無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

歴史問題

スターリンは独立の悪党だった

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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信仰より現世を選ぶ神学生

  国家総力戦が起こった第20世紀には、それに相応しい梟雄(きょうゆう)が謀略を張り巡らしていた。その中でも、一、二を争う悪党と言えば毛沢東とスターリンである。一般的に、ユダヤ人や西歐人はヒトラーを巨悪の代名詞にするが、本当に兇悪なのはロシアの独裁者と支那の赤い皇帝だ。ユダヤ人の虐殺数から言えば、スターリンの方が遙かにヒトラーを上回るし、チャーチルとローズヴェルトを手玉に取り、ソ連を超大国に仕立てた暴君の奸智は“超一流”としか言い様がない。戦争というのは政治「目的」を達成する為の「手段」であり、武力を使った「外政」の「延長」だから、最終的に戦争目的を達成した者が“勝者”である。大英帝国を没落させたチャーチル首相は、戦闘で勝ったとはいえ、外政上の「敗者」であるし、ソ連の東歐征服を助けたトルーマン大統領も「敗者」の側に片足を突っ込んでいるから、「勝者」とは言いづらい。翻って、毛沢東は日本軍対して劣勢だったけど、政治力学の秀才だったから、漁夫の利を得て「勝者」となった。この極悪人は単細胞の日本人を利用して蔣介石を追放し、宏大な支那大陸をまんまと手中に収めたんだから大したもんだ。一方、満座の席で笑われるのが我が国で、運搬方法も考えぬまま石油獲得のために東南アジアへと進出し、「大東亜解放」という妄想を叫んで米国と闘ってはみたものの、見事に惨敗。アジア諸国が独立できても、我が国は軍隊を失い、米国の属州になって未だに立ち直れない。深田祐介の解放論は「日本」を忘れているのだろう。 日本人は「自国の独立」を最優先にすべきだ。

Harry Truman 3Stalin 3winston churchill 3








(左: ハリー・トルーマン  /  中央: ヨシフ・スターリン / 右: ウィンストン・チャーチル )

  第二次世界大戦で“最大の果実”をもぎ取ったスターリンは、毛並みの良い貴族でもなければ、名門大学出の御曹司でもなかった。後に「スターリン」と呼ばれるヨシフ・ヴィサリオノヴィッチ・ジュガシヴィリは、1879年、グルジアにある「ゴリ」という町が故郷で、靴職人を営むヴィサリオンとその妻エカチェリーナとの間に生まれた。1879年と言えば、明治12年だから、スターリンは小説家の正宗白鳥や作曲家の瀧廉太郎、物理学者のアルバート・アインシュタインと同世代の人物となる。なるほど、同級生となるマルキストの河上肇はラッキーだろうが、大正天皇がお生まれになった年でもあるから、我々としては不愉快で気分が悪い。他人の命を平気で奪ったスターリンは結構しぶとく、1953年(昭和28年)に74歳で亡くなっているから、天の摂理は何とも不条理だ。大正天皇は1926年に崩御されたのに、この極悪人は吉田茂のバカヤロー解散くらいまで長生きしたんだから。


Stalin 6(左  / 青年時代のスターリン )
  スターリンと言えば泣く子も黙る大虐殺の達人であったが、少年時代はそれと全く異なり、周囲も認める優秀の神学生であった。世の中に尽くした偉人と同じく、悪党の経歴というのも意外性に満ちている。幼い頃、「ソソ」と呼ばれたスターリンは、病気ばかりしている虚弱児で、左腕が右腕よりも短く、その右腕すら動かすのがやっとの少年であった。ソソが母親から受け継いだ言葉はグルジア語であったが、ロシア人の友達と遊んでいたので自然とロシア語を流暢に話せるようになったらしい。彼が10歳の時、母のエカチェリーナは息子をゴリの神学校に入れようと思い、受験準備をさせたところ、ソソは優秀な成績で合格したという。しかも、月額3ルーブル50ペイカの奨学金まで得たというから、トップ・クラスに属する生徒であった事は間違いない。(バーナード・ハットン 『スターリン』 木村浩訳、講談社学術文庫、1989年) 学級で一番の優等生になったソソは、記憶力が抜群に良かったというから、小さい頃からギャングの親玉になる素質があったのだろう。

  世界を揺るがす独裁者が、幼い頃とはいえ、教会で賛美歌を独唱していたなんて冗談みたいな話だが、冷酷な革命家で神学校出身の人物は珍しくない。例えば、フランス革命で指導的役割を果たしたマクシミリアン・ロベスピエール(Maximilien F. M. I. de Robespierre)は、オラトリオ修道会の神学校を経て、パリのルイ・ル・グラン学院に入ったし、権謀術数を駆使して警察長官にまで上り詰めたジョセフ・フーシェ(Joseph Fouché)も、オラトリオ修道会の神学校に通い、結構な知識を身につけた姦雄の一人であった。(このフーシェという革命家は煮ても焼いても食えない奴で、シュテファン・ツヴァイクの伝記に詳しいが、本当に狡賢い“クセ者”である。) 地元の子供と変わりなく神学校に通うソソであったが、彼の関心は天上の来世ではなく、地上の俗世であった。ソソは旋毛(つむじ)に悪魔の刻印が出来る前に、民族意識が目覚めたようで、祖国解放の気概に満たこの少年は、友達を前にしてグルジア民族の英雄である「コバ」を讃えたそうだ。そして、自らもコバに倣い「民族解放の闘士になるんだ !」と息巻いていた。

Robespierre 2Joseph Fouche 2Karl Marx 1









(左: ロベスピエール  / 中央: ジョセフ・フーシェ  / 右: カール・マルクス )

  こうした野望に燃えた少年が退屈な聖書や神学書に没頭するはずがなく、少年「コバ」が好奇心を示すのはロシア政府から禁じられていた書物であった。彼は手当たり次第に図書室の本を貪り読んだそうで、バルザックの『人間悲劇』からヴィクトル・ユーゴーの『九十三年』、さらにカール・マルクスの『資本論』へと目を通していたそうだ。こうして、禁書と革命に興味を抱いた神学生は、次第に政治活動へと傾いてくる。彼はマルクス主義グループを組織するようになり、この集団に『ブルゾーラ(闘争)』という名前をつけると、その指導者になってしまった。メンバーは危険を避けるため、各人が匿名を用い、ソソは以前から憧れていた「コバ」の名前を選んだそうだ。

Kamenev 3(左  /  カーメネフ)
  スターリンは神学生であったが、聖人が伝えた有り難い福音より、破壊分子の荒々しい雄叫びに興奮した。関根勤のギャグじゃないけど、「納得!」と言いたい。スターリンにとって、「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」という教えは、ナンセンスどころか愚の骨頂だ。それよりも、「憎い圧制者を容赦無く打倒せよ !」とか「刃向かう者は皆殺しにしろ !」というスローガンの方が似合っている。社会主義と暴力革命に馳せ参じるスターリンは胸がときめき、「これが我が人生 !」と生き甲斐を感じていたんじゃないか。今では、東大の赤い学生でも「将来の職業は?」と訊かれて、「職業革命家です!」と答える馬鹿はいないけど、ロマノフ王朝時代のロシアでは、そこら辺に赤ヘルの卵がゴロゴロいた。敵をぶっ倒すことで生きて行けるなら、スターリンにとって格好の天国だ。「陰謀」と「暴力」は彼の十八番。破壊活動やストライキに参加して、官憲に追われる姿も結構「絵」になっている。ちなみに逃走中、スターリンは後に夫人となるナジェージタと出逢っていた。そして、この「お尋ね者」は若きジャーナリストのレフ・ボリソヴィッチ・ローゼンフェルド(Lev Borisovich Rozenfeld / 後のKamenev カーメネフ)に匿われていたのである。(ちなみに、カーメネフはユダヤ人の父を持っていた。ロシアの革命分子にはユダヤ人が多い。)

犯罪者に向いている革命家

  人には「向き不向き」というものがあるようで、チフリスの神学校を去って社会民主党に移ったコバは、メキメキと頭角を現すようになり、22歳で党の指導的地位にまで昇ることができた。彼の才能は犯罪で開花する。例えば、コバは党の発展のためにも秘密出版所が必要であると悟っていた。しかし、あいにく党の金庫は空っぽで、印刷用の設備すら“無い”ときている。せっかく、グルジア語やアルメニア語、トルコ語、ロシア語のパンフレットを作成できるのに、それを刷ることができないなんて残念。だが、そんなことでヘコたれるコバではない。この策略家は、「お金や機械が無ければ、どこからか調達してくればいい」と考える。ある日、裕福なアルメニア人印刷業者の工場に強盗が入り、活字ケースや印刷機が強奪されるという事件が起きたそうだ。すると、「あら不思議 !」、コバのところに秘密印刷所が出来ました。(上掲書 p.28) さすが、スターリンは機転が利く。

Joseph Stalin 1(左  / 若い頃のスターリン )
  盗みが得意だったコバは、脱走の名人でもあった。官憲に目を附けられたコバは、ある事が切っ掛けで逮捕されてしまい、シベリアにある「ノーヴァダ・ウヤ」という僻地に流刑となる。だが、党の仲間から二年前に死亡した絨毯商、ダヴィド・ニジェラーゼ名義の旅券を手に入れ、その村を脱出することができた。人間の心理を察知するのが上手いコバは、クリスマス・イヴに脱走を図ったという。なぜなら、その神聖な夜であれば、どんな連中も仕事を放り出し、職務そっちのけで酔っ払うに違いないと踏んだからだ。確かに、ロシア人ならウォッカをがぶ飲みしてドンチャン騒ぎというのが目に浮かぶ。お祭りの日に真面目に働くロシア人なんて想像できない。今だって、サッカーやアイス・ホッケーの世界大会があれば、仕事をズル休みして会場に駆けつけるんじゃないか。それにしても、スターリンは強靱な体を持っていた。安全地帯のマカーロフ村まで20マイルもあるのに、極寒の中、気が遠くなるほどの道のりを歩いたんだから。しかも、途中には空腹を抱えた狼や熊までいたというから、いくら猟銃を所持していたとはいえ、随分と危険を冒したものである。スターリンの評伝によると、寒風吹きすさむ中、コバの足は痺れ、肌を突き刺す冷気で凍死寸前だったというから、悪人というのは本当に運が強い。

Leonid Krasin 2(左  /  レオニード・クラーシン)
  ボリシェビキときたら威勢だけは良かったが、肝心の活動資金に困っていた。そこで、レーニンの腹心だったレオニード・クラーシン(Leonid B. Krasin)が「チフリスの国立銀行を襲って、金を奪ったらどうでしょう?」と提案したそうだ。この「解決策」を実行するに当たり、白羽の矢が立ったのはコバ。というのも、彼以外、適役がいなかったからだ。要請を受けたコバは軍資金として50ルーブルをもらい、ダヴィド・チジコフという偽名まで用いて故国へ派遣されることになった。大規模な強奪計画を練り始めたコバは、チフリス銀行が頻繁に100万から200万ルーブルに上る現金を輸送する事に着目し、彼はこの点を突くことにしたという。待望の掠奪行為はある早朝に実行された。武装したコサック隊は銀行を出発した貨物運搬車を襲撃し、護送車からの反撃を受けるも、34万1千ルーブルの現金と、農業銀行の国庫債券、株券、鉄道債券などを強奪したという。

  ところが、奪った金は危険過ぎて直ぐには使えなかった。なぜなら、掠奪したお札が全部、高額紙幣の500ルーブ札で、おまけに、全部が続き番号の紙幣であったからだ。当時のロシアでは、1ルーブル紙幣1枚あればお金持ちと見なされていたくらいだから、500ルーブル紙幣なんて使ったら大変だ。コバたちは警察当局の捜査が打ち切られるのを待ってから、その紙幣や債権を国外に持ち出し、「リトヴィノーフ」の偽名を持つワラッフがパリで処分るはずであった。しかし、「リトヴィノーフ」はこの段取りを実行できず、あっさりと官憲に捕まってしまった。警察はダヴィド・チジコフという男が事件に関与していると察知したが、その容疑者がコバであることまでは判らなかったという。

  コバはコーカサス刑事捜査部に務める友人から、この捜査情報を渡されので、偽名を用いて旅券を手に入れると、さっそく高飛びを図った。しかし、誰かの密告により捕まってしまう。この不運な男はロシアの極北地、ソリビチェゴッツクという町に送られてしまうが、またもや偽名旅券を手に入れ脱走できた。まったく、要領がいいというか、狡賢いというか、窮地に立たされても何とか抜け出してしまうんだから、スターリンは根っからの犯罪者である。巣鴨プリズンに収容されたA級戦犯は、みんな“しょげていた”というから、ちっとはスターリンを見倣うべきだ。ただし、服役者の中で岸信介だけが元気だった、というから長州出身の「元革新官僚」で、「昭和の妖怪」と呼ばれた豪傑は桁が違っていたのだろう。

  バクーに戻ったスターリンは、壊滅状態にある党組織を目にする。大部分の指導者が警察に逮捕されていたし、党を運営する資金も底をついていた。でも、スターリンには心強い仲間がいた。といっても、強盗犯や前科者ばかりだったけど。お金が欲しいスターリンは、商店主や銀行家、実業者などりリストを作り、党に「献金」してほしいと“鄭重”に頼んだそうだ。しかし、この「お願い」拒み、警察に訴える者がいると、「お礼参り」があったという。つまり、こんな「階級の敵」には容赦せぬとばかりに、ゴロツキどもが商店や邸宅を破壊したそうだ。それにもし、被害者がこの「仕返し」を警察に訴えようとすれば、「お前ばかりか、テメエの家族まで命をもらうことになるぞ」と脅したそうだから、何とも念が入っている。ロシア人やグルジア人の恐喝って、ヤクザの因縁よりも怖い。なんかエメリアエンコ・ヒョードルみたいな用心棒が出て来そうだもん。そう言えば、K-1チャンピオンのセーム・シュルトを破ったセルゲイ・ハリトーノフは驚愕を越えた恐ろしさを味わっていた。試合中、彼がシュルトの首に馬乗りとなり、その顔面に鉄槌を下したことがある。ハリトーノフの顔には、必殺仕掛人でさえ怯えるほどの狂気があった。案の定、シュルトの顔は鮮血まみれ。外人の格闘家さえ、そのドス黒く紫色に変わった顔面に驚き、ゾっとするような戦慄を覚えたくらいだ。ロシア人と比べたら、日本人の格闘家なんて温和な好青年である。

娼婦を搾取する共産主義者

  銀行強盗を実行したスターリンは、別の資金集めにも熱心だった。今度は売春宿の経営だ。彼は警察のブラックリストに載っているラヨス・コレスクと一緒に売春宿を切り盛りすることになった。スターリンは娼婦らに街頭や報酬の悪い所で商売せず、自分達のもとに移るよう説得したそうだ。やがて彼の売春宿は、チフリスでも、バクーやバツームでも大繁盛となった。女たちは体を売って得た料金の1割をもらい、コレスクは宿の運営、女たちの扶養、自分の取り分などを含めて5割を受け取り、残りの4割をコバに渡したそうだ。(上掲書 p.45) ところが、こうして売上げの一部を得ていたコバは、“ちゃっかり”と店の常連客になっていたというから、何とも図々しい野郎である。まぁ、後にローズヴェルトやチャーチルを騙すことになるんだから驚かないけど、“抜かりの無い”コバは、こっそりと上納金の一部をピンハネしていたそうだ。学校の先生は教えないけど、陰で“ほくそ笑む”スターリンって、とても「絵」になっている。

  仕事と趣味を両立してコバは満足だったが、この噂を聞きつけたレーニンは眉を顰めたという。そりゃ、そうだ。建前でも、一応、革命家たちは「人間による人間の搾取」に反対していたのだ。それなのに、当の革命家が娼婦の生き血を啜って肥え太っていたのでは世間体が悪い。(コバ自身はそんな矛盾をちっとも「悪い」とは思っておらず、娼婦の搾取など当然と考えていた。さすが、極道のスターリンは生きている次元が違う。) また、売春宿の運営実態は不透明で、帳簿や領収書も無かったから、党はコバの差し出すお金を黙って受け取るしかなかった。したがって、誠実なボルシェビキ党員がコバの遣り口を非難したのも当然だ。レーニンはコバ宛に手紙をしたため、売春商売が党の名誉を傷つけていると非難したそうだ。綺麗事を好むインテリのレーニンは、自分でお金を稼がないくせに、スターリンが売春で仕送りしている事に文句を長けていたんだから、何となくスターリンの方が偉く思える。

  レーニンから書簡を受け取ったコバは、怒れる党の指導者に返事を送り、自分は売春宿を悪いとは思っていないと述べ、むしろ女たちを以前よりも良い状態で暮らせるようにしてやったのだ、と自慢したそうだ。なぜなら、娼婦たちは雨の日も風の日も、通りに出ては客を拾い、警察にしょっ引かれる心配をしながら営業していたのだ。しかし、今ではそうした不安に怯えることもなく、ちゃんとした家に住み、まともな食事を取れるようになった。こうした改善を施してやったのだから、「いいじゃないか」というのがコバの主張である。こう聞くと、コバの言い分にも一理あると納得してしまうから不思議だ。まるでスターリンが慈悲深い元締に見えてくる。といっても、山口組の田岡組長とは違うぞ。ある新聞記者が、スターリンの売春業を記事にしようとしたらしい。すると、「自分の関係無いことに首を突っ込むな !」と怒鳴られ、「お前とお前の家族も皆殺しにするぞ !」と脅されたそうだ。それ以来、誰一人としてこの件を明るみに出そうとはせず、警察も女たちが口を割らないため介入できなかったという。

Lenin 2Trotsky 2Wilhelm II










(左: 若い頃のレーニン  / 中央: トロツキー  /  右: 皇帝ウィルヘルム2世)

  ボルシェビキ党は定期的に資金を得ることができ、各種の出版物やパンフレットをばらまくことが出来るようになった。しかし、コバは「党に大打撃を与える事になる」というレーニンの忠告に耳を傾け、これからは彼の指令通りに従うことを約束したそうだ。コバはコレスクと話をつけ、方々の売春宿に足繁く通うことを止めたという。その代わり、彼は別の資金源を開拓した。街頭で「他人に頼らず稼ぐ」娼婦たちの為に、「保護事業」なるものを起こし、コバは喜んで「保護者」になるという前科者を集めたらしい。この連中は町を巡回し、娼婦から稼ぎの上前をハネて、その一部を党に上納したそうだ。でも、これって間接搾取じゃないのか? つまり、サラリーマンの源泉徴収みたいなものだ。企業の会計係が社員の給料から税金をピンハネし、この「抜き取った金」を税務署に上納する。税務署の役人は自らの手を汚さず、“きっちりと”年貢を集められるから楽なもんだ。

  スターリンはとんでもない悪党だけど、ある意味、レーニンやトロツキーなんかより凄い。なぜなら、お金に困れば“自力”で工面したからだ。口ばかりが達者な党の幹部連中は、活動資金を資本制国家の金融業者に求めた。レーニンたちが革命を達成するため、ドイツの皇帝と銀行家に頼ったことは有名だ。ドイツに店を構えるウォーバーグ銀行のマックス・ウォーバーグ(Max Moritz Warburg)は、カイゼルに資金提供の話を持ち掛け、ロシアの内乱を拡大したかったカイゼルはこれを諒承する。ドイツ政府は充分な資金を用意して、レーニンとその取り巻き連中を安全にスイスからロシアに輸送する手筈を整えた。この資金調達のために動いたのは、マックスの弟であるポール・ウォーバーグ(Paul M. Warburg)であり、彼とパートナーを組むヤコブ・シフ(Jacob Schiff)、そしてウォール街の国際金融家であった。(この経緯は、アンソニー・サットン教授の『ウォール街とボルシェビキ革命』に詳しい。) 本質的に、“ロシア”革命は“ユダヤ人”の金貸しと扇動家によって画策された政府転覆事業である。ヤコブ・シフから軍資金を調達できた日本人は「誠に有り難う御座います」と感謝していたが、シフにとっては憎いロマノフ王朝を倒すための、便利な「駒」に過ぎなかった。ポグロムでユダヤ人を殺すロシア人に仕返しをする為なら、いくら大金を使っても惜しくはない。たとえ、我が国が日露戦争で勝てなくても、相当なダメージを与えたはずだから、シフとしてはおおよそ満足だろう。ユダ人の大富豪にしたら、日本なんて使い捨ての消耗品である。かくも現実は冷酷で厳しい。

Max Warburg 1Paul Warburg 1Jacob Schiff 1










(左: マックス・ウォーバーグ  / 中央: ポール・ウォーバーグ  / 右: ヤコブ・シフ )

  一般的に、インテリというのは口舌の徒で、演説は上手いが銭儲けに関しては素人だ。しかも、勇ましいことを述べても、いざ腕力で勝負となるや尻込みする。その点、スターリンは武闘派の革命家で、資金が無ければ強盗になるし、売春婦を使ってでも小銭を稼ごうとする。暗黒街で暮らしたスターリンにとっては殺人だって朝飯前だ。このような犯罪者は、実際にナイフを持って人の腹を刺し、グリグリと刃物を回転させ、腸をズタズタに切り刻む事ができる。鮮血で濡れた手を見ても驚かず、帰って喜びを感じるのがスターリンみたいな男だ。この独裁者と比べたら、卑怯者の菅直人や、機動隊にボコボコにされた全共闘の学生、ソ連の赤軍を待ち望んだ野坂参三や宮本顕治なんか、母親の背後に隠れる稚児に等しい。日本の左翼には自分で自分の運命を切り開く気概が無いのだ。スターリンはレーニンのように銀行家に「借り」を作らず、独立不羈の革命家を目指した。このレーニンが病に倒れれば毒を盛って暗殺するし、邪魔になったトロツキーは奸計を用いて排斥しようとする。自分にとって危険な者は誰でも抹殺し、ちょっとでも障碍となれば粛清の対象にしてしまうんだから、ロシアの君主になる奴は只者じゃない。観念的な共産主義に憧れた近衛文麿は、本当に世間知らずの「お公家さん」だった。近衛家のお坊ちゃんには、人殺しや強盗など出来ないし、任せることさえ出来ない。『ゴッド・ファーザー』のドン・コルレオーネ役には、マーロン・ブランドーじゃなくて、ヨシフ・スターリンが適役だったのかもね。でも、アカデミー賞を授与するユダヤ人は複雑な気持ちだろうなぁ。  


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裁かれるブリテン帝国史 / 植民地化による恩恵と反撥

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左翼に占領される歴史観

British Empire 4British Military at Gibraltar








  左翼分子による歴史裁判は、日本ばかりではなく歐米社会でも盛んなっている。戦勝国たるアメリカやブリテンは、言挙げできぬ敗戦国の日本やドイツを都合良く裁き、勝手に作った「極悪人」の烙印を押して悦に耽っていた。しかし、今やその熱い焼き鏝(ごて)が自分達に向けられるとこになって大慌て。そもそも、戦争裁判自体が間違っている。例えば、古株の前科者が新米の犯罪者を「有罪」にしたら滑稽だ。もし、さんざん大手の銀行を襲ってきた強奪犯が、片田舎の郵便局に押し入ったコソ泥に向かって、「何てことをするんだ、この野郎 !」と叱ったら、誰だって「お前が言うな !」と怒りたくなるだろう。年中行事のように戦争を行っているアメリカ人はもちろんのこと、世界各地に宏大な植民地を持ったイギリス人だって潔白じゃない。世界史の犯罪国ランキングを作ったら、日本なんて最下位だろう。トップ争いとなれば、支那人かロシア人が常連になるんじゃないか。

Nigel Biggar 3(左  / ナイジェル・ビガー )
  日本や米国で「歴史修正主義者」と言えば、ネオ・ナチとか極右勢力と呼ばれてしまいそうだけど、英国の偉い学者でも、既成の歴史解釈に疑問を投げかければ、「白人至上主義者」とか「帝國主義者」のレッテルを貼られてしまうのだ。今回、オックスフォード大学で欽定講座担当教授を務めるナイジェル・ビガー(Nigel Biggar)氏が、その槍玉に上がってしまった。彼はクライスト・チャーチ大聖堂の参事会員で、オックスフォード大学に設置された「マクドナルド神学・倫理・公事センター」の所長も務めている。ところが、ビガー教授は多くの学生から「頑固者(bigot)」と非難されてしまったのだ。

「独立」は不幸の素だった !

  事件の発端は、彼が「タイム」紙に「我が国の植民史に罪悪感を持つな」というエッセイを投稿したことによる。(Nigel Biggar, "Don't feel guilty about our colonial history, The Times, 30 November 2017) この記事に込められた主旨は、英国の植民地政策にも良い点があったということだ。彼は副題に「帝國を持った事への謝罪は今や強制されているが、恥を感じることで我々が世界の諸問題に取り組まない、ということはない」と書いて、英国が犯した間違いや罪はもちろんあるが、それとは別に地元民への利益や恩恵もあったはずだ、と述べたのである。英国の保守派や日本の教養人が聞けば、「そりゃ、そうだろう」とうなづく見解だが、アフリカやアジアからの留学生や有色人種の「ブリテン国民」、元植民地の祖父母を持つ帰化人にとっては赦しがたい。彼らからすれば、白人の侵略戦争や植民地政策は“絶対悪”なのだ。ちょうど、ユダヤ人がナチスに対して持つ恨みと同じ感情である。

Bruce Gilley 1(左  / ブルース・ギリー )
  ビガー教授はエッセイの始めに、「過去100年間、西歐の植民地主義は悪名を冠してきた。でも、今やこの正論に疑問を投げかけてもいい頃だ」と述べている。彼は文章の中で、ポートランド州立大学で教授を務めるブルース・ギリー(Bruce Gilley)教授の論文を引き合いに出していた。というのも、ギリー教授の論文が非難の的にされたからだ。このギリー教授は『第三世界季刊誌』という学術雑誌に「植民地主義のケースについて」という論文を発表した。(Bruce Gilley, "The Case for Colonialism", Third World Quarterly, Vol. 38, September Issue, 2017) 彼は固定概念化した西歐の植民地史観を再検討し、その功罪を具体例を挙げながら論述したのである。ところが、案の定というか、読者からの猛烈な抗議が巻き起こり、編集部を構成する34人のうち15名が辞任する事態となったのだ。激昂した抗議者たちは、「白人至上主義(white supremacy)」を助長しているとの理由でギリー教授を糾弾し、1万6千人の署名を集めて、問題となった論文の撤回を求めた。インディオのナショナリストからも殺しの脅迫を受けたそうで、これに怯んだ編集者は問題となった論文を引っ込めてしまったそうだ。それにしても、単なる虚仮(こけ)脅しに屈するとは、青瓢箪の知識人というのは、まことに情けない。

  左翼白人やアフリカ系の学生はギリー教授の「再評価」を非難するけど、彼が挙げた事例を冷静に聞けば、賛同する日本人も出てくるだろう。例えば、ギニア・ビサウ(Guinea-Bissau)の事例である。その前に、この国について紹介せねばなるまい。世界地図を見慣れない高校生だと、「何処にあるの?」と尋ねてしまうだろう。ここは西アフリカのギニアに隣接した国家で、近くにはガンビアとかセネガル、シエラレオネがあり、元々ポルトガルの植民地であった。奴隷貿易の中継地として知られていたが、1956年頃、PAIGC(ギニア・カーボ・ヴェルデ独立アフリカ党)が独立運動を展開し、武力闘争を経て一応1975年に独立。この反植民地闘争を指揮したのは、アミルカー・カブラル(Amilcar Cabral)という赤い黒人指導者で、ポルトガル人の支配を打倒すべくゲリラ戦を仕掛けて騒擾を起こしていた。1963年に叛乱軍を組織したカブラルは、白い入植者の手から人民を解放するためには、植民地が築き上げたもの総てを破壊し、灰にしなければならぬと主張したそうだ。

Amilcar Cabral 3Amilcar Cabral & guerrillas








( 左: アミルカー・カブラル / 右: ゲリラ兵と一緒のカブラル )

  しかし、ゲリラ兵を率いるこの親玉は孤独無援じゃなかった。カブラルの背後には、キューバのフィデル・カストロが、そしてソ連の対外工作員が控えていたのだ。当時、西歐世界を揺さぶりたかったソ連は、アジアやアフリカの旧植民地や貧困国に“唾”を附け、裏口から堂々と独裁者に軍事的支援を与えていたのである。ちなみに、南アフリカ共和国で英雄視されているネルソン・マンデラもソ連と昵懇の“紅い”黒人指導者で、南アの稀少資源を狙うロシア人にとっては、勢力拡大を手伝ってくれる「便利な馬鹿(useful idiots)」の一人であった。米国の白人リベラル派や黒人活動家、そして日本のエセ知識人は、諸手を挙げてマンデラを称讃し、白人支配から現地人を解放した偉人と評していたが、実際は何ら行政手腕を持たない不平黒人に過ぎず、犯罪を増加させ社会秩序を乱しただけだ。解放された黒人はやっと自由を得たが、更なる貧困に曝されて相変わらず惨めなままである。アフリカ人に“まともな”国家運営は無理。槍を持ってジャンプしている方が似合っている。

Amilcar Cabral & Fidel Castro(左  / カブラルとフィデル・カストロ )
  「独立」という言葉は、アフリカ黒人にとって甘美な響きを持つが、それを実行したら苦汁を嘗めることになるらしい。カブラルに従ってゲリラ戦を闘ってはみたものの、その結果は惨憺たるものであった。当時の人口は約60万人であったが、内乱で1万5千人の戦闘員が命を失い、15万の民間人が住むところを無くしてしまったのだ。さらに、この闘争で1万人余りの犠牲者が出たという。と言うのも、1980年までに米の収穫量が50%以上も減少してしまったのだ。思い起こせば、“忌むべき”ポルトガル統治時代、米の生産高は18万2千トンもあったのに、晴れて「独立」を果たすと、8万トンに激減したのである。これでは共産党支配になったロシアとかウクライナと一緒じゃないか。アメリカ人は「我に自由を与えよ。しからずんば死を !」と格好つけたが、それは裕福な紳士の言葉で、貧乏黒人のセリフではない。「自由の空気より一杯の飯を !」が彼らの本音だ。

Luis Cabral 2(左  /  ルイス・カブラル)
  経済的な低迷は困ったものだが、アフリカの悲劇はこれで終わらなかった。独裁政治には「恐怖政治」が附き物だ。独立闘争の「英雄」であるアミルカー・カブラルは1973年に暗殺されてしまうが、彼にはルイス・カブラル(Luís Cabral)という異母兄弟 がいて、この弟がギニア・ビサウの初代大統領となるのだ。ところが、このルイスがとんでもない奴だった。彼は刃向かう連中に対し「秘密警察」を解き放ち、この殺人部隊は500名の反対派を粛清したそうだ。しかし、ルイス・カブラルには安寧が無かった。1980年、軍人のジョアン・ヴィエラ(João Bernardo Vieira)がクーデタを起こし、大統領のルイスはキューバへ亡命する破目になる。すると、前大統領の悪事が明らかとなった。1981の調査により、約500名にも上る反体制派の遺体が地中から見つかったのだ。暴君による被害はこれだけではない。殺されはしなかったものの、カブラル政権を嫌った民間人は隣のセネガルへ逃れたそうで、その数は人口の約1割にも及んだそうだ。独裁政権下で恐怖と腐敗が蔓延するのは当然で、カブラルが君臨した国家では役人の数が1万5千にも激増し、ポルトガル時代と比べれば10倍の肥大化である。でも、西歐社会のマルキスト学者は、この惨状を植民地の悪しき遺産の“せい”にしたそうだ。こうした考え方を聞けば、「赤いアホは死ぬまで治らない」ということがよく解る。

  1960年代前後のアフリカでは、現地人の「独立」がブームとなったが、その後の国家運営が心許なかった。アフリカ人は本質的に近代とは相容れない未開部族で、経済発展とか金融政策なんていう高度な行政は端っから無理。初歩的な治安維持だってままならない。内戦が絶えないアフリカ諸国に国連が介入し、治安部隊を派遣すれば、何時まで経っても抜け出せず、臨時派遣軍が常駐軍になってしまう。ギニア・ビサウも例外ではなかった。国連の平和維持軍が派遣され、無駄金を注ぎ込むばかり。今だって、米の生産高は恢復(かいふく)せず、ポルトガルが支配した時の3分の1程度だ。独立してから40年くらい経っていて、科学技術も相当進歩しているのにこの水準なんだから、マイナス成長を目指しているのか、と愚痴りたくなる。

african bride 3Africans 4








(左: アフリカ人の女性  /  右: アフリカ人の少年)

  アフリカ人の女性はネズミ算式に子供を産むから、人口減少のイメージはないが、ギニア・ビサウの人々は短命で意外と早死にしているそうだ。平均寿命は55歳で、独立してから“たったの”0.3年しか寿命が延びていないらしい。これじゃあ、植民地時代と変わらないじゃないか。日本の江戸時代なら、「人生36年」で幸せだったけど、第21世紀の現在で「人生55歳」じゃあんまりだ。(昔の日本は乳幼児死亡率が高かったから仕方ないのかも。ちなみに、昭和22年頃の日本だと平均寿命は42歳くらいで、現在は82歳を越えているようだから凄い。) ポルトガル人に支配されていた頃の方が豊かで、内戦で死ぬこともなかったというなら、「独立」したことのメリットはどこにあるのか。同胞の政権で塗炭の苦しみを味わう黒人の中に、「何時になったらポルトガル人が戻ってくるのかなぁ?」と尋ねる人が出て来ても不思議ではあるまい。これは同胞の支那人に支配された香港人も同じで、彼らの中には「英国統治の頃は良かったなぁ」と懐かしむ人がいる。家族共々ブリテンやカナダに逃れた者は、支那人の偽らざる本音を表していた。

  植民地政策を多角的に分析するブルース・ギリー教授に反撥するイギリス人や有色人種は大勢いるけど、案外、彼の見解に賛成する人も多いんじゃないか。ナイジェル・ビガー教授もその同調者の一人で、彼は西歐の植民地主義を全否定することに異議を唱えていた。エッセイの中で彼はこう述べている。

  政治秩序というのは、胸がゾクゾクするような刺戟的価値を有さないかも知れぬが、それ無しでは如何なる善いことも成就しないのだ。だからこそ、現地人は入植者が支配する地域から逃れず、むしろ時折、その地へと移り住むことを選ぶのだろう。北京の共産主義者が統治し始めた頃や、文化大革命が起こった時、何百万人もの支那人が香港に逃れたのはその証拠である。西歐人の植民地支配に人民からの正統性を与えたのは、民衆による選挙ではなく、この支配体制がもたらした安定性と法の支配であった。

British Empire 2













(写真  /  帝国主義時代のイギリス人と植民地の現地人)

  日本人なら彼の主張に賛成できるだろう。なぜなら、日本は女真族に代わって満洲国を建設し、野蛮な支那のすぐ隣に安全で豊かな理想郷を誕生させたからだ。独裁制と暴君、虐殺と貧困、不潔と腐敗しか知らなかった支那人は、日本人が建てた近代国家に憧れ、穢らわしい祖国を捨てて満洲に雪崩れ込んだ。今でも、満鉄の特急「あじあ」号とか新京の百貨店を見れば、「凄いなぁ」と感動する日本人が多いはずだ。当時の支那人なら、煌(きら)びやかな満洲を目にして、その素晴らしさに腰を抜かしたしたんじゃないか、と思えてくる。日本の朝鮮統治は更に凄くて、日本政府は惜しみなく巨額の税金を投入し、乞食より貧しい朝鮮を近代国家に変えてしまった。「絶望」と「貧困」という遺産しか持たぬ朝鮮人は、天使よりも気前の良い日本人に統治され、朝鮮史上「初」の黄金時代を経験した。彼らは単なる「人間」に昇格しただけではなく、畏れ多くも「日本国民」にまで出世したのだ。こんな有り難い幸運に恵まれたのに、現在の朝鮮人は日本人を恨んでいるんだから、馬鹿を通り越して異常である。まぁ、輝かしい朝鮮統治を反省し、朝鮮人に謝罪する日本人もいるんだからしょうがない。日教組教育とは、我々の「常識」を消去する洗脳である。

British colonialism in West Africa













(左  /  アフリカ人の兵隊を閲兵するエリザベス女王)

  話が脱線したので元に戻す。ナイジェル・ビガー教授は、過去の植民地政策を断罪するイギリス人や西歐人学者、ならびに遺恨を抱く有色人種に叛旗を翻した。彼は植民地政策の長所にも言及したのである。つまり、西歐人のアジア・アフリカ支配が全て抑圧的で、冷酷な搾取ばかりという歴史観は間違っている、と。もし、このような罪悪史観を受け容れるなら、イギリス人は恣意的な誘導操作に対して脆弱となり、海外奉仕への最善策は「ほったらかし」になってしまうだろう、とビガー教授は警告する。実際、アフリカ人は西歐人の「支援」を要請し、それなくしては二進(にっち)も三進(さっち)も行かないので、ビガー教授の言説はもっともとだ。

異邦人学生と混ぜる害悪

Cecil Rhodes  1Cecil Rodes statue 1Oxford student protest 1








(左: セシル・ローズ  / 中央: オックスフォードにあるローズの彫像  / 右: セシル・ローズを非難する学生たち )

  しかし、アジア・アフリカ諸国からの留学生や、旧植民地からの移民、有色人種の子孫たちは、こぞってビガー教授に反撥を覚えた。特に、オックスフォードに在学するアフリカ人やインド人、パキスタン人などの有色人種は、ビガー教授の見解を白人の傲慢と見なし、人種差別の表れであると糾弾したそうだ。特に、「コモン・グラウンド(Common Ground)」というオックスフォード大の学生が組織するグループは、ビガー教授を目の敵(かたき)にし、英国の人種主義と植民地主義に挑んでいるらしい。(Richard Adams, "Oxford University accused of backing apologists of British colonialism", The Guardian, 22 December 2017) また、オックスフォードで快適に暮らす有色人学生は、更に過激さを増しているようで、セシル・ローズの彫像まで破壊しようと目論んでいるそうだ。(Eleanor Harding, "Eminent Oxford professor is branded a bigot by students for saying feelings of guilt about the British empire hav egone too far", Daily Mail, 15 December 2017) このセシル・ローズ(Cecil Rhodes)は帝国主義者の代表格で、「ローズ奨学金」の創設者としても有名である。

Bill Clinton 2Robert Reich 2Strobe Talbot 1George Stephanopoulos 2








(左: ビル・クリントン  / ロバート・ライシュ  / ストローブ・タルボット  /  右: ジョージ・ステファノポロス)

  ちなみに、「ローズ奨学金」を得て英国に留学した有名人は結構いて、ビル・クリントン大統領がまず挙げられよう。彼と同期の1968年組には、後に労働長官となったロバート・ライシュ(Robert Reich)教授や、ロシアの専門家で国務次官となったストローブ・タルボット(Strobe Talbot)がいる。クリントンの選挙スタッフになったジョージ・ステファノポロス(George Stehanopolos)もローズ奨学金をもらっていた。意外なんだけど、MSNBCで番組ホストを務める極左分子のレイチェル・マドー(Rachel Maddow)も奨学生であった。その他、国連大使になったスーザン・ライス(Susan Rice)、大統領選に名乗りを上げた陸軍大将のウェスリー・クラーク(Wesley Clark)、ハーバード大学教授で日本でも人気者になったマイケル・サンデル(Michael Sandel)、日本通で『アトランティック』誌の編集長になったジェイムズ・ファローズ(James Fallows)などもローズ奨学金を得て留学している。

Susan Rice 1James Fallows 2Rachel Maddow 2Michael Sandel 1








(左: スーザン・ライス  / ジェイムズ・ファローズ  /  レイチェル・マドー /  右: マイケル・サンデル)

  また、脱線してしまったので話を戻したい。オックスフォード大学に通う有色人の学生は、イギリス人に対して憧れと憎しみを持っている。彼らは祖国を植民地にした宗主国を恨む一方で、その支配民族が建てた名門大学に入れてもにらった負い目もあり、嬉しさと同時に劣等感と屈辱感に満ちている。彼らは有色人種を見下す白人を呪うが、その白人の国家を素晴らしいと密かに思っているのだ。彼らの根性が妙にねじ曲がっているのは、こうした背景があるからだろう。もし、本当に彼らがイギリス人を嫌っているなら、自腹を切ってまで英国へ留学しようとは思わないはずだ。とりわけ、アフリカやジャマイカからの黒人学生は、自分の祖先が味わった悔しさをイギリス人に解ってもらいたい、と願っている。でも、これでは泣きべそを掻いて、地べたにしゃがみ込んでいる幼児と同じだ。とは言っても、有色人種には栄光の歴史が無いし、白人を糾弾することでしか自分の存在を示せない。彼らと比べれば、黒人同士で仲良く暮らしているアフリカ人の方がよっぽど幸せである。満員電車での通勤がなく、徹夜での残業も無い。朝起きたら牛の小便で洗顔するアフリカ土人は、ビジネスでのストレスや借金苦で自殺しようとは思わないから、けっこう気楽である。クルマも無いアフリカ人は毎日歩いているし、合成保存料や劇物入りの食品を食べないから、老人でも元気で健康だ。モノは考えようである。

Muslim students 2Chinese students in Britain







(左: オックスフォードで学ぶムスリム学生  /  右: 英国に留学した支那人)

  だいたい、英国の名門大学でイギリス人に不満をぶちまけたからといって、黒人学生には一体どんな利益があるというのか? 陰で白人学生から馬鹿にされるだけだ。神妙な面持ちで黒人学生の愚痴を聴くオックスフォードのイギリス人学生は、心の底で「そうかい。ゴメンねぇ~。これで満足かい?」とせせら笑っているのに、アホな有色人種はこれに気付かない。こうした場面を普通の日本人が見れば、「何んだ、みっともない。悔しかったら祖国を立派にして見返してやれ !」と思うだろう。英国の大学に通うアフリカ人やインド人、支那人は、事ある毎にブリテン島の白人に文句を垂れるが、彼らは卒業してからも祖国に戻らず英国に留まろうとするから情けない。キャンキャン吠える野良犬じゃあるまいし、お世話になったイギリス人にお礼を述べる方が先だろう。そもそも、イギリス人の植民地支配が素晴らしかったから、彼らはわざわざ英国にやって来たんじゃないのか。英国で勉強するアジア人やアフリカ人の留学生や移民の子孫は白人を非難していないで、ケニアやエジプト、インド、パキスタン、支那へ帰って、同胞と共に祖国を繁栄に導くべきだ。彼らこそ植民地主義の受益者で、祖国と同胞を侮蔑する張本人である。英国で医学や工学を勉強したアフリカ人は、さっさと祖国へ戻って同胞を治療したり、橋や道路の建設に従事しろ。英国でヌクヌクと暮らす輩(やから)が偉そうな事を言うな。アフリカで救済活動をしているのは白人じゃないか。

white students at Oxford 4Oxford Black students 11








(左: オックスフォード大学のイギリス人学生  /  右: オックスフォード大学の黒人学生)

  英国の現状は他人事ではない。我が国でもアジア人が反日史観を以て日本を攻撃し、これに呼応する日本人が大勢いるから厄介だ。イギリス人はアジア人やアフリカ人をオックスフォード大やケムブリッヂ大に招き入れ、彼らを英国風に染め上げてから祖国に戻し、自分たちの手先にしようと考えている。しかし、この懐柔策には毒が含まれている。英国に恨みを抱く有色人学生を受け容れてしまうと、イギリス人の学生にその思想的黴菌が感染してしまうのだ。キャンパスにおける有色人種の存在だけでも問題なのに、国家の将来を担うイギリス人の若者が罪悪感に苛まれ、有色人種に対して宥和的になってしまう虞(おそれ)がある。本来、大学の目的は若きイギリス人を立派なエリートに育て、社会の指導者となるべく薫陶を授けることにあるはずだ。それなのに、下劣な有色人種と混ぜて、クルクルパーの左翼に育てるなど狂気の沙汰である、どこが名門大学なのか、と疑ってしまうじゃないか。こんなの、白いパンに蜂蜜じゃなくて、黒カビを塗るようなものだ。エリート校というのは、気違いじみたガリ勉を輩出する工場ではなく、高貴な精神に満ちた紳士を育成する聖堂である。そこに通う学生は親睦を深めながら兄弟の如き同志となり、卒業後も固い友情で結ばれ、国家の一大事に当たっては犠牲を厭わないものだ。ところが、英国の名門校は祖国を恥じるエリートを養成し、政界や財界に提供しているんだから誠に愚かだ。

Library at OxfordEnglish child & mother 4









(左: オックスフォードの図書館  /  右: 英国の未来を担う赤ん坊)

  日本の大学もアジア人留学生など受け容れず、出来るだけ排斥するのが賢明である。日本の大学は自国を愛し、祖先を誇る若者を育成すべきで、恨み骨髄の朝鮮人とか、日本を罵る下品な支那人を入学させるべきではない。ましてや奨学基金を与えるなどもってのほかだ。日本人の母親は砂場で遊ぶ我が子を見ると、「犬の糞や猫の小便が混ざっているから駄目よ」と叱るのに、反日思想の教授と下劣なアジア人が居坐る大学に、自ら尻を叩いて我が子を入れようとするるんだから、親馬鹿じゃなくてバカ親だ。公園で遊ぶ子供の手が砂まみれになっても、水で洗えば落ちるけど、赤く染まった脳味噌は洗っても元に戻らない。いい加減、日本人は歐米社会の失敗と惨状に目を向けるべきだ。日本人は我々の歴史を罵倒する不逞鮮人を「故郷」に戻してやる方がいい。そうすれば日本国内がちょっとはマシになる。「しつこい汚れにマジックリ」というが、花王は換気扇の油汚れを取る「レンジ・マジックリン」を開発したんだから、朝鮮人を追い出すスプレーでも開発してくれないかなぁ。ドラキュラはニクニクで逃げ出すけど、朝鮮人は逆に近寄ってくるから厄介だ。やっぱり、ここは朝日新聞に「地上の楽園」記事を再び書いてもらって、「南鮮は素晴らしい」とか「統一朝鮮近し」と宣伝しなくちゃね。ただ、朝鮮人が二度も騙されるとは限らないけど・・・。




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