無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

ナチス/ヒトラー

錬金術師と呼ばれた総裁 / 成長させない日本の経済政策

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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経済成長を抑圧する安倍政権

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  参議院選挙が近づくと、各政党は独自公約を発表するが、右を見ても左を見ても大衆迎合を基本とする大盤振る舞いか、リベラル左翼が口にしそうな綺麗事のオンパレード。しかも、マスコミがそれを一部ねじ曲げ、都合のいいように粉飾して喧伝するからタチが悪い。しかし、何も疑わない庶民はボケ~とテレビを眺めながら、「どれにしようかなぁ~」と暢気に構えている。これでは衆愚政治のパロディーを観ているみたいだ。もう、デモクラシー万歳を唱えている知識人を殴りたくなる。

  でも、政界だって似たり寄ったりだ。自民党の幹部どもは、安倍政権の支持率が“そこそこ”高いので、「まぁ、苦戦はするが、惨敗はないだろう」と踏んでいる。しかし、いくら自民党優勢といっても、消費増税が絡んでくるので、本当に自民党が勝てるとは思えない。惨敗の可能性だってある。世論調査の結果を掴んだ自民党の執行部は、「野党は体たらくだ。増税しても自公で55席くらいは獲得できるんじゃないか !」と予想し、参議院の過半数、すなわち123以上の議席は保てると高を括っている。(勝手な見解だけど、筆者は55議席ではなく、それを下回る議席数になる、と予想している。) なるほど、あの立憲民主党や国民民主党の面子を見れば、一般国民だって「やはり、自民党しかないのかなぁ~」と思ってしまうだろう。ただし、悪夢より酷い民主党政権時代を覚えている有権者は、増税という缼点(けってん)があっても、現実的な政党にしか投票できない。とは言っても、その自民党が左翼の跋扈する伏魔殿なので、たとえ“現実的”な選択をしたつもりでも、一年後には野党に入れたような結果になってしまうのだ。

  左翼・反日路線に邁進する安倍総理には、もう何を言っても無駄である。財務省の軍門に降った首相には、同僚を率いる権威もなければ勢力も無い。つまり、夏の参院選が終われば、感謝祭の前にレイムダックになるということだ。一方、言論界ではMMT(現代貨幣理論)を巡って議論が起こっている。三橋貴明や藤井聰、中野剛志といった知識人は「積極財政で日本経済を復活させろ !」と叫び、上念司のような経済評論家は「モデルを示さないMMTは危険だ ! 信用できない !」と猛反対。経済に関する議論は実に厄介で、色々な学者が自慢の理論をぶら下げて喧々諤々のプロパガンダを戦わせるから、聞いている一般人は訳が解らない。「いったい、どの政策が一番いいんだ?!」と迷ってしまうのが普通だろう。たぶん、評論家や額者がギャアギァア騒いだ後、議員と役人に“お任せ”というのが定番になるんじゃないか。

  経済学いうのは、後知恵で講釈することが多い。ヘーゲルじゃないけど、「ミネルヴァのフクロウは、黄昏時に飛び立つ」もので、普通の学者は過去を振り返って論文を書いているだけ。鋭敏な知性を備えている学者なら現在の現象を理解できるけれど、大多数は凡庸で、政府を批判して格好付けるのがせいぜい。もし、自分の提案が採用され、無残な結果を招いても責任を取る必要はないんだから、何とでも言えるじゃないか。じゃあ、政治家はどうかと言えば、これまた情けない。御用学者と財務官僚の言いなりなんだから。「政府の負債を無くすために緊縮財政にしましょう !」とか、「増税しても乗り切れます。子孫に借金を残すべきではない !」と言われれば、「そうだよなぁ~」と頷(うなづ)く。

  政治家は有権者よりも財務省の方が怖いから、役人がレクチャーすれば「お説ごもっとも」と平伏するし、マスコミだって「主計局長様や事務次官様が仰るなら・・・」と最初から服従だ。こんな連中だから「増税反対 !」なんて口が裂けても言えないだろう。榊原英資を思い出せばわかるけど、高級役人というのは傲慢だ。財務官の浅川雅嗣(あさかわ・まさつぐ)は、麻生太郎の元秘書で、親分であるはずの財務大臣に首輪を付けて笑っているし、野田佳彦の秘書を務めた主税局長の矢野康治(やの・こうじ)は、マヌケな首相に囁いて増税派へと導いていた。主計局長から事務次官に出世した岡本薫明(おかもと・しけあき)は、財務省で権勢を誇り、増税への執念を燃やしている。こうなりゃ、安倍総理など抵抗できない仔猫みたいなものだ。飼い主に背後からガッチリ抱きしめられ、「暴れんなよ !」と言われながら爪を切られている猫ちゃんと同じ。冷凍サンマのようにビクともせず、「何すんの!」と呟きながらもジっと堪えている。苦い薬を厭がっても、飼い主が口をグィとこじ開ければ、観念して飲み込むしかない。苦痛に耐えた猫ちゃんなら、後で美味しいツナ缶をもらえるけど、安倍総理は空き缶だけでお払い箱。財務省はさっさと安倍をポイ捨てにしたら、主税局長の矢野康治(やの・こうじ)が以前面倒を見た菅義偉とタッグを組むつもりだ。(矢野局長は菅氏の元秘書。)

ナチスの経済的錬金術

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(左 : ハイパーインフレに苦しむドイツ人  /   中央 : 札束で遊ぶ子供たち     /  右 : 紙幣を燃やして料理を作るドイツ人女性 )

  話を戻す。現在の日本はデフレ経済で苦しんでいるけど、こんな状態になるのは昔から分かっていたんじゃないか。筆者だって長谷川慶太郎の本を読んでいたから、「あぁ~あ、こりゃ重症になるぞぉ~」と思っていた。しかし、バブルが弾けた後の処方箋は比較的簡単で、民間企業が元気をなくしているなら、政府が公共投資を増やして景気を回復するしかない。小室直樹先生のファンなら、ケインズの経済学を想い出すかも知れないし、一番分かりやすいのはヒトラーの経済政策だ。戦勝国から巨額の賠償金を課せられ、ルール地方まで奪われたドイツは、ハイパーインフレの嵐に見舞われ絶望の淵に沈んでいた。(それでも、李氏朝鮮よりマシだろう。) 極度の疲弊は歴史に刻まれている。例えば、1923年のベルリンではパン1斤の値段が4千280億マルクで、1kgのバターを買うとなれば5兆6千億マルクを払わねばならない。新聞を読もうとすれば「2千億マルクになります」と言われ、ギョッとする。電車賃でさえ1千500億マルクもしたんだからしょうがない。(Constantino Bresciani-Turroni, The Economics of Inflation : A Study of Currency Depreciation in Post-War Germany, G. Allen & Unwin Ltd., London, 1937, p.25.) さらに、世界大恐慌で失業者が巷にドっと溢れ出したんじゃ、もう泣きっ面に蜂みたいで毎日が青色吐息。企業の倒産や金融危機が荒れ狂うドイツでは、国内総生産がガタ落ちで、1932年の失業者数は約558万人に上ったそうだ。(Deutsche Bundesbank, ed. Deutsches Geld und Bankwessen in Zahlen 1876-1975, Knapp, Frankfurt am Main, 1976.) 

  このように滅茶苦茶になったドイツを救おうとしたのがヒトラーで、彼は1933年2月に新しい経済計画を発表する。この元伍長は、公共事業による失業者問題の解決や価格統制を通してのインフレ抑制を図ったのだ。一般の労働者を支持基盤にするヒトラーは四年間でドイツ経済を何とかすると約束し、その実現を目指して強権を発動した。今の日本人はヒトラーを狂暴な独裁者とか、ユダヤ人を虐殺した悪魔と考えてしまうが、当時のドイツ庶民にしてみたら結構評判の良い指導者だった。ユダヤ人に対しては閻魔大王みたいだったけど、ドイツ人労働者に対しては親方みたいな存在で頼りになる。ヒトラーは偉大な救世主を目指したから、国民の福祉厚生に力を入れ、社会の底辺で苦しむ庶民の生活水準を上げようとした。

Schacht 2( 左 /  ヒャルマー・シャハト)
  誰でも大々的な公共事業をやれば景気が良くなると分かっている。が、肝心要の「お金」が無い。傘が無ければ井上陽水に訊けばいいけど、資金が無ければ優秀な専門家を探すしかないから大変だ。でも、ヒトラーは世界的に著名なヒャルマー・シャハト(Horace Greeley Hjalmar Schacht)博士に目を附けた。奇蹟の復興を目論む総統は、シャハトを口説き落とし、ドイツ帝国銀行の総裁および経済大臣になってもらうことにした。ヒトラーの抜擢は功を奏し、シャハト総裁はその手腕を発揮する。ドイツ経済はこの秀才のお陰で潤滑油を得た歯車のようにグルグルと動く。マルクの魔術師はドイツの経済状態を診断し、インフレを起こさない程度に国債を発行する。ナチスに元手が無ければ、ドイツ人が持つ「労働力」を担保にすればいい。労働者を雇っている事業主が、その労働力に見合った手形を発行し、それを自治体が受け取り、銀行に割り引いてもらう。すると、銀行は自治体にお金を渡して、自治体は公共事業を請負業者に発注する。こうして、仕事が増え、手形がお金に変わって、世の中をクルクルと回ればみんなハッピーだ。「すしざんまい」の木村社長みたいに笑顔がこぼれる。

  ドイツ人のみならずアメリカ人までもが、「シャハト博士は錬金術師か?」と思うほど、彼は金本位制からの脱却に成功した。戦前、通貨の発行は金の保有量を考慮せねばならず、政府が無闇矢鱈に欲しいだけ紙幣を刷るなんて暴挙だった。確かに、当時のドイツを観れば理解できよう。1935年当時、ドイツの帝国銀行が保有する金は、たったの56mt(メートル・トン)しかないのに、通貨額は約42億マルクもあった。(換算すると1,800,441 troy ounces) ちなみに、外国が持つ金の保有量を見てみると、ブリテンが1,464mt、フランスは3,907mt、アメリカだと8,998mt、ネーデルラントは435mt、ベルギーが560mtで、スイスは582mtとなっていた。(Timothy Green, World Gold Council and Central Bank Gold Reserves : A Historical Perspective Since 1845, November 1999を参照)

国債反対より、何に使うのかを議論せよ !

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(写真  /  ドイツの子供たちから歓迎されるヒトラー)

  ナチスの経済計画でドイツの国民総生産が増大したのは有名だが、注目すべきは公共事業費の流れ方だ。つまり、ヒトラーはアウトバーンなどのインフラ整備を目指したが、その際、末端の労働者に充分な賃金が行き渡るよう心掛けたという。建設工事にかかる支出の約46%までが労働者の給料になったのだ。これにより、一般労働者の懐が温かくなり、前から欲しかった衣料品を帰るようになった。日本だと、政府や議員がゼネコンに丸投げし、たっぷりピンハネしてから子会社に仕事を回すのが普通だ。そして、この中抜きには「続き」がある。子会社は更なるピンハネを行って、立場の弱い孫会社に分配するから、下っ端の職人が手にするのは雀の涙ていど。これじゃあ、地上波テレビ局と同じだ。例えば、ドラマを制作するためにスポンサーがフジテレビに1億円払えば、局がごっそりピンハネして、子飼いの制作会社に丸投げ。受注した制作会社もピンハネして孫会社に任せ、その孫請けが曾孫会社を使って実際の番組を作るんだから、出来上がった作品が貧相な代物になるのも当然だ。もしも、このドラマがブラック企業をテーマにした作品なら、お金を払って俳優を雇わず、社員の日常を撮影してドキュメンタリー・ドラマを作った方がいい。

  筆者は三橋貴明や藤井聰らが提案するMMTには概ね賛成だが、彼らが推奨する公共事業の質や種類については疑念がある。自然災害に関する国土強靱化はいいけど、無用なハコ物とか道路は真っ平御免である。ほとんどクルマが通らない道路とか、お客が集まらない文化ホール、役人を養うことが目的の公民館、魅力無き民族博物館などが予想されるので、タカリ議員の排斥が前提となる。実際には「ない」と思うけど、もし、リニア新幹線が整備されれば素晴らしい投資となるが、これに目を附けた族議員が次々と地元に駅を誘致するれば、せっかくの最新急行が各駅停車の鈍行になってしまう。想い出してみよ。現在、庶民は年金が少ないとか、将来が不安だと騒いでいるが、かつて国会議員や高級官僚は、一般国民の福祉を促進するためと称して、年金をグリーンピアに注ぎ込んでいた。酷いものになると、民間の温泉旅館があるのに、その近くに新たな保養施設を建てたり、交通の不便な僻地にポツンと一件、巨大な娯楽ホテルを建ててしまったのだ。しかも、維持・管理費まで年金が流用され、管理会社には役人が天下り。さらに、その悪事が世間にバレると、グリーンピアを廃止しますと宣言し、その解体費用も積立金からの捻出だ。しかも、社会保険庁は日本年金機構と看板を変えて生き残ったから、本当に腹が立つ。つくづく思うけど、他人の銭を使う役人や議員には監視が必要だ。

  歐米の高等教育と比較すれば分かるけど、我が国の大学教育は片輪というか、左巻きの奇形組織になっている。例えば、経済学部に入った学生は、金融システムとかマクロ経済学、歐米の経済理論、税制などを勉強するが、軍事を学ぶことは滅多にない。左翼学生は論外にして、先進国にいる普通の大学生は、兵器開発からのスピンオフとか民間企業と軍事産業の連携を当たり前と思っている。したがって、政府の軍事予算に対して猛烈に反対することはない。しかし、日本の学生は財政問題を扱う時、軍事技術の発展は考えず、ほとんどが医療福祉の拡大とか子育て支援の充実ばかり。戦略爆撃機や攻撃型原潜の独自開発は、端っから頭に無いのだ。アメリカやロシアは生物・化学兵器の分野に力を入れ、昔からずっと研究を進めてきたのに、日本だと左翼が悲鳴を上げて大反対。物理学や医学を専攻する学生なら別だけど、有名大学の学生でも文系になれば、「国防高等研究プロジェクト局」、通称「ダーパ(DARPA / Defense Advanced Resaech Project Agency)」の名前すら聞いたこともないのだ。筆者が昔、国際関係論を専攻する学生と雑談していた時、「レイセオン(Raytheon)」の名を知らない者がいたので驚いたことがある。ミサイルの誘導装置を知らなくても、レイセオンが開発した電子レンジくらいは使ったことがあるじゃないか。

  まぁ、日本人の軍事音痴は根深いから、ゴチャゴチャいってもしょうがない。でも、「マーティン・マリエッタ(Martin Marietta)」と話して、「アメリカのコメディアン?」訊かれれば、「えっ!」と驚くじゃないか。暢気なキャンパス・ライフを送る若者は、大手の「ロッキード」社と合併した兵器会社とは思わない。こんな調子だから、軍事が科学技術の発展に貢献し、国家の底力になると考えなくても当然だ。しかし、実際は戦争が科学を進歩させ、一般人の生活を向上させるのは常識となっている。軍事に応用される科学技術の進歩は驚くほどめざましい。例えば、ロボット・アームを使った遠隔操作の外科手術は、戦場で負傷した傷兵の応急治療に役立つし、人工皮膚のスプレーやパウダー血液の開発は画期的だ。信じられないけど、戦闘で火傷(やけど)を負った兵卒の体に、本人皮膚から培養した皮膚をスプレーで噴射するというのは結構凄い。また、熱帯地方の戦場で、輸血するためには保存する血液の温度に注意せねばならぬが、粉末状にした血液なら、温度を気にしなくても済む。筆者を疑う人は、サン・アントニオにある合衆国陸軍ブルック・メディカル・センターを訪ね、ジェフリー・ジョンソン准将(Brig. Gen. Jeffery Johnson)に訊いてみることだ。

  日本人は自国の科学水準が著しく低下している事にもっと関心を持つべきだ。安倍総理は教育の無償化とか保育園の増設ばかり述べているが、義務教育や大学教育の衰退には目を覆いたくなる惨状が多い。たぶん、安倍氏は左翼役人の囁きだけに耳を傾け、数学や物理学を習う子供たちの惨状についての認識が無いのだろう。もちろん、大半の国会議員だって五十歩百歩だ。彼らは柄の悪い朝鮮人や傲慢な支那人、劣等種族のフィリピン人、出稼ぎ目的のベトナム人を輸入することに熱心でも、日系日本人が被る被害については冷淡としか言い様がない。だいたい、躾の悪いアジア人と一緒にされたら、日本人の子供は学問への知的好奇心を無くしてしまうだろう。底辺校に通う日系人の子供たちは大切な事を学ばず、移民の子供が話す下品な言葉を覚え、破廉恥な行動に倣う。こんな状態で子育て支援を行えば、ぐうたらな子供か不良の落第生を大量生産するだけだ。政府は日系人の教育を軽んじているのに、アジア人留学生はウェルカムで、無償の奨学金を与えて育てている。ところが、日系人の血を引く学生には冷酷で、彼らは奨学金という借金を背負って会社に勤めねばならない。日系人は下働きに甘んじながら税金を献上するが、日本の教育を受けて上級職に就くアジア系帰化人は、日系土人をこき使って更なるゼニ儲けに走る。アジア帰化人は巨額の献金で政治家を買収するから、優遇税制は拡大する一方だ。かくして、日本人の階級格差は固定する。支那人や朝鮮人の富豪が日本社会に君臨し、土着の日系人を見下ろすんだから、将来の日本は本当に恐ろしい。

  政府が国債を発行して景気を刺激するのはいいけど、それは日系日本人を優先し、日系日本人の子孫へ向けての投資でなければならない。ソフトバンクの孫正義やロッテの重光武雄(本名 / 辛格浩)、パチンコ屋マルハンの韓昌祐(密入国者)などの子孫が繁栄する社会になっては駄目だ。日本人の税金や国債は、日本という家族国家の中でグルグル回せばいい。不愉快な外人を太らせるのは論外だ。財務省は緊縮財政を理想としているが、正常な日本人なら「お前らの背後に誰がいるんだ?」と訊きたくなる。大半の官僚は上司に従う忠犬なんだろうが、組織の中枢には清廉の士を装う工作員や協力者がいるんじゃないか。岡本事務次官は「シゲーリン」なる渾名で呼ばれているが、「ゾルゲ」というコードネームなら大変だ。日本には防諜組織が無いから摘発できないけど、主計局や理財局に赤い官僚がいたり、日銀や大臣官房に外国のスパイが紛れていた、という可能性だってあるだろう。プライマリー・バランスの呪縛で日本を衰退させるのは、「戦わずして勝つ」というドクトリンに適うから、荒唐無稽な妄想とは言えまい。一般国民は消費税10%くらいで大騒ぎしているが、財務官僚は28%の近未来を目指しているのかも知れないぞ。

 


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ナチスが嫌った醜い藝術






頽廃芸術が横行したワイマール時代

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(上絵画 2枚 /  ヒトラーの作品)

  今回のブログは1、2年前から発表しようかどうか迷った記事である。ナチス時代のドイツを知るには、ワイマール時代の社会状況を知る必要があるのだが、その一部があまりにも卑猥なのであからさまに伝えることが出来ない。しかも、ブログ運営会社のライブドアによる「検閲」があるので、たとえ「歴史的事実」でも「破廉恥な現実」を掲載すれば、当ブログの閉鎖を余儀なくされるからだ。それでも、歴史の真相を求める日本人には、偏向史観ではない具体的で“生々しい”情報が不可欠なので、肝心なエロ絵画を載せられないが、とりあえず紹介することにした。

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(左: アドルフ・ヒトラー  / 中央:  カール・トルッペ Karl Truppe <左>と Franz Triebsch <右> によるヒトラーの肖像画 /  右: アルベルト・シュペーア )

  第三帝國の総統となったアドルフ・ヒトラーが、若い頃、画家を志していたことは有名である。したがって、この伍長上がりの政治家は美術に関しては少々うるさく、自らのドイツ帝國を偉大な藝術で飾ろうと思っていた。ヒトラーがベルリンを壮大な首都にしようとした「ゲルマニア世界都市計画(Welthaupstadt Germania)」は有名で、その担当者に建築家のアルベルト・シュペーア(Berthold K. H. Albert Speer)を据えたこともよく知れられている。現在では、ヒトラーと言えば「極悪人」というレッテルが貼られているので、やることなすこと一切が非難の的になっている。だけど、もし敗戦がなく、目論見通りベルリンの再開発が遂行されていたら、たぶん絢爛豪華な帝都の誕生となったであろう。

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(左: ドイツ人の少女  / 中央: ナチス時代のドイツ人女性  /  右: ナチ党のポスター)

  もっとも、追い出されたユダヤ人は恨み骨髄だ。しかし、好ましいアーリア人で賑わう街はヨーロッパ諸国の注目を集め、不動産価格が高騰するのは間違いない。きっと、好奇心旺盛な日本人も、世界に冠たる偉大な都市を見物しようと、ベルリンに押し寄せるんじゃないか。現在の歐米人のみならず、日本人も「ユダヤ人の視点」でしかドイツ史を観ないけど、もし、ゲルマン人の目でヒトラーの帝國を眺めれば異なった感想を持つはずだ。例えば、仮にドイツの住民がアーリア系ドイツ人ばかりになったとする。そうなると、いったい誰が困るというのか? 日本人観光客で、金髪碧眼の北歐人が集まる商店街とか教会を眺めて、「気持ち悪る~い」と感じる人はいないだろう。日本人女性だと、ゲルマン人の子供が楽しく遊ぶ幼稚園を見て、「アっ! かわいぃ~い」と声を上げるんじゃないか。日本人の亭主だと、ブロンド美女の保母さんに“うっとり”する姿を女房に見られて、「アンタ、どこ見てんのよ !」と叱られたりしてね。

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(左: ヒトラーとドイツ人の少年  /  ドイツ軍士官 /  右2枚: 理想的なアーリア人女性 )

     それに、ドイツを訪れたオランダ人やイギリス人の観光客が「あれ~ぇ? 白人ばかりだ。ユダヤ人がいなくて寂しいなぁ」と愚痴をこぼすのか? ユダヤ人が大嫌いな愛国的フランス人なら、「アレマン人(ドイツ人)は素晴らしい ! ぜひ、我が国もユダヤ人を駆逐しよう !」と叫ぶに違いない。また、 ユダヤ人を大学やホテルから閉め出したアメリカ人も、同種族のドイツを旅行して感動するはずだ。帝國陸軍から派遣された日本人だって、ゲルマン人ばかりのドイツに違和感は無く、ユダヤ人が居なくても不便はない。ちょうど、江戸や大坂に朝鮮人が居なくても寂しくないのと似ている。

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(左: ドイツ人の少年  / 中央: ドイツ軍士官の家庭 /  右: 1950年代のドイツ人女性)

  ナチ党やヒトラーの評判が悪いのは、ドイツを敗戦に導いたことにあるのだが、ユダヤ人や左翼分子が歐米の学会を牛耳っているのも、見過ごせない原因の一つである。ヒトラーにより追放されたユダヤ人は、アメリカやブリテン、カナダなどの西歐世界に移住し、その地で反ナチス本を大量に出版した。したがって、ドイツの事情に無知な一般人は、「ほとんど」と言っていいくらい、ユダヤ人の洗脳を受けている。フランクフルト学派のユダヤ人を迎入れたアメリカはその典型例で、今でもユダヤ人が撒き散らかした害悪により、訳も解らず“のたうち回って”いるのだ。これは丁度、見知らぬ他人から魚を貰って食ったら、その内蔵に水銀が溜まっていたり、回虫のアニサキス(Anisakis)が潜んでいたことから、食後にもがき苦しむのと同じ症状である。

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(上絵画  /  ヒトラーによる風景画)

  排除されたユダヤ人の中には藝術家もいて、彼らは亡命先で散々ナチスを呪った。そして、この呪詛を聞いた現地人もユダヤ人アーティストに同情したものである。しかし、この亡命者たちは一体どのような作品を世に送り出していたのか? なぜ、ヒトラーやナチ党員たちは、彼らを排斥したのか? 日本人としては事の善悪を越えて、その理由を知りたい。我々は迫害されたユダヤ人の怨念だけを鵜呑みにするのではなく、迫害した側のドイツ人による言い訳にも耳を傾けねばならないと思う。とりわけ、1942年3月27日にヒトラーが述べた意見は傾聴に値する。ヒトラー曰わく、

  ワイマール共和国時代が特にひどかった。これは美術界におけるユダヤ人の影響力の怖さを如実に物語っている。ユダヤ人どものやり方は信じがたいほどの図々しさだった。インチキ美術評論家の協力も得て、ユダヤ人どうしでの間で競り上げて、ナイーヴな人々に屑同然の絵を最高傑作と思わせるのに成功したのだ。自らの知的水準には自負を抱いていたはずのエリートたちさえ、ころりとだまされた。今、ユダヤ人の財産没収のおかげで奴らのペテンの証拠が続々と手に入るというわけだ。屑同様の絵をだまして高値で売った金で、反対に過小評価した傑作をばかみたいな安値で購入する。-----これがやつらのペテン藝術の極みともいえる手口だったのだ。著名なユダヤ人から徴発した財産の目録に目を通していつも驚くのは、そこに本物の芸術品ばかりが載っているということだ。(『ヒトラーのテーブル・トーク』 下巻、吉田八岑 訳、三交社、1994年 p.31)

  確かに、ユダヤ人の富裕層はヨーロッパの名画を買い漁っていたようで、ナチスが彼らから奪い取った作品には目を見張るものがあった。最近だと、ナチスに協力した画商のヒルデブラント・ガーリット(Hildebrany Gurlitt)が隠し持っていた絵画に注目が集まったことがある。彼の息子で隠遁生活を送っていたコルネリアスが、ある失態を犯してしまい、盗品が表に現れるという事件が起きた。(Michael Kimmelman, "The Art Hitler Hated", The New York Review of Books, June 19, 2014) 戦災で失われたと思われていた多数の絵画が見つかってドイツ人は驚嘆。その中には、「頽廃藝術(Entartete Kunst)」作品も含まれていたそうだ。ヨーロッパ人の美を愛するヒトラーにとって、ユダヤ人や現代画家の美観は許せなかったそうで、総統は美術展に足を運ぶ度に、その「塗りたくった絵」を取り外させたという。たとえ、プロイセン・アカデミーの“お墨付き”が与えられた作品であっても、「無価値なもの」に対しては容赦無くふるい落としたらしい。

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(左: オットー・ディックスの作品  / 中央: ポール・クリーの作品 /  右: エーリッヒ・ヘッケル)

  ヒトラーによると、アカデミーの会員はきちんと任務を果たさず、いつも仲間内で“なあなあ”で済ませ、ある宗教担当大臣はユダヤ人の罠に嵌まって“とんでもない駄作”に賞を与えてしまったそうだ。しかも、騙された人々は最初、「これは難解な作品だ」などと一応納得した顔をして、「作品の深層と意味を洞察するためには、提示されているイメージの世界に浸る必要がある」と、もっともな“ご託”を並べたという。そう言えば、日本でも西洋美術展が開催されると、評論家気取りの連中が適当な「講釈」を垂れるし、門外漢の一般客は、その「値段」を聞いて作品の「価値」を決める傾向が強い。庶民はピカソやムンクの作品を観たってチンプンカンプン。「こんなの子供の落書きだよなぁ」と心の底で思っても、その値段が何十億円と聞けば、「うぅぅ~ん、やはり筆のタッチがひと味違うな !」と急に意見を改めたりする。

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(左: パブロ・ピカソ   /  ピカソの作品 /  エドワルド・ムンク /  右: ムンクの作品)

  だが、ヒトラーによる美術批評家への意見は手厳しい。「一般論として、アカデミーの類いは傾聴に値する程の意見を発表しない」そうで、教授どもは落ちこぼれか、枯渇した老人くらいであるという。たとえ、才能豊かな者がいても、彼らは1日に2時間と教えられないそうだ。(上掲書 p.32) ヒトラーの美術論によれば、真の藝術家は他の藝術家たちとの接触を通して育って行くものらしい。かつて、巨匠といわれた画家たちは、工房の助手としてスタートし、技術と器用さで秀でた者、あるいは将来価値のある作品を生み出せそうな者だけが、徒弟の地位へと昇ったそうである。ヒトラーはルーベンスやレンブラントの例を挙げていた。これなら我々にも解る。例えば、「偉大」と称されるピカソなんかより、フェルメールの油絵の方がよっぽど素晴らしいし、ラファエロの聖母像も傑作だ。ヨーロッパの評論家はムンク(Edvard Munch)の『少女と死』とか『思春期』を称讃するけど、日本人には葛飾北斎の『富嶽三十六景』や歌川広重の美人画とか版画の方が解りやすい。

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(左: フェルメールの名作「真珠の耳飾りをつけた少女」  / 中央: レンブラントの「善きサマリア人」 /  右: レンブラントの「愉快な仲間」)

エロ・グロ作品を描いていた亡命者

  ヒトラーは、当時の風潮に不満を漏らしていた。ドイツの美術学校では自由放任の方針を取っていたようで、天才なら最初から自分のしたいようにしてもよい、と考えていたらしい。しかし、ヒトラーは「天才画家であっても、最初は皆と同じように学習から始めねばならぬ」と考えており、「たゆみない努力によってのみ、描きたいものが描ける」と信じていた。そして、総統は絵の具の混合をマスターしていない者や、背景の描けない者、解剖学を学んでいない者は、大した画家にはならないだろう、と結論づけていた。そこで、ヒトラーは「曾てのように現代も、画家の卵は親方の工房で美術の伝統にどっぷり浸かりながら訓練を受けるべきだ」という。なぜなら、ルーベンスやレンブラントの作品を観ると、弟子と師匠が描いた部分の区別が附きにくかったからである。つまり、ルーベンスやレンブラントの弟子たちは、師匠と同じ技量を身につけていたということだ。

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(左: ゲオルク・グロス   / マックス・ベックマン /  エルンスト・ルドウィック・キルヒナー/  右: エーリッヒ・ヘッケル)

  このように、ヨーロッパに根づく伝統的美意識を愛したヒトラーだから、その伝統を無視する抽象画とか表現主義の作品は許せなかった。ヒトラー率いるナチ党が「頽廃藝術家」と評した者といえば、ゲオルク・グロス(Georg Grosz)や、オットー・ディックス(Otto Dix)、マックス・ベックマン(Max Beckman)、エルンスト・ルドウィック・キルヒナー(Ernst Ludwig Kirchner)、パウル・クリー(Paul Klee)、ルシアン・フロイト(Lucian Freud)、エーリッヒ・ヘッケル(Erich Heckel)などが挙げられる。特に、ユダヤ人と思われがちなゲオルク・グロスは札付きのワルで、キリスト教の家庭に育ったドイツ人であったが、思想的には真っ赤な共産主義者であった。彼はドイツ共産党に属していたけど、ソ連を訪問し、グリゴリー・ジノヴィエフ(Grigory Zinoviev / ユダヤ名Hirsch Apfelbaum)やレーニンと会ったことで失望したそうだ。グロスは形だけではあるが、共産主義から足を洗い、風刺画家に専念したらしい。

  ところが、このグロスは単なる絵描きではなかった。ナチ党の台頭により米国へ亡命したグロスには、マーティー(Marty)という息子が生まれ、この倅(せがれ)はマスコミを相手に父親の偉大さを宣伝していたが、ある作品に関しては沈黙を守っていた。彼はある記者のインタビューを受けて、「父の風刺画や油絵、鉛筆画はベルリンの頽廃と腐敗を厳しくも情熱的に描いていました」と述べている。(Rosie Millard, "My father, the famous artist", The Independent, 17 March 1997) しかし、マーティーは父親の藝術を概ね讃美するも、その恥部だけは巧妙に避けていたから狡(ズル)い。この息子は父のエロ・グロ作品を人前で堂々と掲げるべきだ。グロスの作品総てを知らぬ一般人は、ナチスに迫害された可哀想な藝術家としか思わないが、彼の描いた「卑猥な絵」を目にすれば、ご婦人方は両手で顔を覆ってその場を去るだろうし、美術品愛好家の紳士なら、「何だ、この下品な絵は !」と叫ぶに違いない。日本人もグロスのエロ絵画を見れば、なぜナチ党が彼を「ボルシェビキ風の敵No.1」と評したが判るだろう。

George Grosz Pappi und MammiGeorge Grosz 5George Grosz Strassenszene Berlin








(上3 枚 /  ゲオルク・グロスの作品)

  憐れな亡命者と思われているグロスは、文字にするのも憚れるような卑猥な絵を描いていた。例えば、性器を剝き出しにした女や、客のペニスを膣に挿入する淫売、巨根をしゃぷる痴女、うつぶせの女を背後から襲う男、醜悪な体型をした中年女など、“おぞましい”としか言いようのない作品を残していたのだ。(ライブドア社の禁止規定に抵触するので、実際の生々しい「猥褻作品」を掲載できなくて残念である。でも、規則だから仕方ない。) とにかく、グロスは露骨に性器を描写していたから、とても一般公開などできない。米国の敬虔なキリスト教徒なら卒倒間違いなし。仮に、美術館の壁に掛けることが出来たとしても、訪問客から猛抗議を受けて、即座に展覧会は中止されるだろうし、主催者は責任を取ってクビになるはずだ。こうなれば、一般のアメリカ人もグロスへの同情を失い、「頽廃芸術」が何であったのかが解る。でも、ユダヤ人や左翼ジャーナリストは困るだろう。ヒトラーは絶対的な悪なのに、その追放政策が正しく思えてしまうからだ。したがって、反ナチス派の評論家や歴史家は事実を隠す。

Ernst Ludwig Kirchner 1909_MarzellaErnst Ludwig Kirchner 5Max Beckman 4Max Beckmann







(左2枚 : ルドウック・キルヒナー /  右2枚: マックス・ベックマン )

  ルドウィック・キルヒナーの作品は卑猥でなかったが、彼の描く人物はどれも醜くて、観ていると暗い気分になる。なるほど、描かれた人物は印象的だが、お世辞にも「美しい」とは言えず、どちらかと言えば「病的」と評した方がいい。ちなみに、キルヒナーは精神病を患っており、展示会に出した自作を撤去されてから一年後に自殺している。フランクフルトのアカデミー会員をクビになったマックス・ベックマンや、700点以上者作品を撤去されたエーリッヒ・ヘッケルの絵も全体的に陰鬱で、部屋に飾ってみたいとは思えない作品である。だいたい、ベックマンの作品などを模範にしたい絵描きがいるのか? 蛭子能収をちょっと上手くしたくらいで、ザビエル山田といい勝負だぞ。(ザビエル山田は漫画『愛の泉』や『オヤジの吐息』の作者である。) 美術評論家は彼らの作品を「素晴らしい」と褒めちぎるんだろうが、一般人ならこんな絵を高値で買おうとはしないし、政治献金の代用品であっても買いたくない。個人の敷地で催されるヤード・セール(庭先の販売会)だと、せいぜい5、6ドルの値札しかつかないんじゃないか。筆者の好みから言えば、安彦良和先生の油絵(例えば、「ガンダム」のシャーとかセイラの人物画)とか、荒木飛呂彦先生が描くジョジョの直筆ポスターなどの方が遙かに価値がある。

Eric Heckel 6Eric Heckel 2Ludwig Meidner








(左と中央 : エーリッヒ・ヘッケル /  右: ルドウィッヒ・マイトナー )

  ユダヤ人の画家になるともっと酷い。ルドウィッヒ・マイトナー(Ludwig Meidner)の絵を見ると、何かの病気を患っているんじゃないか、と思えてくる。だが、彼よりも不愉快なのは、ルシアン・フロイトだ。彼は有名な精神科医であるジクムント・フロイドの孫としても知られている。ルシアンの描く女性などを観ていると、日本人だってヒトラーの反論に賛成するんじゃないか。例えば、ぶくぶくと太った醜い女性とか、性器丸出しの男性などを観れば吐き気がする。ナチ党員たちはゲルマン人女性の美しさや清らかさを称讃したのに、ユダヤ人画家ときたら、北歐種族の肉体的美しさを否定し、それを無視するどころか、却って醜悪にして「美術」と称する。西歐婦人の気品を台無しにした挙げ句、反対の肉体を讃美するんだから、ドイツ人じゃなくても不快になるじゃないか。ヨーロッパ人にとったら、美しい人間というのは、古代ギリシア人が理想とした女神とか、ルネッサンス期の巨匠が描いた英雄である。

Lucian Freud 112Lucien Frud 7Lucian Freud Sleeping









(左ルシアン・フロイド  /  中央と右: フロイトの作品)

  しかし、ヨーロッパ人、特にキリスト教徒のゲルマン人を憎んだユダヤ人は、いじめっ子民族の肉体を讃美したくない。アーリア人の肉体美を描くことは、敵対者の優越性を認めることに繋がるし、セム種族の肉体的劣等性を認めることになるからだ。ユダヤ人は一般的に捻れた性格を持っている。美しいゲルマン人女性に憧れる一方で、彼女たちからの侮蔑に耐えねばならぬ運命を有しているからだ。ユダヤ人は西歐人に対しては、人種平等の説教を垂れるが、仲間内では西歐白人女性を獲物にしているから卑劣だ。(イスラエルの売春宿では、西歐人女性のような東歐女性が人気で、フィリピ人女中やアフリカ人娼婦は安値でランクが落ちる。それにしても、貧乏なルーマニア人やウクライナ人、ロシア人の女性を半ば騙して、次々に密輸するユダヤ人の女衒はあこぎだ。TBSの金平茂紀は朝鮮人娼婦なんか放っておいて、スラヴ系娼婦を取り上げればいいじゃないか。看板番組の『報道特集』で「報道」しろ !)

Cameron Diaz 2Jennifer Aniston 213Teri Polo 222Jennifer Hudson 2








(左: キャメロン・ディアス  /  ジェニファー・アニストン/ テリー・ポロ /  右: ジェニファー・ハドソン)

     ユダヤ人は多民族主義を唱えるくせに、性慾となれば白人女性一本槍だ。 恋愛映画を造るハリウッドのユダヤ人たちは、決まって相手方を西歐人美女にする。例えば、ユダヤ人男優のベン・スティラー(Ben Stiller)は『メリーに首ったけ』ではキャメロン・ディアス(Cameron Diaz)を共演者にしたし、『アロング・ケイム・ポリー(Along Came Polly)』ではジェニファー・アニストン(Jennifer Aniston)を、『ミート・ザ・ペアレンツ』ではテリー・ポロ(Teri Polo)を恋人役にした。ところが、どのユダヤ人男優も、有名司会者のオプラ・ウィンフリー(Opra Winfrey)とか、ジェニファー・ハドソン(Jennifer Hudson)、タラジ・ヘンソン(Taraji Henson)、クィーン・ラティファ(Queen Latifah)などを恋人役にはしないのだ。(もしかして、黒人への嫌悪と差別なのか ?)

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(左: タラジ・ヘンソン  / オプラ・ウィンフリー / クィーン・ラティファ /  右: コートニー・コックス)

    大ヒットTVドラマ『フレンズ』でもユダヤ人的嗜好が滲み出ていた。このドラマを制作したプロデューサーのデイヴィッド・クレイン(David Crane)とマルタ・カフマン(Marta Kauffman)は共にユダヤ人で、ドラマの中でもロスとモニカのゲラー兄弟をユダヤ人に設定していた。兄のロス・ゲラーを演じたデイヴィッド・シュワイマー(David Schwimmer)はユダヤ人だけど、妹役のモニカを演じたコートニー・コックス(Courtney Cox)はイギリス系アメリカ人である。呆れてしまうのは、ユダヤ人のロスが憧れるレイチェル役に、西歐系女優のジェニファー・アニストンを起用していたことだ。『フレンズ』にはユダヤ人女優のリサ・クドローがいたのだから、彼女をフィービー役ではなく、レイチェル役にすれば良かったのに、と思ってしまうが、クレインとカフマンにしたら、いかにも「ユダヤ人のカップル」になってしまいそうで、本能的に嫌がったのだろう。もし、ニューヨークに住む「フレンズ」が、全てユダヤ人となったら、不愉快というか余りにも“リアル”過ぎる。たぶん、制作担当者はユダヤ色を薄めるためにも、異教徒の西歐人をキャストに混ぜたんだろう。

Lisa Kudrow 4David Schwimmer 2Marta Kauffman 1David Crane 2








(左: リサ・クドロー  / デイヴィッド・シュワイマー /  マルタ・カフマン/  右: デイヴィッド・クレイン)

  ユダヤ人は現実社会でも、ユダヤ人女性や黒人、アジア系女性に興味を示さず、西歐系女性に性的興奮を覚える。ユダヤ人の大物プロデューサーであるハーヴェイ・ワインシュタインについては、以前このブログで触れたからここでは繰り返さない。でも、最近またもやユダヤ人によるセクハラが暴露されたので紹介する。日本ではあまり知られていないが、ミネソタ州選出の上院議員にコメディアン上がりのアル・フランケン(Al Franken)がいる。一連のセクハラ騒動に感化されたのか、彼にセクハラを受けたと表明する女性が現れた。被害者はリーアン・トゥイーデン(Leeann Tweeden)という美女で、以前は水着のモデルや『プレイボーイ』誌のグラビア・モデルを務めたことがあり、現在はテレビ番組の司会やレポーターを務めているそうだ。

Al Franken 1Al Franken 3Harvey Weinstein 1






(左: アル・フランケン  / 中央: リーアン・トゥイーデンの胸を鷲摑みにするフランケン  /  右: ハーヴェイ・ワインシュタイン )

      事件は2006年、彼女が中東アジアに派遣された米軍を慰問した時に起きた。アル・フランケン議員はリーアンが寝ている隙に彼女の胸を鷲摑みにしたり、彼女が嫌がるのに無理矢理キスを迫ったそうだ。(Juana Summers and M.J. Lee, " Woman says Franken groped, kissed her without consent in 2006", CNN, November 17, 2017) セクハラ事件が表沙汰になると、フランケン議員は彼女に謝罪したそうだが、いくら冗談でも有名人の身分を忘れて卑猥な行為をするなんて、アホといか言いようがない。でも、どうしてユダヤ人は黒人とか支那人女性に対しては「いやらしい」事を企てないのか。「人種的平等を考えろ」とは言わないが、獲物に「人種的偏見」を持っているんじゃないかと疑いたくなる。

Leeann Tweeden 3Leeann Tweeden 4









(左: 司会者としてのリーアン・トゥイーデン  /  右: モデル時代のトゥイーデン)

怨念が動機になっている美意識

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(左: ヤンケル・アドラー  /  右3枚: アドラーの作品 )

  話が逸れたので元に戻す。ナチ党は頽廃藝術をユダヤ人の“せい”にしているが、こうした趣味に人種は関係無さそうだ。確かに、ヤンケル・アドラー(Jankel Adler)のようにポーランド系ユダヤ人の画家がいたけど、オットー・ディックスのようなドイツ人の画家もいたのだ。民族性と美的感覚の関連は不明確だが、二人の絵画は本当に美術なのかどうか判らない。現代の我々が見ても、アドラーの絵は気分が落ち込むほど陰惨である。ただし、ディックスが描いた絵の方が遙かに酷い。ディックスの描く女性など本当に醜く、お金を払って見る藝術とは思えないし、ヒトラーの言うように駄作と評する方が適切である。彼が描いた裸婦など殴り書きみたいだし、赤ん坊を抱く母親の絵は貧相というより怖い。ガリガリの赤ん坊なんてどうかしている。これじゃあ、アメリカ人だってナチスに賛同したくなるじゃないか。

Otto Dix 4Otto Dix self-portrait-with-museOtto Dix Sailor & Girl







(左: オットー・ディックス  / 中央と右: ディックスの作品 )

  昔、ヨーロッパでは既存の秩序や常識を否定し、破壊的感情を肯定したダダイズム(Dadaism)が流行ったけど、ユダヤ人には“しっくり”する運動だった。とにかく、ユダヤ人は西歐世界の伝統や秩序を覆したいと願っている。自分の種族が築き上げた訳でもない価値観など紙屑以下。タバコの吸い殻を揉み消すように、西歐人の理想を足で踏みにじりたいのだ。そして、自分たちを“抑圧”し続けた憎い白人を倒したい。だから、アーリア人の美しさを貶して、醜い人物像を「素晴らしい」と言い換えたり、変態的描写を「斬新なタッチ」として言いふらすのだろう。彼らにとり、異教徒の美意識を破壊することは快感なのだ。

Otto Dix Pregnant Woman 2Otto Dix Mother & ChildOtto Dix Ladies of the NightOtto Dix Pregnant woman








(上絵画  /  ディックスの作品)

  全共闘世代なら馴染み深いだろうけど、1960年代から1970年代にかけて前衛芸術なるものが“進歩的”と目されていた。フランス語の「アヴァン・ギャルド(avant-garde)」を口ずさみ、寺山修司とか大島渚たちが訳の解らぬ映画を作っていたのを覚えている人も多いだろう。ジョン・レノンと結婚したオノ・ヨーコが、へんちくりんな踊りを披露していたけど、あれも前衛藝術の一種らしい。音楽でも奇妙なものがあり、ユダヤ人音楽家のアーノルド・ショーエンバーグ(Arnold F. W. Schoenberg)とか、ニューヨーク生まれのロシア系ユダヤ人モートン・フェルドマン(Morton Feldman)が有名だ。まぁ、音楽の趣味は人それぞれだから、余計な事をせずに市場に任せておいた方がいい。

Morton Feldman 1Arnold Schoenberg 1Yoko Ono 2









(左: モートン・フェルドマン  / 中央: アーノルド・ショーエンバーグ  /   右: ヨーコ・オノ)

  一般的に藝術は「自由」な方が良いけど、人々の精神に及ぼす影響も無視できないので、国家が介入する場合もやむを得ない。例えば、公園や路地裏で公然と映画のセックス・シーンを撮影するのは非常識だし、歩行者天国の日曜日に鞭を握ったSMの女王様が闊歩すれば、親子連れの一般人は目を背けるだろう。また、百貨店の展示会だって、しわくちゃの老婆を題材とした全裸写真とか、中高年ゲイが互いにペニスを握りしめているスナップ写真とかは論外だ。でも、西歐ではたまにある。米国で問題になったけど、小便の中に埋もれるキリスト像という絵画が公開され、世間の非難を浴びたこともあるのだ。藝術作品の弾圧は賛成できないが、常識を越えた「藝術」に一定の制限があってもおかしくはない。

  ナチスによる私有財産の没収は違法だが、ヒトラーたちが「頽廃藝術」に憤慨した気持ちも分かる。ヒトラー総統が自分の帝國だから美しくしたい、と考えてもおかしくはない。「盗人にも三分の理」があるように、ナチ党にも1%くらい擁護論があってもいいんじゃないか。日本人にとって重要なのは、ナチスが怒った理由とその経緯を“具体的”に調べることだ。ユダヤ人の本だと“抽象的”に書かれているだけで、不都合な歴史が省略されている場合が多い。「書物の民」は偶像崇拝を嫌って文字を重視し、映像や視覚を回避する傾向が強いから、我々はどのような素性の者が、如何なる思想で批判しているのか検証してみる必要がある。案外、ユダヤ系著者の素顔と正体を知ったら、「えっ、こんな人なの?!」と驚くんじゃないか。(ワイマール時代のドイツについては、別の機会で述べてみたい。ただし、当ブログが閉鎖命令を受けたら不可能になってしまうだろう。もしかしたら、今回が最終回となってしまうかも知れないので、引っ越しを考えているところです。)



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