無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

教育論

皇室を蔑ろにする学校教育

教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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教科書が無視する国家元首

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  もう間もなく平成が終わり、新たな元号を迎えることとなる。今上陛下が譲位をなされ、皇太子殿下が即位なされると聞けば、やはり日本は君主国だと実感するし、皇統が存続するのが嬉しい。ところが、不思議なことに、日本の学校では皇室や神道についてほとんど教えることが無いのだ。天皇陛下が日本の国家元首で、国體(constitution)の中枢なのに、社会科の教科書では全くと言っていいほど触れられていないんだからおかしい。

  また、いくら政教分離の原則があるからといって、日本古来の信仰を無視するなんて馬鹿げている。日本各地に神社があり、夏祭りともなれば皆で御神輿を担ぎ、元旦には大勢の参拝客が来るんだから、少しくらい神道の由来や重要性を教えたっていいんじゃないか。我々が英語を学び、西歐史を勉強するとき、キリスト教を抜いたら牛肉の無いハンバーガーを食べているようで味気ない。もし、西歐諸国でサンタクロースとイエズス・キリストの違いが分からぬ高校生がいたら、アホというより相当な重症患者である。しかし、日本の中学生や高校生だと、「皇室って何?」と真面目な顔で訊いてくる。まぁ、学校の先生が教えてくれないからしょうがない。でも、ちょっと頭の弱い女子高生だと心配だ。こうした少女は「禁裡(きんり)」と耳にすれば、「麒麟(キリン)?」と聞き直してくる。だから、親はちゃんと「天皇陛下がお住まいになる宮中のことだよ」と教えてあげないといけない。ところが、最近だと親も無知だから、一緒に「何だろう?」と首を傾げてしまうのだ。

外国の教科書なのか?

  以前、「学び舎」の歴史教科書『ともに学ぶ人間の歴史』が話題となったので、筆者も購入して読んでみたが、その内容と指導方針に腰を抜かすほど驚いた。(「国民の歴史」なら分かるけど、「人間の歴史」って何だ? もしかしたら、「地球市民の歴史」と言いたかったりして。) 一応、日本語で書かれているが「一体、どこの国で使う教科書なんだ?」と疑いたくなるほど呆れてしまう代物なのだ。筆者は中学校で習った内容を覚えていないから、どうこう言えないが、「ここまで酷いとは・・・」と絶句したくなる。この教科書はなるべく皇室のことには触れないよう努めており、明治大帝の記述はあっても、"ほんの"ちょっぴり。仕方ないから大日本帝国憲法のことに言及するが、見出しには「天皇主権の憲法」と掲げ、「大日本帝国憲法は、天皇が主権をもつと定めています」と書いている。(『ともに学ぶ 人間の歴史』学び舎、2018年 p. 186) 

  もう呆れてしまうが、もし天皇陛下が「主権」を持っているなら、陛下が勝手に憲法を修正したり、廃絶しても良いことになるじゃないか。日本人は気づいていないけど、キリスト教では創造主ヤハウエが主権を持つから、不届き者を雷で成敗してもいいし、偶像崇拝者をイスラエル人が皆殺しにしても構わない。だいたい、維新の元勲を信頼し、国民を大切にしていた陛下が、ロシアの専制君主みたいに振る舞うのか? まったく、馬鹿げた記述だ。でも、教科書執筆者と政府の役人は、東大法学部の反日思想を忠実に受け継ぐから、誰が何と言おうとも絶対疑わない。

  もっと凄いのは、昭和天皇に関する記述が無い事だ。唯一の例外は、マッカーサー将軍と昭和天皇を撮影した写真だけ。(p. 259) あとは、日本を恨む記述がほとんど。例えば、米軍による空爆を語るページでは「町は火の海」(p.246)と題した記述で、原爆投下のページなにると「人間をかえせ」(p.250)、本土決戦の項では、女子学徒隊が手榴弾を投げる練習をしたとか、竹槍で突く訓練(p.252)をしましたと書き、もう暗黒史観のオンパレード。気分が落ち込むどころの話じゃない。日本人であることが厭になる。それどころが、この教科書には国民が如何に昭和天皇を愛したのか、その記述は微塵も無い。翻って、朝鮮人に対する記述は愛情と配慮に溢れている。左翼がよく引き合いに出す「三・一独立運動」となれば、丁寧な説明がなされ、「独立マンセー」との表題が附いている。おまけに、残虐な日本人によって「逮捕された柳寛順」の写真まで載せているのだ。(p.212)

  極左の執筆者はたとえ歴史を枉(ま)げようとも、日本軍の非道を宣伝したいのか、「南京事件」を取り上げ、日本軍は「国際法に反して大量の捕虜を殺害し、老人・女性・子どもをふくむ多数の市民を暴行・殺害しました」と書く。(p.235) さらに、今では見向きもされない笠原十九司(かさはら・とくし)の『体験者27人が語る南京事件』を引用し、夏淑琴(か・しゅくきん)のホラ話(p.235)を紹介する。まともな日本人なら「えっ、こんな本をまだ信じているの?!」と唖然とするが、「学ぶ会」代表の安井俊夫や不破修は確信犯だから何を言っても無駄。多少知識のある親だと、我が子の食事や健康に注意し、成人病の元になるジャンク・フードを禁止するだろう。ところが、子供の頭に詰め込まれる授業内容となれば無関心。有害思想が子供に注ぎ込まれているというのに、進学にしか興味がないんだから、教育ママというのは学歴しか考えない愚か者だ。

  それにしても、いくら義務教育とはいえ、無邪気な子供に極左思想を植え付けるなんて赦せない。文科省の官僚は、こんな教科書を用いて日本を愛する心を育成できると思っているのか? 左翼分子が公教育を握ると、国家は必然的に衰退する。日本が経済的に発展しても、軍事・外政の面で三流国になっているのは、国家を支える人間の「質」が劣化しているからだ。革命を夢見た教育界の左翼は、若者を反日分子へと育成し、革命予備軍を作ろうと必死である。それには、愛国精神の涵養とか民族精神の勃興は邪魔で、何としても撲滅せねばならない。

  ましてや、天皇陛下への敬愛なんて御法度だ。「天皇制」は「打倒すべき巨悪」なんだから、皇室への知識をゼロにして、天皇への嫌悪感をそれとなく匂わせるのが一番。(註 / 「天皇制」とは共産党用語で、朝鮮人が言う「日王」と同じくらい穢らわしい言葉である。) 露骨に天皇撲滅を書くと、世間の皇室支持者が騒ぐから、赤い執筆者は日本史に流れる尊皇主義を"それとなく"消去する、という手段を取る。皇室に関する知識を持たない若者にとって、陛下の存在は有名藝人程度。たとえ、皇室行事を聞いても、テレビ局のイベントくらいにしか思わない。神道の儀式などは、もう遠い外国の出来事と同じで、自分に関係ないとソッポを向く。ただし、皇室のスキャンダルともなれば興味津々。テレビや雑誌はこぞって暴き立て、皇族をリンチに掛ける。いかがわしい小室圭の執念を話題にし、秋篠宮家を総攻撃だ。週刊文春と週刊新潮はテレビの牽引役を引き受け、援護射撃にも抜かりがない。

天皇陛下に感動する日本国民

  神道に関する説明は色々あって、知識人による議論はまちまちだ。國學院大學の学長を務めた神道学者の河野省三によれば、神道は日本民族祖先以来の道で、その道は日本民族の性格に根ざした生活信条であるという。(『国民道徳本義』天地書房、昭和7年、p. 76.) また、神道は日本民族の伝統的信念、ならびに情操であるから、その本質は日本人の民族性、すなわち根本的国民性を基礎としているそうだ。(p.81) つまり、神道は壮大な思想体系を有する宗教ではなく、日本人の日常と密接に繋がっている自然崇拝なんだろう。

  日本人の信仰において、純粋な「心」はその中核を成している。河野氏によれば、日本人が先祖代々奉じた神道は、明き心を重んじ、黒(さたな)き心に反する潔い心であるという。(上掲書 p.84) 皇室と国民の関係も、こうした心に基づいている。天皇陛下に関しては様々な議論があるけど、皇室が存続しているのは、国民が陛下を敬愛し、陛下も国民を慈しんでいるからだろう。もし、こうした絆が無ければ、いくら皇室行事を華々しくしても、陛下への支持は続かないし、自然消滅は避けられない。だからこそ、左翼陣営はあの手この手を使って、何としても陛下と国民との紐帯を切断しようとするのだ。

 ということで、筆者は左翼が嫌がる天皇陛下の素晴らしいエピソードを紹介したい。明治大帝は庶民から熱烈に尊敬された天皇であるが、側近にとっても神様のような存在だった。当時の碩学で有名な元田永孚(もとだ・ながざね)も明治天皇に心酔した臣下の一人だ。元田は肥後熊本の出身で、家は五百五十石の士籍であったというから、立派な家系で育ったお坊ちゃんと言えるだろう。幼い頃から優秀な永孚は、成長すると数々の役職に就いていた。高瀬町奉行や藩侯の侍読を経て、皇室に召されると、明治天皇の侍講(じこう)になったのはご存じの通り。

Motoda 1 (左  / 元田永孚 )

  明治4年、陛下が御年二十の時、碩儒(せきじゅ)の元田は五十四歳であったというから、親子ほど歳の離れた関係である。陛下は彼を師父としていたく尊敬され、臣君水魚の御親しみがあったという。時は明治10年11月、菊花御宴の日のことだ。元田には陛下から「出師の表を吟(ぎん)ぜよ」との御諚(ごじょう)があった。そこで、元田は声を上げて十一、二句まで吟じたが、途中で声が枯れてしまい、その後の句を詠むことが出来なくなったという。すると、陛下は「元田に茶を与えよ」と仰せになったので、元田は茶を賜り、しばし喉を潤すと、調子を取り戻したのか、今度は楠正行(くすのき・まさつら)を詠じた自作の詩を吟じたそうである。そして、陛下は興味深くお聞きになったという。

  ところが、陛下の飲酒がお盛んになったので、西四辻(にしよつじ)侍従はちょっと心配になり、「度が過ぎるのでは・・・」と申し上げた。すると、陛下からは「案ずるな」というお達しを受けたそうである。そこで、西四辻侍従は機転を利かし、「さらば、しばらく御座を移して、菊畑の夜景をご覧遊ばされては」と申し上げたところ、陛下は意外なお言葉を口になされた。「菊花や月はいつでも観ることができるが、元田の詩は来年もその音声が今夜の如くとは限らない」と。「朕は菊花よりも元田の詩吟を愛する」と仰せられたのだ。これを聞いた元田は陛下の御前にもかかわらず、声を挙げて咽(むせ)び、陛下にひれ伏したまま、顔も上げられぬほど感激の涙を流したという。(小林彌一『隠れたる明治天皇の御聖徳』明治天皇聖徳會編纂部、昭和 13年、pp. 11-12) 

  明治大帝は素直に好みを語っただけなんだろうけど、こうしたお言葉を"さらり"と口になされるところが凄い。垢にまみれた政治家だと計算ずくのセリフとなってしまうが、明治大帝は心から元田の詩吟を楽しみ、そのお気持ちを自然と口になさった。日本人は陛下のこうした純粋な心に触れると、感情を揺さぶられ、思わず涙を流してしまうのだ。何ら見返りを求めない、「無垢な心」というのは滅多にあるもんじゃない。

  陛下が国民を如何に大切にしたか、その逸話を話すとキリがないけど、一つ紹介したい。明治22年、大日本帝国憲法が発布された時、東京の上野公園で大祝賀会が開かれることになったので、是非とも両陛下の御同列御臨幸を仰ぎたいという要請があったらしい。そこで、宮内省が陛下に奏請したところ、陛下は「ならぬ」と仰せられた。後に、狼狽した宮内官の話を耳にした伊藤博文は大いに驚き、早速参内して陛下に懇願したというが、やはり駄目だった。

  仕方なく御前を退くとき、伊藤公が「両陛下が御同列で御臨幸なされば、国民はどれくらい喜ぶことか」と独り言を呟いたそうだ。すると、陛下は「伊藤 !」と仰せになられた。伊藤公はハッと驚き、陛下に応え奉つると、陛下は「今、汝は何と言いしか」と御下問になったそうである。そこで、伊藤公は陛下の御同列があったら、さぞ国民は大いに喜ぶことでしょう、と申した。意外なことに、陛下は「確(し)かとそうか」と御念を押されたので、伊藤公は「左様でございます」と御答えしたところ、陛下は「国民が喜ぶのであれば」と仰ったそうである。かくして、2月12日、両陛下の御同列と御臨幸があったので、東京府民はもちろんのこと、遠い所からも国民が押し寄せて大賑わい。駆けつけた国民は両陛下を拝したことで感極まり、皆が万々歳の様子であったという。(上掲書 pp.25-27.)

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(左: 敗戦後の御巡幸で陛下を迎える人々  / 右: 天皇陛下に拝謁する平成の日本人 )

  現在でも、近くで皇室の行事があれば、ひと目陛下のお姿を拝見したい、と大勢の人々が集まるけど、明治の頃だともっと熱狂的な歓迎があったはずだ。近所のオっちやん、オバちやんたちも、「天子様がいらっしゃるそうだぞ!!」と大騒ぎになるから、あちこちの家庭でお出迎えの準備で忙しくなる。次に紹介するエピソードも感動的な話である。

  明治11年8月、陛下が北陸御巡幸の途中、新潟の行在所に立ち寄られた時の事である。陛下は伊東侍医を召され、「北越でよく眼病者を多く見受けるが、何故であるか細かに調べよ」と仰せられた。そこで、伊東侍医は直ちに病院へと向かい、その原因を問い質して伏奏に及んだそうである。しかし、陛下は更に懸念されたので、金1千円を賜り、「これで治療方法を講ぜよ」と仰せられた。側近の者はいたく感激し、これを聞いた新潟県民も深く陛下の御仁慈に浴して感泣したという。(上掲書 pp. 20-21.)

  こうした話を聞けば現在の日本人でも、当時の庶民が如何に陛下の聖恩に感激したのか分かるだろう。明治天皇はとにかく「国民第一」で、自らの生活よりも国民の生活の方が大切であった。しかし、なぜ陛下にまつわる素晴らしい話が中学や高校で無視されるのか? それは教育を支配する左翼陣営が困るからだ。「国民を慈しむ天皇」なんて絶対にダメ。もし、こんなことがバレたら、生徒が天皇陛下を尊敬しちゃうから全面禁止。日本の学校では北京政府も驚くほどの検閲が行われている。今のところ頼みの左翼議員が劣勢で、憎い皇室を廃止できないから、左翼教師は「皇室無視」の授業を行うしかない。ということで、当分の間は辛抱し、天皇は「セレブ程度」に留めておく。日本の学校教育では、決して「仰ぎ見る君主」にしないことが肝要になっている。

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  皇室を潰したいテレビ局も同じ穴の狢(ムジナ)になっている。ワイドショーは皇室の宗教的儀式より、どんな元号になるのか、賭博業者のように新元号の予想に大はしゃぎ。民間企業の何社かは懸賞金や賞品を揃えて、民衆の意見や提案を募集していたけど、こんなのは競馬の予想屋と同じだ。テレビ局は毎日飽きもせず、皇室を低俗化することに熱心で、一般国民はこれに気づかない。悲しいけど、これが大衆化社会の実態である。皇族にスキャンダルがあれば、針の穴ほどであってもトンネルほどの穴に拡大しようとするのが反日メディアだ。眞子内親王殿下はもちろんのこと、佳子内親王殿下もアイドル歌手のように扱われ、視聴率稼ぎの道具に過ぎない。反論できぬ皇族を針で突く卑劣なやり方にはヘドが出る。不敬罪が無いから仕方ないけど、皇族とジャニーズ・タレントが同じレベルなんて嫌だよねぇ~。



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グローバル企業が支援する愚民か政策 / 怨念を動機にする英語教育 (part 2)


「お遊び」としての英語教科

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(左: 『個人教授』でのナタリー・ドロン  / 右: 実際に英語を教える教師 )

  教育改革の理念はご立派だけど、実際、学校側はどのような「英語教育」を行ってきたのか? 「小学校英語活動実施状況調査」によると、公立小学校の総合学習において、約8割の学校が英語活動を実施しており、特別活動等も含め何らかの形で英語活動を実施している学校は、93.6%に及んでいるそうだ。第6学年では、英語活動を実施している学校のうち、97.1%が「歌やゲームなど英語に親しむ活動」を行い、94.8%が「簡単な英会話(挨拶や自己紹介など)の練習」に取り組んでいるという。また、73%が「英語の発音の練習」を行っているそうで、年間の平均授業実施時数は、第6学年で13.7単位時間(1単位時間は45分)であるらしい。


  「英語の授業」といっても、外人教師が子供たちと一緒に歌ったり、大袈裟なジェスチャーで挨拶する程度なんだから、実質的には「遊びの時間」である。文科省は具体例を挙げているので、ちょっと紹介したい。


  ① 例えば、自分の好きなものについて話すという言語の使用場面を設定して、実際に英語を使って、自分が好きな食べ物について話しあったりする(コミュニケーション)。その際、国語科の内容とも関連させながら、日本語になった外国語にはどのようなものがあるかを学習する(言語・文化理解)。また、apple, orangeなどの単語を通して英語の音声に触れてみたり、I like apples.などの表現例を使ってみたりする(スキル)。


  ②例えば、友達を誘うという言語の使用場面を設定して、実際に英語を使って、自分が好きな遊びに友だちを誘ってみる(コミュニケーション)。その際、日本の遊びと世界の遊びについて比較対照してみる(言語・文化理解)。また、ohajiki, baseballなどの単語を通して英語の音声に触れてみたり,Let's play ohajiki.などの表現例を使ってみたりする(スキル)。

  もう、論じることすら馬鹿らしくなる。確かに、小学生なら教師の言葉を真似て、上手に「アップル」とか「オレンジ」と発音できるだろう。しかし、自分が欲する事や感じた事をそのまま文章にできまい。「リンゴが好き !」といった簡単な文章なら英語で表現できようが、気に入った服や玩具を買ってもらいたい時など、“微妙”な呼吸を必要とする場合には、慣れ親しんだ日本語となるだろう。例えば、母親と一緒に百貨店を訪れた少年が、「ねぇ、ママ、僕、あのオモチャがおうちにあったら、毎日ママに見せてあげられるんだけどなぁ」とねだることもあるし、父親に連れられた娘が「パパ、私このお人形が前から欲しかったんだけど、クリスマスまで我慢するね」と哀しそうな目をして、暗に買ってくれとせがむこともある。(賢い子供なら、“こっそり”とお爺ちゃんやお婆ちゃんに「おねだり」を考える。なぜなら、こうした小悪魔は祖父母が孫に甘いことを熟知しているからだ。) 子供は一番便利な言葉を選んで生活するものだ。両親が日本人なら、いくら学校で英語を学んでも無駄である。子供は親に向かって日本語を話すし、親の方も日本語で答えるはずだ。特に、子供を叱る場合、「こらぁぁ、何やってんの!! そんなことしたらダメぢゃない !」と言うだろうし、オモチャを買ってくれとせがまれた時も、「泣いたってアカンで。無理なもんは無理や !!」と日本語で却下するだろう。したがって、日常会話の80%ないし99%が日本語なら、学校の授業なんか焼け石に水である。

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(左: フィリピン人の女中  / 右: ベイナム人の労働者 )

  「外国語専門部会」のメンバーは、机上の空論を弄ぶ連中だから単なる馬鹿ですまされるが、その方針を支持する経済界の連中には用心が必要である。彼らは「グローバル化に伴う英語の重要性」を看板に掲げているけど、本音ではアジア人労働者と一緒に作業が出来る日本人を求めているだけだ。英語を用いてコミュニケーションをはかる相手とは、教養と財産を持つ西歐白人ではない。稚拙な英語教育で低脳成人となった日本人は、工場や下請け企業でアジア系従業員と同列になり、カタコトの英語で仕事をする破目になる。大手企業が輸入するフィリピン人やマレー人、ベトナム人、支那人などに日本語を習得させるのは困難だから、簡単な「共通語」を職場の言葉にする方がいい。英語なら多少発音がおかしくても通じるし、移民労働者も多少の予備知識を備えているから、日本人の現場監督でも何とかなる。「グローバル化」と言えば響きが良いが、その根底には、日本人に対する待遇をアジア人並に引き下げ、低賃金労働者としてこき使おうとする目論見は明らかだ。子供の将来を案じ、私塾にまで通わせる日本人の親は、我が子をフィリピン人並に育てるべくお金を払っている訳ではない。しかし、お遊びの英語教育を受ける子供は、数学や理科、国語などの授業数を削られるから、総合的な学力低下は避けられず、卒業してから就く仕事は限られている。だいたい、望んでもいない低級な職種とか、厭々ながらの職業に就いた若者が、やる気と向上心を持って働くのか? 職場意識の低下は明らかだ。

どんな外人を雇うのか ?

  もう一つ、英語教育改革に伴う問題として挙げられるのは、どうやって充分なALT(Assistant Language Teacher / 外国語指導助手)を確保するかである。現在、英語の授業は日本人の教師に加えて、英語圏からの補助教員を用いて行われているから、各地方自治体は適切な外人のリクルートに手を焼いているそうだ。ベネッセ教育総合研究所の調査によれば、教育現場は英語を専門とする講師や、日本語がある程度話せるALTを獲得したいそうだが、実際のところ、こうした外人は稀で、日本人教師との意思疎通が困難なうえに、授業の打ち合わせができない。しかも、ALTが2、3で交替してしまうし、ALTによって方針や態度が違いすぎる。もっと悪いことに、指導力が身についていないALTが多いという。これは教師でない筆者も想像ができる。英語を話すアメリカ人やオーストラリア人だからといって、外国人に英語を教える能力があるとは限らない。日本語は文法や語彙、発音の点で英語と全く異なる。とりわけ、日本語を話す子供を相手にする場合、相当な根気と熱意が必要で、教育技術の無い外人を雇ったってトラブルが増すだけだ。もし、日本人教師がサウジ・アラビアに派遣されて、現地の子供に日本語を教える破目になったら、一体どのような事が起こるのか?  想像しただけで恐ろしくなる。

English teacher in AsiaEnglish teacher in Korea








(写真  / アジアへ派遣された英語教師 )

  充分な外人ALTを確保する場合、自治体が負担する費用も馬鹿にならない。仮にも教師だから、渋谷とか新宿で見つけた不良外人を雇うわけにも行かないので、多くの学校はJETプログラム(外国語青年招致事業 / The Japan Exchange and Teaching Programme)に頼んで、外人教師を斡旋してもらうことになる。しかし、上質な人材を招致するとなれば、それなりの給料や恩給を約束しなければならないし、待遇だって日本人以上に設定しないと承諾されない場合もあるだろう。小さな地方公共団体だと予算不足に悩んでいるので、ALTへの住居手当とか出張費を考えると頭が痛い。こうなれば、民間企業に頼らざるを得ないし、人材派遣業者だって甘い言葉を囁いてくる。ALTの増加要請は、地方自治体にとって財政的なピンチだが、「口入れ屋」にとっては儲けるチャンスだ。海外で安く仕入れた「外人」を日本に輸入して高く売りさばく。これを大手の人材派遣会社が全国展開のビジネスにすれば、大きな利鞘を得ることになる。ついでに不動産屋と結託し、外人教師の住宅もセットにすれば、更なる利益を摑むことができるだろう。

  一方、予算の確保に困った地方の役人は、まず中央に泣きつくから、巨額な補助金が各地に流れることになる。気前の良い中央官庁がバックにつけば、学校側は外人教師に高給を渡すことができ、口入れ屋もピンハネ額が多くなってニコニコ顔。これって、何となく、売春婦を斡旋する女衒(ぜげん)みたいだ。例えば、日本の派遣業者が不景気なアイルランドを訪れ、適当な「教師」を物色したとする。教師としての資質が不充分でも、英語を話す白人を物色できれば、日本で高く販売できるから、多少、交渉金が釣り上がっても採算が合う。どうせ庶民のガキに歌や絵本を教えるだけの「補助教員」だから、教養とか品格は問題じゃない。結局、損をするのは、「お遊び」の英語に時間を費やし、気位だけが高い愚民へと成長する子供たちと、巧妙に税金を吸い取られる親の方である。

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(左: 英語を話す黒人女性   / 右: カナダの白人女性  )

  凡庸な外人ALTをあてがわれる事態となれば、子供を預ける親も心配になるが、子供の方にも別の不満が募ってくる。学校教師は言いづらいだろうが、外人教師の人種や容姿が問題となるからだ。極端な例だが、もしAクラスを担当する外人ALTが金髪碧眼の若いイギリス人女性で、Bクラスを受け持つALTがブリテン国籍者なんだけどジャマイカ系の黒人男性であったら、どんな反応が起こるのか? もちろん、両者も英国で言語学を専攻し、教員免許を持っている。しかし、Bクラスの子供たちは、Aクラスの生徒を羨み、「僕もAクラスの先生がいい」とか「Aクラスの方に移りたい」と言い出す。さらに、保護者からも「どうしてBクラスはイギリス白人の先生じゃないの?」と抗議が来る。

  英語の教師を探す場合、イングランドやアメリカだけではなく、カナダとかオーストラリア、アイルランドも募集地となるが、事によってはインドやエジプト、ケニア、フィリピンだって候補地となり得る。外人講師への出費を抑えようと思えば、アジアかアフリカ出身者の方がいい。でも、子供たちの反応を考えれば、ブリテン連邦や北米出身の白人教師の方が“適切”と思えてくる。あり得ないことだけど、もし中学校の英語教師をイングランドから招くなら、ケンブリッジ公爵夫人となったキャサリン・ミドルトンのような女性の方が好ましく、やがでヘンリー王子と結婚するメーガン・マークルのような黒人女性じゃ二の足を踏んでしまうじゃないか。

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(左: キャサリン妃  / メーガン・マークル / エリザベス女王 / 右: フィリップ殿下)

  確かに、どちらも心優しい女性であるが、マークル氏がイギリス文化を解説するなんて、ちょっと抵抗がある。イギリス系のカナダ人が教えるんなら納得できるけど、支那系とかアフリカ系のカナダ人だと遠慮したい。やはり、英国の言葉や風習を教えてもらうなら、先祖代々イングランドに暮らすアングロ・サクソン系のイギリス人の方がいいし、パキスタン移民3世とかインド系帰化人5世の教師より、オランダ系やドイツ系の移民2世の方がマシだ。何しろ、イングランド王国では女王陛下がドイツ系だし、フィリップ殿下はギリシア出身のドイツ系貴族で、スコットランドのエジンバラ公爵になっている。日本の皇室とは大違いだ。

  ベネッセ教育総合研究所が行ったアンケートに、「英語教育で重要なこと」という項目があり、そこでは外国人との交流に関する質問があった。「とても重要」と答えた人は英語教育賛成派で55.4%を占め、反対派でさえ30.7%であった。最重要とは言えないが「まあ重要」と答えたのは、賛成派で41.6%、反対派では54.9%であった。ということは、賛成派と反対派を問わず、多くの人が外国人との交流に何らかの重要性を見出している訳で、子供たちが進んで外国人に接することを期待していることになる。だが、話しかける相手が西歐白人ではなく、イングランドに移り住んで来たインド人やパキスタン人、トルコ系帰化人の2世や3世、あるいはブリテン国籍を持つアラブ系イスラム教徒であったらどうなるのか? イギリス人とは思えない容姿の教師を前にして、日本の子供たちが積極的に話しかけ、英語やイギリス文化に興味を示すとは思えない。

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(左: インド系男性  / 中央: 英国のジャマイカ人女性 / 右: ムスリム男性 )

  もし、帰宅した息子に母親が、「今日、英語の時間はどうだった?」と尋ね、「う~ん、別に」といった返事だけしか得られなかったら心配になる。それに、問い詰められた息子が、「あんまり面白くない」とか「あの先生イヤだ」と呟いたらどうするのか? 具体的な将来設計を描けない小学生は、教師によって好き嫌いができてしまい、好きな先生の授業なら喜んで学ぼうとするが、気に入らない教師に当たるとガッカリする。ある心理学の実験によれば、幼児だって美女を見ると自分から抱きつこうとするらしく、ブスだと顔を背け、抱きつこうとしないそうである。幼い子供は理性でなく本能で行動するから、大人は冷や冷やするらしい。こうした行動様式はともかく、高額所得者の親を持つ子供は有利だ。お金持ちの保護者は自由に私立学校を選択できるし、優秀な講師を揃えた英語塾にも通わせることができる。しかし、低所得の家庭だと公立学校へ通わせることしかできない。つまり、「選択肢」の無い親子は、どんな学校でも我慢するしかないのだ。

  「日本の学校における教育理念とは何なのか」については様々な意見があるけれど、「立派な日本国民を育成する」ということに関しては、異論はあるまい。いくら英語を流暢に話して歐米人と対等に議論できるといっても、外国人に対して卑屈なら日本人としては失格だ。英語を習得することだけに労力を費やし、大人になっても自国の文化を知らず、日本語さえも未熟なら、こうした人物は歐米人の小使いに過ぎない。まるでローマ人の将軍に飼われたユダヤ人通訳みたいなもので、便利だけど尊敬に値しない「下僕」である。日本人が思考する時に用いる言語は日本語であり、その性格を形成するのも日本語である。その大切な言葉遣いが幼稚で、日本の歴史についても無知な者が、祖国に誇りを持って生きて行けるのか? アメリカ人やイギリス人は、いくら英語が達者な日本人でも、揉み手すり手でやって来る小僧を「対等な者」とは思わない。現在の英語教育は歐米人に対する劣等感を植え付けるだけで、卑屈な日本人を大量生産する結果になっている。我々は英語が苦手なことで尻込みする必要は無い。もし、「英語を流暢に話せるんだぞ」と自慢するクラスメートに会ったら、「ああ、すごいねぇ。まるでフィリピン人みたい」と褒めてやれ。どんな顔をするのか楽しみだ。



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