無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

教育論

中流階級の没落 / 貧困化と無気力の日本人

学力低下の子供が増えている

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  昭和の頃、京都大学で教授を務めていた会田雄次先生が、戦後の日本社会を評論したことがあり、敗戦のせいでようやく芽生えてきた中流階級が崩壊してしまった、と嘆いていた。会田先生によれば、バブル景気で誕生した「中流階級の国民」というのは、単なる小金持ちに過ぎず、国家の支柱であることを自負する中流階級ではない、というのだ。つまり、主流メディアが呼んでいた「一億層中流」というのは、所得が増えただけの庶民を指すだけで、士族階級の矜持を持たぬ“成金”程度の連中である。ルネッサンスの美術やヨーロッパ歴史を専攻した会田先生にとっては、ミドル・クラス気取りの日本人などは紛い物に見えたのかも知れない。

  平成不況と日本経済の衰退に関しては、現在、様々な経済評論家が分析を公表しているので、ここでは金融財政の賛否には触れず、日本社会の凋落がもたらす現象や影響について述べてみたい。

  昔から日本人は「人材」の重要性を認識し、子供の教育を大切にしてきた。しかし、敗戦後、愚民化を促進する「デモクラシー教育」が実施され、受験秀才だけは輩出することは出来たが、洞察力や判断力に優れ、愛国心を持つ教養人の育成には失敗したようだ。悪循環というのは恐ろしいもので、日本全体が貧しくなると、貧しさから這い上がろうとする若者が減少し、現状で満足するか、「これ以上は無理」と諦める若者が増えてしまう。

  「ゆとり教育」のせいなのか判らないが、「長い文章を読むのが苦痛」とか「ツイッター用の短い文章しか書けない」という子供が増えているのは、学力低下による社会現象なのかも知れない。筆者にとってショックだったのは、「結果を知ってから映画を観る」とか、「字幕版だと物語を理解できないから、吹き替えで洋画を観る」といった若者が増えていることだ。昔、筆者がドイツの映画館でハリウッド映画を観ようとした時、吹替版しかなかったから諦めたけど、ドイツ人にとったらドイツ語を話すアメリカ人は奇妙じゃない。

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(左 : レスリー・アン・ダウン / 中央 : 主人公のハリソン・フォードと恋人役のレスリー・アン・ダウン   /  右 : ドイツ軍人に偽装したクリストファー・プラマーと部下役のフォード )

  例えば、英米合作映画の『ハノーヴァ-・ストリート』に出演したレスリー・アン・ダウン(Lesley-Ann Down)やクリストファー・プラマー(Christopher Plummer)が、原語のイギリス語じゃなくドイツ語を喋っていても、何らおかしくはない。また、母親がドイツ人のブルース・ウィリスや、オーストリア出身で州知事になったアーノルド・シュワルツネッガーの吹替版も同じで、この俳優達がドイツ語を喋っていても、ヨーロッパの観客には違和感なく聞こえてしまう。ところが、日本人の声優が喋っていると本当に奇妙だ。日本語の吹き替えになると、せっかくの演技がぶち壊しになる。

  脱線したので話を戻す。確かに、親が教育にかける時間と金銭に事欠けば、子供達の知的レベルが低下するのも当然だ。一概に親の素質と子の学業を結び着けることはできないが、所得や学歴の高い親を持つ子供は最初から有利で、所謂「エリート街道」を進むことも可能となる。一方、低所得の家庭に生まれ育った子供は様々な面で苦難にぶち当たり、もし何らかの夢を実現したければ、相当な自助努力を積み重ねるしかない。しかし、希望を抱いても現実の壁は分厚く、途中で挫けてしまう子供が大半だ。

  本音を言えば、筆者は教育論を述べたくはない。大帝の国民が、それぞれ独自の教育論を持っているからだ。でも、専門家の意見なら傾聴に値するだろう。例えば、「MP人間科学研究所」の代表で、心理学を専攻する榎本博明(えのもと・ひろあき)博士は、 家庭環境がどのように子供の学力に影響を及ぼすのかを述べていた。注目すべきは、知的な刺激に満ちている場所に子供を連れて行く親の行動である。具体的に言うと、「子供と一緒に美術館や劇場、博物館、科学館、図書館などに行く」ことらしい。榎本氏によれば、こうした親を持つ子供の方が、より学力が高くなるという。(榎本博明「学力の高い子ども、親の習慣や家庭環境に化『共通の傾向』…文科省調査で判明」Business Journal、 2018年10月14日)

  映画館に子供を連れて「ポケモン」か「ドラゴンボール」を観に行く親は多いと思うが、知的好奇心の促進からすれば文化施設の方が重要で、教養が身につく場所へ「ほとんど行かない」「行ったことがない」という親の比率は、高学力層と低学力層で大きな差があるらしい。「ほとんど行かない」と答えた親は低学力層に多く、高学力層の1.5倍以上である。「行ったことがない」という親も低学力層に目立ち、高学力層の2.5倍程度になっているそうだ。「月に1回以上連れて行く」という親は、高学力層に多く、低学力層の3倍近くになっている。

  親の読書習慣も子供の発育に関係があるようで、蔵書数が多い家庭の子供は、比較的「学力が高い」という傾向がみられたそうだ。ただし、榎本氏の見解を聞くと、「蔵書」の種類にも注意が必要となってくる。筆者の感想になってしまうが、「蔵書」といっても『こちら葛飾区亀有公園前派出所』全201巻とか、『ジョジョの不思議な冒険』を第1部から第9部まで揃えている、というのは駄目らしい。やはり、夏目漱石や幸田露伴、あるいはヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテやウォルター・スコット卿の小説、ないしアリストテレスやジョン・ロックの哲学書といったアカデミックな本じゃないとOKにならないと思う。麻生太郎大臣も愛読する『ゴルゴ13』は、国際政治や軍事の勉強になるような、ならないような微妙なことろである。そもそも、麻生氏の「教養」には問題があるから。

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(左 : ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ  / ウォルター・スコット卿 / アリストテレス /  右 : ジョン・ロック)

  教育ママだと「親の社会・経済的背景と蔵書数は何らかの関係があるのでは?」と思ってしまうが、やはり、そうした関係は明らかなようだ。経済的に余裕があり、社会的地位や学歴が高い親の家庭だと、蔵書数が多くなっているという。蔵書数と子供の学力は直接結びつかないが、子供の知的好奇心を促進したり刺戟したりする材料にはなっているようだ。

  確かに、現実を見れば判るけど、親が学術書を読まず、文化施設にも行かないのに、子供にだけが優秀になることは稀である。だから、頭ごなしに「本を読め !」とか「勉強しろ !」と命令したって無駄に終わってしまうだろう。「蛙の子は蛙」だし、「鳶が鷹を生む」のは例外だ。よく上昇志向の母親が、幼稚園の娘に向かって「ピアノ教室に通ってね !」と命じるが、その母親自身がクラシカル音楽に興味が無く、好きな「音楽」といえば演歌やJ-POPとなれば、ピアノを練習する娘だって馬鹿らしくなるじゃないか。インテリもどきの親だと、パガニーニー(Paganini)のヴァイオリン協奏曲を聴いても、1分で退屈になってしまうだろう。ただし、「“パガニーニ”って、新しいパスタ料理?」って訊いてくる親よりもマシだけど。

  昔、幼い子供を英会話教室や英米系のインターナショナル・スクールに通わせる親を見かけたことがある。劣等感の塊みたいな母親は、子供と同じく英語が苦手で、白人の先生が何を喋っているのか判らない。でも、何らかのコミュニケーションが必要なので、カタコトの英語をつぎはぎしたり、身振り手振りで説明するしかなかった。日本で生まれ育った日本人の親子なのに、どうしてフィリピンやインドみたいな植民地の土人になりたがるのか不思議である。頭が弱い親ほど国語(日本語)の価値を知らず、英語(宗主国の言語)をマスターしたいと躍起になる。

  中学受験の指導でカリスマ的存在と呼ばれる小川大介先生によると、頭が良い子、つまり勉強が出来て賢いの子供が育つ家庭には、必ず「辞書」や「地図」「図鑑」があるらしい。「図鑑」が素晴らしいのは、「1つ調べると芋づる式に関連するキーワードがわーっとたくさん目に入ってくる点」であるという。確かに、図鑑の絵や写真は色彩豊かで、眺めているだけでも飽きない。

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(左 : 伝統的な教育方法で勉強する白人の子供  /  右 : 携帯電話が当たり前の黒人少女)

  地図帳や地球儀も有益で、「世界を俯瞰する目」が育つそうだ。「辞書」は言葉を知るだけでなく、「他人と繋がる道具」らしい。小川氏曰わく、「言葉を知れば、いろんな人と話せて、その人の経験をもらうことができます。年齢を超えて誰かと話したり、違う国の人ともつながっていけるんです」と。まぁ、国語事典や漢和辞典をめくるだけでも、色々な表現や熟語を覚えるから、子供に取っては有益だろう。肝心なのは、親も「判らない、知らない言葉」に出逢ったら、辞書を引く習慣があるかどうかだ。

  小川氏の解説に加えるとすれば、筆者は親の「語彙力」を挙げたい。日本に住んでいるとあまり意識しないが、歐洲や米国で暮らしてみると、親の知能や教養レベル、さらには階級、家系、出身校によって使う言葉や表現が異なってくる。階級社会のブリテンだと、「イートン」や「ハロー」といったパブリック・スクールに通った親は、労働者階級とは違ったアクセントで話すし、服装や趣味まで違ってくる。家庭に招く友人や同僚も教養を兼ね備えた人物だから、小学生の子供だって“それなり”の礼儀作法が身につく。

Richard Wagner 2Thomas Carlyle 3(左 : リヒャルト・ワーグナー /  右 : トマス・カーライル)
  ドイツでも階級格差は著しく、「ギムナジウム(大学への進学校)」を卒業した親と「レアルシューレ(実科学校)」でお終いの親とでは、教育理念が違うし、使っている語彙も異なっている場合が多い。他のヨーロッパ諸国と同じく、ドイツでもエリート主義の精神は充ち満ちている。偉大なる作曲家であるリヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner)は、英国の歴史家であるトマス・カーライル(Thomas Carlyle)に傾倒し、上流階級の意識が骨の髄にまで染みついていた。ドイツの伝記作家ヨアキム・ケーラー(Joachim Köhler)は、カーライルに共鳴したワーグナーについて述べている。

  ドイツの文化遺産と英雄的資質を全人類の模範とした歴史思想家カーライルの信念は、大衆軽視とつながってワーグナーの確信になった。カーライルが「民主主義的政府」とイギリスの「三千万の国民」のことを「大半のばか者」とあざけると、ワーグナーは「大いに」喝采した。カーライルは民衆解放というテーマについても断固としたエリート主義的意見を表明しており、ワーグナーは彼を自分の信条の保証人として引用した。(ヨアヒム・ケーラー『ワーグナーのヒトラー』橘正樹 訳、三交社、 1999年、p.146.)

  話を戻す。科学者とか専門職、および高学歴の家庭では、ギリシア語やラテン語由来の言葉を使うのも当たり前だ。教養人家庭の子供は、幼い頃から自然と難しい単語の綴りを習っている。一方、下層中流階級や黒人家庭だと、ギリシア語はおろか、フランス語が語源となる単語が飛び交うことはほとんど無い。一般的じゃない「heterogeneity(異種混成)」とか「pneumoconiosis(塵肺症)」といった言葉は使わないし、「sin」「crime」「peccancy」の区別なんか曖昧だ。「sin」はアングロ・サクソン人が持ち込んだ言葉で、ドイツ語の「Sünde」と同じである。「crime」は古いフランス語から来ており、ノルマン貴族が法廷で使ったから、刑法上の罪に用いられている。「peccancy」はラテン語由来で、「的(正しい道)から逸れる」とか、「道徳的な誡律から外れる」といった意味を含んでいる。

  歴史的事件から作られた言葉も下層階級には縁が無い。例えば、「Pyrrhic victory(ピュロスの勝利)」といった熟語を聞いても、その由来なんて判らない。日本でも「判官贔屓」という言葉を見ても、「はんがん」か「ほうがん」と読むのか分からない子供がいるし、この言葉が源義経に由来する事すら知らない国民もいるのだ。令和の高校生だと「ケータイ世代」なので、「袞龍(こんりょう)の袖に隠れる伊藤博文」という文章を読んでも、明治大帝を思い浮かべる生徒は非常に少ないし、携帯電話の文字変換で現れないから「これ何の意味?」と尋ねてしまうのだ。

  アメリカでは、庶民でも聖書を読んでいるが、教会史となれば別である。メガ・チャーチ(大手の福音派教会)に通うアメリカ人でも、西歐キリスト教の過去には興味が無い。ちょっとマシな大学生に、アルベルト・マグナス(Albertus Magnus)やローマのアエギディウス(Aegidius Romanus)、クレルヴォーのベルナルドゥス(Bernardus Claraevallensis)、ニコラス・クザーヌス(Nicolaus Cusanus)、パドゥアのマルシリウス(Marsilius de Padua)といった著名な神学者について尋ねても、「えっ、誰それ!?」といった反応しかない。亡くなった政治学者のサミュエル・ハンチントン(Samuel P. Huntington)は、西歐キリスト教文明に基づくアメリカ文化を強調したが、左翼思想に汚染されたアメリカ人には、イングランドはおろか、ヨーロッパの知的遺産にすら関心が無いのだ。

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(左 : サミュエル・ハンチントン  / 中央 : インマヌエル・カント  /   右 : アーヘンにある大聖堂)

  アメリカの黒人やヒスパニックの子供にも、教養とは無縁の下層家庭で育つ者が多い。それゆえ、中世ヨーロッパの地理や歴史となれば“お手上げ状態”で、地図を広げたこともない、あるいは家に歴史地図帳が無いという現状だ。リヒテンシュタイン公国に関する知識なんて皆無だし、チェコやハンガリーの位置すら摑めない。ロシア領になったプロイセンの「ケーニッヒスベルク(Königsberg / カリーニングラード)」に関する質問なんか論外。インマヌエル・カントが生まれた場所とは知らないし、祖父のハンスがスコット人ということすら知らないのだ。

  アメリカ人の高校生は米国史を学ぶだけで精一杯。とても西歐史にまで手が出ない。そもそも、ヨーロッパ史に興味が無いから、歴史的な大聖堂や修道院なんか頭になく、有名な「アーヘン(Aachen / Aix-la-Chappel)」が何処にあるのか見当もつかない。ちょっと笑ってしまうが、ブロンクスとかジャマイカに住む黒人の高校生に「北朝鮮」の場所を訊いても、「南朝鮮の隣」と答える始末。こうしたアメリカ人は、地図上でアフリカ大陸を見つめながら、北朝鮮の場所を探しているので、唖然とするほかない。

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  ドイツ史の授業でも同じで、「フリードリッヒ2 世」を語ってもチンプンカンプン。「ホーエンシュタウヘン家(Hohenstafen)」の君主でシチリア王になった神聖ローマ皇帝なのか、「ホーエンツォレルン家(Hohenzollern)」のプロイセン王なのかすら判らない。そもそも、ヨーロッパ史全般に興味が無いから、「シュタウヘン朝」と聞いても「糠に釘」といった状態だ。ラップ音楽やBLMに夢中な黒人に、ブランデンブルク辺境伯とかブルグンド王国、ロタリンギア、サンマリノ、アラゴン王国といった国名を聞いても無駄である。馬耳東風なんだから。

自分の子供には電子機器を与えないIT王者

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  こうした現状を踏まえて、アジア移民が押し寄せる令和の日本を考えてみれば、「そうだよなぁ ~」と寒気がするはずだ。出稼ぎ労働者のアジア人は、低賃金のままでも、日本で落ち着くと家族を呼び寄せるが、その子供達が日本の学校に通っても、日本人の知的レベルを挙げることはない。むしろ、日本人生徒の学力水準を下げてしまうだろう。

  ついでに言うと、岸田総理は「少子化対策」として、僅かながらの「育児手当」とか「子育福祉」を目論んでいるが、子供1人につき5万円とか10万円を渡したって、出生率の増加には繋がらないだろう。簡単に結婚するフィリピン人やタイ人の女性なら、僅かな額でも補助金を喜び、第二第三の赤ん坊を産んでしまうが、日本人女性だと無理。ちょっとでも賢い日系人の母親なら、「何、こんな端金(はしたがね)で三人目や四人目を産むとでも思っているのかしら?」と呆れてしまい、鼻で笑ってしまうのがオチだろう。問題なのは、アジア移民やアジア帰化人の家庭にも、ら日系人と同じ福祉金を与えてしまうことだ。どうして、先祖代々「日本人」である日系国民と国籍を取ったばかりのアジア帰化人が同じ扱いなのか? 日本人の常識では納得できない。

  話を戻す。第21世紀に入ると、一般国民は益々、携帯電話やパソコンに没頭するようになった。以前なら、電車内で文庫本や新聞を読む人が大多数だったが、今ではスマートフォンを凝視する人ばかり。高校生や大学生でも小説には見向きもせず、YouTube 動画やTVゲームに夢中の人が普通だ。平成末期生まれの子供達は、物心ついた頃からiPadやパソコン漬けなので、百科事典とか偉人の伝記とは無縁の世界に住んでいる。

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(左 : 若き日のスティーヴ・ジョブズと娘のリサ   / 右 : ローレン夫人と子供を伴ったジョブズ )

  ところが、上流階級や富裕層の子供達は違うようだ。「アップル社」の共同創設者で、CEOを務めていたスティーヴ・ジョブズ(Steven Paul Jobs)は、他人の子供達に対してはIT機器を勧めていたが、自分の子供達には消極的で、むしろ伝統的な生活を共にしていた。一般の日本国民だと驚いてしまうが、ジョブズ氏は自分の子に「iPod」や「iPhone」「iPad」などを使わせないようにしていたそうだ。ジョブズ氏曰わく、

   実際、私は家でiPadを許していないんだ。子供達にとって有害と思っているからさ。(Eames Yates, 'Here's why Steve Jobs never let his kids use an iPad', Business Insider, March 4, 2017.)  

  ジョブズ氏は「iPad」の中毒性を認識していたそうで、取材記者に対して次のように答えていた。「一旦、君の目の前にiPadを置くと、君はこの中毒性の強いプラットフォームにアクセスしようと常に考えてしまうだろう。これは非常に抵抗し難い」と。

  スティーヴ・ジョブスの伝記を書いたウォルター・アイザックソン(Walter Isaacson)によると、ジョブス氏は自宅でのハイテク生活を嫌っていたようだ。このIT王者が家族や友人などと一緒に食事を取る時、彼は文学や歴史の話をして楽しんだが、みんなで議論をしている時、誰もiPadやコンピューターに手を伸ばさなかったという。(Doug Bolton, 'The reason Steve Jobs didn't let his children use ab iPad', The Independent, 24 February 2016.) もしかすると、ジョブズ氏は人間と人間が心で繋がる時間、そして温かい交流がもたらす知的な会話を望んでいたのかも知れない。

  亡くなったジョブズ氏には四人の子供がいる。先妻のクリスチャン・ブレナン(Christian Brennan)との間には、リサ・ブレナン・ジョブス(Lisa Brennan Jobs)が生まれている。クリスチャンと別れた後、ジョブズ氏はローレン・パウエル(Laurene Powell)と再婚した。彼は後妻との間に息子のリード(Reed Jobs)と娘のエリン・シエナ(Erin Siena Jobs)、および末っ子のイヴ(Eve Jobs)をもうけている。父親の伝統的教育が実ったのか、四人の子供達はそれぞれ高等教育を受けていた。リサはハーヴァード大学に進み、リードとイヴはスタンフォード大学、エリンはチューレーン大学に入ったそうだ。アイザックソンによると、ジョブズ氏の子供達はパソコンとか携帯電話への中毒性は無かった。

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(左 : リサ・ブレナン・ジョブス  / リード・ジョブズ  / エリン・シエナ・ジョブズ  /  右 : イヴ・ジョブズ )

  マイクロソフト社のビル・ゲイツも電子機器への中毒性を解っており、子供達がビデオ・ゲームに夢中になることを心配していたそうだ。それゆえ、彼は自分の娘が14歳になるまで携帯電話を与えなかったという。(Allana Akhtar and Marguerite Ward, 'Bill Gates and Steve Jobs raised their kids with limited tech — and it should have been a red flag about our own smartphone use', Business Insider, May 16, 2020.) また、ゲイツ氏はメリンダ夫人と三人の娘が一緒に食事を取る時、家族の会話を邪魔されぬよう、テーブルには決して携帯電話を置くことを許さなかったそうである。マイクロソフトやアップルの愛好者である一般人は、ベッドルームで愛人と寝ていても、ショッピングを楽しんでいる時も、常に携帯電話を手放さない。家庭やレストランで食事を取る時も同じで、いつも側に携帯電話がある。ところが、IT業界の大御所達は昔ながらの“ローテク生活”を営んでいたのだ。

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(左 : ビル・ゲイツ夫妻と子供達  /  右 : SNS時代の若者)

  上流階級の実態を知らない日本人は、iPadの新機種が出る度に「わぁ~ぁい、凄いぞぉ~」と喜び、親子共々こうした電子機器に夢中になっているが、その子供達は創造性や好奇心、学問への情熱、忍耐、人的繋がりに欠ける生活にドップリと漬かっており、アホな大人に育ってゆく。知識どころか、判断力や決断力に欠ける日本人は、やがてアジア移民と同じ生活水準に陥り、気がつけば下層階級の労務者となっているはずだ。格差社会が固定化し、貧困生活が常態となれば、労働者階級に生まれた子供達は、出世の階段を昇ることが出来なくなる。というより、最初から這い上がるための梯子が無い、という事態になるだろう。悲しいけど、サミュエル・スマイルズが持て囃される時代ではないのだ。




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教師用の試験が小学生並?! / 人種差別の抗議に揺れるアメリカ

日本国民が安くなる近未来

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(左 : 低賃金で働くアメリカの建設作業員 / 左 : 人手不足の建築現場 )

  前回の記事では、教育現場における人手不足について言及した。現在の日本にはアジア移民を歓迎する企業経営者がとても多く、不景気の中であっても、より多くの利益を捻出しようと必死だ。それゆえ、経営陣はあらゆる面での“コスト削減”をしようと躍起となっている。ただし、目を附けた箇所がマズい。役員の報酬カットじゃなく、一般社員の「人件費削減」なんだから。本来であれば、技術革新や設備投資で生産性を上げるべきなんだけど、延々と続く悲惨な将来しか見えないので、新規事業の開拓とか人材の育成なんて夢物語となっている。とにもかくにも、「負担」と思える人件費を削ることが最優先。

  先進国となれば、どうしても一般国民はキツイ仕事をしたがらない。最強の軍隊を以て地中海の覇者となった古代ローマだって、貴族階級の子弟は軍役を厭がったし、騎士階級の息子だって危険な仕事を避けようとした。となれば、剣を持って闘う兵卒は、蛮族の傭兵だけしかない。丁度いいことに、手懐けたゲルマン人は根っからの戦闘民族。しかも、主君に忠実だったから、ローマ皇帝はゲルマン人をコマンだ。

 しかし、外人の登庸は諸刃の剣である。異邦人の兵隊や異民族の成金が増えれば、ローマ人の衰退を招きかねない。『自省録』で知られる皇帝マルクス・アウレリウスも、従来のエリートじゃない「新人(homo novus)」の出現にローマの衰退を予感していた。(註 / キケロなどが言ったように、この「新人」というのは、生まれや育ち、民族、文化も違うが、軍歴や選挙でのし上がった者を指す。) しかも、ローマ人は異人種の流入に鈍感だったから、結果的に人種的自殺を自ら選んでしまった。ローマの上流階級は戦争捕虜を奴隷にしたけど、死ぬ間際に遺書で彼らを自由人にしたから、「解放奴隷」の市民が増えてしまった。

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(左 : 快適なオフィスで仕事を楽しむ白人社員 /  右 : 劣悪な職場でコキ使われる外人労働者)

  西歐諸国の若者と同じく、日本の若者も筋肉労働が嫌いだ。高学歴の者ほど嫌悪感が強く、町工場に雇われるブルーカラーよりも、御洒落なオフィスで働く都会のホワイトカラーになりたがる。特に、大卒の若者となれば、能無しのボンクラ学生でも、筋肉労働は視野に入らず、何とかして事務職に就こうとする。でも、世の中はそう甘くない。管理職を希望する学生だって、就職氷河期に直面すれば、ユニクロのパートタイマーや牛丼屋の給仕で一時しのぎだ。たとえ大手企業の管理職になれても、筑波銀行や朝日新聞だと未来が暗いから、中堅の保険会社や自動車会社を選んだりする。しかし、もっと悲惨なのは、営業職の中年社員で、板前や大工だと渡り鳥になれるが、営業係のオッちゃんは古巣(会社)を離れると烏(カラス)以下の扱いだ。マヨネーズ工場の係長がリストラされれば格下の再就職しかなく、回転寿司屋の駐車係くらいにしかなれない。財務省のキャリア官僚とは大違いだ。

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( 左 : フランスへ逃れてきたアフリカ難民  /  右 : フランスの豪華な宿舎で養われるアフリカ難民 )

  とはいえ、製造業や福祉施設は、依然として筋肉労働者や下っ端職員を必要とするので、どうしても安い労働者を求める。そこで困った企業は、アジア諸国の出稼ぎ人を雇うことにした。でも、一般国民からすれば、こうした“売国行為”を恥じない企業経営者や経団連の長老達には腹が立つ。なぜなら、こうした財界人は厄介事の「ツケ」を一般国民に押しつけるからだ。もっと赦せないのは、「日本国籍」を特別ボーナスにすることで、これは無意識の国家破壊となっている。日本人相手では「国籍プレゼント」なんて無意味だ。「我が社で働けば日本国籍が手に入りますよ !」とチラつかせても誰も振り向かない。

  しかし、「実習生」とか「研修生」として来日するアジア人労働者には魅力的だ。仮に、低賃金の水産加工業や野良仕事に就いても、何年かすれば日本国籍を申請できる。それに、日本人と結婚してしまえば帰化なんて簡単だ。特に女性の移民は有利となる。たとえ結婚できなくても、セックスして妊娠すれば日本に長期滞在できる。後進国からの「帰化人」は本当に恐ろしい。彼らは実家の両親や兄弟を日本へ呼び寄せるし、義兄弟や偽兄弟だって「家族」と称して日本に招く。したがって、計算高いアジア人なら、辛い仕事でも耐え抜き、「国籍ボーナスを獲得するまでの辛抱」と割り切る。一方、左巻きの大学教授は、「3K仕事を支える貴重な人材」と褒め称え、アジア移民の排斥を訴える日本人を「極右」呼ばわりだ。「象牙の塔」に住んでいる極楽トンボは、言論の結果責任を取るのか?

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(左 : 日本の飲食業界や風俗店で働くフィリピン人   /  右 :「日本の労働市場で「貴重な人材」とされる支那人 )

  後進国からの移民というのは、一時的に民間企業の助けになるが、長期的に見れば日本全体の「重荷」となる。場合によっては「有害」だ。人件費を低く抑えたい企業は、引き込んだアジア人の福祉や保険のことは考えない。元々、移民は“使い捨て”の家畜である。ゆえに、彼らの家族なんて問題外。邪魔なだけだ。もし、「家族手当」や「住宅補助」なんかを用意したら、日本人を雇う以上に「経費」がかかってしまうじゃないか。だから、「余計な出費」は「税金で賄おう」と考える。

  アジア人が群れる地方自治体は大変だ。日本語が拙い労務者だけでなく、日本語を全く知らない女房と子供にも語学講座を用意しなければならない。しかも、異文化圏の子供が近くの公立学校へ入学するから「イジメ対策」だって必要となる。病気や怪我に対する備えとしては、国民健康保険に加入させればいいけど、日系日本人からすれば言語道断だ。本来なら、外国人労働者は民間の保険会社に掛け金を払うべきだろう。「日本国民」の健康保険制度は「地球人」を対象にした福祉じゃない。それなのに、外人を「国民健康保険」に加入させるのは、雇い主に配慮した結果だろう。

  実際、アジア人労働者の中には社会保険料を納めていない者もいる。腹立たしいのは、仲間内で保険証の使い回しをしている外人がいることだ。写真が添付されず、名前だけじゃ、病院は本人なのかどうなのか確かめようがない。普通の病院だと、ベトナム人やタイ人の患者が来たからといって、いちいち役所に問い合わせはしないだろう。たとえ、看護婦や会計係が「おかしい !」と思っても、「知らなかった、気づかなかった」というフリで処理すればいい。「なるべく厄介事は避ける」というのが現場の実態だ。

  外人労働者が棲む家だって中古住宅をみつけてやればいいし、それが無理なら安い長屋に大勢を詰め込んで住宅手当の節約に励むのが悪徳企業。近所のトラブルだって役所に丸に投げでOK。本来なら、下っ端の仕事で喘ぐ庶民が移民の流入に反対すべきなのに、被害を受ける国民は、そのほとんどが情報弱者。問題の発生にすら気づかない。気づいた頃には手遅れで、ネオナチの右翼を嫌っていた住民ですら、いつの間にか「右翼」と仲間になってしまう。

  テレビ局に重宝される御用学者や評論家といった連中は、「移民を容れないと人手不足を解消できない !」とほざく。しかし、廉価な研修生やアジア人留学生を招いてしまうと、むしろ日本人の賃金が低下し、労働環境の改善も「先送り(実質的には停止)」となるだろう。例えば、居酒屋とかコンビニの時給が、以前は870円だったのに、徐々に低下して750円に下がってしまうし、地域や時間帯によっては640円になってしまうことも有り得る。鋳物工場とか土木業における労働環境だって改善どころか、現状維持のまま、あるいは更なる悪化となるのだ。経済学の講座を取っている学生なんて教授の空論を鵜呑みにしているけど、出稼ぎ人が収容される宿舎の現状なんか見たこともないだろう。解体業や内装業、塗装業なども、下っ端作業員は酷い状態で働いている。だが、アジア移民が労働市場に流れ込めば、こうした3K職場も例外じゃなく、益々劣悪となって「アジア的スタンダード」で働く破目になってしまうだろう。

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(左 : 中南米からやって来る出稼ぎ労働者  /  右 : 移民労働者を雇うアメリカ人農園経営者 )

  財界人や政治家はアジア人を輸入して「少子化対策」にしようとするが、本来であれば、日本人の子供を教育し、その育成に多額の投資をすべきなんじゃないか? それなのに、政府は安い出稼人で穴埋めを謀っている。不人気な業種で人手不足なら、高賃金にして社員を募集するか、設備投資で生産性を上げればいいじゃないか。若者が避ける業種というのは、仕事がキツいだけで“やり甲斐”が無く、夢も無ければ昇給や出世も見込めないから皆が避けてしまうのだ。

  最近、ベトナム人やビルマ人を雇う農家が増えたけど、農業の人手不足や後継者不足は前々から懸念されていた問題だ。そもそも、日本では農家の所得が低く、イメージも悪いから跡継ぎが年々減ってしまうのだろう。しかし、昔と比べれば労働は楽になったはず。今時の稲作農家で、腰をかがめての田植えはしないだろう。「ヤンマー」の田植機を使い、コンバインで収穫をするのが一般的だ。機械化の前は田植えで海老のように腰が曲がってしまうバアさんが多かった。野菜の収穫機だって、もっと技術革新が進めば、手頃な価格の高性能機械が導入されるだろう。

  被服業界も機械化が進み、今では自動編み機でセーターを生産している。ファッション・ショーの服なら別だけど、普通のセーターを手作業で編んでいる企業は無い。コンピューターのお陰で、依頼主からの独特なデザインでもOKだ。お客のニーズに応じたオーター・メイドも可能となった訳だから、昔と比べれば格段の進歩である。「ユニクロ」の服だって機械製造の製品がほとんどだろう。

  若者が厭がる水産加工業も機械化で随分と楽になった。鮭とか鯖の切り身だと、作業員が冷凍の魚を「Auto Cutting Machne」に入れるだけ。均等な質量の切り身がベルトコンベアに排出されるから、いちいち包丁で切ることはない。(鈴井正彦「自動切身機の高度切断技術」『日本機械学会誌』 2014年、 Vol. 117、 No. 1150.) これが後進国なら、低賃金労働者がベルトコンベアの前に立ち並び、手作業で鮭を切り刻むことになる。でも、こうした加工作業だと、両手が魚臭くなるから、日本の若者は厭がる。就職希望者が減ってしまうのも当然だ。漁師だって仕事がキツく、儲かるとは限らないから、高卒の若者だって避けてしまうだろう。

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( 左 : ノルウェーの漁師 /  右 : ノルウェーの紙幣)

  一方、北歐諸国だと漁業は3K職場ではなく、意外と給料がいい。例えば、ノルウェーの漁師だと“そこそこ”の稼ぎがあるようで、平均所得といっても経歴や技術で違ってくるし、大型船での勤務か小型船の勤務かによって異なる。(1クローネ = 14円で換算)

 (1) 新米の漁師 27万172クローネ   (約389万812円)  
 (2) 中堅の漁師 31万7千509クローネ  (約457万2千524円)
 (3) 熟練の漁師 37万8千243クローネ  (約544万7千169円)
 (4) 年間ボーナス 6万1千565クローネ (約88万6千612円)

  デンマークと日本で税制および物価が違うので、一概に比較できないが、デンマークの水産業はそれほど酷い業界じゃない。自営業の漁師だと147万9千クローネ(約2千134万円)くらいの年収になるし、1千万円を超える雇われ漁師だって存在する。日本の漁師だとボロ儲けはできず、海岸附近を走行する小さな漁船だと、一般の漁師は年収300万前後だろう。マグロの遠洋漁業なら年収800万円から1千万円を超えるかも知れないが、ずっと海の上だから結構キツい。面白いのは学歴による所得格差があることで、ノルウェーの漁師だと高卒の方が大卒者よりも給料が高くなっている。やはり、こうした業種だと座学よりも経験の方が大切なようだ。

米国教師が受ける試験

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(左 : アメリカのエスタブリッシュメントを形成したイェール大卒の青年達  / 右 : 人気キャスターを経て防衛大臣や東京都知事になった小池百合子。さすが、「カイロ大学卒?」のエリート女性は違うねぇ~。 )

  先進国が移民社会になると、幾つかの例外はあるが、一般的に国民の知的水準は低くなる。確かに、インドや支那から優秀な科学者や技術者がやって来るが、何十万人も流入すれば、そのほとんどは「負の定住者」となるに違いない。米国には南米のみならず、中東アジアやアフリカからの移民や難民が殺到するから、たとえ白人が多数派の都市でも、ヒスパニックや黒人の住民が多くなれば街の様相が激変する。街の中に有色人種が増えれば、それと連動して不動産価格も下落の一途だ。北歐白人が多かったミネソタ州だって、ソマリア移民やエチオピア難民を受け容れたから、州都のセントポールはモガディシオ(ソマリアの首都)の米国版となっている。

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( 左 : 都市部の学校に勤務する黒人教師  /  右 : 好奇心に満ちあふれる黒人の子供達 )

  また、「白人の逃避」が加速すれば、いつの間にか治安が悪くなって、学校でも「金属探知機」が導入されてしまうのだ。日本だと空港くらいしかないけど、米国の都市部では公立学校が危険地帯となっている。NYのジャマイカ高校なんて少年院みたいだ。休み時間に校庭へと現れるのは、黒人やヒスパニックの生徒ばかり。不良どもはナイフや拳銃を持って登校するから、校舎の入り口には用心棒みたいな警備員が待ち構えている。こうなれば、まともな白人生徒は全員「校外」へと引っ越しだ。残っているのはヒップ・ホップが得意なだけの黒人とか、密入国者の両親に連れてこられた南米移民の子供、難民としてやって来たムスリムくらい。アメリカ国内にある「アメリカン・スクール」なのに、あたかも「アフリカン・スクール」のような外人学校へと変貌するんだから、在米日本人はビックリ。『愛と誠』に描かれる学校なんて幼稚園みたいだ。(これは梶原一騎の漫画で、TVドラマにもなった作品。)

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(左 : 勉強に勤しむ白人の子供・躾の良い白人家庭  / 右 :「プレップ・スクール」に通う白人生徒 )

  学校の雰囲気が浅黒くなったら、そこに務める教師だって色が黒くなる。ニューヨークやシカゴ、ボルティモアの小学校や中学校なんてキューバの刑務所みたいだから、採用されるのは質の悪い教師か怠惰な教師ばかり。いくら校長が修士号や博士号を持つ白人教師を求めたって、そんなのは絶対に無理。映画の『暴力教室』ではグレン・フォード(Glenn Ford)が、劣等生が集まるクラスの担任となり、不良どもの尊敬を勝ち得たが、現実のアメリカではありえない。白人の女性教師がウロウロしたら、校内で輪姦されてしまうだろう。

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(左 : 学校の授業について行けない黒人児童  / 中央 : 黒人学校の卒業生 /  右 : まともな人生を歩む白人学生)

  黒人学校には「知的好奇心」というものがなく、そこに勤める教師だって碌でなしが多いから、採用試験や更新試験なんかもいい加減だ。ニューヨーク州では教師の“質”を吟味すべく、「人文・科学試験(LAST / Liberal Arts and Science Test)」が実施されるが、このテストを日本人が目にしたら、「これって、小学3三年生の期末試験か?」と勘違いしてしまうだろう。国語(英語)の試験を見れば、「高校1年生の全国模試みたいだなぁ~」と思ってしまうが、数学の試験になると、「えっ、大人がこれを受けるのか?!」と驚く。というのも、小学校の算数レベルなので、「何かの引っ掛け問題なのか?」と疑いたくなるからだ。信じられないけど、理科の試験も同じ程度。

  実は、このテスト、教師を選別したり実力を審査するものじゃなく、「政治闘争の産物」なのだ。1990年代、有色人種の教師が不満を募らせ、このテストが「人種的な偏り」に基づいている、と非難したことがある。白人教師の90%は試験に合格したのに、黒人教師は62%しか合格せず、ヒスパニック教師は55%しか合格しなかったのだ。それゆえ、不合格になった教師は不満を爆発させた。試験の問題に人種的なバイアスがかかっているんじゃないか、と疑ったそうだ。(普通の日本人が聞けば、「相手にイチャモンを附ける前に、先ず自分の勉強不足を反省しろ!」と言いたくなる。)

  ニューヨーク州が教員に課している試験問題を見てみると、「これが教師用なのか?」と眉を顰めたくなる。英語の読解力試験はさておき、数学の試験だと中学生か高校生レベルに思えてしまうのだ。例えば、過去の試験問題や例題を載せる『Barron's』を繙くと、「えっ !」と驚くような例題にぶち当たる。例えば、「3.74を10の何乗を掛けたら374,000,000になるのか? 次の選択肢の中から選べ」という問題があった。
          (A) 10⁶     (B)  10⁷     (C) 10⁸      (D) 10⁹

  普通の日本人がこうした問題を見れば、直ぐ「(C)」と答えてしまうが、用心深い者は「何か引っ掛けがあるのか?」と疑ってしまうだろう。

LAST math question 6(左 / 番号が附けられた箱の絵)
  次の問題も信じられないが、24個の箱に、それぞれ1から4の番号が付けられている。そこで、ランダムにボールを箱の中に投げ入れた時、「1のラベルが貼られた箱の中に落ちる確率を求めなさい」という問題があった。選択肢は「(A) 8/12  (B) 1/2   (C) 1/3  (D) 1/4」で、「1」のラベルが貼られた箱は8個ある。となれば、当然、答えは(C)なんだが、こんなのは小学生に教える問題じゃないのか? LASTで二項分布の問題が出るのかどうか分からないが、「ベルヌーイ試行」を勉強した人なら簡単に分かるだろう。

  理科(Science)の項目も簡単で、日蝕に関する問題があった。試験用紙には太陽と地球と月の位置を示した図があって、「どの配列が正しいのか?」という選択問題になっていた。

(A)   太陽 地球 月  (B)  地球 月 太陽  (C)  月 太陽 地球  (D) 地球 太陽 月 

LAST science question 2Solar eclips diagram









(左 : 選択問題で示された図  /  右 :  地球と月と太陽)

  令和の小学生が何歳で学ぶのか判らないけど、たぶん小学三年生か四年生じゃないのか? 天体観測に興味のある少年は、6、7歳で望遠鏡を手にして太陽系の図鑑や星座の絵を目にするはずだ。筆者も四年生か五年生の頃、冬の真夜中に外へ出て、星座の動きを記録したことがある。子供の好みによるけど、当時は顕微鏡を選ぶ者と望遠鏡を選ぶ者で分かれていた。今の小学生は遠足でプラネタリウムを見に行くのか? もしかすると、YouTubeの動画を観るだけで「OK」だったりしてね。令和の時代だと、映画や絵画の鑑賞までパソコンなんだからウンザリする。

LAST science question 3(左  / 地球の断面図 )
  LASTの理科には地球の構造に関する質問もあり、断面図を示して、「どの部分がマントルなのか?」という問題もあった。でも、ヒラリー・スワンクとアーロン・エッカートが出演したSF映画『ザ・コア(The Core)』を観たことがある人なら、理科の教科書を忘れていても、直ぐに地殻やマントルを思い出すことが出来るだろう。ただし、この脚本は荒唐無稽である。自転を停止した地球を再び回転させるために、特殊車両で地中深く潜り、地球の中心部分(コア)地殻で核爆弾を爆発させるという脚本であった。SFサスペンスも、ここまでくるとギャグ漫画と変わりがない。主人公達は地球を滅亡から救うべく、命懸けで危険なミッションに挑んだ訳だが、これじゃあ、まるで地球の破壊だ。シェンロンに頼んだ方が早い。

Join or Die(左 /  歴史のテストで質問された絵)
  数学や理科のテストを目にすると小学生用のポップ・クイズに思えてしまうが、歴史の問題でもアホらしいものがあった。例えば、1754年5月9日の『The Pennsylvania Gazett』誌に載った絵があるんだけど、これはベンジャミン・フランクリンが考案した挿絵らしい。LASTの試験では、この絵が何を示すのか、4つの選択肢から答えることになっていた。


 (A) 米国史における動物虐待の恐怖。
 (B) 合衆国の解体が内戦に発展する。
 (C) 植民地が憲法を承認する必要性。
 (D) イングランドに対抗すべく各植民地が結束する必要性。

  おそらく、答えは(D)だろう。ただし、雑誌が発行された当時は、フランスとインディアンが敵となっており、フランクリンはイギリス人の入植者に向けて一致団結を呼びかけていた。後に、この絵は本国との対決で利用されることになったから、当初の目的とは違っている。

  もう一つは、ウィンストン・チャーチル卿が、1946年5月5日、ミュズーリ州のフルトン(Fulton)で述べた「鉄のカーテン(Iron Curtain)」演説に関する問題だ。 「An iron curtain has fallen across the continent.」は何について言及されたものなのか、という問いである。これも選択問題となっている。

 (A) フランスのマジノ線を設置すること。
 (B) ドイツが西ヨーロッパを占領すること。
 (C) 戦後の東歐に現れた秘密主義と孤立。
 (D) ヨーロッパ中を飛び交うミサイルの設置。

  まさか、冷戦の時代の歴史を勉強しなかった教師がいるとは思えないが、アメリカの大衆は地理と歴史が苦手なので、案外、「鉄のカーテン演説」を知らない教師がいるのかも。黒人教師だとヨーロッパの地理に疎いから、「ポーランド回廊」とか「ズデーテン地方」を尋ねても、地図上で示すことが出来ない人が多い。だいたい、「スロヴァキア」と「スロヴェニア」の位置も判らず、どちらが何処にあるのかさえ判らないんだから、トランプ大統領のメラニア夫人が「スロヴェニア出身」と聞いてもピンとこないだろう。

  また、ドイツの飛び地である「ケーニヒスベルク(Königsberg)」を知らないから、「ドイツの哲学者であるイマヌエル・カントの生まれ故郷」と言っても分からない人がほとんど。日本人でも「どうしてポーランドとリトアニアとの間にあるの?」と訊く者がいるくらいだ。「昔ここは、東プロイセンの都市だった。戦後の地名であるカリーニングラードはロシア人が附けた名称なんだ」と説明しても、ドイツ騎士団の歴史を知らないからチンプンカンプン。騎士修道会の総長を務めた有名なヘルマン・フォン・ザルツァ(Herman von Salza)すら知らない大学生もいるから、もう天を仰ぐしかない。

  とにかく、数学の試験で簡単な問題が出されるのは、免許更新の教師達を救うためだ。もし、大学受験みたいに、微分や積分、数列、対数、複素数、球面幾何学、三角関数などを出したら、黒人やヒスパニックの教師達は全滅するだろう。だから、「ボーナス得点」を与えて下駄を履かせるしかない。

  多少難しい、とは言っても中学1年生レベル(たぶん小学6年生レベル)なんだけど、ちょっと頭を使う問題もある。例えば、袋の中にプラスチック・ディスクが何枚か入っているとしよう。ディスクには「赤色」「緑色」「青色」といった種類があるんだけど、そのうち、赤いディスクは全体の「1/4」、緑のディスクは「2/3」あるとする。袋の中にあるディスクのうち、「赤色」または「緑色」のディスクは何枚あるのか? 次の中で可能な枚数を答えよ。

  (A) 18   (B) 36 (C) 42 (D) 88

  答えは「D」となるが、これは分数の計算をすれば分かる。「赤」または「緑」のディスクは、
        1/4 + 2/3 = 3/12 + 8/12 = 11/12

  ディスクの総数は「12」の倍数だから、「赤」と「緑」の分子も「11」の倍数となる。選択肢の中で「11」の倍数は「88」だけしかないので、答えは「D」となる。

  この他にも、多少難しい問題が出されていたが、どれもこれも中学生か高校1年生レベルだ。(分数や平方根とかの数式をブログに入力するのは大変なので、興味のある方は、ニューヨーク州のホームページを直接調べてください。) 

  普通の日本人には信じられないけど、都市部の公立学校には出来の悪い子供、つまり労働者階級や下層階級の子供、黒人の不良および南米人の子供とか移民の子供が多い。だから、底辺校は教育機関というより、ストリート・ギャングを閉じ込めるための収容所となっている。それゆえ、こうした学校では「学問」なんて夢のまた夢で、生徒が席に坐って授業を聞いているだけで奇蹟だ。黒人学校には黒人教師が多いから、「国語(英語)」を教えたって、黒人訛りの外国語でしかない。教師じたいが劣悪だから、イギリス語の文法さえ怪しい。仮に、授業でウィリアム・シェイクスピアやウォルター・スコット卿を取り上げたって、こんな偉人は「死んだ白人」でしかなく、黒人生徒には興味なし。ラテン語やギリシア語の教養も一切無いから、聖ヒエロニムス(Hieronymus)が翻訳を手掛けた「ウルガータ(Vulgata)聖書」なんて開いた事もない。黒人やヒスパニックの高校生ともなると救いようがなく、有名なジョージ・ギッシング(George Gissing)の『ヘンリー・ライクロフトの私記(The Private Paper of Henry Rycroft)』すら読んだ事がないんだから。彼らに作者の名前を教えても、「聞いたことがない !」というのが大半の答えだ。

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( 左 :「明るい将来」と「良い就職先」を予想できない黒人学生 /  右 : 生徒指導に励む黒人教師)

  一方、松下村塾や適塾は粗末な建物だったけど、教育の質は超一流であった。何しろ、教師がプラトンやアリストテレス級だから、現代の大学教師が束になっても敵(かな)わない。平成時代に教育の質が急激に悪くなったけど、昭和までは平凡な子供でも“そこそこ”の学力があった。何かの拍子で自然界に興味を持てば、数学や理科の勉強に力を入れたし、貿易商とか通訳(映画の字幕担当)あるいはスチュワーデスに憧れれば英語を勉強したものだ。最近は子供達の「理数離れ」が問題になっているけど、筆者が中学生の頃には数学や理科に興味を持つ者が多く、学校の先生も放課後に色々なエピソードを話していた。教科書以外の話題も豊富で、例えばトポロジーとか方程式の証明問題などを教えてくれたから、不思議な世界に興味を抱く子供が結構いたと思う。

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(左 : 日本では採用されないかも、と懸念される英語教師のタイプ   / 右 : 日本の学校で採用された英語の補助教員 )

  だいたい、有色人種の教師は頭がおかしい。ニューヨークの教師ときたら、「人種的バイアス」を持ち出して、能力試験にケチをつけ、挙げ句の果てに裁判沙汰にしてしまった。「白人教師に比べ、黒人や南米系の教師が低い得点なのは、出題の内容が白人に有利になっているからだ ! 公民権法の第七条に違反している !」と文句を付けるんだから、アメリカ人じゃなくても目眩がしてくる。我々が聞けば唖然としてしまうが、この差別を法廷に訴えた、代表教師のシルビア・アルバレスと教師団は、8億3千5百万ドルを手にしたそうだ。(Sara Randazzo, 'Black , Latino Teachers Collecting $ 835 Million in Discrimination Lawsuit', The Wall Street Journal, July 14, 2022.) 

  平成から令和に掛けての親は、未だに「教育の劣化」に気づいていないけど、日本の学校もこれからドンドン「多民族スクール」になっていく。私立の名門校は別だけど、地方都市の公立学校には朝鮮人や支那人の子供だけじゃなく、フィリピン人やベトナム人、タイ人、インド人、アジア系またはアフリカ系の混血児が増えてくるはずだ。となれば、平均学力の向上はまず無い。むしろ、学力低下が加速するだろう。だいたい、日本語すら拙い親が、幼い子供に“まともな日本語”を教えることができるのか? 国語能力が低い子供は読書をしないし、読解力も低くなるから、数学の宿題をやっていても、何を訊かれているのか判らない。

  また、知的好奇心の無い家庭で育つ子供は、自然科学に興味を示さないから、中学校や高校で物理や化学が苦手となる。数学や物理は知識の積み重ねが大切なので、小学校や中学校で怠けた子供は、高校に進学しても授業について行けまい。それに、数学や理科の試験では「チョロマカシ」が出来ず、曖昧な答えでは得点とならない。論理的思考で正確な答えを要求される科目では、サイコロを振って正解を導くことは無理。中学生や高校生は周囲や友人の影響を受けるから、良い環境で暮らせば学問好きになるけど、不良や馬鹿が集まる学校では、勉強する雰囲気なんて皆無だろう。比較的まともな子供だって、ワル仲間と付き合っているうちに悪の道に嵌まってしまうのだ。

  左翼知識人は「多民族社会」を称讃するが、もし、30人学級で20名がアジア系生徒であったら、知的雰囲気なんて期待できまい。子供の進学に熱心な親が、こうしたアジア的クラスを目にすれば、一瞬で背中に冷たい戦慄が走り、無言のまま立ち去ってしまうだろう。ベトナム人やタイ人の子供が混ざっているクラスでは、ベトナム系やタイ系の補助教員が配置され、場合によっては特別授業さえ設置されるのだ。こんなクラスで数学や理科、英語の授業が円滑に進むのか? おそらく、担任教師は基礎知識を与えるだけで精一杯だろう。また、こうした多民族学校には優秀な教師が来ないので、アジア系の「エスニック教師」が「穴埋め」として増えてくる。昭和時代には水谷豊や武田鉄矢が教師を演じたが、令和の時代だと、ボビー・オロゴンとか金慶珠みたいな俳優が演じることになるだろう。「3年B組、金九(キム・グ)先生」じゃ厭だよねぇ~。
 


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