無敵の太陽

主要マスメディアでは解説されない政治問題・文化・社会現象などを論評する。固定観念では分からない問題を黒木頼景が明確に論ずる。

社会問題

レーニンの命を狙った兇弾 / 個人の独立を奪う銃規制

国民から武器と抵抗を奪え !

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(左 : 米国にあるミリシアの彫像  /  右 : アメリカの民兵組織)

  日本人が独立の精神を失ってから久しい。昔の日本には武士がいて、外国人に屈服しない根性があった。しかし、大東亜戦争で敗北を喫した日本人は、国家の命運すらをアメリカに丸投げし、邦人救出も放棄する卑劣な民族に成り下がってしまった。特に、法学部を出た若者は屁理屈だけは一丁前だが、実際の政治となれば稚児に等しい。だいたい、“仕置き”の「詫び状」を「平和憲法」と崇め、「もし廃止すれば大変なことになる」と思っているんだから呆れてしまうじゃないか。高等教育を受けた愚者は他にも大勢いて、内閣法制局長官の憲法解釈を拝聴する政治家や知識人は救いようがない。あんな役人が口にする「解釈」が、そんなに重要なのか?

  昔、『ブッシュマン』という映画が上映され、滑稽なシーンが遭ったのを覚えている。原始的生活を営むブッシュマンは、西歐人がセスナから投げ捨てた空き瓶を見つけて「何だろう?」と不思議がる。村のみんなは、天空から降ってきた透明な物体に興味津々。瓶を前にしての討論が始まる。そして、ある者は指を瓶の口に挿入するし、別の者は瓶を磨いて宝物扱い。村の女達は、丁度いいと思ったのか、穀物を潰すための道具にしていた。日本人はこうした黒い裸族を見てゲラゲラ笑うが、マッカーサー憲法を不磨の大典とする進歩的知識人はこれと同じだ。ちょっと頭のいいアメリカ人からすれば、日本の大学教授や新聞の論説委員なんて南洋土人ていど。「日本国憲法」といっても、所詮は便所紙に記した「御触書」なのに、未開部族の日本人は有り難がっている。

  日本人が腑抜けになった原因は色々と考えられるが、軍隊を放棄したことは、かなりの痛手であった。なぜなら、日本人は自分の家族や同胞を自分で守らず、銭を払って他国に任せているからだ。大抵の日本人が「アンタは奴隷と同じ」とか、「奴隷根性の属州民だ」と聞けば、すかさず「俺は違うぞ !」と反撥する。しかし、自分の運命や生命を他人に預けているということは、明日どんなことをされるのか分からない、ということだ。来週、あるいは来月、自分がどうなっているのかは、御主人様(奴隷の保有者)の胸先三寸で決まってしまうから、普通ならば不安で堪らないだろう。でも、そんなことを真剣に考えていると、毎日が辛くなるので、一般の日本人は無意識的に考えないようにしている。

  これとは対照的に、独立した自由人は、闘いにおいて悲惨な目に遭っても、自分で選択したという誇りがある。たとえ、敵国との戦闘や外政交渉で劣勢になっても、脳漿を振り絞って何とか打開しようとするだろう。なぜなら、反撃を諦めて死ぬことや、敵に屈服して隷属することは、いとも簡単な解決法であるからだ。しかし、現在の日本人は、独立を「苦痛」と考えているから、屈辱を嘗めても平穏な日々を選ぶ。「命が第一」と教えられた民族は、戦争を自然災害のように考え、如何なる惨状を体験しても「しょうがないよなぁ~」と嘆くだけ。これなら、「インティファーダ(Intifada / 投石暴動・抵抗闘争)」に奔走するパレスチナ人のほうが、よっぽどマシである。

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(左 : 米国の海兵隊  /  右 : 日本の自衛隊 )

  日本国内で暢気に暮らしていると、国家の安全保障などは考えずに済むけど、外国で暮らしてみると、ふと「日本は異常だよなぁ~」と思うことがある。これは筆者が米国にいた時に見た夢の話なんだが、筆者がある退役曹長(海兵隊)に射撃を教えてもらっていた時のことだ。練習が終わって銃の手入れをしていた時、何となく「日本人、とりわけ自衛官は何を守るために戦うつもりなのか?」と素朴な疑問が湧いてきた。普通、狙撃を習っている人は、如何にして標的を射止めるかに夢中となる。しかし、相手も撃ち返してくるので、現実的には危険な状態を想定しなければならない。映画では主人公は最後まで生き延びてヒーローになるが、実戦ではベテラン兵も死角からRPG(擲弾砲)を撃ち込まれて吹き飛ばされたり、“お陀仏”になるという場合もある。

  だから、士卒は必死で訓練に励むし、何としても生き延びたいという本能的も研ぎ澄まされる。これは快適な教室で国際関係論とか戦略論を勉強している青瓢箪(あおびょうたん)には解らない。戦闘を真剣に学ぶ者は、自分の腕が切り落とされても、相手の急所を攻撃して仕留めようとする。実戦ではマニュアル通りにいかないし、作戦計画だって瞬時に白紙となってしまうことも多い。例えば、2011年、アフガニスタンのカブールで、米軍のヘリ「CH47D Chinook」がRPGで撃墜されてことがある。このヘリコプターには、Navy SEALs以外にも、陸軍や空軍の戦闘員も乗っており、31名が一瞬で死んでしまったのだ。現地の司令部は「まさか!」と驚いたが、悲劇の詳細は次第に明らかとなった。いくら、特殊部隊の精鋭でも、移動中のヘリを狙われれば、ひとたまりもない。ムジャヒディーン(Mujahideen)の奇襲は予想以上に恐ろしかった。

  我が国の自衛隊は厳しい訓練を積んでいるが、悲惨な結果を招く実際の戦闘は無い。警察よりも安全な軍隊なんておかしいけど、これが日本の現実だ。ただし、平時であっても、「自分の命をを懸けて守りたい祖国とは何なのか?」と考えておくべきだろう。一票乞食が赴く人民選挙だと、「どの候補者にも魅力は無いけど、まぁ、立憲民主党じゃマズいから自民党に入れとくか!」となる。しかし、自分の身体や家族の運命が懸かっていれば、そういった気楽な「選択」はできまい。宇宙人の鳩山由紀夫や北鮮の菅直人が首相になっても割と平気なのは、日本人に「当事者意識」が無いからだ。「誰が最高司令官になっても、自分の生活は変わらない」と思っていれば、政治に無関心でも当然だ。

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(写真  / 合衆国海兵隊の狙撃手 )

  ちょっと脱線するけど、アメリカで生活していると、日本人とは違った英語の言葉遣いに気づく。例えば、日本人はライフルに装着する消音器を「サイレンサー(silencer)」と呼ぶが、アメリカでは「サプレッサー(suppressor)」と呼ぶ人が多い。二つの名称に本質的な違いは無いんだけど、「サプレッサー」の方が、弾丸を発射した時に銃口から出る光を防ぐ、という意味合いが強い。また、日本人は「Beretta 92FS」や「Beretta 92A1」といった拳銃を手にした時、「ベレッタ」と呼んでしまうが、普通のアメリカ人だと「ブレッタ」に近い発音となる。(ちなみに、ベレッタM9シリーズは合衆国陸軍で採用されたので、結構人気の高い拳銃となっている。が、数年前、陸軍は公式採用拳銃を「ベレッタ」から「シグザウエル / Sig Sauer M17」に変えたそうだ。) 

  筆者が夢から覚めた時、ふと思ったのは、やはり銃(武器)の所持が個人の独立心と気概を保っているのかも知れない、ということであった。ArmaLite社のM16やHeckler & Koch社のHK416ライフルでもいいけど、5.56 x 45mm NATO弾とか7.62 x 51mm NATO弾をアサルト・ライフルに装填して射撃を行えば、多少は、戦闘の恐ろしさと訓練の重要さを知ることができる。最初はフル・オート射撃の振動や反動に驚く人もいるが、左翼教授の講義だけでは知り得ない「現実」を知ることができるし、実際の武器に触れるのも貴重な体験である。大学生の中には拒絶反応を示す人もいるだろうが、別の人はこうした別世界を実感することで、今までの平和教育や人権思想に疑問を抱くようになる。

  確かに、アメリカでは銃による犯罪や事故、さらに銃の氾濫による社会的不安も多い。それでも、保守派のアメリカ人が銃規制に抵抗するのは、「自分の身は自分で守る」という原則を貫きたいからだ。近年、合法・非合法の移民や難民が増えたから、都市部や遠隔地に住む中流階級の白人も、警察だけでは心許ないと思い始めている。何しろ、不審者が敷地に侵入したから警察に連絡しても、パトカーが到着するまでには何十分もかかってしまうから、一家の大黒柱は「ライフルか拳銃を一丁くらい持っておかなきゃ!」と考えても不思議じゃない。実際、ギャングやゴロツキによる殺人・強姦・掠奪が年々増えているから当然だ。例えば、南米からの不法移民は、襲撃しやすい高齢者世帯を狙うし、道端で見つけた「白い肉」を攫うこともある。我々には信じられないけど、ヒスパニックの犯罪者だと、老婆を強姦する変態もいるらしい。だから、実家を離れて暮らす息子や娘は、高齢の両親が襲われるかも、と不安になる。また、若い白人女性は格好の標的となるので、掠奪・強姦されないために拳銃を携帯する女性もいるそうだ。

  「刀狩り」の伝統が強い日本と違って、米国では自存自衛が主流だ。合衆国憲法修正第二条は武器の所有権を保障しているから、一般のアメリカ人でも気軽にウォルマートなどで武器を購入することができるきる。何しろ、独立戦争以前からアメリカにはミリシア(民兵)が存在するし、大学でROTC(Reserve Officer Training Corps / 予備役プログラム)に入る学生もいるくらいだから、重火器に対する拒絶感は日本人よりも少ない。とりわけ、南部や中西部の田舎だと、中学生の少女でも自衛本能が強く、父親と一緒に射撃場に赴いたりする。まるで、サマー・キャンプのイベントみたいに、女子高生がグロックやベレッタの拳銃を撃ったり、自前のAR15ライフルを持ち込んだりしているから、普通の日本人が見ればギョッとするはずだ。日本人の親からすれば、「危険なことには近づかない」というのが鉄則だから、小学生の娘が拳銃をぶっ放しているなんて想像できない。ところが、アメリカ人の親だと記念写真を撮ったりするから、平和教育を受けた日本人とは大違いだ。

レーニン暗殺未遂事件

Lenin 00321( 左 / ウラジミール・レーニン )
  厳しい銃規制を持つ日本人が「あれっ!!」と驚くのは、共産主義時代のロシアで銃規制があったことだ。今だと、気晴らしに銃をぶっ放すロシア人なんて珍しくもないが、ロシアで革命を成功させたウラジミール・レーニンは、人民から武器を取り上げ、政権安定のために反抗の芽を予め摘んでいた。というのも、ロマノフ王朝を倒したからといって、直ぐボルシェビキの天下となった訳じゃないからだ。案の定、1918年の春には内戦が勃発する。そこで、中央委員会は1918年4月1日に銃規制の法案を可決し、4月3日にはその修正案が通過し、銃の所持は許認可制となった。(Alan Zelman and Richard W. Stevens, Death by “Gun Control” : The Human Cost of Victim Disarmament, Hartford, WI : Mazel Freedom Press, 2001, p.160.)

  この銃規制では、武器を所有する者は、チェカ(Cheka / 秘密警察)が発行する許可証を取得しなければならない。1918年8月17日の法令では、党の中央委員会による新たな証明書が必要となり、武器の所有者は「同志(Comrade)」あるいは「党のメンバー」と認識されたそうである。つまり、銃を持っている同志は、地方委員会に登録されている仲間でなければならない、ということだ。ボルシェビキの幹部どもは、徹底した銃の押収に取り組み、武器を隠匿する者や押収に反対する者は、1年から10年の懲役刑になったそうだ。(上掲書、 p.163.) 12月10日に発布された法令により、返上されていない銃や使い物にならない銃を見つけた者には、政府から報奨金が与えられたという。また、違法な機関銃を見つけた者は、二倍の報奨金が貰えたそうだ。

Fanny Kaplan 001(左  / ファニー・カプラン )
  しかし、暴力革命で誕生した国家には、暴力という妖怪が取り憑いている。ボルシェビキの連中がいくら銃規制を厳しくしようとも、総ての同志が共産党に従順という訳ではない。レーニンやトロツキー達のクーデタに不満な者はあちこちに居て、その中の一人にファニー・カプラン(Fanny Efimovna Kaplan)という女性だがいた。彼女は大胆不敵にもレーニンの暗殺を謀ったのだ。1918年8月30日、レーニンはモスクワで工場労働者の前で演説を行った。スピーチが終わって会場を後にしたレーニンは、待っていた車に乗り込もうとするが、パン不足を訴えるカプランに呼び止められたという。群衆の中で声を上げるカプランは、隠し持っていたブローニング(拳銃)を取り出し、銃弾を三発、レーニンへぶち込んだ。最初の弾丸はレーニンの外套を擦(かす)るだけであったが、二発目は肩に当たり、三発目は左の胸に命中してしまった。(Martin Sixsmith, ‘Fanny Kaplan's Attempt to Kill Lenin’, in Tony Brenton, ed, Was Revolution Inevitable? : Turning Points of the Russian Revolution, Oxford : Oxford University Press, p.179.)

  不意を突かれたレーニンは、その場で意識を失い、瀕死の重体に陥ったらしい。レーニンの状態はかなり深刻であったが、党の要人は政権の安定を優先したので、レーニンの負傷はそれほど酷くない、というプロパガンダを発表した。真実を隠蔽する党の機関紙『プラウダ』も、お得意の偽情報を流す。レーニンは二発喰らったが、翌日には新聞を読み、世界革命の運動を指導していた、と報じたのである。しかし、現実は奇蹟の復活とは程遠く、呼吸するのも困難な状態だ。この後遺症はやがて心臓発作へと繋がって行く。それでも、悪い奴は結構しぶとく、レーニンはその後六年間も長生きした。この独裁者が死亡したのは1924年1月21日である。

  一方、現行犯で捕まったファニー・カプランは、札付きの社会主義者で、武闘派のユダヤ人ときている。一般的に知られる「Fanya Kaplan」という名前は革命用の偽名で、本名は「Feyga Chaimovna Roitblat」。当時でも、ウクライナ出身のユダヤ人極左なんて珍しくもないが、カプランは10代の頃から過激派であったというから凄い。さすが、極左思想に染まったユダヤ人は人並み外れている。彼女は16歳の時、アナーキストのヴィクトール・ガースキー(Viktor Garsky)に惚れてしまい、一緒にテロ活動をする間柄になったという。二人はツァーリ(皇帝)の支配を打倒すべく、ホテルの一室で爆弾を用意していた。ところが、何を間違ったのか、その爆弾を床に落としてしまい、即座に大爆発。ヴィクトールの方は無傷であったが、ファニーの方は爆発で顔や腕に重傷を負ってしまった。ヴィクトールは大騒ぎになった現場から逃走するが、負傷したファニーは目をやられてしまい、ほとんど見えない状態になってしまった。こうして、置き去りにされたファニーは現行犯逮捕。

  1907年1月5日、お縄になったファニーは裁判で死刑を宣告される。しかし、まだ若かったので減刑されることに。ただし、命拾いをしたとはいえ、シベリアにある強制労働所に送られたから、彼女の運命は苛酷である。マルツェフ収容所にぶち込まれたファニーは、丸裸にされ、容赦なく鞭で引っ叩かれた。(上掲書、p 181.) ロシア人の仕置きだから想像しただけでもゾッとするが、彼女の体には未だ爆風の破片が残っていたから、傷口に塩を擦り込むというより、塩酸を流し込むといった懲罰である。しかも、爆発のせいで半分耳が聞こえなかったし、視力もほとんど無かったというから、正しく生き地獄としか言い様がない。

  ところが、運命の女神は時たま悪女に微笑む。1917年、帝政ロシアでは二月革命が勃発し、ロマノフ王朝の最期となる。王侯貴族には悪夢のような衝撃だが、無政府主義者や社会主義者にとっては喜ばしい朗報だ。暫定政府のアレクサンドル・ケレンスキー(Alexander Kerensky)は、投獄された革命家や政治犯を釈放したので、ファニー・カプランも一緒にシャバに戻る事ができた。と言っても、筋金入りのユダヤ人極左が反省してカタギの生活に落ち着くことはない。社会主義の理想に燃えるカプランは、人民の同意を得ずに権力を握ったレーニンを心底憎む。(上掲書、p.185.) それゆえ、レーニンを「裏切者」呼ばわりするファニーは、拳銃を懐に忍ばせ、レーニンを弾(ハジ)こうとする。だが、この暗殺者は失敗した。犯行時のカプランは眼鏡を掛けていなかったので、ほとんど標的を見えていなかった。それでも、弾を胸に当てたんだから、何とも凄い。さすが、ユダヤ人は犯罪の優等生だ。

  とにかく、カプランの人生は悲惨である。せっかく強制労働所から釈放されたのに、またもや牢獄送りとなったんだから。ルビヤンカでの尋問は凄惨の一言に尽きる。残忍を絵に描いたチェカの連中が、「共犯者を吐け!」と拷問を繰り返したんだから、ゴジラだって泣いてしまうだろう。最終的にファニーは口を割り、クルスキーやスクリプニク、ディアコノフの名前を吐いた。こうなりゃ、後は処刑されるだけ。酷い拷問を受け、ファニーの顔面は色褪せ、彼女の人相は、「如何にもユダヤ人らしく、醜い顔つき」であったらしい。(上掲書、p.190.) 1918年9月3日、ついに彼女の人生は幕を閉じる。ファニー・カプランは地下室のガレージに連れ出され、後頭部を拳銃で撃ち抜かれたそうだ。この死刑には何の裁判も判決も無かったという。

  ロシア人民の叛逆を懼れたレーニンは、「同志」であるはずのプロレタリア国民から武器を取り上げた。しかし、革命の前、レーニンは武装蜂起を民衆に呼びかけていたのだ。武闘派のコミュニストにとって、資本家やブルジョワ商人、地主階級、帝政支持派などは「人間」ですらない。「革命の敵」は徹底的に滅ぼすのが鉄則だ。共産主義者のモットーに忠実なレーニンは、「便利なアホ」でしかない民衆に向かって、次のように叫ぶ。

  我々にはどんなミリシア(民兵)が必要なのか? 働く者総て、プロレタリアなのか? 生粋の人民によるミリシアだ。例えば、第一に、総ての成人国民、すなわち男女の人民から成る民兵。次に、人民軍の機能や警察の機能、ならびに社会秩序と行政組織を兼ね備えたミリシアだ。(Vladimir I. Lenin, ‘Letters from Afar : Third Letter Concerning a Proletarian Militia, on March 11(24), 1917’, in V.I.Lenin Collected Works, Volume 23, August 1916 - March 1917, Moscow : Progress Publishers, pp.327-328.)

  いやぁぁ~、共産主義者って、昔から二枚舌というか、都合によって言論を変えるよねぇ~。モスクワ本店の命令に従う「日本共産党」も同じで、選挙の時には「民主主義」とか「平和憲法」を口にするが、一旦、政権を握れば一党独裁政権に豹変する。刃向かう奴らは皆殺し。自衛隊は違憲だが、人民を弾圧する赤軍はOK。おそらく、不破哲三や志位和夫は詐欺に遭って激昂する民衆に向かって、「騙される方が悪いんだ !」と言い放つだろう。共産党の幹部にとって、民衆なんか使い捨ての道具に過ぎない。もし、共産党政権が誕生すれば、日本の労働者はもっと貧しくなり、“搾取”されるだけの家畜となるだろう。いくらプロレタリア独裁の理想社会になっても、みんなが等しく貧乏になれば、「格差社会の方が良かった」と嘆く人も出てくるんじゃないか。

  まぁ、現代の日本では、昔風の共産主義は到来しないだろう。しかし、別の形で息苦しい世の中になる可能性がある。目に見えない全体主義というのは恐ろしいけど、丸腰の民衆は現体制に服従するしかない。封建制を棄てた日本人は、核となる指導者(藩主)を持たないし、抵抗するだけの気力も無いから、選択肢の無い選挙を繰り返すのみ。現在の日本人は自分の命を懸けて守る「祖国」を持たないし、自己犠牲の意味すら理解できない。自分の家族なら真剣に考えるが、漠然とした国家になると他人事になってしまうのだ。

  ところが、支那人や朝鮮人は着実に我が国を乗っ取ろうと謀っている。豊富な資金を有する華僑は、緊縮財政や武漢ウイルスで疲弊した日本に上陸し、赤字経営に傾いた老舗企業を買収し、美しい観光地を買い漁っているそうだ。それでも、普通の日本国民は黙っている。国民国家や民族主義を「右翼用語」と思っている日本人は、近所にアジア人が増え出すことで、初めて異変に気づく。だが、小学校や職場で帰化人や混血児が増えても、ただ困惑するのみで、排斥運動や抗議活動に参加することはない。せいぜい出来るのは、別の場所に引っ越しをすることだけ。高額所得者は僻地に逃れて、要塞化された高級住宅地に閉じこもる。日本各地に支那人街や朝鮮コミュニティー、リトル・ハノイ、埼玉クルドスタン、ネオ・パキスタンなどが誕生すれば、日本は極東アジアに存在するメルティング・ポットになってしまうだろう。バラバラな個人が集まるだけのモザイク国家なんて冗談じゃない。

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(左 : ブリテンのパキスタン系住民  /  右 : オーストラリアのアジア系住民)

  独立の気概と尚武の精神を失った国民には、情けない未来と隷属の生活しかない。フィリピン人を見れば判るけど、属州民というのは、たとえ幾らかの小銭を持っていても、所詮、二流、三流の下人である。将来の日本で、多少、まともな保守主義が残っていても、守るべき祖国がアジア人との混淆社会じゃ厭になってくる。第一、日系人は何を守るべきなのか解っていないのだ。いくら日本各地に神社が残っていても、初詣や夏祭りにやって来る住民が、アジア人や混血児だらけなら、日本文化の維持なんて意味が無い。「日の丸」が国旗で、「君が代」が国歌でも、唄っているのがベトナム系や帰化鮮人の子供じゃ気分が落ち込むし、多民族社会の到来ということで、北京語バージョンの「君が代」が普通になったから、日本の国歌じゃないだろう。また、国防意識も低下するはず。だいたい、在日華僑のような政治家や、パチンコ屋の朝鮮人を守るために、自分の手足を失ってもいいと思う日系人は居るのか?

  日本人が勇敢に戦うのは、同じ民族を守る時だ。すなわち、自分の祖父母や曾祖父と同じ日本人の血を共有する仲間を救う場合である。日本共産党は未だに共産主義の幻想に縋っているが、皇室破壊を目標とする党員の何割が、自分の命を捧げて暴力革命に馳せ参じるのか? レーニン全集を読んだこともない若い党員じゃ無理だろう。何しろ、令和の共産党員ときたら、レーニンの演説には興味が無く、「ユーミンのアルバムなら全部持っているだけど・・・」と答えてしまうんだから。「ブハーリン」と聞いて「パンク・バンドか?」と聞き返す民青メンバーなんてコミュニストじゃない。白髪のベテラン党員は、押し入れからゲバ棒やヘルメットを取り出し、昔を懐かしみながら涙を流すかも知れないぞ。
 
  

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配偶者選びは難しい / 結婚相手がトラブルの素

ゼニを無心する婚約者の母親

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  筆者は滅多に女性週刊誌を読まないし、たとえ読んだとしても、その記事をほとんど信じない。しかし、『女性セブン』(2021年5月6~13日号)が掲載した皇室記事だけは、何となく「本当じゃないか」と思えてくる。秋篠宮家と小室親子を取り上げた記事によれば、2017年12月、小室圭の母親である小室佳代が秋篠宮邸を訪ねた際、借金トラブルの騒動を終熄させるため、皇室で金銭的支援をしてくれないか、と頼んだそうだ。それを耳にされた紀子妃殿下は絶句され、皇太弟殿下も非常に驚き、「それはこちらにする話ではない」と断ったらしい。これは当たり前の反応だが、小室佳代は畏れをなして萎縮するどころか、「紀子様は癇癪持ちでいらっしゃる」と言い放ったそうだ。

  もちろん、この記事は誰だか判らぬ「宮内庁関係者」による話を基にしているから、全部を鵜呑みにできない。が、あのオバはんなら言い出しかねない“お願い”である。小室親子は如何にも胡散臭く、佳代の夫や舅の自殺、姑の不審死、交際していた彫金師の素性、400万円を貸した婚約者との揉め事、遺族年金の詐取疑惑など、目眩がするゴシップを聞いてしまうと、一般の日本国民は「いったい、この女性は何者なんだ?」と訊きたくなる。だから、日本国民の多くは『女性セブン』の記事を疑いながらも、それを全否定できず、「たぶん、本当なんじゃないか?」と信じてしまうだろう。第一、こんなオバはんが眞子内親王殿下の「義母」となり、あの小室圭が悠仁親王殿下の「義兄」になるなんて、まさしく悪夢だ。穏健な国民でも溜息をついてしまい、「いくらなんでも・・・」と嘆いてしまうだろう。

大使夫人の「顔」を公表しないマスコミ

  「結婚相手は慎重に選ぶべし」というのは人生の教訓だ。一般人は自動車や住宅を購入する時なら、結構じっくりと考えるが、ある種の人々は軽率に結婚相手を決めてしまう気質がある。「愛は盲目(Love is blind.)」と言うが、20年か50年くらい共に暮らす異性なんだから、一時的な情熱だけで結婚してしまうのは危険だ。

  つい最近、南鮮で興味深い事件が起きた。報道によると、駐韓ベルギー大使夫人がソウルにある衣料品店に赴き、服を試着したが購入せず、そのまま店を去ったそうだ。ところが、朝鮮人の店員は「万引きされた」と勘違いし、店を出た大使夫人を呼び止め、店内で尋問したらしい。しかし、それが濡れ衣であることが判ってしまい、容疑者となった夫人は大激怒。頭に血が上った夫人は口論の末、店員の頬を激しくビンタした。この遣り取りの様子は監視カメラに録画され、冤罪騒動が持ち上がると、テレビやインターネットで流された。

  確かに、鮮人の店員が大使夫人を「泥棒」と間違えたことは非難されてもしょうがない。しかし、大使夫人の行動には「えっ!!」と驚くものがある。彼女は店内で白いズボンを試着したのだが、履いている靴を脱がずに、そのまま試着しようとしたのだ。これには日本人もビックリ。いくら客とはいえ、購入しない服を“あんな風”に試着するなんて非常識だ。しかも、万引犯と間違われた時、大使夫人はとても昂奮しており、店員と激しく言い争っていた。防犯カメラの映像では、大使夫人の顔がボカされていたが、どうしてもヨーロッパ人には見えなかった。勘のいい日本人なら、「この夫人、ベルギー人しゃなくて、アジア人かも・・」と推測したはずだ。

  その通り。AFPによれば、大使夫人は支那系で、名前は「相雪秋(Xiang Xueqiu)」というらしい。(「駐韓ベルギー大使夫人が店員に暴行、夫が謝罪」 AFPBB News 2021年4月23日) 事件が大袈裟になったことで、夫であるピーター・レスクイエ(Peter Lescouhier)大使は謝罪したそうだが、夫人は「脳卒中」とやらで入院したという。もちろん、彼女は警察の取り調べに協力すると言っているが、何となくマスコミから「逃亡」するためというか、「雲隠れ」のために病院へ向かったとしか考えられない。

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(左 : 頬をビンタされた店員   /  右 : 顔にモザイクが掛かっている大使夫人 )

  ここで気になるのは、どの主要メディアも夫人の顔写真を掲載していないことである。なぜ、思いっきりビンタをした夫人の正体を隠すのか? 事件前、彼女は「大使夫人」として、色々な場所に出ていたから、多くの南鮮人が夫人の顔を知っていたはず。いまさら隠す必要があるのか? もしかすると、彼女が「支那人」であるから、主要メディアの制作者が「マズい !」と考え、「特別配慮」で写真を公表しなかったのかも。なぜなら、ベルギーや他の西歐諸国では、犯罪者や容疑者がアフリカ人とかアジア人だと、顔や名前を伏せる傾向があるからだ。もし、大使夫人がフラマン系かゲルマン系の白人だったら、遠慮なく彼女の写真を公開していただろう。不思議なことに、日本のマスコミも、なぜか夫人の顔写真を公表せず、三面記事の「韓国ニュース」扱いたった。

Peter Lescouhier 2Xiang Xueqiu 02









(左 : ピーター・レスクイエ   / 右 :  「相雪秋 / Xiang Xueqiu」 )

  筆者はたまたま「相雪秋」の写真を入手できたけど、一般の日本人だと難しく、単なる海外ニュースとして聞き流してしまうだろう。でも、日本人が録画映像を目にすれば、誰だって夫人がベルギー人じゃないと判る。ああいった激しい口調で相手を罵るのは、朝鮮人か支那人と相場が決まっている。しかも、靴を履いたまま試着するなんて、まともな西歐婦人じゃ出来ない。他人の目を気にせず、我がまま放題に蛮行(or 無礼)を実践するのは支那人の特徴である。レスクイエ大使がオランダ人かデンマーク人を妻にしていたら、あんな事件は起きなかったはずだ。

  もう一つ考えさせられるのは、もしレスクイエ夫人が「日本人」であった場合、「南鮮国民はどう反応したのか?」という点だ。 もちろん、「日系日本人」の大使夫人ならそんなことはしないけど、もしこれが「朝鮮系日本人」や「支那系日本人」なら有り得る。そして、これは日本人と朝鮮人にとっても、厄介な問題となる。

  日本人に恨みを抱く南鮮国民は、いつもの如く鼻水を垂らしての激昂状態となるし、昂奮した民衆は日本大使館の前で抗議行動だ。たぶん、「日本人による暴行は赦せない ! 韓国人への侮辱だぞ ! 傲慢な日本人め、土下座しろ ! 謝罪するまで帰国させないぞ !」と大暴動に発展するだろう。一方、日本人の方も憤慨し、「そもそも、あの大使夫人は日本人じゃないだろう ! 彼女は支那系(または朝鮮系)じゃないか ! 日本人ならあんな事はしないぞ !」と反撥する可能性は充分にある。今回の事件を耳にしたベルギー人だって、心の底で反論し、「そもそも、あの夫人は支那人じゃないか ! 我々ベルギー人と一緒にするな ! だいたい、なんでレスクイエはあんな女と結婚したんだ?!」と呟くんじゃないか。歐米諸国では多民族主義が花盛りだけど、異人種との共存は幻想に過ぎない。具体的な事件が起きると人々は「冷酷な現実」に目覚める。

黒人と交際したプリンス

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(左  : グレイス・ケリー  /  右 : レーニエ3世と家族 )

  異人種と結びついたことで失敗した西歐人は少なくない。米国の上院議員であるミッチ・マコーネルは支那人を娶ってダーク・サイドへ転落した。モナコ公国のプリンス・アルベール(Prince Albert)も異人種との交際で“ヘマ”を犯した。君主のアルベール2世は世界的にも有名で、レーニエ3世(Rainier II)とグレイス・ケリー(Grace Kelly)との子息だ。しかし、その行動は貴族に相応しいものではなかった。この君主は2011年、元競泳選手のシャルレーヌ・ウィットストック(Charlene L. Wittstock)嬢と結婚し、娘のガブリエラ(Gabriella)と後継者になるジャック(Jacques)という双子をもうけたが、その背中には恥ずかしい過去を背負っている。(註 : シャルレーヌは南アフリカ出身のオリンピック選手だった。)

Charlene Wittstock 04Princess Charlene & children 11







(左  : 元水泳選手のシャルレーヌ・ウィットストック  /   右 : ジャックとカブリエラと一緒のシャルレーヌ)

  独身時代、アルベール2世は二人の子供(庶子)をもうけていた。一番目の交際相手は、ウェイトレスのタマラ・ロトロ(Tamara Rotolo)というアメリカ人女性だ。彼女は女の子を身籠もり、1992年にジャズミン・グレイス・グリマルディ(Jazmin Grace Grimaldi)を出産する。当初、アルベール2世は父親であることを否認したが、後のDNA検査で「実父」と判明し、彼女の父親であることを認めた。しかし、それでもアルベールの女癖は止まず、彼はフランス航空(Air France)のスチュワーデスを務めるニコール・コステ(Nicole Coste)と肉体関係を結んでしまうのだ。モナコ国民は大きな声で非難しなかったが、ニコールはトーゴ(Togo)出身の黒人女性。令和の高校生は「トーゴー」と聞いてもピンとこないが、トーゴはガーナとベニンの間にある小さな共和国。ここは元フランス領で、エウェ族やカビエ族、コトコリ族が主流国民となっていても、公用語はフランス語となっている。

Tamara Rotolo 0021Prince Albert & Jazmin Grimaldi 001Prince Albert & Charlene 005








(左 :  タマラ・ロトロとアルベール  / 中央 : アルベールと娘のジャズミン  /  右 : 結婚したアルベールとシャルレーヌ )

  一般的に、ヨーロッパ人は有色人種との混血を大々的に毛嫌いしないが、心の底では「なるべく避けるもの」と思っている。しかし、どの君主国にもバカ殿やバカ王子がいるもので、アルベール2世も下半身がだらしなく、モナコ公国の次期君主になると解っているのに、黒人とセックスして子供を作ってしまったのだ。2003年、未婚のニコールは「アレクサンドル(Éric Alexandre Stéphane Tossoukpé)」という男の子を出産した。そして、DNA検査によりアルベールが「実父」と判明。当時、アルベールは愛人との息子をマスコミにすっぱ抜かれ、カンカンになって怒っていたが、暴露記事が世界中に拡散し、DNA検査の結果も公表されたので、最終的に親子関係を認めざるを得なかった。アレクサンドルを抱いているアルベールの写真も大衆紙に掲載されたから、プリンス・アルベールは反論できず、満座の席で笑われることに・・・。たぶん、国民の大半も呆れたんじゃないか。体面を気にする公爵家の親族は大激怒だろう。何しろ、あのニコールはとても自慢できるような女性じゃないから

Nicole Coste 3Nicole & Alexandre Coste 02Prince Albert & son Alexandre 01









(左 : ニコール・コステ  / 中央 : ニコールとアレクサンドル  /  右 : 息子のアレクサンドルを抱くアルベール )

  君主政というのは民衆と王室との赤い紐帯(crimson thread)で成り立っている。もし、それが切れたり、あるいは揺らいだりすると、安定した存続は難しい。これは勝手な想像なんだけど、もし、遊び相手のニコールが正式な結婚を経て「モナコ公国のプリンセス」になったら、モナコのヨーロッパ系国民はこの黒人公妃を歓迎するのか? もちろん、グレイス・ケリーのように熱烈なる歓迎はないだろうが、ある程度の支援がないとアルベール2世の面子が立たない。しかし、「国民の支持」というのは「国民感情」だから、建前の人種平等や多民族主義で「世論の支持」を捏造するの無理。やはり、「自然な歓迎」じゃないと本当の民意じゃない。実際、モナコ国民が庶子のアレクサンドルと双子のジャックを見比べた場合、どちらを「後継者」に相応しいと考えるのか? グリマルディ公爵の夫人や子供達は様々なイベントに顔を見せるが、そこでの歓迎ぶりとか黄色い声援で“どれくらい”の支持があるのかが判る。北アフリカ系の国民ならニコールとアレクサンドルを心から歓迎するだろうが、ヨーロッパ系の国民だと熱烈な歓迎は期待できない。中には「なんだよぉ~、あの黒人女は・・・チェッ !」とソッポを向く国民がいるかも知れないぞ。

Charlene Wittstock 01Prince Albert children 001










(左 :  母親のシャルレーヌ・ウィットストック /  右 : ジャックとガブリエラ)

  とにかく、ロイヤル・ファミリーの成員は、国民に歓迎される結婚相手を見つけなければならない。アルベール2世は危機寸前のところで思いとどまり、まともな白人女性と結婚できた。それに比べたら甥のピエール・カシラギ(Pierre Rainier Stefano Casiraghi)の方がよっぽど賢い。彼の母親はレーニエ3世の長女であるカロライン(Caroline, Princess of Hanover)で、アルベール2世はから見れば、ピエールは姉の息子である。ちなみに、カロラインは二番目の夫であるステファノ・カシラギと離婚し、ハノーヴァー家の当主であるブルンズウィック公爵アーネスト・アウグスト(Duke of Brunswick Ernest August, Prince of Hanover)と再婚した。

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(左 : ピエール・カシラギ  / 中央 : ベアトリス・ボロメロ /  右 : 結婚した二人)

    グレイス・ケリーの血を引くハンサム青年となったピエールは、イタリア人モデルでジャーナリストも兼任するベアトリス・ボロメロ(Beatrice Borromeo Arse Taverna)と結婚した。彼女は爵位を持たないが、イタリア貴族のボロメロ家の子孫だから、モナコのロイヤル・ファミリーには相応しい女性である。普通のヨーロッパ人からすれば、いくら有名モデルや映画女優でも、黒人のプリンセスじゃ厭だ。ピエールとベアトリスの間には長男のステァノ(Stefano)と次男のフランチェスコ(Francesco)が生まれている。一般国民はこの愛らしいプリンスを目にして大喜び。やはり、同じ種族のロイヤル・ファミリーじゃないと素直に喜べない。モナコの民衆はピエールが上流階級の美しい女性を娶ったことに安心したんじゃないか。もし、彼女がモロッコ人とかギニア人じゃ憂鬱になるよねぇ~。

Francesco Casiraghi 001Pierre Casiraghi & Stefano 01Beatrice Casiraghi & Francesco 001








( 左 : フランチェスコ / 中央 : ピエールとフランチェスコ  / 右 : ベアトリスとステァノ)

  外国でも色々な人種・民族問題があるけれど、我が国の皇室は最も危ない状況にある。旧皇族の復帰が妨害されたまま、悠仁親王殿下だけが皇位後継者になってしまうと、何代か先には男子の継承者がいなくなる危険性が生じてくる。しかも、殿下のお妃になる女性を探すのは難しく、もし、殿下に恋人が出来たとしても、その女性が“曰く附き”の女性であれば、「小室問題」と同じくなってしまうだろう。それに、“まとも”で上品な日系人女性は皇室へ嫁ぐことを厭がり、必ず躊躇(ためらい)や恐怖心を抱くから、悠仁親王殿下を敬遠する可能性は高い。そうなれば、皇太子殿下の晩婚化は現実的だ。焦る殿下には悪魔が近づく。積極的に近寄ってく同級生や意図的に好意を示す女性、あるいは何らかの野心を隠しながら色目を使う娘が、殿下のお妃候補になってしまう可能性は非常に高い。

  保守派言論人でも口にしないけど、もし朝鮮系や支那系の女性が皇太子妃になったら、一般国民はどう反応するのか? 帰化鮮人2世の孫娘といか、帰化支那人1世の娘なら、「生まれながらの日本国民」であるから、国籍条項などは関係ない。また、朝鮮人の親を持つ日鮮混血児とか、イスラム教徒の女性が恋人になった場合、国民や宮内庁は反対できるのか? 現在の日本で血統や宗教を理由に恋人を別れさせたり、結婚を禁止することはなかなか難しく、それを断行した場合、左翼分子が「民族差別だ ! 宗教差別だ !」と騒ぎ立てるに違いない。左翼知識人や大手マスコミは、日本に駐在する左翼白人のジャーナリストを嗾(けしか)けて、「差別大国の日本」を大々的に宣伝するだろう。

  こうなれば、政治家もあからさまな反対はできない。左翼は正義や倫理を持ち出して皇室を破壊しようと目論む。もし、これが成功すると、皇室伝統は内部から崩壊するだろう。文化破壊型のマルキストは、「民族」とか「差別」という呪文で政敵を倒そうとするから恐ろしい。現在のアメリカで猖獗を極めている「BLM運動」や「キャンセル・カルチャー」を見れば解るじゃないか。日本人は思想戦や謀略工作に弱いから、譲歩に譲歩を重ねてゆくうちに、気がつくと負けていた、という結果になりかねない。皇室撲滅にナイフやミサイルは必要なく、誹謗中傷の紙鉄砲で充分だ。皇位継承者の母親が朝鮮人とか支那人だと、いくら「y染色体」で「男系」の天皇陛下でも、何百何千ものアジア人祖先を持つ天皇になってしまう。こうなった場合、日系国民は従来の尊皇精神を持つことができるのか? 「配偶者選び」というのは誠に厄介だ。 

  

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