無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

歴史問題

高山正之は日本版朝鮮人 / 劣等感に苛まれた日本人

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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悔しさが原動力となる反米感情


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(左 : インドネシアを支配していたオランダ人  /  右 : アフリカのピグミー族を紹介する西歐白人)

日本人はカルト宗教の信者となっているのか、毎年毎年、飽きもせず八月になると「反戦・平和」の念仏を唱え、大東亜戦争でアジアに迷惑をかけたと反省している。しかし、保守派の一般人と評論家は左翼の自虐史観に反撥し、「そんなことはない ! 日本は侵掠国家でも犯罪国家でもないんだ ! 」と反論する。確かに、軍の上層部は愚かだったけど、末端の兵卒は愛国心に燃え、死に物狂いで戦っていたから、「戦争犯罪人」と言われれば腹が立つ。そこで、保守派の言論人は大東亜戦争の一面を評価し、「日本は対米戦争で負けたけど、我々が戦ったことでアジアの植民地は西歐列強の軛(くびき)から解放され、戦後、続々と独立できたのだ」と主張し始めた。

  こうした大東亜戦争肯定論は林房雄の著書で囁かれていたが、復活したのは渡部昇一先生の功績が大きい。昭和の末から平成にかけて、渡部先生の『日本史から見た日本人 / 昭和編』や『かくて昭和史は甦る』は大ヒット。左翼史観でガッカリしていた若い世代は、渡部先生の著作を貪るように読んでいた。獨協大学の故・中村粲先生と同じく、渡部先生が大東亜戦争の一面を評価したのは、それまでの歴史家があまりにも我が国の軍隊を侮辱していたからで、日本の敗戦を誤魔化すためではない。日本国民が大東亜戦争の本質を知る上で、我々の目を曇らせたのは、深田祐介が文藝春秋社から出した『黎明の世紀』(1991年)だ。深田氏はアジア諸国の指導者を東京に集めた昭和18年の「大東亜会議」を高く評価していた。しかし、この国際会議は対米戦争が始まってから招集されたもので、当初からある戦争目的ではない。むしろ、亡国政策を正当化するためのカモフラージュと考えた方が適切である。

  深田氏は大東亜会議は傀儡政権の代表を集めた茶番劇に非ず、と述べていたが、東條英機首相の本音を覗いてみると、言行不一致に思えてくる。例えば、東條は日本の影響下に入るアジア諸国を“内面指導”で発展させ、全体を“満洲化”しようと思っていたのだ。(『黎明の世紀』, p79-81.参照。) 昭和17年には「大東亜省」の設置を巡り、東條首相と東郷茂徳外相の間で大論争が起こり、東郷外相はこうした措置を日本からの内政干渉と見なし、相手国に不快感を与えかねないと危惧していた。なるほど、我が国はインドやタイ、ビルマ、フィリピンなどを西歐列強の植民地支配から解放しようと考えたのであろうが、その「善意」の下には陸軍による管理体制が潜んでいた。現在の高校生でも呆れてしまうが、小磯内閣は昭和20年3月になっても、まだ嘘くさい「悠久の大義」とやらを信じ、最高戦争指導会議で「第二回大東亜会議を四月中旬に行う」と考えていたのだ。昭和20年3月といえば、日本各地で庶民が空爆の被害に苦しみ、焼け野原で唖然としていた時期じゃないか。それなのに、「第二回の会議を開催」なんて、もうアホ丸出しである。

  それはともかく、役所が指導する行政と言えば、昭和時代、すなわち「護送船団方式」全盛時代を知っている世代なら、「厭だねぇ~」と解るはずだ。特に、銀行員ならピンとくるんじゃないか。大蔵省は何の法的拘束力も無い「通達」を銀行に送って、“それとなく”各銀行を動かしていた。令和の大学生なら、「こんな紙切れ、ポイっと捨てちゃえば !」と言ってしまうが、お役人様の“さじ加減”怯えていた銀行員に、そんなマネは出来ない。天皇陛下からの「綸旨」みたいに、恭しく頂戴するのが普通だった。軍官僚の東條首相にしたら、日本は家父長で、アジア諸国は養子か後輩みたいなものだから、「内面指導」なんか当たり前。今だって財務官僚は、国税職員を引き連れて民間企業を脅しているんだから。

  まぁ、深田氏の肯定論などはまだ無邪気なもので、悪質なのは「保守派」を装う西尾幹二の方だ。『正論』や『諸君 !』、『Voice』で活躍していた頃から、西尾氏は歐米諸国の帝国主義を糾弾し、白人によるアジア支配を呪っていた。西尾氏はニーチェの研究家を気取っていたが、中央公論社から出した主著『ニーチェ』は哲学書ではなく、単なる評伝といった類いの代物で、本棚の奥に隠れている印刷物に過ぎない。筆者が前々から不思議だったのは、あれほど白人を非難する西尾氏が、一体どんな願望でドイツ留学を希望し、現地の教授や学生らと交流していたのか、である。というのも、筆者は学生時代、渡部昇一先生が出版した『ドイツ留学記』(上/下巻)を購入し、夢中になって読んだことがある。先生が経験したドイツでの生活や現地人との交流はとても魅力的だった。

Nishio Kanji 1(左  /  西尾幹二)
  ところが、西尾氏は自分のドイツ留学の体験をほとんど述べず、明かしたのは、せいぜいバイエルン州立図書館で古い書物や雑誌をコピーしたというエピソードくらい。約二年間ほど留学していたのに、この白人嫌いの大学教授は留学先の大学名も公表せず、友人や地元民との接触すら話したことは無かった。西尾氏はドイツの大学に留学してもゲルマン人とは交際せず、話し相手はもっぱらトルコ人やエジプト人の学生とか、ギリシア系やポーランド系の帰化人ばかりだったのか? ドイツの哲学を専攻し、ドイツ人教授のもとで勉強したのであれば、少しくらい当時の想い出とか、ハプニングや失敗談などをチャンネル桜で披露してもいいんじゃないか。渡部先生はテレビの対談番組や雑誌の座談会などでも、恩師との交流や貴族の館に招かれた話などを紹介していたぞ。西尾氏もチャンネル桜の対談番組に出演し、充分な時間があったはずだが、熱心に語るのは白人による虐待とか人種差別ばかりで、留学時代の楽しかったエピソードや、ドイツ人と交わした会話、食事や自宅に招かれた時の体験談などは皆無。まさか、「独り部屋に籠もって、ずっと勉強」という事はないだろう。

  今年、小池百合子は前々から疑われていたカイロ大学時代を暴露され、『女帝』を呼んだ日本人の多くが唖然とした。小池都知事とその父、勇二郎の面倒を見た朝堂院大覚(松浦良右)によれば、小池百合子のアラビア語は素人以下で、とても通訳になる程の腕じゃなかったそうだ。でも、竹村健一のアシスタントをしていた頃は、「カイロ大学を首席で卒業した才女」という触れ込みで、周りの関係者は語学の達人と思っていた。一応、小池百合子はアラビア語を話せるが、それは庶民のお喋り程度。とても学術論文を書ける能力じゃない。では、西尾幹二はどのくらいドイツ語が達者で、ゲルマン系のドイツ人と“どんな”交友関係を持っていたのか?

  語学能力はともかく、西尾氏は心の底から西歐の白人が嫌いなようだ。彼はアメリカ人の人種差別には殊のほか敏感で、人種差別と闘った日本を肯定し、大東亜戦争の大義は正しかったと思っている。ベストセラーになった『国民の歴史』でもアメリカ白人を非難し、日系移民に対する排日法を槍玉に挙げていたが、この吊し上げは一方的である。そもそも、なぜ日本人は「出稼ぎ先」としてアメリカを選んだのか? 明治の日本人だって、アメリカ合衆国が黒人奴隷を持ち、有色人種への差別に満ちていると知っていたはずだ。それなのに、自分から進んで渡米しようなんて馬鹿げている。でも、当時の日本人は精神異常者ではない。例えば、もし、家政婦として働く中年女性が、高い給料を貰えるからといって暴力団組長の自宅を選んだから、我々はどう思うのか? 一部の日本人は「愚かなバアさんだ」とせせら笑うが、別の人々は「きっと、その組長は筋道を通す昔気質の任侠なのかも・・・」と思うだろう。ただし、この家政婦が怖い組員と接触して怖い目に遭ったり、拳銃の流れ弾に当たっても、我々は「自業自得だ」と言い放ち、さほど同情することはない。世の中には高い給料だが危険な職業と安い給料だが安全な仕事がある。選ぶのは本人次第。米国の人種差別が厭なら、支那人が大勢いる満洲へ行けばいいじゃないか。

  西尾氏とは違い、出稼ぎ人となった日系1世は、アメリカを素晴らしい国と考え、希望を抱いていた。彼らの中には、日本での下らない仕事に愛想を尽かし、アメリカで一旗揚げようと考える者もいたらしい。西尾幹二や高山正之に扇動された日本人は、アメリカを差別大国と侮蔑し、白人天下の国と罵っていたが、アメリカへ渡って未来を開拓しようと考えていた日系1世は、彼らなりの夢や志(こころざし)を持っていた。例えば、「アイ・ミヤザキ」という女性は、女学校を卒業し、小学校の教師になったが、結婚相手には巡査のような下っ端じゃなく、軍の将校とか医者との結婚を望んでいたそうだ。彼女はこう述べていた。

  夫について私の理想は大変高かったので、日本では希望がかなえられず、アメリカに行くことを決心しました。自由で、大きな国に行き、私が助け、一緒に働くことのできる連れ合いを見つけたかったのです。(アイリーン・スナダ・サラソーン編 『The一世 パイオニアの肖像』 南条俊二 訳、読売新聞社、1991年p.48.)

  「タカエ(高枝)・ワシズ」という女性は、九人兄弟の貧しい農家に生まれ、畑で母や叔母の手伝いをしていたそうだ。彼女は渡米の理由をこう語っている。

  私の村からは、たくさんの人がアメリカに渡りました。私は村で粗末な扱いを受けたので、村が嫌いで、村を出たいと思っていました。(上掲書 p.51.)

  もし、アメリカが西尾氏の言う通り、差別と虐殺に満ちた国なら、どうして当時の日本人は、自前で、すなわち自分の貯金をはたいて、積極的に渡航したのか? 当時の日本人はいくら地元が嫌いでも、おぞましいアジア大陸に移住しようとは考えず、白人が主人となっているアメリカを選んだ。もちろん、アメリカが白人の国で、黒人とアジア人を侮蔑する差別社会であることは承知していた。が、そんなのは現状を見れば我慢できる些細な事だ。快適な教室で歴史の授業を受ける現代人には、身分格差が残り、貧乏な状態を耐え忍んでいた祖先を理解できない。高山氏のファンには納得できないだろうが、多くの出稼ぎ人は胸を弾ませる移民であった。西尾氏や高山氏の追随者は、米国の排日移民法を批判するが、元々は定住者に心変わりをした日本人の方が悪い。もし、帰国を念頭に置いた出稼ぎ人のままであったら、それほどの問題にはならなかったはずだ。確かに、戦争中は様々な嫌がらせを受けたけど、基本的に彼らはアメリカが大好きで、所帯を持って骨を埋める覚悟であった。実際、強制収容所から解放されても帰国せず、米国に留まった人も多いから、評論家の意見はともかく、アメリカ人は大したものだ。実際の生活を営む日系人は、悪い白人ばかりじゃなく「良い白人」もいると知っていたのだろう。一方、朝鮮半島に住んでいた内地人(日本人)は、敗戦後、自分の財産すら顧みず、さっさと日本に戻ってきた。やはり、肌で知る朝鮮人とは一緒に暮らしたくはない。

Takayama 001(左  / 高山正之 )
  西尾幹二と何となく似ているのは、「保守派」言論人の高山正之だ。筆者は高山氏のコラムに概ね賛成するが、彼の西歐批判には賛成できないところがある。なぜなら、彼は日本の国益よりも、個人的な感情を優先して歴史や政治を語っているからだ。高山氏は日本軍がインドシナやビルマに攻め込んだ日本軍を支持するようなコラムを書いているが、根本的に「南進論」は破滅への序曲であり、日本を敗戦革命に向かわせるための策略であった。ソ連を守りたい近衛文麿と昭和研究会の悪党は、心の祖国を攻撃する「北進論」を何としても阻止したく、必死で「南進論」を論じていた。もし、日本が北進を選択したら、ソ連はドイツ軍と日本軍との挟み撃ちになって敗北だ。モスクワのスターリンにしたら悪夢である。だから、日本の赤色分子を焚きつけるしかない。日本が英米仏蘭と激突すればシメたもの。石油資源を確保するためとか、アジア解放などは南方へ舵を切らせるための口実に過ぎない。

  八紘一宇とか五族協和などを叫びながら、西歐列強の植民地主義を批判するアジア主義者というのは、白人への嫉妬心や劣等感に苛まれる連中だから、どうしても国益主義者ではなく、怨念の塊になりやすい。共産主義にかぶれた日本人左翼は、ロシア人にとったら「便利な馬鹿」に他ならず、「南進論」の推進役には適任である。現在の日本人もそうだが、白人を批判する者ほど実は白人にベタ惚れで、片思いの白人からフラれると激怒し、ストーカーのように纏わりついたり、復讐心ゆえの放火魔になったりする。例えば、今でも我々はオーストラリアの白濠主義に目くじらを立てるが、あの大陸に住む国民が白人ばかりで何が悪いのか? 日本人は日本列島を大切にすべきで、日本を捨てて濠洲に移り住む奴の立場なんかはどうでもいい。皇室への忠誠心を棄てて外国に忠誠を尽くす日本人なんか不届き千万。何で庇う義理があるのか? それよりも、我々は不評の白濠主義を支持し、濠洲のイギリス人を味方につけた方がいい。そうすれば、ソ連と戦う時に背後が安心だし、英国との関係だって良くなる。

  だいたい、アジア人でもない日本人が、どうして有益な歐米人を敵に回し、情けないアジア人の“盟主”になろうとするのか? 個人の交友関係と同じで、親しくすべきは裕福で上品な人であり、アカンタレの下層民じゃない。歐米人と友好的な関係を築けば、最新の科学技術を見せてもらうことが出来るし、将来のどこかで役に立つ貴重な情報(intelligence)を手に入れる機会も増えてくる。もし、軍人や商人がヨーロッパ貴族と親しくなれば、様々な情報を集めることができるので、外政の裏取引や軍事バランスにおいて日本が有利な立場を占めることも出来る。日本の諜報員がもたらす些細な情報で、日本兵が救われることもあるし、敵国の裏をかくことさえ可能となるのだ。しかし、歐米諸国と対立すれば、日本へ入ってくる諜報は極端に少なくなり、それと比例して政府の判断にもミスが多くなる。保守派国民は、恨みを晴らす事と国益を優先する事のどちらを重要と思っているのか? 

  高山氏は大東亜戦争中、日本軍が東南アジアで君臨していたフランス人やオランダ人、イギリス人を蹴散らした、と称讃しているが、こんなのは「強盗」を「正義」の名目で正当化する詭弁にすぎない。西歐人に恨みを抱く高山氏は、日本からの恩恵を受けながら日本人を恨む朝鮮人とソックリだ。この元産経記者はビルマやインドを支配するイギリス人を日本が成敗したと歓喜し、積年の怨みが晴れたように清々しく思っている。彼は『白い人が仕掛けた黒い罠』という著作の中で、ヤンゴン大学のタン・タット教授に言及し、「神のごとく振る舞った英国人が青ざめた」というタン教授の言葉を紹介していたが、日本の敵対行動は日本の国益になっていたのか?

  保守派の日本人は高山氏と同じく、「我が軍の将兵は、オランダ人やフランス人といった傲慢な白人を打ち破り、アジアの民をその鎖から解放したんだ !」と喜んでいる。しかし、アジア人というのは日本人が命を懸けて助けてやるような人間じゃない。日本人は“ちゃんとした”教育を与え、それなりに豊かになれば、日本のように繁栄し、独立国になれると思っていた。しかし、アジアの民は昔から隷属根性の持ち主で、強い者に巻かれる方を選ぶ。日本軍が騎虎の勢いならば尊敬するが、その形勢に翳りが見えると、掌を返すように元の「御主人様」に靡こうとする。

  高山氏は後にインドネシアの大統領となるスカルノを例に取り、彼の背信を挙げていた。インドネシアの独立記念塔には、地下ホールがあり、その中には歴史の展示場があったそうだが、オランダ人による強制栽培の話や残酷なオランダ人農園主の記述は無かったという。代わりに、恩人の日本軍に対する悪口があり、「オランダ軍が降伏すると、日本軍はインドネシアの資源や労働力を搾取した」と書いてあったそうだ。(高山正之『白い人が仕掛けた黒い罠』 ワック出版、2011年、p.30.) もっと情けないのは、日本人の悪口を言いふらして「良心派」を演じる反日分子がいた事だ。東アジア研究を専攻する早稲田大学の後藤乾一(ごとう・けんいち)教授は、ウンザリするほど酷かった。この早大教授によれば、「日本軍はスマトラのブキティンギで村人に防空壕を掘らせ、完成後に底なし穴へ三千人全員を生き埋めにした」らしい。(上掲書 p.28) 俄に信じられないが、実際にあった本当の話なのか?

  まぁ、左翼の巣窟になっている早稲田大学だから、こんな教授がいてもおかしくはない。ついでに言うと、昭和18年初頭、東條首相は「近くビルマとフィリピンに独立を与える」と表明したが、インドネシアは“除外”されていた。スカルノにとっては大きな衝撃であったらしく、「インドネシア民族の頭上に打ち下ろされた鉄槌である」と述べていた。彼の仲間であるモハマッド・ハッタも眉を顰め、「インドネシアに最も不愉快な侮辱と刺戟を与える」発言と憤慨していたそうだ。(『黎明の世紀』 p.178.) このハッタはスカルノと組んで独立運動に奔走した人物で、後にインドネシア国民教育協会の会長になっている。

  アジア大陸には様々な民族がモザイクのように暮らしているので、普通の日本人にはその複雑怪奇さが解らない。歐米人は日本人よりも頭がいいから、この対立構造をうまく利用していた。例えば、マレー人とかインド人を支配するときには、華僑を雇って間接統治を行い、直接の恨みを買わぬよう心掛けていた。土人の矛先は支那人に向くから好都合。また、インド人も英国の下僕となっていたので、御主人様に命じられれば、ビルマ人を虐(いじ)めることなんて朝飯前。彼らには「同じアジア人同士だから仲良くしよう」という気持ちは無いのだ。例えば、「サヤ・サンの叛乱」では、自由インド国民軍の中核となっていたパンジャブ・ライフル部隊がビルマ人を殺しまくったらしい。(『白い人が仕掛けた黒い罠』 p.46.)

  英国の「尖兵」となって活躍したグルカ人も同様で、ブリテン島からやって来た支配民族(master race)に忠実だった。例えば、日本の第15師団はインパール街道でブリテン軍の戦車部隊と遭遇したことがある。負傷者を抱えた日本軍は山へ逃げたそうだが、驚くような悲劇があった。高山氏が紹介した栃平主計曹長の記録は注目に値する。栃平氏は川沿いの道に輸送を待っていた重傷者30人の担架を目にしたらしい。そこへグルカ兵が現れ、容器に入っている液体を振りかけていたという。焼け付くような暑さだったので、曹長は負傷兵のために冷たい水を掛けてくれたのだろうと思っていた。ところが、このグルカ兵が撒いていたのはガソリンだった。次の瞬間、地獄の炎が担架を包み、日本兵の体からは黒煙が立ち上る。想像しただけでも恐ろしいが、辺り一面は火の海だ。(上掲書 p. 50.) ミッションヒルでブリテン軍の攻撃を受けた野戦病院でも、瀕死の日本兵は同様の地獄を見た。ブリテン軍の士官は捕虜にした傷病兵の検分を終えると、人々かをトラックに載せ、何処かへ輸送させたという。ところが、路上に残った傷病兵にはガソリンが掛けられ、地獄の炎で蠢くことに。この惨状を目撃した島田上等兵は、同胞の悲鳴を耳にしたそうだ。

  日本人は日本のために戦うべきで、アジア人の独立とか名誉のために命を懸けるべきではない。むしろ、英米仏蘭のアジア支配を支援すべきである。なぜなら、植民地経営は利益よりも負担の方が大きくなるからだ。例えば、イギリス人はインド人やビルマ人を傘下に収めていたが、時々起こる叛乱には手を焼いていたから、鎮圧となれば軍隊を派遣し、結構な費用と時間がかかる。しかも、人的被害が出れば、その後始末のコストも馬鹿にならない。となれば、日本は英国の負担が重くなるよう、その帝国主義を継続させ、現地のイギリス人官僚や軍人に「貸し」を作った方がいい。日本は「善意の第三者」としてイギリス人とインド人の仲介役となり、双方の面子を立ててやれば、頼もしい叔父貴(おじき)になれる。当時の日本は強力な海軍を有する大国だ。イギリス人でも日本人の言うことなら無視できないし、インド人も心の底でイギリス人に憧れているから、イギリス人と妥協する余地がある。日本は英国に「貸し」を作っても、それを「返せ」と要求せず、「何も無かった」かのように付き合うべきだ。そうすれば、イギリス人だって「いつか、この礼はするから」と考えるだろう。日本は本当に困った時だけ、昔の「借し」を仄めかし、本国のブリテン政府や植民地のイギリス人に動いてもらう方が得である。

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(左 : インド人の召使いを持つイギリス人  /  右 : 第二次世界大戦前のアフリカ人労働者)

  日本人は植民地の白人を“やっつけた”ことで気分爽快となるが、歐米諸国を敵に回すことは全般的に見て損である。例えば、日露戦争の時、日本は日英同盟があったお陰で本当に助かった。英国側からロシア軍の情報をもらえたし、英国の海底ケーブルを利用させてもらったことで、無線通信の欠点を補うこともできた。一方、インド人やビルマ人と仲良くなっても、戦艦の建造とか化学兵器の開発に役立つわけでもないし、日本の知的水準が向上するわけでもない。列強各国の内部情報すら入ってこないし、戦争になった時の仲介役にもならない。地下資源に恵まれていても、アジアの土民には画期的なた掘削技術とか輸送設備が無いから、宝の持ち腐れである。日本人が上等な知識を得るのは、いつも歐米諸国からで、東郷平八郎は若い頃、元の敵だった英国に留学したし、秋山真之はアメリカ、兄の秋山好古はフランス、乃木希典と川上操六はドイツへ留学した。戦前の優秀な大学生や青年士官は、科学や軍事を学ぶためにタイとかフィリピンに留学したのか?

  日本の保守派国民は歐米人への憧れと反感に苛まれているから、高山氏の白人批判に与することが多い。しかし、支那人やロシア人は日本を弱体化するために、この劣等感や怨念を巧みに利用する。狡猾な工作員は、バカどもを戦わせ、「漁夫の利」を得ようと考える。確かに、歐米と日本が正面衝突すれば、両者とも多大な損害を出し、勝者ですら国内がボロボロとなるから、毛沢東やスターリンのような極悪人は大喜びだ。実際、第二次世界大戦の勝者は支那とソ連の独裁者である。高山氏のようなジャーナリストは地政学や戦略論に弱いから、蛸壺史観に嵌まりやすい。すなわち、長期的、巨視的、世界史的な思考を持たず、日本国内だけで通用する感情論に夢中で、自分がどうなってしまうのか予想できないのだ。なるほど、日本の将兵が大量の血を流したお陰で、アジア人は独立できたんだろうが、肝心の日本が米国の属州じゃ、英霊は何のために戦ったのか判らない。

  高山氏は激怒するかも知れないが、彼のような日本人は我々に恨みを抱く在日朝鮮人とソックリだ。朝鮮人は日本人から多大な恩恵を受け、日韓併合で「国民」にもしてもらったのに、「搾取された」とか「差別された」「虐げられた」と言いたい放題。それなら、さっさと朝鮮半島に帰ればいいのに、子や孫、曾孫の世代になっても日本に居坐り、帰化申請で「日本国民」になろうとする。高山氏のような日本人は、奴隷制を持っていたアメリカ人やインドを植民地にしたイギリス人、インドネシアで暴君となっていたオランダ人を糾弾するが、一般国民は歐米の白人と絶交しようとは思わない。そもそも、ウイグル人やチベット人を虐殺する支那人と「友好関係」を築こうとする財界人があちこちにいるくらいだから、日本の民衆は外人の不幸に対して冷淡だ。

  筆者が「みっともない」と思うのは、日本人の二重思考である。高山氏の追随者は、日米同盟から恩恵を受けても、アメリカ白人の人種差別をあげつらい、日本人はパリの講和会議で人種差別撤廃を訴えた、と自己称讃。でも、実際の日本は違う。特に敗戦後の日本では、人種差別なんか普通だった。赤線の娼婦は黒人兵とも付き合い、中には黒人の子供を身籠もる女性がいたから大変だ。アフリカ人の顔つきで、縮れ毛の黒い子供なんて、実家の両親に会わせることはできない。たとえ、両親が受け容れても、近所の人々は噂話で持ちきりだ。都会のインテリだって本質的に変わりがない。彼らは大っぴらに声を上げないが、ひっそりと陰口を叩いて忌み嫌う。こんな塩梅だから、黒い赤ん坊を産んでしまったパンパンは、我が子を孤児院に預けるかドブに棄てるしかない。東南アジアに派遣された日本人も、人種平等の観念なんか無かった。高学歴で名門の紳士だと、現地のアジア人を見て、「こんな土人どもと一緒にされてたまるか !」と侮蔑していたそうだ。

  高山氏のような日本人は、個人的な体験から白人に恨みを持つ場合が多い。例えば、英国や米国に行ったとき、英語が上手く喋れず悔しい思いをしたとか、白人の同級生や同僚から小馬鹿にされ激怒したことがある、といったトラウマを抱えている。だいたい、白人が主体の国家に行って「白人の天下なんてけしからん !」と憤慨する方が間違っている。日本だって日本人が主体で、日本人が優先される国家じゃないか。ウガンダやナイジェリアに行った日本人で、「現地では黒人が威張っていて、日本人を支那人と間違え愚弄している。実にけしからん !」と怒る奴がいるのか? 昔、ガーナ人は日本人を「黄色いチビ」と馬鹿にしていたが、いきり立って街頭デモを起こす者はいなかった。厭な国には行かなければいいだけ。他人の心を強制的に変える事は出来ないので、日本人を嫌う白人に「差別はやめろ !」とか「日本人を好きになれ !」と言っても無駄である。我々は日本人を好きな歐米人とだけ付き合えばいい。

  一部の白人から馬鹿にされたから白人に反撥する高山氏を見ていると、「精神が弱いのかなぁ~」と思ってしまう。劣等感に悩んでいる人やその劣等感を隠している人は、馬鹿にされることに敏感で、直ぐカッとなる。丁度、いじけた心を持つ在日鮮人が、「チョーセンジ」という言葉を聞いて激昂するのと同じだ。朝鮮人に生まれたことを恥じる在日鮮人は、ガラスの精神を持っており、ちょっとでも差別に遭うと狂ったように怒り出す。強い精神を持つ日本人は、外人の誹謗中傷に一々怒ることはない。日本人を侮蔑したり嫌ったりする白人がいてもいいじゃないか。日本人の素晴らしさを解らぬ白人の方が馬鹿なだけだ。知能が高く、国家や民族性を勉強した歐米人なら、日本人をアジア人と同じタイプとは思わないし、違った評価をして尊敬することさえある。

  たぶん、高山氏が出逢った白人というのは、教養や品性を持たぬジャーナリストなのかも知れないぞ。高山氏は新聞記者時代、ロサンジェルスに駐在したというが、どんな人物と交流し、如何なる種類の白人と付き合っていたのか? 上智大学の故・篠田雄次郎とか、同僚だった渡部昇一先生はドイツ人やイギリス人の友人を多く持っていたが、西尾幹二や高山氏が日本に友人を招いたという話は聞いたことがない。チャンネル桜がアメリカやドイツに取材班を派遣し、彼らの友人を訪ねたらいいのに、と思ってしまう。世界には差別と偏見が充満しており、こうした悪徳は何も歐米人に限ったことではない。支那や朝鮮、ロシアでは昔から庶民が奴隷だったし、インドはカースト制度で雁字搦めだ。イスラム教徒がアフリカ人を購入し、奴隷として売り飛ばすなんて当たり前。ユダヤ商人はローマ時代から奴隷を扱っており、米国のロードアイランドは奴隷貿易の中継地点として有名だ。まともな日本人は西歐以外の民族と国家について調べた方がいい。

 


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スターリンは独立の悪党だった

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信仰より現世を選ぶ神学生

  国家総力戦が起こった第20世紀には、それに相応しい梟雄(きょうゆう)が謀略を張り巡らしていた。その中でも、一、二を争う悪党と言えば毛沢東とスターリンである。一般的に、ユダヤ人や西歐人はヒトラーを巨悪の代名詞にするが、本当に兇悪なのはロシアの独裁者と支那の赤い皇帝だ。ユダヤ人の虐殺数から言えば、スターリンの方が遙かにヒトラーを上回るし、チャーチルとローズヴェルトを手玉に取り、ソ連を超大国に仕立てた暴君の奸智は“超一流”としか言い様がない。戦争というのは政治「目的」を達成する為の「手段」であり、武力を使った「外政」の「延長」だから、最終的に戦争目的を達成した者が“勝者”である。大英帝国を没落させたチャーチル首相は、戦闘で勝ったとはいえ、外政上の「敗者」であるし、ソ連の東歐征服を助けたトルーマン大統領も「敗者」の側に片足を突っ込んでいるから、「勝者」とは言いづらい。翻って、毛沢東は日本軍対して劣勢だったけど、政治力学の秀才だったから、漁夫の利を得て「勝者」となった。この極悪人は単細胞の日本人を利用して蔣介石を追放し、宏大な支那大陸をまんまと手中に収めたんだから大したもんだ。一方、満座の席で笑われるのが我が国で、運搬方法も考えぬまま石油獲得のために東南アジアへと進出し、「大東亜解放」という妄想を叫んで米国と闘ってはみたものの、見事に惨敗。アジア諸国が独立できても、我が国は軍隊を失い、米国の属州になって未だに立ち直れない。深田祐介の解放論は「日本」を忘れているのだろう。 日本人は「自国の独立」を最優先にすべきだ。

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(左: ハリー・トルーマン  /  中央: ヨシフ・スターリン / 右: ウィンストン・チャーチル )

  第二次世界大戦で“最大の果実”をもぎ取ったスターリンは、毛並みの良い貴族でもなければ、名門大学出の御曹司でもなかった。後に「スターリン」と呼ばれるヨシフ・ヴィサリオノヴィッチ・ジュガシヴィリは、1879年、グルジアにある「ゴリ」という町が故郷で、靴職人を営むヴィサリオンとその妻エカチェリーナとの間に生まれた。1879年と言えば、明治12年だから、スターリンは小説家の正宗白鳥や作曲家の瀧廉太郎、物理学者のアルバート・アインシュタインと同世代の人物となる。なるほど、同級生となるマルキストの河上肇はラッキーだろうが、大正天皇がお生まれになった年でもあるから、我々としては不愉快で気分が悪い。他人の命を平気で奪ったスターリンは結構しぶとく、1953年(昭和28年)に74歳で亡くなっているから、天の摂理は何とも不条理だ。大正天皇は1926年に崩御されたのに、この極悪人は吉田茂のバカヤロー解散くらいまで長生きしたんだから。


Stalin 6(左  / 青年時代のスターリン )
  スターリンと言えば泣く子も黙る大虐殺の達人であったが、少年時代はそれと全く異なり、周囲も認める優秀の神学生であった。世の中に尽くした偉人と同じく、悪党の経歴というのも意外性に満ちている。幼い頃、「ソソ」と呼ばれたスターリンは、病気ばかりしている虚弱児で、左腕が右腕よりも短く、その右腕すら動かすのがやっとの少年であった。ソソが母親から受け継いだ言葉はグルジア語であったが、ロシア人の友達と遊んでいたので自然とロシア語を流暢に話せるようになったらしい。彼が10歳の時、母のエカチェリーナは息子をゴリの神学校に入れようと思い、受験準備をさせたところ、ソソは優秀な成績で合格したという。しかも、月額3ルーブル50ペイカの奨学金まで得たというから、トップ・クラスに属する生徒であった事は間違いない。(バーナード・ハットン 『スターリン』 木村浩訳、講談社学術文庫、1989年) 学級で一番の優等生になったソソは、記憶力が抜群に良かったというから、小さい頃からギャングの親玉になる素質があったのだろう。

  世界を揺るがす独裁者が、幼い頃とはいえ、教会で賛美歌を独唱していたなんて冗談みたいな話だが、冷酷な革命家で神学校出身の人物は珍しくない。例えば、フランス革命で指導的役割を果たしたマクシミリアン・ロベスピエール(Maximilien F. M. I. de Robespierre)は、オラトリオ修道会の神学校を経て、パリのルイ・ル・グラン学院に入ったし、権謀術数を駆使して警察長官にまで上り詰めたジョセフ・フーシェ(Joseph Fouché)も、オラトリオ修道会の神学校に通い、結構な知識を身につけた姦雄の一人であった。(このフーシェという革命家は煮ても焼いても食えない奴で、シュテファン・ツヴァイクの伝記に詳しいが、本当に狡賢い“クセ者”である。) 地元の子供と変わりなく神学校に通うソソであったが、彼の関心は天上の来世ではなく、地上の俗世であった。ソソは旋毛(つむじ)に悪魔の刻印が出来る前に、民族意識が目覚めたようで、祖国解放の気概に満たこの少年は、友達を前にしてグルジア民族の英雄である「コバ」を讃えたそうだ。そして、自らもコバに倣い「民族解放の闘士になるんだ !」と息巻いていた。

Robespierre 2Joseph Fouche 2Karl Marx 1









(左: ロベスピエール  / 中央: ジョセフ・フーシェ  / 右: カール・マルクス )

  こうした野望に燃えた少年が退屈な聖書や神学書に没頭するはずがなく、少年「コバ」が好奇心を示すのはロシア政府から禁じられていた書物であった。彼は手当たり次第に図書室の本を貪り読んだそうで、バルザックの『人間悲劇』からヴィクトル・ユーゴーの『九十三年』、さらにカール・マルクスの『資本論』へと目を通していたそうだ。こうして、禁書と革命に興味を抱いた神学生は、次第に政治活動へと傾いてくる。彼はマルクス主義グループを組織するようになり、この集団に『ブルゾーラ(闘争)』という名前をつけると、その指導者になってしまった。メンバーは危険を避けるため、各人が匿名を用い、ソソは以前から憧れていた「コバ」の名前を選んだそうだ。

Kamenev 3(左  /  カーメネフ)
  スターリンは神学生であったが、聖人が伝えた有り難い福音より、破壊分子の荒々しい雄叫びに興奮した。関根勤のギャグじゃないけど、「納得!」と言いたい。スターリンにとって、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」という教えは、ナンセンスどころか愚の骨頂だ。それよりも、「憎い圧制者を容赦無く打倒せよ !」とか「刃向かう者は皆殺しにしろ !」というスローガンの方が似合っている。社会主義と暴力革命に馳せ参じるスターリンは胸がときめき、「これが我が人生 !」と生き甲斐を感じていたんじゃないか。今では、東大の赤い学生でも「将来の職業は?」と訊かれて、「職業革命家です!」と答える馬鹿はいないけど、ロマノフ王朝時代のロシアでは、そこら辺に赤ヘルの卵がゴロゴロいた。敵をぶっ倒すことで生きて行けるなら、スターリンにとって格好の天国だ。「陰謀」と「暴力」は彼の十八番。破壊活動やストライキに参加して、官憲に追われる姿も結構「絵」になっている。ちなみに逃走中、スターリンは後に夫人となるナジェージタと出逢っていた。そして、この「お尋ね者」は若きジャーナリストのレフ・ボリソヴィッチ・ローゼンフェルド(Lev Borisovich Rozenfeld / 後のKamenev カーメネフ)に匿われていたのである。(ちなみに、カーメネフはユダヤ人の父を持っていた。ロシアの革命分子にはユダヤ人が多い。)

犯罪者に向いている革命家

  人には「向き不向き」というものがあるようで、チフリスの神学校を去って社会民主党に移ったコバは、メキメキと頭角を現すようになり、22歳で党の指導的地位にまで昇ることができた。彼の才能は犯罪で開花する。例えば、コバは党の発展のためにも秘密出版所が必要であると悟っていた。しかし、あいにく党の金庫は空っぽで、印刷用の設備すら“無い”ときている。せっかく、グルジア語やアルメニア語、トルコ語、ロシア語のパンフレットを作成できるのに、それを刷ることができないなんて残念。だが、そんなことでヘコたれるコバではない。この策略家は、「お金や機械が無ければ、どこからか調達してくればいい」と考える。ある日、裕福なアルメニア人印刷業者の工場に強盗が入り、活字ケースや印刷機が強奪されるという事件が起きたそうだ。すると、「あら不思議 !」、コバのところに秘密印刷所が出来ました。(上掲書 p.28) さすが、スターリンは機転が利く。

Joseph Stalin 1(左  / 若い頃のスターリン )
  盗みが得意だったコバは、脱走の名人でもあった。官憲に目を附けられたコバは、ある事が切っ掛けで逮捕されてしまい、シベリアにある「ノーヴァダ・ウヤ」という僻地に流刑となる。だが、党の仲間から二年前に死亡した絨毯商、ダヴィド・ニジェラーゼ名義の旅券を手に入れ、その村を脱出することができた。人間の心理を察知するのが上手いコバは、クリスマス・イヴに脱走を図ったという。なぜなら、その神聖な夜であれば、どんな連中も仕事を放り出し、職務そっちのけで酔っ払うに違いないと踏んだからだ。確かに、ロシア人ならウォッカをがぶ飲みしてドンチャン騒ぎというのが目に浮かぶ。お祭りの日に真面目に働くロシア人なんて想像できない。今だって、サッカーやアイス・ホッケーの世界大会があれば、仕事をズル休みして会場に駆けつけるんじゃないか。それにしても、スターリンは強靱な体を持っていた。安全地帯のマカーロフ村まで20マイルもあるのに、極寒の中、気が遠くなるほどの道のりを歩いたんだから。しかも、途中には空腹を抱えた狼や熊までいたというから、いくら猟銃を所持していたとはいえ、随分と危険を冒したものである。スターリンの評伝によると、寒風吹きすさむ中、コバの足は痺れ、肌を突き刺す冷気で凍死寸前だったというから、悪人というのは本当に運が強い。

Leonid Krasin 2(左  /  レオニード・クラーシン)
  ボリシェビキときたら威勢だけは良かったが、肝心の活動資金に困っていた。そこで、レーニンの腹心だったレオニード・クラーシン(Leonid B. Krasin)が「チフリスの国立銀行を襲って、金を奪ったらどうでしょう?」と提案したそうだ。この「解決策」を実行するに当たり、白羽の矢が立ったのはコバ。というのも、彼以外、適役がいなかったからだ。要請を受けたコバは軍資金として50ルーブルをもらい、ダヴィド・チジコフという偽名まで用いて故国へ派遣されることになった。大規模な強奪計画を練り始めたコバは、チフリス銀行が頻繁に100万から200万ルーブルに上る現金を輸送する事に着目し、彼はこの点を突くことにしたという。待望の掠奪行為はある早朝に実行された。武装したコサック隊は銀行を出発した貨物運搬車を襲撃し、護送車からの反撃を受けるも、34万1千ルーブルの現金と、農業銀行の国庫債券、株券、鉄道債券などを強奪したという。

  ところが、奪った金は危険過ぎて直ぐには使えなかった。なぜなら、掠奪したお札が全部、高額紙幣の500ルーブ札で、おまけに、全部が続き番号の紙幣であったからだ。当時のロシアでは、1ルーブル紙幣1枚あればお金持ちと見なされていたくらいだから、500ルーブル紙幣なんて使ったら大変だ。コバたちは警察当局の捜査が打ち切られるのを待ってから、その紙幣や債権を国外に持ち出し、「リトヴィノーフ」の偽名を持つワラッフがパリで処分るはずであった。しかし、「リトヴィノーフ」はこの段取りを実行できず、あっさりと官憲に捕まってしまった。警察はダヴィド・チジコフという男が事件に関与していると察知したが、その容疑者がコバであることまでは判らなかったという。

  コバはコーカサス刑事捜査部に務める友人から、この捜査情報を渡されので、偽名を用いて旅券を手に入れると、さっそく高飛びを図った。しかし、誰かの密告により捕まってしまう。この不運な男はロシアの極北地、ソリビチェゴッツクという町に送られてしまうが、またもや偽名旅券を手に入れ脱走できた。まったく、要領がいいというか、狡賢いというか、窮地に立たされても何とか抜け出してしまうんだから、スターリンは根っからの犯罪者である。巣鴨プリズンに収容されたA級戦犯は、みんな“しょげていた”というから、ちっとはスターリンを見倣うべきだ。ただし、服役者の中で岸信介だけが元気だった、というから長州出身の「元革新官僚」で、「昭和の妖怪」と呼ばれた豪傑は桁が違っていたのだろう。

  バクーに戻ったスターリンは、壊滅状態にある党組織を目にする。大部分の指導者が警察に逮捕されていたし、党を運営する資金も底をついていた。でも、スターリンには心強い仲間がいた。といっても、強盗犯や前科者ばかりだったけど。お金が欲しいスターリンは、商店主や銀行家、実業者などりリストを作り、党に「献金」してほしいと“鄭重”に頼んだそうだ。しかし、この「お願い」拒み、警察に訴える者がいると、「お礼参り」があったという。つまり、こんな「階級の敵」には容赦せぬとばかりに、ゴロツキどもが商店や邸宅を破壊したそうだ。それにもし、被害者がこの「仕返し」を警察に訴えようとすれば、「お前ばかりか、テメエの家族まで命をもらうことになるぞ」と脅したそうだから、何とも念が入っている。ロシア人やグルジア人の恐喝って、ヤクザの因縁よりも怖い。なんかエメリアエンコ・ヒョードルみたいな用心棒が出て来そうだもん。そう言えば、K-1チャンピオンのセーム・シュルトを破ったセルゲイ・ハリトーノフは驚愕を越えた恐ろしさを味わっていた。試合中、彼がシュルトの首に馬乗りとなり、その顔面に鉄槌を下したことがある。ハリトーノフの顔には、必殺仕掛人でさえ怯えるほどの狂気があった。案の定、シュルトの顔は鮮血まみれ。外人の格闘家さえ、そのドス黒く紫色に変わった顔面に驚き、ゾっとするような戦慄を覚えたくらいだ。ロシア人と比べたら、日本人の格闘家なんて温和な好青年である。

娼婦を搾取する共産主義者

  銀行強盗を実行したスターリンは、別の資金集めにも熱心だった。今度は売春宿の経営だ。彼は警察のブラックリストに載っているラヨス・コレスクと一緒に売春宿を切り盛りすることになった。スターリンは娼婦らに街頭や報酬の悪い所で商売せず、自分達のもとに移るよう説得したそうだ。やがて彼の売春宿は、チフリスでも、バクーやバツームでも大繁盛となった。女たちは体を売って得た料金の1割をもらい、コレスクは宿の運営、女たちの扶養、自分の取り分などを含めて5割を受け取り、残りの4割をコバに渡したそうだ。(上掲書 p.45) ところが、こうして売上げの一部を得ていたコバは、“ちゃっかり”と店の常連客になっていたというから、何とも図々しい野郎である。まぁ、後にローズヴェルトやチャーチルを騙すことになるんだから驚かないけど、“抜かりの無い”コバは、こっそりと上納金の一部をピンハネしていたそうだ。学校の先生は教えないけど、陰で“ほくそ笑む”スターリンって、とても「絵」になっている。

  仕事と趣味を両立してコバは満足だったが、この噂を聞きつけたレーニンは眉を顰めたという。そりゃ、そうだ。建前でも、一応、革命家たちは「人間による人間の搾取」に反対していたのだ。それなのに、当の革命家が娼婦の生き血を啜って肥え太っていたのでは世間体が悪い。(コバ自身はそんな矛盾をちっとも「悪い」とは思っておらず、娼婦の搾取など当然と考えていた。さすが、極道のスターリンは生きている次元が違う。) また、売春宿の運営実態は不透明で、帳簿や領収書も無かったから、党はコバの差し出すお金を黙って受け取るしかなかった。したがって、誠実なボルシェビキ党員がコバの遣り口を非難したのも当然だ。レーニンはコバ宛に手紙をしたため、売春商売が党の名誉を傷つけていると非難したそうだ。綺麗事を好むインテリのレーニンは、自分でお金を稼がないくせに、スターリンが売春で仕送りしている事に文句を長けていたんだから、何となくスターリンの方が偉く思える。

  レーニンから書簡を受け取ったコバは、怒れる党の指導者に返事を送り、自分は売春宿を悪いとは思っていないと述べ、むしろ女たちを以前よりも良い状態で暮らせるようにしてやったのだ、と自慢したそうだ。なぜなら、娼婦たちは雨の日も風の日も、通りに出ては客を拾い、警察にしょっ引かれる心配をしながら営業していたのだ。しかし、今ではそうした不安に怯えることもなく、ちゃんとした家に住み、まともな食事を取れるようになった。こうした改善を施してやったのだから、「いいじゃないか」というのがコバの主張である。こう聞くと、コバの言い分にも一理あると納得してしまうから不思議だ。まるでスターリンが慈悲深い元締に見えてくる。といっても、山口組の田岡組長とは違うぞ。ある新聞記者が、スターリンの売春業を記事にしようとしたらしい。すると、「自分の関係無いことに首を突っ込むな !」と怒鳴られ、「お前とお前の家族も皆殺しにするぞ !」と脅されたそうだ。それ以来、誰一人としてこの件を明るみに出そうとはせず、警察も女たちが口を割らないため介入できなかったという。

Lenin 2Trotsky 2Wilhelm II










(左: 若い頃のレーニン  / 中央: トロツキー  /  右: 皇帝ウィルヘルム2世)

  ボルシェビキ党は定期的に資金を得ることができ、各種の出版物やパンフレットをばらまくことが出来るようになった。しかし、コバは「党に大打撃を与える事になる」というレーニンの忠告に耳を傾け、これからは彼の指令通りに従うことを約束したそうだ。コバはコレスクと話をつけ、方々の売春宿に足繁く通うことを止めたという。その代わり、彼は別の資金源を開拓した。街頭で「他人に頼らず稼ぐ」娼婦たちの為に、「保護事業」なるものを起こし、コバは喜んで「保護者」になるという前科者を集めたらしい。この連中は町を巡回し、娼婦から稼ぎの上前をハネて、その一部を党に上納したそうだ。でも、これって間接搾取じゃないのか? つまり、サラリーマンの源泉徴収みたいなものだ。企業の会計係が社員の給料から税金をピンハネし、この「抜き取った金」を税務署に上納する。税務署の役人は自らの手を汚さず、“きっちりと”年貢を集められるから楽なもんだ。

  スターリンはとんでもない悪党だけど、ある意味、レーニンやトロツキーなんかより凄い。なぜなら、お金に困れば“自力”で工面したからだ。口ばかりが達者な党の幹部連中は、活動資金を資本制国家の金融業者に求めた。レーニンたちが革命を達成するため、ドイツの皇帝と銀行家に頼ったことは有名だ。ドイツに店を構えるウォーバーグ銀行のマックス・ウォーバーグ(Max Moritz Warburg)は、カイゼルに資金提供の話を持ち掛け、ロシアの内乱を拡大したかったカイゼルはこれを諒承する。ドイツ政府は充分な資金を用意して、レーニンとその取り巻き連中を安全にスイスからロシアに輸送する手筈を整えた。この資金調達のために動いたのは、マックスの弟であるポール・ウォーバーグ(Paul M. Warburg)であり、彼とパートナーを組むヤコブ・シフ(Jacob Schiff)、そしてウォール街の国際金融家であった。(この経緯は、アンソニー・サットン教授の『ウォール街とボルシェビキ革命』に詳しい。) 本質的に、“ロシア”革命は“ユダヤ人”の金貸しと扇動家によって画策された政府転覆事業である。ヤコブ・シフから軍資金を調達できた日本人は「誠に有り難う御座います」と感謝していたが、シフにとっては憎いロマノフ王朝を倒すための、便利な「駒」に過ぎなかった。ポグロムでユダヤ人を殺すロシア人に仕返しをする為なら、いくら大金を使っても惜しくはない。たとえ、我が国が日露戦争で勝てなくても、相当なダメージを与えたはずだから、シフとしてはおおよそ満足だろう。ユダ人の大富豪にしたら、日本なんて使い捨ての消耗品である。かくも現実は冷酷で厳しい。

Max Warburg 1Paul Warburg 1Jacob Schiff 1










(左: マックス・ウォーバーグ  / 中央: ポール・ウォーバーグ  / 右: ヤコブ・シフ )

  一般的に、インテリというのは口舌の徒で、演説は上手いが銭儲けに関しては素人だ。しかも、勇ましいことを述べても、いざ腕力で勝負となるや尻込みする。その点、スターリンは武闘派の革命家で、資金が無ければ強盗になるし、売春婦を使ってでも小銭を稼ごうとする。暗黒街で暮らしたスターリンにとっては殺人だって朝飯前だ。このような犯罪者は、実際にナイフを持って人の腹を刺し、グリグリと刃物を回転させ、腸をズタズタに切り刻む事ができる。鮮血で濡れた手を見ても驚かず、帰って喜びを感じるのがスターリンみたいな男だ。この独裁者と比べたら、卑怯者の菅直人や、機動隊にボコボコにされた全共闘の学生、ソ連の赤軍を待ち望んだ野坂参三や宮本顕治なんか、母親の背後に隠れる稚児に等しい。日本の左翼には自分で自分の運命を切り開く気概が無いのだ。スターリンはレーニンのように銀行家に「借り」を作らず、独立不羈の革命家を目指した。このレーニンが病に倒れれば毒を盛って暗殺するし、邪魔になったトロツキーは奸計を用いて排斥しようとする。自分にとって危険な者は誰でも抹殺し、ちょっとでも障碍となれば粛清の対象にしてしまうんだから、ロシアの君主になる奴は只者じゃない。観念的な共産主義に憧れた近衛文麿は、本当に世間知らずの「お公家さん」だった。近衛家のお坊ちゃんには、人殺しや強盗など出来ないし、任せることさえ出来ない。『ゴッド・ファーザー』のドン・コルレオーネ役には、マーロン・ブランドーじゃなくて、ヨシフ・スターリンが適役だったのかもね。でも、アカデミー賞を授与するユダヤ人は複雑な気持ちだろうなぁ。  


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