禁句でクビになるイギリス人
(左 : スーザン・ハッセイ男爵夫人 / 右 : イングランド女王エリザベス2世 )
「口は禍(わざわい)の元」と言うが、ブリテンでも同じようで、廷臣のレイディー・スーザン・ハッセイ(Lady Susan Hussey)が、レイシスト発言で馘首となった。83歳になるレイディー・ハッセイは、60年間もイングランド王室に仕え、先ほど亡くなった女王エリザベス2世の侍女でもあった。そのうえ、彼女はプリンス・オブ・ウェイルズとなったウィリアム王子の代母(godmother)であるというから、これまた凄い。レイディー・ハッセイは国王になったチャールズ3世とも親しく、人呼んで「筆頭女官(No.1 Head Girl)」と呼ばれているそうだ。(Caroline Davies, 'Lady Hussey's racist remarks will take an already bruised papalce two steps back', The Guardian, 30 November 2022.)
今回、騒動となった事件は、バッキンガム宮殿で催された歓迎会でその火蓋が切られた。様々な活動家を集めたレセプションで、レイディー・ハッセイはゴジ・フラニ(Ngozi Fulani)という黒人女性に出自を尋ねたという。質問を受けたフラニ氏は「シスタ・スペース(Stistah Space)」という慈善団体の主幹で、家庭内暴力に苦しむ女性を支援しているそうだ。
( 左 / ゴジ・フラニ )
偶然というのは、フォルトゥナ(運命の女神)が転がすサイコロのようなものだ。フラニ氏が宮殿に辿り着いてから10分後、彼女は絵画ギャラリーの会場でレイディー・ハッセイに出くわす。異質な者同士の雑談というのは、地雷の上でのダンスと似ている。レイディー・ハッセイはフラニ氏に向かって「あなたは何処から来たの?(Where are you from?)」と尋ねたそうだ。すると、フラニ氏は「シスタ・スペース(Sistah Space)です」と答えた。しかし、レイディー・ハッセイは頷かず、「違うのよ、何処から来たの?」と再び訊き直した。そこでフラニ氏は言葉を付け加え、「私達の団体はハックニー(Hacckney)にあるんです」と答えた。
しかし、この答えも的外れであった。レイディー・ハッセは質問の方法を変え、「あなたはアフリカのどの地域から来たの?」と尋ねたそうだ。フラニ氏は言う。「判りません。記録が一つも無いんです」と。すると、レイディー・ハッセイは「そう、でも、何処から来たのか知るべきよ。私はフランスに居たことがあるの。あなたは何処から?」この質問の意味が解らなかったのか、フラニ氏は「ここ、ブリテン(UK)です」と答えてしまった。
またもや、期待した答えを得られなかったレイディー・ハッセイは、「いえ、違うわ。どの国籍なの?」と聞き返した。もはや禅問答の様相だが、フラニ氏は再び答え、「私はここで生まれ、ブリテン人なんです(I am born here and am British.)」と言い返した。ところが、レイディー・ハッセイは全く納得せず、「いえ、そうじゃなくて、本当は何処から来たの? あなたの同胞は何処から?」と問い質した。
まるで途方に暮れたように、フラニ氏は戸惑ってしまった。「あのぉ~、私の仲間って何ですか?」と彼女は尋ねる。満足できる答えを引き出せなかったレイディー・ハッセイは、どうしてもフラニ氏の素性を知りたかったようで、しつこく問い質した。一方、フラニ氏も意固地になっていたようで、「奥様、私はブリテン国民(British national)で、両親は1950年代にやって来て・・・・」と言いかけた。すると、レイディー・ハッセイは、やっとの事で回答を摑んだのか、「あら、やっぱり・・・あなたカリビアン(Caribbean)なのね !」と大喜び。でも、フラニ氏は御機嫌斜めで、「否、奥様、私はカリブ系の末裔で、アフリカ人の遺産を受け継ぐブリテン国民なんです」と反撥したそうだ。(Laura Elston and Josh Salisbury, 'Prince William condemns unacceptable comments from godmother Lady Susan Hussey to Buckingham Palace guest', Evening Standard, 1 December 2022.)
この遣り取りは主流メディアで瞬く間に報道され、「人種差別的発言」として批判された。レイディー・ハッセイの発言に関しては、さすがにウィリアム王子も擁護できなかったそうで、「容認できない(unacceptable)」との声明を発表していた。他のヨーロッパ諸国でもそうだが、貴族というのは民衆の感情に敏感だ。たとえ嘘でも、一般国民から非難されぬよう、上手に“建前”や“綺麗事”で身を守ろうとする。一般的にヨーロッパの上流階級は、「外でリベラル、家で保守派」というのが定番だ。
(左 : 若い頃のエリザベス女王とフィリップ殿下 / 中央 : ウィリアム王子とキャサリン妃 / 右 : レイディー・ハッセイ )
イングランドの王侯貴族も、やはり大衆迎合が公務の“十八番(おはこ)”となっている。レイシスト的発言は御法度。特に、黒人への皮肉や嫌悪に関しては、必ず「非難」することになっている。本音を言えば、レディー・ハッセイの質問なんて、ごく普通の反応だ。どこの宮廷にもスノッブ的侍従がいるから、それらを一人一人審査すれば、ほとんどの廷臣はクビになり、宮殿の側近は飼い猫だけという事態になってしまうだろう。たぶん、ウィリアム王太子にとったら、レイディー・ハッセイは春日局みたいな存在な野かも知れない。しかし、世間の手前、曖昧な態度は取れないから、「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」といった処分にしたんじゃないか? それに、叱責されたレイディー・ハッセイも解っているから、ウィリアム王太子やチャールズ国王の批判に激怒せず、「大衆向けの演技」と思っているはずだ。
「非ゲルマン系」が増殖するイングランド
日本のマスコミは藝者に伴う太鼓持ちみたいな存在だ。英国の報道を聞きつけると、パブロフの犬みたいに「人種差別は赦せない !」と吠える。ワイドショーの解説者は、いつもの正義感を燃やしているんだろうが、常識的な日本人であれば「お気の毒に」と思ってしまうだろう。なぜなら、レディー・ハッセイは見るからに「先祖代々のイギリス人」といった風貌で、フラニ氏の方は明らかに“非イギリス的”な「アフリカ移民」にしか見えないからだ。このフラニ氏を目にして、アングロ・サクソン系、あるいはヨーロッパ系の「ブリテン人」と考える日本人は、まず居ないだろう。もし、夏目漱石や伊藤博文が現代に蘇り、移民で溢れたロンドンやルトン(Luton)、スロー(Slough)、ピーターボロー(Peterborough)を目の当たりにしたら、「ここはイスタンブールか? はたまたナイロビなのか?」と疑ってしまうだろう。
そもそも、イングランドは「アングル人の国」を意味する。デンマークのユトランド半島からは、シュレスヴィッヒ・ホルシュタインの民族だけじゃなく、ザクセン人やジュート人、フリジア人のほか、ノルマン民族たるデイン人やスカンジナヴィアのヴァイキングも渡ってきて「ブリテン人」となっていた。これらの侵略者は似たり寄ったりの外見を持ち、言語だって似たような文法に則っている。仏語や英語に分かれていても、両方とも西ゲルマン語族に属しているから、「方言」みたいなものだ。
もしかすると、和辻哲郎の元ネタかも知れないが、『History of Civilization in England』を書いたトマス・バックル(Henry Thomas Buckle)は、多言語の才能があったようで、読むだけなら18ヶ国語、会話能の面では六ヶ国語も話せたという。しかし、イギリス人がフランス語やドイツ語、イタリア語、スペイン語、スウェーデン語を話せたからといっても、そんなのは姉妹語を習得したに過ぎず、ゲルマン語とは関係の無いアラビア語やヒンドゥー語なら話は別だ。それに、文法や語彙が全く違う日本語を勉強するとなれば、西洋人は卒倒してしまうだろう。日本人でもバックルの真似はできる。薩摩弁や博多弁、大阪弁、名古屋弁、秋田弁をマスターすれば多言語話者(polyglot)と同じだ。(でも、実際にそんな人がいれば凄い。) イングランドに移住したオランダ人やドイツ人が、ちょっと風変わりなアクセントで英語を話したって誰も気にしないだろう。
(左 : トマス・バックル / 中央 毛ウィリアム3世 / 右 毛ゲオルグ1世 )
英国史を勉強した人なら解ると思うが、イングランドの貴族階級はヨーロッパ貴族と親戚になっている。例えば、ネーデルラントからイングランドへやって来たオラニエ公(Grafschaft Orange)のウィリアム3世(Willem Hendrick van Oranje)なんか、プロイセン侯爵でブランデンブルク選帝侯のフリードリヒ・ウィルヘルム(Friedrich Wilhelm Brandenburg)が後見人だったから、オランダ語やドイツ語のちゃんぽん生活だった。イングランド国王となったウィリアムが、どのような英語を喋っていたのか分からないけど、彼が英語をマスターするのに10年もかかったとは思えない。(日本人だと10年でも無理な人が居る。) ハノーヴァーからやって来たゲオルグ1世(Georg Ludwig von Branschweig-Lüneburg)は、根っからのドイツ人で、英語を喋る気なんか更々なかった。この王様はイギリス人の側近とラテン語で話すくらい。
(左 / エジンバラ公爵のフィリップ殿下)
日本の観光客は、アイルランドやスコットランドのケルト人でさえ区別が附かないから、故・エジンバラ公爵のフィリップ殿下をスコット人と勘違いしていた。まさか、ギリシアからやって来たデンマーク貴族とは思っていなかったから、生粋のイギリス人と勘違いしていたんじゃないか? 令和の高校生や大学生だと、マウントバッテン卿の実家である「バッテンベルク家(Battenberg)」とか、デンマーク王国の「グリュックスベルク家(Glücksburg)」と聞いても、何処の貴族なのか判らない。戦前の日本人なら、ビルマ総督のマウントバッテン卿を知っていた。
ウェイルズ(外人の土地)のプリンスとなったウィリアム王太子が、祖先のドイツ語を話せるのかどうか判らぬが、側近にデイン人やゲルマン人がいてもおかしくはない。たとえ、バッキンガム宮殿やウィンザー城にザクセン人がウロウロしていても、何ら不思議はなく、「誰かのコネで入った人かなぁ~?」と思うくらいだ。亡くなったダイアナ妃はスペンサー伯爵家の御令嬢だったが、当時のイギリス人からすれば、「へぇ~、イギリス人のプリンセスなんて珍しいなぁ~」といった感じだった。たいていの姫様は、デンマーク貴族とかベルギー貴族、あるいはハプスブルク系統の貴族だから、地元の貴族なんて久しぶりだった。
(左 : ダイアナ妃 / 中央 : ロッテルダムのエラスムス / 右 : トマス・モア卿)
普通の日本人は日本人と結婚するから、アジア系混血児なんて珍しいし、従兄弟や伯父がインド人とかベトナム人とかは滅多にない。でも、イギリス人とヨーロッパ人はキリスト教世界に属し、貴族や商人はもちろんのこと、司祭や学者の交流も盛んだ。ロッテルダムのエラスムス(Desiderius Erasmus Roterodams)がロンドンのトマス・モア卿(Sir Thomas Moore)と親交を結び、ラテン語の書簡を交換しても不思議じゃなかった。中世ヨーロッパではラテン語が共通語で、外交官はフランス語を話すのが普通だったから、イングランド女王のエリザベス2世やスコットランド女王のメアリー・スチュアートもフランス語を流暢に話していた。日本の皇后が支那語を流暢に話す光景なんて想像できない。
ヨーロッパ人は容姿も似通っているので、黙っていると何人なのか判らない。例えば、オランダ人ミュージジャンのキャンディー・ダルファ(Candy Dulfer)や、「ヴォーグ」モデルのアマンダ・ノルガード(Amanda Norgaard)が、ケムブリッジの街を歩いていても違和感は無いし、人気TVドラマ『ザ・ラスト・キングドム(The Last Kingdom)』で「スケーイド(Skade)」役を演じたティア・ソフィー・ロック・ナス(Thea Sofie Loch Naess)は、ノルウェーの女優だった。大ヒットのTVドラマ『ヴァイキングズ(Vikings)』に出演し、一躍有名人となったキャサリン・ウィニック(Kathryn Winnick)も外国人で、ウクライナ系のカナダ人である。だが、この外国人もアイリス人やスコット人と間違ってしまうほどの白人女性で、イギリス人が同国人と勘違いしてもおかしくはない。また、ヴァイキングのようにイーストアングリアに上陸しても、地元民は気づかないし、日本に来たら英語の教師になれるだろう。
(左 : キャンディー・ダルファ / アマンダ・ノルガード / ティア・ソフィー・ロック・ナス / 右 : キャサリン・ウィニック )
ところが、近年のイングランドは異国の様相を呈している。英国の名物映画である「007」シリーズでは、非イギリス系のボンドガールが珍しくなく、北アフリカ系の女優だって採用されている。例えば、『Sky Fall』ではナオミ・ハリス(Naomie Melanie Harris)が「マニーペニー」役で起用されたし、『NoTime to Die』ではラシャナ・リンチ(Lashana Lynch)が新たな「007」になっていた。時代劇も酷く、ヘンリー8世の王妃「アン・ボーリン(Anne Boelyn)」を演じたのは、黒光りの女優、ジョディー・ターナー・スミス(Jodi Turner-Smith)であった。いくら「多様性に富むイギリス社会」を反映させるといっても、こんな配役じゃ当のイギリス人だって驚く。
(左 : ナオミ・ハリス / 中央 : ラシャナ・リンチ / 右 : ジョディー・ターナー・スミス)
ただし、『The World Is Not Eough』のソフィー・マルソー(Sophie Marceau)とか、『No Time to Die』に出演したレア・セドウ(Léa Seydoux)は別。確かに、彼女達は「異国人」であったが、二人ともフランス人女優だからOK。『Quantum of Solace(慰めの報酬)』に出演したオルガ・キュリレンコ(Olga Kurylenko)も容認されるだろう。彼女はフランス国籍を持っているが、民族的にはロシア人とウクライナ人の混血児。しかし、彼女もヨーロッパ人に見えるから問題無し。「007」シリーズで如何にも「イギリス人」らしいと思えるのは、スコット人のショーン・コネリーより、「M」役で好評を博したジュディー・デンチ(Judi Dench)の方だろう。実際、英国の官僚組織ではデンチのような中年女性が普通だし、食堂や雑貨店のオバちゃんも彼女みたいなタイプが多い。
(左 : ソフィー・マルソー / レア・セドウ / オルガ・キュリレンコ / 右 : ジュディー・デンチ )
脱線したので話を戻す。英国の記事を読んだ日本の読者は、レイディー・ハッセイを「酷いバアさんだなぁ~」と思ってしまうが、親子代々のイギリス国民にしたら、「なんで、フラニみたいな奴らがイギリス国民なんだ !」と怒りが込み上げてくる。両親や祖父母、曾祖父母を遡ってもイギリス人、あるいは西歐人という「イギリス臣民」なら、アフリカの黒人や中東アジアのアラブ人、トルコやイラクのイスラム教徒なんて「イギリス人」じゃない。たとえ、「ブリテン国籍」を取得しても、彼らはイギリス国民の“仲間”になれないし、その息子や娘がイングランドで生まれ育っても、「移民2世」「移民3世」といった扱いだ。運良くパブリック・スクールに通えても、イギリス人の“同胞”とはならない。
テレビ局のキャスターやディレクターは、「差別はいけません」と説教するが、局内では身分序列が激しい。電通の社員なんか大威張りで歩いていたじゃないか ! 神様みたいなスポンサー企業にも序列があるし、大企業の御子息はコネ採用で一発合格だ。合併直後の「みずほ銀行」だって、「一勧系」と「富士系」の社員は、「同社の仲良し」といった感覚は無く、“縦割り派閥”の意識を持っていた。朝日新聞だって「部族社会」と大差は無く、格下の産経新聞から記者が移籍しても、こんな奴は「劣等生」扱いだろう。
レイディー・ハッセイのような高齢者(70から80歳代)は、「古き良きイングランド」を知っている世代だ。おそらく、第12第ウォルドグレイヴ伯爵家(Earl of Waldgrave)の御令嬢であるスーザン・キャサリン(Susan Katherine)は、第二次世界大戦前の生まれで、白人ばかりの学校やクラブで過ごしてきたのだろう。(彼女はBBCの重役を務めていたMarmaduke James Hussey 男爵と結婚したので、「ハッセイ男爵夫人」となっている。) 1970年代前のパブリック・スクールでは、ジャマイカ人の同窓生なんて考えられなかったし、アラブ人の教師などは採用されなかった。当時、西歐系の白人女性がケニア人とかパキ人といった有色人種と結婚すれば、何処に行っても奇異な目で見つめられるし、親兄弟は異人種混淆に反対するから、勘当を覚悟での結婚になる。アシュケナージ系のユダヤ人だって毛嫌いされていたから、トルコ人やシリア人との結婚なんて論外だ。
(左 : ハッセイ男爵と若い頃のスーザン・ハッセイ夫人 / 中央 : ダイアナ妃とハッセイ夫人 / 右 : カミラ人と一緒のハッセイ夫人 )
レイディー・ハッセイとフラニ氏との会話で特筆すべきは、フラニ氏が「ブリテン国籍(British nationality)」や「ブリテン人(British)」を口にしていた点である。現代の英国では、「イギリス人」というアイデンティティー(自己識別)よりも、「ブリテン人」という名称が好まれている。なぜなら、イングランドに住む「連合王国の公民」には、スコットランドやアイルランドの公民(citizen)が混ざっているからだ。地元意識が強く、独立心も旺盛なスッコト人やアイリス人は、「イギリス人」と称したくないので、「ブリテン連合王国の構成員(British citizen)」というアイデンティティーの方を選んでしまう。
「移民」や「難民」としてやって来たアジア人やアフリカ人、そして昔からの「居候」であるユダヤ人も、「イギリス人」でないから「ブリテン国民」と称した方が安心できる。いくら多民族主義が普及したとはいえ、バングラディッシュやパキスタンからの移民や帰化人が、「私はアングル人です」と称せば、「何をほざいてやがる !」と言いたくなるじゃないか。アングロ・サクソン系の国民からすれば民族の偽装は赦しがたく、「お前なんかイギリス人じゃねえぞ ! 」と否定するだろう。
( 左 : 船で地中海を漂流し、ヨーロッパを目指すアフリカ人 / 右 : 第二次世界大戦で難民となったユダヤ人 )
アジア系帰化人が増える現代の日本でも同じで、裕福な帰化鮮人が「神戸生まれの芦屋育ち」を自慢したって、尼崎の日系人は「何言ってやがんだ !」と吐き捨てるし、竹中組(姫路の暴力団)のヤクザって「鮮人野郎の分際で、なに上品ぶってんだ?!」と馬鹿にするだろう。京都で生まれ育った帰化支那人の息子も同じような「差別」に遭うかも知れない。たとえ、「洛中」に住む高学歴の紳士でも、所詮は支那人だ。仮に、中京(なかぎょう)にある老舗和菓子店があったとして、そこに生まれたお坊ちゃんが、嵯峨の住人をちょっとコケにしても赦されるが、「京都生まれ」を自慢する支那人が日本人に対して言えば、「テメェ~、ふざけんじゃねぇぞ !」と言いたくなるだろう。これは有り得ない話だけど、上京区や下京区に住む帰化鮮人が、宇治や亀岡に住む日系人に向かって「あそこは京都なの?」と茶化せば、烈火の如く怒るんじゃないか? 筆者も京都見物をする時に、支那系や朝鮮系の観光ガイドじゃ厭だ。
脱線したので話を戻す。異質な移民を受け容れることは、自ら進んで“災禍(わざわい)”を招くようなものだ。レイディー・ハッセイからの審問を受けたフラニ氏は、「尋問(interrogation)を受けた !とか、「許可無く髪を触られた !」と言い立てる。(Nadine White, 'Is anyone really surprised by racist remarks at the palace?', The Independent, 1 December 2022.) 確かに、ジャマイカ系やアフリカ系の「ブリテン国民」が、こうした侮辱を耳にすればフラニ氏に同情し、傲慢な白人に対しては敵意を抱く。たぶん、多くの黒いブリテン国民は、「レイシスト的攻撃だ !」と述べて激昂するに違いない。
(左 : 差別被害者となったゴジ・フラニ / 中央 : ナディン・ホワイト / 右 : ブリテンのアフリカ系国民)
事実、「ホワイト」なる名前を持つ色黒のナディン・ホワイト記者も怒っていた。何しろ、王室にはメーガ妃の人種を嫌い、陰口を叩く者もいたから、有色系国民は社会にはびこる透明な差別に腹を立てている。メーガンとヘンリー王子が協力するNetflixの番組に、英米の黒人が殊さら興味を示すのも、日頃からイギリス白人に恨みを抱き、白人社会の華夷秩序に不満を募らせているからだろう。いくら学校で多民族主義や多文化主義を刷り込まれても、白人生徒の中には本能的に反撥する者も出てくるし、声だかに反対しない白人でも、心の底では「違和感」や「侮蔑心」を抱いているから、アフリカ系国民は白人の偽善を解っているのだ。
そもそも、有色移民の1世達は、「より良い生活」や「輝ける将来」を求めてドイツやフランス、ブリテンにやって来る。だが、受け容れる現地人からすれば、迷惑以外の何物でもない。移民や難民を支援する人権活動家や左翼団体は、自分勝手な正義感を振りかざして異民族を引き入れるが、その彼らだって私生活の実態は怪しく、本当に異人種を受け容れているのか甚だ疑問である。人種が違う者同士は離れて暮らすのが一番。もし、民族紛争を未然に防ぎたいのであれば、白人と黒人を混ぜないことだ。
日本人の多くは、アフリカ人やアジア人を遠ざけ、有色移民を嫌うイギリス人に「正義の礫(つぶて)」を投げつけるが、どうして清く正しい日本人は、銭目当てで入国する移民を批判しないのか? もちろん、低賃金労働者を求める企業経営者だって悪い。しかし、国家への忠誠心とか愛国心が、銭儲けや就職に基づいているなんておかしい。だいたい、アラブ人やアフリカ人は、どうして自分の祖国を良くしようと思わず、仲間を見棄ててイングランドへ潜り込もうとするのか? 彼らはイギリス人が移民の圧余力に弱く、一旦入国できれば、補助金や社会福祉が安易に手に入ると判っているから、桃源郷のイングランドを目指しているのだろう。ついでに言えば、密入国を手引きするブローカーも大金を手にできるから大喜び。
アフリカ人やアジア人の移民というのは、同胞を見限って上等民族を選ぶ裏切者だ。彼らは白人を非難するくせに、矢鱈と白人国家に住みたがる。「人権」とやらを掲げて移民局から定住許可をもらい、身分が安泰となるや、彼らは次第に優越民族への不満を投げつけるようになる。左翼白人の助っ人を得た有色移民は、街頭に繰り出して「人種差別反対 !」と喚き散らす。
しかし、移民の子供はもっと過激になる。彼らは「生まれながらのブリテン国民」なのに、学校の白人達からは「外人」扱いだ。歴史の授業で「英国史」を学んでも、「外国史」にしか思えず、愛国人なんか微塵も無い。さらに厄介なのは、親を恨む前にイングランド社会全体を恨むようになることだ。英国の植民地主義や帝国主義を糾弾する黒人が多いのは、小さい頃から屈辱感を蓄積しているからだろう。彼らは鏡に映る自分自身の顔が嫌いで、自分の「祖国」が何処なのか判らない。白人に対する劣等感は、倫理道徳による白人批判で消去する。アフリカに住んでいれば、黒人であることを恥ずかしく思わないのに、親がヨーロッパ諸国に移り住んだから、その子供達は無理矢理、「祖国とは全く違う異国」で過ごすことになるのだ。
日本の白人批判者は気づいていないが、彼らは劣等感に苛まれている。どうして「イギリス人だらけのイングランド」が悪いのか? 江戸時代の日本では、何処の藩も日本人だらけだったが、「日本人ばかりで困った、どうしよう?!」と嘆く者は居なかった。留学や商売でイングランドに移り住んだ日本人は、現地の白人から歓迎されなかったり、人種が原因で排除されれば、逆上して白人批判の急先鋒となる。英語が拙く、それを小馬鹿にされると、平等主義者か左翼への転向だ。だいたい、バカにされるのが厭なら、最初から英国へ行かなきゃいいじゃないか。日本で平和に暮らせばいいのに、勝手な夢を抱いて渡英するから、予想外の不幸を味わってしまうのだ。
それに、アフリカ人やアジア人の方だって悪いだろう。どうして彼らは祖国の発展のために働かないのか? 英国へ渡ってくる支那人やインド人は、イギリス人による差別を糾弾するが、白人を非難する前に自分の故郷を良くすることが先だろう。確かに、イギリス人は旧植民地の原住民を馬鹿にする。しかし、英国へ移住した現地人だって、自国の後進性や不甲斐なさ、惨めな生活水準を認めて、そこから脱出したんじゃないか? 同胞の無能力さに嫌気が差して英国へ渡ってきた訳だから、移民は植民地を馬鹿にするイギリス人を非難できまい。もし、イギリス人に反撥するのであれば、家族を連れて祖国に戻り、一族全員で故郷を素晴らしくすればいいじゃないか ! どうしてブリテン島に留まって、白人の悪口を述べているのか?
(左 : 西歐諸国へ押し寄せるアフリカ難民 / 中央 : 1960年代「ミニ・スカートの女王」として来日し、トヨタ2000GTのモデルにもなった英国人歌手のツィギー / 右 : 移民の流入に警告を発し、左翼から糾弾された政治家、イノック・パウェル)
第二次世界大戦で「勝者」となったブリテン王国は、ナチ・ドイツを倒したことで有頂天になっていたが、異民族が増えたことで同質社会の重要性に気づくようになった。皮肉なことに、冷酷なゲルマン人がイングランドで増殖したって困らないのに、助けてやったユダヤ人が増えると不愉快になる。そして、このタカリ民族が有色移民を引き込むと、更にナショナリズムに目覚めるイギリス人が増える結果になってしまった。所謂「右翼」がなぜ増えるのか? それは、学校で洗脳されていない正常なイギリス人が、祖国の危機に目覚め、イングランドが「誰の国」なのかを考えるようになったからだ。
しかし、現在の「恐ろしいイングランド(horrible England)」が陽気な祖国、すなわち「メリー・イングランド(Merry England)」に戻ることは、ほぼ不可能だ。我が国も徐々に「アジア的日本」になっており、あと1世代(30年)を経れば、「日本的日本」、つまり「日系日本人の故郷」に戻ることができなくなる。たぶん、令和で「日本人が主体の日本」は消滅するのかも・・・。
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(左 : スーザン・ハッセイ男爵夫人 / 右 : イングランド女王エリザベス2世 )
「口は禍(わざわい)の元」と言うが、ブリテンでも同じようで、廷臣のレイディー・スーザン・ハッセイ(Lady Susan Hussey)が、レイシスト発言で馘首となった。83歳になるレイディー・ハッセイは、60年間もイングランド王室に仕え、先ほど亡くなった女王エリザベス2世の侍女でもあった。そのうえ、彼女はプリンス・オブ・ウェイルズとなったウィリアム王子の代母(godmother)であるというから、これまた凄い。レイディー・ハッセイは国王になったチャールズ3世とも親しく、人呼んで「筆頭女官(No.1 Head Girl)」と呼ばれているそうだ。(Caroline Davies, 'Lady Hussey's racist remarks will take an already bruised papalce two steps back', The Guardian, 30 November 2022.)
今回、騒動となった事件は、バッキンガム宮殿で催された歓迎会でその火蓋が切られた。様々な活動家を集めたレセプションで、レイディー・ハッセイはゴジ・フラニ(Ngozi Fulani)という黒人女性に出自を尋ねたという。質問を受けたフラニ氏は「シスタ・スペース(Stistah Space)」という慈善団体の主幹で、家庭内暴力に苦しむ女性を支援しているそうだ。
( 左 / ゴジ・フラニ )
偶然というのは、フォルトゥナ(運命の女神)が転がすサイコロのようなものだ。フラニ氏が宮殿に辿り着いてから10分後、彼女は絵画ギャラリーの会場でレイディー・ハッセイに出くわす。異質な者同士の雑談というのは、地雷の上でのダンスと似ている。レイディー・ハッセイはフラニ氏に向かって「あなたは何処から来たの?(Where are you from?)」と尋ねたそうだ。すると、フラニ氏は「シスタ・スペース(Sistah Space)です」と答えた。しかし、レイディー・ハッセイは頷かず、「違うのよ、何処から来たの?」と再び訊き直した。そこでフラニ氏は言葉を付け加え、「私達の団体はハックニー(Hacckney)にあるんです」と答えた。
しかし、この答えも的外れであった。レイディー・ハッセは質問の方法を変え、「あなたはアフリカのどの地域から来たの?」と尋ねたそうだ。フラニ氏は言う。「判りません。記録が一つも無いんです」と。すると、レイディー・ハッセイは「そう、でも、何処から来たのか知るべきよ。私はフランスに居たことがあるの。あなたは何処から?」この質問の意味が解らなかったのか、フラニ氏は「ここ、ブリテン(UK)です」と答えてしまった。
またもや、期待した答えを得られなかったレイディー・ハッセイは、「いえ、違うわ。どの国籍なの?」と聞き返した。もはや禅問答の様相だが、フラニ氏は再び答え、「私はここで生まれ、ブリテン人なんです(I am born here and am British.)」と言い返した。ところが、レイディー・ハッセイは全く納得せず、「いえ、そうじゃなくて、本当は何処から来たの? あなたの同胞は何処から?」と問い質した。
まるで途方に暮れたように、フラニ氏は戸惑ってしまった。「あのぉ~、私の仲間って何ですか?」と彼女は尋ねる。満足できる答えを引き出せなかったレイディー・ハッセイは、どうしてもフラニ氏の素性を知りたかったようで、しつこく問い質した。一方、フラニ氏も意固地になっていたようで、「奥様、私はブリテン国民(British national)で、両親は1950年代にやって来て・・・・」と言いかけた。すると、レイディー・ハッセイは、やっとの事で回答を摑んだのか、「あら、やっぱり・・・あなたカリビアン(Caribbean)なのね !」と大喜び。でも、フラニ氏は御機嫌斜めで、「否、奥様、私はカリブ系の末裔で、アフリカ人の遺産を受け継ぐブリテン国民なんです」と反撥したそうだ。(Laura Elston and Josh Salisbury, 'Prince William condemns unacceptable comments from godmother Lady Susan Hussey to Buckingham Palace guest', Evening Standard, 1 December 2022.)
この遣り取りは主流メディアで瞬く間に報道され、「人種差別的発言」として批判された。レイディー・ハッセイの発言に関しては、さすがにウィリアム王子も擁護できなかったそうで、「容認できない(unacceptable)」との声明を発表していた。他のヨーロッパ諸国でもそうだが、貴族というのは民衆の感情に敏感だ。たとえ嘘でも、一般国民から非難されぬよう、上手に“建前”や“綺麗事”で身を守ろうとする。一般的にヨーロッパの上流階級は、「外でリベラル、家で保守派」というのが定番だ。
(左 : 若い頃のエリザベス女王とフィリップ殿下 / 中央 : ウィリアム王子とキャサリン妃 / 右 : レイディー・ハッセイ )
イングランドの王侯貴族も、やはり大衆迎合が公務の“十八番(おはこ)”となっている。レイシスト的発言は御法度。特に、黒人への皮肉や嫌悪に関しては、必ず「非難」することになっている。本音を言えば、レディー・ハッセイの質問なんて、ごく普通の反応だ。どこの宮廷にもスノッブ的侍従がいるから、それらを一人一人審査すれば、ほとんどの廷臣はクビになり、宮殿の側近は飼い猫だけという事態になってしまうだろう。たぶん、ウィリアム王太子にとったら、レイディー・ハッセイは春日局みたいな存在な野かも知れない。しかし、世間の手前、曖昧な態度は取れないから、「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」といった処分にしたんじゃないか? それに、叱責されたレイディー・ハッセイも解っているから、ウィリアム王太子やチャールズ国王の批判に激怒せず、「大衆向けの演技」と思っているはずだ。
「非ゲルマン系」が増殖するイングランド
日本のマスコミは藝者に伴う太鼓持ちみたいな存在だ。英国の報道を聞きつけると、パブロフの犬みたいに「人種差別は赦せない !」と吠える。ワイドショーの解説者は、いつもの正義感を燃やしているんだろうが、常識的な日本人であれば「お気の毒に」と思ってしまうだろう。なぜなら、レディー・ハッセイは見るからに「先祖代々のイギリス人」といった風貌で、フラニ氏の方は明らかに“非イギリス的”な「アフリカ移民」にしか見えないからだ。このフラニ氏を目にして、アングロ・サクソン系、あるいはヨーロッパ系の「ブリテン人」と考える日本人は、まず居ないだろう。もし、夏目漱石や伊藤博文が現代に蘇り、移民で溢れたロンドンやルトン(Luton)、スロー(Slough)、ピーターボロー(Peterborough)を目の当たりにしたら、「ここはイスタンブールか? はたまたナイロビなのか?」と疑ってしまうだろう。
そもそも、イングランドは「アングル人の国」を意味する。デンマークのユトランド半島からは、シュレスヴィッヒ・ホルシュタインの民族だけじゃなく、ザクセン人やジュート人、フリジア人のほか、ノルマン民族たるデイン人やスカンジナヴィアのヴァイキングも渡ってきて「ブリテン人」となっていた。これらの侵略者は似たり寄ったりの外見を持ち、言語だって似たような文法に則っている。仏語や英語に分かれていても、両方とも西ゲルマン語族に属しているから、「方言」みたいなものだ。
もしかすると、和辻哲郎の元ネタかも知れないが、『History of Civilization in England』を書いたトマス・バックル(Henry Thomas Buckle)は、多言語の才能があったようで、読むだけなら18ヶ国語、会話能の面では六ヶ国語も話せたという。しかし、イギリス人がフランス語やドイツ語、イタリア語、スペイン語、スウェーデン語を話せたからといっても、そんなのは姉妹語を習得したに過ぎず、ゲルマン語とは関係の無いアラビア語やヒンドゥー語なら話は別だ。それに、文法や語彙が全く違う日本語を勉強するとなれば、西洋人は卒倒してしまうだろう。日本人でもバックルの真似はできる。薩摩弁や博多弁、大阪弁、名古屋弁、秋田弁をマスターすれば多言語話者(polyglot)と同じだ。(でも、実際にそんな人がいれば凄い。) イングランドに移住したオランダ人やドイツ人が、ちょっと風変わりなアクセントで英語を話したって誰も気にしないだろう。
(左 : トマス・バックル / 中央 毛ウィリアム3世 / 右 毛ゲオルグ1世 )
英国史を勉強した人なら解ると思うが、イングランドの貴族階級はヨーロッパ貴族と親戚になっている。例えば、ネーデルラントからイングランドへやって来たオラニエ公(Grafschaft Orange)のウィリアム3世(Willem Hendrick van Oranje)なんか、プロイセン侯爵でブランデンブルク選帝侯のフリードリヒ・ウィルヘルム(Friedrich Wilhelm Brandenburg)が後見人だったから、オランダ語やドイツ語のちゃんぽん生活だった。イングランド国王となったウィリアムが、どのような英語を喋っていたのか分からないけど、彼が英語をマスターするのに10年もかかったとは思えない。(日本人だと10年でも無理な人が居る。) ハノーヴァーからやって来たゲオルグ1世(Georg Ludwig von Branschweig-Lüneburg)は、根っからのドイツ人で、英語を喋る気なんか更々なかった。この王様はイギリス人の側近とラテン語で話すくらい。
(左 / エジンバラ公爵のフィリップ殿下)
日本の観光客は、アイルランドやスコットランドのケルト人でさえ区別が附かないから、故・エジンバラ公爵のフィリップ殿下をスコット人と勘違いしていた。まさか、ギリシアからやって来たデンマーク貴族とは思っていなかったから、生粋のイギリス人と勘違いしていたんじゃないか? 令和の高校生や大学生だと、マウントバッテン卿の実家である「バッテンベルク家(Battenberg)」とか、デンマーク王国の「グリュックスベルク家(Glücksburg)」と聞いても、何処の貴族なのか判らない。戦前の日本人なら、ビルマ総督のマウントバッテン卿を知っていた。
ウェイルズ(外人の土地)のプリンスとなったウィリアム王太子が、祖先のドイツ語を話せるのかどうか判らぬが、側近にデイン人やゲルマン人がいてもおかしくはない。たとえ、バッキンガム宮殿やウィンザー城にザクセン人がウロウロしていても、何ら不思議はなく、「誰かのコネで入った人かなぁ~?」と思うくらいだ。亡くなったダイアナ妃はスペンサー伯爵家の御令嬢だったが、当時のイギリス人からすれば、「へぇ~、イギリス人のプリンセスなんて珍しいなぁ~」といった感じだった。たいていの姫様は、デンマーク貴族とかベルギー貴族、あるいはハプスブルク系統の貴族だから、地元の貴族なんて久しぶりだった。
(左 : ダイアナ妃 / 中央 : ロッテルダムのエラスムス / 右 : トマス・モア卿)
普通の日本人は日本人と結婚するから、アジア系混血児なんて珍しいし、従兄弟や伯父がインド人とかベトナム人とかは滅多にない。でも、イギリス人とヨーロッパ人はキリスト教世界に属し、貴族や商人はもちろんのこと、司祭や学者の交流も盛んだ。ロッテルダムのエラスムス(Desiderius Erasmus Roterodams)がロンドンのトマス・モア卿(Sir Thomas Moore)と親交を結び、ラテン語の書簡を交換しても不思議じゃなかった。中世ヨーロッパではラテン語が共通語で、外交官はフランス語を話すのが普通だったから、イングランド女王のエリザベス2世やスコットランド女王のメアリー・スチュアートもフランス語を流暢に話していた。日本の皇后が支那語を流暢に話す光景なんて想像できない。
ヨーロッパ人は容姿も似通っているので、黙っていると何人なのか判らない。例えば、オランダ人ミュージジャンのキャンディー・ダルファ(Candy Dulfer)や、「ヴォーグ」モデルのアマンダ・ノルガード(Amanda Norgaard)が、ケムブリッジの街を歩いていても違和感は無いし、人気TVドラマ『ザ・ラスト・キングドム(The Last Kingdom)』で「スケーイド(Skade)」役を演じたティア・ソフィー・ロック・ナス(Thea Sofie Loch Naess)は、ノルウェーの女優だった。大ヒットのTVドラマ『ヴァイキングズ(Vikings)』に出演し、一躍有名人となったキャサリン・ウィニック(Kathryn Winnick)も外国人で、ウクライナ系のカナダ人である。だが、この外国人もアイリス人やスコット人と間違ってしまうほどの白人女性で、イギリス人が同国人と勘違いしてもおかしくはない。また、ヴァイキングのようにイーストアングリアに上陸しても、地元民は気づかないし、日本に来たら英語の教師になれるだろう。
(左 : キャンディー・ダルファ / アマンダ・ノルガード / ティア・ソフィー・ロック・ナス / 右 : キャサリン・ウィニック )
ところが、近年のイングランドは異国の様相を呈している。英国の名物映画である「007」シリーズでは、非イギリス系のボンドガールが珍しくなく、北アフリカ系の女優だって採用されている。例えば、『Sky Fall』ではナオミ・ハリス(Naomie Melanie Harris)が「マニーペニー」役で起用されたし、『NoTime to Die』ではラシャナ・リンチ(Lashana Lynch)が新たな「007」になっていた。時代劇も酷く、ヘンリー8世の王妃「アン・ボーリン(Anne Boelyn)」を演じたのは、黒光りの女優、ジョディー・ターナー・スミス(Jodi Turner-Smith)であった。いくら「多様性に富むイギリス社会」を反映させるといっても、こんな配役じゃ当のイギリス人だって驚く。
(左 : ナオミ・ハリス / 中央 : ラシャナ・リンチ / 右 : ジョディー・ターナー・スミス)
ただし、『The World Is Not Eough』のソフィー・マルソー(Sophie Marceau)とか、『No Time to Die』に出演したレア・セドウ(Léa Seydoux)は別。確かに、彼女達は「異国人」であったが、二人ともフランス人女優だからOK。『Quantum of Solace(慰めの報酬)』に出演したオルガ・キュリレンコ(Olga Kurylenko)も容認されるだろう。彼女はフランス国籍を持っているが、民族的にはロシア人とウクライナ人の混血児。しかし、彼女もヨーロッパ人に見えるから問題無し。「007」シリーズで如何にも「イギリス人」らしいと思えるのは、スコット人のショーン・コネリーより、「M」役で好評を博したジュディー・デンチ(Judi Dench)の方だろう。実際、英国の官僚組織ではデンチのような中年女性が普通だし、食堂や雑貨店のオバちゃんも彼女みたいなタイプが多い。
(左 : ソフィー・マルソー / レア・セドウ / オルガ・キュリレンコ / 右 : ジュディー・デンチ )
脱線したので話を戻す。英国の記事を読んだ日本の読者は、レイディー・ハッセイを「酷いバアさんだなぁ~」と思ってしまうが、親子代々のイギリス国民にしたら、「なんで、フラニみたいな奴らがイギリス国民なんだ !」と怒りが込み上げてくる。両親や祖父母、曾祖父母を遡ってもイギリス人、あるいは西歐人という「イギリス臣民」なら、アフリカの黒人や中東アジアのアラブ人、トルコやイラクのイスラム教徒なんて「イギリス人」じゃない。たとえ、「ブリテン国籍」を取得しても、彼らはイギリス国民の“仲間”になれないし、その息子や娘がイングランドで生まれ育っても、「移民2世」「移民3世」といった扱いだ。運良くパブリック・スクールに通えても、イギリス人の“同胞”とはならない。
テレビ局のキャスターやディレクターは、「差別はいけません」と説教するが、局内では身分序列が激しい。電通の社員なんか大威張りで歩いていたじゃないか ! 神様みたいなスポンサー企業にも序列があるし、大企業の御子息はコネ採用で一発合格だ。合併直後の「みずほ銀行」だって、「一勧系」と「富士系」の社員は、「同社の仲良し」といった感覚は無く、“縦割り派閥”の意識を持っていた。朝日新聞だって「部族社会」と大差は無く、格下の産経新聞から記者が移籍しても、こんな奴は「劣等生」扱いだろう。
レイディー・ハッセイのような高齢者(70から80歳代)は、「古き良きイングランド」を知っている世代だ。おそらく、第12第ウォルドグレイヴ伯爵家(Earl of Waldgrave)の御令嬢であるスーザン・キャサリン(Susan Katherine)は、第二次世界大戦前の生まれで、白人ばかりの学校やクラブで過ごしてきたのだろう。(彼女はBBCの重役を務めていたMarmaduke James Hussey 男爵と結婚したので、「ハッセイ男爵夫人」となっている。) 1970年代前のパブリック・スクールでは、ジャマイカ人の同窓生なんて考えられなかったし、アラブ人の教師などは採用されなかった。当時、西歐系の白人女性がケニア人とかパキ人といった有色人種と結婚すれば、何処に行っても奇異な目で見つめられるし、親兄弟は異人種混淆に反対するから、勘当を覚悟での結婚になる。アシュケナージ系のユダヤ人だって毛嫌いされていたから、トルコ人やシリア人との結婚なんて論外だ。
(左 : ハッセイ男爵と若い頃のスーザン・ハッセイ夫人 / 中央 : ダイアナ妃とハッセイ夫人 / 右 : カミラ人と一緒のハッセイ夫人 )
レイディー・ハッセイとフラニ氏との会話で特筆すべきは、フラニ氏が「ブリテン国籍(British nationality)」や「ブリテン人(British)」を口にしていた点である。現代の英国では、「イギリス人」というアイデンティティー(自己識別)よりも、「ブリテン人」という名称が好まれている。なぜなら、イングランドに住む「連合王国の公民」には、スコットランドやアイルランドの公民(citizen)が混ざっているからだ。地元意識が強く、独立心も旺盛なスッコト人やアイリス人は、「イギリス人」と称したくないので、「ブリテン連合王国の構成員(British citizen)」というアイデンティティーの方を選んでしまう。
「移民」や「難民」としてやって来たアジア人やアフリカ人、そして昔からの「居候」であるユダヤ人も、「イギリス人」でないから「ブリテン国民」と称した方が安心できる。いくら多民族主義が普及したとはいえ、バングラディッシュやパキスタンからの移民や帰化人が、「私はアングル人です」と称せば、「何をほざいてやがる !」と言いたくなるじゃないか。アングロ・サクソン系の国民からすれば民族の偽装は赦しがたく、「お前なんかイギリス人じゃねえぞ ! 」と否定するだろう。
( 左 : 船で地中海を漂流し、ヨーロッパを目指すアフリカ人 / 右 : 第二次世界大戦で難民となったユダヤ人 )
アジア系帰化人が増える現代の日本でも同じで、裕福な帰化鮮人が「神戸生まれの芦屋育ち」を自慢したって、尼崎の日系人は「何言ってやがんだ !」と吐き捨てるし、竹中組(姫路の暴力団)のヤクザって「鮮人野郎の分際で、なに上品ぶってんだ?!」と馬鹿にするだろう。京都で生まれ育った帰化支那人の息子も同じような「差別」に遭うかも知れない。たとえ、「洛中」に住む高学歴の紳士でも、所詮は支那人だ。仮に、中京(なかぎょう)にある老舗和菓子店があったとして、そこに生まれたお坊ちゃんが、嵯峨の住人をちょっとコケにしても赦されるが、「京都生まれ」を自慢する支那人が日本人に対して言えば、「テメェ~、ふざけんじゃねぇぞ !」と言いたくなるだろう。これは有り得ない話だけど、上京区や下京区に住む帰化鮮人が、宇治や亀岡に住む日系人に向かって「あそこは京都なの?」と茶化せば、烈火の如く怒るんじゃないか? 筆者も京都見物をする時に、支那系や朝鮮系の観光ガイドじゃ厭だ。
脱線したので話を戻す。異質な移民を受け容れることは、自ら進んで“災禍(わざわい)”を招くようなものだ。レイディー・ハッセイからの審問を受けたフラニ氏は、「尋問(interrogation)を受けた !とか、「許可無く髪を触られた !」と言い立てる。(Nadine White, 'Is anyone really surprised by racist remarks at the palace?', The Independent, 1 December 2022.) 確かに、ジャマイカ系やアフリカ系の「ブリテン国民」が、こうした侮辱を耳にすればフラニ氏に同情し、傲慢な白人に対しては敵意を抱く。たぶん、多くの黒いブリテン国民は、「レイシスト的攻撃だ !」と述べて激昂するに違いない。
(左 : 差別被害者となったゴジ・フラニ / 中央 : ナディン・ホワイト / 右 : ブリテンのアフリカ系国民)
事実、「ホワイト」なる名前を持つ色黒のナディン・ホワイト記者も怒っていた。何しろ、王室にはメーガ妃の人種を嫌い、陰口を叩く者もいたから、有色系国民は社会にはびこる透明な差別に腹を立てている。メーガンとヘンリー王子が協力するNetflixの番組に、英米の黒人が殊さら興味を示すのも、日頃からイギリス白人に恨みを抱き、白人社会の華夷秩序に不満を募らせているからだろう。いくら学校で多民族主義や多文化主義を刷り込まれても、白人生徒の中には本能的に反撥する者も出てくるし、声だかに反対しない白人でも、心の底では「違和感」や「侮蔑心」を抱いているから、アフリカ系国民は白人の偽善を解っているのだ。
そもそも、有色移民の1世達は、「より良い生活」や「輝ける将来」を求めてドイツやフランス、ブリテンにやって来る。だが、受け容れる現地人からすれば、迷惑以外の何物でもない。移民や難民を支援する人権活動家や左翼団体は、自分勝手な正義感を振りかざして異民族を引き入れるが、その彼らだって私生活の実態は怪しく、本当に異人種を受け容れているのか甚だ疑問である。人種が違う者同士は離れて暮らすのが一番。もし、民族紛争を未然に防ぎたいのであれば、白人と黒人を混ぜないことだ。
日本人の多くは、アフリカ人やアジア人を遠ざけ、有色移民を嫌うイギリス人に「正義の礫(つぶて)」を投げつけるが、どうして清く正しい日本人は、銭目当てで入国する移民を批判しないのか? もちろん、低賃金労働者を求める企業経営者だって悪い。しかし、国家への忠誠心とか愛国心が、銭儲けや就職に基づいているなんておかしい。だいたい、アラブ人やアフリカ人は、どうして自分の祖国を良くしようと思わず、仲間を見棄ててイングランドへ潜り込もうとするのか? 彼らはイギリス人が移民の圧余力に弱く、一旦入国できれば、補助金や社会福祉が安易に手に入ると判っているから、桃源郷のイングランドを目指しているのだろう。ついでに言えば、密入国を手引きするブローカーも大金を手にできるから大喜び。
アフリカ人やアジア人の移民というのは、同胞を見限って上等民族を選ぶ裏切者だ。彼らは白人を非難するくせに、矢鱈と白人国家に住みたがる。「人権」とやらを掲げて移民局から定住許可をもらい、身分が安泰となるや、彼らは次第に優越民族への不満を投げつけるようになる。左翼白人の助っ人を得た有色移民は、街頭に繰り出して「人種差別反対 !」と喚き散らす。
しかし、移民の子供はもっと過激になる。彼らは「生まれながらのブリテン国民」なのに、学校の白人達からは「外人」扱いだ。歴史の授業で「英国史」を学んでも、「外国史」にしか思えず、愛国人なんか微塵も無い。さらに厄介なのは、親を恨む前にイングランド社会全体を恨むようになることだ。英国の植民地主義や帝国主義を糾弾する黒人が多いのは、小さい頃から屈辱感を蓄積しているからだろう。彼らは鏡に映る自分自身の顔が嫌いで、自分の「祖国」が何処なのか判らない。白人に対する劣等感は、倫理道徳による白人批判で消去する。アフリカに住んでいれば、黒人であることを恥ずかしく思わないのに、親がヨーロッパ諸国に移り住んだから、その子供達は無理矢理、「祖国とは全く違う異国」で過ごすことになるのだ。
日本の白人批判者は気づいていないが、彼らは劣等感に苛まれている。どうして「イギリス人だらけのイングランド」が悪いのか? 江戸時代の日本では、何処の藩も日本人だらけだったが、「日本人ばかりで困った、どうしよう?!」と嘆く者は居なかった。留学や商売でイングランドに移り住んだ日本人は、現地の白人から歓迎されなかったり、人種が原因で排除されれば、逆上して白人批判の急先鋒となる。英語が拙く、それを小馬鹿にされると、平等主義者か左翼への転向だ。だいたい、バカにされるのが厭なら、最初から英国へ行かなきゃいいじゃないか。日本で平和に暮らせばいいのに、勝手な夢を抱いて渡英するから、予想外の不幸を味わってしまうのだ。
それに、アフリカ人やアジア人の方だって悪いだろう。どうして彼らは祖国の発展のために働かないのか? 英国へ渡ってくる支那人やインド人は、イギリス人による差別を糾弾するが、白人を非難する前に自分の故郷を良くすることが先だろう。確かに、イギリス人は旧植民地の原住民を馬鹿にする。しかし、英国へ移住した現地人だって、自国の後進性や不甲斐なさ、惨めな生活水準を認めて、そこから脱出したんじゃないか? 同胞の無能力さに嫌気が差して英国へ渡ってきた訳だから、移民は植民地を馬鹿にするイギリス人を非難できまい。もし、イギリス人に反撥するのであれば、家族を連れて祖国に戻り、一族全員で故郷を素晴らしくすればいいじゃないか ! どうしてブリテン島に留まって、白人の悪口を述べているのか?
(左 : 西歐諸国へ押し寄せるアフリカ難民 / 中央 : 1960年代「ミニ・スカートの女王」として来日し、トヨタ2000GTのモデルにもなった英国人歌手のツィギー / 右 : 移民の流入に警告を発し、左翼から糾弾された政治家、イノック・パウェル)
第二次世界大戦で「勝者」となったブリテン王国は、ナチ・ドイツを倒したことで有頂天になっていたが、異民族が増えたことで同質社会の重要性に気づくようになった。皮肉なことに、冷酷なゲルマン人がイングランドで増殖したって困らないのに、助けてやったユダヤ人が増えると不愉快になる。そして、このタカリ民族が有色移民を引き込むと、更にナショナリズムに目覚めるイギリス人が増える結果になってしまった。所謂「右翼」がなぜ増えるのか? それは、学校で洗脳されていない正常なイギリス人が、祖国の危機に目覚め、イングランドが「誰の国」なのかを考えるようになったからだ。
しかし、現在の「恐ろしいイングランド(horrible England)」が陽気な祖国、すなわち「メリー・イングランド(Merry England)」に戻ることは、ほぼ不可能だ。我が国も徐々に「アジア的日本」になっており、あと1世代(30年)を経れば、「日本的日本」、つまり「日系日本人の故郷」に戻ることができなくなる。たぶん、令和で「日本人が主体の日本」は消滅するのかも・・・。
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