無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

ナチス/ヒトラー

ハンス・ギュンターの理想 / ドイツ・ナショナリズムの断片

「人種学」を“禁忌(タブー)”にされた西歐人

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(左 : ナチス時代のドイツ人女子生徒   /  右 :「白人至上主義」を掲げるネオ・ナチの極右ユダヤ人、アンドリュー・オーレンハイマー<Andrew Auernheimer>)

  洗脳や心理戦で恐ろしいのは、ある工作を仕掛けられた者が、その“策略”に気づかないことだ。普通の日本人や西歐人は、伝統的な常識(慣習)に従って生きているので、他人を罠に嵌めて利益を得るとか、騙されないように用心しながら暮らそうとは考えない。支那人は昔から詐欺師や殺人鬼の群れで暮らしているから、他人を絶対に信用しないし、平民でも直ぐスパイに慣れるだけの才能を持っている。しかし、平和な社会で暮らしてきた日本人は驚くほど脳天気。「誠実」とか「育っているから、育っているから、特定の思想やイデオロギーを植え付けられているとは思わない。

  ところが、ユーラシア大陸を見渡せば、悪党が蔓延っている社会というのが普通で、日本のような桃源郷は皆無。異民族がひしめくアジア地域では、聖書じゃなく韓非子や厚黒学がバイブルだ。壮大な宗教が生まれるのも、海千山千の民族が競うからだろう。ユダヤ教やイスラム教は典型的なアジア宗教で、簡潔だが厳格な誡律で信者を縛る。そして、大勢の聖職者が膨大な経典を編纂し、緻密で深遠な競技を創り出す。神道のように教義も無ければ誡律も無い宗教なんて、アジアじゃ通用しないだろう。海で隔てられた島に住み、同じ民族で仲良く過ごしてきた国民だから、日本人は緩い宗教で纏まっていたのだ。

  「デアスポラ(民族離散)」を口実にヨーロッパへ潜りんだユダヤ人も、やはり中東アジアの狡猾な民族だった。彼らは粘り強く長期的に“タカリ先の住民”を手懐けようとする。そのためには、ナショナリズムは邪魔だから、気づかれよう“そっと”抹殺するのが一番。ユダヤ人が教師になると、ナショナリズムが「悪」とされ、ヨーロッパらしいヨーロッパは偏狭な右翼の理想郷となってしまうのだ。だいたい、どうしてユダヤ人に対する嫌悪感だけが「反ユダヤ主義」として非難されるのか? 歐洲で嫌われる異民族は他にもいるけど、「反アラブ主義」「反チャイナ主義」「反エジプト主義」「反メキシコ主義」「反パキスタン主義」「反トルコ主義」なんて一般的用語じゃないぞ。

  凄惨な国家総力戦が二度も起こった第20世紀では、帝国主義とか優生思想が非難され、人種平等の思想や多文化・多民族主義の教育が流行となってしまった。特に、「ホロコースト」を喧伝するユダヤ人は、ドイツ人の人種衛生学を憎み、二度と再びユダヤ民族が迫害されぬよう、厳重な思想統制を張り巡らせることにした。(所謂「ホロコースト」が何を指すのか人によって違うので、ユダヤ人が叫ぶ「大量虐殺」がどんな定義なのかよく判らない。) 

  しかし、ヨーロッパ人や西歐系アメリカ人には、未だに「同種族を好む」という本能が残っている。ナショナリズムは同胞意識が存在するから起因し、そのイデオロギーは異物排除の方向に動く。こうなるとユダヤ人は顔面蒼白だ。それゆえ、彼らは教育界に浸透してナショナリズムの撲滅に精を出す。学校で平等思想が吹き込まれるのは、その一環だ。

  でも、西歐系のアメリカ人やヨーロッパ人は、心の奥底では中東アジア人の容姿を拒んでしまう。異人種との「裸の付き合い」は普通の日本人女性だって嫌いだ。もし、髭面のクルド人とかアラブ人男性が一緒にジャクージに入れば、何となくお湯から出たくなるだろう。ビキニ姿の女子大生とか女子高生も同じで、水泳プールに毛深いアラブ人がウジャウジャいたら、「えぇっっ、ヤダぁぁ~」と呟いてプールに入らない。日本人女性は強烈な人種差別主義者じゃないけど、嫌いな異人種との混浴は嫌いだ。 

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(左 : セクシーなアラブ系男性   / 地中海沿岸で見かける男らしい青年  / クルド人男性  /  右 : 敬虔なユダヤ人男性)

  これは心理学者もしぶしぶ認めているようで、友人や恋人、結婚相手などを選ぶ際、無意識的に自分が理想とする相手を選んでしまうらしい。さらに言えば、幼児でさえ人種的好みを持つ。これを熟知するユダヤ人の学者や左翼知識人は、西歐白人の“偏見”を咎めるべく常に躍起になっているというのが現状だ。(人種に関する心理学の研究は色々あり、トロント大学の「Ontario Institute for Studies in Education」なども行っている。また、Naiqi G. Xiao, Rachel Wu, Paul C. Quinn, Shaoying Liu, Kristen S. Tummeltshammer, Natasha Z. Kirkham, Liezhong Ge, Olivier Pascalis, Kang Lee, 'Infants IRely More on Gaze Cues From Own-Race Than Other-Race Adults for Learning Under Uncertainty', Child Development, Vol. 89, Issue 3, May / June 2018.を参照。)

  各民族にはそれぞれ、自分の同胞や伝統を自慢する、何らかの「自民族中心主義(ethnocentrism)」があるはずだ。特に、支那人が持つ「中華思想」は有名で、根拠なき自惚れが異常に強い。周辺の民族を愚弄する支那人は、東の野蛮人である朝鮮人を「東夷(とうい / ムジナの類い)」と見なし、半島に南下した遊牧民と一緒にして「濊族(わいぞく / 不潔な民族)」と呼んでいた。現在の朝鮮人が聞いたら鼻水飛ばして激怒するが、支那人はお構いなし。あまりにも汚く、近づくだけで鼻が曲がってしまうほど臭い奴ら、と馬鹿にする。(朝鮮人の不潔な生活や糞尿エピソードはいっぱいあるけど、気持ちが悪いので別の機会に述べたい。)

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(左 :「悠久の歴史」を誇る朝鮮の子供達    /  右 : 高度文明の支那で暮らす支那人の子供達 )

  しかし、奴隷根性が染みついた朝鮮人は、ブツブツ言いながらも、その屈辱を受け容れていたから本当に情けない。でも、その代わり、“格下”の劣等民族たる日本人を徹底的にこき下ろす。科挙すら持たない日本人は、無知蒙昧のケダモノ以下。現在の日本人が聞けば「なに言ってやがんだ ?!」と反撥するが、漢詩を詠めれば立派と思う朝鮮人だからしょうがない。小便で洗顔するような連中は、衛生観念の断片(かけら)も無かったので、日本からやって来た旅行者や学者、役人、軍人がビックリ仰天だった。家の台所を見たら寒気がするけど、食器や食材に蠅がタカって真っ黒だったという。下水設備も無く井戸の近くに屎尿(しにょう)を垂れ流していたから、日本人だと地下水を飲めない。(金岡助九郎『満鮮旅行案内記』駸々堂書店、大正9年、pp.251-252.)

  インドのカースト制度も悪名高く、不可触賤民の「パッライア(Parriah)」は「生まれながらの奴隷」という扱いだった。(Jean Antoine Duboi & Henry King Beauchamo 編『カーストの民』重松伸司 訳、東洋文庫、平凡社、1988年、 p.66./ インドの身分制度や残酷な風習については、別の記事で紹介したい。日本人には信じがたい、戦慄を覚えるような歴史がある。)

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(左 : 下層階級のインド人が暮らす貧しい村   /  右 : 「不可触賤民」と呼ばれるインド人)

  ナチスの大罪を責められたドイツ人は、人種問題について非常に敏感となってしまい、ゲルマン民族(北方種族)の特質に関する議論になると、矢鱈と否定的で臆病になってしまうのだ。呑気な日本人はユダヤ人の“仕置き”について、“これ”とった実感が無いから、ドイツの内情を聞いてもチンプンカンプン。戦後のドイツ人というのは、手足を針金で縛られ、天上の鉤(かぎ)に吊された野犬みたいだ。各業界に陣取るユダヤ人は、機会がある毎に棍棒でドイツ人をぶっ叩き、血みどろになるまで殴りつける。復讐の鬼と化したユダヤ人は、痣(あざ)だらけの負け犬に対しても容赦はない。遠慮なく塩や硫酸を擦り込む。“不幸な過去でも水に流す”日本人は、粘着質のユダヤ人とは対蹠的だ。

  「手前味噌」という自慢は、日本だけじゃなく外国にもある。ドイツ人やイギリス人、あるいはフランス人やオランダ人が、自分達の文化を「最高」と見なしたり、その容姿を「一番美しい」、「白人は高度な知能を有する」と考えても彼らの勝手だ。こうした論説は主観的な判断で、客観的事実に基づく科学じゃない。アジア人でも「お国自慢」は普通だから、ちょっと眺めてみれは一目瞭然だ。例えば、朝鮮人が自国を「紀元前2300年から続く世界五大文明の一つ」と豪語したって、それは朝鮮人の自由だろう。彼らにヒストリーとファンタジーの区別は無い。何を頭の中で混ぜ合わせようが、南鮮人が幸せなら、それでいいじゃないか。 日本人が目くじらを立てるほどでもあるまい。

  日本人だってこの種の「自慢話」は持っている。例えば、子煩悩な父親が「俺の娘は町内一の別嬪(べっぴん)だ !」と自慢すれば、近所のオッちゃん達は、「おい、また始まったぞ。でもまぁ、いいか ! 親馬鹿なんだから 」と笑って済ます。ところがもし、この発言に腹を立てて、馬鹿オヤジを焼き殺す日本人がいたら、そっちの方が異常である。

  ここでは詳しく述べないが、日本人は保守派知識人からも“いびつな”平等思想を植え込まれている。なるほど、西歐白人から人種的特徴を小馬鹿にされれば、温厚な日本人だって激怒する。しかし、これは西歐人が努力して世界の覇者になったから傲慢になれただけで、これを覆したければ日本が世界一の軍事大国になればいいだけ。また、日本の庶民も差別の過去がある。例えば、地方の片田舎で黒人差別なんか当たり前だし、戦後の「エリザベス・サンダース・ホーム」を調べれば、黒い混血児が如何に嫌われたかが分かるはずだ。それに、戦前、東南アジアに進出した民間企業の駐在員や公務員、軍人などは、現地の茶色い土人を見下していた。東條英機ら陸軍のお偉方は、建前上、アジア諸国に独立を与えると言いながら、本音では現地の住民を「内面指導」で支配しようとした。これは大蔵官僚の銀行支配と同じ手口じゃないか。霞ヶ関の高級官僚は、「綸旨」みたいな「通達」を配布して睨みを利かせていたのだ。 (この点については別の機会に述べる。)

  話を戻す。日本人が誇りにする皇統だって、外国人が聞けば夜郎自大の神話に過ぎない。でも、日本人にとったら自国の誇りだ。皇室に関する修辞句だって、大袈裟なものが多い。例えば、「天壌無窮の皇運」とか「悠久の皇統」とか言っても、有理数よりも大きいとか、138億年前からある訳じゃないだろう。まぁ、「グロタンディーク素数(Grothendieck's prime number)」よりも長いけどね。(アレクサンドル・グロタンディーク<Alexander Grothendieck>は、ユダヤ系フランス人の天才数学者。彼が間違って「57」を素数と述べてしまったことから、この名前が付いたという。)

  ところが、ヨーロッパやアメリカに住み着いたユダヤ人は、こうした「手前味噌」を赦さず、気が狂ったように徹底的な糾弾に踏み出す。これに驚かない日本人は、学校で頭をクルクルパーにされた被害者かも。それに厄介なのは、歐米の白人に対し、異常なまでの敵意を抱く日本人だ。こうした日本人には、“ストーカー気質”の者が多い。(日本には自覚症状の無い人がいるから、別の記事で紹介する。)

Hans Gunther 1(左  / ハンス・F・K・ギュンター)
  令和の高校生や大学生で、何割の日本人がハンス・F・K・ギュンター博士(Dr. Hans Friedrich Karl Günther)の著作を読んだことがあるのか判らない。たぶん、ほとんどの若者は知らないし、名前だけ知っているという人が大半だろう。ギュンターはナチス(NSDAP)のイデオローグとして有名で、ベルリン大学やフライブルク大学で、人種衛生学とか民族学、文化人類学などを研究していた教授だ。しかし、その反ユダヤ主義や優生学思想のせいで、ユダヤ人から蛇蠍の如く憎まれた。

  ギュンターの『Rassenkunde Europas(ヨーロッパの人種学)』を読んだ人なら解ると思うけど、彼がユダヤ人とかアフリカ人、アジア人を劣等人種と見なし、北方種族を優越人種と考えた事はよく知られている。ただ、ギュンターがそう解釈したのも無理はない。西歐列強が世界を席巻する帝国主義の時代だと、ヨーロッパ人が傲慢になるのも当然で、アメリカの白人だって同じ思想に染まっていたのだ。現在の尺度で過去を裁くのは不公平と言えるから、第三帝国時代のドイツ人だけを責めるのは酷だろう。自分の同胞であるドイツ人や北歐諸国のアーリア人を称讃するのは不思議でも何でも無い。

Alica Schmidt 8Laura Berlin 1773Patricia van der VlietBritishness Perry Edwards 2








(世間の人気が高いゲルマン人女性  / 左 : アリシア・シュミット / ローラ・ベルリン  / パトリシア・ファン・デル・ヴィレット / 右 : ペリー・エドワーズ )

  「金髪碧眼で容姿端麗の北方種族」という理想を礼讃するギュンターは、ノルマン系のドイツ人に他の種族とは違う「高貴さ」を感じていた。ゲルマン系民族からすれば、イタリア人やスペイン人といったラテン民族なんか、先祖の誰かにムーア人やアラブ人の血が混ざっている可能性があるので、「ヨーロッパ白人」といっても甚だ怪しい。そもそも、地中海沿岸地域に住む白色人種は、ノルディック系の種族よりも“格下”の“二流白人”に思えてしまうのだ。日本人の眼には、ギリシア人とかポーランド人、その他の東歐白人は、だいたい同じに見えてしまうが、ヨーロッパ文明の基礎を築いたゲルマン人からすれば「一緒にするんじゃない !」と言いたくなる。たぶん、日本人が支那人や朝鮮人と一緒にされたくない気持ちと似ているんだろう。

  ギュンター博士は、北方種族の家庭に生まれた牧師からの手紙を『Rasse und Stil』という著書の中で紹介している。

  ある時、彼は軍人達と一緒にルーネブルガー・ハイデ(Lüneburger Heide)を訪れ、田舎の居酒屋というか宿屋(Dorfwirtshause)に入ったという。そして、この牧師は16か17歳の少女(ウェイトレス)の接待を受け、その容姿に感銘を受けたらしい。彼女は店の主人の親類ではなく、どうやら気品の漂うゲルマン人であったようだ。彼女に惹かれた牧師は次のように述べていた。

  私の意見と記憶を申せば、おそらく、この娘は純粋な北方種族であろう。

  偶然の出逢いに感動した牧師は、娘の容姿に見蕩(みと)れてしまい、ついチップを忘れてしまった。というより、渡すことができなかったそうだ。たぶん、彼女の美しさを金で買うような行為に思えたからだろう。牧師は女給の中に独特の「気高さ(Vornehmes)」と「美しさ(Schönes)」を感じ、他の人種から守りたいと思ったのかも知れない。彼は言う。「彼女の血はその防禦である(Ihr Blut war ihr Schutz.)」、と。(Hans Friedrich Karl Günther, Rasse und Stil : Gedanken über ihre Beziehungen im Leben und in der Geostesgeschichte der  euroäischen  Völker,  <München : J. S. Lehmanns>, 1926, p.18の脚注) ただし、彼女は単なる農家の娘(Bauerntochter)であった。

Richard Walther Darre 001(左  /  リヒャルト・ウァルター・ダレ)
  牧師の手紙を引用したギュンターには、リヒャルト・ウァルター・ダレ(Richard Walther Darré)と同じく、農村という田舎に暮らす健康的で純粋素朴、有色人種の血が混じっていない美しいアーリア人という理想があった。これは昔のイギリス人やアメリカ人も共有していて、都会のキャバレーで客の相手をする酌婦などは、頽廃した女性の典型だ。都会の悪徳に染まっていない生娘は、ナチスが称讃する模範的なドイツ人である。一方、猥雑なゲットーに住むユダヤ人は、唾棄すべき劣等種族と見なされていた。とりわけ、ガリチア地方やロシアの田舎に住むユダヤ人は、高名なラビから一介の信徒に至る迄、異質なエイリアンにしか思えない。揉上げや髭を伸ばし、鷲鼻のセム種族なんて“むさ苦しい”限り。しかも、一日中ずっと部屋に閉じこもってトーラーの勉強なんだから、強靱な肉体を好むドイツ人から見れば、実に不健康な民族である。

ハリウッドが刷り込むフェイク・イメージ

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( 左 : 『イングローリアス・バスターズ』のショシャナ  /  右 : ユダヤ人を見つけ出すドイツ人将校のハンス・ランダ )

  「美しいゲルマン娘」に関しては、面白いエピソードがある。2009年に公開されたハリウッド映画に『イングローリアス・バスターズ(Inglorious Basterds)』という作品があった。監督は『パルプ・フィクション』で有名なクウェンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino)である。だが、総指揮はエンターテイメント業界の大御所、あの変態ユダヤ人として非難されたハーヴェイ・ワインシュタイン(Harvey Weinstein)。プロデューサーは、これまたユダヤ人のローレンス・ベンダー(Lawrence Bender)で、彼が原作者となっていた。この映画は「ユダヤ人の一団がナチのドイツ人に復讐を果たす」という筋書きで、悪魔の如きドイツ人を手当たり次第にぶっ殺すという「見せ場」が「売り」だった。

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(左 : クウェンティン・タランティーノ  /  ハーヴェイ・ワインシュタイン /  ローレンス・ベンダー/  右 : クリストファー・ウォルツ)

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  興味深いのは、ナチス親衛隊の将校ハンス・ランダ(クリストファー・ウォルツ)に家族を殺されたユダヤ人娘を、「フランス人女優」と称するユダヤ人のメラニー・ローラン(Mélanie Laurent)が演じていたことだ。彼女の役は復讐に燃える「ショシャナ・ドレフュス」で、ドイツ兵に家族を殺されたという過去を持つ。「ショシャナ」のキャラクター設定は、片田舎に住むフランス系ユダヤ人。日本の観客は「奇妙さ」というか、ユダヤ人らしからぬ「人物設定」に気づかなかったけど、ヨーロッパ人が観れば直ぐその「滑稽さ」に気づく。何と、ショシャナは緑豊かな農村で生まれ育った金髪美人のフランス娘という設定であった。

  ローランの容姿を見れば一目瞭然で、彼女は黒髪のアジア的ユダヤ人とは違っている。ヴィシー政権のもと、ドイツの占領軍に炙り出されるユダヤ人と言えば、だいたいアンネ・フランク(Annelies Marie Frank)かゴルダ・メイア(Golda Meir)、男ならダヴィド・ベン・グリオン(David Ben-Grion)かメナヘム・ベギン(Menachem Begin)みたいなタイプである。それなのに、メラニー・ロランときたら、デンマークやスウェーデンに暮らす西歐人、あるいはオーストリアかチェコで見かけるような中流階級の白人女性、といった風貌だ。ポーランドのカジミエシュ(Kazimierz)やフランクフルトにあるゲットーに燻るユダヤ人とは大違い。イディッシュ語を話ながらシナゴーグに通うユダヤ人娘とはかなり異なっている。

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(左  : アンネ・フランク /  ゴルダ・メイア / ダヴィド・ベン・グリオン  /  右 : メナヘム・ベギン)

  もし、ショシャナの役をユダヤ人のサラ・ギルバート(Sara Gilbert)やメイム・ビアリク(Mayim Bialik)、ヘレナ・ボナム・カーター(Helena Bonham Cater)、バーブラ・ストライサンド(Barbra Streisand)サラ・シルバーマン(Sara Silverman)が演じたらどうなのか? おそらく、「観客が同情しない」という可能性が出てくる。つまり、貧民窟から抜け出したユダヤ人みたいだと、キャスティングには“不適格”ということだ。ヨーロッパの観客が違和感を抱き、役者に感情移入を出来なくなると興行的にマズい。むしろ、惨殺されたドイツ人将兵の方に同情してしまう虞(おそれ)がある。それゆえ、ユダヤ人のプロデューサーや脚本家は、なるべく西歐人に近いユダヤ人を起用しようとする。つまり、ヨーロッパ人の遺伝子をたくさん含む「ユダヤ人に見えないユダヤ人の女優」を選ぶということだ。

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(左 : サラ・ギルバート /  メイム・ビアリク / ヘレナ・ボナム・カーター  /  右 : バーバラ・ストライサンド)

  ちなみに、コメディー藝人のサラ・シルヴァーマンは、自分の「ユダヤ性」に劣等感を抱いているようで、「Finding Your Roots」という番組に出演した時、幼い頃の心情を語っていた。彼女はインタヴューの中で「私は金髪を靡かせた子供達の群れに居た毛深いユダヤ猿(I was the hairy Jewish monkey in a sea of blond kids.)」と述べていた。(Curt Schleider, 'Sarah Silverman Says as The Only Jewish Kid At School She Felt Like a Hairy Monkey', The Jewish Daily Forward, February 12, 2019.) もしかすると、サラの両親は娘を裕福な白人が通う私立学校に入れたのかも知れない。

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(左 : サラ・シルヴァーマン  / 中央と右 : 黒人に扮したシルヴァーマン  )

  子供の頃に人種的な屈辱感を味わったユダヤ人は、大人になるとリベラル派に変身し、アングロ・アメリカ人の文化を憎み、人種平等を訴えたりする。でも、心の奥底にはユダヤ人らしい差別意識が残っているから、アフリカ人やアラブ人への侮蔑が時折「噴出」することがある。サラ・シルヴァーマンは、黒人の顔を真似たことで映画出演を降板になったことがあるそうだ。(Emma Kelly, Sarah Silverman fired from movie role after blackface sketch resurfaced', Metro, 12 August 2019.)

  脱線したので話を戻す。「社会正義」を掲げるリベラル派のユダヤ人というのは、舌を何枚持っているのか判らない。人種差別を糾弾するユダヤ人の弁護士は、公民権運動に邁進する黒人を助けようと一肌脱ぐが、服を脱いだ黒人女性との同衾(セックス)は好まない。ジャレッド・クシュナーのようにイヴァンカ・トランプのようなドイツ系白人女性を求めてしまうのだ。

  これはイスラエルの売春業者も同じで、東歐諸国で暗躍するユダヤ人の女衒や仲介業者は、冷戦終結後、経済的に貧しいロシアやウクライナ、ベラルーシ、ルーマニアなどを廻って、「上玉」の白人女性をスカウトしていた。この「ナターシャ貿易」により、テルアビブとかイェルサレムの風俗店には、様々なスラヴ系娼婦が取り揃えられていた。スケベ心満載のユダヤ人は、スーダンやエチオピアからの黒人なんかにお金を払わない。人種差別に満ちたお客は、「どれがいいかなぁ~」と涎を垂らしながら、じっくりと白人女性の品定めをしていたのだ。

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(左 : ロシア人女性  / 中央 : ウクライナ人女性 /  右 : 女衒に雇われた17歳の少女を買春し、逮捕されたユダヤ教ラビのアリエ・グッドマン )

  普通の生活を送る一般の日本人は、アジア人排斥のナショナリズムを嫌ったり、「可哀想なユダヤ人」に同情したりするが、こうした行動様式(ethos)は人為的に作られたものである。我々は精神的に弱く、政治プロパガンダに騙されやすい。「西洋の支那人」たるユダヤ人や「東洋のユダヤ人」たる支那人は、驚くほど強靱だ。彼らは土足で頭を踏まれても決してめげない。迫害になれた民族は、移民や難民の形で他国に渡り、寄生先に定住すると「民族差別反対 !」を口にして地位の安定化を図る。しかし、自分達の人種差別には口を閉ざす。米国に移住した支那人や朝鮮人は、内面の葛藤すら無いまま、露骨に黒人を嫌っていた。

  ちなみに、筆者が尊敬する黒人学者のジョナス・アレクシス(Jonas E. Alexis)は、偽善的なリベラル派や左翼ユダヤ人に対して非常に批判的だ。ついでに言うと、筆者が贔屓にしているトニー・マカルパイン(Tony MacAlpine)は、とても優秀で才能豊かな黒人ギターリスト。(大阪人以外の日本人も、彼の名曲「Winter in Osaka」を聴いてね。)

  ニューヨークのユダヤ人も黒人とかヒスパニックの連中が嫌いで、ユダヤ人地区に行くと、アシュケナージ系やセファラディー系の白色ユダヤ人ばかり。ユダヤ教の小学校や中学校に行くと、専門職の親を持つ子供が多く、黒人との混血児なんて極稀である。シナゴーグに行けば、「アブラハム、イサク、ヤコブ」の系統を強調するのが当たり前。司祭になるにも血統が重要で、どれだけ本当なのか分からないが、預言者モーセの兄で「出エジプト」で指導的役割を担ったアーロンに連なる子孫じゃなきゃダメという伝統がある。ユダヤ人に「コーエン(Cohen / Kohanim)」という名を持つ人が多いけど、彼らは司祭職になれる血を有している。

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(左 :  ポーランドに住むユダヤ人 /  右 : 第二次世界大戦中のユダヤ人 )

  血統に基づく司祭職は、レビ人の司祭ツァドクの子孫にもあてがわれ、私生活も色々と拘束を受ける。例えば、寡婦や離婚した女を妻に娶ってはならないし、イスラエルの家の血筋を引く処女を娶らねばならぬ、と誡められている。(エゼキエル書  / 44章22節) 現在の北米や歐洲で、こんな風習があったら大問題だけど、ユダヤ人社会やイスラエルでは問題無し。ゲルマン人やケルト人が人種や血統を持ち出すと烈火の如く怒るが、ユダヤの同胞が排他的教義を保つことならOK。イスラエル国籍を申請する時も、「ユダヤ人の血統」が重要視されるので、この宗教国家はレイシスト国家でもある。(Marissa Newman, 'Rabbinical court rejects man's Jewishness, 23 years after approving his sister's', The Times of Israel, 17 April 2019.を参照。)

  イスラエルの人種政策が赦されるのであれば、ドイツ人やイギリス人が国境の検問所で、「ユダヤ人お断り」と札を立ててもOKなはずだ。たとえ「右翼」と呼ばれる白人が、国内に残るユダヤ人に対し、「さっさと故郷(カナンの地)に帰れ !」と言っても、イスラエルのユダヤ人は反論できまい。さらに言えば、ヨシュアに率いられたイスラエル人は、占領地で異教徒を皆殺しにしたけど、こんなホロコーストはいいのか? (ヨシュア記 / 11章17-20節) 中東アジア地域では、昔から異民族への差別・迫害なんて珍しくもなく、紀元前からユダヤ人は「不届きな民族」を毛嫌いしていた。セム種族の「ナチス」が古代のパレスチナに居たなんて驚きだ。

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(左 : イスラエル兵に捕まったパレスチナ人の少年  /  右 : イスラエル軍に殺されたパレスチナ人の子供)

  ドイツの知識人が優生学や人種衛生学を以てユダヤ人を排斥しようが、それはゲルマン民族の勝手である。彼らが「俺達は世界で一番素晴らしい種族」と叫んでも、彼らの領土内であれば問題無いだろう。ユダヤ人がイスラエルを民族国家にしようが多民族国家にしようが、そんなのは彼らの自由だ。ユダヤ教を国教にして、ユダヤ民族だけを優先的に扱っても、イスラエル国民の勝手である。実際、歐洲からやって来たシオニストは、武力でパレスチナ人を駆逐し、自分達の国家を建てたじゃないか。しかも、土地を奪われたパレスチナ人が反撃すると、機関銃や戦闘機で報復攻撃だ。これじゃあ、スキンヘッドのネオ・ナチよりも酷い。巡回中のイスラエル兵は、必要とあれば、女子供を狙撃銃で惨殺してもOK。歐米の同胞が札束ビンタで白人を支配しているから、それほど厳しい批判は無い。至って安心だ。それに、CBSやBBCが特番を組んでも、西歐の一般国民は知らぬ顔。ジャーナリストも同じで、怒りの鉄槌は「猫パンチ」程度である。

  日本人同士で幸せに暮らしてきた日本人にとって、アジア大陸の凄惨な歴史はSF映画のようで、あまり実感はない。しかし、段々と、外国の多民族主義が浸透してきたから、これからの日本社会は歐米諸国と似てくる。外国の失敗例を目にしているのに、それを自国で再現しようなんて、令和の日本人は本当に愚かだ。



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ヒトラーは国際金融業者の敵だった ! / 対独戦の裏側

両替で儲けたユダヤ人

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  日本では毎年毎年、夏になると“反省祭り”が鳴り響く。NHKや民放は特番を組み、日本が如何にして“無謀な戦争”に突入し、アジア諸国を侵掠したか、と大騒ぎ。日本の軍国主義者はアジアの民衆に多大な損害を与え、日本国民にも言葉に出来ぬほどの犠牲を強いたと糾弾する。しかし、祖国の敗戦を喜ぶ左翼は、海軍の米内光政や陸軍の瀬島龍三を一切批判せず、皇室撲滅を狙っていた近衛文麿も素通りだ。一般人は風見章の悪行さえ知らないんだから、NHKの戦争特番は誰のために作っているのか、と質問したくなる。BS-NHKなんかは、『英雄たちの選択』で近衛文麿やリヒャルト・ゾルゲを取り上げても、ソ連を助けたかった共産主義者については沈黙というより、意図的な無視を決め込んでいた。大学の左翼学者も同じ穴のムジナで、アメリカ人を嫌いなくせに、米軍の無差別焼殺や核攻撃を「空襲」とか「原爆投下」と呼んで、その残虐性を薄めようと図っている。

  さらに、国民からゼニを搾り取るNHKは、共犯者のドイツに対しても誹謗中傷の匕首(あいくち)で心臓や背中を突き刺す。物的証拠や科学捜査も無いのに、ナチスによる「ガス室殺人」を宣伝し、反対尋問に基づかない「噂話」や「証言」でさえ、決定的な「証拠」のように取り扱う始末。チフスで亡くなったユダヤ人を焼却すると「ホロコースト(燔祭)」になるらしいが、本当のホロコースト犠牲者は、地獄の炎で包まれたドレスデンのドイツ人であり、焼夷弾で殺された日本人の女子供である。焼夷弾で逃げ道を絶ってから、絨毯爆撃の炎で住民を皆殺しにするなんて鬼畜の殺戮だ。ブリテン軍も同罪で、1944年、モンテ・カッシーノ(Monte Cassino)にある修道院を爆撃したんだから、無辜の聖職者と民間人を殺したことになる。

Monte_Cassino 01Dresden 11







(左 :  破壊されたモンテ・カッシーノ修道院  / 右 : 猛烈な空爆を受けたドレスデンの街)

  だいたい、日独の攻撃からソ連を救い、東歐諸国をスターリンに献上したことが、英米の「勝利」なんだから、ノルマンディー上陸作戦や硫黄島の激戦で亡くなったアメリカ兵は成仏できないだろう。(まぁ、大半はキリスト教徒の兵卒なので、イエズスの再臨で復活し、天国に行けるかも知れないが、日本兵の首を切断し、金歯や所持品を盗んだ悪党どもは地獄行きだ。)

  普通の日本人が「第二次世界大戦」と聞けば、直ぐにナチ・ドイツによるユダヤ人の迫害・虐殺といった“お決まりの悲劇”を思い浮かべてしまうが、この歐洲大戦の根底には、国際金融業者の損得勘定が絡んでいる。つまり、ユダヤ人の投資家や銀行家による暴利に気づいたアドルフ・ヒトラーは、彼らの軛(くびき)からドイツ経済を解放したので、恐ろしい“仕置き”を受けることになった。ユダヤ人学者はバベルの塔が埋まるくらい、多くの書物を刊行し、お涙頂戴の迫害悲劇を垂れ流す。だが、そんなのは真相を隠すための煙幕に過ぎない。ユダヤ人の追放や強制収容は、ナチスが掲げる政策の一環に過ぎず、当時のヨーロッパ人なら「いい気味だ!」と言いたくなるほどの快挙であった。日教組の洗脳を受けた日本人は気づいていないが、千年以上も他人の王国や領土にタカリ続ける居候は、ジプシーのような鼻つまみ者である。ユダヤ人は迫害や虐殺を咎める前に、自分達の図々しさを反省すべきだろう。

Thomas Aquinas 001(左  / 聖トマス・アクィナス)
  ナチ・ドイツの経済政策について述べる前に、我々が認識すべき点は、貨幣の本質と実態を知ることだ。現在、日本国民は紙幣や硬貨を当然のように使っているが、この紙切れ(or金属)は、基本的にモノとモノを交換する時の「媒介物」に過ぎない。中世のヨーロッパ人(ローマ・カトリック教会の信徒)は、市中に出回る貨幣を売買の際に用いる潤滑油、あるいは交換を手助けする金属と見なしていた。金や銀のコインという「貨幣」は、元々「人々に奉仕するモノ」であったから、これを用いて「利潤」を得る事は不届きな所業、すなわち罪深い事と考えていたのだ。こうした思想は聖トマス・アクィナス(Thomas Aquinas)の『神学大全(Summa Theologiae)』や、グラティアヌス(Gratianus)が編纂した『法令集(Decretum Gratiani)』を読めば分かる。

  中世キリスト教世界の貨幣観や倫理観は、我々日本人のものとはかなり違っており、経済用語の意味も現在のものとは幾つか異なっている。例えば、「利子(interest)」は「中間にあるもの」、すなわち「差額」を意味し、ここから転じて「蒙った損害の補償」を意味するようになった。要するに、お金を貸した人が金銭を貸したことにより何らかの損害を受ければ、損害賠償(interest)を受け取るのは「正当」というわけ。また、貨幣の「貸借(mutuum)」から生じる利益というのが「「徴利(usura)」で、現在の英語で言えば、「暴利」とか「高利」を指す「usury」となる。

  中世スコラ学の泰斗である聖トマス・アクィナスや、教会法(canon law)を編纂する神学者によれば、高利貸しというのは詐欺師に等しい。なぜ、こういった考え方になるのかと言えば、それは「所有権と使用権が分離しているもの」と「両者が一体化しているもの」があるからだ。例えば、ある人が家屋を誰かに貸した場合、大家さんはその“所有権”を保持したまま他人に家を貸して利益を得る。つまり、借主は“使用権”を得ただけ。しかし、ワインを販売する酒屋の主人は、使用権と所有権を一緒に渡してしまうのだ。まさか、ワインの“使用権”だけを販売し、お客が飲み終わった後に、「“所有権”を返せ !」と強要する商人はいないだろう。ワインを飲んだ客が胃袋から吐き出したって、そんなのは「貸したドリンク」の「返却」にならない。パンを作るために買った小麦だって、使用権と所有権を一緒に購入したわけだから、両者は分離不可能である。

gold coins 33silver coins 33








(左 : ヨーロッパで鋳造された金貨  /  右 : ヨーロッパ各地で流通した銀貨)

  少々ややこしいが、もし、ある人が他人へ使用のために所有が必要なモノを貸せば、その所有権も借手に移ってしまうから、貸手は所有権に基づいて使用料を請求することは出来ない。貸借される貨幣も小麦やワインと同じで、消費されるもの、購入に用いるもの、と見なされる。ゆえに、お金の「貸し借り」で使用料(徴利)を求めることは不当になってしまうのだ。もう一つ面白いのは、「貨幣不妊説(sterility of money / barren metal theory)」と呼ばれる見解である。つまり、金属で作られた貨幣は、生殖といった行為をする生命体とは違うので、「それ自体は増えたり減ったりしない」という考え方だ。アリストテレスに倣った神学者らは、「貨幣は貨幣を生まない」とか、「貨幣は自らの価値以上の価値をもたない」と述べていた。まぁ、冷たい岩石の如き貨幣(硬貨)は、不妊の無生物であるから、生殖や交配を通じて繁殖する植物や動物とは違っていても当然だ。それゆえ、いくら他人へ1ヶ月とか6週間くらい貸したからといって、1枚の金貨が2枚の銀貨を産むわけじゃない。

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(左 : 昔ながらのユダヤ人両替商  /  右 : 1934年当時のイスラエルで営業していた両替商)

  ところが、ヨーロッパに住み着いたユダヤ人は、計算高い商売人で、同胞のユダヤ人には利子を取らずに貸してあげるけど、異教徒(キリスト教徒)のヨーロッパ人は高利で貸し付ける。なぜなら、ヨーロッパ人は牛や豚のような家畜人間で、穢らわしい動物と一緒。しかも、「赤の他人」だから、容赦なく取り立ててもいい。シャイロックの如きユダヤ商人は、「おい ! テメー、判ってるんだろうな ! お前に貸してやった金には、ちゃんと利子が附いているだぞ ! 期限が来たら、きちんと耳を揃えて返せよ !」と迫ったのである。一方、借金をしたヨーロッパ人からすれば、「どうして材料を仕入れるために借りた金属、物々交換の際に用いる潤滑油(貨幣 / コイン)を使ったからといって、余計なゼニを払う必要があるんだ?」と考えてしまうのだ。例えば、金貨を使っているうちに半分に割れたら問題だけど、金貨を囓(かじ)っても、涎(よだれ)が附くくらいで、金の含有量は減らないだろう。

  ユダヤ人というのは未熟な文化しか持たないゲルマン人と違い、アラブ人とかペルシャ人と同じ狡猾な通商民族で、アジア大陸でも古株の種族だ。彼らは昔から計算や商売が得意で、神殿に群がって儲ける「両替商」は評判の良くない連中だった。イェルサレムの神殿には周辺地域から大勢のユダヤ人が訪れ、捧げ物をしたり礼拝をしたりで大賑わい。参拝客のユダヤ教徒は、生け贄にする動物を買うのが普通だった。例えば、お金に余裕のある人だと子羊を購入するが、貧乏人はちょっと安い鳩で済ませる。そして、神殿に入る際には、誡律で決められた入場料というか、天主へ献納する半シェケルを払うことになっていた。(出エジプト記第30章13節) この「シェケル(shekel)」というのは、当時のユダヤ人が用いていた重量単位で、貨幣の名称でもあった。聖書を読んだ人なら解るけど、当時の各硬貨は以下のような価値になっていた。

   1 タレント (talent / kikkar) = 60 ミナ (maneh) = 3,000 シェケル(shekels)

  紀元前のユダヤ教徒は、神殿の前で両替商からシェケル硬貨を購入したが、それは色々な土地からやって来る参拝客が、独自の硬貨を持っていたからだ。異教徒の国で鋳造された硬貨には、皇帝や領主といった支配者の横顔や動物の姿、あるいは地元の神々が刻印されていたので、偶像崇拝を嫌うユダヤ教からすれば“穢らわしいコイン”となっていた。そこで、巡礼者のユダヤ人は両替商に頼み、自分の硬貨とシェケル硬貨を交換してもらっていたのだ。しかし、こうした為替業者に激怒したのがイエズス・キリストで、神殿の境内に踏み込むと、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを引っくり返してしまった。(マタイによる福音書 : 第21章12節  /  マルコによる福音書 : 第11章15-17節 /  ヨハネによる福音書 : 2章13-17節)

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(左 : ローマ帝國の金貨  / 右 : ユダヤ人が使っていた シェケル硬貨)

  救世主も若くて血の気が多かったのか、「神聖な神殿の境内で穢らわしい銭儲けをするとは何事だ!」と怒り狂ったのである。イエズスの言い分によれば、神殿は本来「祈りの場」であるはずなのに、ユダヤ人どもは「強盗の巣」にしてしまった、というのだ。今だと器物損壊罪に問われてしまうけど、過激な救世主は激昂したから、羊や鳩の販売業者や両替商を目にしたとたん、縄で鞭を作り、羊や牛を全て境内から追い出してしまった。それでもイエズスの怒りは治まらず、両替商の金を摑んで撒き散らしたというから凄い。でも、これじゃあ、当時のユダヤ人がイエズスを怨んでも当然だ。

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(左 : ユダヤ人の両替商を神殿から追い出すイエズス・キリストの絵  /  右 : 縄を振るってユダヤ人を駆逐するイエズス)

  ユダヤ人はヨーロッパ人を丸め込むのが上手(うま)い。ローマ軍の攻撃により「民族離散(ディアスポラ)」に遭ったというのはフィンションに近い。そもそも、“可哀想なユダヤ人”というのは、ヨーロッパに居坐るための政治プロパガンダである。実際は、離散の前からユダヤ人の浸透は始まっており、ローマ帝國での生活が快適だったから、そのまま居着いてスペインやドイツ、フランス、イングランドに散らばっただけ。彼らはローマ兵にくっ付いて商売人や書記官になったり、略奪品を購入する古物商を営んでいたのだ。それゆえ、捕虜になった敗戦国の女を売買する奴隷商人とか、色々な国の硬貨を扱う両替商がいても不思議じゃない。ヨーロッパでの「甘い汁」を知ったユダヤ人は、スペインで迫害されてもイェルサレムがあるカナンに帰らず、フランクフルトやロートリンゲン、アムステルダムに逃れ、移住先で金貸しや宝石商になっていたのである。

King William 3 of England(左  / イングランド国王ウィリアム3世 )
  有名なのはエドワード1世により追放されていたユダヤ人が再びイングランドに戻ってきた歴史だ。ピューリタン革命という内戦が起こり、オリヴァー・クロムウェルが国王のチャールズ1世を処刑すると、「ここぞ !」とばかりに強欲なユダヤ人が英国へと舞い戻ってきた。さらに、「名誉革命」という内紛で、スチュアート家のジェイムズ2世がフランスに追放されると、オラニエ家のウィリアム3世がイングランド国王に即位したのだが、この総督・君主にはユダヤ人の金融業者が背後に控えていた。

  例えば、オラニエ・ナッソー家のウィリアムがイングランドへと渡る時、ユダヤ人のフランシスコ・ロペス・スアッソ(Francisco Lopez Suasso)は、この王様を支援すべく、200万ギルダー(gulden)も貸し付けていたのだ。フランシスコはマラーノ系(Marrano / 「豚野郎」という意味)の金融業者、すなわちキリスト教に改宗したユダヤ人で、同胞の間では「アブラハム・イスラエル・スアッソ(Abraham Israel Suasso)」と呼ばれていた。驚く事に、このセファラディー系のユダヤ人は、ネーデルラントで第二代アヴェルナ・ド・グラ男爵(Baron of Avernas de Gras)という貴族であった。彼はモーゼス・メンデス・ダ・コスタ(Moses Mendes da Costa)という銀行家の娘と結婚していたのである。ちなみに、このユダヤ人モーゼスに関する詳しい経歴は不明で、ある説によれば、彼はイングランド銀行の株を保有していたというし、別の説に従えば、イングランド銀行の理事であったらしい。

経済的奴隷状態から抜け出したナチ・ドイツ

Hjalmar Schacht 001
(左  /  ヒャルマー・シャハト)
  ユダヤ人が歐米諸国で金融業界を牛耳っていることは、第一次世界大戦前から有名な話である。敗戦国のドイツはヴェルサイユ体制で雁字搦め。軍事的に弱体化されるし、膨大な賠償金の支払いで精一杯。札束が紙クズよりも安くなるほどのハイパー・インフレだから、一斤のパンを買うために一輪車で紙幣を運んだほどである。こんな超インフレを前にしたら、誰だって匙を投げるに決まっている。でも、ヒャルマー・シャハト博士(Dr. Hjalmar Schacht)は、「レンテンマルクの奇蹟」でドイツ経済の宿痾を治したから、「魔術師」の異名で呼ばれたのも頷けよう。

  では、シャハトは如何にしてドイツ経済を蘇生させたのか? それは、国家の信用を基にした独自の特別「通貨」を利用したことにある。何と、ドイツは国民の労働力を担保にして国債を発行したのだ。もし、ブリテンやアメリカから借金をすれば、必ず利子を附けて元金を返済しなければならない。しかし、ドイツ帝國自身の中央銀行、ライヒスバンクが“お墨附き”を与えて、小切手でも商品券でも発行すれば、それが「通貨」として信用される。これが単なる個人商店の商品券だと怪しまれるが、偉大なる国家の保障を受けた紙幣だから、国民は安心して受け取るのだ。実際、政府は公共事業を行う際、労働手形を用いて道路や橋を建設していた。仕事を請け負う民間事業者が、その労働力に応じて「労働手形」を発行すると、それを自治体が受け取って、この手形が銀行へ渡って、銀行は通貨を自治体に渡し、そのお金を使って自治体は公共事業を行う、という仕組み(循環)だった。

Gottfried Feder 001(左  /  ゴットフリード・フェダー)

  ヒトラーを単なる狂人と見るのは間違い。彼は慧眼の持ち主だった。ヒトラーの凄い点は、利子附の外国通貨や借金、および外国人に支配されたライヒスバンクに頼らず、「自分達の通貨」で経済を廻そうとした点にある。これは、まだ駆け出しの活動家であったヒトラーが、ゴットフリード・フェダー(Gottfried Feder)の講演を聴いたのが切っ掛けであった。後のドイツ総統は『我が闘争』の次のように述べている。

  わたしが初めてゴットフリート・フェーダーの「利子奴隷の打破」についての講演を聞いたとき、わたしはすぐ、ここでは理論的な真理が問題となっており、ドイツ民族の将来に対して計り知れぬ意義のあるものになるに違いない、と思った。国民経済から株式資本を鋭く分離することによって、資本一般に対する戦いと同時に、独立した民族的自己保存の基礎を脅かされることなく、ドイツ経済の国際化に反抗する可能性を示したのだ。わたしは、困難きわまりない闘争がもはや敵対性民族に対してでなく、国際資本に対して攻撃せねばならないことを知らなかったことよりも、ずっとはっきりとドイツの発展が目にうつったのである。フェーダーの講演の中にわたしは、この来たらんとする闘争に対する力強い合いことばを感知したのである。(アドルフ・ヒトラー 『わが闘争』 (上巻) 平野一郎・将積茂・訳、角川書店、昭和48年、p.302.)

  日本では一般的にシャハトの方がよく知られており、フェダーの方は経済学者や歴史家にしか馴染みがない。しかし、ドイツ経済の蘇生を勢いづけたのは、歴史に埋もれたフェダーの理論であった。彼が提案した金融論をかいつまんで言えば、民間の銀行ではなく、国営化された中央銀行を通して貨幣を供給することに経済復興の要諦があった。(Stephen Zarlenga, The Lost Science of Money, New York : American Monetary Institute, 2002, p.590.)  大半の日本人は「何を言ってるんだ?」と意味が摑めないが、英国のイングランド銀行や米国のFRB(連邦準備制度理事会)がどうやって貨幣を発行しているのかを理解すれば納得できるはずだ。

  アメリカ合衆国には国家直営の中央銀行は無い。FRBという民間銀行が通貨を発行しているだけ。ジキル島で作られた連邦準備制度(Federal Reserve System)は、ロスチャイルド家やその手下であるモルガン家に富をもたらす法的な枠組みに過ぎない。各州にある連邦準備銀行を統括する連邦準備理事会(Federal Reserve Board)は、「政府機関」を看板にしているが、実際は通貨マフィアの評議会となっている 。昔、ニューヨークの犯罪組織が話題となったけど、ボナンノー(Bonanno)、ガンビーノ(Gambino)、コロンボ(Colombo)、ジェノヴィーゼ(Genovese)、ルッケーゼ(Lucchese)といった五大ファミリーが麻薬じゃなく、「金融」でカルテルを組んだと思えば、FRBの正体が判りやすい。一般のアメリカ国民は、誰がどんな風にFRBを運営しているのか知らないし、どんな連中が大株主になっているかさえもシラされていないのだ。たとえ、FRBの議長が公に現れたって、そんなのは“表の支配人”に過ぎず、裏に控える“大御所”はマスコミに登場せず、遠く離れた何処かに隠れている。

  連邦準備制度の「いかがわしさ」は、1994年にエドワード・グリフィン(G.Edward Griffin)が、『The Creature from Jekyll Island(邦訳本 : 「マネーを生み出す怪物」)』で暴露した。そもそも、FRBは何も無いところから米ドルを発行し、利子を附けて貸し出しているんだから、独裁者や悪代官よりもタチが悪い。元々、貨幣の鋳造は封建領主や国王の特権で、そこから得られる利益を指していた。英語の「seigniorage」が君主の特権と貨幣鋳造の利益を意味していることを思い出せば理解できるだろう。となれば、FRB議長となったアラン・グリーンスパン(Alan Greenspan)やベン・バーナンキ(Benjamin Shalom Bernanke)、ジャネット・イェレン(Janet L. Yellen)は、アメリカ共和国に君臨するユダヤ人領主だったのかも。

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(左 :  FRSを創ったJ.P.モルガン   / アラン・グリーンスパン / ベン・バーナンキ  / 右 : ジャネット・イェレン)

  これは実に奇妙な仕組みなんだけど、FRBは「国家の銀行」を装って「信用」を生み出し、緑色の紙幣を印刷している。そもそも、国民から選ばれた訳でもない理事どもが、自分達の都合で勝手に通貨の供給量とか利率を決め、景気を左右しているなんて“おかしい”じゃないか ! (ちなみに、グリフィンの翻訳本は好評なんだが既に絶版で、アマゾンに出された古本は1万円以上の値を付けている。この名著は馬渕睦夫がユダヤ人や金融史を論ずる時の「ネタ本」だろう。筆者は、ずいぶん昔に原書と翻訳本を購入していたが、こんなに高騰するとは思わなかった。経済史を専攻する大学教授の“業績”なんかは、ほとんどが“クズ本”で、強制的に買わされた学生が古本屋に売却することが多い。5千円の豪華本でも、買い取り価格は5百円くらいで、通常は100円セールの棚で売れ残っている。)

  金融システムを研究するスティーヴン・ザーレンガー(Stephen Zarlenger)によれば、ヒトラーは「法定不換紙幣(fiat money)」を使って経済不況を解決したという。この「フィアット・マネー」というのは、「金や銀の裏付けは無いが、法貨として定められた紙幣」のことを指す。本質的には今の1ドル札とか100ドル札と同じである。緑の紙切れには有名な大統領の肖像画やピラミッド、鷲、連邦議事堂、白亜館が印刷され、財務長官の署名までも記されているが、純金とは交換されないし、額面とは見合わない印刷コストになっている。もし、100ドル札で10億ドルを用意したとしても、その印刷代が4億ドルとか6億ドルになることはない。 自動車なら半額くらいの生産コストがかかってしまうが、印刷した紙なんて100万ドルもかからないだろう。貨幣はモノやサービスの交換に際して使われる媒介物だから、インフレにならない程度の量が出回り、経済規模に応じて供給されればいいのだ。

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(左 : ハイパー・インフレのせいで大量の紙幣を運ぶ破目になったドイツ人  /  右 : 紙屑同然のマルクで遊ぶドイツ人)

  ユダヤ人による国際金融のカラクリと私有(民間)銀行による借金漬けに気がついたヒトラーは、債務地獄に陥らないよう、外国からの資金を借りずに、独自の「特別マルク」を発行し、物々交換の経済に切り替えてドイツ経済を恢復させようと図った。ドイツ帝國銀行は対外債務を全て現金で支払うことはせず、元本の50%は現金で返済するが、残りは特別なマルクで支払うことにした。つまり、手持ちの金や外貨を減らしたくないから、輸入代金や借金の利子を商品券もどきの貨幣で払うことにしたのだ。特別なマルクというのは、例えば、ドイツでの旅行に使える「ライザマルク(Reisemark)」であったり、ドイツでの投資に用いたり、輸出するドイツ製品を購入するための「レジスター・マルク(Registermark)」、ドイツの人民および大義のために使われる「アスキ・マルク(Askimark)」などであった。(John Weitz, Hitler's Banker : Hjalmar Horace Greeley Schacht, Boston : Little Brown and Comapny, 1997, p.155.) 普通の日本人は大学生でも、こうしたドイツ経済の歴史を知らないし、特殊なドイツ・マルクがあったことすら聞いたことがない。ユダヤ人に対する迫害ばかりを勉強する日本の青年は、洗脳教育に気づかないまま、暢気に卒業するから本当に憐れだ。

Registermark sample 001








(写真  /  旅行用に発券されたドイツノ政府の小切手)

  西歐諸国の資本家や金融業者は、ドイツの新しい「経済プラン」に憤慨したが、東歐諸国や南米諸国の輸出業者はそれ程でもなかった。何しろ、人口約七千万のドイツは魅力的な市場であったから、ドイツの貿易圏は徐々に拡大し、英米仏のブロック経済圏と肩を並べるくらいにまでに成長した。ルーマニアやハンガリー、アルゼンチン、ブラジルなどの国々は、原材料や食料をドイツへ輸出し、輸入代金として「ドイツの商品券」を貰うことになったが、ドイツの工業製品は魅力的だったから、「買ってもいいかなぁ~」という気分になっていた。こうした物々交換は日本でも可能で、もし我々が楽天市場でアニメのお宝フィギアとか読み終えた漫画本を売って、楽天ポイントを貰えば、そのポイントを使って映画のDVDとかドッグ・フードを購入するだろう。右から左へと資金を流すだけで、巨額の利益を得るユダヤ人に対し、ヒトラーは忌々しく思っていた。ユダヤ人の方も怒りに震えていたから、ドイツ製品をボイコットしたり、プロパガンダ映画を作って反撃していたのである。

  ヒトラーの経済政策に加えて、シャハトの借金減額作戦も功を奏した。シャハトは対外債務に苦しむ祖国を救うべく、アメリカやブリテン、フランスなどと交渉し、借金の軽減に努めていた。借金の利子を減額してくれないとドイツ経済は破綻し、元金すら返済できなくなるぞ、と脅したんだから凄い。膨大な金額の借用書が紙切れになってしまうかも、と思えば、債権者の方も考え直すしかない。結果的に、シャハトの開き直りは成功だった。実際、ドイツの国富は目減りする一方だった。債務返済と失業に苦しむドイツからは、見る見るうちに「ゴールド」が減っていったから、金本位制の通貨発行なんて無理。ドイツ帝國銀行が保有していた金の量は、1930年の頃、約30億マルクくらいあったのに、1932年には9億9,100万マルクに減少し、1939年にはたった7,800万マルクしか残っていなかったのだ。(Franz Leopold Neumann, Behemoth : the Structure and Practice of National Socialism 1933-1944, Chicago : Ivan R. Dee, 2009, p.333.)

  ヒトラーが称讃したゴットフリート・フェダーの貨幣論は、嘗てのアメリカで流行った「グリーンバック(Greenback)」運動とソックリ。エイブラハム・リンカン大統領は南北戦争を乗り切るために「グリーンバック(緑色の政府紙幣)」を発行したんだけど、これは「アメリカ合衆国銀行」とか「北米銀行」といった民間銀行が創り出す貨幣とは大違い。怖い金融業者に利子を払わず、みんなで紙幣をグルグル使い回せるから気分爽快だ。フェダーもドイツ政府が支配する中央銀行による不換紙幣の方がいい、という見解だった。しかし、輪転機(紙幣を印刷する機械)で儲けていた銀行家は腸(はらわた)が煮えくり返っていた。せっかく、元植民地を金融で牛耳っていたのに、あの髭面野郎が独自の紙幣を刷って利益を駄目(ふい)にしてしまったのだ。在野の歴史家の中には、暗殺者のジョン・ウィルクス・ブース(John Wilkes Booth)は単なる舞台俳優じゃなく、ロスチャイルドの手下に雇われた傭兵なんじゃないか、と疑う者がいるくらい。(例えば、Xaviant Hazeの『The Suppressed History of American Banking』第8と9章を参照。) 

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(左  : エイブラハム・リンカン  /  中央 : ジョン・ウィルクス・ブース /  右 : 裏側が緑のインクで印刷された1ドル紙幣 )

     普通のアメリカ人や日本人は、どうしてもナチスの残虐性や侵略行為などに注意が向いてしまうが、経済・金融面から眺めてみれは、違った光景が見えてくる。そもそも、第一次世界大戦で負けた後、ドイツは経済面でも戦勝国に蹂躙されていたから、ヒトラーやナチ党の幹部が復讐心に燃えても当然だ。例えば、ドイツの中央銀行である帝國銀行は、まるで民事再生を受けた企業のように扱われ、理事会の半分が外国人で占められていた。さらに、理事会が人事権を握っていたから、貪欲な外人どもが恣意的に総裁とか役員を決めていたのである。ドイツ国民にとって承服しがたいことは無数にあって、何と、ヴェルサイユ条約で課せられた賠償金には、戦争で被害を受けた財産への賠償のみならず、当初は条約に無かったブリテンやフランスの「戦費」まで含まれていたのだ。これじゃあ、堪忍袋の緒だって切れてしまうだろう。こんな仕打ちを受けたから、ナチスの綱領に「ヴェルサイユ条約の破棄」が明記されていても不思議じゃない。

  直感に優れたヒトラーと国民主義のフェダーにより、ドイツ第三帝國は独自の通貨を発行し、「自給自足経済(autarky)」を拡大した。一方、ブリテンやアメリカのエスタブリッシュメント、とりわけ金貸しで儲ける国際金融資本家は大激怒。ドイツ人をこき使って金銭を搾り取ろうとしたのに、あのチョビ髭伍長が勝手な経済政策をやらかして、懐に入ってくるはずの利益が飛んでしまったのだ。世界を股に掛ける投資家や銀行家にとって、庶民を主体とする国民経済やナショナリズムは言語道断、邪魔な障碍物でしかない。英米で“しこたま儲ける”ロスチャイルド家にとったら、国家社会主義を掲げるドイツの総統は抹殺すべき対象となる。

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(左 : ヒトラーとムッソリーニ  /  右 : 仮装パーティーで憧れの「ヒトラー」に扮した近衛文麿)

  ということで、ロスチャイルド家やシオニストの一派は、飼い犬にしていたウィンストン・チャーチルを首相に押し上げると共に、アホな日本人を嗾(けしか)けて世界大戦の導火線に火を付けた。極東の島国では丁度、共産主義にかぶれた近衛文麿が破滅への道を準備し、ローズヴェルト大統領が「最初の一撃」を待ち構えていたから、日米開戦の勃発は秒読み状態。英米の国際金融業者は、日本の共産主義者を利用すれば、愚鈍なアメリカ国民でも「戦争賛成」になる、と考えたはず。スターリンと仲良しのチャーチルは、日本軍が真珠湾を奇襲したとの知らせを受けた時、「これでアメリカの参戦は決まりだな !」と安心し、その晩は熟睡できたそうである。マーバラ侯爵のバカ息子を「英雄」と見なしているイギリス人は間抜けだが、未だに山本五十六を擁護している日本人はもっと愚かで、呆れるほど救いようがない。

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(左 : スターリンとローズヴェルト  /  右 : チャーチルとスターリン)

  日本の歴史教科書は、ヒトラーの反ユダヤ主義や人種差別、東歐への膨張政策、覇権を求めた世界征服、独裁による全体主義、占領地での侵掠行為ばかりを強調するが、西歐諸国で隠然たる権力を行使するユダヤ人についての記述はほとんど無い。ヒトラーの反ユダヤ政策が英米のユダヤ人を奮い立たせた事は確かだが、それよりも大富豪の金銭的な損失とかナショナリズムの勃興といった問題の方が深刻で、ソ連を造ったユダヤ人にとっては赦しがたい謀叛であった。第二次世界大戦というのは、ある意味、「民衆政治vs全体主義の戦い」じゃなく、ユダヤ人と組んだアングロ・サクソン人とユダヤ人を排除したいゲルマン人の死闘である。もし、我々が先の大戦を「共産主義を拡散するユダヤ勢力(英米)とユダヤ人支配に刃向かうナショナリズム国家(独伊)との闘い」と見れば何となく筋が通る。(ドイツに占領されたフランス人は不機嫌だったが、ユダヤ人を追放するヴィシー政権には満足だった。) そうでなければ、どうして英米がソ連と組んで枢軸国と戦争をしたのか解らない。

Christian Rakovsky 1(左  / クリスチャン・ラコフスキー )

  ヒトラーに関する評価や伝記はたくさんあるが、ルーマニア国籍を持つブルガリア人社会主義者で、のちにソ連の外政官となったクリスチャン・ラコフスキー(Christyan Rakovsky / 本名 : Krastyo Georgiev Stanchev)のコメントは興味深い。彼はドイツの貨幣制度について、1938年1月にこう述べていた。


  この教養無き凡人、ヒトラーは天賦の直感力を持ち、専門知識を持つシャハトの反対にもかかわらず、極めて危険な経済システムを創り出した。必要性のみに駆られ、あらゆる経済理論に無知であったが、彼は国際資本家や高名な個人金融業者を出し抜いてしまった。ヒトラーはほとんど金(ゴールド)を保有していなかったから、それを通貨の基礎にすることはできなかった。彼がお金を創るために利用できた唯一の担保は、ドイツ国民が持つ技術的な才能と、素晴らしい勤勉性であった。技術と労働が彼のゴールド(金)になっている。・・・諸君も知っているように、ヒトラーは奇術のように六百万以上の熟練労働者のために失業を一掃してしまったのだ。(Richard Tedor, Hitler's Revolution : Ideology, Social Programs, Foreign Affairs, Chicago, 2013, p.47.)

  歐米や日本におけるヒトラーの評価は非常に厳しく、冷酷な独裁者とか全体主義者のレイシスト、民族抹殺を図った狂人など、罵詈雑言の嵐である。しかし、当時のドイツ人労働者にとっては恩人で、経済不況と失業から庶民を救ってくれた救世主。ドイツから追い出されたユダヤ人は恨み骨髄だったけど、ゲルマン系のドイツ人からの評判は良かった。しかも、失った領土を恢復し、忌々しいユダヤ人を追い払ってくれたから万々歳。ただし、戦争末期になるとドイツ兵の命を粗末に扱ったから、ヒトラーの愛国心やナショナリズムは自分中心の主義主張であった。それでも、ヒトラーの功績は無視できず、移民の波に怯えるドイツ人や他の西歐人にとっては、理想の政治家となっている。日本人はヒトラーの名前を聞くだけで耳を塞ぎ、歴史の真相から目を逸らしてしまうが、せっかく言論や学問の自由があるんだから、ユダヤ人を懼れないでナチスの歴史を勉強すべきなんじゃないか。
  
  


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