はこれと同じだ。ちょっと頭のいいアメリカ人からすれば、日本の大学教授や新聞の論説委員なんて南洋土人ていど。「日本国憲法」といっても、所詮は便所紙に記した「御触書」なのに、未開部族の日本人は有り難がっている。

  日本人が腑抜けになった原因は色々と考えられるが、軍隊を放棄したことは、かなりの痛手であった。なぜなら、日本人は自分の家族や同胞を自分で守らず、銭を払って他国に任せているからだ。大抵の日本人が「アンタは奴隷と同じ」とか、「奴隷根性の属州民だ」と聞けば、すかさず「俺は違うぞ !」と反撥する。しかし、自分の運命や生命を他人に預けているということは、明日どんなことをされるのか分からない、ということだ。来週、あるいは来月、自分がどうなっているのかは、御主人様(奴隷の保有者)の胸先三寸で決まってしまうから、普通ならば不安で堪らないだろう。でも、そんなことを真剣に考えていると、毎日が辛くなるので、一般の日本人は無意識的に考えないようにしている。

  これとは対照的に、独立した自由人は、闘いにおいて悲惨な目に遭っても、自分で選択したという誇りがある。たとえ、敵国との戦闘や外政交渉で劣勢になっても、脳漿を振り絞って何とか打開しようとするだろう。なぜなら、反撃を諦めて死ぬことや、敵に屈服して隷属することは、いとも簡単な解決法であるからだ。しかし、現在の日本人は、独立を「苦痛」と考えているから、屈辱を嘗めても平穏な日々を選ぶ。「命が第一」と教えられた民族は、戦争を自然災害のように考え、如何なる惨状を体験しても「しょうがないよなぁ~」と嘆くだけ。これなら、「インティファーダ(Intifada / 投石暴動・抵抗闘争)」に奔走するパレスチナ人のほうが、よっぽどマシである。

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(左 : 米国の海兵隊  /  右 : 日本の自衛隊 )

  日本国内で暢気に暮らしていると、国家の安全保障などは考えずに済むけど、外国で暮らしてみると、ふと「日本は異常だよなぁ~」と思うことがある。これは筆者が米国にいた時に見た夢の話なんだが、筆者がある退役曹長(海兵隊)に射撃を教えてもらっていた時のことだ。練習が終わって銃の手入れをしていた時、何となく「日本人、とりわけ自衛官は何を守るために戦うつもりなのか?」と素朴な疑問が湧いてきた。普通、狙撃を習っている人は、如何にして標的を射止めるかに夢中となる。しかし、相手も撃ち返してくるので、現実的には危険な状態を想定しなければならない。映画では主人公は最後まで生き延びてヒーローになるが、実戦ではベテラン兵も死角からRPG(擲弾砲)を撃ち込まれて吹き飛ばされたり、“お陀仏”になるという場合もある。

  だから、士卒は必死で訓練に励むし、何としても生き延びたいという本能的も研ぎ澄まされる。これは快適な教室で国際関係論とか戦略論を勉強している青瓢箪(あおびょうたん)には解らない。戦闘を真剣に学ぶ者は、自分の腕が切り落とされても、相手の急所を攻撃して仕留めようとする。実戦ではマニュアル通りにいかないし、作戦計画だって瞬時に白紙となってしまうことも多い。例えば、2011年、アフガニスタンのカブールで、米軍のヘリ「CH47D Chinook」がRPGで撃墜されてことがある。このヘリコプターには、Navy SEALs以外にも、陸軍や空軍の戦闘員も乗っており、31名が一瞬で死んでしまったのだ。現地の司令部は「まさか!」と驚いたが、悲劇の詳細は次第に明らかとなった。いくら、特殊部隊の精鋭でも、移動中のヘリを狙われれば、ひとたまりもない。ムジャヒディーン(Mujahideen)の奇襲は予想以上に恐ろしかった。

  我が国の自衛隊は厳しい訓練を積んでいるが、悲惨な結果を招く実際の戦闘は無い。警察よりも安全な軍隊なんておかしいけど、これが日本の現実だ。ただし、平時であっても、「自分の命をを懸けて守りたい祖国とは何なのか?」と考えておくべきだろう。一票乞食が赴く人民選挙だと、「どの候補者にも魅力は無いけど、まぁ、立憲民主党じゃマズいから自民党に入れとくか!」となる。しかし、自分の身体や家族の運命が懸かっていれば、そういった気楽な「選択」はできまい。宇宙人の鳩山由紀夫や北鮮の菅直人が首相になっても割と平気なのは、日本人に「当事者意識」が無いからだ。「誰が最高司令官になっても、自分の生活は変わらない」と思っていれば、政治に無関心でも当然だ。

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(写真  / 合衆国海兵隊の狙撃手 )

  ちょっと脱線するけど、アメリカで生活していると、日本人とは違った英語の言葉遣いに気づく。例えば、日本人はライフルに装着する消音器を「サイレンサー(silencer)」と呼ぶが、アメリカでは「サプレッサー(suppressor)」と呼ぶ人が多い。二つの名称に本質的な違いは無いんだけど、「サプレッサー」の方が、弾丸を発射した時に銃口から出る光を防ぐ、という意味合いが強い。また、日本人は「Beretta 92FS」や「Beretta 92A1」といった拳銃を手にした時、「ベレッタ」と呼んでしまうが、普通のアメリカ人だと「ブレッタ」に近い発音となる。(ちなみに、ベレッタM9シリーズは合衆国陸軍で採用されたので、結構人気の高い拳銃となっている。が、数年前、陸軍は公式採用拳銃を「ベレッタ」から「シグザウエル / Sig Sauer M17」に変えたそうだ。) 

  筆者が夢から覚めた時、ふと思ったのは、やはり銃(武器)の所持が個人の独立心と気概を保っているのかも知れない、ということであった。ArmaLite社のM16やHeckler & Koch社のHK416ライフルでもいいけど、5.56 x 45mm NATO弾とか7.62 x 51mm NATO弾をアサルト・ライフルに装填して射撃を行えば、多少は、戦闘の恐ろしさと訓練の重要さを知ることができる。最初はフル・オート射撃の振動や反動に驚く人もいるが、左翼教授の講義だけでは知り得ない「現実」を知ることができるし、実際の武器に触れるのも貴重な体験である。大学生の中には拒絶反応を示す人もいるだろうが、別の人はこうした別世界を実感することで、今までの平和教育や人権思想に疑問を抱くようになる。

  確かに、アメリカでは銃による犯罪や事故、さらに銃の氾濫による社会的不安も多い。それでも、保守派のアメリカ人が銃規制に抵抗するのは、「自分の身は自分で守る」という原則を貫きたいからだ。近年、合法・非合法の移民や難民が増えたから、都市部や遠隔地に住む中流階級の白人も、警察だけでは心許ないと思い始めている。何しろ、不審者が敷地に侵入したから警察に連絡しても、パトカーが到着するまでには何十分もかかってしまうから、一家の大黒柱は「ライフルか拳銃を一丁くらい持っておかなきゃ!」と考えても不思議じゃない。実際、ギャングやゴロツキによる殺人・強姦・掠奪が年々増えているから当然だ。例えば、南米からの不法移民は、襲撃しやすい高齢者世帯を狙うし、道端で見つけた「白い肉」を攫うこともある。我々には信じられないけど、ヒスパニックの犯罪者だと、老婆を強姦する変態もいるらしい。だから、実家を離れて暮らす息子や娘は、高齢の両親が襲われるかも、と不安になる。また、若い白人女性は格好の標的となるので、掠奪・強姦されないために拳銃を携帯する女性もいるそうだ。

  「刀狩り」の伝統が強い日本と違って、米国では自存自衛が主流だ。合衆国憲法修正第二条は武器の所有権を保障しているから、一般のアメリカ人でも気軽にウォルマートなどで武器を購入することができるきる。何しろ、独立戦争以前からアメリカにはミリシア(民兵)が存在するし、大学でROTC(Reserve Officer Training Corps / 予備役プログラム)に入る学生もいるくらいだから、重火器に対する拒絶感は日本人よりも少ない。とりわけ、南部や中西部の田舎だと、中学生の少女でも自衛本能が強く、父親と一緒に射撃場に赴いたりする。まるで、サマー・キャンプのイベントみたいに、女子高生がグロックやベレッタの拳銃を撃ったり、自前のAR15ライフルを持ち込んだりしているから、普通の日本人が見ればギョッとするはずだ。日本人の親からすれば、「危険なことには近づかない」というのが鉄則だから、小学生の娘が拳銃をぶっ放しているなんて想像できない。ところが、アメリカ人の親だと記念写真を撮ったりするから、平和教育を受けた日本人とは大違いだ。

レーニン暗殺未遂事件

Lenin 00321( 左 / ウラジミール・レーニン )
  厳しい銃規制を持つ日本人が「あれっ!!」と驚くのは、共産主義時代のロシアで銃規制があったことだ。今だと、気晴らしに銃をぶっ放すロシア人なんて珍しくもないが、ロシアで革命を成功させたウラジミール・レーニンは、人民から武器を取り上げ、政権安定のために反抗の芽を予め摘んでいた。というのも、ロマノフ王朝を倒したからといって、直ぐボルシェビキの天下となった訳じゃないからだ。案の定、1918年の春には内戦が勃発する。そこで、中央委員会は1918年4月1日に銃規制の法案を可決し、4月3日にはその修正案が通過し、銃の所持は許認可制となった。(Alan Zelman and Richard W. Stevens, Death by “Gun Control” : The Human Cost of Victim Disarmament, Hartford, WI : Mazel Freedom Press, 2001, p.160.)

  この銃規制では、武器を所有する者は、チェカ(Cheka / 秘密警察)が発行する許可証を取得しなければならない。1918年8月17日の法令では、党の中央委員会による新たな証明書が必要となり、武器の所有者は「同志(Comrade)」あるいは「党のメンバー」と認識されたそうである。つまり、銃を持っている同志は、地方委員会に登録されている仲間でなければならない、ということだ。ボルシェビキの幹部どもは、徹底した銃の押収に取り組み、武器を隠匿する者や押収に反対する者は、1年から10年の懲役刑になったそうだ。(上掲書、 p.163.) 12月10日に発布された法令により、返上されていない銃や使い物にならない銃を見つけた者には、政府から報奨金が与えられたという。また、違法な機関銃を見つけた者は、二倍の報奨金が貰えたそうだ。

Fanny Kaplan 001(左  / ファニー・カプラン )
  しかし、暴力革命で誕生した国家には、暴力という妖怪が取り憑いている。ボルシェビキの連中がいくら銃規制を厳しくしようとも、総ての同志が共産党に従順という訳ではない。レーニンやトロツキー達のクーデタに不満な者はあちこちに居て、その中の一人にファニー・カプラン(Fanny Efimovna Kaplan)という女性だがいた。彼女は大胆不敵にもレーニンの暗殺を謀ったのだ。1918年8月30日、レーニンはモスクワで工場労働者の前で演説を行った。スピーチが終わって会場を後にしたレーニンは、待っていた車に乗り込もうとするが、パン不足を訴えるカプランに呼び止められたという。群衆の中で声を上げるカプランは、隠し持っていたブローニング(拳銃)を取り出し、銃弾を三発、レーニンへぶち込んだ。最初の弾丸はレーニンの外套を擦(かす)るだけであったが、二発目は肩に当たり、三発目は左の胸に命中してしまった。(Martin Sixsmith, ‘Fanny Kaplan's Attempt to Kill Lenin’, in Tony Brenton, ed, Was Revolution Inevitable? : Turning Points of the Russian Revolution, Oxford : Oxford University Press, p.179.)

  不意を突かれたレーニンは、その場で意識を失い、瀕死の重体に陥ったらしい。レーニンの状態はかなり深刻であったが、党の要人は政権の安定を優先したので、レーニンの負傷はそれほど酷くない、というプロパガンダを発表した。真実を隠蔽する党の機関紙『プラウダ』も、お得意の偽情報を流す。レーニンは二発喰らったが、翌日には新聞を読み、世界革命の運動を指導していた、と報じたのである。しかし、現実は奇蹟の復活とは程遠く、呼吸するのも困難な状態だ。この後遺症はやがて心臓発作へと繋がって行く。それでも、悪い奴は結構しぶとく、レーニンはその後六年間も長生きした。この独裁者が死亡したのは1924年1月21日である。

  一方、現行犯で捕まったファニー・カプランは、札付きの社会主義者で、武闘派のユダヤ人ときている。一般的に知られる「Fanya Kaplan」という名前は革命用の偽名で、本名は「Feyga Chaimovna Roitblat」。当時でも、ウクライナ出身のユダヤ人極左なんて珍しくもないが、カプランは10代の頃から過激派であったというから凄い。さすが、極左思想に染まったユダヤ人は人並み外れている。彼女は16歳の時、アナーキストのヴィクトール・ガースキー(Viktor Garsky)に惚れてしまい、一緒にテロ活動をする間柄になったという。二人はツァーリ(皇帝)の支配を打倒すべく、ホテルの一室で爆弾を用意していた。ところが、何を間違ったのか、その爆弾を床に落としてしまい、即座に大爆発。ヴィクトールの方は無傷であったが、ファニーの方は爆発で顔や腕に重傷を負ってしまった。ヴィクトールは大騒ぎになった現場から逃走するが、負傷したファニーは目をやられてしまい、ほとんど見えない状態になってしまった。こうして、置き去りにされたファニーは現行犯逮捕。

  1907年1月5日、お縄になったファニーは裁判で死刑を宣告される。しかし、まだ若かったので減刑されることに。ただし、命拾いをしたとはいえ、シベリアにある強制労働所に送られたから、彼女の運命は苛酷である。マルツェフ収容所にぶち込まれたファニーは、丸裸にされ、容赦なく鞭で引っ叩かれた。(上掲書、p 181.) ロシア人の仕置きだから想像しただけでもゾッとするが、彼女の体には未だ爆風の破片が残っていたから、傷口に塩を擦り込むというより、塩酸を流し込むといった懲罰である。しかも、爆発のせいで半分耳が聞こえなかったし、視力もほとんど無かったというから、正しく生き地獄としか言い様がない。

  ところが、運命の女神は時たま悪女に微笑む。1917年、帝政ロシアでは二月革命が勃発し、ロマノフ王朝の最期となる。王侯貴族には悪夢のような衝撃だが、無政府主義者や社会主義者にとっては喜ばしい朗報だ。暫定政府のアレクサンドル・ケレンスキー(Alexander Kerensky)は、投獄された革命家や政治犯を釈放したので、ファニー・カプランも一緒にシャバに戻る事ができた。と言っても、筋金入りのユダヤ人極左が反省してカタギの生活に落ち着くことはない。社会主義の理想に燃えるカプランは、人民の同意を得ずに権力を握ったレーニンを心底憎む。(上掲書、p.185.) それゆえ、レーニンを「裏切者」呼ばわりするファニーは、拳銃を懐に忍ばせ、レーニンを弾(ハジ)こうとする。だが、この暗殺者は失敗した。犯行時のカプランは眼鏡を掛けていなかったので、ほとんど標的を見えていなかった。それでも、弾を胸に当てたんだから、何とも凄い。さすが、ユダヤ人は犯罪の優等生だ。

  とにかく、カプランの人生は悲惨である。せっかく強制労働所から釈放されたのに、またもや牢獄送りとなったんだから。ルビヤンカでの尋問は凄惨の一言に尽きる。残忍を絵に描いたチェカの連中が、「共犯者を吐け!」と拷問を繰り返したんだから、ゴジラだって泣いてしまうだろう。最終的にファニーは口を割り、クルスキーやスクリプニク、ディアコノフの名前を吐いた。こうなりゃ、後は処刑されるだけ。酷い拷問を受け、ファニーの顔面は色褪せ、彼女の人相は、「如何にもユダヤ人らしく、醜い顔つき」であったらしい。(上掲書、p.190.) 1918年9月3日、ついに彼女の人生は幕を閉じる。ファニー・カプランは地下室のガレージに連れ出され、後頭部を拳銃で撃ち抜かれたそうだ。この死刑には何の裁判も判決も無かったという。

  ロシア人民の叛逆を懼れたレーニンは、「同志」であるはずのプロレタリア国民から武器を取り上げた。しかし、革命の前、レーニンは武装蜂起を民衆に呼びかけていたのだ。武闘派のコミュニストにとって、資本家やブルジョワ商人、地主階級、帝政支持派などは「人間」ですらない。「革命の敵」は徹底的に滅ぼすのが鉄則だ。共産主義者のモットーに忠実なレーニンは、「便利なアホ」でしかない民衆に向かって、次のように叫ぶ。

  我々にはどんなミリシア(民兵)が必要なのか? 働く者総て、プロレタリアなのか? 生粋の人民によるミリシアだ。例えば、第一に、総ての成人国民、すなわち男女の人民から成る民兵。次に、人民軍の機能や警察の機能、ならびに社会秩序と行政組織を兼ね備えたミリシアだ。(Vladimir I. Lenin, ‘Letters from Afar : Third Letter Concerning a Proletarian Militia, on March 11(24), 1917’, in V.I.Lenin Collected Works, Volume 23, August 1916 - March 1917, Moscow : Progress Publishers, pp.327-328.)

  いやぁぁ~、共産主義者って、昔から二枚舌というか、都合によって言論を変えるよねぇ~。モスクワ本店の命令に従う「日本共産党」も同じで、選挙の時には「民主主義」とか「平和憲法」を口にするが、一旦、政権を握れば一党独裁政権に豹変する。刃向かう奴らは皆殺し。自衛隊は違憲だが、人民を弾圧する赤軍はOK。おそらく、不破哲三や志位和夫は詐欺に遭って激昂する民衆に向かって、「騙される方が悪いんだ !」と言い放つだろう。共産党の幹部にとって、民衆なんか使い捨ての道具に過ぎない。もし、共産党政権が誕生すれば、日本の労働者はもっと貧しくなり、“搾取”されるだけの家畜となるだろう。いくらプロレタリア独裁の理想社会になっても、みんなが等しく貧乏になれば、「格差社会の方が良かった」と嘆く人も出てくるんじゃないか。

  まぁ、現代の日本では、昔風の共産主義は到来しないだろう。しかし、別の形で息苦しい世の中になる可能性がある。目に見えない全体主義というのは恐ろしいけど、丸腰の民衆は現体制に服従するしかない。封建制を棄てた日本人は、核となる指導者(藩主)を持たないし、抵抗するだけの気力も無いから、選択肢の無い選挙を繰り返すのみ。現在の日本人は自分の命を懸けて守る「祖国」を持たないし、自己犠牲の意味すら理解できない。自分の家族なら真剣に考えるが、漠然とした国家になると他人事になってしまうのだ。

  ところが、支那人や朝鮮人は着実に我が国を乗っ取ろうと謀っている。豊富な資金を有する華僑は、緊縮財政や武漢ウイルスで疲弊した日本に上陸し、赤字経営に傾いた老舗企業を買収し、美しい観光地を買い漁っているそうだ。それでも、普通の日本国民は黙っている。国民国家や民族主義を「右翼用語」と思っている日本人は、近所にアジア人が増え出すことで、初めて異変に気づく。だが、小学校や職場で帰化人や混血児が増えても、ただ困惑するのみで、排斥運動や抗議活動に参加することはない。せいぜい出来るのは、別の場所に引っ越しをすることだけ。高額所得者は僻地に逃れて、要塞化された高級住宅地に閉じこもる。日本各地に支那人街や朝鮮コミュニティー、リトル・ハノイ、埼玉クルドスタン、ネオ・パキスタンなどが誕生すれば、日本は極東アジアに存在するメルティング・ポットになってしまうだろう。バラバラな個人が集まるだけのモザイク国家なんて冗談じゃない。

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(左 : ブリテンのパキスタン系住民  /  右 : オーストラリアのアジア系住民)

  独立の気概と尚武の精神を失った国民には、情けない未来と隷属の生活しかない。フィリピン人を見れば判るけど、属州民というのは、たとえ幾らかの小銭を持っていても、所詮、二流、三流の下人である。将来の日本で、多少、まともな保守主義が残っていても、守るべき祖国がアジア人との混淆社会じゃ厭になってくる。第一、日系人は何を守るべきなのか解っていないのだ。いくら日本各地に神社が残っていても、初詣や夏祭りにやって来る住民が、アジア人や混血児だらけなら、日本文化の維持なんて意味が無い。「日の丸」が国旗で、「君が代」が国歌でも、唄っているのがベトナム系や帰化鮮人の子供じゃ気分が落ち込むし、多民族社会の到来ということで、北京語バージョンの「君が代」が普通になったから、日本の国歌じゃないだろう。また、国防意識も低下するはず。だいたい、在日華僑のような政治家や、パチンコ屋の朝鮮人を守るために、自分の手足を失ってもいいと思う日系人は居るのか?

  日本人が勇敢に戦うのは、同じ民族を守る時だ。すなわち、自分の祖父母や曾祖父と同じ日本人の血を共有する仲間を救う場合である。日本共産党は未だに共産主義の幻想に縋っているが、皇室破壊を目標とする党員の何割が、自分の命を捧げて暴力革命に馳せ参じるのか? レーニン全集を読んだこともない若い党員じゃ無理だろう。何しろ、令和の共産党員ときたら、レーニンの演説には興味が無く、「ユーミンのアルバムなら全部持っているだけど・・・」と答えてしまうんだから。「ブハーリン」と聞いて「パンク・バンドか?」と聞き返す民青メンバーなんてコミュニストじゃない。白髪のベテラン党員は、押し入れからゲバ棒やヘルメットを取り出し、昔を懐かしみながら涙を流すかも知れないぞ。
 
  

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(左 : インドネシアを支配していたオランダ人  /  右 : アフリカのピグミー族を紹介する西歐白人)

日本人はカルト宗教の信者となっているのか、毎年毎年、飽きもせず八月になると「反戦・平和」の念仏を唱え、大東亜戦争でアジアに迷惑をかけたと反省している。しかし、保守派の一般人と評論家は左翼の自虐史観に反撥し、「そんなことはない ! 日本は侵掠国家でも犯罪国家でもないんだ ! 」と反論する。確かに、軍の上層部は愚かだったけど、末端の兵卒は愛国心に燃え、死に物狂いで戦っていたから、「戦争犯罪人」と言われれば腹が立つ。そこで、保守派の言論人は大東亜戦争の一面を評価し、「日本は対米戦争で負けたけど、我々が戦ったことでアジアの植民地は西歐列強の軛(くびき)から解放され、戦後、続々と独立できたのだ」と主張し始めた。

  こうした大東亜戦争肯定論は林房雄の著書で囁かれていたが、復活したのは渡部昇一先生の功績が大きい。昭和の末から平成にかけて、渡部先生の『日本史から見た日本人 / 昭和編』や『かくて昭和史は甦る』は大ヒット。左翼史観でガッカリしていた若い世代は、渡部先生の著作を貪るように読んでいた。獨協大学の故・中村粲先生と同じく、渡部先生が大東亜戦争の一面を評価したのは、それまでの歴史家があまりにも我が国の軍隊を侮辱していたからで、日本の敗戦を誤魔化すためではない。日本国民が大東亜戦争の本質を知る上で、我々の目を曇らせたのは、深田祐介が文藝春秋社から出した『黎明の世紀』(1991年)だ。深田氏はアジア諸国の指導者を東京に集めた昭和18年の「大東亜会議」を高く評価していた。しかし、この国際会議は対米戦争が始まってから招集されたもので、当初からある戦争目的ではない。むしろ、亡国政策を正当化するためのカモフラージュと考えた方が適切である。

  深田氏は大東亜会議は傀儡政権の代表を集めた茶番劇に非ず、と述べていたが、東條英機首相の本音を覗いてみると、言行不一致に思えてくる。例えば、東條は日本の影響下に入るアジア諸国を“内面指導”で発展させ、全体を“満洲化”しようと思っていたのだ。(『黎明の世紀』, p79-81.参照。) 昭和17年には「大東亜省」の設置を巡り、東條首相と東郷茂徳外相の間で大論争が起こり、東郷外相はこうした措置を日本からの内政干渉と見なし、相手国に不快感を与えかねないと危惧していた。なるほど、我が国はインドやタイ、ビルマ、フィリピンなどを西歐列強の植民地支配から解放しようと考えたのであろうが、その「善意」の下には陸軍による管理体制が潜んでいた。現在の高校生でも呆れてしまうが、小磯内閣は昭和20年3月になっても、まだ嘘くさい「悠久の大義」とやらを信じ、最高戦争指導会議で「第二回大東亜会議を四月中旬に行う」と考えていたのだ。昭和20年3月といえば、日本各地で庶民が空爆の被害に苦しみ、焼け野原で唖然としていた時期じゃないか。それなのに、「第二回の会議を開催」なんて、もうアホ丸出しである。

  それはともかく、役所が指導する行政と言えば、昭和時代、すなわち「護送船団方式」全盛時代を知っている世代なら、「厭だねぇ~」と解るはずだ。特に、銀行員ならピンとくるんじゃないか。大蔵省は何の法的拘束力も無い「通達」を銀行に送って、“それとなく”各銀行を動かしていた。令和の大学生なら、「こんな紙切れ、ポイっと捨てちゃえば !」と言ってしまうが、お役人様の“さじ加減”怯えていた銀行員に、そんなマネは出来ない。天皇陛下からの「綸旨」みたいに、恭しく頂戴するのが普通だった。軍官僚の東條首相にしたら、日本は家父長で、アジア諸国は養子か後輩みたいなものだから、「内面指導」なんか当たり前。今だって財務官僚は、国税職員を引き連れて民間企業を脅しているんだから。

  まぁ、深田氏の肯定論などはまだ無邪気なもので、悪質なのは「保守派」を装う西尾幹二の方だ。『正論』や『諸君 !』、『Voice』で活躍していた頃から、西尾氏は歐米諸国の帝国主義を糾弾し、白人によるアジア支配を呪っていた。西尾氏はニーチェの研究家を気取っていたが、中央公論社から出した主著『ニーチェ』は哲学書ではなく、単なる評伝といった類いの代物で、本棚の奥に隠れている印刷物に過ぎない。筆者が前々から不思議だったのは、あれほど白人を非難する西尾氏が、一体どんな願望でドイツ留学を希望し、現地の教授や学生らと交流していたのか、である。というのも、筆者は学生時代、渡部昇一先生が出版した『ドイツ留学記』(上/下巻)を購入し、夢中になって読んだことがある。先生が経験したドイツでの生活や現地人との交流はとても魅力的だった。

Nishio Kanji 1(左  /  西尾幹二)
  ところが、西尾氏は自分のドイツ留学の体験をほとんど述べず、明かしたのは、せいぜいバイエルン州立図書館で古い書物や雑誌をコピーしたというエピソードくらい。約二年間ほど留学していたのに、この白人嫌いの大学教授は留学先の大学名も公表せず、友人や地元民との接触すら話したことは無かった。西尾氏はドイツの大学に留学してもゲルマン人とは交際せず、話し相手はもっぱらトルコ人やエジプト人の学生とか、ギリシア系やポーランド系の帰化人ばかりだったのか? ドイツの哲学を専攻し、ドイツ人教授のもとで勉強したのであれば、少しくらい当時の想い出とか、ハプニングや失敗談などをチャンネル桜で披露してもいいんじゃないか。渡部先生はテレビの対談番組や雑誌の座談会などでも、恩師との交流や貴族の館に招かれた話などを紹介していたぞ。西尾氏もチャンネル桜の対談番組に出演し、充分な時間があったはずだが、熱心に語るのは白人による虐待とか人種差別ばかりで、留学時代の楽しかったエピソードや、ドイツ人と交わした会話、食事や自宅に招かれた時の体験談などは皆無。まさか、「独り部屋に籠もって、ずっと勉強」という事はないだろう。

  今年、小池百合子は前々から疑われていたカイロ大学時代を暴露され、『女帝』を呼んだ日本人の多くが唖然とした。小池都知事とその父、勇二郎の面倒を見た朝堂院大覚(松浦良右)によれば、小池百合子のアラビア語は素人以下で、とても通訳になる程の腕じゃなかったそうだ。でも、竹村健一のアシスタントをしていた頃は、「カイロ大学を首席で卒業した才女」という触れ込みで、周りの関係者は語学の達人と思っていた。一応、小池百合子はアラビア語を話せるが、それは庶民のお喋り程度。とても学術論文を書ける能力じゃない。では、西尾幹二はどのくらいドイツ語が達者で、ゲルマン系のドイツ人と“どんな”交友関係を持っていたのか?

  語学能力はともかく、西尾氏は心の底から西歐の白人が嫌いなようだ。彼はアメリカ人の人種差別には殊のほか敏感で、人種差別と闘った日本を肯定し、大東亜戦争の大義は正しかったと思っている。ベストセラーになった『国民の歴史』でもアメリカ白人を非難し、日系移民に対する排日法を槍玉に挙げていたが、この吊し上げは一方的である。そもそも、なぜ日本人は「出稼ぎ先」としてアメリカを選んだのか? 明治の日本人だって、アメリカ合衆国が黒人奴隷を持ち、有色人種への差別に満ちていると知っていたはずだ。それなのに、自分から進んで渡米しようなんて馬鹿げている。でも、当時の日本人は精神異常者ではない。例えば、もし、家政婦として働く中年女性が、高い給料を貰えるからといって暴力団組長の自宅を選んだから、我々はどう思うのか? 一部の日本人は「愚かなバアさんだ」とせせら笑うが、別の人々は「きっと、その組長は筋道を通す昔気質の任侠なのかも・・・」と思うだろう。ただし、この家政婦が怖い組員と接触して怖い目に遭ったり、拳銃の流れ弾に当たっても、我々は「自業自得だ」と言い放ち、さほど同情することはない。世の中には高い給料だが危険な職業と安い給料だが安全な仕事がある。選ぶのは本人次第。米国の人種差別が厭なら、支那人が大勢いる満洲へ行けばいいじゃないか。

  西尾氏とは違い、出稼ぎ人となった日系1世は、アメリカを素晴らしい国と考え、希望を抱いていた。彼らの中には、日本での下らない仕事に愛想を尽かし、アメリカで一旗揚げようと考える者もいたらしい。西尾幹二や高山正之に扇動された日本人は、アメリカを差別大国と侮蔑し、白人天下の国と罵っていたが、アメリカへ渡って未来を開拓しようと考えていた日系1世は、彼らなりの夢や志(こころざし)を持っていた。例えば、「アイ・ミヤザキ」という女性は、女学校を卒業し、小学校の教師になったが、結婚相手には巡査のような下っ端じゃなく、軍の将校とか医者との結婚を望んでいたそうだ。彼女はこう述べていた。

  夫について私の理想は大変高かったので、日本では希望がかなえられず、アメリカに行くことを決心しました。自由で、大きな国に行き、私が助け、一緒に働くことのできる連れ合いを見つけたかったのです。(アイリーン・スナダ・サラソーン編 『The一世 パイオニアの肖像』 南条俊二 訳、読売新聞社、1991年p.48.)

  「タカエ(高枝)・ワシズ」という女性は、九人兄弟の貧しい農家に生まれ、畑で母や叔母の手伝いをしていたそうだ。彼女は渡米の理由をこう語っている。

  私の村からは、たくさんの人がアメリカに渡りました。私は村で粗末な扱いを受けたので、村が嫌いで、村を出たいと思っていました。(上掲書 p.51.)

  もし、アメリカが西尾氏の言う通り、差別と虐殺に満ちた国なら、どうして当時の日本人は、自前で、すなわち自分の貯金をはたいて、積極的に渡航したのか? 当時の日本人はいくら地元が嫌いでも、おぞましいアジア大陸に移住しようとは考えず、白人が主人となっているアメリカを選んだ。もちろん、アメリカが白人の国で、黒人とアジア人を侮蔑する差別社会であることは承知していた。が、そんなのは現状を見れば我慢できる些細な事だ。快適な教室で歴史の授業を受ける現代人には、身分格差が残り、貧乏な状態を耐え忍んでいた祖先を理解できない。高山氏のファンには納得できないだろうが、多くの出稼ぎ人は胸を弾ませる移民であった。西尾氏や高山氏の追随者は、米国の排日移民法を批判するが、元々は定住者に心変わりをした日本人の方が悪い。もし、帰国を念頭に置いた出稼ぎ人のままであったら、それほどの問題にはならなかったはずだ。確かに、戦争中は様々な嫌がらせを受けたけど、基本的に彼らはアメリカが大好きで、所帯を持って骨を埋める覚悟であった。実際、強制収容所から解放されても帰国せず、米国に留まった人も多いから、評論家の意見はともかく、アメリカ人は大したものだ。実際の生活を営む日系人は、悪い白人ばかりじゃなく「良い白人」もいると知っていたのだろう。一方、朝鮮半島に住んでいた内地人(日本人)は、敗戦後、自分の財産すら顧みず、さっさと日本に戻ってきた。やはり、肌で知る朝鮮人とは一緒に暮らしたくはない。

Takayama 001(左  / 高山正之 )
  西尾幹二と何となく似ているのは、「保守派」言論人の高山正之だ。筆者は高山氏のコラムに概ね賛成するが、彼の西歐批判には賛成できないところがある。なぜなら、彼は日本の国益よりも、個人的な感情を優先して歴史や政治を語っているからだ。高山氏は日本軍がインドシナやビルマに攻め込んだ日本軍を支持するようなコラムを書いているが、根本的に「南進論」は破滅への序曲であり、日本を敗戦革命に向かわせるための策略であった。ソ連を守りたい近衛文麿と昭和研究会の悪党は、心の祖国を攻撃する「北進論」を何としても阻止したく、必死で「南進論」を論じていた。もし、日本が北進を選択したら、ソ連はドイツ軍と日本軍との挟み撃ちになって敗北だ。モスクワのスターリンにしたら悪夢である。だから、日本の赤色分子を焚きつけるしかない。日本が英米仏蘭と激突すればシメたもの。石油資源を確保するためとか、アジア解放などは南方へ舵を切らせるための口実に過ぎない。

  八紘一宇とか五族協和などを叫びながら、西歐列強の植民地主義を批判するアジア主義者というのは、白人への嫉妬心や劣等感に苛まれる連中だから、どうしても国益主義者ではなく、怨念の塊になりやすい。共産主義にかぶれた日本人左翼は、ロシア人にとったら「便利な馬鹿」に他ならず、「南進論」の推進役には適任である。現在の日本人もそうだが、白人を批判する者ほど実は白人にベタ惚れで、片思いの白人からフラれると激怒し、ストーカーのように纏わりついたり、復讐心ゆえの放火魔になったりする。例えば、今でも我々はオーストラリアの白濠主義に目くじらを立てるが、あの大陸に住む国民が白人ばかりで何が悪いのか? 日本人は日本列島を大切にすべきで、日本を捨てて濠洲に移り住む奴の立場なんかはどうでもいい。皇室への忠誠心を棄てて外国に忠誠を尽くす日本人なんか不届き千万。何で庇う義理があるのか? それよりも、我々は不評の白濠主義を支持し、濠洲のイギリス人を味方につけた方がいい。そうすれば、ソ連と戦う時に背後が安心だし、英国との関係だって良くなる。

  だいたい、アジア人でもない日本人が、どうして有益な歐米人を敵に回し、情けないアジア人の“盟主”になろうとするのか? 個人の交友関係と同じで、親しくすべきは裕福で上品な人であり、アカンタレの下層民じゃない。歐米人と友好的な関係を築けば、最新の科学技術を見せてもらうことが出来るし、将来のどこかで役に立つ貴重な情報(intelligence)を手に入れる機会も増えてくる。もし、軍人や商人がヨーロッパ貴族と親しくなれば、様々な情報を集めることができるので、外政の裏取引や軍事バランスにおいて日本が有利な立場を占めることも出来る。日本の諜報員がもたらす些細な情報で、日本兵が救われることもあるし、敵国の裏をかくことさえ可能となるのだ。しかし、歐米諸国と対立すれば、日本へ入ってくる諜報は極端に少なくなり、それと比例して政府の判断にもミスが多くなる。保守派国民は、恨みを晴らす事と国益を優先する事のどちらを重要と思っているのか? 

  高山氏は大東亜戦争中、日本軍が東南アジアで君臨していたフランス人やオランダ人、イギリス人を蹴散らした、と称讃しているが、こんなのは「強盗」を「正義」の名目で正当化する詭弁にすぎない。西歐人に恨みを抱く高山氏は、日本からの恩恵を受けながら日本人を恨む朝鮮人とソックリだ。この元産経記者はビルマやインドを支配するイギリス人を日本が成敗したと歓喜し、積年の怨みが晴れたように清々しく思っている。彼は『白い人が仕掛けた黒い罠』という著作の中で、ヤンゴン大学のタン・タット教授に言及し、「神のごとく振る舞った英国人が青ざめた」というタン教授の言葉を紹介していたが、日本の敵対行動は日本の国益になっていたのか?

  保守派の日本人は高山氏と同じく、「我が軍の将兵は、オランダ人やフランス人といった傲慢な白人を打ち破り、アジアの民をその鎖から解放したんだ !」と喜んでいる。しかし、アジア人というのは日本人が命を懸けて助けてやるような人間じゃない。日本人は“ちゃんとした”教育を与え、それなりに豊かになれば、日本のように繁栄し、独立国になれると思っていた。しかし、アジアの民は昔から隷属根性の持ち主で、強い者に巻かれる方を選ぶ。日本軍が騎虎の勢いならば尊敬するが、その形勢に翳りが見えると、掌を返すように元の「御主人様」に靡こうとする。

  高山氏は後にインドネシアの大統領となるスカルノを例に取り、彼の背信を挙げていた。インドネシアの独立記念塔には、地下ホールがあり、その中には歴史の展示場があったそうだが、オランダ人による強制栽培の話や残酷なオランダ人農園主の記述は無かったという。代わりに、恩人の日本軍に対する悪口があり、「オランダ軍が降伏すると、日本軍はインドネシアの資源や労働力を搾取した」と書いてあったそうだ。(高山正之『白い人が仕掛けた黒い罠』 ワック出版、2011年、p.30.) もっと情けないのは、日本人の悪口を言いふらして「良心派」を演じる反日分子がいた事だ。東アジア研究を専攻する早稲田大学の後藤乾一(ごとう・けんいち)教授は、ウンザリするほど酷かった。この早大教授によれば、「日本軍はスマトラのブキティンギで村人に防空壕を掘らせ、完成後に底なし穴へ三千人全員を生き埋めにした」らしい。(上掲書 p.28) 俄に信じられないが、実際にあった本当の話なのか?

  まぁ、左翼の巣窟になっている早稲田大学だから、こんな教授がいてもおかしくはない。ついでに言うと、昭和18年初頭、東條首相は「近くビルマとフィリピンに独立を与える」と表明したが、インドネシアは“除外”されていた。スカルノにとっては大きな衝撃であったらしく、「インドネシア民族の頭上に打ち下ろされた鉄槌である」と述べていた。彼の仲間であるモハマッド・ハッタも眉を顰め、「インドネシアに最も不愉快な侮辱と刺戟を与える」発言と憤慨していたそうだ。(『黎明の世紀』 p.178.) このハッタはスカルノと組んで独立運動に奔走した人物で、後にインドネシア国民教育協会の会長になっている。

  アジア大陸には様々な民族がモザイクのように暮らしているので、普通の日本人にはその複雑怪奇さが解らない。歐米人は日本人よりも頭がいいから、この対立構造をうまく利用していた。例えば、マレー人とかインド人を支配するときには、華僑を雇って間接統治を行い、直接の恨みを買わぬよう心掛けていた。土人の矛先は支那人に向くから好都合。また、インド人も英国の下僕となっていたので、御主人様に命じられれば、ビルマ人を虐(いじ)めることなんて朝飯前。彼らには「同じアジア人同士だから仲良くしよう」という気持ちは無いのだ。例えば、「サヤ・サンの叛乱」では、自由インド国民軍の中核となっていたパンジャブ・ライフル部隊がビルマ人を殺しまくったらしい。(『白い人が仕掛けた黒い罠』 p.46.)

  英国の「尖兵」となって活躍したグルカ人も同様で、ブリテン島からやって来た支配民族(master race)に忠実だった。例えば、日本の第15師団はインパール街道でブリテン軍の戦車部隊と遭遇したことがある。負傷者を抱えた日本軍は山へ逃げたそうだが、驚くような悲劇があった。高山氏が紹介した栃平主計曹長の記録は注目に値する。栃平氏は川沿いの道に輸送を待っていた重傷者30人の担架を目にしたらしい。そこへグルカ兵が現れ、容器に入っている液体を振りかけていたという。焼け付くような暑さだったので、曹長は負傷兵のために冷たい水を掛けてくれたのだろうと思っていた。ところが、このグルカ兵が撒いていたのはガソリンだった。次の瞬間、地獄の炎が担架を包み、日本兵の体からは黒煙が立ち上る。想像しただけでも恐ろしいが、辺り一面は火の海だ。(上掲書 p. 50.) ミッションヒルでブリテン軍の攻撃を受けた野戦病院でも、瀕死の日本兵は同様の地獄を見た。ブリテン軍の士官は捕虜にした傷病兵の検分を終えると、人々かをトラックに載せ、何処かへ輸送させたという。ところが、路上に残った傷病兵にはガソリンが掛けられ、地獄の炎で蠢くことに。この惨状を目撃した島田上等兵は、同胞の悲鳴を耳にしたそうだ。

  日本人は日本のために戦うべきで、アジア人の独立とか名誉のために命を懸けるべきではない。むしろ、英米仏蘭のアジア支配を支援すべきである。なぜなら、植民地経営は利益よりも負担の方が大きくなるからだ。例えば、イギリス人はインド人やビルマ人を傘下に収めていたが、時々起こる叛乱には手を焼いていたから、鎮圧となれば軍隊を派遣し、結構な費用と時間がかかる。しかも、人的被害が出れば、その後始末のコストも馬鹿にならない。となれば、日本は英国の負担が重くなるよう、その帝国主義を継続させ、現地のイギリス人官僚や軍人に「貸し」を作った方がいい。日本は「善意の第三者」としてイギリス人とインド人の仲介役となり、双方の面子を立ててやれば、頼もしい叔父貴(おじき)になれる。当時の日本は強力な海軍を有する大国だ。イギリス人でも日本人の言うことなら無視できないし、インド人も心の底でイギリス人に憧れているから、イギリス人と妥協する余地がある。日本は英国に「貸し」を作っても、それを「返せ」と要求せず、「何も無かった」かのように付き合うべきだ。そうすれば、イギリス人だって「いつか、この礼はするから」と考えるだろう。日本は本当に困った時だけ、昔の「借し」を仄めかし、本国のブリテン政府や植民地のイギリス人に動いてもらう方が得である。

Imperialism British empire 1Blacks 001








(左 : インド人の召使いを持つイギリス人  /  右 : 第二次世界大戦前のアフリカ人労働者)

  日本人は植民地の白人を“やっつけた”ことで気分爽快となるが、歐米諸国を敵に回すことは全般的に見て損である。例えば、日露戦争の時、日本は日英同盟があったお陰で本当に助かった。英国側からロシア軍の情報をもらえたし、英国の海底ケーブルを利用させてもらったことで、無線通信の欠点を補うこともできた。一方、インド人やビルマ人と仲良くなっても、戦艦の建造とか化学兵器の開発に役立つわけでもないし、日本の知的水準が向上するわけでもない。列強各国の内部情報すら入ってこないし、戦争になった時の仲介役にもならない。地下資源に恵まれていても、アジアの土民には画期的なた掘削技術とか輸送設備が無いから、宝の持ち腐れである。日本人が上等な知識を得るのは、いつも歐米諸国からで、東郷平八郎は若い頃、元の敵だった英国に留学したし、秋山真之はアメリカ、兄の秋山好古はフランス、乃木希典と川上操六はドイツへ留学した。戦前の優秀な大学生や青年士官は、科学や軍事を学ぶためにタイとかフィリピンに留学したのか?

  日本の保守派国民は歐米人への憧れと反感に苛まれているから、高山氏の白人批判に与することが多い。しかし、支那人やロシア人は日本を弱体化するために、この劣等感や怨念を巧みに利用する。狡猾な工作員は、バカどもを戦わせ、「漁夫の利」を得ようと考える。確かに、歐米と日本が正面衝突すれば、両者とも多大な損害を出し、勝者ですら国内がボロボロとなるから、毛沢東やスターリンのような極悪人は大喜びだ。実際、第二次世界大戦の勝者は支那とソ連の独裁者である。高山氏のようなジャーナリストは地政学や戦略論に弱いから、蛸壺史観に嵌まりやすい。すなわち、長期的、巨視的、世界史的な思考を持たず、日本国内だけで通用する感情論に夢中で、自分がどうなってしまうのか予想できないのだ。なるほど、日本の将兵が大量の血を流したお陰で、アジア人は独立できたんだろうが、肝心の日本が米国の属州じゃ、英霊は何のために戦ったのか判らない。

  高山氏は激怒するかも知れないが、彼のような日本人は我々に恨みを抱く在日朝鮮人とソックリだ。朝鮮人は日本人から多大な恩恵を受け、日韓併合で「国民」にもしてもらったのに、「搾取された」とか「差別された」「虐げられた」と言いたい放題。それなら、さっさと朝鮮半島に帰ればいいのに、子や孫、曾孫の世代になっても日本に居坐り、帰化申請で「日本国民」になろうとする。高山氏のような日本人は、奴隷制を持っていたアメリカ人やインドを植民地にしたイギリス人、インドネシアで暴君となっていたオランダ人を糾弾するが、一般国民は歐米の白人と絶交しようとは思わない。そもそも、ウイグル人やチベット人を虐殺する支那人と「友好関係」を築こうとする財界人があちこちにいるくらいだから、日本の民衆は外人の不幸に対して冷淡だ。

  筆者が「みっともない」と思うのは、日本人の二重思考である。高山氏の追随者は、日米同盟から恩恵を受けても、アメリカ白人の人種差別をあげつらい、日本人はパリの講和会議で人種差別撤廃を訴えた、と自己称讃。でも、実際の日本は違う。特に敗戦後の日本では、人種差別なんか普通だった。赤線の娼婦は黒人兵とも付き合い、中には黒人の子供を身籠もる女性がいたから大変だ。アフリカ人の顔つきで、縮れ毛の黒い子供なんて、実家の両親に会わせることはできない。たとえ、両親が受け容れても、近所の人々は噂話で持ちきりだ。都会のインテリだって本質的に変わりがない。彼らは大っぴらに声を上げないが、ひっそりと陰口を叩いて忌み嫌う。こんな塩梅だから、黒い赤ん坊を産んでしまったパンパンは、我が子を孤児院に預けるかドブに棄てるしかない。東南アジアに派遣された日本人も、人種平等の観念なんか無かった。高学歴で名門の紳士だと、現地のアジア人を見て、「こんな土人どもと一緒にされてたまるか !」と侮蔑していたそうだ。

  高山氏のような日本人は、個人的な体験から白人に恨みを持つ場合が多い。例えば、英国や米国に行ったとき、英語が上手く喋れず悔しい思いをしたとか、白人の同級生や同僚から小馬鹿にされ激怒したことがある、といったトラウマを抱えている。だいたい、白人が主体の国家に行って「白人の天下なんてけしからん !」と憤慨する方が間違っている。日本だって日本人が主体で、日本人が優先される国家じゃないか。ウガンダやナイジェリアに行った日本人で、「現地では黒人が威張っていて、日本人を支那人と間違え愚弄している。実にけしからん !」と怒る奴がいるのか? 昔、ガーナ人は日本人を「黄色いチビ」と馬鹿にしていたが、いきり立って街頭デモを起こす者はいなかった。厭な国には行かなければいいだけ。他人の心を強制的に変える事は出来ないので、日本人を嫌う白人に「差別はやめろ !」とか「日本人を好きになれ !」と言っても無駄である。我々は日本人を好きな歐米人とだけ付き合えばいい。

  一部の白人から馬鹿にされたから白人に反撥する高山氏を見ていると、「精神が弱いのかなぁ~」と思ってしまう。劣等感に悩んでいる人やその劣等感を隠している人は、馬鹿にされることに敏感で、直ぐカッとなる。丁度、いじけた心を持つ在日鮮人が、「チョーセンジ」という言葉を聞いて激昂するのと同じだ。朝鮮人に生まれたことを恥じる在日鮮人は、ガラスの精神を持っており、ちょっとでも差別に遭うと狂ったように怒り出す。強い精神を持つ日本人は、外人の誹謗中傷に一々怒ることはない。日本人を侮蔑したり嫌ったりする白人がいてもいいじゃないか。日本人の素晴らしさを解らぬ白人の方が馬鹿なだけだ。知能が高く、国家や民族性を勉強した歐米人なら、日本人をアジア人と同じタイプとは思わないし、違った評価をして尊敬することさえある。

  たぶん、高山氏が出逢った白人というのは、教養や品性を持たぬジャーナリストなのかも知れないぞ。高山氏は新聞記者時代、ロサンジェルスに駐在したというが、どんな人物と交流し、如何なる種類の白人と付き合っていたのか? 上智大学の故・篠田雄次郎とか、同僚だった渡部昇一先生はドイツ人やイギリス人の友人を多く持っていたが、西尾幹二や高山氏が日本に友人を招いたという話は聞いたことがない。チャンネル桜がアメリカやドイツに取材班を派遣し、彼らの友人を訪ねたらいいのに、と思ってしまう。世界には差別と偏見が充満しており、こうした悪徳は何も歐米人に限ったことではない。支那や朝鮮、ロシアでは昔から庶民が奴隷だったし、インドはカースト制度で雁字搦めだ。イスラム教徒がアフリカ人を購入し、奴隷として売り飛ばすなんて当たり前。ユダヤ商人はローマ時代から奴隷を扱っており、米国のロードアイランドは奴隷貿易の中継地点として有名だ。まともな日本人は西歐以外の民族と国家について調べた方がいい。

 


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